「限界集落」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 限界集落とは

2011-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20111109091810

いつまでも、だよ。

競争しなくてもいい社会は、競争が必要になるまで膨れ上がるか、そのまま限界集落のように廃れるかの二択しかない。

で、クズ増田は廃れるのを選び、まともな人間競争を選ぶんだよ、わかった?クズ

2011-09-06

限界集落

数年前やたら話題になったが、

最近特に地震以降一切聞かなくなった。

 

ふと思いだしてググってみた。

 

2011年8月31日

過疎集落安心感を 支援員制度導入2年 龍神村 紀伊民報

http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=216733

 

あれ、龍神村って確か・・・と思って龍神村でニュース検索

 

2011年09月05日

みなべ町清川、龍神村件が孤立 道路寸断、浸水相次ぐ 紀伊民報

http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=216995

 

龍神村も十津川村も行った事あるし、

いい所だなーと思ったけど、

そろそろ地方は捨てるべき地域は捨てるべき。

もちろん東北津波被害にあった所も。

 

民主主義じゃ無理なのかなー

2011-08-27

青学イケメン犯罪自慢で全国のキモメンズ火病www

濡れるww

お前らが嫉妬すればするほどイケメンの輝きが増すわwww

家賃40万まで!乱交パーティ!すばらしいね!これぞ大学生活!

キモメンズとかぼっち大学生とかって劣等種じゃね?www

とっとと淘汰されろよwww

http://anond.hatelabo.jp/20110827174335

ぷぷぷww喚いてろよキモ豚www

http://anond.hatelabo.jp/20110827174958

たわけwww嵐が言うのとキモ豚のお前が言うのでは意味がまるで違うというのにwww

http://anond.hatelabo.jp/20110827181937

http://anond.hatelabo.jp/20110827182456

寒いよなwwwお前の心は格差という現実を突きつけられ、キンキンに冷えているwww

人も、モノも、カネも、集まるべきところに集まるという現実www

ぼっちはその対極にいる!wさながら文化資本ひとつもない限界集落のように!w寂れに寂れているのだ!w

オワコンなのは誰だwwwイケメンではないww

お前だwww

2011-08-14

原発がある県民

福島を経て、原発立地自治体では好景気の予感がしてると思う。

 

避難道路という名目で、3本目の並行する道路を作れと言ってる馬鹿福井にいて、

このままだとその意見が通りそう。

 

こんな話だと予算は全く出てこないし、

何人がどれだけの時間で避難できるのかの予測も出ない。

工事が決定してからしか新聞にも出ない。

 

東北復興の話にしても、

将来を見据えた話は全く無くなった。

 

過疎化限界集落という単語津波といっしょに流された。

 

数年後には、50億円かかったけど20戸の部落復興しましたーってドヤ顔で言い出しそうで怖い。

2011-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20110611104031

ショッピングモール商店街と、維持コストの違いを考えてみろよ。

明確な違いなんてないよ。

ショッピングモールで必要な客数が確保できなくても、商店街ならやってけるんだよ。

それは客じゃない。いずれそこが限界集落になっても卑しく土着し続ける運命共同体だ。

ショッピングモール商店街は「1:1」じゃねぇ「1:N]の関係だ。

はあ?wwショッピングモール勝手ひとつにまとめあげてんじゃねえよw

ショッピングモールは、複数の町の商店街をつぶすんだよ。

商店街ショッピングモール内の複数の店を潰せばいいじゃない。

ま、勝てる見込みのない勝負なんて適当に理由付けて断るよねwwわかるよww

限界集落を延命させるぐらいなら人を都市に集めたほうが合理的

2011-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20110502202950

すみませんが、そもそものテーマとして「少子高齢化」なんて、僕は考えてないんです

テーマからズレる事は、元々考えたかった事を希薄にしてしまう。

からシングルマザーに関するトラバへのコメントは控えました



少子高齢化」に重大な問題があって、解決が非常に難しいことは

限界集落と呼ばれるような所で生まれ育って、

子供や若い働き手が少ない(いない)事が地域社会を維持出来なくさせてしまう事は、それなりに実体験として分かります

また、財政難などの問題も当然大きな問題としてあるでしょう。

そうした現状を非常に不安に思っています。




ただ、計画性のない出産財政的に許容できな社会の方に問題がある、

と言うのは、社会に期待し過ぎ、甘え過ぎと感じたからまとめに書きました



現実問題として、児童就労などは日本では実現不可能でしょう。

自営業を手伝うなどは、可能でも学校に行かずに働く、小学校が終わって働くと言うのは難しいと思う。

では、

「親がそれほど考えなくても子供がちゃんと育つ社会

(おそらく、社会保障教育費、医療費などの経済的な支援の充実、保育所などの充実の事と思われる)

こういった社会は実現できれば良いとは思う。けれど、今はない。






から

計画的な出産が大切だと思うんです




改めて書きますが、元のテーマとして

デキ婚への寛容」

として、書いたので「少子高齢化」に関して考えを練っていませんでした





あと、『〜でしょうが』『〜べき』なんて書き方されると、

ムッとして、そこに意識がもっていかれるから、考えを返しにくい。

2011-04-04

しか言わない人間など存在しない

武田邦彦氏の功罪 - NATROMの日記

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20110318#p1

この指摘はその通りである異論はない。

そして、今日


武田邦彦 (中部大学): 原発 緊急情報(47) 汚染・6日に日本全土に拡がる怖れ

http://takedanet.com/2011/04/47_afa2.html

これはどちらかというと玉寄りの記事であると思う。そしてブコメでもそういう評価も多いようだ。


今回の大震災でボロを出した人は多い。一部ではそれ以前からボロが出ていたが、これを機に人口に膾炙したような人もいるだろう。

代表例として池田信夫がいる。彼は玉石で言えばごくまれに玉のような記事を書くが、たいていは石っころの記事を書く残念な「学者である

ところで、

NEWSポストセブン|反発覚悟で森永卓郎氏提案「日本原発スイッチを入れよ」

http://www.news-postseven.com/archives/20110404_16422.html

森永卓郎池田信夫よりマシという程度の凡な学者だというのが私の中での評価だが経済学者はどうしてこうもリスク度外視した提案をするのだろう。

経済学にはリスク評価や維持コストまで含めたモデル存在しないのか?それとも経済学とはここまで残念な学問だったか。それはないと思いたい



とにかく、今回を機に「学者」の権威も失墜したと言える。「東大www」とバカにされるように、「東大教授wwww御用学者限界集落だろwww」と罵倒される時代が来たのだ。

政治不信にせよ、御用学者不信にせよ、根っこは共通である。彼らに求められているのは超人かつ聖人である。あるべき日本人イデアを求められているのであり、彼らはそれを体現する圧力に晒されているのだ。そしてそれが実現不能なのは言うまでもない。彼らは失敗するし、無理解もある。

玉石混淆こそ人間の証明である。玉しか求めないのは机上論人間押し付けしかない。

そしてこの超人欲求こそが張りぼて神話を呼び起こす圧力になる。失敗しません、なんてのは初めから可能である正社員安全神話鉄道安全神話崩壊した。そして原発安全神話崩壊した。それが崩壊することこそが権威失墜の動機であり(権威は失敗が許されず、失敗するということは世間に取って凡人であることを導く)、デマを信じる源泉になるのだ。信頼性に於いて学者の言い分もデマも同列になったのだ(最大限譲歩して、フラットになったといえる)

繰り返す。失敗しない人間など存在しない。正しいことしか言わない人間など存在しない。それはすべて大衆幻想だ。

完璧学者存在しない。完璧正三角形存在しないように。

2011-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20110327204332

こういうお前のような「ネット草創期に考えられていた言説をいつまでも信じ続ける」ネット老害は早々に駆逐されねばならないと思う。

まあそいつらの限界集落匿名環境になるのであれば、それでも構わんが。誰にも知られずにひっそりと死んでくれるというのはありがたい事でね。


で、君の

原発建てるなら東京に建てろ」なんて言ってるキチガイと、

キチガイブロックしたらギャーギャーわめくクズどもの中ではそうなんだろうね。

みんな原発で発電された電気を使って書き込んでるんだけどね。

やっぱ、ネット匿名性は必要だわ。

この妄言を逐一検証するのも怠いから前半だけ回答するけど、まあ彼らはキチガイクズだよね。

で、悲しいことにそれは可視化されただけでもともといた人種なわけだ。

ネットも普及したおかげで大衆化が進み、クラスタが生まれて階層化ができる。

それは結局現実投影しかならず、つまりは権力のある、声のでかい人が信奉されるわけだ。

君がどれだけ論理の正誤に拘り、バカの中からも懸命に玉の発言を掬い上げたところでバカの津波に飲まれて時間をムダにするだけ。

トリアージというのが情報選択としても機能されるならば、匿名の発言と日頃低能なことばかり言うクズは真っ先に切り捨てられるべき存在。多様性だの情報の海だのは所詮一個人レベルにしてみればただのエネルギー浪費にしかならず、必要な発言をする人間に集約される。

つまり、ネットの芸能化。専門外だろうと関係なく、「言うべき人間」の発言だけが重みを持ち、それ以外の人間は「口をつぐんでノイズと共に津波に飲まれて消えろ」というのが現代のネット事情

バカは可視化された。次はバカを淘汰する時代だ。ひとつ正論はバカを救わない。

2011-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20110320084247

具体的に言えば高齢化

高齢化東京と関係ないよね。

東京からあるけど昔から高齢化だったっけ。

世界中のいろんな国が高齢化してるけど東京日本しかないよ。

労働人口都市部に集中したいで地方人間再生能力が落ちている。

そのため、これから先、都市部には経済を支えるだけの人間を送り込まれなくなる。

地方少子化しようが都市部少子化しようが少子化少子化だよね。

なんか違うの?

同時に、都市部人間高齢化のため、人口に占める高齢者の比率がぐっとあがってくる。

でしょw

地方高齢化してる。東京高齢化してる。

自分最初に言ったこと覚えてるのかな。

この急速な高齢化対応するためのインフラ予算が割かれることになるが、

経済も停滞するため、十分なインフラが用意できない。

高齢者がばらけてたり限界集落に居たりするよりは

まとまってるほうがインフラの整備も維持も安上がりだよね。

むしろもっと集中した方がいいんじゃない

そもそも、東京経済力は、日本という先進国一億人の人口の中心としての機能に

大きく依存しているので、地方の疲弊を、薄く広くだが、もっとも顕著に受けていくことになる。

東京のせいにして東京を引き摺り下ろせば地方が栄えると思ってる?

地方に交付金出してくれる財布がなくなるだけだよ

地方から干上がって死んじゃうよ

労働人口の減少とともに、仕事が減るというダブルパンチを食らい、

東京に集まりすぎた人間仕事を失い、治安が急激に悪化する可能性が高い。

労働人口が減って仕事が減るなら失業率は変わらないね

なんで仕事を失う人が出るの?治安悪化




以上、

君の理路は支離滅裂でお話にならない。

これは根っこから君が馬鹿なのではな

君の東京コンプレックスがこの件についての思考を阻害してるのだと見受ける。

2011-03-17

復興計画は高齢者が生きる街のモデルを示せ

-復興は移住を伴わざるをえない


今回の震災で、東北の海側の多くの町(宮古大船渡釜石陸前高田気仙沼志津川(南三陸)、女川、牡鹿町など。)が自治体レベルで壊滅している。これらの街では、町民の多くが亡くなっている模様だ。本当に心が痛い。私の祖母も石巻に住んでおり、幸い無事だったものの、安否が確認できるまでは、生きた心地がしなかった。

住んでいる方々は街の壊滅を目にし、今後復興が出来るのだろうか、と思っているに違いない。

しかし、幸いにも、今は国を挙げて(世界からも)支援を行う、という機運が出てきており、金銭的・物理的な支援が今後予想される。ただし、生き残った方だけが元の場所あらためて住居を建てて居住し、街を作るということはおそらくできないだろうし、するべきでないだろう。

それは、これらの街に(東北全部に言えることだが)共通しているのは、どの街も高齢化が進んでいると言う事だ。限界集落となる人口を超えてしまった場所が多数あると考えられる事と、人口が減ってしまう以上、人口に対して街が間延びし、電気・ガス・水道交通などの復旧コストも増加要因となってしまからだ。加えて行政医療教育介護などはスケールメリットがきくので、ある程度街のサイズがあった方がきめ細やかなサービス提供できる可能性も高い。

つまり、復興する街は住民の移住を伴った新しい街になる、ということだ。

そして、もちろん、何よりも地震津波に強い必要がある。特に、今回想定を大きく超えた津波で壊滅した街が相次いだ事から、海沿いの街のあり方を根本的に考える必要がある。

今回、自治体は一から復興を目指さなくてはいけないが、逆に言えばまったく何も無い状態から、自由な発想で一から街を作る事が出来るチャンスでもある。

から街づくり、というのはおそらく戦後以来であろう。まさに、戦後蓄えた都市計画の知識を総動員する時だ。

特に、高齢化が進んだ街の問題を解決する街を作る事が出来れば、将来的に東北だけでなく日本中到来する高齢化社会モデルともなろう。


-高齢者にも優しい中層住宅を中心としたコンパクトシティ


私は、ある程度(千人~)の規模を持った、中層(10F-20F)建ての共同住宅を中心としたコンパクトシティを目指すべきだと思う。

主な理由としては、

  1. 津波に強い。10F以上であればまず問題ない。今回も、残った建物は全て中層の建物だった。
  2. 集中して住む事により、行政サービス(役所・警察消防)・交通サービス(短・中距離バスなど)、コミュニティ学校など・町内会など)、インフラ電気・ガス・水道)が維持しやすい
  3. スーパー銀行医療施設・介護施設などの施設を維持しやすい
  4. 徒歩で完結する圏内に街を集約すれば、高齢者にとって危険な車の運転を日常的にする必要がなくなる
  5. 戸建よりもフラット共同住宅の方が、戸内の段差が無くなり高齢者にやさしく、介護もしやすい

である


-問題は産業復興地域への投資インセンティブをつけ、企業の呼び込みを


問題は産業復興である

今回、漁業工業などは壊滅的な打撃を受けてしまった。それにより、漁業工業に従事している方向けにサービス提供していたサービス業すらもなくなってしま危険がある。産業が無ければ、労働年齢人口は生きていく事ができない。この地震により産業がなくなったことで、労働人口がさらに都市部流出してしまうだろう。

これをどのように食い止められるか。ある程度は復興事業により雇用できるだろうが、大事な事は復興事業以外の留めない事だ。一時的に復興事業により雇用も生まれるだろうが、復興事業は持続的なものではないのでいずれなくなってしまう。この地域復興事業依存にしてしまうと、永遠に復興費用支出しなければいけなくなってしまう。

大事な事は、企業投資を呼び込んで、持続的な産業を作る事だ。投資企業に対する法人税の免除などのインセンティブを用意し、企業を呼び込むことを本気でやる必要がある。産業の壊滅具合を考えると、各県にこのためだけの部署があっていいくらいだ。

ここで、上記の街づくりと絡めて、「介護都市」を作り、その「介護企業」を作るのもいいかもしれない

企業寄付も良いが、そのお金地域再生ファンドなどを作って、会社を作ってはいかがだろうか。企業の一番の社会的責任は、産業を創出し、雇用を作り、納税する事である

転載 http://d.hatena.ne.jp/yesucandoit2010/20110317/1300339904

2011-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20110314162956

ケースバイケースな側面があります。が、一般的には

1.現地入りはしない。

2.その集落に関する情報(必要な薬品等)を所定の機関に連絡

になると思います。

1.についてはご懸念の通り、ロジスティックが付いていない限り、医師と言えど一般人で、現地の負担と現地への貢献差し引きマイナス可能性が高いかです

2.については、実際このようなケースでは、現地ヒアリング→物品手配→現地での医療活動、の手順を踏みますが、その最初工程の効率化が図れる可能性があるからです

 基本的には、地域拠点病院に連絡がつき、そこに情報を出しているならそれで当面の最善は尽くしているということになると思います。叔父上のお気持ちは分かりますが、トリアージが行われたような現場では、通常の医療倫理あるいは感情的道徳的には理不尽な話が正解となる場合があります。「2人の人を助けるために自分母親を殺せるか?」という問いと似たような話で、感情的には納得できないのが当然と言えますが・・・

ただし72hという最も緊急的な対応が必要な時期は過ぎていますので、ケースバイケースな点もあって「絶対に止めた方がいい」とはいいきれません。実際に医療的な貢献ができるかどうかは別として「顔見知りの医者が面倒を見に来てくれた」と言うこと自体に大きな効果がある可能性があるからです患者さん方と現地医療機関の橋渡し役、というのは組織的救難活動では手が回りにくいところでもあります。あくまで「現地医療機関が止めないなら」という条件付きでは一般人ボランティアとは意味が違う部分があるのも確かと思われます過去災害対策では「大きな避難所が優先されてしまい、限界集落のようなところは手が届きかねた」というのは常に挙がっている問題点たいていはやむを得ずあえてそういう決断をしているのですが)でもありますし。

どうしたらいいと思う?

まずは、この度の大地震大津波で被災された方々の安寧と一刻も早い復旧を祈ります

それでできたら一緒に考えて欲しいことがあるんです

私の叔父の一人が、被災地域のひとつに非常勤で働きに行っていた医師なのです

と言っても臨床経験は浅く、今までは裏方的な仕事をしていた人なので、

実際には長期安定した患者さんに定例の薬を処方するのが主な仕事のようです

そこは普段からかなり交通の不便な場所で、いわゆる限界集落というものだろうと思います。

街の病院から往診車が山道を通って月に数回来る以外、何の医療設備もありません。

今回、その基幹となる病院津波の被害を受け、機能停止状態に陥っているそうです

叔父は往診車でその集落へ向かう日以外は都内に暮らしており、震災時も都内に居ました

当初はその地域情報がなかなか入らず、どうにか病院関係者と連絡が取れたものの

上記のような有様で、叔父は集落の人たち(ご老人ばかりらしい)の事を心配しています。

何とか自家用車集落へ行けないかと、地図を見たりしていますが、

今の所は道路通行止めで無理なようです

渋滞による物資の輸送遅延を防ぐために極力個人で被災地域へ向かうのは避けて欲しい、という

当該地域の公式HP記述もあり、私としてはこの場合インフラの復旧を待つしか無いと思っているのですが、

叔父は「自分医師であるから、一般の個人とは事情が異なる」と言っています。

それにしても肝心の病院が動いていないのでは、薬の処方もできないし

食料や水の補給といった目的で行くのなら、医師は関係無いのでやはり一般人扱いな気がします。

しかし、普段見ている人たちが取り残されて心配な気持ちも分かります

この場合はどうするのがいいと思われますか?


追記:

お返事ありがとうございます。今は時間がないので、あとでゆっくり拝見します。

往診車の基幹となっている病院ですが、津波で浸水したのと電気が通じないのと(自家発電も長く持たなかった)で

機器が使えない事が、一応は機能停止の原因のようです

元々人手不足気味の病院なので、この非常事態では医師の数も決して足りてはいないと思いますが。

逆に言えば、電気が通じるようになれば、ある程度機能するのかもしれません。

2011-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20110124225330

から、気づかない時点でダメダメ

限界集落いつまでもしがみついてるジジババと同じ。

かつては皆が中流になれるだけの余裕があったからこそ気づかなくても生きていけた。

でもこれからダメ

気付けないなら取り残されて誰にも知られずに死んでいくだけ。

これを「淘汰」という。

もっと現実的な話で言えば、最近企業はにわかに英語就職要件に課してるけど、

そのハードルを超えられないならそれなりの仕事しかできないよね。たとえばスーパー惣菜担当とか。

本人が必要かどうかなんて問題じゃないの。社会が必要だと要求しているなら不快でもそれをしなきゃいけないの。

演じなきゃいけないの。

適応しなきゃいけないの。

2010-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20101208172617

バカを維持するにはコストがかかる。

バカを「限界集落」なり適当に置き換えて頭使って理解しろ。

2010-12-07

いつまでも田舎に留まる奴は滅びろ

限界集落?知ったこっちゃねーよ。田舎リソース割くってのはバカに職与えんのと同じ。無駄遣いだから削減すべき。

2010-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20100914235002

誰かの奴隷でもないのに地方に強制移住させるのって下放したいということ?

したいな。

限界集落に住み込ませ、おばあちゃんの世話をしながら林業をさせるべき。

国の姿を知らない者が国を動かしているからおかしくなった。

2010-08-31

トカイとイナカとジャスコ

ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。育った町は関東に位置している田舎だった。電車に乗れば東京までたかだか時間半か二時間程度の場所だったが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならなかった。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機切符が買えなかった。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バスも早くて、夕方が差し迫ってくるともう乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。

電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げて田んぼに水を注ぎ込む小川も、稲穂の上を渡る金色光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも遠く、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかなくて、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンもみな忌み嫌っていた。

私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。



高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住処を確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日時間もかけて都会へと通った。

私は住処を確保できた幸運な一人だった。山の手の静かな住宅地の中の、学生用の古い汚い部屋でも、私にとってそこは「トカイ」だった。駅に着くまで田畑はなく、家々は軒を並べ、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈は一定の間隔で並んで闇を追い払ってくれる。都会には月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心があった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。

都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、蚊に食われたといいながらよくベンチに座って、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。

田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているのに、どこかに必ず境目があって、境界付近で二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。



山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、それだけで田舎だと言っているけれど、田舎はそうじゃない。

コンビニには車で出かけなければならないことも、コンビニ農協のようなものだということも、、新製品は何か月もしないとおかないような、そのくせいつからあるのかわからないような商品が段ボールで積み重ねてあるということも、あなたたちは知らない。発売と同時に新商品を手に取ることができる喜びにあなたたちは気づかない。駅と駅の間が近くて、自転車で行き来でき、一つの場所に店が集まっていないせいであちこち足を運ばなければいけない不便性は田舎のそれとは違う。

大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎邪魔になればすぐに切ってしまから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎だ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景あなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしないのが田舎だ。あなたたちはそれを知らない。



盆や正月田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかいから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野秋葉原新宿池袋渋谷原宿東京丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。

ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。

ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせち材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。



そうして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。私はABABでいいものがあれば買うし、同じようにしまむらで掘り出し物があれば買う。田舎よりも安くで手に入れることのできるものは都会で買い、田舎安く買うことのできるもの田舎で買う。どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想しかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだ。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。

「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想しかない。幻想しかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。




私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。






補記:母は東京イオンがないという

記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。

父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証の本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。

引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルド本屋ミスタードーナツもある。旧市街地門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。

バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置している新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに行った。

父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校も私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙時間的距離は苦痛だったのだろう。

子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。

そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。

祖父母にとって東京は得体のしれないところだった。彼らは東京駅で人込みの歩き方がわからなくて、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。


たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京イオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列ショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。

あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウンの生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想に右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。


私の住む東京千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内とはいっても下町からここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。

それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。


成田に育った:http://anond.hatelabo.jp/20080929192856

2010-06-29

http://anond.hatelabo.jp/20100614224115

レスです。

>既存インフラが一番密度高いのって首都圏でしょう?

人口密度が低い地域インフラってもともと凄く効率が悪いんじゃ?

>また、「既存」と言ったって作りっぱなしのものじゃなく維持費がとっても高いよね?

地方インフラって「人が住んでる以上公平に最低限の生活を保障…」という理由で

>効率や採算を度外視した持ち出しで成り立ってるのが基本だと了解しているけど

>そうするとその効率悪く巻き散ってる「わずかだけど人が住んでるゆえに要インフラ地域が減り

都市部に集まってみんなで効率の良いインフラを使う、っていうのは

>少なくとも論点であるインフラ投資効率的には悪くない自体なんじゃ?

>以上どうなんでしょう

まず、地方でも「限界集落」と「地方中核都市県庁所在都市」とでは分けて考えてください。

自分の考えでは、限界集落、特に豪雪エリアでは、「撤退戦略」「限界集落を畳む」戦略

それなりに必要だと思います。

しかし、人口が50~100万人程度存在する地方中核都市インフラは、

「放棄するには勿体無い程度に、それなりに効率的に使われているし」、

逆に「もっと地方中核都市インフラは使用頻度を上げることができる」と考えています。

先日松山市に行きましたが、市内電車などのインフラが適度に存在して便利だった。

人口50万人の街のこのインフラに、首都圏からのシニア層が10万人移住しても

キャパ的には充分収容力があるし、その方が伊予鉄道経営も安定するのでベターです。

一方、首都圏では「外環道が足らない」「保育所も足らない」ということで、

社会増を放置してしまったらインフラ不足に陥ります。

首都圏人は、「全国的に保育所が足らない」と誤解していますが、保育所不足は

首都圏(と一部の大都市)の局所的な問題であり、福井とか佐賀では

保育所が余りまくって問題」になっています。

2010-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20100603021903

その東京地方バックアップを受けるゆえに存在できるんだが。

何のインフラも市街整備もなしに、いきなりあちこちに港だの農地だの発電所だのができて、東京へと物資やら食糧やらエネルギーやらが勝手に運ばれてくるんだとでも思ってるの?

それに、限界集落に費やされるコストなんて知れてるがな。

小学校社会科からやり直せよ。

http://anond.hatelabo.jp/20100602211646

俺も今日同じことを電車で考えていた。

東京をはじめとした都会を優先し、日本はこれから積極的に地方を切り捨てるべきだ。

田舎に住んでいる人間は、存在自体が負債であることを自覚すべき。

地方都市程度ならまだギリギリ許してもいいが、山の中にある村、それどころか一軒や二軒しか残っていないような限界集落は、強制的でいいから移住させるべき。

そもそもこの50年で離島や、山の中の炭焼の村はどんどん無人化していったのだから、その流れが続くだけだ。

最近光回線の普及率を100%にするという愚かな目標が挙げられたが、現状でカバー出来ていないということは日本全体にとって不要な土地ということだ。そんなところに住む方が悪い。

あと田中角栄戦後最悪の国賊無駄遣いした金を他のところに回せば、もっと日本の衰退を遅らせられたのに。

2010-05-27

入札制度による移転費全額国負担の「限界集落移転促進法」

要は、移転費用を全額(概ね1,000~2,000万円)拠出するので、

住民全員同意が得られた限界集落から畳みましょうというお話

【条件】

★1都3県、愛知県大阪府以外に位置する限界集落住民が対象

集落居住者全員(住民票ベース)、及び登記簿上の土地建物所有者が

 移転に同意していることが必要

土地建物について、キチンと登記処理がなされていること。

 なお、建物については、30㎡以上の面積を有すること

人口集中地区、若しくは市町村役場から半径500m以内の地点に

 引っ越すこと

【方法】

土地所有者に半額、建物所有者に半額を支払う。

 (なので、土地建物所有権が異なる場合は、支払先が変わる)

 夫が持分2分の1、妻が持分2分の1、という場合は、夫に半額妻に半額払われる。

★「国に土地建物を売り渡し、その売買代金として費用が支払われる」

★支払い時期は、契約時半額、引渡し時(=引越時)半額

 国は最後の半額は、「引越が完了している(住民票移転している)」ことを

 確認してから支払う。

★資金の流れとしては、契約時に支払われる半額で以って、

 人口集中地区の戸建ての頭金とし、残額は「つなぎローン」を借り、

 引越完了時に、国から貰った残金でつなぎローンを消す。


実施主体】

国の税金から支払われるが、選考や支払い手続きなどの事務作業は、

現場に近い県が行う。

なので、国は、県内に存在する限界集落世帯数に応じて、

移転費用を県に按分配分する。

豪雪地帯の県に厚く助成せよ、という意見もあるが、

 豪雪地帯でない県の場合台風大雨被害がありうるので、

 北日本南日本平等にする。

集落選考

入札方式を採用

A集落=4戸が「1,200万円」で同意

B集落=3戸が「1,210万円」で同意

C集落=5戸が「1,230万円」で同意

D集落=4戸が「1,240万円」で同意

E集落=3戸が「1,250万円」で同意

ここで県が抱えている予算が「2億円」の場合

①A集落~D集落までを対象にした場合の支払額=(4+3+5+4)×1,240万円

 =19,840万円

②A集落~E集落までを対象にした場合の支払額=(4+3+5+4+5)×1,250万円

 =23,750万円

となり、①<2億円<②なので、

「A~D集落を対象とし」(E集落落選)、「1,240万円を、A~D集落に配布する」

ということになる。

こういう公的事業は、従来の行政の思考パターンなら

移転費用の半額を助成」というケースが多く、

実際、そういう制度国交省は用意しているようである。

しかし、東京都耐震補助なんかもそうだが、こういう「半額補助」は、

「半額は自己負担になる」点が嫌われ、なかなか導入されない。

(結構、予算を余らせるらしい)

予算を用意しているのに使われずに政策目的を実現できないのであれば、

少しでも政策目的が実現できるようなスキームに変えた方がいいのでは?

また、「入札制度」を導入することによって、

少しでも「安く移転する」集落をチョイスしていけるので、

政策実現効率が良い。

更に工夫した点は、「家の大きさに係らず、土地の大きさに係らず、世帯人数に係らず、

売買価格を一律にした点」である。

従来の行政の思考パターンであれば、それぞれの不動産について、

土地を測量し、建物を測量し、不動産鑑定士を交えた適正価格で買収する」

という手筈を取るだろうが、限界集落のような「二束三文」の土地建物場合

土地家屋調査士不動産鑑定士人件費だけで、下手すれば不動産価格以上のコストが必要」になる。

なので、「当事者が申し出た価格が、適正価格」という「一種の割り切り」を行うことによって、

「鑑定調査コストの極小化」を図れるのである。

更に、「移転住宅については、各自が探し出す」という仕切りにしている。

従来の行政であれば「移転先の公営住宅を確保してから」となるだろうが、

中には公営住宅じゃなく、

「これを機に嫁夫婦が暮らす県庁所在地へ引っ越す(手金は二世帯住宅建替え費用に充当)」

という人もいるだろう。

そういう場合に、「公営住宅を用意したが、結局入居予定者が素通りして、公営住宅無駄になった」

というロスを避けることができるし、又、公営住宅じゃなく民間住宅を活用することによって、

素早い転居が可能になる。


こういう「個人向け公的政策には、半額補助じゃなく、入札制度を活用せよ」

というのは

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/7891/p/157.html

も参考にされたし。

2010-04-13

私のtwitterの使い方(あまりネットにはっついていない人向け)

何人かtwitter初心者の知り合いから要望があったのでまとめてみた。

とはいうものの、自身が普段ネット接続していない人間メールは1日数回チェックのみ。必要時のみネット見るかんじ)なので、通常の使い方とは大分異なると思うが。

似た環境の人向けのニッチな使い方ということで。



そもそものtwitter自体の使い方

これはネットで探せばいくつもあると思う。twitter初心者向け記事。

http://r.nanapi.jp/123/

http://blog.ecstudio.jp/ec_studio_blog/100315how-to-tweet.html



とりあえずやった方がいいこと

プロフィールはきちんと書くと吉。

twitterコミュニケーションツールとするならば、プロフィールは超重要。顔の見えるコミュニケーションができる

ちなみに、プロフィールよりもっと大きかったりするのが画像だったりするのだが 笑

専用クライアント使った方が吉

特にコミュニケーションする場合、相手の発言を引用してコメントする(非公式RT)が公式サイト経由だと面倒くさい。

代表的なクライアントは下あたりか。

個人的なtwitterの使い方

コミュニケーションのツール

とりあえず、自分仕事プライベートで興味のある単語検索してみる。「提案営業」でも「フェアトレード」でも「桜花賞」でも「○○市○○町(家や職場等の地名)」でも何でも。

http://search.twitter.com/

で、気になる発言があったらとりあえず引用してコメントしてみる。「へぇ」とか「同感」とかそんなレベルでいい。それだけでも会話の輪に入れる。

仕事がらみや政治社会問題系のトピックは結構アツい議論しているので、興味あれば勉強にもなる。

そんな会話を重ねていくと、自然に気の合う人と会えて、フォローする/されることも起きる、と思われる。

情報収集のツール

これはまだ個人的にもやり方が確立されていない。twitterノイズが多い気がするので。

個人的に使えるかと思うのは、ものすごいピンポイント情報源農村コミュニティ活性やってるケニア人とか、イラン在住の日本人とか、日本限界集落アート地域活性やってる人とか…)


あとは、ある業界コミュニティでの先端走っている人や、ハブな人、メディア関係の人ですかね。

3. アウトプットの材料

個人的にやっている使い方。自分が思いついたことをすぐ忘れるクチなので、とりあえず考えたこと・思ったことを備忘録として書きためている。で、週末あたりにそれらを見直し、思考の整理みたいなことを行っている。

このあたりはまさに、下の記事がくわしいかと。

http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/12/twitter.html

- 転職ならen
- 派遣ならen
2ページ中1ページ目を表示(合計:41件)