はてなキーワード: 燃えるとは
本当に問題なのが、理想に燃える無敵の人(フリータ・ニート層)が義士となり政治家の暗殺を行う事。
確かに確実に問題のある政治家は屠れるだろう、しかしこのシステムが許容される社会に政治活動の自由は無い、
ある一定の思想の基なら殺してもいいという基準が出来てしまう為、後は機械的に殺される人間が増え、
暗殺を肯定する人間に迎合した思想の政治家が主導権を握って来る。これは国民民主主義の精神的後退その物に繋がるだろうね。
正直鳩山・菅政権の時は本当に殺されないか心配だった、屑の擁護ではないが、総理という立場の人間が簡単に殺されても困るのである。
しかし官邸に男が押しかけて逮捕されるという事案が数件起きているのも事実。キチガイが住居侵入したという論調だが、
タイトルは「まだ」と付けているが、こんな事が発生する時は確実に大衆の政治判断能力が劣った時にしか起きない。
政情不安も国会の迷走も、それの原因を作ったのは国民であり、「お上」ではないという事を覚えておかないと、
A Sister’s Eulogy for Steve Jobs
貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、
父については、オマル・シャリフのような人ではないかと想像していました。
裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。
のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、
だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。
私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。
二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。
25歳になってその人に出会いました。
それが兄でした。
他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌の仕事をしていました。
その弁護士は、上司に健康保険をねだるような、カリフォルニアの中流階級の娘である私に、
「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。
同僚編集者たちは騒然となりました。
それでも私は大好きなディケンズの小説の筋書きに放り込まれたようでした。
弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。
一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ。
私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズの後継者、
何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。
初めて会ったとき、スティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。
オマル・シャリフよりもハンサムな、アラブかユダヤの顔立ちでした。
偶然にも二人ともそうするのが好きでした。
何を話したのかはあまり覚えていませんが、
とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています。
私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。
コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。
Cromemcoという名前でした。
彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。
これから、スティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います。
彼の充実した人生。
彼の病気。
彼の死。
彼は頑張って働きました。
毎日働きました。
彼は散漫の対極のような人でした。
彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。
スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。
彼はシリコンバレーの指導者500人が現職大統領を迎えるディナーのことを話してくれました。
彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。毎日働きました。
スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。
彼は流行や小道具を好みませんでした。
自分と同世代の人が好きでした。
「ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの。芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの」
スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。
彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。
パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーで NeXT に通い、
あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。
それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、
ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。
愛について話す時間の長さにかけては、スティーブは女の子並でした。
愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。
「独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。
彼がローリンと出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。
「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っている人なんだけど、結婚するつもりだよ」
リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族に愛情を注ぎ続けました。
彼はどの子にとっても実の父親でした。
リサの彼氏と、エリンの旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。
リードの卒業パーティに出席した人はみな、リードとスティーブのゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。
ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。
私は今も、そのことを学ぼうとしています。
彼はそのことで孤独を感じていました。
私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。
ロスアルトスから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。
二人にとって、リサとリードとエリンとイヴを普通の子供として育てることは重要でした。
スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、
夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。
一種類の野菜をたくさん。
一種類だけです。
旬の野菜。
簡単な調理。
若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。
ジーンズを履いて待っていてくれました。
「お父さんは会議中ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。
リードが毎年ハロウィンに魔女のかっこうをしたがったときには、
何年もかかりました。
同じころ建設されていた Pixar のビルはその半分の時間で完成しました。
パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。
ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。
彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。
何桁分か控えめではありましたが、十分満喫していていました。
その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。
そして実際、買いました。
スティーブは学びつづけるのが好きでした。
彼はある日、育ち方が違っていれば自分は数学者になっていたかもしれない、と言いました。
彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードのキャンパスを歩くのが好きでした。
最後の数年間、彼はマーク・ロスコの絵画の本を研究していました。
未来のAppleのキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。
スティーブは物好きなところがありました。
イギリスと中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッド・オースティンにお気に入りのバラがあるCEOが他にいるでしょうか?
彼はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。
たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、
きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います。
彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム。
彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、
ニューヨークタイムズを開いて会社の特許の特集をみたとき、
こんなによくできた階段のスケッチがあったのかと驚きうれしくなりました。
四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブは楽しい人生を送りました。
そしてスティーブが病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。
彼は京都で手打ちそばを見つけました。
もうできませんでした。
最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。
多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。
兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。
彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。
メンフィス病院の廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、
そこで座って一休みして、
引き返してまた歩きました。
ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。
彼は目を見開いて、唇を引き締めました。
彼は挑戦しました。
いつもいつも挑戦しました。
その試みの中心には愛がありました。
彼はとても直情的な人でした。
その恐ろしい時節、私は、スティーブが自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。
家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。
病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。
看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。
スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき、医師はすべてを、氷をも禁じました。
スティーブは普段割り込んだり自分の名前にものを言わせたりすることを嫌っていましたが、
このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。
「これが特別治療だよ」と私は伝えました。
彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。
挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。
そしてiPadを病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。
妻が部屋に入って来るたび、笑みが戻るのが分かりました。
こちらを見上げて、お願いだから、と。
彼が言いたかったのは、医師の禁を破って氷を持ってきてほしいということでした。
私たちは自分が何年生きられるか知りません。
彼はプロジェクトを立ち上げ、それを完了させるようAppleにいる同僚に約束させました。
オランダの造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。
私の結婚式でそうしてくれたように、彼女たちと並んで花道に立ちたかったことでしょう。
物語の途中で。
たくさんの物語の途中で。
ガン宣告のあと何年も生きた人についてこう言うのは正しくないかもしれませんが、
スティーブの死は私たちにとって突然でした。
二人の兄弟の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。
どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです。
火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。
声には熱と愛情がこもっていました。
同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまったかのようでした。
申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、
私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。
「待って。行きます。空港にタクシーで行くから。きっと着くから」
「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいんだ」
視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。
昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。
そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。
呼吸が変わりました。
つらそうに、やっとの思いで息をしていました。
彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。
これが私が学んだことです。
死がスティーブに訪れたのではありません。
彼が死を成し遂げたのです。
彼はさよならを言い、すまないと言いました。
約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。
そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。
フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。
彼はその夜を越しました。
ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。
彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。
やらなければならないことでした。
その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。
山を登っているようでした。
その意志、その使命感、その強さと同時に、
美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。
その数時間前に出た言葉が、スティーブの最期の言葉になりました。
船出の前、
彼は妹のパティを見て、
そして皆の肩の向こうを見ました。
多くの婦女子諸兄には処女というのは特別意味のこもったワードらしくこのことについて書かれたブログやら何やらというのはまま見かける。
そしてそこに頻出するのが処女厨という言葉。もしこの単語が出てきたならば大体のところどんな主張を仰っているのかその想像はつく。
往々にしてこんな感じだろう。「処女を勝手に神聖視するな、処女をモノ扱いするな、処女厨こわい、きもい」
いつもならば眉を仰角30度くらいに吊り上げ一文字に結んだ口許からぐぬぬとでも漏らして終わりなのだが、今日ははっきりと言いたい。相手に処女を望むことの何がそんなにどうじてなにゆえ問題なのだ?
花も恥じらうご処女様と宮沢賢治よろしく欲にまみえむ童貞様が心も体も心身ともに結ばれ幸せそのものセカチューばりのプラトニックラブIT'S A BEAUTIFUL WORLD。
実に美しいじゃないか。
しかして正すべきのなにものもないこの世界に土足で押し入り踏み荒らしていくのが勝手に処女厨などとカテゴライズしたあげく遥かお天道様をも下す高みから見下ろしたもうたる輩だ。
彼等彼女等によれば女性に対して処女性を求める人物というのは分類学上の処女厨という範疇に収まり、それはもうおもわず目ン玉ひん向いてしまうくらいにリンカーンもビックリなご高配を賜る栄誉に預かるわけなのだ。
曰く、処女厨とは女性に対してワガママな妄想を抱いたあげくその自分本意な欲望を押し付けてくる怖くてキモい存在なのだそうな。
で、この処女厨ってなんなんだ?
ネット上には確かに非処女は肉便器とのご高説を垂れる手合いがいるが、ああいった連中のことだろうか。
ならば話が早い、あれは処女厨ではなくただ全方位に対してヘイトを撒き散らすのが目的の集団か、処女厨を隠れ蓑にした膜厨のどちらか、もしくはその両方を兼ね備えた人達だ。
まずヘイト集団は便所の落書きそのものだ、まともに相手をするのはバカと暇人だけでいい。
問題は自称処女厨の処女にあらずんば人にあらずなどとのたまう膜厨共だ。
まあこいつらの主張はごくシンプルで膜が有るか無いかの一点にのみことの是非が集約されている。膜があればよし、膜がなければわるし。
この単純明快な理論だがどう見てもおかしい。普通におかしい。ちょっとあたまおかしい。
突っ込むまでもなくこいつらはただの膜好きだ、論ずるに値しない。
まあ実際にはおお真面目に膜が云々と書き立ててる奴などそうはいないのだが、こいつらの言う所を噛み砕いてやればそういうことなのだ。
とここで対になるのが精神的処女厨という言葉なのだが、これこそが言いたかったことの一つだったりする。
精神的処女厨とは女性に対して膜の有無ではなく、それが初恋であることを求める人間のことだ。というか俺のことだ。
断言するが肉体的処女厨なんてのは2chを中心としたネタに過ぎない。
あえて矛盾点をしこたま抱え、通る道理のない所を無理やり通してしまう。
無茶な理論だと分かっているからこそムキになって反論してくる相手の存在が心地よく、横暴に振る舞えば振る舞うほど快感を覚えることのできる、そんな趣味の悪いお遊びだ。
そして冒頭に戻るが大抵の場合が処女厨と言われればこの肉体的処女厨のことを指している。いいかこんな奴はいない、存在しないんだ。
確かに処女膜という記号に萌えて燃えるやつはいるだろう、しかしそいつらは非処女を忌避しているわけではない。
ましてや肉便器肉便器などと呪文を唱え据え膳食わぬどころか膳には唾棄するべしというような信条をもったやつらでは決してないのだ。
詰まるところ相手が処女だと聞いて喜ぶような輩はいても膜がないからといって、それのみを理由にボールをストライクゾーンから一つも二つも外してしまうような輩はいないのである。
肉体的処女厨というのはたけのこ厨、きのこ厨と同じお遊びの産物に過ぎない。
では熱意と情熱をもって処女に対しそのほとばしるリビとーを思うがままに開放している彼等の言は全てがお遊戯なのかと言われればそうではない、
一分に真実の叫びが混じっており、それを担っているのが精神的処女厨というわけだ。
異性への好意、その最初の相手が自分であることを求める、つまり初恋でなければ許せないというのが精神的処女厨であることは先程述べたが、
逆に肉体的には無理矢理にレイプされていようが知らぬ内にネットペニスとやらに貫かれていようがそこに心理的な同意がなければ全くの無問題である。
なんのことはない運命の赤い糸とは言わないが好きになるのならそれが最初の恋であってほしいという叶わぬ夢であること間違いなしの想いなのだがただそれだけのことである。
で、これのどこにカースト制度ばりの侮蔑を投げかけられる要素があるというのだろうか?
例えば特定の相手ができたとすればその相手には精神的な処女性を求めたいとただそれだけだ。俺はでかい乳にそそられるだとか、貧乳こそ正義だとかそんな好みの話である。
別に精神的"非"処女の方々を蔑んでいるだとか嘲っているだとかそんなことは一切ない。
けれど、にも関わらず、しかるにだ、なぜだか勝手に虚空の存在である処女厨とやらにカテゴライズされた挙句、ご丁寧に被害者面して散々ディスられ、いつのまにやら上下が逆転しもうちょっと大人になられたら如何でしょうかと諭されるのである。
被害妄想?そうであればよいのだが彼等彼女等が指すところの処女厨というのには確かに俺が含まれている、実際にはそれがいもしない肉体的処女厨に向けられた言であってもだ。
大体個人の好みの問題になぜ割って入ってくるんだ?そんなに憎いのか?否定も肯定もされていないというのが嫌なのか?そこに有るというただそれだけがそんなに許しがたいことなのか?処女厨という架空の藁人形を編みあげてひたすら釘で打ち据えるのがそんなに楽しいのか?
追記:
これ書いてちょっとの間はレスがつくのを見ていたんだけど、それ以降ほったらかしにしていた。今日見て、すごい伸びているのでビックリした。
自称合理的論理的な人が俺定義や印象操作のテクニックを積み上げていて苦笑した。一時的にゴミを持ち帰ることを拒否することにかける情熱は素晴らしいな、と。
自称合理的論理的な人の俺定義には実際と違う部分が多々あるんだけど、ずっと議論に張り付いて前提条件や定義について補足説明をすべきだったかな、と思わなくもない。実際にはそこまで暇じゃないから無理なんだけど。
ま、勝手な俺定義を前提にしたからここでの議論は無効だ!なんて言っても仕方ないんだけど、しかし自称論理的名人は俺定義を前提に話を進めたがるので正直苦笑しましたわ。
で、一応ゴミの件の経過報告をしておく
・土曜日:扉が開かない(故障している)ことを発見。このときは未だゴミの放置はなし。管理事務所に通報。
・日曜日:扉は故障したまま。ゴミを放置している人がいてカラスに散らかされていた。
・日曜日:数時間後、扉の部分に「ゴミ出しは月曜まで待つように」との貼り紙があり。
扉が壊れている時点で、貼り紙がなくてもゴミは持ち帰るんじゃないのかなあ。扉故障が一週間以上も続くようならさすがに問題だけどねえ。
それと「ボックス」って書いたのが誤解を与えてしまったようだ。実際には大きな車庫(建物)があると思ってください。ゴミ投入扉が片方にあって、その反対側にシャッターがある。自治体のゴミ収集車はシャッターを開けて建物に入ってゴミを集める(火曜と金曜)。
で、ゴミ収集の人は反対側のゴミ投入扉までわざわざ来ません。扉の外はゴミ置き場ではない、というのはそういうこと。(おそらく議論に参加していた人は、ゴミ収集スペースに、人が三人くらい入る大きさのボックスが置いてある、というイメージだったのではないかと推測する。ボックスの外にゴミが置いてあっても収集の人は回収するだろ、という発言がどっかにあったね)
追記はここまで。
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住んでいるマンションの敷地内に、燃えるごみ/生ごみを捨てるための専用ボックスがある(時間制限はあるけど毎日ごみを捨てられる)
昨日ゴミを捨てに行ったらそこが壊れていた。扉が開かないのでゴミを捨てることができない。管理会社に連絡して、自分のゴミは一旦持ち帰った。
で、今日、もう一回専用ボックスを見てみたら、生ゴミを入れた袋が扉の前にたくさん置いてあって、当然それらはカラスに荒らされてゴミは散らかり異臭がひどかった。
生ゴミを外に放置したらどうなるのか、その結果他人にどのような迷惑をかける結果になるのか、を考える能力がそもそも無い人ってのはいったいどんな躾や教育を受けてきたのかあるいは受けてこなかったのか。素朴な疑問だ。
http://anond.hatelabo.jp/20110717063617
それより角川グループ寡占問題ということならば、近年DVD/BD売上げ≒注目率が落ちてるのに相変わらずアニメ化の枠は
縮小せずに寡占しつづけてる、MF文庫JのヒロインをキャハハウフフさせてEDで走せるあの仕組みを何とかしようよ。
MF文庫Jほとんど一年中、オフシーズン(?)までTBSとやらで枠とってるんだぜ。
数年に一度注目されればラッキーなHJ文庫どころの話じゃねーだろまじで。
結としては、マイナーレーベルのアニメ化が少なすぎてイラつくのはわかるけど、ロリコン枠の問題と感情移入して応援することとそれを他人にも押し付けることとは区別したほうがいいと思いました、て感じで。
☆★☆ まったく、小学生は最高だぜ!! ☆★☆
25歳でニート歴2年の息子を「10万」持たせて家から追い出した。 きっとニートの時より幸せでしょう。:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52432977.html
現在53歳。25歳でニート歴2年の息子を先日家から追い出しました。親子の縁も切るつもりです。
ずっと本人の自立を夢見て見守っていましたが、一向に動く気配はなく、やることと言えば、1日2度の食事とインターネット、テレビゲームばかり。ハローワークに行こうともしませんでした。
さすがに私も堪忍袋の緒が切れ、手切れ金10万円を渡し一人で生きて行くことを通告しました。
伝えた当初、息子はかなり困惑していましたが、私の意思の強さに根負けしたのか、決心を固め家を出ていきました。本人のためにもこの決断は最良だったし間違ってないと思っています。
もし、自分の子供がニートである親御さんがおりましたら、今すぐ外に放り出し自立させることを提案します。
いつまでも手を差し伸べるから甘えるわけで、赤ん坊でもない良い大人にはもうそんな事は必要ないのです。
むしろ、甘やかす親がいるからいけないわけで、本来健康な体があればなんとか生きていけるものです。
今思ってみれば2年もニート生活を続けさせていたことで、お金も無駄でしたし、本人のやる気も落としていたようです。
息子が今どんな生活を送っているかはわかりませんが、ニートの時より幸せでしょう。もう二度と会うことはないでしょうが、頑張って行って欲しいと思います。
この親御さん、よくやったと思うよ。自分の15年前を思い出す。
俺の場合、外こもりニートだった。親からすればもっとたちの悪い息子だった。息子が何をしているか全くわかりゃしない。数年、音沙汰なし。でも毎月、仕送りでカードから現金が引き落とされている、なんてな。
はじめはバイトもしていたんだ。仕送り用の口座にバイトで貯めたお金を貯金していたから、親は口座に入金が増えているのをみて、「まじめに働いているようで安心した」旨の手紙がおふくろからきたことがあった。バイトでも100万くらいは貯めてたからね。それでも親は心配して2ヶ月に一度くらい5万円から7万円程度の仕送りをつづけていた。
でも転落するのは早かった。スロットにハマり、仕事に出るのは月に5日ほどになった。その頃「自分探し」なぼんやりとした夢を描いていたが、すべてパチンコ代でふっとんだ。ほとんどの時間をパチンコ屋で過ごし、堕ちてゆく自分に酔った。気持ちよくもあり、だるくもあった。大負けしたときは一日中道路わきで旗を振っていた。100万の貯金が気がつくと3万円まで目減りしていた。追い詰められていた。
大学でても一向に就職する気配のない息子を一度だけおふくろが訪ねてきたけれど、近くで食事して、一緒に散歩して、そして追い返すように駅まで見送って帰した。おれの荒れ果てた部屋をみせるわけにはいかなかったよ。あまりの暮らしぶりにどうせ泣くんだろうから。
いつしか、財布の数千円しか残っていなかった。佐川急便のホーム仕分け作業のバイトに飛び込んだ。バス代もないので自転車で2時間かけて通った。似たような若者であふれているのに少し驚いた。帰りのバス代もない、よれたシャツのくさいそんなやつになけなしの200円を貸したが帰ってはこなかった。自分の鏡のようなやつだった。そんなとき5万円が親から仕送りされた。
これだけあれば、4,5万くらいは負けを取り戻せるかもしれない。そんなときでも、仕送りを軍資金としてしかみていなかった。親は息子がこんなクズ野郎に堕ちていることを知る由もないだろう。
そんなとき不注意でカードを破損しまった。困った。お金を引き出せない。スロット台からは離れられない。もう末期症状だった。
親に電話してカード再発行するから印鑑を送ってもらうように頼んだ。
送られてきたのは、20万円の預金通帳と印鑑と小さな手紙だった。
仕送りはこれでおしまいですよ。元気でがんばるように、と書かれていた。泣けてきた。しばらくしてぶり返したりおさまったりしつつ、数年のうちにようやくパチンコ通いはおさまった。
それからもしばらくフリーター生活つづいた。7年くらいたったろうか。もう30を過ぎて半ばにも射しかかろうとしてたが、陽の射さない六畳間で極貧生活で国民年金も払えなかった。相変わらず必要最低限しか働こうとしないおれの年収は70万程度だった。そのころのおれの生活水準では月5万でどうにか生き延びることが可能だった(ただし健康であればの話だが)。家賃は最大2万だった。ルームシェアをしていたので1万円を切ることもあったが、ストレスがたまりはじめ、2万出して一人部屋を確保するにいたった。食費も1万5千でやりくりしていた。パスタは1kg178円をまとめ買いしていたし、生協で買った76円のミートソースを三回に小分けして食べたり。1万5千もあれば結構ぜいたくできたものだ。
そんな野良犬のような俺を拾い上げたのは、従業員10人程度の吹けば飛ぶような下請けの小さな会社だった。おれのバイト先がほぼその会社に固まった。
社員はみな明るかったが、仕事はきつく汚く危険で、おまけに無間地獄のように果てしなかった。しかし、まんざら苦痛でもなかったので、もっと使ってもらえるように、と合宿で運転免許をとることにした。おれの面倒みてくれているバイト先の社員から15万円を借りた。32のときだ。
合宿免許は楽しかった。アル中で事故を起こし免許取り消しになったオヤジとレーサーを目指していると希望に燃える18の子が同じグループになった。
以外と工場勤め等で取る暇のなかった中年男性が多いのが印象的だった。
免許証をとったおれは初めて身分証明書を手にした気分になった。やがておれは社員として登用された。きっかけはわからないが、社長の目に留まったようだ。入社したばかりのおれに社長が勧めたのは経営の本だった。月5万で暮らしてきた人間だから勤め始めて半年で100万貯めるのは簡単なことだった。この機会にと国民年金未納分を一括払いした。2年分しか支払うことができなかったが、これが自分の転機だと思った。
そんな会社がふとしたきっかけで大きなチャンスをつかんだ。波に乗った会社は急成長し始め、社員が3倍になり、事務所も大きなところに移転した。
作業着からネクタイへ。スーツが夏冬4着もいるなどという想像もしていない生活がスタートした。業務の内容は力仕事から、マネジメントに大きく変わっていった。はじめはかばん持ちだったが次第に業務内容を理解するようになると、自分の発言や行動が認められるようになっていった。
そして部下を従え、新規プロジェクトのリーダーを負かされるようになった40歳のおれの年収はようやく人並みに追いつきつつあった。
スタート地点が15年違う。貯金は400万。これはしょうがない。15年前を思えば天国だよ。
結婚相手を紹介するために、久しぶりに親のもとへいったら、おじいちゃんとおばあちゃんになった両親が小さく立って迎えてくれた。
ずいぶん苦労をかけたね。
ずっとずっと死にたかったのだ、いまから死ににいくと語気を荒らげた姉は、お願いだからそんなこと言わないで、死なないでと涙ながらに腕を掴んだ母のことを無理解だと断じた。
あんたは私のことを何にもわかっちゃいない。私の苦しみを、絶望を、悲しみを、ずっと見ないふりをしていたのだ。誰があんたなんて信じるものか。あんたの言葉なんて全然届かないんだ。
まあ、それはそうなんじゃないかな。姉の苦しみなんて、完璧には誰にもわからないのだし。今現在手を差し伸べられているのだから、幸福なんじゃないかな。
なあんてことを思いながら、感情が高ぶり涙を浮かべた二人を乾いた瞳で見つめて、やれやれ、いい加減まずいかな。肩に手を置き、心にもない優しい言葉を述べて姉を宥めた。
その内容のなんと美麗なこと。唾棄したくなるほどの綺麗事ばかりが並び、そのあまりの理想論に自分自身で感動し、視界をぼやかしてしまった。
そんな薄っぺらい私のことを、姉は賢いと言った。私のことを理解してくれていると。過呼吸気味だった息もずいぶん穏やかになり、興奮していた姉の語気は徐々に凪いでいった。
死ぬだのと言わなくなり、どうやら深夜徘徊をしようとする衝動も収まった姉を、気疲れを起こした母と一緒に残して自室に戻った私は少し考えた。
確かに母には姉の抽象的な言い分を理解する能力が足りないかもしれない。馬鹿で、愚直に一方的すぎて、空回りばかりして相手を傷つけているのかも知れない。
でも、よっぽど姉のことを思っている。鬱陶しいほどに優しく、暖かく、大切に思っている。
母は強い人なのだ。強く強く姉のことを思っている。家族としての慈愛に満ち溢れている。素晴らしい人なのだと思う。
対して、そんな母を玩具のように扱い、自らの言い分だけを押し通し、毎日のように理由のない暴力を振るう姉は、間違いなく精神的に疾患があり、馬鹿であり、愚かな存在なのであろう。
私なんていなければいい。みんな居なくなって欲しいと思っている。現にそう言っていたんだと泣きじゃくった姉の言葉は、まずまず実情を理解していると言えるし、面白いくらいに自己嫌悪に陥っている。
きっと胸中には並々ならぬ絶望を抱えているのだろう。その絶望が大きすぎるせいで、周囲の人を、もっとも近くによってきてくれている母のことを傷つけてしまっているのだろう。
姉は本当に哀れな人だ。呆れてしまうほど愚かしく、優しくすることを諦めてしまうくらいに無理解で幼く、憎々しくなるほど我が物顔で母の人生に君臨している。
母の人生は、大半、この姉に蹂躙されてしまっているとさえ感じる。
まあそれでも、私のクズっぷりから見れば可愛いものかもしれないが。
距離を取って当たり障りの無い、耳さわりのいい言葉だけを投げかけることと、優しさにあふれた慈しみとでは全くの別ものである。
前者はただただ冷淡なだけだ。私は姉が死のうが何をしようがそれは姉の自由だと思っているし、消えてなくなりたいのならさっさと居なくなれと何度となく思っている。
それでいて今回姉の外出を諌めたのは、ただただ母にだけ姉という重荷を担がせることが恥ずかしく思えたからだった。
結局自分本位なのである。その上、その際に口にした言葉に自ら酔いしれた。
感心してしまうほどクズである。加えてそんなクズとしか言いようのない私のことを肯定的に捉えており、まあそれが私なのだから仕方がないかと開き直っている。
本当にもう、素敵だ。自虐的に書いているこの状況でさえ受け入れており、ナルシズム的な感覚を味わいながらそれを認め、認めている私自身をさらに認めてしまっている。
私には私と言う入れ子がどんどん積み重なっていくのがわかる。どこまでもどこまでも永遠に重なっていて、どこが始まりなのか、一番小さな私はどこにいるのか、時折わからなくなる。
同時に確かなことがいくつかある。私が決して優しくはないということと、誰よりも身勝手で浅ましい人間であるということ、それでもなおこれからも平気な顔をして生活していくのだという事々である。
私は多分、それほど誰かを傷つけていないし、傷つけもしないと思う。誰かに取って心地の良いことばかりを口にし、当たり障りの無い、平穏とした日々を送って行くことが多いと思われる。
あるいはそうした態度が誰かを傷つけることもあるだろうけれど。
それすらも認めて、のほほんと息をするのだ。まっこと冷ややかな性格である。
だからもし、人それぞれに見られる優しさに色があるのだとしたら、私の優しさのようなものは冷たく澄んだ青色をしていることだろう。
母や姉は、きっと真っ赤に燃えるような紅かぽかぽかと暖かそうな橙なんだと思う。
どちらが良いというわけではない。渾然としてそのような事実があるだけなのだ。そしてその事実は誰が観るかによって、どこから観るかによって著しくその姿を変えるものなのである。
私の母は馬鹿なのかもしれない。私の姉はあまり関わりを持ちたくないくらいに愚かしくて腹立たしい。
しかしながらそんな二人よりもよっぽど私のほうが酷い。家族に関することでもなんでも、すべて煩わしいと感じてしまう本当に酷い人間である。
それでも私は大丈夫なのだ。自虐的に書きながら贖罪にも似た甘美なナルシズムに浸りながら、明日もまた誰かと関わり、人を傷つけていく。
1.
足りないのは時間ではなくて頭。
俺らが生きているのは今であって
1,2、3秒前は過去であって
未来だって必ず来るとは限らない
さあ、今を楽しもうぜ
(過去を思うことは今を楽しむことに入らないのか?)
考えるだけ無駄だよ
悩んでる間に死ぬかもしれないんだぜ
2.
大抵の夢希望願いは叶えてはくれないし
キミがどんなに努力したってキミは絶対に変われない
(あたりまえだろ。何を言っているんだ)
(自己啓発セミナーを『努力』と言われてもアホかとしか言えない)
極端に考えればもっと分かりやすい
キミは特別な存在ではないんだよ
(それらの人を同列に語る時点でダメなんだよ。個別に見ていない)
「だって60億分の1なんだぜ俺が俺である確率は
それに親父の精子の数だけ分母が増えて…
だから俺は特別な人間なんだ!!!」
とか真顔で言われたら、ああなんて不幸なんだ、としか思えない
60億もいる奇跡なんだから
生まれてきた時点でキミの奇跡は終わりです
落ち着こう
と悟ったゴリラはその瞬間に死ぬだろうか
「あんな小さな檻に入れられている
他の動物よりはマシ」ってね
3.
そんなもんどっかに捨ててちゃえよ
「そうありたい」と願うことは一転
「そうなってない」という今にとって
これ以上ないストレスになる
幸せになるために最もいらないものだ
(そりゃお前さんが目標に向かって最短距離だと思う行動をしていないからだろう)
時間軸のズレか生じていて
それが結局マンネリを生むから
これも心の負債だ
世界はキミに寛容ではない
(忍耐力が足りないんじゃねえの?)
「努力している人がみな成功するわけではないが
成功している人はみな努力している」
この世には努力しなくても成功する人ばっかりなんだ
生まれて瞬間それを達成している人がいる
そういう人を「運がいい」と世間は呼ぶ
(運がよい以外に何があるんだ?)
違うんだよ、よく考えろ
「運がいい」ことこそが全てなんだ
努力しても運が良くなるわけじゃない
全部全部捨てちゃえ
(あほか)
ということをキミは体感しているのに
なぜ生きていく上で必要なお金を稼ぐということ
思ってしまうんだい
(え、自分の仕事にプロだという自覚がないの?邪魔な奴だ。真剣に仕事をする。仕事のことだけ考える。これだけできりゃその時点でプロだろ。あほくさ)
4.
キミは貴重な今を犠牲にしている
(今を楽しむ。全力で取り組む。だから夢が叶う。)
どうするつもり?夢が叶う前に死んだら
明日だってくるかわからないんだ
(常に全力なら後悔はしない)
そしたら将来のための
やめようぜ、今を犠牲にするの
もっと楽しいことしようぜ
今夜はぱーりーだぜ
(きっとそれじゃ楽しめないよ)
5.
幸せっていつ感じるんだろうかって
今しかないじゃんか
今が楽しければいいじゃんか
将来のことで悩むなんてアホかよ
太く長く生きようぜ
(まったくその通りだ)
お金を持っている奴が勝てるように仕組まれた
(燃えるね)
でもゴールは幸せらしい
幸せってなんだい?なんだと思う?
それはキミが人より不幸ではないということだよ
だからその基準も尺度もキミ次第なのさ
絶対的な幸せなんかないんだ
(味覚障害とか不感症か?)
世界平和って
「世界中の人々が一斉に不幸になること」
って知ってる人が少ないんだよ
キミも分かるだろ
今すぐ天国に行く確実な方法は
今すぐ死ぬことなんだよ
(そう思うなら死ねば?)
6.
それでも努力するキミへ
キミが勝てない相手はキミがいるから勝ってるんだよ
キミも今の場所にいるのは誰かに勝っているからだよ
誰かしらがどこかしらで泣いているんだ
(俺は負けることも嫌いじゃないが)
キミも誰かの犠牲の上に立ってそこにいるんだから
(うん)
7.
ただ所詮推敲されてない文章は
書くことに意味があって
もしかしなくてもキミが読んでいるこの文は
俺の思考の整理の副産物つまり死骸
だから人に会って話を聞かなきゃダメなんだ
(死骸の方が一方的に食えるから俺は好きだけど)
いいかい
キミの見ている世界は多分
キミが思っているよりも残酷で
そこで生き延びるにはコツがいる
そのコツを教えてくれるのは誰だろう
今のキミにはわからないだろう
けど
そしたらちょっと
生きてみようって思えるんじゃないかな
いいかい
キミは特別な存在じゃないんだよ
(特別の定義からはじめろよ)
8.
そして全ての
「夢を語る」なんかクソ喰らえ
(微笑ましいじゃないか。どうしてそう邪険にする)
乗っている船の状態も知らないキミが
見ている夢はそう、本物の夢でしかないのだから
まずは今を分析することが
キミがすべきことじゃないのかい
(じゃあしろよ。いますぐにだ。三秒で分析しろ)
キミはバカにもなりきれないよ
馬鹿にされたっていいだろう。周りの目なんて必要以上に気にするな。
無駄な努力でもいい。むしろ無駄な努力も良い。無駄な努力をしてこなかった人間も、その人間を好きになる人間にも関わりたくない。自分で自分を嫌うような人間にはなりたくない。
私の知る範囲での事なので、全てには当てはまらないことを前もって言っておきたい。
というか愚痴だ。
理系、特に理学においては、「研究者になる」ということに、憧れを持つ人は少なくないと思う。
そして、一度はノーベル賞を取ってみたいと願い、
(行動はともかく)燃える時期があるのではないだろうか。
しかし、そんな気持ちはゆっくり熱せられ、急激に冷める。
おそらくピークは学士3・4年。研究と勉強の大きな違いにショックを受けるからだ。
そして、卒業研究が、彼らの望む研究とは遠くかけ離れたものになることも毎年のようにある。
彼らに全くやる気が無いわけではない。
1年で(正確には半年強だが)やれることなど、たかが知れている。
時間が不足しているのだ。
だから、担当教員は悩みながら、1年でできる程度の課題を彼らに与える。
不幸なのは、それに気づかず、
「大学ではたいしたことなど出来ない」と見切りをつけていく学生たちだ。
あるいは、エントリーシートの数百文字程度の内容には、なっただろうか?
(ここでの定義は、「最終学歴を大学院として、卒業大学より上位の大学に大学院生として所属すること。
その行為によって学歴はよくなるはずなのだが、己の学歴に対するコンプレックスを逆説的に強めてしまうこと。)
ただ、ネット上や、彼らの中でもコンプレックスの強い人物の心のなかには、はびこっていることだろう。
しかしながら、有名大学の大学院に進学することは悪いことではない。
現実的に、いわゆる上の大学になるほど、科研費その他もろもろにおいて、
資金は潤沢な研究室が多い。
良い研究をするには、良い環境の中でという考えもあるのだから。
問題はその一歩先にある。
大学院に進学したということは、「閉鎖性」に身を置くと同義である。
例えば、
・研究自体が一人=独りで行う
・取り組んでいること自体に特許や機密性を持ちうる
もちろん、例外は沢山ある。持ちつ持たれつで、他の研究室と交流する研究室もある。
これは私の強い主観だが、大学院生が学部生より無気力に感じる時がある。
彼らがモラトリアムを満喫しているのではなく、「閉鎖性」に慣らされてしまったのではないかと、
心配してしまう。
(本来は学部3年で考えておくべき事だが)
博士になるべきか否か?
ここで就職を選んだ人は幸せ者…と言われる(私はこの考えに賛同できない)
理由は明白である。
・学費をさらに3年以上も払いながら研究する金銭的問題。
・視野が狭くなる
あなたは他にも理由を挙げることができる。
いろいろな問題点があるが、ひとまず「閉鎖性」に焦点を絞りたい。
多く言われるのは、「論理的に物事を話せる(ロジカル・シンキング)」だ。
企業にとっては、その研究内容よりも、学部で学んだ専攻が重要だろう。
すると、「どのような閉鎖性を含んだ環境に身をおいたか」が重要になってくる。
・一つの物事に没頭できる環境がある
・日常生活の自由度という点においては、修士が最も高い。学部生には単位の問題、博士には博士号の問題がある。
・時間は研究に削られるかもしれないが、タイムマネージメントをすることにより、効率的に行動を起こせるようになってくる。
・学会発表等の機会が増え、「自分の考えを分かりやすく説明する(コミュ二ケーション能力)」
(社会人には負けるだろうが)
人間関係は学会・バイト・趣味・留学・お隣りの研究室で補うこともできるんだよ。
私はやる気のない受動的な人間ほど、閉鎖性のデメリットをもろに受けてしまうと考えている。
私の立場は、有機化学系の研究に携わり、仕事上ある研究室をちょくちょく訪問する研究員としておこう。
彼らの多くは就職先が決まっているあるいは、博士へ進むことが決まっている。
けれども、以下の状況からは、その能力を疑わざるを得ない。
・彼らは集団で、気に入らない博士後期の学生をいじめ、うつ病に追い込んだ。いじめられた学生は、病気を患ったまま研究室を去った。
彼の将来の生活は本当に闇。
ボディタッチはさすがにないが、下ネタを一日10回以上、同じ研究室の女性へ敢えて聞こえる言う。
担当教員は、セクハラに関して「男が多い世界だから仕方がない」とのこと。
・彼らは集団故に、上記の罪悪感は無い。
・研究に積極的に取り組んでいるのは少数。あとは担当教員の言いなり。
まぁ、言われたことはやれるんです。
だから、発表できる程度の結果は残し、大学院生としての最低限はクリアしている。
・気に入らない人間を探し、悪口とその人の不幸をいうのが日常の楽しみ
人間関係が研究室で完結すると、周りが気にならなくなるからね。
残念ながら、彼らはロジカル・シンキングのできる幼児に「成長」してしまったのではないかなぁ。
彼らは大学院生にならない方が良かったのでは?
学部生の時の方が実はピュアだったりして。
研究室が悪いのか?その担当教員の管理能力が悪いのか?彼らが悪いのか?
私はそういう原因を探る問いが有効な手段ではないと考えている。
出来れば、研究室の自然消滅かなぁ…。そうすると、私の食いぶちがなくなるので困るが。
彼らの人生はこれからも長い。他人を平気で潰していくのかな?
そして大事なモノを閉鎖性のブラックホールに吸い込まれてしまったのだろう。
祖父は入院してから長くて、正直"死に待ち"みたいな状態ではあった。
ついに、という連絡を受けたのはのんきに隣県の駅前の百貨店で母の買い物に付き合っているときで、
母が電話を受けているのを横で聞いて、そうか、来てしまったんだな、と思った。
すぐに新快速に飛び乗ったが、電車の中でそれ以上何を急げるでもなく、母と「わかっていたことだけど」などと話した。
席は空いていたがなぜか座る気にもなれず、二人でしばし無言になった。夕焼けが燃えるように赤くて、みょうに胸がざわついた。
覚悟していても辛いものだろうか、と考えてみたが、正直に言って自分は祖父と疎遠で、まったく悲しみは沸いてこなかった。
孫の自分でさえ会話した記憶がないほど寡黙で表情のない人で、年に一度か二度会うだけだったから、あまり興味も愛着もなかったのだ。
父に祖父と昔どんな話をしたか聞くと、「軍医として戦争にいったときの思い出話をよく嬉しそうにしていた。豪人相手に時そばをやったとか。戦争で青春時代なんてないようなものだったから、同年代の仲間と学生気分で、戦場では医者だからちやほやもされるし、楽しかったんだろう」とのことで、戦争が楽しい思い出なんて、最低の人だ、と思っていた。
そんなわけだから、病院に着いて父と母と三人で死に水はとれたが、父が涙ぐむ横で、自分は神妙ではあるものの冷静だった。
色々ことが済んで、病院を出ると、来た時には真っ赤だった空が、一瞬で星もない暗闇になっていたのを、覚えている。
小さい頃は、中学生になれば恋をするものだと思っていた。中学生になったときは、高校生になれば恋をするものだと思っていた。そうやって、いつか大人になれば人には平等に人を愛する気持ちが訪れるのだと。
だがもう私は二十歳もとっくに過ぎ去った大人だ。早い人では同い年で結婚した人もいる。子どもを持つ人もいる。
しかし私は初恋すらまだなのだ。私は他人に恋愛感情を抱いたことがない。
私の年で非リア充だったら、まだ恋愛をしたことのない人がいても不思議ではないかもしれない。
確かに私もリア充じゃない。他人と関るのが苦手だし、友達も少ないし、基本的に引きこもっているオタクだ。でもそういうことじゃない。違うんだ!誰かと付き合う以前に誰かを好きになったことすら無いんだ!淡い恋心も燃えるような熱い情熱も分からない。
それなりに話をする男友達ならいた。優しい人もイケメンもいたが、その気持ちが恋愛感情へと発展したことはなかった。仕事で同僚に助けられたときも、「ありがたやありがたや」とは思っても、それ以上の好意にはならないのだ。
どこかに自分と同じ人がいるはずだ、とセクシャルマイノリティについて調べた時期もある。
Aセクシャルは「他者に対して恒常的に恋愛感情や性的欲求を抱かない」らしい。
私は他者に対して恋愛感情を抱かない反面、性欲はある。その性欲が男性と女性、どちらに向いているのかすら分からないが、性に対する興味は人並みにあるつもりだ。エッチなシーンをみれば確かに興奮する。実際に他人と肌を合わせたいとは思わないけれど。
例えばそれでもAセクシャルと名乗っていて、急に誰かを好きになったらどうだろう。他人と違う自分を演出したい厨二病にしか見えないじゃないか。
余程の覚悟がないとAセクシャルと名乗ることはできないと思っている。そして名乗るも何も、私はAセクシャルの資格を満たしていない。
いつかこんな悩みを抱えていたことすら笑い話にして、普通に恋愛をして、結婚することができるのだろうか。
そんな日はいつ来るのだ?