はてなキーワード: 湯浅とは
石ノ森章太郎の作品って読んだことないんだけど、アニメは「ギルガメッシュ」を見たことがある
陰惨な感じで好き
で、今「サイボーグ009」のテーマ曲?「誰がために」を聴いているんだが
すごく格好いい曲だなー
サイボーグ009は何度もアニメでリメイクされているイメージだ
彼等がなんでサイボーグになったのかすら知らないが、この作品も決して爽やかな感じはしない
サイボーグ009のwikiをちょっと見てたら「サイボーグVSデビルマン」というのがあって、何その地獄と思った
(ネトフリのCrybabyは何故かまだ見てない。湯浅によってどう仕上げられているのか大変興味があるんだが、腰を据えてアニメを見る気力が無いので積んだままだ。死ぬ前に見ようと思う)
https://www.youtube.com/watch?v=gz--GkzpAf8&vl=ja
湯浅監督の演出は元々こういうもんなので違和感は無いが、これまでのOPやそもそもの作品に合っているかと言えば難しい。
ただ別に湯浅監督が勝手に作って勝手にOPにしている訳では無い。当たり前だが依頼が来てコンテきって確認されてOKされた物が放送されている。
もちろん納期ギリギリで他の選択肢が無く、出来上がった作品に納得はいかないが仕方ないかとかあるかもしれないが、そうだとしても叩かれるべきはクリエイターではなく、このOPを世に出すことをOKしたスタッフ側である。
世界観と合わないのは湯浅監督の手掛けた作品見れば分かるだろうになんで発注したの?日本沈没2020はともかく今回は少し不憫
専門家が人生かけてやってきたことに素人が思い付きでケチつけてる時点で意味不明なんだよな
あんなもん野球未経験者が監督の采配や選手のプレーに文句言うようなもんだろ
居酒屋で酔っ払った阪神ファンが「湯浅アホかそこは真っすぐ投げときゃええねんボケ」とか言って騒ぐのをシラフで、しかも本人目がけてやってんの
言う側にもそれなりの知識やら経験があってのことならまだしも、そんなの稀じゃん?
「なんかよくわかんないし何も考える気はないけどこれが間違ってることはわかるもん!だからやめさせるべきなんだもん!」じゃねーんだよ
わかるわけねーだろバーカ
一応この国では言論の自由が保障されているので、トンチンカンな意見だろうが口にするのは自由だけど、ちょっとは自分を疑えよ
なんでそんなに自信満々でいられるんだよ
実のところ、湯浅さんの作品全部が好きなわけでは無く、特に近年は振れ幅が大きい(マッチする作品とそうでない作品の数が同じくらい)ので、最前列でかぶり付きのファンとは言えない。
アニメ映画の「犬王」、Amazonプライムで見れたから見た。ある程度前評判通り、良い部分もそうでない部分も。という感想。
湯浅監督のファンなので、相変わらずアニメでしか表現できないだろうイマジネーションの視覚化や、流動的な作画が多く見られるところは好き。動きのダイナミズムという点では文句がない。
一方で、室町時代の前衛的な音楽表現としてロックはどうなの?というミスマッチ感。べつにエレキギターの音が入っても全然いいんだけど、ロック自体がいま既に古いというか、やり尽くされたフォーマットになっていて、和楽器とのコラボも特に珍しくなくて、しかも過去のロックのオマージュ的な見せ方が多いとなると、なんだか気恥ずかしい感じがあるのは確か。
そういうロック歌劇シーンが大部分を占めているから、物語の情動部分、特に終盤、犬王がどういう思いや考えで足利義満にこうべを垂れるのか、踊り続けたのかは端折られた感が強かった。歴史的にわからないんだろうけど。
女王蜂のボーカルのアヴちゃんが声優をしてる映画の犬王がアマゾンに来てたから見た
なんかの呪いで失明して琵琶法師になった主人公が、これまたなんかの呪いで化け物として生まれたアヴちゃんのキャラクターである犬王と出会って
主人公が演奏して歌って犬王が歌って踊る感じのアニメ映画で、なんとなく全体の構成はディズニーっぽいけどアニメの四畳半神話大系とかピンポンとかやった湯浅監督とかいう人の絵なんでディズニーみたいな華やかさは無い
武士とか将軍が居た時代の日本が舞台だから基本汚らしいけどアニメ映画だからめっちゃ動く
そして歌もめっちゃ上手い、主人公も歌うけどアヴちゃんが歌ってる犬王のパートはマジで上手い
歌詞の意味は平家関連の奴らしいけど歌詞も表示されないから基本何言ってんのか分からん
犬王はその平家亡霊に呪われて化け物になってるんで、歌って踊ったら平家の亡霊が成仏して呪いが解けていくっていう所謂どろろ的な感じ
で、最後顔以外が全部人間に戻って最後の大舞台で将軍の前で歌って踊って顔も人間に戻る
はい、めでたしめでたしって感じで終わるかと思ったら将軍が俺が定めた平家以外の物語は歌うな、とか言って主人公の一座を唐突に弾圧していく
最終的に主人公は首切られて亡霊になり、何百年後にこれまた亡霊になった犬王と出会って互いの名前を呼びながらエンド
いや、最後の取ってつけたようなバッドエンド居るかこれ?
この世界の亡霊っつーか呪いは結構の力持ってるみたいで、なんか刀抜いたらビームみたいな奴が360度に飛んでいって真っ二つにするし(これで主人公も失明した)
犬王の親父は呪いの仮面みたいな奴との契約破ったか気に入らないこと言ったかで衝撃波的なやつでバラバラになる
だから将軍が弾圧するぞーみたいな事言い出した時にこういう超パワーでなんとかすんのかと思ったら何もしない
主人公がやられるだけやられて終わり、いやいやここで出てこいよ超パワー、何だったんだよこの数十分って感じ
後味悪すぎんだろ普通によ
これじゃアヴちゃんの歌が超美味かった、犬王のダンス超動いたって印象しか無いわ
これアヴちゃんを売り出したいだけのアニメだったらまだ分かるが既にアヴちゃん売れてるし、なんでここまで爽快感無い終わりになったんだよ
歌って踊ってるシーンが夢と希望に溢れてて出来が良いだけに救いようが無さすぎるオチの落差でトラウマになるわこんなもん
あとラストで主人公の恩人みたいな人が主人公かばって死ぬんだけど、結局主人公もとっ捕まって殺されてるし意味無さ過ぎだろ、なんだあれマジで
早見沙織:「魔法少女まどか☆マギカ」(鹿目まどか役)、 「ラブライブ!」(南ことり役)
花澤香菜:「魔法少女まどか☆マギカ」(美樹さやか役)、 「俺物語!!」(小野寺小咲役)
悠木碧:「鬼滅の刃」(竈門炭治郎役)、 「ソードアート・オンライン」(湯浅美咲役)
水瀬いのり:「ご注文はうさぎですか?」(保登モカ役)、 「Re:ゼロから始める異世界生活」(レム役)
佐倉綾音:「けいおん!」(秋山澪役)、 「聲の形」(西宮硝子役)
内田真礼:「魔法科高校の劣等生」(司波深雪役)、 「ハイスクール・フリート」(響良牙役)
高橋李依:「ご注文はうさぎですか?」(桐間紗路役)、 「ラブライブ!サンシャイン!!」(桜内梨子役)
徳井青空:「けいおん!」(平沢唯役)、 「アイドルマスターシンデレラガールズ」(緒方智絵里役)
上坂すみれ:「アイドルマスターシンデレラガールズ」(百瀬莉緒役)、 「ご注文はうさぎですか?」(ココア役)
小倉唯:「中二病でも恋がしたい!」(小鳥遊六花役)、 「ストライク・ザ・ブラッド」(沙音役)
これらは代表的な作品であり、彼女たちが出演するアニメやゲームは非常に多岐にわたります。
ChatGPT、何でこんなに全部間違えているんだろう。
逆に不思議
○ご飯
朝:なし。昼:カレー。夜:考え中。
○調子
真面目でお淑やかな五条風華、ヒーローが大好きで正義感に満ち溢れた田丸火凛、小動物系ではわわな湯浅水無、無口な不思議系英土麗美、彼女たちは小学生から仲良しの幼馴染の女子高校生4人組。
必ず一人には死が訪れるゲームを前に、少女たちは否応なしに本音をぶつけ合うことになる。
という設定が開幕5分で説明されて突然デスゲームが始まるホットスタートなノベルゲーム。
4人は「死刑囚」「ピエロ」、そして二人の「断罪者」がランダムに役職として決められる。
「断罪者」が「死刑囚」を有罪の判決を下し、執行のレバーをおろせば「死刑囚」以外の3人は助かる。
無罪の判決を下した場合「ピエロ」と「死刑囚」の立場が入れ替わる。
デスゲームものではあるが、ゲームのルールを利用した画策やルールの意外な盲点などの味は限りなく薄い。
そのため本題になるのは「女の子はみんな万華鏡」という作品のテーマに沿った、女子高生たちのやりとりだ。
具体的には、生き残りたい死刑囚はピエロよりも自身が役に立つことやピエロが劣っていることを表明し、ピエロは自信が死刑囚にならないよう死刑囚を貶める。
そんなデスゲーム編と、それが始まるまでの回想編が交互に進行する構成になっている。
回想編ではとても可愛いらしい絵柄に沿った女の子同士の友情と学園生活、そして小学生の頃の淡い初恋の話。
デスゲーム編では暴力、暴言(死ねや殺すは当然として、ゲロ、小便、下痢便などの汚物で相手の容姿を形容するところが良いですね)が飛び交う素敵な展開が待っている。
まんがタイムきららとヤングマガジンを交互に読んでもまだここまでの落差はないだろう。
4人全員がそれぞれに腹に何かを抱えており、それはもう醜いやりとりが繰り返される。
生き残るためならどんなに汚いことでもするのは当然かもしれないが、女の子はみんな万華鏡といえば何を言ってもよい免罪符らしく、とにかく暴言が飛び交う。
声優の熱演も要チェックで、特に風華役の茜屋日海夏さんの小便や下痢便などの汚物を比喩にした罵倒語は最高だ。
そんな、ほんわかふわふわ萌え萌えキュンと、暴の世界の交互浴の先に、このデスゲームが始まったわけが見えてくる。
見えた先には、なんと「弱者男性」は全員が自業自得であることが判明する。
まさか、社会の決定権の多くを今まで握っており、社会を形成してきた男性自身にはその社会のありようが決めた責任があり、競争から脱落して惨めな人生を送るのは、競争社会のみを褒め称える単一の価値観しか持っておらず、そんな社会を良しとしてきた男性の自業自得であり社会のせいではなかったなんて、驚き。
そして女性はそんな男性とは異なり、万華鏡のような価値観を持っているため、多様な人間がより幸せに暮らすことができる社会を作れるのかもしれない、ってことを示唆する展開も驚き。
そんないわば「幻想牢獄のTwitter」がデスゲームの先に待っている。
まあ、ライターの竜騎士07さんがこういう剥き出しのテーマ性を書くのは本当にらしいので、きっとこの仕事をしているとき、はてなブックマークやTogetterにハマってたのかもしれませんね。
最後、少し茶化してしまったし、事実そこだけ物語というオブラートに包まれてないありのままのTwitterが出てきて驚いたんだけど、だけど、面白いは面白かった。
かなり綺麗なオチも付き、丁寧にまとまっている中編といった感じ。
ボリュームは2時間ほどでクリアしたが、これぐらいが丁度よく感じたし、物語のフリとオチがしっかり付いていてスッキリ。
横だけど、創価学会の通話記録窃盗事件と個人情報窃盗恐喝事件貼っとくわ
創価大グループによる携帯電話の通話記録盗み出し事件で電気通信事業法違反に問われた、創大出身でドコモシステムズ元社員嘉村英二被告(28)の公判が二十一日、東京地裁で開かれました。同被告は同法違反で二〇〇二年十一月に有罪判決を受けたのにつづく二度目の裁判。前回裁判のさい、今回の事件も調べられたのに隠し通していたことが、この日の証言で明らかになりました。
嘉村被告には前回と同じく、創価学会副会長らが弁護人につきました。実行犯の嘉村被告や、同被告に犯行を指示した創大副学生課長らが有罪になった前回裁判で弁護人は「私的で一過性、偶発的事件」と主張、執行猶予つき判決になりました。
この日の公判で嘉村被告は、波多江真史裁判長から「前回の取り調べで今回の事件のことを聞かれなかったのか」と質問され、「警察に聞かれた」と証言。「そのさい本当のことを話したのか」との問いには「話さなかった」とのべ、犯罪を隠していたことを認めました。被告弁護団も以前から今回の事件を知っていた可能性も濃くなりました。
起訴状や検察冒頭陳述によると、同被告は〇二年三月と四月、東京・江東区にあるNTTドコモの端末を操作し、学会脱会者の福原由紀子さんとジャーナリスト乙骨正生氏の通話記録を不正に引き出しました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-12-22/15_01.html
ところが、好事魔多しで、契約者情報が大量に流出してしまった(最終的には04年1月時点の全顧客情報660万人分が流出したという)。流出した情報の内容は、加入者や申込者、解約者の住所、氏名、電話番号、メールアドレスなどで、不幸中の幸いというべきか、クレジットカードの番号など個人の信用情報は別に格納されていて無事だった。
しかも驚くべきことに、この不祥事を材料にソフトバンクからカネを脅し取ろうとしていた男3人を警視庁が恐喝未遂容疑で逮捕していたというのである。3人は、ヤフーBBの二次代理店を務めるコンサルティング会社エスエスティー(SST)の竹岡誠治社長、湯浅輝昭副社長、それに右翼団体の森洋・元代表だった。ヤフーBBの取引先という〝身内〟と右翼団体元代表という組み合わせには意外感があった。
〜〜〜
彼ら容疑者の素性が明らかになると、事件は別の顔を見せ始めた。SSTの社長の竹岡と副社長の湯浅はともに創価学会の幹部だったのである。
竹岡は創価学会副男子部長や創価班委員長、聖教新聞広告局担当部長などを経て創価学会豊島戸田分区の副区長だった。湯浅は聖教新聞の販売店主などを経て函館五稜郭圏の副圏長だった(ともに事件発覚と同時に辞任)。しかも、竹岡は共産党の宮本顕治委員長宅盗聴事件の実行犯の一人でもあったから大騒ぎになった。もはや、単純な個人情報流出という事件ではなかった。ソフトバンクの広報担当者も「政界を揺るがすかもしれません」と興奮気味に話していた。
https://webronza.asahi.com/business/articles/2021092300001.html?page=1
日本を代表するアニメ監督たちが<音>に鈍感なの、悲劇だと思う。
湯浅監督の犬王みてきたけど、あの古臭くてパッとしないロックは何?
いやわかるよ、かの時代に一世を風靡した斬新で革命的な<音楽>を表現したかったのはわかる。
今の時代、最新の音楽理論とシンセサイザーを使えば風変わりで斬新な雅楽などいくらでも作れる。
まあ100歩譲ってロックにしたいならそれでもいい。
和楽器でロックをやるなら、それはそれで斬新な感じは伝わるだろうから。
もし洋楽器を使いたいなら、それっぽい何か(現実には存在しないけど、当時存在しててもおかしくなさそうな自作楽器的なやつとか)を画面に描けよ。
なんで、<絵>や<動き>に対してはあんな素晴らしく卓越したセンスを見せつけてくれるのに、<音>にこだわらないのだろう。
思えば宮崎駿もひどかった。
そう、風立ちぬ。
あの画面から唾が飛んできそうな効果音の酷さと言ったら、もう、言葉がない。
絵のこだわりに対して音へのこだわりのなさに、もうただただ悲しいよ。
矢島 楫子(やじま かじこ、1833年6月11日〈天保4年4月24日〉 - 1925年〈大正14年〉6月16日)は、日本の女子教育者、社会事業家。
肥後国上益城郡津森村杉堂(現・熊本県上益城郡益城町)の惣庄屋矢島忠左衛門直明・母鶴の1男7女の6女(末子)に生まれ、かつと命名された。極端な男性社会にあって度重なる女児の誕生は歓迎されず、名付け親は10歳違いの姉である三女・順子であった。順子(竹崎順子)は、横井小楠の高弟である竹崎茶堂と結婚し、熊本女学校校長となった教育者である。また、順子のすぐ下の姉・久子(徳富久子)も同じく横井小楠の高弟である徳富一敬と結婚し、湯浅初子・徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟を生んでいる。蘇峰は明治、大正、昭和にかけての大論客、蘆花は明治、大正の文豪である。また、かつのすぐ上の姉つせ子(横井つせ子)は横井小楠の後妻となった。この姉妹4人は「肥後の猛婦」、「四賢婦人」と呼ばれた。
かつは学校などない当時、一通りの教育を母から厳しく身につけさせられるが、もとより勝気で秘めたる情熱の持ち主だったかつは、やがて母亡きあとは母に替わって兄・直方のために尽くす。その兄も妹のために良縁を求め、かつ25歳の時、初婚にはもはや遅いとして既に2男1女を儲けていた富豪林七郎(1828年生) を家柄・人物ともに相応と認め、後妻として嫁がせる。林は武家出身で、横井小楠の弟子であった。後年楫子自身の口からも「この人は気品の高い、竹を割ったような人でした」と語らせるが、家族への乱暴など夫の酒乱の悪癖にかつは極度の疲労と衰弱で半盲状態に陥り、かつ自身も三人の子まで儲けながら、このうえは身の破滅と思い、末子達子を連れ家出する。迎えに来た使いの者に見事に結い上げていた黒髪を根元からプッツリ切って紙に包み、無言の離縁を言い渡したのである。明治元年(1868年)、これを転機に新しい一歩を踏み出す「新生元年」ともなった。
妹たちの間を転々とする間、兄・直方が病に倒れ、達子を置いて上京を決意する。長崎発東京行き蒸気船に乗り込み、船上にて自ら「楫子」と改名する。兄は大参事(副知事)兼務の左院議員で、神田の800坪の屋敷に書生、手伝いらはもとより千円という借金を抱えていた。楫子はその放漫財政を正し、3年で借金を片付けると、生来の向学心から教員伝習所に通うこととなる。明治6年学制が施行され全国に小学校が設置、訓導試験に合格した楫子は芝の桜川小学校(現・港区立御成門小学校)に採用される。当時教員初任給3円のところ、楫子は5円という破格の待遇であった。
このころ長姉・藤島もと子が息子二人と、直方の妻・糸子も子供をつれて上京、兄宅は一気に賑やかになった。しかしそうした喧騒の中、楫子は妻子持ちの書生との間に女児を宿す。堕胎や父親に渡すべきだと諭す姉の言を受け入れず、楫子は妙子(鵜飼猛の妻、湯浅清子の母)と名付け、練馬の農家に預けて独り下宿生活に戻る。そんな折届いた兄からの手紙で、熊本に残してきた長子・治定がキリスト教徒になったのを知り愕然とする。熊本洋学校生徒35名による花岡山キリスト教奉教同盟事件である。治定だけでなく甥の横井時雄、徳富蘇峰、徳冨蘆花も参加している。やがて熊本洋学校は廃校になり、彼らの一部は、新島襄の同志社に入学し、熊本バンドと呼ばれることとなるが、この熊本バンドは札幌バンド、横浜バンドと並び日本におけるキリスト教の三大源流と言われている。教え子の居宅で父親の酒害を目撃し、寂しさでタバコを覚えた楫子だったが、悩める楫子にとってもキリスト教はわが子の信じる宗教であり、遠い異国の宗教ではなくなった。
明治11年(1878年)、楫子は後半生に多大な影響を受ける米国の宣教師で教育者のマリア・ツルー夫人と運命的に出会う。明治7年(1874年)にB六番女学校として設立された築地居留地にある新栄女学校の教師に請われ、住み慣れた下宿を引き払い、同女学校寄宿舎舎監室に移る。
自ら吸いかけのタバコによるぼや騒ぎを起こして禁煙を決意、翌12年(1879年)築地新栄教会でディビッド・タムソンから洗礼を受ける。ほぼ同時期に、三人の姉である徳富久子、横井つせ子、竹崎順子も洗礼を受けている。当時17歳のキリスト教徒であった甥の徳富蘇峰は、純粋がゆえに楫子の洗礼に際して、「過去の過ち(1.幼いわが子を置いて家を出たこと 2.妻子ある人の子を産んだこと)」を告白すべきでないかとの手紙を送っている。しかし、楫子は幼い妙子のことを考え、死ぬまで「過去の過ち」を公表することはなかった。
明治14年(1881年)夏、櫻井女学校の校主(現在の校長と理事長を兼ねた職)代理に就任。楫子は校則を作らず、「あなたがたは聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい」と生徒たちを諭したという。
明治23年(1890年)、櫻井女学校と新栄女学校は合併して女子学院となり、初代院長に推される。
明治29年(1896年)、恩師のツルー夫人が55歳で客死。楫子64歳であった。
一方、恵まれなかった結婚生活や小学校教師時代に抱いた心の疑問から、楫子は「一夫一婦制の建白」、「海外醜業婦取締に関する建白」を政府に提出、国会開設と共に二大請願運動として継続する。
楫子の情熱は日本に止まらず日本国外にも向かい、明治39年(1906年)、74歳にして渡米、ルーズベルト大統領と会見。激務のため白内障を患う。大正9年(1920年)には欧米の旅に出掛け、翌10年(1921年)には満州に、同年から11年(1922年)にかけては三度渡米、このとき楫子89歳であった。教職は大正3年(1914年)、女子学院院長を後裔に譲り、齢81で名誉院長として退いた。その後は禁酒運動、公娼制度廃止運動等に尽力するも、大正もその幕切れを迎えんとする大正14年(1925年)6月半ば、楫子は眠るように大往生を遂げた。明治、大正といういまだ婦人が一個の人間として尊重されることのなかった時代に、楫子は婦人福祉のためにその一生を捧げたのであった。
Base Ball Bearといえば、青春時代を代表するバンドとして挙げる人も多いはずだ。
そんな、『C』とか『十七才』とか聞いていた頃のユーザーが時を超えて突然、新譜『DIARY KEY』を聞いたら、きっと「ベボベ丸くなったな(苦笑)」と言うんじゃないだろうか。
だが、このアルバムは、「丸くなった」と表すには惜しいくらいの熱量のこもったアルバムだ。
どういうことか、俺が解説する。
このアルバムのタイトルになっている「DIARY KEY」から始まる11曲について述べるには、ベボベの過去に少し遡る必要がある。
ベボベにはたくさんの変遷があって、ここに辿り着いているから。
これらのアルバムは、どこかカッコつけていて、“強く在らねば”と前を睨んで立っている…そんな印象だった。
湯浅が失踪して、3人になって、外部要因によって突如として続けるか辞めるかの岐路に立たされた彼ら。
湯浅がいないままツアーが終わって、その後3人体制で続けることを決意した彼ら。
メンバーの発言から、『C2』の頃には既に、湯浅はまともに曲を作ってこなかったらしい。
そうして完成した『C2』をベボベはどう捉えているのかは分からない。
しかし、“3人でやる”ことを宣言するように『光源』をリリースしたあと、3年かかって『C3』を出した。
ここには、どこかリベンジのような、前に進み出すような意志を感じずにはいられない。
3人でもクオリティの高い仕事ができることを知らしめるように、ライブを行い、CDを出し続ける新生Base Ball Bearからは、“3人でも大丈夫だ”というメッセージをひしひしと感じた。
そこには、少なからず思春期のような、虚勢のようなものがあったように思う。
『DIARY KEY』からは、虚勢はもう感じられなかった。そこにあったのは、確かな「強さ」だった。
思春期だった親戚の子どもが、いつのまにか大きくなって結婚の報告をしてきたような衝撃。
世界を憎むような、殺意があるような、尖った歌詞だったあの頃からは想像もつかないほど、
それはそれは優しくて、大きくて、包み込まれるような世界が広がっている。
強くなければ優しくはなれない。
『C3』を聞いた時、ここまで優しくなれるのか、と目を見張ったものだが、『DIARY KEY』はそんな驚きを超越してきた。
湯浅の脱退は、『光源』・『C3』は、『DIARY KEY』に到達するために必要だったといえる、とさえ。
Cross Wordsを聞いた時 こういうのがずっと続いていけばいい、と願ったのが、今叶った。
それは決して空想の中の優しさではなくて、生活の中にある、すごく具体的なものだ。
11曲からは、柔らかな眼差しで見られる世界があって、彼らはいつまでも変わらず音楽を作り続ける、そんなメッセージがあるように感じてならない。
Base Ball Bearというバンドは、ここまで強くなったのだ。
はっきり言って、4人だったときよりも ずっと進化して良くなった。
“到達点”感が凄まじくて、解散するんじゃないかと不安がよぎるくらいに。
1曲ずつ良さを書こうと思ったが、オナニーを人に見せるより恥ずかしい気がしてきたので、ここら辺で書くのをやめようと思う。
俺が良いと思うんだ、ここで書かなくても読者諸君は聞けば分かるはずだ。
CD販売、各種配信サイトにて聞けるので、未視聴の方がいればぜひ聞いて欲しい。
https://form.run/@bbb-diarykey-DL
https://form.run/@bbb-diarykey-PRE
▼配信
https://baseballbear.lnk.to/diarykey
どんなことが起きても、生活は続いていく。
ベランダでパーラメント吸いながら、明日も何とかやっていくか、と。
ベボベもそうやって、続いていって欲しいと願ってやまない。