はてなキーワード: 生まれたてとは
式場ででた料理だけは見栄をはって張り込んだらしく、葬式なのにいいのか、と思うほど旨く、
名古屋から来た祖母の親戚はけたたましくうるさい人ばかりで、初めての葬式は妙な葬式だった。
祖父の親戚は祖母と折り合いが悪く呼ばれなかったらしい。
祖母は祖父がおとなしい分というか、勝気でなんでも自分の意見を通してしまう性分だった。
そもそも結婚も、既に婚約者がいたのに、後から医者の祖父に乗り換えたような人だから、
金目当てであまり愛情がなかったんじゃないか、と思っていたから、特に不思議でもなかった。
式本番では、たぶん泣けないだろう、と思っていたけれど、結局泣いてしまった。
祖父が死んで悲しかったわけではない。
いつもふてぶてしい父が、祖母が、別れの段になって、ぼろぼろ泣くからだった。
背中を小さく丸めて、棺の小さな窓を覗き込んで、人前で泣いたりするから。
祖父の死は自分にとって大切な人の死ではなかったけれど、
もしこれがそうだったらどうだろうと、想像したら、もう、駄目だった。
仲の良い友達、可愛がってくれる先輩や、可愛い後輩、片思いのあの人とか、
例えば、目の前でだだ泣きしている父とか。母とか。姉とか。
いつか自分も、大切な人を見送り、あの小窓を除いて涙する日がくるんだろう。
祖父は大往生と言っていい最期だったけど、唐突に理不尽に、それが訪れることだってあるだろう。
自分だって例外ではなく、いつかわからないいつか、覚悟する暇もなく死は打ちのめすだろう。
そんなにつらいことを、一体何回乗り越えていかなければならないんだろう?自分の番が、くるまで。
そう思うと、泣けて泣けてたまらなかった。
今見送られている祖父ではなく、祖父を見送る父や祖母を、いつか大切なだれかを見送る自分に重ねたのだった。
なんつー自己中。でも俺は生きている人の悲しみを思って泣いた。
人死にはかなしいことだった。
でもそれは、死んだ人にとってじゃない、
残された人のだったんだ。
そういうことも含めて、残酷なことだった。
―――――――――――――――――――――――――
蛇足
祖父の火葬が終わってお骨拾いをしたら、膝に入っていたという金属のボルトが丸々形を残していた。
前線にいたときに怪我をして、帰国してから入れたものだということを初めて聞いた。
当たり前のことだが、戦争に行って、辛い目にだってあっただろう。捕虜にもなっていたんだし。
帰国してからは楽しかったことだけ話したかったんだろう。
その後の思い出話で、自分が生まれた時の祖父の話も聞いた。
祖父は生まれたての自分を抱っこすると、相好を崩してなかなか離そうとしなかったのだそうだ。
考えてみれば、子ども嫌いの人が小児科医になったりするはずもない。
口うるさかった祖母は祖父が死んでからすっかり意気消沈してしまい、家に籠りがちになってしまった。
60年連れ添った夫婦なのに、自分はなぜ祖母は祖父が死んでも平気だなどと考えていたのだろう。
夫婦の老後のためにと折角ため込んだ金の使い道がないらしく、会う度に小遣いをくれすぎるので困っている。
思えば節約や資産運用には熱心だったが、あまり消費欲のない人なのだった。
自分はというと、よく知りもしない人のことを決めつけるのはやめておこうと二十歳を過ぎてようやく決めたところだ。
何ヶ月も「ご自由に編集してください」状態で、たぶん、いろんな人が編集してきた。
今更アフィリエイト張りまくって、管理者以外編集禁止はないだろ。
連絡先もしらない同じ趣味のみんなは、この生まれたてのwikiにまた集まってくれるだろうか。
せめて別に掲示板でも作っておくべきだった。
アフィリエイトしたいならすればいい。リンク踏むくらいなら、たいしたことじゃない。
だけど、他人のデメリットを考えないアフィリエイターは糞だ。うんこだ。
あと、最初からアフィリエイト宣言していればいいかといえば、それも違うような気がした。
だけど、アフィリエイトそのものが嫌いな人も多い。
彼らは見てて楽しくないだろうし、何より編集する気など起こすはずもない。無意味だ。
やっぱりwikiはみんなのもの。
フォローする人増やそうと思って地元のフォロワーのリストだかフォローを巡ってたら見つけた
アカウント名が名字もじってて名前以外の全部を垂れ流してたら嫌でも分かるっつーの
しかもtwitcastingでゲーム動画配信ですかそうですかこのご時世にキャプじゃなくてTVの前にiPhone仁王立ちさせるとは男気恐れ入ります
んで、俺ですよ
別れ方がテキトー(なんかもう一方的に,そのときは流れで別れたけど)だったのと
おっぱいしか揉めなかった(1ヶ月で振られました(^p^))ってのはあまり関係ないけどw
思い出したら、向こうが何考えてたのか最後に聞きたくて電話してみた。
・・・(^p^)
留守電。
仕方ないから話したいってことを留守電に入れたんだけど
これが生まれたての子鹿にアテレコしてんのかってくらい声が震えるのねw一人で話すのってこんなに難しいんだw
んで、電話は結局かかってきませんでした。期待してなかったけど
そこでtwitterですよ
そもそもこれ無かったら電話する気にもなんないし
( ^ω^)・・・
ファファファファーストおっぱい揉ませてもらった人ですけどーーーーw
ズギュゥゥゥゥウゥゥゥゥゥゥンwww
やっと本音が聞けたっス。ありがとうtwitter
今度twitterで知り合った人と会うみたいでうまく行くといいですね
ネトゲやってたのは知りませんでした。地味っ子だったからtwitterとかネトゲとかのオフから出会って結婚とかするんですかね〜
とりあえずどこかに吐き出したかったから書いてみた。うぇーいおっぱいおっぱい
今思ったけどこの環境って一昔前のstkなら狂喜乱舞でごはん3杯余裕でいけるんじゃね?
ばいばいき〜ん☆
http://anond.hatelabo.jp/20100624234636
元のhttp://anond.hatelabo.jp/20100624140030です。
母親もわりと学校にいってなかったらしくて「中学とかほんとつまんないよね。いらない授業多すぎるんだよ」とか言って、私を強制的に学校に行かせようとはしなかった。
この強制的に行かせようとしないっていうのがポイントかも。
うちでは、たまたま学校に行かなくなり始めた頃、他県で教員をやっている友人にそれを知られた。
「このままにしておいたら、完全に行けなくなっちゃうよ。無理にでも行かせなきゃダメ」
と叱咤されて焦ったが、無理やりに行かせようとしていいことはなかったな。
どっちにしろ、完全に行けなくなったし。
ほんと、無理に行かせようとしてた日々は親子ともに消耗するだけで徒労だったね。
父親が文系で母親が理系だから、父親に英語と社会を教わって、母親に数学と理科を教わって、それで地元ではそこそこの高校に入った。
だから勉強さえどうにかなればどうにでもなるんじゃないかなーなんて思っちゃう。
いいなあ、両親に分担して教えてもらえたなんて。うちは両方理系だよ。
親よりも塾の先生に教えてもらう方が好きらしいんで、今はそれでぼちぼち。
ちょいちょいさぼりながら通えるような適当な高校に行けたらいいなと思う。
てきとーな両親から生まれたてきとーな小娘の戯言ですけども。参考にならなそ。
いやいや、ご両親、いろいろと工夫して、後押しをしてくれていたんだね。
見習ってゆるゆる行きたいと思うよ。
母親もわりと学校にいってなかったらしくて「中学とかほんとつまんないよね。いらない授業多すぎるんだよ」とか言って、私を強制的に学校に行かせようとはしなかった。
むしろ年のはなれた弟がいるから「面倒みてやってね!」とか言い出すくらい。
でも仕事を夜勤を多めにしてくれて、昼間は勉強みてくれたり、一緒に料理したり。
夜は父親が勉強みてくれた。
父親が文系で母親が理系だから、父親に英語と社会を教わって、母親に数学と理科を教わって、それで地元ではそこそこの高校に入った。
だから勉強さえどうにかなればどうにでもなるんじゃないかなーなんて思っちゃう。
てきとーな両親から生まれたてきとーな小娘の戯言ですけども。参考にならなそ。
関係ないけど、ちょっと前にテレビで放送されてた保健のCMで、生まれたての赤ちゃんが会話をするヤツがあった。
それが、すごい嫌いだった。見ててムカついた。
一方の赤ちゃんが「これからの人生いろいろな事を自分で取り組んで、政治をも変えたい!」と野望を語るんだが、もう一方の赤ちゃんは「そういうのは政治家にまかせようよ・・・プロにまかせとけばいいって」みたいな冷めた意見をいって野望を語る赤ちゃんをバカにする。最後「保健の事は保健のプロにまかせましょう」みたいなCMなんだけど、すごい危険だと思った。
なにが危険って、国という単位が、いかに脆いかを認識できていない現代の日本人をまさに描いたようなCMだったから。
このCMにおける、オーディエンスというか、多数派として支えられてる、もしくは支持されるだろうと想定されてる意見の姿ってのは「キバって夢をかたるより、政治とかはプロの人に全部まかせて、ボクらは地道に生きていければそれでいいじゃん」という、なんとも投げやりで他力本願なもの。
国、政治に働きかけたり、なにかを自ら変えようっていう意志を嘲笑う、野望を持って暑苦しく語る事そのものを毛嫌いするCM内容だった。
でも、そういう事をあざ笑って見下す態度をとるのって、非常に危険。
危機意識をまるで持たず、プロなんだからって肩書に全てをまかせてればそれでいいじゃん、自分は関係ない。みたいなスタンスがわけわからん。自分が関係なくないから。確実にそういうスタンスで見過ごされてきた政治的な悪行で国が傾いてる。
でも、それは政治的なレベルだけじゃなくて、家を建てる時でも、髪の毛を切る時でも「相手がプロなんだから」って全部を投げ出してまかせるわけがない。自分で細部まで確認しないと信用おけないよ?ってのは、学ばないといけない基本なんじゃないの。人を疑うって事。
年金だって、明らかに破綻してるのに、いわば「国に詐欺をされた」って認識を政党に持っている人間がどのくらいいるかっていうと、かなり居ないと思う。
キレイな社会を目指すけど、こころの中では社会を疑ってるのが本来あるべき姿で、今定着してる汚い社会を認知してるけど、心の中では社会を信じてるようなスタンスは非常に危険。
Explorer | Science of Babies | National Geographic Channel
http://channel.nationalgeographic.com/series/explorer/3090/Overview
ヒトは他の動物と比べて、遥かに無防備で無力な状態で産まれてくる。それにも関わらず、そこから最初の一歩を踏み出すまでに、赤ちゃんは劇的な成長を遂げる。産まれる瞬間から二本足で立って歩き出すまでの約一年間、赤ちゃんに起きる様々な変化を、発達の経過に沿って検証した番組。
ヒトは一生の間におよそ6億回(一分間に10回として、一日で1440回。100歳まで約36,000日として計算した物と推測)の呼吸をする。その中で最も重要で、しかし最も危険な、初めての呼吸。母親のお腹の中に居たときには母体から酸素が供給されていたけれども、一度産まれてしまったら、そこから先は自分で酸素を供給しなければならない。ほんの数分酸素が断たれただけでも、ヒトの身体は回復不能な障害を受ける。産まれた瞬間の赤ちゃんの肺は、羊水で満たされ溺れている状態。だから、産まれて初めての呼吸は、通常の呼吸の10倍から15倍の労力が必要となる。肺胞の隅々まで空気をみたしてやらなければならないのだ。この最初の呼吸によって、肺の中の水は血流に吸収されていく。
産まれるまでは母親の体温で暖められていた身体も、自分のカロリーを消費して体温を保つように切り替えなければならない。その体制が整うまでの期間、充分に体が熱を作れるように、新生児は熱に変換しやすい褐色脂肪を豊富に蓄えて産まれてくる。冬眠中の熊のように。
赤ちゃんが、今現在の成熟度と大きさで生まれてくるようになったのは、今から約800万年ほど前。他の動物と比べると、ヒトの新生児の頭は(身体との対比で相対的に)大きい。赤ちゃんが産まれてくるタイミングは、母親の骨盤の広さと新生児の頭部の成長との兼ね合いで、ぎりぎりくぐりぬけられる大きさになったときである。真っ直ぐには出て来れず、一度頭を90度回転して骨盤をくぐり、さらにまた90度回転して出口の骨を避けるようにして生まれてくる。
ヒトの赤ちゃんはとても無防備な、無力な状態で産まれてくる。他の動物、例えばサルと比べても、自立するまでに長い時間がかかる。ヒトに最も近縁のチンパンジーでも六ヶ月くらいで歩き始めている。そのようにかなり未熟な状態で産まれてくるにも関わらず、ヒトの新生児も生まれながらにある種の動物的な本能を備えている。それは生存の為に重要な反射運動であり、またある種、進化を裏付けるような原始的な反応でもある。
まだ歩くこともできない生まれたての新生児は、抱き上げて支えながらかかとを地面につけてやると、両足を交互に繰り出し、まるで歩き方を知っているような反応を示す。でも、その反射は六週間後には消えてしまっている。ところが、不思議なことに、水の中ではその反応が蘇り、そうして反応を誘導してやると、それ以降は消えることがなくなる(番組では、透明な浴槽の中に赤ちゃんを抱きかかえて下半身をつけてやっていた)。
他によく知られている生まれながらの反射運動には、次のような反応がある。
これらは、どれも動物の生存本能に共通する原始的な反応といえる。
赤ちゃんの考えていることを知るのは難しい。しかし、赤ちゃんの認知力の一端を覗く、いくつかの方法がある。ある研究者は、赤ちゃんが何か違和感を覚えた時に、対象物を凝視する時間が長くなるという現象に目をつけた。この時間を計測することで、赤ちゃんが何に気付き何を認識しているのかを探ることができる。その研究者は、新生児が数を認識する(簡単な足し算引き算の)能力を持っていると考えている。行われた実験はこうだ。まず、一つだけ置かれている人形を赤ちゃんに見せる。そこをついたてで隠して人形を見えなくしてから、そのついたての裏にもう一体の人形が入っていく様子を見せる。そして、見えない位置からこっそりその人形を取り去った後で、ついたてをおろす。赤ちゃんから見れば、そこには二つ人形があるはずなのに、一つしか無いという状況。そのような矛盾がある場合、なにもトリックを使わない場合と比べて、人形を凝視する時間が長くなる。二つの人形を見せて、そのうちの一体がついたての後ろから出て行くところをみせたのに、ついたてをよけてみると人形が二体に残っているという引き算の矛盾にも、その反応が観察されることから、赤ちゃんは生まれながらに数の認識を持っているに違いないという話。
まだ自分で動くことのできない赤ちゃんにとって、飛び込んでくる外界の刺激はもっぱら光と音ということになる。聴覚は視覚よりも先に発達していて、お腹の中に居ても母親の声を聞き分けられるけれど、視覚は産まれてから外部の刺激を受けながら、徐々に発達していくもので、この段階ではまだぼんやりと対象物を捉えているにすぎない。
とはいえ、母体の中と比べて外界は刺激に溢れている。流れ込んでくる大量の情報を処理していく体勢を整えていく必要がある。ヒトの体には、約10億の脳細胞、神経細胞、ニューロンと呼ばれる情報処理に携わる細胞が存在する。これらが、外部から飛び込んでくる刺激を情報として捉え、ネットワークを構築していく。一つ一つのニューロンは、個別の電話機のようなもの。細胞間の情報は、シナプスと呼ばれるリンクを介してやりとりされる。最初は外界のあらゆる刺激がネットワークをフルに刺激していて、あちこちの電話機が絶え間なくなり続けているような混線状態。その中から、必要な連絡網だけが残るように、ニューロン同士が互いにリンクし合う相手を求めて競合している。この過程を可視化して映像に捉えた研究が紹介された。最初は筋繊維に複数のニューロンが繋がっているが、黄色と青色、色違いで染められた二つのニューロンがある筋繊維に連結しようとしている。最初はどちらも繋がっているように見えるが、この二つのニューロンは互いに競合し合って、最終的に一方の色に染められたニューロンだけが残るまでの過程が観察される。ニューロンネットワークが形成される様子が見て取れる。
未完成ながらも、ニューロンネットワークが成熟するに伴って、運動神経がやや発達してくる。頭を持ち上げたり、寝返りを打ったり、ものを掴んだりすることができるようになる。
野生の動物や鳥、昆虫などは、生まれながらに餌の捕まえ方や身の守り方を知っている。数を数えることさえ生得の本能だ。それが発揮できず、他者のケアが無ければ生きられない、ヒトの新生児は非常に未熟な状態と言える。そのような状態で産まれてくることは不利なことなのか、いやそうではない。生まれついての本能はそれ以上発展することがない。しかし、未完成な状態で産まれてくるヒトは、環境や経験から、より高次元の習性を構築することができる。これが学習する能力の特徴である。
学習して能力を獲得するのには適切な時期があり、その時期にきちんとした情報の入力とニューロンへの連結が行われないと、その能力は形成されない。使われない機能は失われていく。三ヶ月くらいの新生児は、各国の言語で微妙に異なるトーンを聞き分ける能力を持っているが、その後六ヶ月を過ぎてしまうと、一番身近な言語の発音を聞き取る能力だけが大きく発達していく(マルチリンガルに育てるためには、六ヶ月までにいろいろな言語を聞かせておけという理論の根拠はここにあるようだ)。
需要のない能力が失われていく話題に関連して。三ヶ月あたりで、目のレンズと視神経との連絡が完成する。この時期に、適度な情報が目を通して与えられることで視神経を構築する。ある赤ちゃんが片方の目のレンズに問題があることがわかった。このままだとその眼球からの情報入力がないために、ニューロンの連結に不備が生じてしまうということで、レンズの機能回復手術を行った。手術そのものは一時間ほどで無事に終わったが、その後の検査で、もう一方の健常な側の目に眼帯をした、なぜか。回復させた眼球を強制的に機能させ、視神経を発達させるため。
運動機能はさらに発達して、座ることができるようになる。つかまり立ちや、立ち上がるまでには至らなくても、ハイハイをして動き回れるようになり、行動範囲が広がる。ハイハイのスタイルには個性がでる。これは新生児それぞれの運動機能の発達状況は環境に依存するもので、成長に関してあまり重要ではない。この時期に最も重要な発達は、学習したことの再構築ができる柔軟性を得ること。自分から動き回れるようになって、取り巻く環境が劇的に変化する。外界からの刺激もさらに複雑なものになる。遭遇する危険も増える。座れるということは、バランスを崩して転ぶことができるということ。自分で動けるということは、溝に落ちたり、何かにぶつかったりできるということ。それなのに赤ちゃんには、届く/届かない、バランスが崩れる/保てるといった認識がまだ無いので、無鉄砲で失敗を繰り返すことになる。目標物以外に注意を払うことや、体バランスの取り方など、失敗の経験から、環境に適応していく脳の柔軟さが求められる。この時期の赤ちゃんの運動機能の発達を研究している様子の映像。何かを見つけてそれを取りにいくという動機で動き回るようになる。その間に溝などの障害があっても殆ど認知されていないで突き進む赤ちゃん。その過程で失敗を繰り返し、危険を回避するという学習の過程が認められる。
ニューロンネットワーク発達中の情報処理の取捨選択の別の例として、顔や表情の認識がある。ヒトやサルの顔写真を見せ、新生児の脳波の変化を測定することで、どのような違いを認識しているかを観察した。二ヶ月くらいまでは、人の顔のパーツの配置が乱れていても識別できない、三ヶ月くらいで、顔を顔として認識するようになる。この段階では、サルの顔写真一つ一つの個体の違いを区別している。しかし、六ヶ月くらいになると、サルの個体を区別しなくなっている。必要の無い情報処理の能力が失われている。代わりに、ヒトの表情の違い(喜怒哀楽)に敏感に反応するようになっている。
この時期の発達過程は、自閉症と関連づけて注目される。孤児をケアする施設で研究されている内容。一般的な家庭環境と比べて、この時期に人の表情に接する機会が少ないと、表情を識別する能力の発達に影響が出る。他者の感情を表情から読み取ることが難しいという自閉症の特徴に関わっているかもしれない。
運動機能の成熟、ニューロンネットワークの成熟、言語の獲得とそれに伴って起きる変化。
言語の獲得には多大なリソースを割くので、使われない能力はより顕著に消失していく。生後十二ヶ月で約40個の言葉を認識し、さらにその一ヶ月後には100個まで増えている。
ある新生児の言語獲得の記録。全ての部屋にマイクと天井から見下ろす魚眼カメラを設置して、起きている間の赤ちゃんの行動と言葉を発していくまでの過程を観察した映像。馴染みのあるモノや身近な者を通して、言葉やフレーズと対象物やイベントとをリンクさせようとする。新生児がある対象物を認識してBa、 buh、Dahといった発声をするようになる。それに対して親がDad、Ballなど、はっきりとした言葉でリピートしたり、Blue ballという形で発展させたり、あるいは動作や行動と組み合わせてフレーズで返したりする。フィジカルなイベントとソーシャルなイベントの関連づけが、言葉を学習していくプロセスである。
新生児が言葉を学習する過程を分析して、学習するロボットの開発に取り組む人たちの紹介。ロボットに「赤色」の「ボール」を取ってと指示するがロボットには対応できない。絶えず変化する状況にも対応できる学習する能力の柔軟性をいかに獲得させるかが鍵。
運動機能だけでなく、骨格も充分に発達して、肩幅も広がり、足も伸びて、筋力もついてくる時期。ここに至って、頭を持ち上げての二足歩行、つまり歩き始める準備が整う。
四本足で歩く動物はその移動の為にカロリー(消費カロリー全体の?/摂取カロリーの?)の約50%を消費する。その観点でみると、二足歩行は移動に関して非常にエネルギー効率が良い。さらに、両手をフリーにすること、より大きな容量の脳を支えることができるという利点もある。このような点に二足歩行の意味がある。
赤ちゃんすげえ。という完全に私的な興奮から、自分が理解した内容の備忘録としてここを利用させていただきました。理解のあやふやな箇所がたくさんあるので、誤った記述が含まれている可能性はかなり高いです。特に言語獲得のプロセスに関する部分は未消化だという自覚があります。何ヶ月〜何ヶ月というのは、整理のための大凡の目安として個人的に捕捉したもので、これを一般化して赤ちゃんの成長を評価するものではないです。水中で歩行する話だとか、数を数えられるよという映像は、ちょっと観察手法の正当性に注意が必要な気がしました。赤ちゃんのリアクションが周囲の観察者の期待に影響を受けていたりはしないだろうかと(昔、計算が出来る馬の話のトリックについて聞いたことがあるので)。
ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP 赤ちゃんの不思議
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/shop/detail.php?id=219
甘いな。
出産の現場に100%立ち会えるのは、母親だけなんだよ。コレがどういう事か分かるか?
生まれたての赤ん坊に何をするかは、原始的には女が全て握ってるんだ。命の生殺与奪の権限が女にはあるんだ。
原始的な社会ほど、間引きには寛容、というより母が行う出産の儀式の中の当然の一部と見なされている場合が多い。
最近だと戦闘ばっかりやってる地区で、男の子を全て間引いている部族とかいたな。
つまりだ、女がその気になれば、あらゆる男の子を、生まれた時点で手足切り落として育てることも可能だし、制御可能な範囲内に男だけ間引くことも簡単だ。
レイプされたくないが、生殖のために男が必要なら、そりゃ手足切り落として育てる方法も選べない訳じゃない。
でもさ、そうじゃないだろう。
その野蛮さから抜け出すために、倫理観だとか社会観だと法律だとかルールだとか、そういうものを人類は作ってきたんじゃないか。
(実際初期の法律で、女性の権限を制限する男尊女卑的なものが多いのは、母権社会から抜け出しすことで、発達しようとした名残だと言う説もある)
ルールは野蛮から抜け出すためにあるんだよ。
そして、母権社会から抜け出して、父権社会へ移行した人類は、今度はそもそも男女の違いの要らない世界へ発展しようとしている。
そのために、まず人権だとか、男女平等だとか、ま、そういうお花畑が最初に唱えられるんだな。
どんなことをするにせよ、最初はお花畑を唱えるモンだ。それがお花畑でなければ、そもそも唱える意味がない。
「キャリア」っていうとまぁちょっと仰々しいけど、社会における「肩書き」とか「やりがい」とかそんな感じなんじゃないかなぁ。○○ちゃんのママとか奥さんとかじゃなくて、自分の名前の保険証や名刺を持ってるかどうか。とか。
うちは兼業なので子供の居る会社員だけど、育児休暇中、平日の天気の良いまっ昼間に生まれたての何を要求してるんだかわからない泣きっぱなしの子と毎日2人っきりで同じような暮らしをしてたら、頭おかしくなりそうな時があったよ。どこにも属さない誰とも関わらないみたいな。うちは旦那が仕事で毎日帰り遅かったからかもだけど。人と関わったり人と話をするのってとても大事なのね、と初めて思ったもんさ。
生活のため働いてる私から見るとうらやましいから不思議だけど、専業主婦の友人はけっこうな割合で働きたがっている。働きたくないと思ってるのは不妊治療の末やっとできた子が可愛くてしょうがない30代後半の人くらいだなぁ。
元増田です。
そんな理由づくで生きてるわけがないです。
いや、ですから。
生まれたから生きている、というのが理由づくと言えますか?
限りなくトートロジーに近いと思うのですが。
「生まれた」っていうのと「生きてる」っていうのは
全然別のものだと思いますよ。
だからその前提を最初に貴方が『死因』だの何だのを挙げて崩したんでしょうが!
それを今から混ぜっ返さないで下さい。
とりあえず哲学的見地からの『表象の発現』を生と見なして下さい。
社会がどうのではありません。
人は皆一人であり、全ては夢です。
思いこんだ世界が全てです。
不妊治療の病院に通って、二人目の待望の妊娠に大喜びでした。しかし6週の頃に赤ちゃんの姿は見えたけど心拍が微妙です、と言われ、半分覚悟してたけど、半分は次の週には元気な心拍が確認できるんじゃないかと思ってました。でも7週になっても心拍は確認できず赤ちゃんも大きくなっておらず、8週になっても同じ状態で、もうダメだと思っても無駄につわりが続くのがしんどくて、ネットで流産の掻爬手術のことを調べたりして恐ろしかったです。流産前は流産の陣痛並みの痛さや大量出血、もしくは掻爬手術が怖くてたまりませんでした。
でも結果的に生理痛の範囲内の痛さと出血で自然に流れてしまいました。
赤ちゃんが意外にも思ったよりあっさり流れてしまったので、主人にも妊娠を伝えた両親にも「大丈夫だよ」と言ってました。事実身体は生理のような痛さとダルさ程度で元気でした。仕事も休まず行けました。
流れて3日目くらいにブログやってる友人の二人目妊娠をブログで知りました。ちょうど同じくらいの週数で正直かなり落ち込みました。順調に妊娠が継続している友人のことをまったく喜べませんでした。5日目くらいに別の友人から二人目出産の報告が来て、以前から妊娠は知ってたしさすがに出産となるとあまり自分とかぶることもなく素直に「おめでとう」と言えたしその3日後には病院に赤ちゃんを見に行きました。
新生児室のちいさな生まれたての赤ちゃんたちも心からかわいく思えました。ちょうど彼女の妹も来てて、妹も第二子妊娠中で小柄なので7ヶ月のお腹がだいぶ大きく見えました。病院にいたときは、ほんとにいやな気持ちはありませんでした。
でも、家に帰って、子どもをお昼寝させて、ひとりで夕ご飯の準備をしているときに急にお腹に宿った赤ちゃんがいなくなってしまったことの喪失感と悲しみが押し寄せて、いままで泣けなかった分の涙がはらはらはらはら止まらなくなりました。私も来年の春には赤ちゃんが生まれるはずだったのに、私も順調だったらあんなふうにお腹が大きくなるはずだったのに、エコーにうつった赤ちゃんは小さかったけれど確実に姿が見えたのに、感傷的になっても仕方ないと分かっているのに、ひとりになって、ようやく実感とともに涙が出ました。神様、赤ちゃんを返して。
流産した人たちは「赤ちゃんは忘れ物を取りに行ったんだと思います。それでまた私のお腹に帰って来るんだよね」という言い方をしますが、いまになってようやく共感します。そう思うことで少しだけ救われる気がします。流産の確率は6-7回の妊娠に対して1回(化学流産含め)、よくあることなんだと知っていたけどよもや私が流産するとは思わなかったというのが本音。
子どもがいるので休日は公園に行ったりするけど、公園はたいてい80%子連れのうえに妊婦率が高いのでしばらく行く気分になれません。妊婦さんを目にするとやはりまだ辛いです。心が狭いのは承知で妊婦友達とはしばらくこちらから連絡することはしません。ママ友とはもともと第一子つながりの人が多いのでこのまま縁が切れても構わないといまは思います。
時間が過ぎて、早く立ち直れますように。
営業時のオーバートークが原因で75万円を騙された男であります!
営業時には商材は数多くあるし、集客も弊社でおこないます。
弊社の会員は平均13万円稼ぐことができておりこれは最低ラインです。
必ず15万円稼ぐことができますし、1日たったの5~10分程度の作業です。
と営業されてアホな私はそれを信じて契約してしまったのです。
(※かなり要約していますが…w )
実際に契約したあとは態度が急変!
商材なんて ほとんど用意されておらず集客もしてくれない。
そして最後は「必ず稼げるなんてあるわけないでしょ!」と怒鳴られた。。
悔しくなって 同じ会員の人に連絡を取ってみたら
やっぱり同様の手口で勧誘されていたことが判明して、
で、今日早速 第1回目に緊張しながら参加したのです。
もう心臓が弾けそうだった! 鼓動が身体の芯から伝わってくる!
脳に血流が流れて、頭が熱くなっているのも客観的に感じ取れた。
重い空気が数秒流れたと思ったら、
書類の確認と口頭での質問があっただけでたったの5分で終わりました!
初めての裁判だったため、拍子抜けで本当に笑ってしまったw
だが、最後になんと裁判官から、
「商売なんて努力。 努力が足りなっただけでしょwww」と馬鹿にされちまった。
もう、そのとき目の前が真っ白になって何を言われたのかわからなかった。
悔しいというか、寂しいというかそういう感覚ではなくて、
全世界の人類が僕に興味がなくなったというような変な孤立感があった。
確かに僕はアホでまんまと75万円を騙だまし取られています。
でも「努力」を言われても販売する商品がないのにどう努力をしろと!?
本人訴訟で孤立して、生まれたての子鹿のようにプルプルした足で立ってるのに、
司法委員のきつい一言は、僕の人生観を一瞬にしてを崩壊してくれました。
それなら 騙される側より、搾取していく側になったほうがいいじゃん。
人を騙しても数億円稼いでのうのうと生きてやがる。
電話勧誘で騙して 立証できなかったらそれで無罪放免 返金不要。
日本っておかしいよ。
もうなんか・・・・疲れた。。。
みんなごめん。
本当に悔しかったので愚痴らせてもらった。。。
元増田です。すみません、適度に改行入れたつもりが全部詰まっちゃって読みにくくなったようです。あと引用の時の半角「>」も文字化けするようなんで以下全角で。
>あんたを安心さす為に、先にネタばらしはしとくわ。被害者総数もな、600万人説以外にも色々あんねん。
もちろん、知ってます。まとめたものがリンク先にあります
http://revisionist.jp/faurison_02.htm
このようなブレがありまくり、正確な数字がわからないというのがおかしいと思うのです。
たとえば、原爆や空襲による死者数に多少ブレがあるのはわかります。即死で亡くなった人、その傷がもとで随分後に亡くなった人、二次災害で亡くなった人等々。どれをカウントに加えるか色々あるでしょうし、爆心地近くにいた人ならば、遺体が跡形も無く消え去ることも有り得るでしょう。しかし、どんなに想定が難しいといっても数万の誤差におさまるのではないでしょうか。数十万、数百万単位で増減したりはありえない。
議論した方が質問に答えてくれなかったのは、諸説あり過ぎ、具体的な数字を出したら突っ込まれる要素があり不利なのであえて答えなかったというのが私の推測ですが。
焦点をしぼるため、アウシュビッツの話にします。定説ではここで150万人が死んだと言われていますが、それも少し前までは400万とされていました。碑文が書き換えられたのはご存知ですよね。
250万人減。日本の第二次世界大戦での戦死者数とほぼ同じ。この250万人はどこへ消え去ったのでしょうか…
>労働もできひんようなヤツは収容せんかったんやな。その手前で始末して。
いわゆる、ガスで殺された人達は収容者名簿に登録もされず、収容所に着いてすぐガス室送りにされたという説ですね。
名簿が無いから名前がわからない=誰かわからない=誰が殺されたかわからない
でっちあげるのには非常に都合のいいやり方だと邪推してしまいますね。誰が何人死んだか、このようなやり方では誰もわかりませんもの。
>すぐに殺されたらしいけどな。ちなみに子供生まれたて話とすぐ殺されたて話は、同じ女性の証言から出たお話や。否定論では生まれたて話だけしか取り上げへんけどな。w
出産があったという事実は証言だけでなく、出生の記録が公式に残っています。ちなみに死亡記録もオフィシャルなものが残っています。それは病死等の自然死で(アンネの死因がチフスとわかるのも、死亡者の記録があったからですね)、人体実験やガス処刑の記録は何も残っていません。
人体実験もそうですが、証言以外にそれが行われたと証明するものが何もない時点で片手落ちでしょう。
メンゲレ医師は悪魔のような人体実験を行ったとされていますが、実際には逆で、収容者達を治療したという記録があります。
研究結果は全て燃やされた、あるいは連合国側に持ち去られたという理屈はやめてください。「ひとつも」無いのは明らかにおかしいです。
>知ってんねん、もう。w後な、教えといたる。皮膚吸収で死んでまう、ちゅう話もあるんや。後な、蒸発温度にナランちゅう話とかな、
皮膚呼吸で死んでしまう猛毒ならなおさら執行者にとって危険でしょう。さらに、ガスマスクもつけずに死体搬出作業とか。よく、この場合のチクロンBの濃度では発火爆発しないと主張されてますが、濃度の問題でなく、爆発の危険性が少しでもあるものなのに対応がいい加減すぎると言いたいです。
>焼却炉の話もあんねん。燃やされへん、とか骨はどないしたんやーとか。
まさに自分が違和感を感じる部分はここです。何を読んでも納得出来ません。24時間焼却出来る炉があったとか。でも航空写真に煙も何も映ってないとか。
死体を燃やす燃料はどこから調達したのか。(廃油とか言わないで下さいね)燃やされた灰はすべて肥料にしてしまったとか
でも周辺を掘っても骨も灰も見つからない、と。
>俺が話ししてても、にいちゃんの話、歪んでんもん。なんや、よう解らん所にムリクリ否定論括りつけたようになってんで?
私も少し前までは、ホロコーストが無かったと言ってる人はネオナチかトンデモな人しかいないイメージだったので、受け入れるのは少し抵抗がありました。
(まあ、あなたの中でも私は歪んだトンデモな人なのかも知れませんが)今はほぼ、「なかった」という考えに落ち着いています。
>http://anond.hatelabo.jp/20090325010747
気にすること、無いんちゃう?さらにゆうたら、俺の反応が遅かったんやで。あんたのせいちゃうで。どうや、罵倒でない反応があった気分は。楽しいか?楽しかったら良かったわ。人生、楽しなかったらアカン。
んでな、昨日の続きやけどな、なんやエラいこと解りにくうなったな、あんたの書いてる事。なんや、こうごちゃごちゃっとしてきてな、何が言いたいんか解り難いわ。せやから、ある程度予測で書くで。そいでな、俺はあんたの文は引用しいひんでな。堪忍やで。
まず、命令書の件やな。これが解らんなぁ。w 一番バッターアウトかいな。で、どやねん。被害者の総数推計の600万人、しか知らんのか知ってんのにトボケてんのか。その辺はハッキリさせようや。おっちゃんもな、オボコやないねん。否定論振り回すアンちゃんとはよう話してんねんや。色々な策ひねってきよんねん。かなんやろ?せやから疑り深こうはなっとるねや、な。あんたを安心さす為に、先にネタばらしはしとくわ。被害者総数もな、600万人説以外にも色々あんねん。いっちゃん有名なんはヒルバーグ、ちゅう学者さんの説やな。他にもギルバート、ベンツちゅう人もいてる。みんな結構、細こう出してはんで。国別とかな。詳細に出てるやろ?他にもな、前に書いたヴァンセー会議の件なんかもそうや。結構進んでる思うで?なんで進んでへん、思うてんのか、解らんなぁ。
ガス殺中止命令の件、知らんかったんか。そら難儀やなぁ。いや、実際はな、1年ちゃうよ。「ほど」て書いたやろ?おっちゃんも本片手に書いてるわけちゃうからな、正確さには欠けるでな。要注意や。んで、ガス殺はそんな何年もやってないよ、ホンマのとこ。よういうクレマトリウムの稼動時期なんか何年も無いんちゃうか。それ以前のとたしてもどうなんやろなぁ。そんな無い思うで、実際んとこ。
いうたらな、ガス殺てホロコーストの主役でも無いねん。割と脇役やねん。覚えといてや。
なんや、チクロンは知ってんのかいな。ビックリするわ。あんた、なんでか知らんけど、知識がちょっと歪んでんで。その話はプレサックちゅう人が書いてはった件やな。エライ細かい話やな。全体は知らんのに細かい話は知ってるちゅうことか。みょうな話やでホンマ。wプレサック読んだんやったら知ってるやろ、その顛末。いわゆる政治的、ちゅうやっちゃな。今も昔も役人のやる事は一緒やな。嫌な話や。
ん?ユダヤ人医師なんておれへんで?収容者(罪人ちゃうんやから囚人はやめようや)にめんどうみさしてただけやろ?まぁ、フランクルは医師免許持ってたみたいやけどな。病院の実情はレイヴィー読んで見たらよろし。寝とっただけやで、アレ。wレイヴィー自身も病院に入るちゅう事は殺されるちゅう事やと思うてた節はある。実際は死なんかったけど。彼の知り合いはだーれもいてなかった。
売春宿は収容者の為、ちゅう訳やないんやけどな。誰もが入れたわけや無い、ちゅうのも知ってるんやろ?アレはカポて呼ばれた一部の人ら用の施設やーちゅうことになっとる。詳しくはわかっとらんのや。なんせ証言者もおれへん状況やでな。んで売春宿も知ってるんか。なんやそれ。w
労働収容所と絶滅収容所の話な、あんた答えいうてるやん、自分で。wせや、戦況が悪なって新しい収容者が増えへんなったら使えんヤツ直して使え、てことや。あんな、ガス室で死んだ人ちゅうのは収容されへんかった人が多い、ちゅうのも知ってるんやろ?違うか?ほんでな、ヴァンセー会議のメモ、見てみいや。何て書いてある。労働させて死んだらしゃあないな、てなってるやろ。その通りにやってはるんや。最初からコロシたるわぁ、いうて無いんやな。財政圧迫せんくらいに生かしといて、死んだら知らんてな感じや。解るか?んで、労働もできひんようなヤツは収容せんかったんやな。その手前で始末して。んでこの考えちゅうか政策はな14f13ちゅうてなT4作戦から繋がってるねん。知ってるやろ?T4作戦。これ、ホロコーストと切り離して話するヤツおるけどな、おっちゃんはチガウ思うで。w
なんや、子供か。子供はいてた思うよー。実験用とか、ロマの子供とか。女性も収容されてたんやで、知ってるんやろ?子供生まれたケースもあるでー。すぐに殺されたらしいけどな。ちなみに子供生まれたて話とすぐ殺されたて話は、同じ女性の証言から出たお話や。否定論では生まれたて話だけしか取り上げへんけどな。w
後は細かいお話やな。ガス殺が加害者にも危険やー、とかなんとか。もうええわ、て感じやおっちゃんは。漏れたらどうのー爆発がどうのーやろ?知ってんねん、もう。w後な、教えといたる。皮膚吸収で死んでまう、ちゅう話もあるんや。後な、蒸発温度にナランちゅう話とかな、まだあんで。焼却炉の話もあんねん。燃やされへん、とか骨はどないしたんやーとか。
んでな、最初に話は戻んねんけど、「本読めやー!」て言われんのはな、知らんで語ってるからや思うで。俺が話ししてても、にいちゃんの話、歪んでんもん。なんや、よう解らん所にムリクリ否定論括りつけたようになってんで?一遍な、キチンと歴史の本読んだほうがエエとオレも思うよぉ。それを信じろ、言うてんのとちゃうで。否定する相手を正しく知らんのにキッチリ否定はできひんやろ?て言うてんねやぁ。
んで、だーれも相手してくれへんのはそのあたりを見抜かれてんねや、と思うで。いや、マジで。
www.midnighteye.comより、雨宮まみの「弟よ!」経由。
長いので二つに分けました。
日本のアダルトビデオ、略してAVと言われているがそれは驚くべき多様性の世界でもある。もし欲情を喚起するためにセックスを描写し、売り物にするのがポルノグラフィの定義なら、どこからどう見てもそれはポルノなのだ。AVは安価で日本中至るところで目にすることができる。この国のどんなビデオショップに行ってもこのジャンルの商品はたいてい、大きな棚を占めている。
しかし、日本の映画表現が欧米で多くの信者を生み出す一方、アダルトビデオはほとんど顧みられていない。日本の得意とする怪獣もの、アニメをはじめとする全ジャンルに関する日本映画のフェスティバルはヨーロッパ・北米で花盛りだが、AVはどこにある?もちろん、日本のポルノは性器を直接描写できないという問題を抱えている。それらは処理画像の向こうにあり、欧米の視聴者にとってはいささか奇異に映るものだ。にもかかわらず、AVは魅力的な分野である。
まずは、ピンク映画。これは1960年代初頭から制作されている。小林悟の「肉体の市場」がおおまかにいってこの分野のさきがけといえよう。性への大いなる情熱、そして時には理由なき暴力や変わった性的ファンタジーまで描写する一方、ヌードシーンは一部に限られ、疑似性交が主を占める。
そして裏映画(訳注:日本語ではブルーフィルムがより的確な表現だと思います)、こちらはさらに映画史の初期にまでさかのぼることができる。こちらは本番ありの無修正、たいてい8分から10分の短い映画だ。白黒映画時代に欧米に存在したブルー・ムービーは時には手の込んだプロットを開陳していたが、日本のはたいてい伝統的な畳の部屋で性交にいそしむ男女を描写するにとどまっている。裏映画が上映されるのは、だいたい温泉街であった。男の客にとっての温泉街でのくつろぎは、しばしば買春と結びついており、そうした街の赤線地帯では法律で固く禁じられている裏映画ショーを楽しむことができた。今日では裏映画は裏ビデオに取って代わられ、そうした未修整のポルノビデオはビデオショップで信用のある客にのみこっそり売られている。
ビデオデッキの普及に伴い、アダルトビデオは1980年代初頭に成長をとげる。家庭で映画を見る習慣が広まり、そしてもちろんビデオデッキが接続されたテレビでセックスを鑑賞することを人々は望んだ。初期AVは、東映や新東宝といった大手ピンク映画会社により支配された。撮影済みの映画をビデオ化し、自宅向け市場へと流したのだが、短いバージョンであることもしばしばだった。市場の急速な拡大につれ、それらの映画会社はビデオ専用の映像を制作するようになった。これらの映像は直接ビデオで撮影されているにもかかわらず、ピンク映画の伝統を踏襲し、ピンク映画のルール・制限に固執した。
ピンク映画会社の制作するAVは、高額な費用をもって制作され、ほとんどの場合有名女優を主役にすえていた。しかし新世代の野心あるポルノ映像作家はビデオという形態は安価であり、あらゆる種類の新しい可能性を提供してくれることに気づき始めた。つまり機材取り回しの容易さ、無限ともいえる長さの尺をとてつもなく低コストで撮影できるということである。
これらの新しい可能性を最大限に生かした最初の監督が、かつてピンク映画の監督だった代々木忠である。「ドキュメント・ザ・オナニー」シリーズ(80年代初め)にて今日のAVにて見ることのできる根源的要素を彼は取り入れた。本番の導入、そして素人俳優の採用によって秘められた日本のセックス事情をドキュメンタリースタイルで描写したのだ。
「ドキュメント・ザ・オナニー」は驚くべきヒットを記録し、映像に関心のなかった投資家連中という新しいグループの注目を引くことになった。裏本・ビニ本業者はAV制作会社を設立し、金鉱とも思えるそのビジネスに飛び込んでいった。
少額の予算でピンク映画会社に勝つために、本番は彼らの切り札となった。こうした決断は大島渚の刺激であるともいえよう。著名な日本人監督である大島がフランス資本で撮影したアートシアター系映画である「愛のコリーダ」(1976年)は、命がけの悲しい情熱を最大限に表現するために実際のセックスをいくつものシーンにおさめた。一方で、非合法である裏映画からの強い影響も見てとれる。裏モノである「洗濯屋ケンちゃん」が一躍注目を浴びることになった。いつ、誰が作ったのかは現在に至るまでまったく不明である。しかし多くのフィルムが出回り、それらはビデオにコピーされた。主要雑誌はこの映像について書き立て、大きな話題となった。裏映画の直コピーの常として、「洗濯屋ケンちゃん」はもちろん非合法なものであったが、新しい本物のセックスという報道記事によって、どんなにお金をかけても得ることのできない宣伝性を得ることになった。
もちろん、新しいAVにおけるセックスは本物であったが、いぜん審査されていた。セックスシーンでは役者の全身はおろか、クローズアップも映し出されていた。しかし、性器とヘアーはAV業界でいうところの「モザイク」と呼ばれる電子的処理画像に隠されていた。処理画像がある限り、スクリーン上のすべてが許された。精液が処理画像から飛び出して、非処理画面に映る女優にかかってもおとがめなしである。ピンク映画では役者のモチモノは家具や植木鉢をレンズとの間に置くことによって隠されていたが、いまや自由な撮影が可能となった。編集の段階でモザイクをかけ、ぼかすだけでいいのである。
そうした映像処理は、海外映画の審査に起源を発している。ヌードシーンはこれまでカットされることはなかったが、俳優の性器は黒塗り、もしくは白のぼかしで隠されていた。この和らげられた映像が、ある程度本来のイメージを知る、手がかりになったのである。
こうした規格を確固たるものにし、政府の取り締まり・警察の逮捕といった危険からAV産業を守るため、AV会社により自主審査団体が設立された。映倫(ピンク映画を制作する業界により審査委員会が運営されている)をモデルとしたビデ倫が設立された。業界トップは、AV監督がアナーキーな連中の集まりであることを正確に把握しており、最初から強い手段をとることにした。ルールを守らせるための必要な権威づけのために、ビデ倫は審査委員会に警察官僚や役人の天下りを呼び寄せたのだ。
現在ではAV業界は一大産業を形成している。しかしその内訳はさまざまである。ピンク映画会社が今もなお重要な役割を果たす一方、無数の小さな会社があり、世には知られぬ顧客の嗜好を満たすべく特異化をはかっている。とはいっても、AVには二大分野が存在する。つまり、「単体」と「企画」である。単体ものはふつう、大きな会社が扱うが、大予算とひとりのスター女優に焦点を合わせるところに特徴がある。美しい女の子を起用し、なるだけソフトに、かわいく作られる。一方企画ものでは4、5人の女優が一本のビデオに出演する。彼女たちはかわいくもなく、見た目がイマイチであるのは決して珍しいことではないが、カメラの前での行為は大胆不敵である。企画ものはセックスについて変わった側面を取り上げることが多く、小さな会社が制作している。企画ものの方が予算が安く済むからだ。単体女優はスターであり、一本につき100から200万の金を手にする。企画女優はというと、10万から20万といったところだ。にもかかわらず、ふたつのやり方は相互補完的だ。多くの男性視聴者は女の子にふたつのことを望む、つまり可愛らしさと変態さだ。
日本では魅力的な若手女優が必要とされており、単体の女の子はスターでありアイドルでもある。企画の女の子はというと、タレント的であり、それはアマチュアを意味する。こうしたタレント募集のやり方はまさしく日本的だ。モデル事務所やタレント事務所は多くのスカウトマンをかかえている。スカウトマンは若い男連中であり、ファッションに敏感な若い子でにぎわう東京の一角に、前途有望な娘を見つけるべく徘徊している。彼らは若い女性に声をかけ、音楽・ファッション業界の仕事をもちかける。実際、ファッションモデルやテレビのエキストラになる場合もある。レコード会社が特定の容姿を歌唱力より優先させたい場合には歌手になることも。一部の女の子たちは、スカウトマンから声をかけられ、そうした仕事に着くことを夢見ながらおしゃれして渋谷・原宿の通りを歩く。しかし多くの場合、モデル事務所はAVの仕事をもちかけ、そして多くの女の子が「いいですよ」と答える。街角からリクルートされたタレントたちの登場するAVの信じられない本数が示すように。彼女たちはたいてい手っ取り早く金を稼ぐためにAVに出演する。もしくは冒険や遊び心、モデルキャリアへの道を見いだしているのかもしれない。
企画もののスタイルやジャンルを一覧にするにはいささか数が多すぎる。しかしその中で最も重要であり、かつ一般的なものをあげるとしたら、ピンク映画の時代から続く、ずばりそのものの異性間セックスが最初に来るであろう。教師・女生徒・看護婦といったちょっとした嗜好を交えたり、レイプ(AVでは一大分野だ)・緊縛などの暴力の一形態を伴うこともある。しかしAVはビデオならではの特異なジャンルも拡大しつつある。ブッカケ(集団男性が女性の体に射精する、顔がより好まれる)や密着ドキュメンタリーの特殊なケースであるハメ撮りなどである。
ドキュメンタリー的手法は日本のAVの多くに見られる。しかしハメ撮りほどドキュメンタリー的なものはないであろう。手短にいうと、ハメ撮りはポルノ的日記の一種である。それは男性(たいていカメラマンや監督である)の主導のもと、タレントや女優をフィルムに収める作業である。カメラ片手にしゃぶってもらったり、テーブルに置かれたカメラで性交を記録したり、時には行為中にずばりそのものにカメラを向ける。こうしたやり方がたぶん、映像にじかの力を与えているのだろう。キャストなし、クルーなし。ただふたりがやって、その男がまさしくそこでセックスをしている、非常に個人的な視点を視聴者はまっすぐに見せられる(原注:残念ながら、筆者は女性による女性の視点からのハメ撮りにお目にかかったことがない)。
しかし、ハメ撮りの売り物はセックスだけではない。セックスと同じくらいの興奮を呼び覚ますのが、ふつうの、一般的な女の子がどうやって「演じる」かという点だ。彼女たちは朝、地下鉄であなたの隣りに座っていたかもしれない、夜にはビールを運ぶウエイトレスだったかもしれない…夢みたまえ。ハメ撮りが売るもの、それは夢であり、日本の男たちが望むけど実現不可能な、あるいは現実には十分に得られないような性的出会いがあるかもしれない、という夢だ。でもそのイメージはリアルである。それこそ手に取れるくらいリアルだ。
<カンパニー松尾: ハメ撮りの達人>
今日のようなハメ撮りを作ったのが、カンパニー松尾だ。ハメ撮りという生まれたてのジャンルを親密な映像体験に仕立て上げた。彼の代表作である「オークション01」「オークション02」は2004年に制作された。これらの作品(デジタル撮影され、DVDにて販売されている)は松尾が出会ったさまざまな女性との個人的な出会いを多く収録している。
たいてい松尾はレディースコミックに広告を掲載し、彼と会う勇気を持ち合わせた女性を募集する。作品の各章は彼女たちが実際に電話をかけるところから始まる。松尾は彼自身が電話を取り、待ち合わせ場所を決めるシーンをカメラに収める。次に私たちが見るのは、松尾が彼女のいるところに向かって移動するところだ。松尾はおおいに旅を楽しんでいるように見え、それを日記スタイルで撮る。いろんな駅のシーン、車窓からの眺め、日本の日常光景は常に導入部分となり、彼の行き先を示す。最終的に彼は女性が指定する場所で面会する。その場所は彼女の住む町だったり、リゾートだったりする。女性はときに彼をからかう。居場所を推測させたり、行き先の張り紙を残すこともある。しかしたいていの場合、駅などの待ち合わせ場所に彼女たちは素直に現れる。松尾は非常におだやかに話す、好ましい感じのする男だ。こうした資質がものごとをうまく進める理由であるに違いない。しかし最初から明らかなのは、彼女たちはお金を受け取っていて、なにやらセックスのようなものがこのふたりの参加者のあいだで始まることだ。
まず第一に、松尾は女性のことを知りたがる。彼らはしゃべり、冗談をとばし、お互いが容易になじめるみちすじを探す。そしてすべてはカメラに記録される。今回の出会いに至った動機、いつもの生活、そして夢。ついに彼らはホテルや彼女の自宅へと向かう。
この段階において、視聴者はすでに彼女について十分知っている。とても親しく感じられる。ある娘たちは積極的にセックスに至ろうとするし、渋々な娘もいる。なんであれ、松尾は撮影する。彼女が「だめ」と言う時でさえ、松尾はありのままにカメラにおさめる。驚くべきことは、女性たちは作品の中では自らについてとてもあけすけで、その多くがセックスの段になっても決してシャイではないことだ。日本の女の子が実際にどうやって考え、何を求めているか知りたければ、多くの洞察がここから得られよう。
松尾は1965年、日本の中央に位置する愛知県に生まれた。高校時代から、松尾はテレビ業界を希望していた。専門学校を卒業すると、松尾は音楽番組制作会社に入った。この仕事には彼は大いに失望させられた。音楽のことを考え、バンドの内面を映像化するかわりに単調な台本を追う日々だった。ひょっとしたら意外でないかもしれないが、会社はほどなく倒産した。失業した松尾は飲み屋で昔からの友人に会う。友人はAVの世界への参加をもちかけた…ここからは彼自身の言葉で語ってもらうとしよう。
2006年の2月に私は東京のファッショナブルなエリアである原宿にある、新しく広々とした松尾のオフィスで彼に会った。ちなみに原宿は日本の若者文化の先端を行くホットスポットとして知られている。
俺はまだ本気出してないだけ
虫歯になって慌てて歯磨き
鰯の頭も信心から
千代の富士はこう答えた
1001勝です
「よく禁煙に成功しましたね」
俺は勇者になりたかった!
だが魔王がいなかった!
お前には魔王がいる!
Living well is the best revenge
優雅な生活が最高の復讐である
もっともよい復讐の方法は、自分まで同じような行為をしないことだ。
マルクス・アウレリウス 自省録
我々は、現在の知識によってのみ物知りであるにすぎない。
男が女より強いのは、腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は、女にまさるところは一つもない。
「第一の性」より
人は死の間際になってはじめて、本気で生きてこなかったことに気づく。
人を見て、「こいつはまだまだだな」と思ったら、実際には自分とそいつは同じくらいのレベルで、
「俺と同レベルくらいかな」と思ったら、実際にはそいつは自分よりも上のレベルで、
「俺よりも少しできるな」と思ったら、そいつはもう手が届かないほどレベルが違うのです
強くなければ生きていけない
マーロウの名台詞
今君は夢を僕に言えるか?あの日と同じ瞳のままで
英雄とは個人的な恨みや、失望や、復讐心に駆り立てられてではなく、
人の小さい過失をいちいちとがめないこと。
人の隠し事・秘密を暴いたりしないこと。
人の過去の過ちを掘り起こして蒸し返さないこと。
この三つの点を守れば、人格を高められるだけでなく、人の恨みや反発を買うこともないのです。
司会「北京オリンピックに何か特別にもっていく物はありますか?」
浜田雅功「あたりまえや、こんなところで何言うとんねん。」
若いときは知ってるフリをしたがる
歳をとると知らないフリをしたがる
金は集めるより散じるが難し
生きる時間は変えられない
生き方は変えられる
人を呪わば穴二つ
スナフキン語録
1.ぼくは、あっちでくらしたり、こっちでくらしたりさ。
今日はちょうどここにいただけで、明日はまたどこかへいくよ。
テントでくらすって、いいものだぜ。きみたちは、どこかへ行くとちゅうかい?
2.自分できれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。
その気になれば、世界中でもね。
3.そうだな。なんでも自分のものにして、 もって帰ろうとすると、むずかしいものなんだよ。
ぼくは、見るだけにしてるんだ。そして、たちさるときには、
それを頭の中へしまっておくのさ。ぼくはそれで、
4.それはいいテントだが、人間は、ものに執着せぬようにしなきゃな。
すててしまえよ。小さなパンケーキ焼きの道具も。
ぼくたちには、用のなくなった道具だもの。
5.ありがとう。でも、いまも考えたんだけどもちものをふやすということは、
ほんとにおそろしいことですね。
昔から仏教では「足を知る」ていうんだ
あれも欲しいこれも欲しいで尽きることのない欲望の果てが
『自滅』
だから賢人は必要なもの以外は切り捨てるようにするんだよ
駒田「とりあえずお疲れ」
悩むってのは余裕があるから
海で溺れてる時悩みますか?必死で泳ぐでしょ
悩まない代わりに溺れて死んでます
人生の大きさは悔しさの量で計るんだ
「サッカーとは、トータル的にこれが理想というものがない。だからこそ魅力的なんだ。」
「(交代策は)うまくいくときもダメなときもあるもんだよ。采配が全部当たるなら、
「私には、理想とするサッカーはない。こういうチームと決めてしまうとそれ以上のチームにはならないからだ。
完璧と言えるチームはないと思っているし、起こりうる状況の中で常に前進して行くだけだ。」
「日本人はシステム論議が好きらしいが、システムは保証でしかないことを理解したほうがいい。
「古い井戸があります。そこには水が少し残っています。それなのに、古い井戸を完全に捨てて新しい井戸を掘りますか?古い井戸を使いながら、新しい井戸を掘ればいいんです。」
勝てない見込みのほうが大きい戦に
あえて臨む人間にはなんとなく肩入れしたくなる
「理性の最後の歩みは、理性を超えるものが無限にあるということを認めることにある。
それを知るところまで行かなければ、理性は弱いものでしかない」パスカル
「いいか、おまえら。恋愛というものはなだな、まず相手を好きになる。そして、好きが恋になって、
恋に愛が加わって恋愛になる。それで恋が消えて愛だけになると落ち着いてきたあたりが一番幸せだな。
俺、ビルゲイツが目の前にいたら言ってやるんだ
うらやましいだろ、ざまあみろ。ってね
弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。
ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい
信じるものがすくわれるのは足元だけ
夜なのに僕が見るのは蒼井そら
「ボクは火星人であることとチンコが小さいことをなんとも思ってませんから!」
「チンコ出して街歩きたい」
「虹がヒットしたら俺の下の毛を虹色に染めてお前ら(リスナー)にプレゼントしてやるよ!」
「空中でオナニーしてみたけど踏ん張りが効かなくてエクスタシーに達するのは無理だった」
「陰毛は直毛です」
人生は全て次の二つから成り立っている。
したいけど、できない。 できるけど、したくない。
この人が王であるのは、ただ他人が彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。
ところが、彼らは反対に、彼が王だから自分たちは臣下なのだと思うのである。
『資本論』第1巻第1章
「折口君、戦争中の日本人は桜の花が散るように潔く死ぬことを美しいとし、
われわれもそれを若い人に強いたのだが、
これほどに潔く死ぬ事を美しいとする民族が他にあるだろうか。
もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、
海に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」
久方の光のどけき春の日に、しづ心なく花の散るらむ
ラストサムライの最後のシーンで、若い明治天皇が、トムさまに、渡辺謙が
演じたラストサムライ勝元(西郷隆盛がモデルらしい)の死に様を聞く。
「Tell me how he died」
アメリカ騎兵役のトムさまが、自信に満ちた微笑をかすかにたたえて答える。
「I'll tell you how he lived」
人の通わぬ山道に咲いた紅葉の心意気
「金」以外のものを絶対に信用してはいけません。
信用できるのはお金だけ
よく聞く言葉だけど、インフレおこしたらそのお金にも裏切られるわけで
国は信用できるって(信用する)ということにつながるんだろうか
強情を押し通すと、周囲にも自分にも苦しみとなる
やっぱり一番悪いと思うのはアルコールだ
勝った人はこちらへ 負けたら向こうへ
そんな訳には いかない いかさない
子供たちがのびやかにすくすく育つために必要なのは、
実は“誰かに世界一愛されている”という実感なのではなかろうか。
今日逃げたら
明日もっと大きな勇気が必要になる
生き残るためには自ら変わらなければいけない
何事も 貴方が同じ土俵に立つから腹が立つのです
一歩退いて周りを見渡して御覧なさい
腹の立つ程の事ですか?
聞いちゃダメ!
聞いて偉くなった人は誰もいない!
勝ちに不思議な勝ちあり
負けに不思議な負けなし
女を腕に抱くと、やがて腕にぶら下がられ
そのうち背負う事になる
離婚の動機ですって?
ありますとも、弁護士さん
私が結婚してるという事です
今考えるとあの時食べておけばよかった
アーサー・ゴッドフリー