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はてなキーワード: 貸し剥がしとは

2023-11-02

anond:20231102132012

蛇なんてヤマタノオロチもいるし普遍的やろ

血縁による貴族主義に対する反発なんて日本にも共通したものだし

銀行業貸し剥がしなんてなんか日本ドラマでも悪役にされてたろ

あれ?こいつ死喰い人じゃね?

2022-09-25

anond:20220925143630

関係ないのは無借金企業上場企業との取引依存してない非上場企業だけだぞ。

株式担保融資受けてる企業もあるし、直接担保にせずとも株価=資産価値は返済能力に直結するから株価暴落したら銀行は金を貸さなくなる。

貸し渋り貸し剥がし連鎖倒産だ。

上場企業が傾けば下請け死ぬ

日本国債も買われなくなって金利も暴騰だ。

2022-09-06

銀行貸し剥がしをしてでも投資をすべきか

より儲かりそうな金融商品に全振りすべきか

2022-07-13

[]貸し剥がし

貸しはがしとは「融資をした個人企業に対して、返済期限前に返済を迫ること」

https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2018/ISQ201820_021.html

借金漬けの実情

スリランカ名目GDP2017年)は871億ドルである。それに対して政府の対外債務は310億ドルとなっている。ちなみにスリランカ2008年から2018年の間に中国から借り入れたのは72億ドルである4。これをスリランカは返済することができないでいる。なぜか。一つには、中国融資の条件が他の国や機関より厳しいかである金利が2%のものもあるが、なかには6.5%に設定されているものもある。据え置き期間も短い。二つ目には、融資を受けて作られたインフラ利益を生んでいないことがある。コロンボ首都圏とカトナヤケ空港を結ぶ高速道路は、確かに役に立っている。しかし、電力事情を一気に解消すると期待されていたノロッチョライ発電所(8億9000万ドル)は故障を繰り返している。マッタラ空港(1億8000ドル)は世界一ガラガラ空港と言われている5。ハンバントタ港は2017年一年間の寄港船数が251隻と惨憺たるありさまだった6。これらの操業による利益を返済に充てることは全くできないどころか、利益を上げているコロンボ港などの稼ぎで赤字補てんしている状態だったのであるスリランカ側は中国に返済の延期などを求めたが、中国側は聞き入れなかった。

2022-05-05

anond:20220505104633

ついでにいっとく、

今、銀行からお金は借りれないよ。しっかりした担保がなければ。

そして誰も銀行からお金を借りないよ。信用できないから。

から貸し剥がしもクソもないねん。

anond:20220505104633

円高で90年代以降「雇用率」は悪化したんや。

そのメリットとして大型公共事業をやりまぐったんや。

借金けがふくらんでいったんや。

これじゃぁアカンとなって、借金があるから首が回らんのや政策をとられて、

貸し剥がしを横行したんや。

山一破産とかそのころや。

このときに「民間債務」が激減したんや。

これに伴って自殺者も急増したんじゃ。

今の日本体たらくはこの人達を殺したことだよ。

anond:20220505103717

貸し剥がしが再発して自殺失業が急増するような経済状況になってないことは認めるんやね

暴落日本経済破滅するはずやのに不思議やなあ

anond:20220505103639

自殺者は銀行貸し剥がしが一段落していこうずーーーーーーと減っとるわぼけ。

2022-05-02

anond:20220502065749

ものつくりを忘れてしまったんですわ。

銀行貸し剥がしをして、融資をするにも担保を厳しく求める。

誰も何も作れない。

大手企業もね。

2022-03-06

anond:20220306111528

ロシアはなんだかんだ政府財政黒字と、経常黒字を続けている。この点新自由主義的でもある。

しかし、儲からない段階の科学研究投資政府がやらないと誰もやらない。だから徐々に産業劣化していって国が弱くなっている。

中国バブル以前の日本を真似たか科学研究投資をめちゃくちゃしている。だから世界2位の経済大国となった。

日本は昔は長期的な科学研究投資をしたが、バブル崩壊に貸し剥がし消費税増税で対抗して長期不景気にし、政府も近視眼的な費用対効果を求める新自由主義に移った。故にどんどん産業劣化している。

やる気がないだけだ!やる気出せ!起業だ!イノベーションだ!とピエロが叫ぶだけ。歩みだしたやつは餌でしかない。

新自由主義と、科学技術立国自体対立する概念かもしれない。ロシアマルクス主義から新自由主義に移ったがために資源国にしかならなかった。中国マルクス主義から科学技術立国に移ったがために強国になった。

科学技術立国には、儲かる前の科学研究投資絶対必要で、近視眼的な費用対効果を求める新自由主義とは相反するから

2022-02-23

anond:20220223222308

貸し剥がしはだめだったらな。そもそも貸し剥がしインフレ気味のときにするべきものだと思う。バブル崩壊企業が保身に入り、バランスシート修復に行うときにはだめな選択だ。それから成功すれば儲けが多い資金調達手法を緩和するべきだった。

何よりも一番は消費税増税と、貯め込まれる形での法人税、累進所得税金融所得課税減税。貨幣流通速度ダダ下がり。

1970年代アメリカスタグフレーション解決策として用いられてきたのを、そのままデフレ日本に当てはめちゃだめだった。

anond:20220223221118

いつ日本札束すったんだよ?

ゼロ金利銀行民間に金を貸し出すようになったか

それどころか90年代は、貸し剥がし時代だったじゃん。

anond:20220223220335

ゼロ金利なんてもうリーマンショックはるか前の話やないか

でも銀行が金を借りたか

90年代、とてつもない貸し剥がし民間債務が激減したんですよ。

2021-12-19

anond:20211216042443

経済学上の投資と言われるのは、資金調達して支出する行為住宅投資設備投資研究投資など。金融市場に金を入れるのは金融投資だが、それだけでは金融市場で止まってしまう。

あくま金融所得は、株式債券発行をして資金調達しての設備投資研究投資に再投資したものは減税、それ以外は増税メリハリをつけないとならなかったんだよ。

さらに、税制メリハリをなくして法人税を減税したのも良くなかったな。貯め込んでも減税で貯め込まれ不景気になってますます設備投資研究投資をしなくなるという悪循環に陥った。

また、日本資金調達借入金主体にも関わらず貸し剥がしをした。バブル崩壊土地担保にするという枠組みも崩壊した。これで企業が借り入れを嫌うようになった。一方で増資に67%の賛同必要だったり、優先株を発行するハードルが高い。このあたりの資金調達を使いやすくする必要がある。

2021-11-28

anond:20211128080304

バブル崩壊に対して貸し剥がしをして景気への逆噴射たからだよ。あと財政出動で景気が回復しそうなとき消費税増税逆噴射からな。

それから中国韓国産業育成に金を注ぎ込みまくって今のシェアをえたことを考えると、日本産業育成に政府が金をかけるべきだった。

半導体はまさに装置産業でべらぼうな設備研究投資必要。景気が良くて、かつ投資が失敗したときのためにリスクを減らすことが必要だった。新自由主義が間違っていたからの衰退だな。

2021-10-30

anond:20211030142655

90年代にな借金「悪」

借金があるから首が回らなくなって、次に行かれへんのやっていう一大イベントがあったんや。

もうとにかく貸し剥がしの嵐。

民間債務が一気になくなった。

そしてリスクを取る人が誰もいなくなった。

2021-10-27

anond:20211021181651

一足先にバブル崩壊があったから。そして、当時は新自由主義緊縮財政貸し剥がしが正しい。財政出動は間違ってる。不景気でも企業をどんどん潰せという政策が幅を利かせてたから。

なお、2008年リーマンショックがあって、更にコロナショックがあって、金融緩和財政出動が正しいということで世界は大転換した。だけど、日本は大規模経済危機には緊縮財政規制緩和構造改革だ!なんて会を持ってるからまたさらなる日本の一人負けに見える。

そしてそんな馬鹿げた政策を掲げる維新議席を増やしそうという地獄、、、、。

2021-09-30

anond:20210930232636

ならないね借金した総額自体関係ない。

そもそも国全体の資金需要資金調達しての支出資金不足)と供給(貯蓄、資金余剰)は一致するんだ。

家計の貯蓄近く、企業資金調達して支出しているとき政府中立になる。だけど、バブル崩壊と、貸し剥がしと、貯め込んでも減税の法人税減税と、新自由主義による不景気で、企業が金を貯め込みまくってる。その裏返しで政府借金しないと景気落ちる状態になってる。

から財政出動して景気を上げて、使ったら減税、貯め込んだら減税とメリハリを付けて、再び企業資金張達して支出している状態に、政府借金で支えずとも景気が回っていく。ついでに、産業が強くなるから外貨借金から財政破綻ハイパーインフレも起きなくなる。

2021-09-26

anond:20210926061410

民間借金含めた資金調達してってのがバブル崩壊からずっと起きてないの。貸し剥がしなんかもしちゃったからな。

そのとおり。でももう20年以上ずっと低金利が続いている。

にもかかわらず民間債務は2000年からずっと下がっている。

銀行お金を貸すリスクが、ほとんどないのにも関わらずだ。

国債リスクが非常に小さい一方、そのお金には期限が伴う。期限を迎えれば市場から消滅する。毎年20兆円の税金消滅している。

民間債務は、リスクが大きい分、そのお金消滅することはない。市場に残る。

それはとてつもなく大きな違いだ。

まりにもリスクをとらなさすぎている。

anond:20210925193142

資金需要資金調達しての支出資金不足)と供給(貯蓄、資金余剰)は等しくなるんだよ。

なので、家計企業がともに資金余剰で政府中立なんてものはありえません。

家計の貯蓄近く企業資金調達して支出しているとき政府中立を取れるの。

民間借金含めた資金調達してってのがバブル崩壊からずっと起きてないの。貸し剥がしなんかもしちゃったからな。増資や優先株発行や劣後債などの資金調達がしづらいってのもある。貸し剥がしインフレだが不景気ときにするべきもの

2021-09-18

anond:20210918073539

だな。

逆に1980年代アメリカ産業衰退し、インフレが強かった。その時は不良債権処理して、資金市場資金供給し、次の産業となる部門資金調達しやすいように金利を下げなければならない。だけど、それは1990年代バブル崩壊後の日本に当てはめてはならなかった。

好景気とき不景気ときでは必要経済政策は全く違う。貸し剥がし1990年代日本にはしてはならなかった。

2021-07-24

anond:20210724214832

日本赤字は、政府赤字か、海外との経常赤字かで意味が違うけど。

デフレの最たる原因はバブル崩壊財政出動不足、消費税増税、累進所得税減税、法人税減税、そして貸し剥がしだよ。

日本企業は借入金重視だったのに貸し剥がしBIS規制で貸し出しをしにくい状態にした上で、増資など借入金以外の資金調達手法を整備しなかったのも問題だ。

2021-07-09

anond:20210709085041

まりメリットはない上に政府はこんな風に金融機関を使って締め付けてくることがあるのかと認識した他業種までいざという時の貸し渋り貸し剥がしを警戒し出すみたいなデメリットはありそうなのがな

2021-06-22

anond:20210620175521

かいバブル崩壊ならいくつもあったよ。

単にバブル崩壊に対して適切に対処しただけのこと。好況と不況のサイクルなんざ経済につきものなんだが、新自由主義は一度大きめの不況が起きたら二度と立ち直れない。

日本バブル崩壊後に、貸し剥がしするわ、消費税増税するわ、金をため込む場所を減税しまくるわと金の回転を無視した新自由主義政策をとったか不景気を30年続けたの。

2021-06-19

父の日によせて

父のことを思うとき、いつも思い出す光景があります

それはある週末、スーパーから自転車で、自宅までの帰り道。

当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。

スーパーから家まで自転車10ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。

あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。

身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中丸めママチャリをこぐ姿は、食卓ビールウィスキー焼酎ちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。

父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。

その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社ひとつに、運良く入れていました。

そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネット会社役員として送りこまれてくるわけです。しか親会社セミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネット御社ビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。

そこで私がやってた仕事ひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータ相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。

そんな、ニワカな私がニワカな役員サポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベント出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います

大企業出身エライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女からということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社お金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。

そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要ときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。

それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれ家族旅行で伊豆ホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラチョコレートストロベリーアイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。

そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。

でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。

しろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。

岩手県の奥地でだいたい10兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校卒業すると集団就職上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから家族会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。

祖父会社オイルショックかいろいろありながらも、高度成長期バブル景気でそこそこに拡大、多いとき社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父会社仕事より、地元運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。

でも90年代バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行から貸し剥がしを受け、頻繁に資金ショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。

これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社ITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネ会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います

なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロ自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。

大きくて、小さくて、でもやっぱり大きくて温かい、父の背中

高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落レストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。

西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。

…こういう話って普通結婚式のときかにするんですよね。

照れくさくてなかなか言う機会がなかったんですが、このコロナ下でなかなか会えないので、今やっと言葉しました。

直接言えよって感じなんですけど、まあ、こういう人たちもいるよってことで、この場所に置かせていただきます

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