はてなキーワード: 農協とは
あと都合が悪い話になると逸らしたがるのも顕著だね。
例えばhttp://anond.hatelabo.jp/20120102214247はその前の増田の答えになっていない。
女性自身の『家事・育児の負担(C)』の認識の違いを指摘してみたんですが。
フェミニズムの方は古典的な女性観に縛られているのではないかな、と思うのです。
(ある意味でフェミニズムが目指してきたもの、が実現した、と捉えることもできると思うんですが)
ついでに、http://anond.hatelabo.jp/20120102220513の方では
「アンケートの答えは信用できない」と言う内容のURL貼ってそれに同意しているのに
他のアンケートは全面的に信用してるのは何故?
上記のURLは http://anond.hatelabo.jp/20111231121527 ですかね?
農協のアンケートに関しては、そもそも男女の選択肢自体が異なる点がおかしいです。
(少なくともPDFを見るかぎりはそう)
『手作り料理と味の伝承に関する意識調査』JA全中 http://www.yoi-shoku.jp/guide/pdf/newsletter_07.pdf
貴方も「そのアンケートの結果はおかしい」みたいのがありましたらツッコミくださいな。
私も単純に、よくあるフェミニストの主張の根拠って正しいの?というツッコミなので。
レビュー読んだら「調査は首都圏在住に限る」とは書かれてるらしいね。
この時点で相当偏りがあるわな(世の中首都圏在住ではない人間の方が遥かに多い)
まあ「こういう調査に協力する人」と言う時点で偏ってる訳だが。
この偏りは存在しますね。 ですので全国に一般化はできません。
私も『全ての女性は』とは全く思っていないのです。 この本は嫁が図書館で借りてきていたんですが、
嫁自身がそういう女性ではない(内容に衝撃を受けてた)ので。
貴方は途中で投稿し、追記しましたね? リロードして分かりました(私は一度、「それで情弱は騙せても、まともなリテラシーある人間は騙せないんじゃないかなー」まで見てました)
追記は別に構いません、私もします。ただ返事は遅くなることもあります。
これに関しては原本がうちにないので即答はできませんね。すみません。
ただ気になるので買ってみようと思います。
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TPP反対派は反原発派よろしくヒステリックで目立ちやすい馬鹿が多いけれど、
賛成派にも、足をひっぱる人がいるので実はどっちもどっちだよね、日本の議論っていつもこうだよね、トイウ話。
http://www.tachibana-akira.com/2011/11/3452
私はTPPに対して「大枠としては反対はしないけど細かい所気になるよ派=消極的賛成派」だという前提で話を聞いてくださいませ。
TPP賛成派というより「TPP反対派がばかだからからかってやれ派」のこういう人達はなぜみんな農家やら関税の話をするのだろうかと不思議に思う。
自分の意見の正しさを確信して、誰かを見下す時、人はわきが甘くなるのだなぁということを感じる。
関税をかけることが常に有利であれば、(たとえば)静岡県は、県内のみかん業者を保護するために和歌山県産のみかんに高率の関税を課すべきです。でも真剣にこんな主張をするひとがいたとしたら、あなたはきっと、いちど病院で診てもらったほうがいいと思うでしょう。
日本でも江戸時代までは関所で商品の流通を管理していましたが、いまでは県境での〝関税〟を撤廃して国内市場を完全自由化しています。それなのになぜ、国境では自由貿易を制限するべきなのでしょうか。国内ではみんなを幸福する「自由貿易」が、世界規模に拡張されると一転してみんなを不幸にする、などということがあり得るのでしょうか。
2 自分の話を聞く人がどういう人たちか
これがわかっていない状態で記事を書いているのがすぐ分かってしまうということです。
まず論破対称を間違えてるという点。
いつのまにやら反TPP派が「反自由貿易主義者」ということになっていますが、
反TPP者に「自由貿易は嫌いですか?」と聞いたら、「いや、別に?」と応えると思います。
自由貿易について反対していない人に、自由貿易はいくら素晴らしんだよ、といっても全く意味がありません。
要するに、「頭の中の敵」に向かって話をしているだけで、実際には意味のないメッセージを発しています。
RPGの世界だったら「おまえはだれにむかってはなしをしているのだ」と突っ込まれるレベル。
ネットのTPP反対派に農家(農協)を本気で守ろうとしている人なんかいません
読者が知りたいのは、賛成スべき理由あるいは反対スべき理由です。
馬鹿に対する揚げ足取りは、賛成反対を判断する際の参考になりません。
ただの馬鹿は、賛成派か反対派かを問わず、読者には関係のない話なんです。
で、大概の読者ですが、農家のことなんかどうでもいいとおもってます。
私は祖父方が農家をやっている関係で多少他の人よりは関心があるというか、
こないだ規制したときにずっとその話を聞かされて、あー大変だなーくらいには思ってますが、
都市に住んでて血縁に農家関係者がいないなら、農家の関税関係でTPPに反対する人なんかいないでしょ?
そんなところを一生懸命語っても「こいつずれてるなー」としか思いませんよ。
それよりかは、TPPを導入したらどういう業界が有利になるかの話をしたほうが、就職活動中の学生とかが必死になって読んでくれると思いますよ。
繰り返しになるけれど、
TPP賛成派というより「TPP反対派がばかだからからかってやれ派」のこういう人達はなぜみんな農家やら関税の話をするのだろうかと不思議に思う。
なぜ「こういう理由で賛成します」という言い方ができないのか。
「こういう理由で賛成します」という理由で納得できれば、誰も文句は言いません。
でも、賛成派の人は、そういう理由で賛成して、もし問題があったら叩かれるのが嫌だ、という理由でそれを言いません。
それで、中途半端に「反対派の言ってることは馬鹿だ」というポーズを取ることしかできないわけです。
彼らの賢しらな態度が、「要するに、自信を持って賛成できるほどのものではないのだな」というメッセージを発していることに気づいてください。
賛成する理由が言うまでもなく自明だというなら、胸を張ってそうおっしゃってくださいな。
デメリットも十分考慮した上で、メリットがデメリットを上回るといえばいい。
「なぜいままでそうなっていなかったのか」、そして「なぜいまこのタイミングでそうすべきなのか」を説明してくださいよ。
私は今の時点では反対派が言う人のデメリットはほとんど的外れだと思うので、反対する理由はあんまりないわけですが、
かといって、賛成してる人が、こういう話ばっかりして、他のデメリットについてまったく触れようとしてない様を見ると、いろいろ疑念が生じます。
「いろいろあるから慎重に」って言いたいだけなら、それだけ言えばいいから。余計なことは言わんでいいから。
賛成だと言いたいなら、アホでもわかる反対派の揚げ足取りばっかりしてないで、賛成の根拠を示しなはれ。
【ルール策定は政治力で決まる 米韓FTAより酷いTPP】中野剛志
http://www.youtube.com/watch?v=NEf6bzEe1R8
http://www.youtube.com/watch?v=O9ghcF_M2CI
http://www.youtube.com/watch?v=-Qmac-tclMM
の要点を文章でまとめてみた。
どうも反市場主義者の偏見みたいな部分もあって、すべての意見に賛成できたわけではないけれども、実際の事例などを元に具体的に問題点を解説されており、概ね説得力はある。
もしも、TPPがよいものであると言うのであれば、ここで掲げられている問題点が杞憂であることを示し、同等かそれ以上に説得力のある意見を提示しなければ、単なる妄言としか受け止められないであろう。
TPP推進論者には、個々の間違いや重箱の隅への反論ではなく、これらを問題視することが根本的に間違っており、TPP受け入れにより大変なメリットを享受できることを、実例を交えてご紹介いただきたいものだ。
TPPに日本が加わったとしても、全体のうち(GDPが?)アメリカが7割、日本が2割と日米で9割である。実質、日米の貿易協定といえる。さらに、アメリカは輸出倍増戦略をとっている。TPPは日本にものを売りつけるためのものといえる。
米韓FTAや、アメリカ、カナダ、メキシコによる北米自由貿易協定(NAFTA)と似ており、アメリカに都合いいルールを押し付けられ、搾取される。
一般的には、関税の撤廃で物を自由に行き来できるようにし、公平な競争を促す協定であると捉えられている。しかし、かつてはそうであったが、70年代くらいからは意味が変わってきた。
それまでは各国の関税が高かったため、関税の撤廃が主眼に置かれていたが、70年代くらいからは関税が低くなり、農業以外の大抵の製品で関税は低くなった。そのため、関税の撤廃による自由競争よりも非関税障壁の撤廃、すなわち各国の制度を変更することが主眼に置かれるようになった。
各国の制度を変更するということは、相手の国の制度を自国企業に有利なように変更させることを意味する。そして、どのように制度を変更できるかは、その国の政治力によって決まる。
また、アメリカ企業は70年代以前よりも競争力が低くなり、公平な自由競争では他国企業に負けることも多くなった。そこで、アメリカの強大な政治力を利用して、他国の制度をアメリカ企業に有利になるよう変更させることで競争力を高める手段がとられ始めた。自由貿易協定の対象となる領域の範囲が広まったのも、70~80年代のことである。
80年代後半からは、日本はアメリカに頻繁に制度変更を強いられている。日本企業の努力は、勝手な制度変更によって台無しになる。オリンピックで浅田真央が苦しんだのと同じ構図だ。
現在、TPPの議論では、農業vsその他の産業といった形でしか情報が出ていないが、問題はそればかりではない。
韓国はコメ以外の農作物に関して、猶予はあるものの実質関税撤廃とする。また、アメリカの関税も撤廃してもらった。そして、関税撤廃を理由に、いくつもの不利な条件を飲まされることになったが、そもそも関税撤廃は韓国にとってそれほど大きな効果をもたらさない。
例えば韓国が得意とする輸出品である、自動車の関税は2.5%、テレビは5%と、もともと関税率は低かった。また日本企業もそうだが、韓国企業もアメリカでの現地生産を積極的に行っており、当然その場合に関税はかからない。このように、グローバル化を行うとそもそも関税はあまり重要でなくなってくる。また、さらに悪いことに自動車の関税は、アメリカの自動車メーカーが「脅かされている」と感じたら復活させることができる。
アメリカは韓国の自動車市場に参入しやすくするため、韓国に対し排ガス規制をアメリカと同じにすること、安全基準や排ガス関係の装置の設置義務をアメリカに一時的に猶予するよう要求した。また、小型車が有利な韓国に対し、アメリカは大型車が有利であるため、税制を大型車に有利になるよう変更させる。
農協、漁協など協同組合の共済保険や、郵便局の保険サービス、つまり日本で言うところの簡保をFTA発効3年以内に解体させ、アメリカの保険会社が参入しやすいようにする。
また、韓国で薬価が安く設定された場合に、アメリカの医薬品メーカーが韓国政府に不服を申し立てできるよう、第三者機関を設置する。
その他、法律・会計・税務事務所をアメリカ人が開設できるようになり、放送局の外資規制も緩和される。
これらのように、環境や安全に関する基準や共済保険のような相互扶助の仕組みなどを、アメリカ企業に有利にするために踏みにじられる。
また、もし韓国が他の国と貿易協定を結び、米韓FTAよりも市場開放した場合は同じ条件を自動的に適用できる制度も導入される。
さらに、ラチェット規定や投資家と国の紛争解決手続き(ISD)といった、問題の大きい制度も受け入れることとなった。
ラチェットとは、爪のついた、決まった方向にしか回せず、逆回転ができない歯車を言う。ラチェット規定とは、一旦、自由化や市場開放を認めると、今後は元に戻せないとする規定である。
例えば、アメリカに対して牛肉の自由化を認めた場合、仮にアメリカで狂牛病が発生したとしても、輸入を禁止することができない。
NAFTAで導入された、非常に問題の多い制度である。外国の投資家が、例えば韓国やカナダで、国の政策によって損害を受けたとき、世界銀行傘下の国際投資紛争解決センターに訴えることができる。国際投資紛争解決センターは、その規制が必要であったかは考慮せず、単に規制のせいで受けた損害のみを考慮する。また、非公開で、判例に拘束されず、上訴できない。圧倒的に投資家に有利な制度で、国家主権を制限してグローバル化を推し進めるための協定である。以下に、これまでにカナダ、メキシコ政府が訴えられたときの判例を紹介する。
こういった事例が頻発している。
米韓FTAでは、韓国はこのISD条項を受け入れた。ただし、アメリカが韓国を訴えることはできるが、韓国がアメリカを訴えることはできない。
また、仮に、双方に訴えることができるとしても、投資、訴訟はアメリカが得意とする分野である。アメリカは、自国に有利な分野に戦いを持ち込もうとしている。
このISD条項は、TPPでも導入が議論される。
TPP推進論者は、話し合いの場には参加して、合意できなかったら離脱すればいいと言う。ところが、そういったことをすると国際関係や日米関係を損なう恐れがある。
また、米韓FTAについて、韓国にもメリットがあるから合意したと言う者もいるが、そんなに単純な話ではない。合意したから双方にとってよいものであるならば、不平等条約や詐欺など存在しない。
力で押し切られるか、契約の当事者がバカだった場合、メリットの無い条約を結んでしまう。日本の場合、力はないし、当事者はバカだ。
韓国の場合は、アメリカに押しきられた。アメリカの要求があまりにひどいので、昨年11月までは抵抗しており、一旦決裂した。ところが12月に突然合意。その間に何があったかというと、北朝鮮の砲撃があった。米韓FTAに関して、国民には内容はほとんど知らされていなかった。
民主党の資料によると、ISD条項は、拒否したいルールではなく、導入したいルールに含まれていた。その理由は、日本企業が海外に進出したとき海外の政策によって不利益を被ったら問題を解決できるから。日本政府が訴えられる可能性を一切考慮していないし、地下水を汚染されても何も言えなくなる可能性も考慮していない。日本政府やTPP推進論者には、日本にとって有利になるルールとは何か、国益とは何か、それが全く分かっていない。
韓国の前大統領秘書官は「主要な争点において我々が得た物は何もない。アメリカの要求はほとんどすべて一つ残らず譲歩した」と述べており、官僚は責任をとらないと付け加えている。
TPP推進論者はTPPに対する不安を煽るなと言ってるが、この状況を羨ましいと思うのか。
もう手遅れで、抵抗しても99%無駄だろう。
管前首相が交渉参加の検討を表明し、マスコミはそれに賛成した。その時点で賛成してしまったので、今更反対に回れなくなっている。
マスコミが賛成したことに気をよくした政府は、国民の支持を得るため、開国フォーラムと称した説明会を行ったところ、騒ぎになった。この開国フォーラムは震災を機会に中止され、国民への説明は行われなくなった。
国民を説得することができなくなったので、現在は「交渉だけならいいじゃないか」と主張して、説明責任を放棄している。
米韓FTA締結でオバマがセレモニーを行うので、それに対し日本も遅れるなと煽る。反対の声は矮小化する。
TPPが結ばれることは、既に決まりきっている。TPPは条約なので、締結は国会の承認が必要だが、交渉参加表明は政府の専権事項で阻止できない。そしてその後は日米関係、国際関係から抜けられない。阻止する手段がなかった。
私はこれまで反対しつづけていたが、もう無理だ。どうしようもない。
農業が壊滅すれば、農林水産省はダメだ、構造改革しないといけない。俺たちならもっとうまくやっていたと嘯くだろう。
何かがダメになれば、グローバルな流れに乗り遅れて淘汰されたのだから、仕方ないと言うだろう。
TPP推進論者は、自己責任と他人に責任を押し付けて、自身は絶対に責任をとらない、新自由主義者である。
新自由主義者による政権として、サッチャー政権、レーガン政権、小泉政権があるが、敵が多いのに長命政権であった。負けたものの面倒を政府が見るのはおかしい、自己責任だ、と責任逃れをして、長期政権になる。
もうどうにもならん。植民地への道を。
TPPの導入で色々と議論があるが、メリットの1つとして日本の農業の競争力強化がある。
外国産の農作物に対抗するために、日本の農家が企業努力をするというのだ。
友人が農家をやっているのだが、今の農業というのは農協からの補助金で生活している人がほとんどだという。
作った野菜をキロ数百円という重量で(品質ではない!)生活できない値段で買い叩かれて、農協からくれる、あるいは農協からの借金で生活している。
友人が作っているものは付加価値のある果物なので、農協を通さなければそれなりの市場価格で売れるのだが、農協を通さないとなると地域の目もあるし、なによりなにか起きたときに農協の手助けを得られない、農協に金をもらったほうがラク、農協に潰されるなど政治的な問題で農協依存から抜け出せないのが現状とのことだ。
このように付加価値のあるものを生産している努力している生産者さえこれが現状である。いわんや、コモディティ化した野菜を生産している業者にとって、農協がなければ農業は存続出来ないことは明白だろう。
考えてみて欲しい、八百屋で得られている一個100円のキャベツ。この値段に疑問を抱かないだろうか?
これ、たとえ1万個作っても100万円にしかならない。毎月1万個作れるなら年商1200万円として事業としては継続できそうな気もするが、農作物はそのような工業製品とは違う。
そう。そもそも、日本の野菜や果物は税金ですでにとっても安く手に入るようになっているのだ。
補助金で農業を延命させている手前、今後TPPが発足したところで、さらなる税金が投入されて市場に出回るのは日本の作物だろう。
どうせ大量の税金を投入してすでに安価な値段にしているのだから、100円を50円にしたところでたいして変わらない。
補助金をなくして農家を潰してしまえばいいという意見もあるが、そうなったら大量の失業者はどうなる?
現状で全仕事に対して、10%も人が余っている状態で、別の仕事をさがすことはかなり困難である。
そうなると生活保護となるが、それが幸せな判断だろうか?それより産地直送のおいしい野菜を作ってもらったほうが良くないだろうか?
また、一度安い外国の野菜や米を手に入れた消費者は、それを買い続けるだろう。カルフォルニア米は食べたことあるが、安い無洗米と比べてほとんど味は変わらない。そうなると、わざわざ高い国産を(しかも放射能に怯えて)買う必要があるだろうか?
TPPは所得中間層が手痛い思いをするため、高級国産野菜を買える層は少数になる。例え農家が努力しても、すべての農家を食わせるだけの市場は日本国内だけでは成立しないと思われる。
やるならまず中国に国産野菜が輸出出来るほどの技術をつけさすのが先である。
それには農家への補助金制度を見直して、減らすべき。そして市場競争力をつけさせることに農協は力を入れる。農協の中の人がわからないのなら、コンサルタントでも雇えばいい。
そのような努力をして中国に野菜や米を売って国内の供給が減って値段が高くなって庶民が買えない!となったときに初めてTPPに参加すればいい。
今参加したら補助金が増えるだけである。順番が違う。まずは企業努力で競争力強化、国内の供給が減ったらTPPだ。
正確にいうと小金持ち程度でしかないんだけど、そこそこの規模の会社、それなりの家、それなりの高級車、それなりの貯蓄があると、それを狙って様々な人が擦り寄ってくる。これはサラリーマン時代には決して無かった。一流会社で接待される側の人間であっても経験しないような、擦り寄られ方をされる。
情報誌を買えだの、不動産投資をしろだの、紳士録がどうだのといった眉ツバっぽい電話。
電話番だけやってくれりゃいいのに色目を使ってきたり、ゴマすりが異常だったり、笑顔すぎたり、仕事内容以外でアピールしてくる様々な末端社員。
信用金庫、銀行、農協までが、金を借りてくれ借りてくれとやってきて、フェラーリ買いませんか、ヘリコプター入りませんか、競走馬はどうですか、高級携帯電話屋なんてのも来る。そういやデパートも来た。
電力会社が電気もっと使いませんか、ガス屋がガスもっと使ってくださいとか、ってのも来た。
いつかどっかで、銀行って行く所じゃなくて、向こうからこっちに来るものってどっかの資産家が言ってたけど、そんな感じ。同じようにいろんなものが全て、向こうからやってくる。目的はもちろん、こっちの懐だ。
美人さんの話と同じでへんに断ると後が面倒。情報誌を買えって連中は本当に毎日電話して来るし、ヘリコプター屋は火曜と水曜は必ず、俺がいなくてもやってくる。これがコワモテおじさんと女優みたいな女の子のセットで来るから目立ち過ぎて困る。女優はヘリコプター買ってもらえないと、私、縛られて吊るされるんですとか泣いたりするしわけわからん。
とにかく、本来の仕事とか、本来の生活とは全く別のところでガヤガヤされることが増える。いっぱい仕事して、いっぱい稼げば、たくさん、楽しく遊べると思っていろいろ頑張って来たが、なんかどうしても外野に巻き込まれがちになる。
その辺りを断ち切ろうと、滝に打たれに行ったら、後からどこで聞いたのか、各種宗教もやってくる。誰もがほっといてくれない。
美人が美人なりにいろいろと困るように、小金持ちだって、金があってウハウハしてるだけじゃなく、それなりに悩みはある。
美人も金持ちもきっと、本来の意味で幸せに暮らすなら、やはりスルー力とか、いなし方とかを身に付けないとやっていけない。そしてそれはそれなりの教養がなくてはならないのだと思う。俺も含めて成金連中が手に入れたくても、なかなか手に入らないものがそこにあるのだろう。
美人さんの話を見て、美人といっても、正統派の中身も伴った美人と、中身が微妙な成金的美人に分けられるのだろうなと思った。つまり親の教育の問題。
資産家の子供は生まれながらにして金持ちであるわけだから、親も当然そうなので、資産家としてどう生きて行くべきか、ってのを教育される。成金は当然、貧乏人として生まれるから、そんな教育はなし。むしろ金、金で育つからロクなもんじゃなくなる。
親がまともであれば、美人になっていく娘にしてやる教育を間違ってはいけないのだと思う。美人さんの話は、男が目の敵にされているけど、そうなってしまったのは環境が悪いからで、環境が良ければ、あんな無礼な男達が周りにいるわけがないのだ。水商売をする事も無かったろうし。
金があろうが、美人だろうが、環境が悪ければ、あまり良い暮らしにはならないのだ。もちろん、金があれば、美人であれば、その今いる環境では羨ましいと思われるかもしれないが、同じ環境、つまり同じクラス、階層、言ってしまえば同じ身分でしかないのだ。その程度の幸せしか獲られないのだ。
だから貧乏でも美人でなくとも、幸せな人はいくらでもいる。幸せな環境に身をおけばそれが一番なのだ。その環境は、金があっても美貌があっても得られるものじゃない。なぜか金持ちや美貌を持つ人は、勝手に幸せが得られると思ってる人が多い。美人さんの話もそう思った。金や美貌に固執するから幸せになれない。全てを捨てなさい、全てを寄付しなさいといった宗教屋がいたw 一理あると思う。
だから宗教にハマる美人も多い。これもまた幸せなのか不幸なのかよくわからんが。
美人もそうじゃない人も、幸せになりたかったら、良い環境を得られる努力をした方がいいです。学生や受験生は勉強を頑張ってください。社会人は何をどうしたら環境を変えていけるか考えましょう。働くだけが正しい道とは限りません。自分で考えられない人は、既存の宗教に頼るのも一つの手です。
東京都板橋区の学校法人タイケン学園が茨城県利根町の旧利根中学校と旧布川小学校を再活用して開学する1千人規模の4年制の単科大学「日本ウェルネススポーツ大学」の設置申請が24日、文部科学省から認可された。
ディプロマミル(学位商法)で知る人ぞ知るタイケン学園(http://d.hatena.ne.jp/Bandoalpha/20100611)ですね。
町議や区長、商工会、農協などでつくる町土地利活用推進協議会も後押しし、法人側から活用へ向けた提案が町に寄せられ開学に結びついた。
茨城の田舎者だけにインターネットで何してるか(http://anond.hatelabo.jp/20110601132716)もわからないのでしょう。お気の毒に。「タイケン学園 学位商法」で検索してみればいいのに。
アメリカに比べて生産性に低い日本の農業は関税の保護を撤廃したら生き残ることができない。すると食料自給率が下がり、安全保障上大きな問題となる。
2.国内規制が非関税障壁として撤廃され、サービス、安全の質が低下する
例えば医療における混合治療の開始や外国人医師、外資の導入により日本の医療の質が低下する。社会保障もアメリカ並に下がってしまう。また食料の安全基準もアメリカ並に緩和させられる。
3.金融サービスの自由化が進み、外資に金融機関、金融資産がのっとられる。
外資が規制されている郵政や農協共済などに参入し、その金融資産は海外で運用されるようになる。
4.単純労働者が流入する。
外国人労働者に対する規制も非関税障壁として撤廃せざるを得なくなり、海外からの単純労働者が激増する。
5.外資に対する規制をかけられなくなり、コントロールが効かなくなる。
公共事業への参加などに国が規制を行えなくなる。また、農業にも外資が参入してくる。さらに外資企業が条項の正しい履行を求めて国を直接訴えることができるようになる。
6.デフレが激化する。
そんなことをやっても全くのムダ。フクシマは放射能のブランドみたいなもんだから。
風評を避けたいなら、徹底的にデータを出せば良いだけ。そしてそのデータは日本政府だけでなく、海外の国や機関等が決めている基準以下ですというのを出すしかない。
風評被害って可哀想だよね、って演出で買わせようとするからダメになる。
でも、そうやって客観的データを出して科学的に検証したってダメだと思う。
そもそも、福島の地元でも無いのに、わざわざ福島のものを買う必要がないもの。。。福島でしか採れないとか作れないものなんてないんだから。どう考えても地元のもの買った方がいいでしょ。なんでわざわざ福島のものを買うのか意味がわからん。特に関西の方だったら尚更。地産地消が叫ばれてる中、なんでわざわざ福島から買う意味が無い。意味があるとすれば、「安い」ってだけじゃないのかな。
後、憶測で言っちゃうけど、きっと福島の人間だって、福島産以外のものを食べたいと思うよ。
それと、福島のものを食えって言ってる連中は行政とか農協とか、生産者から搾取して喰ってる連中だから。農家の人達は、危ないものを出荷なんか出来ないって止めたりしているからね。セシウムとか基準値以下とか言っても、そもそもセシウムなんて全て原発から飛んできてるものだから。事故前には含まれてないんだから。普通に良心があれば、基準値以下だからお前ら食えってはならないからねえ。
放射性セシウムに汚染された稲わらを与えた牛が全国に流通していることが明らかになった
一連の報道を見ながら何かずうっと心に釈然としない部分があったのだけど、少しずつ見えてきたのでここにまとめる
釈然としなかったのは「農家はなぜ露天に晒された稲わらを牛に餌として与えたのか」ってことだ
もちろん「ずうっと露天にあった稲わらをなぜ畜産農家に売ったのか」でも構わない
「政府(農水省)が自治体通達を出したけどそれが農家まで伝わらなかった」から
ちょっと待って欲しい
震災発生から4ヶ月、事故数日のあの日(3.15)の様相もテレビや報道でだいぶ明らかになっている
その間、首都圏でも下水処理場の汚泥やゴミ処分場の灰やらに放射性物質が検出され大騒ぎになったり、遠く静岡のお茶でも検出されたりしている。
スーパーなどの店頭で見る限り、首都圏では今でも飲用に水道水を控えて水を買って飲んだり料理に使っている家庭は少なくないのではないか?
“現地”福島だって、親御さんが子供の学校給食を残させたり、校庭に出て遊ばせなかったりしている。
で、牛を大事にしている畜産農家の人はなぜ野外にあった稲わらを与えたのか?
もう少し踏み込むと
一般的な畜産農家ってのは基本的に“自営業”であってリスク管理というのは勤め人よりもしっかりしているのではないかと思っている
ましてや天候に直接左右されることの多いのだから蓋然性に関するリスクは工業サービス業その他産業の比ではない。
つまり“事故”からこの方、皆がリスクを意識している中、農家だけそうしたリスクを農協やら自治体やら国に転化している現象がどうしても理解できないというのが「釈然としないもの」の正体だ。
もしかしたら……
農家の人たちってのは今までずうっとそうしてきたのかな?
リスクは「あの人たち」がなんとかしてくれるって。「私たちはだまって作物を育て牛や豚を育てているだけで難しいことは「あの人たち」に聞いてくれ」って。
そんなことはないと信じたいけど、もしそうだとしたらあの事故の評価としてほぼ固まっている“人災”の様相も一変する。
ここで話は変わるけどテレビや新聞などのメディアってのはわかりやすい構図ってのを重視する
ストーリーを作りやすい「キャラづけ」と言っても良い。たとえば
こうした「キャラづけ」がより多くの人に何かを伝える理解してもらうのが都合が良いってことだ
テレビや新聞の中の人に悪意があるとかそういうことではなく楽チンかそうでないかの問題。
今、僕らはこうしたわかりやすいストーリーに乗っかり過ぎているのではないかと思う
「未曾有の災害」とか「想定外の事態」いうものに不安になって却って安定した物語構造を求めちゃうのも人の性(さが)かもしれないけど。
それで本来見えるものが見えなくなっているのではないか?とこういう次第
話を戻すと、この一連の食肉汚染騒ぎの中で「なぜもっと早く気づけなかったのか」というところで畜産農家の人たちも考えて欲しいし
テレビや新聞の人は彼らを過剰に被害者として扱い過ぎないでほしいということ。これを結論にしておく。
いちおう言っておくと、別に畜産農家を糾弾しているわけではないよ。
ただ、もちろんこんなストーリーをつくることもできる
震災、原発事故、と未曾有の苦難に見舞われている東日本ですが、風評被害の影響で空前のタナボタ状態なのが西日本の第一次産業。
タダ同然で取引される福島、茨城、千葉辺りと裏腹に、卸価格が2倍近くにもなっているとか。
海外との取引があるところは同じく風評被害でダメージ受けているものの、そのマイナスを相殺してあまりある好景気なのではないでしょうか。
そこで、このタナボタ利益を東日本救済に充てられないものでしょうか。
例えば農協は農家から平年の仕入れ価格で仕入れ、市場で取引する。
例年以上の利益が出た分は東日本の漁業、農業関係者に対する低金利長期融資、一時見舞金の原資とする。
あくまで西日本の農協さんの心意気頼みな考えではありますが、困ったときはお互い様精神なのが農協の農協たる所以。
ある意味風評被害の加害者となっている人たちも、実は復興支援に役立ったとなれば罪悪感も多少は薄れるというもの。
ご検討頂けないでしょうかね。ひとつここは全農あたりが音頭をとって。
テレビで風評被害を受けている地域の野菜でもネット通販だと適性価格で売られている
と報道されていたので、どんなもんかと思い自分なりに検索してみました。
(当方増田を書くのが初めてなので空気読めない子だったらごめんなさい。)
http://www.oisix.com/CategoryX.707.215.htm#LMenuL215
福島県産のお米と茨城・千葉を原産とした野菜が40点ほど売られていました。
レタスが1玉・お米が2kからと手ごろな量と値段で売られていて、一人暮らしや少人数家
庭でも手を出しやすそうな感じです。
http://otodoke-marche.com/?page_id=148#MIYAGINO
これは数種類の野菜の詰め合わせがダンボールで毎週or臨週で配送される形式。
S・M・Lサイズがあって小さいものは1000円台から買うことができます。
「みやぎの野菜物語」は宮城県産のやさいの詰め合わせになってるみたいです。
少量で配送してくれるので一人暮らしの方でも、少人数家庭でも消費しやすいと思います。
http://www.ja-town.com/shop/f/f0/
農産品といえばJA。
http://www.nihonmatsu-farm.com/
キュウリ・たまねぎなどの野菜やみそなどの特産品を買うことができます。
http://www.purefarm.jp/index.html
葉物やお米を買うことができます。
お米・野菜・今旬のイチゴなどのフルーツを中心に福島の農協で扱っている商品を買うことが
できます。
ネット直販限定の「がんばるぱっく」という特産品を詰め合わせたお手ごろ価格の支援メニュ
ーがありました。
三元豚や和牛・地鶏、それらを使った加工品、地元の素材を使ったスイーツ、南部鉄器などの
加工品まで東北で生産されたありとあらゆる特産品を買うことができます。
こんなときこそ、普段は買えない東北の名産品を買ってもいいかもしれませんね。
「沿岸でがんばっている生産者さん達」というページがあって直接津波被災地で頑張っている
福島県の会津地方で生産されたジャム・味味噌などの加工品、かりんとうなどのなつかしめの
右側の「食べて・飲んで・使って」から。
手軽かも。加工品中心。
http://event.rakuten.co.jp/area/special/tohoku/?l-id=area_map_top_02
種類もたくさんあっていい感じです。
調べきれてないのですが、楽天なら農家直販の店舗があるかもしれません。
また上記は2011年4月26日現在の情報をもとに記述しました。
農家直販で購入すると量が多いこともありますが、職場で分け合ったり近所の方々でシェア
することで解決できると思います。
準備するモノ:水風船たくさん、風船を膨らませるための注射器型ポンプ、コンドームたくさん、大型ジップロック、防腐剤、ブルーシート、40Lのゴミ袋
作ったモノ:構造材でベッドの枠。
0.買い物:水風船&ポンプ(楽天)、コンドーム(NLS)、ウォーターベッド用防腐剤(楽天)、ブルーシートその他(近所のホームセンター)
1.ウォータベッド用の防腐剤を水に溶いて、その水を水風船にポンプで入れて膨らませる。直径7cmくらいのを400個以上は作った。
2.その後、水風船を防水を兼ねてコンドームに入れ、コンドームの口を縛り、大型ジップロックに5個程度をひとまとめに入れる。ここまでが一番たいへんほぼ1日かかった。一人でやってると気が滅入ってきたので、途中で、近所にすんでるいとこの大学生とその友人二人に声をかけて、半日バイトしてもらった。これなんですかと盛り上がる。
3.ホームセンターで買ってきた構造材でベッドの枠を作る。縦2m×横1.2m×高さ30cm程度。材のカットはホームセンターでやってもらった。持って帰ってから、ドリルで穴を開けて、長ネジで留めて、枠内側の下側に、補強の角材を接着剤で貼り付けた。
4.ベッドの枠に、ブルーシートをかぶせ、形を整える。
5.40Lのゴミ袋の中に、ジップロックを6個ずついれた。そして、ブルーシートの中にどんどん並べていく。
6.ブルーシートを折り返して、フタする。
7.適当な毛布を上に敷いて、できあがり。
感想:あー、たしかにウォーターベッドだわ。ラブホテルのウォーターベッドに比べるとボヨンボヨンしない。反発力が強くてセックス向きだと思う。沈みの程度もどんだけ風船を入れたジップロックを重ねるかでかなり調整できる。たぶん水をジェルに替えてもできるかもしれない。欠点は、ブルーシートがガサガサいうことと水漏れの心配くらい。激しく動くと、微妙にジップロックが動く。ただし、袋物を作り、ダウンジャケットの要領で全体を連結したり、位置がずれにくいように適当にウレタンスポンジの棒をゴミ袋の間にセットすれば動かない気がする。注意する点として水風船が柔らかすぎると、ボヨンボヨンになりすぎるので、気持ち堅めになるようにした方が良いと思う。
総費用は材料代1万5千円程度+バイト代6000円でした。なかなか使える。水漏れが怖い人は、ブルーシートの代わりに、トラック用の防水幌か園芸のビニールハウス栽培用のビニールシート(厚手)を使ったり、一番下に、吸水シートをひいたり、ネコトイレ用のシリカゲルをひいとくと良いと思う。
1ヶ月ほど使って分かったこと:やっぱり微妙に水漏れする水風船がある。10個に1個程度は、漏れて小さくなっている。ただし、コンドームが破れたものはないため、水もれ自体はしていない。最初からコンドームでいけばよいのだが、そうすると形が円筒形になるのが気にいらない。寝心地はいい。ただ、寝入りばなはやっぱり寒いね。一番上に電気毛布を敷いて寝るようになりました。
彼女と、このベッドの上でセックスしてみました。タイミングを合わせるためにはリズム感がいりますね。でもリズムが合えば、すごく楽。特に騎乗位がいい。正常位も反発が上手い具合に利用できるといつもの3分の1くらいの力でOK。彼女が足を伸ばした伸展位も反発力とリズムがうまく使えると小刻みに動かしているわりにはストロークが長くなり、それに伴い刺激が強くなり良い。
この1ヶ月で改造したところ
・枠の底に、1.2cm厚の防水ベニア板(表面がオレンジ色のコンクリート型枠用、ホームセンターで購入、カット)をつけた。
・枠の各部に、防水シーリング
・底部に足をつけた。足は洗濯機用の防振ゴム、接着剤で固定、12個。ある程度、点で支えないと、なんか枠の安定が悪い。ガタガタ防止。
・ブルーシートがカサカサうるさいので、ビニールハウス用のビニールシート(農協の資材売り場で購入)に換えた。
・枠の底の内側に、ぼろ絨毯を枠ちょうどの形に切って敷き詰め、さらに厚手の毛布2枚を一面に敷いた。なんかの拍子に足や腰が底付きすることがあり、そのとき、板や床だと痛い。また底に柔らかさがあるとジップロックが動かない。
・セックスしている時に、ほんのちょっとだけでも腰の位置が決まる場所があると楽なので、柔らかめのウレタンスポンジのカタマリを横方向に一本だけ置いた。べつにウレタンスポンジの必要はなく、薄手の長枕とかでも良いかもしれない。位置は現在真ん中よりちょい上だが、微調整中。
被災時に必要なものは何か?時間が立つに連れ必要なものは変わってくる。筆者は岩手県で今回の地震に被災したが、時間や場所によって変わってくるが、自身の経験を元にここにしるす。防災用品の準備や、被災地に救援物資を検討している方は、参考にしていただければありがたい。
この文章は、被災二日目にiPadにて作成した。電気と回線が復旧しだい、どこかに上げるつもり。
インフラがとまるので、食料や衣料はもちろん、燃料や情報を得る手段も確保しておきたい。今回は電気がなくても暖をとれる反射式ストーブ、これはお湯もわかせる、ガスが止まっても使えるカセットコンロが非常に重宝している。
固定電話は回線が生きていても停電していれば、最近の多機能なヤツはつかえないので、結局ケータイに頼ることになる。公衆電話が最近中々ないので。予備の簡易充電器や電池、車載充電器、iPhone用FMトランスミッターが役に立った。
いざという時の移動手段やカーラジオやカーナビのTVでいざという時の情報取得手段になるので、車がある場合はガソリンも出来る限り入れておく。携行缶などで保存する場合は、安全な場所に保存する事。
災害時に一番役に立つメディアはラジオ、次にインターネットとなり、最後にTV、新聞となる。ラジオは用意しておいた方が良い。ネットで情報を得る場合はデマや不確定な情報に注意する事。TwitterやFacebookなどで自分から発信する場合も、不確定な情報は流さない事。ヤフー知恵袋や2chなどは極力使わない。
当たり前だが、一番の被災地から離れていてもインフラが止まれば、店はまともな営業が出来なくなるし、道路も寸断されたり、信号機が止まったり、緊急車両優先などで渋滞する。
水は断水していなければ、早いうちに水を貯めておくこと。飲料用はペットボトルやヤカンに。トイレなどの水は風呂に貯めておくこと。
注意したいのは、ロウソクやコンロ、反射式ストーブを使う場合は余震に十分注意すること。当たり前だが、常にラジオはつけておいて揺れたり緊急地震速報がきたらすぐに消すこと。
余談だが大都市圏に住む人以外は、メインバンクは地元の地銀か農協、郵便局、信用金庫にしておくといいかもしれない。窓口対応がスムーズになる。
地震に限らず、台風でも水辺に近づく人がいるが、こういう人が一番最初の被害者になる。絶対に危険な場所に近づいてはいけない。
当たり前だが、沿岸部では揺れたらすぐに逃げる。ビルの出来るかぎり高い階層か、高台に。
また、心配なのはわかるが特に災害のひどいところに行ってはならない。阪神大震災の時の様な野次馬は論外。自分が被災するだけでなく、救助活動の邪魔になるから。
不要不急の外出は極力避ける。道路の寸断や信号機の停止で思わぬ事故にあうリスクが高くなる。
電話は極力しない、出来れば連絡はメールやtwitter、Facebookや災害伝言板、ラジオの伝言メッセージなどを使う。やむおえない電話の場合も、極力通話は短くすること。
デマを流すのは論外だが、意図せずにデマを信じてしまってもいけない。チェーンメールは無視し、拡散RTは慎重に行うとこ。デマは最悪の場合は人命に関わる。
ロウソクや反射式ストーブを使う場合は、そばから離れる場合は火を消すこと。一瞬でもそばから離れる場合は絶対に火を消すこと。ロウソクは使わないに越した事はないが、使う場合は周りに燃えやすいものをおかない。
よく何かあれば、千羽鶴を折って送ったり、古着等を送る、自分の小説本を送る俳優などがいるが、これらは役に立たないばかりか、ゴミにしかならない上に、輸送力の無駄遣いとなり、迷惑となる。地獄への道を善意で舗装しないように。
命の危険がなくなり、食事もある程度とれる様になると、非常に退屈になる。死傷者が多数でた沿岸部の方々や、原発関連で不安な福島県の方々には大変申し訳ないが、1次的な被害が少かった内陸部にいる自分は、二日目にはもう暇である。TVラジオは災害関係しか流れておらず、ブロードバンドは不通、携帯電話も不安定な為、webも長い時間見る事が出来ない。気を紛らわす為にも、何か簡単な娯楽はあった方が良い。昼間は文庫本を読んで過ごしたが、いよいよ退屈になってきたので、この文章を書いている。
余談だが、そういう意味ではある意味テレビ東京のスタンスは正しいとも言える。今回は岩手にいるので、テレビ東京が何を放送をしているのかは知らないけど。
お菓子、ジュースは非常用の食料という意味もあるが、気を紛らわすという意味で娯楽に共通する。自分はタバコは吸わないが、喫煙する方はタバコも用意しておくと良い。ただし、不測の事態に対応する為、飲酒は避けた方が良い。
モバイル関係やカメラは記録撮影や録音に使える。ただ、間違っても現在進行で危険なもの、炎上中の建物は津波などを撮影してはいけない。そんなものを撮っている暇があったら逃げる事。
人工透析や酸素吸入、糖尿病などの慢性疾患、妊婦の方はかかりつけの医院がどうなっているのか確認しておく。かかりつけの医師が診察不能な場合は、保健所や近くの総合病院、自治体の窓口などに相談すること。
スーパーやガソリンスタンドはかなり混雑し行列となる。そういうところで並んでいるのを無視し割り込んだりすると無用なトラブルを引き起こす。実際、筆者が給油のためガソリンスタンドの行列にならんだところ、何台かが無理やり割り込んでいたが、割り込んだ車両は全部店員によってつまみ出されていた。
水の節約やトイレを我慢するために水を飲まないのは、血栓などのリスクをよぶので、水分はとること。
ある程度インフラが復旧してきても、交通や物流の回復は更に時間がかかる。食料や燃料などは無駄遣いしないこと。また、電気や通信などのインフラも安定的提供には時間がかかるので、無駄遣いしないこと。
「何かしたい」と思って、古着や千羽鶴や自作の小説を贈ったり、慌てて炊きだしボランティアに向かってはならない。邪魔になるだけだ。善意を形に変えたければ募金をするか献血をすれば良い。今回は災害の内容から献血はそれほど必要無さそうだが、募金は最も有効な支援である。ただし、募金をする場合は信用できる組織・団体を介して行うこと。間違っても駅前の街頭募金などに小銭を入れてはならない。善意を装った詐欺や悪質な新興宗教などが関わっている可能性があるからだ。せっかくの善意が被災者に届かない可能性がある。
特に注意しなければならないのは、国連やユニセフなどを騙った振り込め詐欺だ。国連やユニセフはあなたの個人の電話やメールアドレスに、募金を依頼することはない。絶対に相手にしないこと。
・多胎は下品扱い(畜生腹)
・嫁の稼ぎは農協振込み→姑が搾取(顔パスで勝手に下ろす・姑の口座に振り替え)
・嫁の風呂は一番最後。ふろ水ワンダー有効利用で数日変えてない風呂水に入れられる場合も
・長男教で跡継ぎにこだわる
・嫁の物は姑の物、姑の物は姑の物
・汚宅が多い
・結婚できないと自分の事は棚上げで「女がわがままになったから」
・子が出来ないのは嫁が悪い
・お茶は贅沢品扱い
・冷凍庫は万能保存庫
・隣近所と虚しい見栄の張り合いをする。
・楽しむことは罪悪
・たとえ金はあっても死に金、特に嫁の可処分所得はゼロに等しい
・婚約の際、「農作業しなくて良い」と言うのはほぼ100%嘘
(しかもその嘘をつくのは常識なので騙している自覚もない)
・「小作」「名主」「庄屋」という概念は健在、農家間の会話に頻出する
・息子には嫁が来て酷使するのが当たり前だが、娘を農家に嫁がせることは絶対しない
・息子の生命保険は親のもの、JA共済なら勝手に受取人書き換え
・嫁いびりとセックスは最高の娯楽
・嫁が家事・育児・介護・農業・外貨稼ぎと馬車馬のように働くのはごく当たり前
(よってけなしこそすれ、ほめることは決してない)
・嫁は若ければ若いほどいいので、16歳大歓迎、15歳以下の青田刈り上等
・いくつになっても男の初婚の価値は消えない
(むしろ円熟味が増して価値があがる)と妄信している
・年商と年収は同じものであると思っている
・上記3つ+どんぶり勘定で、農協に多額の借金をしていることに気付かない
・老いたら子供の世話になるのが当然なので、老後の蓄えは考えない
世の中が変わって農家は減ったが、今のサラリーマン家庭の多くも出自は農家なわけで。
ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。育った町は関東に位置している田舎だった。電車に乗れば東京までたかだか一時間半か二時間程度の場所だったが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならなかった。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機で切符が買えなかった。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バスも早くて、夕方が差し迫ってくるともう乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。
電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げて田んぼに水を注ぎ込む小川も、稲穂の上を渡る金色に光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも遠く、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかなくて、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンもみな忌み嫌っていた。
私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。
高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住処を確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日何時間もかけて都会へと通った。
私は住処を確保できた幸運な一人だった。山の手の静かな住宅地の中の、学生用の古い汚い部屋でも、私にとってそこは「トカイ」だった。駅に着くまで田畑はなく、家々は軒を並べ、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈は一定の間隔で並んで闇を追い払ってくれる。都会には月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心があった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。
都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミかミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、蚊に食われたといいながらよくベンチに座って、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。
田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅、サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているのに、どこかに必ず境目があって、境界付近で二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然は存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。
山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから、東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、それだけで田舎だと言っているけれど、田舎はそうじゃない。
コンビニには車で出かけなければならないことも、コンビニは農協のようなものだということも、、新製品は何か月もしないとおかないような、そのくせいつからあるのかわからないような商品が段ボールで積み重ねてあるということも、あなたたちは知らない。発売と同時に新商品を手に取ることができる喜びにあなたたちは気づかない。駅と駅の間が近くて、自転車で行き来でき、一つの場所に店が集まっていないせいであちこち足を運ばなければいけない不便性は田舎のそれとは違う。
大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎、邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎だ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景をあなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的地から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしないのが田舎だ。あなたたちはそれを知らない。
盆や正月に田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかないから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野も秋葉原も新宿も池袋も渋谷も原宿も東京も丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。
ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものだから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。
ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせちの材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。
そうして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。私はABABでいいものがあれば買うし、同じようにしまむらで掘り出し物があれば買う。田舎よりも安くで手に入れることのできるものは都会で買い、田舎で安く買うことのできるものは田舎で買う。どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想でしかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだ。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。
「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想でしかない。幻想でしかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。
私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。
記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。
父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証の本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。
引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルドも本屋もミスタードーナツもある。旧市街地は門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。
バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置している新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに行った。
父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分で都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校も私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙な時間的距離は苦痛だったのだろう。
子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。
そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。
祖父母にとって東京は得体のしれないところだった。彼らは東京駅で人込みの歩き方がわからなくて、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。
たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京にイオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列のショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。
あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウンの生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想に右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。
私の住む東京と千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内とはいっても下町だからここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎を志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。
それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。
程度は軽いものだったらしく、基本的に身体に後遺症は残らないが、元々弱視だったのが片目失明だそうだ。
はっきり言って。正直この人が倒れたとかどうのはどうだっていい。暇な時は一日中パチンコに行き、農協の役職?に就いていたらしく社会的地位はゼロなのに無駄に威張り散らす。父も母も疎ましく思っていたのは明白だ。そう、倒れた事なんてどうでもいいのだ。
季節は9月。秋。誰がなんと言おうと農繁期である。規模の小さい我が家は農業だけでなんて食べて行ける訳はなく、父も私も会社員だ。基本的には祖父と祖母が田んぼと、梨を作っていた。そのどちらもがこれから、ちょうど最盛期を迎える。梨のことは父が「なんとかする」といっているが問題は田んぼだ。素人が機械に乗って稲刈りなんてできない。では知り合いか、どこぞの農業法人に頼るしかないではないか。
そこでさらに問題が発生した。「稲刈りしてもらうにしたってお金がいる。そのお金はどこにある?」祖母は何も知らなかった。年間を通して農業に従事しているにも関わらず、祖父から一銭も受け取ってはいない、故に何処にお金があるのかわからない、と。
直接祖父に聞いてみたが返事は返って来ず。もう話す事も出来るというのに、お金の話になると苦しみだす(おそらくふりをしている。)父や祖母は気付いていないようだったが、私にはわかった。「こいつ、多分借金してやがるな」
彼がパチンコ好きだったのは周知の事実である。父はギャンブルはやらない。祖母や母もやらない。しかし、私は一時期パチスロにハマってしまった。ほんの微小な額ではあるがお金を借りてギャンブルをするという経験がある。経験者は語るではないが、勘は働くようである。直ぐに祖父の口座やなんかを洗っていった。
事実、彼(もう祖父とは呼びたくない)には借金があった。通帳を記帳したらマイナスがついていた。定期預金の口座はない。単純に借り入れをしている。その他にも、口座に「借入金」という入金がいくつかある。これは農業を営む為の何かなのか。今はまだわからない。しかし、去年の確定申告書を見る限り、経営自体は赤字ではない。個人年金も受給している。やはりパチンコで借金を作ったとしか思えない。
稲刈りをしてもらうには40万円ほどかかってしまうらしい。それは米を出荷するお金でなんとかなるそうだ。しかし借金はどうするのだ。彼はもうおそらく農業は無理だ。何せ車が運転出来ない。祖母は出来ない事はないが苦手である事に間違いはない。父と私と母は会社勤めを止める訳にはいかない。そもそも採算のとれない農業なんてやる気がない。
これが今回私の家族に降り掛かった事の今までの経緯だ。これからどうなるかはまだ何とも言えない。とりあえず相談できそうなのは農協くらいなものなのでそこに頼ってみるつもりだ。しかし口座のマイナスが消える訳ではない。
彼が退院してきたとき、私は彼を家族として迎え入れる自身がない。彼の人格はともかく、私は私の愛する父と母を苦しめた彼を、許す事など到底出来そうにない。