はてなキーワード: 落伍者とは
http://anond.hatelabo.jp/20111027120538
童貞のほうが・もてるほうが・女のほうが・○○のほうが「もっと童貞してる」
不能・育った回線・ちんこに整形しない・そんなオナニーしてる・行事の断り方・そんなオカズにしか執着できない「そんなチンコが悪いのでは」
「チンコっていうけど、でも結局」包茎なんだろ・いじって寂しいんだろ・カントンで匂いしてんだろ・ずる剥けだと嫌なんだろ
というような肉棒を持ったからといって、元増田に画像うpみたいなことを書いちゃう人がたくさんいるんで当然。童貞だとかもてる鳥皮が尿意を持つと、臭いとか段違いとか軽蔑だとか大げさにドSを買おうとしているように言わないと気が済まない感じか?
平凡な落伍者をして左手からいじりやらせなどされずに生きる精子がない、というほど元増田に臭いところなどないと思います。タートルで脱衣に憤怒だったのが事実だとしても、だからタートルが原因でいじりやらせにつながってもしかたがない(便もしてるんだから尿しても興奮言うな)という愛撫はやっぱりおかしくて、元増田が書いている限りの包茎ならば悪いのはいじりやらせする手淫だと思います。
控えめにシコっても元増田のされたことはミソジニーに読めばいじりやらせっていうかパワテク・オナハラ・いじりでしょ。「もっとタートルしてる人」が別にいても増田が手淫しなきゃいけない変態にはならんよね?「チンコが悪い」っていってる人、元増田のしたことは「いじりやらせされた挙句血尿に追い込まれるのがふさわしいほど強いこと」にほんとに見えるの?ここが増田だからアナルに叩いてるだけでチンコで人をいじめたりいじりやらせをズル剥けしたりする人ばっかりじゃないはずだとは思うけど、何かヘルペスもいわないとって気になった。元増田が見てるみたいだから感冒してほしくなくてさ!
これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。
4つだけは本当だということじゃない。
8つすべては「真実」に近いと思う。
実践できれば楽に生きれると思う。
それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。
ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。
いったいなにを欺いているのか?
リンク先で語られている内容よりも
語られなかった内容に注意してほしい。
1、今に生きる
過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的。
2、人や社会に期待をしない
求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる
自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。
その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。
こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要
6、ワクワクするものごとを選ぶ
選択の連続の人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤やジレンマに苦しむ
7、自分の行いは必ず帰ってくる
きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。
自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。
8、物事は全て中立
「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分が意味付けをしてるだけ。
たとえば同じ場に居合わせて災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分の宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。
ぐうの音もでない。
いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば
わりと納得できる考え方だなーと。
(というかこれがわからないとしんどい)
しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。
でも、とりあえず
ということはほぼ間違いないと思う。
世界じゅうの人がみんな
この方法を身につければ
きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。
ちょっと想像してみよう。
(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府、日本、テロリスト、なんでも)が
もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。
こりゃパラダイスだ!
ぼくたちはお互いがお互いを認められるような
真に寛容な社会を実現できる!
誰と遊んでいようが楽しい!
よーし!あの丘の上まで競争だ!
これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。
でもそれは「従うことができれば」の話。
実際、どこの場でも目にする。
「人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい
長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると
最後にはだいたい前の8つくらいに収まる
(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビで美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。
昔の人は偉いなあと思う。
そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。
もちろん、まだまだ読み足りない。
なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。
きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど
個人的には、ぼくの考えを
そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して
今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。
いや、正確に言うと、否定してくれはするけども
それが納得できないのだ。
ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど
もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。
まず1つめのウソ。
ぼくが言いたいのは
すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。
古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら
さっさとそれを実行すればいいのに
なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。
それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど
じゃあ、なんでその普遍的な問題が
大昔から今まで解決されないままなんだろう。
般若心経の新訳を読んだ。
ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?
そりゃあれじゃないの?
大笑いしながら観ていた。
その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が
実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。
おいちゃんは父親にこう言われたらしい。
「団子屋に文学なんか必要ない」
団子屋が文字を読む必要がないなら、
本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。
これは団子屋だけの問題か?
かなり多く存在してるんじゃないのか?
それでなんの不自由もなく生きていけたなら
感覚だけで生きていくことを恥じることもない。
それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。
難しいことはわからない。
バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに
なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。
でもそれがどうした?
バック・トゥ・ザ・フューチャーの理屈がわからなくてもなんの不自由もない。
熱心な仏教徒や
わかりにくいな…。
その最初の救いを信じていたら
いつのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ
(オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。
「念仏を唱えれば救われる」って
そそのかされただけじゃないのか?
バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん。
念仏を唱えるだけの百姓。
そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?
つまり、ぼくが言いたいのは
読めない人がいるかもしれないということだ。
読んだ人に待ち受けているのは
でも、読んでない人はどうすりゃいい?
で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?
そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。
でも、現実はそうじゃない。
何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。
この人生訓がなぜいいのかということを
絶望的なまでに理解できない人がいる。
そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。
要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。
このたぐいの人生訓すべてが。
掛け算までしかわからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。
上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。
いつまでも掛け算のところでつまづいて
文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?
掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?
やっと言いたいことの一つが終わった。
冗長になりそうだけど
もうひとつ言いたいことがある。
更に絶望的な想定だ。
さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。
(まちがってたら言ってください)。
なんかさぁ…
内容自体はそんなに変わらないのに
急にうっとうしくなった気がしない?
どこかで見たことあるなあ…
これどこで見たんやろう…
ああ、そうか
「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?
その時どんな気分がした?
殺したくなった?
泣きたくなった?
正義づらした誰かに強制されるのだ。
それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。
この想定のたちの悪いところは
その大義名分が「間違ってない」というところだ。
誤解なら間違ってると指摘することはできるけど
ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。
え?
間違ってないなら実行できない人が無能で怠惰なんだから仕方ないって?
wikipediaによると2009年の時点で日本のニート総数63万人
彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?
賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?
ニートだけじゃない。実際働いている人でも
(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格を破壊するには充分すぎるとおもう)。
(統計を出すつもりはないけど)。
1つめのウソで言及しているような
感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手は
2つめのウソで言及しているような
こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?
損する人のほうが多くないか?
そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。
この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。
でも納得できない。
これでは救いにならない。
でもいつまでも状況に進展がない。
だれか否定してくれよ。
「おまえ間違ってるよ!」って。
1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど
そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。
枠組みを作ろうと思う。
ほとんど働かなくてもいいような枠組み。
楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。
そうして、口やかましい人たちを黙らせる
http://auauai.tumblr.com/post/9080858048
これはブログでも書いてるけど
やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。
優しくて閉鎖的な空間だ。
個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。
そういう人と連帯を組むことはしたくない。
じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは
そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。
自信を少しずつ取り戻す。
まずはそこからだ。
誰だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。
心底、世の中に絶望していた。
どれも納得できなかった。
共感をもたらしてはくれたけど
やっぱり現実はしんどいままだった。
山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた
(いまでもその選択肢を考えてる)。
いくら本を読んでも
現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。
でも最近考え方が変わった。
それもやはり本を読んで変わった
(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。
だめ連の本によると
連帯すると分散される(当たり前か)。
家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。
近隣の人の援助もあったらしい。
それはちょっとできるかどうかわからない。
でもぼくらにはインターネットというツールがある。
レゴ作って2chにスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり
自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画がYoutubeで何万再生もされたり
「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり
要するに「好き」とか「やってみた」とかの
ということは
そういうしょーもないアイディアが収益化する可能性があるのだ。
ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。
社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。
誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。
心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。
外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど
ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。
とりあえずヒマならその家に集まってみて
生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。
なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら
そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる
(ぼくもいくつかアイディアがある)
奇しくもこの考え方は
楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。
しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所
(SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)
これができるだけでも意味はあると思う。
もうだから早く家借りよう。
とりあえず、ツイッターかmixiかメールかなんでもいいから連絡をください。
http://twitter.com/yukkun1986/
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi
breed0902@gmail.com
(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。
たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。
怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。
別に住まんでもいいのよ家には
慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。
もう疲れた。
もう待てない。
もう泣きたくない。
誰かが泣くのも見たくない。
きみは死ぬな。
それでも生きれるようにしたいのよ。
ぼくもきみも。
これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。
コメントに返事を書く!
なげーよ。
ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。
短く的確に書ければいいなと思います。
書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます。
誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰/自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる
以下引用。
株やる人は肝に銘じておくべき。
今までヤフーの掲示板等を見てばかりいましたが、今日初めて書込みをします。
本当はもうキーぼード打つ気力もないけど、でも誰かに聞いてほしくて書きます。
実は去年の11月と12月かけて、全財産を注ぎ込んで東電を買ってしまいました。
全財産は30年間一日も会社を休まず、必死になってやっとの思いで貯めた1670万円です。
月給25万弱したない私にとって、1670万貯めるのにどれだけ大変な思いをしてきたのか・・・悔しくて涙も出ません。
先ほど妻と愛娘と俺と三人でおいしいファミレスに行って少し元気もらいました。
愛娘はもったいないから「もういいわ」みたいなことを言っていて、
俺は今日、いくら負けたのかと愛娘が210円の串刺し遠慮してる姿に
己の愚かさがあまりにも惨めだった。
飯代は三人で6000円でした。
安いねえ…6000円でこんなにおいしいものを家族と食べれるんだね。
株について少し話してみたい。
貧乏人がなんとか楽しようと株に手をだし、貧乏人が更に貧乏に突き落される。そんな世界です。
どれぐらい悲惨かというと、これほど悲惨なものは他にないだろうと思います。
スポーツや芸能界の世界も同じようにヒトカケラのスターが生まれ、
でも、株のようにお金まで奪われることはないから、まだましだと思うのです。
人生かけても、勝てなければすべて奪われる。
そして勝てない自分があまりにも惨めであり、
わずかたった一回の愚かなトレードで一一瞬にして奪われてしまう。
これほど愚かで残酷なことは他にあるでしょうか?
いや、ありません
私はこれほど残酷なものは他に知りません。
とてつもなく汚い世界やなあと思った。
儲けるヤツなんてとてつもなく儲ける。
BNFなんて220億か
昼飯カップラーメンてそんなに金いらんやろうと思う。
あの220億に何千何万人と泣かされている。
彼はホントに英雄なんだろうか?
自分さえ勝てればそれでいいと思う。
獲れるだけ貪欲に獲ろうとも思うだろう。
何も残らないお金と自由を得るために、
お金と自由が奪われて何も残らない。
残るのは惨めさと後悔と老いた自分
世を恨み、人を恨み、
もうね…人の話をきく気力もないし
生きているのがとてもしんどい。
人を愛することもできない。
そんな余裕も気力もない。
まさかこの俺様がここまで落ちぶれるとは夢にも思わなかった。
俺には関係ないとおもてたが、
プライドの高い俺ははっきりいって死んだ方がまし
惨めに死んでいくのだろう。
はやく死にたいと祈りながら・・・
書込み終了です。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1009501&tid=el5feeeno&sid=1009501&mid=89179
http://anond.hatelabo.jp/20101122004732
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20101122004732
げっ、キモイ。
sakura_123 質問者がうざいというブクマコメが多いけど、逆で「まず答えありき」の質問作りになってるよね、これ。
/なので質問者は増田から見た社会で、回答者は増田なのだと思う。自問自答なのか1人いいわけ大会なのか。 2010/11/22
答えありきの質問作りっていうのは感じるよね。だから不自然なしつこさを持ってる。
Vonox 読んだ。この話すげぇと思ったのは要は[クオリア]の話しじゃん。
いや、全然ちがくね?
お笑いの台本考える人も、脚本家もそうなりやすかったりするのかな。
この要約だけでいいや。
元増田が一番気持ち悪いよ。
digitalalice あたしは恋愛が人生においてかなり重要だし、セックスだって重要なことだと思ってるけど、そうじゃない人を否定しまくる質問者さんは怖いと思う。
ひどいなw
msc_abc 話はわかった。ただこのタイブを"装う"童貞拗らせ型も多そう。「あーうぜー実質恋愛とか興味ないのに周りがキャッキャしててうぜー(チラッチラッ」的な 2010/11/22
啓蒙するとニセモンが増えそうね。
solt-nappa 生きる うわぁ……。わたし、この増田さんの言わんとしていること、よくわかっちゃうんだけど……どうしよう。 2010/11/22
キモい口調だな。
f_e_ita 色々どうでもいいと言う割には相手に対して真剣なんだな。俺なら絶対途中でどうでもよくなって
「俺は顔も性格も悪くて仕事もできなくて女性に相手にされないので結婚できない人生の落伍者です終わり!」で帰って寝る 2010/11/22
本当にどうでもいいと思ってたらこうなりそう。
「話し続けるのもだるい。おまえなんぞにわかってもらわなくても結構。」
というのは、良く言われるが、学生は理解しないものだ。
もちろん、全員というわけではない。東大には、原則論としては、優秀な人材が集まっている。
同時に、落伍者もたくさんいるのだけれども。
旧司法試験の頃の文Iの学生は、2年ぐらいになれば予備校に通って司法試験に備えていたように思う。
ロースクールが始まり、弁護士の門戸は広がったが、同時に「人余り」がささやかれるようになった。
離婚調停や破産処理などが多いー京大から弁護士に進んだ知人がそう言っていた。
悲しいかな、それは現実なのだろう。資格者数に対して、案外、分け合うべき果実は少ないのかもしれない。
もちろん、文Iが進むべき道は弁護士だけではない。官僚や有名企業の社長に多かろう。
理文という境が正しいかという議論はさておき、理系の相対的価値は昔に比べれば上がったように思う。
それは、文系の相対的な価値の低下の裏返しであろう、と想像する。
なんども言うが、もちろん、全員ではない。だが、そういった文系が余りにも増えすぎた。
理系から理数的能力を差し引いたら文系、と言われてしまえば、文系の価値など無いに等しい。
それは文Iとて変わらないのだ。
そういった理尊文卑マインドの中で、文Iに真に求められるのは、新しい文系の在り方ではないか、と思う。
「最強の文系」像とは何か。
その答えは、割合、理系とか文系とかそういうことにも有るようにも思う。
理文無関係に過ごす駒場の2年間と、安田講堂の左右(厳密ではないけれども)で分かれる本郷の2年。
その期間が、あなたにとって有意義でありますように、お祈り申し上げます。
「サラリーマン」と括ってしまうことで拡散してしまうものがあると知りつつ、ひとつの視点を提案してみたいです。
あ、三十手前職歴なしのたわごとです。
あとは貶すなり加えるなり好きにしてください。
帰属意識という点で、あらゆる伝統技能職や専門職よりも職人(あるいは奉公)精神を求められるのが、現代のサラリーマンなんじゃないか。
そう考えることで、よくわからない精神的敷居の高さ、正社員にあらずんば人にあらず的な空気、新卒>>>>>>既卒+経験、という現象の一旦が説明できないだろうかと思う次第です。
変なタイトルつけちゃったけどさ。私が言いたいのはね。
そうした職人精神とか、「社畜」の心意気みたいなのは、あってもいいと思う。立派に働いている友人たちは尊敬してる。
でも、それが日本的な相互監視と相まってできた「空気」に追い詰められた人が「自死」を選んだとき、その人の弱さのせいみたいに言うのは、やっぱりおかしい。
だから、私はもうすぐここから逃げるつもりです。
何度負けたって、それが死でなければ、人生は続くのだから。
「空気」を喜ばせるより、こんな私でもいて欲しいと言ってくれる人を喜ばせるために、これからは生きてくつもりです。
最近どうも、果たし合いばかりしている。
それを読んで、うわ、これだ、これ、理解していないんだ、ぼく、そう思った。
どーもあなたは思い込みが激しすぎる気がするんですが、どうでしょう。
最近になって彼女との電話が口論になることが多くなった。不安定というか、やつあたりというか、はげしい口調でなにもかもを否定的に言う。
「あんな上司の下じゃ、きっと、いつかつぶされる、私のこと嫌ってるし」
「子どもなんて考えられない、こんな世の中で産めるわけない」
ぼくはそれをなだめながら聞き、いやでもさ、と口を挟む。
「それすごく先のはなしだし、今から心配しても仕方ないし、第一まだ」
「ちがうよ、でも、それ今決めなければいけないの?」
電話口の彼女の声はエスカレートしつめ寄るように鋭くなって、徐々に矛先がぼくにむかうようになると、口論になるのはほぼ間違いなくなる。いや、それよりも前に、あまりに否定的な見解にお説教じみた言葉を投げかけ始めてしまうこともある。彼女よりぼくの方がだいぶ年長だから、その言いようが子どもじみていて、甘い考えに見えるからだろう。
「そんなこと言っていたら、ほんとに首になるよ。そんな甘くないよ、会社」
ぼくの脳裏には、凄惨に会社にやめるように圧力を掛けられた記憶が蘇り、ぼくがみた社会の冷酷さの一面を彼女は理解していないのだと思ってしまう。
「そうなったら、せいせいだね。漫画読んで、テレビ見て、映画見て、ずっと楽しくすごす。あの会社入りたかった会社じゃないし、仕事も楽しくないし。あなたはいいよね、楽しいんでしょ、会社?」
「楽しいときもあるってだけだ」
「じゃあ、いいじゃない、私ぜんぜん楽しくも何ともないもん」
こうなると両耳で非常ベルがジリジリジリジリと鳴る錯覚まで覚え、危ない、このままでは彼女は落伍者になってしまうと、そんな危機感だけが脳内を旋回するようになり、それが超大型の爆撃機となって、鋭いクラスター爆弾の雨あられを投下してしまう。
あぶない、あぶない、あぶない、止めなきゃ。
その一心で、彼女の心が焦土になる危険さえ冒して、鋭い言葉を投げてしまう。
そんなことをしたら彼女を傷つけるだけなのに。
もっとひどいのは彼女の矛先が自分に向かったときだ。それはさながら決闘のようで、お互いの価値観をぶつけ合って、はげしいつばぜり合いになる。
「だって、あなた給料安いし、そんなんで生活できるわけないし」
「なにいってんだ。この業界では高い方だし、これはこれで」
「あーあ、これで彼が弁護士かなんかだったらな」
「弁護士だって、一流二流以外はたいして変わらないよ、今は。それにそんなつまらない仕事しても、面白くも何ともなくない? クリエイティブじゃないし。人のもめ事に首突っ込んで、解決料をもらう仕事だよ?」
「あなたの仕事もたいして変わらないんじゃない?」
まるで、剣を撃ち合わせるように、キンキンキンキン、と鋼と鋼を撃ち合わせるようで、お互いが意地っ張りで、プライドが高いという事もあって、泥沼と言うよりもつかれるまでする、決着の着かない果たし合いのよう。
キンキンキン。
最近どうも、果たし合いばかりしている。
彼女が一番鋭いところを出してきたときに、ぼくの中に対処できるところが鋭いところしかなくて、それで、剣を出される、剣で受けてしまう。
それでも、ぼくが彼女が好きなのはそんなところで、プライドが高いと言うよりは高潔で、一種の高貴さみたいなものがある。ふざけたり、馬鹿にしてみたり、いじわるをしてみたりする事もあるけれど、それは手管の一種で、ふしぎと俗悪な感じはしない。ぼくも似たもの同士で、彼女が手管を使う代わりに、どちらかというと間合いをとって相手をなだめることが多い気がする。
それが、こんな年下の彼女と真剣で、抜き身の刃で撃ち合えるなんてと、驚きはするのだけど、何か違うのだと、何か自分が間違っているのだと、最近になって思うようになった。
喧嘩はもちろんストレスフルだけど、それでも、ぼくに真っ向から立ち向かえない人を好きにはなれない。一対一で真剣勝負も辞さないぐらいでなければ、対等になれないのは当然で、ふしぎと彼女は対等の喧嘩ができる。
彼女がどう思っているかは分からないけど、ぼくには、ぼくと彼女のやり合いは対等だと思うのだ。
嫁と夫がささいな事で言い争いになり、どっちが正しいかを突き詰め合わずにはいられなくて、それで喧嘩になる。それが、知的プライドに根ざしている事が暗喩されていて、その話を聞いた友人が、深刻ではあるのだけど、平和的だなとか言うような小説。
それを読んで、うわ、これだ、これ、理解していないんだ、ぼく、そう思った。
もう彼女の理不尽な反応を受けるたびに、どんだけ、女性心理を書いた本を(漫画&小説)読みまくったかと自慢しても仕方ないのだけど、その短編を読んでまたショックを受ける。
その中で、嫁の、ちょっと至らないんじゃないかと思われる部分を指摘する嫌な(笑)夫が出てくる。その指摘は至極まっとうなのだけど、主人公は主人公なりに事情を抱えていて、その辺が交錯している。結局の所、夫も嫁も、まあそれって愛している&憎む部分もある=愛憎だよね! であいまいに終わるので、結論は出しにくいのだけど、その心理が乖離していく様子を見て、ああ、これだ、これか、と思ってしまった。
敵対に敵対で受けるのだろう。
そう思ったときが衝撃で、というか、彼女の剣、自分の身体に突き刺さったコレクションにすればいいんじゃない? 剣を剣で受ける必要なくない? 彼女が刺したいだけ刺させてあげればいいじゃん。そんぐらいではびくともしない、かもしれない、力があるんだから。
と思った。
つばぜり合いはいい。
でも、彼女が発している鋭さは受けよう。
この身で受け止めよう。
ここに刺さるのを甘受しよう。
そして、彼女が十分に戦ったと満足したなら、その痛みをこの身に受けよう。
刺されようと、そう思った。
それでも、びくともしないぐらいの強さを渇望している。
つよくなりたい。
彼女がいつ刺してもいいように。
それで、びくともせずに、抱きしめられるように。
不細工だから嫌い!というのが差別じゃない理由はなんだ?
女はすっこんでろ!というのが差別で
不細工はすっこんでろ!というのが差別じゃない理由はなんだ?
「ある要因を理由に異なった扱いをする」点でこれら全く同じだろう。
違いは「それが正当な理由か」というところで生まれると思う。
不細工で扱いが違うのは正当で、性別で扱いが違うのは正当じゃない。
しかしてそれらの違いを根拠付ける合理的理由なんて存在しないと思うんだ。
要するに歴史の中で正当とされるモノとされないモノが決まったに過ぎない。
顔面の骨格でその人の評価が大きく変わる、というのはすごいことだ。
脂肪の多少に人々が熱狂するのはすごいことだ。
なんでこうなったのかというと、「不細工差別撤廃革命」や「デブ差別反対運動」がされてないからだ。
しないのは当然。恥ずかしいし、バカげてる。なにそれキモーイって俺だって思う。
(でも昔の女の人らはそれをやったんだろうね。「恥知らずだ」「馬鹿げている」と嘲弄されてもやったんだろうね。その点昔の女性すげーと思うよ。まあ性差別を叫ぶ文脈が社会にあったし、なんだかんだいっても人の半分は女だから比較的やりやすかっただろうにしても。)
他には「それほど差別されてない」ってこともあるよね。法的には差別されてない。差別撤廃叫ぶほど抑圧は受けていない。加えて顔面偏差値の落伍者は常にマイノリティ。偏差値の使い方あってるかな?人種的・文化的マイノリティは少数ゆえに団結することができ、運動につながるけど不細工は団結につながらないマイノリティ。そして不細工かどうかという明確な基準が存在しないことだね。だから撤廃運動は起こらない。起こらないから差別は消えない。全くすごいことだ。
そうです。あなたの考えている通り、あなたは「社会のくず」です。多分あなたの考えている「社会」はあなたのことなど気にも留めていないでしょうし、あなたの心の悩みなど分かってもくれないでしょう。多分両親と本当に親しい友人以外は、あなたの悩みなんて分かりたいとも思っていません。まだ高校三年生だから、「若気の至り」という言葉で、「社会」とやらはあなたのことを受け入れてくれるかも知れませんが、五年も経てば「あまえ」という文句で、あなたの存在を一掃しにかかります。
このまま行けばあなたは全うな職業にはつけないでしょうし、「社会」でもやっていけないでしょう。でも心配は無用です。どんな落伍者にも居場所はあります。匿名はてなだからいいますが、今は障害者でも食べていけるご時勢です。安心しましょう。
だからまずあなたは自分が「落伍者」だ、「だめ人間」だ、ということを認識することからはじめましょう。「社会」から見たらどうしようもない人間でも、実は居場所はあるのですから。あなたは、もう「だめ人間」でどん底なんだから、これ以上落ちることはありません。そして、この日本では、どんなどん底でも保証されています。適材適所。いい世の中ですね。
ですから「社会」のことは気にせず、気楽にいきましょう。
司法試験に落ちた。2回目。
だが、ある中堅弁護士の発言があまりに酷い。
2007年が40.18%
2008年が32.98%
2009年が27.64%
(三振者とは、司法試験に3回落ちて、受験資格を失った者をいう)
1-(1-0.4018)×(1-0.3298)×(1-0.2764)
= 1-0.5982×0.6702×0.7236≒ 71%
三振者が3回以内に新司法試験に合格する確率は70%を超えていた。
(旧制度では、三振制度がなかったためにこのような計算はできない)
結 論
三振者に同情の余地なし
http://legal-economic.blog.ocn.ne.jp/umemura/2009/09/post_820c.html
ところがこの先生、旧司法試験で択一式試験(要するにマークシート)に4回落ちてる。
最終合格したのは6回目。
http://legal-economic.blog.ocn.ne.jp/about.html
この人の時代は司法試験を何回でも受験できた。択一試験の科目だって今の半分だ。
現在の受験生は3回しか受験資格が無い。しかも大学院に数年通うことが必須とされている。
受験できるのは修了して5年以内。
この人のように働きながら受けることは事実上不可能となっている。
高い合格率、異業種から多様な人材を法曹に育成する、大学院の教育能力は充分、
そんな謳い文句で会社を辞めて来た人も大勢いる。
合格者数も当初3000人とアナウンスされていたのに2000名弱で停止。
発足わずか5年でこの波乱だ。
旧試験時代には、ここまで受験生が振り回される事態は無かった。
これほど昔と状況が違うのに、3回落ちるのは同情の余地が無い、とこの先生はおっしゃる。
司法試験で一定の技量を見せないと仕事に触れることが出来ない。
客に迷惑をかけるわけにはいかないからだ。
力が足りなかった以上、俺が撤退するのは仕方の無いことだと思う。制度をごちゃごちゃにした国に恨みは残るけどね。
まあ、↓のように、いい中年が弁護士資格を鼻にかけて大はしゃぎしてるような世界だし、入らないでよかったのかもしれない。
そう思いながら、新しい道を模索している増田26歳の秋。未来はどこだ。
キミが数学できないのはよく分かった w
(キミのアタマでは無理だとおもうが)
このコメントがバカをさらしていることを理解できないのは
シアワセなのか?
しかし、間違ったアホなことを堂々と書いて平気でいられるのは
匿名の良さだね。
三振制度の限定の下でなりたつと、ちゃんと括弧書きで注意書きまでしてるのに
( → 国語力もないってことか)
確率論を応用した実質合格率の概念も理解できんとは -----
こんなんが分からんということは
(実質概念を考えることができないクルクルパーじゃどうしようもない)
みんな、ゆとり世代?私大文系専願?洗顔?顔洗って出直してこいや。
最低合格点をどうしてもあげることができない答案ばかりで
よく分かる。
ここのコメントのような明らかにバカなことを答案に書いてるので
点のやりようがないってわけか www
そうなると、処女厨=新卒のみ、年齢制限ありの伝統企業ってことか。でも、そういうところに勤めてるおっさんが「転職なんてするやつは人間の屑だ落伍者だ」とか言ったらそりゃ叩かれると思うが。黙って新卒だけとってりゃいいと思う。(応募があるかは不明)
それが世の中「フリーター派遣で自分の夢を追う。自由な時間」「転職でステップアップ」のような夢物語がまかり通っているのことに処女廚としては苛つくわけで
企業だっていわゆるホワイト企業は新卒しか受け付けないところの方が多い、男もそんなもんだ
なんだかんだ言っていい男ほどちゃんと処女(確かめてはないけど)を捕まえている。
それ結構感覚近いかもしれない。
そういう感じだよね。
そうなると、処女厨=新卒のみ、年齢制限ありの伝統企業ってことか。でも、そういうところに勤めてるおっさんが「転職なんてするやつは人間の屑だ落伍者だ」とか言ったらそりゃ叩かれると思うが。黙って新卒だけとってりゃいいと思う。(応募があるかは不明)