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はてなキーワード: 牛乳配達とは

2024-02-12

私は実家(家族)が太い

わたし実家が太い。

だが40歳を過ぎるまでその事実に気づかなかった。

まれ地方港町。5人家族、3人兄弟の3番目(姉、姉、自分)。

平屋の町営住宅で、トイレ和式ぼっとん便所。そんな家に俺は生まれた。

「うちは貧乏からね」

それが母親の口癖だったように思う。事実実家を出るまでわたし実家が裕福だと感じたことはただの一度もない。

高校生の時、友達が遊びに来た時「お前の家のトイレ臭せぇ」ってとても遠回しに言われたことを覚えている。(うちのトイレハエ取りキンチョールスプレー匂いが常にしており、なんとも言えない匂いを放っていた)

父親公務員だが酒飲みで、自宅にはよく借金取りが来た。夜、2人組の男を母親玄関先でを追い返したことを今でも覚えている。

父は家の中でよく暴言を吐いた。そして暴れた。

狭いリビングの中で大声を出して暴れることもよくあり、皿が良く家の中を飛び交った。

「やめてよ!!!」という声を出して、裏庭に逃げたこともある。

隣人の森田さんに何度かその話をしたことがあったが、自分の親よりも年上だった森田さん。今思えばすべて事情を把握していたのだろう。

「大変だねぇ」みたいなことを言われた記憶が何度かある。

欲しいおもちゃも満足に買ってもらえなかった。

1980年代まれなので、ファミコンスーパーファミコンドストライク世代

ゲームが買えないから、よく友達の家にゲームをやりに行った。

自宅ではスーパーマリオの動く紙芝居みたいのを作って、その上でキャラクターを模した手作りの置物を動かして「ぽよーん」とか「キノコゲット!」とか言っていた。

おひなさま友達は買っていたけど、うちには無かった。

から母親牛乳配達をしていたため、どうしても余る牛乳パックを重ねてひな壇を作って、その上に包装紙を貼って「おひなさまできたー」みたいなこともやった記憶がある。

注。一応私は男です。

さな港町。裕福な家庭なんてそうそういないのだが、自宅から歩いて100mくらいのところに、たまたまお金持ちの同級生が住んでいたことも、「うちは貧乏なんだ」と思うことを加速させる一因にもなった。

彼の家は一軒家、3階建て。広い庭あり。

冬休み家族みんなでハワイに行く。よくお土産をもらっていた(その時にもらった野球鉛筆はいまでも捨てられずに保管してある)

彼のおじいちゃんはとても野球好きで、彼にとても情熱を注いで野球を教えていた。(親が子供野球を教える。。。のおじいちゃんバージョン

俺の家ではとうてい変えるはずのない、ティーバッティング用のネットを自宅に用意し、休日野球練習が出来る環境があった。

(そのおかげで、高校札幌高校から野球推薦が来たらしい)

彼の家にあるものが、うちにはない。

彼の家では誕生日に豪華な食事が出るが、うちではケーキ父親居酒屋で買ってきた七面鳥くらい。

小学校でも「びんぼーびんぼー」といじめられていた記憶がある。

うちは、家も狭いしシャワーも無いし、トイレぼっとん便所だし。

だってほしいものも変えないし。ビンボーなんだ。そうなんだ。 本気でそう思っていた(今でも多少はそう思っている)

そうして中学を経て高校卒業するとき

父に対して「お母さんに手を出したらぶっ殺すからな!(黒歴史)」と言って家を出たのも、あの狭い平屋の町営住宅だった。

ちなみに、その町営住宅都市計画か何かの関係でもう無い。

社会に出て20年。自分実家のことを「金持ち」だと思ったことはただの一度もない。本当にただの一度もない。

ただ最近「うちって貧乏だが、実は実家が太いというやつなのでは?」と思うようになった。

この年齢になってくると、やれ親の介護だ、やれ両親が亡くなった。家族問題毒親だの、いろいろな話を聞く。

職場たまたま一緒になった同い年のヤツも、在宅勤務なのだが、その理由母親介護らしく、事実業務中に「(親の介護用の)アラートが鳴ったから」との理由でちょくちょく業務中座する。

今日久しぶりに再会した、前職の知り合いも「何の前触れもなく父親が亡くなって、実家仕事を引き継ぐことになった。加えて、兄が認知症っぽくなって、その対応に一人で追われていた」とたった1年なのに、とてもやつれた顔をしていた。

この時思った。

家族健康で、かつ自分に口を出してこない(なんなら必要とき金銭的な支援をしてくれる」というのは相当な資産なのでは? そしてそれは「実家が太い」と言い表していいのではないだろうか。

実は、家族健康資産という言葉は、数年前に知人に言われた言葉である(その知人とはもう連絡が取れない。あぁ。悲しい)

ガチャという言葉がある。

もちろん家ガチャもあるだろうし、家族ガチャ兄弟ガチャもあると思う。

うちの家庭は前述の通り、借金まみれ、貧乏、父は酒飲み(のちに自己破産)、姉2人はそれぞれ違う新宗教に入っているなど、傍から見ると普通の家庭では無いと思う。母も、新宗教ではないにしてもある宗教の熱心な信者だ。この話を他人にすると「へえ。凄いね・・(消え入りそうな声)」とよく言われる。

かにわたし実家金銭的な資産は無い。

土地も無ければ、財産もたぶんない。人脈もコネ学歴も無い。両親は2人とも大学に行っていない。母親は確か高校にも行っていない気がした。

世間的な定義に照らし合わせるならどう考えても太い家では無い。それどころかただの貧乏家庭である

それでも、その両親はわたしに何の干渉もしてこず、かつ80近くになった今でも子供迷惑をかけることなく元気である

父80歳。母76歳。

父はちょっと弱弱しくはなったが、それでも電話をしたら2人ともはきはき話す。母親にいたっては今でも畑仕事に精を出す。おかげで足腰は元気だ。

もし、仮に死ぬことになった場合は、費用も含めて手筈は整えているらしい。わたしとしては当然ながら生きながらえてほしいが。もっと一緒にいたい。

ただ、正直ありがたいとも思った。

実家、家庭で問題が無いという事は、それだけ自分のことにフォーカス出来る。集中できるという事を指す。

そしてこの「家庭、家族問題に振り回されることな自分人生に集中できるという事は、当たり前のことではないんだ」ということに、最近まで気づかなかった。

ここ最近職場など様々なシーンで関わる人と我が家比較してみて、「実家が太い」とは必ずしも財産資産などの有形資産のことばかりを言うのではないのだなと感じた。

経済的には貧乏なんだろうけれど、それでも太い。そんなわたし実家の話し。

いつも書くblogには書けない話だから、こっちに書いてみた。

どうして気づかなかったんだろう。もっと早く気づくべきだったかもしれない。でも、それも人生かな。

2023-01-10

牛乳配達は見なくなったけど

新聞配達トイペも配ってるし

新聞が滅びても生き延びそうやな

2021-06-30

東京都議選、経歴が魅了的な女性候補者まとめ

素敵な女性候補がたくさん出ててワクワクする。 

期日前投票▶6/26 ~ 7/3 8:30 ~ 20:00

投開票▶7/4 8:30 ~ 20:00


五十嵐えり

(37歳、立憲、新人武蔵野市

 

1984年まれ

中学時代いじめに遭う→中卒で4tトラック運転手牛乳配達クリーニング配達など様々な職業経験

24歳で高卒認定→働きながら静岡大学夜間卒→名古屋大学院卒→30歳で司法試験合格弁護士

小西洋之参議院議員の元秘書


佐藤こと

33歳、維新新人北区


1988年静岡県浜松市まれ

静岡県浜松北高校ダブリン大学トリニティカレッジ心理学部へ進学。

卒業後、広告代理店にて5年間営業職。障害者雇用支援事業を展開するソーシャルベンチャー株式会社ゼネラルパートナーズ入社し、広報室長選挙のため求職中。

一児の母。ADHDグレーゾーンパリアカデミー出身フェミニスト自称

夫は高卒で、北区工場で三交代勤務マンションの頭金を選挙につぎ込んだとのこと。



広瀬まき

(39歳、自民新人小金井市


愛知県名古屋市まれ

京都大学経済学部卒業三菱UFJ銀行にて約12年勤務(営業企画業務)→アクセンチュア外資系コンサルティング会社)を経て、独立

前回都議選に破れ、4年間浪人生活を送る。

趣味ゲームに関するインタビューTwitterバズる

ドラクエ5花嫁は、ビアンカ以外を選んだことがなくて。フローラ選ぶとイオナズン使えるからその方がいいという人もいるけど、幼馴染を裏切るのは保守政治家として許せない。」

 



池辺愛

40歳都民ファーストの会新人中央区


ヌーブラヤッホー」のギャグブレイク?した元モエヤン解散)。

大阪府豊中市出身大阪教育大学附属池田小学校→同池田中学校、同高等学校池田校舎卒業慶應義塾大学文学部

劇団員お笑い芸人ラジオパーソナリティ

2度の流産乳がん経験し、現在4歳の娘と10ヶ月の息子の母。


山名 かなこ(生年月日記拒否れい新選組新人杉並区


同志社大卒。

すべての「生きづらさ」を感じる女性が、自分たち権利を主張できるコミュニティを目指すNPO法人“The F-Word”の代表

会見では報道陣に配布する書類に生年月日の記載拒否した。


選挙に出られる25歳以上ではあります履歴書や経歴書に、性別、年齢だったり、写真を載せることによって、その人自身というよりも、うわべと申しますか、そういうもので(社会に)判断されることに疑問を感じます。経歴には生年月日を書かない選択しました」



■森沢きょうこ(42歳、無所属、現職、品川区



神奈川県茅ヶ崎市出身

慶應義塾大学法学部政治学科日本テレビ入社

報道記者を4年、その後社会部、外報部、政治部にて取材や中継を経験

トレンダーズ株式会社にてPRコンサルタントを勤めた後、夫の海外留学・勤務のため離職し、シンガポールにて子育て

帰国後、「株式会社みんなのウェディング広報や、女性キャリア支援する「株式会社LiB」法人営業

2児の母。

前回都民ファーストの会初当選後、離党し、会派東京みらい」を立ち上げる。

女性活躍子育て支援に熱心に取り組む。

2021-03-26

anond:20210326100451

なにそれいいなあ 牛乳配達頼もうかなあ 瓶ってだけでおいしそうだし…

2021-01-05

anond:20210105222848

甘やかしやがって。そりを引かせろ。パトラッシュのように牛乳配達しこむんだ

2020-11-26

牛乳配達一週間分一度に配りたいというから渋々オッケーしたんだけど、見事に腹を壊したわ

ふざけんな……マジで一週間ギリギリ賞味期限で渡してきやがった。

賞味期限分かってんだからサッサと飲め?

そりゃそうなんだけどな。

でも配られてから7日過ぎた牛乳も9日過ぎた牛乳感覚的にはもう大差ねえじゃん?

つうか新鮮な牛乳が貰える訳でもないならわざわざ配達させる意味が分からなくなってきたわ。

週の前半はまだしも後半の分はコンビニで紙パックでも買って3日かけて飲んだ方が封一度明けたこと考えても7日前の牛乳よりは新鮮なんじゃねえか?

マジでわからん

いやな、コスパ悪いんだよぶっちゃけ配達牛乳って。

その分を手間賃と新鮮さで売ってるんだが、売上落ちててダルいから一週間分まとめて送らせてくれっていうからしゃーねえから買い支えてやっかと承諾したらコレだよ。

いや俺が軽率すぎたわ。

ありえんな

配達牛乳一週間分まとめて配るのを許可した時点で俺の負けだ。

残された道は解約のみや。

あばよ

2020-06-05

anond:20200603220912

牛乳配達トラックで扉を開けたまま走り出して牛乳道路にぶちまけたのは今となってはいい思い出。

2019-08-28

牛乳配達の件で思い出したけど、

新聞屋さんも夕刊と一緒にオムツとかトイレットペーパー配達してるよね

なるほど紙つながりねーって

2018-09-12

ワタシのいちばん長い一日

anond:20180906085723

「いってらっしゃい。お仕事頑張ってね。お土産楽しみにしてるわ。」

結婚五年目の妻は笑顔で私を送り出した。

そう。今回のシゴトは、私の一生を掛けた大仕事最後までわずかなミスも許されない。

大手機械メーカー大阪支社に勤める私は、大分県別府市内に建設計画中の工場案件の全てを任されている。

サマータイム導入から10年。すっかり国力の落ちた日本では、ベトナム工場を作るよりも国内に作った方が

輸送費等の兼ね合いで安く済んでしまう。AIによる製造工程自動化が進んだ結果、人件費無視できるレベルに抑えられたのも大きい。

だが、それが一番の問題でもある。

雇用を産まない工場地方にどれだけ敬遠されているのか、経営陣は本当に分かっているのだろうか…。

私はこの2年間、何度も別府市に行き、地権者から商工会関係者、市会議から市長まで接待を繰り返した。

接待というものは、される側にはとても気持ちのよいものだが、する側の味わうストレスは大変なものである

そんなストレスを解消するために、ある時より別府から大阪への帰路にフェリーを使うようになった。

別府 19:35 発~大阪 翌朝 7:35 着 のさんふらわあ号12時間の旅は、翌朝会社直行するのにちょうどよい時間であったのと、

市街地の明かりが全く見えない海上で甲板から見上げた星空の美しさは言葉では表せない素晴らしいものであったのだ。

半年ほど前からは、携帯式の反射式望遠鏡を購入し、甲板からつかの間の天体観測を楽しむようにしていた。

フェリー船長は、そんな私に気を利かしてくれて船の常夜灯を最小限の明るさに抑えてくれた。


その日は、数々の環境確保条例クリアして工場着工に関する最終認可を別府市から得ることに成功し、

この2年間の苦労が報われた本当に長い1日だった。

もちろん、工場建設が始まれば、後は全て現場任せにできるという簡単ものではない。

すべての設備が導入されて、最初製品が出荷されるまではまったく気が抜けない。

はいものように甲板から星を眺めつつ、これから仕事に対して、改めて、自分自身気合いを入れるのであった。


朝 7:40 頃、私は大阪南港のフェリー乗り場の近くでタクシーを捕まえて会社に向かった。

気の良さそうなタクシーの運ちゃんフェリーでの天体観測の話をしたのち、夜間、誰にも邪魔されないように切っていたスマホの電源を入れたところ、5分と経たずして、電話が鳴った。

警察から掛かってきたその電話は、妻の非業の死を告げるもので、自宅での現場検証に立ち会ってほしいとのことだった。

私はひどく狼狽し、しどろもどろになって、タクシー運転手に自宅の住所を告げた。



朝 8:10

自宅周辺に張られた規制線のそばで私を出迎えたのは、よれよれのコートを着た冴えない中年刑事だった。

刑事「このたびは、まことに…なんといいますか、奥さまが亡くなられたことにお悔やみ申し上げます。」

私「社交辞令はいいので。いったい何が起きたのか教えてもらえますか?」

刑事「ん~。あたしもまだ詳しいことはさっぱりなんですがねぇ。。。

分かってるのは、朝6時半に親切な牛乳配達員が、玄関そば牛乳箱の周りの血痕に気づいて、不審に思って半開きのドアを開けたら血だらけになった奥さまを発見して通報したことだけ。」

私「なるほど。その配達員第一発見者なんですね。

配達員は妻からなにか最後言葉とか犯人の特徴とか聞いてないんですか?

救急隊員の人も何か一言でも聞けてないんですか?」

私は犯人に繋がる情報が無いかと夢中になって尋ねた。

この程度のことは警察だってとっくに聞いているに違いない。

それでも尋ねずにはいられなかったのである


刑事「ん~。この出血量だとねぇ。。心肺停止と言っても即死みたいなもんだからねぇ。。どうなのかなぁ。。」


要領を得ない刑事言葉に少しイラッとしたが、玄関から廊下の奥まで広がる血の海は、

被害者即死であったことを証明しているようなものである

配達員は間違いなく何も聞けていない...。


その後、警察は自宅内に残された犯人指紋を探すとのことで、家人である私は鑑識に指紋を採られた。

自宅に出入りした可能性のある人物を聞かれ、親族と妻の友人数名の名を挙げた。

おそらく彼らの指紋も照合されるのだろう。


室内には荒らされた形跡があり、盗まれたと思われる妻の財布や貴金属、通帳などいくつかを警察に伝えた。

窓や勝手口などの出入り口については、1ヵ所ずつ状態確認し、普段の施錠状況と合わせて異常の有無を説明させられた。

勝手口の鍵が掛かっていなかったこから犯人はそこから出入りしたとも思われる。


例の刑事は、「あのー。大変聞きづらいんだけど。。これ。おたくさんの?」

と妻の寝室のゴミ箱から取り出した使用済みコンドームを振って見せた。

私「…。その。。妻とはずっと、レスでして。。。」

刑事「あー。そう。」

しばらくの沈黙後。

刑事奥さん不倫してたりする?」

私「分かりません。涙。」



仕事大成功した翌朝に妻を殺されて、その直後に妻の不貞が発覚したとき、夫はどんな顔をすべきなんだろう?

何カ月も前からこの瞬間について考えていたのだが結局分からなかったので、私は泣くことに決めた。

全ては計画通りに進行しているので、本来、喜ぶべき時なのではあるが...。


昼13:30。

午後になると、私は警察署に連れて行かれ、妻の遺体と対面した。

・・・おまえが全て悪いんだよ。私が心血を注いで集めたコレクション二束三文で売り払ってしまうなんて。)

・・・結婚前にもお互いの趣味について尊重するとあれほど約束したのに。。)

・・・プレミアのついた「レイカは華麗な僕のメイドフィギュアをいったい、いくらで買ったと思ってるんだ・・・

無言の妻を前にして、言いたいことは山ほどあったが、私は沈黙を貫き、ひたすら号泣した。


遺体確認後は、別室に連れて行かれた。

刑事ドラマでみかけるような取調室とおぼしき部屋で待っていたのは、あの刑事だった。


刑事「あのーですねぃ。ひじょーに聞きづらいことなんですが。。

これは捜査の一環として、どうしても関係者一人ひとりに確認しておかなければならないことがありまして。」

歯切れの悪いその言葉に、私は思わず

アリバイ・・・ですか?」

と尋ねた。

刑事「そうなんです。

べつにあなたを疑ってる訳じゃなくてね、容疑者から除外するために必要と言いますか、聞いておかないとあたしが怒られちゃうんで・・。」

私「はぁ..。私は昨日の夜19時半に別府港でフェリーに乗って、今朝7時半に大阪港に着きました。それからタクシーで家に戻りました。これでいいですか?」

おもむろに財布にしまってあった、フェリー乗車券の半券と大阪から自宅まで乗ったタクシー領収書を取り出した。

半券には 19:35発 7:35着の文字がくっきり書かれている。

間違いなくフェリーに乗っていたことは、天体観測している様子を見た船員が証言してくれる。

領収書は自宅到着時の印字時刻しか書かれていないが、タクシー会社は何時何分に客を乗せたか記録しているはず。

まり、私のアリバイ完璧なのだ


半券と領収書コピーを取られたのち、返却された。

刑事は、私のアリバイ以外にも妻の普段生活習慣のことや近所付き合い、最近のなにげない出来事まで、こと細かく聞いてきた。

一通り聞き終えた刑事は満足したようで、ようやく私は質問責めから解放された。


私が取調室を出て帰る瞬間、刑事は「すみません。あと1つ。」と呼び止めた。


刑事おたくさん、お持ちのスマホは1つだけ?個人用と会社用と別に持ってない?」

私「うちの会社経費節減会社専用の携帯支給されてないんですよ。個人スマホ代用して仕事で使った通話料だけ請求するカタチなんです。」

刑事「あらま。実は、これから関係者電話通信記録を調べようと思ってましてね。もし犯人奥さんの知人だった場合過去に一度くらい電話してるかもしれないでしょう?見落としがあるといけないので聞いてみたんですわ。」

刑事「それにしても最近スマホはすごいもんですなぁ。うちのかみさんスマホを忘れた時なんて、パソコンちょちょっと操作するだけですぐに置き忘れた場所が分かっちゃったんですよ。」

・・・何を言ってるんだこの刑事は。。。)

私「GPS機能ですね。便利ですよね。」

私は適当言葉を返し、刑事に別れを告げて自宅に戻った。

あの刑事は私を疑っている?

かみさんの話は私にカマを掛けたものかもしれない。ちょっと面白くなってきた。

最新のスマホ複数基地局と同時に通信するため、およその居場所通信局のログに残ってしまう。

から私はフェリーに乗る時にスマホの電源を落とした。念には念を入れて、スマホアルミ箔で包むことで

完全に電波遮断したので、スマホの移動履歴からアリバイを崩すのは不可能だ。


夜18:00。

自宅のリビングソファに座り、長かった今日一日の出来事を考えていると、うとうとして眠くなってきた。

昨夜から一睡もしていなかったことを思い出してしばらく仮眠をとることにした。







ドンドンドン

ドンドンドン

23時過ぎに、リビングの窓を叩く音で目が覚めると、外にはあの刑事が居た。

刑事はどうしても確認したいことがあるとのことで、しかたなく私はリビングに招き入れた。

刑事「昼間聞いた、おたくアリバイなんだけどね。もう一度、説明してもらえる?本当のところを。」

私「はぁ..。私は昨日の夜19時半に別府港でフェリーに乗って、今朝7時半に大阪港に着きました。それからタクシーで家に戻りました。これで満足ですか?」

財布から改めて証拠の品を取り出す必要は無かった。

既に刑事が持参したコピーテーブルの上に置かれていたので。


刑事「でもねぇ。昨夜はサマータイムの切替え日だったでしょ?夜中に時刻が2時間巻き戻ってるよねぇ?」

コピー用紙の上に鉛筆時系列タイムラインを描いた刑事は、

夜19時半から航行時間である12時間後が何時になるのか?これ見よがしに数えてゆく。

刑事「1,2,3,4・・・12。ほらね?大阪港に着くのは今朝の5時半だ」


刑事「5時半に着いて、7時40分のタクシーに乗るまでの約2時間おたくはいったいどこで何をしていたんです?

その行動を合理的説明できますか?」


冴えない刑事の目が、一瞬、狼の目のごとく鋭く光ったように感じた。

私「・・・。いつから私を疑っていたんです?」



刑事最初からだよ。

あんたに出会った時、あたしは配達員通報したとだけ伝えた。

警察通報したとも、救急通報したとも言ってない。

なのに、あんたは救急隊員の話を聞いてきた。

それでピンときたね。

あれ?この人、もしかして奥さんが運ばれている様子を見ていたのではと。」


私は確かに現場をずっと見ていた。

から無意識救急隊員という言葉を口にしてしまたことを思い出した。

迂闊だった。

私「そんなことで・・・



刑事「そうだよ。

5時半に着いたあんたは、バイクか何かで自宅に戻り、6時過ぎに奥さんを殺した。

毎朝6時半に届けにくる配達員にわざと死体発見させたのを確認して、7時半には大阪港に戻った。

違うかね?」











…素晴らしい。完璧だ。

…およそ完全犯罪というものは、良きライバルに巡り合えてこそ、真に完成するというものだ。

…この刑事には、「ナニワのコロンボ」という称号を与えよう。

…だが、君がたどり着けるのはそこまでだ。

私は自分勝利確信した。





私「そんなことで。そんなくだらない妄想で、今日一日。初動捜査の貴重な一日目を無駄にしたんかっ」

私「この一日の間に真犯人絶対まらないところへ逃げおおせたら、いったいどない責任とるつもりやねん」

私「大阪府警の恥さらしめ」

顔を真っ赤にした私は、自分もびっくりするほどの大声で刑事に怒鳴りつけた。


私「お前はなんもフェリーのことが分かっちゃいない。

旅客フェリーはな、ただの輸送船とはちゃうんやで。

サマータイム切替え日には、航行時間を10時間にしたり、14時間にすることで

時刻の辻褄をあわせてるんや。ほら、ここよくみいや。」

フェリー会社の「よくあるご質問」ページをスマホで開いて見せた。


Q:サマータイム切替え日の乗船/下船時刻はどうなるのでしょうか?

A:海上での航行時間(速度)で調整しますので、時刻表通りとお考えください。


無慈悲な一文が、刑事の考えた時刻表トリックをあっさりと打ち砕いた。

私「信じられんなら、明日フェリー会社に問い合わせてみるといい。

船長も船員も乗客も、そうじのおばはんも、み~んな朝7時半に着いたと証言するわっ。アホめ。

もうお前が私を疑っていると分かった以上、今後はいかなる質問弁護士を通してもらうからな。

それよりも、上の人間に話をして捜査を代わってもらう。

こんなクソの役にも立たない捜査官なんて、もう二度と顔もみたくないわ。」

思いつく限りの罵倒刑事に浴びせて追い返した。



これから先、あの刑事がどこをどう調べても私のアリバイが崩れることは無いだろう。

だって、私は本当に19:35発~7:35着のフェリーに乗っていたのだから

アリバイ崩しをあきらめて、寝室で見つかった精液の持ち主を追い始めてくれたらそれで十分だ。

私が出張先の風俗店ごみ箱から拾った精液の持ち主がどうなろうと知ったことではない。


23:55。

私は自分の寝室に戻り、省電力モードで待機しているメイドロボットレイカスイッチを入れた。

レイカ「お帰りなさいませ。ご主人様」

永遠の17歳自称する人工音声が甘い声で話し始めた。

私「今日は本当によくやってくれた。心から感謝するよ。」

レイカ「ワタシもお役に立てて光栄デス」

魔改造を重ねられたレイカは、どんな命令もこなせる最強メイドだ。

もちろん夜のサービスだって完璧だし、アイ・カメラから映像ネット経由で遠隔地に飛ばすことも可能

完璧メイド完璧仕事をさせる。夜のいちばん長い今日執行日に選んだのはそれが理由だった。

今日から、死が二人を分かつまで、彼女との二人きりの甘い生活が始まる。

妄想で頭をいっぱいにした私は、レイカの柔らかな胸に顔を埋めつつ、深い眠りにおちるのだった。(終








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参考)

フェリー

https://www.ferry-sunflower.co.jp/route/osaka-beppu/time/

レイカ(フィギュア)

http://my-s-maid-reika.sakura.ne.jp/figure/index.html

レイカさん、良いですよねぇ。

原作は1冊のみで完結なんですが、番外編としてぐすたふ先生ご本人の同人誌が続くようでファンとしてはうれしい限りです。

最近、ミクさんと結婚された男性話題になってましたけど、私が結婚するなら絶対レイカさんが良いデス。

タイトル原案

http://b.hatena.ne.jp/entry/370544145/comment/gabill

本作のタイトルレイカさん視点です。

脚本原案

http://b.hatena.ne.jp/entry/370569310/comment/tetsutalow

https://anond.hatelabo.jp/20180907005441

時刻表トリックめっちゃ難しいですね。

「19:35発」と書いた時点ですぐに、サマータイム時間のズレがぁぁ

アリバイが崩れて不可能だった犯行可能にぃってバレバレじゃないですか。

少しひねって、サマータイムの時差で2時間分の余裕ができたが、犯行必要なのは時間。残り1時間はどうやって?

としたら、ただの時刻表トリックと変わりなくなってしまいそう。

アリバイは崩れたけど証拠が無いよ系を面白く書くにはショートショートでおさまらいかなと。

それから、本作のオチについて。

推理モノなら、家宅捜索の時点で埃を被って動かないレイカさんが出てくるべきなんでしょうけど、

ただのどんでん返しなので省略しました。

最初草案では、正統派コロンボのように、天体観測趣味なのに関連する書籍本棚に少なかったり、荒らされた部屋の紛失物をすらすらと言える姿に疑いを深めてゆきます

最後に、奥さまの体内のチタンプレートにこんな傷を負わせられるのはロボットしか居ない。とか、あなたロボットの目を通してしか現場を見ていなかった。だからこんなケアレスミスをしたんだ。

みたいなことを考えていたんですが、これだと、魔改造によってロボット原則を破れるようになったレイカさんは破壊処分されてしまます

それが嫌でこうなりました。

2018-02-05

anond:20180205121555

石を探して、牛乳配達して、素手で畑を耕して、3話で修行終わり。これでもDBの中では長いほうだけどね。

鳥嶋氏:

 だから、『ドラゴンボール』では「努力」はさせなかったんですよ。「修行しました」とは言うよ、でもあくまでも結果で見せていく。だって、「滝に打たれて修行する」とか、そんなバカな話が現実には意味ないことくらい、そりゃ今の子供は知ってるよ。そういうリアリティ普通に生きていれば、この情報時代絶対キャッチするからね。

http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/5

2016-12-11

AmazonDashが何をやりたいか

何か新しい試みのようでいて、既存のアレだよね

この動画見ればわかると思う

https://www.youtube.com/watch?v=aFYs9zqYpdM

 

牛乳配達みたいなのあったじゃん?

アレがやりたいんだよ

上手く行ったら定期購入を全部ぶんどれるからそりゃ美味しい

美味しいのは誰でも知ってるから、色んな事業者がこの領域狙ってる

AmazonDashはそれをIoT化したってだけ

 

で、じゃあ上手くいくのかと言うと俺はNoだと思う

アメリカではまだうまく行くかもしれない

いからね、ちょっとコンビニ行くっていう話じゃなくなる

動画を見れば分かると思うけど、一品配達ですら無い

 

でも日本じゃどうだろう?

まずド田舎でない限り、近くにコンビニがある

コンビニがなくても商店がある

配達までは時間がかかるから、近くに店があるならそこへ行ってしま

おまけにIoT

日本他国よりもああいインターネット活用は遅れている

 

じゃあ日本アメリカ以外ではどうだろう?

上で触れたとおり、似たようなことを考えている事業者は山ほどある

彼らができなかったことを、Amazonができるという状態でなければならない

あるとしたらAmazonお得意のキチガイ戦法(資金力と実行力に物を言わせたゴリ押し)だが

それをやってすら難しいテーマだし、もし上手くいきだしたらその国の別の事業者がパクって動き出すだろう

その後は乱戦、Uber状態

 

というわけで個人的にはそこまで期待してない

2014-10-15

おばあさんの新聞

一九四二年に父が亡くなり、大阪が大空襲を受けるという情報が飛び交う中で、母は私と妹を先に故郷島根県出雲市の祖父母の元へ疎開させました。その後、母と二歳の弟はなんとか無事でしたが、家は空襲で全焼しました。

 小学五年生の時から、朝は牛乳配達に加えて新聞配達もさせてもらいました。日本海の風が吹きつける海浜の村で、毎朝四十軒の家への配達はつらい仕事でしたが、戦争の後の日本では、みんながつらい思いをしました。

 学校が終われば母と畑仕事。そして私の家では新聞を購読する余裕などありませんでしたから、自分が朝配達した家へ行って、縁側でおじいさんが読み終わった新聞を読ませていただきました。おじいさんが亡くなっても、その家への配達は続き、おばあさんがいつも優しくお茶まで出して、「てっちゃん、べんきょうして、えらい子になれよ」と、まだ読んでいない新聞を私に読ませてくれました。

 そのおばあさんが、三年後に亡くなられ、中学三年の私も葬儀に伺いました。隣の席のおじさんが、「てつんど、おまえは知っとったか?おばあさんはお前が毎日来るのがうれしくて、読めないのに新聞をとっておられたんだよ」と。

 もうお礼を言うこともできないおばあさんの新聞・・・。涙が止まりませんでした。

岩國 哲人(78歳) 東京都渋谷区

http://www.pressnet.or.jp/about/recruitment/essay/works.html

2014-08-17

お金が大好きだった

 ぼくは小さいこお金が好きだった。母子家庭で家が貧乏だったからだと思う。電気やガスを止めたり、おやつをうちだけ少なくしたり、母に徹夜で内職をさせる。不憫だ、子どもが不憫だと時おり、母を涙させる。そんなお金の力に引き寄せられたのかもしれない。

 小学校二年生までのぼくの趣味は、おこづかいや、数少ない親戚から年に一度もらえるお年玉、たとえば数千円。それを両替機で崩すことだった。全部10円に。お金が増えるのがすきだった。受け皿に硬化が落ちてくる、あのジャラジャラッ、という音もすきだった。全部10円玉になると、店のおばちゃんに数十枚の銅色の硬化を渡した。きびすを返し両替機に銀色の硬化をまた突っ込んだ。繰り返し。迷惑なはなしである

 小学校三年生に上がると、その行為がまったく無意味だと悟った。今度は本当の意味お金を増える方法をかんがえはじめた。勉強にも友達にもそれほど興味はなかった。


 最初のぼくのビジネスは、自販機の小銭と落ちている空き瓶をあつめることだった。今はどうかしらないがその頃、一本あたり10円で特定のビンを買い取ってくれる駄菓子屋があった。たとえば、コカコーラスプライト

 二週間後には町内の自販機地図をつくり、近所の子どもたち数名を組織化してビジネスを拡大した。上がりは折半だ。軌道に乗った矢先、浮浪者ボス一喝されてそのビジネスはご破産となった。

 次は自販機ビジネス資本をもって、今でいう「せどり」に挑戦した。カメレオンクラブキャンプわんぱくこぞう、遊コン。情報化前夜の昭和末期。ゲームカセット買取価格と販売価格が逆転している商品をしらみつぶしに探しては、他の店に売りとばした。これも仲のよい同級生組織化した。仕入れの費用がない場合はぼくが肩代わりした。が、ただ、店舗が密集しているわけではなかったので、仕入れの問題であまりうまく行かなかった。そのうち同種のカセット買取制限つきはじめた。息の短い商売だった。

 中学生になってやったのがパソコン通信ログ取得代行する、というサービスだった。今思うととこれは犯罪だったかもしれない。Nifty-servePC-BANの規約はもう見れないので許してほしい。日夜マニアック議論が繰り広げられる大手パソコン通信サイトログダウンロードしては草の根BBSで知り合ったおにーさん達に高値で売りつけた。ただのテキストが垂涎の情報となる時代があったのだ。

 小さな商売としては、ビックリマンシールの仲買。発売日前に週刊少年ジャンプが並ぶ店を見つけて手に入れ時間貸しCDダビングを手伝ったりした。もちろん牛乳配達新聞配達もやった。

 最後にやったのはパチンコだった。本当はアルバイトをしたかった。が、中学生を雇ってくれる福祉的なビジネスマンを当時のぼくにみつけることはできなかった。ぼくの世代には一時期これで食べていた人が多いと思う。といってもぼくが中学生の頃なので、羽根物権利物フィーバー機など釘の甘い台をみつけては打ち止めにする。という同世代パチスロプロより1つ前の世代だった。あからさまな中坊がパチンコ屋に来ても見て見ぬふりをしてくれる、牧歌的時代だった。LUNA SEA有線放送でよく流れていた。軍艦マーチももちろん流れていた。


 そうしてぼくは晴れて16歳になり、まっとうに労働を金銭と交換し、またそれの再生産を繰りかえす立場となった。

 ぼくはなるべくして中卒になった。1つも願書を出していない。

 義務教育学校に行く理由がまったくわからなかった。お金を稼ぐ事以外世界意味がないと思っていた。だれも勉強をする理由を教えてくれなかった。貧乏な家の親、多くの市井公立小学校先生にはそれを子どもに説明する能力が、ない。ぼくも30をすぎてようやく勉強をする理由を先人の言葉を使って説明できるようになったくらいだから、無理もない。

 高校へ通うには学費が多くかかると知った。これも進学しなかった理由の一つだ。さすがに15歳の僕にもわかる。母親の稼ぎだけで四人の年子高校に行くのは不可能なことを。ぼくが行けても下の弟二人はきっと中卒だろう。

 中学三年の担任は、進路相談でぼくが進学しないというと、とりあえずその場をなあなあで済ませた。その後、考えをあらためさせるべくぼく親友山根を狩り出した。ぼくの説得を試みたのだ。まったく進学しない中卒は珍しかったらしい。無論、とりつくシマもなく断った。二人の目には、ぼくの事が、世界中を敵だと考え怯える、野生児のように見えたと思う。そんな目をぼくはしていた。

 その後、労働お金を稼ぐことより、お金を作る仕組みのほうに興味を捨てられなくて、自分商売を始めるんだけど、それはまた別の話。

今はだいぶその呪縛から解き放たれたと思う。

戦後のはなしではありませんバブル世代です

2009-01-25

ヤムチャ努力してるんだぞ!ヤムチャに謝れ!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%A0%E3%83%81%E3%83%A3

占いババの館の戦いが終わったあと、亀仙人弟子入り。修行を積み、独学でかめはめ波を会得する。

神のもとで修行を積み、サイヤ人戦に挑むが、栽培マンの自爆により死亡。その後、界王星にて天津飯餃子と共に修行

何十キロもある甲羅を背負って畑を手で耕したり、甲羅を背負ってものすごい距離を牛乳配達したりするような亀仙人のところでの辛い修行はもちろん、それを超えた辛さの神様の下での修行、さらに最初は悟空でさえ歩くだけで辛かった界王さまのところでの修行でさえ耐えて頑張ったんだぞ!

少なくともクリリン並みの努力はしているんだぞ!

「オレ修行しました、頑張ってるでしょ!」なんて自己主張は一切せず、不平も言わずに地球のために戦い、死んでいったりしているヤムチャを何故そこまで悪く言う? 頑張ってもどうしてもダメな場合だって人生にはあるんだよ。ヤムチャベストを尽くした。それでも迫り来る困難には力が及ばなかっただけなんだ。

ヤムチャを責める人は、ヤムチャ努力を忘れてるだけなんだよ!

ヤムチャがかわいそうだよ! ヤムチャに謝れ!

派遣の人たちだってそうだ。

精一杯努力してたけど、社会情勢の変化で派遣しか仕事が無かったのかもしれないよ。

仕送りしてて貯金できなかったのかもしれないよ。

体調を壊したりしてたのかもしれないよ。

事情もわからず叩いちゃダメじゃないかな。

とりあえず、ヤムチャに謝れ!

http://anond.hatelabo.jp/20090125111130

2008-12-06

とあるおばさんの人生を見て思ったこと。

一連のエントリを読んでふと思い出したことがあるので書こうと思う。

ある住宅地にとあるおばさんがいた。そのあたりはサラリーマン家庭が多く、奥さんも専業主婦が多かったのだが、その家は周囲に比べて生活が苦しかったらしく、おばさんは身なりも質素で、牛乳配達をして生計を助けていたそうだ。でもかわいい子供もいて、それなりに楽しそうな家であった。

僕は成長するにつれそのおばさんと会う機会がなくなり、しばらくその人のことを忘れていた。

あるとき、ふとそのおばさんと出会う機会があった。それも、突然どなられるという形で。近所の人に話を聞いてみると、そのおばさんはすっかり性格が歪んでしまって、近所の人に当り散らすような人になってしまったのだそうである。どうも子供が巣立って家が空になったとき、自分人生の報われなさに憤りを感じ、抑えが聞かなくなって、そのようになってしまったということであったらしい。周りは(比較的)楽な生活をしていた専業主婦ばかりだったのだ、周囲と比較してしまえばそう思うのも無理はない。

しかし僕は思った、そもそもそのエリアに背伸びして住んで、無理にその住人たちと同じ生活を望んだからこそそういう思いにとらわれるのではないかと。そしてたとえ僕が同じような境遇になろうとも決してそのようにはなるまい、嫉妬は人を醜く変えるからと。今でもその気持ちは変わらない。

最後に一応言っておくと、別に人をうらやみ、より高きを望むこと自体を否定するわけじゃない。ただ、ただねぇ・・・。あのおばさんは昔は気のいいおばさんだったんだ、本当に。心の持ちようがもう少し違っていたら、もっと心穏やかに暮らせたんじゃないかって、そんなことを思うんだ。あの怒りに歪んだ顔を思い出すにつけ。

http://anond.hatelabo.jp/20081205184730

 
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