はてなキーワード: 言葉狩りとは
鉢呂の件は「自公時代からそう」ではないと思うよ。麻生時代にもマスコミの言葉狩りはあったけど、それはせいぜい現政権で言うところのドラゴン松本レベルの揚げ足取り。
迎えの知事にいきなりものを蹴りつけた一件だけで既に比類がないわw
そういう観点で言えば「子供の危険が危ない!」は大半がキチガイに分類されるね。
「本当のところ何がどの程度危ないのか」について彼らは受け入れる余地どころかそもそも知る気もないだろう。
素朴な恐怖で声を上げるの何がキチガイなんでえ。譲ってただの馬鹿だろ。
複雑な脳内設定で「公権力が…!」「全ては仕組まれている…!」とか言ってるキチガイの危なさや狂いっぷりには及ぶべくもない。
だよね。
鉢呂の件は「自公時代からそう」ではないと思うよ。麻生時代にもマスコミの言葉狩りはあったけど、それはせいぜい現政権で言うところのドラゴン松本レベルの揚げ足取り。今回の「放射能付けた」問題のように発言そのものの存在が本気で疑わしいっては「火に油を注ぐ」のと「放火」くらい違う。「死の町」だけならまだ言葉狩りの範囲ではある(といっても麻生時代より更に酷い)
本人が否定しているオフレコ発言という意味では漆間のケースと相似的ではあるけど、むしろ漆間のケースと対比するとなおさら鉢呂のケースは異様さが際立っているよね。
「反原発だから」刺されたのかどうかは分からないけど、一方で明らかに「何らかの政治的意向により」刺されたのだけは間違いない。で、じゃあどういう政治的意向なのかと言われると、原発問題ではないかと推測する蓋然性は(自民党内ですらそれを疑う議員がいるほど)相当程度に高い。
もちろん他に刺した奴がいる可能性はあるが第一容疑者が原発筋だということもまた事実だし、鉢呂に関しては反原発派が怒ることがおかしいとまでは思わないよ。松本の件とかまで陰謀論唱え出したら、いやドラゴンは単に脇が甘かっただけだろ、とは言うが。
俺は原発村でも反原発でもない(広義の脱原発派ではある)けど、正直こういう「子供の危険が危ない!」系が一番バカだと思うけどな。キチガイとまでは言わないけど。
キチガイは直る見込みがない
そういう観点で言えば「子供の危険が危ない!」は大半がキチガイに分類されるね。「本当のところ何がどの程度危ないのか」について彼らは受け入れる余地どころかそもそも知る気もないだろう。
http://news.2chblog.jp/archives/51640904.html
すんごいムチムチのお尻だったり谷間ボーンのグラドルだったり、そういう扇情的な女性の姿態に対して使われる言葉だと思ってた。
安めぐみの柔らかそうな腰周りとか、篠崎愛のたぷたぷおっぱいと下っ腹とか、そういうもの。
ただただ悲痛で悲劇的なだけの事件じゃないか?年端もいかない少女の絶望を思うとゾッとするよ。
本来の辞書的な意味でけしからんのは全くそのとおりなんだけど、2chのスレタイになると途端に卑猥な目線が加わってるよね。
なんか嫌だなと感じた。
なさけない。
朝刊(日経)を読んだら「原発再開に向けて地元の説得に意欲を見せていた」「農業派なのでTPPでの調整役として期待されていた」と書かれていたので,
そういう立場の人なのかと思ったら「脱原発・反TPPなので言葉狩りにあった」とかいう話が流れていて,あれれどういうポジションの人なんだ?と混乱している次第です.
調べた限り,現実的かつ比較的良心的というか市民的(原発嫌だよね,農業も助けないとね)な立ち位置のようで.
「反原発・反TPP」と言い切るのはちょっと語弊がある気もするが,どちらかというとそのポジションのようで.
こういう人が能力的問題でクビにされるならわかるけど,「市民感情を逆なでる失言」でクビになるというのは,
なんか違和感があるというかなんというか.
まぁいまどきの政治家に最も求められる「あげ足を取られない能力」に問題があったといえばそうなんでしょうが..
■ TPP結論先送りを示唆 鉢呂経産相「関税ゼロは非現実的」(産系ニュース@2011.9.4 21:51)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110904/plc11090421530014-n1.htm
鉢呂吉雄経済産業相は4日、フジテレビ「新報道2001」で、政府が11月末をめどとする環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉参加判断について「日本の農業で関税ゼロというのは農業経営を行うには現実的ではない。東日本大震災もあったから果たして11月が本当のタイムリミットなのか」と先送りを示唆した。
■ 日本のTPP交渉、「世界の流れと別は難しい」=鉢呂経産相
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-23028920110905
鉢呂吉雄経済産業相は5日、ロイターなどのインタビューで、環太平洋連携協定(TPP)に対する方針について「日本経済が世界の流れとは別にということは難しいと思っている」と述べ、交渉参加は不可避との認識を示唆した。
■ 鉢呂吉雄経産相「TPP議論、対立越える余地」 (産経ニュース@2011.9.6 08:02)
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110906/fnc11090608030001-n1.htm
--エネルギー政策の見直しの中で、原子力発電をどう位置づけていくのか
「新設は難しいし、寿命がきた原発は廃炉にしていくという方針は、首相とも共有している。既存の原発の敷地内での新たな原発の建設(リプレース)もできないだろう。基本的には原発はゼロになっていく」
<中略>
「相手国との契約の中で輸出を続けていく。原発の稼働を停止しても原子炉の管理は長い年月続き、技術的なものも続くので、必ずしも輸出ができないということではない」
<中略>
--環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)についての基本的な姿勢は
「経産大臣になったわけだから日本全体の通商貿易担当として、あるべき姿を描いていきたい。TPPは『絶対反対』か『絶対推進』という議論に陥りやすいが、対立を乗り越える余地はある」
■ 地元上関、困惑と評価 経産相発言、島根は明確方針要求 (中国新聞@2011/09/07)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201109070070.html
島根原発3号機など工事が進んでいる原発の稼働については鉢呂経産相はこの日、「なかなか議論があるところだ」などと発言。島根県の溝口善兵衛知事は「国としての考え方を早く整理して」と、具体性を欠く政府の姿勢に不信感を募らせた。「エネルギー政策は国の経済政策の根幹。政府は早く議論し、揺るぎない方針を」と求めた。
■ 鉢呂経産相:「原発の新規建設困難」発言 敦賀市長が不快感 /福井 (毎日新聞 2011年9月8日 地方版)
http://mainichi.jp/area/fukui/news/20110908ddlk18010686000c.html
原発の新規建設は困難で、将来的に原発をなくす方針を鉢呂吉雄経済産業相が明言したことを受け、敦賀市の河瀬一治市長は7日、「我が国の根幹に関わるエネルギー政策に混乱を招くものであり、誠に遺憾」と不快感を示した。
■ (西日本新聞朝刊@2011/09/08)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/262187
鉢呂吉雄経済産業相は7日、都内で記者団に対し、九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)3号機増設計画など、建設に向けて手続き中の原発について「まだ建設に入っていないものは相当難しい」と述べ、あらためて建設推進に否定的な考えを示した。
■ 無念の経産相、辞任 (河野太郎@2011年09月11日)
http://www.taro.org/2011/09/post-1083.php
鉢呂経産相は、野田総理の原子炉の新規立地はしない、耐用年数が来たものは確実に廃炉にするとの方針を着実に進めようとしていたし、それを実現するためのかなり大胆な人事を考えていた。
経産省内外の抜擢すべき人物の発掘を多方面に依頼していたし、ガンとよばれる幹部の異動も考えていたふしがある。
個人的にはかなり期待していただけに残念だ。
■ 鉢呂経産相辞任 記者クラブに言葉狩りされて (田中龍作@2011年09月11日)
http://news.livedoor.com/article/detail/5852621/
小沢一郎氏の例が物語るように記者クラブと官僚の目障りになる政治家は陥れられる。鉢呂氏の場合「脱原発と反TPP」が、記者クラブメディアと官僚の機嫌を損ねていたことは確かだ。
私の周りでも特に若い年齢の男性だと「嫁」に含まれる差別性についてまったく知らない人もいたりするので、今は「もともと差別的な意味合いがあったことが忘れ去られて一般用語として使われつつある」フェーズかもしれない。
けれど、知らずに使っていれば、あるいは「言葉狩りに対抗するために敢えて」使っていれば問題ないのだろうか?
たとえば「バカだのチョンだの」という言葉。原義ではこの「チョン」は朝鮮人のことを指している訳ではないことになっているけど、「チョン」という言葉を朝鮮人に対する蔑称として使う人たちが増えたせいで今はこの表現自体使うのは自粛した方がいいという類のものになっている。
いわゆる「言葉狩り」に反対する人なら「原義は違うのだから使用を控えるのは間違いだ」と考えて敢えてこの言葉を使ったりするのだろうけど、その行為と、意図的に蔑称として使用している人がそれを非難されたときに「原義は違うのだから使用を控えるのは間違いだ」と言い訳する行為と、果たしてそんなに容易に見分けはつくだろうか?
むしろ蔑称として使用する側がその揺らぎを利用して「差別と思う方が差別しているんだ」という被差別側に責任を被せる論法を使うのもよくある光景である。
そんな色のついた言葉を敢えて使い続ける意義はなんだろうか。
そもそも「言葉狩り」という言い方をするが、差別事象の告発の一環として蔑称に対して抗議をするのも被差別側の当然の権利である。
それに対して指摘された言葉を使わないようにするというのは、「私は差別には加担しません」という意思表示となるのは確かである。
そうやって多くの良識ある人たちが言葉を切り替え、その蔑称の言葉を使うのは少数の差別主義者たちだけという状況になれば、自分はマジョリティだから心置きなくマイノリティを差別できると思っている人たちは認識を改めざるを得なくなるのではないだろうか。
「言葉の問題でなく使用している人の問題なので言葉を制限したって意味がない」として使い続ける行為よりも、そうやって目に見える意思表示をするほうが、差別解消に繋がるのではないかと私は思う。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1649608.html
というかこういうことするアホの層まで韓国ドラマが浸透してるってのがすごいな。
海賊版で広まった日本のアニメと同じかもしかしたらそのレベル超えてるかもな。
この話2点突っ込みどころがあって、
1つは、このドラマの中の文脈で、この発言は別に正当なものとして扱われてないってこと。
アホがこういう発言してたしなめられるって文脈なのよ。
日本だって人を侮辱するような発言をして「なんでやねん」って突っ込む芸があるじゃない。
あのボケの部分に過剰に反応するようなもので、なにこんなことでいちいち騒いでるんだろうと心底不思議。
2つ目。452みろ。これはちょっとネタに走り過ぎだけど的は外してない。
マジで日本における中華料理と韓国における中華料理の扱いはぜんぜん違う。
「言葉狩り」をどう捉えるかが人よってマチマチなのが、議論にならない原因の一つなんだろうね。
もう少しロールプレイを続けるとすると、
何いってるんですか?
確かに元増田のナイフという言葉には「差別的な意図は全くない」のかもしれません。
しかし、「ナイフ」という言葉によって私の妹は傷ついているのですよ。
「仮に悪気がなかったとしても、それってナイフを振り回して怪我をさせたらそんなつもりはありませんでした」という元増田の言い訳をするつもりですか?
・・・となる。
実際、アメリカでは「マンホール」を「パーソンホール」に置き換えようという主張が一部なされたことがある。
マンホールのマンは男のmanとは一切関係なく、この主張は今ではされなくなった。
自分が考えている言葉狩りというのは、こういった「歴史的・語源的な経緯を顧みずに、字面を機械的に見て糾弾する行為」。
あくまで自分の考えだから、「そんなのは違う」「それじゃ範囲が狭すぎる」という考えもあると思う。
とりあえず、元増田が「言葉狩り」が分からないということで、「こういうことじゃん?」という提案をさせてもらった次第。
1何度も何度も論じられてきた古い問題に、遅れてきた人がコロンブスの卵を主張してどや顔で叫ぶ
2その見苦しい光景を見て、先行者が呆れ顔でまとめたり、いらぬ茶々を入れる。
3呆れられているのではなく俺の言ってることが素晴らしすぎて理解出来ないと勘違いしている1側の人が
これまたドヤ顔でお説教を始めるが途中で自分が周回遅れであることに気がついてトーンダウンする
4最後まで空気が読めないキチ○イが語尾に「にゃ」とか使う奴が出てきて会話がぐちゃぐちゃになる ←イマココ
5俺以外に語尾ににゃをつかうやつは許せんと地下猫先生がマジギレしながら参戦しサヨクとか赤木とかを巻き込んで今日も平和なtogetter村
話題については、じゃあ女をビッチ呼ばわりしても言葉狩りしないでくれと言いたい。
真面目な話、男ってのは一定の年代超えたら童貞以外は清純な女よりビッチな女のほうが好きになるんです。
ところが男がビッチ好きだって言うと初な女性とか枯れたおばちゃんが猛反発してきてうざいから仕方なくくそつまんない、幼稚な女についてしか語れないんだっての。
男が語る女像がイツマデタッテモ進化しないとか憤るバカ女どもは、まずお前らの幼稚さを何とかしろと言いたい。
男に何と言われようと、まず少なくとも女はビッチに対して寛容になれないようじゃ、基本的に気弱な男たちが成熟した女性像なんてことを語る日は永遠に来ないよ。
まどかマギカの脚本家はビッチ好きが一周して魔法少女萌になったという話は本当ですか? できれば15年後のあんことか見たいです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/ameblo.jp/moonsun3/entry-10936389385.html
正直に感想を言う。
キモチワルイ。
もうさ、これ差別憎しで語られててさ、「差別の実態」を憎んでるんじゃないんだよな。
「今現在どういう実態があるんだよ?」って言うと、「そんなことは語りつくされている」だのなんだのかんだの、
自分達左翼クラスタ(笑)の常識を当たり前としたうえで、「無意識に行われる抑圧が云々」「そも無関心が差別を云々」と始まる。
お決まりの流れ。
提示される反証に対して反論していくうちに、どんどんと理論武装して原理主義みたいになっちゃってる。
だから元来侮蔑的な意味をもち生まれた言葉(オタクとか)をそのものずばりの意味で自分が相手に使っても問題ないが、
「カタワ」や「部落」はその意味が込められていなくとも使っちゃいけないんだよ。
なぜって?
ここがキーで、だからこそ「言葉狩りじゃない」とくるし、「○○は私にとって痛い言葉」ってな反論にも対応可能になってる。
現象としては同じイジメでも「外国人」「アイヌ」「癲癇もち」がいじめられてると、社会の差別の表れで、
「オタク」「デブ」「のろま」などで為されるものとは行為の意味が違う、とか言いだしちゃうからね。
そういう属性を持つと言うだけで、実態よりもそこに差別行為があったんだろう?と下種の勘繰りに比重が重くなるのは、まさに他人事と言った感じ。
属性の代表であるかのように担ぎ上げられて、すわ差別だと大事にされるのって、良い迷惑じゃなかろか。
もちろん、そうした「特別扱い」を喜ぶ向きも、そういう属性もちには多かろうが。
とにかくこの言葉、自分の中ではマジックテープの財布を使う人より人生において安直で恥ずかしい人だと思ってる。というわけで私の前では使わないで欲しいのですよ。
ゆとり世代なんて言葉を使う人は、全てにおいて「ゆとり」な人間はいないってことをまず理解してほしいな。
人格すべてがゆとりとか、まして世代そのものがゆとりなんて乱暴な議論、いや議論と呼ぶにも値しないただの印象論で満足出来ちゃうひとって何考えてるのかちょっとわかりませんね。
既存の常識で「この歳になったら出来て当たり前」ってことができてないことを差して言ってるんだと思うんだけれどもそれ視野が狭すぎない?
というよりも、まったく自分の目でモノを見てないよね。 世間の目と自分の目が違うって認識してるのかな?
そうやって、既存のものさしでものごとを測って、新しいことに目が向かないってそんなに自慢できることなのかな。
自分が把握できる問題にしか気が利かない=予測が利かない状態で、果たして上の年代として責任を果たしてるって言えるのかな。
こういう人には、できれば、
人そのものや世代そのものをゆとり扱いして自分の目を曇らせるよりも、目の前の人間、目の前の問題について、きめ細かに見る姿勢を持ってほしいなぁ。
予め「この世代の奴はゆとり世代だ」と思い、その思い込みを裏付けする点ばかりを目ざとく見つけ、そしてレッテル強化のお仕事を完了する。
そういうのは、「気がきく=予測ができる=仕事がデキル」というのとはちがうとおもうのですよ。ただ思考してないだけだと思うの。
あとね、ゆとりを責めることができるのは、<言及している問題について>実際に行動した人だけだと思うの。
ゆとり問題を口に出すひとって、自分はゆとり世代の人間を一方的に攻撃し、弾劾する立場にあると油断して、自分の問題意識を無防備にさらけ出すひとが多いのね。
人間自分が責任を負わなくていいことにはどこまでも積極的になれるし、どんな綺麗事も言えるのだなぁ、、といつも感心します。就活コンサルタントとか代表例ね。
でもさ、そこまで問題がわかってるなら、どうしてこの人達はそれに対してなにもしないのかな。
何が問題かわかっててそれでも行動しない若者をゆとりと読んでる人たちが、全く同じことをしていてもゆとりにならないんだ。へー。
あのね、その問題が本当に存在して、それでも誰もその問題について行動してないなら、みんな「その問題については」ゆとりだと思うわけね。
これは若者の責任だ、大人には一切の責任はない、なんて明確に切り分けられる問題なんてないと思うんだ。 それがわかってるのかなぁ。わかってないんだろうなぁ。
そもそもゆとりってなんだろう。余裕があるってことだよね。それって悪いことなのかな。
なぜゆとり=悪いことみたいに考えてるのかな。そういう大人の人って結構精神やんでると思うの。
仕事始めたら忙しくて、いろんなことを試したり、考えたりする余裕が無いのかもしれない。
そりゃ学生たちが羨ましくて、ついすっぱいブドウとかの状態になるかもしれないのだけれども、
だからって、今を楽しんでる若い人相手に、平気で水を刺しにくるその態度って最高に気が利かない=KYですよね。
映画を見にいって、みんなが楽しんでるところに、うんちくやら評論をかまして否定的な意見をぶつけてくる人って10人いれば一人くらいいるけど
あなたは自分がその10分の1だって自覚がないのかなぁ。あってやってるなら最低だなぁ。
それを不思議に思わず、むしろ同調し、それに載っかかった意見を述べるひとってさ。
基本的に、あんまり頭よくないよね。それでいて、行動もしないよね。
なにより、ゆとりという言葉に繋がって出てくる問題を自覚したら放っておかないよね。
頭も使わない。行動もしない。そうやって問題を放置したままで、責任だけは自分より若い人に押し付ける。
ああ、なんだこれ?ばかじゃないの?ばっかじゃないの?
http://d.hatena.ne.jp/takamoto8/20110607/1307425591
注意や教えないのもいけないし、気にもしない方もいけない。
うんうん。だから注意したんだよね。ブログに書くんじゃなくて。
やっぱりそういうのはうるさいと思われても、教えてあげないといけないんだな。。
なんていうことを考えていた。
うんうん。その気持を持って教えてあげたんだよね。ブログに書くんじゃなくて。
やっぱり新人研修は大事だ。
Oh・・・
誰かが「世の中を良くしたい!」と思い立ったとして
知能や気力や時勢読みに優れてる若い人ならば
何かシステムを変革しちゃうほどの大きなことを出来る
近所のゴミ拾いは地味で、築き上げられていくような成果は無い。
人間はどうしても手応えや評価を求める生き物なので
何年もゴミ拾いに徹することが出来るような心栄えの持ち主は少ない。
というときに。
他人に影響や脅威を及ぼし
自分の爪痕が社会に認知されるような善行は何かなって考えた時に
人間とは
利潤的な対価を求めない場合でも
「あれはいけない言葉です」と、世の中に流通してる言葉を整理して仕分けしちゃえる。
その言葉を使ってる人に「無知ですね差別ですねいけませんね!」と迫って脅かせる。
言葉狩りはどんなに行き過ぎても
やってる本人も自分の胸に聞いて「やましいところなし」と自信を持ってる。だから厄介。
心の対価としてのオモシロ報酬、
それをやってる自分と言う存在は無意味ではないのだと言う保証、
それを懐に入れることについて「疚しさ」を検討する人が少ない。
発言した本人が不適切だと認めちゃった。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101122-OYT1T00661.htm
仙谷長官は自らの発言について、「適切を欠くものとして謝罪し、撤回したことを改めて申し上げたい。現代的には、自衛隊は実力組織あるいは実力部隊と言うべきところの言い間違いだった」と改めて発言を撤回し、謝罪した。
これでもう、日本の政治家は「暴力装置」という言葉を使えなくなりました。
政治的に正しい表現は「実力組織」あるいは「実力部隊」となります。
「暴力装置」は自衛官・警察官に対する偏見に満ちた表現なので、公の場で使うと糾弾されます。