はてなキーワード: 東京弁とは
きっかけは些細なことで、本屋で大阪弁について書かれた本を立ち読みしてたら、大阪出身である著者は若い頃東京の大学に入ったとき東京の言葉が気持ち悪くて全く馴染めなかった、みたいなことが書かれていたこと。「東京の言葉が『標準』で関西弁はじめ地方の言葉は『訛り』」みたいな感覚が当たり前だったから新鮮だったし、興味を惹かれた。
それ以来東京弁という言葉についてなるべく先入観抜きで考えるようになったんだけど、いつの間にか「東京弁ってなんか田舎臭くないか!?」という疑念が膨らんできた。反対に関西弁にはなんだか都会的な雰囲気を感じるようになってきた。
なぜそう感じるのか、その理由について自分なりの仮説を書いてみたい。
関西弁は基本的に、その時代時代の都(平城京とか平安京とか)の言葉が周辺に伝播するかたちで形成されたものだと思われる。当時は大都市というのは首都ぐらいしかない。つまり都市の強い影響の下で形成されてきた唯一の日本語なのではないか。
言葉は常に変化するものだけど、都では代々都市で暮らしている人たちの生活感覚の中から生まれる、都市生活者の感覚にマッチした表現が定着していくし、そうでない表現はすたれていく。たとえば、人口密度の高い都会ではコミュニケーションにトゲがない方が都合がよい。だから言葉のサウンドが柔らかくなる。東日本でいうところの「じゃ」「だ」のような音は関西では子音や濁音が省略されて「や」になっているし、東で「〜っつって(と言って)」「買った」というところを西では「〜ゆうて」「こうた」というように、やはり子音や促音が避けられ、半母音や長母音になる傾向がある。この方が音の響きとして角が取れているし、反対に関東弁や東北弁はゴツゴツしていてがさつな印象を与える。
あと、直截的に表現せず、遠回しに伝えるやり方(「ぶぶ漬け」が実話かどうかはおいといて、ああいう話はその象徴だと思う)が発達するのも同じ理由かも。村上春樹(関西人)が雑誌のインタビューで「関西の人は十言いたいことがあったら五、六ぐらいだけ口にするけど、東京の人はそうじゃないからはじめはびっくりして、なんだここは、とおもった」と言っていた。
で、一旦「東京弁が標準」っていう思い込みがなくなって、「東京弁というのは単なる関東方言のひとつで、言葉それ自体に都市性が含まれてる日本語は関西弁くらいしかない」ぐらいの認識になると、「おめーふざけんじゃねーよ」「これまじすげーじゃん」とかいう東京風の言い回しがやたらダサく田舎臭く聞こえてきて困る。でも東京にしか暮らした事がないから東京弁喋るしかない。
では、世界最大の大都市であった江戸の言葉もなんらかの「都市生活的要素」を含んでるかというと、結果としてそうなったとは思えない。江戸の言葉がそうなったのは、逆説的だけど江戸が世界最大の大都市だったからだと思う。京都が中世の都市なら江戸はまあ近代都市というか、地方から人が流入して人口が爆発的に増えた。つまり、都市生活者が新しい表現を生み出し、その表現が定着して行くよりも遥かに速い勢いで、地方の農村から人が移住して来てめいめいが地元の言葉を持ち込んだので、結果として都市的な性質を獲得する事はなかった。そしてその流れは東京遷都と高度成長でさらに加速された。東北関東甲信越から農家の次男坊三男坊が大挙して上京してきたから。
東京は物質的には巨大都市だけど、言葉の文化でいうと「巨大な農村」なのかなと、そんなことを思うようになった。だから関西人がテレビで無理して東京弁喋ってるの見ると、なんだか妙な気分になる。わざわざそんな田舎臭い言葉、使わなくても。
怒るっていうか違和感を感じる。
「ひ」「し」が混ざるとか「ざます」っていうのは誰もが認める代表的東京弁だと思うけど、おそらく今の東京の若い人がしゃべってる言葉はそうではないので「自分たちは東京弁ではない」って意識。
元増田の気取ってる東京弁の話者の代表的な例を誰もあげてないし定義が不明確すぎて。方言=伝統的、定義が確立されたものってイメージもあるし。
埼玉とか周辺の地域の人としゃべっても言葉の違いは感じないし、それを東京弁と言っていいのかなぁというか。
その地域で共通に話されてるものを○○弁というなら
標準語と共通語の意味は一緒だよ。「共通で使っているにすぎないものを『標準』と呼ぶのは傲慢である」という認識から、「標準語」という言葉は「政治的に正しくない」言葉となったので「共通語」と呼んでる。従って、「○○弁」が「○○一帯で使われている共通語」という意味であり、かつ「東京で使われている話し言葉」を「NHKで日本全国共通で使われている『(日本)共通語』」と区別して呼ぶとすれば、それは「東京弁」とするのが妥当と思う。
…というと、怒るんだよね。東京の人は。
よく分からん。
ちょっとガサツなべらんめい調なしゃべり方ね
「~じゃねー」とか「めんどくせー」とかそういうの東京弁だよ。
西では、「~ちゃうし」だしね。
「~じゃねー」とか「めんどくせー」とかそういうの東京弁だよ。
名古屋はほんと他人に見せるために、っていう文化が強い気がするよね。
東京も結局そうじゃん。
つうか、東京コンプレックスって実は北関東から東北が最強だけど、いつか東京へ出たいって考えがあまりに自然すぎる地域だからフィーチャーされないんじゃないの?
要は関東からして関西の文化が異端だから関東地方で揶揄されるんでしょ?
関西人は関西の文化が好きなので、東京に興味を示さない人が実際は多いし、そのことへのやっかみで関西人がまた責められるんじゃない?
ほんとは興味あるくせによー、興味ないフリしてるのが露骨だしー、みたいなね。
「~じゃねーし」って東京弁だったのか、知らなかった。
関西だけどそこまで東京嫌ってんのはあんまり感じないけどなぁ、東京の人が来て東京弁で話してても別に普通だよ。
むしろ大阪はネットでむやみやたらに民国だの痰壺だのなんだのイメージだけで叩かれてて気の毒な感じ。
って思う。
そういいつつ俺はインチキ関西弁を使う訳だけどな。うつるし、喋りやすいし。
みたいのは感じる。
そういうことで、こっちにいると東京というところはどうにもよろしくないとこに見えて仕方がないのである。たこ焼きもお好み焼きもまずいしな。
それもこれも全てが関西の人間から見ると東京の人間が取り澄ましたように見えるからで、関西ではそういうのは恐らく大変嫌われることだから叩かれるんだろうなあ。まあ遊び半分だけど。
あ、因に俺は東京出身だけど、関西にいる方が肩肘張らなくて済むので快適です。とりわけ大阪が大好き。どちらかというと南の方がいい。
ついでにいうと関西で東京弁というと、それは標準語だけど、東京の一部の地域では東京弁と標準語は峻別されており、俺の地元じゃ転校生が標準語を喋ってたりすると、あいつ格好つけてるよっていったりなんていうことがあった。言うならば、ビートたけしとか、立川談志のような喋り方なのだけど。
地方に行って標準語(東京弁)を話すと遠巻きにされることはたまにある。
生活の言葉はその土地の言葉であって、標準語はよそ行きというか公式用なので、
そういう意識が抜けないのかなと思う。
東京出身者を「disる」のは関西の大阪近郊出身者であることが多い。経験上ね。
不思議なことに、京都とか神戸とか奈良とか滋賀とかの人にはあまりそうされない。
大阪の得意分野に話を持って行き、それに比べて東京はてんでダメだと言う。
そうすることで一番上に立とうとする。
「結局のところ、一番上じゃなくなっちゃうのがいやなんじゃない?」
http://anond.hatelabo.jp/20100906185432
http://anond.hatelabo.jp/20100905150455←の元増田です。トラバされてないから気づかなかった。
読むに耐えない、聞くに堪えないなら見なければいいのに。
はっきり言って題名は注目を集めるための釣りなので、そこが言いたいことではないんです。言いたいことは記事の後半にあって、「第二言語を使うことは脳味噌にハンディキャップをつけること」であるのになんで英語がちょっとぐらいできるようになれば万事解決みたいに煽る人が後を絶たないんだろうな、って。
ただ、ちょっと煽りすぎたかもしれないと反省はしてます。ブコメとか見ても「意思疎通できれば十分なのにハードル上げすぎ」とか書かれてるけど、母語でない言語ではその「意思疎通」をするのが本当に大変なんですよ、と私は言いたかったわけですから。
ハードルを私が上げてるんじゃなくて、ハードルをみんな低く見積もりすぎなんですよ。欧州のCEFRという言語能力の共通規格があるんですが、「とりあえず意思疎通に不自由しない」というのはそれでいうとB2レベル(中級の上)で、はっきり言って日本人で英語でその段階に到達できる人ってほとんどいないですよ。読解と聴解はTOEICで満点近く取れるぐらいでなければ門前払い、それに加えてそれに見合った作文・会話能力が必要なんですから(日本基準で「見合った」を判断しないように。日本の英語教育は読解に極度に偏重しているので)。
そういう話をしているんではありません。日本語では立派なことを言える人が、第二言語ではそうではなくなってしまう、第二言語を使うということはそれだけ不利なことであるということを理解せよと主張しているわけです。
要するに何が言いたいかというと、「日本はダメだから海外に出ろ、プアイングリッシュだのグロービッシュだのが使えれば万事解決」みたいに煽る風潮を暗に批判しているわけです。はっきり言って語学の上達に余程の情熱と根気を傾けられるような語学好きでなければ日本人には英語は無理です。日本語は英語と違いすぎるし社会的にも接点がなさすぎるんだからどうしようもありません。
ところがそういう色眼鏡情報がBBCとかNYTという「一流マスコミ」として通ってる媒体から世界に流出していることを知れば「気にすることはない」で済まされませんよ。はっきり言ってこういうところの日本報道は日刊ゲンダイレベルですよ。むしろ私は、英米社会で日本が未だに「国粋主義者ばかりの反動国家で動物虐待と外国人排斥の総本山、経済は衰退して社会は荒廃して何の希望もなく、政府は国民を洗脳していて国民は自分で考えられないロボット、環境破壊とエログロナンセンスで世界に害悪しか及ぼさない国」と思われていないのは奇跡的なことだと思っていますよ。BBCやNYTの報道を真に受ければそういう風にしか日本のことを理解できないし、実際それを真に受けてる英米人って結構いるんだから。
別にその人達がバカなんじゃなくて、途中で引用されている人のように今はレベル低いけど上げようと思って頑張って書いてるからレベルが低く見えるだけ。
そんなことはわかってます。しかし赤の他人がそんなことに気づきますか?まして、母語以外の言語を学ぶことに何の切実さもなければそれで恥をかいた経験がない英語母語話者には一番わかってもらえる度合いが低いですよ。英語英語と煽っている人とコミュニケーション能力が大事だとか言っている人はかなり重なっていて、そういう人は「誤解されるのは自己責任」だといつも言っていますが、実際それはある程度当たっているんです。英語を「国際語」と認めてしまうということは英語母語話者の土俵に乗り、その基準で判断されることを認めます、ということですよ。英語という言語はあくまでどこかの社会では空気のように使われている、そこの社会の母語なんですからね。そこの人間が「地元の言語としての英語」と「国際語としての英語」を使い分けてくれると思いますか?日本人の大半が東京弁と標準語の区別もついてないことを考えれば答えは明らかでしょう。他人の母語である言語を使うということはそれだけ大変なことだと理解して、発言には慎重になるべきです。それが礼儀であり処世術です。
だいいち、語学の練習をしたいのであれば語学勉強と銘打ったところに行くべきなのであって、見ず知らずの人間を練習台にするもんじゃありません。失礼でしょう。逆に、片言の日本語を操っている人に「日本語お上手ですね」というのもかなり失礼な言葉だと気づくべきではないですか?(そういっているときの視線が、子供に「ボクチャンおしゃべりお上手ねー」と言っているのと同じでないかよく考えてみるといい)
とりあえず、「グローバル語」を使えば「世界」から認めてもらえるというような幻想は捨てた方がいいと思います。それって、お勉強ができればママや先生から褒めてもらえるという幻想と何も変わらないから。英語が国際語のような顔をしているのは、グローバル教の人たちが大嫌いな、「既得権」そのものなんです。英米人の。だから「グローバル」に打って出るということは既得権に挑戦することだという覚悟が必要なんですよ。それは自覚すべきです。
非モテネタが出てくると「ティモテ」と言い出す連中が昔から絶えることなくいる。
しかし、俺にはこれが全く理解できない。
だって、発音違うだろ?
「非モテ」の発音は低-高-高だ。「非モテ」だ。
一方、「ティモテ」は高-低-低で「ティモテ」だ。
これのどこが似ているのだかさっぱりわからん。
いや、もしかするとこう思うのは俺が関西出身だからか。東京弁(俗に言う標準語、だが標準語とは違うぞ)を含む関東弁の感覚では、ひょっとして「非モテ」は「非モテ」と発音されるものなのか。
俺もガキの頃を含め通算10年以上東京に住んでいて、東京弁とは言わぬまでも標準語はネイティブレベルで使えるつもりなのだが。というかバイリンガルならぬバイダイアレクトのつもりなのだが。
よくわからん。