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はてなキーワード: 金科玉条とは

2011-08-16

BUNTENさんそりゃあんまりだよ!

本日topホッテントリ

イギリス暴動の裏にある鬱屈絶望について

http://anond.hatelabo.jp/20110816094649



はてなブックマークを見たら

最人気コメントがBUNTENというidの人のものだったのだが、全部引用したい。

BUNTEN 国外, インセンティブ設計

こうやって福祉が悪者にされていく日本。▼あえて言っておく。俺みたいなダメ人間でも

りある仕事が得られる社会こそが最も安定するのだと。食えればいいってもんじゃない。

誇りを持って食えなくてはならんのだ。

2011/08/1617 clicks 22

いやいやいや!

あのエントリ読んでのコメントが「福祉が悪者にされていく日本ですか!それで終わりですか!

誰もが誇りを持って食える社会、それは素晴らしいですよ!そこが最高ですよ!

でもそこにどうやって到達するかを考える時間じゃないんですか!

イギリスだってその理想を目指したんですよ!理想の欠如で失敗したんじゃないんですよ!

理想を目指して、ある政策を採って、決定的な破綻を見るまでを、

読み応えのあるリポートにしてくれたのが該当エントリでしょ!

それに対するコメントが何でただ、また、理想を語るだけで終わりなんですか!

それはあんまりでしょ!




打ちのめされながら人気順ブコメを下っていったら

fromdusktildawn

からベーシックインカム(金を再分配)よりベーシックジョブ(仕事を再分配)の方が

現実的な落としどころだと思っていたんだが、誰にでも国から支給されるような職で誇りを持って

働けるものなのかがひっかかってる。

2011/08/16102 clicks1 RT

というブコメがあり、

懸念つきとはいえ「じゃあこっちの道はどうだろう」という意見を書いているのは人気ブコメではこの人だけ。





からうすうす思っていたけど、

はてな人達って現実の複雑でタフな問題を突きつけられると考えるのをやめる傾向がある!

そしてBUNTENさんのように金科玉条理想を唱え直すだけで何も言ってないコメントが大人気になる!

もっともらしく部分的な疑問を呈するだけの人も賢者扱いで星を集める!

肝心の、「まるごと考えて自分の答えを出していく人」が少なすぎる!

少なすぎることにすら疑問を持たない!




それはあんまりだし、だめだと思う!

2011-07-19

最後のほうで感謝してることをあらかじめ書いておく

http://anond.hatelabo.jp/20110719114224

あんたが「小学一年生」のくだらない問いをしたから、

怒りが有頂天だったけど、

逆に俺が求めてたものが明確化された。

そこの部分にいくまでの文章が長いから、

最後のほうで

感謝してることをあらかじめ書いておく。

 

で、

コーチングの話とかは知らないしどうでも良いよ。

そこなんだよ。

あんたはさ、

俺があのエピソードで、

メタ情報が欲しかった」

みたいに書いたのだって

線形代数メタ情報なんて教えるの、土台無理だよ」

と切り捨ててるんだよ。

 

まり、そっから先に進まないんだよ。話が。

あのエピソードが成立した条件について、考えて欲しいんだ。

たまたま」じゃなくて。

俺は他人のツッコミからも有益な情報がほしいんだ。

たまたま」って言われたり、

「そんなの無理」って言われたら終わりじゃんかよ。

 

まず、俺もレクチャーしてくれた友人も同じ授業を受けた。

俺はよく理解できなかった。

俺は試験勉強して悩んだ。

試験前に、よくわかる友人と雑談した。

そしたらテスト問題が簡単に見えた。

テスト問題が何を問いたいのかがわかった。

 

もしだよ?

俺が雑談したのが、

同じ授業を受けていない数学の出来る友人だったら?

数学は出来るが、面倒見のよくない友人だったら?

どうなってたと思う?

どっちともたぶん駄目だったと思うよ。

あるいはブクマで指摘されていたけど、

試験勉強しないで雑談してたら、どうなってた?

 

ここから考えれば、

例えば、大学講義でこう考えられないか

試験を含めず12回分の講義が予定されていたとする。

教える内容を12回に割り振るのと、

11回に割り振って12回目で内容を最初から振り返るのと、

どちらが効果的だろうか?

TAは毎回1人を付けたほうが良いのか?

6人を中間と最後の2回の授業に動員したほうが良いかも知れない。

こういうことなんだよ。

俺があんたに食いついたのは、

どうも大学関係者っぽいなと思ったからなんだよ。

 

それなのに、

それなのにだ。

 

以下の問いが、どんだけ何も考えずにその場しのぎで作ったか

俺の怒りが有頂天だよ。

例えば、小学一年生に「なんで足し算とか勉強するんですか?」って聞かれたら、どう答えます?(こういう事聞いてくるのは、逆に賢い子だと思うけど)

答えに詰まるでしょ?それ、線形代数でもあんま変わらんから

小学校一年生の「なんで?」と、

学部生の「なんで?」が、

同じものだと思ってるの?

 

小学生の「なんで?」は「やりたくない」って意味なんだよ。

から答えは、

「足し算は基本だ」とか

「足し算ができないと将来大変だよ?」とかじゃないんだよ。

そんなこと小学生でも知ってるんだよ、

小学生なめんなよ。

でも、楽しいこと我慢して勉強するのがいやなんだよ。

共感してやれよ。

テレビみたいの?じゃあ、あと5問やったらいいよ」

とかでいいんだよ。

で、約束通り5問できたら褒めてやればいいんだよ。

 

学部生の「なんで?」は、

「この概念をどう使ったらいいの?」なんだよ。

目の前の試験を乗り越えたいんだよ。

もちろん「やりたくない」って意味で使ってるのもいるが、

それは置いておく。

で、ここで最初に書いたことが出てくる。

俺は、線形代数教授が、

講義を通して、

何を学ばせたいのか?

試験でどういうことを問いたいのか?

それがわかんなかったんだよ。

からメタ認知という話になったんだよ。

俺自身がそこを明確に認識していなかった。

あんたが、

小学一年生」の問いをしたおかげで、

そこが明確になった。

 

俺にレクチャーしてくれた友達

数学がわかるから

先生はここを重点的に説明してるな」とか、

授業中の雑談から総合して、

「この人は、こういうことを教えたいんだ」ってことが、

きっと、わかってたんだよ。

から、俺は彼と雑談して、

彼が講義エッセンスを説明してくれて、

俺自身にも、そのエッセンスを理解するだけの準備が出来ていて、

あの雑談意味が生まれたんだと思うのよ。

 

あんたは、こうも書いた。

俺は別に「あんたが悪い」と攻撃してるわけじゃなくて、線形代数を教える人に「どうしてこれをやるか?」って聞くのは無茶だって言ってんの。「例えば何に使うんですか?」なら、まぁ良いけども。そういうつもりで書いたんだけどな。

太字引用した部分、そこがコーチングなんだよ。

わかってない人間ていうのは、何がわかってないかさえわかってないんだよ。

からちゃんと方向付けてあげないといけないんだ。

この例だと、学生が質問に来たときに、

「君の質問に答えることは、一応できるけど、

 君が本当に知りたいのは、

 この定理数学重要性ではなくて、

 この定理の使い方なんじゃないか?」

と聞き返せば、質問に来た学生はきっと目を輝かせるんじゃないかな?

 

どうなるかと思ったけど、

思わぬ会話になったな。

しかったぜ、兄弟

 

***

 

追記なんだけど、

一応、もう一つ、エピソードを紹介したい。

 

スポーツで、

「足腰を鍛えるのは基本だから、とにかく走って鍛えろ」

と、そういう教え方をする人がいる。

「足腰が基本」であることは、誰だって分かっていること。

この場合の「足腰」には「心肺能力」という意味も込められていることは、

スポーツやったことがある人なら経験的に知っている。

そこに、例えば、

「1500mを4分台で走れるようになるのが最低条件」

というふうに、何か加えるだけでだいぶ違う。

さらに、根拠をつけるなら、

「歴代のレギュラー選手の90%は、1500mを4分台で走れた」

となれば、さらに「走って鍛えろ」の意味が増す。

 

俺は、野球をやってた。

今では気晴らしにバッティングセンターにいく程度だが、

行くと、ほぼ必ず見かけるものがある。

ちびっ子がお父さんに叱られながら、

バッティングしてる姿だ。

曰く「脇をしめろ」

曰く「最短距離で打て」

この金科玉条は、

俺は本質ではないことを知っているから、

そういう親に教わっている子は、

かわいそうだなと思う。

この金科玉条は、迷信とさえ言っていい。

まりこれを否定すると、

各所からDisがやってくるので、

補足すると、

「脇をしめる(ようなイメージで)」

「最短距離で打つ(ようなイメージで)」

が正しい。

本当にに脇をしめたら、

スイングスピードはでないし、

最短距離で打ちたければ、

構えた位置からバット軌道は、

ボールの進行方向の法線上になることは確定的に明らかだ。

打撃で大事なのは

この3つでしかない。(配球の話は置いておく)

極論、この3つがうまく出来るなら、

どんな打ち方だって構わない。

でも人間の体には制約があるから

上手な人の打ち方は似通ってくる。

似通ってくるが、

素人が見てもわかるように、

それぞれに個性的だ。

 

高校生の頃、

スイングスピード

最も相関性の高い筋力は「握力」だと聞いた。

から馬鹿みたいに握力を鍛えた。

大学生になって、

全身の筋肉量と最も相関するのが握力だと知った。

から、体力検査で握力を測定するのだと。

なんだよ、スイングスピードと握力の相関って、

全身の筋肉量との擬似相関じゃねーかよ、と。

そんな切ない、エピソードさ。

 

追追記

REV ボトルネックが、握力と、腕と体幹協調、という話?

全然、そんな大層なものじゃない。

ってか、バイオメカニクス的な部分まで踏み込まない。

馬鹿な高校の野球部員が

プロ選手を調べたら握力が強いほどスイングスピードが速かったんだって

と聞いて、「相関関係因果関係とは違う」という箴言を無視して、

「握力鍛えれば、スイングスピードあがるんじゃね?」

と思って、頑張った。

普通に考えれば、全身を鍛えるだろうが、

そいつ筋トレが好きじゃなかった。

でも、握力を鍛えるリストカールやハンドグリップはお手軽だった。

から飛びついた。

で、大学になって、何かが違うことに気付いた。

 

で、余談だけど、握力が全身の筋力量に相関するのは、

最終的な力の伝達部分が、握力の影響を強く受けるからじゃないのかな?と思う。

数学得意な人は体育の分野にくればいいのにー。

2010-03-27

民主党】デーブ「ばかげてる」 フィフィ「まともな外国人ほど、申し訳ない気持ち」 「子ども手当」、外国人タレントから疑問続々

http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1269672527/

173 名前名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/03/27(土) 16:07:04 ID:wBOIZhb10

>1



民主党という"政党"



●結党以来、綱領はありません。

在日外国人も党員になれます。

●"脱官僚"や"政治主導"という稚拙スローガンを用いて日本国民を騙し、中国共産党を手本にした"独裁体制"を日本で実現します。

●"地域主権"という"地方への甘言"を弄して中央集権破壊し、党の支持母体外国勢力を含めた"地方からの国家解体"を進めます。

●支持団体である韓国民団との約束で、日本の将来に全く責任を持たない在日外国人に、国民固有の権利である選挙権を付与します。

●支持母体である部落解放同盟要請で、"人権侵害救済機関"を創設し、"人権侵害"を恣意的に判断し、"自由な言論を封殺"します。

特定アジアや亡国メディアの要求に従い、靖国神社参拝は今後一切行わず、無宗教である"国立追悼施設"を建立し、定着させます。

●"東アジア共同体"の構築の支障にならぬよう、"従軍慰安婦"や"強制連行"、"南京大虐殺"等の"歴史的な懸案事項"を"解決"します。

●"国連至上主義"を掲げ、常任理事国である支那露西亜日本国防に参画させ、国連での意思決定を"金科玉条"として仰ぎます。

子供手当てや高校無償化高速道路無料化等、"次世代へのツケ"無しには実行不可能な恒久的バラマキ政策で財政を崩壊させます。



■あなたも民主党に参加しませんか?

ttp://www.dpj.or.jp/sub_link/volunteer/index.html



党員とは?

民主党の基本理念と政策に賛同する18歳以上の方なら、どなたでもなれます。

 (在外邦人または在日外国人の方でもOKです。)



サポーターとは?

民主党を応援したい18歳以上の方なら、どなたでもなれます。

 (在外邦人または在日外国人の方でもOKです。)



民主党の入党資格(国籍条項)

ttp://www.dpj.or.jp/governance/policy/index.html



民主党規約 第2章 党員等 (党員) 第3条



>本党の党員は、本党の基本理念および政策に賛同する18歳以上の個人(在外邦人および在日外国人を含む)で、入党手続きを経た者とする。

2010-03-26

働かざる者食うべからず

痛いニュース(ノ∀`):「月8万円」を国が無条件支給、所得税45%で財源確保 「ベーシック・インカム」に賛否両論』(http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1445561.html)を見てたんだけど、

働かざる者食うべからず

「金が欲しければ働け」(…よって、ニートに金を支給するなんてとんでもない)

というようなことを金科玉条のように言ってる人が予想以上に多い。すごい。(挙げ句の果てには「強制労働させろ」とか…)

まあ、ざっくりした倫理観という意味ではわかるし、自分自身もそんなように教えられてきたわけだけど、

こういう主張してる人の「働く」ってどういうものを指してるんだろう?

どうも「汗水垂らして…」みたいなイメージしかないような気がするんだけど、そういうイメージだと富裕層不労所得のたぐいはまったく外れるよね。例えば不動産賃貸収入とか、有価証券の配当とか。この国は資本主義だから金を持ってるところには自然に金が集まってくるわけで。

さらにいうと、生業としての市場取引とか、一般的には頭脳労働だけどそれを「マネーゲーム」と呼んでまともな労働とみなさない人がけっこういるよね。

なのに、この件に関してはニート(金を持たない人)ばかり犯罪者のように非難を受ける。金を持って生まれるかどうかなんて選べないのにさ。

結局のところ、「働かざる者食うべからず」っていうのは家庭や学校で標語のように用いるなら意味があるけど、それをベーシックインカムのような国家レベルの政策議論のときに持ち出すのは不適切だよ。

ところで、良くも悪くもここまで浸透しちゃってる「働かざる者食うべからず」って、出典は何だろ?

2010-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20100219082552

政治的配慮あった」外国人参政権判決園部最高裁判事が衝撃告白

むしろ、政治的配慮のない司法判断ってあるのかと言いたくなるくらい、政治的配慮しまくりだけどな。特に最高裁は。

園部判事証言、外国人参政権推進派には大きな打撃

全然打撃じゃないよ。

一般永住者に付与する民主党案に反対って言ってるだけで、ネタウヨさん達がもっとも嫌がる在日への付与についてはやるべきだとしてるし。

外国人参政権判決金科玉条ではない」園部判事の証言要旨

判例変更の可能性でいうなら、15条の「国民」が日本国籍者のみに限られないという解釈に変更されることもあり得るし。

時の政府がそのように解釈したって、最高裁違憲判断を下すまでは問題にならんしな。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100219/plc1002190020000-n1.htm

政治的配慮あった」外国人参政権判決園部最高裁判事が衝撃告白

 平成7年の最高裁判決永住外国人への地方参政権選挙権)付与に関し、判例拘束力のない「傍論」部分で「憲法上禁止されていない」との判断を示した問題で、判決に加わった園部逸夫最高裁判事は18日までに産経新聞に対し、「(在日韓国朝鮮人を)なだめる意味があった。政治的配慮があった」と明言した。さらに判決に際し、地方参政権付与の対象者について「(在日韓国朝鮮人ら)非常に限られた永住者に限定する」ことを想定したとし、民主党などが「一般永住者」にも与えようと検討していることを「ありえない」と批判した。

 園部氏が判決の背景として、「政治的配慮」に言及したことは、最高裁判決当事者としては極めて異例の発言といえる。

 判決特別永住者に限らず、経済的基盤を日本に持ち10年以上在留など一定要件を満たせば得られる「一般永住者」についても、参政権を付与する案の根拠とされている。この点について園部氏は「(一般永住者に)選挙権を即、与えることは全然考えていなかった」と語った。同法案を政府提出とすることにも「賛成できない」と表明した。

 判決理由については、「憲法地方自治の本旨に従って、特定地域と非常に密接な関係のある永住者に、非常に制限的に選挙権を与えることが望ましいと判断した」と証言。歴史的経緯があり、何世代にもわたり日本国内に在留する韓国人朝鮮人台湾人に限り、住み続けている地域に限定して地方参政権を付与することは、「全く憲法違反だとは言い切れないという判断だった」という。

 園部氏は当時の判決について金科玉条で一切動かせないとは考えていない」と述べ、時代の変化に合わせ見直すことも可能だとした。

 ■外国人地方参政権に関する最高裁判決 永住外国人地方参政権を認めない公選法などの規定は、住民自治を定めた憲法違反すると、在日韓国人9人が起こした訴訟上告審最高裁第3小法廷平成7年2月、「憲法上、わが国に在留する外国人に対し、選挙の権利を保障したものではない」とした一審判決を支持し、原告の請求を棄却した。ただ、判決理由判例拘束力のない「傍論」部分で「永住外国人に対し、地方レベル参政権法律をもって認めることは憲法上禁止されていない」との判断も示し、地方参政権付与推進派を勢いづかせた。

こないだの許容説の教授転向といい粛々と反対派の論理構築が進んでるけど、賛成派はどうすんの?

2010-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20100217015223

しかも、あなたはいつの間にか俺を「空気を読め」ってサイドの人間にしてるけどさ、

俺はメディア共感押し付けにはウザさを感じてると何度も言ってるじゃないですか。

素朴だの普通だのを金科玉条に掲げることそのものが空気嫁の一環なんだが。

他人に同調圧力を行使している自覚がないのも空気嫁サイドの連中の特徴。

それに、空気を読むことを強要するのは何もメディアの特権ではない。

どこの敵とシャドウボクシングしてるんですか。

自覚のない空気嫁人間は敵に他ならない。

2009-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20090804023741

付き合った期間といい、別れたタイミングといい俺が書いたのかとおもった。


二つ感じたことが。

一つ目。自分を磨くってなんなんだろか。

俺は、社会で良しとされてる姿になることが、「自分磨き」だといわれているような気がして。

「新作のお洋服買って」「エステ行って」「スポーツジム通って」・・・


これって結局は、自分の虚栄心満たすことと違いはないと思うんだ。

自分磨き」なんて響きの良い言葉に欺瞞を感じずにはいられない。

だから、まるで金科玉条のように掲げるのは滑稽だよ

二つ目。これは自分も別れるまでと別れてから凄く考えることがあって、元増田は相手の望む姿に変わるべきだった的なことを書いてるけど、

それって本当に良いことなの?

相手のために変わることって本当に良いことなんだろうか。

「媚び」の面の方が大きかったりしないか?


媚びることや虚栄心満たすことは悪いばっかりではなくて

このエントリhttp://anond.hatelabo.jp/20080727040926)みたいに方法として利用してしまえばいいと思うけど、

でもそれらの欺瞞に気付かず、ストレス感じたり、悩んだり、そういうのに追われた生活送るのはくだらない消耗じゃないかなと思うんだ。

書いてることわかりづらい感じで申し訳ないけど、流行ファッション(この言葉おかしくねw)とか会話スキル上達とか

そんなんまるで着せ替え人形弄るくらいの軽い気分で付き合うべきなのでは?と思います

2009-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20090721215748

良いイメージを持ってないのは確かだが、ここまで来ると妄想だよな。

 たとえば日共の文書に頻繁に出てくる「民主主義」や「民主」という用語だが、普通日本国民が使っている「民主主義」や「民主」とは全く別の概念なのである。日本国民が「反民主主義」「反民主」あるいは「独裁主義」だと考えるものを、日共左翼は「民主主義」「民主」と表現するのである


日共などの左翼は今も変わらず、ソ連という史上最悪の独裁国家をつくった独裁者レ-ニンを神のごとく崇めているのである。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411887019

用語の意味が逆とか言って、証明も何も、全く根拠というものがないが

こんな文章書いちゃう人がいるってことは、中年以上の世代とかマスコミとか公安?の考え方って

大概こんなもんなのかな。たぶん九割がた妄想

あと暴力性ということで言えば、他の政党だって過去に何やってたかわかったもんじゃない

 

現実としてはこんな感じ。

 国民からいつまでも、日本共産党とは、普通政党ではない、異質な、やはり社会主義体制の下で、その社会主義体制に、日本という国を与(くみ)させる、そのことを金科玉条課題とした政党であると、つまりは体制転換政党であると見られ続けているのだと思うのです。

 レーニン主義批判に至っては、今日になって、ようやく、不破哲三氏が、『レーニン資本論』という研究論文を公刊する中で開始し、その批判的検討に「お墨付き」を与えたところです。
 このことがいまは、話題にもならないほどに、わが党内における「マルクス・レーニン主義」は、とっくの昔に風化さえしているのですが、しかし、「やっぱりレーニン主義も間違っていたのか」といった議論が、ごくごく小さな「声」として聞かれたりしています。このように、わが党内において、ようやくレーニン主義批判が「解禁」された格好となりました。

 つまりは、こうした姿勢が、対応が、国民から、日本共産党を、何時までも「遠い存在」の政党と思わせてきた原因であったのです。国民との距離をいつまでも埋めることが出来ない最大の理由だと思います。


 しかし、いまになっても、日本共産党は、61年綱領制定時から今日至る経緯の中で、コミンテルン型の前衛党として再出発したこと、また、「マルクス・レーニン主義」信奉型の党として、世界共産主義運動の一翼を担うという、ある種の「夢」を追いかけ、それが失敗に終わったことについての、総括ができないでいます。

http://www.kitanet.ne.jp/~takashi/1bu-kyou/end1.htm

 

とりあえずは労働党改名すれ。話はそれから

2009-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20090207160945

たまには、掃除して上げたり

たまには、料理作って上げたり

たまには、一緒に散歩に行ったり

たまには、一緒にわらったり

たまには、一緒に話し合ったり

たまには、一人にして上げたり

相手も自分人間なんだから、金科玉条にこれだけしておけば大丈夫みたいな、丸秘技があるわけじゃねーだろ?相手の気持ちをながらやるべきことをしてやれよ。お前の嫁は機械か?いや、機械でもメンテはかなり複雑多岐にわたるぞ?

2008-12-31

はてなユーザー層は、一昔前の朝日新聞購読者層と同じなんじゃ?

http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0812/03/news119.html

そこそこ高学歴理系、自称インテリ、自称社会派・・・

はてなユーザー層ってだいたいこんなとこでしょ。

これって今の団塊世代朝日新聞を購読してた層とユーザー属性が一緒だな。


朝日新聞購読者層が心のどこかで社会主義シンパを持っていたように、

社会の実態に疎くて理論的にすっきりする言説にはまってしまうのも似ていると思う。

たとえばリフレとかインフレターゲット共感してしまってるのがいい例。

実態や実務をわかってる人なら明らかにおかしいと思うようなことでも、

いくつもの仮定の上に築き上げられたにすぎない理論であっても、

金科玉条のごとく信奉し、思考停止に陥っているのが特徴。


こんな状態だから、会社社会では影響力を持てず、

せいぜい「中の上」人生で終わってしまうのも同じなんだろうな。

2008-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20080907121100

頭悪い現場の人が、ホームレスへの思い入れから図書館への恨み辛みを叫んでるだけじゃん。

生存権金科玉条だと思うなら、むしろ図書館予算を奪ってホームレス支援に充てろと主張すべき。

実際君たちが主張しているのは既にそういうレベルのことかも知れない。

2008-07-11

日本が警戒すべき「複合体」

いま、日本が警戒すべき「複合体」は、もちろん、米国のような軍産複合体などではない。既成その組織、既成の方針、過去成功体験などを金科玉条とし、学歴に基づく自らの身分に誇りを共有する、官僚機構日本銀行経済界、学界、マスコミなど、あらゆるところにネットワークを張る複合体の人脈だ。

官僚国家の崩壊』(中川秀直)P23

テレビ映像に出てくるような圧力団体族議員は、その同盟者に過ぎない。「本尊」は目に見えない、匿名存在である。まさにレーダーに捉えきれない「ステルス爆撃機」のような存在で、目には見えないが強大な力を持つ。

官僚国家の崩壊』(中川秀直)P24

一時、勝ち組負け組論が盛んだったが、彼らこそ「究極の勝ち組」である。なぜなら、大学卒業時点で「究極の勝ち組複合体」の一員としての身分を一度、確保すると、負け組になることはないからだ。「競争があるだろう」と思う人がいるかもしれないが、同期の競争といっても、本省か出先か、あるいは本社関連会社か程度の差しかない競争であり、身分は保障されているのだ。

数年前、勝ち組といわれた人たちは、いま、どれだけ生き残っているか。市場原理に生きる人に永遠に勝ち組はいない。

というのも、彼らは「ステルス複合体」の外側にいるからだ。「ステルス複合体」の中にいる人のみが永遠勝ち組で、彼らが身分を剥奪されるケースがあるとすれば、複合体を裏切ったときのみなので、身分を守るために「身内の論理」に絶対の忠誠を誓う。そこに隠蔽が偽装が発生する。「ステルス複合体」の中では政策論争が起きないのだ。

官僚国家の崩壊』(中川秀直)P24

2008-07-10

日本官僚を「ステルス複合体」という究極の勝ち組にしてはいけない

中川秀直著:官僚国家の崩壊、講談社2008年」には、今の日本を、おかしくした元凶が、霞ヶ関を中心とする劣化したエリート集団(ステルス複合体)にあることが、多くの実例を挙げながら挑戦的に書かれている。マンガ好きの次期首相候補の、日本を礼賛する安っぽい内容の本よりも骨がある。印象に残る部分拾い出して挙げると以下のようになる。

1.日本の庶民の勤労意欲学習意欲の水準は非常に高い。しかし、日本エリートの質は明らかに劣化していることは、海外仕事をしたり、国際会議に出席した経験がある人は皆感じている。この問題には、真正面から取り組まなければ日本を覆う閉塞感を打破できない。真の公務員制度改革日本エリートを叩き直さなければならない。

2.身分と権益を今までどおり守ろうとするエリートたちは、国家財政に「もう無駄はない」と言い張り、「安心できる社会」「弱者救済」を御旗に、天下り先法人の存続などの自分たちの権益を守るための増税を主張してくる。増税の議論の本質は、経済成長にあるのではなく、劣化したエリートの延命のための負担を庶民に押し付けることを意味する。だから、庶民は怒っている。

3.「ステルス複合体」というのは、レーダに探知されないように電磁波を反射しない爆撃機ステルス)を例えた、劣化したエリートたちの集団である。個人的にはメディアの表に立たずに目立たぬように、群れを組んで、自分たちの思うとおりに物事を進めようとする。失敗の責任を取るのが怖くてそうするのかもしれない。(箱物行政の大赤字、転売による莫大な損失の発生の責任を取らず、天下りにより莫大な報酬を得ていることは詐欺罪にも該当し刑事訴追の対象にもなると司法出身のテレビコメンテータは言明している)

4.「ステルス複合体」が生まれた理由は根が深い。社会保険庁食品会社、老舗の料亭などの隠蔽、偽装にも密接に関係している。身内の安全、利益を優先するあまり、組織外の人、仲間以外の人の信頼を裏切ることになる。日本の「村八分」の言葉に象徴される精神構造である。

5.小泉安倍内閣構造改革が進めば進むほど、権力中枢の抵抗はかたちを変えてますます激化していくと予想したが、不幸にも的中し安倍総理を直撃した。かたちは健康上の理由であったが、実状は「ステルス複合体」の抵抗であり、サボタージュ守旧派政治家を動かして政治ストップさせるような裏工作をした結果である。

6.日本が警戒するべき「ステルス複合体」が生まれる理由は、既成の組織過去成功体験などを金科玉条として既得権を守ろうとする集団が存在することである。長い人生のほんの一時期に、要領のよさだけで、親の言うとおりに塾通いや家庭教師で獲得した学歴無意味な??種公務員試験で得た自らの身分に一生託そうとする人たちである。彼らは、十代後半の青春の悩みとか道草の経験とは無縁の人種である。彼らは群れたがる。官僚機構日本銀行経済界の基幹産業といわれる企業の幹部、学会マスコミなどあらゆるところにネットワークをはっている複合体である。東大法学部出身を核とするエリート人脈のような、大学同窓会を原点とする同質的人脈が身内共同体をつくっている。大学卒業時点で「究極の勝ち組複合体」の一員としての身分を確保すると、負け組みとなることはない。同期の競争といっても、本省か待遇のよい天下り先法人の幹部、大企業であれば本社関連会社の幹部の差しかない競争である。仕事能力・成果とは無縁の世界である。中小企業経営者たちや多くの庶民は、その悔しさを胸にしまい、歯を食いしばって頑張っている。

7.日本の危機の本質経済政策論争以前の深層部分にある。ステルス複合体=究極の勝ち組複合体が真の経済論争を拒んでいる。理論の問題でなく政治の問題になっている。格差だとか弱者救済とかの用語で経済論争の論点をはぐらかし、マスコミもそれに加担している。庶民とかけ離れた高給取りのニュースキャスター司会者が格差だとか弱者救済と語っているのが空しいことを賢い国民は見抜いている。次の選挙与党内のステルス複合体との戦いでもある。野党にもこの日本の危機を見抜いている人もいる。国民が一致協力してステルス複合体を崩壊させ、正しい政治、公正な社会を取り戻す必要がある。

http://blog.livedoor.jp/yuji5327/archives/51070792.html

2008-06-22

秋葉原通り魔が起こした一連の事件

自分がいの一番に感じたのは、

そりゃああれだけ人生に閉塞感を感じさせられたら、

自暴自棄になるのも致し方がないということ。


それと、

それほどの憤りがありながら、なぜ秋葉原の丸腰の人間という、

明らかな弱い者いじめに走ったのかという、

あの男自身の弱さの限界に対する複雑な思い。



死刑がどうとか、

オタクの心の闇とか、

もっと言えば被害者たちがどうとかは、

自分にとっては申し訳ないが興味の埒外だ。


はっきり言えば、そこら辺にいるワンノブゼムの一被害者に過ぎない。

秋葉原で殺されたから特別視されるのなら、

理不尽に死んでいく人間を果たしてどれだけ数え上げていかなくちゃいけないのかという話になる。

少なくとも、自分個人の中ではそういう話にしかなりようがない。


そして、理不尽に苦しめられるその他大勢という存在の中に、

件の通り魔も列座させられていたんだ。


そうか、そうだ。

ワンノブゼムで、その途方もない苦しみも、

取るに足らない無個性で無価値でありきたりで取るに足らない当たり前で普通のことでしかない。



そんな状態が耐えられないから、

ヤツはことを犯した。


そうした行為が、

皮肉にも完全に通り魔の方が無視されて、

被害者となった彼らの方に世間の無数の「認知」「知覚」「視線」「意識

が向けられたとなると、

これはもう本当にどうしようもない皮肉としか言いようがない。


被害者理不尽に共感するのなら、

どうして加害者人生の境遇の理不尽にも共感しないのか。

通り魔人生自己責任を求めるのなら、

どうして被害者自己責任は言及されないのか。


こうした「格差」


私は、矛盾した感覚を持っている。

それはなぜかと問いただせば、

鏡写しの、正反対の矛盾を示すことで、

却ってバランスを取ろうとしているからに他ならないと思う。


この、加害者被害者とで強烈と言えるほどのコントラストを描く格差のアンバランスさ。


どいつもこいつも、

加害者の境遇を、抑圧したくて仕方がないらしい。


あと、どうしようもない金科玉条が世間を席巻している。


加害者の境遇を理解したくても、

加害者のやったことは到底許されるものではないが」とか、

被害者の苦しみは心の底から察しても余りある」とか、


そうした情緒手続きを枕詞的に厳格に踏まない限り、

強烈な世間からの反感・批判・敵意・否定から逃れられないという現実


たとえその枕詞をこれでもかと付け加えたとしても、

「お前はあんな人間のクズの犯罪者の肩を持つのか」という謗りを免れない。


知ったことか。

そんなお行儀の良い被害者可哀相情緒など糞喰らえだ。


私は加害者の境遇が可哀相だと思う。

この加害者への可哀相だという気持ちの存在大前提として、

そうして初めて私は被害者への可哀相の気持ちを、

同程度として感じることとしたいと思う。


所詮頭で考えることのできない情緒バカどもには決して理解することができない感覚であるはずだと思う。




所詮―――――


可哀相がるのがラクな方に、人間は転び靡くのだということだろうか


金科玉条が十全の保障を提供する場所でしか、

人は同情や共感することさえ許されないということだよ


―――世間のみんなが可哀相だと思うものしか、可哀相だと思えない哀れな不具者たちの集いということだよ。



だから、


2ちゃんねるという、

世間の金科玉条の強烈な同調圧力が弱まっている場所だからこそ、

加藤を認めようとする気持ちが、少しく解放することができるというわけだろう。


それでも、2ちゃんねるにしたって、

空気嫁とかいう同調圧力依然強く存在しているようだけれどね。



―――――

それはさておいても、

それでも自分の中で、

複雑な気持ちにならざるを得ないのが、



「どれほど強烈な怒りや憤りを爆発させたとしても、その怒りの向かう先は所詮弱いものでしかないのか」

という限界だ。


DVに関する本を読んだ時にあった一節を思い出す。


DVをする人間には、幼少期の虐待体験が色濃く反映されるという考えが書かれていた。

その虐待体験のエピソードの中で、

あまりにも苛烈な虐待だったので、

子どもは父親の攻撃に対して銃を使って抵抗したという話が載っていた。

この子どもは、父親に対して銃の引き金を引いた。

急所に命中したので、間違いなく死んでいるのだが、

しかしその子どもは、父親は死んでいないと思っていたという。

いつむっくりと起き上がって、自分に復讐してくるか、気が気でなかったという。

銃による反抗という、

とてつもなく強力な武力を持っていたにもかかわらず、

そんな武力を携えても尚、

自分より強い人間に対しては、絶対かないっこない、いつ復讐されるか分からないという、

恐怖と威圧に脅えていた。


加藤は、

自分の人生などどうなってもいいという覚悟による強烈な武力を携えていたにもかかわらず、

その怒りが、

本来自分を脅かしていた派遣先に向かうことなく、

丸腰で草食動物的な人間が集う秋葉原に矛先を向けたというのは、



人間の本性に対するどうしようもない遣る瀬無さを、

感じさせられずにはいられないのだ。

2008-01-14

判断についての個人的整理

知人に中小企業からちょっと大きめの企業転職した人物が居るのだが、その人曰く、転職先の会社では周りの判断が以前の会社の同僚よりもかなり速く、驚いたとのことだった。

まあ、大企業サラリーマンがみんな、判断チョー速ってわけでは勿論無いが、全体的な平均としては成り立つ現象だと、個人的には思う。

なぜなら。


例えば、1千万の仕事があったとして、それを上司1人、部下1人の3ヶ月で仕上げると仮定する。部下は上司の判断無しには作業を実施できないとすると、3ヶ月間に上司が下さなければならない判断は、1ヶ月20営業日と仮定して1日辺り約17万円の価値があるということも出来る。

つまり、上司の判断が1日遅ければ、17万円のロスが生じるという見方も出来るわけだ。


この話をベースにすると、1億円の仕事上司1人で1年間で実施する場合、1日辺りに必要とされる判断の価格は約42万円、先ほどの例の約2.5倍のスピード感が必要とされる計算になる。それだけの判断が可能なら、部下の人数は約6人必要、ということになる。(可能な作業量=人数の平方根に比例と仮定)


要するに、大きな規模の仕事では小さな仕事よりもよりスピード感のある判断が必要とされることが通常であり、中小企業での上司よりも大企業上司の方が平均的に見れば判断が速くないと仕事としてやっていけない、ということもまたありそうな話ではある。


さて、ここで問題となるのは、そもそも「判断」というのは何だろうか、ということになる。

私が考えるに、判断には2つの過程がある。


 1.選択肢を見つけ出す。

 2.選択肢から選ぶ。


そもそも判断を必要とする、ということは何らかの問題もしくは課題があって、それを解消しなければならないということである。

課題を解消するためには何かしらの対策を講じなければいけないわけだが、世の中には色々な解決手段、書類1枚で済むような簡単な方法から、技術的にチャレンジしなければいけないようなコストのかかる方法など、様々あるのが通常である。その中のどれが選択肢として有効であるかを絞り込み、最終的にはそれらの解決策候補からどれかを選び、実行するという、その実行に至るまでの過程を我々はなんとなく「判断」と呼んでいると、私は考えている。


となると、判断には冒頭に述べた「速さ」の他に、「深さ」の要素もあるということになるだろう。要するに、そもそも選択肢が1つしかない課題に対する判断よりも、様々な選択肢が有り得る中での判断の方が、より「深い」と考えることができそうだ、ということだ。

そうなると、この「速さ」と「深さ」にはトレードオフがあることも見て取れる。

選択肢が多ければ多いほど、その判断は「深い」わけだが、しかし選択肢が多いとそれらを検証・選択するための時間がより掛かるのは自明だろう。従って、深い判断では速さが犠牲になりがちだということになるわけだ。


では速さと深さはどちらがより重視されるべきだろうか。

これは、その判断を求められる状況によって異なると考えるのが当然だろう。

「拙といえども、速を以てする有らば勝つ」ということを孟子が言っているそうだが、大抵の場合には、判断の速さは深さに勝るだろう。なぜなら時間というリソースは最も希少価値の高いものであり、それをロスすることは他のどんリソースでの埋め合わせも困難であることが多いからだ。

ただし、時間的な制約がほぼ無いような状況もあるだろう。そういう場合には判断の深さの方がより重視されることも有り得る。

従って冒頭での話のように、企業での仕事上の判断、ということに限定するならば、判断の深さよりは速さの方がより重視すべき、ということで問題ないと考える。


では、判断をスピードアップさせるには、どうすれば良いのだろうか。

それには、まず3つの手法が存在しうる。以下、順に見ていこう。


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【手法1】選択肢をそもそも少なくする


判断の深さをある程度犠牲にすれば、判断の速さを稼ぐことが出来る。

「そんなことでいいのか?」とも思う向きもあるかもしれないが、これが一番の近道である。

例えば、車の運転では迅速かつ的確な判断が連続して求められるわけだが、その判断というものは、道路交通法によってそもそもの選択肢を狭められている、と言えなくはないか。

右折の信号待ち状態から、実際に右折するまでには色々な状況が有り得、ひとつ間違えばあっという間に命を落としかねないわけだが、そこでの判断の一番大きな基準として「右折はかくあるべし」と道路交通法は規定しているわけである。それは刑罰という形で強制力を持っており、運転手はそれに従うという前提で、様々な状況の判断の裁量を許されている、ということになるだろう。

同様に、会社として、もしくは個人的に、判断についての縛りをある程度課しておくというのは有効である。縛りによって、選択肢の幾つかはそもそも検討の俎上にすら上がらないわけだし、さらに選択に迷ったときでも縛りから自然と一つの解が求まることもあるだろう。


ただし、容易にご想像頂けるように、この手法には欠点がある。

課された縛りを金科玉条のように扱われてしまうと、判断が硬直化し、例外的なケースに対して誤った対処を選択してしまうというようなことが生じやすいということだ。

要するに判断の深さを最初から諦めているわけであるから、定型的な仕事には強くても変化には弱いということになる。

縛りを定期的に見直すとか、これ以外の手法についても常に並行検討するなどの、補完策は用意しておくべきだろう。


ただ、私が感じるに、世の中のほとんどの仕事についてはこの手法が適用されているようである。縛りには社風とか、義理人情とか規則とか、さまざまな名前があるようだが、どれも選択肢を少なくする作用を持っているのに変わりは無い。

この手法は非常に有効であるが故に多用され、この手法に馴染んだ者が上司として昇進していくことも多いだろう。例えそれが硬直的な組織を生み出しているとしても、商売として成り立ち続ける限りは、問題ないと言って良いと思う。


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【手法2】選択肢からの選定基準を明確にする


選択肢の多様性を犠牲にすることなく、判断スピードを上げるには、その選択の際の基準を明確にしていくという方法が考えられるだろう。

ただし、この方法は字面での見た目よりも、なかなかに難しい。

そもそも、選択のための基準とすべき指標とは何かを決めなければならず、そんなものが最初から分かっているのであれば、誰も判断に迷ったりはしないからだ。

この手法の行き着く先は、数値的な判定基準の設置と、判断そのものの自動化になるだろう。

最近では電子化の進展から、過去データの蓄積から統計的手法により、判断基準となりうるパラメータを導出するという試みが成果を挙げているところではある。が、全ての課題がそういった手法に馴染むわけでは勿論ないし、そもそも統計的手法はデータの蓄積が無ければ精度に欠けるため、前人未到の領域に対する判断には適さない。

結局のところこの手法は、過去に実績のある分野についての判断は、ある程度自動化することでスピードを上げられる、ということに過ぎず、使い所を間違えると何の役にも立たない。


ただし、民間企業での判断についてのみ言うならば、たいていの判断基準は人・モノ・金に集約されることもまた事実であろう。従って、ある課題に対する判断というものを、選択肢毎の人・モノ・金についての見積もり作業に置き換えるということが通常は可能である。

また冒頭で述べたように、この手法は手法1に比べて判断の深さを犠牲にせずに済むことが多い(選択の速さが選択肢の多寡に影響され難い)ため、判断の硬直化を起こし難いという利点もある。

更に、明確な判断基準は部下との認識共有にも寄与するので、部下の育成効果も期待できる上、後で述べる判断の分業化にも資するだろう。


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【手法3】自分の判断能力を高める


実はこれが最も難しい手法である。

人間というものをツールとして眺めた場合、その道具としての特性は内部要素から順に、感情/経験/思考/知恵/知識/情報/人脈という7つで表されることになるだろう。

この中で、外部的な側面の強い要素である知識/情報/人脈は、選択肢を広げる方向に寄与し、内面的な要素である感情/経験/思考/知恵は、選択肢を絞り込む方向に寄与することになる。

一般的に、人は自分の能力を向上させようとして勉強するという手法を選びがちだが、その作業はたいてい、選択肢を増やす方向に能力を伸ばす。つまり、勉強すればするほど判断の速度はむしろ下がるのだ。

ということは、判断速度を上げるには感情/経験/思考/知恵を磨けばいい、となるわけだが、これらのうち感情と思考は素質とも呼べるものであり、磨くとか磨かないとかいう議論すら成り立ちそうに無い。

となると経験と知恵だけが頼りになるわけだが、こればっかりは年数を掛けて与えられた仕事に取り組む他、向上させる術は無いだろう。


従って、手法1や手法2に比べて、一見王道的にも思えるこの手法は、実際のところほとんど判断の速度向上には寄与しないと言って良いと、個人的には思う。


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さて、前述の3手法は個人が実践する類のものであるが、何も判断というものは個人でのみ頑張らねばならない、という性質のものではない。チームとして機能する集団があるならば、判断もまたそのチームプレイで実施することで、迅速さを向上させることが可能であることは自明だろう。


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【垂直分業】選択肢を見つけ出す過程と、選択する過程を分業する


最終的な選択は上司が専任し、選択肢を見つけ出す作業については部下や専門家に任せる手法である。

この手法と手法2の組み合わせは実に相性が良く、ほとんどの人手を選択肢を見つけ出し、それの判断基準を数値化する作業に割り当てることが可能になるため、最も効率的かつ深い判断を可能とすることになるだろう。

また、この手法は公共分野では最も一般的な手法でもある。行政分野の作業員であるところの役人が、情報事情を集約して選択肢を提示し、それを選挙によって選任された人物で構成される議会で選択(もしくは却下)するというのは、まさに垂直分業のお手本とも言えるだろう。


逆に、手法1とこの手法を組み合わせることのメリットは無い。この手法は選択肢を増やす方向に寄与するため、そもそも選択肢を減らす手法である手法1とは馴染まないのである。手法1に馴染んだ組織にこの手法を適用しようとすると、判断の速度が低下するだけでなく、せっかく増やした選択肢も、何かしらの縛りでのみ振り分けされるため、有効活用されない恐れがある。要するに、選択肢を増やす作業そのものが無駄になりかねないのだ。


垂直分業と手法2との組み合わせで実現される組織は、選択肢を探す多数の専門家集団を擁し、そのレポートから最終決定を実施する少数の上司が居るというような、比較的フラットな形態を採る事になるだろう。


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【水平分業】判断すべき領域を分割し、それぞれの領域に責任者を割り当てる


この手法は、問題領域の区分けが明確な場合にのみ機能する手法である。そもそもの問題領域に曖昧な線引きしか出来ない場合には、複数の責任者間での情報共有コストが高くなり過ぎるため、船頭多くしてなんとやらという結果に陥ることだろう。

また、この手法を採用している組織が、判断の速度向上を手法3にのみ頼っているような場合、それぞれの責任者毎に判断の品質がばらけるため、全体としての整合性を欠くことになるようなこともあるだろう。

しかしながら、この手法には部下育成の効果を期待できるため、適切に運用するならば長期的には有効な手法でもある。


この手法は、手法1に馴染んだ組織には相性が良い。そもそも手法1は選択肢を元々少なくすることで成り立っており、判断する者の技量に影響を受け難い。教育コストが低いという手法1の特徴は、各領域に割り当てるべき責任者の数を充足させる方向に寄与するだろうし、この手法の欠点である判断品質のばらつきについても、元々選択肢が少ないのであるからそれほど顕在化しないだろう。


水平分業と手法1との組み合わせで実現される組織は、個別の問題領域毎に責任者を割り当て、その個々の責任者が自分の担当領域を更に細かな問題領域に分割して部下をそれぞれの領域の責任者として割り当てる…といったような、階層型の形態を採る事になるだろう。


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以上述べてきたような手法のどれを採用して、自身の判断速度向上を達成するかだが、それは自身の所属する組織の特徴をまずは把握しておくべきだろう。


最も良く見受けられるのは手法1+水平分業のパターンだ。その場合には、その組織として採用している、選択肢を少なくするための縛りを見極める必要がある。その縛りについて理解したならば、その縛りそのものをツールとして使いこなす術を見習わなければならない。そうしてベースとなる判断速度を確保し、実績を上げたならば、今度は自身の担当領域を細分化し、部下にそれを割り当てる手順を実施していくことになるだろう。

郷に入れば郷に従え、これがベストプラクティスとして機能することになる。


手法2+垂直分業の組織も、状況変化に富んだ業界であれば良く見かけるものだ。その場合、まず励むべきは判断基準の数値化の手法である。最初は選択肢を増やし、それを判断基準の数値とともに上司に提示する作業員に徹し、多くを学ぶことが肝要であろう。それさえ会得してしまえば、あとの選択過程自体はほぼ自動的に実施できるわけであるから、困難は無い。まあ、そもそも手法2+垂直分業な組織では上司と部下の立場的な違いはそれほど大きくならないことが多く、昇進とか出世とかが仕事の達成感に影響することもないので、一生を専門家として歩むのも悪くは無いだろう。選択肢を増やすための自己研鑽は大いに推奨されるであろうから、画一的であるよりは変人であることを求められるわけで、郷に従うことには意味が無い。


ただ、世の中はそれほど単純には出来ていないので、ある組織がきっちりと上記の2パターンに分かれる、ということは恐らく無いだろう。中途半端に水平分業した手法2メイン組織や、いつも会議ばかりで何も決まらない手法1+垂直分業な組織にも出くわすかもしれない。そうなると手法3による、自身の能力向上しか頼るべきものがなくなることもあり得るだろうが、もしもそういう状況に置かれるのであれば、素直に転職を考えるのが良いのではないかと思う。


さて、つらつらと適当に書き流してきたが、以下にまとめを書いてこの駄文を終えようと思う。


【判断とは】

 課題を解消するための方法を決定する過程のことである。


【判断の過程】

 1.選択肢を見つけ出す。

 2.選択肢から選ぶ。


【判断の要素】

 判断には速さと深さの要素があり、それらはトレードオフ関係にある。

 通常は、判断の深さよりも速さが求められることが多い。


【判断速度向上の手法】

 手法1:選択肢をそもそも少なくする

 手法2:選択肢からの選定基準を明確にする

 手法3:自分の判断能力を高める


【判断の分業手法】

 垂直分業:選択肢を見つけ出す過程と、選択する過程を分業する

 水平分業:判断すべき領域を分割し、それぞれの領域に責任者を割り当てる


【判断の手法と組織形態】

 手法1+水平分業→階層型組織

 手法2+垂直分業→フラット組織

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