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2012-01-02

よく考えたら怖い話

さきほどまで、

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4059007.html

サイトを読んでたら、俺が経験した怖い話を思い出した。




学生時代に住んでいたアパートは壁が薄くて、時々隣の人の声やテレビの音が聞こえた。

隣には同じ大学の2年先輩が住んでいたが、まったく面識がなく、一度も話したことがない。




ところが、ある日いきなりドアを蹴られて、

「うるせえぞコラ!」

と怒鳴られたことがある。




慌てて外に出ると、その先輩がいて、俺に殴りかかろうとしたので、慌てて羽交い絞めにした。

高校の頃に柔道をしていたから、ひょろっとした相手はそれほど怖くなく、羽交い締めにしながら、

ちょっと、落ち着きましょうよ」

と何度か繰り返す。

「てめえの家のテレビがうるさいんだよ、コラ」

と怒鳴るので、

「待ってください。うちにはテレビはありませんよ。ほら」

と部屋の中を見せた。




「でも音がしたから」

「それ、たぶん他の部屋ですよ。俺じゃないですよ」

と説明すると、ようやく落ち着いて納得したので、

「ここはそんなに壁が厚くないから、どこかの部屋の騒音がそちらに伝わったのだと思います

 ただ、間違って騒音を出すときもこれからあると思うので、そういう時は俺に注意してください」

と低姿勢で俺はひたすら謝った。

ドアには彼の靴の跡がしっかりとこびりついていた。




それから一週間後に、彼が自分のドアの前に座ってタバコを吸っているのを見かけた。

俺はフレンドリーに彼に話しかけた。

最近、俺は騒音出してませんか?」

彼は半笑いで俺に向かってクビをふる。

なぜあれほど凶暴化したのか分からないほど、穏やかだった。




それは夏だったのだが、それから一ヶ月ほどした日曜日、彼の部屋から

ありがとうございます」「ありがとうございます

という大声が聞こえてきた。

(ああ、就職活動発声練習でもしているのだろう)

と考えて、放っといた。




ところが、それが数時間続いた。

さすがにおかしいだろうと思ってそいつの部屋のドアをそいつと同じように蹴り上げてやろうかと思っていたところ、

「ありがごうございます

という怒鳴り声に混じって、

「すいませんでした!」

「許してください!」

という言葉とすすり泣きが交じるようになり、やがて、

「許してください!」

という大声だけが繰り返されるようになった。




その頃には道路を挟んだクリーニング屋のオバサンまで出てきて、そいつの部屋の様子を探っている。

俺も

「どうしたんでしょうね?」

と彼らとコソコソと話しながら、様子をうかがう。

気味が悪くて彼の部屋のドアを蹴り上げることは止めることにした。

夕方までその大声は続いた。




それから数週間して、その先輩は急に引っ越ししまった。

学校に行く前に、4トントラックが彼の部屋から荷物を片付けているのを見かけたが、その時は気にもとめず。

授業を終えて帰宅した所、母親らしき人が、泣きながら部屋に一人で掃除機をかけていたのが見えた。

彼女に軽く挨拶したが、息子さんのことを訊かずじまいだった。




当時は彼のことを、(就職活動がうまくいかずに、ノイローゼになったんだろう)

と考えていたのだけれど、今思えば、統合失調症を発症してしまた人だったのだろうと思う。

2011-12-24

認知の微視的構造 リマインダー

リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。



第一章

1

認知主義、古典認知主義

意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデル意味する。

 この主義の限界を

2

 ・チューリング

 チューリングの形式化が持っている特徴

(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括

(2)そのメカニズムいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している

(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している

⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している

フォン・ノイマンコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーLISPプログラム言語)を開発。

 ⇒ 研究開発が可能に

A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出

 ⇒理論的に自覚化・明確化される

3

・物理記号システム

①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、

②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム

by 1976 ニューウェル & サイモン

・強い物理記号システムの仮説

SPSS strong-physical-symbol-system

「標準的な記号アトムフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」

①仮想機械

現実の物理機械上で実行されるプログラムのみによって存在し、

そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」

 高級プログラムによって定義されるエミュレータ

フォン・ノイマン型の操作

コネクショニズムとは異なった操作

・記号を割り当てる

・変数を束縛する

・記号列の複写、読みとり、修正

・基本的な統語論パターンマッチング操作

等々

③標準的な記号アトム

「テーブル」「ボール」「愛する」「軌道」「電子」のような語

④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段

そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる

 このような主張(標準的なLISPアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践

彼らの仕事の特徴(例:BACON

 ・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している

 ・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能

 ・選ばれた課題領域を扱う

BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則

BACONに対するいくつかのコメント

BACONが取り組んだデータフォーマット化下のは、人間の労苦

BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。

 ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない

BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの

 ⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう

 サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。

 しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。

 心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える

 BACONは、人類の一部のモデル

 知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている

 古典システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。

 古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々

意味論的に透明、意味論的な透明性

STS semanttically transparent system

システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステム意味論的に透明であるといえる」

 きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズム記述レベル2)における計算の対象が、概念レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述レベル1)と同型である場合である

レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え

レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法

レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)

古典アプローチコネクショニズムの重要な違い

(1)古典理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論意味論を組み合わせた記号システムを仮定している

(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。

 もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない

◎要するに、古典システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである


第二章

 古典認知主義に対する懸念

 ドレイファス:古典認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当

 サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論意味論との間にギャップが認められる

 この二つの種類の懸念について検討する。

あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」

 この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念リストをあげる。

 ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。

 ウィンストンの、フレームを使ったアプローチも不十分

 ・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)

 ・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?

 ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか

ドレイファスの二つの主張

(1)身体問題

「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」

 コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない

(2)コード

 人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。

 このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?

 

 AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。

「強いAI仮説」を、サールは批判する

強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる

Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。

サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。

具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋操作者が中国語を「理解すること」の比較

「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」

 以下、サールの誤りについて論じる

 

 サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」

 脳シュミレータ説:あるりプログラム中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる

↑(サールの再反論)

(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)

(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである

 ↑(アナロジー

 光合成光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない

 では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?

  :外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること


↑(コメント

中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効

 微視的機能主義

 機能主義は、心的状態の本質を、

 入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。

 (適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)

↑(批判)

中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。

 こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう

・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか

×大まかなレベルに位置づけ

  ⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ

ライカンの「小人機能主義」

○微視的機能主義

・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981

ゲシュタルト

 :機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ

ライカン「小人機能主義」

 :機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)

 微視的機能主義

  :システムの内的な機能的プロフィール(内的状態の変換)を、

   内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で

   記述しようとするもの

   ・処理ユニット間の形式的な諸関係を記述する

   ・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる


第三章

 認知科学における民間心理学の役割はあるのかないのか

「民間心理学

 :自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解

 民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる

チャーチランド & スティック

「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学

 民間心理学問題点

(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。

 民間心理学は、子供狂人外国人を前にすると、まごついてしま

(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる

(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである

 最近の分析哲学

  :頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか

Daredevil believes that Electra is dead.

Mary hopes that Fermat's last theorem is true.

 のthat以下を、心的状態の内容と言う。

 心的状態が考えられる傾向

  :われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、

  われわれにとってどのように見えているかによって決まる

 ↓(言い換え)

 我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、

 本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない

⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、

 知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆

・双生地球……☆に対して疑いを投げかける

双生地球で、「海に水がある」と発話される。

地球A:海にH2Oがある

地球B:海にXYZがある

 この違い以外は同質だとする。

 すると、

 地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる

(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)

 もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、

 自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、

 単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して

二つの選択肢

(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、

 世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説

(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は

  〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう

プティ と マクダウェル

「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。

 しかし、

〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」

 筆者

 :あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、

 そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない


 その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。

 仮想反論

 :「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」とするならば、

 心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)

(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)

 仮想反論の詳細

:仮定①:

 二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる

 (そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)

 仮定②:

 行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない

 結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない

「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。

 限定的内容といっても、それを妥当概念として了解できるかは明らかではない」

 なぜなら、

「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは

 まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。

 その具体的理由として、

 ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。

筆者

 :広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、

 民間心理学カテゴリーや分類が

 頭の中で起こっていることに関することに関する科学カテゴリーや分類に

 きちんと還元されるなどということは

 とてもあり得ないように思われる。

・民間心理学は、科学心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない

 世界を記述しない信念であり、なおかつ

 ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学記述の上には)存在しないことも可能

 民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?

 :

 他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、

 その人の身体の動きを予測し説明するための手段

民間心理学の主要な目的

 :

 世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること

(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴

①世界に対する感受性、すなわち感覚生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している

②世界をわれわれと共有している

③彼らは我々自身のもっと根本的な関心と必要の大部分を共有している

④彼らの思考の有用性は、

(我々自身の思考と同様に、)

 彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、

 彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている

 この特徴があるので、

「~したい」という欲求さえ同じであれば、

 神経生理学的な詳細は関係なく、地球人にも火星人にも有効。

・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている

・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、

 さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)

 筆者の見解

 :私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、

 行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである

 ……関連する行動を可能にするものとしての、

 根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、

 そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が

 対応している必要はない。

――

 筆者の意見は全体論である。(行動全体に網をかけるから。)

 ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか

<Fordor>

意識の全体論というのは、

命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」

 という考え方。

 これに、Fordorは懐疑的

命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)

われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題認知的連関)を共有しているとは思えない。

 なので、意味全体論はありえない。

 →信念の内容が、その認知的連関に依存するということを否定。

 信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。

 外延的意味論の一形態に賭ける

:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである

「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」

</Fordor>

筆者

 :Fordorの間違い

 全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。

 Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。

Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。

筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている

 全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)


 一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。


(1)民間心理学は、狂人や言葉の通じない相手には使えない

(2)民間心理学は、長い間停滞している不毛な学問である

(3)民間心理学は、神経科学ときちんとつながっていない

(3)に対して、

 民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである神経科学とつながることを目的とはしていない

(1)に対して、

 民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない

(2)に対して、

 民間心理学の目的は限られたものである

 なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。

整理。

 心的状態に関するわれわれの常識的理解と民間心理学は、違う。

 民間心理学には、きちんとした定義がある。

 これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」

 因果関係と、構成的関係の区別

構成的関係

 :

 研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ

因果的に関係

 :

 因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、

 それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる

ということはない。

チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)


・広域的内容の理論認知科学は心を解明しえない

・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている


科学(物質、プログラム

(構成的関係)

科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。

では、構成的関係とは何か。


構成的関係←→因果関係

構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること

因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない

(駒はなくてもチェスは打てる)

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2011-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20111215110130

あとは発声関係だよね。

とか思ったら、なんか目で見える方の少なさにビビった。

それこそ目と四肢くらいしかないじゃん。

2011-12-04

おしゃべりするみたいに文章が書けない。

普段はよく喋るし他人から饒舌だといわれる。個人的には稚拙ながらもそれなりに雄弁だと思っている。

一人で勝手にべらべら喋るのと同じように文章を書けばいいはずなのに、いざキーボードに向かって打ち込むという段になるとたちまち手が止まってしまう。

何が言いたいのか、どのように話を展開させていこうとしたのか、頭の中から何もかもさっぱり抜け落ちてしまうのだ。

きっと発声しないことが大きな原因なんだろうが、これを克服する手があったらいいのにな。

2011-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20111115071929

「歌える音域」「発声法」「息しなくていい」は、人間の声でもデジタル処理で解決できるんじゃね?

まあ、それ言い出したら、そもそもボーカロイドの多くは「デジタル処理した人間の声」なんだけどさ

ボーカロイド曲で「人間歌手での実現は難しかった」方向の曲?

自分が思いつける曲は2つ。

BPM は、BPM Analyzer(http://www.mixmeister.com/bpmanalyzer/bpmanalyzer.asp)で測ってみた。

Pane dhiria

ボーカロイドの声質があまり前に出てこない、不思議な曲。

音程上がり下がりの激しさが、ボーカロイドの音の特徴を隠している?)

youtubeミラー):http://www.youtube.com/watch?v=MeWXZw07oR8

niconico:http://www.nicovideo.jp/watch/nm9437578

初音ミクの消失

ボーカロイドファンのボーカロイドファンによるボーカロイドファンのための曲の嚆矢

youtubeミラー):http://www.youtube.com/watch?v=DouheoH8GTs

niconico:http://www.nicovideo.jp/watch/sm2937784

まとめてみて気付いた

歌える音域、

発声法、

息しなくていい、

ボーカロイドについてのメタ視点自分はこれはあんまりきじゃない)、

が、ポイントなのかな。ほかにももっともっとありそう。

 

(追加)機械ならではの耐久力や繰り返しやノーミスや複製

(追加)サイバーサンダーサイダー

ボーカロイドの声質の特徴、荒いスタッカート発声が高速で連続

(なめらかなスラーをさせることが難しい(これを巧くやるのが”調教”の第一歩?)ことを逆手にとったかんじ)

閃光のようなイメージイントロからそういう曲調を予感させて、最後まで統一感。

youtubeミラー):http://www.youtube.com/watch?v=IErCBi311tU

niconico:http://www.nicovideo.jp/watch/sm15440067

2011-10-25

いや、ごめん

http://anond.hatelabo.jp/20111025204329

皮肉で言ってるわけではなく「注文忘れられる」なんて、そんなに珍しいことでもないよと言いたかったんだよ。その友人と出掛けるたびに、遭遇するわけだからさ。ファミレスでは、おのおの注文するんだけど、そいつの注文だけが、なぜか、通らない。飲み屋では、そいつが追加した品だけが、なぜか忘れられる。声は大きいほうだし、活舌だって悪くない。妙な物を注文するわけでも、食事の注文の中にデザートだけとか、珍しい注文の仕方をするわけでもないんだ。店が違っても同じだから、もう、これは本人の体質と諦めてもらって、注文の発声は他の奴がするようにしているよ。最近は。

2011-09-15

「教師の心得」の「それは学生のせいではない」の解釈

教師の心得 - bluelines

http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20110908/1315487472

この記事はとても良かった。大切なことが記されていて、その難しさもよく伝わってくる(1011が二段構えになっているのはその難しさの現れだろう)。たくさんブックマークされて、嬉しく感じる。

ただブックマークコメントを見ると、この10番目の項目「もし学生が理解できないのであれば、それは学生のせいではない」を教員側の心構えではなくて、単純な事実解釈したものが多いように見えて心配になった。すこし極端に書くと「もし学生が理解できなくても、学生側は反省する必要はない。反省すべきなのは教員だけだ」という感じに解釈している人がいるように見えて心配になっている。念のため私の解釈をここに記したい。

私の解釈では次のようになる。舞台大学でもあるし、最終的には学生はそれなりに高度なことが求められる。

学生は最低限の学びのスキルを身につける必要がある。受け身の姿勢はいけない。自立的に学習する力を身につけなければいけない。そうでなければ大学講義もなかなか理解できるものではない。ただ、学生が受け身の姿勢でいたとき教員はただそれを嘆いて終わってはいけない。受け身の姿勢学生に対して「それではいけない」と伝えて、自立的に学習する力をつける必要があることを伝えて、その手助けもする。そこまで含めて教員仕事だ。

「もし学生が理解できないのであれば、それは学生のせいではない」というのは、「学生を否定・批判してはいけない」という意味ではない。「否定・批判するだけで終わってはいけない」という意味だ。「もし学生が理解できないのであれば、それは学生学習の態度・学習方法に問題があるからかもしれない。その場合、それをただ嘆くだけではいけない。態度・方法問題点を指摘し、必要なら批判・説教もして、改善の必要を伝えて、その手助けをする。そこまで含めて教員仕事である」という意味だ。

もちろん学生は必死に学ぶ必要がある。単に専門の知識を身につけるだけでなく「学び方」も学ぶ必要がある。社会に出たあとのことも考えて、できるだけ早く受け身の姿勢から脱して、自学自習できるような「勉強の仕方」を身につけなければならない。そして教員は専門の知識を伝えるのと同時に、この「勉強の仕方」も伝えなくてはいけない。勉強の仕方が身に付いていない学生には、それを身につけさせることも教員仕事だ。教員はそれを必死に手助けする必要があるし、同時に学生は必死に「勉強の仕方」を学ぶ必要がある。

表現はもうすこし柔らかいが、次の記事もこれに近いことを言おうとしているのだと思う。

学生は第十番目の追加を見よう - 発声練習

http://d.hatena.ne.jp/next49/20110913

2011-09-01

女性の知り合いに「彼氏のどこが好きになったの?」と訊くと、

「優しくて穏やかなところ」という答えが返ってくることが多い。

なんでも、豊かな家庭で何不自由なくのんびり育てられた人間特有の余裕、というものがあるらしい。



わたしはコミュ障を自認している。もちろん非モテである

日々脱オタマニュアルだのライフハックだのを読み漁っておる。

そんなもの読んだってダメだよと笑われるかも知れないが、きちんと実践してみてその結果を検証したりしている。



わたしにはわかっている。

背の高さや顔は重要ではない。

綺麗な靴を履いてみたところで関係ない。

学歴収入があればモテるというわけでもない。

つまるところが人格、人柄。



自慢でも言い訳でもないが、わたしは生まれも育ちもよくない。

嫉妬深く卑屈で陰気な人間である

性格など努力でどうこうなるものではない。

唐揚げレモンをかけたり女の子と歩くとき車道側に立ったりしても、わたしは善人には見えまい。



が、わたしは単純なことに気付いた。

ライフハックだのtipsだの言ってる輩は決して教えてくれないことだ。

耳をかっぽじって聞いて欲しい。



話し方の基本はゆっくりはっきりだ。

なんだそんなことかと思うかもしれない。

しかし単純だからこそあまり重要視されていないと思う。



山口もえ姜尚中が話すのを見て欲しい。

温厚で育ちが良さそうに見える。

ゆうこりんは声の高さが問題だと思う。

東浩紀宇野常寛はどうだろうか。

(確認していないのだが、岡田斗司夫は痩せてから話すスピードが遅くなっている気がする。

意図的なものか、体型の変化によるものかは定かではないが、オタク臭さが抜けた理由のひとつではないだろうか。)



以下、ゆっくりはっきりした話し方を習得するために役立つリンクを貼る。

落ち着いてゆっくり話すためにはまずはっきりだと思う。

舌筋を鍛え単音での発音をしっかりさせたうえで、滑舌をよくするための発声練習をすると良いと思う。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1329773908

http://blogs.itmedia.co.jp/nagaichika/2010/05/post-c31c.html

http://www.okuchidetaberu.com/colum/no12.html

http://kazu.s18.xrea.com/ppi/yakusya/tsuuzyou-hassei.html



わたしは結婚詐欺師になるつもりだ。

2011-07-19

女の子の声を目指してみたら、日常生活がすごく捗った。

いや、びっくりです



女声ボーカルの歌を原音で歌えたら楽しいだろうなーと思ってました。

それで、http://www.amazon.co.jp/gp/product/4798029025/Amazonで高評価なのをたまたま見て、駄目元で

買ってみて付属CDトレーニング4日ほどやったんですよ。

そうしたら、女の子の声には全然ならないんですけど、普段の声がびっくりする程きれいで楽に出るようになったんです



普通に喋るのに「楽」とか「大変」とか大げさなと思うでしょう。

僕も今まで考えた事も無かったんですけど、いや、これ本当に楽なの。まるで、のどに羽でも生えたかのよう。

普通に話した声が良く通るし、ささやきみたいな息の量でもかすれずきちんと喋り声になってくれるんです

逆に、いままでいかに喋りだすときに体が構えてのどに力を入れたりしていたのかと、愕然としました。



で、楽に発声できるようになると、頭の中で喋ろうと思った言葉がまるで坂道を転がるボールみたいにそのまま声として出ていくんですね。

なので、喋りだしにどもったりしなくなったし、無意識に発してた「あ」とか「えー」とかいった言葉が少なくなった気がします。

声質がよくなって以前より通る声になったおかげか相手にもきちんと話し言葉が伝わっている感じがするし、

以前はわりと一杯一杯だった話してる最中、気持ちに余裕が生まれてきた。




正直、僕は喋るのが苦手で雑談とかも出来れば避けたい感じだったんです

声変わりしたときにうまく喋れなくなって、どうもそれがコンプレックスになってたようで。

それが、ちょっとしたトレーニングで嘘のように解決ですよ。世界が輝いてみえます

まあ、今から考えればそれがどう考えても正攻法でしょうけど、僕自身がちゃんと正面から向き合ってなかったのかなぁ、と。



あと「オタクっぽい喋り方」って発声方法に大きく起因してるんだろうなって思いました。というのも、僕の喋りがまさにあんな感じだったから。

単語あいあいまにある「デュフ」的な息の音ってきちんと発声できてないからなんだな、と。



というわけで、ボイトレの教材として、僕はこの本、十分にもとがとれました。



女の子の声になれるかどうかは、わかりません。

追記

思わぬ反響にまたびっくりですこんなことなら、自分ブログに書いてアフィリエイト張るんだった



一応断っておきますが、「※.個人の感想です。効果には個人差があります。」ですからね。

明らかに人並み以下だったのが、人並みに手が届くかもくらいのところまでたどり着けたという話ですから

ちゃんと喋れてる人にはそれほど効果を感じられないかもしれないですし、

トレーニングの相性みたいなこともおそらくあるでしょう。



あと、書いた本人もこれじゃあ本の宣伝だよなぁ、みたいな事は思ってます。申し訳ない。

ただポイントはそこじゃなくて、ボイトレすると救われる人は他にも居るんじゃないか、っていうところです

Amazon検索すればボイトレに関する書籍は沢山有るようですし、

興味を持った方であの本に抵抗をお持ちの方はそういう物を選ばれるとよいと思います

まあでも、僕はこういう形じゃなかったらボイトレをしてみようなんていう気は起きなかったと思いますし、

本を手に取ることもなかったな、とは思います

さすがに本屋で買うのは恥ずかしいので、Amazonポチりましたが。



ちなみに、付属トレーニングCDは、地声が大体25分でファルセット20分の合計45分程度の練習コースになってます

結構、みっちり発声させられますが、内容的にはおそらく一般的な発声トレーニングだと思いますファルセットの分量が多めだったりするのかな)。

アマゾンのレビューにあった「おなかすいたにゃー」みたいな「女の子の声」的なものは、練習コースというよりも

講師の模範演技として掲載されているものです(あんまり模範になってないですが)。

羞恥プレイ的なトレーニングはないのでご安心を。

2011-04-30

他人を否定せずにはいられない、ある種の人間について

社会人になって、指折り両手が必要になるぐらいになった。

現在は、さまざまな顧客仕事をする環境にいる。



仕事に対する私の優先順位は、

「以下に素早く問題解決するか」である

スピード優先であるため、

その中で、先方とはあくまで協力的関係をとりつつ、

情報共有をして仕事を進めるような形を想像してほしい



そういった仕事をする中で、ひとつ

やりにくい性格だと感じるタイプ人間がいる。



それは何に対しても「否定せずにはいられない」人間



何に対してでもいい。

仕事の内容か、上司の正確か、または私の訛りか。

「これって、ちがうよね。」

「変じゃない、それ?」

「そもそもさ……」

ということを、必ず口に出す。



その際の話のトーンは、極めて攻撃的で。

発声がいいものから、声もよく通り、

オフィス空気をピリリと冷やす。



ひと通り、言い分を聞いてみる。

筋が通っているようではあるが、その主張は、

「気持ちの問題」であったり

感覚嫌悪感」であったり

「慣習が変化することへの違和感」であったり。

もしくは「人は、こうであるべきだ」にまで発展することも。



えっと、それは。

今の業務の上で、重視されることではないのでは?



ともいえず、状況と今後取るべき対応の説明をする。

上司の裏付けや、関係者との調整を行ったうえで、だ。



しかし、

再び入る「でもさ、それっておかしくない?」

「思うにさ。」

「俺の考える、これじゃだめなの?」



なかなか話が前進しない。

判断さえ早ければ10分で終わることに、

ウン時間単位ディレイが発生する。



しばらくして、分かったことではあるが、

この手のタイプ人間

自分が意思決定や対応に関与していないと気が済まない」のか

「他人を否定することで、自己の充足を得ている」のか

そういった部分があるのではないか、と思う。



ああ、実に非効率だ。

何とかならんのでしょうか。

時間もったいないですよ。



この手の人たちをうまく動かすには、

一体どうしたらいいのだろうか。

2011-04-11

若者投票すらしないか意見が反映されない」のウソ

若者投票すらしないか意見が反映されない」と口にする人を目にする。

きっと誰かがこの台詞を言って共感を得て発声しているのだろう。


ちなみに私は某TV番組自民の人が上記台詞を言っていたのを目にしたことがある。

最近 愛知かどこかで知事当選したです

News ZERO の嵐の人も言っていた。


若者投票した結果

本当に若者考慮した政治が行われるのだろうか?


仮に若者全員選挙に行ったところで、老人には人数で勝てない。

若者全員投票した後の政治家はこう言うのではなかろうか。

選挙結果から若者意見は反映できない」


「もともと反映する気がない」、が正解だ。


今回の選挙の目玉都知事選挙結果を見てみると以下のようになったとのことだ。

(予想図らしい)


http://twitpic.com/4j9i91


この図を見てもまだ、

若者投票すらしないか意見が反映されない」と言っている人がいる。

具体的にどれくらいの人数になれば「若者投票した」と言うのだろうか。

から見れば、多くの若者投票に行っているように見える。

実際に投票した若者の数は総スルーなのだろうか。



少子高齢化という問題はあるものの

選挙に多く行く世代を優遇するのは理解できる。


しかし優遇した結果、それ以外を「不遇」にするという、

とんでも政治を行なってきた結果が今の日本の現状だ。

子供借金を負わせて、年寄りをホクホク顔にしているのだ。



今まで「若者投票すらしないか意見が反映されない」という難癖をつけて

若者を不遇にしてきた。

仮に若者全員投票したとしても、老人の人数には勝てず、

政治家は「選挙結果から若者意見は反映できない」と言い換えるだけだろう。



若者に対する不遇行為がなければ

若者投票すらしないか意見が反映されない」は信用できる。


若者不遇政治を行ってきた現状

若者投票すらしないか意見が反映されない」はまったく信用できない。

からのでまかせだ。

2011-03-30

英語公用「後」論~日本人英語に対する8つの雑感~

はじめに

本題に入るために二三言っておきたいことがあります

まず、今回の東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々のお見舞いを心から申し上げます

次に、僕のスペックです。都内の大学に通う学生(新二年生—ちなみに一浪—)です所属学部のカリキュラムによって、ほとんどの授業を英語で行って、レポート英語でたくさん書きました。といっても、僕の英語能力はだいたいTOEIC700点前後だと思います(TOEICはうけたことがありませんが、学校で受けさせられたテストなどで換算するとこのくらいです)。700点前後なので、あまり大したことは言えた身ではないのですが、英語については昨年度かなり自分でも悩み、考えたし、また、TOEICなどのスコアだけで英語の実力のすべてが測れるとも思っていないので、僭越ながらも英語についての意見を述べさせてもらいます。(ちなみに未だ日本から出たこと無いです)

最後に、書こうと思った動機について。主に二つ。ひとつは、日本人英語熱が、去年のユニクロ楽天英語公用語方針表明から、加熱の一途を辿っていることを受けて、自分英語公用語の学部で学んでいる自分—が何か良い意見を述べることができればいいなと思ったから。あとひとつは、自分英語に関する考えを今の時点言語化して整理しておきたいという考えがあるからです

Ⅰ.「”英語”がうまくなりたい」なんて言うことなかれ

 英語学習者の多くは「英語ができるようになりたい」や「英語上達!」などと言います。が、少し待って下さい。その宣言って少し漠然としすぎではないでしょうか。ここで、試しにあなたが今思っているその「英語」に修飾語を二つ付けてみて下さい。例えば、ある会社員場合は、practicalと businessを足して、”Practical business English” (実践的ビジネス英語) となります。こうすることで、あなたが必要な英語がもっと鮮明になるでしょう。さらに対策だって立てやすくなると思います。子供語学を身に着けながら成長するときの様に、日常の様々な場面での遍く英語表現を身に着けることは大人には困難ですしかし、範囲をうまく絞れば、そこに特化して勉強することで仕事で困ることが少なくなると思います。

Ⅱ.発音、アクセント以前の問題がある,それはattitude

 僕は昨年度、英語を話す日本人を数十人ですが見てきましたが、およそ二つのグループに分けることができます。それは、日本語を話すときと同じ感覚英語を話している人と、英語を話すときは全く別の口の開け方や筋肉の動かし方、さらには呼吸法でする人たちです(帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます)。タピオカドリンクを飲むときは、コーラを飲む時に使うストローじゃ飲めないように、英語を話すとき日本語用の発声方法を脇に置いて、英語用の発声フォーマットで話さなくてはならないのです。先に示した前者の人々はだいたい、声が小さいぼそぼそしたしゃべり方をします(もちろん発音は滅茶苦茶チョッピです)。これは、はっきりいって意識の問題だと思います。発音やアクセントの前に態度(attitude)の問題だと思います。

Ⅲ.英語で羽ばたいている者の翼を折ること無かれ

 これは上とだいぶ関連があるのですが、英語真剣に話そうとすると多かれ少なかれ「欧米人っぽさ」や、悪く言えば「ネイティブかぶれ」が現れてしまいます。だが、これらに対して嘲笑したり、からかったりしてはいけないと思うのです日本人の間で「かぶれ」に見えてしまうことも、英語話者同士では普通の事なのです。だから、間違っても日本人によるつまらない価値観から、その人の外国語に向かおうとする態度を軽蔑してはならないと思います。お互いにとってマイナスしかなりません。

Ⅳ.英語力不足で理解ができないかは本当か

英語がわからいから話が理解できない、と思ったことがある方。それは本当に英語が問題でしょうか?例えば、去年流行った「ハーバード白熱教室」。この番組iTunesYouTube無料で見ることができます。僕も、視聴していて三周目も終わろうとしている頃ですが、まだよく理解できているとは思えないです。『これからの「正義」の話をしよう』も、その原著である”Justice-what’s the right thing to do-”も持っていて一通り読みましたが、未だ理解できたという確信がありません。なるほど、「テメエがアホなんだよm9(^Д^)プギャ―」という意見もあるでしょう。しかし、サンデルの授業内容がそれなりに高度なことも事実はないでしょうか。日本語で聞いたとしてもそれなりに高度なことには変わりません。それをさらに外国語でとなると余計に理解が難しくなってしまいます。自分英語読解/聴解能力を疑う前に、言語に拘わらずそれを理解できる知的基盤が備わっているか。それをただ「英語が分からない」と悲観する前に、確認する必要があると思います。

Ⅴ.ロールモデルを見誤らない

経済評論家などを「達人」と見做している英語学習者は、いつまでたっても英語ができるようにならないと思います、失礼ながら(インタビューもそんなにあてにしちゃいけない)。そもそも、本当に英語できる人間は、日常のほぼ全てのタスク英語でこなしているような人たちではないでしょうか。論文であれ、企画書であれ、会議であれ、学術発表会であれ。そういう本当の「達人」らは、われわれ一般人指南するような立場を超越していらっしゃいます。さらに、そういう人たちはあまり表に出ない人たちです。なぜなら、一流のビジネスパーソン週刊誌英語特集に顔だすくらい給料安くないし言語学など学問分野の一流たちもそんなところに出て自分の株をさげるようなことをしないでしょうから

では誰をロールモデルにするのか。はっきりいってツールである英語ロールモデルが必要であるとは思わないのですが。強いて言うなら、『英語達人列伝』の中から探すといいと思います。これを読めば、「日本人英語ができない」といった言説が神話であると思え、すこし勇気が湧いてくると思います。

Ⅵ.発音は関係ないということなかれ。

英語学習において、発音を磨くことは何かと批判の対象になります。恐らく、それは英語学習における贅沢品と受け取られるからでしょう。目玉焼きも焼けない人間が高級イタリア料理カルパッチョソースのデミグラス和え 地中海の新鮮な貝の奏でるムースとともに」(※こんな料理はありません)を作ろうとするように捉えられてしまうのかもしれません。

しかし、僕は発音も大切だと思います。磨けるなら磨いた方がいい。じゃあ、どのくらいまで磨くか。もちろんネイティブレベルとは言いません(発音向上批判がネイティブ信仰批判と結びつけられることも多い)。が、強いて言うなら「自分の発音に自分で酔えるくらいまで」としておきます英語を話している時の自分がいつもと少し雰囲気違うな、とか仕事できそうだな、くらいに思えるくらいです。語学学習は基本的に孤独な作業であると思います。周囲に誰も人がいない部屋で黙々と音読…そんな状況で心を支えるものが、わずかながらのナルシシズムだと思うのです。ここで注意しておきたいのは、自分の発言を瞬時に考えて話す「スピーキング」と音読教材を見ながら話す「スプリクト読み」の際の発音能力は個人の中でも違いがあるということです(ここでは詳述しません)。

Ⅶ.もっといい方法があるはず…というラビリンス

NHKで「英語会話」の講師をしていた東後勝明氏はこう言っています。

「発音が大切だ」と言えば、すぐに、「本国人のような発音の必要はない。日本人なのだから日本人の発音で十分」と反論が返ってくる。「単語を覚えたほうがいい」と言えば、「単語だけを覚えても何もならない。その使い方を覚えなければ駄目」と言われてしまう。うっかり「会話ができなければ」などと言おうものならたちどころに「ただペラペラしゃべれるようになるだけではかえって人間が軽薄に見えて困る」と一蹴され、「それより、内容のあるものが読めることだ」とか「話す内容が大切」ということで会話の重要性は影をひそめてしまう。

  「文法をしっかりやりなさい」と言えば、「文法に頼る英語力には限界がある」とか「文法を教えすぎるから英語が使えなくなっている」と、これにもまた反論が出る。それでは「実際にありそうな自然な対話をそのまま暗記してみれば」と言えば、「会話はそんなに準備されたせりふ通りにはいかない。そんなものをいくら暗記しても役には立たない」と誰かが言う。…  ( 東後勝明 「聞き、覚え、使う」 現代新書編集部 『外国語をどう学んだか』 講談社 1992)

要するに、唯一絶対の方法なんてありませんよ、ということであり、たとえ少し間違った勉強法をしてしまっても、それほど差はないですよ、ということ。やりかたで戸惑って学習不安なんて愚かだと思いませんか。ネット情報収集だけに一生懸命になっている方、とりあえずブクマして満足している方。

Ⅷ.英語勉強しているのに世界を見据えないとは

世界に飛び出ていく為のツールである英語を、日本企業学校の基準に合わせてどうするのでしょうか。会社学校の要求に応えることが重要であることは言うまでもないですが、これから英語勉強して身に着けるということは必要不可欠であるということ。すなわち、グローバル化によってかつては「あった方が有利」だった英語から「ないとダメ」というように変化してしまったのです。だから、これから英語学習する人――特にビジネス面の方々――は、外国、とくに韓国中国ライバル意識を持って外国語を学ばなければならないのではないでしょうか。

おわり

英語に関することで今問題だな、(というか、もったいないな)と思うのが巷の「英語学習」と、学問としての「英語教育」との乖離です。この春休みに入ったころに、集中して現在刊行中の「英語教育学大系」シリーズ(大修館)を読んだのだが、個人的に得るところが結構あった。そういった学問分野での研究成果をうまく巷の「英語学習」に反映させればいいと思うのだけれど、実際「英語学習」者たちの間でウケてしまうのはTOEIC900点をとった人たちのアドバイス記事。もったいない

これ500B!超えたらblog再開させようかな…なんてw

最後まで読んで下さった方、有難うごいました

訂正

3/31,19:12

帰国子女の方々は生まれつき後者姿勢が備わっているきがします→帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます

↑生まれつき備わっているというのは誤りでしたので訂正しました。 

2011-02-06

結局オンチって耳なの声なの?

僕は超がつくほどの音痴だ。


中学生の頃、一人ずつ順番に前に出てドレミファみたな発声練習をさせられるんだけど

いつも僕の番でつまづいて、みんながクスクス笑っててすごく恥ずかしかった。

きな子の前で何度も何度もやり直しさせられて惨めだった。

音楽室でいつも居残りさせられてて悲しかった。


いで社会人になると接待忘年会なんかでカラオケなんかも連れて行かれたりして

「よし、まず増田おまえなんか入れろ」

たいな流れになったりするんだけど、それが嫌でいつも1次会で逃げてた。


音楽は好きなんだ。

歌う事もほんとは好きだ。

もっと大きな声で歌いたい

いで、あわよくばみんなに「うまいね」って言われたい

鼻歌でも音痴なんだねwww」なんてできれば言われたくない。

昔は一つだけ願いが叶うなら「歌を上手にしたい」ってお願いするって本気で思ってた。

今はくだんないと思うけどね。

でもアウトプットが出来ないってもどかしい


不思議なんだけど音痴メカニズムってなんなの?

耳(インプット)に入ってくる音が、正確に聞き取れてないか音痴なの?

声?喉?声域?声量?(アウトプット)がダメから音痴になるの?

色盲画家は?すごいヒトも沢山いるね。

確かベートーベン難聴だったんだっけ?

ちょっと歌と話がずれちゃったけど、SMAP中居さんているよね。

彼はもう20年近く歌を歌ってきて、練習も常人じゃ考えられないくらいしてると思うの。

でもあのレベルなんだよ。いや僕からしたら旨いけどね。でも言いたい事わかるでしょ?


自分が歌ってる時、音ずれてんなーとかわかってるつもり。

バックリ言うと僕は芸術関係の学校に進学したんだけど、そこで学んだことは

絵の上手なヒトと下手なヒトは見えてる情報が圧倒的に違うってこと。

同じコンクリート電柱を描いた時に黒と白の絵の具しか使わないヒトと多彩な絵の具を用意するヒトがいる。

音楽を聞いててもちゃんと聞き取れてるつもり。

でもやっぱり違うのかな。

わかんないんだよねぇ。


あとね、最後に同じような悩み抱えてるヒト。

僕が言うのもおこがましいけど気にすんな。

僕はある時から音痴」を気にしなくなった。

いかりや長介さんが言ってた。

「ヒトには笑われていろ」

カラオケで散々今までの鬱憤を晴らすようにダミ声でクソ音痴な歌で精一杯歌ってる。

コソコソする必要ない。

オンチが一発目いきまぁっす!!!」つって自分から歌ってる。

すっげぇきもちいい。

みんな誘ってくれる。上司も「おまえいいなぁ最高だよ」って言ってくれる。

その言葉を嘲笑ととるか本心ととるかは僕次第だ。

ただし、曲のセレクトはいつも明るくて盛り上がって誰でも知ってる、しかもちょっと短い曲を選んでる。

日曜日よりの使者」とか。セレクトさえ間違わなければいい。

歌唱力で売ってる歌手の曲はだめだ。

平井堅さんとかは無理だ歌いたいけどそこは己を知るってことで我慢してる。

それで悩みが消えたわけじゃないけど、とりあえずハッピーだ。


歌も絵もオナニーなんだってやっと最近気がついた。

カラオケなんてその程度だし、その程度の場所しか社会に出たら歌う機会なんてない。

まさかこんな僕に結婚式の余興の話はこないでしょうしね(笑)

2010-10-20

ヴォーカル加工の技術をまとめたんだけども

マイクで拾った声を電気的に加工して、声質そのものを変えるタイプ

コンプレッサー/リミッター … ヴォーカルの音量をととのえる

・イコライザー … 声の厚みを変えたり高音低音をカットしたりしてととのえる

ディレイエコーリバーブ残響音を加えてととのえる

アンプシミュレーター … 歪ませる

 

マイクで拾った声の特性だけを利用するタイプ

ヴォコーダーマイクで拾った声のこもり具合とボリュームを使ってシンセサイザーの音を変える

・トークボックスシンセサイザーから出た音を口の中で鳴らし(ノドの発声を使わずに)人間の口で喋ったものをマイクで拾う

 

マイクで拾った声の音程だけを加工して、声質は変えないタイプ

・オートチューン … 音程だけを細かく制御できる

 

最初から機械に喋らせるタイプ

VOCALOID

・VoiceText

 

ほかにもあるよな?なんか足りん

2010-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20100919204707

はてなダイアリーに「発声練習」(next49)っていうブログがある。

そこでホッテントリ入りしたような記事を読むといいかも

自分も似たようなもんだけど、なんとか前向きに生きていきたいね

2010-07-20

インプットに問題を抱えている非コミュ絶望

音痴にも二種類あってさ。

雑に言うと、耳に問題があるのと、喉に問題があるのなんだよ。

喉のやつは正確に音程を聞き取れてるけど、発声が不慣れなせいで音痴になってるから、歌うことを続けてれば確実に上達する。

お手本データが頭の中に入っているから、それを上手く再現できるようにしていくだけなんだ。

最初から歌が上手い奴っていうのも居るには居るが、たいていはこの種類の音痴からスタートして徐々に上手くなっていったパターン

ただ耳のやつはダメだ。何年カラオケ行ってもかけらも進歩しない。

歌手が歌うお手本を聞いている段階で違うように聞こえてるから、違うように歌ってしまうのも当たり前のことだ。

 

コミュニケーションがヘタクソなのにも二種類ある。

インプットに問題がある奴と、アウトプットに問題がある奴だ。

よくある「コミュニケーションが苦手だったけど、なんだかんだで友達が出来ました」話っていうのは、アウトプットに問題があるパターン

楽しいと感じているときでも無表情だったり、普通に話しかけたつもりなのにケンカを売っているような口調になったり。

表現したい感情が、不慣れなせいで正しく伝えられない。これは練習すれば直る。

とにかくたくさんアウトプットし、たくさんの人と関わることで、感情を誤解のないよう伝えられるようになる。

でもインプットに問題があるパターン。これはどうしようもない。

現代文で、物語文の読解が苦手だったやつはやばいよ。

相手が何を言わんとしているのかどう感じているのかと全く理解できず、的外れなことをアウトプットしてドン引きされてしまう。

人が善意をもってしたことも悪意に解釈し、相手を思い切り傷つけるような台詞を言ったりする。

こういう人は進歩しない。人に関われば関わるほど「被害者」が増えていく。

インプットに問題を抱えているということ

音痴にも二種類あってさ。

雑に言うと、耳に問題があるのと、喉に問題があるのなんだよ。

喉のやつは正確に音程を聞き取れてるけど、発声が不慣れなせいで音痴になってるから、歌うことを続けてれば確実に上達する。

お手本データが頭の中に入っているから、それを上手く再現できるようにしていくだけなんだ。

最初から歌が上手い奴っていうのも居るには居るが、たいていはこの種類の音痴からスタートして徐々に上手くなっていったパターン

ただ耳のやつはダメだ。何年カラオケ行ってもかけらも進歩しない。

歌手が歌うお手本を聞いている段階で違うように聞こえてるから、違うように歌ってしまうのも当たり前のことだ。

 

コミュニケーションがヘタクソなのにも二種類ある。

インプットに問題がある奴と、アウトプットに問題がある奴だ。

よくある「コミュニケーションが苦手だったけど、なんだかんだで友達が出来ました」話っていうのは、アウトプットに問題があるパターン

楽しいと感じているときでも無表情だったり、普通に話しかけたつもりなのにケンカを売っているような口調になったり。

表現したい感情が、不慣れなせいで正しく伝えられない。これは練習すれば直る。

とにかくたくさんアウトプットし、たくさんの人と関わることで、感情を誤解のないよう伝えられるようになる。

でもインプットに問題があるパターン。これはどうしようもない。

現代文で、物語文の読解が苦手だったやつはやばいよ。

相手が何を言わんとしているのかどう感じているのかと全く理解できず、的外れなことをアウトプットしてドン引きされてしまう。

人が善意をもってしたことも悪意に解釈し、相手を思い切り傷つけるような台詞を言ったりする。

こういう人は進歩しない。人に関われば関わるほど「被害者」が増えていく。

2010-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20100505062214

絵が描きたいのに、ヘタなのでどうしよう、って悩んでる人へのアドバイスだけど、見方を変えると、これって例えば「カラオケで歌いたいけどヘタ」っていうのと一緒だと思った。


ありがちな悩みとしては「音痴・音が外れる」・「自分の歌い方がなんかキモい」ってのがあると思うけど、つまり「歌のエッセンスを吸収・理解してない」って事だから、そこをまず、自分自意識というか潜在意識の中に刷り込む、という作業が必要になってくる。

よく言われるのは「バケツをかぶって歌う」という方法で、つまり『自分の喋る・歌う声を、自分意識で「ちゃんと」認識する』ための回路を、自分脳味噌の中に作りあげるための作業だ。バケツをかぶるのはさすがに恥ずかしい、という人は、右でも左でもいいから、自分のしゃべった声を片方の耳でよく聞こえるように、片手で『耳を大きくするような』感じで覆うといい。お勧めは、左耳(感情をつかさどる右脳と直結してるから、というのがその理由らしいけど)。

それができたら今度は、「自分の歌った声をまず録音し、再生して自分の耳で聞いてみる」というプロセス経験してみる。『自分の行動を客観的に捉える』という作業で、大概の人はここで「自分の声のキモさ」というものに悶絶するようだ。つまりそれだけ、普段は自分の声や喋り方について、無頓着というか、意識して発声している人が少ない、ということ。

そこで目(?)をそむけず、どこがどうおかしいのかって事を、きっちり意識する。上手くなりたいのなら、一連の歌声の中で、自分で気づいた点について、ノートを付けてみるといい。

本当はここで、楽譜が読める(音階視覚的に認識・置き換える)だけの知識があればいいんだけど、それは特に無くてもかまわないと思う。歌詞カードの部分に「ここで一瞬、タメを作る」とかメモを書く程度でも、とにかく「歌う際に、歌詞で気をつけるべき部分」を自覚的に理解しておく。

あと、「俺、滑舌が悪くて、何言ってるのか分からないってよく言われるんだよね」って人もいると思うけど、そこらへんは「お年寄りの人に、大声で、ハッキリ・ゆっくり語りかける」つもりで、歌詞を読み上げる練習をやってみると、あんがいと解消が早い、と思う...


あと、カラオケがうまくなるには、歌手の歌い方のモノマネをするのが有効だ、っていうのはよく言われる話だけど、声のトーンをたんに真似るだけじゃなく、例えば「歌手の表情や姿勢」まで真似てみるというのは、本当に有効。だから歌を聴くだけじゃなく、できればPVとかで歌手の細かいしぐさの格好まで徹底的に真似るのも、いいと思う。

それから、たまには目をつぶって「耳に神経を集中させて歌声を聞いて」みて、歌ってる人がどういうアクションをしてるのかを、想像してみる。なーんとなく曲を聞くんじゃなくて、「歌い手の表情を想像」できるように、意識を高めて聞いてみる。そうすると、真似る対象のイメージがすっと頭に浮かぶ→あとはそれを真似て歌う、というプロセス自然に出来るから、そうなれば歌う事はぜんぜん苦じゃ無くなる。

それができたら、今度は筋トレに相当する「ボイストレーニング」も、簡単なものでいいから並行してやってみるべき。歌う際に腹筋を使える(腹式呼吸)のと使わないのとでは、それこそ雲泥の差がつくし。

ここで高音や低音の部分の声が出ない、という悩みについてなら、高音部分はファルセットというか裏声を使えるならそれで誤魔化す方法もある。低音の場合だと、多少は体格の問題が出てくるけど、秋川雅史(「千の風になって」の人)のような感じで、腕を広げたりして姿勢を変えると出易くなる、気がする。ま、このあたりは、興味があるなら専門家にちゃんとした指導を受けたほうが早いよ。


もちろん、絵が上手く描けなくて悩む人よりは、歌が上手く歌えなくて苦に思う人って、タイプとしては少ないとは予想する(絵が下手なのは見てすぐ分かる事だし)けど、苦痛に思ったりしながら歌の練習をするっていうのは、やっぱり間違ってると思う。だって、気持ちよく歌うことって、単純に楽しいじゃん。上手く歌えたら、かっこいいじゃん。

でもよく、芸能人カラオケ大会とかの番組で、ブサイク芸人が酷評されたりする場面もあるけど、あんなのは無視していいと思う。ジャイアンリサイタルじゃない限り、誰かが歌う事が他人から非難される事って、あまり無いはず、だし。


それと、英語の歌を歌いたいなら、もちろん原曲を何度も聞き込むのは大事なことだけど、簡単な英会話や文法も勉強するとさらにいい。もっともここらへんは、歌える人にとっては「何を今さら」な事かもしれないけど、歌詞の内容を熟知したうえで歌うのと、そうでないのとで、これまた曲の深みがぜんぜん違ってくるのは、言うまでも無いよね。

健闘を祈る。

2010-03-18

オカマじゃなくても最近は男が女声出すの流行ってるんだね

えっこれ女でしょって言いたくなる人もいる

宝塚の人と同じメソッドで女声だしてんだって

名前オナニー法とかいう、発声法らしい

2010-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20100217113611

今は違うかもしれないけど、

大隈講堂の前ではいっつも演劇部員が発声練習してた。

(ちなみに、

大隈講堂は日大から借金してたときの担保になってたとの噂があったけど、

事実はどうだったんだろ。)

http://anond.hatelabo.jp/20100217025701

Google Audio Indexing が高度化すれば可能になりそうですね。

今はまだ英語発声音声だけみたいですが。

2010-01-26

赤ちゃん秘密

Explorer | Science of Babies | National Geographic Channel

http://channel.nationalgeographic.com/series/explorer/3090/Overview

ヒトは他の動物と比べて、遥かに無防備で無力な状態で産まれてくる。それにも関わらず、そこから最初の一歩を踏み出すまでに、赤ちゃんは劇的な成長を遂げる。産まれる瞬間から二本足で立って歩き出すまでの約一年間、赤ちゃんに起きる様々な変化を、発達の経過に沿って検証した番組

出産〜三ヶ月

生まれて初めての呼吸

ヒトは一生の間におよそ6億回(一分間に10回として、一日で1440回。100歳まで約36,000日として計算した物と推測)の呼吸をする。その中で最も重要で、しかし最も危険な、初めての呼吸。母親お腹の中に居たときには母体から酸素供給されていたけれども、一度産まれてしまったら、そこから先は自分酸素供給しなければならない。ほんの数分酸素が断たれただけでも、ヒトの身体は回復不能な障害を受ける。産まれた瞬間の赤ちゃんの肺は、羊水で満たされ溺れている状態。だから、産まれて初めての呼吸は、通常の呼吸の10倍から15倍の労力が必要となる。肺胞の隅々まで空気をみたしてやらなければならないのだ。この最初の呼吸によって、肺の中の水は血流に吸収されていく。

体温の維持

産まれるまでは母親の体温で暖められていた身体も、自分カロリーを消費して体温を保つように切り替えなければならない。その体制が整うまでの期間、充分に体が熱を作れるように、新生児は熱に変換しやすい褐色脂肪豊富に蓄えて産まれてくる。冬眠中の熊のように。

生まれる時期の決定

赤ちゃんが、今現在成熟度と大きさで生まれてくるようになったのは、今から約800万年ほど前。他の動物と比べると、ヒトの新生児の頭は(身体との対比で相対的に)大きい。赤ちゃんが産まれてくるタイミングは、母親骨盤の広さと新生児の頭部の成長との兼ね合いで、ぎりぎりくぐりぬけられる大きさになったときである。真っ直ぐには出て来れず、一度頭を90度回転して骨盤をくぐり、さらにまた90度回転して出口の骨を避けるようにして生まれてくる。

生まれ持った本能

ヒトの赤ちゃんはとても無防備な、無力な状態で産まれてくる。他の動物、例えばサルと比べても、自立するまでに長い時間がかかる。ヒトに最も近縁のチンパンジーでも六ヶ月くらいで歩き始めている。そのようにかなり未熟な状態で産まれてくるにも関わらず、ヒトの新生児も生まれながらにある種の動物的な本能を備えている。それは生存の為に重要な反射運動であり、またある種、進化を裏付けるような原始的な反応でもある。

まだ歩くこともできない生まれたて新生児は、抱き上げて支えながらかかとを地面につけてやると、両足を交互に繰り出し、まるで歩き方を知っているような反応を示す。でも、その反射は六週間後には消えてしまっている。ところが、不思議なことに、水の中ではその反応が蘇り、そうして反応を誘導してやると、それ以降は消えることがなくなる(番組では、透明な浴槽の中に赤ちゃんを抱きかかえて下半身をつけてやっていた)。

他によく知られている生まれながらの反射運動には、次のような反応がある。

  • 頬を撫でると頭をそちら側に向けて吸い付く反応(おっぱいを飲む)。
  • 手に触れたものを握りしめる反応(母親背中にしがみついているサル赤ちゃんに似た反応)
  • 身体を傾けると手足を拡げて何かに捕まろうとする反応(木から落ちそうになったサルが反射的につかまる枝を探す反応に類似)。
  • そして、水中では息を止めて心拍数を落とし、脳への酸素供給が止まらないようにするという反応。

これらは、どれも動物の生存本能に共通する原始的な反応といえる。

数の認識が出来る

赤ちゃんの考えていることを知るのは難しい。しかし、赤ちゃん認知力の一端を覗く、いくつかの方法がある。ある研究者は、赤ちゃんが何か違和感を覚えた時に、対象物を凝視する時間が長くなるという現象に目をつけた。この時間を計測することで、赤ちゃんが何に気付き何を認識しているのかを探ることができる。その研究者は、新生児が数を認識する(簡単な足し算引き算の)能力を持っていると考えている。行われた実験はこうだ。まず、一つだけ置かれている人形赤ちゃんに見せる。そこをついたてで隠して人形を見えなくしてから、そのついたての裏にもう一体の人形が入っていく様子を見せる。そして、見えない位置からこっそりその人形を取り去った後で、ついたてをおろす。赤ちゃんから見れば、そこには二つ人形があるはずなのに、一つしか無いという状況。そのような矛盾がある場合、なにもトリックを使わない場合と比べて、人形凝視する時間が長くなる。二つの人形を見せて、そのうちの一体がついたての後ろから出て行くところをみせたのに、ついたてをよけてみると人形が二体に残っているという引き算の矛盾にも、その反応が観察されることから、赤ちゃんは生まれながらに数の認識を持っているに違いないという話。

最初は目よりも耳で情報を得ている

まだ自分で動くことのできない赤ちゃんにとって、飛び込んでくる外界の刺激はもっぱら光と音ということになる。聴覚視覚よりも先に発達していて、お腹の中に居ても母親の声を聞き分けられるけれど、視覚は産まれてから外部の刺激を受けながら、徐々に発達していくもので、この段階ではまだぼんやりと対象物を捉えているにすぎない。

ニューロンの発達、シナプスの形成

とはいえ、母体の中と比べて外界は刺激に溢れている。流れ込んでくる大量の情報を処理していく体勢を整えていく必要がある。ヒトの体には、約10億の脳細胞神経細胞ニューロンと呼ばれる情報処理に携わる細胞が存在する。これらが、外部から飛び込んでくる刺激を情報として捉え、ネットワークを構築していく。一つ一つのニューロンは、個別の電話機のようなもの。細胞間の情報は、シナプスと呼ばれるリンクを介してやりとりされる。最初は外界のあらゆる刺激がネットワークをフルに刺激していて、あちこちの電話機が絶え間なくなり続けているような混線状態。その中から、必要な連絡網だけが残るように、ニューロン同士が互いにリンクし合う相手を求めて競合している。この過程を可視化して映像に捉えた研究が紹介された。最初は筋繊維に複数のニューロンが繋がっているが、黄色と青色、色違いで染められた二つのニューロンがある筋繊維に連結しようとしている。最初はどちらも繋がっているように見えるが、この二つのニューロンは互いに競合し合って、最終的に一方の色に染められたニューロンだけが残るまでの過程が観察される。ニューロンネットワークが形成される様子が見て取れる。

三ヶ月〜六ヶ月

未完成ながらも、ニューロンネットワーク成熟するに伴って、運動神経がやや発達してくる。頭を持ち上げたり、寝返りを打ったり、ものを掴んだりすることができるようになる。

学習するという能力

野生の動物や鳥、昆虫などは、生まれながらに餌の捕まえ方や身の守り方を知っている。数を数えることさえ生得本能だ。それが発揮できず、他者のケアが無ければ生きられない、ヒトの新生児は非常に未熟な状態と言える。そのような状態で産まれてくることは不利なことなのか、いやそうではない。生まれついての本能はそれ以上発展することがない。しかし、未完成な状態で産まれてくるヒトは、環境経験から、より高次元の習性を構築することができる。これが学習する能力の特徴である。

学習して能力を獲得するのには適切な時期があり、その時期にきちんとした情報入力ニューロンへの連結が行われないと、その能力は形成されない。使われない機能は失われていく。三ヶ月くらいの新生児は、各国の言語微妙に異なるトーンを聞き分ける能力を持っているが、その後六ヶ月を過ぎてしまうと、一番身近な言語の発音を聞き取る能力だけが大きく発達していく(マルチリンガルに育てるためには、六ヶ月までにいろいろな言語を聞かせておけという理論の根拠はここにあるようだ)。

需要のない能力が失われていく話題に関連して。三ヶ月あたりで、目のレンズと視神経との連絡が完成する。この時期に、適度な情報が目を通して与えられることで視神経を構築する。ある赤ちゃんが片方の目のレンズに問題があることがわかった。このままだとその眼球からの情報入力がないために、ニューロンの連結に不備が生じてしまうということで、レンズの機能回復手術を行った。手術そのものは一時間ほどで無事に終わったが、その後の検査で、もう一方の健常な側の目に眼帯をした、なぜか。回復させた眼球を強制的に機能させ、視神経を発達させるため。

六ヶ月〜九ヶ月

情報処理の柔軟性

運動機能はさらに発達して、座ることができるようになる。つかまり立ちや、立ち上がるまでには至らなくても、ハイハイをして動き回れるようになり、行動範囲が広がる。ハイハイスタイルには個性がでる。これは新生児それぞれの運動機能の発達状況は環境依存するもので、成長に関してあまり重要ではない。この時期に最も重要な発達は、学習したことの再構築ができる柔軟性を得ること。自分から動き回れるようになって、取り巻く環境が劇的に変化する。外界からの刺激もさらに複雑なものになる。遭遇する危険も増える。座れるということは、バランスを崩して転ぶことができるということ。自分で動けるということは、溝に落ちたり、何かにぶつかったりできるということ。それなのに赤ちゃんには、届く/届かない、バランスが崩れる/保てるといった認識がまだ無いので、無鉄砲で失敗を繰り返すことになる。目標物以外に注意を払うことや、体バランスの取り方など、失敗の経験から、環境適応していく脳の柔軟さが求められる。この時期の赤ちゃん運動機能の発達を研究している様子の映像。何かを見つけてそれを取りにいくという動機で動き回るようになる。その間に溝などの障害があっても殆ど認知されていないで突き進む赤ちゃん。その過程で失敗を繰り返し、危険回避するという学習の過程が認められる。

顔の認識、表情の識別

ニューロンネットワーク発達中の情報処理の取捨選択の別の例として、顔や表情の認識がある。ヒトやサル顔写真を見せ、新生児の脳波の変化を測定することで、どのような違いを認識しているかを観察した。二ヶ月くらいまでは、人の顔のパーツの配置が乱れていても識別できない、三ヶ月くらいで、顔を顔として認識するようになる。この段階では、サル顔写真一つ一つの個体の違いを区別している。しかし、六ヶ月くらいになると、サルの個体を区別しなくなっている。必要の無い情報処理能力が失われている。代わりに、ヒトの表情の違い(喜怒哀楽)に敏感に反応するようになっている。

この時期の発達過程は、自閉症と関連づけて注目される。孤児をケアする施設で研究されている内容。一般的な家庭環境と比べて、この時期に人の表情に接する機会が少ないと、表情を識別する能力の発達に影響が出る。他者の感情を表情から読み取ることが難しいという自閉症の特徴に関わっているかもしれない。

九ヶ月〜一歳

運動機能の成熟ニューロンネットワーク成熟言語の獲得とそれに伴って起きる変化。

言語の習得

言語の獲得には多大なリソースを割くので、使われない能力はより顕著に消失していく。生後十二ヶ月で約40個の言葉認識し、さらにその一ヶ月後には100個まで増えている。

ある新生児言語獲得の記録。全ての部屋にマイク天井から見下ろす魚眼カメラを設置して、起きている間の赤ちゃんの行動と言葉を発していくまでの過程を観察した映像。馴染みのあるモノや身近な者を通して、言葉フレーズと対象物やイベントとをリンクさせようとする。新生児がある対象物を認識してBa、 buh、Dahといった発声をするようになる。それに対して親がDad、Ballなど、はっきりとした言葉リピートしたり、Blue ballという形で発展させたり、あるいは動作や行動と組み合わせてフレーズで返したりする。フィジカルイベントソーシャルイベントの関連づけが、言葉学習していくプロセスである。

新生児言葉学習する過程を分析して、学習するロボットの開発に取り組む人たちの紹介。ロボットに「赤色」の「ボール」を取ってと指示するがロボットには対応できない。絶えず変化する状況にも対応できる学習する能力の柔軟性をいかに獲得させるかが鍵。

一歳〜

運動機能だけでなく、骨格も充分に発達して、肩幅も広がり、足も伸びて、筋力もついてくる時期。ここに至って、頭を持ち上げての二足歩行、つまり歩き始める準備が整う。

二足歩行の意味

四本足で歩く動物はその移動の為にカロリー(消費カロリー全体の?/摂取カロリーの?)の約50%を消費する。その観点でみると、二足歩行は移動に関して非常にエネルギー効率が良い。さらに、両手をフリーにすること、より大きな容量の脳を支えることができるという利点もある。このような点に二足歩行の意味がある。

感想メモ

赤ちゃんすげえ。という完全に私的な興奮から、自分が理解した内容の備忘録としてここを利用させていただきました。理解のあやふやな箇所がたくさんあるので、誤った記述が含まれている可能性はかなり高いです。特に言語獲得のプロセスに関する部分は未消化だという自覚があります。何ヶ月〜何ヶ月というのは、整理のための大凡の目安として個人的に捕捉したもので、これを一般化して赤ちゃんの成長を評価するものではないです。水中で歩行する話だとか、数を数えられるよという映像は、ちょっと観察手法の正当性に注意が必要な気がしました。赤ちゃんリアクションが周囲の観察者の期待に影響を受けていたりはしないだろうかと(昔、計算が出来る馬の話のトリックについて聞いたことがあるので)。

リンク

ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP 赤ちゃん不思議

http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/shop/detail.php?id=219

2010-01-11

昨日オナラがとまらなくって、オナラするたび

「あぁぁああああ~~(ブゥ)」と声楽発声練習のように歌いながらオナラしてたら

旦那(精神科医なのですが)が

「アンタ、俺が診てる患者さんそのものだよ、歌いながら屁をするって・・

その状態じゃ注射して落ち着かせるんだけど、普通

と言われた。

ムカっっときて「私のどこを治すって言うんだよ~だバカヤロ~~」と言ったら

「それそれ!それもまさに患者が言う口答えなんだな・・」

入院したほうがいいのか?

2009-12-06

http://anond.hatelabo.jp/20091206013734

納豆を口いっぱいにほおばり、発声練習のように口を全開にして、

この醜悪な咀嚼スタイルが常日頃の貴様の姿だー」

と叫んでわざとらしく音を立ててくちゃ噛みを見せ付ける。

- 転職ならen
- 派遣ならen
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