はてなキーワード: 春画とは
横増田
じゃあいいじゃん、って思う。きちんと年齢制限をかけましょう、という話だよね。それのどこがここまで大きな問題になるのかよくわからない。
日本ではR18指定は事実上の発禁に近い扱いになる。厳密に言うと、狭い日本でのリアル書店の都合とかコンビニとかの都合があって、商業的にほぼ死ねる、という意味なんだけど実態としてはそういうことになる。
かろうじて「抜き用」ことに特化したR18エロ作品は専門店やネットといった細々とした流通がないこともないのだけど、逆に言うと「抜き用」でない作品は完全に流通手段が断たれる。現実にはエロも含めてR18流通はあまりに現実的じゃないので同人化でアングラ流通、というのが流れだよね。
加えて、そもそもR18にするほどのものなのかという問題もある。何故なら、R18にする法益は青少年の健全育成ということにはなっているのだけれど、健全という言葉そのものが元々恣意的な言葉だもの。
今回の適用範囲は色々定められてるけど、そもそも論で言えば現在の漫画流通ではあの範囲に入るものは既に全て自主的にR18になっている。じゃあ規制してもいいじゃんと思うかもしれないけど、これ逆だよね。
よくネタに上がる雑誌にチャンピオンREDいちごがある。俺は話を聞いて一度チラ見しただけだから外してるかもしれないけど、俺がざっと見た限り今回の適用範囲を拡大解釈せずに考えれば該当しないと思った。でも、大前提として、議論の真っ最中に問題になったチャンピオンREDいちごは「該当する」というか「該当させる」んだよね?てことは少なくとも俺から見れば「既に」条文読んだ通りでない基準で運用されていることになる。
この条例に反対するなら、「なぜ青少年を主な対象とした雑誌にエロいことを描く必要があるのか」ということに対して合理的な説明ができないと説得力が弱いんだけど、そこを説明してる人はいない。
いや、自由がデフォルトであって、自由でない状態の方に合理的な説明がいるはずなんだが、それすら分からん人向けに説明した方がいいの?
うーんとね、性表現や暴力表現は表現技法としては古来より定番のものであって、これを規制するとはっきり言ってあらゆる表現が大幅に狭まるよ。最も原始的な衝動の一つだからね。「これ施行されたら古典の名作は片っ端から漫画化禁止だよな」なんて冗談みたいに言われてるけど、そりゃ当然だ。
本来なら性表現に限らずどんな表現技法にもこれが使えないことで狭まる表現というものはある。ウンコの詳細な描写があってこそ素晴らしいという作品が存在し得ないと誰が言えるのか。言える奴は馬鹿だよ。これは冗談やネタではなく大真面目な話。それが芸術における表現の自由ってもの。
性表現なんて全くなくても素晴らしい作品は書ける!!って言い張る人はそりゃいるだろう。うん、そりゃ性表現なしで書ける素晴らしい作品は世の中に存在するだろう。そして一方で素晴らしい作品が確実に減るということだけは断言できるね。それが半分なのか1/10なのかは知らない。
そもそも表現を規制することが問題だ、っていうのもあるんだろうけど、一昔前にバトルロワイアルの映画がR-15になって世を騒がせたけど、その後表現規制に繋がった?バトルロワイアルが見られなかったから成長に重大な問題が生じた人がいる?
まあ一般向け邦画でやんちゃはしにくくなったってのはあるだろうねぇ。逆に比較的小規模な映画はやんちゃして政治家の介入を招いたら勲章みたいなとこもあるけど、それなりの予算でやる映画じゃ火中の栗だわ。どちらにせよ「規制を恐れずに使える表現は減った」とは言える
バトロワが見られなかったら~というのはどういう意図か分からんけど、原作はなかなか良い作品だったし映画もまあまあの出来だったし、むしろ青少年に見せてこそ考えさせられる作品なので、見たいけど見られないというのは自分の頭で考える機会を一つ失うことになるね。とても残念なことだと思う
春画が本格的に禁止されたのは明治時代からだよ。江戸時代はむしろ春画はご法度ではなかった。
その後の表現規制?今でも春画は猥褻物陳列罪の規制対象で美術館にも置けませんが?
日本人に何か重大な問題?江戸時代に発展した浮世絵という今や世界的にも名高く知られた芸術技法が完膚なきまでに滅び去りましたが?
春画なんてアホな表現規制のせいで芸術が一分野丸ごと滅び去った典型としてしょっちゅう例に挙げられる代物じゃないか。
結局はなぜ規制するべきなのか/してはならないのか、という双方の意見の根拠が曖昧なままだからここまで混乱するんだと思う。ただ、子どもの育成に定説がないように、どうすればいいのかなんて永遠にわからないんだと思う(ましてや「健全な育成」なんてね)
厳密に適用するなら、むしろ未成年は書店自体に入れないようにして全域デフォルト18禁。読んでいい本は親の判断して買う、とでもするか?子供にどんな本を与えるかは親の裁量権であることは現行制度でも大前提なので、突き詰めるとこういうことになるな。うん、まあ、日本の文化は死滅するな。
個人的には逆。今や情報が何でも手に入るご時世、18禁という考え方自体が既にもう古いと思う。その気になれば超過激な同人がネットで手に入るんだから、あらゆるコンテンツが世の中に存在する前提で、それとどう付き合うか親と子供がちゃんと話し合っていくべきだろう。そもそも論としては別にエロが氾濫したところで犯罪が増えるわけでもないのは既に分かってるんだから、これって親の道徳方針に合うかどうかだけの問題だよ。
親が話し合わないならどうするか?そりゃ何でもOKでいいでしょ。そんなの余所様が決めることかよ。政府はママのママじゃねえ。
ちょっと極論に聞こえるかもしれないけど長期的にはそうなっていかざるを得ないしそうなるのが健全だと思う。
ただそういう理想論はともかく、狂信的な道徳観念を持ってる人たちは、それを余所様の子供を含む日本人全体に押し付けたいと思ってるからね。
彼らの健全の定義が毎日日蓮宗の仏壇に拝むことだったり毎週日曜に礼拝に行くことにまで進んじゃっても驚かないよ。そこまで露骨なことを口にするかどうかはともかくとして、真面目な話として「(実犯罪と無関係な)道徳的健全性」の定義は「特定の宗教的価値観への合致」であることは多い。
現に今の日本でも彼らは公教育での宗教教育なんて言葉を本気で平気で口にするし、現に今まさにこの議論の中で健全の定義の中に平気で同性愛の排除を入れてるじゃないか。冗談抜きで規制がそういう方向に行った国も少なくない。それってイスラム教国とかじゃねえのかwwwって話じゃないよ?韓国とかそういう「普通の」国だよ?
東京都青少年の健全な育成に関する条例の件だけど、感情的な意見が多くてちょっと戸惑う。
僕は今回の改正案には消極的賛成。意味のわからない言葉は消えたし、単純所持への罰則もなくなったし。恣意的な運用をされる危険性もあるけど、附帯決議で慎重な運用を求められてるから大丈夫じゃないかと思うんだけどな。
僕の理解では問題は表現を規制されることらしい。後マンガやアニメが貶められていることか。
ただ表現の規制っても「あんまりエロいのや不法行為があるものは青少年に見えないようにしましょう」ってことだよね。それを描くこと自体は規制されてないんだよね。
じゃあいいじゃん、って思う。きちんと年齢制限をかけましょう、という話だよね。それのどこがここまで大きな問題になるのかよくわからない。
それならR指定という制度にも同じように反対しないといけないんじゃなかろうか、と思う。
この条例に反対するなら、「なぜ青少年を主な対象とした雑誌にエロいことを描く必要があるのか」ということに対して合理的な説明ができないと説得力が弱いんだけど、そこを説明してる人はいない。
そもそも表現を規制することが問題だ、っていうのもあるんだろうけど、一昔前にバトルロワイアルの映画がR-15になって世を騒がせたけど、その後表現規制に繋がった?バトルロワイアルが見られなかったから成長に重大な問題が生じた人がいる?
もっと極端なことを言えば、江戸時代に春画が禁止されたけど、その後も表現規制が続いた?日本人に何か重大な問題が生じた?
結局はなぜ規制するべきなのか/してはならないのか、という双方の意見の根拠が曖昧なままだからここまで混乱するんだと思う。ただ、子どもの育成に定説がないように、どうすればいいのかなんて永遠にわからないんだと思う(ましてや「健全な育成」なんてね)
じゃあどうすればいいのか、っていえばあてにならない「常識」に当てはめて考えるしかないんだろう。今回の規制は今ある青少年向けの(一部)雑誌の現状を見るとしてもいいんじゃないかと僕の常識は判断する。そして冷静な理解と判断が必要だ。正直この手の熱狂は国籍法改正の件で懲りた。まとめWikiを信じるなら今頃日本は外国人だらけになってたはずなんだよね。
まぁ、足りない僕の頭で書いた文章だからいろいろ欠点があると思います。そこは謝ります。ごめんなさい。指摘していただけると嬉しいのですが、「冷静な」意見だとより嬉しいです。
>別にポルノがなくても射精はできる(ポルノがない時代射精が存在しなかったなんて事はない)
うんまあ、つまりやっちゃってる事も多々あったと思います。時代想定をどこまで遡る必要があるかは判断出来ませんでしたが・・・。春画を活用してたとも思いませんが、男尊女卑が当たり前の世界で性犯罪が起きたとしても問題にすらならなかった可能性が高いですね。現代とは男女対等でありお互いの言い分を伝え、円滑な生活が行えるよう進化したから存在する問題とも言えそうです。野良犬等が相思相愛で子を産んでるかと言うと、半分ぐらいは強制なんじゃないかなとかも考えました(過去に遡りすぎ)。
>「出せば満足すること」は「見たら犯罪したくなる人のほうが少ないこと」の証明にもならない
どう説明すべきだろうか。女性の生理の大変さが男性にはわからない事と似た問題なんだけどね。見たら犯罪したくなると言う状況自体が、性欲が溜まってしまった状態で引き起こされます。出した直後は言い寄られても面倒だなーと思っちゃうぐらい賢者モードなんですよ。それに見たら犯罪をしたくなる事がタブーと理解していますから、そうならないように対処を行う訳です。
勿論ポルノなんて見ないで妄想で済ませてもいいですが、最近の物はよくできてますからね。代替するだけの想像力をおこすのも、大変というか面倒になります。また、今まで供給されていた物が急に規制されたとしたら、対象となったカテゴリーを現実で解消しようとする人間は増えそうに思います。最低でも自分は危ないかもなと考えます。無いと逆に欲しくなるって欲求は、何であれありますからね。
言いたいことからそれました。最低でもポルノが安定供給されている間は、逮捕されるリスクをおってまで犯罪を行う必要が無いのです。犯罪欲求を安価に代替してくれる物がある訳ですから。このリスクの回避思考が犯罪が減少する可能性への見解です。
>でもこういうタイプの人は女は感情的だから論理的な俺様の主張が理解できないとか思うんだろうなー
自分は男女の論議をしていきたいと考えていますけどね。それを受け入れていただける人が多いことを願います。
最近の「非実在青少年」がらみの話。3次の児童ポルノについてはまたちょっと話違うので、冒頭にお断りしておきます。
例えばの話ですけど、「アイドルはうんこしない」「あの子は処女」って言い張ってる人っているじゃないですか。どんなに必死に否定したって、実際のところアイドルはうんこするし、大好きなあの子は彼氏とセックスしてるんだけど、「そんなことない!」ってかたくなに信じてる人。本当のところが分かってないのはその人だけで、周りのひとは全部知ってる。「そんなマヌケいるわけねー」ってそれはそうなんだけど。じゃあちょっと言い換えて「アイドルはうんこするべきではない」「あの子は処女であるべきだ」って言い張る人。これは結構いると思う。
何が言いたいかっていうと、基本的に今も昔も、日本はポルノの国だってこと。
「世界最古の長編小説」なんて言われたりする源氏物語はセックスばっかりしてるし、印象派の画家に大きな影響を与えた浮世絵は春画です。めぐりめぐってutamaroって言葉は今「すげえデケエちんぽ」って意味のスラングになってるじゃないですか。そもそも日本語そのままで海外に通じる言葉って、エロいことばめちゃくちゃ多い。bukkake。hentai。geisyaもきっとエロいニュアンスで理解されてると思います。
日本で一番のベストセラー作家で海外で文学賞ももらってる村上春樹先生だって、基本的にはエロい話です。『1973年のピンボール』の設定なんか、美人の双子と同棲してやりまくってる主人公ってどこのボンクラアメリカ人の妄想なんだよ!って感じじゃないですか。芥川賞の選考委員も、龍にしろ都知事にしろみんなデビュー作がエロい話の人すげー多い。同世代で高校生ぐらいのころ山田詠美の『僕は勉強ができない』薦められて読んで、「この人すげー文章うまいなー」って感動したことある人多いと思うんだけど、あの人だってデビュー作は黒人とやりまくってる話ですよ。
『おくりびと』みました?いい映画でしたね。みんな演技上手だったし。ちらっとみえた広末のお腹、エロかったですよね。あの映画でアカデミー外国語映画賞とった滝田洋二郎監督は、日活ロマンポルノ出身で、監督デビュー作のタイトルは「痴漢女教師」。他にも日本アカデミー賞に輝いた監督のうち、かなりの数のひとが日活ロマンポルノ出身ですよ。崔洋一も周防正行も森田芳光も井筒和幸も、エロい話からスタートしてるんですよ。
産業界を見まわしたって、例えばベータとVHSの規格争いとかも決め手は「AVはどっちでみれるか」みたいなところで決着ついちゃったりするわけじゃないですか。「じゃあDVDもVHSよりDVDの法がセルビデオ安いからみたいな理由で広まったんじゃないかなー」って邪推しちゃいますよね。
日本の文化はエロいんですよ。そんで、日本人もエロいんですよ。世界中の人も「日本人はエロいやつらだ」って思ってる。最近フォーカスが行った調査だって、日本は色欲部門で世界2位なんですよ。印象を基にしたアンケートとかじゃなくて、1年間にポルノに消費するお金の金額を基にしたランキングで2位ですよ。認めたくない人もいるだろうけど、現実そうなんだから仕方ない。アイドルはうんこするし、大好きなあの子はセックスしてる。日本人はエロい。
じゃあ「アイドルはうんこするべきではない」ように、「あの子は処女であるべきだ」ように、「日本人はエロくないべき」?
日本にある文化の中に、倫理的に褒められたもんじゃない、おおっぴらにできない後ろめたい部分がかなりあるのは事実です。でも、それってそんなに悪いことなんでしょうか。実際、そうじゃないと思うんですよ。例にあげた映画や文学はどれも素晴らしいものばかりだけど、たぶん海外じゃ商業として成立しなかったものが多数あると思います。イスラムとかキリストとか、宗教のからみで性に対するタブー感が半端ない。女性は肌みせらんなかったり、膣外射精したオナンさんは「セックスは楽しむもんじゃない」「神に対する反逆だッ」つってぶっ殺されたりしてる。
おれは日本の性に関するおおらかさを、文字通り日本の文化の土台だと思っています。今問題になってる漫画やアニメだけじゃなくて、全ての土台。これを良くないものだと言って規制するのは「アイドルはうんこしちゃいけない」って言ってるひととおんなじぐらい滑稽だと思う。
現状をありのままに肯定したっていいじゃないですか。いっそみんなで開き直りましょうよ。男子は「世界のみんな!おれたちこんなニッチなポルノでオナニーできるんだぜ!いいだろー」って自慢して、女子は「ほんと男子って馬鹿よねー」って言いながら実際興味しんしんみたいな。おれ、そんな日本がいいな。
「Hなのは悪いことですか? Hだと怒られたり、笑われたり、イジメられたりするのは何故ですか?! 何故ですか… どうしてですか!!」
「皆バレるのが怖いんです 本当は 何より大事なことですっ Hなことはっ」
http://anond.hatelabo.jp/20100211073915
創作へのドロドロした情念が、果たして童貞とともに失われるかどうか
それは創作への情念がどういう場所にあったのかを知るしかないのだけれど。
実際、童貞力で突っ走った作家は多くいた。宮沢賢治も梶井基次郎も童貞だった。
スコット・フィッツジェラルドも悪妻で有名なゼルダとしか関係を持ったことがなかった。(これはヘミングウェイの「移動祝祭日」に詳しい。彼らはチンコを品評し合える程度の友人であったことがわかって微笑ましくなる)
そして、ゼルダと関係を持った後のスコットがどうなっていくかは歴史が証明するとおりだ。
宮沢、梶井、スコットと並べた場合。
宮沢はエロ本コレクターだった。とんでもない量の春画を抱え込んでいた。オタクの走りだ。
梶井は「今日もオナニーしちゃったよ・・・」的な文章を残してるし、酒をかっくらって「オレをソープにつれていけ!」と叫んでいたという逸話もある。あの時代のカトリック的な価値観に翻弄された童貞ゴリラと言えるかもしれない。
スコットはたった一人の女を愛していたので、童貞暦は長いものの単なる童貞とは言いにくい節がある。「グレード・ギャツビー」は「偉大なる童貞」の物語でもあるが、それにしては洗練されすぎている。
なんの話だったっけか。
つまり、童貞であるということが創作の一つの動機であり得るということは確かみたいだ。
しかし、童貞を過ぎた後にも人の世にコンプレックスは尽きず、童貞には決して描けぬ描写もある。
スコットに「エデンの園」は描けない、ということだ。
要するに、人生というのはそういうものなのだ。なるようにしかならない。
文筆家には童貞が多いと同時に性豪も多い。
むしろこっちの方が多いフシもあるので、それほど気に病むことはないのかもしれない。
性に基づく差別的振る舞いやステレオタイプを許容するものであり、これは女性に対する暴力を維持する。エロゲは女性じゃないですよ?。ドット絵ですよ?。まずここが勘違いの元です。
政局はすでに選挙モードだ。政局が荒れると奇妙な法案が通るとか。きちんとソースを調べていないが、計量法施行法は荒れた政局で通ったと聞いたことがある。議決が滞りがちになるから、反対意見の出にくい法案を数的に通しちまえという発想らしい。審議拒否っぽく見えると野党もまずいし。
児童ポルノ関係も政局が荒れたときに、ドサクサ紛れに動きがありそうだという予感は持っていた。結果的にその予感はあたっちまった気分だ。この辺の動きはそれなりに二次元の女の子好きとして追っていた。鎌やんあたりのロビー活動もだいたい知っている。
ただ、ここまできちまったものは仕方が無いと思っている。オタクの中でも、児童ポルノ規制の経緯も何も知れずに、麻生をオタクの理解者としてローゼン閣下と本気で持ち上げる馬鹿はいたし。ああゆう連中は将来的にはファシストを平気で政権につかせるんじゃねかと思ったよ。(個人的に麻生はさほど嫌いではないけどね)
個人的に今回の動きで一番気に食わないのが民主党。極右から極左までいるの自由なのだが、政策全般に党内不一致が多すぎて結局のところ何の抵抗にもならない。党内不一致は児童ポルノに限ったことじゃない。正直、民主単独政権はノーサンキューだ。彼らの一致する党議は唯一つ、政権を取ることだけだ。また細川政権もどきが出来るくらいなら、自衛隊が蜂起したほうがましだ。
児童ポルノ規制反対という観点では社民党ということになるのかもしれないが、正直彼らに入れる気にはならない。民主党が規制反対で動いていたときも、枝野幸男という現実的な議論ができる論客がいたから現実性があった。(サンタフェの質問は相変わらず上手いと思った)
若干話が飛ぶが、陵辱ゲームが春画のように研究される対象になったときには、どこに探しにいけばいいのか?広重のコレクションをボストン美術館に見に行くような間抜け真似は勘弁してくれ。国立メディアセンターで全部コレクションしてほしいもんだ。そろそろ、PC-8801のゲームのアーカイブは作り出さないと間に合わなくなると思うのだが。
いわゆる陵辱エロゲ規制問題で、私はid:mojimoji氏、id:hokusyu氏をはじめとする諸氏の言説、たとえばこれやこれやこれにいたく感銘を受けた次第であります。
全くその通りで、陵辱エロゲは女性を性的に暴行・侮辱することを肯定的に描く表現であり、しかもそれを正当化する術をどこにも持っておらず、擁護派はあろうことか「表現の自由」と強弁してヘイトスピーチを正当化しようとするばかり、全く同情の余地はない、「生きるに値しない表現」です。このような明晰かつ明快な論法にまずは敬意を表したいと思います。
その上で私は、このような糾弾の声、表現の純化と浄化の声をさらに強くすべく、エロゲ以外の分野の規制をも求めて声を上げていくことを提案したいと思うのです。特に、世界的に良識の名の下に女性への暴力を肯定している例を私は知っており、ぜひとも一緒に声を上げていただきたいと思うのです。
私が具体的に糾弾したいのはとある演劇作品です。主人公は典型的なレイプ魔で、女性を甘い言葉で誘わしては慰み者にするという、ただそれだけで特徴づけられる人間です。要するに陵辱エロゲと何も変わりません。そして他の登場人物は、その言語道断な主人公に阿諛追従する男、そんな主人公にいくらでもなびく都合のよい女、それに対して何も手出しのできない情けない男と、いかにもこの種のエロゲヲタにとって都合のよい人物像ばかりが並べられているのです。
然るに、この演劇作品は日本ばかりか世界全体に流通しており、あろうことか一部では絶賛する声まで挙がっている有様です。北欧のある非モテの文筆家は、これを世界最高の芸術作品とまで評しています。また、フランスの進歩的な知識人の間では、この主人公を、権威を打倒し自由を追及する男として肯定的に評価する声さえ挙がったといいます。
どうして良識的な人々がここまで騙されてしまったかは私にも理解に苦しみますが、憶測するに結末として主人公が罰せられることになっているからでしょう。しかしよく見れば主人公以外の登場人物の喜びようは余りにもおざなりであり、このような話の筋は単なるとってつけたような免罪符であることに想像の余地はありません。
この作品に言及する声は意外なところにまで及んでおり、ある分野で世界最高の芸術家と評される人物は、話の筋に眉をひそめつつも、作品の質自体には賞賛を惜しんでいません。他にも、多くの分野からこの作品を崇拝する者は後を絶たないのです。
しかもあろうことか、世界最高のミュージシャンとも賞賛される人間がこの演劇に音楽を付けてしまったのです。これにより、この作品の評価は時が経つにつれ、上がることはあっても、下がることは全くないという有様です。
みなさん、この反動的な作品を規制し、上演禁止に追い込むようにご協力願います!
なお、作品の題名は「ドン・ジョヴァンニ」で、出典はスペインの伝説ですが、演劇化を試みたのはモリエールという男です。この戯曲をアレンジした台本に音楽を付けたのはモーツァルトというオーストリア出身の音楽家で、これを賞賛した北欧の知識人とはデンマーク出身のキェルケゴールという男、一定の留保を付けつつも作品を賞賛した芸術家はベートーヴェンという名前です。これらの反動文化人の作品を抹殺すべく、同志の皆様もぜひご協力願いたいと思うのであります。
表現というものの価値は意図と関連づけて測られるものではなく、表現の質として測られるのである。そして、作品から読み取れる作者の意図というものは決して一通りに決まるものではない。たとえば、「ヴェニスの商人」を読んでシェイクスピアが反ユダヤ主義者だったかどうかを判断するのは難しい。事実、シャイロックというユダヤ商人は、屈折した苦悩を持つ人物として見事に描かれており、反ユダヤ主義を糾弾する文脈でも演じることは大いに可能だからだ。ナチスを経験したヨーロッパでさえ、「ヴェニスの商人」を禁書にしようなどという馬鹿はどこにもいまい。
こう言うと、「エロゲに芸術性などあるものか」と言われるかもしれない。だが、紛れもないポルノである春画でさえ芸術性を評価する者はいるのだ。また、偉大な芸術作品の多くは、発表当時理解されなかったことも多い。これだけから見ても、法的立場から表現を規制することの愚かしさがわかろうというものだ。原則として、表現はただ表現によってのみ批判されるべきなのである。
なお、ショスタコーヴィッチという旧ソ連の作曲家は、スターリンによって作品を「革命的」だとか「反動的」だとかいろいろ評価を変えられ、作曲活動に大きな影響が出たことも付記しておく。笑うべきことに、当時問題になった作品はオーケストラだけで演奏される交響曲で、歌などによる言語表現すら一切含まれていなかったのだ。
日本人の変態性を真っ向から否定するようなコメントがあったので、
場所を移してとことん反論してみる。
…TEATIME、ゲーム世界と現実がリンクする新技術「フェイストラッキング」システムを発表
http://guideline.livedoor.biz/archives/51192905.html
※274. Posted by 2009年04月12日 01:18
一部のオナニー野郎を根拠に、日本人が変態だの性に対して旺盛だの言わないで欲しいな^^
まともな人間にとって変態呼ばわりされることはちっともうれしくない上にみっともないことだし、そもそも日本人は大して変態な民族ではない。
西洋人の方がずっと変態なのは常識だし、性に対して旺盛だったらセックス回数最下位なんてことにもならない。
西欧(野外露出・レズ)http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/vanmaele/vanmaele2.html
日本(ただセックスしてるだけ):http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/shunga.htm
↑と比べれば日本人の春画なんて特別なもんじゃねーことはすぐ分かる。どちらも19世紀の絵だが。
お前らが密かに自分達の下品な性癖が民族の特質的なものだと信じたがる根拠に、蛸に犯されてる触手ものの春画を持ち出すことがあるが、あれだって日本特有のものでもなんでもなく、西洋人は普通に描いていた。
http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/rops/rops10.html
http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/vanmaele/vanmaele5.html
江戸時代の日本人はフリーセックス的な「性に大らかな民族」なのであって、それがむしろ抑圧や罪の意識への反動から生まれる「変態性」とは無縁の文化だということは言うまでもない。ノーパンと言うのは、「女はパンツを履くべき」という抑圧を設けることによって初めて意味を持つが、当時の日本人はあっさりした着飾りしかせず、下着なんてつけてなかったんだから、抑圧が少ない分変態性も少ないんだよ。
まず、ひとこと言わせてくれ。
江戸時代までの日本には、庶民に変態が少なく、キリスト教的モラルの制約が強い西洋の方に
村祭り(ハレの日)の夜の乱交、夜這い文化を代表するようにフリーセックス社会であり、
嫁入り年齢が若かったことからもわかるように、10代前半の女性も身体が性的に成熟さえ
だが、それは西洋の幼児性愛、ロリータコンプレックスのように処女性を不必要に尊ぶことなく、
むしろ身体の個体差に合わせた、生物学的に見ても健全なものだった。
このように性に奔放だった農民や町民に比べ、上級武士の世界では性に対してストイックで
しかし、このように奔放だったのは江戸時代までの町民、農民にかぎった話。
明治維新後の日本には、一気に西欧化の波とキリスト教的モラルが流入した。
西欧文化に追い付くために、一気にマジメになることを余儀なくされたのだ。
この文化的な抑圧の時代に、エログロナンセンスのサブカルチャーが花開いたのは、
偶然ではない。
その後、世界大戦の時代に突入し、徴兵制が広がり、軍部の力が強化したこともあって、
日本は一気に一億総サムライとでも呼ぶべき、ストイックな国民性になっていった。
この猛烈な抑圧が、戦地での残虐行為、陵辱行為につながった例も多くあるだろう。
だが、それはいつの時代、どこの国の軍隊でも良くあること。
日本とドイツばかりが未だに叩かれるのは、最も直近の世界大戦における敗戦国だからである。
そして、太平洋戦争での敗戦により、日本は米国進駐軍による文化とセックスでの蹂躙を受ける。
日本中にあった売春宿などの赤線地帯は縮小・管理され、米軍兵に好んで身体を売るパンパンと
その悔しさをバネに、追い付け追い越せの高度成長の流れで、世界一勤勉な国民になっていった。
週休1日、深夜残業当たり前のサラリーマンの激務を支えたのは、目覚しく発達していった
ここでも、ストイックさの陰に変態の萌芽あるのがわかるだろう。
敗戦から40年足らずで世界一の経済大国へと復活を果たした日本は、バブル景気に沸いた。
大学生は車を持ち、社会人は会社の経費で豪遊し、トレンディドラマのような恋愛が流行した。
ディスコ・お立ち台ブームなどで、江戸時代のように陽気にハメを外しかけたが、
バブルはすぐに崩壊してどん底へ。
むしろハメを外すとバチがあたるという、トラウマになってしまった。
バブル景気の前後でもセックス面での格差の激化は続き、世間の恋愛路線から外れて
ロリコン趣味を密かに楽しんでいたオタク層は宮崎勤事件で徹底的に糾弾された。
一方で、不倫ブームが表面化したのも、この頃からである。
勤勉な夫が稼ぎに出ている間、家を守る貞淑な専業主婦という幻想が崩れ始める。
さらにバブルの残党が女子高生を買いあさった「ブルセラ・援助交際ブーム」が過ぎると、
後にはビッチなセックス観を持つギャル達と、児童ポルノ規制の強化だけが残った。
これらの流れは、今でも女の自己満足に過ぎないアゲハ嬢ブーム、児童ポルノ単純所持の禁止や
ダウンロード規制、出会い系サイトの排除などで、おおらかなセックス文化から一般男子を
遠ざける方向へと邁進し続けている。
その結果が、年間セックス回数の世界ランキングでの最下位である。
しかし、その陰でエロゲーを始めとする、二次元の性文化は目覚しい発展を遂げていった。
何故なら、二次元は決して裏切らないからである(と思ったら、かんなぎが...)。
このように、本来は性に自由だった国民性が、明治以降に徹底的に抑圧され、
解放されかけてはどん底に突き落とされ、の連続で萎縮しまくった結果が、
そして、世界不況の今こそ、日本はこの変態力で世界に向けて反撃の狼煙をあげる。
いいか、OTAKU、HENTAI、ANIME、MOE、KAWAII で、日本は天下を取るんだよ!
彼女らの身体は、パネルとの差としてかなり怪しいものが多く、信憑性を感じさせるものではなかった。
金をケチって安いところに行ったせいだとは思うが、
予想していた淫靡なイメージと違い、とにかく野生の王国系的な勢いとアニマルの世界だった。
しかし、それでもさすがヘルス嬢だと思ったのは、男性器に対するほめ言葉のバリエーションの多さ。
普段聞きなれないような「八寸胴返し」とか「板舐め」などの言葉で持ち上げてくれるのは正直心地よかった。
お互い舐めてて会話が楽しめなかったので二度と行かないと思うが、改めて言葉を意識出来たのは収穫だったと思う。
そう考えると、普段周りにいる女はどうなんだろうと思う。
私のような30代にも、新入社員の男の子にも、区別なく「おちんちん」という言葉を使う人がいる。
何が問題って母親たちがまさにその代表だということだ。
自分自身「おちんちん」=dick,cockのイメージではもうイタいと思っているのに、
向こうがその言葉を押し付けてくると、さすがに反発を感じずにはいられない。俺のマグナムが。
というよりもぶっちゃけさせていただくと(そんなにサイズは大きくないのだけど)、
男性器に対する褒め言葉のチョイスのずれはセクハラだ、という意識を持っていてほしい。
もちろんこちらも色情魔なのでいちいち(股間が)反応するけど受け流すのだが、
こういう女たちは、そもそも男性器に対してそういう感性しかもっていないと思うくらいは許されるはずだ。
かくいう男性側も大いに反省すべきで、「おちんちん」以外の言葉を知らない人がいるような気がする。
男性が「おちんちんなめて」しかいわなから、女性側もそれでいいのかと思ってしまうのかもしれない。
私のような30すぎた頭のおかしい男性には切実な問題だが、
10代の時からも男性器には違う魅力や美しさを意識してほしい。そして女性を調教していってほしい。
江戸時代の春画などを読んで自ら学習していってほしい。そういう人におじさんは魅力を感じる。
どうなんだろうねぇその辺は。ベクトル的にそうなるってのはわからんでもないが、それ以外の数々の社会背景パラメータを落としてる気がする。
江戸時代に関しては不義密通は極刑(人妻に思いを寄せられてもそれに応えれば極刑)だけど、女が結婚してさえいなければ妾をとることは法律的に全く問題がなかったので(制裁はいい思いをしなかったり嫉妬をする場合もあったようだけれども、妾が正妻に正月に挨拶に来るのが礼儀という風習がある)、それほど性的に制限されていたとは思わない。性的な部分よりは贅沢をすることに対しては厳しかったけどね。贅沢禁止令が何度も出されたのは歴史をちょっと勉強すればわかるけれども。
性的に緩かったというのは湯女の存在や、遊郭以外でも売春宿(後の赤線。現在の歌舞伎町など)が多数存在していた(ただし売春自体は病気を懸念してかもしくは治安的な意味かはわからないが法律的には規制されていた)こと、春画などからそれなりにおおらかに認められていたようには思う。
女の処女性に関しては特にきいたことはないが(別に詳しくないし)、生娘ということばもあるからある程度は処女性を重んじる社会ではあったのだろう。身分制度が血筋で固定されているから、特に武家なんかはその辺を重んじたってことは納得できる。逆に言うと血筋を守らなきゃいけない家以外はそんなに気にしなかったんじゃないのかなぁ。強い子供がほしいなら乱交の方がいいってどっかできいた気がするけどどこだったっけな。人間以外の動物社会では処女性が全然重視されてないこととか考えると、社会が処女性を求めるようになってるというのは納得ができるが、本能的にそうだというのはあまり納得がいかない。そのあたりを説明するようなソースってないのかな?