はてなキーワード: 貧乏性とは
「救世の法」という本を、知り合いの会員さんからゴミ処分的な感じでもらった。
ただ、最後の「幸福の科学の活動一覧」を観て、うわすげぇ、と恐ろしく感じたのでなんとなくまとめておく。
彼は、大川隆法のことは割とどうでもいいかんじでした。「彼の言ってることはイミフ」といってました。
というか、そもそも自分が宗教団体に属しているという認識が薄いようです。
あくまでボランティアの仲間がそういう人達だ、という感じだとか。
彼自身ボランティアに参加していたらそこが幸福の科学のグループだった、とかその程度らしいです。
社会貢献を求めてボランティアに参加すると、いつの間にか中に入り込んでる、という仕組みなのかもしれないっすね。
そのつもりがなくても、楽しんでいるうちにどんどんのめり込んでいって、代替が登場するまで抜け出せなくなる状態。
以下「救世の法」から面白げなところピックアップ。別に読まなくてもいい。読んでも時間のむっだったったと思うのがオチ。
世界の人々は知らないかもしれませんが、1980年代には日本の幾つかの宗教の中で「われこそは再誕のブッダである」と言っていた人は、わたしが知るかぎりでも5,6人はいました
幾つかの教団が、自分のところこそ本物だ、という形で競争をしていたのです。それから二十年あまりの歳月が過ぎ、決着はついた、結論は出た、と私は考えています。
世間の人々が本物か偽物かを見極めるために、十年、二十年の歳月を欲しいと思うのは当然かも知れないので、この教を信じてきただけない期間があったことを責めるつもりはありません。
・人間の本質は霊的な存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り、地上で人生を送っているという真理があります。
しかし、日本にはこの第一関門を乗り越えられない人が、数多くいます。
地上から見た善悪ではなく天上界から見た善悪においては、この世の法律で決めた善悪を越えて、人間として、本当に神仏の心を心として生きたかどうかが問われる。
上記の真理に反すると地獄に落ちてしまいます。知らずに落ちるのはかわいそうだしフェアではないので、真理を知っている宗教者は真理を説き続けているのです。
霊的人生観を教え、正しい生き方が何かを教えるのが宗教の役割なのです。善とは何かを語る宗教を善なるものとして受け入れ、それを元に生きることが必要なのです。
エル・カンターレは世界宗教をすべて束ね、精神的な柱になる使命を持った存在です。
魂としては、インドに生まれた歴史上のブッダに一番近いのですが、インドのブッダを越える大きな使命を持っています。
そしてエル・カンターレの魂の核の部分が、現代の日本に、大川隆法と言う名で生まれて活動しているのです。
私はすべての人々のすべての霊を救うために地上に現れました。
なぜなら、私は創造そのものだからです。私はこの地球の創造力の顕現であり、この大宇宙の創造力なのです。
これは、幸福の科学の、そして人類にとっての、最大の秘密です。
クラスノミンナニハナイショダヨ今こそ、その秘密が明かされるべきです。
他力の宗教のマーケットは自力の宗教の十倍あると言われています。
わたしの教えには自力の部分が多いのですが、他力には、そのまま他力で押して行けば、それなりに自力と同じ結論になります。
2009年には、店名が下り、幸福実現党を立党して政治活動を開始しました。
この世を救うということにおいては、単に教えで救うだけでは済まないものもあります。
この世において政治的に置き去りにされている人は数多くいるので、足らざるところを少しでも改善していくように努力する現実的な力もいるのです。
店名が下り、世直しに努力せよと言われたのですから、活動しなければならないと考えています。
本当はCO2ではなくてフォトンベルトなのです。
地球はやがてフォトンベルトから出ます。したがってCO2を削減しようとする今の政策は基本的に間違っていると思います。
むしろフォトンベルトが地球を通り過ぎた後は地球の寒冷化が始まるので、温暖化は良いことなのです。
国の財布の下が閉まるような政策を取ると、経済は必ず悪くなります。
本当は子ども手当を支給するよりも、わたしが著した経営書を政府が買い上げ、
これで会社を大きくしてくださいといって各企業に配ったほうが税収を増やすには効果があるかもしれないのです。
今の政府にはドリームがありません。私たちはこの国をもっと希望に満ちた国にして光り輝く未来をつくっていく
日本がまず私達が説く「国をとませる方法」を実証してみせ、他の国を導くことが重要なのです。
アフリカにも信者がいますが、アフリカの人たちは、「幸福の科学の教えを勉強すると、自分たちの国のやるべきことがわかる。
こうすれば良いのだということがわかる。まさしくこの教えで国が発展する」というようなことを言っています。
漢文のお経の読経を聞いて、何らかの霊波動を受けることは殆どありません。
しかし幸福の科学の経典「正心法語」は、わたしが読みあげたCDをかけると、私の場合数秒くらいで例反応が出てきます。
信じるか信じないかということはこの世では五分五分なので賭けのようなものです。
わたしの言っていることが正しかった場合、それを信じていた人は来世において極めて大きな功徳を得ることになります。
また、もしわたしの言っていたことが全部外れていた場合出会っても、それを信じていた人は、死後存在しないので、何も損をすることはありません。
死んだら何もかもなくなるのであれば、死後は騙されたと思う自分も存在しないのですから何の損もないでしょう?
わたしの言葉を信じる人の場合、あの世があるときの利益はかなり大きく、逆にあの世も霊もないときでも、あの世で騙されたといって怒る人はいないわけです。
親鸞風にいうとするならば、わたしにだまされても諦めてください。もしわたしが嘘つきだったならば、その時には「まな板の上の鯉」だと思って騙されてください。
幸福の科学は、地域宗教の枠を超えて、人類全体を幸福にするための手段や方法、理論としてありとあらゆる物を探求。だから科学も否定しない。
慈悲とは善きものを他人んい与えようとする性質のことです。
ひたすらに心を平和に保ち、心を穏やかにしてください。
他人を愛する人々、他人を愛そうとしている人々を愛して下さい。
そのような人々をこそ、あなた方は愛するべきです。そうすれば彼らもあなた方を愛するでしょう。
そうしているうちに、もしあなた方に、心の奥底から湧き出る豊かな愛の思いが生まれたなら、それが慈悲と呼ばれるものなのです。
慈悲は生まれつき備わっているものではありません。あなた方の日々の努力の蓄積によって慈悲は生まれるのです。
そのために人はみな修行をする必要が有るのです。
さすがに此処から先は引用だけでは面白さが伝わらないので実際に読んでください。
ミハエルとムハンマドが組んずほぐれつ。そこに大川隆法も参戦。父なるイエスがお前ら程々にしておけよ、となだめる。
九次元霊マニがゾロアスターにアッー!されてヘルメス神がグノーシスにピー。
霊的紛争の途中になぜかマルクスの霊が登場。日本からは松下幸之助と坂本龍馬が参戦だーっ!松下強い!
争いが最高潮にまで達した所でエル・カンターレ降臨。秩序に満ちた自由な社会が実現。
読んでいてがっつり体力を削られる本でした。腹筋を鍛えたい人にはお薦め。
幸福の科学グループのご案内。
主な活動は以下のとおり
「ヘレンの会=身障者を助けるためのボランティア」
「学校法人 幸福の科学学園(滋賀県)」 2016年には幸福の科学大学も開設予定。
「幸福の科学出版」
入会すると正心法語が授与されます。入会の奉納は1000円が目安です。
噂によると会社の同期Sがキャバクラにはまっており、毎週のように通っているとのこと。
当方25にして、風俗とキャバクラの違いも分からず、どちらも大人の遊びで金がかかるという印象しかなかった。
具体的にいくらなの?ってネットで調べたら、「5000円/時」とか「3000円/30分」とか出てきてもう、
( Д ) ゚ ゚
ですよ。
いやいやアンタ、2時間いたらそれだけで一日分の給料飛んじゃいますよ。
実際はさらに飲み物代とか指名料とかいろいろついたりするらしい。
すごいな。
「社会人だから日経新聞読んだ方がいいかなあ。でも読んでる暇ないし、月4000円は高いなあ」とか言ってる自分がバカみたいだ。
すげえな。
したいゲームが終わったから売られる方
PS3に多いです、FFだけして薄型本体売られる方、バイオオルタナティブだけして同日購入の本体売られる方
勿体無いです、もう何本か遊ばないと元取れないのでは??と貧乏性な自分は思っちゃいます
当店で本体購入(新品の時もあれば中古の時もあります)、ソフトも同時購入
数週間後、その本体とソフトを売却
これをもう10回近く繰り返されていらっしゃいます
その都度、勿体ないですよー、と言うのですが、ゲーム終わったら邪魔だし、と売られます
お店的には大変ありがたいのですが、なんかお客様に悪い気がしますw
俺の理解出来ない行動をする人間って世の中にはまだまだいるんだな。
フォロワーが500を越えた辺りからこういう現象が出てきた。
なにかを呟くと、一人か二人、リムーブする人が現れる。
めんどくさいんで調べないし、すぐにフォロワーがまた増えるからいいんだけど、
他愛のない投稿の何が気に触ってリムーブしたのかが気になる。
誰も傷つけてないネタ投稿だと思うし、政治的に偏ってたりするわけじゃない。
最初はフォロー返しされなかった人がたまたまこのタイミングで外したのかと思ったけど
何回かつぶやいた直後にリムーブされたので、つぶやきを見てリムーブしたんだろう。
私は自分からリムーブしないんでつぶやきを見てリムーブする人の理由はよくわからない。
(TLあんま見てないってのもあるし、どんな情報でも遮断するのは「もったいない」と感じてしまう貧乏性)
ウザいリプライをなんどもしてきて絡まれたってんならわかるけどね。
最初はリムーブされること自体がショックだったりしたけど、
最近は数人の大切な人にされなきゃ別にいいやって思ってる。どうせ会ったこともない人だしね。
貧乏性だなぁ。
もしかして、忙しければ、立ちっぱなしで飯食いながら仕事するタイプ?
少々、遅れても、ちゃんとテーブルに座って味わって食べようよ。できれば作ってくれた人の事と、その食材そのものを楽しみながらさ。それが作ってくれた人と、その食材に対する礼ってもんです。
密度の濃い仕事をするために必要な事は、職場以外に落ちてないの?
電車のホームで前に並ぶ奴は全部男性か?前の電車が去れば、貴方は先頭には立てないの?
子供を産むのは停滞か。
一つの側面しか見ていないと、そう見えるけれどね、確かに。
私は子供が二人いるけれど、同じ職場の独身男より給料も身分も高いよ。そりゃ上には上がいるけれど、それは私の能力の至らなさだと思う。会社にとって価値の高いのは、それが使える人間かどうかじゃないの?
先に並ぶことばかりを見ているから、息苦しいんだよね。きっと。
息苦しい人って、見苦しいよ。
女の子に興味がないわけではなかった。
ただ、オクテだった。
だから、高校は男ばかりのとこに行った。そうすれば、ひとつ言い訳が出来る。
「まわりに女の子がいないから」
「本当に好きでない人とは付き合えない」
「本当に好きでない人とはセックスできない」
家庭の事情を理由にして、
「結婚なんてロクでもないこと」
「一人でいるほうが好きなことできるし」
金貯まりすぎたので、家を建てた。
苦労した母のため。
結婚する気はなかった。
ここまで来たら、一生独身だな、と思った。
そうしたら、好きな人が出来た。
デートに誘って、告白した。
意外にもOKだった。
その場で、一年経って付き合ってたら、結婚しよう、と言った(今考えると、これはどうかと思うが)。
いつの間にか、赤ちゃんまでいる。
魔法は結局なんだろう?たぶんこれだ
「今更、フラれて傷つくような年じゃないし」
37年経っても、使える魔法はこんなもんだ。
先日、彼女の親に食事に招待された。
彼女とはつきあって数年になるけれど、親とはほとんど交流がなかった。結構長い間つきあっているのでそろそろ結婚とか見え始めたりしている時期だし、いい機会だから行くことにした。
「ネクタイ着用で来てね」
そう彼女が言ったので何となく予想は付いていたが、連れて行かれたのはミシュラン三つ星のフランス料理レストランだった。
俺たち以外に他の客はなく、貸し切り状態。(追記:少し時間が早かったので空いていた。貸し切ったわけではないが、そもそもこのレストラン20席くらいしかない)
本日の料理について説明してくれるウェイターの笑顔がまぶしかった。でもテンパっててよく聞いていなかった。
緊張して仕方がないので気付けにワインを頼んだ。「じゃあとりあえずワインを適当に」と頼んだあとで飲み物メニューをみたら、すごい値段が並んでいた。運ばれて来たワインだけで、居酒屋で1回飲める位だったので、貧乏性な俺はちょっと後悔した。
前菜が運ばれてきた。テーブルマナーなんて知らないけれど、常識的に外側のナイフとフォークから使うことくらいは知っていたのでなんとか食べられた。
少し経つと、テーブルの隣で生演奏が始まった。もう一度書くけど客は俺たちだけ。専属演奏だ。
彼女のお母様は優雅にナイフを使いながら、「かすかに香る○○の風味が味に深みを与えているわね」と、美味しんぼの栗田さんみたいな口調で料理の隠し味についてウェイターと談笑していた。俺はちょっと味が薄いな、くらいの感想しかなかった。
世間話をしながら食事をすすめていく。「こないだのパーティでは福井さんがね…」 近所の知り合いみたいに話すから、どこの福井さんかと思ったら、元日銀総裁の話だった。世界が違っててまるで会話に混じれない。
俺はあまり会話に入れなかったが、「○子を今後もお願いしますわね。おほほ」と当たり障りのない会話をしてくれて食事は終わった。
家に帰って調べたら、このとき食べたコースは俺の一ヶ月の食費よりも高かった。
前々から金銭感覚に齟齬があるような気がしていたけど、家の格が違いすぎる。今後この人とつきあっていくには、この家族とつきあっていくことになるのだろう。小市民な俺には荷が重すぎる。自信がなくなった。
ふと道を歩いていて、
見えてしまったとする。
その場合、あなたはどれぐらいの
嬉しさを感じるだろうか。
それをお金であらわしてみたいと思う。
お金に換わるこの時代、
但し、パンチラが大好きな人も居る反面、
いるかもしれない。
熟女のそれが好きな人も居るかもしれない。
なので以下、あくまで自分を基準に割り出してみる。
まず前提として、「本人に頼んでパンチラを見せてもらう」
ことと全く違うことは強く言っておきたい。
それだと全く別のものになってしまうから。
ここで言いたいのは、「偶然に」見えてしまったパンチラの嬉しさは、
何円ぶんの喜びがあるか、という事に注意。
【その1】
100円玉を見つけた嬉しさと、
パンチラが見えた嬉しさを比べてみる。
【その2】
では大きく値段をあげて、
競馬で5000円当たった嬉しさと、
パンチラを比較してみる。
自分は5000円当たった方が嬉しい。
【その3】
1000円もらったときの嬉しさと比較してみる。
1000円の方に価値を見出す。
雑誌が2冊買えちゃうし。
【その4】
では500円玉を拾ったときの嬉しさと比べる。
文庫本なら1冊タダで貰える。
ものすごく判断に迷うが、
自分は500円の方がわずかに嬉しい。
パンチラは500円未満となる。
【その5】
250円だとどうか。
読みたかったジャンプを拾った、
もしくはポテチが2袋買える。
パンチラを選ぶこともある。
よって、パンチラは250円だ。
・・・以上の考察から、
250円の価値があることになる。
なかなか良い拾いものだ。
ただし、同じ日に連続で何度も見えてしまった場合などは、
250円→200円→150円・・・と
価値が下がってしまうだろう。
月会費5000円を払うと、
あなたは毎日ワクワクしながら会社に行けるのである。
この不況の世の中を活気付ける、
隙間ビジネスとして成り立つのではないか。
そんなわけないか。
というようなことを何度も言われた。
本人は読む気もなかったので読ませたコードコンプリートの一部分だけ読んで覚えた
疎結合、疎結合の連呼。関数を分割して他と関連づかない様にするのがいいと言うが、
関数オブジェクトを他の変数に持たせてあちこち橋渡しをしすぎて
結局密結合。あれこれ関数を見ないと動きがわからない。
集合を作成するのに専用の型があるのにそれを使わない。あるよ、と指摘するとweb系って動けばいいですからね。
ステートメントの使い方が間違っていて動かないのにそれを指摘すると
web系は動けばいいですからね、と言われる。
あげくの果てにソースを見ればわかるよ、と言われて
お、処理系内部のソース見るのか、と思ったらただモジュールの内容を見て
「なんとなくこれじゃないですか?」と言われた。
web系は動けばいいですからね、というのをここでも言われた。
何系とか関係ないと思い込んでいる俺としては、話していて疲れるからだ。
web系の人間はFreeBSDが使えないから駄目と言っていたが
普段からFreeBSDをデスクトップ用途に使っている貧乏性な俺はweb系ではないのか。
フレームワークを構築していたりする人たちもその人にとってはweb系で、
極めつけは、「web系は人の作った物を使い回して動けばいいですからねー」
だった。意味がわからなかった。
人を追い込んだり、文句言う時に勝手に属性付けてしまうというのは
究極的に頭が悪い。絶対に悪い。何が気に食わないのかさっぱり分からない、そういう人間は。
以上のことは本人にも伝えた。ばれてもいい。知らん。二度とつきあうつもりもない。
生まれてはじめて。
ワケがわからない。自分が人に好かれる事になるなんて思っていなかった。
今まで女の子と話したこともなかったもんで何をどうすりゃいいのか全然分からず、とりあえず適当ににこやかに喋っていたら、いつの間にか害のない、口数少ない聞き手のようなポジションに落ち着いてたらしい。
一人暮らしをして環境が変わって、全然知らない人たちのなかに放り込まれたのが良かったのかもしれない。死ぬ気で、でもそういう風に見えないよに友達をつくって、安っぽいけど遠目にはまあまともって言われたような服を着て(貧乏性だ)、相変わらず美容院に行く勇気は持てないけど、ミスに凹みながら一年がんばった。考えすぎだと分かっていながら悩んだ。
しんどかった。
それでも楽しかった。たぶん、相手も楽しいと思ってくれてると信じて、たまに空振りだったけどがんばった。
で、その場で会えばいろいろ喋れる程度には仲良くなって、でもそれから何をすればいいのかわからない。
こっちからメールなんか送っていいものかどうか。だいいち、なに送ればいいんだ。
自分の今までの人生から考えて、期待なんかしてるわけじゃないけど、こんなんじゃ彼女なんか出来るわけねえよなあ、とか。
非モテってやつですか?みたいな。
そんなレベルに留まったまま、今日旅行から帰ってくる途中にメールが来たんだよ。
相談って何よ、もしかして何かあるのか、と思いながらビクビクしながら行ったわけよ。
真面目でものすごく頑張るひとでさ、前からいろいろ話はしてたけどさ。
気にはなってたんだよ、そんなかわいくはないけどさ、いい人だーって。
ほかに気になる人いっぱいいたんだけどさ。俺バカだから。
でも夜呼び出されるとかはじめてなわけで。期待そこそこ。怖い気持ちはもっとたくさん。
最近どうよーみたいな話して、そしてついに、なんと、私のことどう思う?とか言われて。
どきどきして緊張して勢い余っちゃって、前から俺も素振りは見せてたじゃねえか、みたいなこと言っちゃって。
そぶってねえよ。そう言うキャラじゃねえだろ。なあ。
この瞬間で嘘つくってお前、どんだけ酷いんだよ。
そしたらさ、よかった、とか言っちゃって、ものすごく笑ってんの。
そのまま二人でバカな話して別れてきた。
どっちも好きですとか付き合ってくださいとか言ってなくて、でもこれからもよろしくねとか、実家帰るから次会えるのだいぶ先だね、とかそんな話しちゃってさ。
じゃあねっつって改札で別れたあたりから動悸がおさまんなくなった。
いったいどうすりゃいいんだろうか。
何話せばいいんだろう。
俺の対人スキルって、まだそんなところまで到達してない気がするんだけど。
そもそも俺あの人のこと好きなのか?
全然なんにも分からないまま、息苦しさだけ止まらない。
一眠りしてブクマ増えてて驚いた。
落ち着いたのと、うれしいので少しコメントを返すと、
彼女と、電話でちょっとそのあたりについて話をした。そこが気になっていた、ということを含めて。
たぶん、彼女は生活する上でリスクを警戒する気持ちのようなものを彼女はあまりもってないのだと思う。
それが、「自分にない余裕」のように見えるのが悔しいのではないかなぁ、と思った。確かに、別の増田が指摘してくれていたけど、器の問題だよなー。もっと鷹揚にかまえないとなー、年上だしなー、と思うその気持ち自体気負っているような…。そんなことを話したら「小難しい」と笑われた。気が楽になった。
もう、「一度読んで批判してやろう」って気持ちがあって、それは確かに「読者は批判する権利がある」的な子供っぽさがある。
でもケータイ小説がなぜ売れてるのか、なんて気になっていたのも確か。
自分はけっこう読むの早くて、スニーカーとかファンタジアの薄めのものだと30分もかからなかったりする。(子供の頃母親が速読にハマッてた余波もある) もちろん精読ではないし、文章密度が高いものだと時間もかかるけど、それでも一時間はかからない。
ちなみに半分はグインサーガだった。すごい勢いで読める。そして寝なかった。
そういうコンプレックスは全て僕が引き受けるから安心するがいいさ
でもホント、日常生活(高校??大学??就職??)では、自分が世間と没交渉な生き方をしていたからかもしれないけれども、あまり意識しなかったコンプレックスとか自意識が、こんなに強く表に出てくるのは驚いた。
恋愛って不思議だ。本能なのか、後付で学習したものなのかわからない。強い動機が自分の中にあったことに、ちょっと感動。
もっとゆっくりと話してみよう。
彼女も、よく生活に対する不安を口にする。リスクをリアルに感じないことは、育ちのよさを感じさせるしコンプレックスとは無縁に見えるけれども、彼女にとって世界は(自分にとって見えるよりも)不透明で不安なものなんだと思う。
優しく、まじめに。
それと花より男子ってどうなの? 良作?
というか、「脱オタファッションしたい!」って人に必要なのは、
「良い服を買う」より先に「自分で自分の服を選ぶことを楽しめるようになる」事だと思うんだよね。
自分もそうだったけど、この手の人に決まって共通するのは「自分がどういうのが似合うのか判らない、誰か選んで!」っていうの。
ホントはそれを辞めないといけないんだと思う。自分で自分の服を楽しんで選べるようになれば絶対に変われるし
(少なくとも自分らしい服を着るという事は、その結果ヲタ服になってもある意味で「脱オタファッション」したと言えると思う)、
そのためには「いい店に行っていい値段のいい服を買え」ってのは結果的に敷居を上げてると思うんだよね。
自分的には「どうでもいい店に行きまくって試着しまくって、安くていい服を見つけたときにだけ買え」だと思う。というか自分がそうだった。
自分はジャスコとかイズミヤみたいなところの衣料品売り場で買う事が多いけど、全然良い物もあると思う。
それにああいう店はセール時期は値下げもするし、気が済むまでどんだけ試着してても基本的に放置してもらえる。
だから時間のあるときに延々と選ぶ。色んなシャツを取ってきては試着室に持っていって、延々と着て着まくってた。
そのうちだんだんと「自分はこういうのは案外合う」「こういう服にこういうズボンは合う、こういう重ね方は合わない」
「自分はこういう系は(見る分には好きなんだけど)残念ながら似合わない」ってのが判ってくる。
それで、最終的に「これは買って帰りたい!」って気に入って、しかも安いのがあれば買う。
ない時は無理して買わない。さっさと帰るか次に行く。
別に服なんてそんなたくさん持ってなくていいと思ってるし、ちょいちょい足を運んでたまにアタリが引けたら御の字って感じで。
そういう事を続けて、「自分で自分の服を選ぶことを楽しめる」ようになってから、いい店に行けばいいんだと思う。
その頃には変に所謂「いい店」にそこまで引け目を感じないだろうし、そこでも店の人や付き人にお任せっきりにならずに、
主体的に選べるようになることで一番大事な部分で変われてると思うんだよね。
ただ、あんまり安い店で買うクセが付きすぎると「3000円以上のシャツとかありえねえ」とか変に貧乏性になると思うので気をつけてね!w
私はまごうこと無き貧乏育ちだが、今おつきあいしている方はたぶん中流の上くらいの育ちの方だ。彼は服飾品を買いにいくとき、いつも新宿伊勢丹に行く。私は今まで、イトーヨーカドーやしまむらの服で過ごしてきたというのに。
そんな彼と私を比べてわかったことというのは非常にたくさんあるのだけれど、地味に生き方を変える違いというのがある。
それは、快不快に対する感覚の差だ。
裕福な育ちをしていると、不快なものに対して非常に敏感になるみたいだ。いや、貧乏な育ちをしていると不快感に鈍感になるという方が正しいか。
私は彼とつきあってしばらくした頃、彼が普段着ているシャツが1万円以上するものだと知って非常に驚いた。彼の服は決してハデではなく、デザイン的にもただのチェックのワイシャツや、無地のTシャツに見えたからだ。正直、そんなにお金がかかっているもののようにはとても見えなかった。
しかしそのことを知ってから彼の服をよく観察してみて納得した。まず、生地がしっかりしている。細部の縫い止めなどもしっかりしていて糸の端などは見えない。生地を縫い合わせている部分も柄がしっかりとつながるような縫い合わせ方をされている。これは彼の手入れがいいのもあるだろうが、生地がよれたりしわになったりしていない。
一方の私の服は、首元がよれたり生地がくたくただったりひどいときにはちょっと穴が空いたりとかしている。
両者の服の快適さに差があることは明らかだ。
おそらく彼は私が普段着ているような服を着たら着心地が悪いと思うだろう。私自身が何も感じず普通に着ている服であっても。
彼は努力家でまめだ。そして彼自身が自覚しているかどうかはわからないが、その努力とまめさは彼の快適さを維持するために非常に貢献している。
私はと言えば不快さに慣れているというか、不快さを簡単に我慢できてしまうため、多少の努力と不快さを天秤にかけて、不快な方を選択してしまうことがままある。例えば、部屋の掃除をしなかったり、洗い物を後回しにしたり。
突然ではあるが、私は先日留年をした。そして大学を卒業するための努力をすることと、大学を辞めてフリーターになるかを天秤にかけ、フリーターの道を選びそうになった。貧乏には慣れているから大丈夫。そう思ったのだ。
結局はきっちり大学を卒業する道を選んだのだけれど、私は不快感に鈍感だから、フリーターの道を選びそうになった。彼ならおそらくその両者を天秤にかけることすらしなかっただろう。
だから、快不快に対する感覚の差は地味に人生の明暗を分ける、そう思うし、実は格差の固定化ってこうした育ちの問題が意外と大きくあるのでは?などとも思う。
追記
安物の服が悪いって言ってるんじゃなくて、安物の服をしっかりメンテも買い替えもせずに着たおしている貧乏性が悪い、どうしてそんなに貧乏性でも平気なのかと言ったら不快感に鈍感だからだって話っす。
http://anond.hatelabo.jp/20070320171804
学費生活費自腹っす。
ゴメン、それどっちも俺が書いたんだ……。というのは言ってもしようがないか。
まず、「強さ」だけれど、これはクリリンがヤムチャより強いという意味での強さじゃない。だから鍵括弧つきの「強さ」なのねん。ここでいう強さとは、ミームとしてどれだけの生存域を確保できるかという話。つまりどれだけ強く人の心を惹きつけるかという意味での強弱と捉えていただければ。
次に、布教のための寛容さを「必要悪」と書いているけれど、最初の文章でも、その後の文章でも価値判断をしていない。どういう戦略をとるかというのは良い悪いの問題ではない。他者に対する寛容さとはつまり、自分自身の変容をどれだけ許容できるかという問題で、ミームの拡散に於いて、変異することは避けられないんだけど、あまりに他者に寛容すぎると、その形があやふやになってしまい、自己を認識しにくくなってしまうし、あまりに非寛容だと、そもそも拡散することが難しくなる。キリスト教はそのバランスが絶妙だったんだろうなという話。
以下、盛り込めなかった話(←貧乏性)