はてなキーワード: 福島とは
そりゃ東電は原発事故の被害者を全力で救済すべきで、風評被害も含めて手厚く補償しないといけないと思うよ。予測できない事故だから免責なんて、そんな主張をするつもりはない。
でも俺がもし、決定権を持つ立場だったら、たとえば2006年の時点で福島第一の津波対策に予算をどのくらい出せたか?津波にさらわれない位置に予備電源を移動させる決断ができたか?自信がない。
今回の津波は、「過去にあのあたりで何度もあった」という人もいるけど、実際にどのくらいのがあったのか検索してみると俺の探し方が悪いのか三陸海岸の津波とか861年?のとかがヒットするだけだ。三陸海岸とはまるで地理的条件が違うし、過去最大の津波が38mだからそれに耐えられるようにしろって、福島第一に38mの津波が来るようなら三陸海岸は100m超えちゃうよ。1000年以上前の津波なんて文献が信用できないし(昔の人は何かと大げさだからね)逆に言うと1000年以上来てないのに対策するって決断できる?俺にはできない。
共産党が津波の危険を指摘していた(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-02/2006030201_01_0.html)というのも、これ予備電源が流されちゃうよって内容じゃないよね。実際に起こったトラブルを予言しているわけではない。正直言ってアカの手先のおフェラ豚が訳のわからないことを言ってるぜ、と思ってしまいそう。津波が来るような地震ならどうせ緊急停止しているんだし、引き波なんて1時間もすれば収まるんだからそのあと取水しても間に合うっての。っていうかピンポイントで「地下に予備電源があると冠水したときやばいよ」って指摘だったとしても、どうかな、ポンプがあるから冠水なんてしませんpgrってところだろう。
これは俺の個人的資質に欠けるところがあるからかもしれない。想像力に重大な欠陥があるせいかもしれない。でも自分が東電の立場になったら同じ事故を起こさないと断言できるかどうか、自信がない。
スーパーで福島産の農産物が大量に売れ残っている様子を見ると心が痛みます。
かといって、私自身が「食べて応援」できるかどうか、というとできません。
まだ人生を諦めれる年でもないし、小さな子どももいるし、母乳で育てているので。
でも、福島の農家の人の気持ちを考えると、かわいそう。とは思うのだけれど、今年も作付けする、と言うニュースを見ると、なんだかなぁ。と思う。
彼らは確かに被害者だと思う。
だけれども、実際に放射能は降ったのだ。
そして、それは消えない。ちょっとやそっとじゃ消えない。
昨年は空気中のものが付着したので「ほうれん草は洗えば大丈夫です」などと言っていたけれど、除染もしないままかれこれ1年がたとうとしている。
土に、水に、浸透したのだ。
そうすればそこで育てたほうれんそうの内部にいくということだ。それは洗ってもおちない。
なんだかどこに行っても収束ムード(?)なのか目をそむけているのか、誰もそんなことは言わない。
でも、放射能は見えない。見えない被害。
だから、なかったことにしようと思えばなかったことにできる。
仮に。
近海の人々は漁ができないだろう。
いや、漁をしたとして、油のついた魚を売れるだろうか?いや売れない。
値段もつかないし、だれも食べようと思わないだろう。
きっと漁師たちは、できない漁に対してなんらかの補償があるはずだ。(被害にあった漁師の知り合いがいないので知らないけれど)
現在、福島の人は「油のついた魚を売っている漁師」になっている。
それは、うしろゆびをさされても仕方ないんじゃないだろうか。
(参考)
ほんとに素晴らしい。
信じられないこと、まったく不可能だったことが可能になったのです。
世界の女子サッカー界の頂点を決めるためにFIFAが作った手段が日本の手によってドイツで大成功を収めた。
この啓示的な日に我々が忘れてならないのは、日本の女子サッカー界が必要とするものをよく認識し、日本サッカー界全体自らを支配し律していくことである。
それは、ひどく不気味な光景だった。
日本という国は、復興の遠大さと原発事故の恐怖に辟易しながら暮らす数万の被災者全員よりも、
数千kmも離れた地にいて玉蹴りをしている、たった十数人の女達のことのほうをずっと心配していたのだ。
得体の知れない感情がこみ上げてきた。
一回文句言おうと思うのだが、配達忘れあった土曜日の「エコノ探偵団」に
脳内妄想全開な記事があったのを「はてなブックマーク」経由で知った。
この見出し「だけ」を見た人は、
「今年はベビーラッシュなのか!?」と早合点してしまいそうである。
しかし、記事の中身をよく読んでみると、
「街で妊婦をよく見かける」という「個人の観測範囲内での出来事」を
出発点として取材開始するものの、結局出産数増加は確認できなかった、というお粗末記事である。
恐らく、
「昨年、家族の絆が再認識されたことだし、出生率も上がるのではないか?」と
「仮説」を立てた日経記者が、仮説を立証すべく各方面に取材に走ったが、
結局芳しい結果が得られなかった・・・そんなところじゃないか?
であれば、この脳内妄想な「ベビーラッシュ」なんて見出しは、「見出し詐欺」もいいところで、
紛らわしいので改訂すべきでは?
>「街で妊婦さんをよく見かけます。今年はちょっとしたベビーラッシュになるんですかね」。
>「東日本大震災で人との絆が見直されたそうだけれど、出産につながっているのかしら」
>震災後の妊娠や出産の状況を調べた統計はまだない。「そういえば妊婦向けの雑誌があるわね」。
>明日香がリクルートに問い合わせると、雑誌『妊すぐ』の実売部数は昨年3月以降、前年よりも24%増えたとの答え。
>編集長の佐々木寛子さん(36)は「芸能人の妊娠・出産が昨年多かったことが影響しているかもしれません」と推測する。
>妊娠しやすい体づくりなどの情報を発信する「妊活・net」へのアクセスも増えていた。
>月間で数千回だった閲覧数が昨年7月には3万5000回超に。運営する医薬品会社、
>メルクセローノ(東京都品川区)は「最近は子どもを欲しいと強く思う人が多くなったように感じます」という。
>「出産を控えた女性の声も拾ってみよう」。東京都文京区の母親学級を訪ねると、この日は満席。
>小中あゆみさん(32)は「地震で一人は怖いと実感しました。先でいいと思っていた入籍を5月に早めると、
>すぐ子どもができました」とほほ笑む。結婚を前倒しし、妊娠したと打ち明ける女性は他にもたくさんいた。
>「震災で結婚や出産に変化が出てそうね」。家族の現状に詳しい中央大学教授、山田昌弘さん(54)に聞くと、
>山田さんは首を振った。「結婚についていうと、予定を早めた人はいるかもしれませんが通年では増えませんでした」
>厚生労働省によれば、2011年の婚姻件数は推計で67万件と戦後最少。
>派遣社員やフリーターなど非正規社員を中心に未婚率は上昇している。
>「生活に不安があると、結婚に至らないことが多い。現在の経済や雇用環境では難しいですよね」
(以下略)
出生数増加の「唯一のエビデンス」は、「妊娠雑誌や妊娠サイトのアクセス数増加」だけだが、
これはむしろ「放射能と妊娠の医学的関係を確認したい」という需要が増えた、
それだけのことじゃないか、と思う。
「その程度の薄弱なエビデンスで以って、毎週記事を「量産」している」
という「実態」が暴露されたこと。
多少なりとも日経新聞に一定のクレジットを置いていた自分がバカだった。
「震災後の妊娠や出産の状況を調べた統計はまだない。」としれっと書いているが、
例えば自治体は「妊娠届け出数」(=母子手帳交付数)を集計しているが、各自治体に妊娠届け出数を電話取材すれば、
実は自分は
「放射能問題を嫌悪して、カップルが子作り行為そのものを自粛する結果、2012年は相当数出生数が減少する」
という仮説を持っていて、知り合いの週刊Pの女性記者に各自治体に取材するように頼んでいるのだが、
なかなか動いてくれない。
一市井の個人である自分が自治体の妊娠届け出担当に電話取材しても、相手はマトモに応対しないだろう。
マトモに取材できるのは、マスコミの名刺を持った記者だけなのだが・・・
と思ってたら、以下のような、エコノ探偵団を完全否定する記事が飛び込んできた。
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20120130170603835
>国立社会保障・人口問題研究所は、30日に公表した将来人口の推計に当たり、
>「全国的な『産み控え』が起きている可能性も考えられる」として、2012年の合計特殊出生率が下がると仮定した。
>研究所は、47都道府県の約800市町村に10年と11年の母子手帳の申請件数を問い合わせ、
>その結果、11年の申請件数が10年に比べ全国的に減少していた。
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翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
リンクを貼るのも嫌なんだが。
ttp://datsugenfem.web.fc2.com/
ttp://sayonara-nukes.org/2012/01/0311fukushima_/
なるほど反原発というのはさぞかし高尚なものなのであろう。土地を汚し、人同士を分断し、健康を害す、そんな諸悪の根源を許しますかと問われれば、私だって許さない。そのことは認めよう。
だがそれを、あの日、この場所で、怒号を持って声高に宣うのであれば、私はそれを支持したくないし、それに賛同する方々を、私は支持したくない。
目を背けているわけではない。あなた方が声を枯らして、遥々遠方よりおいでなさっても、あなた方が叫ぶ以上の現実が私の日常である。
私は2012年3月11日を平穏無事に過ごしたいし、2時46分には心静かに黙祷したい。
考えを異にする人もいるだろう。当然だ。だから「私達」とは言わない。私個人の考えでしかない。だが、たとえ故意でないとしても、向けられている目が善意だけでないことを私は感じているし、それが大勢であれば、1人1人の意見など無力だ。
止めろとは言わない。言ってしまえば、それは罵声を罵声で返すことに他ならない。
私はあなた方の崇高なる主張を聞いた。毎日嫌というほど目にした。
今回の事とは関係ないかもしれないが、「フクシマ」とわざわざ蔑む人を支持したくない。
私は、怒号を持って説伏しようとする人を支持したくない。
だからこれは、ただの意見でしかない。お願いでもなんでもない。
世迷い事と思われるのもあるだろうし、どう思われようがあなた方の自由であり、それを私は強制できない。
相手は成功者だし、俺はゴミクズだし、しかも理屈でも反論できないし、でもこんなん実行できないし、
正しいとも思えないし、でも間違いだといいきれないし、とか悶々としながら読んでた。
そういえば、もしドラ読んでる時も割とそんな感じだた。
福島なんとかさんとかもそうだけれど物語形式の自己啓発本とか、なんなんだよこいつなんなんだよって思ってしまう。
言ってることは間違いじゃないんだけれど、なんというか、しょうがないんだけれどあまりにも・・・うーん。
なんというかなんというか違うんだよーって叫びたくなるような本を読んだ時に、
つい感情的に否定しようとして、それができなくて、言いくるめられるような感触を味わうことが多かった。
それで納得できるような本を探してはモヤモヤするという悪循環を続けていた。
とある本のレビューでこういうのがあって、これはしっくりきた。
本の内容は、癒されるには都合のよい本である。
ただなにかすっきりしない。いきなり来た布団のセールスを聞かされているようで、内容は良いのに腹の具合が悪くなる気分だ。これはあくまで個人的な感じ方の問題だが、同じように感じる人はいると思う。こういう時は「間に合ってます」とはっきりというべきだろう。
これが本当に幸せをもたらす流れだと常日頃思う
あ、そうかと思った。
私は押し売りとか弱いというか、目の前の良い事にふらふらとなびいて抵抗できなくなるとか
とにかく意思が弱いのだな、と。 意思が弱い段階で、あんまりすごい話とか聞いてもダメだな。
もうここで意志強くする本とか読むんじゃなくて、とりあえずもうちょい自分を理解してまず日常をうまく過ごせるようにしよう。
もう何年も民放は見ていないが、唯一見ていたNHKのニュースも見るのを止めようかと思う。
俺が見ているのは朝4時台から7時台のニュースと、夕方6時台から7時台のニュースだ。あ、地デジね。
止めようと思った理由は、「内容が老害と障害者向けの福祉的なものばかり」だから。
とにかく老害どもが喜ぶような内容ばかり。
「福島のために歌を歌いましょう」
「絆。笑顔。涙。みんなで乗り越えましょう」
他だと
「障害者に優しいニッポンを。あなたにもボランティアが出来ます」
「世の中、お金じゃ無い。心です」
みたいな感じ。
世の中は働いてる奴が稼いでいる。
個人の稼ぎが集まって、社会的な稼ぎになっている。
脳味噌が動く奴が動かない奴を養ってやってる。
NHKは国から金貰っておきながら、働かない老害ども(死に損ないども)に媚びてるだけじゃんかよ。
NHKは働く者の味方をしろ。
BSのニュースはまだマシだが、あれはあれでビジネス寄り過ぎんだよ。
ちったぁバランス考えろ。
さっさと全員氏ね。
オンライン書店ビーケーワン:死にいたる虚構 国家による低線量放射線の隠蔽 アヒンサー「読んで、知って、考えて」
見逃した方のために…NHK 追跡!真相ファイル「低線量被ばく 揺れる国際基準」文字起こし - Togetter
原発稼働のため隠される低線量内部被曝の危険性-ICRP国際基準以下で小児がん倍増 - Bloggers Today - 朝日新聞社(WEBRONZA)
「マンクーゾ報告」と「T65D」 - あだち安人「サスティナビリティ」考
二本松の子ども達 福島 原発 ・放射線 の現場から: マンクーゾ報告
葬られた微量放射線の影響調査報告(新恭) - BLOGOS(ブロゴス)
ほかに気になるのがあったら、追加していただきたく思います。
「放射能」があるから、みんな「自分の側に置いてほしくない」んでしょ? そりゃ、当然だ。でも、原発の側はそもそも多くの放射能があって、今問題になっている瓦礫の放射線量くらい問題じゃないよね?
で、どのみち、福島原発の周囲は巨大な壁を作って囲んで、放射能を閉じ込めないと、危なくてしょうがないわけじゃん?
その放射能を閉じ込めるための、コンクリートやら砂やら土台やらを作るための材料に、放射能入りの砂だの瓦礫だのを使えばいいんじゃね?
原発の周囲5㎞半径を全部埋め立ててしまえば、瓦礫は一気に全部片付くし、原発からの放射能の漏れを防ぐし、一石二鳥だと思うんだけど。
なんか、問題あるのかな?
20111223追記
ご指摘ありがとう。
そういった分別を終えた物なら、使いようがある?
巨大なバカの壁でも作ったらいいだろ。
危険地帯を壁で囲うというのは、よくあるアイデアだと思うんだけど。出入りは「空からだけ」とかさ。
まあ待て。愚か者相手に再確認を一つだけしてから知恵を使おう。 / 話題(失笑)の震災瓦礫とやらは放射能入り()が前提らしいが、既にそこで間違ってるわな。 / それを踏まえて、さあ続きをどうぞ。
自治体が「これには放射能は含まれていない」と保障した分については、埋め立てが認められるから問題ないんじゃないの?
そもそも瓦礫を建材として再利用することって可能なの?一言で瓦礫というと分かりにくいけど、木材鉄材いろいろ混じってると思うけど
そだね。分別しなくちゃ。
そうだね。ただ、残念なことに「事故を起こした原発」は福島にあるんだ。だから、埋め立ての集積場として、「事故を起こした原発近く」となれば、福島になってしまうことは避けられない。ただ、現状の復帰に要する時間を考えると、「分厚い壁」を作ってしまったほうが、結果的に福島の復興にも役立つんじゃないかな。避難区域を縮小できて。
みたいに煽る人たちもどうかと思うが、不安を口にしただけで
と怒る人たちもどうかと思う。
政府も東電も真実を言っていないように見えるんだから、実際の所どれくらい影響があるか不安になるのは当然ではないのか。
煽りに乗るつもりも、気楽に構えるつもりもない、その他大勢の不安な人たちの存在を、危険厨の人たちと安全厨の人たちはどうして否定するのか。
自分は、福島の野菜を食べているけど、子供に食べさせるか、と聞かれると躊躇してしまうし、もしいたら食べさせないと思う。[わからない]から。
でも、そういう事を発言すると、すぐ危険厨や安全厨の人が飛んで来て「親が食べるたら子供にもうつる」とか「子供に食べさせないという事は結局差別してるって事じゃないか」って怒るんだろうな。
どうすればいいんだろうな。
ボランティア活動をビジネスにすると「善意を利用」等とやたら叩く人がいるけど意味分からない。
自分は福島産の野菜をスーパーで見かけたら他県産と値段が変わらなくても買うが
正直ネット通販で生鮮食料品をわざわざ買うのは心理的ハードルが高い。
そんな自分のような消費者は流通業者がいなければ福島産の農産物を手に取る機会は激減するだろう。
中抜きを否定すれば、その分取引額が下がるだけだろうに。
ビジネスにするからこそ大規模に、永続的な支援が可能になるのに。
むしろもっと儲けさせてやらないと。
儲ける業者が増えれば取引高も増え、仕入額は自然と上がる。
福島をはじめ被災地は大変だと思うが、ここでビジネスにされてやる位のしたたかさがないとやっていけないだろうね。
そして善意を利用等と叩く人達には、じゃあおまえら私財を投げ打ってボランティアしてやれよと言いたい。
それにしても普段「福島の農家は殺人者」「福島の野菜で奇形児」等わめいて福島産の風評被害を広めている人達が
「支援するなら定価で買い取れ」とブコメしているのには苦笑を禁じ得ない。
大阪出身の私にとって、長崎県に足を踏み入れたのは初めてのこと。
大阪で育ったものなら、しつこいくらい遠足や社会見学や平和学習と称してピース大阪に連れて行かれる。
だから、こんな資料館なんて見慣れていると思っていた。
しかし、この年になり、原発のこのご時世になって、思うことはいろいろあった。
強制連行された朝鮮人の被爆者が云々、とか、改めて考えると民間人相手にとんでもないことやってるよなあ、とか、とても恐ろしい悲惨な現実を見てちょっと茫然としたり、とか。
いろいろな感情と考えがわいてきた。
しかし、いろいろあった中でも、一番気になった資料がある。
それは、原爆投下後に、白血病患者が急増するが「ピークは6年後」という記録。
福島の原発事故と、長崎の原爆と、どのように比較していいのかわからないし、各人の被曝線量によってのみ語れることだとは思う。
しかし、あの原爆ですら、被爆者が白血病を起こすピークが「被曝から6年後」なのだ。
中心地に近いものはおそらく、もっとはやい時期に亡くなっているので、爆心地からどのくらいの距離にいてどのくらい被曝した人が中心となったデータなのかはわからない。
仮に、福島が長崎の原爆と比較しようもないほど小さな影響しか出していないのなら、このようなことを考えるのは杞憂かもしれない。
しかし、確実に影響があり、しかし長崎ほどではないとすれば、影響が出るのに6年以上は確実に時間を要することになる。
ひょっとすると「福島原発崩壊後の白血病発症のピークは15年後」と後世に記録されるのかもしれない。
「20年後」となるかもしれない。
現時点ですでに、白血病が患者が増えていると言われているが、本当に確実に影響が出ているならば、本当の恐怖はまだ始まってなんかいない。
政府のお偉いさんたちは、8月になると広島や長崎に行って黙祷なんかしてるけど、何を見て、何を考えているのかわからない。
なんのための政治なのかを、よく思い出してほしい。