はてなキーワード: 適応障害とは
一部、鬱みたいな症状はあるのに、それ以外の部分ではまるで普通って人を、そう呼ぶことが多いです。
要するに、「(別に何も重病じゃないしよくわかんないから)ああ風邪ですね」みたいな感じで、
「(別に何も鬱じゃないしよくわかんないから)ああ適応障害ですね」って雰囲気と思ってくれたらいい。
俺も適応障害でした。
元増田もきっとそう。
ヒモだから不安だけど、結婚して専業主夫になるなら、それで何の問題もない気がする。
まあ、彼女は一時的だから助けてくれてるのかもしれないし、元増田自身も納得できてないのかもしれないから、そんな簡単な話じゃないのかもしれないけど。
もうちょっと、やわらかいレスポンスはもとめてもだめなんでしょうか。
>「無駄だからやんなさんな」? 「面倒だけどいいぞもっとやれ」?
ただ、私は、すでに書いたように、過呼吸、頭痛とか、適応障害になって健康被害まで出たので、
もう対応するだけのパワーがありませんでした。泣き寝入りですよ。私は。
対応するパワーと、価値を見出している人はがんばっていただければと思います。
ただ、まあ大変なことですから、外野がどうこう言ってもご本人の側で面倒なことも多いでしょうし、
可能な範囲でがんばっていただければ、と思っています。
>「正直ネタにかこつけて仕事の話グチりたかっただけなので細かいところは追求しないでください」?
そういう言われ方をするのはあまり気持ちのいいものではありませんので、
ご配慮いただけませんか。
ちなみに、さっきコメント書いた人間とおなじ人間ですけれども…
まあ、こういうのって要するに、
たぶん、上司は、いまだに、自分のやったことは正しいと思っていて翻えらないんだよね、ああいうのは。一朝一夕では。
未熟でわがままな人なのだろうし。
まったく、ぼくよりも、はるかにバカだったくせに、どの口がいうか、って感じだけど。
(本当に死ねとは思ってないけど)
ただ、まあ、世話をしてくれたところもあるし、迷惑をかけたことがないわけでもないので、
それは確かにそうなんだけれども、そこだけ過剰にとりあげられて、未熟だなんの、っていわれても、
ほんと、むかつくよね。
結局、こっちは元上司の発言に対して、
過呼吸やら頭痛やらで適応障害になるまで、我慢して、もうこれ以上はむりだわー
その一方で、ネットの世界を中心に、原発事故にのめり込んでいる人たちがいます。
彼らの多くは、知的レベルが高く、情報収集に熱心で、いまの世の中の趨勢を注意深く見ている人たちです。
特に、これまで一般社会にうまく適応できなかった、引きこもりやニートといった人たちがその中心層の多くを占め
ているように見えます。
彼らは、企業社会やアルバイト先で、会社人間としての振る舞いや低俗なオヤジギャグに会話を合わせることに耐え
られません。薄汚いごますりや打算、好きでもない商品を売ることに対して、強い欺瞞を感じている人たちです。
「食っていくためには、嘘もつかなければいけないときもある」
大人が発するそんな言い訳めいた言葉に、かえって嫌悪感を強めています。
原発事故を喜ばしいと思う人は誰もいません。ただ、これまで大学の中で「冷や飯を食わされていた」小出さんが脚光を浴び、時代のヒーローになっていく姿は、彼らにとって理想のイメージ、希望の星、自分の願いを投影する存在になっているのでしょう。
惹きつけたのは、登場するキャラクターの魅力やファンタジーとしての世界観だけではありません。このアニメには、精神分析、神学など多様な学問領域があり、様々な専門用語が散りばめられています。
彼らは、精神分析の分野で未知なるものが登場すると、先を争って精神分析の本を読み漁りました。宗教的な用語の背景を知ろうと、こぞって宗教学の本と格闘したのです。
彼らが原発問題に熱狂して、彼らが何かを変えられるとしても、ネットの中の一つの小さなトレンドに過ぎません。現実に動いている体制には、大きな影響を与えることはできないのです。現実社会との接点こそ、ネット全盛の時代にあっても、ないがしろにできない大切なことではないでしょうか。
http://diamond.jp/articles/-/12955
http://anond.hatelabo.jp/20110702233116
http://anond.hatelabo.jp/20110703103111
差別、左翼、レイシストというのは、ニータパンおじさんの専門用語です。笑
http://anond.hatelabo.jp/20110706124246
http://anond.hatelabo.jp/20110707085245
http://anond.hatelabo.jp/20110707083514
いつもどおり連続トラバは二つまでの法則。ニータパンおじさんの法則どおり。
http://anond.hatelabo.jp/20110707110411
ニータパンおじさんお得意の弱肉強食。
http://anond.hatelabo.jp/20110707213712
ニーダーパンおじさんの復帰時間てわかりやすい。なんたってニートだから。
いろんなヒトが思ってるコトだろうし、増田にも似たような投稿あるだろうけど、気にせず書きます。
なんとなーく、それとなーく、いつのまにか死んでたい。
というより消えたい。
別になにか嫌な事があった訳じゃない。
常日頃、悩んでる事がある訳じゃない。
手に職もあるし、人間関係も人並みにあって不満もさほどない。
それなのに、何故かいきなりヤル気がなくなっていろんな事がどうでもよくなってしまう。
どうでもよくなってしまうのではなくて嫌になるってのが近いかもしれない。
「なら自殺でもすれば?」って思うけど、親を悲しませたくない!ってのが心の中にあるので実行できない。
この消えたい発作のせいで仕事変えざるをえなくなった事もある。
心療内科にも通って適応障害とか抑うつ状態っていう診断で抗鬱剤もらって飲んだけど変わった気がしない。
風邪拗らせて会社休んだ先週からまたこの状態になってしまった。
たぶん抜け出すのにあと1週間くらいかかる。
この期間ずーっと消えたいって思ってる。
本当にどうしていいのかわからない。軽いパニック。
会社行けば良いのに、焦ってるのに、行かない。なんで行かないのかわからない。
会社の人達は連絡入れる度に心配してくれる。すごく嬉しい。でも行かない。
腐ってる。
どうにかなんないのかな。
どうすればこの状態にならないのかな。
誰か助けてください。
私はサボり魔である。筋金入りで予後不良の。
幼少の頃から厭なものから逃げ続け気がついたら三十路になってた。そんな私はサボり癖が元で精神を病み社会生活を送れない体になってしまった。
ふつうの精神疾患なら投薬と適度な休養で概ね治るはずなのだが、私の場合はサボり癖という精神疾患の根元になるものがあるので質が悪い。投薬も5年以上続いているし、休養も自分でもうイヤだと思うほど取った。でも治らない。ある程度回復したと思い就職活動して仕事を始めるが長続きしない。そしてクビになってまた精神的にダウナーになり休養が必要になる。こんなのを何度も何度も繰り返した。真面目に職歴書いたら30近くになるんじゃないだろうか。20代もそんなのに翻弄され暗黒の時代、黒歴史になった。気がつけば三十路である。もう後はない。
少しづつ焦りだしてきた私はふと考えた。何故こんな風になってしまったのだろう、と。
私のサボり癖の根元を語るには幼少の頃からの話をしなければならない。
私がまだ幼稚園にも入る前の事だ。当時の私は英語に非常に興味を持っていた。よく買い物に出かけた横浜駅のジョイナス地下駐車場は英語でブロック分けされていて、それを見て初めてアルファベットという物に触れた。何故か判らないけどアルファベットが非常に気に入ってしまい英語という物に少しづつはまるようになった。
ある日TVで英語教室のCMをやっているのを見て母に「これかよいたいー」とせがんだことがある。母はその申し出に協力的で父に頼んでみる、と言ってくれた。それを聞いてワクワクしていたのを覚えている。
しかし父は「まだ習い事するなんて早い!」と、私の幼い願いを一蹴した。英才教育なんて言葉があった時代か判らない。グローバル化のグの字もまだ無い時代だったし英語の将来性を見いだせなかったのかもしれない。ともかく私の願いは絶たれてしまった。
そのことについて父を恨むつもりはない。でもちょっと根に持っている。だってもしその時英語教室に通っていたら私の人生は大きく変わっていただろうと思う。飽きっぽいけどのめり込む時はとことんのめり込む私のことだ、通訳とか外資系でエリート・・・なんて言わないけど少なくても英語には不自由しない人生を送れたかもしれない。
ある春の日のこと、私は父に呼び出された。そして「出かけるぞ」みたいな事を言われ、半ば強引に車の乗せられて駅前のダイエーに連れて行かれた。何が起こるのか全く判らない私、何も言わず私の手を引っ張る父。?マークを頭に3つくらいグルグル回しながら連れられて行き着いた先スイミングスクールの上の階の階段を下りた先の小さな部屋だった。父は「ほら行け」と言わんばかりに私をその部屋に置いてどこかへ行ってしまった。
何ここ何が起きるの?
幼いながらも恐怖した。
部屋には私と同い年くらいの子供が数人いた。大人も何人かいて、何か冊子のような物をを配っていた。私の順番がきて冊子を渡される。そこでようやく理解した。冊子の中身は全て英語だった。
父がどう心変わりしたのか判らないけれど、私は数年越しに英語教室に通うことができたのだった。
しかし、だ。
それは遅すぎた。
小学校3年の私はもうすでに英語に対する興味を失っていた。正直、いまさら?だった。
それから4年間英語教室に通った。楽しいこともあったし、友人もできたけど根底にあったのは「苦痛」だった。
その苦痛が形としてでることがあった。それは「逃避」。有り体に言うとサボリだ。一人で自転車でダイエーに行くのでサボることがバレることは基本的に無かった。何度か買い物に来た母親にサボってコロコロ読んでるところを目撃されて大目玉を喰らったことがあるがそれでもサボる事は止まらなかった。年数が経てば経つほどサボリはエスカレートしていき週一回の教室に月3回サボるなんて酷い事態になることも多々あった。何が厭だったのかは今となっては思い出せないがサボりたくなるくらい苦痛だったのは覚えている。
初めの頃は問題もスラスラ解けて楽しかったのだけど、ランクが上がって難しくなってくると少しずつ「苦痛」になってきた。苦痛になると私は逃避を始める。サボリ始めたのだ。きっかけは些細だった。友人が「今日サボんね?」と言ってたのだ。それに乗ってしまって後はそのままズルズルと・・・。これも週二回の教室で月数回しか通わない程になり公文の講師のおばちゃんに「ちゃんと毎回来なさい!」と毎回言われたものだった。
それから中学に入って少しして英語教室は辞めた。学校でも英語の授業が始まったしこれ以上受ける意義を当時の私は見いだせなかったのだ。
公文はサボリながらも中学卒業まで続けた。高校受験の時はさすがに真面目に公文で勉強した。でもそれは友人が周囲にいっぱい居たからであって、私一人だけだったらどうなっていたかは判らない。
一番の志望校じゃなかったけど目標にしていた地元の公立高校に入学した。
高校時代は楽しかった。今までの人生で一番楽しかった。友人もたくさん居たし、心から楽しいと思える授業もいくつかあった。そのせいもあって驚くことに三ヶ年皆勤で卒業式の時に表彰されメダルを貰った。
なんというか極端だな・・・と。
しかし、その影にも私の逃避、サボリ癖はあった。
高校では三年間図書委員だった。特に理由はなかったけれど図書委員になっていた。
図書委員の活動は図書室の貸出係の業務と月一回の委員会活動があった。貸出係は昼休みと放課後に当番であったのだけどこれに私は全くでなかった。当番は殆ど放課後だったのだけど、早く帰ってゲームしたい盛りだった私はとにかくサボってサボりまくった。たぶん3年間で10回出てないんじゃないかと思う。委員会は強制参加なので仕方なく出たのだがその時よく「貸出係をサボる輩が居ます。ちゃんと出ましょう!」とほぼ名指しで委員長に言われることがあった。挙げ句には「てめぇいい加減にしやがれ!!」とキレられたこともある。それでもゲームがしたい、寝たいばかりにさっさと自転車で家に帰る自分が居た。救いようがない。
この頃まではサボっていても何とか回っていた。学力はそこそこあったしテストでも苦手科目の数学以外はそれなりの点数を取っていた。
しかし、だ。努力する者としない者。その差をまざまざと見せつけられることになると当時の私は知らなかった。
高校二年の冬のこと。そろそろ大学受験も視野に入れなければならなくなってきた。周囲でも予備校に入学して対策を講じる者が増えてきた。
私も「予備校かー、どうしようかなー」と脳天気なりにも意識し始めていた。ある日、図書室の前にあった予備校案内のチラシを見て何枚か持ち帰り検討し、その中から一行選んで入校することにした。両親は特に何も言わずに入校を許可し私は予備校に通うことになった。
地域ではマイナーな予備校だったが友人もいることが判り喜び勇んで予備校行く・・・はずだった。
予備校は私が想像していた以上に過酷なモノだった。英語は毎回英単語テストがあったし数学は高校よりもずっと高度だった。正直ついていけなかった。ついていけない結果はテストでダイレクトにアウトプットされる。志望校合格ランクDとかEとか当たり前だった。
今までどうにかなっていたモノがどうにかいかなくなってしまった。劣等生。そんなレッテルを貼られた気がした。
高校3年になって予備校に行かなくなった。辞めたわけでなくサボるようになった。劣等生な自分を認めるのが厭だった。劣等生であるという事実を突きつける予備校に近づきたくなかった。英語の授業は友人が来いとうるさかったので月に数回出た。数学は全くついていける気がしなかったのでチューターの人に怒られるまで殆ど出なかった。高3から受講し始めた化学は授業がすごく面白かったし得意科目で余裕でついていけたのでこれだけは出席率が高かった。それでも7割ってところだけど・・・。
がんばった者とがんばらなかった者
逃げなかった者と逃げた者
大学受験--
無論私はボロボロだった。無惨だった。
センター試験で自己採点。数学は2点だった。得意の化学でも5割いかなかった。
死を覚悟した。
一般入試が始まった。
私は高校担任教師の薦めで無名のFラン大学の化学科を受けた。目標にしていた大学は「絶対に無理だからやめろ」と言われた。返す言葉もなかったので大人しく言われた大学を受験した。
結果。補欠合格。
はは、引っかかちゃった。
当時の私は安堵した。浪人生活をしないで済んだから。浪人は落第者で敗北者だと思っていた私は本当に喜んだ。
でも、気がつかなかった。おまえは運が良かっただけだ。
だって・・・「努力したのかい?」
大学生活が始まった。中学からずっと同じの友人が一緒の学校だったので初めはよく一緒に登校した。学科は違ったので登校と昼休みくらいしか一緒ではなかったけど知る人が居ない学内ではとても安心できるものだった。
大学1年の授業は楽しかった。特に有機化学と分析化学が好きだった。2年から生物化学の授業があってそれを目標にしていきたいと思った。
しかし、異変は訪れる。とある教科を落としてしまった。有機化学の概論。難しい授業だったけど好きな授業だった。ただ落としただけなら来年取り直せばいいだけなのだが、この授業はとても大きな、そして致命的なものがあった。
偏屈で有名だった生物化学の教授が設けたハードル。私はものの見事にそれに引っかかってしまったのだ。
何かが壊れた。
大学2年。目標の生物化学を受講できず腐った。さらに悪いことにほかの授業が難しくなった。特に物理化学は私が苦手だった物理の概念が入って手に負えなくなってきた。
苦痛になると訪れる甘い囁き
「逃げちまえよ」
それにあがらえる訳がなかった。
初めは大学内の図書館で本を読むだけだった。それから街のゲームセンターになって・・・兎に角大学に近づかなくなった。金だけは親から必要額貰っていたので不自由はしなかった。適当に旅に出て時間つぶして家に帰るとかざらだった。
その差は歴然と表れる。
いままでどうにかなっていたものがどうにかならなくなった。
背中に火を付けられたような感じがした。
兎に角焦った。
焦って勉強をする。でもついていけなかった。下の学年の授業を受けることも多々あった。誰あいつ落とした上級生?だせぇ。そんな声が聞こえてきた気がした
「ニゲチャイナヨ」
でも逃げると今度は留年だ。
逃げちゃダメだ
逃げちゃダメだ
逃げちゃダメだ
14歳の少年は逃げずに立ち向かうことを選択したのに20歳のアホは逃げることを選んでしまった。
不安焦燥感、誰かに笑われてる感覚、必要以上に自分を責める。木の棚にカッターで何度も切りつけて酷い跡が残ったこともあって母親にそれを見られて酷く心配されたことがあった。
ロクな精神状態じゃないときにロクな思考はできない。
真っ暗な夜道の中をひたすら逃げているような状態だった。
次の年の春。私は留年した。
その日私は父親に叱責された。この後どうするんだ、と
ロクな精神状態じゃなかったので思考は回らず兎に角逃げることしか考えられなかった。
がんばるから、がんばるから
この時はそれで何とかなった。
留年生活のことは正直覚えてない。思いだそうとしても頭がアクセス拒否をする。
唯一判るのは焦ってどうにもならなかったこと。そして逃げ回っていたこと。
翌年、再び私は留年した。
二度目の父との対話。
今度はなかった。
そして社会に放り出された私は働かなければならなかった。当時は引きこもりもニートという言葉もなかった。父親には働けと強く言われたので働くしかなかった。
ハローワークにあししげく通って何度も何度も追い返されてとある会社の研究所に拾われた。
そこは農薬を作っている会社の研究所で初めはそこの農場のアルバイトと言うことで面接を受けた。
でも、せっかく化学のバックグラウンドがあるんだしということで話が少しぐらついた。
とっさだった。とっさに私はこう言った。
何でこう言ったのか今では判らない。
しかしそれは項をそうした。「じゃあそういうことなら勉強する意味も込めて」と研究所の助手で採用してくれることになった。
運が良かった。
研究所での仕事は本当に楽しかった。学校で習いきれなかった事も学べた。とにかくがんばったので会社も評価してくれた。
「今はアルバイトだけどがんばったら正社員にもするよ」なんて総務の部長さんが冗談めいて言ってくれた。
本気にしてがんばろうと思った。
でも、なんでなんだろうね。上手く行かないときはとことんうまくいかない。
入社して少し、変な奴が研究所にいると言うのを知った。
「同じ位の歳だし仲良くしたら?」と言われてそいつに会いに行った。
すんげぇイヤな奴だった。
京大大学院卒というのをさりげなくアピールしてFラン中退の私を見下してくる。
正直あんまり関わりたくなかった。
なんでだろうって。
殆ど歳同じなのにあのいけ好かない奴は京大大学院卒で正社員、私はFラン中退でバイト。この差はなに?
それがずっとこびりついて離れなかった。
それはそいつと顔合わせなくても研究所内に居るだけで考えてしまう。
「苦痛」だった。
とにかくとにかく苦痛だった。
また別の日、通勤のバスに乗っていると不思議なことが起こった。
降りるべき停留所に近づくにつれて妙に息苦しくなるのだ。そして頭が真っ白になって「ニゲロニゲロ」って告げてくる。
そして降りるべき停留所が来た。
降りられなかった。
こんなことは初めてだった。なにが起きたか判らなかった。
その日は慌てて次のバス停で折り返して事なきを得た。
それから数日同じ事が何度も何度も続いた。症状はエスカレートする。降りるバス停が延びていき遅刻が酷くなる。それを上司に注意されたら今度は体調不良で休むととっさに電話で言うようになってしまった。
さらに数日して何とか出勤できた日、所属部長に呼び出された。
怒っているわけでなく本当に心配しているようだった。なので症状を正直に話すと
「無理はしないようにしてほしいけど、勤怠が悪いと正直こっちも困る」
と言われた。
その日早退し精神科を探した。
小さなクリニックで老医師がこう言った。
「そりゃウツだ」
そう診断され一日三日分のホリゾンを貰った。
ホリゾンを飲んだけど少しぼんやりしただけであまり変わらなかった。
それからも朝の戦いは続いた。負け戦ばかり。
「大切な話があるから明日は必ず来るように」
と
翌日。何とか私は出社した。
そのまま会議室に連れて行かれた。
そこには研究所の所長と所属部長が居て3対1の面談が始まった。
「単刀直入に言う。辞めてくれないかな?」
総務部長がそう言った。
あぁ、クビか。
後は事務的に話は進みその日のうちに私は解雇された。
どこも悪いところではなかったけれど、必ず不思議なことが起きた。
朝起きて家を出ることはできるけど電車やバスで最寄り駅に近づくと呼吸が荒くなって怖くなる。頭は囁く「ニゲロニゲロ」と
そんな状況に陥り全く出社ができなくなってしまったのだ。
最長で半年、最短で一日。これはクビになるまでの日数。
職歴は正確に書くと30は行くんじゃないかと思う。
ここ1・2年はさらに酷くなり、部屋から出られなくなってしまった。
朝起きてその時点で恐怖発作と「ニゲロニゲロ」という囁きが頭を支配する。
精神科にはもう6年かかっている。
はじめはホリゾンだけだったけど今は抗鬱剤3種類と抗不安薬、睡眠薬まで貰って飲んでいる。
挙げ句には自立支援の申請をして精神障害者手帳まで交付された。
ふと思った。何でこうなってしまったんだろう、と
最近また会社をクビになったので少し考える時間ができた。で、考えを整理するためにこれを書いている。
結論を言うと私のこの病気の根元は「サボり」だと思っている。
「苦痛」からの「退避」。小学校の頃の英語教室からずっと続いているこの癖。これが原因じゃないかと考えている。
おそらくこれは正しい。
正しいことは判ったが対策がわからない。
生来のサボり魔たる私はどうしたら正常の社会的な生活を送れるのだろうか?
そもそも私の病気は何だ?
精神科で投薬治療は受けているがこれだけでは改善にいたっていない。というかここ最近悪化しているとすら思う。直近でクビになった会社では不安の恐怖、あと鬱的思考から自殺をほのめかすメールを送ってしまい大騒ぎになった。
年々悪化しているこの「現象」
いったいこれは何なんだ?
どうしたら治るんだ?
どうしたら社会的な生活を送れるんだ?
だれか、教えてほしい
進学で田舎に一人で越してきて
生活も荒れてきて、煙草の本数が激増して
あんまり大学も行ってなくて、寝てばっかりで
こんなの見つけてやってみたりして
http://yokohama-shinri.com/check/stress.htm
こんな結果で
【要注意】
言われなくても自分でかなりストレスの自覚を持っている状態です。これだけの自覚症状があるということは、心的エネルギーがかなり枯渇している証拠です。身体的にもかなりのダメージを受けているようですので、専門家に相談して見てはいかがでしょう。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」です。
うーむ。
明確なストレス要因ってのは田舎にいることなんだけど、取り除きようがないから病院とか行くのもはばかられる。
けど生活も学業も駄目になってくばっかりでどうして良いか解らない。
うつ?統失?適応障害?色々考えたけど、結局解らないし会社もこっちに投げっぱなし。
というかなんでバイトの自分が社員の病気をサポートしなくちゃならないんだとか
不満に思うこともあるけど、会社としては
復帰したい人を復帰させないのは労働組合が~とかあるらしい。
結局はいつかは復帰してくるのだ。
高い金もらってるんだ、後はヨロシクー!という訳ではないけど
嫌われてる私があれこれ指示だすよりはメンヘラにとって精神的に良いと思う。
2、余裕をもつ。
余裕がないとイライラしやすい→メンヘラに伝わる→メンヘラの体調悪化→「増田さんがぐちぐちぐち~」
→余計イライラする
3、何かされたら周りに愚痴れ。
ただし、「本人を憎んで病を憎まず」のスタンスで。「病気」に過剰反応する人は多い。
「増田さんはメンヘラさんの事も受け入れてくれるのね★優しい人、あとはヨロシクー」になるだけ。
ミクシーやツイッターやブログで愚痴るのは、いつ家族の地雷を踏むか解らないのでやめとく。
5、メンヘラがよく使う「精神病は誰にだってなる可能性がある」を心に留めておく
つまり、被害を受けるコチラも精神病になると言う事。
辛いと思ったら逃げる。とにかく逃げろ。彼女の人生を私が背負う事は無い。病気は医者に任せろ
6、早く別の仕事先探せ。
もうメンヘラにかかわるのは嫌だお…
結論→あたらず触らず関わり持たず
病気だから仕方ないと思いつつ、私が病気を背負う必要は微塵も無い。
このスタンスで行こうと思う。
他に何かアドバイスあったら教えてくださいな。
http://anond.hatelabo.jp/20100211212641
ここで退職になった元高卒職歴半年31歳実家追い出され男です。
退職してから約一ヶ月半くらいですが、何とか次の仕事が決まりました。4月1日から勤務です。フルタイムの仕事で保険の加入もありますが、残念ながら正規雇用ではありません。収入については前職と同じくらい(25万くらい?)だと思います。
適応障害や自律神経失調症の治療に専念しようかとも思ったのですが、実家の親はそういった精神的疾患にまったく理解がない上、裸一貫で放り出され、更に賃貸なので出費ばかりが嵩むため、まず働くことを優先しました。事実、財政状況はかなりやばい状態で、親に内緒で借金もしました。それを返すことも念頭に入れての就職活動だったので、俺のような超低スペックでも、正規雇用より採用の確率が高い非正規雇用で賃金の高いものを選びました。
ただ、問題としては、通勤時間があまりに長いということです。片道2時間くらいかかります。都会のほうだとこれくらいの時間を通勤されている方が多いと思いますが、非正規雇用なので通勤手当が出ず、毎月電車の定期で3万くらい自腹です。この点は酷く痛いのですが、反面俺の住む地域にはこれだけ稼げる職場もなく、通勤で3万自腹切ったとしても、手取りは地元の正社員よりも多いと思われます。ちなみに、地元の正社員は月給16~18万くらいで社会保険加入ですが、昇給や賞与もなかったりとかなり不安定です。もちろん、正社員であっても即クビという厳しい環境です。
この大不況の中、俺のような超低スペックで仕事が決まったのは奇跡としか言いようがありません。普通免許だけで資格も一切ないですし。実際、この会社に決まるまで6社くらい不採用になっています。この採用ははっきり言って縁だと思うので、片道2時間でもいいから頑張って通勤してみようと思います。
横ですが。
今回の日本の不況、衰退、デフレ何でも良いんですが、その原因には、少子高齢化や(冷戦構造崩壊によるグローバル化を起源を発する)戦後民主主義の賞味期限、デジタルネットワーク革命など、いろいろな要因が絡んでいると思うですよ。要するに変化が激しすぎて、適応が追いついていない、という面が多いと思います。旧来の安定したインフラやシステムが逆に既得権益としての壁になってしまっているような気がします。だから既得権益批判をやるという話ではなくて、今は産みの苦しみの時代だと思っています。今必要なのは時間であり、ある期間を乗り越えたら、急激に日本はまた復活すると思います。というか、内田先生の日本辺境論ではないですけど、日本の環境適応能力や吸収力、学びの力は異常だと思います。フランスの留学生(でしたっけ?)のブログで話題になっていましたが、日本の風景の変化速度は異常です。でも、それでも追いついていないのが現状だと思います。適応のために時間が必要なのだと思います。なんとなく思っているのは、アナログ世代が退場した後、デジタル世代が主導権を握る時代になれば、マスコミが主導する世論形成システムも自動的に崩壊し、社会の意志決定のシステムも大きく変わるでしょう(もうその兆候は見られています)し、人口が少なくなっても、デジタル世代はITによってうまく生産性を向上させると思います(現在は主導権を握っているアナログ世代が適応障害を起こしているので、どうにもならない訳ですが)し、アナログ世代のリーダーがストップをかけていた製品企画にも足かせの取れたデジタル世代のリーダーが出てくれば面白い製品にゴー!をかけるのではないでしょうか?その根拠として、YouTubeを見ていて思うCGMによって作成された日本製娯楽コンテンツの異常なレベルの高さです。日本人のクリエイティブ性は”今でも”凄いと思います。これほど、職人がいる国はないのではないでしょうか。また、経済を歴史から見ると、経済の中心地(オランダ→イギリス→アメリカみたいな流れ)があって、その中心地が世界経済全体のエンジンになっていたという考え方があるそうです。しかしながら、グローバル化し、デジタルネットワーク革命が起こった現在に、中心地は存在しないのではないでしょうか?インターネットの構造と同じように、情報的・経済的ハブとなる地域はあるが、中心地のない時代になっているのではないでしょうか?つまり、全世界の「辺境化」です。そして、辺境の地としての日本の歴史には一日の長があります。日本が有利なんです。だから、職人は本能のままに「一千万人の職人の創作活動で世界を萌やし尽くしてやる」と突っ走ればいいのではないでしょうか。と、たまには明るい未来を語ってみました。
追記:
増田で議論する気はないけど、たまには反応するかな。
http://anond.hatelabo.jp/20100226173402
もうちょっと論点を整理して語れないもんか? 要するに「きっとなんとかなる!大丈夫!」の一言でまとめられる気がするけど。
論拠なしでも「きっとなんとかなる!大丈夫!」でおk?神様にお祈りでもするか。
http://anond.hatelabo.jp/20100226173632
さかなをたべよう!
あたまあたまあたま~あたまがよくなる~
http://anond.hatelabo.jp/20100226180143
更に横増田です。
たぶんこの辺の認識が元とは違うと思います。
元が問題だと思っているのは景気サイクルの波ではなく、国の規模が衰退傾向にあるということに目を背けていることが問題なのでは?
>要するに変化が激しすぎて、適応が追いついていない、という面が多いと思います。
>旧来の安定したインフラやシステムが逆に既得権益としての壁になってしまっているような気がします。
既得権益が新興国の低賃金に関与しますでしょうか?この国は豊かになってしまい簡易な労働でも非常に大きなコストがかかってしまうという事を認識すべきなのでは?
>必要なのは時間であり、ある期間を乗り越えたら、急激に日本はまた復活すると思います。
時間が経つと何が変わり、何が復活するんでしょうか?
>デジタル世代が主導権を握る時代になれば、マスコミが主導する世論形成システムも自動的に崩壊し、
マスコミがこの国の政策の策定及び執行にどの程度影響を及ぼしますか?
>人口が少なくなっても、デジタル世代はITによってうまく生産性を向上させると思います
その他、コンテンツの質の高さ等がありますが、そのコンテンツが将来どのぐらいの価値を生み出すでしょうか?
>経済の中心地(オランダ→イギリス→アメリカみたいな流れ)があって、その中心地が世界経済全体のエンジンになっていたという考え方があるそうです。
>しかしながら、グローバル化し、デジタルネットワーク革命が起こった現在に、中心地は存在しないのではないでしょうか?
各国に分散していく事に対してこの国が寄与できる部分はありますか?
疑問ばかり。心配ばかり。部屋の中でガタガタ震えてお祈りしてれば?
「あんたのやりかたはダメだ。これこれこういう理由で(あるいは俺にはそのやり方は理解できんからなんとも言えないけど、とか)。それよりもこっちの方がうまくいく確率が高い」という意見が建設的な意見というものでしょう?「絶望した!」と叫びたいだけなの?
http://anond.hatelabo.jp/20100116184138
ここで謹慎を受けていた、元高卒職歴なしだった31歳実家追い出され男です。
結局、退職になりました。
謹慎のあと奇跡的に職場復帰のチャンスを与えられ、ひとまず三月を目処にしっかり頑張ってください、とのことでしたが……できませんでした。やはり、あのクレームの際の恫喝が心に残っていたのと、常々感じていた自分自身の能力の無さ(入社後半年経つ社員にあるまじきミスが多いと、先輩から時々注意を受けていたこと)を自分で払拭できず、また社内のコミュニケーションにも支障を来し始め、居場所を失ってしまったように感じ、それらが心の重荷となって退職という結論に至ってしまいました。
「自分なりに努力をした」というのは、認められて初めて言えることであり、認められもしない人間が言ったところで、それは言い訳やいい加減な言葉として相手に受け取られるだけなことを、改めて理解しました。働いたことのない自分ですが、自分ができていないことに対しての言い訳が多かったのかもしれません。また、僕は相手の言葉を素直に受け取りすぎることから、軽口で言われたことも鵜呑みにしていたのかもしれません。もっとも、それらをかわす余裕もなかったのでしょうけれど。
業務において覚えることがあまりに多く、自分の中でパンクをしていたのかもしれません。ここ数ヶ月間、満足にお風呂で落ち着けることもなかったので、今日は久しぶりにお風呂で落ち着くことができましたが、職を失いさあどうするか…といったところです。実家へ帰ることになるかもしれません。
最大の心残りは、いろんな人の気持ちを裏切ってしまったことでした。職場や、関係する会社の人たちの気持ちや厚意を裏切る結果になったのが一番辛いです。この場を借りて謝ります。ごめんなさい。でも、いくら謝っても謝りきらないくらいに辛いです。
ネットで「適応障害」という言葉を調べました。ひょっとしたら、これに該当するんじゃないかな、という気もしています…。職場に適応しない…今までニートだったから、社会自体に適応しないのではないか…そんな気さえもしています。この仕事で、人間のエゴというか悪意のあるワガママを嫌というほど突きつけられましたし…。
仕事を探してやっていけるのか。この社会で生きていけるのか。温室育ちの世間知らずだった僕に、今回の出来事は色々と衝撃でした。人の温かみを知った裏で、人のエゴや悪意をダイレクトに受け付ける…人間の心の裏表に、僕はこれからついていけるかどうか心配です。
まずは増田でトラックバックをくれた皆さん、ありがとうございました。僕はとても情けない人間だけれども、また何かしらで生きていきたいと思います。そして、増田だけでなくリアルで今まで接してくれた皆さん、本当に…本当にありがとう。
仕事中に突然泣き出したり、無気力になって何も出来なくなったりしてしまうようになった。
しかも段々頻度が上がって悪化してる。
上司に相談すると、「気力が足りない」「自分でなんとかするしかない」
「自分で考えろ」「俺たちは十分お前に気を遣って優しく接している。」
との返答。確かに、症状が出る前よりは優しく、細かい所までは指摘しないようにしてくれたと思う。
でも、治らないんだよなあ。悪化するばかり。私は治ってきちんと仕事をしたいんだ。
自分で考えても分からなかったから、精神科に行ってみたら「適応障害」との診断を頂いた。
原因は仕事だから、仕事を軽くしてもらったら?とアドバイスを頂いた。
原因がやっと見つかった!と思って嬉しかった。それで、早速上司に相談した。
「今の一日11時間勤務を、給料を減らして勤務時間も減らせないか」
「有給休暇の消化という形で休みを月5日から増やせないか」と。
そしたら、「お前は甘い」「誰も有給なんてとらない」「皆辛いのに我慢している」
「お前が休んでいる間、俺たちを働かせるのか!周りに迷惑をかけるんだぞ」
といわれた。あと、
「どれだけ休んだら治るんだ?治るかどうか分からないだろ?変わらないかもしれないだろ?」だって。
・・・治るかもしれないじゃん。
しまいには、
「俺たちは(お前の指導に)最善を尽くした。俺たちは悪くない。お前の所為だ。こんなことで精神科になんて行かれても困る」
と保身にかかった。
なんていうか・・・いやまあ、いいんだけどさ。そういう考え方も在りだよね。うん。そう思ってるんだよね。
私が気を遣って「精神科に行きました。私が弱い所為です(要約)」って言ったときに
「そんなに悩んでいたのか。気付かなくてすまなかった。俺たちにも非はある」
って対応してれば丸くなってたんじゃないかなあ。というか、それを期待していたんだろうなあ私は。
で、今の勤務時間に耐えられないならやっぱり辞めなければいけないらしい。
そういう話になるだろうなーと思っていたけど、もしかしたら譲歩してくれるかも、と期待もしてた。
まだ入社3年経ってないから、あんまり辞めたくないなあ。
どうしても、社会に耐えられなかったヘタレみたいなイメージになりそうで。(実際そうだけど)
世の中ごね得みたいなので、まだ色々ごねようとは思う。
http://el.jibun.atmarkit.co.jp/hidemi/2009/11/post-9d2b.html
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20091118/1258499089
元記事の新人くんは適応障害で職場になじめず精神的に相当まいってる。
質問に来ないのは聞き方がわからないとかそういうことではなく、質問をするという行為自体が恐怖だから。
無能と思われるに違いない、嫌われるに違いないというような被害妄想に捕らわれてる。
半日かけて勇気を振り絞って質問に行ってるんだろう。
ほっとけば余計事態は悪くなるだろうという正常な思考もできず、パニック寸前で目の前の1分1秒を
やりすごすことしか考えられない結果がググってなんとか仕上げようとするという行為。
別に検索結果を上司より信用してるわけじゃなくて、それしか頼るものがない状態。
仕事のやり方を説いたところで、新人くんに残るのは叱責されたということのみで
ますますパニックになった結果が上司に隠れて検索をするという行動。
困ってますという表情が精一杯の意思表示。何で新人の御用伺いをしなくちゃいけないんだというのは
まっとうな言い分なんだけど、突き放して改善を待ってたら恐らくその前に完全に精神を病んでしまう。
そこまで面倒を見切れないよ、というなら話は早くてそれで終わりなんだけど
どうしてもそいつをモノにしないといけないというんであれば、仕事のやり方を100万遍説いたところで
意味はなくて、休憩時間にでも仕事と関係ないコミュニケーションをとって、個人的に話ができる関係を作るしかない。
恐怖心を持たずに話ができる相手になれば、仕事の質問もしにくるようになるだろう。
もう5年前の話だけど休職したことがある。
課長に昇進してから半年がたって自分なりに思うことがあったので書いてみる。
当時の俺はまだ若手だったが、運よく、部長、副部長にも気に入られていたため新しく課長に抜擢された先輩の右腕役を期待されて新組織に異動になった。もちろんうれしかったし、それに答えようと頑張った。やった仕事は過去最高の実績も残せた。でも、課長がいろいろ大変な人だった。普段はすごくいい人なんだけど、仕事になるとロジックの鬼というか、俺が出した企画書もひとつひとつロジックの矛盾を突き、なんでこの答えになってるの?という感じの人だったし、そもそも自分の中に確固たる答えがある人でそこにたどりつかない俺は徹底的にロジックで叱責されていた。「なんでできねーんだ馬鹿野郎!」と怒られるよりも、ひとつひとつ自分の間違いを指摘されてロジックの逃げ道を封鎖されていく説教は、「わたしはなにもわかっていない大馬鹿野郎です」と植えつけられるようだった。
そうしているうちにあることに気がついた。
最近抜け毛が異常に多い。枕、フローリングの床、髪を洗っているとき、髪を乾かしているとき、明らかに抜け毛が多い。でも季節の変わり目だから、なんて言い聞かせて床屋に行ったとき、床屋の兄ちゃんに「お客さん、円形できてますよ」と指摘された。あわてて家に帰って彼女に見てもらったら間違いなく円形だった。1円玉ぐらいの大きさ。そして髪を切ってやはり毛髪全体が薄くなっているのもわかった。また同時期に常に胃が重く、変な満腹感がずっと続き飯もそんなに食えなくなってきた。
原因は明らかで、もうそれしかねーだろ、という感じだったが、大学のときに実家を飛び出して、就職で東京にやってきた俺には逃げる場所もなくどうしようかとモンモンとしていた。そんな日が半年も続いたころだろうか、再びうちの課が過去最高の実績を叩きだした。祝勝会で一番の功労者として課長からも労われたのだが、それって課長が俺の当初の企画をコテンパンに叩いて直したもの。そこでなんだか心が折れてしまった。結局課長のアイディアがスゴイだけで、担当者は課長の叱責に耐えられる人ならだれでもいいんじゃねーのか、なんて思うようになり、会社を休みたくして仕方がなかった。行きたくなかった。
そして俺は心療内科へ向かった。何を求めたか自分でもわからないが気分が楽になればいいなと思って行った感じだ。
医者に、仕事のストレス、抜け毛、胃の重さを伝え簡単な質問に答えた結果、「軽度の鬱なのかもね」ぐらいの緩い診断が出た。どれぐらい緩いかと言えば、『仕事は休まなくていい』レベル。それを聞いて気がついた。「もうちょっと重ければ合法的に会社を休める。」という事実に。
2回目の受診時には、ひたすら「症状は良くならない」ということを伝えた。薬も飲まなかったくせに。
結果、適応障害という診断をいただき、課長と人事にそれを報告したところ晴れて報告して3日後には休職となった。薬を飲むこともなく、質問には正確に答えない状態という仮病でしかなかったがそれでもまったく罪悪感はなかった。後の企画担当者には申し訳なかったが。
有給休暇もたっぷり残っていたこともあり、休職期間中は自由に生活してた。彼女のために夕飯は作りつつ、あとは自由に旅行に行ったりジムに行ったり。大学生の時以来の休みを有意義に使っていた。休み始めて一か月もすれば、抜け毛は収まり、胃の重さもなくなり毎日が楽しかった。なんとなく鬱の薬にいい印象を持っていなかったので薬は一回も飲まなかったにも関わらずだ。
それでも病院の定期診断では「まだ胃が重い」みたいなことを言い結局薬は一回も飲むことなく3か月で職場復帰した。
復帰してすぐに4月を迎え俺は異動してまったく違う部署になった。休んでから、結局自分を守れるのは自分だけという精神状況になったので好きなように仕事をしてたし、新しい課長はそれを認めてくれていた。仕事は楽しくなり結果としてその課で出世することができた。
そして、課長一年目の今年。部下には丁寧に、丁寧に教育と指示をしながら半年がたった。幸い誰も休職していない。
そこで思うのは、すべてはあの時休職したから今の俺がいるということ。仮病だったけど。
偽鬱ってもちろん問題があるけど、俺はあのまま休まなかったら本当の鬱になっていただろうし、そうなっていたらもっと面倒なことになっていたと思う。だから、偽鬱ってウソも方便としてなんかもうちょっとどうにかしてやれる名前にしてあげられないだろうか、と思った。
たった一年の業務(言い訳させてもらうとそれなりに激務でした)で休職そして半ニート化。
一向に改善する見込みがない。
というか改善しようとする意思がないようにも思える。
もとから哲学的思考をよくするほうで、この休職中は部屋に篭りきって思考の海に身を委ねることが多いのだが…
以下、つらつらと考えてきたことを示す。
・生きがいがなくなった。俺はどうすればいい?
・仕事に戻ってそのまま何年も働いて、何が残るの?
・というかそろそろ生きることを放棄してもいいんじゃないか?
・これから何十年自分はどのように生きる続けるのか?否、数十年もいらない。
・やりたいことがあるが時間と金がかかる。仕事を続けたほうがベストなのは分かっているんだが…
・そもそもそのやりたいことも本当にやりたいことなのか…そしてそれで生きていけるほど稼げるのか?
・ことごとく友人が傍にいないのが寂しい。こんなことなら実家周辺から出なければ良かった。
・こうなってしまった原因がありすぎて対処の仕様がない。(br)
etc…
もうね、生きるのってこんなに難しいものだなんて知らなかった。
出来ることならば早急に苦しまずに逝きたいと願ってます。
ところでここってこういう愚痴めいたものを書き込んでもいいのかねぇ?
まぁ書いたところで気持ちは晴れず、きっと明日も死にたいと呟き世界に呪詛を吐き続ける作業に戻るだけなんですけどね。
お目汚し、大変失礼しました。
もしかしてメンタル系で病気にかかっていませんか?もしフィジカルな病気ならどうぞスルーしてください。
私は去年の九月に新卒から四年勤めた会社を辞めました。原因は、人間関係のもつれから私が適応障害にかかったことです。六月ごろから様子はおかしかったのですが、繁忙期の夏前に辞めるわけにはいかない!と思って九月末で辞めました。仕事を辞めた直後は、とにかく無職なのが不安で不安で手当たり次第に求人に応募しては落ちていました。落ちたことでまた自分が否定されたと思って鬱になるという悪循環にはまっていました。今思うと、様子がおかしかったときの判断はかなりの確立で間違ってたと思います。本来ならばおかしくなった六月に手を打てばひどくなることも無かったでしょうし、会社には休職を打診されたのに「ここから逃げなくては!」という思いだけで「とにかく辞めさせてください」って言ってしまった。まず休職してから、それから辞めるという選択肢もあったのに。職探しもなにかに取り付かれたようにしていたので、面談で上手く答えていなかったと思います。結論は、周囲がおかしいといっているときは、確かに私はおかしくなっている。だから休む。そうしたら回復する。
今は英語とセールスマーケティングの勉強をしに海外に留学しています。環境がすっかり変わったせいか、薬が無くても安定した精神状態に戻ったと思います。今なら自分に足りないところも、逆に無視していい周囲の声も判断することができます。この先私もまた仕事を探さなきゃいけないけど、でも何とかなるんじゃないかと思っています。甘いかな。でもそれだけの努力を、この休み時間にしているつもり。
少しでも参考になれば幸いです。
俺も俺も。
俺は一度適応障害が出たので、適応障害には敏感になってしまった。元々欝になる素質はあるが、理性で欝にならないよう自分の行動をコントロールしているが、適応障害じゃどうしようもない。
世の中には40度以上の熱があっても電車で2時間のみかかの研究所に行かされたり、72時間耐久デバッグを3人で回させたり(2人いないとデバッグ不可能なテストなのに!)、「お前の会社には金払ってるんだからお前の体調なんか知った事じゃない、働け!じゃなきゃお前の会社から金返してもらうぞ」と強制的に働かせる職場があるのだ。ブラックどころか名の通った一流企業でさえそうだ。
横ですみません。
私は去年の秋に職場の人間関係でかなりダメな感じになってしまって、
適応障害って診断されて、薬のんで、仕事やめて、でも今は元気です。
あの時、お風呂に入れなくなったことと身なりに気を使えなくなったことを思い出しました。
典型症状だったんですね・・・知らなかった。お風呂もおしゃれも大好きなのに、不思議でした。
サービス業だったので、お風呂と清潔感はとりわけ重要で、毎日死ぬ気でお風呂に入ってました。
あのときの辛さ、不思議でなりません。面倒くさいとかじゃないんだよね。
なんであんなにお風呂入りたくなかったんだろう・・・。