はてなキーワード: 装丁とは
肉体的な性欲を満たしても、精神的な性欲を満たさなければ自由度が低い分オナニーより楽しくないのも仕方ない。精神的な性欲というのは対象への思い入れ。風俗でするより好きな女とセックスしたほうが満足するのも、オカズ無しにするより好きな二次元キャラでオナニーするほうが気持ち良いみたいなもの。
風俗、特に高い店は店構えやプロフィールで期待を煽り、高い金を払わせて『今ウン万円のセックスをしている』という思い込みを持たせ、長めの時間で嬢と有形無形のコミュニケーションを取らせる事で思い入れを作らせるという構造で、精神的性欲を満たせるようにしている。
有名な作家が装丁や表紙に凝った限定版でプレミア付きの人気原作付きの同人誌みたいなもんだ。
それと比べると、コミケの売り子というのは非常に弱キャラだと思うの。
そもそもこちらと目を合わせようともしないし、
私個人に話しかけようとするつもりがないように見える。
目の前を歩いている不特定多数に向けて呼びかけをしてる人すら少ない。
悪く言えば自信なさ気に見えるし、
よく言えば「こちらが気に入って買うかどうか決める」気持ちを尊重してくれてるのだろう。
もう行かなくて随分になるけど、今はこれが主流なのか?
ジャンルによるのか?
行かなくなった理由が、増田のいうインド人みたいな売り子ばっかりになったからだった。
よくそんなのを恥ずかしげもなく印刷所に出したな、といいたくなるような書きなぐりの原稿を
買って行って見て行って!と呼び込みしまくる。
表紙だけは綺麗に作ってあるのが、この年齢のくせにあざといと感心したもんだ。
ケータイ小説とかプロでも酷いのが普通に売られる今はどう感じるか分からないけど
小説とかも、装丁ばっかり綺麗で中身は台詞の応酬や装飾文字だらけの酷いものだった。
コスプレなんて禁止どころかする奴すらいない「同人誌即売会」の時代を知っているからか
異様な雰囲気にどんどん脚が遠のいて久しい。
こんなのを発見。どんな話するんだろ?
『子育てハッピーアドバイス』シリーズ290万部突破!!のノウハウを語る ―
■日時 2009年8月27日(木) 午後6時~午後8時30分
■会費 5,000円
TEL(03)3234-7623 / FAX(03)3238-9420
平成17年12月に発刊した『子育てハッピーアドバイス』はロングセラーとなり、99万部に達しました。 シリーズも8巻に増え、総出荷数は290万部を突破。
なかでも最新刊『子育てハッピーアドバイス 知っててよかった 小児科の巻』は、5月末発売から1ヵ月で20万部を突破し、これまでで最も速いスピードで部数を伸ばしています。
子育て本としては異例のベストセラーとなったシリーズの誕生から、ロングセラーになるまでをご紹介します。
◎内容
1.読者の望む本づくり
書店さんからも、「小児科の本は、そんなに売れない」と言われていた。
それが、読者の目線に立って企画し直すことによって、大変わりした。
2.著者との信頼関係を築く
著者の先生に、書きたいように書いてもらうと、どうしても難しい本になりがち。
医師が患者に伝えたいことと、患者が医師から聞きたいことには、大きなギャップがある。読者が知りたいことをうまくキャッチし、著者の先生にいかに伝えるかが、非常に重要なポイントになる。
3.編集面の工夫
マンガ、イラストは、飾りではなく、あくまで原稿の一部として入れる。
その声を著者へ伝えて、何度も原稿を修正してもらう。
シリーズ続編の企画も、読者の感触をつかんでから進める。
読者の声をどのように活かすか。
6.1万年堂新聞の発行
読者の声で、本の内容をアピールする。
大仏が率いる政党が太陽電池パネルを全世帯に普及させるぞ!と吠えた、と言う記事がはてなブックマークで出ていたのを見たんだけど、すごく批判が多いのでぼくおどろいちゃった。
よく読んだら、僕がの知ってる程度の知識でもおはなしできるようなコメントがあったので、書いてみる。とはいっても「優先度が違うよ!」「この金があれば××ができるからむだだよ~」と言った話の本質からちがっちゃうコメント(そんなこと僕が知るわけないよねっ!)とか「政治的な意図に騙されるな!」なんて話は興味がいないのであんまり反応してないからよろしくね。
と言っても僕は専門家ではないので増田に書くチキン野郎ですさ~~~せん。なにか間違ってたらおしえてエロイエライひと!
……なんて記事を書いてたら、あるふぁぶろがーさんが似たような記事をしかもコンパクトに書いてるじゃないか!むっきー!ひきょーだぞ!
さらにそれに対して反応だって?ちっくしょー。おぼえてろよ!
まずいっちばん最初に、「自然エネルギーとして、どの段階から環境にやさしくなるか」という環境コストと、「いくらから儲かるか」という金銭面のコストを混同していると話は全く違う事をはっきりさせておくよ。そうしないと利権屋さんの詭弁に騙されちゃうからね!
これってどういう事かって言うと、たとえば「自然にやさしいことが付加価値ですから普通のやつより値段が高い」というありがちなボッタクリ商品だとこの環境コストと金銭面のコストが反比例することになるんだけど、一緒にしたら自然に優しいという付加価値をつけたボッタクリ商品のほうが自然に厳しい、地球をいじめる商品になっちゃう。
この点で例の武田のおいちゃんなどは、意図的に混同してミスリードをさそってるね。(ちなみにこのおいちゃん、出している資料が古かったり間違っていたり、目盛りや単位がないグラフを載せていたり、下手すると事実無根なことを根拠なしに言いふらしてお金儲けしているよ! 商売上手だね! 僕もお金大好きだから、あんなコンビニ300円コミック並に原価が低そうな、はなっから出版社さんもキワモノ本として作ったに違いない簡易装丁の本であんなに売れるなんてうらやましいな~っておもうよ。僕もそういうボロい商売してみたい~っ)
環境コストの話よりもやっぱりお金だよね!というわけで、この間セールスにきた工務店のおいちゃんにきいてみたんだけど、うちの日照条件で2kwをコンスタントに使えるぐらいにすると、だいたい償却まで一回の電気系統の交換と年間メンテナンス、ローン金利等含めたパックを利用してだいだい27年かかると言われたよ。この年数、一般的な家の償却年数とほぼ同じだね。ちなみに工務店のおいちゃんによれば、メンテナンスのパックに入ってもらえば、年間いくらで保守できて保証もしますよって言ってた。
もうかるの?って話について、工務店のおいちゃんによれば「はした金程度しか儲からんけど、地球環境のために行動していますと表明したときに集まる注目の視線と優越感や、災害などで停電している時、愚民共が助けを求めてくるのをエアコンの効いた室内からワイン片手に眺める最高のながめの事を思えば安いもの(意訳)」だっていってたよ!すごいメリットだね!
ちなみに、僕にとってはどうでもいいことだけど、環境コストについてもてきと~にに調べてみました。算出方法にもよるけど数年で環境コストが取れると言う試算もあるみたいで、そうじゃなくてもだいたいの試算では一桁年数で環境コストはプラスに転ずるとするのが多いよ。ちなみにこれはよく比較対象になる原子力発電所に比べれば圧倒的に早い数字なんだ。なんか原子力推進派の人は意図的に事故の際の環境への影響や、海などに大量に熱をまき散らすことなんかのコストを無視して単純に経済コストだけ問題にする人がいるけど(すごいのだと太陽光発電パネルの製造コストは加味するのに原発の製作コスト、燃料の採掘・処理コストは無視するんだよ! 人に意見を通すときはこれぐらいの能力がひつようだね!僕もみなわらなくっちゃ)環境コストは、リスク評価まで含めてまじめに計算するとすごいことになるはず。ただ規模も用途も耐用年数も能力も違うので全く評価対象としては不適切だけど。(ここをわざと家庭用太陽光発電と原子力発電を比較対象に選んでる人は大抵わかっててやってるから気をつけようね!)
ちなみに、環境コストだけど、これ最近大幅に改善したので、5年ぐらい前の文献の数字はすでに古いので注意が必要です。ここのところの高効率化戦争は恐ろしいな~。しかもこの不況の中で集中的に投資されて中の人のプレッシャーも大きいんだろうね~。中の人!死なない程度にせいぜいがんばってね!
それから、儲かるとわかったからか、最近いろいろな新技術や新方式がでてコスト削減に結びつきそうなものもたくさんあるけど、その割には量産品の効率と経済性がなかなか向上しないのはおそらくお金の問題なので、そのあたりに血税をつっこんで一気に競争力を上げるというのはありだと思うよ!
で、この環境コストと現実コストのボッタクリ価格は環境保護が当たり前になってくれば来るほど縮まってくるはずだとおもう。環境にやさしいことがあたりまえになって、付加価値と言うより「環境保護がうたわれていなければ売れない」ようになれば。だけど残念ながらそうなるまでが一番コストがかかるかなって思う。そこの部分のコストを国が請け負って、一気にすっ飛ばしてある程度許容できるぐらいの量産効果が現れるまでの段階まで一気に押し上げるのはありだと思うな。今のタイミングでうまくすれば国家として見れば元を取るどころかガイジンから金をむしり取れるしね!
だけど結局は環境にいくら金がはらえるか、って話だよなーとおもったり。
結局は今まで集中的に税金なども使われて賄われてきたインフラの一部を各家庭に分散化するわけだから、設置者が負う有形無形の余計なコストが増える、手間が増えるのは当然だよね。それをどこまで許容できるかなーという。
あと「作る方が削減できる効果よりも環境コストが高い」と言うのは思いこみだと思うので、ちょっと資料をあたってみてくださいな。近頃の文献でそういったことが書いてあるのなんて武田のおいちゃんの本と、武田のおいちゃんのビジネスモデルをぱくった人ぐらいだよ。(資料を読んでも本気でそういうことを言っている人は、きっと数字の読み方もわからないイエローモンキーかクロンボかホワイトトラッシュかゆとりかユダヤか三国人か、もしくは何かやましいことのある既得権益に利権を持つ政治家とその一派に違いないね!)
太陽発電パネルそのものは基本的には致命的な劣化は起きないよ。だいたい20年で10%効率低下と言われているみたいだけど、そこまで劣化が起きる場合は理論値一杯まで高効率で発電しての結果だから、とっくに元が取れているわけで実際にはもっと低いはずだよ。基本的にエネルギーを変換だけだし、可動部分がないしね。「機械は必ず壊れるもの」と言っている人がいたけど、機械(メカ)じゃないから壊れないよ!(形あるものはいつか壊れると言われちゃうと厳しーけど、そんなこと俺も貴様もいつか死ぬのでどうでもいいね!)ただこれは過去の例なので、今後はさらに改善していくっていってた。
このあたりって、太陽発電パネルの技術は実は結構古くさいいいかんじに発酵してそろそろ隣のおいちゃんみたいな臭いすらだたよいそうなそうな技術なので、明らかに投資する時期を間違えたかわいそーな先人の遺体を肥料にして育てた経験が保証しているよ。すっごく枯れた技術なんだ。近頃おはやりのシリコンの使用量を減らした太陽発電パネルとかも、フレームや保護材などの耐久性やノウハウは基本的には一緒だから、もうかなり枯れた古くさい技術と言ってもいいと思うよ。
ちなみにパネルメーカーも20年保証と長期保証を普通みたい。つまり、経済的なコストが償還できるぐらいは平均保証があるんだね!僕んちに来た工務店のおいちゃんは、メンテナンスのプランに入れば30年は保証するって言ってた。
で、一番劣化するのはコンバータなんかの電気を整える部分。これがだいたい15年ぐらいといわれてる。太陽発電パネルからできる電気が直流なので、それを交流に変換して家庭で使えるようにしたりするシステム面なんだけど、(いわゆる変圧器とか、AC-DCコンバータとかいわれる部分)。で、こいつのコストだけど、こいつは人類が電気を扱い始めてからずっとついて回ってる技術なので、予想寿命のころにだいたい壊れる。なので、馬鹿正直な業者にお願いすれば、コストに組み入れて計算できちゃうんじゃないかな。
後当然バッテリーを使っていればバッテリーも。まぁこちらは車載用ほどはシビアじゃないから問題なくなるだろうと思うよ。なんたって自動車産業が自腹切って大実験やってくれるんだから! だからそんなに過大な負担かな?こんなレベルで「耐久性に問題がある」なんて言われたら僕泣いちゃうよ。泣くと絡むよ僕。それでもいい?
ちなみに、AC-DCがかなりエネルギーをロスするんだよね。なので、大電力が必要なもので、なおかつ設備として一度設置すればほとんど動かしたり電源を抜き差ししたりしないものについては、AC-DC等を通さないシステムを考案するのも手だと思うんだ。たとえば電気自動車の充電システムや、空調、給湯、廃人の正気じゃないドライヤー内蔵暖房機能付きゲーミングPCや、キチガイの自宅サーバやロリ画像のためにWinnyを24時間稼働させてるPC、冬でもあたたかいPS3などにね。上手くすればXBoxの本体並みにでっかいアダプタだってすごく小さくできるかも知れない。そういうのに専用配線を使って供給すると言うのも手だと思うよ。え?ACにすると感電しやすくなって危ないって?そんなこと僕が知るわけないじゃないか。エライ人なんとか考えてよ。
砂などによる太陽光発電への劣化って、せいぜい最悪でも5%程度なんだって。なのでその分見越して多めに設置すればOKなレベルなのさ。ちなみに電気が発電所から送られてくる際の送電ロスは5%だから、ほとんど無視できるレベルだってことがわかるよね!
なので今のものでも基本的にメンテナンスフリーでOK。時代遅れだって評判の自動車が趣味の人の車みたく、いつでもぴっかぴかにしておきたいなら別だけど、多少の落ち葉や鳥の糞といったものでもそんなに影響しないそうだよ。というか、発電パネルに影響するぐらいの極端と主張する場合は、まず家の心配するか、施工業者を話が違うと訴えるか、キミ自身の強迫症のおそれを心配した方が良いと僕は思います。そんなところを気にするなら、日照条件なんかを気にしようね!
それに、従来一番やっかいだと言われていた幹線道路沿いの家の劣悪な環境で発生していた煙害や油分を含んだ粒子状物質などによる曇りだけれど、今は太陽発電パネルは光触媒をはじめとした汚れ除去の技術が発達してきているので、ほとんど磨いたりする必要はないよ。
光触媒って紫外線によって働く触媒で、強烈な太陽光に晒すことが前提の太陽電池パネルはまさに光触媒と相性が良い技術なんだって。え?光触媒で透過率がおちないかって?そりゃ落ちるでしょうけど、それを感じられるほど発電量が落ちるなら、きっときみはなにか騙されているから訴訟の準備をしたほうがいいよ。
で、砂、ほこりやちりじゃなくって、雪じゃどうなの?と言う話があったけれど、融雪機能付き太陽電池パネルなんてのがあるよ!シャープさんによる技術解析がわかりやすい(PDF注意!)これ結構よくできていると思いました。さすが目の付け所がシャープだね!商品の特徴を一切説明しない意味不明なキャッチコピーのCMばかりの会社とはおもえないね!
普及にはやっぱりコストが課題なんだけど、基本的にはコンバータを双方向にするかどうかの話だけみたいなのでこれは時間の問題だと思うよ。で、普通の太陽発電システムと比較してのコストが下がれば、あの雪下ろしの腰の痛さを知っている身からすると下手すると雪国の方が早く普及するかも知れないとすら思っちゃうな~。だって死活問題だもの。あ!ちなみに勘違いしないでね。雪は全部溶かす必要はないのよ。滑らせて雪を落とせばいいので。
何かあったときの専門的なメンテナンスの方だけれど、こちらは量産されればほとんど問題がない話だね。たとえば上下水道が普及したから「水道トラブル五千円!トイレのトラブル八千円! 払えなきゃ、奥さん体ではらってくれてもいいんだぜ?」なんて商売ができるようになったわけで、量産さえ始まればメンテナンスを請け負う業者は増えるはず。なので、産業としてのスタート時のコストを国が請け負って、一番コストのかかる時期を全部すっ飛ばしていきなり普及期に押し込むと言うのもありだと思う。
おそらく自然エネルギーが普及する上で一番の問題はこれだと思う。そして、時期はともかくとして、将来的にこれが問題になり、長い間問題として続いていくことは明らかだと思う。だってこれは構造的な話だものしょうがないね。
なので、学者連中が禿頭をさらにハゲさせるぐらいハゲんだのか、結構いろいろな解決案が出てるよ。
その中で僕一押しなのが一番シンプルな太陽電池とともに大容量のバッテリーを備える方式。いや、これをしても限度があるだろ、って話はありますがね。でも、これを利用することでピーク電力の山を大幅に落とすことができるはずなんですよ!
現在日本の電力は、高効率で高出力が可能な原子力や、安定していて低コストの水力をベース電力として、変動する電力を火力やその他の調整しやすい発電方法でまかなってるのは周知の事実だね。え?知らない? 貴様!謝れ!でんこちゃんに謝れ!今すぐ謝れ!土下座してすりむけるまで頭を擦れ!ハゲろ!腐れ!
と言うことはどーゆうことかというと、大都市部のヒートアイランド現象が発生する真夏で冷房をがんがん使うようなピーク時と、深夜寝静まって、かわいそうな労働条件でしか働けない弱者・負け組のみなさんと、オンラインゲーム廃人と馬鹿な学生ぐらいしか起きていない深夜との電力差は、高効率で環境負荷も低い発電ではなくて、石炭発電や火力と言った発電に頼らざるをえないんだ。このベース以外の調節可能な電力というのは、高コストで環境コストも高いものがおおい。そりゃそうだよね!高効率の発電所を常に回しておくほうに使った方が、全体に金がかからなくて済むもの。
と言うことは、ここを削減するキーは、いかにピークの消費電力をあげないか、と言うことになるわけ。
で、ここに太陽光発電ですよ。太陽光発電はピーク時はだいたい真夏の一番暑い=一番太陽光が強い時期だからだいたい気温に比例して太陽光発電は発電効率が上がるって性質がある。と言うことはつまり、ピークの時に必要なベースに加えての発電量を削減する効果があるんだ!
で、ここで「暑い夏の雨の日などはどうする気だ」とか「夕立とかの時どうするの?」と言う話が出てくるんだけど、そこで出てくるキーポイントが「各家庭で備蓄する」というのと「日本全国規模で平準化する」と言うこの二点。
「各家庭で備蓄する」というのは非常に単純な話で、いくからかの蓄電池を設置すればいいわけさ。早朝まだ暗いうちから電車に乗り、深夜終電でへとへとになって帰宅して、楽しみが唯一アニメ鑑賞という一体何が楽しくて生きてるのかわからないような人だって、これがあれば安心! 昼間の電気をためておけば、摩擦運動による自家発電するときも便利!であると同時に、特定のタイミングによる急激な需要の増加を和らげる効果が期待できるはずなんだ。洪水時の調整池みたいな感じかな。
え?バッテリーが高い?それは大丈夫だよ。ほっとけば車屋共が勝手に改良してくれるから。奴ら今かわいそうなぐらいに必死だからまぁニッポン名物カロウシは多少起きるかも知れないけど、その屍と悲しみを乗り越えた先には、数年以内には急速に値段が下がるはずさ。
で、日本全国規模で平準化するというのはつまり、規模がでかくなればなるほど、局地的な夕立などの現象にもカバーしやすくなると言う事。
わかりやすく言うと一人で走りに行って信号無視をすると捕まるけど、たくさん仲間を引き連れて走れば、多少一人や二人捕まっても全体としては一定量の人が確保できるってわけ。上手くすればポリ公や権力の犬共を混乱させて、全員うまいことまけるかもしれない。
と言うことは普及しはじめが一番つらいということで、本来なら誰か馬鹿な奴をだまくらかしておっかぶせる必要があるけど、リスクがあるし訴えられたりしたら面倒だよね!だからそこの部分のコストを国が請け負って、一気にすっ飛ばしてある程度カバーできるぐらいの規模まで一気に押し込むというのもありだと思う。
この手の話題を出す人の中の一定数は、エネルギーミックスのことを全く考えてない人がいるんだけど、あんまり相手にしちゃいけないよ。彼らはなぜか「火力」なら「火力」「原子力」なら「原子力」「太陽光」なら「太陽光」と特定のものですべて賄うかのように反論してくるんだけど、それぞれ一長一短。カバーしあえばいいのさ。
たとえるならたまにやたら不細工な馬鹿男に綺麗なよくできたお嫁さんがついてることあるでしょ? でもよくよく聞いてみると旦那は性格はよくって、奥さんがアレだったりするよね!そんな風に世の中は全体でバランスがとれるようにできているのさ!
ちなみにこの件については、家庭でも常時通電保証のある電源ラインと、別にある程度ダウンタイムがあってもいい電源ラインをわけて、各家庭のブレーカーをさらにインテリジェントにして契約で振り分けを行うようにすれば解決するって話もあったね。これも僕はいいとおもうな。
別に太陽光発電を設置しても、風力発電ができない、と言うことではないので対立する話ではないのだけれど……。
日本の場合、各地で大型の風力に対して、「正気かな?」って思わず疑っちゃうようなおばちゃんや既得権益の犬、宗教その他反対運動でご飯を食べている人たちが沸いて結構反対運動が多いんだ。景観を崩すだの、よくわかんないけど科学的には測定できない「低周波」と言った話もあるんだけど(スカラー波みたいなものかな?)、結構感情的とも言える反対運動が起きてるんだよ。これにのせられる脳が足りない政治家も多くてこまっちゃう。
その点で、なんとなくいい物ってイメージのある太陽光発電の方がデメリットをうまいことイメージの向こう側において、たくさんの人をだましやすいと思うんだ。また、可動部分がないだけ太陽光発電の方がメンテナンスフリーだっていえちゃうので(機械なので必ず壊れるよ!)、一般人が仮定に設置するなら、風力より太陽光だと思う。
僕としては、峰に回る巨大な風車ってな光景は、いかにも人類が緩やかに滅びていく終末的な光景でいいな~って思うんだけど、わりと感情的な反対が多いみたいで残念だなぁ。「無風と強風が入り乱れる季節のはっきりした日本のような土地でわざわざあんな馬鹿みたいなもの建てるなんて馬鹿じゃねーの?そもそも風力で独立して採算がとれる見込みなんてあんのかよ?プゲラ」とかなんておもってないですよ?
もちろん!風力発電装置のかなりの部分は外国から買わないといけないってのも問題だと思うよ。わざわざホワイトトラッシュ共に金をくれてやることなんかないもの。あいつら金を与えるとすぐに戦争するでしょ?まるで発情期のわんこみたいに。
とは言っても、産業としては普及させないことには奴らにやられっぱなしになっちゃうんで、研究費はどこかで助成する必要があると思うけど。だって儲け損なったらもったいないじゃない。
なぜか長文を投稿すると最後まで表示されない増田の糞バグ仕様のせいで分割する羽目になったので、その2へ続くよ!
料理の本を眺めるのが好きだ。
ちょっとおしゃれっぽいシンプルな装丁の「家でできるカフェごはん」だの「手軽なパスタ」の本が
好ましい。
玉子焼きのバリエーションや、意外な組み合わせの混ぜごはんなんかを見ると
無性にわくわくしてくる。
エリンギを柚子胡椒で味付けするんだ、へー。とか思いながら眺めてるとストレスも減ってくる。
べつに特別料理を作るのが好きってわけでもない。
お肉も野菜もご飯も入った色とりどりのお弁当をたくさん眺めてると幸せな気持ちになる。
友達に変だと言われたんだけど、変かなあ?こういう人いない?
●付記●
ぼけーっと見てると本当に幸せなんですよ。
お薦めの本を注文してみます。
私が女装の道に足を踏み入れたきっかけは中学生だった頃、一足先に高校に入学してセーラー服からブレザーと白いブラウスと紺色の棒タイを着て通学するようになった姉の部屋に姉が熱心に読んでいた『ノルウェイの森』を読んでみたいと思って入り込んだあの日にまで遡る。
その日は私は風邪を引いてしまい熱を帯びてふわふわする意識と重たい体、上に昇ろうとする気持ちと全然言うことを聞いてくれない醜く毛の生えた筋肉と骨の固まりを一緒に詰め込んだまま布団の中でずっと眠っていたのだけど、眠っているのにもいい加減に飽きてきて、テレビが『笑っていいとも!』から『ごきげんよう』を経て特に興味を抱けない昼の連ドラを流し始める時間帯になったこともあってテレビを消して本棚にある漫画を一つずつ読んでいったのだけど(『AKIRA』とか『銃夢』とか『ぼくのマリー』とか)、既に読み飽きた漫画ばかりだったので飽きてしまい、姉が持っていた赤と緑の装丁の美しいあの本を一度読んでみたいと思って部屋に忍び込んだのだ。
別に仲が悪かったわけではないので普通に話しかけたら貸してもらえたのだろうし、姉が帰ってくるのを待っていれば良かったのだ。待っていれば私は姉の部屋に入った時にたまたま目に入ったブレザーに目を留めてしまってその紺色の布の質感にうっとりするということもしなかっただろうし、あまつさえそれに手を通してみたいと思うこともなかっただろう。姉はそれほど神経質な性格ではなかったけれど――だから忍び込んだのだ――いくらなんでも弟が自分のブレザーに袖を通していることを知ったらいい気をしないことは予想がついたし、その後あのような形で一度壊れた仲が修復するということもなかったのだろう。平和な家の中にも、人生を踏み外してしまうポイントは無数に潜んでいる。
ただ、やはり『ノルウェイの森』を読みたいという誘惑には勝てなかったので私は姉の部屋に忍び込んで結局ブレザーに袖を通してしまい、すると私は興奮していたらしくて姉が戻ってきて部屋までやってくる足音にも気付かなかったのでパジャマの上にブレザーを着ている私とドアを開けた姉が合ってしまうという事態を迎えることになったのだ。
姉は別に怒らなかった。『ノルウェイの森』だけではなく『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』まで貸してくれた。私はそれらを風邪が治ってからも貪り読んだ。しかしそれからしばらく、私は姉の命令でブレザーだけではなくブラウス、そして最後には無駄毛を全てそり落とした身体に姉の下着を身につけるということもさせられるようになった。そしてその写真を姉に撮られるということも。こうやって一度壊れた仲は思いもよらない形で修復することになったわけだ。
姉は言った。これはあなたのためだから。芽生えた欲望は仕方がないから、なるべく誰にも見つからないような形で処理した方がいいから、と。それは結局今になって思えば天ぷらを揚げていて引火した鍋に水を注いでかえって火の回りを早めるような結果にしかならなかったのだけれど、あるいは姉もそうだと分かっていてそういうことをやっていたのかもしれない。当時は女装癖のある知人に恵まれていなかったので、当然のことながら両親や教師にも相談することも出来なかったこともあって何もかもが手探りの状態だった。
今、インターネットを検索すると女装癖のある人は簡単に見つかる。むしろあまりにも身近にそういう癖のある人間がいることが分かる。まさか当時同級生だった青木君もまた女装癖の持ち主だったとは、ポータルサイトでGmailのアカウントをやり取りするまで全然知らなかった。幸せな時代なのか不幸な時代なのか分からない。青木君は演劇部で女装のきっかけを掴んだらしい。色々な人がいる。性同一性障碍の人もいるし、あるいは単純に変態で一人暮らしを始めてから女性用の下着を身につけるのにはまったという人もいる。
私たちは主義や主張のどうでもいいような差異は特に気にしない。ある人間は女装をすることで自分を女性の身分に貶めることに快楽を感じる。ある人間は女装をすることで男である自分が理想の女性を貶めることをイメージする。ある人間は単純にそれまで知らなかった世界を、地雷が埋まっているとは一見すると分からない草原を子供が無邪気に駆け抜けていくように何の躊躇いもなく探索していく。いずれにせよ私たちは男性であり、私たちが着るのは女性が着るとイメージされている衣服である。その点が共通していれば、後のことはそれぞれの人間が自分なりに探求していけばいいだけの話だ。
これは確実に進行する。誰も死なない。誰の血も流れない。閉ざされた部屋で、そこから穿たれた穴のようなウェブカメラや写メールなどを通して自分を記録し、その映像を外に向けて放つ。しかしそれは確実に世界を揺さ振る。文法を間違えた言葉が読み手を混乱させるように、静かに、あまりにもかすかに、しかし、確実に。
飛行機事故で亡くなった姉が私の写真を集めたアルバムと一緒に残した衣服たち、とりわけ当時のブレザーをもう当時の姉よりも身体が大きくなってしまって着られなくなった私は、せめてその布地に姉の肌の匂いあるいは当時の記憶を見出そうとして鼻先をくっつける。そして思い出す。既に夕暮れ近くなって日が西に沈もうとして、オレンジ色のカーテンを越して赤く色づいた自分の身体、脂ぎった老廃物にまみれた自分の身体がきれいに艶やかに整えられたブレザーの布地と触れる時にそのブレザーを汚してしまうのだというある種の恐れ、そして、それを踏み越えた何かを感じたいと思ってやはり震えながら手を触れようとして、不意に開けられたドアの向こうにいる姉と目があった時に私が姉の目を見ると、姉が、ブレザーの生地と同じぐらい艶やかで冷たい何かを目の奥に宿していたのを知った、あの瞬間を。
同じ本を100冊売ったとき、500円の同人誌なら500円×100冊で5万円の利益。そこから印刷代とかいろいろ差し引く。それが同人作家の利益。500円の単行本なら500円×100冊×印税10%で5千円の利益。雑誌連載時の原稿料はとりあえず置いておいて、これがマンガ家の利益。どっちも税金はとりあえずおいておく。単行本の販売数が少なすぎることも脇においておく。
つまりたった2〓30ページの漫画でウハウハ!同人誌最高!ぼろ儲け!
と言いたいのだがところがぎっちょん、同人誌のほうは同人作家が編集、装丁、頒布、時には営業もやっている事を忘れている。書店や編集部、出版社の仕事もこなしているわけだ。単純に漫画家としての仕事だけを比較しても仕方無い事がこれでわかっていただけるだろうか
表紙絵が恥ずかしくて書店でBLが買えずにAmazonの履歴がえらいことになってる増田ですが、
でも逆にすごく地味な装丁の本になってしまった場合を考えると、BL嫌いの人がうっかりあらすじとタイトルで
買ってしまったりとか不幸な事故がおきてしまうかもしれないのでやはりあの表紙絵は必要なのかもしれない…。
あらすじにしたって例えば、
コンビニの夜勤バイトの薫は連日深夜1時に決まって現れ肉まんを15個買っていく男が気になっていた…彼は肉まんを15個も食べるのか?深夜1時に? ――深まる謎、明らかになる意外な真実。そして二人をつなぐ運命の糸――触れる指先の柔らかな感触――めくるめくラブロマンス登場!
こんなんだとしたら紛らわしい名前には(男)を入れないと駄目だろうねえ。
いや、それは同人誌にも言えることじゃん?
ほとんどの人が、作品に対して愛情があるはずなのに、絵も漫画もイマイチでしょ?安っぽい装丁だし、中身も安っぽいし。
絵がめちゃくちゃうまい人、売れる人なんて一部だけ。
そういう「上手さ」と「愛情度」は別でしょ。なんであれ。好きだったら上手いわけじゃないし。
あと、レイヤーと一口に言っても、買うタイプと作るタイプといるからね。
で、買うタイプでも、数万するようなちゃんとした奴を買う人は少ない。
自作する人もまた、本格的に洋裁の知識を持ってやる人と、家庭科でちょっと縫い物したレベルの人がやったりと、レベル差が激しい。これは漫画の上手い下手と同じようなもので。
で、レイヤーのほとんどは、10代後半の女子(多分)。
彼女らは当然お金をそんなに持ってないので、高価な布も(拘り出すと結構いくんよ!)出来あいのも買えない。といって大抵スキルもない。ゆえに安っぽくなる。でもまあその辺の子は同時に、そんなにコスプレに拘りがないのであんまり気にしてない。友達とワイワイやるツールの一つくらいの感覚であることが多い。テニスの王子様のジャージを羽織って、何故かマスカラバリバリにつけて女の子ポーズで写真撮る、とか、そういう感じのコスプレ。余談だけど、この辺の子は、他人が使用したカラコンをオークションで落としたりとかするので、ちょっと怖い。
20代以上のレイヤーだと、拘り出す人が多い。けど腐女子も大学入学を機にオタをやめたりする人がいるのと同じで、コスプレも20くらいになるともういいや的に(というかそれ以前に一、二度やって終わりくらいの人もかなりいる。別に悪いとかじゃなく)やめていくので数は少なくなる。だから拘りのある人が全体からすれば少なく見える。
その辺になると布屋へいって真剣に布を吟味したりしている。
でもね、テカテカっていうけど、そもそも漫画・アニメの服を忠実に再現するとそうなるってのもあるんだよ。
ああいった破天荒な服を実在化させると、どうしても安っぽく見えがち。
そもそもテカテカしてる布で作られてるっぽかったりするし。
忠実に再現してペラペラなのを選ぶか、敢えて忠実さに目を瞑り、キレイな仕上がりにするか、それは好みだけど。
案外忠実にしてるから安っぽいって場合もあるんだよ。
漫画・アニメの服なんて、実際の服のようなことを考えてないからね。「これどうなってんの?どう脱ぎ着してんの?」って服はよくある。現実の服に似れば似るほど、安っぽくはならないだろうけど、逆にそういうコスプレは「しがい」がないからねー。「よつばと!」の風香のコスプレなんて、安っぽくなくできそうではあるけど、しても分かり辛そうだし(いたけど)。
やっぱり「これは再現難しいだろ」ってのほどやりたい。私の場合だけど。
でもそうするとどうしてもいかにもアニメアニメしていて普通の服より安っぽくはあるよ。
とまあ色々あるんですよ。でもそれも込みで楽しいよ。
http://d.hatena.ne.jp/yamaza/20081006#p1
「ハズレの本をつかみやすいし、当たりの本を逃しやすいから。」
やはり、書店で、「本」全体から出るオーラというか雰囲気を感じとらないと、
ハズレばかりをつかんでしまい、一向に進歩しないと思った。
俺は全く逆。本屋で買うとハズレをつかみ、当たりを逃す。ていうか本屋の在庫は限られていて、そもそも当たりの本が見つからないことが多い。
本に当たりハズレがあるのは確実だが、本の「オーラ」なんて言ってると騙される。装丁やパラパラめくった印象から価値を見極めるのは通常困難である。それよりもAmazonなど大手のユーザーレビューやネットの評判をチェックして、確実に評判の良い「当たり」の本をネットで注文した方が、ずっと確率も高くて効率も良い。
これに関しては、異論を受け入れ難い。「本屋で買え」という人は、単に本屋が好きな人なのではないか。そういう人は好きなだけ足を棒にして本屋を巡ると良い。その間に俺は一冊でも多く当たりの本を読む。
最近生理痛軽減と健康増進のために整体師・寺門琢己の本を読みあさっていたのですが、
読み進めていくうちにどうやら整体というのは奥が深い世界だと言うことがわかってきて、
いろいろと体を大事にすることについて考えさせられてしまいました。
そのうちの一つがモテとエネルギーと運動の関連性についてです。
私たち生物は食物を取り込んでそれをエネルギーにして動いています。
そして人間は頭を使う生き物なのですが、脳というのは人間の器官の中でもエネルギーをたくさん消費するところです。
ところが一日の大半を座った状態で頭(と指先)ばかり使っていると、エネルギーは頭にばかり回ってしまい身体には回ってきません。
頭にばかりエネルギーが回っている。
身体にエネルギーが回っていない人というのは、頭は良いのかもしれませんが生物としてはイケてない状態なのだそうです。
なので異性が見ても本能的なところで心が惹かれない。
オスとして獲物を捕ってくる能力があるかどうかや、メスとしていい子供を産んでくれるかどうかという価値判断からすると
とても合格とは言えないのです。
ここまで読めばおわかりになると思いますが、身体を動かしてエネルギーを身体に回すようにするといいのです。
別にいきなりリア充の輪の中に入ってフットサルやバスケをしてこいとは言いません。
歩くだけでも違ってくるのです。
また脚は第二の心臓とも呼ばれ心臓から遠く離れていて、歩くだけで全身の血行が良くなるのであります。
しかも歩くという行為は、座ったままで頭脳労働をするより頭の回転も良くしてくれるのです。
古今東西を問わず有名な哲学者の中には、散歩が趣味だったり歩きながら議論をする人が見られます。
哲学者ではなく作家ですが、村上春樹もいい小説を書くためにランニングと水泳を習慣にしていますね。
これは彼らが足を使うことで頭の回転が良くなることを知っているのだと思います。
また足を使い全身の血行をよくすることは、思考が極端にネガティヴになるのを防ぐ働きがあるのだそうです。
アメリカであんなにカウンセリング文化が発達した原因の一つは、車文化であまり歩かないからなのではないかと寺門氏は分析していました。
以上のことは寺門琢己氏の著作群に書かれていることなのですが、
もしもっと詳しく知りたい場合、彼の著作はいわゆる「スイーツ」向けのものが多いので皆さん取っつきにくいのではないかと思います。
『恋するからだ』『愛とからだとこころとしっぽ』という本は装丁やタイトルこそあれですが、
以上のことについてもっと詳しく筋道立てて述べられていて、
『恋するからだ』に至っては男性も想定された内容になっていますので比較的オススメです。
まぁこの考察がすべてのモテたいオタクを救えるとは思いませんが、
(運動好きな非コミュにはまったく通じないでしょうしね・・・)
一理ある内容だとは思います。
私はサカヲタなのですが、国内厨で週末はスタジアムに通うようなサカヲタも、
ほかのヲタと変わらずモテからほど遠い人も少なくないのですが、
フットサルや自転車など身体を動かす趣味もある人には不思議とキモヲタは多くない印象なので、
身体を動かすのがいいというのはあながち間違いではないのかもなーと思いました。
(このはてなキーワードのサカヲタの項は間違ってると思う・・・
朝方眠い頭で書いて、数字の間違いとかがあったもんで一旦下げたんだけど再うp
特定されかねない部分をぼかすの忘れてて超ドキドキしたんだぜ。
自分のサークルの去年の夏二回分の売り上げと経費を晒してみる。
新刊は基本夏冬しか出さない。
500円の本を二種、合計1万冊刷って。
→5000000円
更に装丁凝らして70P弱、原価が300円。
→5000000-(300×10000)=2000000円
宅急便だけで往復2万円強×2回
→2000000-(20000×2)=1960000
売り子さん6人分のお礼で6万円×2回
→1960000-120000=1840000
交通費と宿泊費で7万円。×2回
→1840000-(70000×2)=1700000
売り子さんの交通費と宿泊費で14万円
→1700000-140000=1560000
打ち上げ40000円×2回
→1560000-(40000×2)=1460000
事情があって大目に出させてもらったゲストさんの稿料合計12万円
→1460000-120000=1340000
書店委託卸値が490円で5000冊
→1340000-50000=1290000円
差入れとか、イベント後の混雑避けのタクシーとか、ポスター印刷代とかで多分10万ぐらい。
更に地方のイベントに売り子任せで出席したりで諸々かかって、純粋に手元に残ってるのは100万弱の予定。
なぜ予定かというと、手元にまだ片方が200部残ってるから。
平日の徹夜の為に栄養ドリンク買ったり、ガレリアで物故割れた台車新調したり、
売り切れた本を再販してくれといわれても、原価の問題で易々と出来ないのが最近の悩み。
装丁で遊びたいので、小ロットで再販すると、赤字どころの話じゃなくなる。
所得税については、一応本職がフリーでゴニョゴニョしていて個人事業主になので
そこで収入一緒にしちゃってるのと、税理士に印刷数と売り上げとかを伝えて丸投げにしてあるので
厳密に同人だけの売り上げの所得税が正直分からないのです。親に手伝ってもらったりしてるしね。
で、牛歩がどうとかって話題になってるので言及してみると、
うちが売り子さんにお礼を沢山渡したり、交通費とか宿泊費出してまで遠征してもらうのは
列が出来ても30分以上並ばなくていいようにするため。
一度、半分に削ってスペース出したらえらい事になった。
そのくらい売り子さんの性能は大事で、財産だと思う。
女性向けで牛歩なんかしたら、女社会でたちまち陰口叩かれまくるよ。
そうじゃなくても、搬入ダンボール数で売り上げ計算されて陰口叩かれたりするんだけどね。
同人で儲けても儲けなくてもどっちも間違っちゃいないとは思うよ。
二次創作でグレーな部分については儲けは微妙な問題かもしれないけれども、
欲しい人がいる限りは出来るだけ作り続けたいし、手に取れる状況におきたい。
それは地方出身で、欲しい本が手に入らない生活を続けてた自分の学生時代のトラウマなんだと思う。
だから自分は絶対にイベント限定本とかは出さない。
他人のふんどしで儲けてどうという意見よりも、読みたい人に届ける方が重要だと自分は思う。
結果的にそれが儲けに繋がっても、間違っちゃいないと思うし。
あとこれは余談だけども、ジャンルによって権利者が冊数多いスペースに対して
警告にくるというのは、本の数を制限する事によって読者の購買意欲を煽っちゃうので
二次創作が本家を食ってしまう事は許されないと思うけれども、
昨日本屋で平積みになっていたから、何気なく、いわゆる携帯小説とやらを見てみた。
で、ぱらぱらっと見てみたんだけど、なんていうか、凄いカルチャーショックを受けたよ。
台詞9割、心理描写1割、情景描写皆無。
おまけに文字も老眼にやさしいやや大きめのサイズであることに加え、
たっぷりと確保してある行間でさらに読みやすくなり
その結果ページ数も十分に確保され贅沢な達成感も得られるお得仕様。
文字のサイズや行間の幅とかを一般的な文庫本サイズの小説に合わせたら、一冊が
10ページ前後でまかなえそうな量だ。
値段は見ていないが、豪華な装丁からその高級感に応じた値段だと思われる、
内容については好みの問題もからむから即断は避けとくが
ともかく贅沢に紙資源を消費してつくられた高級品であることだけはまちがいない。
始めに「読んでみた」ではなく「見てみた」と書いたのはそのせい。
「読む」ときに感じる労働感はなく気軽に「見る」感覚で読めてしまう
20年くらい昔、富士見ファンタジア文庫が創刊して、スレイヤーズあたりが
「この手の小説って下半分を真っ二つに切ってもメモ帳として使える」
と、台詞主体の複数行にわたる長文の少ない文体の利点を褒め称えた
ものだが(残念ながら貧乏くさくびっしり書いている人もいた)、
携帯小説はそれを遥かに上回るゆとりを持った文体で、残念ながら
旧世代の俺達には単なる空白にしか見えないが
「考える力」育成重視の脱詰め込み教育を受けた新世代はこれくらい広大な行間から
様々な情報を読み取ることが出来てしまうのか、と思うと
今後俺達は行間を読む力がなければ新しい世代の小説もロクに
なんかただ「さみー」ってうずくまってるってより凄く辛そうなかんじで。なんかものすご痛いんですってかんじで。
唸ってるし。「うぅ……うぅうう」とかいってる。
「やべえ…」
と思った。
これあれじゃないの。私は声かけるべきなんじゃないのかと。
で、周り見るけど、やっぱ皆、知らん振りなわけよ。
えぇー、どうしよう…えぇーって思ってさ。
いやいやいや。これさ。友達とかといたらさ。まだ声かけられるんだけどさ。一人だと……難しい。ものすご難しい。
でも、なんで難しいんだろ?って考えてみたら、結局、それは「恥」が根底にあるんだよね、「声かけてもし全然問題なかったり迷惑だったらどうしよう…」っていう恥ずかしさね。あぁ…菊と刀…恥の文化…悲しきかなニッポンジンとか一人ぼーっと読んだこともない菊と刀の本の装丁を思い浮かべてたらふっと、
「でも冷静に考えると、別に恥かいたって何か減るもんでもないんだし、そうたいした恥じゃないし、そんなちっぽけな恥を怖がって辛そうな人を放っておくってどうなんよ?ていうか別に恥だったら例のあの「よかった…辛そうな人はいなかったのね」になるだけじゃん?」
というところに至った。
「声かけたけどスルーされる・全然関係なかった・迷惑だったときの私の恥」:「その人がガチだったときの辛さ」を天秤にかけると同考えても恥の方が軽いだろ。
ってここまではっきりしてんのにでもなかなか言う勇気がなくて、あーどうしよどうしよう…って考えた挙句、
「あれっ?今気付きましたよ」みたいな演技(誰も見てねーっつーのな)をして「今まで声かけられずに葛藤してたわけじゃないよ?」みたいな感じを卑しくもアピールしつつ
「あのー大丈夫ですか」
って聞いた
聞いたつもりだったけど多分実際には「アノダイジョブですか」みたいに片言チックになってた
この時点で恥だろ逆に…
恥を気にするあまり恥かいてる
で、「大丈夫ですか」って言った直後に(こういうのってなんでだかしらんけど絶対直後に気付くんだよなあ、テストで終了のチャイムがなった直後に、かけなかった漢字思い出す、見たいな感じで)「ていうか、マジに辛いなら、答えるのもキツいんじゃないの?余計なお世話なんじゃないの?」って思って「あやっぱ今のなしで」ってよっぽど言いたかったけどまあいえるはずもなく
そうしたら
「……だっ……大丈夫です……」
……。
やはり……余計なお世話コースだった……
「そそうですか」とキョドりながらいかにも「あっ今メールがきました…友達から」っていう素振りで携帯を見た。
そして更に「全然気にしてないよ?よかった……辛い人はいなかったんだねって思ってるけど?」みたいな感じで平然を装う。しかし頭の中は「ぁあああああやっちまったあああああああああああああ」
これで相手が「実はおなかが物凄く痛くて…」「なんだって!それはいけない。待っててください!私が今救急車をよびますよ!」「なんて優しい人!どうかお礼を…」「いやただの通りすがりのしがない女子高生ですよ」「若いのに見上げた子だ!<救急士さん」みたいな展開だったら、家でおかんや友達に「いやぁ実は人助けしちゃってさぁ(花輪君ポーズ)」とかいえたものを、実に中途半端な結果となってしまった。
やっぱ現実そうそううまくいかねぇな……
それにしても、本当、自分は「駅とかでケンカしてる人とかがいたら駅員に通報するくらいできるよ」なんて思ってたけど、いざとなると、全然できないことが、ショックだった。「え?え?ちょっとまって。心の準備が……ソノ……」みたいな感じになるのな。うずくまってる人に声かけるのですでにいっぱいっぱいな私がケンカしてる人がいたら本当に駅員に通報できるんだろうか。なんか難しい気がする。せめて日頃から駅員の近くにいようと思った。すぐ近くにいればまだ声かけやすいかもしれない。遠いとそれだけ「駅員さん慌てて探し回って、通報して、駅員さん飛んできたらもういなかったとかマジ恥ずかしいよ」とか思う事が目にみえとるかんね……
増田で見たので読んでみたが、なんというか、すごい男目線というか、スイーツを馬鹿にするスイーツ(笑)目線というか、そこに出てくる女の事例が、男の頭の中にだけいる女像のオンパレードで、あからさまでびっくりした。メイン読者へのサービスかもしれないけど、そしてそういうのもすこしは必要かもしれないけど、寄り添い過ぎ、先回りし過ぎ。
自分には、この著者の人が、男性、とくに自分はすこしは分かってるって思ってる年配男性の頭の中をシミュレートして、こう言って欲しかったんでしょ?ってところを集めて作った文章に思えた。
これは女の台詞じゃないよね。むしろそういうのを分析してる層の台詞だ。「いい男がいない」とかは言いそうだけど、いくらなんでも「関係性が云々」「オタクに逃げた」はないだろー。女性誌の読者層とこういう分析的なもの言いが両立しないのは著者が一番よく分かってる筈。つまり、この時点で読者へのリップサービスなんだよね。
(一ヶ月に十誌以上女性誌を読んでいると)そのうち、「おかしく」なってきた。私の頭が。
そうそうそう、そうなんだよな!やっぱりなー!と読者男性に言わせるために書いてるとしか思えない。
で、結局のところ、男が本当は自分が言いたいことを、女が自発的に言ったことにして代弁してもらうコンセプトの本であると思った、URL先の文章からは。だっていかに現代の女がおかしくて男を理解していなくて、男はそのままでよくて、分かってもらって包んでもらおうって結論でしょこれ?で、そのまま書いちゃうと本人のプライドがあって読んでもらえないから、一見男にも女にも厳しいこと言ってる風の装丁にしてみた、と。