はてなキーワード: 昭和45年とは
平成17年の出生率は1.26。しかし「1夫婦あたり平均1.26人の子供しか産んでいない」は間違い。
この調査の対象者は「15歳から49歳の女子全体の平均出生児数」。
つまり、『未婚女性も調査対象とされている』。
■《1夫婦当たりの平均出生児数》は?
昭和47年の調査では2.20、そこからほぼ横ばいで平成9年は2.21。
■では、なぜ出生率が下がるのか?
一番の原因は未婚にある。
30代女性の未婚率の推移を見ると「昭和45年は7.2%」だったが「平成17年は32%」まで増えている。
■政府が取るべき対策
1夫婦当たりの平均出生児数がほぼ変わっていないことから、育児環境の改善は解決策ではない。
1番の問題は、明らかに『結婚しない女性が増えていていること』。それは男性の未婚率の増加も招く。
→「独身女性税」の創設が、最も有効な対策。
→★25歳以上の独身女性は、所得の有無に関わらず「年額100万円」の納税を義務とする。
■参考資料
◇年齢別未婚率の推移(総務省調べ)
ODA・情けは他人のためならず
ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_0119.html
実は私、西アフリカのそのまた西の端にあるシエラレオネという国で、昭和45年から2年生活したことがあります。
年齢で言うと、30歳になった年に行き、32歳までおりました。
実家の会社からの派遣でした。ご存知なくても一向構いませんが、私の実家というのは元は石炭の山を掘っておりました。シエラレオネでは、ダイヤモンドを掘れという命令です。
日本の大使館や領事館が何もない時代でした。青年海外協力隊も来ていない。
自分で水を汲んで風呂を炊き、発電機を動かして電気を起こすという、協力隊の諸君がしているような生活を送りました。それなのに、アメーバ赤痢やマラリアに、私の会社から行った中では私だけがかからなかった。まあこれは、余談であります。
ダイヤモンドを掘る現場ですから、マシンガンで襲われたりする事件に、いちいち驚いてはいられない。けれども我々のところは、全く襲撃されませんでした。部族の長老にきちんと挨拶をしてあるし、電気を起こしてあげたり薬を譲ったり。指導者たちの信頼を勝ち得ていたから、命を狙われるというような心配は何もなかったわけです。
この時期以来、私はいつしか、「日本の常識は世界の非常識などと言うが、日本人がアフリカでもっと働くようになると、日本の常識は素晴らしいと言われるようになるのじゃないか」と思い、口にもするようになったのです。
というのは2年というもの、我々日本から行った者と同じようにして、現地の人たちと一緒に汗を流しているヨーロッパ人や、アメリカ人の姿というものに、あまりお目にかかることがなかったからです。一般化しすぎるのは慎まないといけないが、少なくとも我々日本人だけでした、現地の人々とまったく同じ目線で、共同して働くという姿勢を持ち合わせていたのは。
同じ姿勢が、途上国でODAの実行に携わるJICAや協力隊、NGOの人々に、昔も今も変わらず明確に見て取れることは言うまでもありません。
大学教育について話題になっているようですので、私が卒業した、大阪大学基礎工学部情報科学科について書いてみたいと思います。
大阪大学基礎工学部情報科学科は、昭和45年に最初に国立大学に設立された情報工学関連学科のうちの一つで、コンピュータサイエンスの分野では日本で最も古い歴史を持っている学科、ということになります。
情報科学科の特徴は、そのプログラミング実習の充実ぶりです。入学すると、まずPascalというプログラミング言語で構造化プログラミングを勉強することになります。次にアセンブリ言語であるCASLを勉強し、Pascalとアセンブリ言語を応用してC言語を勉強します。またその後、スクリプト言語であるPerl、関数型言語のML、オブジェクト指向言語としてJavaを学習します。
また、言語だけではなく、コンピュータサイエンスの基本であるアルゴリズムやデータ構造についても幅広く学ぶことができます。
全ての実習は課題が出され、実際にコードを書かなければいけません。例えばC言語の授業の最終的な課題は、「shのようなシェルプログラムを作成すること」でした。最終的には、「Pascal風の言語をCASLに変換するコンパイラを作成する」という課題に取り組むことになります。
大阪大学は全体的に単位の取得が厳しいことで知られていますが、情報科学科も例外ではありません。もしプログラミングをあまりしたことがないのであれば、遅くまで実習室にこもることになると思います。だけど、それは情報工学の世界で生きていくためには必要な知識なのです。
実習で勉強する言語は、Javaを除くとあまり現在使われている主流の言語とは言えないのですが、様々な言語を学ぶのは「プログラミング言語はそれぞれに違いがあり、それぞれに適した用途がある」ことを理解することに繋がります。また大学を卒業してから、新しい言語を学ぶ必要が出てきたとき、それに対応する能力を磨くことができます。
日本の大学で、ここまで実戦的なコンピュータに関する教育を行っている場所はあまりないのではないか、と思います。コンピュータがどのように動いているのか、内部原理までしっかり教えてくれます。卒業生の進路は、研究者というよりは、エンジニアとして開発の現場で働くことが多いようです。
大阪大学の入試問題は、東大や京大と違って特殊な問題はそれほど出ません。努力でなんとかなるレベルだと思います。
情報工学は新しい分野なので、大学院で研究するために必要な知識は他の分野ほど多くありません。このため情報工学科では、3年生の夏に大学院の試験を受けて合格すれば、学部を卒業しなくても4年目から大学院に進むことができます。この仕組みを活用すれば、5年で大学院を卒業できます。実際、学部生の1/4くらいはこの仕組みを活用しています。
もちろん、ここに書いたのは情報科学科の全てではありません。ネットにも他に情報がありますし、もし興味があったら、大学のオープンキャンパスに行ってみるのもよいと思います。
コンピュータの世界は変化が激しくて、エンジニアとして生きていくのはとても大変ですが、それでもいい、プログラマとして将来何かを作りたいんだという人であれば、ここはそのための力を与えてくれるはずです。進学先として検討してもらえたら幸いです。
経済的な右派左派と歴史観的な右派左派は別の概念であるべきなんだろうけど、
それが固定されて成長してきたのが問題なんだろう。
戦後の米ソ対立のなか、日本は基本的に経済成長を続けていった。
年功序列の終身雇用で、適度にがんばってりゃ適度にいい給料が貰えて、
手前の食い扶持の心配なんてほとんどしなくてよかった。
(http://www.hrr.mlit.go.jp/library/hokuriku2006/s1/1-10/01situgyou/situgyou.xls)
だからみんな基本的には経済のことになんか関心はなくて、
戦争とか核ミサイルとかそういうのでイデオロギーが対立してた。
日本が豊かだったせいで、増田が言ってるようなグループが育つ余地がなかったんだろうね。
ヒトラーなんかは結構近いこと言ってる。
それに対する反感なんかがごく初期にはあったのかもね。