はてなキーワード: 治安維持法とは
あれだけまとまった人数が集まってテレビ局の前で騒いでいたのに、その事実を知っている人が少ないこと。
「ほらフジテレビが悪いことをしているようです!だからウチの番組を見よう!」となりそうなのに全てのテレビ局は報道しない。
そしてやっぱりまだ国民の大部分は情報をテレビに頼っている。テレビで流されていないから、その事実を知らない。
ネットやってれば嫌韓もマスゴミも聞きなれた言葉だけど、そうでない人は全く知らない。
あれだけネットの一大勢力なのにUstだのニコ動だのそういったことも全く知らない。かろうじてyoutubeを知っているかどうか。
テレビの報道のせいかツイッターや掲示板は悪者。嘘ばっかり書いてあるというような報道を流す。
反原発デモのことはそれなりにニュースにしたのに、どうして今回のデモはテレビニュースにならないのか。
デモの意義や思想の理解などは視聴者の判断にゆだねるしかないのに、今回はその機会すら奪っている。
今回は韓流ブームについてだからまだいいけど、こんな大騒動でも都合が悪ければ放送しない日本のマスメディアが本当に怖い。
そのうち治安維持法みたいなのが可決されてネットでの思想狩りが始まっても、きっとマスメディアは報道しないんだろうな。
そして都合のいいニュースばかりになって、誰もかれもが好きなことを言えない世の中になっていくよ。
まあ実際そうなってきているけど。
はてなID:ykkjhrk
はてなキーワードに投稿しましたが、編集合戦を避けるため、こちらに転載します。
エホバの証人とは
● http://www.watchtower.org/j/ 雑誌のバックナンバーや聖書研究の手引き書などがいくらか読める。
● http://www.jw.org 機関誌のポッドキャストフィードの受診、書籍、電子雑誌などがダウンロードできる。
● http://www.jw-media.org 広報室の公式サイト
名称の由来は旧約聖書のメシア預言のひとつであるイザヤ43章10~12節に基づく。
エホバの証人についての解説(公式サイト): http://watchtower.org/j/jt/article_02.htm
(個人サイト): http://biblia.milkcafe.to/thesis009.html
「ものみの塔聖書冊子協会」は、彼らが用いる代表的な法人の名称である。世界本部はニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会にあり、出版物の著作権表示はペンシルバニアのものみの塔聖書冊子協会となっている。(ただし、「わたしたちの王国宣教」は、2009年4月以後、著作権表示がエホバの証人のクリスチャン会衆"Christian Congregation of Jehovah's Witnesses"となっている。)
なお、ものみの塔とは1879年に創刊された雑誌の名称であり、ジェームズ王欽定訳のイザヤ21章8節などを由来としている。聖書預言と照らし合わせながら世界情勢を見張っている、という意味がこめられている。さらに、1884年、この雑誌の出版社として現在のものみの塔聖書冊子協会が米国ペンシルバニア州の非営利法人法に則って登録された。したがって、彼らは自分たちを「ものみの塔の信者」とは言わない。ものみの塔協会は法人名に過ぎないからである。
また、「エホバの証人」という語は彼らが構成する集団社会と、信者各個人の両方を指す。(英語などの場合、複数形と単数形で区別する。)したがって彼らは、「エホバの証人の信者」という表現は使わない。ちょうど、「クリスチャンの信者」とか「ムスリムの信者」などと言わないのと同様である。
1870年米国にて、チャールズ・テイズ・ラッセルらが聖書研究会を結成したことに始まり、1931年、米国オハイオ州コロンバスの大会で、「エホバの証人」という名称を採択する決議が可決された。この大会は短波放送で中継されており、日本にいた数名の信者も決議に加わった。(なお、戦前・戦中の大日本帝国下では、「灯台社」という名称で活動しており、天皇は被造物であるなどと主張し、本土および台湾・朝鮮において、治安維持法違反で検挙されている。―参考: 灯台社または燈台社または燈臺社を調べるぺえじ http://www.geocities.jp/todai_sha/)
聖句と聖句を比較しながら論題別に掘り下げてゆくという19世紀の聖書研究者ヘンリー・グルーの聖書研究のポリシーが、現在でも一貫して守られており、エホバの証人出版物の特色となっている。聖書は文字通り神の霊感(インスピレーション)を受けた神の言葉であり、普遍、無謬であって、絶対に矛盾していない、という前提で聖書を調べ、矛盾と思われる箇所がある場合には、ほかの聖句を持ってきて説明しようとする。聖書で聖書を説明するのである。(ものみの塔2006年8月15日号12~15ページを参照。)
((聖書は矛盾している、との主張に対するエホバの証人の反論については、「ものみの塔出版物索引」の「聖書の信ぴょう性」の項の「聖句間に見られる調和」という見出し以下から資料を探せる。))
信者数は日本で21万人ないし30万あるいは40万とも言われ、2009年現在全世界で731万余の伝道者が活動している。
全世界の統計(公式): http://www.watchtower.org/e/statistics/worldwide_report.htm
エホバの証人の実勢信徒数の数え方: http://jwpc.milkcafe.to/media03.html
機関誌「ものみの塔」や「目ざめよ」などを配っている。最近は雑誌の朗読版(mp3およびaac(m4b))やオーディオブックのポッドキャスト配信、アメリカ手話(ASL)や日本手話(JSL)をはじめとする手話版のビデオキャスト配信、オーディオドラマやPDFによる電子書籍のRSS配信も行っている。
「目ざめよ!」は2006年以後月刊誌となり、「ものみの塔」は2008年から一般大衆向けと研究用(信者向け)とに分かれた。
出版物のダウンロードサイト(公式): http://www.jw.org
モルモン教、統一教会と並び、カトリックの総本山であるバチカンの法王庁(教皇庁)からキリスト教系三大カルト(または異端)の一つとされている。
また、カトリックと対立関係にあるが、プロテスタントではない。プロテスタント諸派もエホバの証人との教理上の相違が大きく、エホバの証人自信も自分たちをプロテスタントであるとは主張しない。
http://www.watchtower.org/j/20091101a/article_01.htm
エホバの証人のスポークスマンによると、ときおり、日本基督教団の牧師が「保護説得」などと称してエホバの証人を拉致、監禁して強制棄教を試みるといった事例が生じており、アメリカ大使館は日本の警察当局に、これを事件として取り締まるよう勧告している。((なお、宗教監禁の実態(統一協会の信者)に関する情報は、こちらの月刊現代の記事を参照。))
参考:2003年 国別人権報告書 http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-j20050601-50.html
ただし、SDA―セブンスデー・アドベンチスト教会―はエホバの証人に比較的好意的であり、国によってはセブンスデー・アドベンチスト系の病院がエホバの証人の望む無輸血医療を積極的に提供していることもある。
神の名はエホバであり、敬意を込めてその名を積極的に用いるべきである。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_01.htm
なお、「エホバ」であるか「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」であるかは彼らにとって大きな問題ではない。マタイ福音書の主の祈りの冒頭にあるように、神の固有名を用い、それが神聖にされることが重要である、とする。(マタイ 6:9)
さらに、聖書を翻訳する際、神聖四字(YHWH(JHVH)テトラグラマトン)を「神」や「主」といった称号に置き換えると、読者は一般名詞としての神と固有名であるエホバとの意味の相違が識別できないという弊害が生じる。「神」(エローヒーム)と「エホバ」の違いについて、インペリアル聖書辞典(P・フェアベアン編、ロンドン、1874年、第1巻、856ページ)は次のように例証している。
「それ[エホバ]はどんな箇所でも固有の名であり、人格的な神を、そしてただその方だけを表わしている。一方、エローヒームはどちらかと言えば普通名詞の特徴を帯びており、確かに普通は至上者を表わすが、必ずしも、またいつも一様に至上者のことを指しているわけではない。……ヘブライ人はあらゆる偽りの神々に対立する方のことをthe Elohim、つまりまことの神と言う場合があるが、決してthe Jehovahとは言わない。なぜなら、エホバとはまことの神だけの名だからである。また、わたしの神とは再三言うが……決してわたしのエホバとは言わない。というのは、わたしの神と言う場合、エホバのことを意味しているからである。また、イスラエルの神について語りはするが、決してイスラエルのエホバについて語ることはしない。それ以外のエホバはいないからである。さらに、生ける神について語りはするが、決して生けるエホバについて語ることはしない。生きている方ではないエホバなど考えられないからである」。(訳文は、聖書に対する洞察、第一巻、「エホバ」の項より。)
ヘブライ語聖書中に「サタン」が登場するすべての箇所において、定冠詞が使われており、悪魔は固有の実在者であって、人の心に内在する抽象的な概念などではない。(ヨブ 1:6 脚注)
http://watchtower.org/j/20091001a/article_01.htm
神は愛の動機からすべての良いものを創造された。生きる喜びを分かち合うため、み使い(天使)や人間を、倫理的に自由な行為者、つまり神に仕えるか仕えないか、どのように仕えるかを能動的に選択できるものとして創造された。
やがて天使のある者が自由意志を誤用・悪用して神に反逆し、神の主権の正当性、妥当性、義にかなっているか否かに疑念を差し挟むようになった。その天使は、ヘビを使ってエデンの園にいた最初の男女アダムとエバ(イブ)を罪へといざなった。こうして、完全だった人間は不完全になり、原罪を受け継いで死ぬようになった。
悪魔となったその天子が投げかけた問いは、もっぱら倫理的な論争であった。つまり、悪魔は神の力を否認していたのではなく、宇宙の主権者としてエホバがふさわしいか否かを問題にした。したがって、悪魔と叛逆した人間を即座に滅ぼしても、この種の問題の解決とはならなかった。
神からの独立を望む人類社会には、神から倫理的に独立してやっていけるかどうかを試す時間が与えられた。そして、数千年の歴史の中で、君主政治、軍国主義、全体主義、共産主義、自由民主主義などあらゆる政治形態を試みることが許された。
神を愛する人には人間の政治に希望を寄せるのではなく、エホバによる神権政治を支持する機会が差し伸べられている。人間一人一人は、エホバの側につくか悪魔の側につくかを選ばなければならず、エホバの主権を受け入れることによって神の心を喜ばせることができる。―箴言 27:11。(←この側面は「忠誠の論争」とも呼ばれる。)
http://watchtower.org/j/bh/article_11.htm#q10_src
http://watchtower.org/j/bh/article_12.htm#q6_src
なお、悪魔の投げかけたこの論争は、当初から矛盾(論理破綻)していた。悪魔は、自分が論争に勝つなら、エホバは自分を生き続けさせる義務を感じるであろうと考えていたからである。神の公正に疑念を差し挟む一方で、神の公正をあてにしていたのである。(聖書に対する洞察、第一巻、「主権」の項を参照。)
イエスは、人類を罪と死から救済するために天から地に遣わされた。イエスの贖罪死と流した血によって、罪の許しの法的根拠が据えられ、人類には永遠に生きるみこみが差し伸べられた。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_05.htm
http://watchtower.org/j/bh/appendix_04.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_05.htm
http://www.watchtower.org/j/20090401a/article_01.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_07.htm
http://biblia.milkcafe.to/21-ec-12-07.html
クリスチャンは天に設立された神の王国の国民であるゆえ、地上の政治論争には一切「内政干渉」せず、神の王国の大使また公使として振舞うことが期待される。―ヨハネ 17:16。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_15.htm#q12_src
神を愛する者は暴虐を憎まなければならない。―詩編 11:5。
http://www.watchtower.org/j/kn37/article_01.htm
(誤解されがちな点だが、彼らはいかなる戦いをも否定する絶対的平和主義者ではない。旧約聖書(ヘブライ語聖書)にある数々の戦いの記録は、将来神があらゆる悪に報復されることを表しており、「復しゅうは神のもの」と聖書にもある。また、クリスチャンは各自「信仰の戦い」をしなければならない。なお、戦争には不参加となるが、政治的な中立の観点から、戦争反対のデモなどの活動に加わることもしない。)
http://www.watchtower.org/j/hb/index.htm
地抜きされていない肉を食べてはならないという聖書の禁止事項は、イエスの流した贖罪の血に敬意を示すべきであるという考えを根底にしている。したがって、これはもっぱら宗教的な性質のものであり、物理的な意味で1ミクロンも血を摂取してはならないという意味ではなく、血抜きのための合理的な努力が払われていればそれでよしと彼らは考える。
日本臨床麻酔学会誌Vol. 26 http://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjsca/26/3/_contents/
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_10.htm
エホバの証人はユダ王国の滅亡を西暦全607年に起きたと考えている。考古学の主流の学説とは意を異にしているが、この点は、「聖書に対する洞察」というものみの塔協会発行の聖書百科事典の「年代計算、年代学、年代記述」の項で、かなりのページを割いて論じられている。
http://www.watchtower.org/j/20051115/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/20051201/article_02.htm
裁くのはイエスであり、誰が救われ、誰が救われないかを決めることに、エホバの証人は関与しない。―ヨハネ 5:22。
http://watchtower.org/j/jt/article_08.htm#saved
週に2回ある集会への参加および非信者への証言活動が求められる。(ヘブライ 10:24-25; マタイ 28:19-20。)また、年に1回、地域大会、巡回大会、特別一日大会という、より規模の大きな集まりがある。(詩編 35:18。)
http://watchtower.org/j/rq/article_14.htm
唯一の式典として、年に1回、キリストの死の記念(主の記念式)が行われる。これは、いわゆる最後の晩餐(最後の晩さん)を記念するもので、カトリックのミサ(聖体祭儀)に当たる。―ルカ 22:19。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_06.htm
彼らは「新世界訳聖書」という独自に翻訳した聖書を用いている。
オンラインバイブル(インターネット聖書)新世界訳: http://www.watchtower.org/j/bible/
「恣意的な翻訳だ」「自分たちに都合の良い内容に改竄している」という批判もある。
また、エホバの証人側はこれに反論している。
公式: http://www.watchtower.org/j/20080501a/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/
機関誌・書籍などで、しばしば古今の有名人の発言・著作を引用するが、前後の文脈を無視して極めて恣意的な引用をする傾向にある。(例えば、有名な古生物学者であるスティーブン・J・グールドの著作を、あたかも彼が進化論を否定しているかのような形で引用する)
しかし、この点は近年改善されてきており、2010年に発表された創造を指示する小冊子では、相当の配慮が示されている。
近年では全人類の平等を謳っているが、同協会に批判的な主張によれば、ローマカトリックを始め、他のキリスト教諸派よりもずっと後(1970年代)まで「黒人は神に呪われた種族であり、知的にも劣っており、終わりの日に遂に彼らが救済される時、彼らの肌は白くなるだろう」と主張してきたという。(下部の参考リンク「エホバの証人情報センター」の記述による。同センターは論証的な立場に立っているが、エホバの証人に対する論調は全般に批判的。1970年代およびそれ以前の、エホバの証人における有色人種の扱いについて、より信頼性の高い情報源があればご教示ください。)
世界各国に支部があり、信者のうち白人は1/3程度と推測される。「統治体」と呼ばれる最高指導部は、設立以来多年にわたり白人男性のみで構成されてきたが、1999年にメンバーにサミュエル・F・ハードが加わったことにより、統治体にも有色人種が加わることとなった。
1933年、ドイツで政権を握ったナチスがエホバの証人の弾圧を始めると、協会のドイツ支部は大会を開催して(ベルリン大会)、ナチスの政策を支持し、自分たちとユダヤ人は無関係だと主張する「事実に関する宣言」を全会一致で採択した。この大会には、当時のものみの塔協会の会長ラザフォードも出席している。しかし、世界各国に支部があり、本部がアメリカにあるエホバの証人は、この「宣言」以後もナチスの弾圧の対象となり続けた。
しかし、エホバの証人側は、ナチスを政治的に支持していたわけではないと反論する。
公式: http://www.watchtower.org/j/19980708/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/07-jg-11-40.html
1985年、ダンプカーに轢かれたエホバの証人の子供大ちゃんが、両親の輸血拒否にあい、死亡。輸血をしても助からなかったとの見解もあるが、マスコミに大々的に取り上げられた。大泉実成著「ASIN:4768455646」に事件の様子が描かれている。
1994年、過剰な体罰、虐待によりエホバの証人の信者の子供が死亡した。
参考:http://www.jwic.com/abuse.htm
エホバの証人である高専生が宗教上の理由で剣道実技を許否した結果、退学処分を受けたが、1996年3月8日、最高裁判所は、この退学処分は違法であるとの判決を下した。
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319123008290359.pdf
なお、これは教育と信教の自由に関する日本国憲法下における重要な憲法判断である。
エホバの証人の婦人が、事前にいかなる場合においても輸血を施さないでほしい、なおかつ輸血しないことによって障害を負っても医師に責任を問うことは一切しないとの合意書に署名していたにもかかわらず、医師たちはひそかに、事前に示し合わせて、当初から輸血を断行することにしていた。手術後、内部告発によってこのことが明らかになり、裁判となった。2000年2月29日、最高裁判所は患者の人格権を侵害したと判決した。
ここでの問題は、強制的に輸血を施したことの是非ではなく、また緊急事態には輸血を施すというその病院の方針が裁かれたのでもない。むしろ、病院はそのような方針をもっているならば、密約をしたりダブルスタンダードをとったりするのではなく、誠実に病院の方針を説明し、患者の信条に沿う別の医療機関を紹介すべきであった、ということである。
エホバの証人のプレスリリース(英語): http://www.jw-media.org/jpn/20000229.htm
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120604218580.pdf
このほかにも、エホバの証人は国内外で、後に重要な判例となる裁判を起こしている。
参考:衆議院議事録―第159回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第2号(平成16年3月11日(木曜日)) http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010715920040311002.htm?
最近ジイサンとかバアサンとか呼ばれている世代は終戦直後の混乱期に幼少を過ごされた方達なわけで。
親御さん達は戦没していたりヤミ市に買い出しに行っていたりと子供に教育をするヒマもなく、
ガッコのセンセ達は治安維持法消滅で一斉にブサヨに転じて世の中批判しまくってたり、
教育なんて受けているよりは食糧難で畑耕していたりオカアチャンの荷物担ぎをしていたりで
情操教育環境で言えば最悪の時代に最も重要な時期を過ごしてしまったわけで。
そらぁ、中国人や山猿みたいな粗暴さが身に付くわな。
で、今の学校教育では無条件に「お年寄りは敬って大事にしなくてはいけない」とか教えているせいで
若者の方が「俺って間違っているのか?!」って勘違いしてしまう。
まあ、山猿ジジババはもうすぐ息絶えるから引導を渡すか華麗にスルーしてあげましょう。
○正森委員 いいです。三菱銀行が言っています。
○浜田委員長 あのね、あなたの質問が終わる前に、ちょっとおかけください、恐縮ですが。
○正森委員 私は質問中です。これの切りのいいところで伺います。切りのいいところで伺います。
○浜田委員長 いいんですか、そうでないと後悔しますよ。それはどういうことかというと、昭和八年十二月二十四日、宮本顕治ほか数名により、当時の財政部長小畑達夫を股間に……
○正森委員 委員長、そんなこと言ってないじゃないか。何言うてんです。
○浜田委員長 針金で絞め、リンチで殺した。このことだけは的確に申し上げておきますからね。いいですね。
○正森委員 何を言っておるんだ。そんなこと、聞いておらないことを何を言っているんだ。(発言する者あり)
○浜田委員長 いいですか。それを言わぬとあなた方は……そのことだけは言っておかなければ、あなた方はそのことでごまかそうとしておる。
○正森委員 委員長は、私が質問しているのに対して関係ないことを何言うんだ。(発言する者あり)
○浜田委員長 異議があるなら言ってきなさい。それだけを明確にしておかなければなりません。
○正森委員 先ほど委員長の発言で……
○正森委員 先ほど委員長の発言で、我が党の宮本議長に対し著しく事実に反する不当な発言がありました。宮本議長の事件は、侵略戦争反対を貫く日本共産党指導者であること自体を重罪とする治安維持法等違反に問われたものであります。
○正森委員 その戦前の判決でさえ殺人とは認定していないものであります。しかも、その治安維持法自体、戦後の民主化の中で廃止され、宮本議長は勅令七百三十号で刑の言い渡しを受けざりしものとみなすとされ、判決自体がなかったものとされているのであります。ここに私は判決を持ってきております。勅令適用の文書もここにあります。このことは国会でもたびたび確認されていることであります。(発言する者あり)
ちます。
○正森委員 法務省、この点等再度確認していただきたい。
○岡村政府委員 私といたしましては、ただいま手持ちの資料もございませんので、どういう事実関係になっているかにつきまして直ちにはお答えいたしかねるところでございます。ただ、安原刑事局長が答えておられるのであればそれはそのとおりであろうかとも思いますが、今申し上げましたように、私としては、今の時点ではお答えをいたすだけの資料も持ち合わせておりません。
○正森委員 刑事局長ともあろう者が、自分は知らないなんということは言語道断だと思います。しかし、安原刑事局長がそういう答弁をしておることは承知しておりますという格好でお認めになったことは間違いのないところであると思います。
政府の答弁でも明らかなように、先ほどの委員長発言はこうした事実を全く無視したものであります。委員長の不穏当な発言について、取り消し削除の措置をとられることを求めたいと思います。
私は、真実は真実として申し上げているのでありまして、取り消す考えはありません。
○正森委員 私は委員長の発言は不当だと思いますが、私の大事な経済の発言の途中に突如として関係のないことを発言された委員長の態度は、これは全国民が見ておりますが、決して正当だと思われないであろうと思います。
○正森委員 私は自分の質問を続けたいと思います。私は自分の質問を続ける権利があります。
○正森委員 大蔵大臣、続けますが、三菱銀行もこう言っているのですよ。三菱銀行はこう言っています。「目下の米国にとって……」(発言する者あり)
○正森委員 そんなばかなことがあるか。
○浜田委員長 私が言っているのは、ミヤザワケンジ君が人を殺したと言っただけじゃないですか。それは何が悪いんですか。これは真実を言っているだけにすぎない。しかし、あなた方は、正当性を主張しようとしながら真実を隠そうとしていることはいかぬ、それは。
○正森委員 委員長がそんなことを言っていいのか。委員長がそんなこと言っていいのか。委員長は公平でなければならぬじゃないか。そんなばかなことがあるか。何ですか委員長は。
○正森委員 委員長はそんな権限があるのか。
○正森委員 委員長はそんな権限があるのか。
○正森委員 そんなばかなことがあるか。
○浜田委員長 あなた方は、委員長が黙っていればいいことに事を欠いて、共産党は何だ。
○正森委員 何にも今聞いてないじゃないか。経済の論議をやっているのじゃないか。円ドル問題をやっているのじゃないか。だれがそんなことを聞いた。そんな委員長があるか。そんな委員長があるか。
○浜田委員長 それでは、社公民も続行を主張しておりますので、質問を許します。正森君。(発言する者あり)とんでもなかったら議会法に基づいて可罰性を問いなさい。こんなところで大きな声を出さなくても、そのために議会法が存在するのだから議会法にかけなさい。あえて受けて立ちます。
審議を続行します。正森君。続行しなさい、質疑を。
○正森委員 極めて遺憾ですが、私が冷静に円ドル問題を聞いていたときにいろいろ違う意見が入りましたので、中断されました。大蔵大臣、大蔵大臣……
○浜田委員長 しかし、あなたの政党は何ですか。その間に刑事局長を表に出して何をやっていたんですか。(発言する者あり)何を言っているんだ。
○正森委員 こちらが平穏にやろうとしているのに、委員長、委員長らしい態度をおとりください。
○正森委員 やっているじゃないですか、的確に。
大蔵大臣、こういうことを言っているのは、三菱銀行も言っているのですよ。「目下の米国にとって最大の問題は、景気が悪いことではなく、むしろ内需が強く、輸入が減らないこと、その結果対外不均衡が一向に解消しないことにあるように思われる。とすれば、米国通貨当局に望まれるのは、株価急落を奇貨として、内需の減速を甘受し、不均衡の解消を優先するという選択であろう。近着のビジネス・ウィーク誌は、「米国よ目を覚ませ」」ここにあります。「と題し、消費抑制と財政赤字削減による一種の耐乏生活を受け入れることを米国民に求めているが、まさにそれなくして目先の景気拡大を優先するというのでは、結局不均衡の解消を先送りにして事態をかえって悪化させることになる。」こういうように言っております。これと同じことは、ここに持ってまいりましたが、幾らでも言うことができるのですね。
そして宮崎義一氏は、結論としてこう言っているのです。スティーブン・マリスというOECDの事務局長のアドバイザーがおります、経済の。この人が、「なぜ日本は国債を買うのか、買うからアメリカは真剣に赤字財政の是正に努力しようとしないんだ、ブラジルなどがそうなっても誰も金を貸さないだろう、貸さないから余儀なく襟を正すのに、日本が貸すものだからアメリカは少しも襟を正さない、」こう言っているのですね。いいですか。
ですから、あなたが世界経済のために買っているんだというのは、かえって世界経済を危うくし、アメリカ経済の破滅をより劇的なものにする。そして日本経済にも決していい影響を与えない。論より証拠、二年間介入に介入を重ねたけれども貿易摩擦は緩和されない。よくならない。ドルは下がる一方だ。それはアメリカの経済実体がよくならないから。なぜよくならないかといえば、日本が、自分の国の歳入ではないけれども、財政法五条で日銀引き受けはいけないというのに、事実上日銀引き受けで証券を出して、どんどんと日本国内に円をばらまく。その分はアメリカに差し上げてアメリカの財政赤字を賄う。結局、アメリカの大軍拡を日本が日銀券を発行して賄っているのと同じことじゃないですか。これはアメリカの従属国であると言われても仕方がないんじゃないですか。こういうやり方、特に今度の予算で二十八兆円という、五十六兆の日本の国家予算の半分も出そうとしていることに対して、私は断じてこういうことは認められない。これは決して日本国民の利益にならない、世界の利益にもならないということを申し上げたいと思います。御意見。
○宮澤国務大臣 いつも途中まではなかなかいいお話なんですが、最後のところがちょっと曲がるように私は思うのでございます。つまりアメリカの貿易赤字、財政赤字というものがなかなか直らない、これを直さなければ問題は根本的に解決しないだろうというのは、私どももそう思います。たくさんの御引用をなさいましたが、それはそうなんでございますし、アメリカもそのことは知っておりますから、昨年も財政赤字の削減をやりましたし、また経済の競争力で貿易赤字を小さくしようとしておる。それが効果をあらわすのに時間がかかっておるということであろうと思います。
日本の企業がアメリカの証券、債券を買いますのは、これは何もアメリカのために買っておるわけじゃございません。自分の採算で買っておるのでございますから、これは政府が指図をすること
もできないし、またすべきものでもない。日本の企業の判断でやっておるわけでございます。
政府が為替市場に介入いたしておりますのは、そう申しましても、やはりドルが世界の基軸通貨でございますから、これを今急に何かに変えるということはできることではない。やはりドルが強くなるということが自由世界みんなのためになるわけでございますので、そのための努力をして、人のためではない、やはり自由経済の一つであります日本経済のためでもあるということでやっておりますので、正森委員の言われますように、ほっておいたらアメリカの経済がつぶれて大騒ぎになるだろう、かえってそうした方が事は早いんじゃないかとおっしゃいますようなことは、なかなか現実に政治をやっておりますとできるものではございません。
○正森委員 あなたの御発言をかりますと、初めから少し曲がっておりましたが、終わりはだんだん曲がっていくというように言わなければならないのですね。私がいつアメリカの経済がひっくり返ったらいいなんて言いましたか。そんなことは言いませんよ。アメリカの国民でさえウエークアップ・アメリカと言って、今のような状況を続けては生きていけないから、消費を削減して財政再建をしなきゃならない。そういうことに水を差して、今の放漫なことをやってもいいようなそういう後押しをするのはかえってよろしくない、こう言っているのじゃないですか。それを宮澤さんともあろう者がねじ曲げてねじ曲げて、私の言わないことをこっちへ持っていくなどということは言語道断だと思います。
そして委員長、私どもは今度の国会に、こういうことを踏まえまして米国の軍事費大幅削減要求に関する決議を出しております。これこそ私は本当にアメリカ経済をよくし、世界経済をよくし、そして我が国の経済をよくする愛国的な決議である。これは必ず後世の史家がそういうことがおわかりいただけるときが来るであろうということを申し上げておきたいと思います。
宮澤大蔵大臣、あなたは私に対して共産党だから対抗心を持っておられるのかもしれませんが、いいですか、日本の国債でさえやってはいけないことを為券で、日銀引き受けで引き受けさせて、お札は幾らでも出しほうだい、それでアメリカの財政赤字を賄うなどということは、いやしくも独立国であれば絶対にやってはならないことであります。そのことを強く指摘しておきたいと思います。
委員長、時間が残り少なくなりましたので、政治資金規制の問題について申し上げたいと思います。
政治資金規制につきましては、宮澤大蔵大臣、またあなたに当たって申しわけございませんけれども、あなたは去年、政治資金規制について改正すべきである、こういう意見を言っておられますね。どういう意味でおっしゃったのですか。
○宮澤国務大臣 それは昨年、自民党の総裁選挙のございます前のことであったと思いますが、そういうことを申しておりますし、ただいまもそう思っております。
○正森委員 今の御発言は、そういうことを申したことがあります、現在もそう言っておりますと言うだけで、なぜそういうことを言っているのですかということについてはお答えがなかったと思います。けれども、時間がございませんので、今度は総理に伺いたいと思います。
総理、昨年政治資金規制の届け出がございましたときに、斎藤英四郎経団連会長でさえこう言っているのですね。特にパーティー券についてであります。「やむを得ず買わされている。あの手この手でくるので、拒みにくい」「政治資金規正法の外であり、文字通り、大きな抜け穴だ。その結果、政治家が企業から収奪する金額が大きくなっている。」こう言っております。経団連の会長が、企業が収奪されるということまでパーティーについて言っているのですよ。
自治省、もう時間がございませんけれども、去年の一件当たりのパーティーは六千三百万円であります。利益率は八一・九%で、大したものでないおつまみだとかウイスキーを出して、そして実質上はもうける。八一・九%の利益率なんてめったにないですよ。行った者が水割り一杯飲めない、こう言っているんですから。そういうぐあいにしてお金を集められる。これは九月四日付の読売新聞でありますが、これであります。読売新聞で言っているのでは、あるゼネコン、ゼネコンというのはゼネラルコントラクターといいまして、日本の大成建設、清水建設、竹中工務店、大林組、鹿島建設、この五つのことですね。そのうちの一つがこう言っているのです。「むげに断ると、公共事業など受注の邪魔をされるとの思いがどうしてもつきまとう。一種、身の危険を感じて、相応のおつき合いをするわけです」こう言っているのですよ。だから自民党は……
○正森委員 今いろいろもめごとがありましたので、私はその分は引いてやらせていただきます。
いいですか、このゼネコンは、自民党の大きな派閥の方のパーティーのときに一枚三万円のものを一万枚持ってこられた。これを建設業界全体で持て、こう言われて泣く泣く買わされて、年間五億五千万円おつき合いした。政治資金規正法では一億円が限度じゃないですか。こういうことをやっているのです。もちろん……
○正森委員 これで終わります。
野党の議員もいろいろ事件がございました。こういう点は正さなければなりませんが、自民党はこういうことを正し、政治資金規正法について国民の納得のいく措置をとらなければいけないんじゃないですか。このことを竹下内閣総理大臣に伺いたいと思います。
○竹下内閣総理大臣 政治資金規正法の附則八条でございましたか、それで見直し規定というのがあるということは十分承知しております。しかし、これらの問題は、やはりその上に立つ政党の話し合いが一番いいんじゃないかというので、今自由民主党の方でも、私も幹事長時代に聞かされておりますが、小委員会が設けられ、検討されておるというふうに承っております。
○浜田委員長 これにて正森君、岡崎君の質疑は終了いたしました。
次回は、来る八日午前十時より開会し、昭和六十二年度補正予算の審査を行います。
本日は、これにて散会いたします。
午後六時十二分散会
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/112/0380/11202060380007c.html
正森vs宮澤の構図が、
・鳩山政権が人権擁護法案の今国会成立を示唆 ~韓国・中国人の特高警察官が暴威を奮う日が来る~
ttp://ameblo.jp/lancer1/entry-10450796133.html
民主党案では、各省庁の上位に、独立性が高く他の機関のチェックの及ばない「第二の司法機関」とも呼ばれる人権救済機関を設置することになっており、自民党案ではこれは「法務省の外局」でしたが、民主党案ではなんと首相官邸直結の「内閣府の外局」となっており、政府の意向が強く反映するものになっています。さらにこの下部組織として、各都道府県にも置かれることになり、この救済機関は、立入調査だけでなく司法権までも与えられており、恐ろしく強大な権限を持っています。しかも民主党案にはこれに国籍条項がなく、韓国人や中国人、北朝鮮人ですらなることが可能です。
まさに平成の治安維持法と言うべきもので、かつてアカ狩りと言われる思想犯の取締などで国民を恐怖に陥れた特高警察も、この民主党案と同じ内務省の直轄組織であったことを考えると、民主党が何をしようとしているか、そしてこの法案が施行されれば日本がどうなるかは容易に想像ができます。まさに日本の暗黒時代となるでしょう。
お返事どうも。
なぜ納得できないのか、なぜ不安なのかと言えば、戦時下においての治安維持法や非国民の逸話、プロパガンダの話を授業で聞いたからです。本当に平和は良いものなのかと怖くなりました。平和は大切だと教えられたのでそう思っていますが、戦争は思ったことを思い続けて起こすものなので。
え?正直全くわからないんだけど、『戦時下においての治安維持法や非国民の逸話、プロパガンダの話を授業で聞いた』のに、なんで『本当に平和は良いものなのかと怖くなりました』になるの?『戦時下』で起った出来事を教えられて、どうして『平和は良いものなのか』と怖くなるのさ?途中の文章どっか飛ばしてないかしら。
戦争は思ったことを思い続けて起こすものなので。
これも正直よく分からない。『思ったことを思い続けたから』戦争が起ると考えてるの?それって、どうしてそうだと思ったのだろう。
ここで問題なのは戦争自体ではなくて、非戦時下における個人の戦争への関わり方です。戦争をなくすために知ること考えることが大切だという意見には賛成ですが、その大切さをここでどう応用すればいいのか分かりません。
じゃあ、シンプルに、『何を知り、考えれば戦争を抑止・防止することに役立つだろうか?』って質問をすれば良かったんじゃないかなー。国際関係論とか、戦史とかに学ぶとか、色々手はあると思うけど。どうしてそこで内省的というか、どんどん内面の話にしていっちゃうんだろ。増田の戦争観というのは、何か非常に抽象的で曖昧なところに留まっている気がするので、もっと文章にして整理する試みをしてみてはどうだろうか。
元増田です。
「なにを思えばいいんだろう。」は私の癖の、自問です。変な道徳意識に捕らわれているかどうかは自分ではなんとも。
いろいろ書き方が紛らわしくてごめんなさい。
自分が戦争について思う考える語ることについて、良識の範囲内であれば他人からとやかく言われるのはそれこそ違うと思っています。言いたかったのは、考えたって結論のようなものに辿り着き得ないんじゃないか、どうしたらいいんだ、ということでした。なにも思わないわけがないはずなんですが、なにを思っているのか分からないというか、意識にのぼるのは(あくまで「私は」)なにを思えばいいんだろう、ということばかりで。
外側への配慮のように書きましたが、実際のところ、ほとんど自分で納得できないがためだけにこんなことを書いています。必要は二の次で。
なぜ納得できないのか、なぜ不安なのかと言えば、戦時下においての治安維持法や非国民の逸話、プロパガンダの話を授業で習って知ったからです。本当に平和は良いものなのかと怖くなりました。平和は大切だと教えられたのでそう思っていますが、戦争は思ったことを思い続けて起こすものなので。
知ることや考えることだけで問題は解決しないだろうけど、知ることも考えることもないまま問題が解決することは一層ありえないと思うので、知ることについて「どんなに誠実であろうとしても限界があるじゃないか」という発想の扱いには気をつけた方が良いと思う。「だから知ること・考えることに意味がない」にはならぬようにね。
ここで問題なのは戦争自体ではなくて、非戦時下における個人の戦争への関わり方です。戦争をなくすために知ること考えることが大切だという意見には賛成ですが、その大切さをここでどう応用すればいいのか分かりません。また紛らわしい書き方になってしまいますが、この場合まず何を知り考えるべきなのかが分からないわけで、意味がないとは言えないけれども、やはり無力ではないでしょうか。
そんな国家的な弾圧は起きないと断言したい。
だって、自ら率先して非国民を狩り出す「正義の志士」達がこれだけいるんだから、国家が「ファシズム」の汚名を負ってまでわざわざ自らの手を汚す必要なんて無いじゃん。
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1194324075/
★国歌で起立せず、国旗に背を向け 北海道文化賞受賞者 ・北海道教委が5日、札幌市内のホテルで行った北海道文化賞贈賞式で、壇上にいた 受賞者の1人の演劇演出家、鈴木喜三夫氏(76)と夫人が、国歌斉唱の際いったん 起立したものの、国旗に背を向けたまま自席に着席し斉唱に参加しないという一幕が あった。 (略) 式典後、鈴木氏は「先の戦争で多くの仲間が特攻隊として死んでいった。とても立って (国歌を)歌う気になれない」と語った。
この記事に対するレスを見るとやはり日本は右翼化していると思わざるをえない。
実際に戦争を体験し、その体験がゆえに君が代を歌えなかった人に対して
「ボケ爺乙」「日本から出て行けばいいのに」「こういう馬鹿は竹島に島流しでいいよ」
などという誹謗中傷が目立つ。
このエントリに対する、
http://anond.hatelabo.jp/20070707022857
kurotokageさんの応答に対して、再応答という形ですー。
http://d.hatena.ne.jp/kurotokage/20070709/1183911740
細かいところから、kurotokageさんのレスに対して、順を追ってレスをします。
全体に触れれるまで長くなりそうなので、というか長くなってるので、
気長に見てもらえれば嬉しいです。
長すぎて読めるかコラー!というひとは、スルーしてくださいスミマセン(汗
でも、最後の段落は読んでもらえると嬉しい・・・(好きな漫画の紹介です)
1.
対話の手法について語ることと、ネガティブ言及の両立について
>「他人の思いを汲み取ることが必要」といったような繊細な対話の手法について語りつつ、
>他人のセンスをバカにするような表現をおこなって
『ある程度、他人の気持ちを汲み取るのも大事だよね』ということと、
『いくらなんでも憎悪渦巻く表現が満載のバナー群がずらりと並ぶと、ヒクんじゃない?』
というのは、両立すると思う。
すごく短く言えば、そういうことで。たとえば
↓対話例
亜門「これはその法律とかに対して、よっっっぽどムカついたからやってんだよ」
たそ「うーん、そうなのかあ。丁寧に書いた方が伝わるんじゃないの?」
亜門「放っとけバーカw」
たそ「(`Д´)放っとくよバーカ」
こういう感じに、普通に対話できるんじゃないかな。
kurotokageさん、割とさっくり人の言及を『嘲う』みたいに評してるけど、
その言葉、当てはまらないと思う。こっちに悪意がそんな無いもん。
他人のセンスを嘲笑する(対話する気がないと思わせるほどの嘲笑具合)、っていうのは
もっとアレなやつだよ。
「こんな(ピー)は苦しみにのたうち回りながら(ピー)ばいいのに」とか
「(自主規制)」とか・・・
もっと『悪意が満載』されてるようなやつ。
こんな罵倒の場合だと、会話する気無いなこいつ、みたいなのがビシバシ伝わってくると思う。
そういうのは自分と直接関係ないものでも、見るだけで嫌気がさしてしまいそうだと思う。
だからこそ、
前エントリに挙げた関連例のように、
憎悪や悪意がむちゃくちゃ渦巻いてる様子に、ヒいてしまうようなことが起きる。
そこから感じる悪意・憎悪が凄いから。
で、こういう酷いのはできたらある程度否定されておいて欲しいんだけど
(完全否定じゃない、場合によってはアリかもだけど、敷居はそれなりに高くあって欲しい。)
じゃあ、『だからといってちょっとでもネガティブな要素の入る言及をしたらダメか』というと
違うでしょ。
そんなこと言ってたら、なんも言えなくなる。
これは『さじ加減、バランスの問題』なので、感覚を同一にしろとは言えないことだし、
油断するとすぐ極論にぶっ飛んじゃうので難しいです。
そんなわけで、ここが、kurotokageさんが極論に飛んでる点その1です。
(別事例を出して参考に書くと、
自分は、例えばmojimojiさんが『個人を対象にしたキーワードの件』で色んな人に対して示した、
あれほどの潔癖具合ではないです。あの感覚はすごく解る部分があって、何度もうなずいてはいたけど。
・・・で、一方、
“明らかに集団で弄り回す目的でキーワード作ること”に何の逡巡も覚えないほどモヒカンでもない。
なんかそこらへんに着地点があるんです。言葉にしづらいけど。
言葉にしづらいから、いっぱい喋って伝えようとしてる。)
それと、『度の超えた行為はやめた方が』、という言い方は、
特に身を慎みまくった聖人じゃないと言っちゃいけないってことじゃないよね、と思う。
自分について振り返ると、あまりそういう悪意むきだしにえぐい罵倒とかは・・・してないはず、と、
ひっそり思ってます。(そんなことやるとなんか損なうえにダメな気がするし)
→自分のブックマークコメント一覧 http://b.hatena.ne.jp/tasoi/
一応見てみてほしいです。
言行一致してねえじゃないか!ってところあったらツッコミください。
ポジティブネガティブ色々あるけど、一定ラインには収めてるつもり。
2.
コミュニケーションのやり方について
>単に自分自身の“感覚”とtasoiさんが共感する意見を並べただけ
うん、そうだよ。
感覚の問題だから、感覚を書く。
参考に見て欲しいから、共感した意見を書く。
そういうのが総じて、説明になっていく、と考えてます。
何か違う??
ちょっと、共感に頼りすぎてる?ぽいコミュニケーションの仕方かもしれないし、
いかにもアレで取っつきにくかったらごめん。
「これが好きだよ、これは少し嫌いかも、これはイイね、だからこういう風に思うんだよ、わかってくれ??」
っていう感じの話です。
>その感覚を共有しない私には「え?あ、そうなん…?」としか返すことができません
そんな感覚知ったことか!と言い切れる種類のものと、言い切れない種類のものがあると思う。
一番解りやすい境界線だと、自分オンリーの問題(前者)と、相手のある問題(後者)、とか。
あっさり全部、感覚を共有するギリは無え!的に切り捨てれるのが、ちょっと自分には意外だったり。
ここも、kurotokageさんが極論に飛んでる点その2。
3.
万人に○○なものは無い&どんなものも△△な可能性はある (←??? なんか既視感。)
>万人に好かれるものなどないのだから、どんなものでも常に“ヒかれる”可能性があるわけで、
>それを“程度問題”と称してして自分基準でバカにして良いものと悪いものを切り分けたとしても、
>到底同意はできません。少なくともその基準が如何に妥当であるかを主張すること無しには。
まず、程度問題っていう要素はすごくあるよ、断然として。
軽いブラックジョークなら許されても、無茶苦茶酷いブラックジョークは大概ヒかれるし。
その切り分けなんて、モロに程度問題だもん。
どのぐらいそういうニュアンスを含めるかという比率でも違うし、種類、質によっても違うかな。
(その説明は↓にも続きます。)
で、そういうのを総合的に見た結果だから、簡潔な説明が難しいんだけど、
今回の事例に則して自分の基準を言えば、
「相手を悪魔化しすぎ」
「一方的な解釈を前面に押し出してる比率が高い」
「善悪の判断を決めてしまう単語を入れまくり(改悪とかナチスとか現代版治安維持法とか)」
のようなもので自分は判断してると思います。
そんな要素の度が超えすぎてると、これはヤバいって思う。
憎悪に取り込まれてる印象を受けるから。
たとえば、右翼っぽい人の例で言うと
「人権擁護法案」「反対」とかのキーワードでググると、いくつも出てくると思う、
そういう類の人が。
kurotokageさんは、割とさっくり、万人に??なものは無い、とか飛んでるけど、
ここが、kurotokageさんが極論に飛んでる点その3。
4.
数の論理の取り扱い
>ある部分においてマイノリティーである私にとって、
>“数の多い意見が正しい”なんてのは到底受け入れることができません。
言ってないので多分知らないと思うし、興味とか持ってくれないかもしれないけど、
taso自身も色んな部分でマイノリティだよ。
性的趣味的出自的嗜好的、いろんなカテゴリのいろんな部分で割とオンパレードにマイノリティ。
でもあんまりそのことに、悪い意味での価値を置いてないというか、
「私はマイノリティだから、数の論理が許せない!」みたいな感情はあんまり抱えてなかったり。
(※ここの部分、最後の8でもっと書きました。)
量が少ないだけで、kurotokageさんの感情そのものは解るんだけど・・・ね、
自分もそういう感情一応持ってることは持ってるよ(だから、引用された文中にも、『言いづらい』と)。
感覚的なものは伝えづらいけど・・・
とりあえず、
>(たぶんだけど、多くの“一般人”も引いちゃうと思うわけ。言いづらいんだけど・・・)
の中の『言いづらいんだけど・・・』の部分の気持ちは、
できたら汲み取って欲しかったです。
(こういうやりとりで、感情とか心情とかそういうのまでちゃんと伝わるはず!と自分は信じてるけど
解釈に悪意が混じると大変なことになりそう。これについてはまた書きます。)
・・・で、話を戻して、
正直なとこ、数の論理って結構重いです。
でも。
それがもっと重要な論理とぶつかった場合、その重要な論理の方が優先されるし、
逆側から見ると、数の論理もある程度重要だから、ぶつかる側の論理も完全にそのとおりには通らない。
そんだけだよね?そういうさじ加減だと思う。
(学問的な領域での話じゃなくて、そのほか一般の領域の話。)
民主主義の根幹の部分に、話し合い&多数決っていう感じで数の論理“ も ”組み込まれてるんじゃないの?
今回、数のことも引き合いに出したのは、その手の憎悪渦巻く悪魔化バナーとか、同じく悪意に充ち満ちた解釈群が
いくらなんでも度を超してるんじゃない?っていうことを伝えるための、要素の1つだからです。
煽りとかツカミの部分にマジレス返してるだけになってるかもしれないけど、
(ここで、重要さってどう判断するんだよ!ってツッコミはもちろんあると思うんだけど、
なんでそこを細かく書いてないかというと、
そういう判断を明確にするには、実益とか数とか歴史的なものとか他倫理との兼ね合いとか、すごく色んなことを
意識的にしろ無意識的にしろ考慮しないといけないことなので、
文章にするととんでもなく拡散してしまって、書けないからです。
大概は、あうんの呼吸でそれなりに通じることでもあります。
今回は必要だからホントは書かなきゃいけないんだけど、そういう理由で、言い訳だけ書いてます。)
うーん、長すぎてややこしい。
よくネットでも話題になるような例を挙げると、・・挙げすぎるとややこしくなるかもだけど、
「表現の自由」っていう重要なものと、「人権を守る」みたいなのも、重要なもの同士がぶつかりあってる有名な例で。
その結果、あんまりな表現はほどほどに、でも基本的には自由も大事に・・ぐらいの玉虫色で収まってる感じじゃん。
kurotokageさんは、玉虫色って嫌いですか?
自分はけっこう好きです。
kurotokageさんが、数の論理への憎悪を持つのは別にいいし、何も言わないけど、
ほかの人にまで数の論理を過剰に低く扱うことを要求されると、困るときもあります。
長くなったけど、これがkurotokageさんが極論に飛んでる点その4。
5.
主張や宣伝の方法論について
>主張や宣伝はある程度声を大きく・印象を強くしなければ、誰にも聞いて・見てもらえません。
>しかし声を大きく・印象を強くすると、それに対して反発する人が必ず出てきます。
なんで??
ここはよく解らない。
声を大きくすること=>増大させまくった悪意で満載の主張をすること じゃないし、
印象を強くすること=>相手を悪魔化するような一方的な表現 でもないよ。
極論に飛ん(略)その5。
ひとつの方法としてあるにはあるかもだけど、デメリットだらけじゃないかな。
ワガママかもしれないけど、そういうのやって欲しくないし、やりたくもない。
ほんとワガママでごめんね。
ちなみに自分が好きなのは、ちょっと経緯とかを無視して出しちゃうけど、
http://d.hatena.ne.jp/meiwakoko/20070525
こういうのとかすごくいいと思うな。
>「経団連には興味ありません この中でニート、派遣、ワーキングプアがいたら私のところに来なさい」
6.
自分の思うさじ加減、方法論の続き
>ではtasoiさんはどのくらいの“バランス”が良いと考えますか?
関連しそうな例その1に出してる教育基本法の例で言うなら、
ダメだなと思うのは、
「相手がこう思ってるに違いない」と悪意満タンに勝手に想像力を働かせ、悪意見えすぎな弄り行為を(特に集団で)行い、
さらにその行為に対し、やってる集団の誰もが疑問に思ってないような状態。
そういうの見ると、うわこれはヤバいなと思う。
だから、
構図が似たような別の事例でいうと、
“「チョンどもは日本を乗っ取ろうとしている」みたいなレスが集団で溢れるような一部2chスレ”には
『なにこのキモイスレ?』ぐらいのことはバリ思うよ。レスするのはもう疲れたから、わざわざしないけど。
(一時期はマジレスちゃんだったこともあった。いまはそういうスレそのものがもうあまり無いかなあ)
で・・・、
そんなのに対して自分に出来ることは、そんな種類は多くない。
次は、スルーすること。
もう1つは、(これがイイ!と自分では思うんだけど)
イイと思うから蛇足気味でもこういうの書いちゃうんだけど、
『そういう嘲笑するネタになるようなモノを、
どっちかというと軽い文脈(・・・こう、さっくり受け流せるような文脈)にして回収して、
“中和・無毒化”してしまうこと。』
http://blog.goo.ne.jp/tasoringo/e/5aacd4fdb86a526aafcc73d59b1ad6ee
自分のエントリだけど、これの4つ目の最後のやつがちょうど・・・。
そういう感じの意図です。
(事実関係とかが間違ってたら指摘ください。すぐ直します。細かな事実関係は重要じゃないのですぐ直せます。)
こんなのが積み重なっていけば、そのうちだんだんいい方向に転がっていくんじゃないかと夢見てたりします。
書いたときは特に意識もせずに、“こういう風な感じでバランス取った方がいいな”とてきとーに思って書いたけど、
言語化すれば、自分の思ってることは大体こういう感じです。
ちょっと話が逸れたかもしれない。
7.
蛇足気味な部分だけど、いくつか。
まず、
価値判断のときによく使う、『いくらなんでも』『さすがに』っていう言葉は、
「レベル的にそこまで達したからこう言わざるを得ない」、っていうニュアンスだと思う。
「それに達するまでは、不適切ではあるかもしれないけど許容範囲だよ」、って意味も暗に持つ感じ。
なので本来は、「じゃあお前はどう思うんよ」と、ひとつひとつ聞かなくても、読みとって欲しかったかも。
>“謝罪に相当することをあえてやった”としか読めないので。
『これは言いづらいけど、言わないと伝わらない部分かなあ・・』と思ったときは
そういう風に書いてます。今回もそう。
その意味ではそのとおりなんだけど。。。あえてやった、とは似てても違う気がする。
>思うところをちょっと書こうかと思っていたのですが
せっかくなので是非書いて欲しい!
でも、あんまり悪く取ると、
「逃げるのはベトコンだ!逃げないのはよく訓練されたベトコンだ!フゥハハハー」
ってやつになりそうなので、気を付けないといけないと思う。
あ、tasoの書いてることで、そうなってる部分があったら言ってください。直す。
>たかだか100文字以下のブックマークコメントが“会話”と言えるのですか?というのは置いておいて
100文字でも一応頑張って考えて書いてるよッ
字数制限があると、その字数制限に挑戦したくなるんだよね・・・人間心理かな。
(ID:mindさんみたいな人は、上手くていいなあと思います。)
足りないときには、出来るだけエントリーとかコメントとかで補足したいなと思うし、
そういうときは、実際にそんなふうに実行してると思う。
今のこれも、それです。
8.
ここまで来たら全部書く。『マイノリティに対しての感覚』
↑の方で出たマイノリティへの感覚なんだけど、なんか書き足りてない、
引っかかりがあるので、
この際なので出来るだけ全部出します。
いきなり漫画のことで悪いんだけど、
「どうにかなる日々」(作者は志村貴子さん)
っていうのがあります。
(あ、エロ漫画なのでそういう表現もあるので見るときはすこしだけ注意です、たぶん大丈夫だけど)
オムニバス形式で、色んな人の色んな日常や心情を淡々と描く、という感じの漫画なんだけど、
その中のやりとりの1つ1つが、なんていうか、全体的にすごく素敵で琴線に触れる。
たとえば
その漫画の中で、こういう話があって
“幽霊”の見える女の人が、自殺した幽霊の出ちゃう格安の部屋を借りるという話で、
もちろん案の定、さっそく若い男の子の幽霊さんが見えるわけなんだけど、
幽霊さん「こわくないの?」
女の人「別に 見えるだけだし」
幽霊さん「見てしゃべってるよ」
女の人「見てしゃべってるだけだし」
幽霊さん「あーうれしいなあ」(大の字に、寝っ転がる)
女の人「ちょっと、そこじゃま」
こんな感じのやりとりが。
初めて読んだときは、この感覚がそのまんまソレすぎてすごく驚いたりした。
(同じ話に出てくる欠点?な部分もまんまそれぽくて怖いけど)
あと、他にもいっぱいあります、ゲイとかビアンとかAVとか思春期とかの話も、さらりとある。
マイノリティとかなんとか、そーゆーのに対して、だいたいこんな感じ。
わかってほしいなあ・・・
取り留めもなくなったので、ここで〆ます。
何かあったら追記するよー
改行の数を減らしましたー
こんなに改行が目立つとは思ってなかった。すみません。
ちょっと私的なやりとりに、この場をお借りします。すみません。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20070704/p2
ここでのやりとりがキッカケです。
まず、対話風に起こします。
===============================================================
kurotokage
「最近よく目にする。「思いを汲み取る」はむしろ相手に失礼、相手は対等(以上)でありたいと考えているだろうから。」
tasoi
「これモヒカンの理屈だと思う(´・ω・`)…それはそうと、このアレげなバナーは何なのでしょ?(汗 」
「>黒蜥蜴さん お互いに汲み取ってこそ対等と思うよ、程度問題だけど、自分は相手にそうされたいし、してあげたい。」
kurotokage
「「アレげなバナー」と他人のセンスを嗤うのは相互理解の手段ですか?>tasoiさん 」
===============================================================
↑このあたりのことについて、
内容が、重要ぽいものに関連していくと思うので(個人的かもだけど)、これを機に、そのことも合わせて書きます。
乱筆乱文、殴り書き状態はゆるしてください(`・ω・´;)
ハッキリと言っていいのかちょっと判断に迷うけど、
(具体例をズラズラ挙げて、「こういうところがアレげです」とやっちゃうと、角が立つ部分があるし(汗 )
うーん・・すこしだけ例を挙げて、取り上げます。
kurotokageさんのレスはやっぱり、会話のときの様々な要素の「程度の部分」を無視して、極論に持ってってるようにも見えるから。
まず、
“カーソル合わせたときの画像コメント + URL” で示すと、
>http://soba.txt-nifty.com/zatudan/0anime/kyoubouzaihatianijihou.gif
>植草氏逮捕は国策逮捕だな、3+10+10=23日超えて拘留だって?法的根拠は?言えるものなら言ってみろ(笑)バナー
>http://soba.txt-nifty.com/zatudan/0anime/abewoendodeabend17.gif
こういうのとかです。他にもある。
ズラッと並んでるこれらのものに対して、自分は、
さすがに こ れ は 無 い ・・・と思いました。
いくらなんでも、これはヒク ・・・って感覚でした。
人のセンスにケチを付けるみたいでほんと悪いんだけど(汗
(たぶんだけど、多くの“一般人”も引いちゃうと思うわけ。言いづらいんだけど・・・)
・・・「ヒク」「さすがにこれは無い」とか表現すると、ひどいかな?
傷ついたらごめん
でもやっぱし、ああいうのがズラッと並ぶと、
『 憎悪 の壮絶な渦巻きっぷり』に、すごく驚くし混乱するし、口がぽかーんとなる(´・ω・`;)
思想とか党派制とかそういうややっこしい次元の問題じゃなくて、
もっと、それ以前の部分での、違和感でした。
●関連しそうな話題その1
むかしの話題でごめんね、
『教育基本法「改正」案の本音バージョン』という話題が昔あって
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20061120/p2
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20061120/p2
>2006年11月28日 tot-main [ネタ] ネタはネタだけど粋じゃないなぁ。基の文が悪文なのにさらに悪文にしてもただの野暮だと思った。
>2006年11月22日 plummet [日本的なるもの] ここまでいくと直観的に“おぞましい”。大人しく言うと“野暮天”? 教基法改正案への“いじめ”みたいな。/いつ堕ちるかもしれない深淵への自省のためにあえてブクマ。タグは反意というか逆意。願望的かも。
>2006年11月21日 kmizusawa [教育基本法] そうそうたるメンバーが参加してすごいことに。遊びとわかっていても思わず引くなあ…
意訳すると「ここまでいっちゃうとさすがにヒクよ」みたいなコメントが幾つか付いてて。
自分もそれにすごく同意だったのです。
これが、7ヶ月ぐらい前のこと。
●関連しそうな話題その2
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070328/1175041542
ここで言われてることにも、超近い部分があって。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070328/1175041542
これが3ヶ月前のことぽい。
・・・・この2つの事例と、自分にとって同じような感覚でした。
説明がすごく長くなったけど、以上が、表題のやりとりや、関連した色んなものに対して感じたことの次第です。
最後に、言っておかなきゃならないこと。
目にとまったからという小さな理由で、わざわざ「このアレげなバナーは何なの?(汗 」みたいにケチつけたのは、
本題から逸れた余計な一言だったと思う。
ごめんなさい>D_Amonさん