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はてなキーワード: 芥川賞とは

2012-01-23

相手が上から目線に見える回数が多い人はコミュ障か?

同じ刺激を受けても、文脈を推しはかる力がとぼしく、価値観の共有を前提としなければ会話ができない人は

なんらかのコミュニケーション障害であると考えて良いと思う。



http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120118-00000301-newsweek-int

どういう局面では「上から目線」と非難されて、どういう場面では「ドヤ顔」で済むのかというと、そこにはある種の条件がある

価値観が共有されていれば、ユーモアを込めて「ドヤ顔」という言葉でその「得意満面」な態度は承認されるわけです。一方で、意味もなく大きな態度を取っていたり、得意がっている背景にある価値観が到底納得できないものだと、周囲からは「上から目線」だという非難を受ける

例えば、芥川賞に4回候補になりつつも落選を続け、今回5回目で受賞した田中慎弥氏。部分だけ聞けば「新人作家の分際で『上から目線』もいいところだ」という印象になる。「文脈」が加わると話は変わってきます。「当然」というのは不遜でも何でもなく、田中氏なりの創作者としてのプライド表現しただけという理解が可能になる。

アメリカ場合はどうしても平等思想などの「タテマエ」が強いので「上から目線」だという不快感を感じても、ガマンしてしまうことが多いのです。その点で、日本場合言葉そのものに「上下関係の規定性」がありますから上下感覚として一方的な価値観が出てくると相手には顕著な違和感が出てくるし、結果的に「異議申立て」も多くなる

2012-01-06

作家志望が書いたつまらない小説ありがちなこと

 

 ・ 登場人物がやたら多い。

 

 これは大風呂敷だけを広げて、畳むことに失敗するパターン

 1ページか、二ページそこらで、登場人物がやたら出てくる。本人の中ではしっかりとキャラクターが浮かんでいるのであるが、いざ書きだすとなかなか先に進まない。他人に読ませても「キャラクターの区別がつかない」とか言われる。他人をお話の中にすんなり引き入れるには、多くても主要キャラクターは三人か四人がベストでしょ。

 ・読み始めて、しばらくしても何についての話なのかよくわからない。

 

 いきなり長編に取り掛かろうとする小説家志望にありがちなパターンである。ずーっと読んでいってもなんだかよく分からない主人公の日常が書かれてあるだけで、いつまでたっても事件が起きないのだ。セントラルクエスチョン(主人公は○○できるのか?)を提示するのが遅すぎる。遅くても10ページまでには何の話なのか提示しないと、読む方はあきてしまう可能性があるのだ。

 

 ・登場人物が画一的すぎる

 

 女子高生が出てきたら女子高生の口調、オタクオタクの口調や行動、ヤンキーヤンキー校長が出てきたら校長、婆が出てきたら婆、どれもこれも画一的で、その個人特有の人物造形ができていないのだ。女子高生だったらこんなことはしないだろうとか、ヤンキーはこんなこと言わないだろうかとか考えず、こいつ自身はどう動くかを考えるべき。

 ・感情をそのまま言葉表現しようとする 

 

 主人公が不安だと思ったときに、そのまま言葉で私は不安だと表現するのは簡単。

 そうじゃなく描写で表すほうがいい。不安なら、「私の進む先に暗く淀んだ雲が漂っていた」これだけでいい。

 ・敵の底が浅い

 

 これは、ダメ映画小説漫画すべてに言えるが、敵または悪役の底が浅すぎる。みんな似たり寄ったり、同じような口調や行動でありきたりこの上ない。書き手が主人公ばっかりに気持ちが入っていて、陰と陽の配分がなされていないのだ(不思議と悪役の存在感が薄い小説は、主人公も同じく薄いことが多い)

 悪役を描くときは、どうせなら主人公より悪役の方に肩入れしてしまうくらい入念に丹精込めて造型しないと、濃密な戦いは生まれないぞ。主人公以上に、なにか独特の倫理観や、哲学を持ってないと魅力は出てこない。<リンク:共犯者 (新潮クライムファイル)>共犯者関根元を見習ってくれ。

 ・退屈な生活をおくる主人公のもとに、都合良く謎の美少女が現れる。

 

 導入で、ここまでうんざりさせられる展開は他にない。冒頭に退屈した主人公の日常が延々と描かれ、突如としてその生活に舞い降りた謎の美少女。これがラブストーリーとかになったりしたらもう最悪…。導入としてはすごくわかりやすくて、お話も運びやすいのはわかるがもう一つ何かひとひねりちょうだい!

 

 ・自分でも言葉にできない鬱積した感情を書こうとしている

 自分の中に溜まった抽象的な[何か」を表現しました、と言う小説はたいがい、つまらない。こういう小説は冒頭にかならず自意識を垂れ流したような文章が長々と続き、ちょっと書いている本人が陶酔している。こういうのを描くのは、玄人向けというか、並外れた文章表現客観性がないとなかなかうまくいかないのよ。最近芥川賞とった「きことわ」ぐらいのレベルなら別だけど。

・なんか自然描写だけの小説

 

 なんかさらーっとしてて、自然とかそういう情景描写ばっかりの小説ってあるよね。たぶん自分の中では美しい情景が思い描けてると思うんだよ。でも他人ってそんなにあなたが感動したことに共感はしてくれないんだよ。よくありがちなのが自然人間の死を対比させているパターンね。

 

・文章もテーマも立派なんだけど、全体的に大したことが起こらない、地味。

 

 こういう小説が一番多い。文章もプロ並み、テーマも素晴らしい、でも地味なんだよってやつ。こういう人はとことん地味な話を書くべか、または自分が普段全く読まないような超エンタメ小説劇薬小説などを買いあさって読んで、一度頭をフルチェンジしてみるのが一番ベストである

・文章もテーマも立派だし、起こっていることもまぁまぁなんだけど、モチーフがありきたりで既視感がある。

 そこらへんに転がってるような話だけじゃ駄目なんだよな。

 ・お話シンプルすぎる。ひねりがまったくない 

  海外の古い短編なんか読むと、こんなんでいいの!?って思うくらいシンプルなのもあるけど。それは昔の時代から通用しただけのことであって、今の時代は「ひねり」をどんどん入れて、読者の意表をつかないと、すぐにあきられてしまう。じゃあ二転三転すればいいのかっていうとそういうわけでもないんだけど、読者を驚かせてやろうってぐらいのサービス精神がほしい。

 

 

2011-12-25

今すぐ消えろ!日本カルチャーシーンを「残念」にした戦犯タイプ

ハロー



聖おにいさんオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。

http://anond.hatelabo.jp/20081210172325

とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。

http://anond.hatelabo.jp/20091216230059

このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!

http://anond.hatelabo.jp/20111224192828



を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。

「かわいそうだね?」

って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞ネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。

はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大自分直視できないのかねえ。

「格好をつけないことで、格好をつけている」

「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」

やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。

ぼくはきみたちの断末魔叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。

ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。

これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。

きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。

では、いきますよー。



映画秘宝

ボンクラ」なんていう安っぽい価値観連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスター宇多丸町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。

「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。

中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。

自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚フンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。

彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸ラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。

そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画ポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。

この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフル宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画町山智浩キラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画ネタにしているのを見たことあるよ」でも可。



伊集院光

人生大切なことは、すべて伊集院光ラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。

映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャー必死に否定してくる。「最近アニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。

自分中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画アニメ伊集院が褒めるものけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。

映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットMP3音源違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメ自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。

「人見知りなのは感性が鋭いからだ!」

バイト面接で受からないのは、感性が鋭いからだ!」

住民税を滞納しているのは、感性が鋭いからだ!」

もうなんでもあり。

こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛自己肯定は。



ビレバン

ある意味一番病気かもしれない。

「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽ自分必死デコレートしようと頑張っている。ビレバン下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分ビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。

こういう奴がセンスいいと思われたい一心カルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画悲惨犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。

なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍マリオネットたち。

こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。

さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。

もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。



つぶやき批評家

そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆

はてブツイッターなどの安全からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。

文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ

大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。

このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報いかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。



以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性大事」という間違った教育と、「作品の解釈受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。

確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。

ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督紀里谷和明か、小説家岩崎夏海くらいか

特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代クリエイターズバイブルだね、この本は。

みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽ自分直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。

2011-10-05

小説を知らない人への小説の売り方

http://anond.hatelabo.jp/20111005092209

文学賞

直木賞芥川賞本屋大賞など。文学賞を創設してこれというものを選んで授賞する。本屋大賞なんか一番わかりやすくて「書店員が一番売りたい本」を選んで授賞してるんだよね。ある意味で一番効果的なプロモーション。上に上げた3賞以外ではノーベル文学賞が有効。世界大家でも日本では無名作家が一気に売れるようになる。

映画化ドラマ

普段本なんか読まない賞にとって、これも有効なプロモーション俳優陣は勿論、脚本家監督も実績のある人を採用すれば効果的。観客動員や視聴率のために原作からの改変なんて当たり前だけど(中年男の主人公が若い女性になったり、殺人の動機が単純になったり)、それでも原作が売れるようになる。ただしやり方を間違えると元から原作ファンが立腹する可能性あり。ラノベアニメ化もこれに含まれる。

企画本

「小節は読まないけどビジネス書は読む」「雑誌新聞は読む」という人には有効。「もしドラ!」「チーズはどこへ消えた」「GOAL」など。ただ、これ「小説を売る」じゃなくて「書籍というパッケージを売る」というものだけど。難点はブームが去ればあっという間に著者が一発屋化すること。

新訳、新装

ここ数年の流行夏目漱石太宰治小畑健の絵をつけたり、サリンジャーチャンドラー村上春樹訳で発売したり。これもやり過ぎると陳腐化する。

芸能人作家デビュー

去年辺りまで流行ってた。小説と言うよりもタレント本といったほうがいいのかもしれない。ただあれだけ話題になった劇団ひとりが2作目は全然売れてないし、水嶋ヒロも2作目が出る気配がない。その後も作家として活動しているのは辻仁成(辻はブーム前に出てきたけど)、川上未映子など少数。

一見すると効果があるように思われて、実は効果がないもの

2011-07-29

みんなが嫌い

というか苦手だ。拒否したい。拒絶まではいかないけど、少し間を開けていたい。あんまり意識して関わりたいとは思わない。

べつに一匹狼を気取りたいわけじゃない。俺ってみんなは違うんだぜって、馬鹿みたいに威張りたいわけでもない。

まあみんなというか、大衆と呼ばれるものについてなんだけども。自分大衆が猛威をふるうさまが嫌いなのだ。そんなこと中々起こりえないかもしれないけれど、想像するだけで醜悪だし、怖いし、仮に起こったとしてそこで判別された物事は正しいのか疑問視してしまう。

とりわけ大衆価値基準が委ねられているなんて状態を想像すると最悪な気分になる。創作物にしても、流行り廃りにしても、政治動向についても、大衆が実権を握るような状態は拒否したい。心の底からお断りしたい。

拒みたい理由は、なにも大衆が正しくないからだとか、大衆が愚かだからなんて思っているからじゃない。物事の尺度大衆に委ねられて既成事実化していってしまうのが怖いのだ。

大衆は間違えても責任を負わない。大衆は、そのくせ何でもかんでも正しく判断しようとする。圧倒的な数を誇って、どんなことをも精査しようとする。

究極的に言ってしまえば、価値基準の画一化にさえ繋がりかねない。寄って集ったみんなが、結果として大衆の意思を決定し、挙句大衆の支配下に置かれるなんてこともあるかもわからない。

そんなの嫌だ。みんなの意見が平均となって意思となるのか、偏った意見が流れを切り開いて意思となるかはさておくとしても、

そんな状況はお断わり願いたい。広まりきった価値観はつまらないのだ。大衆が認めた、大衆にだけ有益な物事なんて詰まらなくて堪らないと思う。

から芥川賞とか、レコード大賞とか、アカデミー賞とか、そう言った様々な権威について、大衆には意見を言う資格はないと思う。

そう言った物事は、狭い領域で少ない人数で偏った人選で語られて然るべきだ。大衆意見なんて無視して。薄暗い蛸壺の中だけで判断したほうがよっぽど面白い

例えその結果を理解できなかったとしても、そういうものはそういうものとして咀嚼できる。不味くたって、珍妙な味がしたって、それはそれとしてひとつ経験となる。

でも、大衆が精査し、大衆に迎合されるべき、大衆宛の結果が出るようになっては悲しい。自分好みの味だけ出されたって、結局は大衆という名の馬鹿かい蛸壺内での嗜好にすぎない。

大きすぎる蛸壺一個の価値観に合わせるよりは、個々の小さな蛸壺から得られる発酵物のほうがよっぽどいい。素敵だ。

無論、大衆文化嫌悪しているわけではない。大衆に向けらた発信物はわかりやすいし、素直に面白い

加えて経済的な問題もある。みんなの意見や首肯という要素は、決して無視できないほどに重要である

ただ、過度に効率を重視した大衆に向けられた発信物は、結局のところ大衆の増長に繋がりかねない。増長を重ねた大衆って、きっといろんな場面で禍根を生むと思う。

みんなが大衆の意思によって苦しくなるのだ。そんなのっておかしいと思うし、不健全だと思う。だから大衆に餌を与え過ぎちゃいけない。大衆が育つ土壌を作ってはならないと思う。

グローバルスタンダードとか標準化とか、極々ありふれた広い範囲での規約が力を持つのって、すごく怖いことだ思う。

2011-03-27

結婚とか将来とかマジで考えてるヤツってまだいるの?

たまに聞かれるんだが、いつ頃からかアホらしくて答える気にもならなくなった。それでもまだ聞いてくるヤツがいるから呆れる。私と同じ立場だったとして、理性があれば本当にそんなことを考えるだろうか?それとも、単純に相手が私の立場を見えていないだけだろうか?

  

かに、同世代で結婚している人間もいるし、子供がいるヤツもいる。友人の中にもいる。でも私にとっては、そっちのほうが特殊に見える。それが彼らの当たり前なのかもしれないが、少なくとも私にとっては特殊だ。だったら単に私のことが見えていないだけなんだろうな。私は特殊なんだろうか。果たして。そうは思えない。とても。

27歳。団塊ジュニアより5年ほど下か、ゆとりより5年ほど上か。

我々と大体同世代になるのは、サカキバラの東くん、バスジャックネオ麦くん、芸能人はよく知らないけど、最年少で芥川賞だった人とか、思いつくのはそれぐらい。

我々の世代の流行といえば、イジメ、キレる十代、円光、バタフライナイフオウム真理教、あとなんだろう、時事としてはそんなもんか。

ソ連も一応は知っている。ベルリンの壁も知っている。教科書でも習った。ソフホーズとかコルホーズとか、五カ年計画とか、過去としてではなく。

私は映画が好きだったから、子供の頃はベトナム戦争映画ばかり見て育った。洋画と言えば、ハリウッド映画と言えば、どこもかしこベトナム戦争だった。

バブル崩壊直前直後だけを知っている。平成米騒動とかもあったっけ。覚えてないけど。

小学生の途中で土曜日は完全に休日になった。確か卒業間際だったと思う。

小学校は4クラスあった。中学は6クラスだった。我々以降はどんどんクラスの数も減っていっていたと思う。少子化の走り。

  

失われた20数年とかリーマンショックとか重なっているけれど、もう物心ついたときにはそういうのは当たり前。

日本経済世界一だったことがあるってのも幼い頃の記憶であるかないか程度で、実感としては残っていない。

から、老人が言っていることは何一つ信用できないし、そもそも老害しか思っていないし、老人が作った会社も信用していない。そしてその老人が作り上げ、老人にて成り立っているこの社会も信用していない。参加したいとも思わない。早く逃げ出したいというのが本音だ。

老人は我々を食い物としか思ってないだろう。我々を奴隷しか思っていないだろう。彼らは自分の息子に対してでも、まともに人扱いしているのか疑問に思う。私から見れば、彼らは自分にへつらうか、同調するか、そういう人間以外は取り合わない。取り合ったところで果たして人間いしているのか、上手く使おうとしているだけにも見える。そして、私はそれだけは絶対に出来ない。吐き気がする。

今思えば、そういう反発、反発ではないな。脱却、逸脱、それはずっとあったのかもしれない。子供の頃から学生の頃から大人になっても

老人と若者の世代間闘争とか、感覚のズレとか、大昔からある話だと言うけれど、今と昔が違うのは、その数の割合であって、社会成熟した今は老人が圧倒的に多い。若者の反発などは、存在したとしても見向きもされないほど無力だ。そのことが老人には理解できるだろうか。丁度今中国日本戦争するようなもので、力も数もジジイたちが握っている。我々は既に諦めている。

私は外国ニュースを見るたびに思う。40代の首相がいる国だったり。26歳のCEOが老人たちの会社を、一瞬で、理解も出来ないようなサービスで、追い抜いたり。老人たちはその自らが作り上げた狭き共同体の中で、どう考えているのだろうか。狭い中で権力を奮ってはいるものの、それが井の中の蛙であるということに対して、そしてその井戸は、自らの無能によって自ら侵食崩壊を招いていると言う事実に対して。老人帝国は無視されて終わるか、食いつぶされて終わるだろう。このままだと。私は別にどっちでもいい。同国人として多少なりとも憂う気持ちはあるけど、関係ない。どうしようもない。

  

一芸がある人、世渡り上手な人、金のある人、上手くいってる人は同世代にだっていくらでもいるだろうから、彼らはただ好きにがんばってください、としか言いようがない。ただ、それらを何一つ持ち合わせていない私のような人間は、ただただ毎日を成り行きに任せて過ごすしかない。普通の人が普通に暮らし普通に過ごせて普通人生を歩み、普通の生涯を終える、そういう絵に描いた普通は、今の私にとっては理想しかない。理想理想ですらない。私はそういう普通を望むことすらしなくなった。どうでもいい。

2011-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20110127114714

http://www.ohisama.shogakukan.co.jp/taishou/13hapyou.html

これ?

童話だし、審査員に外部の作家を使っているまともな賞だしなあ。

水嶋ヒロ場合、受賞した賞が作家審査員が居ない(編集部のみで審査する)胡散臭い賞だったか出来レースを疑われた。



つーか「有名人文学賞受賞」だったら真っ先に挙げるべきは芥川賞川上未映子だろ。

これも別に出来レースなんて疑われてなかったけどね。

2010-12-16

たぶんね、

から思っていた意見があって、

それが今出てきた状況に、

故参は不服なんだろうね

つまりは石原

石原が『太陽の季節』で芥川賞獲ったとき審査員から

「おぞましい」とか散々言われていたけど、

それは、若いもの感性を理解できない、旧い年代人間の考えだと

思っていたけど、(ピラミッドに『最近の若いものは』と書いているのと同じ感覚

やっぱり石原は異常だったのかもね。

2010-12-10

漫画アニメ芥川賞直木賞をやらない日本カス

エンターテイメントでも文学でもはるかに上なのにな。

所詮身内だけの持ち回りの賞でしかないならやめちまえ。

2010-09-09

ラノベから一般文芸への転向の理由

http://togetter.com/li/48558

以下、チラ裏

ラノベ作家が次々と一般文芸転向する理由

1.儲からない

結局は金。例えば桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」。富士見ミステリー文庫版では500円。3年後に再版されたハードカバー版では1400円。さらにラノベイラストレータ印税が折半になるので1冊当り25円の印税ハードカバーなら10%で140円の印税ライトノベルレーベルから出た文庫だと、6冊売れてようやくハードカバー1冊分の印税になる。

中高生が対象なんだから単価の低い文庫で出すのは当たり前」って言う人もいるだろうけど、でもラノベ界で一番売れている(という言われている)西尾維新の主戦場は、単価がやや高い講談社ノベルスハードカバー並みの単価の講談社BOX。これを考えると、文庫が主戦場だったのに長者番付常連だった神坂一て、ものすごい売れてたんだなって思う。「文学少女」の野村美月ですら未だにバイトしているっていうし。

さらに一般文芸作家には文学賞がある。直木賞吉川英治文学新人賞山本周五郎賞推理作家協会賞、あと純文学では三島由紀夫賞芥川賞ラノベ作家には本当に関係に無い文学賞なので除外)。これらは賞金が出る上に、受賞すると普段本を買わないような人まで買ってくれる効果がある。ラノベアニメ化すれば同じような効果があるだろうけど、深夜アニメ直木賞、どっちが効果があるかは自明だろう。

さらにこれらの文学賞を受賞すると、地方から講演の仕事が舞い込む。これが1時間ぐらい話すだけで100万円ぐらいもらえるというからバカに出来ない。また、ある程度キャリアを積めば新人賞や各文学賞選考委員になれて、それも収入源となる。純文学系の老作家の主な収入源はそれ(メッタ斬りコンビ福田和也が批判している、大作家福利厚生)。残念ながらラノベには、まだそこまでのシステムはない。

2.長い間書けない

角川スニーカー文庫が創刊してもう20年以上経つけど、創刊からずっと書き続けている作家ってどのぐらいいいる?50代で現役のラノベ作家は?しいて言えば、田中芳樹が現役といえなくもないけど、彼は遅筆というよりも才能が枯渇しているせいでまともに小説を完結できなくなっているように見える。

資料をあたる能力と知識が必要なファンタジーSFならば、ある程度年をとってもかけるだろうけど、今日日流行の学園モノって40過ぎたおっさんおばさんが、主要な読者層である10代の若者が納得するように書けるんだろうか。ここ数年で一般文芸転向した作家たちは、皆1970年代生まれ、いよいよ「若い感性」というライトノベルにとって必要なものが喪失し始め、小説技術を身につけた作家転向しているんだと思う。そういえば、2年以上発売延期している谷川流70年代生まれだった。多分彼もラノベ界を去るつもりなんだろう。


以上、思いつく限り。

2010-08-11

芥川賞

よくしらん女流作家が受賞していた

作品は読んでいないし読む気もない

俺が気になるのは外見だ

どうして文学賞をとるような女はハンコを押したように

黒髪ロングで眼鏡で化粧っ気がないのか

写真とるときに文藝春秋カメラマンから指導が入ったりするの?

2010-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20100609081234

信じられるかい?

このお花畑な人、芥川賞取ってすごく活躍してる有名作家・・・なのはいいとして、

京大法学部政治思想史専攻だったんだぜ・・・

2010-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20100318224138

>こういったことは通常小説でもある。芥川賞蹴りたい背中」もクスリなどが出ていたはず

なんか推量とはいえこういう適当なこと言ってると説得力がなくなるよね

非実在青少年の前に

非実在青少年を持ち出すなんて、自分らの無能をさらけ出しているだけだよな。

非実在青少年の前に「実在青少年問題」をどうにかしろ。

売春したオンナどもは逮捕されないのか??罰金は??むしろ被害者面だと??ふざけるな。

これを解決しもしないで、被害者のいない空想の世界を取り締まる??

責任転嫁も甚だしい。

  

  

次に気に入らないのが、まんが・アニメ規制する前に、現在規制がしっかりされていないことだ。

  

少し前に流行った(らしい)ケータイ小説はどうだ??

まんが・アニメどころの話じゃない。クスリレイプ流産などなど酷いモノだ。

(こういったことは通常小説でもある。芥川賞蹴りたい背中」もクスリなどが出ていたはず)

  

「繋がったまま街中歩くなんて頭がフットーしそうだよっ」とか言っちゃう某少女まんがはどうだ??

少女まんがでは見える性描写ではないが、少年まんがどころか成年まんがのレベルの話が普通に書かれている。

  

そしてファッション誌。

ティーン向けにセックス体験談が色々書かれている。ファッション誌などもっと幼い少女が手に取ることも当然あるだろう。

  

これらをゾーニングするのがまず先だろう??

思春期にもならないガキ、精神状態の安定しない人格形成中の青少年、後はてめえで責任をとる成人。

ある程度の区分けをして、あとはこっそり背伸びして見るのが昔からのエロだ。

現在条例等で十分なのに、外国をまねたんだか知らんが、犯罪率の高い国々に言われる筋合いはない。

むしろ日本を見習えと言ってやりたいね。

  

それを青少年セックス描写などを禁止だと??ふざけるなと。

自分青春時代のちょっとした悩みや恋バナをまんがという形で表現したい人だっているだろう??

何でそれを禁止する??

きもいおっさんがエロイ想像で気持ち悪いことしていそうという偏見規制をするのはおかしい。

青春時代は題材として使いやすいだろう??

そういう年齢なんだよ。

良くも悪くも色々な体験があるのがその期間。

腐りきった都議会人間や、PTA人間どもに健全健全決められてたまるか!!

2010-03-11

Hなのは悪いことですか?

最近の「非実在青少年」がらみの話。3次の児童ポルノについてはまたちょっと話違うので、冒頭にお断りしておきます。



例えばの話ですけど、「アイドルうんこしない」「あの子は処女」って言い張ってる人っているじゃないですか。どんなに必死に否定したって、実際のところアイドルうんこするし、大好きなあの子は彼氏セックスしてるんだけど、「そんなことない!」ってかたくなに信じてる人。本当のところが分かってないのはその人だけで、周りのひとは全部知ってる。「そんなマヌケいるわけねー」ってそれはそうなんだけど。じゃあちょっと言い換えて「アイドルうんこするべきではない」「あの子は処女であるべきだ」って言い張る人。これは結構いると思う。



何が言いたいかっていうと、基本的に今も昔も、日本ポルノの国だってこと。



世界最古の長編小説」なんて言われたりする源氏物語セックスばっかりしてるし、印象派画家に大きな影響を与えた浮世絵春画です。めぐりめぐってutamaroって言葉は今「すげえデケエちんぽ」って意味スラングになってるじゃないですか。そもそも日本語そのままで海外に通じる言葉って、エロいことばめちゃくちゃ多い。bukkake。hentai。geisyaもきっとエロいニュアンスで理解されてると思います。

日本で一番のベストセラー作家海外文学賞ももらってる村上春樹先生だって、基本的にはエロい話です。『1973年のピンボール』の設定なんか、美人双子同棲してやりまくってる主人公ってどこのボンクラアメリカ人妄想なんだよ!って感じじゃないですか。芥川賞選考委員も、龍にしろ都知事にしろみんなデビュー作がエロい話の人すげー多い。同世代で高校生ぐらいのころ山田詠美の『僕は勉強ができない』薦められて読んで、「この人すげー文章うまいなー」って感動したことある人多いと思うんだけど、あの人だってデビュー作は黒人とやりまくってる話ですよ。

おくりびと』みました?いい映画でしたね。みんな演技上手だったし。ちらっとみえた広末お腹エロかったですよね。あの映画アカデミー外国語映画賞とった滝田洋二郎監督は、日活ロマンポルノ出身で、監督デビュー作のタイトルは「痴漢女教師」。他にも日本アカデミー賞に輝いた監督のうち、かなりの数のひとが日活ロマンポルノ出身ですよ。崔洋一周防正行森田芳光井筒和幸も、エロい話からスタートしてるんですよ。

産業界を見まわしたって、例えばベータVHSの規格争いとかも決め手は「AVはどっちでみれるか」みたいなところで決着ついちゃったりするわけじゃないですか。「じゃあDVDVHSよりDVDの法がセルビデオ安いからみたいな理由で広まったんじゃないかなー」って邪推しちゃいますよね。



日本の文化エロいんですよ。そんで、日本人エロいんですよ。世界中の人も「日本人エロいやつらだ」って思ってる。最近フォーカスが行った調査だって、日本色欲部門で世界2位なんですよ。印象を基にしたアンケートとかじゃなくて、1年間にポルノに消費するお金の金額を基にしたランキングで2位ですよ。認めたくない人もいるだろうけど、現実そうなんだから仕方ない。アイドルうんこするし、大好きなあの子はセックスしてる。日本人エロい



じゃあ「アイドルうんこするべきではない」ように、「あの子は処女であるべきだ」ように、「日本人エロくないべき」?



日本にある文化の中に、倫理的に褒められたもんじゃない、おおっぴらにできない後ろめたい部分がかなりあるのは事実です。でも、それってそんなに悪いことなんでしょうか。実際、そうじゃないと思うんですよ。例にあげた映画文学はどれも素晴らしいものばかりだけど、たぶん海外じゃ商業として成立しなかったものが多数あると思います。イスラムとかキリストとか、宗教のからみで性に対するタブー感が半端ない。女性は肌みせらんなかったり、膣外射精したオナンさんは「セックスは楽しむもんじゃない」「神に対する反逆だッ」つってぶっ殺されたりしてる。



おれは日本の性に関するおおらかさを、文字通り日本の文化の土台だと思っています。今問題になってる漫画アニメだけじゃなくて、全ての土台。これを良くないものだと言って規制するのは「アイドルうんこしちゃいけない」って言ってるひととおんなじぐらい滑稽だと思う。




現状をありのままに肯定したっていいじゃないですか。いっそみんなで開き直りましょうよ。男子は「世界のみんな!おれたちこんなニッチポルノオナニーできるんだぜ!いいだろー」って自慢して、女子は「ほんと男子って馬鹿よねー」って言いながら実際興味しんしんみたいな。おれ、そんな日本がいいな。



最後に、大好きな漫画台詞引用します。

「Hなのは悪いことですか? Hだと怒られたり、笑われたり、イジメられたりするのは何故ですか?! 何故ですか… どうしてですか!!」



「皆バレるのが怖いんです 本当は 何より大事なことですっ Hなことはっ」



ブクマの指摘等を受け、蛇足(言い訳)を書きました。

http://anond.hatelabo.jp/20100312081208

2010-01-31

先日、サリンジャーがなくなったけど、

中国人芥川賞を取った楊逸高樹のぶ子が評したのを思い出した

芥川賞139回「時が滲む朝」 楊逸 2008年

高樹のぶ子 「久しぶりに人生という言葉文学の中に見出し、高揚した。」

「前回の候補作と全く違う素材で、前作より締まった日本語で書ききった力は信頼できる。何より書きたいことを持っている。」

中国経済はいまや否応なく日本に大波をもたらしているが、経済だけではなく、文学においても、閉ざされた行動範囲の中で内向し鬱屈する小説や、妄想に逃げた作品は、生活実感と問題意識を搭載した中国重戦車の越境に、どう立ち向かえるのか。今回の受賞が日本文学に突きつけているものは大きい。」

楊逸は「何より書きたいことを持っている」=つまり他の日本人作品は書きたいことを持ってない

「閉ざされた行動範囲の中で内向し鬱屈する小説や、妄想に逃げた作品」

今の日本文学って、こんなんばっかだよねぇ

サリンジャーとか村上春樹とかそういう文学系統

2009-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20091004211200

50もブクマしてもらって、個人的にはここまで誰かに構ってもらったことがないので興奮しました!

今日は持病の通院のため朝から休み。のんびりした時間を過ごしてかなりくつろげた。毎日こうだといいな。大学時代を思い出した。孤独だったのに特に苦しくなかったのは、こういう風に充実した時間を過ごせてたおかげなんだな(平日の人の少ない書店喫茶店映画。やりたいことをストレス少なく自由にやれる感じ。←社会人になって失ってしまったものばかり)。

今からもう明日の会社が怖い。憂鬱というより、もはや怖い。一部ブコメで指摘してもらった通り、今心が苦しいのは過労が原因というのもあるかもしれない。でも、過労といっても、雑談を交わしあえる人間関係があるならいくらでも働けると思うんだ。一人ぼっちであんだけ頑張らなきゃいけないから、もう悲鳴を上げそうなんだ。

コメントを下さった方にお返事。

  • 一人暮らしで交友関係がなく職場でも一人ぼっちな25歳あたりの人間の憂鬱」を綴って芥川賞。まじおすすめ
    • そうなの?じゃあ読んでみよう。
  • 増田で書いてないで、id出してブクマしようぜ。
    • 増田だと反応がもらえるから嬉しいんです。id:RainbowSongです。
  • いやそういう人はいっぱいいるし、ちゃんと仕事があるうちはまだマシ
    • ホントに?絶対「いっぱい」はいませんよね。仕事があるからマシって、そう思うからこんだけ辛いのにやめられないんです。でもこれが本当に正しい選択なのかもわからん。。。
  • そのうちリアル孤独でもどうってことなくなるぜ。あとはネト充目指しとけ。/よく読んだらその辛さは孤独から来るんじゃなくて過労によるものだと思う。早く病院
    • ネト充になるだけの中身がありません!個人的に、ネト充になれる人はリア充になれると思ってます。だって、それだけ人間的魅力があるってことだから。/過労って部分も勿論大きいんですけど、孤独の苦しみももっと前から強く感じてます。ちなみに、過労のときに行く病院って、精神科ですかね?
  • ぱねえっす、マジ。
    • これが25歳自分リアルなんだからびっくりですよね。ほんと自分でも自分に驚く。信じられない。
  • 何度も書くけど、いましろたかしの「初期のいましろたかし」「トコトコ節」はこのテーマでは絶対に読んでほしい。
    • 早速注文しました。オススメありがとうございます。
  • 心療内科に行っても孤立感は解決しない。もし忙しくて行く暇がないなら、むしろその多忙ぶりが原因かと思われ。
  • 昔好きだった何かを再開してみたらどうだろう。
    • 草野球をまた始めようと思ってます。今はできる場所(チーム)を探してます。
  • 寂しがり屋でコミュニケーション能力が低い人は確かに不幸だ。
  • 私も上京してきて2年目ぐらいはそんな感じだったかなぁ。平日は職場でそれなりに充実していたけど、土日は全く話す相手がいない孤独な生活。だから、トランスジェンダーコミュニティーにどっぷりはまったのかも。
    • 『私も上京してきて2年目ぐらいはそんな感じだったかなぁ』←こういう台詞が一番辛いです。。。僕は上京して7年経っても適応できず、孤独なまんまです(というと数少ない友人に大変失礼だけど)。やはり劣等人間なんですよね、自分は。/トランスジェンダーコミュニティーってなんですか?
  • 自死の要因のひとつはそこにもあるんだろうな。
  • ”友人も少なく” いるじゃん!
    • 今いる友人に失礼ですよね。うーん。職場に友人が欲しいのかな。同期800人もいるのに、やりとりをしている人が一人もいないんだ…。よほどひどい人格なんだと思う…。あと、恋人が欲しいのかな(誰かに必要とされたい、という意味)。
  • いや、ホント、どうしたらいいですかねえ?とりあえず、手間のかからない生き物とか花を育ててみるというのはどうか?
    • 姉から、ハムスターをすすめられました。確かに、ちょっとかわいかった。

こんなにいっぱいレスしてしまうくらいコミュニケーションに飢えてます。なので、色々コメントをもらえてうれしかったです。

同調(?)してくれるようなコメントから何人か気になる方がいたんですけど、大半の人がはてなダイアリーは書いてないんですね。人となりを知って仲良くなれるかなと期待したんですが。残念でした。


http://anond.hatelabo.jp/20091004214026さん。

創作意欲は低い人間です。センスがない。あと、今は全く時間がない。。。

http://anond.hatelabo.jp/20091005003417さん。

お互い辛いですね。2chとかで出会いはあるのかな??ネットで本当に出会いってあるのかな?ネットからリアルの付き合いになるには、それこそ抜群のコミュニケーション能力かルックスが必要だと思うんだ。その点、絶望


あー、明日の会社がいやだー。

2009-10-04

世間的にも孤男の孤独っぷりははんぱない

週末、疲れた体を癒しつつ、増田http://anond.hatelabo.jp/20091003212043を読んで鬱になる。

25になる自分は、恋愛経験がなく、今は友人も少なく、会社では一言も人間的な会話をする相手がいない、心も社会的にも死んでいる孤独人間だ。そんな自分に上記増田記述は滲みた。絶望した(←取り返せない自分人生と、今後こういう感慨を得ることさえできなさそうな自分人間関係に)。

やることもないので丸善に足を運ぶ。最近はずっと仕事で忙しいので、久しぶりの本屋だ。

芥川賞を受賞した「終の住処」をパラパラと読んでみたけれど、いきなり「結婚意識した交際をせざるを得ない20代後半の憂鬱」が綴られていて、一気に凹んで本を閉じた。


思うのは、社会人になり、一人暮らしで交友関係がなく職場でも一人ぼっちな25歳あたりの人間が、今の日本には果たしてどれくらいいるんだろうってこと。世間には、件のような人間を対象にした書籍情報などが一切ない。ように感じられる。同じような境遇の人と、語りあいたい。どうやったら出会えるんだろう。もうそろそろ心が限界だ。

過去の人生も、今の人間関係環境も、自分にはもう一切変えられないのだから、あとはもう自分が受け入れるしかない。そのためには精神科に行けばいいのか?どうやって折り合いをつけ、自分の気持ちを落ち着ければいいのか。最近はほんとにもう、起きている時間中は常に心が苦しくて、何もやる気が起きず、何をやっても楽しめず、とにかく息苦しい胸を締め付けられるような状態がずっとだ。ベッドで横になる時だけが至福。

ああもう月曜がくる。明日からまた、日付変更間近まで働く過労の日々だ。なにより、会社でひとりぼっちなのが本当に苦痛だ。

ああもう。せめてこういった孤独人間スポットを当てた情報メディアがあれば、気持ちを語らい合いながら、なんとか自分を励まして生きていくのだけど。

あー、なんで日本には安楽死施設がないのだろう。

2009-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20090906005610

じゃあ文学界新人賞とか群像新人賞とか新潮新人賞とかあるから応募してみればいいんじゃない

文学界新人賞芥川賞ダブル受賞とかたまにあるからね。やらないよりやった方がいいよ。ダメで元々なんだし。

2009-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20090607132302

主観的な要素が大きい文化でどうやって質の高さを判断するのかが謎。結局多数決じゃね?

わかりやすい所では権威化。

芥川賞じゃないけど、賞での権威化もありだし、評論家が小難しいこと書いて批評して「これはすごい作品だ」っていうのもアリ。

あとはやっぱ芸術につきものの、アウラを感じさせる作品の有無じゃね?

小説映画、いろんな物語を見てきた人が、

漫画アニメでも「これは歴史に残る!」と強く感動するような作品があるかどうか。

それがないから、サブのままで甘んじてるんだろう。

昔の小説サブカルチャーだったのに、文学としてメインカルチャーにのし上がったのと同じ理屈


世の中の多くの人が良さを知らないものをメインカルチャーだといえるわけもないし。

メインカルチャー文学クラシック音楽な)だとすると、

どんだけの人間がそれらの良さを分かってる?

もの凄くわかりやすくいえば、メインカルチャーって、インテリ好みになるかどうかだろ。

2009-04-14

こんにちはこんにちは!!帰化手続き中の在日です!

帰化手続きって超面倒だよ。

面倒というより、それぞれの書類の請求にかかる時間が長くて((2ヶ月~半年))まちまちな上、

役所の都合で大幅に遅れて前回取得した書類がパーになったりして、手数料時間だけが消えていく。

更に帰化は親戚に前科者がいたりするとすんごい難しくなる。

どうしようもないクズで親からも勘当され、親戚中からも縁を切られた親戚のクズが最近窃盗を働いたらしく、見通しが辛くなってきて涙目

しかも在日戸籍って扱いがアバウト過ぎて書類請求する段階になって戸籍になっていた本籍地がなくなっていてサァ大変なんてこともザラ。

つか、自分がそうなんだけどねwwwwwwwwwwwwwワラエナスwwwwwwwwwwwwwwwww

自分で全部やろうと思うとその辺でまずつまづく。で、行政書士お金出して頼むと30万弱はかかる。

この不況の御時世に30万は出したくない。月の食費に直すと10か月分。

出すくらいなら旦那さんに毎日ちょっとでもいいから良いもの食べさせてあげたい。

でも帰化を決めた。子供ができた時のことを考えたから。

私は私が大嫌いだった。在日だったから。

自分日本人じゃなかったという事を知ったのは5歳の頃。

思い出してみればそれまでに法事とか完全に半島方式だったんだけど、そもそもよその法事を知らんから子供にはわからないよね。

近所の幼馴染に日本人じゃないって本当?て聞かれて、親に聞いたら「ちょwwwいまさらwwww我が子鈍感すぎwwwww」

というようなアバウトかつフランク過ぎる反応。そこから私の在日人生がはじまった。

自分名前通名といわれるものだと知ったのは小学校三年生の頃。

何か思い出せないけど、書類に書く必要があって初めて知った。

「ちょwww名前に姫て入ってるwwww恥ずかしすぎるだろJKwwwwwwwwwww」てなった。

ちなみに姫の入る名前半島では「ウメ」やら「トラ」レベルの古い名前だそうでババア乙てなるそうです。

四世代前から半島情報更新されてないから当たり前っちゃー当たり前だけど。

韓ドラが入ってきた最近では半島の今風の名前もつけてるようだけどね。

在日が嫌だと思い始めたのもこの辺。

小学生なんて昼間から夢を見て生きてるような生き物で、理由は好きな子と違うからwwwwwwテラスイーツwwwwwww

漠然と本気で「このひととけっこんできないのだわ・・・・・・」と、ショックを受けておりました。きみはばかかね。

そしてその辺から学校の授業に「どうとく」というものが入り込んできて、地獄の日々が始まりました。

どうとくの授業、パネェ。

まず、私を含め同級生の在日被害者で、他の日本人加害者という観点から始まる。

うちの爺さんは技術者として入国してるので、強制連行がどうとか言われても困りますと一度担任に抗議しに行ったら、

「これはね、国民同士の問題なの。個人の問題ではなく日本人として謝らなきゃいけないの」なにこの回線不通。

殺人者子供殺人者理論もすごいけど、被害者子供はいつまでもカワイカワイソです理論もすげえなと思った。

9歳の子供でもわかることが何でこの中年女性に分からんのかが不思議すぎて怖かった。

家に帰って親に話すと、私と考え方の似てる母親が面倒くさいから無視しとけ、でもまだ続くならお母さんから電話してあげると言われたけど、

負い目というか、疎外感というか、そういうものを自分が感じてることを悟られたくなくて黙ってた。

この辺のくだりで母校の体質はわかっていただけると思いますが、この後も授業内でクラスメイト全員から

過去の出来事について頭を下げられるというトンデモ事件などを経てえた感想は「日本には私に【在日】を押し付けたい人間がいる」

このトンデモ事件より、年頃の娘さんの正義感による休み時間の「私、そんな事知らなくってごめんね」攻撃が一番キツかった。

四年生になった頃、同じ小学校に通う六年の親戚の兄ちゃんに突然真剣な顔で呼び出された。

で、何か怒らせたのかとビクビクして遊びに行くと、

「お前好きな男子はいるのか」

→ハァマァおりますが。

「にほんじんか?」

→たぶん日本人だと思うけど、どうだろう。((この後大人になって彼が在日だということが発覚するというwwwwwww当時から在日避けてたのにwwwwwwwwwwwwww))

日本人はやめとけ。お前も六年になったら日本人が俺らに何をしてきたか習うはずだ」

→ちょwwww洗脳されとるwwww兄者しっかりwwww

というような苦笑イベントが勃発。ちなみに今も昔も無垢な兄ちゃんは現在外国人と付き合っております。

心の柔らかい頃に刷り込まれ過ぎたんだと思うとちょっと不憫になります。((後どうやら喧嘩した相手にチョンと呼ばれたとか色々あったらしいというのを知ったのはワリと最近))

当時すでに「過去の事謝られても困るし、私なにもされてないししてないし、

女子同士の微妙な力関係が難しい時期にこういう事マジやめれ」としか思っていなかったので

兄ちゃんが純粋すぎて将来が心配になった程度なんだけど、この時はっきりと『自分に【在日】を押し付け存在』を自覚した。

時は流れて中学生、この三年間が暗黒時代過ぎて思い出したくありません><

毎日のようにしつこく勧誘される民族学級という放課後活動に、親しくもない同胞(笑)に本名ファーストネームで呼ばれ、

そもそも本名というものが自分名前だという自覚もないもんだから、本当に気持ち悪かった。

一番気持ち悪いのが活動家崩れの教師がやたらと誇りを持てと追い回してくることと、

在日教師のやたらと馴れ馴れしい過剰なスキンシップと同胞(笑)扱い。

そんな状態で思春期女子が恋なんかできるか!ふざけんな。

さらに時は流れて高校入学。

学区外の学校受験できるシステムを利用して学区外に逃げ込んでからの三年間はパラダイスでした。

私は通名自分だけが本物の自分だと思っており、((これに関しては特権だとか色々と思うところある人もいるだろうけれどもそれは後述))

書類上にしか存在しない人間であり、ここにいる自分ではないと思ってた。

韓国語しゃべれないし。キムチくさいし。韓国人ださいし。スーツに白い運動靴とかどうなってんの。

でも焼肉冷麺も大好きです。ごはんモリモリいけますが、コシヒカリで食べたいです。

そんな折、金城一紀著『GO』が発売され、恐ろしく共感を覚えてしまい、映画へ。

思春期子供の心を動かすには恋愛絡めるのが一番なんですよまじで。

当時の彼氏に対して、誰一人にも在日だと明かしていなかった自分にとっては恐ろしく衝撃で、

そうか、セックスしまくってたけどやっぱ在日だと分かると汚いのかとか色々考えたり、

映画化した時に一緒に見に行った親戚が、帰りに知り合いのイタ飯屋で

国籍が原因で彼氏実家に別れろといわれ続けてると告白し、震え上がったもんです。

((どうでも良いけどこの頃の窪塚洋介は麗しかった。人間進化を誤ると芸術を失う))

ちなみにこの後も金城氏の作品を追い続けていましたが、この人いい加減在日から離れたほうがいいんじゃと思う。

最初は新鮮だった在日エピソードも、回を追うごとに青春スピード感を片端から殺していく足かせになってる。

在日作家で終わるにはもったいない人だと思うんですけどね。

ただ、在日ってダサイって言い切っても良いんだと分からせてくれたのは本当にうれしかった。

在日韓国も泥臭くてダサイんだよー。スイーツ脳にはきついんだよー。

芥川賞受賞在日女流作家はそのまま消えて欲しいけどしぶといな。

この辺でインターネット嫌韓に触れて死にそうになった。

嫌いなものの血というか何かが脈々と自分の中に流れていることに耐えられなくなったりした。

世の中からそんなに嫌われて憎まれて排除される存在なのかと思うと一瞬親を恨んだりもしたけれども、

親も親の世代で大変だし、その上の世代も大変だし、その上の世代も大変だし、

むしろ世の中のどこかにいる私に在日押し付ける者や、

回線のあちら側にいる日々の澱を発散するために簡単に私を傷つける者を憎んだ。

死んでしまえば良いと思った。目の前にいたら殺してしまうとも思った。

そして気づくと大学に入り卒業し働いたり働かなかったりしてつい先日結婚

旦那さんは日本人結婚するのは大変だった。

旦那さんの親にはお金積んででも別れろといわれた。

ぶっちゃけそのセリフを聞いたときはktkrwwwwとなったのはここだけの話

もちろん死にたくもなったし、ヤケになって死ぬつもりマンマンだったけど、

これが噂のアレですね!すげー!という気持ちがあったのも事実

実際自分が逆の立場でも面倒くさそうだし、しがらみ死ぬほど面倒なのも知ってるから反対するだろうけど、

それでも私はあのセリフを一生忘れないし、心の底から義実家に心は開かないし許せないと思う。

で、色々あって結婚し今現在帰化手続き中なのだけど、最近のカルデロンさんご一家でインターネット大興奮なので書いてみた。

ちなみにカルデロンさんに関しては静かに最後を受け入れて過ごしてるのにデモとか畜生以下過ぎて戦慄した。

不法滞在者に関しては強制退去しかないと思ってる。受け入れ始めたらキリないし。

そもそも日本は今よその国の人を受け入れる以前に不況をどうにかせんと。

じゃあお前らはどうやねんと聞かれると、制度的なものが分からないのと、法的に違反は犯してないはずなので、別にとかしか。

あと在日特権について。

自分が把握してるというか、享受してると思われても仕方がないのは通名くらいで後は都市伝説だと思ってる。

税金免除があるなら、父親が倒産寸前を10年以上続けてる会社に勤め続けてる実家税金どうにかしたって下さい状態。

家売るにも、この御時世買い手もつかず、買い手がついたところで残りのローン以下でしか売れないので、

引っ越した先にかかる家賃とローンの二重苦という最悪な状態になるのでどうにもなりません。どこにあんのよ税金免除。

あとパチンコ関係については、在日貴族のことは在日庶民にはまったく分かりません。

そもそも在日貴族学生の段階で私立に入れてるので接点ないです。

でもパチンコはどんどんやる人はやれば良いと思うし、アニメパチンコもどんどんやれば良いと思ってる。

だってアニメ製作会社お金ないからパチンコで一山当てないと新作予算ないんだよ。

エウレカだってパチンコのおかげで映画資金できたし、

マクロスFだってパチンコアクエリオンのおかげでお金ができて製作できたんだから、

オタとしてアニパチはどんどんやれば良いと思います!

買い支えDVD購入っていっても一般庶民にはお金限界があるので、出したい人が出せば良いんだよ!

アニパチに文句つけるなら、買い支えをしっかりしてないと文句出せないと思う。

思い出が汚されたとかいうけど、お前の思い出ひとつのためにアニメ会社が路頭に迷うんだっつーの。

収益出易い萌えアニメ以外にお金かけてアニメ作りたかったら、どこかに資金源は必要であって、

何の力にもなれない人間がとやかく言うのは傲慢にも程があるんじゃないのかしら。

半島に資金が流れる云々に関しては大問題だけど、そこは国が手を出す以外どうにもならんと思う。

あと生活保護が受けやすいかどうかみたいなのは、根拠があってぶっちゃけ在日家庭は貧乏が多いです。

貧乏だから教育受けさせられなくて教育受けてないから貧乏スパイラル

まず何で最初に貧乏かというと最初に入ってきた時点で日本語ができないから単純労働にしかつけない、

貧乏になるから子供教育を受けさせられないという分かりやすい感じで。

更に前の世代までは朝鮮学校に入れるのが主流で、理由は群れてないと差別とか色々怖いからなんだけど、

私はその時代に生きてないから推測しかできないけど、たぶん実際にまだ目に見える差別はあったんだと思う。

でも子供を守るために群れさせるには朝鮮学校という選択は間違ってない。

ただ、私立と同じくらいの学費なのに日本での生活に即した教育が少なすぎて

日本社会高収入を得るのが難しく、結果貧乏スパイラル貧乏で無理して学校行かせて貧乏再生産。

馬鹿馬鹿しく思えるかもしれないけど、当時の必死に生きる人たちに対して簡単にそうは思えない。

私が在日やだようとか言ってるのは多分まだぬるいのも分かる。

まあ、上から目線でぬるいてネットで書かれてるとそれ以上にぬるいお前が何をwwwてなりますが。

今の世代にも朝鮮学校という選択が残っているのは、結局朝鮮学校卒業した親にとって

日本学校は怖いとか差別されるとか刷り込みが残っていて、知らないから怖い世界子供を投げる不安というのと、

狭い世界だからぬるま湯で楽ちん何だと思う。朝鮮学校が残ってる場所ってすごい世界狭いしね。

そう考えると保育園から大学まで日本学校へ行かせてくれた親には本当に感謝してもし足りないと思ってる。

通名に関しても多分同じで、今より差別する人間が多かったり、道徳確立されていない時代に

自分が被差別者だと名乗るのは危険であったり悲しい出来事も多かったんではないかと思う。

抑圧されてたり貧乏だと暴れ者も出て、大暴れ在日が反対に大暴れでどうにもならん事になったり。

全部憶測だけどね。

あとお前が在日なのはお前の親が悪いと言われたりしましたが、親の世代での帰化の難しさや、

私以上に心身ともに大変だったのを考えると、自分の問題は自分でどうにかするしかないし、

せめて子供に面倒な思いをさせない為にも帰化はとっとと済ませたいと思ってます。

周りと違うていうのは簡単に子供をゆがませるし、悲しいくらい大人にしてしまう。

結婚に夢を見れなかった自分思春期を思い出すと本当に心からそう思う。実際結婚も大変だったしね。

最後に、私は日本が好きだし、韓国も買い物に行く分には好きだし、日本人も半径3mくらいの友達は好きだけど、

ネットに出ると急に自分在日だという事を思い知らされて死ぬほど嫌いになったりもするけれども、

現実で知り合う日本人というか人は大体良い人で好きだし、

韓国人は知り合いがいないから分からないけど興奮しがちなのと煽り耐性があればもっと付き合いやすいんじゃないかと思う。

あと在日被害者意識強い人が多いけど、とりあえず落ち着いて一個ずつ解けばどうにかなるんではないかと思う。

そういう人には「じゃああなた自身は何かひどい目にあったの?」で良いと思う。あってたらグウの音も出ないけどね。

あとネットで酷い事書かれて傷ついたとかは、ネットに悪意を垂れ流したり、

誰かを見下していることを表明しなければ生きていけない人間幸せ人間存在しないので、

自分幸せをかみ締めるといいと思います。

もちろん、わざわざ益田でこんなこと書いてる私も色々思い出してプチ不幸気分だからです。

本当に憎まねばいけないのは、日本人でも韓国人でもなく、私達に不幸な在日である事を押し付け存在であり、

それは日本にも韓国にもいて、制度とか法律じゃなくて心の問題で、

まあでも正直あと300年くらいかからないとそういうのはどうにもならんので、

個人は個人の幸せだけを追求するしかないので、

とりあえず愛しの旦那さんの晩御飯の買い物へ行ってきます。じゃ。

またなんかあったらくるよ。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20090414225924

2009-02-27

石原慎太郎の憂鬱

今年の芥川賞作品ポトスライムの舟」についての石原慎太郎氏の評。

文学に限らず芸術作品は、作者独自の思い込みの収斂に違いないが、しかしなお鑑賞する他者に最低限のある共感をもたらさなくては作品としては通るまい。ならば今回の受賞作以外の作品に、反発をも含めて、読む者の感性に触れてくる何があるというのだろうか。どれも所詮は作者一人の空疎な思い込み、中にはいやしいとしか言えない当て込みばかりでうんざりさせられる。一方の直木賞候補作品たちに比べてみても、今日純文学とか称されるカテゴリ作品の不人気衰退が相対的に如何にもうなずける。

(中略)

私としてはこの作者(津村記久子)の次の作品を見て評価を決めたいと思っていたが、他の作品のあまりの軽さに、相対的に繰り上げての当選ということにした。

いつもの石原節ではあるが、そろそろこの爺さんを誰かとめたほうがいいんじゃね?

この文章は、むしろ政治について成り立つが、作家に対する評としては当てはまらないのではないか?


東京に限らず政治というものは、知事独自の思い込みの収斂に違いないが、しかしなお参加する地域住民に最低限のある共感をもたらさなくてはとしては通るまい。ならば今回のオリンピック招致活動以外に、反発をも含めて、住民の感性に触れてくる何があるというのだろうか。どれも所詮は知事一人の空疎な思い込み、中にはいやしいとしか言えない当て込みばかりでうんざりさせられる。一方の大阪府知事に比べてみても、今日作家出身の知事とか称されるカテゴリの不人気衰退が相対的に如何にもうなずける。

(中略)

私としてはこの知事石原慎太郎)の次のアクションを見て評価を決めたいと思っていたが、他の知事のあまりの(存在感の)軽さに、相対的に繰り上げての当選ということにした。

政治の場合は、「面白くなかった」では済まないわけで、人のことを偉そうに批評している場合かと思わなくもない。

自分が繰り上げ当選だという自覚がないからこんなことが言えるのか、あるからこそ許せないのか、どっちだろう?ただのいつもの石原節なだけ、といえばそれまでなのだけれど。



おそらく氏は、政治でむちゃくちゃ苦労していて、そのうっぷんがこもっているんじゃないかと思う。たしかに書いた文章が結果として共感をもたらすことによって文学になるのではあろうが、共感を得るために文章を書くわけではないと思うのだが。むしろそんなコスいことを考えながら文章を書いている人の作品こそ読みたくないのだが。そういうのはアルファブロガーお仕事ですよね?だから、パワー不足とか、「自分が」共感できなかったというならわかるけれど、「これでは万人に受けない」などという評し方はどうかと思う。同じ感性作家仕事をされても困るし、知事としての自覚も疑われる。

2008-11-29

Re: anond:20081129093133 または伝言ゲーム

http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html

なぜか元の元が消えているのでgoogleキャッシュ

http://72.14.235.132/search?q=cache:http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html&hl=ja

以下、わかりやすく翻訳しても長くて読みにくいのは変わらないので自分の読み取った結論を3行で書くと。

  • モノが違うんだから、原作アニメは違っていて当たり前。売るために同じにしたいみたいだけど。
  • 何を語るか、ではなく、どう語るか、で見るべき。それが今の時代だろうが。
  • 富野村上は全然違う。新房山本はまだ違っているけどやりにくい時代のなか先に進んでいる。見ている側、追いついてるか?

まあ、2ちゃんねるアニメ板界隈ではそれほど新しい主張ではないな、と翻訳しおわってから思ったけど。

では。

原作至上主義」のふたつの定義

  1. 作る側が原作に忠実であろうとすること。
  2. 見る側が原作に忠実であることを期待すること。

問題の提起

まあ、原作至上主義って言ってもいろいろ視点はあるよね。

  1. 原作(マンガとか)とアニメは見た目が違うよ
  2. 見た目が違うのに、原作をそのままアニメコピーなんてできないよ
  3. 見た目が違うのに「同じ作品だよ」と言って商売することが求められているよ
  4. 作る側も「同じ作品にしたいよ」「俺の作品にしたいよ」と言う人がいるよ(他にもいるかも)
  5. 見る側も「作品から生まれた発想を見たいよ」「なるべく忠実に再現してほしいよ」という人がいるよ(他にもいるかも)。

原作至上主義」って、これらの問題が混ざり合って出来てるよね。一応仕事だからこんな話があるのは知っていたけど、正直気にしだしたのは、noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言ったエントリに煽られたから。日だまりスケッチ×365とかかんなぎとかに関して「原作アニメのあいだ」とも呼ぶべきものが問題にされていて興味深かった。世の中わかった気がした偉い人が「統計学的な分析」とか「メディアが違うことを無視した分析」してるけど、この人は誰だかわからない、ってことは別にしてとても興味深いよ。

自分なりにまとめると、id:noir_kが「原作至上主義」について言ってることは、

ていうことだよ。

なので、この人の言いたいことはともかくとして、自分もその流れで「原作至上主義」について考えてみるよ。

批評」が利用する原作アニメの「間(あいだ)」という「ギミック

批評」って、見る側がするものだと思われがちだけど、作る側もするんだよね。作る側の批評というのは、過去アニメ作品とかアニメ以外の作品について、「批判」することなんだけどね。ガンダムエヴァンゲリオンはもちろん、アニメ以外のテレビ番組とか、ネットとか映画作品とかゲームとかコミックとか小説新聞美術作品とか、そのへんを「批判」するってこと。

みんなわかるとおり、今アニメを作る側の「批評」ってこんな感じだよね。

また、この辺が「新房昭之」「山本寛」あたりから始まる、ってのもみんなわかると思う。

まあこのへん「批評的な営み」って言うのかな、これ、

  1. 原作アニメがもの(メディア)として違う
  2. だから、表現としても原作アニメは違ってくる
  3. だから、アニメ原作を忠実に再現することなんか不可能
  4. でも今は原作アニメは同じものとして扱いたい(「横断可能性」)
  5. だから、表現として違うとか再現不可能とかそんな話は忘れる。

という流れを「忠実に反映」してると思うよ。

ちなみに、引用のうち、実写映画の技法、特に画面の構図とか物語の構成とか色合いとか撮り方編集の仕方に関する演出とか、に関するものは、それ出来るところが先にやったもん勝ち、っていう実情があるよ。

今はメディアミックスの時代だから、アニメ作る側も、原作アニメを同じものとして作ることが求められている。でも原作アニメって、片方は印刷したもの、片方は画面で音がついて動くものとして別のものなんだから違うものとして考えようよ、ってid:noir_kが「原作至上主義」に対して言ってることってなかなか良い意見だと思うんだ。

これらは仕掛けとして考えれば同じもので、見る側作る側はこの仕掛けを通じて共犯関係になる。そして「原作アニメが同じものとして作られるものだという空気」が、これらが、なにかを考えて作られたものだな、とみんなに思わせる目印になっている。この目印を越えて、今のアニメの演出が進むことで、アニメを作る側も見る側も、新しい批評が出来るとわたしは思うよ。

物語構造分析(未満)

こう書くと、ストーリーって重要な要素を忘れているのではないか、と言う人もいると思う。ただ、ストーリーって編集という演出の産物なんだよね。で、ストーリーは「ある内容」を「どう語るか」にあるわけだけだけど、「ある内容」ってもともと5から20個くらいのパターンしかないから、そこを評価しても仕方がない。「どう語るか」は批評対象になるかも知れない。ニューヨーク9.11テロを題材にした物語は無数にあるけど、それをどの視点からどのように語るかということが重要だということ。うっとうしく社会学で語ると、これが「批評空間」世代と「東浩紀宇野常寛ゼロ年」世代の差異だということ。後者はおもいきり戦略的に「物語論」へと反動的に回帰しているように思われるし。言い換えると、「表現論」派と「物語論」派がいるよね、ということ。

世代が新しくなってるから、「表現論」派の肩身がきわめて狭くなるのは当たり前だよね。現に、自分は「コードギアス 反逆のルルーシュ」が「表現論」的な演出を自粛した作品だと思っているし、そのあらわれとして「物語論」派から支持を集めることに成功してるし。そして、このアニメ2008年を代表しうるアニメだからね。

アニメーション歴史の忘却

アニメって、他のジャンルと比べても忘れられる度合いが例外的なほどに高いように思う。半年前のアニメさえ鮮明に思い出せないことの方が多い。これは何故だと思う?

それは、異常なまでに「物語」と「登場人物」(声優とか声優演技のしかたも含めて)が似ていて、なんか同じものの繰り返しになっているから。

アニメ以外の、コミックとかゲームはよく知らないんだけど、コミックを例に取ってみようか。まあコミックも簡単なパターンで作られているようにみえる。でも、「美術小説に関して明らかに規範的なテクニックを持っているのにもかかわらず、下手くそな画で馬鹿げた物語を語っている」漫画家が確かに存在しているのね。おまけに、存在しているのみならず人数も多い。

けれども今の時代、経済構造の都合でアニメ業界はそれができない。「原作のないオリジナル作品が作れない」っていう意味ではなく、「オリジナルなものが抑圧される」という意味で。俗っぽい例えだけど、「優れた直木賞」は受け入れられても「中途半端芥川賞」は抑圧されるということなんだよね。だから、ほとんどの作品が忘れられていくのは当然の事態なの。(より正確に言うのなら、「直木賞」と「芥川賞」の差もなくなっているし、アニメ歴史の問題というより、今アニメを作る人が信念を持って「特化」しようとすると、淘汰されるということかな。でも「特化」なんて言えるようになったのが90年代に入ってからのことなので、奇妙なねじれがあるようにみえるんだよね。この「ねじれ」を作家主義が引き受けたこと、そしてインターネット社会が同時的に誕生したこと、これが、「アニメーション歴史におけるヌーヴェルヴァーグ」〈山本寛の談〉と呼ばれる事態なのかな、とわたしは考えるよ。)

原作至上主義」は正しいのか、間違っているのか。

現代のメディアミックス時代における、アニメ作る側の「原作至上主義」、インターネット社会におけるアニメ見る側の「原作至上主義」。

相対主義を標榜するほどナイーブでもないので私見を述べると、どっちも間違ってる。

アニメ作る側がいくら「原作」を「模倣」しようが、メタフィクションパロディ引用自己言及、そして実写の早い者勝ち引用ゲームからは抜けられない。アニメ見る側がいくら「原作アニメはこんなに似てる」と言おうが、根本的にそれは異なるものだから。根本的に違うものなので、いくら似てると言っても意味がない。それとも、類似点を言っていればヘーゲルの時代に戻れるとでも思っているのかしら。

ヘーゲル小説のことを「市民社会ブルジョワ的な叙事詩」と定義した。要するにアニメの場合、「表現論」派に対して、世界の全体像の提示を旨とする「物語」派が復権するということは、奇しくもヘーゲルへの回帰をも意味するということ。言い換えればこれが「市民社会」論・「公共性」論・「安定的な社会秩序」を懐かしむことにつながると言うこと。でも、懐かしがって出来た物語は「秩序の混乱・解体→回復」という説話の構造でしかないし、その物語は「売れる=消費される」社会の現状維持的な肯定。果たして、それでよいの?

富野由悠季村上隆

ひっそりと深夜に放送されるアニメを作るのも見るのもまっぴらごめん、と言う態度は適切だし、ましていい大人、常識的な社会人が、という話なら正しい振る舞いでもある。

ただ、昔の人が反語的に言うような、アニメステータスシンボル(「オタクのしるし」とか)以上の存在価値を持ち得ないという議論は、あまりにも不毛で、杜撰で、素人じみている。富野由悠季まで戦略なしに不意に言うのを聞くと、断固として反論する必要があると最近思っている。そして逆に、圧倒的な「アニメコミック」表現に関する戦略性(プレゼンテーション歴史的な文脈づくり)で欧米諸国を震撼させた村上隆のような現代美術家に対しても、最近では諸手を挙げて肯定することは出来なくなっている。

富野ペシミズムと、ペシミズムの盗用により現代美術世界で名だたる作家となった村上隆

新房昭之山本寛

なんにせよ、この2人が、行き詰まっている現状でぎりぎりの戦略をとっていることは胸を打つ。この固有名詞が、アニメにやってくる。決して2人とも現状を抜け出すことには成功していない。2人ともテクニックはあるけれど、状況を突破するほどの何かを示してはいない。

でも、新房はテーマとの暴力的な遭遇(西尾威信小説アニメ化)によって現状を何とかしようとしており、山本アニメ作りと同時に言論活動を展開することで、自己弁明しながらも新しさを模索しているようかのようにみえる。

そして、まちがってもそれらは、『ef -a tale of melodies.』(※監督大沼心、監修:新房昭之)や『かんなぎ』のような作品で実現されているとは思えない。両者で見るべき点は、妥協および「過度な演出によるスペクタルで視聴者の恐怖心を煽ること」以外にないのではないか。

それから

けれども、「過度な演出によるスペクタルで視聴者の恐怖心を煽る」というとき、その恐怖心こそが、富野村上には見いだせないものであって。

くだらないテーマの指摘とか、原作アニメが違うだとか、ありふれた技法を指摘するだとか、歴史的にあれと似ているとか、そんな指摘は新房や山本が恥じらいながらも表現しようとしているものにまるで追いついていないのよ。

2008-10-09

日本人」のノーベル賞 文学賞の場合だと?

【まとめ】

ノーベル物理学賞受賞者の国籍が問題となっているが、「受賞者」がどの国の人か、という点ではなく、その「知的な成果」がどの国のものとしてカウントされるかという点から見ると、文学賞の場合がとりわけ問題となるのではないか?

【本文】

先日発表されたノーベル物理学賞受賞者のうちに何人が日本人か?ということが問題となっている。南部陽一郎博士のことです。

ニュース記事ではこういうところが;

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20081007-OYT1T00543.htm

http://www.asahi.com/science/update/1008/TKY200810080230.html

http://www.j-cast.com/2008/10/08028248.html

ブログでは、たとえば、こんな記事がある。

http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20081007/1223385373

 新聞等が「日本人3人」などと報道するからヤヤコシイことになるのだし、実際、読売新聞の記事では「米国籍で日本人」と書いてあったりする。

 とりあえずそれらのいいたいところを忖度すると、日本教育を受けて物理学者となった人であるのだから「日本人」なのだと判断することもあながち強弁ではない、というところだろう。

 もちろん、そうなのだから問題ない、と私は考えているわけではない。報道等がどれくらい考えた上で「日本人」のカウントをしているかということに疑問がないというわけではない。

 この点では、上に引用したブログの記事は、新聞等の報道姿勢に見られる、回復された自尊心や誇らしさの裏側にある他者への無思慮をやんわりと指摘していておもしろいと思った。とくに新聞報道での「日本人」基準が、やや「出生」という点に強調をおいているところは記事から読み取れる気分の高揚と結びついているのではないかなどとブログ記事を読んでさらに考えをめぐらした。

 しかしながら、このような見方もふまえた上でなお、「日本人が受賞」という見方には理由があるのではないか。ノーベル賞がある学術の成果(具体的には研究論文)に与えられるという点を考えると、次のような考え方もできるのではないか。

 つまり、今回の受賞理由となった業績は南部博士日本国籍を有していたときのものである、ということをどのように考えるか、ということだ(ただし、論文発表当時、1960年はすでにシカゴ大学に在籍していた。なお米国籍取得は1970年のようである。南部博士1921年生)。

 ここからが言いたいことなのだが、このように書いてみて、わたしが気になるのは、今回の「日本人○人」という数え上げの問題ではなくて、さらに進んだところにある問題だ。

 受賞者の国籍問題を、「研究の成果たる作品の帰属先」(ただし知的財産権の話じゃないよ)だと考えると、この問題は、ノーベル文学賞においてよりシリアスではないだろうか。

 たとえばこういうことだ。日本国籍の人が、米国に在住し、英語小説発表する。この人に与えられるノーベル賞はどの国の人が受賞したと考えるのか?(いま「英語小説」を例にしたが、英語の場合、事実上普遍語」たる役割を果たしているので、もう一つ難しい問題が生ずるのだが、これには立ち入らない)

 別の言語でも同じ問題が生ずる。日本でも、韓国籍の人がそのルーツ日本語小説とする。中国出身の人が日本語中国社会舞台とした小説発表する(近時の芥川賞!)。日本の例だと議論が別の磁場に引き寄せられるのだが、問題の本質普遍的だ。アフリカ出身の人がフランス語小説を書く。アメリカ人日本語小説発表する・・・等々。

 ここまで考えをめぐらして書いてみても取り立てて結論めいたものはないのだが、今回の報道やそれをめぐるいくつかの議論を見ていて「○○人というアイデンティティの根拠に何を置くのか」ということを、考えた。

ブクマ読んでの追記】

・図式化すると、本文では、国籍あるいはアイデンティティについて、「出生」に対して「言語」という軸で考えるという方向もありうるだろうと考え、特にそれが問題となるのは、文学賞のようなものだろう、ということを述べました。

・Mukkeさんのコメントを読んでさらに考えたところ(また、http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20081008/1223473549も読みました)、結局このエントリーを書いたときは、学術的な成果という「普遍的」なものに対して、それを報道する側が(日本メディアなので当然のこととは思いますが)、国籍という「ローカルな」語法をもちだそうとするところに若干の違和感を感じていたのかなと思いました。

2008-10-05

ケータイ小説批判に見る傾向

・文体が駄目。

文体が駄目だという。

演出とは考えられないのだろうか。

もしくは、携帯で見るのに適したフォーマットになっているとは思わないのだろうか。


登場人物がいい加減で軽いから駄目。

名作にも、結構いい加減な人物がたくさん出てくるんだけど、それについてはどう思うんだろう。

芥川賞とか有名な賞を取っている作品にも、そんな登場人物が出てくる作品が案外あります。


・そんな人物には共感できないから駄目。

いい加減で軽い人物には共感できないから駄目だという。

ノワールなんて、ほとんど共感できないと思うけど。

ミステリ殺人犯共感できる?探偵共感できる?

ノワール主人公共感できる?


ケータイ小説大賞なんてこの程度、世の中がおかしい。

自分が、読者として想定されていない事くらい理解した方がいい。


本当に、ただ見た目だけでdisりたいだけの人が多くて、真っ当な批判をしている人は少ない。

現代訳と称したあらすじだけ読んで、理解した気になっている人も多すぎる。

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