はてなキーワード: 要出典とは
あれ出典主義ってあるやん?
たとえば有名な人物の項目とかで
「〇〇の雑誌のインタビューで本人が語っている」みたいな出典をもとにして
ある物事に対するその人物の考えだとか、親交のある知人とかをいろいろ書いてたりするけどさ
それってそもそものインタビュー記事自体がさあ、例えば芸能人だったら本人のイメージ良くするために事務所に嘘言わされてるだけかもしれんやん?
本当の客観的事実は「そういうインタビュー記事がある」ってとこまでだと思うんだけど
Wikipediaに載る段になったら「この人物はそう考えている、この人物はこうである」ってかたちで載ることになるのがなんか、解せんことない?
例えば科学用語とか事件の項目で「査読済み論文」とか「一般紙の事件報道記事」が出典ですってんならまあ信頼を置くきっかけにはなり得ると思うけど、
営業目的のプロモーションみたいな言ってみりゃ要は「嘘」なインタビュー記事でも出典があればその人物を構成する要素として掲載されちゃうってのは
やれ広告代理店だのやれ政府・自民党に雇われた人間だの、一部の方々からはX(Twitter)のコミュニティノートの執筆者の存在が邪推されている。
そんな邪推はしないにしても、誰がこんなものマメに書いているんだ?と疑問に思う人も多いだろう。
あくまで一例に過ぎないが、コミュニティノート寄稿者1人としての増田の話を書いてみようと思う。
気になるニュースや事象があったらGoogle検索するだけで、必要であれば論文や公文書などを探し、ネットで見つからなければ国会図書館に赴く。国会図書館に無い本があれば古本屋を探すし、現地に赴けば情報が得られるものなら現地に赴く。
そうして得られた情報や知識を整理して体系化し、ブログや個人サイトなどで記事にする。もちろん媒体は人によるから、同人誌として発表する人も居るだろうし、最近ならYouTubeに動画として投稿する人も居るだろう。とにかく、これが趣味なのである。
陰謀論で儲けようと熱心な方々には想像もつかないだろうし、だからこそ「政府に雇われた人間がやっているビジネスに違いない」という発想が出てくると思うのだが、趣味として無償でこういう調べ物と発表をする人間はインターネット黎明期から現在に至るまで一定数存在することは知って欲しい。
増田はかれこれ10年以上、Wikipediaを編集している所謂「ウィキペディアン」である。
ウィキペディアは端的に言ってしまうと、執筆に際して出典の提示を最優先に掲げている。例えばあなたが非常に先進的かつ斬新な知識を持っており、それを正しいと信じていても、信頼できる出典がなければウィキペディアはそれを受け入れることはない。
(この出典至上主義とも言えるスタンス自体には賛否があるかもしれないが、ルールなしに寄せられた各自の主張が入り乱れる状態よりは遙かにマシだろうと自分は思っている。)
そうとはいってもウィキペディアは誰でも編集できるわけだから、出典のない記述が寄せられることは日常茶飯事である。そういった記述をメンテするのもウィキペディアンの活動の一つであり、「雑草取り」と呼ばれる。
これに関して最も簡単な方法といえば出典がないことを示す [要出典] を貼り付けることなのだが、時たま「これは恐らく事実で、単に出典を貼っていないだけではないか」という記述に出くわすことがある。
こういった場合、増田は調べ物に走る。つまり、その記載を裏付ける出典をできる範囲で探し、確認できたら出典を付与するということを行うのである。無論、本当に出典が確認できないものもあるため、残念ながら記述を削除したり [要出典] を貼り付けたりするという結末に終わることもある。
この営みはコミュニティノートの、「誤解を招く投稿へ情報を補足を行う」という趣旨で求められることと類似しているため、ノウハウがそのまま使える。
増田は正直なところ、「雑草取り」の趣味の場が広がったと思ってコミュニティノートを書いている。
増田は以下の2つに絞っている。
特定されたくないので詳述は避けるが、増田の専門分野をメインにしている。調べ物が趣味とは書いたが、専門分野以外に関しては情報源の勘所がわからないことも多いあるため、余計なことはしないようにしている。
その分野の単語で検索したり、タイムラインに流れたり、何らかの形で目にしたもののうち、誤解を招くものに関しては情報源を確認した上でコミュニティノートを投稿している。
専門分野以外では、明らかなフェイク画像・フェイク動画にはコミュニティノートを投稿することがある。
正直なところ、自明なものにノート書くのは野暮だと思っているのだが、それでもリプライや引用で釣られてしまっている人が多いものに関しては積極的に投稿するようにしている。
これは重視していない。もちろんフェイクを流す勢力の政治信条には偏りがあるため、ノートを書く分量自体には偏りが出てしまうが、右派・左派などは関係なく、誤解を招くものを見つけては書くようにしている。
露悪的な言い方をすると「調べ物をして誤解を招くポストを撃破するモグラ叩き」だと思っている面はあり、それが一番楽しいので特に特定の政党や勢力を利するつもりはない。
閲覧数が多いもの、あるいは多くなりそうなものを選ぶようにしている。
これはコミュニティノートのアルゴリズムに由来するもので、閲覧数が少ないポストにノートを書いても反映されないためである(より大きな影響を与えるポストに優先してノートがつけられるべき、というのがX社の理屈なのだろう)。
最初はこれも気にしていなかったのだが、このアルゴリズムを確認してからは、なるべく表示される機会が多いものを選ぶようになった。趣味とはいえ調べ物をする時間は有限であるため、それくらいは許して欲しい。
このご時世だからこそ杉並区防災無線ジャック事件のWikipediaを読んでみる
1985年(昭和60年)6月22日21時45分頃[1]、杉並区内の小中学校など公共施設104か所[1]に設置された防災行政無線屋外拡声子局のスピーカーから突然、1985年東京都議会議員選挙に立候補を表明していた人物を中傷する内容[1]の女の声[2]が大音量で流れ出した。
でもなんでそんなことを…
中傷演説で言及された長谷川英憲は、1967年以来中核派の支援を受けて杉並区議会議員を務めており、当時は東京都議会への鞍替えを表明していた。中核派と敵対する革マル派は、本事件以前も長谷川の選挙ポスターを破ったり、宣伝カーを盗んで放火したりするなどの政治活動の妨害を繰り返していた。対する中核派も鉄パイプなどで武装し、選挙妨害を繰り返す革マル派との乱闘騒ぎを区内各所で起こしていた[要出典
世紀末か。流石に盛りすぎだろと読む度思うけどほんとに起きた出来事なんだよなぁこれ
内容は以下の通りであった[要出典]。
「こんなひどい男を都議にしてはならない」
語彙力よ…ここまで壮大な迷惑行為の割に誹謗中傷が小学生レベルって
あまりの音量に、区民はあわてて外に飛び出したという。区ではスピーカーの電源を切るための閉局電波を発信したが音声は止まず[1]、そのまま約20分間[1]ないし25分間[3]にわたって流れ続けた。区民からの苦情が区役所や警察署に殺到し、110番が不通となった[1]。
いやいや、大事件じゃないですか
当時の防災無線は音声に特定の周波数を重畳させることでスピーカーが作動する単純な仕組み(トーンスケルチ)だったため、伝送使用周波数とキーとなる重畳音声周波数が割り出せればジャックすることが可能であった。当時の杉並区では毎日18時に「夕焼小焼」のメロディを流しており、この際の開局電波を解析され、周波数を割り出されたとみられている[1]。
区側が発信した閉局電波が利かなかったのは、妨害電波のほうが強い出力であったためと考えられている[1]。犯人は当日、防災無線と同じ周波数に設定した強力な送信機を用意し、自動車に乗せて移動しながら[3]か、区内のどこかに基地局を設置[1]して妨害電波を流したとみられている
もうこんなんテロ事件だろ。長谷川英憲ひとりのためにここまでするならそのエネルギーを別のことに使えって…みんな同じこというからなぁ
まあ山上みたいにならなくて良かった…のか?
「12月に誕生日ケーキ買えない問題」とは、12月に誕生日を迎える人が、クリスマスシーズンにおいて、クリスマスケーキの需要が高まり、誕生日ケーキが手に入りにくくなる問題を指す。クリスマスに近づくにつれホールケーキがクリスマスケーキ仕様となるため誕生日ケーキの入手は難しくなり、消費者側もケーキは一度でよいとの妥協から誕生日とクリスマスを合わせてのケーキとする場面もみられる(要出典)。
この問題を解決するため、家庭においては手作りケーキを用意する、また販売店においてはクリスマス仕様のケーキからサンタクロース等のマジバンを除いたものにお誕生日プレートを付けて誕生日ケーキとするなどの工夫がみられる。
要出典だらけ、まんが専門学校卒とか高卒とかの人間が何の含蓄も無しに描いたフィクション、無理やり社会論や倫理論を捏造して笑っちゃうような内容で作られる茶番のこと?