はてなキーワード: 自責の念とは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B7%E8%94%B5%E5%BA%AB%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%83%BC
冷蔵庫マザー(れいぞうこマザー、refrigerator mother)とは、1940年代に自閉症の子を持つ母親たちに対するレッテルとして作られた用語である。
こうした母親たちは、しばしば子供の厳格な決まり事や会話の困難、自動的な孤立などの特殊な行動で非難の的になっていた。
「冷蔵庫マザー」というレッテルは、「自閉的な行動は母親の冷淡な態度に根ざす」という憶測のもとに成り立っている。
結果として、1950年代から1970年代にかけて、自閉症児を持つ母親たちの多くは自責の念、罪悪感、自信喪失に悩まされた。
最近まで、発達障害の子を持つ母親にも「母親の育て方が悪い」というレッテルが貼られていたよね。
今でも田舎では貼られ続けているんだろうけど。
一刀両の能力は無敵じゃない。
その失敗に係るリスクは「必ず当たり必ず殺す」っていう魔剣がきれいにフォローしてくれて完璧に無敵じゃん。
刀の届く接近戦である限り無敵だ。
「攻撃力-防御力」がダメージで、ライフが一桁であることが多い世界だから、攻撃力の初期値が15の番長は、「殴れば相手が死ぬ」能力を持ってるともいえる。
わかるよ。
TRPGという真面目に体力を削りあう世界では堅実かつ上位の能力であろうことは推測出来る。やったことないけど。
でも小説に書いてあることだけ読んでいくと、どうしてもあれは脅威度の低い力だよ。
多分TRPGでは、操作や即死の力はもう少し使い勝手や性能が悪かったんじゃないかね。システムに阻まれて。
あと仲間との連携もやっぱりゲーム盤の上では自由度が低かったんじゃないか。
それがゲームシステムに阻まれずに「こういう効果」って性能の能書きだけで小説に放り出されると
どうしたってボンヤリしてて幅がある力ほど強いし、真面目に攻撃力いくらって力のポテンシャルは低くなる。
要するに攻撃や防御は捨てて能力全振りが正解になる。
「プレイヤーが退屈しない」「戦って決着をつける」っていう要請のために
どうしても狭い盤上で短期決戦的な展開を押し付けられざるを得ない。
そこでは真面目に攻撃や防御の高い人が猛威を振るうんでしょう。
一刀両の能力は無敵じゃない。
失敗したら自分が切腹しなければならない(ロールプレイ的には自責の念で死ぬ)能力。
その他諸々、強力な能力は発動条件か、発動確立か、成功確率か、何かが犠牲になっている。
番長に関しては。
「攻撃力-防御力」がダメージで、ライフが一桁であることが多い世界だから、攻撃力の初期値が15の番長は、「殴れば相手が死ぬ」能力を持ってるともいえる。
自身が2発も喰らえば、常時「即死」能力持ちだ。(発動条件も糞もない)
そもそもが、あの世界は「ぼくのかんがえたさいきょうの魔人」を暴れさせるゲームなんで、「エターナルフォースブリザード」があってもおかしくない世界。
<ただし、自分も死ぬ>みたいな。
http://anond.hatelabo.jp/20110906150347
読んだけれども全部は内容を把握できてないかもしれません。アダルトチルドレンというのは、ずっと前にも自分の今は使ってないgreeの中にも書いたのですが、アダルトチルドレン オブ アルコーリック の前の部分だけを取り出したもので、アルコール依存症患者とともに子供時代を過ごした人(今は大人)について、を指す言葉で、その人たちが大人になった時に同じような精神症状を示し、それがどうも過去に起因するのではないかと、精神医学の分野の人たちではなく、アメリカで心理療法家や臨床で精神的な問題を抱えた人に心理的なアプローチをする実際に身近にいる治療者たちから、言われ始めそのような研究や論文も(英語の論文サイトで見た事もある)少しはできたりしてたらしいです。(少しはと書いたのはアメリカが元だけど、そんなにアメリカで持て囃された理論でもなかったと思うから)
しかし、虐待の連鎖については、調べてみたら有意な差は認められなかったという結果が出た事もあったと、日本の精神科医のサイトで見たこともありました。(この元の論文は探してるけどまだ見つけてない)
日本では、虐待の連鎖も理屈や理由や統計は求めらずに一部専門家が言ったら、確定事項みたいに流布してしまっています。ACの流行の盛りは過ぎたと思ったのに、質問サイトではいまだに虐待の連鎖を心配して、被虐待者が自分が将来虐待するのではないかと相談しています。被虐待者に不安を与えて信者にして儲けようとしている人もいるかもしれないと思ってしまいます。日本の精神医学の学会ではACというものには懐疑的らしいです。なぜかというと、アダルトチルドレン オブ アルコーリックの人の症例や理論を拡大解釈し過ぎだし、誰にでもあるような事や、大して問題とも言えない事まで問題視する本をAC理論を唱える関係者がを出したりしてたからです。
虐待により精神的な問題を抱えるようになった人たちがいるのは事実だと思います。その人たち(自分もかもしれませんが)に適切な治療の場やサポートが与えられる必要はあると思います。AC本批判の医者の中にも極端な考え方をしている人も居ると思います。 精神症状の原因を外部に求めるのがいけないという書き方の本もありますから。どちらとも決め付けられない事だと思います。
こんなふうに意見が別れるのも、抽象的でどちらとも言えないもの決め付けられないものを、AC本は決め付けてしまっているからだと思います。
極端な考え方のものはともかくとしても、精神医学系の学会が、ACという考え方に関して疑問視していたと知って、書かれた疑問も読んで、ほっとはしたものの、なんだ、自分が思ってた事と同じではないか!もっと早く言ってよ!!と思ったことはありました。
認識の問題とか、自分の回復のために、そのような問題を書き綴って確認作業のような事をするのは、本人にとって害はないからよいと思いますが、お金を払って治療を受けに行くと、信者にされる可能性もあると思います。
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昼間に書き始め、途中でやめて、また書いているので、最初言いたかった事とずれてしまったかも。
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こういう問題について書こうとするとよくわからなくなってくる。
ただ、アダルトチルドレン オブ アルコーリックは、アルコール依存症患者とともに育った子供時代を持つ大人を指すので、例えてみれば、中国残留日本人孤児の人たちが今は大人なのに孤児と呼ばれているので、中国残留孤児だった大人と正確に呼び、その後半部の「孤児だった大人」の部分だけで呼んで「孤児だった大人」「孤児だった大人」と呼んでいるようなものだと思うから、何だかこっけいな感じがしてしまうのですが・・・
今自分が書いたものでも、つい「アダルトチルドレン」と繋げて書いてしまいました。 これを言うなら「アダルト チルドレン オブ アルコーリック」とすべきでした。その方がわかりやすかった。子供だった大人、どんな子供? アルコール依存症の人と一緒に居た、ということだと思うんで、そこから、心は子供体は大人、とか 見た目は大人なのに中身は子供で、そうなってるのは本人のせいではない、みたいな理論とか、大人になれない子供とか(これは批判のように捉えて嫌がる自分はACだと思ってる人もいるみたいだけど)、子供時代を失った子供とか(これはある意味そうなんでしょうけど、それを指摘して何になる?当事者でもない専門家が親切にもあなたは子供時代を失ってますよ~と言ってくるというこっけいさ。それって親切なの?かわいそう攻撃じゃないの?) 子供時代に大人の役割をさせられた子供とか(これもそうかもしれないけど、それをACと称する事に、関係者がお布施を募る事ができる以外、何の意味があるかわからない) ...etc
これらの状態を アルコール依存症の人と一緒の子供時代を送って育った大人、とどう結び付けていけるのかわからない。
アダルト・チルドレン という響きが、聞こえが良かったのではないか? 自己愛的傾向を持つ人々の心を掴むのに、格好のネーミングだったからではないか?
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子供時代に受けたトラウマが、精神症状を引き起こす事はあると思います。それを否定するものではありません。それに対しては個別にそれぞれの現在の状態に合わせて対応するべきだし、親に限らず他人から受けたトラウマで精神症状が引き起こされる事はあるでしょう。親と言う人と接するのは、自意識や自我が発達してなくて判断力がない時期からだから、混乱させられやすいという事は言えるかもしれません。
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アダルト・チルドレンというものを考える上で、こういう事も念頭に置いた方が良いのでは無いかと思ったので書いてみました。
心に傷を持つ人、空虚なものを持つ人、家庭に問題があった人、孤独な人、こういう人は都会に出たら、何とか商法や、壷や絵を買わされやすい傾向にあると思います。怪しい宗教なんかも付け入ろうとするかもしれません。(孤独なお年寄りが布団売りつけられるようなものです。)
それよりはマシかもしれませんが、本買ったり心理療法に通わされたりするのも、同じような面もあるのではないかと思います。
手を変え品を変え、有名人を引き込んだり、NHKで有名作家にカウンセリング体験を語らせたり・・・
これで得をするのは誰でしょう?
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追記
アダルト・チルドレンがキーワードになってたので、読んでみたら
今はACは、機能不全家庭で子供時代を過ごした子供たちの総称になっているそうです。
機能不全という言葉で用いられている機能というものが、そもそも抽象的なものでしか無いので、そのあたりが問題ではないかと思います。
自助団体 (自助という言葉が適当かどうかわかりませんが、そう自身で名乗られているので) からも、AC本の人には抗議文が送られていると、はてなキーワードで見ました。やっぱりねw
わかるとは思いますが アダルトチルドレンではなく、キーワードがACなので、リンク貼っときます。 http://d.hatena.ne.jp/keyword/AC
追追記
837 : 没個性化されたレス↓ : 2010/04/20(火) 00:09:36
ACを商売にしてる人はACに根拠が無い事がばれてくると今度は
「負の連鎖」とか「虐待の連鎖」というこれまたまっったく根拠の無い概念で
新たなお店を開いているようです
838 : 没個性化されたレス↓ : 2010/05/01(土) 18:57:32
根拠あるでしょ。十分に。
839 : 没個性化されたレス↓ : 2010/05/02(日) 13:58:54
ACに根拠があるかどうかに関わらず、
(傷付きやすく騙されやすい)ACをターゲットに商売をする人たちは
距離の近い親の本質を暴くことは、世の中の危険な人の本質を見抜くよりも簡単。
世の中、表面的にはイイ顔をしてても、中身は毒親みたいな搾取的な
結果として騙されたり、時間を無駄にすることだって多いのかもしれない。
840 : 没個性化されたレス↓ : 2010/05/08(土) 19:27:01
それに騙されて身動き出来ない人がいるということ。
>ACが自身の主体性を取り戻し、社会性を得ることの難しさに、
ウソ概念で騙されているんだから主体性を取り戻せるわけがない。
カネを搾り取ったがもうカネも出て来なくなったら主体性を取り戻せという。
AC業者の糞なやり方には本当に腹が煮えくり返る。
986 : 没個性化されたレス↓ : 2010/06/29(火) 22:37:15
アメリカのソーシャルワーカー達がアダルトチルドレンという無根拠なレッテル貼りを始めてから
もう40年という月日がたってしまった。
それを利用したAC業者やマスコミが被害を拡大させて、日本でも30年近くこの無根拠な概念が暴威をふるった。
このAC概念は無根拠なくせに極めて専横的で疑いを許さなかった。マスコミとAC業者がそうさせなかったのだが。
AC概念は人々を苦しめ、裁き、断罪し、この概念のくびきのもとで生きる事を強い、いささかの救いの道をも与えなかった。
ACは無根拠であるが故に疑いを許さなかった。ヒットラーのように。北朝鮮のように。
AC収容所の人間は小石のようなあきらめをしゃぶり乾きを癒すしか無かった。
ACに根拠は無いのに。
そして強制収容所の人々が「ここにいるから私は友と知り合えて生きていること許される」と心理的な合理化をするように
「ACを知ったからこそ私の人生がある」と合理化をするようになる。
商業主義の暴虐に痛めつけられ囚われの身となった人の心が、最後の誇りを失わないようにするために
強制収容所に30年幽閉された人が解放されてもとまどうように。
30年と言う月日をAC商業主義の暴虐に晒された心に「ACには何の根拠も無い」
と言われてもすぐには受け入れらないのはもっとなことだ。
このスレも次スレもこうしたAC被害者のリハビリをどうするかという問題も検討されるべきだろう。
http://logsoku.com/thread/academy6.2ch.net/psycho/1035617398/
某巨大掲示板のログですが、学問板なので、それなりにそれなりのモノの見方をする人も出てきてますが、残念ながらACと言われる人を責めるレスも時々あります。しかし、それに反論レスもあります。反論するのはAC理論が正しいとは思ってない人たちの場合も多いです。AC理論は否定するけどACと言われる人たちの中には精神的な症状がある人がいるのも事実だろうという認識です。
AC理論を唱えて儲ける専門家たちは、自分たちにとって一番楽な状態の人しか相手にしません。具体的な事をしなくて良くて、心理的なものの具合だけを診ていれば良い状態の人、過去の事で精神的に問題がある人、これらの人たちなら過去の事だから、今現在具体的に人権救済しなくてよいわけだし、ただでさえ、親の事で肉体的な暴力でもない精神的心理的抑圧なんて、そんな昔の事で・・・と言われるのが落ちで、グチや不満ではなく本当にわからなくなったり混乱したりして話したとしても、親の変な話をするというふうにしか受け取られなかったりする傾向にあるから、そういう専門の心理の療法家しか、自分たちの事をわかってくれない!と思いつめさせそこに依存させたり、信仰させたりする事もできる。
自分たちのところに来ない人たちの事はサバイバーと呼び、さも来ないのが変みたいに思わせる。
成人後も困った親から逃げている人たちもいる。そういう人は助けないのだから、おかしい。
413 : 没個性化されたレス↓ : 2007/11/22(木) 10:43:37
おばさんになってからの自認でしたから、既に生き辛さへの改善は進んでいたのですが、
嗜癖と自責の負のループに陥っていたのですがACと自認した途端、解放されました。
2. 思考の偏りの起因を知り、改善が進む。その際自己嫌悪から解放される。
AC論が正しいとしても、正しくないとしても、また自称だとしてもそれが役に立てば良いのではないかと思います。
極論、機能不全家族が原因で無いとしても、その考えに辛さを預けて進めれば良いのでないかと。
ただ、ACが免罪符であってはならないのでしょう。自己の努力が不可欠であり、その時こそ、AC自認が有効に働くと思います。
(意外にこの特効薬を求めてACを知りたがっている人が多いような気がする)
今抱えている問題は過去に起因していても、今の自分の問題であるという事ですよね。
414 : 没個性化されたレス↓ : 2007/11/26(月) 09:00:50
>413
誤った疑似科学的概念が人に仮の安定をもたらすというのはよくあることだ。
ここは学問板なので出て行ってもらいたい。
またそうした方が幸せは長続きするだろう。
それに耐えうる概念のみが生き残る。
事に気づいているからこそ、
415 : 没個性化されたレス↓ : 2007/11/26(月) 09:52:07
仮の安定ですか。
仮の概念により得た安定の方が私にはしっくりきます。勘違いなのかな?
そういう意味でも学問板に書く資格が無いのは確かでした。本当にそうですね。
申し訳ありませんでした。
416 : 没個性化されたレス↓ : 2007/11/26(月) 11:59:34
>415
例えば「全ては神の思し召し」ということで安定する人もいる一方、
そこと格闘しなんら安寧を獲得せずこの世を去る人もいるわけです。
AC概念は控えめに言って「視点を固定した時そう見えるだけという誤認」にすぎません。
それでもよければどうぞ。
親に対して、細かい指摘ができる(細かく正当な指摘ができると言う意味)はてなブログの方でも、心理療法家についてはあまり疑ってないみたいだったけど
この方の親程度に自分に都合が良い事をするその手の専門家はくさるほどいると思う。
精神科医でも、ACとはまた別の話で、NHKでもうつ病の薬について、医者がわかっていて儲けのために依存させる事もあるかのような特集も前やっていたのを見た。わかっててやったかどうかはわからないが、今は規制されてると思うけど、リタリンで依存症を起こし、離脱症状などでわけがわからなくなりまだ若くて健康だったのに、自殺されてしまった方の遺族が訴訟を起こしていたのもニュースで見たことある。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1271342947 目を通すだけでも通してほしいのですが、(タイトル)
抜粋
>心療内科、精神科に行ったら、もっと惨めな気分にさせられ実際泣いて帰ってきた…
>これはあくまで私の私見ですが、
>精神科医の半分強、カウンセラーのほとんどが、ほんとうはその本人がケアを求めていると私は思っています。
>「あなたは甘えている」
>という言葉の裏には、
>「私はあなたより苦しいのに、なんであなただけ治療を受けられるんだ!私だって甘えたいんだ!」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1425822034 うつ病の診察中に精神科医からの言葉に精神的ショックを与えられました。
はてな日記の親の心理的搾取を理性的に指摘されている方も、機能不全という言葉は信じて使ってらっしゃるようでしたし、自分が精神科医にかかった時に、医者に言われた事で、微妙な事でカチンと来た事や無駄なアドバイスだと思ったと言うような指摘は書いてありましたが、精神医療の構造的な欠陥 (昔 医師会の当時の会長に「家畜経営」と言われた精神病院の経営の仕方など、自分たちの利益のためなら人を壊す事も構わない、人間を獲物にしてる) までは、関係ないからという事もあるでしょうけど、全然言及されてません。
弱みがある人間が行けば、いい餌食にされる可能性は、弱みの無い人より高いと思います。 悪い医者ばかりではないと思いますが、精神医療はいろいろと矛盾を内包して闇の部分が多すぎます。
ACというものについては、学問板といっても、2chなのでスレ内では、自称とか言って責めるような意見も煽りとして存在してました。しかし、アダルト チルドレン オブ アルコーリック でも アダルト チルドレン オブ アビューシブ ペアレンツ でも アダルト チルドレン オブ ディスファンクショナルファミリー でも アルコール依存症の人と一緒に子供時代を過ごし大人になった人 という意味や、虐待する両親の元で子供時代を過ごした大人 という意味や、機能不全家庭で子供時代を過ごした大人 という意味なら、ACは居る、存在している、と言えると思います。
しかし、AC専門家?サイトで13の特徴とか、非科学的な啓蒙活動をするのは、間違っているのではないかと思うし、そこに挙げられているようなACというものについてなら、居ない と言えるのではないかと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20110807224419
隠し子に母親はどうしているのかと聞きました。
「母親は数年前に自殺した。それ以降は母方の実家で暮らしている。
私が父親に面会を求めて無視された後、父が母に公衆電話から電話をかけてきて、
『子供をよこすな、勝手に産んだくせになぜ関らせようとするか、そんな子供殺してしまえ』と罵倒していた。
母親は早い段階、おそらく出産以前から、私を産んだことが正しいことか間違いなのかとずっと苦悶して精神を病んでいた。
それに父親の反応が拍車をかけた。
私自身もまさか実の父親がそんなことを言うと思っていなかったから、絶望し、
母親になぜ望まれていないのに産んだのか、私は生まれてこなかった方が良かったではないかと問い詰めた。
母親は私を殺して自分も死のうと考えていたらしいが、手をかけられず、自分ひとりで死んだ。
存在してはならない人間を産んだ罪を犯した自責の念に堪えられない、というようなことを言っていたからそれが自殺の動機だ。」
「母が自殺して保険金が数百万おりた。自殺では保険に加入してから数年しないと保険金がおりないから保険金を与えるために自殺したわけではないと思うが、
母は早い段階から死を願望していたようだったから、もしものときのために私のために保険に入っていたのだと思う。」
「最終的な目標は父親に私を殺させること。殺さずにいられなくなるまで父親を徹底的に苦しめる。
実際父親は私への殺意で沸騰しているからちょっとしたきっかけがあれば手を下すだろう。
責任をとりたくないために実子を殺した殺人鬼として死ぬまで罪を背負わせる。」
「ただあなたたち母子に罪はない。
私が認知訴訟したために旦那・父親との絆を失ったことに対しては申し訳ないと思っているから、罪滅ぼしとしてひとついい手を提案する。
あなたが私と養子縁組して私に生命保険をかけて、受取人はあなたたち母子にしたらいい。
父親には受け取らせない。あなたが父親と共同ではなく単独で養子縁組すれば、あなたがた母子だけに私が死んだ時の保険金を受け取らせることができる。
旦那に私を殺すようそれとなくほのめかし続けろ。
それで旦那が私を本当に殺したら保険金が手に入るし、私がいなければ旦那の相続はすべてあなたがたのものになる。
それであなたから夫を、子供たちから父親を奪ったことの償いとさせてもらいたい。」
「これから徹底的に過去の父親の行状を世間に暴く。そのための材料はそろっている。
耐えかねた父親が私を衝動で殺したら、私もあなた方も願ったりだ。悪い提案じゃないでしょ?」
養子縁組なんて簡単にできるわけないでしょう、第一夫の同意がないと無理でしょうと言ったら、
「私が成人したら旦那と共同で養子縁組をする必要はない。旦那の同意は必要だが。
あなたが単独で養子縁組すれば私はあなたの嫡出子になるが、父親にとって私は非嫡出子のままだ。
遺産狙いで私が提案しているわけではないことは分かるな。
どっちにせよ父親が死ぬころには非嫡出子の相続分も嫡出子と同額になるからそもそもこの議論は無意味だし。
父親には『隠し子に保険金をかけておいて何かあれば受け取れるように準備しておく。
渋々認知したのだから怪我したり死んだりした時ぐらい役立ってもらいたい』と言って同意をもらえばいい。
そのことが頭の隅にあれば一層私を殺す衝動に駆られやすくなるかもしれないしな。
まああのクズは考えなしに暴力に訴える野獣だから、本当に私を殺すとなればそんなことまで計算せずに実行するはずなので、
「旦那の同意を得るのが難しいなら娘が希望するとおり旦那と離婚して単身になってから養子縁組するのでもいい。
「まああなたの嫡出子になればあなたの相続は引き継ぐことになるが、
だからこそあなたは『馬鹿な夫が孕ませて認知もしなかった隠し子をわが子として育てようとする慈悲ある母親』
として世間に評価される。あなたにデメリット一つもないでしょ?」
「今の提案を父親に話してもいいけど、父親がそれを聞いて策謀にはまらないために理性を働かせて私を殺そうとしなくなったら、
結局保険金を受け取れなくて損をするのはあんたたち母子だから、よく考えて旦那と交渉しろ」
自分の命を失ったら何も意味がないではないか、一体何が望みなのかと聞くと、
「父親が『お前なんて生まれてこなければよかった、いなくなれ』って何度も言っていた、聞いただろ?
『父親から生まれてくるなと言われている子供を産むなんて無責任だ、間違っていた』と。
「母親は十分私を作り生み出したことへの責任を果たし罪を償った。今度は父親の番だ。
私が発生したのは両親双方の責任だ。
母親は命をかけて責任を果たしたのに、父親がなにも責任を負わないのはおかしい。
お前なんて存在しなければよかったんだと自ら言っているんだから、
存在すべきではない人間を作り出した罪を償うために、私を殺すべきだ。
中絶しろと再三言っていたんだ、母親の胎内にいるか外に出てきているかだけの違いであって、私を殺せと言っていることに変わりはない。
法律の網を拭って合法的に人殺しをしようとするなんて卑怯な真似は許さない。
父親自ら私を殺させる。それで初めて父親の罪は贖われる。」
『あなたが隠し子を殺してくれて、私たちは手を汚さずに保険金を受け取ることができてラッキーだわ』
と嘲笑われた時の絶望感を体験させたい。
それはかつて父親が私の母親にやったことだ。
『俺は手を汚さずにお前が子供を殺して俺を責任から解放しろ』と奴は私の母親に言った。
隠し子の母親とは連絡をつけられないという夫の発言は、母親が自殺したことを隠すための嘘だったようです。
私たち母子と夫はどうするべきなのか、分かりません。
夫は離婚したくないし子供たちを手放したくないと言っていますが、
隠し子を養子にすることについても、今はどうすべきか考えられないと言っています。
隠し子の言うとおり、私たち母子は、夫に騙されていたのでしょうか?
また、隠し子の「私を父親に殺させる、あなたたち妻子は私と養子縁組して保険金を受け取れ」という考えに対して、どう対処したらいいのでしょうか?
俺は葬式には出ても出なくてもそれは個人が決めればいいって考えなんだけど、母親は頑として出席しなさいって口を酸っぱくして言ってくる。
本家の長男が祖父の葬式を欠席するなんて世間からしたら常識外れなのは分かってる。
俺が祖父の葬式を欠席すれば家族が親戚から冷たい視線を浴びるかもしれないという事も分かっている。
葬式に欠席すれば自分が身内から軽蔑されるかもしれないのも分かっている。
でも俺は葬式には出ないってのを頑なに貫いてそっから母との関係に軋みが出てきた。
欠席してから何度も自分が祖父の葬儀に行かなかった事について考えた。
けれども今現在でも、葬式は行きたい人は行けばいいし行きたくない人は行かなくていい、という考えだ。
自分が死んだ時は、俺の事は葬式はせずにそのまま火葬してもらう形の直葬をしてもらえばそれでいいと考えている。
葬儀を行うという形で故人を弔う事には社会的にも心理的にもそれなりの意義がある事自体は分かっているつもりだが、なぜ葬式という形式に対してそこまで強くこだわるのだろうか。
死者を悼むというのは個人の中での気持ちの問題だと思う。
俺はある人から、葬式に出席しない事に関して、それって悲しくない?と言われた。
葬式に出席しない事を悲しいとは思えない、その感性が悲しいんだよ・・と思う人もいるかもしれない。
しかし俺はそうは思わない。
葬式に出席しない事を悲しいと思わない(思えない)人が、葬式に出席しなかった場合、人によっては、葬式に出席しない事を悲しいと思わない(思えない)俺の感性っておかしいんだろうか?って自分の事を責めてしまう場合もありえると思う。
なにが言いたいかというと、「葬式に出席しないことを悲しいと思わない感性」の持ち主が葬式を欠席した場合、葬式を欠席した事によって、親族から非難や軽蔑をされるだけでなく、自らも「自分は普通ではないおかしな感性をもっている人間なのかもしれない、きっと自分は冷たい人間なのかもしれない・・」と自責の念を持ってしまう場合もあるんじゃないか。
故人を悼むはずの葬式が、ある一部の感性の持ち主にとっては、自分自身の人格を否定することに繋がってしまうんじゃないか?
自分の場合は、こうして自分の思考と感性について思いを巡らす事ができるのだから、「葬式に出ないことを悲しいと思わない感性」を持っている事自体が即座に自分自身の人格の否定に繋がるわけではないからまだいい。
けれども人によっては、「葬式に出ないことを悲しいと思わない感性」を持っている事が、じわじわと自分で自分の人格を否定する事に繋がっていく場合もあるんじゃないかと思った。
もしそうやって、葬式に出席しないという事が、「葬式に出ない事を悲しいと思わない感性」を持っている人が自分の人格を否定しまうことに繋がるのならば、葬式ってある意味でひどいと思う。
葬式を行うという行為に賛同しない人間は、葬式という行為に賛同しないことによって三つの側面、つまり自分自身から、他人から、社会から、じわじわと責められ続ける事になるのではないか?
私立では一応高学歴だと思う。
書きたくなったから書かせて。
就活に失敗して親が破産してIT系のバイトして食いつないでいたが、
感想など
・すさまじい負け犬気分
・死にたい
・「◯◯したら死のう」と思っている
・人と会うのが怖い
・電話が怖い
・「職」の字を見ると裸足で逃げ出したくなる
・親への罪悪感がヤバい
・この先どうすれば…と考え、安心出来ない
・いやまだなんとかなる! と外に出て駅まで歩くがそれまでに気持ちが折れる
・とにかく眠ることでしか心の平穏が訪れない
・一日が終了するたびに自分がなんのために生まれてきたのかと問い直す
・あの人もあの人もがんばってるんだ! と自分を鼓舞しようとしてfacebookを開くと裕福で内定と友達に恵まれたリア充の友人がアメリカあたりで卒業旅行を楽しんでいるのを見て自分は何をしてきたんだと考える
・バイトに応募しようとしてFamilyMartの下見しておばさんが金髪のジャニーズっぽい子いじめてるの見て社会こわくなる
・あらゆる企業が、裏では社員や顧客から搾取していると思い込む
・1000円以上使うと「もうすぐ死ぬ自分が…ニートの自分が…もったいない…」と思う
・「こころの病気」「病んでる」とかいってるリア充を見ると殺したくなる。自分のほうが病んでるって思いたい
・外面はものすごく装うので会った人はだれも自分がネガティブになってても気づかない様子で少しさみしい
・文庫本など安いものは買える。そんなとき自分は存在していることを実感する
・スーパーで300円くらい買い物をして、前に並んでたこんなおばちゃんでも何千円も買って社会に貢献しているのに、と無駄に自責の念
・やっぱり死ぬしかない
・以下無限ループ
とにかく死ぬことだけを考えている。
バイトでも何でも就職してお金の心配を立つしかないんだろうなあ。
バイトやめた日、
会社の鍵を返しに行って気まぐれにみた映画『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』面白かったなあ。
あの瞬間だけは生きててよかったと思えた。
北朝鮮の女子高生を集団で殺害したことへの復讐劇…日本人を皆殺し 第40回ロッテルダム国際映画祭
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110203-00000002-flix-movi
同作品は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の拉致被害者5名が帰国した2002年が舞台。
北朝鮮バッシングが渦巻く中、チマチョゴリを着た女子高生が不良に絡まれて、
白昼に大勢の目の前で殺害される事件が起きる。
井上は「この映画は2003年に書いた僕の脚本が先にありました。
当時は、9・11が米国のアフガニスタン戦略に繋がり、日本では拉致問題が過剰な北朝鮮バッシングとなり、
ある種の思想が無い人間には
読んでるだけでくらくらしてくるあらすじ&脚本家コメントである。
・北朝鮮による拉致への非難の声に「腹が立った」ので日本人を攻撃しよう。
・攻撃って言うか、ぶっちゃけた話、ぶっ殺してやろう。
・それも無差別に、さらには糜爛性毒ガスでむごたらしく殺してやるのだ。
・ガスの出所を日本軍にしとけば色々とその、いい感じ。ガス撒くのは俺達だけど。
・でもやっぱ「悪いのは日本人」だってことにしとくべきだから、朝鮮人子女1名を日本人にリンチ殺させよう。
・さあ正義の復讐だ!ンギモッヂイイ!
・あ、言っとくけど我々は被害者サイドですので怒るのとか反撃とか禁止な。
やり場のない怒りと悲しみを世間にぶつける少女役の韓の熱演もあって、
そこまで彼女を追い詰めてしまったわれわれ日本人はこの物語をどう受け止めるべきか?
を深く考えさせられる内容だ。
「俺達はヘイト垂れ流しのフィクションの中で日本人大量虐殺して楽しむから
お前等日本人はフィクションの中で犯したリンチ殺人について深く受け止め反省しなさい。リアルに。」
ソッチ系の思想の人々が狭いスクラムを組んで強烈に擁護してきた為に
過保護のガキみたいにピーキー&隙だらけの阿呆になってしまった。
どうすんのこれ。
最期にホント、わがまま言っていいのなら学校には以下のことをお願いしたいです。
http://anond.hatelabo.jp/20101023073241の続き。
3年生は本当に弱点だらけです、社会に出て行ってちゃんとできるという保証は私取れません。
だから、メンタルヘルスマネジメント(III種)と秘書検定ぐらいは必須にして良いのではないかと思います。
クラスメートと言う視点で見て残念ながら就職・進学どちらにも脆弱性が見えますから。
7・5・3現象と言うのが有ります。これは中卒で7割、高卒で5割、大卒で3割の3年以内の離職率と言われています。
そもそも今大学も殆どが赤字で、学生の心の問題なんて見る余裕が無いと思います。
この国は急速なグローバル化、長期安定雇用型社会から成果主義への急速な社会変化で物凄く高卒者には苦しい時代の上に、1回ドロップアウトしたら這い上がりにくい状況が有ります。
だから、みんなには私のように心の病気での休職→解雇→長期の心の病気の治療による社会離脱を経験して欲しくないし
マナーなんて今の時代「持っていて当たり前」と言う状態で昔のように会社が教えてくれるわけでは有りません。
だからしっかり学校で学ばせる必要性が有ると私は痛切に感じております。
本当はクラスメート一人一人に言いたいことが有りますが、さくっと。
Nさん、よくノートを貸していただきました。貴方のノートはきれいにまとまっていて努力家であるのが良くわかりました。
貴方の誠実でまじめで努力家と言うのは本当にすばらしい才能です。
自分ではよく否定しておりましたよね。でもそれは物凄くいい点なので誇りを持っていってください。
努力家であるこれが生きていくうえでとてもとても大切なことです。
Tへ、リスカはやめなさい。歌・音楽の才能を折角持ってるのにもったいない。後ダイエットは20歳から。
20歳になったらプロテインダイエットとかをしながら運動をしていくと良いと思うよ。
あとZを殴るのは控えめに。Mに殴られたら「嫌だ」とちゃんといいましょう。
大切な友人とはいえ言わないと分かり合えないのが人間です。「人間はエスパーではないのですから」
Mへ、貴方には大変きついことを言います。
後ラケットなどで人を殴るのはやめなさい。せめて殴るなら手のひらにしなさい、自分にも痛みが返ってくるから。
でも殴られた方はそれ以上の体と心の痛みを感じてるってのは覚えておいて欲しいです。
そして、かかわりたくないといってもああするほか無かったのはTが「自殺方法を私に聞いてきたこと」を隠すためでした。
私正直、このことを貴方に1:1でつたえれなあったのが重たくて苦しかったです。
Tが死んでから遅いのです。
友が死んだ後、自責の念で苦しむのは自殺のSOSを聞いた人なのです。
TやZはもちろん他の人を殴るのはやめてください。
絵がうまいのは本当のことなのですが、私からあれこれ言う必要はないと思うので。
Sへ、自分が知的障害とか言うのはやめなさい。たとえ他の人がそう思っていても努力家であるのは私は見てますよ。
できないと思わないでやってみて欲しいです、若いから多少の失敗はまだリカバリーできるから。
Zへ、理数系滅茶苦茶強いしコンピューター関連は間違いない進路と思います。だけどはだしは寒いから冬はやめましょう(^^;
ゲーム業界に働くといっても流石に女子高の廊下をはだしで颯爽と走ると言う過去を持った人は居ないとおもいます。
(トカゲソを食べて野生化するという伝説をもってる人は実際にいますが、それも漫画上のネタですから)
Kへ、Zを支えてやってください。TはZをなぐるしMもなので…
KぐらいしかZを殴らないで守ってくれる人が見つかりません。重たいでしょうがよろしくお願いいたします。
慢研部長へ。
部活の計画を先ず立ててあげてください。
後輩が苦労します。
イベント等に参加するときはちゃんとスケジューリングをすること。
確か古い記憶だけれども、太陽・光栄辺りはそういうのがあったはず。
後神奈川の猫のしっぽなども対応できる筈なので相談してみてください。
文芸部へ
原稿出せなくてすいません、うまく副部長として立ち回れなくてすいません。
そして2年間大変な学年のまとめを担任として行っていただいたのは感謝致します。
そして3年担任へ。
決して貴方のクラス運営がうまくいかなかったわけでは有りません。
1~2年担任のクラス運営の問題でも有りません。
ひとえに私の力不足です。
大人としての責務を果たせなかった自分の問題です。
あと、これを読んでる(とくに)女性の皆さんへ。
性犯罪被害にあったらちゃんと話しましょう。
いのちの電話でも、公的機関でもいいのです。女性が相談に乗ってくれるところへ。
後、即時にアフターピルをもらいに産婦人科に行ってください。判らなければ119でも良いと思う。
犯人を許せなくて苦しむでしょう。
でも貴方は悪くない。
私のような苦しみは味わってはいけないのですから。
http://anond.hatelabo.jp/20100930215919の人でいいのかな?
「通じた価値基準」だと言うから、通じてないよ、って言ってるんだけどな。
で、その根拠は?って話でしょ。
被害者がしつこく聞かれるのは「和姦だったんじゃないの?」というところであり、被害者は「何か私に落ち度があったのだろうか?」と自分に問うことになる。
については、しつこく聞かれるのは性犯罪被害だけの話ではないし、「和姦だったんじゃないの?」と聞かれても「何か私に落ち度があったのだろうか?」と問う理由にはならないことは書いた。
元記事の件ではそれは顕著だし、そうでなくても強引に行為を迫られるのなら、何がしかの理不尽な強制力はあるはずだ。仮に落ち度がいくらかあったとしても、問題はその落ち度と強制力の理不尽さの兼ね合いだろう。落ち度を問う必要などないし、あったときも問うたからどうという話ではないはずだ。
ちょっとよそ見をしてる間に交通事故にあったとしたって、相手が信号無視の時速180キロで突っ込んできていたのなら「自分がよそ見をしてたからだ…」などと過度に自責の念に囚われたりはしないだろう。
そちらのいうことは筋が通らない。
についても、性だから特別なのだとはいえないだろう、と書いた。
そちらのいうことは筋が通らない。
も、まったくもっておかしいことを縷々書いた。
そちらのいうことは筋が通らない。
元記事のケースだけでもなく、一般的なケースに広げてみても同じだ。なにをもって「通じてない」と判断できるの?
すまん、言ってることがよく分からん。
それはすべて被害者側の「被害を訴えるのと同時に、自分はその証明を避ける事を許される”べき”」という心理ゆえなんだと思う。
というが、証明のある程度は被害者とて負わざるを得ない、というのはすでに言ったとおりだ。被害者の協力なき捜査なんて(本当は協力できるのなら)無意味に面倒なだけだろう。
大人ならそんなこと分かるはずだ。大人として一個の人格をきちんと有しているのなら、そんな子供じみたことをいうべきではない。
事実、過去からの延々ある「正当な捜査への積み重ね」も「被害者も証明から避ける”べきではない”」としているからこそ今の現状があるんじゃないのか。それで、
と言われても困る。その「否定したい」はなにによって正当とされるのか。正当化するべき理由がちゃんとないのであれば、それは意味を成さない。
要するに「気分」とか「観念」の問題としか言いようがないだろう。その「気分」とか「観念」はなくてはならないものなのか?
だから元記事でも「あなたは悪くない」なんて当たり前の事を「言わざるを得ない」んだろう。
もなにが「だから」なのか。百歩譲って「その証明を避ける事を許される”べき”」として、なのに「しつこく聞かれる」のはなぜだ。それは「自分が悪いから」か?
もちろんNOだ。本当の理由はすでに述べている。それは捜査上の都合であって、被害者の悪にはない。「被害者が悪いからしつこく聞くのだ」という捜査がどこにあるのか。
ではなぜ被害者は背負い込む理由などないはずの自責の念を勝手に負うのか?といえば、「性にまつわる話ゆえに特殊だから」以外に思いつかない。
当たってるからこそ神経逆なででして猛反発食らうのは分かってて書いてるだろ? しゃーない。
当たってるからこそ? では当たってる、とあなたは思っているのだな。では、その「性への特別視」が現実の被害についてどう働いているか、の点はどうか。
性被害は根絶できない。ある程度の被害は絶対に出るだろう。経済的被害、名誉的被害、人的被害…どれも同じ。被害はすべて根絶不能のものだ。
もちろん被害は存在しないほうがいいが、しかし絶対になくなることはない。では、被害があったとしてもその時には被害をできるだけ少なくする、というのを頑張るしかないだろう。
そこで「性への特別視」はどう働く? そんなもの、「被害のレベルを引き上げる」ことにしか働かない。
暴力でボコボコでされた(ただし幸いに後遺症はまったくない)、というので自殺する人間は武士でもなければどこにもいなかっただろう。その後の人生がボロボロに、というのだって多くはないはずだ。しかし、強姦された(ただし幸いに後遺症はまったくない)の場合はどうか。自殺者も、その後の人生がボロボロも多くいるはずだ。
暴力的行為を加えられる、という2種の被害にそれほど決定的な差が出るのは、そこに「性への特別視」という決定的な差の根拠があるからではないのか。
そんなものが本当に要るのか? そんなものを擁護する立場に、被害者の君らが立っていいのか? 処女厨と通呈した立場に立つのか?と思って書いている。
それはそんなに「しゃーない」ことなのか。
トラウマ体験の責任を自分にあると考えたり(※ex.「自分が悪い」)、瑣細な状況でも安全性の判断ができなくなってパニックを起こす、
結果的に日常生活が困難になる、というのは典型的なPTSDの症状。「あなたは悪くない」と自分に向かって繰り返したり、
「他人が自分と同じような事件・事故・被害などに遭遇したら、被害者にどのような言葉をかけるか」をシミュレートする治療法は実際にある。
だからなんでそんなにトラウマになるの?という話で。
児童虐待は分かる。家庭、親というある意味子供の判断基準の指標となる存在がまっとうでないというのは、認識の根底にかかわることだから。
ちゃんとした判断もできない子供だもの、そりゃ自分が悪くないのに「いや、自分が悪いはず」と混乱もするだろう。
災害体験も、まあ、分かる。自分の生活する環境そのものが大きな被害を受けたり、下手をすれば大量の死人がでたり、ひどく凄惨な状況(重傷者とかね)を目の当たりにしたり。
そんな状況に立たされて平静を保てないのは分からない話じゃない。たとえ大人でも。
でも、例えば列車事故に巻き込まれた人が「自分は悪くない」と自責の念を回避しないといけないのは、「事故を起こすような列車にまんまと乗ったから」じゃなく、
「一緒に事故列車に乗った人間の中で大勢が死んだのに自分が生き残ってしまった、本当にいいのだろうか?」ってことでしょ。
少なくとも、事故を起こした鉄道会社に対して「いや、自分が悪いはず」と思ったりはしない。
恐喝もそうでしょ。ゲーセンの道すがら不良に絡まれて、殴られたうえに金をとられた経験がいくら恐怖と屈辱に満ちていたからって、普通は「自分が悪いんだ」なんて思わない。
じゃあなんで、こと性にまつわる事例だとそういうトラウマになるの?というと、「性にまつわる被害を受けると、他の被害とは異なる『決定的な状況』になるから」って価値観があるからじゃない?と。
まるっきり一緒だとはもちろん言わないよ。ただ、通底はしてるんじゃないのか、というだけ。
性被害も基本的には他の被害と変わらない、という概念こそがいきわたらないと、「性被害者への特有の視線」はなくならないんじゃないの?と思うんだが。
しかし、その叫んでいる中身はと言えば、たいがい空虚なものだ
どこかで聞いたような思想が、どこかで聞いたような言葉で主張される
まこともって、空車を回すがごとき所業
(くうしゃ【空車】機械が仕事を中止している間もなお回転しているベルト車」by広辞苑)
.
人類は、機械に支配されるのみならず、ネットにも支配されるまでに堕落してしまった
つまり、いま、我々の手仕事だけでなく、思想までもが、がんじがらめに縛られ、酷く操られているのである
だから、私たちが「自分」だと思っているものも、本来の自分ではなく、コピーされた自己かもしれない
.
インターネットは、無数の自己を生み出し、その自己を沢山の人々に注入している、と考えてみてほしい
注入された自己は、その人の本来の自己ではなく、仮の自己である
仮の自己に没入している間は本人は気付かないが、ふと我に返ると、「私は何をやっていたんだ」と自責の念に駆られる
しかし、いったん植え付けられた仮の自己は、なかなか抜けないもの
ネットを閲覧している限りは、私たちは、幾度となく、仮の自己へと駆り立てられては、我に返るのである
すなわち、ネット依存症とは、ネット自体への依存ではなくて、仮の自己への依存、と捉えることも出来る
.
そして、インターネットを変えていかないといけない
ふられた
僕にとって初めての彼女だったんだ。
嬉しかったよ。本当に嬉しかったよ。
この楽しい毎日がずっと続くと思っていた。
でも3年後、終わりは突然やってきた。
ふられた。
些細なことの積み重ねだったかもしれない。だけど彼女はもう僕との関係を保てないほどのつらさを感じてた。
彼女に別れを告げられて、僕の心は壊れてしまった。悲しみと苦しみと、そして彼女を傷つけてしまったことへの自責の念とで。
死のうと思った。
何日も何も食べずにいた。土砂降りの日の真夜中に川に入っていったこともあった。
でも死ねなかった。全部中途半端。死なない程度にしか何も出来なかった。結局死ぬ勇気もなかったんだ。全部周りの誰かに向けた構って欲しいのポーズだったのだろう。
僕は無様に生き続けた。色を失った灰色の世界で。
何もかもが灰色に見えた。何にも興味がわかず、すべてのことから逃げ続けた。
でも、僕が幸運だったのは、助けてくれる人、支えてくれた人がいたことだった。
僕は非コミュだけど、数人だけだけど、心を許せる人たちがいた。友達、先輩、家族。その人たちのおかげで僕は今までどうにか生きてこれた。彼らには本当に感謝している。
別れて1年くらい経った頃に、僕は彼女に復縁して欲しいと伝えた。僕は彼女を諦めることが出来なかったんだ。
まだ好きだったんだ。僕の心はあのとき壊れた。でも彼女への気持ちは変わってはいなかった。
そのときの彼女の答えは、今は一人だけど、少し考えさせて欲しい。
僕はいつまででも待つと言った。淡い希望と、悲しみを抱いて。
さらに2年くらい経って、僕らは就職して別々の場所に移っていた。
その間、彼女とは別れて数回しか会っていなかった。会ってもたわいのない会話をする程度の仲だった。
復縁の返事はもらえていなかった。僕はもう彼女は返事はくれないのだろうと思っていた。もう彼女の中ではすべては終わったことなのだと。
僕の心も少しずつだけど、平穏を取り戻せるようになってきていた。どうにか毎日を過ごしていたんだ。何の希望も、生きる目的も、何も何も無い毎日を。
それなのに、彼女が急に僕の住んでいるところに遊びに来ると言い出した。僕と遊ぶために。
嬉しかったよ。
そしてその日。彼女は僕とまた付き合って欲しいと言った。
彼女からだよ?
灰色だった世界は色を取り戻した。鮮やかな色を、輝きを。
僕がこの世に生きている理由を取り戻せた。
遠距離恋愛だったし、僕は毎日メールした。なるべく電話もした。週末時間があれば必ず彼女の元に行った。僕のところに来てもくれた。
楽しかった。すべてが楽しかった。
結婚の話もした。それぞれの親に挨拶をしなきゃとかそいういう話もした。
僕は彼女と一生を一緒に過ごせるのかなと思っていた。彼女もそう思ってくれてると思っていたよ。
でも終わりはまた突然やってきた。
ふられたよ。こっぴどく。会ったとたん別れを告げられた。半ば一方的に。
理由は昔と同じところにある。
彼女には重荷だった。メールも電話も、会いに行くのも。親しい友達と会う時間が無くなってしまうのも。自分の自由が奪われるのが。
僕には彼女がすべてだった。でも彼女にとっては僕はすべてではなかった。友達よりほんのちょっと上の存在。そんなところだったのだろう。
好きだったわけじゃない、そうも言われた。
僕と彼女は考え方も価値観も違う。それはわかっていたはずなのに。
じゃあ何故彼女はまた僕の元に戻ってきたのか。僕を二度殺すために戻ってきたのか。もうわからない。何も考えたくない。
そして何故僕は再び彼女を傷つけてしまったのか。こうなるのはわかっていたはずなのに。
再び、あの日と同じように、僕の世界は灰色に戻ってしまった。
生きる意味も、希望も、また何もわからなくなってしまった。苦しい。
二度壊れた心はもう元には戻らないんじゃないか。
死ねるものなら死にたい。この苦しみから逃げられるなら逃げたい。でも逃げたくはない、無様でも生きていたい、そう思いたい。
誰かに何かを言いたくても言う相手もいない。話を聞いてくれる人はもう僕のそばにはいない。結果こんなところに長々と書いてしまった。すなまい。
たった一つ今考えられるのは、何故彼女は僕の心だけなく、すべてを殺してくれなかったのか。いっそ殺して欲しかった。そんなことを考えている。
こんな場所があるのね。
せっかくだからつらつら書かせてもらおう。
お互い結婚は早い方がいいと考えている。
極限までシンプルにするとこんな感じなんだけど、色んな要素が関わって悩んでいる。
といっても、受かるかどうかはまあ分からないし、受かっても配属になる土地は全く分からない。
受かっても落ちても今の職場やめるらしいから、来年以降の見通しは半透明な感じ。
私は働きたい、と思っている。それはそうだろう。
専門教育を受けさせてもらったぶん、社会に還元したいと思っている。
これは彼氏にもずっと前から伝えていて、彼としてもその感情は認めてくれていた。
だけど、問題は「どこで働くか」が明確でないということだ。
もしお互いに試験に合格したとして、遠隔地に配属になってしまったら一緒に暮らせない。
三年も遠距離してると、もうこれ以上無理、って気分になる。
彼は激務だ。週休一日で平日は夜日付回るまで帰れないみたいなのが一年中デフォ。
帰ってきた彼への「おかえり」は今みたいに電話じゃなくて、顔を見て言いたい。
たまにうつ症状が出て薬出してもらう状況にまでなるのも心配だ。
私自身もストレスがすぐ自律神経の変調に出るタイプなので、似たもの同士でメンタルが弱いのだろう。
一人と一人で頑張れるのも、来年には二人で頑張れるんだから、とお互いに言い聞かせてるからだ。
でも一緒にいるためには、どう考えても今年、私が希望の仕事につくのを諦める方がいい。
この事実は受け止めている。
でも、教育を受けさせてもらったのに、それを還元できないのが辛い。
私の志望は専門職だけれど、ほとんど正規の職員の採用なんて無いような分野だ。
けど、彼は二年働いて、かなりの額を溜めた。結婚資金にすると言ってくれている。
苦労させたくない、と言う。
彼は過保護だ。
私を専業主婦にしたい理由は色々あるけれど、「心配」が一番大きいようだ。
セックス一回するだけで頻繁に38度台まで熱が出る。筋力がとても弱い。季節ごとに風邪ばかり引く。
何もしないよりマシかと思って軽い運動を毎日続けているけれど、どれほど効果があるのかも分からない。
お互い子供が欲しいとは思っているけれど、私は体質と遺伝を考慮したときにリスクを感じずにはいられない。
出来れば、まだ体力があるであろう若いうちに出産できたらいい。
そのことを考えると、やっぱり就職してすぐ休職なんていうのも不誠実な気がして余計に悩む。
加えて言えば、私の両親は共働きだ。母はどちらかというとキャリアを重視するタイプ。
母は私に就職して欲しいと思っていて、私が彼との悩みを打ち明けようとすると不機嫌になる。
私同様体はさほど強くないのに、仕事をこなし、管理職にもついている母のことは、尊敬しているからこそ、辛い。
でも、いつか結婚するために、そうやって得た仕事を途中手放すのだろうか? 想像すると、私には苦痛だ。
一番困るのは、「じゃあお前はどうしたいんだ」と言われること。
これに関わる活動は、実は就職しなくてもある程度可能だ。
プロフェッショナルとして、給金をもらう形でしようと思うから辛いのであって、他の道はある。
だから、専業主婦になることは、必ずしも夢を諦めることにはならない。
けれども、彼はそれを「自分の為に我慢させようとしている」と取る。
あるいは母は、「きちんとした職についていない」と取る。
私は、そう思わせること自体が苦しい。
実際、両親には学費を出してもらったのに職につかなかった、という自責の念にかられるだろうとも思う。
今指導していただいている先生方も、私を「社会的に役に立つ」人間にしようとしてくれているのに、と思うと、辛い。
きっと、誰かが何らかの形で心的ストレスを抱えることになる。
それだけはどんな道を選んだって間違いはない。
例えば、どこが勤務地なのかギリギリまで分からない、なんていう制度がなくなったらいいのに。
例えば、子供を産んで、ある程度の歳になってからでも、仕事を始めるのが簡単だったらいいのに。
例えば、私が彼に心配されないくらい、強かったらいいのに。
みんなこういう悩みを処理しながら一所懸命生きてるんだろうな、と思う。
決して緊急の問題ではなく、絶望するほど深刻な問題でもない。
私は体が弱いけれど大病を患っているわけではなく、彼の貯金も仕事につくまで二人で数カ月暮らすには十分だ。
もっと厳しい状況にある友人の話を聞くと、こんなことで悩んでいる事自体が申し訳ないような気分にもなる。
彼女が学校で受けた仕打ちというのはセカンドレイプに当たるのだろうか?
助けられるかって言われたら微妙。
だって本当に冤罪かもしれないし、自分が決定的な瞬間を見てない限り
面倒に巻き込まれたくないから見て見ぬフリをすると思う。
だって自分関係ないし。
そういう思考は倫理的には許されないのは分かっているけど
厄介事を避けたいのは誰でも一緒だと思う。
水掛け論になりがちなところに首を突っ込むのは一番面倒。
二人とも自分の知らない他人である以上、信頼に足る要素が無いから直接見ていない限り
どっちかの味方をその場で判断することが出来ない。
公平な目として実験的に行われてる監視カメラを全国的に導入するのが良いのかね。
なんかヒステリックな女性の被害トークは何度か目にした事があったけど
(その時は痴漢が悪いのは分かってるけど被害女性に同情的になれなかった)
この話は淡々と起きている事・彼女の恐怖心・自責の念が読み取れて妙に生々しく感じる。
本当に可哀想だ。
http://anond.hatelabo.jp/20100630232355
お前は何も悪くない。
真面目そうな性格だから気にするなというのは無理かもしれないが、お前が感じている負い目や責任や自責の念は全部社会から押し付けれれたもので、本来お前が感じる必要のないものだ。
そもそも資本主義のルールは「欲しい物は(出来るだけ)武力以外の方法で誰かからか奪う」いうものだが、このルールは金がない奴や勉強が出来ないない奴等には圧倒的に不利だ。だから貧富の格差が拡大すれば、不利なルールで負け続ける事を強いられた奴等がルールを無視し始める。
ところが日本では教育が行き届きすぎているせいで、皆死ぬまでルールに従い続けている・・・。
だが俺達は人間だ、社会の奴隷じゃない。自分を不幸にしかしないルールに従い続ける謂れな無い義務はない。
俺は怠け者で、バカで、思慮が浅く頻繁に人の気持ちを傷つけるし、金もない。
だが人が決めたルールに従って申し訳ない気持ちに成るつもりも、不幸にもなってやらん。
自分が生きていくために人を殺したり、盗を働く必要が有っても、胸を張ってやってやる。
人生浮沈は付きものだから、ヤケになるつもりはないが、自分の生命と、尊厳を守ることは生き物としての当然の権利だ。ネズミが猫に噛み付く事を禁ず法を作るものはいるだろうが、そんな生物の摂理に反した法に誰も従い続けることは出来ない。
目障りと言われたからって俺達が俺達より強いものの為に従順に死んでやる必要はないんだ。
それからスキルや学歴は大体殆どの人間が似たり寄ったりだからあまり気にする必要はない:一見大卒や資格持ちはスキルを持ってそうに思えるが、多くは実はスキルを持っていない。全部ハッタリだ。TOEIC 950前後や基本・応用情報技術者程度の知識量では今時何も出来ない。それに環境が変わると今までの努力が水の泡に成ることはよくある。本当のスキルは身につけるのに10年以上必要だ(一部例外的な人たちはいるが、一万人にひとり以下)。
欝状態が酷い時は:
1)太陽に当たれ。太陽に当たらないとさらに鬱々として来る。タイとか沖縄とか。夜行き倒れてもなかなか死なない所に行ければ良い。
2)今お前の調子が悪いのは、ホルモンその他に寄るものが大きい。時間が経てば治る。悪く考えるな。人間は群れを作る生き物だから、群れの中の順位争が激化し過ぎたりしないように、ストレスを溜め込んだり、負けが込んだ奴はより臆病に、より馬鹿に、より従順に、より肉体的に弱くなるように出来てるんだ(具体的にはテストステロンの減少等)。ストレスレベルを落として運動してれば治る。
3)病院選びは気をつけろ。欝の症状は(2)の様に純粋に脳の化学的状態によって発生するものだから、薬を飲めば大抵直る。だが馬鹿な医者に合わない薬を処方されると廃人に成から気をつけろ。
4)恥を忍んで信頼できる人に病院選びを頼れ。恥ずかしかったり嫌なのはわかるが、失敗すると厄介だ。
さんざん話題になって、いろんな意見が出尽くした感もあるがちょっと書いておきたかったので増田で書く事にした。
「非モテSNS」などの運営会社を経営している永上裕之氏 id:hiroyukiegami がTwitter上でつぶやいた「自殺」に関しての一連のTweet。
とりあえず「自殺=悪」と定義づけている事に真っ先に違和感を覚えた。年間3万人ともいわれ日本が「自殺大国」となっているのは誰でも知っていることであり、身近に自殺を見聞きしたと言う人も少なくないだろう。長引く不況に、スローガンだけを掲げて遅々として進まない政府の自殺対策。3万人の自殺者にはそれぞれ3万人分の「死に至る経緯」があり、「葛藤」があり、そして遺された家族や友人、恋人がいる。
僕は父を自殺でなくした。よくある事業に失敗し資金繰りに困ってというやつだが、事業自体も家族全員が携わっており、従業員も20名ほどいた。父が一代で築いた事業は一時期は羽振りもよく、僕たちも結婚し子供が生まれ、あとは孫の成長を眺めながら余生を過ごしたいと言っていた矢先に経営が傾きはじめた。転げ落ちだすと早いものであれよあれよと言う間に切羽詰まった状況に陥った。もともと資産を持たずに裸一貫で始めた事業故に担保となる資産が無く、最後の取引先銀行との追加融資の交渉が決裂した帰り道、父は涙を浮かべて僕に向かって手を合わせ、「巻き込んでごめんな」と謝った。
2日後に父は命を絶った。「おまえらは心配するな」「儂が全責任を取る」「幕引きは自分でする」といった言葉が父の口から出ていたこともあって、イヤな予感がしていたのは事実だった。父が姿を消して山中で冷たくなって見つかってからは、ショックで倒れ入院した母に変わり、葬儀、押し寄せる債権者との話し合い、弁護士との交渉などで慌ただしく時間がすぎ、嵐のような日々が過ぎた後に初めて父を失った悲しみと、それを予感しながら救えなかった後悔の念が洪水のように胸を苛んだ。
暮らしていた街を離れ、僕たち兄弟と母はそれぞれ違う場所で父の死を引きずりながら、それでもお互い連絡を取り合い励ましあって暮らしていた。5年ほど経ったころ、今度は叔父が亡くなった。叔父は母のすぐ上の兄で、子供が3人おり、長男は僕と同い年と言う事もあり、学生の頃は泊まりがけで遊びに行くほど仲が良かった。しかし長男が高校を卒業し、東京へ就職したが夢破れ実家へ戻った頃から性格が豹変し、家族に暴力を振るうようになった。その話を聞いていた僕は折りにつけ連絡を取ろうと彼に電話をしたのだが全く取り合ってはくれなかった。そうこうするうちに乳ガンを患っていた叔母が他界し、彼の暴力は激しさを増した。周囲の勧めもあり精神科で診察を受けさせたところ「境界性人格障害」と診断された。「自分がこうなったのはお前の教育のせいだ」と日夜、自分の父を責め上げ暴力を振るった結果、叔父は首を吊って命を絶った。その後、従兄弟は入退院を繰り返していた。僕からの連絡を拒む彼に変わって、弟のように可愛がっていた次男と「何かあったら連絡を」「兄貴が落ち着いたらみんなで飯でも喰おうや」と頻繁に電話で話した。次男もいつもと変わらぬ明るい声で応えてくれていた。
叔父が死んでから一年ほどたったある日、長女から電話が入った。「K(次男)が今朝亡くなりました」と。
後で知った話だが叔父の死後、長男の暴力は更に激しさを増し、金の無心もするようになっていた。彼女との結婚を考えていた次男は次第に思い詰めるようになり、「あいつが憎い。全部あいつのせいで人生が、家族がめちゃくちゃになった」と遺書を遺し、マンションの8階から飛び降りた。しかし、その時点で彼は死ななかった。飛び降りたところに駐車していた4輪駆動車の屋根がクッションになり、致命傷にはならなかった。それから(たぶん)折れていたであろう手足を引きずり、現場まで乗ってきたスクーターを運転し近くの踏切で貨物列車に身を投げて死んだ。
通夜には親戚が集まり彼の死を悼んだ。一週間ほど前から行方がわからないという長男は結局、通夜にも葬式にも姿を現さなかった。すでに高齢である他の叔父、叔母はそのことでホッとしていた。親戚の間では長男はすでに「モンスター」のような存在になっていた。人としての形を留めていないお棺の中のKを直視する事が出来ず、まだ幼い頃の面影を残す遺影に向かっていると、頼りにしてもらえなかった悔しさがこみ上げてくると同時に、父の死の時から引きずってきた「人が自ら命を絶つ事」の重さ、今生きている自分にはどうしても理解できないKや叔父や父の、「死に向かって進む気持ち」の強さが重くのしかかってきて、どうにもやりきれない思いだった。
身近な存在を「自殺」という結果で失ったとき、言うまでもなく真っ先に迫りくるのは「悲しみ」である。そして次に僕が強く感じたのは「悔しさ」。決して自殺した相手を「憎む」事は出来なかった。「自殺した人を保護(擁護?)するな」とする永上氏の意見に違和感を覚えるのはそういったことからだ。確かに「自殺」を選択肢にすることは良くない。良くないが「悪」ではない。どこかに「悪」を見いだそうとするなら、それは未然に防げなかった「周囲」や「環境」ということになるだろう。しかし、遺された人々には自ら命を絶った人たちを思うとき、他人にはわからない逝った者の「言葉」や「体温」や「想い出」や「仕草」、ありとあらゆる「目に見えないもの」が遺されている。それを乗り越えて「その死」を咀嚼して受け入れるとき、それを「自らの落ち度=悪」とするのはどだい無理な話だ。そして自責の念というのは生きている以上一生重荷のようについてまわる。
僕は決して「お涙頂戴」でこれを書いたつもりは無い。これまでも周囲にこのことをあまり話せずにいた事も事実だ。もしかしたらそれは無意識に「自責の念=悪い事」と置き換えていたのからかもしれない。しかし「自殺=悪」と定義したところで自殺者が減るとは思わないし、「自殺」というものは「死を持って現状から逃れたい」人の主観が行き着くところまで行き着いた結果でしか無いかな、と今でも思う。そしてそれを止められなかった人は可能な限り考え尽くす事でそれぞれが答えを出していくしか無い。「自殺」という行為を「善悪」という「簡単な基準」で決めつけるのは、あまりにも無責任すぎると、僕は思う。
http://anond.hatelabo.jp/20100509080915
増田に同感。
親といえども手に負えないと思ったら縁を切ってしまえばいいと思う。
僕も実は親とは縁を切った。
50歳にして住宅ローンを組んで家を買ったはいいが、父親の自営業が行き詰まりを見せローンの返済に困るようになった。その頃僕はひとり上京していて欝と闘いながらどうにかこうにか生きていた。傷病手当金でどうにかしのぐ日々が続いていたが、一人部屋が欲しいと駄々をこねていたという自責の念から少々のお金だがローン返済に充てるよう仕送りをしていた。
一方、父親と仲の悪い母親はパチンコで借金を作っていた。携帯に母親からの着信があった場合、それはすべてがお金を貸して欲しいというお願いだった。初めは「これが最後だ!」と言いながらも渋々送金をしていたが、送金の条件としていたパチンコをやめることは全然していない様子だった。弟にもお金をせびっていたらしく、ついに僕は電話口でブチギレた。何と言ったかは覚えていないが、金輪際お前とは関わらんとかそんなことを大声で怒鳴っていたと思う。
そうして母親との縁を切ってから、僕はよく父親と連絡するようになった。単身赴任の多かった父親とは子供の頃から疎遠な関係で正直好きな父親では無かったのだが、いろいろと話を聞くに、パチンコ依存症で浪費していた母親に対していろいろと悩んでいたようで、ああ僕は誤解していたんだなあと同情するまでになった。
そして僕にも婚約者と呼べる人との出会いを経て、結婚しようかという時、当然結婚式費用などの話にもなるのだが、そこで父親は「なんで(お金が無いのに)結婚式なんかあげるんだ。式をあげるなら彼女の方からお金を出してもらえ」とまくし立てた。実はできちゃった結婚で、十分な資金を蓄えていなかった自分が悪い。だが、式の費用は両家で折半し、僕の父親にはその負担分は毎月返済するからと話したのだ。それでも父親は文句を言い続けて、ついに僕も切れてしまった。「もうお前とは縁切りだ!」と。
ごたごたを経て、今は可愛い娘を授かるに至った。孫を親に見せられないというのは意外にも悲しいことだと感じる。特に、嫁さんのほうのご両親が孫を可愛がる様子を見ると、僕がそれを親にしてあげられないのはなんと親不孝なのかと悩むこともある。だが、僕も親も金銭的に問題があり、一方がもう一方に頼れない状況でこうなってしまった。母親と縁を切ったのはいいけど、父親と縁を切ったのはちょっと酷だったかも知れない。
これからどうしようか、まあたまに思い出したときに考えている。
かわいそうなひとだなぁ
とくに、忙しそうな人にさらに突っ込むとよい。
そういう人はすでにヘビーロードにあえいでいて正常な判断能力が
低下しているから仕事を断らないことが多い。
彼らは仕事でミスを発生させている場合もしばしばで、それに対する自責の念からも
往々にしてミスの原因は過負荷だったりするけどね。
でもそんなことこっちが知ったこっちゃない。
一度転んだやつは二度三度転ばされるんだよ。
そうやって相手に無茶振りしておけば仕事はこっちに有利にすすめられる。
リソース配分等を冷静に眺めながら「大変そうだから手伝うよ」みたいな
かわいそうに、きみはまったく逆の立場におかれているみたいだね。
こんどからはまず相手を過負荷に陥らせることを念頭において行動したほうがいいよ。
http://anond.hatelabo.jp/20100302142045
いつも、大変だよね。
お疲れ様。
当の本人がかたくなにそれを拒否してるんだけど。
こういうケースって結構あると思うんだけど、ここに外部から人を入れて必要性を理解してもらうってできないのかな?
そりゃ本人は、他人と会うのなんて面倒くさいし、やめてくれって思うだろうけどさ。
もしも事故があって、お母様が亡くなって、後に残るのは元増田だからね。
その後の自責の念をかんがえたら、出来る限りの手を尽くしておきたいと思うのは当然のことだろう。
この問題は何とか解決したいね。
一人で介護をする重さは、肉体的な辛さだけじゃないんだよね。
一人の命に一人で責任を持つという精神的な辛さが乗っかってくる。
元増田の文章を読んで、考えた。
俺、左目の視力がほとんどないんですよ。生まれつきの白内障とかで。
そうなると、両眼視差を利用した立体映像は楽しめない訳ですよ。一生ね。
うわーん。
で、普段は片目でみるのに慣れてるのでなんとも思わないですが、ふと思い出すんですよ。
小学1年ぐらいのときに眼科にいって医者に言われたんですよ。手術でよくなる可能性もあるけどやってみるかいと。
そしたら母親が間髪いれずにいったんですよ、「いいでしょ、見えなくても」と。で俺は「うん」と。
なんかそれをはっきり覚えていて、うわーそんなこというか、と。でも多分お金の問題だろうなと、
すぐさま察知して瞬間的にあきらめてましたね、俺は。
それを思い出すと、やっぱ母親を責めたくなる気持ちがわきあがるんですよ。いやーな気分が。
でも俺も30歳の完全なおっさんなわけで、母親との関係も悪くなく、蒸し返すつもりは全くない。
でもあのとき母親の気持ちはどんなだったんだろうという興味はある。断腸の思いだったんだろうか。
それともあまりたいした問題とは思ってなかったんだろうか。もしかしたら覚えてないかもなー。
で、なんか自分の子供が心臓病とかの難病で寄付とかを募るニュースがあったりするじゃないですか。
あれ、相当しんどいだろうなと。どうすればいいのかと。諦めれば「自責の念 + 親戚の冷たい目」、
そうじゃなければ、すべてを犠牲にしなければならない。あげく死ぬ死ぬ詐欺とかいわれて。
子供作るのって、本当怖いと思う。
厳密に言うと、元彼女だ。遠距離恋愛だったから、彼女未満だったかも知れない。
当時、わたしは肉体的に悲鳴を上げている状態で、昼夜逆転の様な生活を送る彼女とのメッセやスカイプに付き合うことに耐え切れず、一方的に突き放してしまった。
その翌日、彼女は硫化水素であっけなく自殺した。誰にも迷惑がかからないような場所を選んで、最後に会った人にさえ平然とした姿を見せて。
携帯電話はもちろん、メッセンジャー、スカイプ、わたしとのありとあらゆる連絡手段を断ち切って、(恐らく彼女なりに)最も鮮やかに命を絶ったので、死を知らないままを一週間を過ごした。
一週間後、彼女とわたし、共通の友人から連絡をもらった。
「知っていると思うが、あいつが死んだ」
言うには、その友人と彼女はしばらく絶縁状態にあったらしく、気まぐれに仲直りを思い立ち電話したところ、彼女のお母さんが電話口に出て事実を知ったという。
聞くところによると、既に解約してあった携帯を特別に元通りの状態にして対応していたらしい。
その話を聞いて、最初の一週間は、本当に何事もなかったかのように過ごした。
一週間後、後日弔問で彼女の実家へ向かった。はじめて赴く地だったので、不謹慎と言われようが、半分観光気分だったことは間違いない。
到着し、お線香を上げ、ご両親との会話をしている間は、はっきり言えば何も感じていなかったと思う。
けれど、晩酌に付き合って欲しいということで、ワインやらウイスキーやらを傾けているうちに、涙があふれて止まらなくなった。
罪悪感、怒り、自責の念、悲しみ、恨み、諦観、上げれば切りがないほどの感情があふれ出るとは、自分でも思っていなかった。
彼女の死と、自分が誰かの為に本当に泣けるような人間だということ、その二つが、心の堰を破ったのだと、今なら分かる。
それからは、もうダメだった。彼女がいないことのあまりの虚無感に内側から『何か』が穴をこじ開けるような感覚に襲われ、一週間で眠れたのが数時間、という有様だった。
しかも起きている間は延々と彼女のことを思考するばかり。まさに拷問じみていて、生き汚い自分が、はじめて『死ねば楽になる』という考え方を理解した。
勝手に神様を信じたがるし、自分が殺したという罪の意識は膨らむばかり。死別に関する記事を片っ端から調べたり、彼女がネット上で活動していた残滓をなくならぬうちにかき集めたり、
そんなことしかできなかった。
でも、一ヶ月が経って、こんな記事を増田に垂れ流すぐらいには回復してしまった。早々にギブアップして医者に薬を処方してもらったというのも大きいが、
根本的には、気付いたことが二つあったから。
一つは、友達なんていない、孤独だ、と思っていた自分にも、支えてくれる仲間はいくらでもいて、みんな優しいということ。
一つは、彼女が好きだった自分は、幸せにならなくてはならない、ということだ。
ここまで書いて、こんな陳腐なまとめ方というのもいかにも三流だが、これは本当のことについて喋ったことだ。うそつきの自分が、一つのうそもつかないほど、大切なことだ。
わたしは、彼女を絶対に許さない。けれど、今でも愛している。これは、本当のことだ。