はてなキーワード: 業態とは
※ツイッターからの流れで書きました。偶然ご覧になった場合は意味不明だと思いますのでスルーしてください。
では、昼間の河野さんの記事について、思うところを申し上げます。
「どっちが正しいか勝負しましょう」なんて気はありませんので、ひとつの意見としてお読みいただければと。
まず前提をいくつか。
1 ご承知とは思いますが、当該記事 marketingis.jp/archives/1594 の内容にのみ異議があり、河野さんご自身の人格や存在を否定する意図はありません。もしそう取れる発言があればお詫びします。特に河野さんが気にされたツイートは、確かに非難のニュアンスがこもったものになっており、あらかじめお詫びいたします。
2 ツイッター上では実際の知人友人もいらっしゃいますが、好き勝手なことを書きたいので、一応は匿名でやっております。「いや、直接連絡を取って口頭で」ということであれば、別途ご連絡申し上げます。
3 私は企業のサービス企画の人間で、以前はネット広告を担当していました。物書きではありませんので、文章の質についてはご勘弁を。また、ダイレクトマーケティングの経験しかありませんので、産業全体については私見を超える言及はできません。
以下、本文です。
まず、お気に障ったと思われる「終わった教」についてですが、もちろん、タイトルの「4Pの時代は終わった」についての言及です。
ここは批判というよりも反射的な嫌悪感がありました。
「○○は終わった」「これからは○○だ」「201X年は○○が来る」という言葉で危機感を煽ってコンサルだのセミナーだので稼ぐ方がいますが、反射的に「またか」と思ってしまったための言葉です。私は河野さんをネット上の断片的な上方しか存じ上げないにも関わらず、勝手にそうした類だと分類してしまったことは軽率で、たいへん失礼いたしました。
本文について。
私には4Pが終わったという意見(表現?)には同意できません。記事を拝読しても、終わる終わらないの問題ではないのではないかと考えます。
少し具体的に。
記事中で“ひとつは「バランスが崩れた」こと、そしてもうひとつは「Pが増えた」ことです。”と書かれていますが、この2つには違和感を感じます。
まずバランスについて。元々、4Pの要素間のバランスは均等ではないと考えています。
ダイレクトマーケティングでは商品が売れるための要素として「市場4:商品の良さ4:広告2」の比率であるいう考え方があります。ダイレクトマーケティングに長年従事してきた者としては、これは数値的にも実感的にも、実際にそうであると考えています。
通販的には、広告というのはあくまで受注を目指すものですから、4Pに置き換えれば、概ねプロダクトの方がプロモーションの2倍重要である、と考えられます。
他の業態を見ても、4Pがそれぞれ比較的等価に扱われてきたと思えませんし、業種や手法によって比重は異なるのではないでしょうか。
ならば、その比重の変化を4Pという考え方が終わる終わらないという話につなげるのは、少し無理がありませんか?
プライスの比重が高くなっているというご意見には異存ありませんが、安売り競争とは別の次元で成功する企業も少なくありません。
4つの要素の比重の変化そのものが当然であるならば、プライスの重要性の向上という現象は、4Pという考え方そのものの有効性には無関係であると考えます。
次に、セス・ゴーディンの引用に河野さんが加えられた「P」のリストですが、「Philosophy」以外は、従来の4Pを構成する要素のひとつ、あるいは4Pとは元々異なる切り口で語られていること、ではないでしょうか?
前者であれば4Pを深掘りしたことになりますし、後者であればそもそも4Pでは除外された考え方ですから、これらも4Pそのものの否定には繋がらないと考えます。
ただ、「こういう要素が重要だよね」という意見表明であれば、なるほどほとんど同意です。あ、ほとんどと言ったのは、全部について熟慮していない程度の意味で、一部同意できないことは意味しません。
ご存知でしょうが、マーケティングは色々な構成要素が複雑に絡み合っていますから、1つの切り口で都合よくすべてを考えることのできる方法はありませんよね? 4Pもそれらのひとつに過ぎず、終わった終わらないという意見は適当ではないと思ったわけです。
で、最近の「終わった」「来る」に辟易していたところに、河野さんの記事を拝読し、反射的に軽い気持ちで陰口を叩いてしまった、という次第です。
最後に。ツイートで言いたかったこととは離れますが、糸井さんの件も気になりました。
糸井さんの広告観ですが、「この広告でどれだけ売れたかとか、そういうことじゃない。俺と組んだら一回遊べるぜ、ってこと」(要約)という、広告そのものに価値を置いた考え方でした。これはなぜか10年以上前にプロレス雑誌に掲載されていた糸井さんのインタビューでの発言なので、ご存知かどうかわかりませんが。
こうした広告観に立てば、いま売れてます、というコピーは確かに広告の“文化的”な意味での衰退とも取れます。少なくとも糸井さんは楽しくはないことでしょう。
が、これがプロモーションの相対的低下を意味するとは思えません。だったら「いま売れてます」的なコピーでプロモーションすればいいし。嘘や違法は論外ですが、これまでのメジャーな広告手法が仮に力を失っても、他の方法はあります。企業の担当者や意欲ある広告会社の方は、そこに真剣に取り組んでいますよ。
電子出版だけれど、アメリカができてるからって日本でも簡単にできると思うなよ、と。
もうちょっと、ばかにするだけじゃなくて、日本の出版社の実情とかちゃんと理解してあげようよ。
まぁ今回の訴訟のような、言い訳とも言えないような見苦しい真似をされると、もうこいつらほうっておいて先に進みたい、と思う気もわかるけれどさ。
素晴らしい作品を作れる人のモチモチベーションは大事にしたいです。
津田さんあたりが「僕は裁断されても気にならないなぁ」って言ったってなぁ。
私は別に津田大介の本とか弘兼憲史の本がなくてもいっこうに困らないけど、東野圭吾が本気で本を書けなくなるのは困るんだわ。
彼らが納得して仕事できるように持っていくって目標を早々に切り捨てるのはもったいないでしょう?
あんまり拙速にやると、逆に出版社やメーカーが防衛意識で協力しちゃうかもしれない。
一昔前ののケータイ小説やら今のアニメみたいに「2話ごとに課金」とかが標準になって本より高いかねを払わされるみたいな方式になるのもいやだし、
「ユーザーが買わなくなるだけだろ」っていう意見もあるけれど、「価値のある作品」は少数なんだから、
そららを供給できる所が、出し渋り始めたり、値を釣り上げたらどうしようもない。
いくら他の本が安かろうが、電子書籍で出ていようが、読みたい本がどれもレベル低いとか興味から外れたコレジャナイのばっかりだと困るんです。
すでに本でも星海社新書とか双葉社の一部がひどい事になっていて、これは経営苦しいからその手の読者を掴みに行ってるんだろうなーと思う。
多分今急いで電子書籍はじめてもこういうところしか来ないと思う。
そもそも、今の電子書籍リーダーやらなんやらの普及率がアメリカと日本で違いすぎるでしょ。
スマートフォンの普及率を見て大言壮語してるんですかね? PCユーザーの普及率や利用時間とか見て「できる」と言ってるんですかね?
日本じゃまだ準備できてないよ。 ヘビーなネットユーザーは自分の体感で好き勝手にモノを語ってるけれど、全然無理ですよ?
何を根拠に電子書籍をやれと強弁できるのか、数字を根拠に説得していただきたいところですね。
作者型を情緒的で話しにならないとバカにするくせに、はてな民の大半が、データの一つも持たずに、情緒的に批判してるだけ。笑わせんなボケ。
あれ見てわかると思うけれど、バブル期ですら余程のことがないと成功しないよ?
出版社でもメーカーでもいいよ。今みたいなご時世に、しかも数値的には明らかに低い状況で、
リスクを取って成功する道筋をどうやって立てればいいのか言ってご覧?
今回の訴訟は馬鹿げている。それは間違いない。でもこの話はそこで終わりだ。調子に乗ってそれ以上ピーチクパーチク言ってんじゃねぇ。
そこから一足飛びにさっさと電子書籍にしろとか喚いてるバカを見ると頭痛がする。
確かな需要があるのにやりたくないとでも思ってんのか? 需要なんてないんだよ。
まだ無理なんだよ。バブル期ならともかく、先行投資すら出来る状況じゃないよ。
お前らがそうだからといって、大々的にそっちの流れに移行できると思ってたら大間違いだよ。自分がドマイナーだって認識を持てよ。
その前に「堂々と」こちらのテリトリー侵害をやられたら困るんだよ。おとなしく待ってろ。
ごめんよ。偶然そこに生まれてしまったんだ。農家の長男が偶然そこに生まれてしまったように。偶然に。
その事実を受け止めて商人として、生きていく道を究めることができたのであれば、商店街もそれを使う人たちもハッピーだったんだろう。
30年で街は変わってしまった。
渋滞していた中心地の道路はバイパスができて、渋滞は解消された。
実は渋滞は賑わいだったのだ。それがなくなったもの痛手だった。
それまでは、商店街に空き店舗ができるまでは、新たな出店ができなかった。
田んぼを埋めれば、それも容易になる。
新規参入者が恐ろしい数で増えた。
跡継ぎと呼ばれた子供たちは、街の変化をみて、どうするか身の振り方を小学生のころから考えていた。考えていなかったかもしれないけど、自然と選択肢は絞られていった。金がないからだ。
アメリカの大規模ショッピングセンターを見学に行った人、勉強会を開いて、ドラッグストア、コンビニという新業態を学んで、実践していった人たちだ。
この人たちは、その手の商売の研究をして、郊外に出て新しい商売を始めていった。
すでに20年前にはジャスコのような巨大新規参入者と地元資本として真っ向勝負をしていた。もしかするとすでに合従連衡の渦に巻き込まれたかもしれない。
その子供たちは、その背中を見て、それぞれ別の道を歩んでいった。
で、問題は残った人たちだ。
うまく立ち回った人たちは、商売を縮小して、土地と家を残した状態で廃業した。その子供たちは月給取りになって、街を出ていった。
何も手を打たずにうまくいかなかった人たちは、土地を家を手放すことになった。
どちらにしてもシャッターは閉まったままだし、空き地が駐車場になる。
あと、商店街というか旧市街地には、戦前の大地主の生き残りの人もいる。商業地は農地解放の対象とならなかったからだ。この人たちは、本業が地主なので、趣味のようにコミュニケーションの手段として店をやっているかもしれない。さらに土地持ちの人の相続が紛糾した場合、所有者が増えて、再開発は困難になる。
飲食や食品加工はそれなりに残りやすかったし、ただ仕入れた商品を売るだけの業態はなくなった。多少の技術がいる電気店みたいなのは、大手家電店の作業の下請けをやっていたりする。
育っていく過程で、衰退する状況にどう対処するかを考えたら、勉強して進学することも別の業態に対応できるように技術を身につけて別の職業に就くことは、順当な判断だと思う。
新しい道で生きていくよ。
http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1109/06/news064.html
出版社からスキャン代行業者への質問状を全文公開、潮目は変わるか
等々の反応が見られるわけだが、ここで合法的な自炊業者を作るにはどうしたらいいかと言う事を考えてみる。
なお
と言う意見は、権利者が「そんなもん許諾した覚えはねえ」と言えば終わりなのでその説はとらない。
というか件の質問状「依頼者に私的使用目的であると申告させています。」と言う言質を取って非許諾リストを送りつける前段であろうから近々破綻するだろう。また日本の著作権法はオプトアウトは不可である事も考慮が必要である。
自炊業者が合法的になるには
これは、とりあえずいろいろな法律家が頭を悩ませたがどうやら判例から言っても揺るぎそうにない。なので、私製複製の範囲をなんとかして広げてやることを考える。唯一何とかなりそうなのが
第五条の二
著作権法第三十条第一項第一号及び第百十九条第二項第二号の規定の適用については、当分の間、これらの規定に規定する自動複製機器には、専ら文書又は図画の複製に供するものを含まないものとする。
で、この著作権法第三十条第一項第一号及び第百十九条第二項第二号の規定と言うのは
第三十条 著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。
1.公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し、これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合
で、第百十九条第二項第二号はこの三十条の罰則規定になる。つまり、今のところ、図書については「公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器」でコピーする行為も私的複製の範囲に含まれるのである。
ただこの条項、文化庁のページにこんなもんが乗ってる(PDF注意)ように、書籍出版協会、雑誌協会は廃止したいみたいでロビー活動を実施中なんで下手するとどっかのどさくさに紛れて廃止されてしまう可能性もあったりするがそれはとりあえず置いておく。
するとどういう方法論が考えられるか、だが…素直に考えると、たとえば書店・新古書店の店頭に裁断機とスキャナとパソコンが用意してあって自分で読み込んで持って帰るのは合法だし、裁断済みを固定してレンタルしてるレンタルショップがあって、その店頭にスキャン装置を置くと言うのも、まま合法であると言う考え方になる。内容は全然違うが、書店の店頭にコピー機があるのと一緒だからだ。
実際には、裁断済みの書籍を、装置にセットしないと外れないクリップで束ねて貸すような業態が考えられる。
貸した書籍をばらばらにされると商売あがったりなので、クリップは特殊な構造にしておき、店頭に設置してあるスキャン装置に入れ、USBメモリなんぞを差し込んで書籍を挿入すると、後は装置が自動的にクリップを外して読み込んでデータをUSBメモリに書き込むと言う一連を商売にする。書籍は一冊数十円でレンタル、装置使用料は一回100円のような形にすればいいのではないか。コミックなんかは一冊数百円なので10回ほど回転すればいいとか考えれば全く楽な商売であるが、正直極悪、流行したら出版業界を根絶やしにするに近い事になり、出版社も対抗して儲けにならないぐらいまで価格を下げ、焦土作戦のような事を決行して日本の出版業オワタ、結局最後は焼け野原が広がり誰も幸せになりませんでしたと言う事は目に見えているので可能性としてはありだが実際にやる会社はなかなか出ないだろう。また始めた直後に訴訟を起こされて大変なのは目に見えているし、専用の装置の開発などある程度の初期投資が必要になるので、先駆になる企業はなかなか現れないだろうと思う。ただ一度合法になれば爆発的に増えるだろうが。
またこの形だと店頭に足を運ぶ必要がある。ではどうするか。
完全にオートメーションにしてしまって、自分で自動複製装置を操作して複製した、と言う建前にするのである。
自分で専用の箱に組み込んで送ると、現地ではそれがラインに投入される。ラインの中では人の手を介さずに自動的に全てが処理され、データはレシピ通りに本人の所に届く。トラブルがあった時は多少人間が関わってもいいだろう(装置のメンテナンスをしていると見なせないか?)
ただこれも一つ無理があって、宅配業者がどうしても間に入ると言う事だ。たとえ宅配業者が投入した後ラインが自動的に処理するように作られていたとしても、宅配業者が自動複製装置への投入を代行したことになってしまうのではないかという事である。なかなか厳しい。
また多種多様な本、完全なんて無理にしても、多くを自動処理なんてできるのかといえば相当金をかけても難しいと思う。
と言うわけで、この抜け道だと宅配型のサービスは不可能である。
また店頭型もやり方を誤るととんでもないしっぺ返しを食って大変なことになるだろう。
次に著作権者に許諾を取る方向を考えてみる。許諾さえとれればいくらやっても問題は無い。
まずは「そんなことが可能なのか」という話から入る。
今回の記事
http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1109/06/news064.html
にもう一度注目して欲しい。賛同しているひとがずらずらと並んでいる。しかし。これは出版社や出版点数に対して、決して多くはないのではないかという印象を抱かないだろうか?
私は自炊という行為についても、きちんと紙の本を購入している限りであれば、賛同する出版社や者は多いのではないかと見ている。
そういった事を期待して、
許諾の形式を柔軟に
と言うのと
と言った形で段階を選べるようにしたり、多少たりとも権利者にバックがあるようにして、権利者は一度売った権利でまた金が得られるようにしておけば、かなり許諾はとれるのではないだろうか。
これは大変地味な作業だ。特に当初は大変である。ただ許諾を得たなら、それだけで大変な武器になるのは間違いない。まただんだん一般的になって行き「あの作家の本は自炊サービスを利用出来ない」と言った話が広まれば圧力になりらだんだん楽にはなるだろう。
また、必要であれば
http://www.bunka.go.jp/1tyosaku/c-l/index.html
著作権者不明等の場合の裁定制度
もできる限り利用していく。はじめは行政の壁があってなかなか大変だろうが、大量に出していけば行政も対応せざるを得ないだろう。少なくとも著作権法を改正させるよりはよほど現実的な対応だ。
従来は書籍名で管理すると、完全に真っ黒の商売なので変に突っ込まれることからそういった管理は限定的だったが、このようにデータベースにすれば、書籍ごとに(著作権者への権利支払い料金も含め)価格を設定することもできるかもしれない。
そしてデータベースはWebで検索できるようにしておくほか、依頼があった物は一つずつ検査をして許諾有り無しを仕分ける。
あるいはお客が領できる許諾判別サービスなどを利用して、そこでチェックしてリストを添付させるなどとすればいい。誰の家でもある日常の道具、バーコードリーダーがつながるようにしておけば照合作業も楽に出来るはずである。チェック漏れや許諾がない書籍については実費で返却と言う事にする。
価格は従来の非合法なサービスよりも高くなるのは間違いない。しかし、許諾を受けて合法であると言う錦の御旗を掲げれば、利用者もなんのひきめを感じることなく堂々と利用出来るし、また、その効力でそれ以外は非合法と言い切る事ができる様になる訳である。
ユーザとしては、すべて丸投げすることはできなくても、これで多くの書籍が一度に片付けばかなり便利なのではないか。抜けた奴は自前でスキャンするか、スキャナのレンタルサービス、自炊スペースなどを利用する方法である程度カバーできる。
やはりサービスで一番難しいのはなんと言っても著作権者の許諾である。なので結局ぽっと出のベンチャーがやるのはよほどの後ろ盾がない限り難しいだろうなと思う。
だいたい一年の2/3をバリバリと仕事し、のこり1/3を鬱状態で死にそうになるということをここ4,5年くりかえしてきたが、今年も6月の半ばから撃沈してしまった。
鬱の時に何がしんどいかというと、まずもって仕事ができなくなる。仕事がしたい、やりたいことや夢があっても、現実的に身体が、心が、動いてくれなくなる。僕の場合、メールが読めず、書けなくなる。メールの受信箱さえ開くのが怖くて指が震える。フリーランスで仕事をしているかたならどんな業態でもご存知のとおり、人のつながりがビジネスの基本。結果、日々メールや電話に追われるのが常態になりがち。今年はツアーとコラボレーションの制作・プロデュースがあって、アーティスト、会場、オーガニゼーション・パートナー、関連機関etcとコミュニケーションで忙殺。これで心がすりきれた。なんとかプログラムが無事いい形で終了できたのはもちろん良かったけど。
鬱というのはある意味ストレス耐性がゼロになってしまうと考えるのが分かりやすい。私たちは日々の生活でつねにストレスを浴びている。朝起きて、仕事いかなくちゃーと思ったり、ごはんたべよーかどーしよーかーと逡巡したり、買い物にいって店員にいらっとしたり、とか、そういう『どーでもいい普段は気にも留めないこと』からもストレスを実はもらっていて、健康な時は耐性があるからそれに立ち向いて(構えていないけど)、適当にやりすごしている。鬱になるとこれが全くできなくなる。
何も出来なくなってしまった自分を忘れよー忘れよーとしてアルコール中毒に沈んでいく人の感覚が痛いほど分かる… カフェインも危険!カフェインレス・コーヒー(チコリ)で逃げるのが良い。
別にこれといって言いたいことがあるというわけではないけど。
婚約を解消した…
それ自体は、いろいろ2人の問題があって、まぁ仕方ないかなと思っている面もあるので、
それはおいておくとして。
いま、別れてみて想定していない部分で不自由を感じている。
原因はいろいろと考えられるが、集約すると
・コミュニケーション全体の大半は、メールやtwitter、ネトゲのチャットで済ませていたことに気がついた。
・フリーランスで、業態的に、営業段階以外では、ほぼメールでの連絡で済ませる事がでること。
(これまでは非常に楽だと思っていた)
彼女と付きあう中で、会社を辞めてフリーランスとして独立したりしたのであまり意識していなかったんだけど、
会社員時代に日常生活で強いられていた会社やクライアントとの会話が皆無になってしまったんだなとようやく気がついた。
フリーランスの人って暇そうだし、コミュニケーション取りたがるなぁと思っていたけど、
日常に会話がないっていうのは相当ストレスなんだろうなと理解できるようになった。
自由はいいなと思っていただけど、それも特定の人にコミュニケーションを依存できてからなり立っていたのだとも理解した。
これ以上この状態が続くと営業フェーズに戻ったときに滑らかにしゃべれなくなりそうなので、
カフェの店員さんともいつもより1~2言コミュニケーションを取るようになったりしてる。
ふと思い当たったフシがあったので、新しい業態を想像してみた。もしも実在していて、その関係者がいたとしたらいまさら(笑)とかいわれるんだろう。
何かの作品に対するファンが自発的にファンサイトを作る前提とする。そのアピールのためにサイトを作るようになる。
そのサイトがどのくらいあるのかを数を数えたり、リンクマップを作ったりするとファンサイトの全貌が明らかになる。
この業態にとって、SNSやブログの貸し出しによる囲い込みは好都合だ。
サイトから見える見た目はそこまでだけど、SNSで繋がっているとかメッセンジャーで繋がっているとか電話番号を交換している仲だとか、IPアドレスから住所を調べるだとかして、できる限り個人を特定しておく。仲良くなって年賀状とかお中元とかお歳暮を送って調べてもいいよね。
このお前のことは知っているんだ的な事実の突きつけは、抑止力になると思う。ただただ純粋にファン活動を楽しみたい人にとっては怖い。
即売会で組織的にすべての小間で全種類買いまくっている人がそういう調査の人だととしたら、怖い。そこまでして目立たなくてもいいと思う人は多いだろう。
そうこうしているうちに誰に情報を与えると有効にリンクがつながっていくかがわかってくる。
そこが情報の上流。上流から流した情報は少しずつ広がりながら下流に流れ、情報の海へしみわたる。
いくつかの情報の上流を押さえたら、そこから一斉に情報を流すと下流で情報が合流したときは大きな流れになっているかもしれない。
もしもマーケティングの達人と呼ばれるような手練がいるとしたら、このくらい緻密なことを考えていてもおかしくない。
緻密なマーケティングの結果、盛り上がったのではなくファンサイトの自発的な盛り上がりがすごいという評価が世の中の評価になれば、仕掛け人的には最上級の成功だろう。近江商人の理念である「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」につながっていくように見える。
同好の士として近づいてきた人が、実は何かの組織の息のかかった「何か」だとしたら、気味が悪い。
あるとき急に羽振りがよくなったときを境に豹変しちゃう人もいるかもしれない。
そのような人間関係が発露することはまれだろう。きっとうまくやっている。
流通の末端で、作品を受け取っている人間にとっては関係のないことなのかもしれない。
起きてみたら意外と伸びていたので(自分では予防線を張り巡らせていたつもりだった)、多少補足をしておきたいと思います。
身元がバレると嫌なので書かなかったのですが、自分の行った歓楽街は全国的にも風俗店の相場が安くて有名だそうです。
思い立ったが吉日、の勢いで退社してそのまま突撃したので、参考にしたのはコンビニ売りの風俗情報紙だけです。
これによると、この街での相場は、「高級店は2万6千円~、上級店は1万8千円~、(以下略)」とのことです。
自分の行った店の場合は、システムがちょっと複雑なので(「入浴料+指名料+α」という形らしい)、具体的な金額はわかりませんが、どうやら通常だと2万数千円はするところを、時間限定のクーポンで1万6千円、という扱いだったようです。
実際、サービスの感触としては、入店から退店までの待遇を総括するに、少なくとも並以上ではあったのかな、とは思います。出迎えやら内装やら服を脱がせてくれる行程やらを踏まえるには。もっともこれも、それぞれの歓楽街によって基準がまちまちのようではあるので断言はできませんけども。嬢についても、容姿は好みでこそありませんでしたがそこそこの美貌ではありましたし、テクニックも拙さを感じさせるものではありませんでした(これこそ初心者に何が分かる、という話ではあるのかもしれませんが)。一応、本番までやらせてくれたのですが、これは先に童貞だと伝えていたためにサービスで練習させてくれたのかもしれません。
それから、必死になってるみたいなので何なのですが、この情報紙には「XX(地名)ソープの中でもハイレベルと名高い同店のサービス」とも書かれています。もちろんこれがどこまで信用できるものか、風俗初心者の自分には判断がつきませんけども、どうせならそれなりの店に行ったのだと認識しておきたい、とこれは矛盾しているようではありますが、自分の素直な思いではあります。
忘れていました。エイズ含め、性病のリスクには注意していきたいと思います。
コンドームつけてたし大丈夫だろう、と思いたいところですが性器ヘルペスのように口から感染する病気もあったんですよね。
ご指摘ごもっともだと思います。この文章は童貞をこじらせた自分が、自分を守るために書いている節がありますから。
最近は本番ありのソープよりも、手軽に利用できるヘルスやマッサージやおっぱいパブと(まだまだ色々あるらしい)、簡易的な方向に業態がどんどん分化していっていると聞いていて、実際風俗情報紙にもソープ以外の店の方が多く紙面を割かれていた。利用してみて納得したのは、実際ここまで手順踏んで一通りのサービスを受けるのは面倒なので、ピンポイントに自分の「ツボ」を突いてくれるサービスの店に行って抜く方が、日常生活の一環としての風俗利用としてはラクなのだろう、ということである。正直、アナルだけ責めててくれれば(以下略)。そしてこのことは、個々の利用者が自分の「ツボ」をある程度認識していることを前提として当然要求するのであるから、AVをはじめとするバリエーション豊かなポルノメディア市場の発展、および以前はレンタルビデオ屋、近年ではインターネットを通したその低コストな普及あってこその現状ではあるのだろう。嬢も「ビデオとかばっかり見すぎて間違った知識を身につけちゃった人が結構来る」と言っていた(これも噂に聞いていた通りだが)。
それから、視力の悪い人はあらかじめコンタクトレンズを装着していくべきだと思った。眼鏡を外したら至近に寄らねば女体も何も碌に見えず、ちょっと損した気分である。
初めて風俗に行ってきたので考えたこと、感じたことをつらつら書いていこうと思う。
以下感想。
※ブコメで頻出している「1万6千円って安すぎだろう」という突っ込みに対する応答も含め、補足を書いたのでそちらも参照してもらえると幸いです。
どこの駅前に行っても似たようなアーケードで似たような店が並んでただけで、
歴史と言っても、殆どの店は長くてもせいぜい50年くらいしか歴史がない。
それこそ昔は、駅前に個人商店が集まってるわけでもなく、住宅街の中に酒屋も八百屋も魚屋も点在してて、
仕事も自宅近辺でやってたわけで、みんな自分の住む町内で生産活動も消費活動も完結してた。
「駅前商店街」という業態は、鉄道が整備されて地方から都会へ通勤することが当たり前になった時代に、
鉄道の客を目当てに計画的に作られた商店街であって、元々そんなに古いものではない。
そもそも計算機システムにできて紙の台帳にできないことなど存在しない。存在しないんだぞ。なのに何故人は計算機システムを作るのか。それはオートメーションのためなのであり、奴隷的使役から人類の尊厳を開放して、この地上に楽園を築くためである。まあそこまで大上段に振りかぶって普段から考えてる輩はいないにせよ、システム構築とは楽をするため、豊かな人生を実現するため、誰かの幸福のために行うものだ。違うか? じゃあなぜシステム構築と運用をやるんだ?
翻ってSIerでのシステム構築はどうかといえば、これは不幸でしかない。SIerの不幸はあげればキリがないから、マネージャが技術に全く無知だとか、プロジェクト管理方法が狂ってるとか、マトモに技術情報を収集するプログラマをほとんど全く欠如するとか、あるいは「ExcelとWordしか使えないエンジニア」が一定数いてこれが老害になっているとか、まあその程度を列挙しておくに留めるが、ともかく様々な原因により、SIerに発注することを選ぶとトラブルが出た際メンテナンスがとても困難になる。もちろんトラブルのないシステムなど(少なくともハードウェアが必須なコンピュータを使う以上)ありえず、たとえシステムがユーザーの負担を減らしたとしても、そのぶんSE(と呼ばれるSIer所属のサラリーマン)が背負ってるだけに過ぎない場合が多々見受けられる。それは要するに搾取対象が移動しただけなわけで、全体の幸福の総和が上昇しないようなものの存在を、我々はけっして赦してはならないのだ。
すでにSIerによって構築された既存のシステムを今すぐ根絶やしにするのは難しかろう。過去にそれらが果たしてきた歴史的役割まで否定するつもりもない。しかし今、この瞬間にも意味もなくSIerに発注され続けているシステム。なぜSIerに発注する必要がある? ないはずだ。ないはずなんだよ。ちゃんと調査すれば自社エンジニアとか、ひょっとしたらフリーランスの数人をチーム化するくらいでも用は足りる場合がほとんどなんだ。SIerは捨てろ。これ以上SIerの業火を背負うな。未来に禍根を残すな。少なくともSIerが作るシステムを諦めをもって受け入れる時代は、我々の世代で最後にするべきだ。体罰の伝統じゃないんだから。我等の子孫にSIerのない明るい未来を。そう願ってやまない。SIer死ね。
このエントリは cpanm Devel::REPL が完了するまでの待ち時間に、以下のエントリから絶大な示唆を受けつつ書きました。このエントリはすばらしい。
卜部昌平のあまりreblogしないtumblr - どうも周知徹底が不足しているようなので再度のお願いとなりますが、C死ね。
by tagomoris
飲食店経営って究極に難しいビジネスだよね。特に小規模飲食店。
これだけ努力して素晴らしい店になったとしても、飲食店の場合は小売と違い、座席数(=回転時間)や調理時間が律速条件になるので、「飛ぶように売れる」「ばんばん儲かる」というのが難しい。休日も週1日か無休が原則。
飲食店業態って、他業種で成功した人が参入してきてもうまくいかないケースが多いと聞くけど、そりゃそうだろうなーと思う。これ全部に注意を払わないといけない業種って他になかなかないよ。焼肉屋えびすの社長みたいなギラギラ系起業家も、きっと別の業態を選べばそこそこ成功していただろうね。
節電という話が出てくると、こうやって24時間営業のコンビニを槍玉に挙げる人がいるけど、
コンビニの業態が24時間営業で成り立っている以上変えることはまず無理なんだよね。
・店内照明の電気代削減
というのが代表的だと思う。
ざっと挙げると
・納品・ディスプレイ・掃除といった作業を客の少ない時にできる
というのが代表的かな。
深夜のコンビニの客数は立地で大きく変わるから一概には言えないけど、
深夜(22時~5時)の売上は1日の売上の20~30%を占めることもあるので、
決して客数は少なくない。(さすがに2時~4時は少ないが…)
とりあえず何が言いたいかというと、
コンビニの24時間営業にはメリットがあり需要もあるということ。
既存の体系と違うのは確かだけど、
それを前払いと言っちゃったら本筋と違う所で議論が紛糾するよ。
NTT東西とNTTコミュニケーションズやNTTドコモは、いずれも母体を同じくする電話会社だけど
全くニュアンスが異なる。
Jコミも講談社などとはそのくらいニュアンスが異なるんじゃないかな?
そしてJコミが全く新しい業態である(と仮にJコミ自身が思う)のならば、
同業他社が現れるまで、「Jコミの業種=Jコミ」で通せばいいと思うよ。
ファミコンもさ、家庭用ゲーム機とか何とか言いようはあったけどさ、ファミコンじゃん。
いずれにせよ。Jコミの売りは既存出版社との差別化からしか生まれないんだから、素のまま出版社を名乗っちゃダメでしょ。
せめてせめて電子出版社とか、新たな形態の出版社とか、そういうので。
(楽天銀行とかのネット専業銀行を金融庁公式の用語で、新たな形態の銀行という。それの模倣)
非営利組織だって維持費や経費は取る。でも非営利。そういう意味なんじゃないの?
意に添わぬ形でも構わず広められ、勝手に押し付けられる知名度と、
そんな事とは全く関係なく「新刊を発表したい・読みたい」需要はある。
誰も言わないことだけど。
私大の名声や地位を上げてきたのって東大に落ちた早慶生を筆頭とした国立落ちがメインでしょ。
極端な事を言えば数学0点が早稲田に行き、国語0点が慶應に行く。
私大専願って入試に出る科目以外は勉強しないから入試科目以外はFランク大学生並みなんだよね。難関国立大学生はこんなことないけど。
私大専願は被差別対象だったのに私大専願よりも学力がない連中が大学に進学するようになっちゃった。
今後、私大生は学力が担保されてない、使えない馬鹿だらけになります。
一般入試枠のうち、私大専願がジャンクなのに、一般入試未満のジャンク人材枠が広がってるんだから使える人材を探すほうが難しいよね?
国立落ちで駅弁生に引けを取らない学生を難関私大から探すより、難関校じゃなくても国公立大学生を優先させるように社会は動いていくでしょう。コストがかからずに済むから。
国公立大学受験生は落ちて私大に行くぐらいなら中期日程後期日程でどこかの国公立大学に行くように考えが変わり始めている。
偏差値低い高校では基礎学力ないけど授業態度とテストの成績が良い学生が指定校推薦枠を使う。
偏差値高い高校では基礎学力ある人間は指定校推薦枠を利用しないから、どこの大学にも引っかからないような落ちこぼれが指定校推薦枠を使うw
通常、複数を殺害していると確実に死刑になるが、今回は、被害者の一人が風俗嬢で、加害者に貢がせていた可能性があり、痴情のもつれから発生した殺人事件である可能性が存在した。また、もう一人の被害者は風俗嬢の祖母であることと、同時に殺害されている事から、痴情のもつれに一方の立場で介入したと考えられる。
殺人行為は行為として罪に問うべきであるが、被害者二人の側にも、痴情のもつれを悪化させる行為があったと考えるべきで、相殺が働く余地がある。
被害者が風俗嬢で無ければ、そして、貢がせていたという形跡が無ければ、間違いなく死刑になったであろう。
それにしても、30分2700円の耳かきサービスを、休日には7,8時間という長さで指名し続けて、耳かき嬢を売り上げナンバーワンにしていたというのは、キャバ嬢に貢いで、あわよくば店外デートに持ち込んでというのと、同じ考え方だったのであろう。
不要なサービスを買い続け、買わせ続けていたわけで、それだけの外形がある以上、風俗嬢として多少の店外サービスをやって幻滅させていれば、殺人事件にまでは発展しなかったのではなかろうか。
被害者の耳かき嬢には、風俗で働いているという自覚が無かったのであろう。
風営法の指定外の業態だから風俗嬢じゃないという考え方は、お金を出す側には通用しない。耳かき店側もケツ持ちをちゃんと使って耳かき嬢に因果を含めなかったことが事件に繋がったのだろう。
んー、俺は元来飲食店やりたかった人だったから。
大学時代もずーっと飲食店で修行してて、それでもいきなり自分の店を持つ資金は到底なかったし
そこそこ勉強が得意だったんでリーマンになったりとかもしたんだけど、
リーマンになって二年目くらいで「出資してやるから店出せ」って人が現れて、そこからやってみた。
業態として儲かるか、ってのは結構度外視だったなぁ。それでも、出資者にも損はさせずに済んだ(序盤二年は非常に儲かってた)
から良かったと言えば良かったんだけども。出資分はお返し出来たし。逆にここで資金をしっかりプールしておかなかったのがまずかった。この一年半の経営の激変に耐えられなかった。もう少し踏ん張ることも出来たけど、ここで引かないとマイナス領域に突入しちゃう感じだったからなぁ。
経営激変の理由は、単純に「人の通りが変化したから」だった。常連さんが残っても、毎日フラっと入ってくれるお客さんが大きかったんだね・・・。
なんで飲食だったか、と問われれば「やりたかったから」としか答えられないよ。
オーナーは「もう一回やれ」と言ってくれてるけど、今はちょっとそれをする気力がない。
全盛期は二号店三号店の計画まであったんだけどねぇ。
まぁ、あと一ヶ月くらい休憩してもう一回出資して貰ってリトライを目指すか、それとも勤め人に戻るか決めようと思う。
ただ、ロクな職はなさそうだよなぁ・・。どー考えても。
近場に旅行にでも行きたかったけど、なんとなく時間が過ぎてしまった。
しかたなく北千住に行ってみる。
プリンアラモードについての記事で成城石井のプリンがうまいって書いてあったから、それを食べてみたかった。
だが、実際に成城石井に行ってみると該当のプリンは置いていないようだった。
よく考えたら成城石井の惣菜は地域によってかなりラインナップが異なる。
納入業者が違うんだろう。そりゃそうだ。成城石井はたぶん各地の小さなお店から卸してもらってる。
コンビニじゃないんだから大規模にやってたら鮮度を維持できないだろうし。
とりあえず売っていたプリンを買ってきて食べてみたのだが、ごく普通のプリンだった。残念。
それとは別に、北千住に来てみるとお腹が減っていて、お腹が減っているせいでかなり気持が落ち込んできた。
最近食べていなかった魚を食べることにする。
マルイの9階でうろうろして、以前も入ったことのある「泊船」というお店に入ることにする。
ごく普通の料亭風和風居酒屋なんだけど、ランチのクオリティは高い。
北千住マルイの9階は和風の料理のほうがレベルが高くて、洋風の料理はなぜかファミレス風になってしまう。
ファミレス風のまずい店のほうが明らかに客が入っているのだが。
洋風の食事のほうにみなさんは飢えているのかもしれないな。
オレは飲食店でのバイト経験はあるが、まったく飲食店をやりたいと思ったことはない。
あれは大変な上に地味な仕事で、毎日同じことを繰り返さなくてはならない。3ヶ月もやれば飽きてしまう。
そういう現実を知った上で店を開きたいというならば、増田の意欲は買えるように思う。
(失業しているオレ個人の状況を考えると現状維持を勧めるべきなのだろうが)
彼女にも収入があり、彼女の両親を説得できるなら飲食をやってもいいんじゃないか。
ただし、飲食業はうまくやらないと競争が激しい。事前に立地や業態についての入念な調査が必要。
それだけの労働に耐えられる体力があるならやってもいいのかも。
人間が好きでないとやってられない。
飲食ならあらゆるタイプの人を相手にする。
どんな人とでも仲良くできるような性格のほうがいい。
(小さい店は地域のおじさんおばさんの集いの場所になりやすい)
できるかどうか自信がないのであれば、休日にでもしばらくどこかで働いてみたらどうか。
バイト禁止であれば知人にでも頼み込んで無給でやるしかない。