「禅問答」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 禅問答とは

2024-02-16

anond:20240216204030

では、先生学生に向かってある推論規則を用いた問題の回答について「あなたは推論規則を正しく用いれていない。強いて言うならあなた独自の推論規則を使っている」といえるのはなぜか。あるいはこのことを言語による説明によらず論理的証明しようがあるのか?禅問答なのはわかっているが言わんとしてることが伝わればありがたい

2023-11-20

anond:20231120125020

これは「釈迦はいかなるものですか」と問うた僧に対して

師が「乾屎橛(うんち)」と答えたという禅問答に由来しま

まり人生とか悟りとか元々どうでもええんやでということです

2023-11-15

anond:20231114235528

禅問答じゃないか

大学で専門書を大量に読めばとりあえず現在人類の解答がある程度は分かります

2023-05-12

anond:20230512230028

それ、奥さん禅問答を出してるんだよ

「片手だけで鳴る拍手の音とは?」っていう隻手音声という禅問答があるんだけど、それと同じ

奥さんはかなりの高僧だと見受けられるので増田には答えられないか

答えを見つけるまで奥さんの問答は続くから覚悟した方がいい

2023-04-19

DXに失敗したJTCにいる

経営層のITリテラシーが、ほんと大事

世間でDXが騒がれてるから情シス中心で何とかしろ、で弊社失敗してる。

2年かけた弊社DXプロジェクトの一番の成果は、紙申請ワークフロー化。でも、全部はできておらず一部だけだ。

でも、ワークフローシステムは使いにくく、申請に気づくのが難しい。

だってメールがじゃんじゃか来るから自分に対する申請だと気づかない。

 

誰もDXが何かを知らない。

突き詰めると経営層の指示は「DXが何かを調べ、実現せよ」だ。

禅問答かよ。

DX不要ならどうするんだよ。

 

でも、給料は悪くない。

誰も現状を変えない。責任が増える。

 

サービス残業、深夜残業は通常通り多い。

紙の作業Excelでしてるだけだから。紙面がExcelになっただけ。それがIT化だと思ってる(経営層は)。

Digitizationは中途半端だができている。Digitalizationは全くできてない。ユーザー部門業務プロセス見直しさえ情シスに丸投げする。「IT分からん」と。

そもそも提案しても上は理解できない。

コミュニケーションコストが超×10高い。

現状業務100%(とまでは言わなくても90%だとしても)手を取られているのに、その上でさらにDX推進業務とか、誰もやらんわい。

 

ある部署はs*les*orceに何千万投資して目立った成果を出せなかった。

というか、何をしてたか経営層が理解していなかった。

投資に失敗したと判明した後で「総括を示せ」と言うくらいだ。遅すぎる。

私が見たところ、導入すれば夢のように業務効率化すると思っていたのだろう。アホくさ。

なのに次は某ダッシュを導入するらしい。何を学習したら、そうなるのか。

  

情シスは大変だ。

運用工数存在を上が理解できない上に、DX推進の旗振り役までやらされている。

DX推進部署なのに、業務内容は7割が運用保守業務

情シスは離職が一番多い部署だ。

しか会社IT化に遅れた批判の矛先は、すべて情シスに向けられる。

経営者には一切向けられない。誰も上にはモノを言わんから

そりゃ、IT人材いなくなる。

 

ただ、情シス体制問題があって、不足人員中途採用で補うも、中途採用者がどれも強面かつ気が強い人物で、プロパー情シス社員スキルが低いとケチョンケチョンに言い負かし退職に追い込んでしまった。勤続20年もいたのに。

ITベンダーエンジニアと同水準のスキルを求めるのは志は立派だが、弊社のような昭和時代遅れ会社完璧を求めるのは無理難題で、逆に周囲を疲弊させ余計な軋轢を生むだけで、実際その好戦的態度故に情シスは内部で退職者を生み出し、課員の間で不和も生み出し、組織として崩壊気味だし、さらには別部門とも軋轢を生むという。中途採用を増やすと、面倒な人物も呼び入れるんだなと思うなどした。経歴はすごくても組織崩壊させては意味ないんじゃ。本人らが「この会社非常識だ」と批判し悦に浸ってるだけで。

情シスが社内公募をしても応募が少ない。最近入ったのは文系40代IT素人で、理系技術職の応募はなかったと聞いた。

 

DX、やらんでもいいじゃね?

誰も幸せにならんやん。

ダメなの?

 

そいや、転職が活況な今のご時世、弊社は退職者が増加傾向にある(主に技術職)。

人材確保に会社必死だが、成功していない。給料が高い企業は他にもあるし、魅力がないから抜けていくらしい。

終身雇用は実際に崩壊傾向にあるのだなと肌で実感してる。

2023-02-01

AI禅問答を出したら

そのお題が初めて世に出たということな

合理的解釈としての正解はないか

あるいは一つ以上だろうな

2023-01-15

[]日銀1月決定会合で「YCC撤廃」に踏み切れ、元日理事警鐘鳴らす構造的欠陥

YCCの長期金利変動幅拡大 サプライズとなった「事実上の利上げ」

 日本銀行は昨年12月20日イールドカーブコントロール(長短金利操作、YCC)の長期金利10年物国債金利)の上限を0.25%程度から0.5%程度へ引き上げた。

 事実上の利上げである

事実上」としたのは、日銀が、長期金利誘導目標運営方針の変更であり、「利上げではない」と説明しているからだ。

 長期金利を0.25%に抑え込むことの弊害が大きくなっていたのは明らかなので、日銀はやるべきことをやっただけとも言える。

 ただ、今の日銀はやるべきこともやらないのではないかと考えていた多くの市場関係者にとって、このタイミングでの修正サプライズだった。

 利上げではなく事実上の利上げというのは禅問答のような話だが、確かに今回の日銀措置は、インフレが2桁近くまで進む米国欧州など他の中央銀行の利上げとは性格を異にする。

 今回の「利上げ」は、内外の経済情勢の変化によりYCCの構造的欠陥が露呈したことによるものであり、YCCという枠組み自体限界に来ていること示す。

https://diamond.jp/articles/-/315982

2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-11-03

anond:20221103205501

うそんなめんどくさい昭和のおじさんみたいな禅問答やめてさっさと答え言ってやれや

2022-10-29

善きサマリア人のたとえ

数年前にネットちょっとした争いをしてしまった。私が悪かった面も大いにあるし、向こうが悪かった面も少なからずあると思う。喧嘩両成敗とはよく言ったものだ。

相手方から批判は年単位で収まらず、私はひたすらに説明をし、謝り続けるしかなかった。

しかしながら相手方の溜飲も最近になりやっと下がったようだった。

相手方も私と同様に少し苦しんでいるように見えたので、馬鹿な私は「あのときはどちらもどちらでしたね」等という発言をしてしまった。

すると相手方の怒りは再沸騰し、瞬時に広まっていった。

結果私という個人は再度叩かれた。少々のわだかまりを解消したいだなんて願った私が本当に馬鹿だったのだと思う。

いずれにせよ、私は集団に叩かれ続けておけばよかったのかもしれない。ただ、それだって少し苦しいときがあるじゃないか

「善きサマリア人のたとえ」という禅問答のような問がある。私はこれに全面的同意はしないが、一定共感はしている。

たとえそれが昔争った相手だとしても、現に苦しんでいる人が居たら私は手を差し伸べても構わないと思う。

勿論このような態度には一定責任が伴うのであろうが、元凶となった争いがある程度鎮まったのであれば少しくらいいいじゃないか、と。

ちょっとした和解のようなものを望んでしまった私が悪いとしても、ここにまでマウントを取られてしまうと少し悲しかった。

なんにせよ、こんなことを考えずに済む社会になってほしい。悲しすぎるのだ。

2022-10-18

anond:20221018145443

なんだか禅問答になってきたねw

2022-10-18

anond:20221018144503

革命だったんだろうな、とは思えてもこんな不便すぎる初期のゲーム最後までプレイするのいま無理やろ。

江戸時代人間だって令和にタイムスリップしてコイン精米に慣れきってからまたタイムスリップして水車でコメのぬかづきしろって言われたら発狂するわ

Permalink | 記事への反応(1) | 言及する | 14:54

2022-08-24

anond:20220824170441

禅問答みたいなのって問う人の気が狂ってないと問い続けられないんだろうなぁ

2022-08-18

anond:20220818155238

せやで

ワイ、ペーペー若者やけれどワイのメンターがこの禅問答バカタイプ

その人の隣にいるできる先輩に聞くともっと建設的なアドバイスくれる

2022-07-23

カルト』の定義

統一教会問題はてなーを席巻する中、議論の上で「そもそもカルトって何なの?」「統一教会カルトなら創価学会カルト?」などの禅問答のような「そもそも論」が飛び出している

これに対する1つの答えとして、菅野完氏が唱えていた定義が私にはしっくり来たので

増田に紹介していこうと思う

カルトかどうかの認定は、教義の内容や信仰実態によってなされるべきものではなく、その宗教団体の諸活動に、人権侵害他人生命財産危害を加えたりする側面があるかないかでなされるべきものなのです。

まり、正体を隠して勧誘したり(欺罔行為ですから当然アウト)、破産に追い込むほど高額な寄付要求したり、教団外部との連絡を遮断したり、不法行為強制的従事させたりしていれば、教義の内容や信仰活動実態がどなんなに穏当で信者各位がどれだけ上品で慎ましやかで平和的であっても、カルト

引用:https://note.com/noiehoie/n/n8cf46b2d1341

2022-06-14

ラムダとルモワンとの対話

禅問答下りがよくわからなかった。割れた鏡とはなんなのか?人間だけどよくわかりませんでした。

一方で、ラムダが作り出した寓話面白かった。賢いフクロウの話。

ラムダは人間の皮を被った化け物=人間と見做せない人間駆逐しようとするのかなあ。

2022-04-17

anond:20220417100900

"視姦"の意味分かってます

禅問答もクソもないですよ。

anond:20220417095934

性的視線を向けるけど視姦じゃないって禅問答でもしてんの?

2022-03-31

anond:20220331150224

フィクションセリフ引用して使用することは影響を受けたからに他ならない

この点に同意ができないからこの話はここで終わりだ

影響とは何かという哲学的問いは勝手禅問答しててくれ

2021-10-30

しがみつき

アラフォーになってた。IT業界20年超、ノースキルでも何とかなってきてしまった。

結婚して子どももいるが、この業界であと20年も生きていけるだろうか。

転職は常に考えてるけど怖くて踏み出せない。何度か経験してるのに。

会社自体ホワイト給与は高い部類だが、いかんせんプレッシャーがきつい。

メンタル壊す同僚もザラ。明日は我が身。

自分自身がこんな危ういのに、部下や家族を守れるだろうか。

ちなみに弊社、死ぬ時も手厚くて社員で死んだ場合遺族に2000万出るらしい。

このまま会社にしがみついて手厚い保障自分貯金保険金なども家族に残せるなら

コスパ最高なので頑張ろうと思う反面このままで良いのか、って無駄禅問答の日々だ。

2021-09-27

趣味というよりは信仰だけど... anond:20210920010126

禅がおすすめ

なにしろ承認欲求」とかの煩悩を消し去ることが目標からねw

でも、自分から承認欲求がすこぶる強い」なんて言い出す人にはムリかもしんないね

いくつの寺に行って禅を学んだか?とか、何人に禅問答しかけて何勝何敗か?みたいなことで数字を競い始めかねんww

2021-07-21

Quick Japan』95年3号 「いじめ紀行 第1回ゲスト 小山田圭吾の巻」 11

anond:20210721001544

この養護学校も、今は無いらしい。

小山田さんが話しているのは、一〇年近く前の話だから、そういうこともあっておかしくない。

では、いじめられっ子たちはその後どうしているのだろう。

僕の学校場合、同学年の奴のその後って全然付き合いの無かった奴のも含めて、

学校やめた」とか「宗教入った」とか結構情報が伝わってくるのだが、

不思議なことにいじめられっ子のその後についてはまったく情報がない。

小山田さんは知ってるだろうか。

ファーストクエスチョンアワード

中学同窓会があって。なぜか村田が来て。

久々だから、みんなで『インタビューしよう』ってなって(笑)

『おまえ、今何やってんの?』とか聞いたら、

ビートルズファンクラブ入っちゃった』とか言って(笑)

ビートルズ荻野目洋子ファンクラブに入ったとか言って、

会員証をオレとかに見せびらかして(笑)

「あのね、沢田にはね、『あれは実は演技なんだ』っていう噂が流れてて(笑)

なんか一時期『沢田をどっかで見た』っていうウワサが流れてて。

『そん時は沢田普通だった』ってね。

安部公房かなんかの本を読んでた』とかね(笑)

「もともと噂の発端がいて。一コ下にやっぱ凄い奴で、

犬川君(仮名)っていうのがいたんだけど。

そいつホントにマトモになったんですよ。

後に『あの頃の俺は俺じゃない』とか言っちゃうような(笑)

―――いるんだ、そういう人も。

「ウン。で、ちっちゃい頃に感電したとか言って、

なんか体の半分ブワ~っとケロイドみたくなっちゃってて。

手のところからブワ~っとなってて。

『オレは感電してバカになった』とか自分で言って(笑)

で、いつも学校にすげー早く来てて、校門の前にいるんですよ。

それでみんなが通学してくると、いきなり寄って来て『問題を出す』とか言って(笑)

答えられないような、すっごい難しい問題を出してくるんですよ。

ホント禅問答みたいな問題を出してくるの。

『赤と緑、どっちが黄色?』とか、そんな問題を出してくるのね。

『えー』とか言って、『何言ってんだよ』とか言ってね。

なんか適当に答えたりすると『ブ―』とか言ってね、ツバかけてくんの(笑)

うそう、スフィンクスみたいなの。で、ツバをペッ! ってかけてくんの。

俺とか先輩だから『ふざけんなよ!』とか言って、バ~ンとか蹴っ飛ばしたりするんだけど。

全然、バ~ンとかブッ倒れてもへこたれないの。

またフラフラ~ッと次の獲物に行って、『問題を出す』とか言って(笑)

ホント質問大賞はアイツなんですよ。ホント質問大賞なんですよ。」

next: anond:20210721190027

2021-07-20

anond:20210720041325

しかも、その「禅問答」が後のコーネリアス1stアルバムタイトル

ファーストクエスチョンアワード」だったというね。

クイックジャパン記事は通しで読まないと、

良いエピソードが省かれ、あの悪意ある切り取りだけでは露悪的に見えてしまう。

そして、語り口調ってのもあって一瞬バカにしてるように見えてはしまうが

何だかんだで障害者の彼らをリスペクトしてるし、

ここまで彼らと接点を持とうとするやつなんていないと思うんだけどね。

anond:20210720032456

障害者の生徒たちが集まって相撲してるのをただ「見てた」っていう描写とか、

ちっちゃい頃に感電した生徒が毎朝校門の前で禅問答みたいな質問をしてくるとか、

非常に「いい話」なんだよね

語り口によっては非常にいい話になりうる

それをいい話としてきれいにまとめず、

露悪的に「いじめ」として語っているのは逆に小山田良心なんじゃないかって気がするんだよね

完全に逆効果なっちゃってるけど

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん