はてなキーワード: 産婦人科とは
私は非科学的に放射能を怖がる人々にはうんざりしてます。で、「放射能で奇形が生まれた!」みたいな騒ぎに「そもそも奇形は自然にも生まれるもので有意に増えたのでなければ放射能の影響を強調するのはおかしい」という意見には肯定的で(そこに差別的視線が云々という話もあるけど、いったんおいておく)す。
ただ、時々みかけるのが「放射能の影響で奇形が増えるなら流産の報告が増えてなければおかしい」で、こういうことを言ってる人には「ちょっと…」と思うのです。もちろん、放射線の影響に関する今までの調査その他から言って「放射能の影響で奇形が増えるような状態では流産等も増えているはずだ」はほぼ断言できると思われます。
しかし、です。最も根本的な問題として「流産の量に関する統計ってまともにそもそも存在するんですか?」 以前からも現在でもまともな統計はないと言っても過言ではありません。なので、データがなくてもみんなが認めるほど大きな変動でもなければ、「流産が増えたかどうかなんて実はよくわかりません」。もちろん、ある産婦人科からみて、「妊娠が分かって出産まで面倒を見ているうちの流産になった人が多いな」と気づく場合はあるでしょう。そういう産婦人科が増えれば、流産が増えた状況証拠としては使えるでしょう。でも、統計的に耐えるほどちゃんとしたデータを残している病院ってそんなにありますか?日常の診察の中で感覚として増えたと感じるなどの異常を感じたら、まぁさすがにそのときに声を上げる病院関係者はいるでしょうけれども。
なので「流産異常の増加が統計的有意に放射線の影響を示さない限り、放射線の影響による奇形の増加は認められない」と断定するのはちょっとつらいのです(流産の数に関する調査がまったくなんの状況証拠にもならないとまでは言いません)。
あとは関連話題になりますが、流産の原因に占める要因別って、厳密に解明されたわけではありませんが、何周目かによって実は変わってきます。ストレスの影響が出やすい時期とそうでない時期、そういうものが言われてます。特に初期は「本人が妊娠に気づく前に流産にも気付かない」例も案外ありますが、これに関するまともな統計はありません(推計はないことはないはずですが、微妙な増加を察知することはほぼ不可能です)。まぁ、世の中には妊娠に気づかず出産する人もいますから(まぁこんなのは例外中の例外なので統計的察知には影響ありませんので余談ですが)。微妙な増加を検出するには悪条件が余りにも多すぎるというのは理解いただけましたでしょうか。
まぁ、もっと言うと、「放射線で奇形」が多発すると「不妊」も増えるはずです(そもそも受精しない)。が、不妊が増えたかどうかの測定は流産の測定異常にさらに困難です(どこに厳密なデータがありますか?)。
でもっと言うと、不妊やある時期の流産にはストレスの影響も強いのはわかっています。従って今回のような地震+原発問題のコンボの時期に「放射線の影響」だけ切り出して「流産の増加」を測定することは、まぁ簡単なこととは言えないと思いますが…。
私はこの手の分野の専門家ではないので上記の中に突っ込み所を見つけられる方もいらっしゃるでしょうが、これを読んで正確な突っ込みを入れられるレベルの人を除くと、私は「放射能の影響で奇形が増えるなら流産の報告が増えてなければおかしい」などという余計なことは言わない方がいいと思いますよ。
使用済みまんことそうでないまんこは、まんこ専門家であるデキる産婦人科医が見ると一目瞭然らしいぞ
喉が荒れるなと思って、ネット経由で郵送で検査した。クジミア・コンジローマは陰性だったが、淋病が陽性だった。
最後にやったのは多分4年前くらい。私の経験は元彼だけ。感染路の確実な特定はできないが(大体が性行為らしいが)、私からうつるとしたら元彼しかいない。私はここ4年、一人身である。
とりあえず、先に病院へ行った。喉の性病だと耳鼻咽喉科らしい。そこの先生が、「相手は分かりますか。なるべく早めに連絡してください」と言ったので(そのときに、「なんでこいつ産婦人科より相手の連絡より耳鼻咽喉科来てんの?」というメッセージ、もとい被害妄想を受信したので)元彼へ連絡した。
検査しようと思った経緯から書いたから、結構長文になってしまった。
あっさりした返信だった。
寂しい。
Yahoo知恵袋には、本吉病院長に対する地域の冷たい仕打ちがあったような記事が出てくる。
webには、そのようなものはなかなか出回らない。 とりあえず、ちょっとメモまで。
どうなのかな? 投稿者:一患者 投稿日:2007/02/20(Tue) 19:57 No.106
この頃、本吉病院に行くことに、ちょっと抵抗を感じるようになりました。誤診なのか知識不足なのか、適切な処置をされないで手遅れになるところだった人の話を聞きました。医者も生身の人間ですから、診誤ることもあるかもしれないけれども、私たち一般の人は医者を頼りに病院に行くわけですから、しっかり診察をしてほしいものです。
森町長がこの掲示板を見るかどうか分かりませんが、できたら、もっと医師に研修なり、勉強の機会を与えて、町民の命を預かるというのは、重責かもしれないけれども、でも、本吉町で唯一の病院ですので、高い機械を入れるばかりでなく、それを使いこなす人材や医師を育ててほしいと思います。赤字で大変でしょうが、一考お願いします。
直接、病院事務長や院長に話をすればいいのでしょうが……
あとは、勉強用に。
本吉町国民健康保険病院改革プラン(平成20年12月:本吉町国民健康保険病院)
本吉町国民健康保険病院は、昭和22年8月に旧津谷町国民健康保険組合の直営で一般病床24床の病院として開設された。
翌23年には、法改正により旧津谷町に移管され直営病院となった。
昭和30年3月の町村合併により本吉町国民健康保険病院となり、この年に新病棟が建設され、一般病床52床、伝染病病床12床を有する病院となった。
昭和34年当時の診療科目は、内科、外科、小児科、産婦人科を標榜しており、地域の中核的病院として住民の健康と福祉の増進に大きく貢献してきた。
しかし、その後人口減少などの理由により、病院は多額の累積赤字を抱えるようになったため、昭和47年に病院運営委員会を設置し累積赤字の解消に努めてきた。
その後も逐次規模の縮小が図られ、昭和61年には一般病床38床で、内科、小児科を標榜する現在の病院の規模となった。
昭和47年から取組んできた累積赤字の解消は、一般会計からの繰入金の増額等により平成6年に全て解消することが出来た。
その後は単年度の損失はあるものの繰越利益剰余金により累積赤字は発生していない。
本吉町内には、かつては数軒の医科医院が開業されていたが、医師の高齢化等により廃業し、平成15年以降は診療が行われておらず、本吉病院が町内唯一の一般病院として現在に至っている。
国の医療費抑制策による近年の診療報酬改定は、小規模な病院に与える影響が大きく本吉病院においても診療収入が減少している。
特に平成16年度の診療報酬改定により薬の長期投与が可能となり、患者の通院数が月2 回から月1 回になったため外来患者数が減少したことも診療収入減少の要因の一つとなっている。
現在本吉病院では、常勤医師2名により平日の診療に当たり、土日及び祝日等は東北大学病院より臨時医師を派遣いただき診療に当たっているが、患者数による必要医師数は常勤医師3名となっており、早急に常勤医師3名体制の確立を図る必要がある。・・・
本吉町国民健康保険病院は、一般病床が38床で、診療科目は内科、小児科を標榜しているが、現在は内科医師2名により、実質的には内科単科のみの医療提供を行っている。
外来患者数は、1日平均70~80名で年間約21,000人となっているが年々減少傾向にある。入院患者は1日平均35人で病床利用率は93%となっておりここ数年は横ばいとなっている。
外来、入院診療のほかに、件数は少ないが訪問診療や訪問看護・訪問リハビリ等も行っている。
本吉病院は、町内唯一の一般病院であることから、毎週日曜日は当番医として診療を行っているとともに、救急告示医療機関にはなっていないが、内科に係る初期救急については24時間受け入れを行っている。
また、町の健康福祉課が計画している乳幼児等の各種健診や予防接種のほか、町立の幼稚園・保育所、小学校、中学校の校医も受託している。
さらに、町内企業の産業医を受託しているとともに気仙沼地域産業センター主催の健康相談への協力も行っている。
以上のように、本吉病院が地域において果たしている役割は極めて大きく、本吉町の保健医療の推進を図る上で欠くことのできない重要な医療施設となっている。
本吉病院の正職員数は、医師2名、薬剤師1名、診療放射線技師1名、臨床検査技師1名、理学療法士2名、管理栄養士1名、看護師18名、事務職員5名の計31名、ほかに臨時職員が看護補助員9名を含めて21名で、合計52名となっている。
医師については、本吉病院の患者数による常勤医師必要数は3名で、1名不足となっていることから、当直等を含めた勤務時間が過剰になるなど医師の負担が重くなっており、早急に医師の確保を図る必要がある。
宮城県気仙沼市本吉町の市立本吉病院(38床)が苦境に立たされている。津波で1階が高さ1.7メートルまで浸水した被害に加え、2人の常勤医が辞職するなどして現場を離れたからだ。被災と「常勤医ゼロ」の異常事態が重なる医療現場で、看護師や派遣医師が「住民の身近な病院を守りたい」と奮闘を続けている。
押し寄せた津波に入院患者20人や職員は避難したが、1階の診療室やエックス線室、コンピューター断層撮影(CT)などの医療機器は水に漬かり、損壊した。
3月20日には院長(59)が辞表届けを提出。もう1人の常勤医の40代男性も体調を崩し、ともに現場を離れた。病院関係者は「停電、断水、薬不足の中、外来患者は普段の2~3倍に上り、昼夜働きづめだった。誰も責められない」と語る。
現在の医療活動は、徳洲会病院グループでつくる災害医療協力隊「TMAT」が担う。入院患者は岩手県立千厩病院(一関市)に移送し、24時間態勢で外来診療に当たる。
千葉県から5泊6日の日程でやってきた医師黒岩宙司さん(54)は「避難生活の長期化で風邪や不眠を訴える人が増えている。今こそ協力隊の力を発揮しなければならない」と力を込める。
病院職員は津波によって12人が自宅損壊、2人が家族を失った。自宅が津波で流された薬剤師長の遠藤博文さん(54)は「JR気仙沼線の復旧の見通しが立たず、遠距離通院はできない。ここを守るしかない」と、泊まり込みを続ける。
TMATの支援期間は1カ月程度の見通し。市は復興作業と医師確保という難題を背負った。
看護師長の佐々木美知子さん(44)は「人口1万1000の本吉地区住民にとって、病院はここしかない」と話す。
職務に追われ、2人の子どもと会えたのは震災1週間後だった。「住民の健康を守るため、病院存続のため、みんなで力を合わせたい」。言葉に強い覚悟がにじんだ。(高橋鉄男)
◎常勤医去り職員が結束/宮城県気仙沼市立本吉病院看護師長・佐々木美知子さん(44)
入院患者19人全員を岩手県の病院に移し、人心地ついた朝だった。
3月20日。気仙沼市立本吉病院。
男性院長(59)の姿が消えた。
震災から9日間、泊まり込みで診療を続けていた。部屋に辞職願があった。同じ日にもう1人の常勤医も体調を崩し、現場を離れた。
旧本吉町で唯一の病院は常勤医がいなくなった。
看護師ら31人の職員が残された。被災で派遣された外部の医療団の応援を受けている。4月上旬。
「おばあちゃん、眠れていますか」
2階の一室で外来の患者に話し掛ける。そばで派遣医師が心音を聴いている。
院長は地元が兵庫県で阪神大震災にも遭ったという。耐えられなくなったのだろう。
「責められないよね。私も逃げ出したいぐらいだもの」
津波で1階が水没した。医療機器が壊れ、カルテが流され、ガスと電気と水が止まった。
メモ用紙に「カルテ」と書き込み、急場しのぎの診療記録を作ることから始めた。
入院患者の足元で雑魚寝し、患者のタオルを借りて寒さをしのいだ。医薬品が足りない。患者によっては点滴を半分に減らさざるを得なかった。
病院は存続するのだろうか。常勤医の不在は職員を不安にさせた。
外来患者は1日200人前後。震災前の3倍に増えた。不眠や風邪を訴える。
「病院が地域の人に求められている。病院消滅の不安は消え、存続への使命感に変わった」
4月9、10の両日、地元の住民約100人がモップと雑巾を手にやって来た。自治会長(52)が常勤医不在を知り、「地域の力で病院を守ろう」と清掃を呼び掛けた。
1階の泥をぬぐい取る。職員も一緒に精を出す。
看護師長になって12年になる。2人いる管理職の1人として職員を束ねる。
「みんなと一緒に目の前の患者に向き合うことしかできない」
職員のうち、12人が家を流された。それでもほぼ休みなく働いてくれる。家族を失った看護師も現場復帰した。
家に帰ると、長男(8)と長女(5)に抱き付かれる。「うちはどうして休みがないの」と聞かれる。ほとんど一緒にいられない。夫(42)も市の水道職員で忙しい。
医療団はいずれ去る。
「それまでに常勤の医師を確保し、以前の運営に戻れるかどうか分からない。でも、職員と地域の人は命の拠点を残したいと頑張っている」
心の中でわが子に言い聞かす。
もう少し待って。いい未来を残すから。(高橋鉄男)
東日本大震災の津波で1階が水没した宮城県気仙沼市の市立本吉病院(38床)は、大半の医療機器が流されたうえ、院長ら2人いた常勤医が病院を去るなど苦難に直面した。だが、残った看護師や職員は県外から派遣された医師とともに「被災して苦しんでいる人をわれわれが見捨てるわけにはいかない」と奮闘を続けている。【村松洋、堀江拓哉】
3月11日、2階建ての病院は大きな揺れで停電した。非常用発電機でひと息ついたのもつかの間、約35分後には津波が襲った。1階が水没したが、入院患者19人と看護師長の佐々木美知子さん(44)ら看護師、職員約20人は2階に避難して無事だった。医薬品や布団、非常用食料は2階の一室に運び込んだ。
夜には自治会から発電機を借りて、心電図などの機器をモニターした。それでも院内は真っ暗で、懐中電灯で看護を続け、患者にはレトルト食品など非常食を食べてもらった。
来院者は増えた。不眠やストレスで息苦しさを訴える被災者が多く、通常の約4倍の270人が来院する日もあった。佐々木さんは10日間、自宅にも帰らずに看護を続けた。
17日には県外から3人の医師が応援に入り、19日には入院患者の転院を終えた。だが翌日、院長(59)の姿はなかった。机上に「一身上の都合」を理由にした辞職願があった。
院長は阪神大震災で被災し、東日本大震災では津波にのまれ、病院の燃料タンクにつかまって助かった。管理課長の鈴木幸志さん(59)は「2度も被災され、院長の家族も心配していた。去ったことをとがめるわけにはいかない」と話す。体調を崩したもう一人の常勤医も病院を去った。
残った看護師や職員たちも被災者で、計29人中12人が津波で家を流された。夫や親族を亡くした看護師もいるが、全員がほとんど休まずに勤務を続ける。
4月9、10日には地区の住民ら約100人が1階の汚泥の掃き出しなど掃除をしてくれた。地震から1カ月の11日、1階での診療を再開した。
応援の医師はいずれ県外に戻る。病院は今、市や医師会を通じ、新たな常勤医を求めている。佐々木さんは、常勤医不在で病院の将来を心配しながらもこう話す。「家を流され、私たちより困っている人が大勢いる。そんな人たちを診てあげられるのは私たちしかいない。今できることを毎日続けるだけです」
宮城県気仙沼市本吉地区で唯一の医療機関、市立本吉病院では、震災後に男性医師と院長が相次いで休職・辞職し、残された看護師たちが応援の医師と休まず働き続けている。
「大丈夫? 痛くないかな」。白衣の代わりに白いエプロンをまとう看護師長の佐々木美知子さん(44)が高齢の女性から採血し、優しく語りかけた。
1階天井近くまで達した津波は白衣も医療機器も流した。人口1万1千人の本吉地区から市中央部への道は断絶。佐々木さんらは、薬を求めたり体調不良を訴える市民の応対に追われた。院長(59)は1日に最大で270人の患者を診察した。
応援の医療チームが到着した14日から、50代の男性医師が休職。20日には院長が姿を消した。院長室の荷物にまぎれて辞表が見つかった。「院長がああいう辞め方をしたことを責められない」と佐々木さん。「看護師だけになってもやるしかないと覚悟した」
応援チームは小児科や外科の医師もいて、24時間体制で患者を診られる。皮肉にも、内科だけだった震災前より多くの市民を診察できるようになった。5月までは医師2人のチームが交代で来てくれる。ただ、地元の主治医と呼べる医者がいずれ必要となる。
「ここが地域の中心になって、福祉や介護、生活すべてを守りたい」。佐々木さんは同僚の看護師と肩を寄せ、笑いあう。「早く新しい先生に来てもらえるよう、私たちが頑張らなくちゃ」 (柚木まり)
まあ東電は迅速に賠償するべきだと思うんだよね。風評被害による損失とかさあ。現状で被害額が算出可能なんだから、それは今すぐやるべき。
だけど
きちんと誰が悪いのか全員晒して、至った経緯を明確にするべき。
これは無理だろうな。経緯が複雑すぎて、誰が悪いのかなんて決められないと思うよ。
たとえば地震翌日の一号機のベント。しようと思ったときに即座にベントできないのは確かに問題だ。だが、やれベントが遅いだのなんだの言うけど、ベントが早かったら現状が少しでもマシになっていたか。建屋内の水素爆発は起こらなかったのか?
今考えられている制御棒の状況からして、1時間早くベントしてもやっぱり水素爆発は起こったろう。一方、ベントを遅らせるということは環境への放射線量の影響を減らすために非常に重要。短命な放射性化学種が存在するし、崩壊熱が高い初期段階では、ベントしてもすぐまた圧力が上昇する。そこで注水すればそれだけ水素の発生量も増える。
つまり、ベント一つとってもどの時点で開始するのが最適だったかは現状ではわからないわけ。少なくとも炉心を開いて燃料棒がどうなってるかはっきりわかるまでは正確な議論ができないだろう。というか炉心がめちゃくちゃになっていて地震直後の状況なんて全然わからない可能性もある。
そう考えると、そもそも至った経緯を明確にするというのが不可能なんじゃないかと思う。
もちろん政府や東電首脳部の考えを公開することはできるよ。一時間ごとにどう考えたか発表することもできる。でも実際の原子炉内の状況がわからない以上、その考えが正しかったかどうか検証するのは難しい。ベストではなかったとしても、ワーストだったとして断罪するというのは非常に難しいんじゃないかな。
刑事罰を課すことで事故の再発を防ぐという考えには賛成できない。杏林割り箸事件とか大淀産婦人科事件がどういう結果になったか。
杏林以降、救急外来が子供の急患を診なくなった。そして全国の小児科がどんどん閉鎖。大淀はもっと劇的だ。まず奈良の、そして全国の産科崩壊。
2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。
昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。
様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分も増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。
筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。
仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年秋からとりくみはじめた。
基礎体温は2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。
夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常。
仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。
そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。
夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、
「顕微鏡でためしに自分の精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。
私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。
基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。
記録をまとめて印刷することもできるので、医師に妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。
上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。
挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。
夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。
年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。
とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。
20代で子供を産み、子供を小学生に育て上げてから、仕事をはじめた友人や、
私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。
たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……
冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?
妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、
お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい。科学的根拠は不明?
そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。
カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。
夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。
私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。
夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。
年末年始、大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした。
いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮やおせちをたべてゆっくりした。
その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、
妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。
子宮のなかに小さな黒いまるがうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮外妊娠ではない事がわかりほっとした。
妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ に夫婦で登録し、
2月の半ばに2回目の検診にいった。
先生がカーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。
黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。
赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。
調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、
あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。
つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。
つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。
回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした。
3月の初めに3度目の検診に行った。
この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。
ちょうど夫の仕事が休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。
いつものように、エコーの検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。
何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。
先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。
稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。
夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。
ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。
丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかわからなかったけど、
とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した。
待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。
「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。
あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した。
母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。
義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。
夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。
未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。
誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。
これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。
前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。
義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。
海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。
手術前夜からの入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、
夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。
手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯でおむすびをつくり、
病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、
夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事がギリギリで、とても忙しい時期だ。
そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、
何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、
「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんだから、耐えよう」と思った。
当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟のナースステーションに行き、書類を出して手続きをした。
病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボン、Tシャツ、パジャマの上着、フリースの長いコートで、
家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。
ナプキンをつけてから、担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。
赤ちゃんは最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。
この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。
それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。
午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。
多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。
担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、
計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。
台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。
肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、
思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、
先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます。子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、
器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。
事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。
しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。
もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景をイメージしてみた。
だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリとピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノみたいな音楽(フロアに流れるかすかなオルゴールの環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリとピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。
しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。
「お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。
顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。
ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。
すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。
麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。
時折、看護師さんが来て出血を確認していった。
いつの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。
持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。
重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。
なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。
麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。
病室でズボンをはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。
夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした。
夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるから、おむすびいらないよ」と言うほど、
手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。
私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。
夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびとお茶を持ってきてよかった」と言った。
薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。
看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。
子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。
来週に検診があって、また病院にいく。
元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家の土地のいい場所に植えようと思う。
その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。
・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵と基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。
この毎日の記事に書いてあることを全く理解できずにはてブで喚いているはてな女子を見ても、相変わらず、はてなのレベルは低いよね。
低出生体重児:「小さく産んで…」に警鐘 やせ願望影響で増加 生活習慣病の誘因に
http://mainichi.jp/life/edu/child/news/20110107ddm013100107000c.html
はてなブックマーク - 低出生体重児:「小さく産んで…」に警鐘 やせ願望影響で増加 生活習慣病の誘因に - 毎日jp(毎日新聞)
http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/life/edu/child/news/20110107ddm013100107000c.html
はてな女子がぶつくさ言っているけど、スターが一番多いこれなんか典型だよね。
pollyanna 母親の「やせ願望」なんかより、やたらと厳しい体重管理指導のせいでしょう。最近は緩和されたと聞くけど。「子供より自分のみばえやラクさを重視するいまどきの母親」批判っぽい、いつものアレかな? 2011/01/07
他のはてブのコメントを見ても分かるけど、医師の体重管理の指導に問題があるからやせ願望の母親を批判するなってことをしきりに言っている。全く、記事の本文を見てないよね。
はてブのコメントには、自分が経験した産婦人科では体重管理が厳しかったとか言ってるんだよ。自分が経験したことを全体化して、医師一般の体重管理指導に当てはめて、医師叩きをしてどうするのかね?自分の周りの経験を一般化するなとかは、はてなでよく批判されてなかったっけ?自分は産婦人科でこうだった、だから産婦人科はこうに違いないとかバカかと。女を批判しているとなると、途端に変なことを言うのも、はてなでよくあることだね。
http://mainichi.jp/life/edu/child/news/20110107ddm013100107000c.html
毎日の記事にもちゃんと書いてあるよね。医師の問題にするのなら、「途上国を除き、日本は諸外国に比べて、医師の体重指導の問題が突出して多い」ということになるわけ。はてブで、自分の経験を一般化して批判しているアホさんたちの論理ではね。他の国よりも、圧倒的に日本の医師の知識が劣っていなければならないということ?
日本の医療には問題はあるけど、途上国を除いた諸外国で突出してレベルが低い医師は、日本の医師なんだね、はてブによればね。
実際問題として、低出生体重児で母親の痩せ願望を批判している医師や専門家でも、体重管理指導が厳しすぎる面もあるということは知ってるわけ。はてブのど素人どもよりも、遥かに医療の現場を知ってるのだから。しかし、それよりも遥かに、母親や、日本女性の痩せ願望のほうが低出生体重児の問題を引き起こしていると結論付けている。それは、WHOの調査結果を見ても明らかなわけ。
日本の医師の問題にするのなら、70年代より低出生体重児の割合が上昇したのはなぜ?40年くらい前の医師のほうが、今よりも適正に指導してた?そして何よりも、日本の医師って、途上国を除いた諸外国で突出してレベルが低いの?
WHOの調査を見ても日本の女たちの痩せ願望は非常に問題なんだが、それを批判すると、「女叩きだな!」とか喚くバカどもは、WHOの研究結果でさえも、女に少しでも不利と思ったら認めないバカだな。むしろ、日本の女の実情を伝える調査であるのだから、感謝するべきところ。
WHOの調査結果とかを出されて「ぐぬぬ」となって発狂しだすはてな女子の典型は、痩せ願望を持たせる男が悪いと男叩きしだすんだよ。でも、それも無理だね。女の露出の服とかで、はてな女子とかが言ってるのは、「男の目線なんか関係ない!男のためにしてるんじゃなくて、女が自分で選択しているんだから、男は黙ってろ!」とか言ってるんだから。ミニスカとかもそうだよ。だから、その論理でいくと、日本の女の痩せ願望での男叩きはできないよ。自らの選択で痩せ願望をしているのだからね。
日本の女性の痩せ願望は日本の男が悪いと男叩きするなら、日本の女たちのダイエットは男に命令されてダイエットしてることになって、女たちの自主性が全くないってことになるよ。これは、日本の女性の露出ファッションとかでの女の自主性とか言っているはてな女子とかには、都合が悪いことになるよ。男の目線でなくて、女は自立していると言いながら、男の目線の男が悪いとか言い出すから笑うよね。
それにね、ガリガリのダイエットなる女たちを男が求めているなんて、そんな調査結果なんてないからね。その意味でも、日本の女の痩せ願望での男叩きは無理だな。
調査結果でも日本の女たちの痩せ願望は問題があるのに、それで産婦人科が悪いとか言うのは、妊婦のたらい回しで産婦人科叩きしていたのと似通ったメンタリティだね。
最期にホント、わがまま言っていいのなら学校には以下のことをお願いしたいです。
http://anond.hatelabo.jp/20101023073241の続き。
3年生は本当に弱点だらけです、社会に出て行ってちゃんとできるという保証は私取れません。
だから、メンタルヘルスマネジメント(III種)と秘書検定ぐらいは必須にして良いのではないかと思います。
クラスメートと言う視点で見て残念ながら就職・進学どちらにも脆弱性が見えますから。
7・5・3現象と言うのが有ります。これは中卒で7割、高卒で5割、大卒で3割の3年以内の離職率と言われています。
そもそも今大学も殆どが赤字で、学生の心の問題なんて見る余裕が無いと思います。
この国は急速なグローバル化、長期安定雇用型社会から成果主義への急速な社会変化で物凄く高卒者には苦しい時代の上に、1回ドロップアウトしたら這い上がりにくい状況が有ります。
だから、みんなには私のように心の病気での休職→解雇→長期の心の病気の治療による社会離脱を経験して欲しくないし
マナーなんて今の時代「持っていて当たり前」と言う状態で昔のように会社が教えてくれるわけでは有りません。
だからしっかり学校で学ばせる必要性が有ると私は痛切に感じております。
本当はクラスメート一人一人に言いたいことが有りますが、さくっと。
Nさん、よくノートを貸していただきました。貴方のノートはきれいにまとまっていて努力家であるのが良くわかりました。
貴方の誠実でまじめで努力家と言うのは本当にすばらしい才能です。
自分ではよく否定しておりましたよね。でもそれは物凄くいい点なので誇りを持っていってください。
努力家であるこれが生きていくうえでとてもとても大切なことです。
Tへ、リスカはやめなさい。歌・音楽の才能を折角持ってるのにもったいない。後ダイエットは20歳から。
20歳になったらプロテインダイエットとかをしながら運動をしていくと良いと思うよ。
あとZを殴るのは控えめに。Mに殴られたら「嫌だ」とちゃんといいましょう。
大切な友人とはいえ言わないと分かり合えないのが人間です。「人間はエスパーではないのですから」
Mへ、貴方には大変きついことを言います。
後ラケットなどで人を殴るのはやめなさい。せめて殴るなら手のひらにしなさい、自分にも痛みが返ってくるから。
でも殴られた方はそれ以上の体と心の痛みを感じてるってのは覚えておいて欲しいです。
そして、かかわりたくないといってもああするほか無かったのはTが「自殺方法を私に聞いてきたこと」を隠すためでした。
私正直、このことを貴方に1:1でつたえれなあったのが重たくて苦しかったです。
Tが死んでから遅いのです。
友が死んだ後、自責の念で苦しむのは自殺のSOSを聞いた人なのです。
TやZはもちろん他の人を殴るのはやめてください。
絵がうまいのは本当のことなのですが、私からあれこれ言う必要はないと思うので。
Sへ、自分が知的障害とか言うのはやめなさい。たとえ他の人がそう思っていても努力家であるのは私は見てますよ。
できないと思わないでやってみて欲しいです、若いから多少の失敗はまだリカバリーできるから。
Zへ、理数系滅茶苦茶強いしコンピューター関連は間違いない進路と思います。だけどはだしは寒いから冬はやめましょう(^^;
ゲーム業界に働くといっても流石に女子高の廊下をはだしで颯爽と走ると言う過去を持った人は居ないとおもいます。
(トカゲソを食べて野生化するという伝説をもってる人は実際にいますが、それも漫画上のネタですから)
Kへ、Zを支えてやってください。TはZをなぐるしMもなので…
KぐらいしかZを殴らないで守ってくれる人が見つかりません。重たいでしょうがよろしくお願いいたします。
慢研部長へ。
部活の計画を先ず立ててあげてください。
後輩が苦労します。
イベント等に参加するときはちゃんとスケジューリングをすること。
確か古い記憶だけれども、太陽・光栄辺りはそういうのがあったはず。
後神奈川の猫のしっぽなども対応できる筈なので相談してみてください。
文芸部へ
原稿出せなくてすいません、うまく副部長として立ち回れなくてすいません。
そして2年間大変な学年のまとめを担任として行っていただいたのは感謝致します。
そして3年担任へ。
決して貴方のクラス運営がうまくいかなかったわけでは有りません。
1~2年担任のクラス運営の問題でも有りません。
ひとえに私の力不足です。
大人としての責務を果たせなかった自分の問題です。
あと、これを読んでる(とくに)女性の皆さんへ。
性犯罪被害にあったらちゃんと話しましょう。
いのちの電話でも、公的機関でもいいのです。女性が相談に乗ってくれるところへ。
後、即時にアフターピルをもらいに産婦人科に行ってください。判らなければ119でも良いと思う。
犯人を許せなくて苦しむでしょう。
でも貴方は悪くない。
私のような苦しみは味わってはいけないのですから。
性病も防げて、避妊出来る手段はコンドームしかないじゃないか。
ここまでが前提で次に女性側の話をしよう。
昨今の女子高生は荻野式は「避妊方法にはならない」と教育されている。
精子の体内で生きている期間を考えると荻野式は当てにならないのが実情。
以下は産婦人科に行かなければ行けない群。
リングは異物を子宮に入れるので産婦人科に行くことになり、そして何年かに1回変えなければいけない。
男のパイプカットと同じようなものだ。
ペッサリー(子宮の入り口をふさぐゴム)がまぁまだましな避妊法とは思うが…
どれも20歳以上の体が安定してる女性でないと無理が共通項。
未成年とやる場合は男しか避妊選択肢は無いんだと。言うことは覚えておいてくれ
産婦人科に行った彼女から「赤ちゃんいるよ。まだヒトじゃないけど」というメールが来た。“人間”でなくても、“赤ちゃん”なんだ。どうメールを返したらいいのかわからない。
彼女に生理が来なくなったと聞いて、それから妊娠検査薬の二本線を見せられて、今メールを受けて、やっと、やっと、事態の重さが身に染みてきた。
この気持ちはどうしたらいいんだ。
彼女には別の夫がいる。いくら愛していなくても法的には夫だ。そして、それでも愛し合ったのは二人の意思があってのことだと思ったけど、不公平だと思う。女性側だけがこんな重いものを負うなんて。いや、重いと思っていること自体、男の身勝手な幻想なのか。
彼女は僕に一応問いかけ、僕は今思えば、軽い言葉ばかりを口にした。何もわかっちゃいないし、何の覚悟もできていない。この女を、今の夫から引きはがして、子供を育てていくという事が。
もう30も超えてるのに、僕は本当にガキだ。子供が子供を作ってしまった。
仕事をしていてもひっきりなしに、自分の体の中にある赤ちゃんのことを考えている彼女を想像してしまい、泣きたくなり、逃げ出したくなり、記憶を消したくなり、今すぐ電話をして土下座して謝りたくなり、何も手につかなくなり、とにかく申し訳なく思う。
自分の中にあるものを、消さなければならないなんて。
中絶なんてやめろ、一緒に育てよう。その言葉が、僕はどう言っても、リアルにならない。30過ぎの一応の経済力もある男なのに、まるで子役がセリフを言わされているように上っ面にしかならない。それが痛いほど自覚できる。
彼女は僕を護ろうとしている。いや違う、僕なんかどうでもいい、自分を護ってるんだ。法的な夫や親や、僕を相手に大苦労するのから。
でも、自分の中に、命があると思うと。そりゃ、メールのひとつもしたくなるだろう。それに対して、僕はどうメールを返していいのかわからない。そんなささやかな事もわからないのに、彼女と夫婦で暮らしていけるわけない。
おろすのおろさないのガキのうわごとみたいに二人の人生の可能性を語った僕に、彼女は見透かしたように、でも、重さがわかってないでしょ? と言った。その通りだ。謝らないで、とも言った。避妊しなかったのは私が認めたからだと。僕が謝れば彼女は自由意思のない被害者になってしまう。それが嫌だったのか。それから、色々と動転している僕を見て、いつものように「かわいい」と言った。
男が「かわいい」と言われるのが、こんなに惨めなことだとは思わなかった。自分の無力さ、未熟さを指摘されているような気がして。
かわいい女から初めて「生でしよ」といわれて断れる男はいない。
女に知識が無かったり、ピルをちゃんと飲んでなかったり、それまで付き合った男が糞で、
「生でも妊娠した事がないから大丈夫」とかいう女だったら終わり。
不妊症の定義は単に期間で決まるが、産婦人科が触れない原因にセックスの稚拙さがある。
医学的にはしらんが、グレイズアナトミー(笑)とかLの世界(笑)でやってたので本当だろう。
お前らがセックス本を読んで、実際に実践してフィードバックを得てカイゼンするような奴ならなおさら危ない。
「今までこんな男はいなかった」と完全に勘違いされ、舞い上がる。
セックスがさらに良くなる(ESO の世界)ー>もーどうでもいいー>妊娠。
いやそりゃお前、今までイケメンとばっかり付き合ってたからそういう努力はされなかっただろうよ。
ピルができて、テクニカルには女が妊娠の権利をコントロールできるようになった。
でも人間は変わらない。そしてバカな女ほど愛おしい。