はてなキーワード: 間取りとは
これで経済的ってのは無理筋。
「放射能封じ込めなどに手間取り、2兆円はかかるとみている。住民への補償を含めれば、もう1兆円は必要で、計3兆円。1970年代初めに米国で行われた原子炉安全性研究では、100万キロワット級の原発が炉心溶融して格納容器が破壊され大量の放射能が出たという想定で、被害額は数兆円という結果だった。図らずも、この試算が実証されてしまうことになるだろう」(桜井氏)
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110331/dms1103311641025-n1.htm
初投稿だったので増田とはなんだろう、返信の仕方はどうすれば?がわからず再投稿に手間取ってしまいました。
初日記がいきなり人気エントリ(違った意味ででしょうけど)になってびっくりしたのと、
狙い通りの反応でシメシメと思ったのと、個人で書いているブログより反応が多いことの悲しさでいっぱいです。
そうそう。一番の盛り上がりの部分なんでしょうけど、
『彼女の意見を聞かずに、自分の意思ひとつで勝手にマンションを購入した』
『「立地も間取りも広さも階数も問題ない」かどうか、妻に判断させなかった』
なんて一言も書いてないのに、それ前提で話を進めてる人や、
「もしかして、婚約者に相談しないで家買う契約しちゃったって事?」
と、とりあえずはじめに確認してるにも関わらず、数行下には
と決め付けられた上で否定されたり、色々面白いなと思いました。
もちろん、紛らわしい含みを持たせた書き方をした自覚はありましたけど。
行間を読んでくださり、ありがとうございました。
明らかに間違った意見や、正しく、厳しく批判してくださる意見、
擁護してくださる意見もあればうらやましく思ってくださる意見など
肯定・否定さまざまなご意見があり、
一つ一つコメントしたいのですが自己防衛にしかならなそうだったので
きっと、われわれは破滅へ向かうバカ夫婦なんでしょう。
プロセスが間違っていることに気づけ。
家ってね、7割は妻のもの。
「立地も間取りも広さも階数も問題ない」かどうか、妻にも判断する権利がある。
今日スーパーの帰りにフラっと立ち寄ったモデルルームで、そのままマンションの契約をしてきた。
比較もなにもなく、1軒目。
「昨日さ、○○(俺の名前)作戦を発動しちゃったよ」
とはつまり、衝動買いしたよ、ということだ。
例えば電気屋に電球を買いに行っただけのつもりがパソコンを買っちゃったなんて話は、少なかれどまったくない話ではないだろう。だが、マツキヨでシャンプー買った帰りに3000万のマンションも買っちゃったなんて人はそうはいまい。
本題に入る前に少し、過去の話を書こうと思う。
学生、親の管理下にいる頃はお金の扱いに非常に厳しく、お小遣いすら支給してもらえずおやつひとつ買うのも母親の承認が必要で、100円のおやつがほしいともなれば3日はおやつを我慢しなければならなかった。
社会人になり自分でお金を稼ぐようになって、その反動がきたかのように「ほしい物を、ほしい時に」買うようになった。はじめは会社の寮に住んでいた為お金は溜まりに溜まり、とにかくありとあらゆるものを即金で買うようになった。パソコン、ホームシアター、大型液晶テレビ。最近はホームベーカリーやCisco社のルータも買った。特に衣食住における”住”のウェイトが高かったように思う。
その考えはそのまま住居に直結し、不景気の煽りで退寮を迫られたときには賃貸のデザイナーズマンションを契約し、引っ越した。家具家電も全て新調したため、引越し総額は100万を軽く超えた。
しかし、それまでタダ同然の家賃でで暮らしていた自分に9万オーバーの家賃は想像以上に重くのしかかり、それ以降まったくお金も貯まらず、それでも浪費癖だけは健在でボーナスを含めた総支給でなんとか生活が出来ている状態だった。いや、なんとか、というと語弊があるかもしれない。少なくとも切り詰めてはいないのだから。スポーツジムにも通ったし毎年冬山に7,8回程度滑りに行っていた。今が幸せで楽しければそれでいい。そんな考えで手取りをめいっぱい使って生活していた。もちろん今もその考えは変わっていない。(だからこその3000万の借金なのだが)
そんな自分にも彼女ができ、結婚を考えるようになった。デザインがどんなに優れていようが、居心地がどんなによかろうが所詮一人暮らし用の賃貸マンション。さすがに手狭で引越しを考えていた。お金もないし結婚資金も必要で、現実的に考えてもう少し広めの、もう少し安めの、普通のアパートに。
だけれども自分にとってやっぱり衣食住の何が大事かということを考えると、”住”なのだと思う。今よりもう少し広めの、もう少し安めの、普通のアパートに住むなんて、もちろん現実的だけど自分には考えられなかった。
今年の流行語はこれで決まりそうである。"Tea Party"は、選挙で使われすぎてガス抜きされているので、実績はあるが勢いが無い。
そして、ダブルアイリッシュにダッチサンドイッチは脱税手法に関する単語なので、風刺的に飲食店のメニューに取り込まれて話題になり易い。
アイルランドの企業間取り引きでは、法人税が2.4%にまで引き下げられるという事を利用して、多国籍企業の利益を、アイルランドに二つの法人をでっち上げて、企業間取り引きを装って利益移転を行って節税するのが、ダブルアイリッシュ。この利益を、EU内企業間とタックスヘイブンへの租税条約に例外事項があるオランダを通過させて、タックスヘイブンに飛ばして、法人税率を0%にするのが、ダッチサンドイッチである。
単純にタックスヘイブンに飛ばすと脱税になるが、こういった小細工を使う事で、合法的に節税が可能になる。
多国籍企業にとって、国家・国民は単なる市場でしかなく、共存共栄する為の関係は構築できないという事であろう。法人税が高いと苦情を言っているうちはまだマシで、税を支払う価値が無いと判断した時点で、企業は多国籍企業化して法人税を支払わなくなるのである。
凡人を何十人集めて会議をしても、良くて平凡な結論、普通は、メンツと私利私欲と無知無能をさらけ出したマヌケな結論しか出てこない。
民主主義は、独裁制や寡頭制が、最初は有能な人が始めても時が経てば老いて耄碌するし、後継者が有能であるとは限らず、凡人が凡人であることを自覚せずに権力を私し始めたときに、それを抑制し止めさせるには流血の革命を経なければならないという失敗を繰り返してたどり着いた結論である。
あらゆる情報を公開し、意見を広く求め、時間をかけて結論を醸成しなければ民主主義とは言えない。複雑怪奇な制度をつくり、専門家でなければわからないようにして大衆の目から隠し、専門家としての職業の安定を作り出しても、それで最大の利益を得るのは、
その制度の穴を突いて法人税を0%にするサービスを提供するような悪党とそれで税を支払わずに済ませる多国籍企業であり、
■息子が高校を退学する
今日退学届を出す予定です。
自主退学と言うカタチだけど、実際は自主退学を出さないと学校側から退学勧告を受けてしまうそうなので、そうする以外にナイ感じ。
原因としては、クラスの子をからかった(学校ではイジメと判断)、授業妨害といったのが主な所。
退学しろと学校側から言われるまでは1週間隔離。その間取り調べ。
コノ件には3人の生徒がかかわっていて、それそれ別々。
その取り調べの結果を後で聞かされることになり、その内容を息子に伝えると「全く違う」とのこと。
こんな事は全くいってない。そんな態度も取ってない。先生の注意自体受けていない。
ただ、その3人のウチの誰かは言っていたり、そうかもということなので、それはしょうがないのかもしれません。
息子も調子がいいので、先生が言った事に面白く反応したり、クラスが無反応の時などリアクションをとっていたそうで、
それも授業妨害ととらえられたようです。
コノ件で学校に呼ばれたのは、1回で、その時イキナリ「退学しろ」と言われカナリ動揺しました。
なんとなく感覚では「次までに改善しないと」などあるのかと思っていたので。
いや、私学なのでやはりそうなのかとも。
気に入らない生徒は、居なくなって結構。そんな雰囲気がしてきます。
高校は人を育てるのではなくなってしまったんだぁと、なにかはじめて時代が違うのかと感じたりも。
なんか、ちょっと整理がついていないので、こんな感じに書いちゃいました。
さて、この後、どうすればいいのかなぁ
http://anond.hatelabo.jp/20101025122856より
(追記部分は残っていなかったので載っけてない)
これについたレス
http://anond.hatelabo.jp/20101025125458
http://anond.hatelabo.jp/20101025125531
http://anond.hatelabo.jp/20101025131306
http://anond.hatelabo.jp/20101025135352
http://anond.hatelabo.jp/20101025141555
http://anond.hatelabo.jp/20101025142753
http://anond.hatelabo.jp/20101025142945
http://anond.hatelabo.jp/20101025143752
http://anond.hatelabo.jp/20101025144300
http://anond.hatelabo.jp/20101025144307
木造家屋や壁の薄いコンクリート建築の耐用年数は、せいぜい30年程度である。天然石を切り出して積み上げて作った、ローマ時代や中世暗黒時代の城砦やシャトーであれば、100年200年といった耐用年数が十分に期待できるが、合板木造家屋や、被りの薄い鉄筋コンクリート建築物では、30年程度で、寿命が来る。したがって、一般に不動産市場における評価額は、土地の評価額とならざるを得ない。
モノによっては上物の撤去費用を差し引かなければならない位である。
土地の評価額だけでなく、上物の評価額も出そうとするのであれば、メンテナンスフリーで数百年は持つような、天然石積み上げ造りのような家屋を前提にするべきであるし、間取りにおいても、一番小さい部屋でも十メートル四方といったスケールにしなければ、数百年間の使用に耐えられない。
人口が多すぎて、狭い土地に密集して暮らすような国情においては、そんな建物は、高層建築物にするしかないとなる。
鉄筋コンクリートは、表面から徐々に酸化が始まり、アルカリ性であるはずのコンクリートが中性化し、やがて、中に入っている鉄筋が錆び始めて、崩壊に到る。鉄筋から表面までの距離を広げて被りを厚くしたり、コンクリートの表面を塗装するといった手法で、中性化を遅らせる事ができるが、それとても、万全とはいえない。
上物の価格は、耐用年数がどれだけ残っているかということと、上物を撤去する為の費用とで、計算される。耐用年数が無限であれば、上物を撤去する必要が無くなるが、地震の多い日本では、耐用年数が無限の家屋を建設するコストは、不合理な金額になってしまう。
あと、上物の評価額が著しく低いというのは、建設コストに比べて減価の度合いが激しすぎるという不満がある為であろうが、上物を作る為のコストが高すぎるだけである。人生50年時代であれば、家は一生に一度の買い物であるが、人生80年時代であれば、2回は買う事になる。耐用年数を延ばして一生に一度の買い物にするよりは、一生に二度の買い物として、最初から30年後に建て替えるという前提で設計施工をして、コストを切り詰める事である。一生に一度の買い物であれば、売りっぱなしで、しかも、代金を取れるだけむしり取ろうということになるが、30年後に建て替えというのであれば、悪い評判を避ける為に、コストに見合った施工を心がけるようになる。
核家族化が進みすぎて、ウサギ小屋ばかりになって、地盤を継いで行くという考え方が消滅してしまったのも、上物の建設費が不合理な価格にまで上がってしまった原因と言えるだろう。
アメリカの2×4住宅は上物の価格の方で取り引きされているという反論については、本物の2×4住宅は、壁のような非構造材だけでなく、柱や梁といった重要構造材すら、日曜大工で交換できるようになっている。このメンテナンス性の良さから、住人がメンテナンスをすることを前提にして価格が成立しているのである。古い住宅ほど価値があるのは、あらゆる構造材が交換可能でなければ古くなる前に崩壊してしまうからであり、住人が勤勉でさえあれば、住宅の価値を維持できるという保証がついている分だけ、価値が高いと評価されるのである。
それもこれも、間取りが広くて余裕があり、建物の構造が簡便でメンテナンス性が高いという前提があってのことで、狭小住宅で断熱ウレタンフォーム吹き付けのような工法を使っている建物とは、考え方が違っているのである。
ときどきふっとやりばのない怒りが静かに湧き上がってきてどうしようもなくなることがあります。
焦点の定まらない分散した怒りで、かつ家庭内のプライベートな問題なので家族以外誰にも打ち明けられません。
文章をまとめるのが大変下手なので、非常に読みにくい長文になることをお許しください。ちょっとした短編小説くらい長いです。もちろん小説の足元にも及ばないほど読みづらくつまらないです。
最初にはっきり言っておくと、私の家族、主に祖母に対する愚痴です。読んでいて気持ちのいい文章ではありません。
ほぼ事実を書いていますが、特定されて困るようなことは変えたりぼかしたりしています。
それでもよければ、聞いてください。
私のうちは父・母・私・妹の4人家族です。
ものすごく仲が良いわけではないし、多少の家庭内事件などもありましたが、おそらく一般的な核家族家庭だと思います。
母方の祖父母と、父方の祖父はすでに他界しています。
父方の祖母は存命ですが、祖父が亡くなったのがもう15年以上前なので、それからずっと父の実家でひとりで生活していました。
父は3人兄弟の次男で、長男と三男はどちらも独身、かつ実家から離れた地域で暮らしています。
うちは父の実家から車で数十分ほど離れたところにあるので、祖父がいた頃からほぼ毎週末車で出かけるのが習慣化していました。
またほかの兄弟が遠方にいるので、墓参りや何かあった時の対処はすべてうちの父がやっていました。(祖父の葬式の際の喪主もうちの父)
幼い頃はそれを特に不思議には思っていませんでした。ただ、少なからず父に負担がかかっていることは薄々感じとっていましたが…
(母方の家族の話は関係ないので書きません)
私が高2の冬か、春になるくらいの頃だったと思います。祖母が転んで足を骨折しました。
その頃祖母はひとり暮らしなので、足を骨折した状態では日常生活に支障が出ます。治るまでうちに一緒に住むことになりました。
一時的なことですが、その間の部屋の割り当てが問題になります。
うちは一見ごく普通の2階建ての一軒家。しかし少し間取りが特殊で部屋数が少なく、ダイニングを兼ねた居間を除くと部屋と呼べるものは5部屋+1部屋しかありません。
2階が父の趣味部屋・父の寝室・母の寝室で、1階が居間と奥座敷、奥座敷と障子で仕切られたフローリングの部屋、その部屋の奥に、後から増築した離れ(物置状態)、となっています。
物置と書きましたが、離れはそれなりに広く、裏口から入るとすぐなので妹が自室として使っていました。
そして、奥座敷とフローリング合わせて12畳ほど?が実質私の居住スペースでした。
(小さい頃は2階の現父の寝室が子供部屋で現母の寝室が父母の寝室だったのだが諸事情によりこのようになってしまいました。別に父母の不和によるものではないはず…)
子供部屋ではベッドを使用していましたが、部屋と一緒に父のものと化してしまったので、私は普段座敷に布団を敷いて寝ていました。
祖母が座敷を使うことになるので、その間私は座敷ではなくフローリングの方で寝ることにしました。
薄情だと思われるかもしれませんが、私は祖母と本当にそりが合わないので一緒の部屋に寝ることなど考えられませんでした。
障子で仕切られただけの物音も明かりもダダ漏れの空間に一緒にいることすら嫌でした。
しかも奥の離れや座敷へ行くために通らなくてはならないところなので、部屋というよりは広い廊下のような空間です。プライベートなどとてもじゃないですがありません。
しかし何か月間かの辛抱だと思い我慢することにしました。
前置きが長くなってしまいましたが本題に入ります。
先にも書いたとおり、祖母が骨折したのは私が「高2の冬~春頃」の話です。
祖母はおよそ1年弱うちに滞在しました。
私が高3の冬までです。
高3の冬と言えば一番大事な時期。いくらマイペースな私といえど焦りには勝てず、根を詰めて勉強していました。
何もなくても、受験が近づいてくるだけでストレスが溜まる不安定な時期です。
そんなとき、先述の理由のために、私が自分ひとりだけになれる空間は家にはありませんでした。
妹が離れに行くたびに私の部屋を通ります。
座敷に行くために祖母が私の部屋を通ります。
私に用があるわけではないから、ノックなんてしません。
それは仕方ないのだと思おうとしました。
しかし、私にとって一番ストレスになっていたことは、祖母の存在それ自体でした。
祖母を邪険に思うなんて最低な人間だと思う方が多いと思います。
でも私は我慢できなかったんです。
夜中にぶつぶつと独り言のようにいろいろなこと(後述)を私に話しかけ続け、私が「もう寝たいから静かにして」と頼んでもやめてくれません。
むしゃくしゃすること(たいてい母との確執)があると、奇声を発し、ものにあたる(ベルトで何かを叩いたり)。
私に対し、母を鬼嫁と言い、またものを盗まれた、この家はとんでもない家だ、早く帰りたい、などとまくし立てます。(後述)
あまりの言い草に、私も少々かっとなりやすいところがあるので勢いで言い返してしまうと、
・あんなに『かわいがってやった』のに恩をあだで返すつもりか
・あの鬼嫁に似たのか。情けない。
・さては何か言われたのか。だから私にそんな口をきくのか。
しまいには
・孫にこんなことを言われるなんて、もう死んでしまいたい
こうです。
私も言い過ぎたなと思うことはありましたが、祖母の方が明らかに暴言を吐いているのです。
聴きたくないから黙ってほしいだけなのに、そう言うと「なぜ被害者の私が黙らなければならないのか」「言いたいことを言って何が悪い」と、聴く側の私の気持ちなど考えてくれません。
ちなみに、母の悪口は私が小学生のころからずっと愚痴られ続けてきました。
また、祖母が私に言ってくることは、母の悪口以外だと大体
・東京の大学になど行くものではない。地元の大学に進学して家から通うのが一番 ←私の意見(行きたい学部など)は考えていない
・私の就職について(公務員か銀行員、もしくは祖母御用達のデパートでなければ認めない) ←私が希望する職業など無視
・父が就職する際、祖父が反対して、採用されていたのに泣く泣く違う職についたという話 ←父をかわいそうだったという割には私をコントロールしようとしている。矛盾しないの?
・学生の男に引っかかってはいけない。働くようになってから結婚できる男を探せ。 ←話はわかるがまだ未成年なのにそんなに生々しいことを言われて気持ち悪い(19まで男女交際経験なしでした)
・お隣の国(お察しください)の悪口 ←昔(戦時中?)一緒に働いていたときよくない人が多かったらしい
・ご近所さんの悪口(わたしの家と、父の実家のご近所さんの悪口。庭の花を盗まれた、服を盗まれた、など)
でした。
私は人の悪口などを言うのも聞かされるのも好きではないので、このようなことを延々と話しかけてこられて精神的になかば参ってしまい、祖母が本当に嫌いになってしまいました。
言い返すと祖母が逆上するだけなので、無視をして布団にもぐりこんでも、布団を剥がしてまで話しかけ、それでも無言で抵抗していると孫にこんな風に扱われるとはなんてひどいあんまりだ、私は死にたくなった、の無限ループです。
しかも高3の冬です。ほぼ毎日それが続いたので、今思うとノイローゼになりかけていた気がします。
私は再三、祖母と隣の部屋で寝るのはいやだと言ったのですが、家族と言えど(母ですら)わかってくれる人はおらず、部屋はそのままでした。
年が明けると足が治っていた祖母はとりあえず家に戻っていったので、祖母が原因かはわかりませんが、センター試験の日に私は謎の胃腸炎を発症し、毎休憩のたびににお手洗いに駆け込んで戻しながらも(汚い話ですみません)受験はしましたが結果は散々でした。
幸いなことに、志望は私立だったのでなんとかなりました。
それにしてもよく発狂しなかったと自分をほめてやりたいくらいです。
しかし、祖母との関係が、今の私の厭世的な性格を作り上げた原因となっていることは間違いありません。
すみません。まだ終わりじゃないんです。
長い飽きたという方はこれ以上お読みにならなくて結構です。
祖母についてもう少し詳しく書きます。重複してしまうところもありますがご容赦下さい。
先に、私が祖母を嫌いになったと述べましたが、受験前のこのできごとが原因で嫌いになったわけではありません。
これも先述しましたが、私が小学生の時から、母の悪口や近所の方の悪口を聞かされ続け、また親切の押し売りをされたためです。
祖母は私の母ともそりが合わず、お互いに毛嫌いしていました。
父と母はお見合い結婚、しかも晩婚です。家庭環境が違いすぎたこともありますが、祖母は母を育ちの悪い、性格の悪い鬼嫁と見下している節がありました。
母が結婚後も家庭に入らなかったことも原因の一つかもしれません。専業主婦だった祖母からしてみれば、父よりも帰りが遅く、夕飯を父に作らせている(実際には父は喜んで料理しています)母には不満がたくさんあったのでしょう。
一方の母も、いい大人の父をいつまでも子供のように過剰にかまう祖母の愚痴をいつも言っていました。
私から見ても少し異常なほど祖母は息子たちに過保護なのです。(40、50の大人に対してです…。)
それで、お互い相手のことをよく思っていないことは明白なのですが、表だっては言い合わず、二人とも私に対して互いの愚痴を言ってくるのです。
おそらく妹も同じだったはずです。しかし妹は要領がいいのか、淡白なところがあるためか、性格がいいのか、あしらい方がうまいのです。
私であればつい言い返してしまうところを、実にうまく受け流していました。
なんというか、正義漢ぶるつもりはないのですが、性格がきついとか、私自身を悪く言われるだけならばまだ抑えようもあるのですが、そんなときは必ず母のことも悪く言うのです。
祖母は痴呆とまではいかないのですが、結構昔から忘れっぽいというか、すぐにものをなくしたりしていました。
大体祖母が自分で置いた場所を忘れるからなのですが、祖母はそれを母のせいにするのです。
母が盗んだと言うのです。
私はマザコンではありませんしむしろ反抗期は母によくつっかかっていましたが、こればかりは母側に同情してしまいます。
これが母に対する集中攻撃であれば(実質そうなのは変わりありませんが)まだ問題は小さい範囲で済んでいたかもしれませんが。
祖母は祖母の家の近所の人との関係も最悪なものにしてしまっていたのです。
かなり前から、近所の誰々さんに何々を盗まれたとか、あげく留守中に家に入られてお気に入りの服を盗まれたとか言っていました。
そして、あまりうるさいので父は祖母の家の玄関と勝手口に監視カメラをつけました。
泥棒が映ったことはありません。
祖母は、私たち家族(というのも嫌ですが)に対してそう喚くだけではなく、夜中に窓を開けて泥棒ー!と叫んで警察沙汰になったり、近所の方の家へ行って、おたくの息子は泥棒だ、というようなことを言っていたらしいのです。
実は私はよく知らないのですが、他にもその地域にいられなくなるようなことをしたそうです。
いろいろなことが積み重なり、骨折が治ってまた一人で暮らしていた祖母は、再びうちにくることになりました。
今度は、前とは違います。半永久的にいることになります。
そしてあいかわらず以前と同じように母(酷い時にはついに父まで)を盗人扱いし、近所の人の悪口をわざと外で言ったりしているそうです。
私はすでに進学した時点で家を出ましたが、そのおかげで帰省するのが大嫌いになってしまいました。
『親切の押し売り』についてですが、
両親が共働きなため、手がかからなくなってくると私と妹は割とほったらかされて育ちました。
もっとも、幼い頃は祖母が毎日うちに来て面倒を見てくれており、それは感謝しているのですが、とにかく祖母は異常に過保護というか、かまってくるのです。
小さい頃から、なにか行事のたびに服を買ってきてはそれを着せてくれたり(それ以外の選択肢はない)していたのですが、物心つくようになってくると私は自分で選んだものしか着たくないと思うようになりました。
しかし祖母が(こう言っては悪いですが)勝手に購入してきた服を、このような言い方はしたくありませんが押し付けてくるのです。
祖母からしてみれば親切というか孫をかまいたいだけなのかもしれませんが、はっきりいって迷惑です。
祖母は買い物依存症といってもよく、服だけではなくバッグと帽子、それに靴は数えきれないほど持っていました。
祖父がそれなりに地位のある人間だったため、祖父が亡くなってからも年金があるので高級品も簡単に買えるらしいのです。
そして、何を勘違いしているのか、自分が着ようと思って買った服などを、自分には派手だから、などという理由で私に着させようとしたりします。
ミセス用の服を着られるわけはありませんし、着たくもありません。ですがいらないと言うと「なんで」なのです。
それ以上にひどいことに、洗ってはありますが明らかに着用後の下着類を送ってきたりするのです。
自分が何歳だと思っているのでしょうか。自分が着用した下着を、孫ならば身に着けると思っているのでしょうか。
また祖母は買い付けの百貨店以外は「安物だからよくない」と決めつけ、私に服を買ってやるというときはそこでしか買いません。
年2回ほど、セール?のようなものがあって、そのときに必ず私や妹に「服を買ってやる」というのです。
それはとてもありがたいのですが、いつも大量に購入した服を送りつけてくるのです。
服って自分のセンスと、サイズってものがあるじゃないですか…。合わなかったら着たくないですよね?
それが昔からずっとなのです。さすがに毎年口をすっぱくして言い続けてきたので、最近では「一緒に行って買ってやる」に変わったのですが…
それでもその時期に帰省できるとは限りませんし、まず大体にして一緒にいるのが苦痛です。
祖母は店員の前で簡単に「安物」「品が悪い」などと言うのです。(ちなみに少し話がそれますが、祖母は今まで自分が買ったものの値段をほぼすべて覚えており、このバッグはいつどこで○万円で買った、このスカートはいくら…というようにいちいち教えてきます。私はそれが本当に不気味です。私が安物のコートなんかを着ていると、ものすごい目で見られるんです。)
祖母に、いらない、と言うと、なんでと言われ逆上されます。
なぜと言われても、服くらい自分で自由に選びたいのだといっても通じません。
そしていい加減に頭にきて私が切れると、また「あんなに可愛がってやったのに」です。
そんな風に恩を着せられるような、そんな愛はいりません。
すぐに「私はお前のためを思って」「私は世界で一番お前を大事に思ってるからこう言うんだ、だから言うことを聞け」と言います。
もう頭がおかしくなりそうです。
今までずっと冗談くさくしか言えませんでしたが、この際父にはっきり言ってやりたいです。
あなたの母親は頭がおかしい。と。
いくら痴呆が進んでいるからといって、自分の母親だからといって、自分の家に引き取って面倒を見ようと思えるのでしょうか。
ある意味尊敬しますが、母や私が受けてきた精神的苦痛は、祖母が家にいる限りずっと続くのです。
父の兄弟はたまに様子を見に来たりしますが、祖母を引き取ろうとはしません。
父はこんなに近くで、こんなに祖母に尽くしているのに、祖母はそんな父を(いつもではありませんが)「親不孝者」呼ばわりしたことさえありますし、たまにきてはまとまったお金を置いていくだけの、父の兄弟の方がかわいいようです。
何年も何年もうちと祖母の家を車で往復し続けてきた父よりもです。
私はそんな父のこともひどく哀れでなりません。
友人がいないわけではありませんが、友人にこんなことは言えません。
自分の祖母の悪口を言うなんて嫌な人間だとしか思われないと思います。
でもまだ実際ここに書いていない(書けない)ことがまだ山のようにあります。
私は故郷が好きなので、帰りたくないわけではないんです。
でも、家には祖母がいると思うと…
そんな風にみんなが苦痛を負いながら、むりしてうちで面倒を見る意味ってあるのでしょうか。
入院させてしまった方がいいんじゃない、という言葉が、何度私の口から出かかったことか。
でも父にそんなことをとても言えませんでした。
もしかしてこんな家庭はよくあるんでしょうか。
私のような思いをしている方は実はたくさんいるんでしょうか。
今はとにかく、帰省するのに気分が重いです…。
このような長文&駄文をもしもここまで読んでくださった方がいましたら、お礼を申し上げます。
ご気分を害された方がいましたらお詫びします。
これだけ書くのに、気づけば3時間も経っていました。
疲れましたが、ほんの少しだけ何か気が楽になったような気もします。ありがとうございました。
というのも、わたしは少しだけ専門的かつ絶えざる需要のあるスキルをもっているので
いわゆる「派遣」ないしは「アルバイト」で週に三日働けば年収250~300万円を維持出来るのです。
ヨメもやはり同様の仕事でわたしよりちょっと多く働き年収400万。。家事はわたしがやり、子どもは作る予定も全くないので
将来への不安はほとんどゼロ。どちらかが元気ならなんとでもなるよねー、と思いながら暮らしています。
そのついでに、十年来の友人夫婦と共同で家を買いました。
三階建ての二世帯住宅をお金を出し合って購入し、かなりいいとこにいいかんじの家が買えました。
ちょっと間取りをいじっただけでお互いのパーソナルスペースは確保出来たし生活上の不便はほとんどありません。
22からつとめた某企業の腐れ激務で大分砂漠化が進行していた頭皮も少しずつ回復して来ました。
友人たちも家を手に入れるとともに仕事を減らし、悠々自適モードに入っています。
そんなわけで、我々はお金のかからない旅行をしたりお酒を飲んだりしてとても楽しく暮らしています。
思うに、子どもを作ろうと思わなければ我々の生活は年収700万辺りから大いに豊かなのです。
少々生活レベルを落とせば子どもだっていけるでしょう。(ただしこの先奨学金制度がどうなっていくのかは不透明ですが)
そう考えた時、まず「結婚」というのは非常に効率の良い手段です。生活者が二人になったところで支出の増大が
さほどあるわけではありません。予想外に変わらないものです。もちろん、どちらかが贅沢好きなら成り立ちませんけどね。
わたしたち夫婦と友人夫婦の好きなものは、読書と料理とお酒と会話。毎日を楽しく過ごしても、まだ収入が余ります。
わたしは昔、年収が1400万くらいあり、年棒制で働いてました。
そのおかげですっかりハゲた上に肝臓を壊したわけですが、それはともかくとして。
そういうところにいると、確かにお金はいいです。でも、出て行くお金も半端じゃありません。
しかも、「年収」がそれだけあってもかなり笑えない額を税金で持っていかれます。
身なりも、食事も、酒も、付き合いも、遊びも、なにもかもが望まないもので満たされます。
わたしもヨメも服なんてユニクロでかまわないし(むしろ好きです)車でフラっと海に行ったり
山に行ったりするだけで十分楽しいのです。なにもない日は本を読んでネットをすれば退屈する暇なんてありません。
旅行がしたくなれば4万円くらいのチケットを取ってタイでも行けばいいんです。沖縄より安くて楽しい。
二週間遊びほうけても8万円でお釣りが来ますよ。
要するに、我々の時代というのは「お金がある」ことが物質的幸福と等価でなくなってきてるんです。
読書が出来て、ネットが出来て、遊びに行けて、デザイン性には欠けるものの良質な衣服があって、美味しい食事を作ることが出来て。
本来、それ以上何を望むべきなんでしょうか。もちろん、社会的身分というものはあります。
そういったものが欲しい人はそれを追い求めればいい。しかしですね、それそんなに重要でしょうか。
わたしは実際、古巣で幹部になるまで出世するメリットは見出せなかったです。クオリティオブライフ、とかそういう観点で。
では、そういった生活を得ようと思ったらどうすればいいかといえば。
話はカンタンで、寄り集まればいいんです。結婚もそのための一つの大変有益な方法論。
昔、わたしは極貧生活をしていた頃がありました。貧乏学生だったんですね。
その当時、まだルームシェアという言葉はなかったですが、友人たちと3LDKアパートに三人で暮らしていました。
この生活が、存外に良かったんです。家賃は十万円ほどでしたが三人で割れば大した数字ではありません。
その時得た教訓はこういうものです。月収6万円で一人暮らしは無理です。でも、月収六万円が三人集まれば最低限は暮らせる。
月収十二万円が3人集まれば、それはもう「最低限の文化的生活」を大きく上回る水準になるんです。
そういう生活は、楽しいです。
わたしは元来が非常に孤独に弱い人間なので、誰かが一緒にいないと死にます。
会社にいた頃は全ての人間が敵に見えて、大変に心を蝕まれました。ふとワインのボトルを一本持って
階下に下りていけば親友のいる今の暮らしは、わたしにとって最高のものです。
もちろん、こういう生活にはリスクもそれなりにあって
誰かのミスや裏切りを全員がこうむることになります。ルームシェアが瓦解するのはそういった事例も多いでしょう。
そこの部分は人と人のつながりに加えて、ある種の契約の論理でヘッジしていかなきゃならない。
でも、それさえ出来れば人生は最低限の労力で、けっこうたのしいのです。
最近、すごく希望のある書き込みを2chで見ました。詳細は忘れましたが
「貧乏人が結婚できない時代はもう終わった。これから貧民同士寄り集まって生きる時代だ」
といった内容で、ああそこまで時代が来たんだなぁと感慨深かった覚えがあります。
わたしは「貧民」と名乗ることは流石に出来ませんが、それでもそういうことだと思ってます。
世帯収入が500万円あればそれなりに楽しいのです。分かち合えば、豊かなんです。
最近の「結婚する相手は年収1000万円ないと…」みたいな風潮や、それに反抗する女性たたき。
それを見てると、「そりゃ貧しいよ」と思ってしまう。そこを巧いこと分業すれば、この貧しくなる一方の日本でも
けっこうたのしく生きられるんじゃないかなーと思うんですね。
ケンカしても碌なことがない、生きるために仲良くする時代が来たとわたしは思うんですよ。
みんな、仲良く出来たらいいんですけどね。わたしとヨメも含めて。
ケンカ別れになったらわたしもヨメも友人夫婦も終わりですからね、そこだけは怖い。
でも、さみしくないっていいものですよ。
そうやってゆっくりみんなでダラダラ滅んでいく時代なんじゃないかな、って。悪くないですよね。
地方在住34歳
就職活動らしい就職活動はしないままに、担当教員のすすめで地元の中小企業に入社
(あとで知ったが、教員と会社の人事が創価つながりだったらしい)
※自分は全くの無宗教だが、そういや初めての彼女も創価だったなぁ
正社員、サビ残(月60~70時間)、ボーナス6年で3回(各10万程度)
年休消化すると怒られる、初任給手取り16万、退職時手取り18万
若かったこともありガムシャラに働きほどほどに遊んだが、
東京や大阪の友人に会いに行くたび、その生活を見ては羨ましく思った
同時にほとんど就職活動せず流されるままにここまできた自分を悔やんだ
都会生活は地方でしか生活をしたことがない自分にとって眩しすぎた
面接では何年か都会(東京or大阪)勤務をしてもらうかもしれないとのこと
3年で正社員になれるとの話だった
『なんでもやるし、どこの勤務でもかまいません!!』と言ったが
結局、仕事は派遣社員として親会社の支社(地元)へ派遣され、親会社の正社員と同じ業務をした
契約社員(1年更新)、残業(月0~20時間)、ボーナス年2回(30万程度)
年休消化しないと怒られる、手取り19~21万、昇給なし、転勤なし
親会社の社員はほぼ50代で、釣りかゴルフの話かギャンブルの話にあけくれ
たまに電話を取ったかと思えば、めんどくさいのを理由に仕事を断ったりするので
それでも以前の会社に比べたら、冗談かと思うほどに仕事は楽だった
3年後、グループ各社の統合やら分社やらで勤務していた会社そのものがなくなり
ただ待遇面や業務内容は全く変わらず、変わったのは社名だけ
新しい会社は役員・管理職(グループ親会社からの天下り)以外全員が契約社員だった
この会社再編のタイミングで優秀な先輩(同じく契約社員、親が親会社OB)が会社に愛想を尽かし辞めて地元を去った
それまでも優秀な同僚の離職はあったが、先輩には可愛がってもらったし、
上司や親会社の正社員にも、立場を気にせず物言う人だっただけににショックだった
会社は早期に契約社員の正社員化を実施するなどと言っていたが、
自分よりずっと先からいる先輩の話では、数年で社名が変わるのは毎度のことらしい
期待していなかったが、1年後、優秀で在籍年数の長い数名が正社員になった
自分は契約社員のままだったが、契約更新時に給料が1万円上がった
1年後、結婚
結局、妻には悪いがこちらに来てもらった
妻の仕事は少々特殊ではあるものの、アルバイトではあるが働き口が見つかったのでそれで我慢してもらった
結婚後しばらくは、東京に比べ圧倒的に娯楽が少ないこちらの生活に不満を募らせていたが
今では『週末にイオンに行くだけでも最高に嬉しい』と言い、ここの生活では必須の免許も取り地方生活に順応してくれている
この年、同窓会で久しぶりに大勢で集まった
ベンチャーを企業して頑張っているヤツ(最近社長になったらしい)
結婚式には来てくれていたのだが、その時はあまり話せなかったので互いの近況を報告しあった
どれもこれも眩すぎる内容だった
ただ1つ、自分だけが結婚しているということが、くだらない自尊心を支えてくれた
2年後、長男が生まれた
元々こどもは好きなのだが、我が子は文句なしにかわいい
次の年(今年)、正社員になった
自分より両親、妻、妻の両親が喜んでくれた
福利厚生が若干良くなったが、それ以外はほとんど変化しなかった
業務も孫会社の正社員ではあるが、職場(親会社)では派遣社員扱いである
会社の説明を聞く限りでは、給料はおそらく10年近く現状維持(手取り20~22万)だろう
それ以降も業績に応じて年¥5000程度のアップ(しない場合も当然ある)で、手取り27万程度で上限となる
※今までの昇給ペースを考えると、実際上限まで行くことはまずありえないだろう
そして家を建てることにした
こどもができアパートが手狭になってきたことや、その他諸々の条件から今年がベストと判断したからだ
給料は安いが生活に困るほどではないし、仕事はほぼ定時に終わる
正直1度は都会へ出てみたかったし、自分の可能性を自ら放棄してしまうようで悩んだのだが
いままで現状に甘んじてきた自分が、これからリスクを犯してまで人生を変えていけるとは思えなかった
おもえば結婚の時、地元に残ると決めた時点ですでにあきらめていたのだろう
いや、もっと前から薄々は気が付いていた、ただ認めたくはなかった
このままずっと抑揚のない人生なんて
先日、これからの生活設計(主に資金)を決める上で退職金がどの程度になるが会社に聞いてみた
現状の賃金では、在勤年数26年(正社員期間、60歳定年)の試算で320万
多くはないとは思っていたが、予想をかなり下回る金額だった
実は正社員化のタイミングで一度退職金は出ているので、勤続7年で70万を合算すると33年で390万
いづれにせよ親会社の正社員の退職金(2000万以上・勤続37年)には遠く及ばない
※ちなみに親会社正社員の40歳時の月給は非管理職で手取り約40万
相談にのってもらっているFPの方も(親会社のバリューに反し)予想以上に少ないので驚いていた
地元でのんびり暮らしていけたらそれでいいじゃないか!
格差社会なんて結局、金をものさしにして比べてるだけじゃないか!
贅沢はほどほどでも家族仲良くやっていけたら十分幸せじゃないか!
いや、消費するだけが贅沢じゃない!
週末は家族と庭でBBQ・・・十分贅沢じゃないか!
お金以外のものさしで生きていこう!!
自分に言い聞かせた
昨日、東京で事業を起こし頑張っている友人(かなり成功している、先のベンチャーの友人とは別人)から電話があった
本業は磐石だし、新しい分野に挑戦するので一緒にやらないかとのこと
・
・
・
・
地元の工務店と契約もすんで、頭金ももう払い終わったじゃんよ!
来週は地鎮祭なんだよ!!
すげぇ面白そうじゃんかよ!!
元増田です。
なんかえらいブクマがついててビビッております。やってもうたか……?
昨日愚痴っていろいろ教えてもらったので、ある程度作業項目が見えてきました。
正直面倒になってきました。
でも、ここで手を抜いてあとでもっと面倒になるのは御免なので、がんばります。
子供がまだ小さいこともあり、調停になったらおそらく女親が有利なことと、
決定的なのは妹からの暴言。(中身は勘弁してください)
親からの伝聞なので正確なところはわかりませんが、話半分にして聞いてもとんでもない暴言です。
先方も、孫はかわいいけれど、親子3人+孫の命と引き換えにしてまでは引き取れなかったのでしょう。
捨て台詞のように上記を言ったらしいので、悔し紛れに心にもないことを言ったのだと思います。
思いたいです。
うちワンルームだし!
主題と関係ないところに食いつかれたのでびっくりしたw
元は1DKの間取りです。仕切りをとっぱらってワンルームにしてます。0LDKみたいなもんです。
必要なときだけ間仕切りで区切る感じ。意外と便利ですよ。
ファミリータイプ並の広さはないですが、一人ならこのくらいでも十分です。
おばちゃんに
これもブクマ見てびっくりした。子供絡みならおばちゃんでOK、妹OnlyならNGですね。
自分でも、妹の子供に対しては「おばちゃんだよー」と言っています。
本題についてはあんまり語りたくないというか語る言葉もないというか。
でも、妹母子を養うつもりはないので、徹底的にお断りしますで行くつもりです。
それがね、もう2日に1度以上の確率で遅延するの
5分とか10分とかは可愛いほうで、たまに15分や20分遅れる
もちろん、
アナウンスで言うのは「混雑の影響で」なのね
あのな、朝の通勤電車なんか混雑するのが当然だろ
毎朝同じ量の混雑をしてるだろ
そんな理由で納期をランダムに遅らせていいなら仕事なんか楽しくてしょうがねえよ
今日は「○○駅で車両接続に手間取りました関係で遅れが出ております」だってさ
「混雑の影響で」ってのはさりげなく乗客に責任押し付けてるわけだからさ
結局、京急の職員、現場かシステム作ってるやつか知らんけど、京急の職員が、
そうやって細かい不手際をほぼ2日に1ぺん以上の頻度で
とやってるわけですよ
全ッ然改まらないし頻度が減らないのは京急も職員もそれでいいと思ってるからでしょ
これやっぱり乗客が物分り良すぎて上品過ぎるからじゃないのかなあ
災害による遅延で交通機関の職員に食って掛かってる下品なオジサンが良く顰蹙の対象になるけど、
京急みたいに災害でもなんでもなく常態的にダラダラ遅れるような交通機関の職員には
そういう下品なオッサンがガウガウ言ってくれたほうが皆のためになるんじゃないのかな
ガウガウの直接的対象になる職員がその事態に責任を持つかはわからないし、無関係のことも多いと思うけど
そういうことをやってれば「頻繁に遅れちゃいかん」「だらけちゃいかん」ていう空気は作られるでしょ
何の世界でも、文句や叱責が無さすぎる職場が緩まないことなんてないんだから
朝の時間を頻繁にランダムに10分20分削られたら出社時間の調整もスケジューリングもありゃしない
「混雑の影響で~」というアナウンスが流れるたび、
目を血走らせた下品なオッサンが運転席や車掌席の壁をガンガン蹴っててくれればいいのにな
と思う
不可解、10億円の不動産購入 「小沢氏名義」で億ション買いあさる (2/3ページ)
陸山会側はいずれの不動産についても「政治活動に必要だった」と説明しているが、この中には建設会社に転売したり、民間企業に賃貸ししたりと、政治活動とは受け取りがたい取引もある。
6年に1700万円で購入したワンルームマンション「プライム赤坂」の一室は、13年12月に外国人秘書の居宅としての使用をやめ、民間のコンサルタント会社に月7万円で賃貸。その後、19年9月には主に不動産の再開発を行う都内の建設会社に1300万円で売却している。
また、1億1000万円で購入した東京都港区の「グランアスク麹町」の一室は16年9月から、小沢氏が会長を務める財団法人「ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター」に月20万円で貸し付け。20年5月には小沢氏側から寄付の申し出があり、同センターに無償で譲渡されている。
また、この一室の賃貸時には、同時に中国人留学生の無償の宿泊施設としても利用されており、同センターの職員は「小沢氏側との関係は分からないが、中国人の女子留学生2人が事務所が閉まる時間になると戻ってきて、宿泊していた」という。
いろんな部屋がスライドショーで表示されるが…。
こんな間取りの部屋に若い外国人女を住まわせてたんか。風呂とトイレの造作がなんだかラブホっぽい。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2007/08/09/0200000000AJP20070809003300882.HTML
なんだかなー。
住んでるマンションはロの字型の内廊下になっていて、10戸がその廊下に面している。そのうちの1件のお宅が、玄関ドアの横にクーラーボックス(宅配生鮮食品を留守中に受け取るための大きなクーラーボックスだと思う。銀色でピカピカしていて高さが160cmくらいある)を置き始めた。そのうち、ベビーカーも畳まずにその隣に置きっぱなしになった。
そのお宅の廊下付近は非常口に通じているだけなので、通常の動線を妨げているわけではない。だから別に邪魔だとは思わない。
ただ、見苦しいなあと感じる。クーラーボックスは外に置かないと品物を受け取れないからそこに置く必要性があるけど、ベビーカーは畳めるものだし、うちと同じ間取りのお宅だから玄関は2畳くらいあってゆとりがあるはずなのに、と不満に思う。
しかし明らかにクーラーボックスもベビーカーも子供が生まれてゆとりのない状態を示しているわけで、これを管理事務所に文句言ったりしていいものなのか迷う。厳密にいえば消防法違反とかだったりするのだろうけど、家に出入りするときに目に付いて不快な思いをするだけなので、放っておくべきなのだろうな。それとも放っておくとますますエスカレートするものだろうか。
こないだ中年男性が飲み物とお菓子を買いに来て、ぼくはそのレジを打った。
風貌、立ち振る舞いからぼくは「アッ知障だ!!」と察した。
こういうとき、努めて健常者と同じように扱おうという気持ちが働く。たとえば電車に知障が現れると、どんな奇声を発しても、奇行を働いても、皆まるでそれに気づいていないかの様に、そこに知障がいないかの様に装うでしょ?そういう心理。正面切って、素直に侮辱するのは中高生くらいじゃないか。
余談だが、ぼくの出身中学では身体障害者を指してシンタイと呼び、知的障害者をチテキと呼んだ。養護学級にいる生徒等をこの言葉で差別していたわけ。
障害者の害の字がイカンので言い換えよう(ひらがなにしよう)という考え方があるけど、このように、中学生は身体や知的という言葉をも差別語にする事ができる。差別をする心をどうにかしない限り、いくら言葉を新しくしても、それが汚れる度に使い捨てる事の繰り返しにしかならないんじゃいかしら。
それはともかく、ぼくが金額を伝えると、そこは知障だけあって手間取りながらも金を支払った。ぼくは釣りとレシートを渡し「ホッ」としかけたところで、質問をされた。
「あのスイマセン」
「はい」
「僕って邪魔ですか」
「いえ大丈夫です」
「僕って邪魔ですか」
「大丈夫です」
応答と裏腹に、ぼくは全然大丈夫ではない。「大丈夫」の一点張りである事がその証左だ。ぼくは大変うろたえた。なんて事を訊くんだ…。
ああ邪魔だよ。キミと接することでぼくは、自らの差別する心と相対するを迫られるから、邪魔なんだよ。それを全力で避けるために、ぼくはキミを健常者として扱ったのに、その質問ですべてぶちこわしだ。二重の意味でキミは邪魔だ。
知障は、そういうふうにぼくから無視をされた事に気づいていたのだ。日ごろ疎んじられている事に気づいているのだ。知障は去り際、他の客にも同じ質問をし、やはり同じ様な返答を貰っていた。早急に会話を切り上げるための、無難で、簡潔な返答を。
知っていて訊く。二回訊く。他の客にも訊く。ぼくには知障の行動が、健常者への復讐に見えた。
知障の背中を見送ってから、ぼくは同僚と苦笑いをした。
「アイツは頭がおかしいな」
「なんでそんな事訊くの!?て思った」
「金出すの遅いし」
「まあ遅くてもいいけど普通に買い物して帰ればいいじゃん。なんで訊くんだよ」
「しかも二回訊いたし」
「ええー、何これ無限ループ?って思った。しかも帰るとき他の客…いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませー」
総務省が掲げる霞が関・自治体クラウドの計画が本格的に動き始めた。同省は2009年8月10日、「政府情報システムの整備の在り方に関する研究会」の中間取りまとめを公表した(資料はこちら)。これは、2015年の本格稼働をターゲットとして、府省の情報システムの将来像を描いたものだ。これによると、現在は府省ごとでバラバラに構築・運用している情報システムのうち、共用可能なものを霞が関WAN内のデータセンターに集約する。その際に、基盤となる「政府共通プラットフォーム」を開発。この上でアプリケーションをSaaS(ソフトウエア・アズ・ア・サービス)形式で利用する。政府共通プラットフォームには、府省間で共通利用するデータを連携する機能も含まれる(図1)。この政府版プライベート・クラウドが、霞が関クラウドの実態である。
府省横断の業務改革が不可欠に
この取り組みで重要なのは、どれだけアプリケーションを共用化できるかという点だろう。府省ごとに利用しているアプリケーションをそのままSaaS化するだけでは、単にWebアプリケーションのホスティングにすぎない。システムだけの統合・集約に終わらずに、業務プロセスの統合・集約、すなわちシェアード・サービス化にまでつながらなくては、大きなメリットを得ることはできない。
そのためには、府省を横断した業務の標準化が不可欠となる。中間取りまとめでも、業務の見直し(BPR)を課題として掲げている。しかし、その道筋は見えてこない。中間取りまとめの資料には、2009年度から2015年度までのスケジュール(予定)が掲載されているが、業務の見直しに関連するような工程は2010年度中の「要件定義」と「最適化計画策定」の2つだけだ。府省横断で業務を改革した上でシステム要件を定義するまでを、1年足らずの期間で完了できるのだろうか。
短期間での業務改革を実現するためには、強力なリーダーシップが必要だ。府省を横断して大なたを振るえるとしたら首相しか考えられないが、総選挙を間近に控えた今、実働部隊となるプロジェクトメンバーを選ぶことさえもままならないのではなかろうか。
一方の自治体クラウドも実現へ向けて大きく動き始めている。総務省は2009年7月17日、「自治体クラウドに係る開発実証団体」の募集を開始。実証実験に参加する都道府県を募り始めた(資料はこちら)。都道府県CIOフォーラム(詳しくはこちら)の事務局を務めている日経BP ガバメントテクノロジーでは、8月のフォーラム開催に向けて事前アンケートを実施しているが、実際にいくつかの都道府県が実証実験に参加する予定だと回答している。
自治体クラウドは、自治体専用のWANである総合行政ネットワーク(LGWAN)内にあるデータセンター(3カ所の予定)に市町村のシステムを統合・集約する取り組みである。市町村レベルでのシェアード・サービス化ととらえることできる。市町村の場合は、それぞれが同じような住民サービスを提供しているため、シェアード・サービスに向いているといえる。
理想論でいえば、全国の自治体が利用するシステムを統一すれば、コスト面で大きなメリットを得られるし、ガバナンスを効かせやすいというメリットも生まれる。しかし、アプリケーション(あるいはSaaS事業者)の品質を維持できるのかが見えない、地域特性による個別のサービスが提供しにくい、あるいは地場のITベンダーが育成できないなどデメリットも少なくない。実際、総務省の実証実験では、ASPやSaaSは自治体側が選択できるようにしてある。自治体クラウドは当面、都道府県単位のシェアード・サービス化ということになりそうだ。
ただし、都道府県単位でバラバラの仕様のシステムを作るわけではない。自治体クラウドの要件の中には、「自治体クラウド連携インターフェイス」というものがある。これは、アプリケーション間でデータを連携するためのインタフェースで、将来的には都道府県間の連携も見据えたものになっている。
とはいえ、都道府県を横断したアプリケーションの共用化は容易ではないだろう。都道府県をまたいで業務を標準化しなければならないからだ。自治体クラウドと霞が関クラウドの両方に共通することであるが、IT面での研究や実証・分析に偏らずに、業務の標準化にも力を入れていかなければ成功はおぼつかないだろう。というよりも、IT面の実装よりも、業務の改革・標準化のほうがハードルが高いのではないだろうか。
(吉川 和宏=日経BP ガバメントテクノロジー) [2009/08/21]
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20090818/335667/
少し前から一つの疑問を抱き続けているのです。果たしてそれが常識的なことなのか、私が知らなかっただけなのか。そして、その疑問から浮かび上がる私の感情を、もしそれが嘘ならば、いったいどこにぶつければいいのか、全く判らないのです。
自分の運営しているブログに書こうかとも思ったのですが、素性が知られているし、それまでのエントリーとはあまりにかけ離れた、異質な内容になってしまう。匿名で書きたいのなら、それこそ2ちゃんねるでも良かったのですが、茶化されて終わりそうな気がして、踏ん切りがつかず、迷った挙句、こうして匿名ダイアリーに書くことにしました。疑問とは妻のことです。
二十歳のころに大学で知り合った彼女は、少し大人しめな印象を受けました。遊びが主体のサークルとしては珍しく、彼女はいつも部屋の隅で本を読んでいて、時折起こる笑い声に、長い黒髪の奥からチラリと目を向ける程度でした。
ただ、他のサークルの仲間から疎んじられていたかというとそうでもなく、皆で何かを決めている時に、勢いだけでやってしまいそうなところに疑問をぶつけ、話し合いの方向性を正すようなところがありました。そんなことから、彼女は仲間内から「一目置かれている」という形容が一番似合うような立ち位置にいました。
彼女と最初に話をしたのは、飲み会の席での事でした。私はあまり人付き合いが得意な方ではなく、騒ぐことが好きな仲間たちとはあまり上手く馴染めませんでした。
しかし、たまたま隣に座った彼女の雰囲気。真綿で優しく包まれているような雰囲気にひかれていき、ぽつりぽつりと、私は彼女と話すようになり、彼女もまた、ぽつりぽつりと、私に話をしてくれました。
以後、私と彼女はサークル内で、二人だけで話すことが多くなり、自然と一緒に外出し、当然の成り行きのように付き合い始めました。
初めて彼女とセックスをした夜のこと。とても崇高な時間を過ごした後の、穏やかな流れの中で、彼女は私の顔を覗き込み、微笑みかけてくれました。枕元の照明から放たれる、淡いオレンジ色の光の中での彼女の笑顔は、まるでこの世のすべてのようでした。
卒業後、仕事も決まり、この不景気の中、何とかやり通せる見通しがついた時に、私は彼女に結婚を申し込みました。彼女はそれを快く受け入れてくれました。文金高島田に髪を結った彼女は別人のようで、私は少し恐ろしくなりましたが、そのあとに投げかけられた水面のような目線に、私はすっかり取りこまれて、気が付くと式は終了していました。
結婚生活は順調だったと言えるでしょう。郊外のマンションに新婚が暮らすくらいにはちょうど良い間取りの部屋が見つかり、私たちはそこに住んでいました。やがて産まれてくる子供のために取ってある、がらんとした部屋も、私にはなんだか誇らしく感じられました。
結婚生活に不満を感じていたことがあるとすれば、食事のことでしょうか。一緒に暮らすまでは判らなかったのですが、妻はあまり料理が得意ではないようなのです。味自体はとても良いのですが、なぜか毎回、食事を口に運び咀嚼していると、糸のような歯触りを感じてしまうのです。私はあまり細かいことにこだわらないタチだし、それを感じるたびに「糸くずでも入ってしまったのだろう」と、そのまま飲み込んでいました。
そうした生活を続けていたある日の朝。いつものように糸を租借した私は、用意を整え、玄関で靴を履いていました。見送ってくれる妻を背中に感じ、立ちあがって振り返ると、妻の肩に妙なものが生えているのを見つけました。
何かのトゲのような、爪のような。うっすらと毛が生えているようにも見えました。
私の視線を感じ取ったのか、妻は恥ずかしそうに肩に手を置き、「もう、やだ」と笑いながら洗面所に向かっていきました。一人玄関に残された私は、先ほど見た妙なものを頭に浮かべながら、「行ってきます」と部屋を後にしました。
電車の中、仕事中、あの爪のことが思い出されました。彼女の肩にひっそりと置かれていた、黒く光るその爪は、しかし私は見間違いだろうと、思い出すたびに打ち消しました。
仕事から帰ると、いつもと同じ妻が出迎えてくれました。私は少し、ホッとしました。
不景気のせいでしょう、その頃の私は毎日サービス残業を強いられており、彼女にはいつも先に夕飯を済ませるようにしてもらっていました。
白い蛍光灯の下で浮かび上がる食卓に、電子レンジのメロディーが流れるたびに、おいしそうな食事が運ばれてきます。私がレンジ特有の暖かさに満ちた食事を口に運ぶのを、彼女はいつもそうしているように、ほほ笑みながら見つめてくれていました。
「おいしい?」
と、彼女が珍しく聞いてきてくれました。彼女が自分の料理に感想を求めるなど滅多にない事で、私はここぞとばかりに褒めちぎりました。テレビレポーターのような私の口調に、彼女は今朝玄関で見せたような、恥ずかしそうな笑みを浮かべてくれました。
「いいもの、見せてあげようか?」
芝居がかった口調で、彼女は言いました。予想外の言葉に私が戸惑っていると、彼女はおもむろに席を立ち、自分の着ている服を脱ぎ始めました。セックスを誘っていると思ったのですが、そのような誘惑を彼女がするとは思っていなかったので、私の戸惑いは増していき、思わず立ち上がって制止しようとしました。
彼女は私を言葉だけで止めてしまいました。産まれて初めて聞いた、ハッキリとした否定の言葉は、私を母親に叱られた子供のような、とても悲しい気持ちにさせました。私は立ち止まり、ブラジャーを外す彼女をただじっと見つめていました。
「あなただから、見せるんだからね」彼女は露わになった乳房を隠しもせずに、ついと私に背中を向けました。白い光に浮かび上がった彼女の背中は、峰のように白く輝いていましたが、そこに私は八つの黒い点を発見しました。それは規則正しく並び、肩甲骨から尾てい骨に向けて弧を描き、背骨を囲むようにして左右に四つずつ付いていました。爪でした。
私は、今朝見た黒い爪が彼女の背中に並んでいるのに気付くと、目を開き、そっと近づいていきました。右手の人差し指で軽く彼女の白い肌に触れます。ビクンと体を震わせた彼女の背中を伝って、私の指は爪に触れました。冷たくて、すべてを拒むようなその爪は、彼女の体の中から、新芽のように浮きあがっていました。
「女の子はね」妻は説明をしてくれました。「女の子は、生理が始まると同時に、こうして背中から脚を出せるようになるのよ」
「脚?」
私が問い返すと、彼女は背中にグッと力を入れました。すると爪は震えだし、ゆっくりと、彼女の肌を掻き分けながら伸びていきました。それには関節があるようで、二度ほど肌を隆起させ、折れ曲がった部分を現わしていきました。
やがてできったそれは、彼女の言うように見事な脚でした。硬くて黒い外骨格は、表面に透明の産毛をなびかせて、彼女を包み込むようにして生えていました。
彼女はくるりと振り返り、優しく包み込むような、それでいて誇り高い視線を私に向けてきました。それに射られると私は、電気で打たれたように、彼女を強く抱きしめました。彼女は背中の脚で私を抱きとめてくれました。
以降、彼女は、マンションの部屋の中では脚を伸ばしっぱなしにすることが多くなりました。彼女によると、それを背中にしまっているのはとても窮屈らしく、私が仕事に出ている時などはそうして、足を伸ばして休めていたそうです。女性は皆そのような脚を持っているそうで、女だけの空間では、気が抜けて、爪がうっかり顔を覗かせていることもままあるようで、それを指摘すると大抵、笑いが起こるとのことです。
「当たり前のことよ」と彼女は言いました。「あなたが知らなかっただけ。女の間では当たり前すぎて、普段話題にも上らないわ」
ある日曜の昼下がりなど、私が個人的な買い物から帰宅すると、彼女は上半身裸で、胸をあらわに、脚を伸ばし放題に伸ばしながら掃除機をかけていました。面喰っている私を見て、彼女は掃除機を止めて「お帰り」と何気ない口調で云ってくれました。
そして、彼女のことを知った日から、セックスがそれまでと比べて何倍も楽しくなりました。
私たちはいつも正上位で事を為すのですが、私が上になって彼女の中に入り、覆いかぶさるようにして腰を動かしていると、彼女の背中から伸びた足、その爪が、私の背中をカリカリと引っ掻くのです。時に優しく。時に、傷ができるほど強く。私がその痛みに苦悶しながらも、セックスの快楽を止めることができず腰を振っていると、彼女は上気した顔で、艶めかしく、嬉しそうに笑うのです。その顔を見た私はさらに興奮し、彼女の爪もまた、私の背中を強く掻き、いつしか快楽と痛みが混ぜあわされ、同一となったところで、私はいつも果てるのでした。そんな私を彼女は、脚と腕で優しく抱きとめてくれる。それはまるで、母の中にいるような気持ちでした。
そうして私は、いつしか彼女の足に掻かれるだけで、ひどく興奮してしまうようになってしまったのです。
私は床にひざまづき、椅子に座っている彼女に見下ろされながら、自慰行為にふける。彼女は私を見下しながら、背中の脚で体中を引っ掻いてきます。胸を、腹を、背中を。私の体は蚯蚓腫れだらけになり、会社のトイレでズボンを脱いだ時に思わずその傷を目に留めてしまい、興奮し、一人でしてしてしまったこともあります。
ただ、私は彼女の言葉に信じることが出来ない部分があります。それは、「女の子ならだれでも脚を持っている」という部分です。本当にそうなのでしょうか。今まで私は生きてきたけれど、そんな話は聞いたことがないし、もちろん見たこともありません。私はこれまで妻一人しか経験がないので、他の女性の肌を見ることが叶わなかったのです。
「誰にも言ってはダメ」と、彼女は最初の晩、初めて脚を出しながらセックスした時に言いました。「これは私たちだけの秘密なの。もし男の人にバレたら、それを知っていると知られたら、大変なことになる」
しかし、私はどうしても知りたくて、こうして匿名で筆を取らせていただきました。
最近、朝の通勤電車に灰色のブレザーを着た女の子を見かけます。近所の女子高生であろう彼女は、毎回私のマンションの最寄駅から二つほど行ったところの駅で降り、私の会社の最寄駅から三つほど離れた駅で下りていきます。ある日、たまたま仕事が早く終わって家路についている時、彼女が部活仲間らしき子供たちと一緒に乗ってきたことがあります。私はマンションの最寄駅から二つほど手前の、彼女の最寄駅で降りて、彼女の後を追いました。ボブカットの黒い髪と、健康そうな肌が私の目には瑞々しく映りました。彼女は私の見ている前で、自宅へと帰って行きました。
彼女にも脚があるのでしょうか。妻の言い分が本当だとするならば、彼女もあの艶めかしい脚を持っていることになります。彼女の脚の爪に引っ掻かれることを思うと、私の体は火をつけたように熱くなります
1、一階はダメ。二階以上
一階は湿っているところが多いので、室内に干すと洗濯物が乾きにくい。
うっかり窓を開けたままにしておく可能性もあり、防犯上もよろしくない。
2、隣の部屋との間に押入れなど干渉物が存在する間取りであること。
壁一枚だとその壁がどんなに厚くても鉄筋コンクリートでもない限り音が漏れる。
4万のアパートならだいたい木造なので、隣の部屋との間に押入れがあるタイプを選ぶ。
3、洗濯機を置くスペースが確保されていること
確保されていないケースでは自分で排水を考えないといけないが、これが結構うまくいかないことが多い。
以前、風呂場に排水しているとき、間違って室内を水浸しにしたことがある。
そのときは手遅れにはならなかったが、室内を水浸しにすると賠償を要求されることもあるので危険。
4、線路の近くや車通りの多い場所は避ける。
下見をしたときは昼間なので音がそれほど気にならないが、夜になるとちょっとした音でもうるさく感じる。
5、職場まで一本でいけること
多少遠くても一本であれば本を読み続けることもできるが、乗り換えが多いと連続した時間が取れないので、時間を使いにくい。
6、お金がない場合は仲介業者を通さずに現地の不動産屋に直接飛び込む
物件数も多くみられるし、仲介業者が紹介する物件よりも安いことが多い。
ただし足でしらみつぶしに町を回るので時間はかかるし疲れる。
7、買い物をする場所が近くにあることは重要。
大きな安めのスーパーの近くに引っ越せたら生活費が節約できたのと同義。
仕事が遅くなる場合には、24時間やっているスーパーなら理想的。
8、毎日入るなら風呂は必要。
銭湯はけっこうお金がかかる。銭湯は営業時間が決まっていて、仕事が遅くなると入れなかったりする。
家に恋人が来る可能性がある人はユニットバスではないほうがいい。
9、古くても結構住める。
なぜか大家さんが近くに住んでいたりして、不在のときに宅配便の荷物を預かってくれたりするので便利。
10、脚力を過信しない。
すごく疲れて帰ってくるときや、大量の荷物があるときのことを考えて、
あまりにも駅から遠い場所はやめたほうがいい。
女の子ならだいたい駅から10分以上は遠いと感じるだろう。
11、できれば温水が出るほうがいい
給湯器があって温水がでるかどうかは結構使い勝手が変わる。夏場はいいけど冬場は温水がないといろいろ苦労する。
温水がないと水で手を洗うだけで苦痛なこともある。
12、ガスコンロが使えること
二十代半ば。女。現在フリーター(パートで手取り12万以上13万以下。)
現在実家暮らしなんだけど、理由があって家賃四万(管理費・共益費込み)程度の物件を探して一人暮らしをしようとしている。
場所の希望は東京埼玉あたり(勤務地が東京だから)で、ユニットバスでも構わないから風呂トイレがついていて、ネットできて、洗濯機が部屋の中に設置できそうなとこを探している。
部屋は狭くて構わない。以前一人暮らしをしていた時、六畳でもちょっと広いなって思ったくらいなので。
ネットで物件探しをしてるんだけど、駅や路線にこだわりのない分、色んな候補地が上がってくる。
最初は四万でもこんなに物件あるんだなーって思ってたんだけど、だんだん「え?風呂の追い炊き機能ってどの風呂にでもついてるわけじゃないんだ?」とか、「洗濯機の置く場所が間取りに書いてないのってどこに置くんだ?」とか、「この地名聞いたことないけどどういうとこなんだろう」とか、頭がパンクしそうになってきた。
それでもなんとか十件ほどに絞り、物件問い合わせをしてみたんだけど、やっぱり実際に部屋を見てみないとはじまらないわけで。
でも一人暮らしをしてる友だちからは「一人で絶対行くな。親でもいいから誰か連れてけ」って言われてて、彼氏もいないし、そんなこと頼み込める友だちもいないしで、(っていうかなんか何かが後ろめたいし)親についてきてもらおうとするも親と休みが合わない。おまけに家からどの候補地も遠いので、仕事帰りに行ける距離じゃない。
私だけならなんとか帰りに寄れるんだけど。半休か、いっそ有給使いたいけど、ちょっと難しい感じで。っていうか自分で決めたことなのに不安すぎて泣きそうw不動産屋さん怖い…不動産屋さんがじゃなくて、知識なさ過ぎて自分で判断付かないのが怖い。
厚かましいお願いですが、一人暮らしの物件探しで気をつけること、役立つ記事、お薦めの土地などあったら教えてほしいです。八月が終わるまでに引越し完了したいんだけど、(物件さえ決まれば、引越し自体は私も家族も慣れてるからすぐなんだ。土地が未知すぎるだけで)パニック起こしそうなので、よろしくお願いします。
おりしもカザフスタンのウラン輸出責任者、とくに日本向けの担当が逮捕される事件が起きた。
『産経新聞』(09年5月25日付け)は下記の記事を流した。
「カザフスタン政府当局は横領の容疑で国営原子力企業カザトムプロムのジャキシェフ前社長を逮捕したと発表した。治安当局によると、丸紅や東芝、東京電力などが権益を得ているハラサンなどのウラン鉱山について、不当に安い値段で国家資産を売り渡した疑いがあるという。検察当局の要請で21日に社長を解任された。日本は世界第2位のウラン埋蔵量を誇るカザフで2007年に大規模なウラン鉱山の権益を取得。前社長はカザフ側の交渉相手だった」。
このニュースが示唆することは、せっかくカザフスタンとまとまった、長期契約でのウランの日本への供給ビジネスが頓挫する恐れである。
さて、ロシアのウランも欧米(とくにフランスとオランダ)および日本の原子炉向けに大量に輸出されてきた。
これを米国へも輸出することになった。
これは核兵器製造に必要な濃縮ウランを精製する過程での副産物(バイプロダクツ)で、原子力発電の燃料となる。兵器には転用できない。
嘗てロシアは核兵器製造過程での、これらバイプロダクツを大量に保管してきた。冷戦時代のロシアは世界の40%もの濃縮ウランを製造し、その設備過剰と対比的に過小な原子力発電施設。だから原発用の燃料となるウランが余った。
「最終的にこれらを商業市場で処分したいだけのことだ」とロシア国営「ロスアトム」の広報担当セルゲイ・ノビコフは言う(ヘラルドトリビューン、5月27日)。
米ロ間には1993年に締結された政府間取り決めにより濃縮ウランは、米国政府認可業者のみが扱った。今後、濃度の低いウラン燃料に関しては、米ロそれぞれが民間の発電関連企業間でも取引ができることとなった。
同じ日に北朝鮮が核実験。前後してボリビアとベネズエラがイランにウランを輸出している疑いがあると米国情報筋。
核燃料関係のかけひきが活発になっているようだ。