はてなキーワード: 能力主義とは
「機会平等」と「結果平等」という言葉があるが、日本人(特に教師)は「子供のうちなら結果平等が実現するはず」という幻想を持っている。
しかし子供こそ「むきだしにされた素養の塊」であり、大人同様に平等とはほど遠い。
子供の結果平等に夢を見ている教師や社会は、出来過ぎてクラスで浮いてしまう「浮きこぼれ」の存在を憎む。
浮きこぼれそうな子供たちは、その憎しみを受けないために、"普通の子"のふりをして埋没しながら義務教育期間を過ごす。
今の世の中で力を握っているのは元浮きこぼれや、普通の子に擬態していた子供が成長した大人たちだ。
能力主義、成果主義、見える化、リストラといった流れは、子供時代に不遇だった元浮きこぼれたちの「無能な多数派への復讐」なのではないか。
彼らはおのれの能力によって勝ち取ったものを絶対に他人にシェアしない。「天賦の才」を、自分のためにしか使わないのだ。
なぜ自分が選ばれ、才を与えられたのか、彼らは考えず、感謝も求めず、ただただ人生というゲームで無双プレイを楽しみ、憂さ晴らしをし続ける。
彼らが大衆を憎むのは、子供の頃に教師や社会によってされたことへの復讐だ。
※ここでいう純粋反差別主義者というのはあくまで理論的な話であり、現実的にこういう人がいるという話ではありません。
反差別主義者は、己の理想が本当に現実になることを望んでいるかかなり疑問になることがある。
例えば最近話題になったwakabafukudaさんは、すべての発言が「ヒャッハー!汚物は消毒だー!」にしか聞こえない。
おそらく「言葉遊びとして」程度にしか差別というものを理解していないからああいうモヒカンのような雑魚っぽい発言しかできないのだろう。
よろしい、あなたの望みがかなってあらゆる差別がなくなったとしよう。
それをわかりやすく描いているのは北斗の拳とドラゴンボール(フリーザ編)である。
他のあらゆる言い訳は存在しない。あらゆる保護(=優遇)は考慮されない。男と女の差すら容認しない。役割分担を考慮することもない。
北斗の拳のように全体の資源が少なければ、焦点は資源の奪い合いになる。力のあるものが力の弱いものから略奪する世界になる。
ドラゴンボールのように、高度に科学が発達し、エネルギー問題が解決され、食糧や住居はおろか、労働力さえサイバイマンという形で供給されるならば、焦点は尊厳の奪い合いになる。
そこで生き残れるのは覇王か、エリート戦闘民族だけである。彼らがすべてを決める。
能力の中途半端な人間は、せいぜい覇王や聖帝の下でヘコヘコしながら、より弱いものを虐待しておこぼれに預かるしかない。
トップの人間以外にとっては、もはや今の日本にあるような自由は存在しない。
まして、ドラゴンボールの世界観であれば、役に立たない人間はそもそも不要だ。だから、資源がないなら星ごと潰されても文句が言えない。
本当にあらゆる差別に反対し、ひまにあかせて言葉遊びに興じ、どんな些細なことにでも絡んでいく暇な人は、北斗の拳の世界観を望んでいることになる。
私のように能力に絶対的な自信がなく、しかし一定の自由は欲しいという人間は、北斗の拳の世界よりは今のほうがまだましかなぁ、と思っているのだけれど
それでも彼らは「間違った自由などいらない」「どんなに間違ってても今の社会をみとめるよりはまし」といってはばからない。
どれほど現実に絶望したらこんな投げやりで思考停止した言動ができるのであろうか。
そして、そんなに現実いやなら一人で死ねばいいのに、そうはしない。
真摯に人間の平等を願うならまず宗教の1つも学んでみるものだ。神のもとの平等という概念に興味くらいは持つはずだ。でもそうはしない。
なぜなら、彼らは現実に絶望なんてしてないからだ。そういうポーズを取りたいだけだ。
絶対に自分を否定したくない。世界が間違っていると信じてやまない。
そんなに自分が好きならもっと努力して自分の望みを自分で叶えてみろと思うけれど、それもしない。
世界が間違っているのだからと、自分はふんぞり返って世界からの謝罪を求めるだけ。世界を断罪するだけ。
しかもその基準を学びもしない。 自分の価値観を万能なものとして振る舞うだけ。
ガキか。
ガキです。
幼稚園児だったらそういうおままごとをしてる姿も微笑ましいかもしれない。
でも、そういうのは一人でやってほしいし、大人になったらやめて欲しい。
激しく!もっと激しく!
肉と肉がとろけ合うまで交わり続けろ!
いづれは学校中の生徒も参加させてやる!善人顔した教師達もだ!
学校中の女達の穴という穴すべてに精液を流し込んでやる!
校長も教頭も皆、家畜の様によがらせて、可愛い教え子達の膣にペニスをぶちこむのさ!
学校の次はこの町、全てを巻き込んでやる!
ただすれ違っただけの見ず知らずの奴ら同士を、いきなりセックスさせてやる!
例えそれが親子であろうと!兄弟であろうと!
女同士であろうと!男同士だろうと!
全員残らず、性器を結合させて、愛液と精液にまみれさせてやる!
どいつもこいつもセックスさせてやる!
膣やペニスがすりきれて、血まみれになっても腰を振り続けさせてやる!
血と精液と愛液にまみれながら、喉が渇けばそれをすすらせ、
腹が減ったら互いの肉を噛み千切らせる!
セックスだ!セックス!セックス!セックス!セックス!セックス!セックス!
純粋反差別をとなえられるくらい十分に頭の悪い人の求めている世界ってこういうことだと思うんよ。
で、奴隷に対して自分のコンプレックスをぶつけてカタルシスを得たい。
中二病ってある程度知性がないと自分がヒーローになれる設定とかストーリー作れないんでこの人達には無理です。
だから一番原始的な欲求に忠実に従うとこういう単純な妄想になるんですよね。
中学生の頃にはよくある妄想です。まぁできれば高校生のあたりで卒業していただきたい幼稚な発想ですね。
wakabafukudaさんを見てると、「中学生日記」を読んでるようで微笑ましいです。
2chガイドライン板の「若者の○○離れのガイドライン」に、大学教育と就職に関することが指摘されていた。
大して目新しいことではないが、場所が意外だったのと、そこそこ読みやすかったので、まとめてみる。
372 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/05/31(月) 20:13:17 ID:nqOUi44i0
373 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/05/31(月) 22:01:49 ID:ggoo019x0
大多数の人間にとっては、離れた方がいいものばかりじゃないか
378 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/01(火) 02:21:26 ID:haeumQqO0 (2)
380 名前:水先案名無い人 []: 2010/06/01(火) 06:41:15 ID:pAI7wOsu0
「年功序列」を追い求める新社会人たち。若者の「能力主義」離れが進む
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1275335068/
381 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/01(火) 07:40:51 ID:xPkUMXnw0
高校卒業者の50%以上が大学に進学する時代に、就職予備校になるなという考えの方が無茶だよ。
それに研究者になる人間なんて一握りなんだから、大学院の枠を拡大しても何の意味もないだろ。
大学院で、実社会に出る人間に役立つ教育ができる分野や、それが可能な大学組織なんてわずかなんだかから。
単純に院生の枠だけ増やさせた文部科学省と、教育内容を充実させられない大学側が悪い。
需要もないのに勝手に枠を広げて埋まらないから文句いってるだけだ。取り合う必要なし。
382 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/01(火) 08:27:27 ID:haeumQqO0 (2)
大学2年から活動が始まる現状は異常といわざるをえない
383 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/01(火) 08:29:46 ID:prYMDs0x0
売り手市場買い手市場の違いはあっても、バブルのころは青田刈りなどといって
やはり早過ぎる就職活動が問題視されていた。
384 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/01(火) 14:07:29 ID:sYpYdyT40
若者どころか全体の教養が下がってることの証明で、経験と慣習で動いてる
385 名前:水先案名無い人 []: 2010/06/01(火) 14:14:38 ID:xwGPmhSu0 (4)
386 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/01(火) 14:36:22 ID:ER64yujmP (2)
最近院卒を雇ってすぐクビにする企業が増えたってスレがあったな
どこの板だったか忘れたけど
387 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/01(火) 19:33:03 ID:7ywFNAMj0
高卒でもできる仕事を大卒がやってたら、大学4年分の授業料が無駄になるし、
その4年間に働いていたはずの分の給料と仕事の経験が失われたことになる。
【橋下知事に直言】(上)「政治手法は『いじめ型』」 神戸女学院大教授、内田樹さん
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100204/lcl1002040807000-n1.htm
「学力」のとらえ方を間違えている。学力は文字通り「学ぶ力」であり、学びへの欲求が活発に動いているかどうか。テストの点はその一部にすぎない。
確かに良い事を言っているように聞こえるが、これは昔からよくあるインテリのごまかしである。学力がテストの点数だけでは測れないにしても、それと「テストで点数を取れなくても良い」というのでは話が別だ。
日本の現状を見てみよう。「テストの点数では測れない学ぶ力」がどれだけ進学に影響を与えているのか。最近ではAOなども増えてきたとはいえ、依然大多数のテストではその点数により選抜が行われている。そして、こうした競争を勝ち抜いた者たちの多くが、難関国家試験に合格したり一流企業に就職したりして高給を得ている一方で、偏差値の低い大学に進学した者はFランと馬鹿にされ、中学、高校までしか出ていない者は中卒、高卒としてバカにされる。「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言った福沢諭吉の時代と同様、現代もテストによって評価される学力によってその本人の地位が規定されている。
「学ぶ力」が本来の学力ならば、「自主的に学ぶ姿勢」を重視した総合的な学習の時間がなぜ問題となったのか。それは日本人が「学ぶ力」の重要さを頭では知りながら、本当のところは豊かな生活をしたければ「テストで測られる点数」がなければどうしようもないということを理解しているからである。
すぐに数値で成果を求める姿勢は、ひと昔前に流行った成果主義、能力主義的発想であり、知事自身の成功体験から導かれたものだろうが、成功体験に固執すると他のさまざまな教育実践の方法に対して非寛容になる。いろんなタイプの子供がいて、いろんな能力の発現の仕方があるということを認識する必要がある。
こうしたタテマエが教育現場でまかり通り、社会の現状とはとかけ離れている状態こそが、橋下知事の指摘している問題なのではないか。
西洋における平等の概念は、決して「あらゆる人間は平等だ」という認識に立つのではない。人間は肉体的な条件はもとより、知能的にも情操的にも一人一人が違うのだし、それはごく当然のことである。こうした彼らにとっての平等とは「機会の平等」に他ならない。だからその平等は「優勝劣敗」という厳しい現実を前提としている。
ドイツでは比較的早い段階で進路が決定し、(いわゆる)勉強の得意なものはギムナジウムへ、不得意なものは専門学校へと進学する。そして自らの専門をじっくりと勉強し、自分の得意なことを身につけ、優勝劣敗の社会の中で生き残るためのスキルを身につけている。ドイツでマイスターが称賛される事情の裏には、こうした機会の平等に基づく優勝劣敗の原則と、そうした競争の中で名を上げてきた者に対する尊敬があるのである。
日本人はこうした教育制度を見て「一度落ちこぼれたら二度と戻って来られない制度」だと批難するが、本当にそうだろうか。社会の流動性が高く「一億総中流」と言われた時代は今は昔。所得格差は広がる一方で、政治家も二世三世が当たり前だし、医者の息子が病院を引き継ぐという話も珍しくない。このような状況で公教育が
という考えに走ったらどうなるか。金持ちは自費で子供により一層の勉強をさせ進学の機会を拡大させる一方で、経済的に苦しい家庭の子どもたちは、例え才能を持っていたとしても一生進学することはできなくなる。すると社会の流動性はより一層失われ、より一層の社会的格差を生む事になる。これこそ機会の平等の損失であり、本来的意味での不平等である。
現代の日本では、教育現場でタテマエとして身分も職業も超えた無差別平等が成立している。それにより全ての者が平等という原点からスタートし、努力さえすれば受験という競争を好成績で突破することが出来るようになっているという。すなわち「みんな平等なのだから受験勉強が出来無いヤツは努力が足りないだけなのだ」ということである。
ところが、現実には優勝劣敗という厳しい結果が待ち受けている。環境的にも肉体的にも異なったものを持って生まれてきた我々に、個人差がないはずはないからだ。そこで、タテマエとは逆に自由競争であるはずの受験に敗れたものは劣等者と見られ、その人たちは一段低く見られることになる。
そしてそれがまた、競争の激化を生む。こうして優越者たるインテリは現状を変える事なく偽善的に「競争」を批難し、劣等者は「平等」という正義の仮面を被ってお互いの足を引っ張りあう。ネットでは自分の方が多少でも有能であるということを確信したいばかりに、他人をFランとバカにし、こき下ろす。
色々なタイプの子供がいて、色々な能力の発現の仕方があるのならば、なぜ勉強の出来る子はもっと勉強をさせ、勉強の苦手な子供からは別の才能を伸ばしてあげるという教育が出来無いのだろうか。その為には、子どもたちを「みんな平等」だから「やればできる」と誤魔化し続けた挙句、就職活動で無残に放り出すのではなく、早い内から自分の才能を確認出来る場を与えることが必要なのではないか。その意味では、橋下が教育に対して言っていることは少なくとも評価出来ると思う。
しかし、内田さんがなぜ「いろんなタイプの子供」や「いろんな能力の発現の仕方」を認める一方で「学問に携わる」という能力だけは認ないのか、謎である。なるほど、全ての人間には等しく教育を受ける権利がある。しかし、義務教育を負えてもなお、大学まで行かなければ一国民としてきちんとした教育が受けられないというのであれば、それは教育制度の欠陥でしかない。中学や高校を卒業した後、専門知識をじっくりと習得していれば世界的なレベルになっていてもおかしくない若者たちの未来を、グダクダと学校に拘束し続けることで奪っているのである。「大学全入時代」が持つことの意味を、もう一度考えた方がいいのかもしれない。
今の若者はゆとりで保守主義だから、終身雇用、年功序列を望んでいる
じゃあ、誰が言ってるかというと、新卒で入れなくて、20代の若者と同じ賃金で働かされている30代の氷河期世代
この世代は団塊ジュニアで、能力主義を夢見て転職を繰り返してきた世代だけど、そろそろ年齢的に雇用が危なくなってきたので、落ち着いた椅子がほしい
新卒主義・年功賃金・解雇規制とかのせいで中高年から搾取されてるから待遇が悪いとか言う人をよく見かけるけど、それらのないアメリカとかの多くの外国でも若者のほうが失業率が高く平均賃金が低いという現実はどう見てるんだろうか。肉体労働とかスポーツ選手でもないなら経験が少ない分若者のほうが能力低いのは当たり前のはず。何でこんな単純なことに気づかないんだろうか。俺様は有能だ、馬鹿な上司共のせいでひどい目にあってると信じたい、自分の無能さから目を背けたいってことなんだろうかね。
新卒主義やめても経験者の多い中高年のほうがますます有利になるし、年功賃金でなく能力主義で決めても中高年のほうが能力高いなら結局似たような賃金カーブになるはず。それどころか教育コストを考えればもっと若者の賃金が低くなってもおかしくない。解雇規制を緩めて労働市場の流動性を高めれば当然転職の確率は高まるので、若者を雇って教育した場合に将来のリターンを得る確率も下がるので、ますます若者を雇うインセンティブが下がるだろう。なのになぜか解雇規制緩和を唱え、新卒主義批判をする若者をネットでよく見かける気がする。ネットだから年齢はわからんから実際はおっさんがやってるのかもしれないし、ただのナルシストなのかもしれない。
disるわけじゃないけどさ。
WEBの仕事に関わる人って、自分のキャリアとか心配にならないのかな。
現場ではどんな仕事内容を、どんなレベルで行っているのか実情を知らないで書いているのだが
ディレクタだのデザイナだの、言葉は悪いけど誰でもなれそう(参入障壁低そう)。
はてブではWEB関連技術の注目度が高いことから、人口は多そう。
(ここ10年で盛り上がってきた業界だから、若い人多いよね)
で、年齢とともに収入が上がるかと言うとそんなことはなく、能力主義だろうし、
能力があってもある程度の年齢を超えると社員でやってる限りは頭打ちになりそうだ。
社内での技術評価など、従業員が満足いく仕組みになってる企業も少なそう。
実際のところ、どうなんだろう。
(要するにただ単にあなたたちの将来の心配してるわけです。)
disるわけじゃないけどさ。
WEBの仕事に関わる人って、自分のキャリアとか心配にならないのかな。
現場ではどんな仕事内容を、どんなレベルで行っているのか実情を知らないで書いているのだが
ディレクタだのデザイナだの、言葉は悪いけど誰でもなれそう(参入障壁低そう)。
はてブではWEB関連技術の注目度が高いことから、人口は多そう。
(ここ10年で盛り上がってきた業界だから、若い人多いよね)
で、年齢とともに収入が上がるかと言うとそんなことはなく、能力主義だろうし、
能力があってもある程度の年齢を超えると社員でやってる限りは頭打ちになりそうだ。
社内での技術評価など、従業員が満足いく仕組みになってる企業も少なそう。
実際のところ、どうなんだろう。
2009-08-04 / Economics
城繁幸氏のブログに、台湾のメディアに日本の年功序列が理解できなかったという話が出ている。年功序列は儒教の「長幼の序」の影響だと思っている人が多いが、違うのだ。儒教の本場である中国にも台湾にも、年功序列はない。中国の科挙は、基本的に試験だけで昇進を決めるので、10年以上受験勉強して中年になってから合格する人も多かったから、年齢で人事を決めることは不可能だった。韓国には日本以上にきびしい年功序列があるらしいが、日本のように入社の年次ではなく年齢による序列だという。
では日本の年功序列は、どこから生まれたのだろうか。笠谷和比古氏によれば、徳川幕府にも年功序列はなかったという。武家の序列の基準は石高だったが、幕末には財政が苦しくなり、管理能力の高い下級武士が昇進するようになった。たとえば勘定奉行として日米修好条約を結んだ川路聖謨の家は「御家人株」を買って武士になった町人だった。勝海舟の家も、無役の最下級武士だった。このような能力主義を可能にしたのは、徳川吉宗のつくった足高制度だった。本来の石高とは別に足高として加算され、形式上の序列(石高)とは別に、実質的な能力主義による俸給制度になっていた。つまり年功序列は、家柄とは別の経験や功績による序列だったのである。
ところが明治時代に官僚制度ができたとき、高等官/判任官の身分制度や15段階の俸給制度ができ、昇給は年次によるものと(非公式に)定められた。これが戦後も実質的に継承され、Ⅰ種(戦前の高等官)は6級に編入され、「キャリア」と呼ばれる。民間では、長期雇用の定着と年功賃金は、ほぼ並行して広まったと考えられる。特に戦後、労使紛争が激化した1950年代に、安定した賃金を求める労働側の要求に対して定期昇給制度を採用したことが年功賃金につながったとする説が多い。
つまり年功序列は日本の伝統でも儒教の影響でもなく、官僚制度によって原型がつくられ、戦後の労使紛争の中で両者の妥協として大企業で成立した雇用慣行なのである。これは結果としては若い労働者に「強制貯蓄」させることによって、その忠誠心を高めてモラルハザードを防ぐ役割を果たした。しかし老人に生産性以上の賃金を払い続けることができるのは、企業が成長し、若者が増え続けるときだけである。賃金原資が減り始めると、ノンワーキング・リッチに「配当」を払うことはできなくなる。
これは年金や財政の破綻と同じ構造である。日本の企業組織も財政も、戦後の高度成長を前提にしてつくられ、それに適応して相互補完的なシステムができ上がっているのだ。その結果、老人と若者の利害の対立する問題では、つねに組織内の権力を握っている老人の既得権を守る決定が下される。この構造の前提となっている成長が止まった今は、官民ともにシステムを見直さなければならないのに、問題を先送りしてきたのが「失われた20年」の根本的な原因である。
http://anond.hatelabo.jp/20090508002306
どんなに成功しても、金を稼いでも、肩書き、金、資格、そういうものが愛されてるだけで素の自分が愛されてる気はしないんだろうなと。
「そういうものもひっくるめて君なんだから、あんまり考えちゃダメ」
と言われても、じゃあなにか?日本国籍目当てにフィリピーナやチャイニーズにモテても日本国籍もひっくるめて俺だからって理屈か?おい?
って言いたくなるわな。
「一番彼女が欲しいとき、寂しくて辛いとき、性欲が溢れているとき、欲しいものは手に入らなかった。
誰も誘っても応えてくれず、誰にも好かれず、悶々と暮らしていたわけだ。
そのころ君に出会っていないわけだから、一番美しいときの君は、別の誰かのものだった。
俺が孤独のふちにいたときに、君はいろんな人と恋愛して、結婚なんかも経験した。
やっぱり、安らぎが一番なんて言われたって、男の魅力はないけれど旦那としては最適=金づると言われてるとしか思えないよ。」
(※バツイチ女に詰め寄られたと仮定する)
社会人になってからの恋愛ってどうやったって結婚の可能性をぬぐえない。
ってことは、社会人の恋愛はビジネスの要素を除くことができない。
純粋に好きあうだけの恋愛は、10代を逃したら二度と出来ないんじゃないかなって思う。
(ゼッタイ結婚なんかしません!っと周りに触れ回ってる男が彼女なんかつくれると思いますかね?
結婚したくないけど彼女が欲しいってセックスしたいだけって言ってるのと同じに聞こえません?)
その一方で、女の心情を考える。
若いうちは引っ張りだこでも、歳食って結婚にたどり着けない女。
そういう場合は逆に、女(性欲処理機)としての魅力はあっても、生涯の伴侶には選ばれなかったという気持ちが残るんじゃないかなっと。
「私が好かれてたんじゃなくて、若くて美しい体だけが欲されていた。」
そう思ったりするんじゃないかと。
それはかなり残酷だと思うんだよね。
資格や肩書き、富や名声を得ようと、若くないというただ1点のために選ばれない辛さ。
男の「いまさらなんだよチクショー」なんかと比較にならないほど辛いはずだ。
若くてもブスだったらアウト。
美女でも老いたらアウト。
やっぱ女のほうが辛いと思うな。
たぶん幸福量の順番は
金持ちのイケメン=若くて美女>金持ちのブサメン>貧乏なイケメン>>>老いた女とブスの全部
なんでこうなんのかいろいろ考えていくと、こんな真理に辿りついた。
結婚は男女の資源(男の資産と女の美貌)の交換というモデルで考える。
(一般に)男の収入は歳とともに上がりつづける。
女の美貌は歳とともに衰える。
なら男は交換したがらんわ。
ただ、これって収入が年齢とともに上がりつづけるっていうモデルの場合。
完全に能力主義で、歳とともに下がることも往々にありえる社会だったら、
「まだまだ俺は価値が上がるのに、鮮度が落ちた女をくわせにゃならんって不公平じゃん!」
ってことになる。
それでも結婚する原動力になりえるのは、子供が欲しいっていう本能くらいだろうけど、ところがぎっちょん子供を産み育てることはすげー贅沢なこのご時世。
やっぱり、収入が年齢とともに上がりつづける社会だと男は結婚したがらなくなるって結論は変らない。
(完全な年功序列の給与体系なんて公務員くらいのものかもしれんけど、そんでも基本給は下がらんし、他の国に比べたらまだまだじゃねーの?)
テレビで環七通りで一番古いラーメン屋はどこか調べるっていうのをやってるのをみた。
結局創業45年のホープ軒がその番組が調べたところの環七で一番古いラーメン屋だそうだ。
テレビじゃ創業45年に感動してたけど、意外に歴史が浅いような気がした。
だって、二十歳から一つの商売一筋で年金を受け取るまで働くとすると、45年だ。
ふと、終身雇用の崩壊というけれど、実際に終身雇用された人間なんて実は少ないんじゃないかと思った。
まず条件として、少なくとも創業45年以上でないといけない。
勤めてる会社が創業60周年になる。
先日、初めて新卒入社で定年まで働いたという人が出た。
離職率が高い職場っていうこともあるけど、どんな会社も創業当初は創業者一族と彼らに縁故のある人間の会社なんだろうと思う。
業務拡大して人を雇う余裕が出ても、しばらくはゼロから教育するような余力はなく、能力主義で来るもの拒まず去るもの追わずというスタイルなんじゃないかと思う。
たぶん、創業50年や60年くらいで初めて定年退社第一号が出るんじゃないだろうか。
何十年も業務内容が同じということもないだろうし。
ようするに、人生はわからないっていうことが書きたかった。
大企業に入れば安心なんていうわけじゃなくて。
100年前の大企業が全て今も存続してるかといえばそんなわけない。
むしろ消えてしまった企業のほうが多いわけで。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090109/182410/
とりあえず、若者は??っていうくだりはもううんざり。売れないのは高いから!雇用が安定してないから!!金ないから!!!それだけ!!!!
若者若者ってうるせぇんだよ!そんなに車売りたいなら車が大好きな世代がどんどん買い換えればいいだろうが。阿呆か。
俺はむっちゃ氷河期世代。専門卒業してちっちゃなデザイン会社入ったけど、すぐに首切られてそっからはフリーター生活を長く続けた。その後なんとかデザイン業界に再チャレンジして今こうしてまたちっちゃな会社の正社員としてやってる。でも給料は手取り20??23万程度。
だからいまだに車はもってない。欲しいなという気持ちはあるんだけど、買ってからのことが心配になってしまう。
だって、維持費やら駐車場代かかるだろ。そんな金払える余裕なんてない。俺は実家暮らしではないし、毎月の生活費を色々と考えてしまうとどーにも手が出せない。
長くフリーター生活やってたせいで貯金なんてなかったし。でも最近貯め始めた。まぁそれは結婚資金で貯めてる金だけどね。
なんだろ、今別に車とかあんまり要らないかなって思うわ、基本値段が高すぎるしな。100万近くも出せないし、ローンとか考えるだけでもなんか憂鬱になる。ローンなんてパソコンやバイクぐらいでしか組んだことない。20万程度のを分割1年とかで。
やっぱり不安なんだよね、勿論俺の責任もあるだろね。これまで頑張らなかったせいでこんな生活で給料も低いんだろうけどさ。まぁ、それでもあがいてとりあえず現在のポジションは掴んだ。
掴んだけど、なんだろこの不安。長期雇用が崩壊して能力主義になったせいもあるのかな。頭のどっかに「俺もいつかは突然首を切られるかも」という考えがある。だからそんな車のローンとかで何年も組むとかありえない。怖すぎる。もっと手に職つけてやってけるって自信つけないとどーにも高い買い物はできん。車は本当に必要になったとき買うわ。
つーか俺、結構中都会に住んでて、そこまで交通に困ったことないしな。
会社に何しにいってんのか?
能力はある、だけど運が悪くて失敗したってのが救済されないのが問題なのか?
それは能力主義であって、成果主義ではないわな、成果ってのは結果なんだから
要は過程は関係なく、どんな結果を出したかで評価されるだけ
まぁ、成果主義を貫くなら、もっと派手にやらないと、各層に不満が溜まるってのは分かるがね
外資みたく、明日首になるかも知れないが、うまくいけば、一生暮らせるくらい金がもらえるとかね
【教育】 「米のスーパーマンは1人で戦うけど、日本のアンパンマンはたくさんの友人と戦います」…高校英語教科書に、日米文化比較★4
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1206456406/
読んでて思ったんだけど、日本のヒーローものは闘う過程を重視してるんじゃなくて、
倒す相手の選択や、彼らを倒す際の障害を重視してるんじゃないだろうか。
ヴィランがいるから戦隊ものだってヒーローだってビバリーヒルズ青春白書だって回るんだ。
そこには、文化ごとに倒してもよい、とされているものの特徴があり、打倒すべき困難の象徴とでもなっているんじゃないのでせうか
つーかなんかどうとでもよめるけどけっこう当たってる気がする。
若者の離職率が高かったりニートが大量発生しているのはわがままな人間が増えたからではない。面接というシステムが機能不全に陥っているのである。
今現在日本で行われている就転職時の面接というのは「その求職者がその仕事ができるか否か」を測るものではない。そもそもほとんどの仕事というのはおよそ人間であれば誰にでもできるものであって、その人でないと絶対に不可能という仕事は弁護士や学者やスポーツ選手や芸術家などほんの一部でしかしかない。そうでなければ人事異動など成立するはずないのだから。
では面接の場で何が行われているのか。それは”価値観ぶつけ合いゲーム”である。企業はどんな業務に関わるどんな人間が欲しいのか情報を開かそうとせず求職者に意味不明な探偵ごっこを強いる。そして求職者は面接の場では「言ってはいけないこと」でがんじがらめに縛られる。ここで行われるのは憶測でしか情報を把握できない一方的な減点ゲームである。もちろん減点されるのは求職者だけで、雇用側が圧倒的に有利なのはいうまでもない。価値観ぶつけ合いゲームで得点する方法は雇用側の価値観の枠内に収まる答えを提示することである。そこにはもはや職に就くための話し合いは存在しない。求職側は何とかして雇用側の価値観に沿うような事実を吐き出すか、雇用側にとって耳ざわりの良い嘘をつくことしかできない。ここで問題になるのは求職側に嘘が認められていることである。この場で吐かれる嘘は単純に雇用側にとって心地よいだけで事実や本心ではないのだ。かくして嘘をついた者とつけなかった者の双方に雇用のギャップが生まれる。なおここでいう雇用のギャップは「こんなはすでは」と辞めることと「雇用すべきだった人が面接ゲームではじかれてしまう」ことの二つの意味がある。
そもそも就業形態自体が能力主義だ使い捨てだと高度経済成長時代からは変質化しているのに対し、面接のシステムだけ旧来通りなのが異常なのである。昔の日本で行われていたのは人を育てるための面接だったはずだ。でも今の企業は人を利用するだけで育てはしない。「こいつは何の役に立つんだ?」と雇用側が品定めするだけの面接を続けていては今後も不幸な人間関係が日々再生産されるだけだろう。