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はてなキーワード: 荀子とは

2023-02-05

anond:20230205091603

孫子墨子荀子を同列にしてるってことは基本なにもしらないとばらしてしまっているよ

わからんことは無理にコメントしないようにしようね

自分も気をつけてるけど

2023-02-05

anond:20230204141552

間違った認識で草しか生えない。

中露の戦略墨家だよ。

全く分析できてない。

さらロシア孫子兵法もつかう。

AI確率も使う。

Permalink | 記事への反応(1) | 09:16

中国古代思想から民主主義を導き出すのは無茶

荀子に限らず、中国思想って、政治トップダウンしか想定してないでしょ

政治に不満を持った民衆が暴れることもあるが、その革命が上手くいったとしても

ボトムアップ型の政治になるんじゃなく、トップが倒れて新たなトップが立って、またトップダウン政治を始めるだけ

2023-02-04

荀子はとんでもない極悪人だと思う

くわしくはググってほしいが、今の中国ロシアがやっている行動の多くは荀子に通じるものがある

人類崩壊させる恐ろしい思想家だと思う

マルクスレベルだと思う

 

追記

中国人ですら荀子のヤバさ理解してなくてワロタ

その結果がいまの独裁虐〇国家なのね

2023-01-25

人間の本性は悪であり、たゆみない努力・修養によって善の状態に達することができる

by 荀子

2022-08-25

anond:20220825130805

孟子でしょ

それに反論したのが荀子

孔子人格よりもっと人間としての仁義・情愛みたいなものを重視していた

いつから政治家は「素晴らしい人格者」じゃないとダメになったのか

そもそも役人ともヤクザ者と話をつけたり金で黙らせたり、国に必要なことを多少荒々しくても実行してきたのが政治家じゃないの?

いつから政治家清廉潔白人格者じゃなければいけなくなった?

違法集団の旧統一教会のことは罰すべきとしても、そんな半犯罪集団ともうまくやっていくことも、多少は必要じゃねえの?

孔子董仲舒かそのあたりの頃からだと思う。

2021-06-30

anond:20210629212912

ハテナーの大半は、靖国神社に行ったことが無いのだと思う。ニュースでみるだけ。

から遊就館のことも当然知らない。

遊就館名前の由来は、中国古典、『荀子』勧学篇

君子は居るに必ず郷を擇び、遊ぶに必ず士に就く」

から「遊」「就」を撰んだものであることから

日本いか中国文化を大切に扱っているかを知っている中国人もほとんどいない。

さいわい、今はYOUTUBE遊就館の内部の様子が動画で見られるのであるから

これを機会に見ておくのがよかろう。

https://www.youtube.com/watch?v=QXc7Pyj8ars

2020-07-27

anond:20200727132502

荀子様もそんなようなことをいってるな

2020-07-02

馬鹿が読む古典ランキング1位

孫子

馬鹿古典に興味を持つと決まってたどり着く作品がこれ。

大学に入って突如「教養」に目覚めた大二病リアルが充実していなくて読書に逃げる社会人などが、古典などを漁り出す傾向にある。しかし、そういう連中は大抵、基礎学力が足りておらず、安易に「読んだ気」になれる本を求める。その代表格が孫子である

なお、「馬鹿孫子を読む」と言っているのであって、「孫子を読む奴は馬鹿」と言っているのではない。もちろん、中国文学歴史等の研究孫子を読む人を馬鹿だと言っているのではない。また、孫子の内容を批判しているわけでもない。

馬鹿孫子を読む理由

なぜ孫子馬鹿に読まれるのか。その理由は2つある。

  1. 短く、文章が平易
  2. 抽象的な内容が多く、自由解釈できる

まず、孫子は短い。他のまとまった漢文文章、たとえば荀子韓非子などと比べても1/4未満の分量しかない。そして、使われている漢字や構文なども特に難しくはなく、レ点等が適当に打ってあれば書き下し文で読める。つまり漢文の基礎力が足りない馬鹿ちょっとしたパズル感覚で読むのにちょうどいいのである。実際、孫子にたどり着いた人が他の漢籍に手を出すことはほとんどない。

そして、書いてある内容は正直どうとでも取れるようなものが多い。これが読解力のない馬鹿にはちょうど良いのである。彼らは、文章に書いてある事実関係を読み解くことができず、抽象的な内容を自由解釈し「深い」「含蓄がある」などと思うことを好む。そのため、一見して日常に通ずるような格言警句が満載のこの本は、馬鹿にとってうってつけなのである

要するに孫子は、学力の低い人が「何かを考えた気分」になりたいときに、ちょうどいい本なのだ

馬鹿は短い本が好き

馬鹿は短い文章が好きである理由は単純で、長い文章が読めないかである

文学好きな人は大抵、短編長編を問わずにいろいろな作品を読んでいる。それは文章の長さで選んでいるからではなく、内容に関心があるからである。ある本に何が書いてあるかが気になり、それが正しく読める人は自然といろいろな本を読む。

しかし、孫子を読む馬鹿にとっては、まず短いことが重要である。そして馬鹿は、ふつう文学愛好家などとは異なり、孫子以外の古典は読まなくなる。馬鹿は、書物に書いてあることに興味があるのではなく、安易に読めることだけが重要からである

馬鹿孫子から読み取るもの

馬鹿孫子を読むと必ず抱く感想が以下である

孫子の考え方は○○(e.g. 経営など)にも活かせる

孫子に限らず、本を読んでこの種の感想を抱く奴は、その本を読めていない(元々読み取るべき内容が大して無い新書等は別として)。典型的な「文章が正しく読めず、妄想を膨らませて自分世界こじつけている」タイプである。彼らは、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という言葉を聞けばビジネスに結びつけたがるし、「戦わずして勝つ」という言葉を聞けば平和主義を唱えだすし、孫子クラウゼヴィッツ比較論を聞き齧って東洋思想の優位性を説いたりする。要するに、論じられている内容そのもの理解しようしない。

というか、馬鹿にとってはそれこそが「文章を読む」ということなである馬鹿文章の読み方はこうだ。

孫子は、前後文脈無視しても意味の通る格言が満載であり、こういう読み方で「賢くなった気」になるのにぴったりな本なのである

2018-08-19

元号出典一覧

元号出典備考
大化書経』(『尚書』)大誥、『漢書』巻56、『宋書』巻20 
白雉漢書』巻12帝紀 
朱鳥礼記』曲礼 
大宝易経』繋辞下 
慶雲文選』巻6、『晋書』巻54陸雲伝 
和銅和銅(ニギアカガネ)が朝廷に献上されたことにより改元
霊亀瑞亀献上により改元
養老養老の滝命名に因んで改元
神亀白亀出現の瑞祥により改元
天平天王貴平知百年」の文字を背に負った瑞亀の献上により改元
天平感宝陸奥から黄金献上により改元
天平勝宝孝謙天皇即位により改元
天平宝字蚕が「五月八日開下帝釋標知天皇命百年息」の文字を成したことにより改元
天平神護藤原仲麻呂の乱神霊の護りによって平定したことによる
神護景雲瑞雲の発現により改元
宝亀瑞亀献上により改元
天応伊勢斎宮に現れた美雲の瑞祥により改元
延暦後漢書 五十二巻 
大同礼記』礼運篇 
弘仁 
天長 
承和 
嘉祥豊後国大分郡寒川現在大分川)で捕獲された白亀が献上されたことを大瑞として改元
仁寿白亀・甘露の瑞祥による改元
斉衡石見国から醴泉の瑞を献上された事による改元
天安美作国常陸国両国より白鹿、連理の樹が献上された祥瑞による改元
貞観易経 
元慶白雉・白鹿献上の瑞祥による改元
仁和 
寛平 
昌泰 
延喜尚書』旋璣鈐 
延長文選東都賦、白雉詩 
承平漢書 
天慶漢書 
天暦論語 
天徳周易 
応和「董巴議」 
康保書経 
安和礼記』楽記第19 
天禄 
天延天変、地震による改元
貞元火災地震による改元
天元災変、陽五厄による改元
永観書経』洛誥 
寛和 
永延漢書』巻75翼李伝 
永祚『晋書』巻21礼志 
正暦大風、天変による改元
長徳揚雄の『城門校尉箴』 
長保国語』(周語中) 
寛弘漢書」(元帝紀賛) 
長和礼記』(冠義) 
寛仁『会稽記』 
治安前漢書』 
万寿詩経 
長元六韜 
長暦春秋』または『晋書』 
長久老子』(七章) 
寛徳後漢書』(杜林伝) 
永承書経 
天喜『抱朴子』 
康平後漢書 
治暦尚書正義 
延久書経』または『尚書‐注』 
承保尚書 
承暦「維城典訓」 
永保尚書 
応徳白虎通」 
寛治礼記 
嘉保史記 
永長後漢書』巻1光武帝 
承徳周易 
康和崔寔『政論』 
長治漢書 
嘉承漢書』礼楽志 
天仁文選 
天永尚書 
永久詩経』?
元永天変、疾疫による改元
保安天変、厄運による改元
天治『易緯』 
大治『河図挺佐輔』 
天承漢書 
長承史記 
保延文選卷十一·魯靈光殿賦并序』 
永治『魏文典論』『晋書』武帝 
康治宋書 
天養後漢書 
久安『晋書』劉頌伝 
仁平後漢書』孔奮伝 
久寿『抱朴子』 
保元『顔氏家訓』文章 
平治史記』夏本紀 
永暦後漢書』辺譲伝、『続漢書』律暦志 
応保尚書 
長寛『維城典訓』 
永万漢書』巻64王褒伝 
仁安毛詩正義 
嘉応漢書』王褒伝 
承安尚書 
安元漢書 
治承「河図挺作輔」 
養和後漢書 
寿永詩経 
元暦尚書考霊耀」 
文治礼記祭法 
建久『晋書』『呉書』 
正治荘子‐漁父」 
建仁文選卷四十七・聖主得賢臣頌』 
元久毛詩正義 
建永文選』卷四十二・曹子建與楊德祖書 
承元「通典」 
建暦後漢書 
建保尚書 
承久「詩緯」 
貞応易経 
元仁周易 
嘉禄「博物志」 
安貞周易』上経坤 
寛喜「後魏書」 
貞永易経」(坤卦) 
天福書経」(湯誥) 
文暦文選卷四十六・顔延年三月三日曲水詩序』 
嘉禎北斉書」 
暦仁「隋書」(音楽志下) 
延応文選卷二十四・潘安仁為賈謐作贈陸機』 
仁治新唐書 
寛元宋書 
宝治春秋繁露-通国身」 
建長後漢書 
康元赤斑瘡による改元とみられている
正嘉芸文類聚-歳時中・元正 
正元「詩緯」 
文応「晋書‐劉毅伝」 
弘長貞観政要‐封建」 
文永後漢書‐荀悦伝」 
建治周礼 
弘安「太宗実録」 
正応伏見天皇即位による改元
永仁『晋書』巻22楽志 
正安孔子家語』 
乾元周易 
嘉元芸文類聚天部 
徳治『左伝』 
延慶後漢書』馬武伝 
応長旧唐書礼儀 
正和「唐記」 
文保梁書 
元応唐書 
元亨周易 
正中易経 
嘉暦唐書 
元徳周易 
元弘芸文類聚天部 
正慶光厳天皇即位による改元
建武文選』?
延元梁書 
興国春秋左氏伝』昭公四年伝、『新五代史』伶官伝序 
正平天変や兵革による改元
建徳文選 
文中易経』彖伝上?
天授史記』淮陰侯列伝
弘和書経』君牙篇?
元中易経』彖伝上?
暦応帝王代記』 
康永漢書 
貞和芸文類聚 
観応荘子 
文和旧唐書』順宗紀、『三国志』呉志孫権 
延文漢書』儒林伝 
康安史記正義』と『唐紀』 
貞治周易 
応安毛詩正義大雅江漢 
永和尚書』舜典と『芸文類聚』巻8 
康暦唐書 
永徳『群書治要』巻17
至徳『孝経』 
嘉慶毛詩正義 
康応文選曹植七啓 
明徳礼記 
応永『会要』 
正長礼記正義 
永享後漢書 
嘉吉周易 
文安『晋書』 
宝徳旧唐書 
享徳尚書 
康正史記』と『尚書 
長禄韓非子 
寛正孔子家語』 
文正荀子 
応仁『維城典訓』 
文明周易 
長享文選 
延徳孟子 
明応周易 
文亀『爾雅』釈魚 
永正周易緯』 
大永杜氏通典』 
享禄周易 
天文易経 
弘治北斉書』 
永禄『群書治要』巻26 
元亀毛詩』と『文選 
天正文選』と『老子 
文禄杜佑『通典職官十七』 
慶長毛詩注疏』 
元和徳川家康の命により、唐の憲宗の年号を用いた
寛永毛詩朱氏注』 
正保尚書正義 
慶安周易 
承応『晋書』律暦志 
明暦漢書』律暦志と『後漢書 
万治史記』と『貞観政要』 
寛文荀子』致士篇 
延宝『隋書』音楽 
天和尚書』、『前漢書』、『後漢書』、『荘子 
貞享周易 
元禄文選 
宝永旧唐書 
正徳尚書正義 
享保後周書』 
元文文選 
寛保国語』周語 
延享芸文類聚 
寛延文選 
宝暦貞観政要』 
明和尚書 
安永文選』巻一 
天明尚書 
寛政『左伝』 
享和文選』ら 
文化周易』賁卦彖伝、『後漢書』荀淑伝
文政尚書』舜典 
天保尚書 
弘化菅原為定の漢文 
嘉永宋書』楽志 
安政内裏炎上地震安政の大地震)、黒船来航などの災異による改元
万延後漢書』馬融伝 
文久後漢書』謝該伝 
元治周易 
慶応文選 
明治易経 
大正易経』彖伝・臨卦 
昭和書経堯典 
平成史記五帝本紀、『書経(偽古文尚書)』大禹謨 

※すべてWikipediaから

 

調査を通じて学んだこと

※代始改元はかつては非礼とされていた

https://kotobank.jp/word/%E4%BB%A3%E5%A7%8B%E6%94%B9%E5%85%83-1359409

代始改元は,(中略)平安時代から806年平城天皇大同改元場合を除き,皇位継承の年に先帝の年号を改めるのは非礼であるとしてこれを避け,翌年に改元するのを原則とするようになった。

南朝元号の出典、勧申者がのきなみ不明になってる。焚書にあった?それとも元号を考えられる教養のある人がいなくて適当につけただけだったりする?

日本古典出典の元号過去に一件のみ存在する(弘化

元号って漢籍から適当に二文字抜き出しているように見える。「百姓昭明、協和萬邦」から明和昭和の2つの元号が作られているし。なんか規則あるんだろうか?

2017-05-15

氷は水より出でて水より寒し

荀子の「青は藍より出でて藍より青し」に続く文言で、意味ほぼほぼ同じなんだけど、知名度が圧倒的にちがうな。

2016-07-05

性善説性悪説を誤解してる人が多すぎる

性善説=人は生まれながらに善人

性悪説=人は生まれながらに悪人

これは間違ってはいない。しかし多くの人が決定的に間違っているのは、その文脈だ。福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず…」と同じで、一番大事なのはその前後に書いてあることだ。

まとめブログタイトルを見ただけでしたり顔で語り出すのと同じような反応をしたくなければ、その前後文章をこそ読むべきだ。

ざっくり言うと、

性善説=人は生まれながらに善人なのにこれほど国が乱れているのは、王であるお前がクソみたいな政治をしているからだよ!あぁ?わかってんのかおい!?

と王に孟子説教をぶちかますというもの孟子ゆるふわ愛され哲学者じゃない。一国の王に向かって「お前さぁ…」と啖呵を切れる激する哲学者だ。

理想のために現実に挑みかかる熱い男、それが孟子だ。

有名な「五十歩百歩」も、孟子が王に「あんたの政治全然良くないからね?」と説教するときに例えに出したものだ。

それに対して

性悪説=人は生まれながらに悪人だ。教育がなければ獣のような行動を繰り返すだろう。人間の善なる行いというのは、その人が学び、行動した結果なのだ。(だから素晴らしいのだ)

荀子が語ったものだ。荀子は極めて現実的思考をしていた人で、東洋アリストテレスとも言われる。

現実を見据え、できることを行えば世の中は良くなっていくと冷静に語るのが荀子だ。

両者の言い分は異なっているようだが、そのベクトルは全く共通している。

「どうすれば世の中は良くなるのか、充実した人生を生きられるのか」という大前提があり、また人間に対しての信頼があるからこそ、「こうすりゃいいじゃん」「こうすればよい」とそれぞれに熱く、また冷静に語っているのだ。

こういったことも知らず、知ろうともせずに「俺は性悪説から〜」などと語り出す奴は孟子の如く「お前さぁ…」と説教したくなる。

ここ数日、はてブ性善説性悪説と書いてる奴がことごとく勘違いをしているので、書いておいた。見るかどうかはしらんが。

「俺は性悪説の信奉者だからこそ、人の善を信じ、それが素晴らしいものだと確信できる」という風に「性悪説」を使っている人はほとんど見かけないな。

というか、性善説政治に対して言っているもの性悪説は個人に対して言っているものから、どっちを選択するものではないはずなんだがな。

いずれにしても、孟子荀子はこう言っている。

君主国民信頼関係が何より大事だ。君主が信ずるに足りないなら、さっさと出て行こう。真価や国民に出て行かれたくなければ、君主は自らを戒めることだ」

これが儒教の根源であって、一方的搾取を良しとするものではないのだ。

2016-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20160108215947

絶対にない。安心しろ。そのスペックの相手で思わせぶりなメールがくれば、それば思わせぶり満貫といって業界では標準的な役だ。

本当にしっかりした女の子は、本当にしっかりした関係を持たないかぎり、そういうメールは送らないものであると、かの荀子も言っている。

2014-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20141023125012

バカかお前は

人の良心や理性にどんだけ期待してるんだ

荀子だって呆れとるで

2013-10-06

愚者に対する最も正しい答えは沈黙である

容器は、それが空っぽときに一番大きな音をたてる

  ジューウェル


  賢者愚者から学ぶことのほうが、

  愚者賢者から学ぶことより多い。

  モンテーニュ

くだらない質問には答えぬがよい。

ろくな答えのできないものには、問いかけぬがよい。

くだらない話には耳をかさぬがよい。

あげ足をとるような相手とは議論せぬがよい。

道をふんで訪れるものとだけ交際して、礼儀しらずは相手にせぬことだ。

   荀子

争気ある者とは与(とも)に弁ずる勿れ。

やたらに人と争い競う性質の者とは

事の是非を語り合うことはしないほうがよい。

  荀子

2012-10-09

あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない

あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない」

カウンセラー

2012-10-02 - インターネットの備忘録



公益目的でなければ、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな

なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)

人が投げたボールをすべてキャッチすることはない

ストレスをぶつけてくる人はスルーしよう

争気ある者とは与(とも)に弁ずる勿れ。荀子

[友達][友人][知人][知り合い][人間関係は腹六分]

「仲良し教」が大嫌いです : まだ東京で消耗してるの?

最高の復讐は幸せに生きることだ。


【人間関係】他人を許すのは、他人の意のままにならないための手段なのである。

「礼には礼を、無礼には無礼を。」

[相互主義][目には目を]人間関係とは鏡のようなモノである。

しつけとは、他人のことをどれほど考えていないかを隠すことである。

[語録][エピクテトス][エピクテートス][Enchiridion][Epictetus]

http://anond.hatelabo.jp/20130608045638

http://anond.hatelabo.jp/20131030223110

http://anond.hatelabo.jp/20131118210051

http://anond.hatelabo.jp/20131221145152

http://anond.hatelabo.jp/20090914172538

http://anond.hatelabo.jp/20140127212624

http://anond.hatelabo.jp/20140315224757

http://anond.hatelabo.jp/20140622233047

http://anond.hatelabo.jp/20160419224750

2012-07-20

日記

 児玉聡『功利主義入門―はじめての倫理学読了。読みやすく、しかも、勉強になった。私は今年度初めに、「意味の分からない本は読まない」と決めたため、哲学系の本は一切読まなくなったのだけど、本書は、功利主義を理解するための知識がきちんとまとめられているにもかかわらず、倫理学素人である私にも意味の分かる本であった。

 とりわけ私にとって重要だったのは、功利主義に対する批判者の多くが、「行為功利主義」と「直接功利主義」を念頭に置いたワラ人形攻撃をしている、という話(p.83)。ちまたでは功利主義批判をしばしば目にするけれど、そこで批判されているのがワラ人形でないかどうか、考えるための一つの目安を手に入れることができた。

 逆に言えば、本書では、ベンサム説やJ.S.ミル説がそのまま示されるだけではなく(当たり前か)、それらへの批判を経てより洗練された形の功利主義が紹介され、擁護され、さらには今後の課題が提示されている。単に昔の人の思想を勉強するのでなく、論争(と現実的事例への適用)を通じて倫理学に触れられる本書には、「はじめての倫理学」という副題がよく似合うと思う。

 功利主義(と功利主義批判)そのものの解説以外にも、公衆衛生に関する政策、幸福論、心理学や脳神経科学による研究ビルゲイツ寄付先の決め方など、色々と興味深い話題が盛り込まれ、また、倫理学武道になぞらえた説明にも色々な点でとても納得できた(日常会話で友人の意見を批判するのは、通行人大外刈をかけるのと同様に危険!)。J美の出番がもっと多ければより楽しい本になっていたと思うが、それを望むのは欲張りだろう。

 以下、思ったことのメモ

p.20)食事のときに音をたててよい文化ルールが、「食べるさいには周りの人を嫌な気分にさせるべきではない」という(より深い)ルールに基づくものと理解できる、というのがどういう解釈なのかよく分からない。音をたてることを禁止したがる人は周りの人を嫌な気分にさせるから、音をたててよいというルールがあるんだということ?

pp.154-155)選好充足と幸福のつながりを疑うための2つの思考実験から、「すべての選好を充足させることが幸福につながるわけではな」いということになりそう、という結論が導かれている。つまりここでは、「選好充足しても幸福にならない」感じのするケースが挙げられているわけだ。しかし、これら2つのケースで想定されている選好充足は、選好充足とは思えない。例えば、ある学者が「ノーベル賞をほしい」と思っていて、その後に政治的理由で「ノーベル賞なんか欲しくない」と思い直して、その直後にノーベル賞受賞発表があった場合、それは明らかに(かつての彼の選好に合致するものではあるが)彼の選好充足にはならないだろう。それと同様で、1つ目のケースでは、現在の妻の選好はかつての彼女の選好とは異なるし、2つ目のケースでは、受賞者発表の時点でカナダ研究者は(死んでいたので)ノーベル賞受賞を選好しておらず、受賞発表は選好を満たさない。したがって、これらは「選好充足しても幸福にならない」ケースではないのではないか。…と書いてる途中で、「じゃあたった今の選好しかその人の選好として認めないの? それ色々まずくね」という批判が浮かんだ。まあだから、どちらにしても、幸福につながる選好の定義は難しい、ということなんだろう。

p.204)「カント引用は…」。どこに引用されてるのか、本気で見つからない。

p.219)「同時に日常底に用いたりするのでなければ」。「日常的」の誤植?…と思ったら、仏教用語で「日常底」という言葉がある模様。あとで調べる。

以上。

 

 ところで、最近私が(本書とは無関係に)手に取ったいくつかの本によれば、功利主義者は必ず利己主義的傾向を持っていて、極端な場合世界は亡びても自分だけ助かればいいというところまで至る(*1)、のであり、また、ベンタムの思想は、ヨーロッパの恥ずべき日々に確立された「快楽苦痛に関する皮肉簿記学」であり(*2)、もはや、日本精神界では「浅薄」なものとしてあまり顧みられず英国でもムーアによる批判以来(理論倫理学説としては)過去の思想となっている(*3)、のであった。そんな中で、私が本書によって功利主義に入門できたのは、幸運だったと言えるだろう。

==========

(*1)井上哲次郎日本魂と米・英の功利主義」、『日本公論』1943年8月号所収、p.6。なお井上によれば、ベンタム・J.S.ミル・シジウィク・墨子荀子荻生徂徠・太宰春台などが功利主義である

(*2)アンドレ・ブルトン澁澤龍彦訳)「ルイス・キャロル」、『澁澤龍彦翻訳全集12』所収、1997年(仏語底本は1950年)、pp.313-314。ベンタムへの言及は、ルイ・アラゴン言葉としてブルトン引用しているもの

(*3)『世界古典名著:総解説 改訂新版』自由国民社2001年、p.204。

2012-01-14

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/28694

はじめ、無敵の人って2chだけかと思っていたよ。

だって2chの元管理人ネタにするんだもん。そうだと思っちゃうよね。

でもさー、ステマとかカオスラウンジとか…いや些細な祭とかみてて思ったことは無敵な人って普遍的にそこら辺に居るんだなって。

でも、みんな気にしないんだな。だって俺でも道端にホームレスの人に訴えるぞとかに言われても気にせず素通りしちゃうもん。

信用無い人はともかく普通の人もまた信用を失うって簡単なことなんだよね。

でも俺は他人の信用を損ねるようなそんなことはしないかな。だって道端歩いているときに横腹を刺されたくないし。

そんなこと気にせず過ごしたいじゃん。引きこもりの人はいいのだろうか。

たとえこの世が性悪説だったとしても荀子のごとく努力してモラルを保とうとするよね、

日本人ならネトウヨが言うとおり民度が高くモラルも保ってるよね。

あー、インターネットって怖いなぁ。

2010-12-06

http://anond.hatelabo.jp/20101206210047

早稲田大学でございます。超一杯中国の人来るよ。留学生研究者も。流石に研究室はさらせないけど。

まぁ「あの人の門下のあいつだな」と思った人いるかもしんないけどスルーな。ほっとけよ。

んで、中国人研究者日本に多く来る理由はやっぱり文革が一番デカいんですよ。

あのときやらかしまくったせいで資料が相当焼失してる。当事の歴史的資料なんてのもそうだけど、

中国って国家アイデンティティになるような資料まで相当燃やしたからね。ついでに、当局の検閲現在でもバリバリ入るので

マトモに勉強したければ海外に求めるしかないっていう悲しい事情もあるようだね。

具体的に言えば、「孔子」に関する資料とかあるいは文化風習ヤ宗教に関する資料、歴史的遺物なんてのは下手した日本の方が資料が残ってるんじゃないかと思う。

「批彪批孔」の嵐が凄まじかっただけ、多くのものが失われた。でも、中国大好きな日本は結構保存してたわけですよ。経典歴史書、思想書の類は全部まとめて焼いたからね。実際、「批彪批孔」とは言うものの焼く人間に色んな思想家の見分けがつくわけなく、墨子荀子もなんもかんもサックサク大学ごと、っつーか学者ごと焼いたからね。更には孔子とその弟子たちの墓までぶっ壊す始末。だから日本にこそ残ってた。日本人にとって漢文ってのは「教養」だったからね。

んで、これはとりもなおさず「日本中国の絶大な影響下にある国家である」っていうことを端的に示す事実だし、

同時に中国が「歴史的資料をやらかしちまった挙句現在でも学問の自由に乏しい」っていうことを端的に示すよね。

そういうわけで、研究者同士は比較的仲良しなんだよ中国日本。母国に帰ると言いたいことも言えないらしいから、彼ら。

俺は中国研究してる人じゃないけど、師匠筋に当たる人が文革研究で有名な人なんで非常に接点があるんだ。向こうの研究者とは。

2010-01-19

魔法使い恋人を作るためにやるべき5つのこと

http://anond.hatelabo.jp/20100115181154

この31歳、魔法使い。相当に痛い、絶望的にどうしようもないが、こんな男でも本気であれば恋人を作る事も不可能ではない。というのも、俺がほぼそれに近い状態から恋人を作ったから。今にしてみれば「なんだそんな事かー」と思えるような事も、当時は分からなかった。そんな、これを出来ていれば恋人が出来るであろう、幾つかを書いてみたい。

何か一つ、誇れる事を毎日続ける

女性と言うものは、敬意をもてない男には魅力を感じない。これは断言できる。女性恋愛感情は、相手への敬意によって立つ部分が大きい。お金を稼ぐ男がモテルのも、金うんぬんよりもそれを可能にした能力への敬意と憧れが、理由だと思う。従って、自分に自信を持てない男には、誰かが振り向くことなどありえない訳だ。

それをどう克服するか?簡単だ。努力を積み上げればいい。何でもいいが、女性が聞いて凄いと思えるものなら尚更いい。

個人的には、トレーニングとかジョギングお勧めしたい。俺もこれをやった。日に10キロを走って年に数回フルマラソン大会に出場し、締まった体を手に入れれば、出会う女性の幾人かはその努力に敬意を持ってくれるだろう。これなら、なんの能力もない、仕事が出来るわけでもない、魔法使いでも出来るはずだ。というか出来る。

繰り返すが、敬意を抱かせるに足る能力を持たない相手に、いい女は人生をたとえ一部でも預けたりしない。

友達を作れ

友達の居ない男は、あまりにも悲しい。正直に言って魅力がない。同時に友達を作るのは恋人を作るのと同じくらいに難しいものだと思う。互いに教えあえるような共通の趣味を持ち、常に相手の立場になって、気持ちを予測する、それは恋人と付き合うときにも等しく必要なことだと思う。だから、友達の多い異性には安心感や包容力を誰もが感じるし、頼りたくなる。

もっと踏み込んで言うなら。友達を作れ=人の気持ちを常に考えろ、ということ。概ね魔法使い自分勝手で、我がままで、自虐的で、自尊心だけが以上に強い。そんな人間とは、男女を問わず、誰だって一緒には居たくはないもんだ。他人の気持ちを知り、痛みを知る、これは最低限のルールだと知って欲しい。

まずは、周りの人間自分を晒し、相手の気持ちを受け入れ考えることから始めよう。友達が一人増えれば、その友達が彼女になるかもしれない女性をつれてきてくれる事もある。結婚すれば、祝福もしてくれる。苦しいときには支えてくれる。やがて、周囲の優しさが人格を丸く豊かにしてくれる事に、きづくでしょう。俺も色んな集まりに顔を出して、男に好かれる男を手本に、頑張った。お世辞にも友達は多くないけど、一緒に旅行したり、入院したら何も言わずとも見舞いに来てくれる様な友達は何人か出来た。掛け替えのない宝だと思ってる。

本を読め

大量の本を読め、出来れば感情移入して。一冊の本を読み終えたとき、一つの人生経験したと思えるほどに。

本を読み込むことで、圧倒的に足りない人生経験や、感情の動き、知識を多少でも補うことができる。本を読むという行為は、それを血肉にするつもりで読むことで、思っているよりも多くのものを与えてくれる。魔法使いの多くは、外見なんか問題にならないほどに、幼くて醜い内面をもっている。それを強制し埋め合わせる為に本を読むべきだ。また、話題の豊かさや語彙の豊富さは、そのまま魅力につながる。話題や会話の仕方に悩む必要がなくなった時に得られるアドバンテージ想像してみて欲しい。俺は多くはないだろうけど、年に150冊ほど今でも読んでる。生活の一部だ。

旅をしろ。海外へ行け。

年に2回くらい、できれば海外へ行け。

なんだか分からない場所で、身振り手振りで、自分を伝えながら身一つで旅をして来い。

言葉の通じない場所で僅かな金でたった一人で行動することは、思った以上に勇気が必要だ。それも危険な場所なら、尚更だ。そこで、モノを買い、食事をし、宿を取り、道を尋ねる、そういう一つ一つの経験日本で手に入れる何倍もの経験になる。見知らぬ他人の優しさや、その逆の厳しさ。お金の大切さ。命がある事のあり難さ。それを思い知った人間の魅力は、そうでない人間なんか及びも付かないほどに深くて温かい。俺は、去年はフランスへ行ってきた、旅はいいもんだ。

打ち込める仕事を見つけろ

なんだかんだ言っても、男は仕事だ。仕事の出来ない男なんか、存在する価値すらないと言われても、俺は声を荒げて反論できない。

しかし、人間には能力の差がある。だれでも1流のプレーヤーにはなれない。だから、せめて打ち込める仕事を見つけよう。なんでもいい。必死になって頑張って、愚痴をこぼさなくてもいいような、そんな仕事を見つけよう。自分仕事はつまらない、そう思っている男には魅力がない。例え1流でなくても、俺はこれが好きだと必至になってる、その横顔に人は惹かれるもんなんじゃないか。幸運な事だけど、俺にはそれが最初からあった。最初はその価値に気付いてなくて、出来ない自分が嫌で逃げ出そうとばかりしていたけど、今は足掻いている自分に誇りを持っている。

プロ野球の2軍や、サッカーのJFLの選手の様にリーマンよりも稼ぎのない男でも、いい女を引き連れてるのはなぜか?そういうことだ。

青は藍より青し

ここまで出来て、それでも誰にも愛されないなんてことはまずない。外見なんか清潔感を失っていなければそれでいい。良く貼られる写真で全身で60万の衣服をまとった男とイケメンの対比があるけど、あれがいい例だ。中身の伴わない奴は、どんなにいい服を着ても服に着られるばかりで意味がない。中身のある男なら、全身ユニクロでもカッコイイのは、あのユニクロ広告を見てれば分かるんじゃないか?顔も関係ない。自信を手に入れた時に、あなたの事をブサイクだなどと心から笑う奴なんか居なくなる。自分に磨きを掛けて黒の似合う男になろう。そうなれば、見た目なんか何の問題もなくなる。服の方で着て欲しいと言って来る様になればシメタモノダ

ナンパだの、出会い系だの、自分を下げるような事をするのは辞めたほうがいい。クダラン女を何人釣っても幸せにはなれないよ。そんな事をする位なら、自分の中身の価値を上げよう。

青と言う色は、藍という植物から取れるが、藍のもつ色よりも青は尚青い。積み重ねた努力は人を別物に変えてくれる。人は誰でも青になりうるんだ。と荀子は言った。30歳、魔法使いは、人生を諦めるにはまだまだ早すぎる。

2008-03-21

争気ある者とは与(とも)に弁ずる勿れ。荀子

くだらない質問には答えぬがよい。

ろくな答えのできないものには、問いかけぬがよい。

くだらない話には耳をかさぬがよい。

あげ足をとるような相手とは議論せぬがよい。

道をふんで訪れるものとだけ交際して、礼儀しらずは相手にせぬことだ。

荀子

争気ある者とは与(とも)に弁ずる勿れ。

荀子

やたらに人と争い競う性質の者とは

事の是非を語り合うことはしないほうがよい。

語りえないことについては人は沈黙せねばならない。

くだらない質問には答えぬがよい。荀子

くだらない質問には答えぬがよい。

ろくな答えのできないものには、問いかけぬがよい。

くだらない話には耳をかさぬがよい。

あげ足をとるような相手とは議論せぬがよい。

道をふんで訪れるものとだけ交際して、礼儀しらずは相手にせぬことだ。

荀子

争気ある者とは与(とも)に弁ずる勿れ。

荀子

やたらに人と争い競う性質の者とは

事の是非を語り合うことはしないほうがよい。

愚か者でないかぎり誠実であることは危険である。バーナード・ショー

http://anond.hatelabo.jp/20140216162609

2008-02-21

とあるブログの記事をコピペ

人間の性は善か悪か

太古の昔から続く論争に、人間の性は善か悪かと言う問いがあります。

人間の性は善であるとの説(=性善説)を唱えた代表は孟子です。

孟子は、

人間ならば誰しも生まれつき人の不幸をあわれみ悼む心がある。目の前に今にも井戸に落ちそうな子供がいたら、誰に教わった訳でなくとも、手を差し伸べて助けるであろう。これこそが人間の本性であり、人間の元々の性は善なのだ。」

と主張しました。一理あると思います。

人間の性は悪であるとの説(=性悪説)を唱えた代表は荀子です。

荀子は、

「人は誰でも生まれつき欲望を持っている。利益を追い快楽を求めようとする人間の本能のままに行動すれば必ず争いごとが起こり、社会が混乱してしまう。だからこそ法律による指導や、道徳による教化が必要なのだ。」

と主張しました。これも一理あると思います。

一方、私の知人に、人間の性を一言で表現するとすれば弱である(=性弱説)と考える人がいます。すなわち

「人は元来弱い生き物である。禁酒禁煙の誓いは簡単に破られ、ダイエット計画はすぐに中止される。夏休み初日にたてた学習計画を最後まで守ったと言う人にいまだかつて会ったことがない。うまくいった時は自分の手柄にするくせに、うまくいかなかった時は他人のせいにする。少々褒められただけですぐに有頂天になり、ちょっと叱られただけですぐに落胆する。自分の努力不足は棚にあげて、他人の成功を妬み嫉む。 -- (中略) -- だからこそ、自分自身を含めて、人は誰しも基本的に弱い存在であると言う前提にたって付き合う必要がある。」

との考えです。

性善説性悪説よりも、性弱説に強い共感を覚えずにはいられません。

2007-11-15

[][]人間関係とは鏡のようなモノである


あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない

人間関係は鏡のようなものです。

相手の貴方に対する態度は、貴方の相手に対する態度そのものと考えなさい。  

ジョセフ・マーフィー

人間関係に悩んでいるとき

人間関係はこちらの出方次第。

たかも鏡の前に立つようなもの

こちらが笑えば向こうも笑う。こちらがしかめ面をすれば相手も渋面になる。

邑井操

世界は巨大な鏡だ。

それはあなたの全てを映し出してくれる。

もしあなた愛情と友情に溢れ、有能であるならば、世界あなたの全てを叶えてくれる。

トマスドライヤー

馬鹿は見たくないと言うなら、

まず自分の鏡を壊さなければならない

フランソワラブレー


「礼には礼を、無礼には無礼を。」

くだらない質問には答えぬがよい。

ろくな答えのできないものには、問いかけぬがよい。

くだらない話には耳をかさぬがよい。

あげ足をとるような相手とは議論せぬがよい。

道をふんで訪れるものとだけ交際して、礼儀しらずは相手にせぬことだ。

荀子

争気ある者とは与(とも)に弁ずる勿れ。

荀子

やたらに人と争い競う性質の者とは

事の是非を語り合うことはしないほうがよい。


目には目を歯には歯を An eye for an eye, and a tooth for a tooth.


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