はてなキーワード: 長靴とは
いつも雨の強い日にその傘を差して使うと
どこかの隙間からぴしゃりぴしゃりとおでこに雨の玉が落ちてきていたのよ。
もうさ、
その雨の玉がいつも同じおでこの同じポイントに集中的に落ちてくるので、
それから私はどうしたものかと考えた挙げ句の果てに見付けたの。
私が到達したその挙げ句の果ての地平線ってなんだか事象の地平面って言い方みたいな発見をするの。
先日私がここでも言ったと思うとみせかけて
やっぱりここで書いていた防水スプレーを塗布してからと言うもの、
私のおでこに雨の玉が落ちてこなくなったのは
で、でたー!でお馴染みの雨撥水剤のクリンビュー的なそれで私は雨漏りから勝利を得たの。
パラパラと雨の玉が傘の生地の上を弾いて転がっていく様子は見ていて楽しいわよね。
なので
雨の日も楽しくなること間違いなしなの。
そんでね、
調子に乗って、
別に銚子で調子に乗ったわけでもないここは本当に何もないで評判の襟裳岬級に
靴も雨に濡れたらびしゃびしゃになって足もとがおぼつかないのよね。
だから
そっか!私のこのシューズも雨対策防水スプレーを塗布しまくりまくりまくりすてぃーで
雨も楽しくなること間違いなし!って思って
ルンルンの気分でシューズに塗布したの。
てってれー!って言うアタック音と共に大成功!って看板を大きく掲げて、
そんでルンルンで夜道を歩いていたら、
暗がりの中ちょっと深い水たまりに気が付かなくてくるぶし寸前のところまで足がシューズもろとも水たまりにハマってしまったの!
私はそこでそっと泳いでいるアメンボさんをどけて丁寧にどけて水たまりから片足ハマった足を取り出すことが出来たの。
もうさ、
幸いにもこれが帰り道だったからもう別に濡れたって平気で平常心を保っている自信はあったの。
でも私はその自信を使うことなく無事なことに気が付いたの。
くるぶし付近まで水たまりにハマってずぶ濡れになるはずだったけど、
防水スプレーよろしくその効果は長靴をも凌ぐような防水性能を発揮して
ここまで防水スプレーは弾くの?って
もう感激したところで、
本当にくるぶし付近まで足首水たまりにハマって浸かってしまったけどノーダメージなところで
だから雨の日もブルーになっている場合じゃなくてむしろ楽しいぐらいのその感じがよいわよね。
かと言ってわざわざ自分から雨の中まさか水たまりに飛び込み前転で着水することとかはまったく無いけれど
隙あらばやろうとも思ってないし
水たまりの前で戸惑っている私を見かけたら絶対に押さないで欲しいの。
押すな押すなの押すパターンで欲しがっているわけでもないんだから!
それだけは言っておくわ。
だから勇気を出して雨に濡れて悲しいシューズがあったら私はいい防水スプレーあるよ!って
それは例えあなたが押すな押すなって言われても絶対に押すパターンなので、
絶対にその防水スプレーを信用して全幅の信頼を得る私のその防水スプレーを
決して水たまりの前で私が戸惑っているからと言って絶対に押さないで欲しいの。
これは約束ね!
でも本当に靴が濡れなくて快適で
そんなことに困っている人がいるなら私は何度も言うけれど
押すな押すなと言われてもその防水スプレーを激押しして押しまくるわ。
雨の日も悪くないわね。
うふふ。
昨日の晩は重湯を作ったので、
買っておいた焼き鮭とで食べる伝統的な朝の一般的な鮭の朝定食を彷彿とさせる朝ご飯ね。
鮭の美味しさでご飯が進みじゃうわ。
記し記し級の進み進み具合だわ。
ホッツもそろそろ季節が恥ずかしくなってくると思うので、
余裕で飲んじゃうわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
最近思ったことがある。多くの生き物って、人間にとって見た目がいいように進化している気がする。
哺乳類とかだったら、人間にとって気持ち悪いやつはあまりいないだろう。爬虫類とか両生類とか、特に昆虫類だったら気持ち悪いやつがけっこういる。
今回思うところがあったから、4つほどエピソードを語らせてほしい。
去年の秋頃だったか、近所の裏山に登って、入会地の傍にある栗林で農作業をしていたのだが、そこにひょこっとアナグマが現れたのだ。アナグマというのは……約10年前にやってた「のんのんびより」のEDだったかな。「あれってハクビシンとか、タヌキとか、アライグマとか、イタチですよ」とか、そういう歌詞があったのだが、だいたいそんな生き物だ。
アナグマはイタチ科の動物で、体長1m未満のずんぐりしたイタチみたいなやつだ。顔はハクビシンに似ている。※ようつべで検索するとすぐに出てくる。
で、そのアナグマだが、栗林で農作業をしていた私の方に寄ってきたのだ。まだ若そうな個体だった。当方だが、農業林業はこれでも10年以上やっている。これまで、数多くのイタチ・キツネ・アライグマその他の小動物が箱わなに引っかかり、漁師や地元住民に殺処分されるところを見てきた。
正直、あまりいい印象はなかったが、半径数メートル以内まで寄ってきたところで、「けっこうかわいいな」という印象が支配するようになっていた。このあたりにはアナグマが少ないのもある。あと、私が育ててるのは栗だから、こいつらには盗まれんだろうという感覚もあった。
そういえば、小学校高学年だった姪っ子が、同じようなシチュエーション(農地の中)で、狸っぽい生き物にポテトチップスやコンビニのホットスナック(ファミチキ)をあげていたのを思いだした。あれは遠目からだったが、やはりずんぐりした見た目だった。
結局、栗林に来たアナグマは、その辺りをちょっと掘り返しただけで山の中に帰っていった。もう二度と出会うことはないだろう。例えばもし、私が育てているのがイチゴだったとしたら、確実にその場でクワなんかを握りしめて、ヤツを叩き殺そうとしていただろう。
実際、うちの畑でサルを見かけた時は、全力で追い払うようにしているし、タヌキやアライグマだったら石を放り投げてぶつけた後、スコップで殴り殺したこともある。蛇とかだったら、毎年20匹以上は駆除してる。長靴で踏んづけて、もう片方の足裏で頭を叩き潰すのだ。ジャンボタニシだったら、毎年夏になると百匹以上は生き埋めにしてる。イノシシは……あれはプロの量子さんの領域である。農家は手を出さない。
私はこれでも専業農家である。大切に育てた農作物を捕る生き物は憎くてしょうがない(人間まで含めて)。蛇足になるが、農業従事者は漁師率がけっこう高い。昔の農家は、田植えや稲刈りの時期を除いては、鶏を育てたり、山に入って鳥獣を捕っていた。今でも、狩猟免許がある人もない人も、山でイノシシとか鹿とかを捕って食料にしている例はある。
私の祖父もそんなだった。私がまだ小学生の頃に、鶏小屋がキツネかタヌキかアライグマかはわからないが、そういうのに襲われてしまった。非金属のネット小屋だったから、鶏が何匹かやられてしまっていた。祖父は悔しそうな顔をしていた。
或る夜に、実家で夕食を食べていると、鶏が騒いでいる声が聞こえた。祖父と親父はすぐに実家を飛び出して、鶏小屋に行くと、キツネのようなものが鶏小屋のネットを破ろうとしていた。なぜか、祖父よりも自分と父の方が早く鶏小屋に着いていたっけ。
後ろでカチャッ、という音が聞こえた。祖父が目の前に出てきたと思ったら、パアンッ!! という音が聞こえた。※祖父が散弾銃を撃ってた。
キツネのようなものは、その場で転がって痙攣しながら逃げようとしていた。親父が、祖父に鍬を手渡していた。それで、祖父が走り出して、ほうほうの体で逃げるキツネに追いついて……後は、何度何度も鍬が振り下ろされた。ぐちゃ、べちゃという音が聞こえて、狐は何度か鳴き声をあげると……多分絶命したのだろう。※近づいてわかったが、縞々のしっぽだった。アライグマである。
祖父は「このバカタレが、バカタレがぁ、アアッ!!」って叫んでたっけ。愛鶏(?)を殺されたのがショックだったのだろう。とにかく狐に凄まじい恨みを持ってた。あの時の自分は、「すげー。銃かっこいい!! 撃たせて」って祖父にねだってたよ。それくらい衝撃的な体験だった。私にとってのエポックメイキングだった。
「なに、お前も撃ちたい? 大人になったら警察行って免許がとれるど!」
「わしはもっとらん。ひいじいちゃんはもっとった。でも、わしは撃てるけえええんよ」
「俺も撃ちたい」
「○○くんが撃ったらいけん。捕まるよ」
平成初期の話である。当時はおおらかな時代だったのだ……。今だったら普通に逮捕される。絶対にマネしないように。
さしもの私も、祖父の遺品である銃剣類は所持しているが、自らの敷地内であっても使おうとは思わない。なにしろ、狩猟免許もってないからな。ほかの地元民と同じく、鳥獣の駆除行為はひっそりとやりたい。
話があっちの方にいってしまったが、私は基本的に、うちの農地に入ってくる鳥獣類は殺そうとする。苦労して育てた農作物を食われるのは絶対に嫌である。しかし、たまに殺さない例もある。それが上の例でのアナグマだった。
その状況で見逃したのは、なんとなくという理由が強い。農場内でメシを食ったばかりで、ゆっくりしたかったのもある。しかし、珍しくこっちに寄ってくるアナグマが「かわいい」という感情もあったのだと思う。うちの地域では、アナグマが珍しかったのもあるかもしれない。しかし、不思議な体験だった。
今度は市街地での話だ。
まだ若いころ、農業者じゃなくてサラリーマンだった時代に、とある国道沿いの飲み屋街にいた。最初の一軒目を探していたのだ。ふわふわと路地をさまよいながら、国道に出たところで、そいつに出会った。
歩道の上に、もぞもぞと動く物体があった。よく覗いてみると、コガネムシだった。背中の色が特殊で、なんとベージュだった。限りなく白に近い真珠色といってもいい。レア甲虫である。いとおかし!! いとおかし!!
その真珠コガネムシは、あまり元気がなかった。しかも車道に向かってもぞもぞと進んでいた。このままでは自動車に轢かれて死ぬだろう。ぐしゃ、という音がするのだろうな。昆虫類が車に轢かれると、意外と大きい音がする。
私は、そいつの目の前に人差し指を延ばした。するとそいつは、六本の足でガシッと私の指を掴んで、勢いよく私の手を昇り始めた。
土の中から出てきたばかりのカブトムシとまではいかないが、元気な様子で私の手指を昇っていた。そのまま徒歩で飲み屋街に移動して、レストラン沿いの並木を見つけた。おそらく欅だったろうか。樹の表面にコガネムシをくっつけると、また元気そうにどんどん昇って行った。
どうしてあの時、コガネムシを助けてやったのだろう。そういえば、小学生の頃は甲虫が好きだったような気がする。懐かしい気持ちになった。
今でも、夏場で路上に転がってるセミとか見つけると、拾って助けてやる。すぐ近くにあるクヌギかコナラにくっつけてやる。
これは私じゃなくて、息子の話だ。当時は小5だったかな。夏休みだった。
ある日、家の庭の中にある小道(※田舎だから家が大きい)で、息子が「トカゲ見つけた」と報告してきた。「捕まえたの?」と聞くと、「捕まえてない」と言う。
現場に行ってみると、小道の上でトカゲが2匹、それぞれ離れたところに倒れていた。お腹を上に向けて。瀕死だった。おそらくだが、野猫にやられたのだろう。お腹に爪で引っかかれた跡があった。
息子がそいつらを触ったところ、1匹だけはまだ息があった。残り1匹について、「よい旅を」と私がその場に埋めてやっていると、息子が生き残った方に落ち葉や土を被せてやっていた。どうやら、回復を待つつもりらしい。「これ、おうち」と言っていた。
好きにさせるべきだと思った。息子に対して、「日光に当てないように木陰を作る」「できるだけ触らないように」「1日に1回は霧吹きで水をかけてやるように」「餌はやらなくていい」など最低限の指示をした。
私はトカゲが1日以内に死ぬと思っていた。木の棒で突いても、片方の足が全く動いてなかったし、どう見ても虫の息だったからだ。早い話、移動能力を失っている。
その日から、息子は毎日トカゲのところに足を運んでいたっけ。水やりは欠かさなかったし、日光を浴びて体がのけぞっていたりすると、木陰の位置を調整してやったりする。
3日が経って、私が現場を見に行くと、どうやらまだ生きていた。土くれと落ち葉を払いのけると、少しだけ体が動いた。体にはまだヌメリが残っていた。片足だけを動かして、体をのけ反らせて私から逃れようとしていた。「シャー」みたいな感じで、口を開けてこちらを威嚇している。少し気の毒になって、植物用の霧吹きをしてやったのと、一応、ミルワームを顔の近くに寄せてやったが、無反応だった。やはり餌は不用のようだ。
次の日だったか、息子が飛んできて、「トカゲが動かない」という。現場に行ってみると、そこには……「おうち」から出てきたところで静止しているトカゲの姿があった。口には小さいミミズのようなものが入っていた。目は閉じていた。
「餌をあげてしまったの?」
「うん。お腹すいてると思って」
「そうか。たぶん、びっくりして死んでしまったんだね」
「うん」
「……どう思った?」
「わかんない」
「うん」
そんなやり取りをしたかな。
そのトカゲは、結局何時間たっても動かなかった。生命活動を停止したのだ……。推測だが、ミミズが喉に詰まって息ができなくなったのかもしれない。放っておいても、数日中には死んだだろうが。
息子にとっては、トカゲがかわいかったのだろうと思う。私は、あまりそうは思わないが。大人になると、高速で動くトカゲはちょっと苦手だ。だがまあ、カナヘビはまだかわいいと思える。トカゲと似ているが、比較するとあまり動かないのもある。
先日、県道を車で運転していたところ、路側帯を走っていた自転車が急に停まった。その彼女はアスファルトにゆっくりと降りて、自転車を端に寄せると、足先でなにかを小突いていた。
ちょうど信号待ちになったので、その様子を眺めていると、どうやらそれはひっくり返ったセミのようだった。彼女が小突く度に、「ジジッ」という音でセミは鳴いていた。死んではいないようだ。
その子は、セミに向かって指先を伸ばした。セミは指を樹木だと思ったのか、ホールドした。その子の指に乗ったセミは、一緒に自転車でまっすぐの方向に進んでいった。
次の信号で、彼女に追いついた。自転車を降りて、民家の入り口に生えている樹にセミをくっつけようとしていた。指で押してやると、セミは樹にくっついて、もぞもぞと枝を張っていた。彼女はセミをちょっと撫でたかと思うと、また自転車に乗って県道を走り抜けていった……。
一応、セミもかわいい部類には入るのだろうか。丸っこい見た目だから好きな人もいるかもしれない。当方はどちらともいえないが、今度セミがひっくり返っていたら、死んでいるか小突いて確認してみようか……と思った。新しい世界が開けるかもしれない。
話は長くなったが、結びにしよう。
大昔から、それこそ多くの生き物がいたのだろうが、人間にとってかわいくない種の生き物がどんどん淘汰されていった。それで、今みたいに哺乳類や鳥類は可愛いのばかりが残った。
それは、全然定かではない。でも、かわいい生き物はというと、殺される場面でも殺されないことがあったのではないか。大昔から。よって、醜い種に比べて生き残れる可能性が高かったのではないか。と、先日『利己的な遺伝子』を読み終えたばかりの私は感じた。
あなたはどうだろうか。生き物は、やっぱりカワイイ方が生き残れると思うだろうか。しかるに人間の場合は、かわいげがあって、みんなに好かれる個体ほど早死にする傾向があるように思えるのだが。
定期的に見かける謎のワード。
本当に謎めいている。
何を持って定義しているんだろうか?
そもそもこれを語るには「防衛費の間違った使い方」が存在するはずだが、それはたとえばどんなものだ?
金が特にかかってそうなところから話すが、「海外から最新兵器を調達」するのは「間違った使い方」なのか?
船と戦車は自国で作ってるんだから戦闘機も国産でいいという主張だろうか?
戦車も船も三菱が作っていることを考えれば何もおかしくないよな?
MRJのお仲間みたいな戦闘機を必死に国家事業として作り、「とにかく国産だ!私は国産しか認めない!」と言って三菱にバンバン金を払って無理やり飛ばすのか?
それこそ「防衛費の間違った使い方」に感じるのだが?
じゃあ他にはどんなことに防衛費が使われているのかを考えていこうか。
まずは「人件費」だ。
これを思い切って削るべきなのか?
給料を今よりずっと下げるということか?
まあそれも有りだろう。
自衛隊に来る人間の質なんてこのご時世ドンドン落ちていってるからな。
多少下げた所で、どうせ「自衛隊ぐらいしか行くところがない人」が来るんだから一緒だもんな。
そういう主張をしているんじゃなかったらすまない。
無駄に高い退職金を貰ってる将軍様たちの給料を下げましょうってことか?
オッケーそれは素晴らしいことだと思うが、人数が少ないから焼け石に水だろうな。
じゃあ人数を減らして仕事をどうやって回すんだ?
まあいい加減くっだらん制服のアイロンがけだの半長靴のピカピカ磨きだの辞めて意味のあることだけやらせれば人数を2割ぐらい減らしても機能するかもな。
「自衛隊員の皆さんは毎晩完璧にベッドメイクしております」と言われて、それが国防だったり国のメンツだったりでどうプラスになるのかってことだな。
他には「施設の維持費」か?
そうだな。
これはもう考えなくてもいいだろう。
教育隊も宿舎も減らしちまおう。
オッケーオッケー順調に「間違った防衛費」を削れたな。
「単なる警察ごっこでしかない分からん海外への派遣行動や、必要以上のスクランブルも減らしてしまう」ってのはどうだい?
これだったら元々やる意味があんまないっつーか、ぶっちゃけ変に兵器が余ってるせいで無駄に動かさなきゃいけなかっただけだもんな。
そうだ「単なる業績評価用のごっこ遊びでしかないような訓練もガンガン減らしていこう」じゃないか。
人間を減らすんだから訓練なんてやたらとやってる余裕はないよなあ。
さて、そろそろいいかな?
じゃあ改めて聞くんだけど、何を持って「防衛費の正しい使い方」を定義しているんだい?
間違った予算の使い方が存在していて、その分を正しい使い方に当てるんだよな?
それをどこでやるんだ?
今ここで出てきていない部分か。
そうだよな!
トイレットペーパーや蛍光灯を自腹切って買わなくてもいいように腐る程調達しよう!
これが「正しい使い方」ってもんだな!
なるほど~~~。
本当にそうか?
「拷問」を告発した警察官の夫は逮捕され、異常者扱い――105歳が語る「冤罪」の長い苦しみ
県警は拷問を告発した山崎刑事を偽証罪で逮捕し、検察は精神鑑定で「妄想性痴呆症」の結果が出たことにより山崎刑事を不起訴処分にして、警察は山崎刑事を懲戒免職処分にした
なお、山崎刑事の自宅は1961年3月14日昼、不審火で焼失。二俣事件関連の書類も全て燃えた。小6の次女と小3の次男は「長靴の男が入るのを目撃した直後に火が出た」と証言したが、警察は次男を補導して犯人扱いし尋問した。火をつけたことが立証されなかったため次男の身柄は解放されたが、この不審火については未解決となった。山崎兵八は運転免許があるので、警察を辞めてもトラック運転手で生計を立てるつもりだったが、精神障害と診断されたために免許を剥奪された。
「所謂変質状態ノ基礎状態テアル生来性神経衰弱症」「表面柔和ニ見イナカラ内心即チ無意識界ニハ残忍性『サディスムス』的傾向ヲ包蔵シテ居リ両極性相反性ナル性格的傾向ヲ顕著ニ示ス」と鑑定した
1952年 5月31日 控訴審終了。Nに懲役15年の有罪判決。
1981年 4月27日 青森地裁弘前支部で一審終了。Nが部分勝訴。
足利事件菅家さんが刑事補償請求 再審無罪で8千万円 - 47NEWS(よんななニュース)
福島章教授が足利事件の精神鑑定録音テープを破棄した心理 : 少年犯罪データベースドア
犯行動機の構成と成員カテゴリー化実践 : いわゆる「足利事件」における精神鑑定をめぐって 大貫挙学 東洋大学非常勤講師 松木洋人 慶應義塾大学大学院
松木 洋人
大貫 挙学
家族は夫一人、未就学児の息子一人、今現在はフルタイムで働いている。
ずっと子どもなんて欲しくなくて、結婚しても欲しくなくて、夫と二人であちこち旅行に行ったり美味しいものを食べたり、楽しく暮らしていた。
子どもがいてもいいかもな、と思ったのは三十代になってから、就職した時からすごく良くしてくれていた上司が倒れて、ふと、このままずっと同じようには暮らしていけないんだなと気づいた時だった。三十代になって年齢的なこともあったんだと思う。先のことを考えた。あと四十年、五十年、生きられるとして、このままどうやってやり過ごして行けばいいんだろう? このまま楽しく暮らしていくことはできると思う。だけど、変わらないことを願いながら生きるにはこの先があまりにも長い。そう思って子どものことを考えた。そしてそう、夫と話をしたら、ちょうど夫も似たようなことを考えているところだった。
そしてなんやかんやで子どもが生まれて、本当に、幸い、運よく元気にすくすく育っている。歩いているのを横で見ているだけで、びっくりするほど掛け値なしに可愛い。
もちろん、心配なことはいっぱいある。この先の日本で大人になるこの子は、大変だと思う。まあ、自分たちの世代くらいまでいなくなったら楽になるかもと楽観的に思ったりもする。ままならないこともたくさんある。喧嘩なんかしたこともなかった夫と喧嘩することもある。保育園に通わせはじめて、自分が「学校」が大嫌いだったことも思い出した。友達の誘いを断るしかなくて、気を遣われているなと思うことがある。大好きだった仕事でも迷惑かけている。風邪ひくことも増えた。自由に辛い物も食べられない。旅行も好き勝手は行けない。
だけど、私は、子どもがいてよかった。
子どもと一緒に道を歩く。保育園の帰りに公園に行く。生えている草を見る。だんごむしを探す。一緒に鉄棒をする。ベランダで星を数える。家で子どもの好きな食べ物を作る。スーパーでたくさん牛乳を買う。どうしても、時折、自分の子供の頃のことを重ねあわせる。母親のことを思い出す。父親のことを思い出す。子供の頃好きだった本のページ。つまみ食いしたご飯。長靴で泥濘を歩く感覚。母親を呼ぶ自分の声。ずっと忘れていたそういうことを一つ一つ思い出すたびに、震える。驚きと、そしてたぶん嬉しいのだと思う。自分は親から、たくさんのものを貰っていたと、やっと気づけた気がする。これは辛い人には辛いことだと思う。だけど私にはとても大事な気づきだった。
十代の頃に読んだドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟の一節を思い出した。
何かよい思い出、とくに子ども時代の、両親といっしょに暮らした時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはないのです。(中略)自分たちが生きていくなかで、そうした思い出をたくさんあつめれば、人は一生、救われるのです。もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。
思春期に拗らせていた私と同じように、息子も生まれてこなければよかったと思う日が来るかもしれない。私も子どもの反抗期に泣くかも。大っ嫌いだと言われるかも。何にせよ、ずっと心配し続けるのかもしれない。夫だって同じだ。どうしたってきっと私も最後は一人で死ぬ。
そう言えば、阿佐ヶ谷姉妹の「私たちにとって仕事は思い出作り」という言葉が好きだった。
勝手に言葉を広げてしまうが、生きることも全部思い出作りだとするならば。
私は子供ができたことで、きっとこの先もこの瞬間を思い出して生きていけるだろうと思うことがたくさんできた。夫と息子が笑い合っている写真を何度も見ている。こうした思い出をたくさん集めて、この先も、私は救われるんだと思う。
大阪の謎ルールの一つとして「大雨警報では休校にならない」というのがある
洪水警報、暴風警報の場合は休校になるが大雨警報では休校にならない
例えばこれが波浪警報なら分かる
船で通学している人がいない限りは波浪警報は関係ないので休校にしなくてよい
理由として、「河川の氾濫や暴風の場合は危険」という規定があり、それに照らし合わせると大雨というのは特に危険がない、という認識らしい
昔、テレビで街頭インタビューなどでアンケートしていたことがあるのだが
「大雨でも通学はできるでしょ」
という声が意外に多かったことを覚えている
「大雨警報でも通学できる」
と考えているのだと思う
はてなーは維新が嫌いだが、これは維新がどうこうではなく昔からそうなっているのである
では「大雨警報」はどういう状況なのかと言うと気象庁として下記のように規定してある
大雨警報は、大雨による重大な土砂災害や浸水害が発生するおそれがあると予想したときに発表します。特に警戒すべき事項を標題に明示して「大雨警報(土砂災害)」、「大雨警報(浸水害)」又は「大雨警報(土砂災害、浸水害)」のように発表します。雨が止んでも重大な土砂災害等のおそれが残っている場合には発表を継続します。
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/bosai/warning_kind.html
つまり、大雨警報が出ている状況では土砂災害と浸水害が発生する可能性が高い
土砂災害があれば当然ながら通学中の児童・生徒の生命に危険が生じる可能性があるだろう
また浸水害があれば地下道などで同様に生命に危険が生じる可能性がある
浸水していて段差に気付かず転倒する、などいくらでも危険な状況は考えられる
「通学できるから行ってこい」
と通学させているのだ
大雨(程度)だったら通学できるだろう、という風に
ちなみに誤解されやすいのなら名前を変えればいいじゃないか、という人がいるかもしれないが、気象庁では上記の用に既に「大雨(土砂災害)」「大雨(浸水害)」という名前に変更しているし、テレビでもそう報道している
17世紀の長靴を履いたネコは、身なりを整え、農民を脅して嘘を広めさせるなど、権力者に気に入られるための奸計に長けているが、基本的に他力本願の策謀家である
つまりそれがカリスマ性だと言うことであるが、農民が嘘をつかずに済んでいれば、そのカリスマも成立しなかったのである
結局、農民は利益を得たかというと、ネコの主人が製粉業利権の氏族の子であるから、搾取されこそすれ大きな利益は得られなかったと推定できよう
農家がとりうる対抗手段は、組合化や大規模農業化により王様に気に入られ、流通ルート上にある粉挽き会社を買収合併することであった
そこで日本は農業組合や林業組合を作ったが、一方で大規模化は行わずにおり、保護関税がないと渡来品と価格競争ができないという事態になった
大規模農業に成功した国の一つにはウクライナがあるが、今はロシアに攻撃されているから、下流の流通ルートの確保に成功したものの、上流の農地そのものに障害が生じたということである