はてなキーワード: 自由研究とは
増田は実際そういう目にあった人なのですが、別に感想文だけに限ったことじゃなくて、
自由研究で好きなことがんばってやったら、まわりの適当さの中でめちゃめちゃ浮きまくり、
教師に「こんな研究ばかりやってないで遊びなさい」とおこられたりとか、
力が入った工作を「親に手伝ってもらったに決まってる」と非難されたりとか、
枚挙に暇がないですよ。
だから、教師の望む成果物を作る練習をするのが夏休みの宿題だと思ってたし、思ってる。
違うこともあるんだーとびっくりしているよ。
覚えている限りの時間の流れの中から、世の中に存在するコンテンツを分けてみるテストです。
パソコンが外につながっていることが珍しかった時代。新大陸が見つかった状態。新し物好きかつパソコン好きが移民していった。パソコン通信くらいしか商売になっていなかった。作る人と使う人がイコールだった。何かをするにはコマンドを打つ必要があった。
最初は、学者さんの論文の発表やストックするのに使われていた。
イギリスのホストにつないでmozaicでなんて時代には、論文の延長のノリで研究室のメンバーの自己紹介ってのがあった。実は、実名うんぬんってのは、一番最初にやっていた。
ここで、実名を名乗るのかペンネームを名乗るのかの分かれ道。すでに実社会でしっかりと活動している人は、実名でやっていただろうし、ひとりで楽しむような趣味の人や背徳感がある人はペンネームやハンドルネームになったんだろう。
全国の日帰り温泉のまとめのような個人が足で調べた価値の高い情報が高い確率で存在した。
まめな人は自己紹介のついでに日記を書いていた。当時はコンテンツマネージメントシステムは一般に普及していなかったので、htmlを手打ちして、ftpコマンドで送信。量が増えると大変だった。メールをみるときはなんちゃらtermというソフトでコマンドを打ちながら見ていた。
デジカメが普及するまでは、写真を取り込んだりイラストを取り込んだりするのは、お金がかかることだった。まして、高価なグラフィックソフトなど夢のまた夢。デジカメが普及したあとは当たり前になった。
取り込むためには専用の拡張ボードが必要だった。カメラも高価だったし。2GBの壁があって、長い動画は編集できなかった。高画質な動画に仕上げるためには職人芸が必須だった。大容量の動画をあげるサーバーはほとんどなかった。
音楽を作る人は、midiの配布していた。有名な曲のコピーが多かったので、大人の事情でほとんど閉鎖。
無料のホームページとセットのような感じ普及。ホームページ自体散発的なもので、同じ趣味趣向の人たちで同盟とか組んでいたよね。
大量に生成されるコンテンツは個人の手を離れていった。新大陸はいくつかの勢力に分かれて群雄割拠の状態。広告枠として大きなお金が動くようになった。作る人と使う人が区別されるようになった。グラフィカルユーザーインターフェイス(GUI)が、あたりまえになり、コマンドを打つ必要はなくなった。
地図が見れるようになった。パソコンにインストールしていた時刻表やルート検索がwebになった。
コンテンツマネージメントシステムが無料開放された。htmlの作成もftpも必要なくなり、気持ちや感情の発露のみを文章や写真にすればよくなった。改行を大量に挿入してスクロールバーを有効にして、文章を読むためにマウスのホイールをまわして文章を読むときに指の動きを加えて、読んだ感を高める手法が流行る。
会員制の閉じたサービスが登場する。内容は日記、掲示板と基本は同じだが、個人が設定する必要はない。テクニカルな要素がなくなったので、気持ちや感情の発露のみを文章や写真にすればよくなった。携帯電話からコンテンツを作る文化の先駆者ともいえる。携帯しか使わないユーザー層があらわれる。
写真のアップロードも無制限になった。デジカメの画質が上がってもリサイズする必要もなくなった。
動画を受け止めてくれるサーバーも増えた。ブログやSNSのおまけ的存在だったが、Youtubeの登場で無差別級のサービスになった。カメラで撮影した時点で、パソコン用のファイルになっているのも参入障壁を下げた。
たとえば、全国の飲食店をすべて載せるとかそこに感想や評価を付けるようなサイト。個人が手弁当でまとめていた情報を商売にする会社があらわれた。
感情の発露がリアルタイムになる。「つぶやき」という概念が生まれた。新大陸を制覇しようとする勢力の攻勢が高まる。作る人と使う人に加えて踊らされる人が登場した。「更新されたよ」ボタンをクリックするだけで、ダラ見ができるコンテンツが優勢となる気配。
ゲームとかやることが多くなりすぎた。
発展期に登場した便利サービスの中で脱落するサービスがあらわれ始めた。
大きな掲示板のスレッドには、約1000個の書き込みがある。その中から文章を選んでコンテンツを作る手法。新聞の読者投書欄のように投書されたご意見の中から好きな意見を載せることができる。文章ロンダリングやソースロンダリングという言葉が生まれた。
コンテンツの提供形式として、素人作成風味の味付けをする企業・組織があらわれた。個人が大きくなったのかもしれないし、何者かに組織されたのかもしれない。この手の人たちは頼んでもいないのにどんどんコンテンツを作る。
midiサイトに対する警告に比べると2次元コンテンツはゆるい。コンテンツホルダーの手が回らないくらいにあふれいるのか、あえてあふれさせているのかはわからない。黎明期ならばまつりになっているような内容のものがあふれいる。包括的に権利処理されているのかもしれない。
趣味じゃなくて仕事の人が増えたのだろうか。仕事でwebに出るといっても会社の看板を背負うと個人ではなかなか発言できないはずなんだけど。よくわからない。
以前思いついて長らく脳の片隅に押し込めてきた妄想が昨夜旧友と深酒した明けに頭をもたげたので勢いで書き逃げる。
キモオタ発想とオヤジギャグの混合物で、一般受けする要素はもちろんのこと何らかの意義・意味も一切ない。受ける層がないような気もする。
筆者は化粧の経験も美容の知識もない。ついでにUnixとか画像処理についても素人。
一言で書くと「*nixのmakeコマンドのノリで、メイクアップのイメージを生成・出力するジョークソフト」。
イメージに直接塗ったり盛ったりするソフトはあるのかも。でもそれはWYSIWYGなのでCUIで。
みたいなフォーマットでmakefileを書いて、すっぴん顔のイメージを用意して「make」すると顔がどんどんメイクアップされていくという感じ。
あえてプロセスにちょっとディレイ入れてだんだんとイメージがメイクアップされていく様を見るのは楽しい(筆者が)。
メイクアップコマンドはアクション名でもよくて「make dohade」でごってごてになるような指定とか「make clean」ですっぴんだけ残して消去するような指定をする。
実装難しそう。顔そのものの自動認識はできても、目元やら唇を自動判別してそこに適切なメイクアップ効果を重ねるのは…。
画像処理でパターン認識やってる学生さんは現実逃避の自由研究にぜひ。
ある程度テンプレート決め打ちだとまだやりやすいか。実写か二次元だとどっちがいいんだろう。
ひょっとしたら各メイクアップコマンドを適切に設計して作ればmakeコマンド自体のようなものは再発明しなくてもいいような気がした。どっちが楽かという話はある。
「自由研究」とはその名が示すとおり好きなテーマを選んで研究をすればよいのであるが、
いくつかの暗黙のルールがないわけでもない。
それは小学校を卒業すればわかるような類のものばかりなのではあるが、
あいにくと自由研究とは小学生に課される課題なのである。
そこで、せっかくの自由研究シーズンが到来したことであるし、ここはひとつ
「自由研究における暗黙のルール」について書いておきたいと思う。
この文章を読んでいる小学生がはたして何人いるのかは知らないけれど(たぶん一人もいないけど)、
小学生の子どもを持つ親御さんには少しぐらい参考になるだろう。
まず、自由研究が夏休みに課される課題であることに着目したい。
なぜ、平時の課題ではなく夏休みを選んで出されるのか。
これは、夏休みにおける小学生はヒマだという前提があり、
ヒマだからきっと多くの時間を研究に割くだろうということを期待されているのだろう。
少なくとも、二秒で飽きるようなテーマを選んではいけない。
ルール1…研究にはある程度時間をかける
良い例「アサガオの観察」
悪い例「輪ゴムの観察」
もっとも、単に時間をかければよいというわけではない。
やたらと時間のかかる分不相応なテーマは避けるべきであろう。
自分が小学生であることを忘れてはいけない。
簡単すぎる研究は良くないが、難解すぎる研究もあまり歓迎されないものなのである。
ルール2…小学生らしい研究であること
良い例「アサガオの観察」
悪い例「非イオン性ノニオン活面活性剤の分子構造の観察」
簡単すぎず、難解すぎず、ちょうどよい加減というものがある。
そういうバランスを考えるのが大切なのである。
できれば、日常のちょっとした疑問や興味を研究テーマにするのがよい。
あまりにも日常と乖離した研究は、少なくとも小学校の先生には
受けが悪いのではないかと思うのである。
もっとも、日常と密着しすぎた身近すぎる題材を選ぶのも考えものだ。
ルール3…身内の恥をさらさないこと
良い例「アサガオの観察」
悪い例「母の脱毛の観察」
笑いはとれるかもしれないが、両親の目が三角になるのを見たくはないだろう。
やはり、あまり自分に近すぎるのはよくない。
研究テーマと自分との間にはある程度の距離感があることも大事である。
やはり家族のことは自分に近すぎるし、書くことはやめたほうがよい。
だからといって、家族以外ならいいというわけではない。
ルール4…公序良俗に反しないこと
良い例「アサガオの観察」
悪い例「となりのお姉さんの観察」
「ストーカー規制法」というものを知っているだろうか。
自由研究だから、小学生だからといって何でも許されると思ったら大間違いだ。
お母さんに盗聴器やピンホールカメラをねだったりしないように。
お母さんは「勉強に使うから」という子どもの言葉に騙されないように。
だいぶ長くなってきたので、このあたりで最後にしようと思う。
最後に最も重要なルールを書いておこう。
自由研究の最大の目的は何かといえば、少なくとも優れた研究成果を出すことではないと思う。
おそらくは「何かやり遂げる」という教育的効果を狙って出される課題ではないかと思うのである。
したがって、途中で投げ出すのはよくない。
きちんと夏休み中に自分の始めた研究をやり終えなければならないのである。
ルール5…完結させること
良い例「アサガオの観察」
悪い例「アサガオの観察(序章)」
http://anond.hatelabo.jp/20080824041507
「課題は自由です」「方法は自由です」
こんなんが自分は大の得意だった。
周囲の生徒が目標さえ決められずダラダラグズグズしている間、ウキウキしながら考え、実行してた。
残念ながら「時間は自由です」がないのが玉に瑕だったけど。
何を書いてもいい、画材も好きに選べる
どの本を選んで感想を書いてもいい。
…そう聞くだけで、考えるだけでワクワクしたものです。
勿論、評価されるのは教師が望んだ課題で、望んだ回答を書くような生徒だったけど、
別にそんなのどーでもよかった。
学級委員長やるような生徒ではなかったし。
(私たちの世代は学級委員長=先生の気に入るように要領良くやれる生徒だった)
授業だ勉強だといいつつ、実質好きな事を好きな方法でやりゃいんだから。
今思えば、あれは「社会に出るまでの人格形成」だったんだと思う。
先生に気に入るように模範的な方法を選べる人間。---キャリア組
自分で判断し、自分で上を目指せる人間。-----------技術畑
誰かに指示されなければ何もできない人間。---------電話番、お茶汲的事務。機嫌伺の営業。
花丸をもらえる=社会的に認められる人間は、上から順に容易い。
白を黒を言わない技術者は模範的な会社忠誠人間には適わないし、
ただ、これは「適材適所」であり、「誰かに指示されなければ何もできない」人間だって、社会には必要だ。
だから、先生は点数をつけちゃいけない。
評価や優劣はつけるべきだが、それを点数にしてはいけない。
自分もたった一度だけ、「読書感想文」に「X」をつけられた事があった。
赤字で「この作品の感想を書くべき部分はそこではありません」とあった。
「感想をかくべき部分」の「感想」なんて、他にゴマンと書く人間がいるじゃないか。
それを分かっていて、自分は形式ばった部分よりも、別の所に注目して感想を書いていた。
丁度、小学校の六年生だった。
私は
「音楽という、感性を試される授業をメインで受け持っているくせに、馬鹿だなぁ
感想に○も×もないって。テストじゃないっつーの。だから女はダメだな」
などと、思い切り偏見を持った。
別に音楽をやってるからって感性関係ないし、ましてや女性は無関係だ。
とはいえ、「読書感想文に×をつけるような教師」=「女性」という経験と記憶は消えない。
「なんで先生は自分は○になるように導いてくれないんだ。」
と、先生を恨む方に傾いたに違いない。
そして、そこからの人生はキャリア組か、「模範人間」か「指示される人間」あるいは、どちらにもなれなくて他者を恨むだけの人間になってたかもしれない。
小??中学年までは、教師という職業に、ものすごく大切な物が求められると思う。
そして、その評価をするのは、まともに自分の気持ちや意見をまとめられない子供だ。
勿論教師だけの問題じゃないけれど、
もっともっと、教師は、子供の自由性と自発性を高めるように行動できる人間になるべきだ。
少なくとも、幼年期や低学年の教師はテストの結果で決められる物ではない。
一時期から以前よりもそういう「自由や自発性」を重視する授業を取り入れることが多くなったけど、
まずは教師の意識改革が必要だよね。
多分彼らも
「どうやっていいのか、先生は教えてくれなかった。
どうやれば生徒やその親から○がもらえるのか?」
って思ってるに違いないから。
年収200万円台で結婚するという現実 - 今日の個人的なブレイク&おもしろ
ここらへんをぼんやり眺めていて自分語りをちょっとしてみたくなってきたので書いてみる。ちょっと特殊な例だと思うし参考にしてくれる人がもしかしたらいるかなぁという期待を込めて。たぶんこういうことを書くのは最初で最後。特殊な例ゆえ個人特定できる人もいるかもしれませんが、そこはかとなく生暖かく見守ってばらしたりしないでやってください。お願いします。
まぁいわゆるデキ婚なわけですが、ちょっと普通のデキ婚と違ったのは自分自身が子供が生まれても尚まだ法的に結婚できない年齢である17歳だったところでした。子供が出来たころは一応自分は高校生をやっていて(学年的には2年生)、相手は普通に結婚できる年齢の年上でした。まぁ客観的にみると完全にDQNですよねw。いや実際DQNだったんだと思いますが。18歳になったら結婚しようと思っていたのだけれども私の両親から猛反対をうけていたので(子どもを産むこと自体ね)それはかないませんでした。
あと、なんで子供産んでもらうことにしたのという問いは私には愚問なのですよね。個人思想的には中絶反対派なんだと思う。社会的にそうあるべきとまでは思っていないけれども。
収入は高校生の身で当然0だったので子供が出来たことが分かってすぐにバイト先を探して働き始めました。たしか最初のバイトは時給1200円だったんじゃないかな。フルタイムで働いていたけど月収にして20万にも満たない。ボーナスなんかもバイトなので当然なくて年収でいうと200万ぐらいになると思う。ちなみに彼女は結構稼いでるほうだったのですが出産に向けてだんだんと仕事を減らしていくという感じでした。
出産前からわかっていたのだけど、男の子二人の双子でした。出産時の経済的負担は正直しんどかったです。切迫流産の可能性があって彼女は3か月ぐらい入院してしまったのでその入院費用が実際問題払えなかった(30-40万ぐらいじゃなかったかな)。なので彼女の両親から援助をしてもらいました。本当に感謝しています。出産時の費用は双子ということもあり帝王切開だったので保険が効いてなんとか自分で払えました。出産一時金も二人分もらえましたしね。
出産前後から2-3社の転職を繰り返し、正社員にもなり年収でいうと400万弱ぐらいまでに、子供が生まれて半年ぐらいのころにはなってました。そのころにはそんなに経済的に本当に厳しいという感じはしていなかったと思います。が、200万の収入のままだったらどうだったんだろうと思うとちょっと空恐ろしいです。17,8の若造にそれだけの給料を払ってくれていた当時の会社には感謝したいですね。
今現在子供は7歳で小学二年生です。夏休みの自由研究をまだ終わらせていないので、なんとかサポートしてやらないとなぁなんて考える毎日を送っています。ちなみに20歳の誕生日に彼女とは籍を入れたのですが2年弱で離婚(ここはあまり突っ込んでくれるな><)。今は私と子供二人の三人で暮らしています。児童手当と児童育成手当をもらっているのですが児童扶養手当が母子家庭のみ対象なのがなんだかなぁという感じです(いやたぶん所得制限にはひっかかるのですが)。所得制限してるんだから母だろうか父だろうが関係ないだろうと思うのですよねぇ。男性差別なんていってみたり。
別に何がいいたいってことはないんだ。何かを主張したいわけでもない。ただ自分はこうだったよってことを軽く書いてみただけ。未成年の子作りを肯定しているわけでも、200万収入での子作りを肯定しているわけでもないです。ただ、同じような状況にたつことがもしあったときこんなことを書いているやつがいたなぁとちょっと思い出してもらえればそれでいいのです。それだけです。
あ、子供はかわいいですよ。
id:tokoroten999 子供がその年齢でよく親権取れましたね、とマジレス
ん。争いが無かったからですよ。
誰にも気にされてないのに17歳以前のことも書いてみた。
Googleストリートビューが今いろいろな意味で話題になっているが、
日本のロケーションビューという会社も同じようなことをやっているのはご存知だろうか?
Googleストリートビューが話題になり、ひさしぶりにロケーションビューを見てみのだが、
夏休み企画として、「たった一日でできちゃう!夏休み自由研究inロケーションビュー」というコンテンツができていた。
http://www.locaview.com/top/event/20080806.htm
この中の「決戦!姫路城 お城の弱点を探して攻め込め」は表現的にいかがなものかと。
つまり、「このサービスは、不動産の弱点を探すのに恰好なサービスですよ!」と制作会社が自ら言っているのだ。
ファッションチェックも表現としてギリギリな感はある。
ちなみにロケーションビューには、Googleストリートビューとの比較表も掲載されていることから、
7月28日 学校がおわりました。きょうからなつやすみです。あさがおをうえました。
8月6日 きょうははとうこう日です。学校でもくとうしました。あさがおに水をやりました。
8月12日 いつのまにかめがでて、はちにつるがまきついていたのでびっくりしました。きょうもあさがおに水をやりました。
8月16日 花がさきました。きれいだとおもいました。また水をやりました。
8月28日 たねがとれました。もっとたねがとれるように水をやりました。
さあさあ、増田諸君、これを参考にして夏の自由研究を終わらせてくれたまえ。(ちなみに日付は全部適当だから。種を植えて何日で発芽するかさえ覚えてないから。全部適当だから。うん。)