はてなキーワード: 週休2日とは
東北関東大震災により、東京電力管内の電力需要が逼迫し早急な節電が求められています。
これから電力需要が増える夏に向けてさらなる節電が求められるのは当然のことですが、
この機に乗じてサマータイムを推進しよう!という人々が盛り上がっています。
蓮舫氏、サマータイム導入検討…電力不足に備え : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
いやいやいや、サマータイムでピーク電力は削減出来ないじゃないですか?ピークがズレるだけですよね?
また、明るいうちの活動が増える訳ですからエアコンの使用が増えることが考えられますよね?
時差通勤を行いたい、というのであれば時計をずらすのではなく始業時間をずらせば良いのです。
仮にサマータイムが実施されたら、日本中のコンピューターシステムがみずほ銀行の比ではない混乱に陥ると思われます…
ピーク電力を削減するために、意味のないサマータイム導入を止め,週休2日の曜日を分散させることなどの政策が必要になるでしょう。
2008年夏の電力需要明細,土日に大きく電力需要が減っている
思考実験 その2
年収で生活を図ると 都心部 農村部における地価の差・生活費の差が考慮できないので 人月を持ち出してみる。
1/4人月 で 衣食
1/4人月 で 娯楽費
仮に 時給800円 1日6時間労働 週休2日と仮定する 1人月は28日と仮定して20労働日 120時間 だから9万6千円
1/4が2万4千円 家賃が2.4万円 水道光熱費食費で 4万8千円 で 家族4人が暮らせるか? という 命題に等しく
逆に言えば、この水準まで物価が落っこちれば無理ではないということも言える。(都心部では時給が1000円を超え農村部では下がるであろうから適当にずらすとして)
たとえば、2月を普通に土日休だと9日間(土日が8日、平日祝日が1日)休みになるけれども、
それを7日間休みと設定されて、平日祝日は出勤、土曜日1日を有給扱いにされているということでおk?
労基法では、週1日休みがあればよくて、勤務時間が規定を超える場合は割増賃金を払えばいい。
上の例だと、2月は4週間だから4日休みがあればよくて、7日なら楽々クリア。
平日祝日が勤務なのもおかしくない。
完全週休2日制をうたっていて、「完全」だから平日祝日は休みでないのとかはたまに聞く。
年次休暇の一斉付与方式という「一斉に休みにするための有給休暇付与」の形式もあるので、
詳しくは労基法でググってみて。
下請けで働いている俺。
元請の所長に言われたのが、「君元気がないよ、もっとみんなと話さなきゃ」だと。
殴ってやろうかと思ったぐらい腹が立った。
転職というか転社して一ヶ月弱。前任者の引継ぎをしろと言われて入社。
やったこともある業務だったが、前社とあまりにも違うため、不慣れながらも
なんとか、業務を一人でこなせるなるようにと必死になる。
業務中は、引継ぎで必死だ。面接で聞いていた以上に仕事もあり、精神的に
結構参った。週6勤務、祝日もつぶして(勿論その分残業代はでるが)、なんとか
週6で働いて、残業もして、祝日もつぶしたら、正直疲れなんて取れないんだよ。
お前みたいに完全週休2日で祝日も休み、残業もなければ、俺だって英気を養って
はつらつとできる。やっている仕事も嫌いじゃないから、元気だって出るよ。
目に見えているところだけが、このおっさん(所長)の全てなんだな。
下請けの部長の立場もあって、反論はしなかったけど、本当数してやろうかと思った。
元気がとりえってそんなに大事か?
そりゃ辛気くさい顔してれば、あれだけど、本当疲れているんだって。
こういう奴らの給料のために、自分たちが安い賃金でこき使われていると思うと
本当腹が立つ。老人って俺が思っている以上に性質が悪い気がしている。
男の体力と女の体力は比較にならないし生理開始~3日後くらいは苦痛で何も手につかない。
職場が遠ければ、朝の4時に起きて始発に乗って一時間半以上かけて職場に通ってるんだぞ。
男の家事?起きたら布団と脱いだ衣服は放置。洗濯物を畳んであげても、畳にほったらかしでタンスにも直さないというのが現実だ。
はっきり言っておくがお前の望むような都合のいい女はお前のような男には見向きもしない。
その彼女でも贅沢なくらいだ。
家事というのは一見簡単そうに見えるけど奥が深いんだぞ。
週5日で働いたら行き届かなくなる。
ついでに言っておくが週休2日の正社員(営業)で働いてた頃は、平日は疲れきっててレンジで調理できるギョーザとご飯あと牛乳が毎晩のメニューだった。
料理できる体力なんて残ってなくてパジャマに着替えたら即寝て朝シャワー浴びて朝はコンビニのパン。土曜は寝て日曜に一週間の洗濯と掃除してた。
1年は365日。大企業なので単純に週休2日、計算が面倒なのでGWや盆休み・年末年始の連休などは考慮外で計算すると年間の労働日数が「365 × 5/7 ≒ 260」で、260日となる。
そして御社で許容されている年間残業時間は360時間で、そこから算出される1日の平均許容残業時間は「360 ÷ 260 ≒ 1.38」なので時間にすると大体1時間20分ちょいになる。
毎日1時間以上残業してるみたいなんだけど管理者何やってるの?
仕事というのは本来決められた時間内にやるもので、平均化して1時間以上残業が出るのは管理者が無能な証拠。そこを突っ込まれたら課長も反論できないと思うんだけど・・・。
本来なら残業が発生する原因を調査して、業務ルーチンを変更するなり人員を増強するなりして対応しなきゃならない段階なんですが、何で残業時間を増やそうなんて脳みそお花畑な発想が出るんですか?
あ、サビ残だから気にしなくて良いのか。・・・って経営トップを犯罪者にして会社潰す気かい?
お話を聞く限り、御社の労働組合はきちんと仕事してるみたいですね。
ちなみに私もふつーに会社員してますが、年間残業時間は10時間切ってますよ?
御社ではきちんと仕事の切り分けができてますか?
その仕事は本当に自分がやらなきゃならないことですか? 他の暇そうな人に押し付けられませんか?
営業が割に合わない仕事取って来てないですか?
社会人になるまでまともに勉強したことなんかなかった。定期テストの前は人並みに頑張ったけど、受験勉強はまったく続かなくて、いわゆるFランの私大工学部に入った。大学でもバイトの毎日で勉強はほとんどせず、気付いたら卒業が近くなってて、就職は社員100名くらいの小さな建設メーカーに決まった。工学部を出ていたから設計に配属されたものの、設計の仕事は思った以上に難しく、よくミスをして怒られた。
ある日、高卒の先輩から「あいつはアホ大出身だから」と言われているのを聞いた。自分でも「俺アホ大ですから」とよく卑下していたが、他人から言われているのを聞いて妙に腹が立った。俺は、高卒の人間からも馬鹿にされたままでいいのか。
それから周りの社員を見たら皆死んだ目をして、口を開けば「給料が低い」と愚痴っていた。
こんな風になるのは嫌だ。アホだと呼ばれ続けるのも嫌だ。
その日の帰り、俺は計築関係の最高峰の資格、1級建築士の資格を取ることに決めた。会社では2級建築士の資格を持っている人は2人いたが、1級はいなかった。これならアホと呼ばれずにすむと思ったのだ。
本屋で参考書を買ったが全く分からなかったので、思い切って自腹で資格学校に通った。もともと頭が悪い上、働きながらだったので3年もかかったが、何とか合格することができた。小さな会社だったがブラック企業ではなくて、ちゃんと週休2日だったことも働きながら合格できた要因だと思う。
合格を会社に報告したら、設計室長はおろか社長まで喜んでくれて、お祝い金を頂いた。資格手当が付くようになって給料が少し増えた。設計の仕事も、勉強したことで理解が進み、以前のようなミスは少なくなった。また、設計関係でトラブルや疑問があると、まず俺にみんな相談に来るようになった。役員クラスの人でも俺に相談を持ってくるようになった。少しだけ、仕事が楽しいと思えるようになってきた。名刺には1級建築士という肩書が入り、以前より、学歴にコンプレックスを抱かなくなった。
今、俺の会社の玄関には一級建築事務所の看板が飾られ、管理建築士として俺の名前が掲げられている。
それで、俺が何でこんなことを書いたのかと言うと、昨日電車で「俺アホ大出身ですから」と話している若いサラリーマンを見かけたからだ。俺も昔そうだったから分かるが、Fラン人間が自分でアホと言うことほど情けないことはない。世間からはFランの人間より高卒の方がまだマシだと見られている傾向すらある。一生アホのレッテルを貼られて、自分を卑下して生きていくのもいいかもしれないが、それが嫌なら学歴差別を批判する前に、資格なり何なりを取る努力をした方がいいと思う。いくら学歴社会を批判しても、結局自分の劣等感は消えることはないのだから。
俺はたまたま建築関係の仕事で1級建築士という資格があったから目指しただけで、ITや文系の資格は、どういったものがあるのか俺はわからない。それに、Fラン出身者はブラック企業に入る奴が多くて、勉強する時間なんてとてもない友人も多い。そいつらの話を聞くたびに、俺は職場環境には恵まれていたんだと思う。
ただ、俺と同じ大学の文学部卒の友人も、小さな商社に就職した後、一発奮起して英検1級を取ったら周りの奴の見る目が変ったそうだ。俺と同じく3年かかったそうだが。何か自分の仕事とリンクしたものを見つけて欲しい。
俺自身、仕事で成功したと思い上がっているわけではないし、まだまだ建築の勉強は必要だ。だた、たった一つ試験に通っただけで、周りの目は変る。コンプレックスも多少はマシになる。
最低賃金は、所定内賃金の半額程度と見積もられている。所定内賃金とは、労働基準法で定められた標準雇用の範囲での雇用者全体の賃金の平均値である所定内給与を、週休2日の8時間労働として時間給換算したものである。したがって、未熟練者から熟練者までの賃金構造を維持したまま引き上げるとなると、全体的にスライドすることになる。現在の最低賃金(全国加重平均時間給)は703円なので、賃金総額を1.42倍にするか、労働時間を0.703倍するかのどちらかという事になる。
最低賃金を実情を無視して引き上げた場合、雇用が消失する場合と、雇用は変わらず物価が上昇するという場合が発生しうるのだが、どちらが発生するかは、その社会の事情によって変わる。物価が上昇しても吸収できる場合には、物価の上昇が選択される。その前提条件として、自給自足状態の人が多く、現金が必要なのは租税公課や燃料や医療費といった出費だけというような状況で、いわゆる売り手が強い商売しか存在しない状態である。逆に、雇用が消失するのは、物価の上昇を吸収できない場合に発生する。これは、給与生活者が多く、食料のような基本的物資まで貨幣経済に依存しているという状況の時に発生する。売り手は限られた需要の中で売り上げを確保しなければならず、価格競争が必要になることから、売り手が弱く買い手が強い状態の時には、物価に転嫁できないので雇用を減らして対応するようになると言える。
労働者の労働力も商品なので、買い手である企業が強く、法で高い最低賃金が規定されるのであれば、雇用を減らして省力化を進める事になるし、
売り手である労働者が強くて、企業という買い手が弱い状態では、買い手はもともと最低限の労働力しか買っていないので、物価の上昇によって吸収するしかないとなる。
合理化省力化が進んで、最低限の労働力しか買わない状態では、現状維持が精一杯となり、経済的な発展は無くなる。
地方の疲弊の原因は、人的資源の都会への流出であるが、これは地方に雇用の場が無い為であり、労働力の余裕が無いから現状維持が精一杯になり、都会との競争に負け、現状維持すら出来なくなるという事の繰り返しが発生した結果である。
最低賃金の実情を無視した引き上げは、疲弊している日本の企業活動、特に、中小企業にとって、とどめの一撃となるであろう。
雇用を増やす事も、賃金を引き上げる事も、条文を一本でっち上げれば実現するという問題ではない。むしろ、企業の活動を阻害し、現状維持が一番の得となる法制度を改廃して競争を活性化させることで、実現するべきである。
まじめに働いた人が生計を立てられないほど賃金が低いのは、労働力の需給バランスが狂っている為であり、教育や政治が間違っているという事である。
条文を一本でっち上げるだけで解決すると考えているような世間知らずが政治家ヅラしているという事を、選挙によって改めなければならない。
「企業」で働く人だけが社会人の全てじゃないって言ってるんでしょ。
あと、労働基準法では、「毎週1日の休日か、4週間を通じて4日以上の休日」は定められてるが
週休2日とは決まってません。
フルタイム(1日8時間)でそれだと週40超える、と言いたいのかも知れないが
1日の所定内を少なめにして時間外で処理することも出来るし
事業場の規模が10人未満の商業・映画演劇業・保健衛生業・接客娯楽業なら週44時間までOK。
7時間×6日は法的にもセーフということ。
増田は思いこみ激しい人多いよね。
ちなみにうちは週休2日じゃないけど、その分、年に1回リフレッシュ休暇という長期休暇とれますよ。
これでもブラックなんだろうか。
ゐきぺの「ゆとり教育」と「臨教審」の項はかなり都合良くはしょられてるな。「ゆとり世代」や「寺脇」の項とつじつまが合ってない。
何がはしょられてて、なぜそこまでその臨教審を重視するのかがよくわからん。常識的に考えれば特定の臨教審の意向を以降の政権もずっと従わなきゃいけないわけでもないはず。だからこそ見直しの動きも最近出してるわけで。なぜ今出てきてもっと前に出なかったんだろうか。
詰め込み教育への批判や週休2日論はそりゃあ昔からあるけど、臨教審が日教組の流れを汲むという解釈はあまりに無理がありすぎる。
自分はそういう解釈ではなくて、審議会とか文部省与党だけでなく日教組やらマスコミにもゆとり化の流れを支持する雰囲気、詰め込みに否定的な雰囲気があったから中曽根以降も自民が下野しようがずっとその流れが続いたんじゃないかと思う。臨教審が決定的な役割を果たしたとは思ってなくて、それまであった流れに乗ってただけだし、臨教審や日教組だけで流れを作れるはずもない。
現実の政策というのは基本的に妥協の産物でしょ。55年体制だって談合なれあいと批判されるほど野党の意向もある程度くんでたわけで。ただ妥協の産物とはいえ、相対的に見れば与党の責任が重いのは当然だけど。
90年代文科省と強調してるように日教組が聞き分け悪いとわけでもないと思う。日教組は聞き分けが悪いということにしないとネトウヨ的には都合が悪いから誇張されてるだけのきがする。
おっさんからゆとりといわれる10代が「お前らだってゆとりだ」という反論はたまに見かける。おっさん側の言い分としては完全実施時の世代のほうがゆとり度が高いということなんじゃないかと。
うぃきぺでぃあによると、
ゐきぺの「ゆとり教育」と「臨教審」の項はかなり都合良くはしょられてるな。「ゆとり世代」や「寺脇」の項とつじつまが合ってない。
詰め込み教育への批判や週休2日論はそりゃあ昔からあるけど、臨教審が日教組の流れを汲むという解釈はあまりに無理がありすぎる。
日教組の原案を下に文部省が中曽根の下で学習指導要領作成とかどんだけファンタジーなんだ。
逆に考えてそんな聞き分けのいい日教組ならゆとり以外の件でここまで問題起こしてないだろうに。
ゐきぺの年表は、臨教審まるっと省いてるせいで1989年の改正は一体どこで誰が議論した結果なんだってことになるし、多論あった1970年代から時系列吹っ飛ばしすぎ。
まー、マジレスすれば、単に昔から同じ「ゆとり」という単語を使っていたのを混同しているだけと思われ。マジボケなのか意図的な錯誤なのかは知らんがね。
全部が全部中曽根ってわけじゃないがゆとり教育のスタートが1985年の臨教審というのは教育問題語る上では一般的な認識と思われ。
うぃきぺでぃあによると、
1972年(昭和47年) 日本教職員組合が、「ゆとり教育」とともに、「学校5日制」を提起した(2007年7月1日放送TBS「報道特集」にて 槙枝元文元委員長発言)。
1977年(昭和52年)??1978年(昭和53年) 学習指導要領の全部改正 (1980年度〔昭和55年度〕から実施)
学習内容、授業時数の削減。
ってことだから1985がスタートとは言えなくてもっと前からあるものでは?一般的な認識だから正しいとか言ってたら嘘でもみんなが日教組のせいと思ったたらそれが正しいって事になっちゃう。
自社さ政権で社民が与党にいた間は日教組が与党に影響を及ぼす余地がある程度あったのは否定できないが、非自民政権1993から1994年、自社さ政権1994から1998年、週休2日制に移行し始めたのが臨教審を受けた1989年改正1992年開始、ゆとり要項が1999年改正2002年開始。
1996年でも中教審で「ゆとり」を重視の学習指導要領を導入されてるから社会党が政権にいた96年でもとまることなく、着々とゆとり化は進んでたんじゃないの?
未曾有の大失敗というのはどういう根拠なのか気になる。
小泉政権くらいの頃はまだ「ゆとりは日教組のせい」というような論は見かけなかったように思う。自民いつ頃からこんな恥知らずなことをほざくようになったのだろうか。
ただ70年代に日教組が言い出してたらしいから、日教組のせいといえなくもないが、政権与党にいた期間が長い自民党の責任が大きいのは否定しようもないけど。日教組が言ってる政策でも悪いと思うなら採用しなきゃいいだけなんだし。
その1992年と2002年の間には日教組を支持団体に持つ社会党が非自民自社さ連立で政権与党にいたわけだから、日教組は90年代の教育政策まったくの無関係で、90年代の教育政策も全部中曽根が決めたってことにするのは強引じゃね?
全部が全部中曽根ってわけじゃないがゆとり教育のスタートが1985年の臨教審というのは教育問題語る上では一般的な認識と思われ。
自社さ政権で社民が与党にいた間は日教組が与党に影響を及ぼす余地がある程度あったのは否定できないが、非自民政権1993から1994年、自社さ政権1994から1998年、週休2日制に移行し始めたのが臨教審を受けた1989年改正1992年開始、ゆとり要項が1999年改正2002年開始。
だから年代的には社民が入った時に一旦止まって社民が抜けてからもの凄い勢いでゆとり政策が進んだことになる。もちろんあくまで皮肉な結果論だが、結果論としてそうなったのも事実。
当時の政治的意図としては、公教育は最小限に抑えて、私学や塾といった民間の教育機関を活用するという、新自由主義的な「規制緩和」のコンテキストで語られていた。寺脇はどうも独自の教育論があったようだけど中曽根をはじめとする自民保守派の意図としては今で言うところの「小泉改革」みたいなノリだったわけ。結果的にそれは未曾有の大失敗に終わったし、当時から非難は多かったのだけれど、当時の政府は本気で規制緩和だと思っていた。
まぁ日教組が問題の多い組織であることは否定の余地もないのだけれど、ゆとり教育に関して彼らに責を押しつけるのは間違っている。むしろ彼らは反対して押し切られた側なのだから。
小泉政権くらいの頃はまだ「ゆとりは日教組のせい」というような論は見かけなかったように思う。自民いつ頃からこんな恥知らずなことをほざくようになったのだろうか。
今「ゆとり教育」と言われるのって文部官僚の寺脇研が1980年代に打ち出した方針のことで、方向性は1984年から中曽根の諮問機関である臨教審で決められたものだけど、段階的に週休2日制が始まったのが1992年、いわゆる「授業内容3割減」の実施が始まったのは2002年。この「3割減」指導要領で教育を受けた世代が世間では「ゆとり世代」と呼ばれてる。
その1992年と2002年の間には日教組を支持団体に持つ社会党が非自民自社さ連立で政権与党にいたわけだから、日教組は90年代の教育政策まったくの無関係で、90年代の教育政策も全部中曽根が決めたってことにするのは強引じゃね?ゆとり教育が悪いことだったとして(個人的にはそうは思わないが)、何でそれ以降の政権はその方針変えなかったのかをスルーしてなかそねの諮問機関せいですってのはどうよと思う。
週休2日制については更に10年以上前から日教組が主張していたのも事実で、要するに労組らしく「休ませれ」って話なわけで、まあ段階的に土曜が休みになっていったことで授業時間が減った事実もあるのだけど、これを「ゆとり」の一部に含んでしまうと1992年当時中学生だった層=現在の30歳前後くらいまで「ゆとり世代」になってしまって一般的に「ゆとり世代」と認識される層よりも10年ほど上にずれてしまう。
今の20台をゆとり世代というのも一般的と思うけど、完全実施以降がゆとり世代ということなら10台でもずれはないと思うけど。
まあ日本の教育に日教組が色々悪影響を与えてきたという論については別に異論もないのだけど、ゆとり教育に関してだけはどうも酷いすり替えが発生している。
個人的にはゆとり教育は財界の陰謀というのがうんざり。ゆとり教育やめろという経営者なんかうじゃうじゃいるのに。日教組のせいにしろ財界のせいにしろ単なるネガティブキャンペーンで敵対勢力を悪くいえれば事実関係はどうでもいいってことなんだろうけど。現実の政治じゃ特定の組織の意向だけで政策を自由自在に決めれるわけなんかないのに。
マスコミとか政治家は寺脇をスケープゴートにしておけば、自分たちの責任から目をそらせられるから都合がいいのかとかんぐってしまいたくなる。
最近気になってるんだが、ゆとり教育っていつの間に日教組が推進してきたことになったんだっけ。
今「ゆとり教育」と言われるのって文部官僚の寺脇研が1980年代に打ち出した方針のことで、方向性は1984年から中曽根の諮問機関である臨教審で決められたものだけど、段階的に週休2日制が始まったのが1992年、いわゆる「授業内容3割減」の実施が始まったのは2002年。この「3割減」指導要領で教育を受けた世代が世間では「ゆとり世代」と呼ばれてる。
臨教審自体は中曽根政権下で「教育改革」「教育自由化」と位置づけられ、中曽根+官僚 vs 日教組という形で反目し、日教組は例によって反対反対の大合唱で、結果は日教組ボロ負けで終わった。
この指導要領については自民の右派と官僚が主導した「改革」で、日教組は「改革」に対する抵抗勢力だったはず。ってかこの件に限らず日教組が政府筋の教育改革に賛成したことなんて無いだろう。
週休2日制については更に10年以上前から日教組が主張していたのも事実で、要するに労組らしく「休ませれ」って話なわけで、まあ段階的に土曜が休みになっていったことで授業時間が減った事実もあるのだけど、これを「ゆとり」の一部に含んでしまうと1992年当時中学生だった層=現在の30歳前後くらいまで「ゆとり世代」になってしまって一般的に「ゆとり世代」と認識される層よりも10年ほど上にずれてしまう。
「ゆとりが必要」というような論も昔からあったものだけど、後年寺脇や中曽根が推した「ゆとり教育」は用語を借りてるだけで直接の繋がりはないはず。中曽根なんてそもそも日教組の意見なんてはなっから聞いていなかったわけだし。
まあ日本の教育に日教組が色々悪影響を与えてきたという論については別に異論もないのだけど、ゆとり教育に関してだけはどうも酷いすり替えが発生している。