はてなキーワード: 豆知識とは
酒→薬物。酩酊状態になって頭がおかしくなり、突然人を殴ったり、ひき逃げをしたりする様になる。摂取してない人間に多大な害を及ぼすリスクがある。
煙草→薬物。副流煙によって吸ってない人間の気管支や粘膜を傷つけ、鼻炎や肺がんにする。摂取してない人間に多大な害を及ぼすリスクがある。
砂糖→食物。食べすぎると栄養バランスが崩れて太る。虫歯にもなりやすい。摂取してない人間に多大な害を及ぼすリスクはない。
油→食物。食べすぎると栄養バランスが崩れて太る。腸内環境が荒れて肌荒れになる。摂取してない人間に多大な害を及ぼすリスクはない。
上の2つと下の2つ、最も大きな違いは明白だよね。
「摂取してない人間に多大な害を及ぼすリスクがある」の部分だよ。
酒を飲みまくってパッパラパーになった人は人間としての理性を失って暴力・強姦・窃盗なんでもやらかす犯罪者予備軍に早変わりするわけだ。
本人はあくまで「酒を飲んで気持ちよくなりたかった」というだけなんだろうけど、その果てにあるのは1人の犯罪者と無数の被害者。
この悲劇を防ぐためにも、酒に対しては一定の規制が行われているわけ。
煙草については人前で一本吸って一息吐いた時点でもう既に周囲に対して害が出てるんだよね。
呼吸器が強い人はあんま分からんだろうけど、弱い人間からしたらあの毒性は尋常じゃないよ。
鼻の奥にチクチクとトゲを突き刺されるような痛みさえ起こる。
あんなものを他人に吸わせておいて「誰に迷惑かけているわけでもないだろ」と言い張れる神経が信じられないね。
酒も煙草も明確に「他人に害を及ぼす可能性がある」わけですよ。
油や砂糖のとり過ぎでブクブクに人った太が電車で2席分専有してるとか、代謝がぶっ壊れて凄い悪臭を放っているとか、ああいうのは確かに周囲への害かも知れない。
でもあれってカロリーの過剰摂取で起きているものなのであって、その原因が砂糖そのものの性質によるものかと言えば違うんだよね。
量なんだよ。
タンパク質であっても過剰に接種すればブックブクに太ることが出来る。
デブの人がおかしいのは、自分の消費カロリー以上に食べてしまうことであって、食べている物自体は普通の食べ物なわけ。
この話をすると酒飲みが「じゃあ酒飲みだって、飲みすぎなければ問題ないだろ?」と言うんだけど、酒の持つ性質がその「飲み過ぎ」を抑制するための機能を人間から奪うことが問題なんだよね。
酒を飲むと判断力が落ちていって、自分が飲みすぎているかどうかさえ分からなくなって、限界を超えて更に飲んでしまい、頭がおかしくなって被害妄想から周りの人を殴ったりするようになる。
でも砂糖や油の場合は、そういった人間の脳を破壊する効果は全然少ない。
塩や香辛料のような舌に痛みを伴う刺激物の方が、痛みに伴うアドレナリンによって人間の脳をおかしくする効果があるとさえ言える。
今更かい?
散々「砂糖が規制されるぞ!」と言ってきて、こっちがポロっと塩の話をした途端に、旗をすげ替えるのかい?
つまりね、君等はその程度の理解と調査しかしてないってことだよ。
多くの人がちょっとした豆知識程度に知っている程度のことさえ分かってないし、わかろうと調べる気もないから、安易に「酒が駄目なら砂糖も駄目だろ!よく知らないけど!」って喚き散らすんだ。
「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」の元ネタ探求をしましょうね
いくつかバリエーションがある
「無人島に[本]をn個だけ持っていくなら?」
……のような
[本]の場合に「聖書」という回答が西洋でメジャーなことから、元ネタは日本以外なのだろうとあたりをつける
調査の初手はとりあえずこれ
Desert Island Discs - Wikipedia
Desert Island Discs is a radio programme broadcast on BBC Radio 4. It was first broadcast on the BBC Forces Programme on 29 January 1942.[1]
Each week a guest, called a "castaway" during the programme, is asked to choose eight audio recordings (usually, but not always, music), a book and a luxury item that they would take if they were to be cast away on a desert island, whilst discussing their life and the reasons for their choices.
Desert Island Discs は、BBC Radio 4 で放送されているラジオ番組です。1942 年 1 月 29 日に BBC Force Program で初めて放送されました。
番組中「漂流者」と呼ばれるゲストは毎週、8 つの音声録音 (通常は音楽ですが、常にそうとは限りません)、本、そして船で漂流された場合に持っていく贅沢品を 1 つ選ぶよう求められます。 無人島での生活とその選択の理由について話し合います。
このラジオ番組の存在から1942年時点で「あるあるネタ」であることは確認できる
アメリカの一コマ漫画で「無人島もの」というジャンルが存在する……が、それが特に流行ったのはだいたい19世紀初頭頃の出来事なので"Desert Island Discs"とそう時代は変わらない
普通に考えれば『ロビンソン・クルーソー』以降なのよ
『ロビンソン・クルーソー』は1719年4月25日に出版された
これが売れて多くの人に読まれたからこそ"Robinsonade"というジャンルまで生まれた
Robinsonade (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) is a literary genre of fiction wherein the protagonist is suddenly separated from civilization, usually by being shipwrecked or marooned on a secluded and uninhabited island, and must improvise the means of their survival from the limited resources at hand. The genre takes its name from the 1719 novel Robinson Crusoe by Daniel Defoe. The success of this novel spawned so many imitations that its name was used to define a genre, which is sometimes described simply as a "desert island story"[1] or a "castaway narrative".[2]
ロビンソナード (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) は、主人公が突然文明から切り離され、通常は難破するか人里離れた無人島に置き去りにされ、手元にある限られた資源から生き残るための手段を即興で考えなければならないフィクションの文学ジャンルです。 このジャンルの名前は、ダニエル・デフォーによる 1719 年の小説『ロビンソン クルーソー』に由来しています。 この小説の成功により、非常に多くの模倣作品が生み出されたため、その名前はジャンルを定義するために使用され、単に「無人島の物語」[1] または「漂流者の物語」[2] と表現されることもあります。
ということは、探すなら18世紀か……
一応シェイクスピアの『テンペスト』も孤島が舞台になる物語だけど……
1611年頃
一応英wikipediaの"Uninhabited island"の"In literature and popular culture"の項にはもっと古い作品について言及がある
Uninhabited island - Wikipedia
The first known novels to be set on a desert island were Hayy ibn Yaqdhan written by Ibn Tufail (1105–1185), followed by Theologus Autodidactus written by Ibn al-Nafis (1213–1288). The protagonists in both (Hayy in Hayy ibn Yaqdhan and Kamil in Theologus Autodidactus) are feral children living in seclusion on a deserted island, until they eventually come in contact with castaways from the outside world who are stranded on the island. The story of Theologus Autodidactus, however, extends beyond the deserted island setting when the castaways take Kamil back to civilization with them.[8]
無人島を舞台にした最初の小説は、イブン・トゥファイル (1105-1185) が書いた『ハイイ・ブン・ヤクダン』で、次にイブン・アル・ナフィス (1213-1288) が書いた『テオログス・アウトディダクトゥス』が続いた。 両方の主人公(『ハイイ・ブン・ヤクダン』のヘイイと『テオログス・アウトディダクトゥス』のカミル)は、無人島で人里離れて暮らす野生の子供たちだが、最終的には島に取り残された外の世界からの漂流者たちと接触することになる。 しかし、テオログス・アウトディダクトゥスの物語は、漂流者たちがカミルを文明に連れ戻す無人島の設定を超えて広がります。 [8]
こういうmeme的というか、とりとめのない雑談のあるあるネタがいつから存在するかって探すの超大変だ
残念ながら"Desert Island Discs"の1942年以前ではっきりと「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述を発見できなかった
https://x.com/Circle_Halberd/status/1762628685679464845?s=20
……という嘘豆知識
正直フフッと笑ったが、それはそれとして本当の元ネタが気になるのじゃわしは
英wikipediaの"Uninhabited island"の以下の記述
The term "desert island" is also commonly used figuratively to refer to objects or behavior in conditions of social isolation and limited material means. Behavior on a desert island is a common thought experiment, for example, "desert island morality".[3]
「無人島」という用語は、社会的に孤立し、物質的手段が限られている状況での物体や行動を比喩的に指すのにもよく使われます。 無人島での行動は、たとえば「無人島の道徳」などの一般的な思考実験です。
これの出典がOEDになっている
ひょっとしたらOEDに私の欲しい情報があるかもしれないが、OEDをすぐさま読める環境にないな……
人々が「無人島にもし漂着したなら?」というIFを雑談ネタとして共有できるということは大航海時代以降……"Robinsonade"というジャンルが一般に認知されている環境……であるはず
へたすりゃギリシャ神話の時代までさかのぼることが出来るネタかもしれん
『オデュッセイア』とか……アルゴー船の冒険の話とか……船旅のエピソードがあるので、無人島に関するなんらかのミームの源流がそこにあっても驚かない
そうなったら手に負えん
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改めてこれを参考に探し直すか……元気な時に
元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - Togetter
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19世紀後半〜20世紀前半ごろがこの問答が定番になった時期である、という可能性を探りましょうね
近代的なレジャーとしてのキャンプとか、ボーイスカウトとか……サバイバルスキルの知識が一般に広まったのがおそらくこの時期
その知識がないと無人島何持ってく問答は発展定着しにくいかもしれない
いやーでも聖書って回答が多いって話があるならサバイバルスキルの知識関係なさそうに見える……
→初期の定番問答は本を問う形式だった可能性もある、なんともいえん
サバイバルガイド的な本が19世紀に刊行されてないかを調べてみるか
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"Desert Island Discs"の1942年以前で「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述を発見
無人島に本を一冊だけ持ってゆくとすれば: ケペル先生のブログ
このことを最初に明言した人はだれだろう。明治期にドイツ系ロシア人の哲学者で東大で教鞭をとり、学生の人気を集めたラファエル・フォン・ケーベル(画像1848-1923)らしい。彼は「ケーベル博士随筆集」のなかで「無人島に1年間流されるとしたら、自分が選んでもってゆく一冊は、まず聖書である」と述べている。かれは次に、「ファウスト」「ホメロス」「ドン・キホーテ」、ニーチェのもの、ベートーベンの楽譜などをもって行きたいと書いている。しかし有名なデフォーの「ロビンソン・クルーソー」(1719)のなかで絶海の孤島に流れついた主人公が「聖書」を読んで信仰の支えにしたことを書いている。
発言時期が不明だが、この方は1923没なので"Desert Island Discs"よりおそらく古い
『ケーベル博士随筆集』という本に記載があるらしいが……図書館に行かないと読めない類の本だな
しかしやはり『ロビンソン・クルーソー』が念頭にある発言か……
さて、さらにこれ以前に遡れるだろうか?
ケーベル博士がロシア出身で日本にやってきた人で、"Desert Island Discs"はイギリスのラジオ番組
20世紀初頭には世界中で認知されている定番ネタということじゃないか
本があるならいくらでも読むが、どの本を読めばいいかのあたりをつけるのが難しい
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ゲーテが『私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ。』という言葉を残しているらしい
この発言の出典元文書がちょっとすぐには見つけられていないのだが
偉人の名言は「実は言っていない」ってことが往々にしてあるから疑ってかかるスタイル
ゲーテの生没年は1749~1832
無人島に持ち込むものは何問答と直接の関係はないかもしれないが、一種のクローズド環境に何を持ち込む?という発想はこの時代からあったということ
Robinsonadeの流行で便利なクローズド環境として無人島が一般に認知された?
元々「閉鎖環境に一冊本を持ち込むなら」という発想が存在した(その一冊とはたいてい聖書、なんというか最初から聖書という答えありきの仮定に見える気がする) ↓ Robinsonadeの流行で閉鎖環境として無人島が定着した ↓ メディアの発展で本以外(レコードなど)も問われるようになった ↓ さらに時代が下り、持ち込めるものはジャンル無制限になった
みたいな流れという仮説を立てれそうだが……
まあまあ、結論を急ぐことはない
『anond:20240108094200のような白が囲っているとも言えるし黒が囲っているとも言える!という疑問はある種当然と言える』について
言及元の記事「anond:20240204144432 (囲碁を「囲ったところが陣地」と教えるのは間違い)」を理解したとしても、
白が囲っているとも言えるし黒が囲っているとも言えるという疑問は解決しないだろう。
この疑問を日本ルールで解決するならば打ち手にある程度の棋力がなければ解決することはできない。
ただし、中国ルールであれば実戦的解決で棋力が弱くても理解、理解はできなくとも碁を打ったという納得感は得られるだろう。
まず、anond:20240108094200は消されてしまったがどういう話かというと、
天元を境に白黒、白黒、白黒となった場合、白は左側が陣地とみなすのか、いや白は黒側のほうも取ろうとしている(黒の石は死んでいるのではないのか)から(右側についても)白の陣地じゃね?という話である。
(具体例:やさしい囲碁入門講座_囲碁の目的 例で挙げたサイトでは、黒白、黒白、黒白となっている。)
お互いが、白が囲っているとも言えるし黒が囲っているとも言える言っている状態であれば、石の死活に相違があり納得していない。
互いがパスしたが死活の双方の意見の相違で終局同意ができなく、再度対局が始まるもののお互いパスしあい堂々巡りをした場合どうするのかという問いの答えにはなっていない。
「双方がそれを地だと合意すれば地だし、合意できなければ続けて打って白黒つければいい(殺し合いをすればいい)」という
中国ルールの実戦的解決というシンプルな方法こそが、棋力の弱い者同士でも囲碁を理解することができるのである。
王銘琬九段(( 王銘琬九段は簡略化した囲碁として「純碁」を提唱し、囲碁入門の教材として普及活動している。 ))によると
『 囲碁の「ゲーム目的」は「地を囲う」ことです。そのためには「地の認識」ができなければ成り立ちません。この地の認識はこれから入門しようとしている人にとって大変難しいものです。
地の形を覚えるほかに地の中の敵石の死活、そして地の中に侵入してきた敵をせん滅する能力まで要求されます。「ゲーム目的」を理解できないままでは「プレー」(碁を打つこと)ができません。
とあり、「地を囲う」という認識が棋力に依存していることが分かり、つまり強くないと認識するのが難しいのである。
「地を囲う」だけを争う日本ルールだと棋力がないと、遊びにくいことが分かる。。
日本の囲碁の競技人口は現在150万人(「レジャー白書2022」(日本生産性本部・編集発行))
で1982年の1130万人に比べると87%競技人口が減少した。囲碁を実際に碁石を使い打つこと(生碁を打つこと)は碁会所や教室に行くなどしない限りそうそう打つ環境になりつつある。
そうなると、ネット碁、アプリ碁が専ら、碁を打つ主戦場になるだろう。
中国ではおよそ2千万人が碁を打つといわれ、競技人口がそれなりにいるので、アプリの開発が積極的に行われている。
したがって、中国ルールで打つ環境は非常に整っていると言える。ネット、パソコン、スマホで完結するなら、中国ルールでも差し支えないのである。
純碁、ぷよ碁は碁盤の上にどれだけ自分の石を置くことができるか、というすごくシンプルな遊びである。
【囲碁 豆知識】 中国ルールの整地 【解説 王銘エン】_youtube
その他
スキンヘッドに杖をついたポケモンのカツラみたいな先生だった。
松田先生の社会科は他の授業と違って分かりやすく、豆知識もありユーモラスで非常に人気だった。
私が1年生の頃に、その先生は定年退職だったらしい。クラスの女子は「まっちゃん〜さびしぃよぉ〜」とか言っていた。
年度末の期末テストは少しざわついていた。
「なっ?お前アレになった?」
「なったなった!絶対そうだよな!」
私は「ア・ウ・ヨ・タ・ア・ヨ・タ・シ・シ・ア・イ・タ・ケ」の何がそんなに面白いのかと不思議に思っていた。
テスト返却の日、松田先生は「お前ら最後だから簡単だっただろぉ!」と上機嫌だった。
「シ・ヨ・ウ・ネ・ン・ヨ・タ・イ・シ・ヲ・イ・ダ・ケ」!
半分わかれば出来るようにしてやったんだからな、と先生は得意げだったし、生徒もさっすがまっちゃんとか言って笑って、松田先生もおまえら馬鹿だからなーとか笑いながら言っていたのを覚えている
確か私の点数は18点くらいだった気がする
再犯率・・・1回捕まった人が一定期間内にもう1度捕まる(犯行を犯す)割合
つまり初犯が減っていってる
皆が想像するのは再犯率で、これは調べても中々統計として出てこない
俺も前間違えた
日経新聞も前間違えてた
豆知識な
https://www.yomiuri.co.jp/national/20211224-OYT1T50133/
「再入率」の方が一般的なんだろうか?
2年以内再入率の推移を調べたほうが出てきた
https://www.moj.go.jp/hisho/saihanboushi3/html/n1230000.html
徐々に減ってるらしい
https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/69/nfm/n69_2_5_2_3_3.html
5年後は割と高いが減ってはいる