はてなキーワード: 教育現場とは
・柔道団体
「柔道を必修化しろ!講師やらせろ!柔道人気で道場の月謝を増やせ!柔道家が国会議員に選ばれてるんだぞ。これが民意だ」
・政府
「しょうがないなあ。有識者会議でも開いて決定するか。柔道だけじゃ目立つから、ダンスも必修化するよ」
・マスコミ
「柔道の必修化か。おっ、柔道は事故が多いぞ、これは愚民が面白がるに違いない。記事にしちゃえ。対策や指導が不十分だった可能性があり、問題となりそうだ、と。なりそうというか、問題になると面白いんだけどね(笑)」
・普通の人
「柔道は危険なのか。でも、多少は怪我するのはしょうがないんじゃないの?」
・不満の捌け口を探している人
・マスコミ
「普通の人の意見報道したってつまらないし、センセーショナルに怪我した人を紹介しよう。教育現場はこのような危険な状態を放置して良いのでしょうか?子供の命はうんぬんかんぬん、とな」
「武道なんだからある程度の怪我はしょうがないだなんて言えない雰囲気だ。しょうがない、形だけ対策委員会を立ちあげて、そのへんの先生を呼んで指導させることにしよう。(でも、こんなので事故が防げたら苦労しないよね。まったく無駄な仕事だ)」
・マスコミ
「これで事故は防げるのでしょうか?責任はどうとるのでしょうか?」
「思いがけず起こるから「事故」なのに、責任なんか取れないよ。国が必修って決めた事だから柔道を辞める訳にはいかないし…そうだ、乱取り禁止にしちゃおう。これなら事故は起きない。」
・マスコミ
「○○市が乱取り禁止!これで柔道が学べるのでしょうか?日本発祥の武道が廃れる事が問題となりそうだ。」
・普通の人
「バカじゃないの?」
・不満の捌け口を探している人
「苦情がたくさん来た。これもニュースになるんだろうなあ。」
行動分析学マネジメント-人と組織を変える方法論 - 舞田 竜宣
パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学 - 島宗 理
明日は誰のものか イノベーションの最終解 - クレイトン・M・クリステンセン
教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する - クレイトン・クリステンセ
イノベーションへの解 利益ある成長に向けて - クレイトン・クリステンセン
イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき - クレイトン・クリステンセン
ノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材 トム ケリー
発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法 トム・ケリー
アジャイルプロジェクトマネジメント 最高のチームづくりと革新的な製品の法則 - ジム・ハイスミス
なんかいろいろ言われてるけど、個人的には教育現場の苦肉の策じゃないかと思うんだよね。
子供の頃の勉強のできない子とか、おバカが売りのクイズ番組で計算させてるのをみると
彼らは文章問題の意味がまったく理解できないんだよね。できないというか理解しようとする気もないというか。
そんなおバカさんなりの知恵として、文章題に出くわすととりあえず問題に書いてある数字を全部足すか掛けるか
たまになんとなく割ってみたりするわけ。
なまじ問題が単純だった頃にそれで正解を拾えてたという体験があるから、ずっとそうやっていって
なぜだろう、理由を考えてみた。
いわゆる「いじめ」を受けていた。内容はありがちな「○○菌」というやつ。
席替えして机が横にでもなろうものなら、あからさまに嫌がられたり。
小学校を卒業する直前に転校した。当然、新しい学校では友達もロクにできないままに卒業式を迎えた。
コレ以来、「仲良くなったら別れの時がつらいから仲良くならない」と考えるようになった。
就職で上京した。周りには友達が1人もいない状態で、人間関係を作りなおした。
機会はいろいろあるけど、似たような事を何回か繰り返した。
周りからの評価を気にしなければいくらでも手を抜くことができる。
しかし、自分自身の評価を高めたいという事もあるけれど、学生自身に幸せになってほしいという気持ちもある。
地方公立高校出身
いま公立高校英語教師
もっと勉強しておけばよかったな
たいして充実した青春時代でもなかったし
いま高校生と接していて
彼らの未来がうらやましくもあり、同情もする
自分の力に相応ではあった
でも人に言うのは恥ずかしくもある
でもいまの日本の状況をみていると
お金を出せば容易に入れる
しかし若者の雇用情勢は厳しく、自分の夢を実現できるのは少数止まり
それは自分が若かった頃も同じだが、さらにハードな現実が待っているように思う
就職してもいつリストラされるかわからず一方で管理は厳しくなり窮屈だ
そんな社会情勢の中、大学のネームバリューはどこまで相対化されたのだろう
まあ身分相応の就職をし生活をしている
コレでよかったんだと思うときと
コレでよかったのだろうかと後悔するときと
その間を行き来し続けている
その応援をするために自分がいる
もちろん保護者の願いをかなえることにもつながる
また法科大学院をはじめとする専門職大学院の低迷ぶりが表すように
「約束された」エリートコースの存在を単純には信じられなくなってきた
最近高校教師の世界も大学院出身者が競争してようやく入り込める状況で
現実の教育現場を目の当たりにして夢や期待を打ち砕かれる人も多い
そんな彼らの死んだ魚のような目を見ながら
いまの時代に「いい大学」にいくことの意味はなんだろうと思わずにいられない
お金をかけ期待をかける価値がいまの大学ブランドにはたしてあるのか
でも私のようなコンプを抱き続けて生きていくのもどうかとも思う
5年前、携帯ゲームSNSサイトが既存ゲーム市場を激変させると誰が予想していたでしょうか?
そして5年後、同様の破壊的イノベーションが、教育の分野でも起こると予想(願望)しています。
1対マス(教師×生徒)型の教育から、マス対1(多種多様な教材×生徒)型の教育プラットフォームが主流になるでしょう。
http://www.codecademy.com たとえばこんな感じのサイト
有名大学や有名塾講師の講義内容を無料で映像配信するプラットフォーム
lang-8や、四択問題クイズサイトのような、ユーザーが教師であり、生徒でもあるようなSNS型プラットフォーム
多種多様な教育コンテンツを企業が提供するSNS型プラットフォーム。
お得意のデータマイニングで、学習者にとって最適な教材を提供。ただ、ゲームと違って、言語の壁を乗り越えるのが大変そう。
ここまで書いて、稚拙な文章と分析しかできなくて情けなくなったので、言いたいことをまとめると、
デジタルデバイスとネット接続環境があれば、誰でも無料で教育を受けられるプラットフォームが誕生
↓
従来の学校教育に馴染めなかった人も、多種多様な教材で楽しく勉強できるような設計。(細かい目標達成を感じられたり、ゲーム的要素だったり)
従来の学校教育の進度が遅い/早いためにフィットしなかった人にも最適な学習環境が得られる。
教育の生産性が向上し、18歳で大学教授並のパフォーマンスとか出せちゃう、教育界の石川遼クン的人材がたくさん出てくる。
良質なスクリーニングで、センター試験とか大学の二次試験も廃止でコスト低下
↓
新技術の台頭により、職を失ってしまった人も、新技術を学べ、再チャレンジ可能な社会へ
↓
既存の公教育は、ディベートや、コミュニケーション、発想、創造力、を鍛える教育へ
↓
みたいな妄想をしてた。
過当競争で毎年自殺者3万人出てるなんて戦争やってんじゃねーんだぞこらー!(全然関係ない)
以上、孤独と不安で頭がおかしくなったニートの戯れ言でした。誰かかまってください。
本の紹介忘れてた
教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する: クレイトン・クリステンセン, マイケル・ホーン, カーティス・ジョンソン, 櫻井 祐子: 本
今の子供は精神力がないとか我慢が足りないとかいうけど、それは仕方がないことだと思う。
もうすでに、精神力とかそういうモノが前時代の何かになろうとしているんだろうと思うから。
この前3D映画を見に行った。
飛び出す映像は迫力あって面白いことは面白いんだけど、目がとっても疲れる。
でも、もし生まれた時からこの映像をずっと見ていたら、これが普通なんだろうなと思う。
昔の年寄りが「テレビを見るとチカチカして疲れる」と言っていた。戦後のテレビっこは「ゲームのピコピコした人工の音が嫌い」と言っていた。
ドットゲーム世代は「3D酔いするからゲームはできない」と言っていた。次の世代は? 「3D酔いするから映画見られない」になっているんだなと。
新しいものができれば、古い世代は「異質」と感じるけど、その時代に生まれたほうからすれば「当たり前」になるんだろう。
今の若い世代は「スイッチひとつで解決」が当たり前で育ってきた。
例えばわからないことがあったらググればいいし、電子レンジで大体全部料理ができて、
お父さんが外に出ていけばお金を自動で持ってきてくれて、学校も考えなくてもお母さんや先生が成績で勝手に決めてくれる。
だから「わかんないことがあったら聞けばいい」し「面倒くさいことをしたことがないからわからない」し
「合理的なことってよくわからないけどカッコイイ」し「すぐ結果が出ないと気が済まない」思考回路が育っている。
「新人がメモをとらない」のは学校の授業でメモを取る習慣を身に着けなかったから。
「すぐ考えればわかることを聞く」のは考える訓練をしてこなかったから。
「職場の空気が読めない」のは今まで大人のいうことを聞く必要がなかったから。
「俺はこの仕事向いてない」って言い出すのは結果がすぐ出ないとリセットしたくなるから。
今までやってこなかったことが社会に出たからって急にできるようになるわけがない。
それもこれも「3D映画をみると目がチカチカする」現象と似ていると思う。
丁寧に教えても仕方がない。だって彼らはそれが生まれたときから続いてきたんだから。
大人が「これはおかしい」っていうことが彼らにとっては「目がチカチカする」と同じくらい滑稽に聞こえているはずだ。
「個人の自由が大事」と教えられ、「大した手間がなくても結果が出る」ことばかりで
挙句の果てに「困ったらママがなんとかしてくれる」世界で育ってきたんだから、その価値観をいきなり変えるのは無理。
価値観を植え付けたのは彼らが育った日本社会であり、彼らに責任はない。
そこを「ゆとりは使えない」と切り捨ててしまったらあまりにもゆとりが気の毒だ。
彼らは普通に3Dの映画を楽しむ。それなのに「あんな映画は目が痛くなるから禁止だ」と怒られる。
それが彼らにとっては理不尽であり「合理的」でないから旧世代を馬鹿にした態度をとる。
そもそも多くの大人と接していないので彼らは上司も「部活の先輩」や「クラスメイト」と同等の価値観で接する。
だから最初からの根本的な教育が大事だと思うんだけど、残念ながら日本では公立学校の崩壊など教育制度の改革が十分じゃない。
学校制度に育児を丸投げにして、家庭教育を放棄せざるを得ない世代が存在するのに
「育児は家庭(母親)の仕事」と取り合わない社会制度も教育崩壊の一因な気がする。
学校は託児所じゃない。もしそうするのならそれなりの社会支援がないと教育責任が全部学校になってしまう。
ゆとりを大量生産してしまったシステムを見直すことや教育現場と社会の乖離を解消することが早急。
不便に戻れっていうわけじゃないけど、少なくとも忍耐とか相手の気持ちを考えるとかそういう基本的なことを大人が示していかないといけないんだけどね。
あ、そういう大人も少ないかも。困ったな。
確かに。
んで小思い出せば学生のころさっさと作文の書き方教えろよー
俺事実の羅列と語尾に楽しかったをつけることしかできねぇよーって苦しんでたわー。
話それるけど、「そんなのは価値観の押し付け」とか言ってる人も、
美術の授業ではもっと技法とか教えろよって言い出すんだろうな。
実際の教育現場もそのジレンマで苦しんでて、ゆとりもそういう考えに答えてできた制度って言うことも無視して
って言うこと思い出した。
あと教育の現場からの声だっていう前提なら、なおさら元増田みたいなこと嘆いてないで
世代論に持って行くのも一種の病気みたいなもんだと思う。
君が代訴訟:起立命令、三たび合憲 最高裁判決、2人目の反対意見
入学式などで君が代斉唱時に起立しなかったことを理由に戒告処分を受けたのは「思想・良心の自由」を保障した憲法に反するとして、東京都内の公立中学校の教諭ら3人が都を相手に処分取り消しなどを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は14日「起立斉唱命令は合憲」と判断し、教諭側の上告を棄却した。訴えを退けた2審判決(10年4月)が確定した。最高裁の三つの小法廷で合憲判決が出そろったが、弁護士出身の田原裁判長が2人目となる反対意見を述べた。
5月30日と6月6日の別の小法廷での判決と同様、今回の判決も、命令が思想・良心の自由への「間接的制約となる面は否定しがたい」としつつ、教諭の職務の公共性などから合憲とした。田原裁判長は「起立命令と斉唱命令は分けて考えるべきで、斉唱命令は内心の核心的部分を侵害する可能性がある」との反対意見を述べた。
そのうえで、田原裁判長は不起立を理由とした処分について「命令内容が思想・良心の自由に直接関わる場合、処分はより慎重になされるべきだ」と指摘。多数意見の岡部喜代子裁判官も「不利益処分は慎重にすべきだ」との補足意見を述べた。
原告の教諭ら(2人は退職)は入学式や卒業式で起立斉唱しなかったとして、04年に戒告処分を受けた。うち一人の元教諭は判決後「教育現場に処分を伴った一律強制がまかり通っている。行政をたしなめるべき司法が追認したことは残念」と話した。
1審の東京地裁判決(09年)は同命令を合憲としたうえで「最も軽い戒告としたことに裁量権の逸脱はない」と請求を棄却。東京高裁も支持した。【伊藤一郎】
"二人目の反対意見"なんて未練たらしく書いてるけど、これだけ立て続けにぶちかまされたらもう無理だろ。
この件の反対派はもういい加減従来路線の維持は諦めて、戦略の見直し仕切り直しを各自でやった方がいい。
- 1994年3月、八王子市立石川中学校の卒業式で、掲揚されていた国旗を降ろして、減給処分。
- 1995年3月、八王子市立石川中学校の学級通信で国旗掲揚を非難したため、訓告処分。
- 1999年3月、八王子市立石川中学校の家庭科の授業で、国旗及び国歌に関する法律はオウム真理教のマインドコントロールと同じであるというプリントを配布し、校長の学校運営を批判したことにより、訓告処分。(この処分に対しては、2001年に「教育行政の教育現場への不当介入」として訴訟を起こすが、2004年5月に敗訴)
- 2000年2月、多摩市立多摩中学校の家庭科の授業で従軍慰安婦やジェンダーフリーをテーマに授業を行い、校長の職務命令に従わなかったため、減給処分。(この処分を不服とし、2004年に訴訟を起こすが一審二審共に敗訴している。)
- 2003年3月、調布市立調布中学校に異動。通勤時間が往復で4時間かかる勤務地への配属は不当として、2004年に訴訟を起こす。
- 2005年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、減給10%・6ヶ月。
- 2005年4月、立川市立立川第二中学校の入学式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職1ヶ月・ボーナス0。
- 2005年12月、大阪市の『すわって示そう戦争反対!12・23』で講演
- 2006年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職3か月。(この処分を不服として訴訟を起こすが、2009年3月に棄却される)
- 2006年4月、『4.25改憲と共謀罪に反対する集い』で講演
- 2006年12月、多田謡子反権力人権賞を受賞。
- 2007年3月、町田市立鶴川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職6ヶ月。
- 2008年3月、東京都立南大沢学園養護学校の卒業式で国歌斉唱を拒否したことにより、停職6ヶ月。
- 2008年4月、東京都立あきる野学園に異動。
- 2009年3月、東京都立あきる野学園の卒業式で、君が代不起立により停職3ヶ月。
キチガイすぎるだろこいつ。
こんなのがクビにならない事が逆に怖いわ。
医学部に限らず、国立大学全般に言えるんじゃないのかなって思う。
私立大学だって私学助成金を貰ってるから程度の差はあれってことだけど。
奨学金みたいに回収を前提とした資金投入じゃないとダメなんじゃね?
欧州みたいに大学の学費をもっと安くしろっていう人たちはどう考えてるんだろう?
高学歴でニートだって本人はいいかもしれんけどさ、投資する側としちゃ、投資効果がないと判断せざるをえないでしょ。
まあ本人がそれでいいならいいと今書いたばかりだけど、好きで選んだ道なのに、もっと(博士の)仕事が溢れてるべきだとか、もっと高い報酬が得られるべきだとか、そういう文句まで社会に垂れ流してるわけでしょ。
そりゃ科学技術立国には高等教育は重要だと思うけどさ、なんとなく予算を垂れ流すだけじゃ還元されていかんわ。
教育現場は思想の中立って建前で、社会のために生きるとかはタブーだもん。
中立どころか寧ろ左寄り
これが教育現場で通っちゃまずいよ。
残念ながらそれが「通って当たり前」だと本気で考えてる人がまだまだ多いのが現状なんだよね。
Twitterとかmixiとかでも、さすがに少数派ではあるものの、少数派故に極端に先鋭化してる筋金入りばかりが残ってしまってる。
これが通ると、たとえば極右思想に凝り固まった教師が歴史の授業で生徒に要らん事吹き込む事も合法になりかねないんだけど、彼らはそういう所にまでは想像力が全く働かない。どちらも公務員が職務より自身の思想を優先する事態に変わりはないはずなのに。
石原や橋下が増長しているのも、リンク先の人ような対抗勢力が世論に支持される(自分の支持者が減る)可能性が限りなくゼロに近い事を熟知しているからだろう。
だから、「対抗勢力よりちょっとだけマシ」なレベルまで横暴を働いても大丈夫だと思っていて、実際それは大体その通りになってしまっている。
ひさしぶりに気持ちの悪いコラムを読んだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110602/220377/
そもそも「日本の公立学校の」先生にならなければ、判決の影響は避けられるよね。
私立の学校で、式典で国旗掲揚も国歌斉唱もないところもあるし、
インターナショナルスクールの式典で日本の国旗国歌を強制しているわけじゃない。
そういうとこ探せばいいのに。
小中学生くらいで音楽の教科書の君が代の上に関係ないプリント貼らされて、
歴史の授業で「日本は悪いことをした」って教科書に書いてないこと刷り込まれて、
それは果たして「公立学校の教育」としてどうなのよ?っていう話だよね。
これが教育現場で通っちゃまずいよ。
先日の金町浄水所の「乳児への水道水摂取規制」、あの数字って、確か200ベクレル超えていたので、
もう少し数値が上がっていたら「対成人も摂取規制」(=300ベクレル)に達していたところだった。
仮に300ベクレルを超えたとすると、どういう事態が発生するのか?
原発の状態が不安定な状況下なので、今後再度ベクレル値が上昇して300ベクレル超えする事態も
起こりえる事態なので、今のうちにシミュレーションしておくのも悪くないだろう。
(暫定規制値改訂、という話もあるが、ここでは暫定規制値が変わらないものとして議論する)
あっさりと「規制値に達しましたが、ミネラルウォーターが入手できませんので、営業を停止します」という飲食店は、
恐らく少数派だろう。
「飲料水と調理使用水はミネラルウォーターにします(食器洗いは水道水)」という店も、少ない?
「飲料水は頑張ってミネラルウォーターにしますが、調理使用水は水道水にします」的対応が多数派になるのだろうか。
利用する方も、「多少のヨウ素はしょうがない」という割り切った気持ちで外食店に行くことが求められよう。
「オリジン弁当」「ほっともっと」「デパ地下の惣菜コーナー」の類はどうするのだろう?
やはり「申し訳ありませんが、水道水で調理しました」ということになるのか。
ビール会社とか清涼飲料水会社とか豆腐メーカーとか加工麺会社とかパン製造会社とか冷凍食品会社とか、
西日本の増産で以って「東日本のヨウ素汚染工場での生産見合わせ」という選択肢を取りえる。
生産中止か、「水道水利用であることを割り切って工場を操業する」この二者択一である。
問題なのは、「この加工食品(飲料)は、どこの工場で作りました」
「この加工食品を製造した時点でのヨウ素の量はこれだけでした」
という情報が開示されないまま、消費者のところへ行くということである。
心配性な消費者は「東日本に本社がある食品会社の加工食品は、東日本の工場で製造された可能性が高いから、避けよう」ということで、
西日本本社、もしくは中国産の加工食品を買い求める、ということになる。
あと、食品会社で独自の地下水源を持っている会社って、どれだけいるのだろうか?
井戸のヨウ素汚染の状況は、どうなっているのか?
・学校給食
実はこれが一番問題じゃないかと思っている。
40人の学級があったとして、保護者40人全員が「多少ヨウ素数値が上昇していても、大勢に影響がない」と判断して
「多少基準値をオーバーした水道水で調理した給食を食べさせても、まあ仕方がない」と判断すれば、そんなに問題はない。
しかし、40人もいれば、数名、下手すれば十数名、「ちょっとでもヨウ素が入っている水で調理された給食を食べさせることはできない」と
主張する保護者も現れると思われるので、その場合は「給食自体の取りやめ」も考えられる。
(ミネラルウォーターを確保して、それで調理、というのは非現実的だろう)
あるいは、「安全性が担保されないのであれば、わが子だけはお弁当を持たせる」ということで、
自宅でミネラルウォーターで調理した弁当を持たせる保護者も続出すると思われる。
多分拒否できないと思われるが・・・・
ということで、「成人基準値を突破した場合の取扱い」というのは、純医学的見地からというより、社会学的見地から
さまざまなトラブルが多発すると思われる。
少なくとも、給食の件とかは、文部科学省は厚生労働省と今のうちに協議しておいて、マニュアルを作っておかないと
大混乱になるのでは?
今公立校では高齢者部分休業とか言って定年前の先生が体の負担などで
昔ならやめてただろうに、ぶらさがってる。
そして、若い人が穴埋めで非正規で入れられてる。
同じ時間、というよりそれ以上働いていて若い人は前者より2分の1、下手したら3分の1。
自治体によるけど、どれだけふざけた教員でも簡単に首切れないし
教育にまわせる金のなさから常に一定で1割以上の非正規講師がいる。
そうやって十数年、正採用されないのに搾取されながら非正規が教育現場で働いてる人も少なからずいる事実。
受からないのに働かせる。働かせてるのに受かってない。
企業とおんなじと思う。
これはちょっと自慢ですが、僕はある分野でかつて神童と謳われてた事がありまして。今は凡人ですが。へへ。
で、僕はその過去の栄光のおかげで、特別才能のある子供達の英才教育現場に従事してきたのだけれども、そこで天才と呼ばれる彼らを見続けて、彼らが(そして思い返せば僕も)必ずと言って良いほど通過する心理的な難所に気がついたので書いておくことにします。ほんとに単純なことだけど。
彼らは成長の過程でまず、自分の中の万能感を認め、飼い慣らさなければならない。それまでの小さなコミュニティでは自分の優位性を再認識し、その存在を確立する手助けをしていた万能感が、渡航や進学で大きなステージに出たとたんに鈍重な重荷になる。万能感の根拠が相対的なものでしかなかったことに気がつくわけですね。
ある種の天才児達はここを乗り越えることが出来ない。万能感を適切な形に処理できないまま現在の自分とのギャップに苦しんで潰れてしまう。天才人生終了。
そしてその万能感を乗り越えると、今度はその反動で無力感が襲ってくる。いままでなぜか自信満々だったけど俺ってゴミじゃね?って思えてきてしまう。それでうじうじ考えて自己否定の論理を組み立て始めるんだけど、実際に周りにもっと凄い天才達がいるわけだからその論理が決して破綻してない。的を射てる。そうなってしまうともうダメ。内向的・後ろ向きになることで才能の推進力が止まってしまう。
思うに「天才性」ってのがあるとすると、それは現在の彼の状態ではなくて、天才なりの将来へ彼を進めていく推進力とか爆発力みたいなものも含めての「天才性」なわけです。上記のような状態の時に上手く制御された万能感をもう一回持ち出してきて自信を回復していけない子は、ここで天才人生が終了。
私はとある理由で、同窓会にはまだ生涯で1度しか出席したことがありません。特に先日、私が過去に遭遇した教育現場の生臭い話をした中学時代の同窓会には、一生出席しないと思います。
最大の理由は、いじめを行ったほうも私を脅迫した教師も、『そんなこと無かったかのように』にこにこ笑っているのが我慢ならないから。
担任は確信犯ですが、いじめっ子のほうは中学だけでも約二年半ぐらい、私や私以外の人間をいじめ続けました。
その場でいじめっ子の彼にさりげなく「いやあ、お前にはいじめられたからなぁ」と話を振って帰ってきた台詞がこれ。
「えっ? そんなことあったっけ?」
「いやあ、あん時は若かったよなぁ」
すべて「若気の至り」で完結していました。いじめられた方は恐怖と怒りと怨念の記憶とともに人生を歩むことになりますが、いじめた方は真実何も覚えていないか、そもそもいじめをしたという自覚すらありません。少なくとも私にいじめを行った人物についてはそうでした。
「ふざけるな!」と怒りのあまりにわめき散らしてその場を凍り付かせても良かったのですが、その場は笑顔をキープして、二次会は避けました。もっとも、笑顔の下で表情筋がこわばっていたのを、今でも覚えています。
ちなみに彼のよくやったいじめは、「授業中、板書している先生の目を盗んで前の席の生徒の背中を殴りつけ、悲鳴をあげさせて授業を中断させる『遊び』」というものでした(授業中の教師は基本教科書か黒板しか見ていない)。
彼にとっては単なる一過性の『娯楽』だったので、1年前のお笑い芸人のネタを視聴者が覚えていないように、彼もまったくいじめについては記憶していません。せいぜい、「若い頃はやんちゃだったな」程度の認識。私は何をされたか具体的にここで書けるほど覚えていますが、これが実際の加害者と被害者の温度差なのではないかと思います。
「いじめられっ子の究極の自己主張は、実名を記載した遺書を残しての自殺である」という、報道なども含めた現在の状況(というか雰囲気)は、いじめられっ子に対しては何ら利しません。むしろいじめられっ子に「自殺すれば声が届く」と勘違いさせ、自殺を促すことになりかねません。
本当に知らしめるべきは、十年後二十年後の同窓会で私が遭遇したいじめっ子の姿であり、脅迫に荷担した担任教師の笑顔であるべきだと思います。そう、彼らはいじめなど無かったことにして笑顔で同窓会に出席しているのです。
まあ学校ぐるみで「我が校にいじめなど無い」と、いじめられた方に言い切った学校に所属していたわけですから、彼らにとっていじめなどん無かったのでしょう。ただ、当時私はその『遊び』のお陰で、背中が痣だらけでしたが。
『死ぬな』
TwitterのTL上では、@masasonさんなどが、教科書の電子化について議論していますが、もうひとつ見落とせないもの。
S県のとあるブロックにおける、年齢構成をみると、50代以上の教員が全体の40パーセントを占めています。(おそらく全県でも同じだとは思います)
逆に言うと、10年後の学校は、経験が10年以下の若造が40パーセントを超えると言うことです。
経験豊かな教員がどんどん減り、実践もまだ浅く、まだまだ一人前とは言えないかも知れない教員がどんどん増えてきます。
おそらく教員の不祥事の件数もうなぎ登りになるでしょう。若い人しかいなくなるんですから。
ちょっと怖いです。校長と教頭以外の教員が保護者よりも年下ということもあり得るかも知れません。
しかしながら、次のようなメリットも考えられます。
・柔軟な考え(というかまだ自分のスタイルを確立してない)を持っているので、情報化などの波を起こすなら今。
@masasonさんが提唱する、教科書の電子化について、今の現場に持ち込むのは絶対に無理です。
自分のスタイルを確立した教員は、そのスタイルを変えることを嫌います。
教員の職務は経験勝負である部分が多いので、わざわざ経験値をゼロにすることはしません。
やるなら文科省が「紙は禁止ね。これから全部iPadにするから。」とか言わない限り無理です。
教科書だけの問題で、教科書の電子化を考えると絶対に失敗します。
今話題の電子黒板、あれ、若い人たちとか、ICTに明るい人は使いますよ。それこそガンガン。
逆に、定年間近な方はほとんど使いません。ビデオ見るときに使うとか、大きいテレビ代わりとしてしか使いません。
しかしながら、若い人たちの間では、電子黒板を用いた授業スタイルを確立させようとしている人もいるでしょう。
私立の学校では、前と側面、計3面にスクリーンを展開して授業を行うクラスだってあります。
そして、今の小学生にとっては、教科書よりもプロジェクタで大きく映し出された情報の方が好きです。
電子黒板に教科書を実物投影機で映した方が、教科書を広げさせるよりも子どもたちの食いつきは良いです。
しかし、電子教科書が有効なら、とっくに塾で採用されているはずなんですよね。
あそこって、無駄を思いっきり省いて、勉強だけする場じゃないですか。
そこになんらかの理由があるのではないでしょうか。
そこら辺を解明していかないと、何でも図鑑のデータ版としての電子教科書以外の価値が見いだされないのではないでしょうか。
戻します。
教員は若いやつしかいません。
なんかいろいろデジタル化してるかも知れません。(とりあえずiPadとDSでたとえます)
子どもたちも、紙なんか見ません。紙を使うのは図工で印刷するときだけかも知れません。
連絡網なんてありません。一括送信です。
iPadは母艦として学校に置き、DSみたいな小型のものを子どもたちが持ち歩くことになるとしましょう。
宿題はDSに先生が無線で配布して、家のパソコンに展開して行い、自動で丸付けと提出状況がチェックされます。
もちろん親はケータイで提出状況をチェック、家での指導に役立てます。
漢字練習は努力しないとだめなのでノートを未だに使っているかも。
そんな教育現場になっているかもしれません。
いったい学校では何を学ぶのでしょうか。
ブコメを見て唖然とした。自分が知らないからバランスを取ろうと思って記事に反発しているひとが、かなり見受けられるのがすごくショック。というか、せめて発達障害を知らないからそうなってるだけと信じたい。元の産経の記事は擁護出来るところがみじんも無い記事なんですよ。どれくらい擁護出来ないかレベルを他の言説で表すなら、「レイプされた女性にも問題があった」というところ。
うちの両親が特別支援学級を受け持つ教員なのでほんとうに悲しい。うちで取っている新聞が産経じゃなくて本当によかった。もし親が読んでたら…と想像するだけで悲しくなる。両親の仕事に対する誇りとか自負とか、生徒に対する愛を見て来た分、本当につらい。
発達障害とか自閉症というのは、親は客観的になれずに結構この記事に出てくるひとたちの話を信じてしまうと母親が言っていた。特に父親が現実を見られなくなって、「うちの子は出来るから普通学級に、普通高校に」とか言い出すらしい((もちろん母親がそうというときも多い))。教員はみなその子の能力がどの程度で、どのようなキャリアパスを進むべきが分かっているから、適当にうまくいなしてその子にあった進路を、このような親だったときは親を説得して、見つけ出すんだとか。その過程がかなり大変だという。というのも教育現場でさえも発達障害や自閉症への理解が足りていない人がいるから、と。
だから、今回の記事は両親の努力を踏みにじられたようで、私はとても悲しいのです。
ttp://mabatakiwosuru.cocolog-nifty.com/mabataki/2010/02/post-ac94.html
研究には長い年月を要した。フィンランドに通って5年で、ようやくフィンランドという国の教育が理解できた。
・だから、フィンランドの教育現場を見ようとへ研修目的で行くのをよく目にするが、1回くらい行くのではフィンランドの教育はおそらく理解できないのではないか。
・だって、フィンランドの6歳が学ぶ教室って、子ども寝てたり物食べてたり、学級崩壊みたいなことになってるんだよ。
・「フィンランド式教育」というのが一時日本で流行ってたみたいだけど、あれはあんまりフィンランド的じゃないと思う。フィンランドの教育というのは、そういうことじゃないんじゃないか。
・フィンランドと日本は、文化が根幹から違う。フィンランドではよく家族みんなで夕食をとる家庭が多いというが、でも食べてるものが全員違う。それを疑問に思わない。それぐらい、文化が日本とは違う。だから簡単に真似できないし、比べられない。
・フィンランドも日本も、教育の平等を目指している。日本は全国どの学校に行っても同じ教科書で同じ教育がほどこされる(そりゃちょっとは違うと思うけど)、フィンランドはクラスごとにまったく授業の形態が違う。クラスが違えば生徒も違う。おのずと授業内容も違うだろう、平等って「同じ」ってことじゃないという考え。
・フィンランドは、勉強を競争にしない。つめこまない。勉強は子どもがするのを待つ。
・競争しないということには社会的背景も。協同する、協力するという社会基盤があるから(これは、ものすごい税金高くてもオッケイという社会的コンセンサスのことを言ってたと思うけど、本当にみんな笑顔でばか高い税金払ってるのかな)。
・あとは、フィンランドはえらい寒いから、ぼーっとしてるとそれだけで死んじゃう。子どもは死なないための力を養わなければならない。必然的に自立が迫られる。
・PISA調査は考えを自分の言葉で書かせる回答欄が多い。日本とアメリカで他国との違いが顕著。日本は分からないと「書かない」。無答率が高い。アメリカは分からなくても「書く」。無答率が低く、誤答率が高い。