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2012-01-31

ただしいひとがこわい

< >| 世の中的に誉められるべき正しい人生を送ってる人がいるんですよ。努力によってリターンを得て、実績を積み重ねてるひとな。後ろ指さされるようなことはしていないし、むしろ見習いなさいと言われそうな、勝ち組コースを、平凡に、歩んでいるひとです。
で、このひとが喋る。私はこう思う。声高に正しいことを述べる。但しそのひとにとって正しいと思われることを述べる。
「こう思う」ってさー、「考える」「称する」「批判する」「述べる」なんかよりずっと軽いじゃないですか。で、この軽さゆえに内容について、発言することについて深く省みないまま発言 してらっしゃる
「こう思う」と言うと同時に、「こう思わない」と裏返しの否定を述べてることに気づかないで喋る。

この手の正しいひとは、今まで見てきたほぼ全員が、悪意なく正しいことを述べているので、その正しさがまっすぐで余計なものを一切合財切り飛ばす、すごく狭い範囲しか示さない、まさに指示された「それ」しか含まないことを考えないくさい。
から「こう思う」から外れた、外れただけのものが「正しくない」ものとしてざっくざく切り捨てられてることに気づいてない。
当人の責によらない不幸な事柄まで、止むを得ないを認めずにばっさりやってるのを見ると、視界の狭い正義馬鹿ってこうやって生まれるのかなって思うわけですがそこまではいい。好きにせい。
この、正しい人が、世間的に見習うべき人であるという場合、このひとを尊敬したり信頼したり憧れたりしてるひとはこの否定をまともに食らうでしょ。
相手を正しいと思っていれば「んなわけあるか」と思わず、相手が正しく己が間違ってると思うでしょう。
相手が人としてどうかと思われるような人間であったら異を唱えることも可能だろうけど、むしろ逆であったら、相手の言うことは人間性に裏打ちされた正当性を持っちゃうわけで、しかも相 手>自分だと思ってたら、発言の内容は正しい、言う人間も正しい、ので否定できないの二重苦であら大変。

ただしいひとに「こうすればいい」「ああすればいい」「こうして成功した」の類を口にされたとき、それができなかったら、できない自分無能だと思うだろうな。
そのひととは違う人間で違う環境で、実際のところ同じような問題はあっても同じ問題などないってことを忘れてさ。
あの正しい人が言うことが正しいのだから、間違っているか無能からか、となる。

よっぽど言説について注意深くしてるか、卑怯か、日和見主義で無い限り、つまりほとんどの場合「こう思う」は「こう思わない」を含んでる、反転してることに気づいて欲しい。
その否定に弱い立場のひとが自発的にざっくりやられてるのを見ると、他人についた剃刀の傷みたいでこわい。
正しい人の発言に対して、真正面から傷つくのは、大抵真面目で、自分より目上の人間尊敬する繊細なタイプが多いので、ほんっとうに横で見てるのが嫌だ。

愉快なことに、「こう思う」≒「こう思わない」に気づかない馬鹿と、ご立派な人間の発言に心動かさない汚れ大人と、「それとこれとは話が別」と考える卑怯者は傷つかない。
つうかさ、文章を書いていますー、って声高に言ってる人間が、それでいいのかって思うけどな。
その程度の言葉の扱い方で何を書くって言うんだ。
お偉い人の発言は正しい、つー話といえば、書き手としての価値は作品の価値が決めるのであって、それ以外のどんな要素も関係なくねーか。
まあなんだ、「書き手としての価値」ってなんだっていう話をはじめると泥沼なんだけど。


年上の、社会的にちゃんとした人間に敬意を払えないって終わってんな自分
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2011-08-12

フジテレビライブドアに買収されていたら

  1. 給料ダンピングが起こる
  2. これに耐えられない場合、安いコンテンツとして韓流が流れたりする
  3. ネトウヨ発狂する(そうでなくても、ホリエモンのやり方は、右翼ならば怒るべきもの老害を打破するからなどとたやすく鞍替えするな日和見どもが)
  4. ネトウヨホリエモン在日扱いする
  5. 倒すべき敵がわかりやすく見えるだけに、こっちのほうがひどい結果になったか

というわけで、結果的には買収されなくてよかったんじゃないでしょーか


Another Story

  1. 上に同じ
  2. 上に同じ
  3. そろそろ粉飾で捕まる
  4. テレビの質の劣化をライブドアのせいにできるから、そうする
  5. テレビ被害者!公共の電波を悪用したホリエモン死刑を!
  6. テレビ頑張れ!韓流に負けるな!

というケースもあるかもね。

まあ、これらは結果的に実現しなかったわけだけど、たまーにブコメで見る「ライブドアに買収されとけば良かった」とか言ってる人は、現実見ましょうね^^

2011-07-29

Pixiv, カオスラウンジ芸術マーケット日本芸術教育

今私は、鬱状態仕事を休んでいる。フリーランスアーティストとして10年ほど。その半分以上を海外でくらし、今もヨーロッパの片隅にいる。

2ch のまとめサイトで、件のPixiv騒動をしった。

カオスラウンジというグループ、全く知らなかったが、なるほど、人々の怒りがよく分かる経緯だった。

面白いので、コラにはコラに対抗ということで、代表藤城嘘の作品や彼の写真photoshop10分ほどやっつけでコラした絵をPixiv投稿。説明なしのアカウント削除→IPアドレス指定拒否→串刺しIPでの再UP→瞬殺アカウント死亡 などを繰り返して遊んだ

http://www.rupan.net/uploader/download/1311933348.jpg

で、私の意見

これ、日本芸術にたいするマーケットのあり方や、芸大における教育とか、そういうことが根本にある。

まずマーケット

これは日本だけでないけど、マーケットって、ようはお商売の世界。売れればいいの。芸術家も、批評家も、生活あるからお金にしなくちゃいけない。

で、やっぱり、売れたものはみんな金魚のふんみたいについていくの。それは仕方ないこと、どこでも。

そのために役にたつの権威(power)。カオスラウンジ村上隆美術手帖がそのicon。

私は両方とも死ねと思っている。(殺害予告ではありません… 念のため) 正直。

村上隆は売れた。それはいい。オメデト。尊敬。でももともとサブ・カルなのに、権威的にふるまう?どうして?

本流に対してのalternativeなありかたとして出した、その経験意味は?

美術手帖。いつも売れ線をおっかけ。責任おわない。コンテクスト脆弱(消極的な取材が透けて見える)。しょうがないけど。お商売だし。でももうちょっと、光を見せてよ、せっかく日本マーケット権威もっちゃったんだから

僕は90年代青春をすごしたから、今の日本の若い人とちょっと感覚ずれてるかもわからないけど、その時の感覚からすれば、分かる。

日本の人って、権威に弱い。テレビとか、どっかの大学先生とか、批評家とか、マーケットとか、あとは身近な友人や家族なんかの意見にも。

もちろんどこでもそうだけど、日本はちょっと過剰だなーっておもう。

自分が見てるもの、聴いているもの、食べているもの、感じているものを、どうやって、「いい」か「悪いか」判断できるだろう?

日本の人は、まず周りをみる。周りの様子にノル人、ソル人…

僕が暮らしいるところの人たちは、まず自分フィーリングを聴く。で、それから周りの人も見る。それから、どうするかと考える。

yap, subjectは結局おなじなんだけど、順番が違うんだよね。僕がくらしている人たちは、まず自分意見が先にくるんだよ。

例えば、スーパーマーケットにいって、入り口に物ごいがいる。ああ、かわいそうだなって思ったら、こっちの人はお金渡す。

日本の人は、まず、お金わたす自分の姿が周りからみてカッコワルイ、アタマヲカシイ?、ってかんがえて、無視する。

全員がそうでないけど、そういう傾向が、ある。

この順番が、カオスラウンジの人たちの行動にもよく見える。

藤城嘘ブログ6月25日の記事。

http://d.hatena.ne.jp/lie_fujishiro/20110625

端的にいうと、ダサい。カッコワルイ。

同じ芸術家として、引用とかサンプリングについての立場はちょっと分かるよ。ちょっと。

でもさ、想像力って彼らは持っているんだろうか?

例えば満員電車の中で私が突然うんこしたら、みんな嫌がるだろーなーって、なんか創造できる、だから私はうんこしない。

やべぇ、うんこもれそう、もうしぬぅーーーーってなっても、みんな嫌がるだろーなーっておもうから、我慢して、次の駅までまって、でダッシュ。

ま、動機はカッコワルくなりたいってのもあるだろうけど、まぁおんなじように。

で、カオスラウンジの人たちは「ウンコしたい」で、すぐウンコしちゃってる。ブリブリ

ネットオタク文化いけてる、売れそう、俺好きやし、カッコええやん、よっしゃ、これで俺の作品つくったろ。

一方的。想像してない。それで誰が傷付くか。

今回の件をきっかけに、私は初めてふたば掲示板をみた。

みんな同じようなネタをずーっと話してたり、コラしてたり…。純粋だなーって思うのと、あと普通だなーって思う。

世の中の多くの人たちが、文化については保守的日本をみたら、なんで演歌歌謡曲が未だに紅白重要立ち位置を持っているかということ。

これ大事だよ。普通だもん、それが。

そういう人たち(=普通の人たち)の気持ちに思いを巡らすのが、やっぱり普通の人であるところの、普通芸術家でないの?

少なくとも、私は自分自身芸術家としてそういうスタンスを譲らない。

あるいは、もし自覚的にそうした『普通』に対する反抗であるなら、最後までヤリきらないと。

炎上たから?ビジネスパートナーが予定していた商品をキャンセルたから?周りのエラい批評家にお説教されたから?

本当に反抗したいなら、まず梅沢ナントカという友達の作品を正当化して、ウルセェ、テメエラなんもわかっちゃいねぇんだよっていって、もっともっと同じ手法で作品を創らなくちゃ。で、その路線で別のパートナーをみつける、そこまでいかないと。

この謝罪、カッコワルイよ。

たぶん村上隆が翻ったのも、この日和見的なところ(態度)で、ア、コイツラ、シロウト。ってみやぶったんだと思う。

(個人的に村上嫌いだけど、プロとして何となく分かる。)

で、彼らがここまでやってこれたのが、日本芸大etc.における芸術教育の影響だろうなぁと。

私自身の、私立芸大在学のとき経験をモトに。

「売れる」ことを考えすぎ。たぶん、日本におけるfine art伝統の不在が起因なんだろうけど。

自分が、一人の人間が、今思い、考え、感じていること、そしてそれによって目の前にある作品や起きている事象にたいする疑問を素直に「どうして?なぜ?」と問いかけること。こういう当たり前の姿勢がどうして求められないんだろう?

タマタマ自分がやっていることが売れ線だと。で、エラい批評かなり、curatorなりが、ヨイヨイ、といって、金だして、仕事なりコンタクトわたしたりして、ま、同業者として分かるっちゃ分かるけど、それで、自分がやっていることは全肯定できるのだろうか?

若いアーティストから仕方ないんだろうけど…

酔いが回ってきたので、またそのうち続きを書こう。

2011-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20110718161048

どっかで見たんだけど「日本優勝おめでとう!」って日本人が言うのはおかしいらしい。

これが諸外国なら「我々の勝利だ!」ってなるらしいんだけど、

いかんせん日本って言う国はナショナリズムアレルギーがある。

君が代歌っちゃダメ愛国心軍国主義につながるなどなど。

から、こういう堂々とニッポンコールができる機会がうれしいのかもね。



まぁ方向性は違っても、震災報道で「涙が出ました」とか言ってる奴見て同じこと思うし、

日和見でその場の感想を「全体は今こう思ってる」みたいに勘違いしてる国民は案外多いと思う。

にわかサッカーファンもそうだし、にわか防災意識(キリッ)みたいな。

女子バスケみたいに、みんなで同じ球ワーって追いかけてポジショニングがないみたいな。

それぞれが普段から自分努力に誇りを持って、しっかり守っていればこうは思わないのかも。



案外増田の言ってることは間違ってないんじゃないかとは思う。

どこでこうなったのかなぁ。

2011-06-17

人間にとって一番不幸せなことって何なんだろう。もっと身近なところで考えて見れば、自分にとって一番不幸なことって何なんだろう。わかんない。

お金が無いことなんだろうか。家族別れてしまうことなんだろうか。社会から切り離されることなのか。無残な殺され方を迎えることなのか。

人の幸不幸って、結局のところ後出しジャンケンみたいなもので、結果としてしか現れないものなんだろうな。

から幸せ未来だとか将来なんてものはあやうい。いついかなる時も、判断ができるのは過去現在のことだけであり、それが可能な主体は今ここにしかいやしない。

要は全部経験してみないことには一番なんて決められないわけで、もっと言えば一つ一つの出来事を公平に振り返ることなどできるはずもなく、厳密な一番を決めることは不可能なわけで。

判断する主体が今ここにしかいない事実を、ある人は希望というのだろうし、またある人は絶望というのかもしれない。

不確定な可能性ばかりが広がっているのだし。

なんかこういうことを思うと、自分の中の不安とか希望とか、不幸せだとか幸せだとかいうことが全部馬鹿馬鹿しくなってくる。

同じように、誰かを疎んだり僻んだり妬んだりすることも、見下したり侮ったり馬鹿にすることもどうでもいいような気がする。

いや、そんなことが言いたいわけじゃなくて。だって現実問題他者や自分を倦んだり好意的に思うことはあるのだし。

まあなんというか、今この場所でそれなりに満たされていれば十分なんじゃないかなと思うわけで。

なんかおっさんみたいな考え方をするようになってしまったなあ。こういう態度を、日和見って言うのかしらん。刹那主義というのかしらん。

人を押しのけるだけのエネルギーとか、端から持っちゃいなかったんだろうなって思うなあ。

さておき、こんだけ短いのに、上段中段下段と主題が跳ね飛び回っててちょっとびっくりする。自分にびっくり。自分でびっくり。驚愕しました。それほどでもないけど。

おわる。

2011-06-09

日本はだめだ

世の中で嫌われる人間の性質ははっきりしている。それはルールの内側なら何をしてもいいと考えている人間であるルールに欠陥があるのは仕方のないことであって、その欠陥はモラルによって埋められることが暗黙に期待されている。ところが世の中には、公的なルールにさえ反しなければ完全に自由だと勘違いし、ルールに従っているという体裁をとっていればどんな醜い悪行をしてもよい、極力自分利益を図ってよいと考えているヤクザ人間がいる。こういう人間は、本来はルールに従っていてもその人格の醜悪さから嫌われて当然なのに、ルールに従っている者を嫌うのはおかしいなどと思い上がった考えをしており、自分を嫌う人間ルールの名の下に断罪するという卑劣な態度に出ることが多い。また、これと同様に、公的なルールの妥当性自体を検討しようとしない衆愚的な思考も罪である。これでは、一部の権力者が、自己主観を、正義現実性の名で覆い隠し、一般人押し付けることになりかねない。場合によっては、権力者自体が巨悪であり、苛烈な法を有無を言わさず押し付けていることもある。これでは、順法やモラル以前の問題である。さらに、警察によく見られるように、確固とした人格がなく、自分たちのルールに従う人には優しくし、反発する人には、自己人格を発露して善導するのでなく、徹底的にいじめるという矛盾的態度を示す者が実に多い。つまり、統一的な人格がなく、自分好きな人だけ優遇し、嫌いな人はいじめるという、ご都合主義的な人格をしているのである。我が国の法の最大の欠陥は、ただ法の形式ばかりが完璧かつ用意周到に整備され、実際場面では、個々人がその法の範囲内で極力自己利益を図るように行動したり、人格的統一性がなく、相手に対する好悪で態度を変えるという日和見主義、八方美人的発想をしていることである。これでは法治国家として4,5流であって、とても世界に冠たる先進国などとはいえないし、子供たちの前で立派なことを大言壮語しておいて、実際の努力偏狭な欲望と見栄を満足させることに費やされているのでは、あまりにも情けない。そもそも当の日本人自身が、机上では高邁な論議を尽くしながら、実際には実行に移さないとか、一定期間は実行してみるが、どういうわけか長続きせず、むしろ反動で高邁どころか徹底的に下劣になることが歴史的傾向としてあり、これでは日本国家以前に日本人自体がある種絶望的な人種であるというほかない。これを克服するには日本人自身が自己反省すべきことに行き着くのであるが、現状は反省するどころか開き直っている日本人が多い(こういう人間に限って「学校からはもはや学ぶものは何もない」と嘯いているが、まったくもって何も学んでいない)。これでは、過去の高邁な議論は実を結ばず、すべて水泡に帰し、知的偉人たちの人生無駄になってしまう以上に、日本人自身が単なる存在であることが証明されてしまったも同然であり、現代日本において正義が廃れ、社会卑劣人間の共同犯罪阿鼻叫喚物理精神戦争状態と化し、力で他を制した者こそが正義だという古代以前の未開社会に堕するのも蓋し当然である。ここまでくると、日本北朝鮮北アフリカ独裁国家以下の犯罪国家であり、日本自体存続に値するものとは思えない。日本首相(もはや首領か)は今すぐにでも国際刑事裁判所の御世話になるべきではなかろうか。

2011-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20110508005844

こういう事件の後は、はしかみたいなものが流行る。

理屈より感情優先。「○○なら全て悪い」みたいな。

現世利益を謳う宗教は全て信者洗脳を施すし、

ムスリム全員ダイナマイトを抱えて飛行機を狙ってる、と信じてやまなくなる。

 

同様に、今は政府東電の発表が全て事態収拾を装った嘘にしか見えない人がいる。

大半はほっとけば日和見主義に戻る。

一部が残って電波の道に進む。

 

なので理屈で説き伏せるのは無駄。「でもでもだって」で後は伝聞調しか出てこない。

近親縁者がそうなったら、悪化しないことを祈りなさいな。

2011-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20110425123721

今は、チキンレースの真っ最中

誰も責任取らなくて良い国民の行動制限を全力で模索中だ。

ついには、公園での活動が1時間までに制限とか。

何かあったら叩かれるのが余程嫌なんだろうが、万が一を考えて制限とか際限ないからやめれば良いのに。



第一敷地内のモニタリングポストがμSv/hになってるんだから、いい加減封鎖解除しろやw

まぁ、またmSv/hまで上がったら、避難させて土下座だろうし、「避難、解除とコロコロ変わる無能政府」とか言われちゃうしな。

10年ぐらい封鎖しといた方が民主党政治生命延命には効果的だろ。



そんな日本人日和見っぷりをニヨニヨ眺めるのが正しい楽しみ方だ。

2011-04-17

そろそろ推進派も反原発も黙らせるべき人間が見えたはず

たとえば、

とか、

  • そんな事言うなら一生電気のない生活を送ってろクズ野郎

かいう切り分けのできない論理弱者だ。

彼らは間違いなく一度ネトウヨに染まった「ネット真実のアレ」はずだし、日和見主義も多いだろう。

どちらにしても、こういう手合いだけはいるだけで邪魔だ。誰にも利することな内臓脂肪である

まずは論壇の質の向上のためにも息吐くようにクズと呼ぶ無能を淘汰することから始めよ。

バカが増えれば政治はできないし、悔しいことにバカにも選択権はあるが、未来選択肢を考える時点からバカの介入を許していては共倒れだぞ。

2011-04-08

原発は絶対安全ですって言ってた連中は論外だが・・・

今まで原発問題にたいして、反対だとか行ってこなかった連中が急に環境に関心持ってましたたい

なんか、すげー日和見主義的な連中が増えてるよね

おまえは、佐藤藍子

おまえは、矢口真里

2011-02-03

なぜアラブ革命精神を恐れるのか? スラヴォイ・ジジェク

http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/feb/01/egypt-tunisia-revoltを和訳しました

なぜアラブ革命精神を恐れるのか?

チュニジアエジプトにおける叛乱では、イスラム原理主義の姿をまったく見かけない。これは注目すべきことだ。民主主義というもっとも非宗教的な伝統にのっとって、エジプトの民衆は、抑圧的な体制や体制の腐敗、そして貧困に対して叛乱をおこしたのだ。そして、自由と経済的な見通しを求めたのである。「アラブ諸国にあっては真の民主主義的センスは少数のリベラルエリートのみに存在し、それ以外の膨大な数の大衆は、宗教原理主義か、さもなければナショナリズムによって動員されるだけである」という西洋リベラル派が持つシニカルな知見は間違っていると証明されたのだ。しかし、大きな疑問は残る。次に何がおこるのか?政治的な勝利者として、誰が登場するのか?


チュニスにおいて臨時政府が成立したとき、臨時政府イスラム主義者と急進派左翼を排除した。これに対する独善リベラルの反応はこうだ。「よくやった。奴らは基本的に同類なんだよ」。同類、すなわち両者とも極端な全体主義者だということだ。しかし、それほど単純なものだろうか?イスラム主義者左翼との間には長年にわたる反目が存在しているが、それは存在しなかったとでも言うのか?もし仮にイスラム主義者左翼が体制に対抗して一時的にせよ団結したとすれば、彼らはひとまず勝利するだろう。しかしその団結はすぐに元通りに分裂し、彼らは死闘に身を投じて、より残虐に振舞うのだ。

去年のイラン大統領選で、我々は今回のような戦いを目の当たりにしなかっただろうか?ムサーヴィーを支持して立ち上がった何十万の人々は、自由と正義を掲げたホメイニ革命はま継続であるという人々の夢を表していたのだ。たとえその夢が非現実的なものであったとしても、それは政治的・社会的構想力の息をのむような爆発や経験組織化、そして学生と一般市民との間の討論を導いたのだ。こうした社会を変容せしめる法外な力の解放のはじまりは、体制派イスラム主義者が統治権を奪ったことで、次第に抑えつけられていった。

原理主義者による運動だと明らかな場合でも、その運動社会的構成を見落とさないように注意すべきだ。タリバン普通テロにより支配を押し付け原理主義イスラム主義者の集団だと表現される。しかし、2009年の春、タリバンパキスタンスワット渓谷を占領していたころ、ニューヨーク・タイムズタリバンが「富めるわずかな地主とその小作人たちとの間に広がる深い亀裂につけ込んだ階級闘争」を工作したと報じた。タリバンは、農家の困窮という「アドヴァンテージを得て」、ニューヨーク・タイムズが言うように「広範にわたる封建制を温存するパキスタンに対し危機を警告した」のかもしれない。もしそうだとするのなら、パキスタンアメリカリベラル民主主義者が同じように困窮という「アドヴァンテージを得て」、小作農を助けようとしないのはなぜなのだろうか?パキスタンにおける封建的勢力こそが、リベラルデモクラシーにうってつけの同盟相手ということなのだろうか?

これらから導かれる当然の結論は、次のようなものだ。すなわち、急進派イスラム主義者の台頭は、イスラム教国における世俗的左翼の消滅と常に関係がある。アフガニスタンは今は強固なイスラム原理主義の国と考えられている。しかし、40年前のアフガニスタンは強固な非宗教伝統に則った国だったのであり、ソ連とは無関係に、独自に共産党が力を持っていたのだということを、誰か憶えているだろうか?そして、こうした宗教伝統はどこへ行ってしまったのだろうか?

こうした背景をふまえたうえで、チュニジアエジプト(そしてイエメン、さらにはきっとサウジアラビアでも)で進行中の出来事を読み解くことが重要だ。もし現在の状況が、旧体制にリベラル風の彩りを付け加えるだけに終わり、結局は旧体制を生き残らせ、安定させてしまうとしたら、原理主義者による逃げ場のない反撃を生み出すことになるだろう。リベラルという遺産を生き残らせるためには、リベラル派は急進派左翼からの支援を必要とするのである。話をエジプトにもどすと、今回の件で最も破廉恥かつ危険なまでに日和見主義的な反応を見せたのは、CNNの中継放送に登場したトニー・ブレアだった。「変化は必要ですしかし、それは着実な変化であるべきなのです」。今日エジプトにおいて、着実な変化とは、政府中枢の人数枠をわずかに増やすという目的にもとづいて、ムバラク勢力との妥協を図るということを意味するだけなのだ。このようなわけで、エジプト平和的推移という語りは、鼻持ちならないのである。敵対者を押しつぶすことによって、ムバラクは自身に敵対することを不可能にする。抵抗する市民に対してムバラク軍隊派遣して以降、選択肢は明確になった。ほとんど何の変化もない中でのわずかな変化という見掛け倒しの変化か、真の破壊か。

ここが正念場なのだ。10年前のアルジェリアでは、自由選挙の容認によって権力イスラム原理主義勢力へも平等に分配されたが、今回もそうなるというわけではない。もしムバラクが去った場合、体制を引き継ぐことができる組織的な政治勢力が存在しない、というのが、リベラルの一方の心配の種だ。もちろん、そんな政治勢力は存在しない。ムバラクは、つまらないことに対する反対意見であっても、反対意見であればすべてを却下することを通して、そうした政治勢力を始末してきたのだ。その結末は、アガサ・クリスティの著名な小説タイトル、「そして誰もいなくなった」を思わせる。ムバラク自身やその混沌した政治をめぐる議論は、ムバラクに敵対する議論なのだ。

西洋リベラル派の偽善には仰天させられる。彼らは公然と民主主義を支援してきたのだが宗教のためではなく、非宗教的な自由と正義のために人々が暴君に対し叛乱をおこすと、彼らは深く懸念を示したのだ。なぜ懸念するのか。なぜこの自由のチャンスが与えられたことを喜ばないのだろうか?今日、これまで以上に毛沢東の古きモットーが適切だ。「天の下に混沌、絶好の機会」(訳注)。

さて、ムバラクはどこへ向かうべきか。答えは明白だ。ハーグへ向かうがよい。ハーグ国際司法裁判所に着席するにふさわしい人物がいるとしたら、それはムバラクその人なのだ。

訳注毛沢東のモットーについてはhttp://bit.ly/eSBrn9を参照。

2010-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20101210165013

何言ってんの?

あいつらは自分に都合がいい時だけ右翼にでも左翼にでもなるんだよ。

ただの日和見一貫性がないガキの群れ。

2010-11-24

ネトウヨの俺すらドン引きした菅政権人権軽視

北朝鮮砲撃】朝鮮学校無償化の適用「重大な決断する」 高木文科相、見直し言及 - MSN産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/life/education/101124/edc1011241031002-n1.htm



リベラルな「普遍人権」の信念もなければ、ナショナリズム的な「国益を守る」信念もない。

ただ右往左往した挙句に、最悪のタイミングで最悪の決定をする。

人気取りのつもりだろうが、見え見え過ぎて逆に人気を落とす。

思想の左右を問わず、「もうこの政権ダメだ」と思わされる稀有な例。



自民党補正予算案採決前の問責提出見送り 民主党幹部「北朝鮮砲撃は党にとって神風

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00188466.html



隣国の戦争も、兵士や民間人の死も、党利党略のためなら赤飯炊いてお祝いするようなメンタリティ

政権維持のためなら、人命など羽毛より軽い、信念などちり紙くらい簡単に捨てられる。

この辺の感覚は、千葉景子が信念を打ち捨てて死刑執行した事例にも通じる。



この政権は、平気で人権や人命を踏みにじることができる政権だということだ。

しかもそれが、何の信念によるものでもなく、その場の空気によって成されてしまう。

今回はその矛先が在日朝鮮人だったが、いつ日本国民に矛先が向いてもおかしくない。

こいつらは「国民を守る」ナショナリストでも、「すべての人の人権を守る」リベラルでもなく、

ただの日和見主義者しかないのだから。

2010-10-17

http://anond.hatelabo.jp/20101017201807

でも、世の中には 八方美人が嫌いとか、日和見が嫌いという人もいるから 愛想が良いというのも万能ではない件。

明確な固有スキルがなく、愛想だけが良いというのが嫌われる条件になり得る。

2010-10-14

自由か規制かどっちかでしか議論できないのは語彙の問題か?

それとも二分論で十分だと思っていて必要性を感じないから語彙が増えないの?

そういうのはウヨサヨだけだと思ってたのでちょっとビビる


表現規制派は、『自分達は表現規制派ではないが、このような表現表現規制派に目を付けられるから、自主的に表現規制せよ』と唱えているのですね。このレトリックは全く馬鹿げている。表現規制派を出汁にして表現規制を求めるあなた方こそが、表現規制派に責任を擦り付けることで自らの責任回避して、表現規制という結果だけを求める、最悪の表現規制派じゃないですか。

言いたいことはわかる。



でもさ、規制には反対だ、

かといって表現の自由って言葉を正しく理解しないで(つーかわざと誤解して)いる

ヒャッハーモヒカンと一緒にされるのも心外だ。そういう立場人間を示す言葉はないの?

極論ぶちまけて何か議論しているつもりの人たちって

おそらく圧倒的多数であるこういう人たちを

日和見とか傍観者とかすごいネガティブな呼び方してるよね。

でも自分たちが周りからネガティブな目で見られる存在であるって自覚があるの?

第三者を想定した議論ができない人ってなんなの?ルール無用なの?草野球なの?自然に帰れ。

人工物のキワミであるネットで野性児のようにふるまうのは感心しないな。



実行とか行政に関する現実的な落としどころを無視して

どっちかの両極端に無理やり区分けしたがる空論理萌えおこちゃまが多いせいで、

大多数の人間の熱が冷めてしまうんじゃないの?




右翼の批判も左翼の批判も簡単だ。

自分の考えを述べたときに「で、結局お前はどっちなの?」っていう

人の話を聞かないところが大嫌いなんだよ。




極論を極論であると自覚していない人には議論は難しい。

2010-09-08

狂ってる

この世は狂ってる。

でも何も出来ないのが腹立たしい。

俺に何が出来るんだろう。

あぁ、世界は日に日に狂っていくなぁと日和見な態度でいいと思っていた。

でもこの気持ちはなんだろう。義憤?中二臭いが義憤を感じる。

何とかしなければならないという気持ち。ただの引きこもりでいいのだろうか。

俺に何が出来るんだろう。

2010-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20100829114516

元増田現状認識について素人でないことは判ったが

いや素人ですが。英語がどうのグローバルがどうのと言っている大抵の半可通よりは知識があるとは思うけれど。

そもそも現状英語は支配言語ではないのではないか?そして今後とも支配言語とはなりえない可能性は高いだろう。ならば「支配言語でなくなる」という言はおかしい。支配言語でないものが今後とも支配言語にならない、ということがなぜ「英語の影響力が弱まる」ことにつながるのか?

このあたりは「想定されている状況に比べて」と読んでほしい。わかりにくくて済まない。要は、現状では「英語化すれば世界グローバル化してバラ色」的な考えが、英語支配下のグローバルで一番不利になる日本でさえ多少は浸透しているが、日本の「英語化」は無理だという現実に気づけばこの流れは逆流するだろうということだ。

ネイティブでいえば英語より人口の多いスペイン語圏あたりが各国連携して正面切って英語に背を向けることでもない限り、ヨーロッパ言語圏では英語共通語化が進むだろう。

ところが既にヨーロッパ英語支配を抑制する流れになっていて、例えばEUは建前上EU内のあらゆる言語公用語化している。ここで「英独仏を公用語とする」という流れになっていないのがむしろ不思議なくらい。英国EUに対して日和見的態度を取っていることもあり、数十年単位で見れば、場合によってはラテン語復活なんて話も出るんじゃないだろうか。

その共通言語として何を選ぶか、という際に「英語じゃ厭だ」と非エリート層が実感できるのは、英語習得が厳しい東アジアアラブマレー語圏あたりしかない。この世界で少数派の1/3くらいにしか、非英語共通語志向が起きる余地がない。

1/3をガラパゴスと見るかそうでないか、そこがあなたと私の現状認識の違いだろう。

私の考えだが、とりあえず世界人口の1/3があれば自給自足経済圏ができてしまう。非英語圏英語圏情報交流のチャンネル言語エリート層に限られていてもそれで間に合ってしまう。重要情報翻訳流通させればそれで事足りてしまうし、翻訳が売れるだけの市場規模があるからだ。これはこれまで日本外国語オンチでいられた事情を考えれば想像がつくだろう。同様に、中国経済発展がこのまま促進すればまず間違いなく中国英語化は逆行する。そうなったとき何が起こるかだ。中国は明らかに米国に対抗しようとしているのだから。そうなったとき、政治的には米国に近く文化的には中国に近い日韓は難しい舵取りを迫られることになるだろうが、いずれにせよ米国英語一辺倒の流れでなくなることだけは間違いない。

2010-08-27

http://togetter.com/li/44881

ネットにおける在日差別の実態】

読んでて馬鹿馬鹿しいと思ったんだけれど、個人的な感想としては別に構わないんじゃないかという範囲だった。

誰だって、自分属性を攻撃されるのは嫌なもんだ。

コメント読むまではそう思ってたんだが、「ikebukuronomori」のコメントみてアホかと思ったので書き捨てていく。

すいません。私の趣旨としては、「オタク」やら「腐女子」への差別なんてのは、「《差別》としてまったく別のフェーズの話だろう?」ということなんです。世間的は「困った趣味」?となるかもしてませんが、それによる障害は私的な「好悪」のレベルで収まるでしょう。しかも、優先順位によっては自主的な「選択」の余地も残されていますよね(捨てろという意味ではなく、選択権があるという意味で)。それが大違いだということです。

この際、大衆勝手カテゴライズされた「オタク的」なるものがどれだけ差別的に働いてるかなんてこた書かない。

そんなのは、どうでもいい。


在日オタク差別が「大違い」だからなんだというのだろう。

別のフェーズだからどうしたってんだろうか。

オタクだって攻撃されているんだ、お前らだけが特別じゃない」的な、搦め手への防御しか考えなかったのだとしても反吐が出る。

その程度の意識なら、差別問題とか語るなよ。


挙句、絡んでくる連中は「面倒な連中」ときたもんだ。

正直。こういったコメント掲示板とかに書くと、面倒な連中に絡まれる。それで「面倒くさいなー!」という理由で、その場からフェードアウトしてしまうんだけど(笑)学校での「いじめ」を見て見ぬフリする、日和見の同級生みたいな感じか(ちょっと違うか)。

どっちが差別主義者なんだか。

2010-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20100729234721

政治家やるんなら、信念を持って強い意志で みんなを導いて欲しいよね。二転三転させる日和見政治家リードしてほしくないよね。

死刑反対論をねじ曲げて署名して、このタイミングってのは政治家としての信念を疑うよ。

元増田が言うとおり、署名するなら、どうせこのあと国会で問責受けるんだら

それを戦って勝ち残って大臣としての信任をもう1度受けて

晴れて民間人大臣として 信念を持って署名すればよろしい。それなら誰しも納得するだろ。

信念なく責任感なく軸が見えない人が大臣になるのは怖いよ。

誰が大臣になってもそこまで気にしてなかったけど、この人はちょっと勘弁して欲しい。

人の命を左右する署名に駆け込み署名する大臣は信任できないよ。怖すぎるよ。

2010-07-18

過去に学ぶ、ってこういうことだと思うんだよね

http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2004/12/post_28.html



木村剛逮捕について。

軍配は切込隊長の方にあがっている。



でも、正直当時の自分は、迷っていた。どっちが正しいのか。

自分の気持ちの中では、通常は基本隊長寄りのポジションだし、木村剛はどことなく胡散臭いって思っていた。

それでも、木村は当時「経済についてとてもマトモなことをいう新進気鋭のエグゼクティブ」っていう位置づけが世間でなされていたから、自分はその世間の位置づけに真っ向から逆らえずにいた。



今、逮捕という「正解」を教えてもらって、自分感覚は間違いではなかったとホッと安堵の息を漏らす。

・・・と同時に、

あのとき自分感覚を信じ切れなかった自分の弱さ、というものにも思いを致す。

正解を教えてもらえなければ、自分感覚に自信なんかまったく持てなかった。



登り調子の時にある人は、基本腐されない。

ダイエーの中内しかり、ライブドアホリエモンしかり。

そういう時に、何の批判意識もなくぶら下がって礼賛するバカどもは全員しね、って思ってたけど、

かといって、上り調子の時の中内やホリエモンを真っ向切ってしっかり批判しなかった自分はどうなんだと、自分自身にチクリと良心を責め立てられる。礼賛者に向かってしねとかお前よく言えるな、日和見野郎が、って。



こういう時、ネットって本当に便利だと思う。

成功者が実はハリボテでした、って時、マスコミは今までそういうところの反省を一切報道してくれなかった。

ダイエー流通神様じゃなくて土地転がしでした、

ホリエモンはITの救世主じゃなくて株転がしでしたって、

ちゃんと批判や考察を加えてくれなかった。

でも、ネットでは、言ってた本人の言説をこうやって確かめられるし、

トラックバックを丁寧に拾い上げることで、

シンパ人間がどういうことを言ってたのかが分かる。



トラックバック見てて面白いのは、

当時木村を批判的に見てた人はまだブログをしっかり続けてて、記事は興味深いものが多く、

他方シンパの人たちのブログは大抵リンク切れ活動休止、もしくは木村逮捕に一切ふれていないってところ。

占い師と同じだね。

当たってたら喧伝して、間違ってたら素知らぬふりを決め込む。



これから自分にどうやって自信を持てばいいのかを、

当時木村に批判的でトラバ送って、なおかつ今も精力的にブログを書いている人たちの記事を見て、

今後の参考にしていければと思う。

2010-05-04

鳩山総理、御見事です

首相訪沖】首相海兵隊抑止力と思わなかった」

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100504/plc1005041845021-n1.htm

ネトウヨ海兵隊抑止力だってことも分からなかったのかこのルーピーは!」

はてサ海兵隊抑止力になるとでも思ってるのかこの日和見主義者は!」



左右どちらからも同時に叩かれる見事な失言っぷり、流石です総理。

2010-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20100426104539

まず国策としてどの分野に資金を投下するかを国が方針を決める必要がある

一律で全分野削られたら、どの分野も他国に先を越されて2番煎じの研究しかできない

国が方針を決めなぜその分野なのかを説明する

そうでない分野は当面冷遇されるとしてもそれは仕方がない

民間の資金でやるか外国研究をやるか

 

今の民主党ベースとなる理念がまったくなく日和見で削ろうとしてるから駄目

2010-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20100417145731

だからそんなことしなくても処女はいっぱい余ってるってば。

何が問題なのかきちんと提起してください。でないと同情のしようもない。

それを日和見主義とか言われましてもって感じなんですよ。

2010-04-09

>地下猫は公権力が嫌い

ここが笑えるというか、中々頭の痛いところでもあるのだけれども、地下猫やはてサ

公権力が嫌いというのはその限りにおいてはそうではあるんだろうが、権力的なもの

それ自体を嫌ってるわけじゃあ無いんだよね。むしろ逆で、権力志向自体は強い人種

なのだと思うね。

たとえば、「自分が」(ここ重要権力的に振舞うこと自体はなにより大好物でしょ。

他者に対して悪い意味権力的に、つまりオイコラ式の警察官のように、気に食わない

相手に対して自分の特権性を背景に、強圧的、威圧的に、居丈高に、嘲弄的に、攻撃的に

行動することを非常に好む、という意味で。この場合彼らの「特権性」というのは言説

の絶対的な正当性(勿論彼らの脳内において、だけども)によって担保される。

はてサの皆さんが自己の善性、正当性とその「無謬的な絶対性」に異常に固執する、

これがその理由だね。単に自分が正しい、ということへの自己満足からだけでなく、自分

特権的な立場に祭り上げておくために非常に重要な道具だからだ。

おまけに、その「気に食わない」という基準も要するに彼らの幼稚なプライド抵触するか

どうかというものでしかないとくるわけで。

で、うわべだけの綺麗事で公権力糾弾してみせつつ、「ボクのかんがえた、りそうのしゃかい!」

を実現するためなら、ファッショの極みみたいな抑圧的な社会ですら全肯定しそうな、どうしよう

もなく権力オリエンテッドな主張を平気でするからねぇ。

要は「他人が」権力を行使することがその是非に関係なく嫌いなだけであって、「自分が」権力

行使する(または行使する様を妄想する)場合にはね、彼らに権力一般への批判性なんてもの

を期待するのは実にお門違いだろうと思うよ。

単なる無定見や日和見主義を揶揄するための言葉ならまだ理解は出来るけれども、はてサ

使いたがる「自称中立」とか「妖怪どっちもどっち」ってのは大抵はそうじゃないね。

はてサ憎悪してやまないのは、是々非々スタンスというか、物事を非党派的に捉えるような

スタンスそのものなのだと思う。

そういうのに色々呼び名をつけてはあしざまに攻撃しまくるのは、結局はある種のポジショントークってやつでしょ。

いにしえのサヨクが好んだ罵倒用語の「プチブルなんたら」ってのと似たようなものかと。

その場合、対象となる言説の内容の是非が問題なのではなく、物事を二元論的に、党派的に捉えない

スタンスそれ自体が彼らにとって都合が悪いからだろう。それはつまり、単に二元論的、党派的な視点から一方

を攻撃するのとは違って、党派的な世界像そのものを解消してしまいかねないから、つまり、彼らが

大好きな特権的な立ち位置、「常に自分は無条件に善の立場、真理の側」というポジションを相対化して

なんの保証も無いものにしてしまいかねないからね。

その「自分は無条件に全面的に正しい側である」という前提が脅かされることを何より忌み嫌うのは、

要するに他者や愚民社会世界を無条件に嘲笑し、罵倒し、攻撃するための(そして同時に自分がいかに

優れたあたまがいい特別な人間かを再確認するための)特権的な立場が(まあこれも彼らが自分自分

対して自作自演的に付与したまがいものの特権でしかないわけだが)少しでも傷つけられることが

我慢ならないからだろね。

簡単に言えば、お子ちゃま勧善懲悪脳で自分はいつも正義の味方役じゃないと嫌な(そういうわがまま

子供っているよね)のはてサの皆さんにとっては、自分から「正義の味方の役どころ」をとりあげかねない

全てのものが憎悪の対象になりますよってことかな。

自称中立」的な言説もそうだし、彼らの「脳内正義」と違ってより現実的な「正しさ」に近い人たち、

信条や思想に基づいて現実社会の中で(たとえば外国人のために活動する弁護士とか)それなりの実績

と立場を築いてきた人たちが、彼らの言論オナニーの場に入り込んできたときとかもね。

2010-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20100203233055

なぜか知らんがリベラルだと言う人がいたから日和見中立じゃないのと突っ込んだだけ。

「なぜか知らん」ということはお前はiteauはリベラルではないと思ってるわけだな?

ではなぜそう思ったのかその理由を聞かせてくれ。

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