はてなキーワード: 教典とは
http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/4e65f758359c279f2fd19c0bc9b0d20b#
このような記事があがっていたので、目立つように投稿。
俺のコメもトラバも受け付けてもらえなかったので、この記事から目に付いて読まれればいいなと。
それは、「この世」と「聖書」。
神の教えを知りたければ、そのどちらかを、または両方を知ろうとしなければならないのです。
それがキリスト教圏での基本的な考え方。
だから、西洋では「この世」を知るために自然哲学が発展したわけ。
クリスチャンは、自然を知って神の教えを知り、征服していくことが神に忠実な姿勢だと思ってたの。
で、当然全ての造物主が唯一の神なのですが、人間ももちろん被造物であるわけ。
まずはそこまで理解して欲しい。
で、今でも自然科学が最も発展している西洋人が、クローン技術などを「倫理」で批判する理由にいきます。
人は、自然法則を理解して、他の生物をいじることが可能になったとしても、それは動物相手だからある程度いいわけ。
でも、人は人を作ることはできない。というか、あってはならない。
それは人を動物に貶めることであり、神しか作れない人を人が作ることであり、それは神を冒涜することだから。
あるがままが美しいとする国。
だから日本人はこの問題を「え、そこまでしていいの? そんなのいじるのって気がひけるし、あるがままでよくない?」って思想を「倫理」と呼んでいるのです。
それでもまあ、国内で言う「倫理」も国内では無視しちゃいけないかもしれないけど、こういう技術に関しては世界で統一した基準が必要なんです。
だから、クローン技術に関する「倫理」を語る場合は絶対に世界標準の「倫理」の話をしないと意味をなさないんです。
それを理解している人が専門家にも少ないから、日本人は相手にされてないんです。
もちろん外人もダーウィン以降、人は神から作られたんじゃなくて他の生物から進化したとかは渋々認めざるを得なくなったけど、根の考え方というか感覚的な思考というか、信条的なスタンスまでは揺らがないわけ。
ま、もちろん両国とも、「命をオモチャにるする」ような行為については共有された「倫理」を持ってはいますけどね。
その辺を誤解して、というか混同して議論すると世界的な枠組みが出来上がるはずがないわけ。
それなのに、
そして発せられるのが「道徳的には」あるいは「倫理的には」という問いですが、しかるにDNAを神聖不可侵なものとして扱う道徳や倫理なんてのは随分と歴史の浅いもので、それこそ「作られた伝統」の類ではないでしょうか。遺伝子を扱う技術に関しては宗教界からの論難も多々ありますけれど、その教典に「DNA」なんて言葉が書かれた宗教なんて、それこそごく一部の新興宗教だけのはずです。にも関わらずDNAに触れる技術を神の教えに反するものであるかのように考えるのは、すなわち遺伝子を神と同一視しているようなものと言えます。
「遺伝子を神と同一視してる」なんて、完全に逆の捉え方をしている。
教典に直接 DNA と書かれてるわけはないけど、「アダムとイブが~」って話がすでに人による人の改造を禁じているわけです。
そこを理解すれば、自分で書いたものを読み直せばちょっと恥ずかしい気分になると思う。
あと、私は生命科学者なので一応言っておくけど、DNA は物質の名前。
「DNA がつながっている」「DNA の継承」は誤用で、「血がつながっている」「遺伝子の継承」のほうが適してるかなー。
「倫理」についても、「DNA」についても、誤解している人が書いているなあ、と気になったので、一応指摘でした。
ま、遺伝子操作を神聖視しすぎずに、柔軟に考えたらいいんじゃないのーって論旨には同意です。
http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/4e65f758359c279f2fd19c0bc9b0d20b/d3
http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/4e65f758359c279f2fd19c0bc9b0d20b#
それは、「この世」と「聖書」。
神の教えを知りたければ、そのどちらかを、または両方を知ろうとしなければならないのです。
それがキリスト教圏での基本的な考え方。
だから、西洋では「この世」を知るために自然哲学が発展したわけ。
クリスチャンは、自然を知って神の教えを知り、征服していくことが神に忠実な姿勢だと思ってたの。
で、当然全ての造物主が唯一の神なのですが、人間ももちろん被造物であるわけ。
まずはそこまで理解して欲しい。
で、今でも自然科学が最も発展している西洋人が、クローン技術などを「倫理」で批判する理由にいきます。
人は、自然法則を理解して、他の生物をいじることが可能になったとしても、それは動物相手だからある程度いいわけ。
でも、人は人を作ることはできない。というか、あってはならない。
それは人を動物に貶めることであり、神しか作れない人を人が作ることであり、それは神を冒涜することだから。
あるがままが美しいとする国。
だから日本人はこの問題を「え、そこまでしていいの? そんなのいじるのって気がひけるし、あるがままでよくない?」って思想を「倫理」と呼んでいるのです。
それでもまあ、国内で言う「倫理」も国内では無視しちゃいけないかもしれないけど、こういう技術に関しては世界で統一した基準が必要なんです。
だから、クローン技術に関する「倫理」を語る場合は絶対に世界標準の「倫理」の話をしないと意味をなさないんです。
それを理解している人が専門家にも少ないから、日本人は相手にされてないんです。
もちろん外人もダーウィン以降、人は神から作られたんじゃなくて他の生物から進化したとかは渋々認めざるを得なくなったけど、根の考え方というか感覚的な思考というか、信条的なスタンスまでは揺らがないわけ。
ま、もちろん両国とも、「命をオモチャにるする」ような行為については共有された「倫理」を持ってはいますけどね。
その辺を誤解して、というか混同して議論すると世界的な枠組みが出来上がるはずがないわけ。
それなのに、
そして発せられるのが「道徳的には」あるいは「倫理的には」という問いですが、しかるにDNAを神聖不可侵なものとして扱う道徳や倫理なんてのは随分と歴史の浅いもので、それこそ「作られた伝統」の類ではないでしょうか。遺伝子を扱う技術に関しては宗教界からの論難も多々ありますけれど、その教典に「DNA」なんて言葉が書かれた宗教なんて、それこそごく一部の新興宗教だけのはずです。にも関わらずDNAに触れる技術を神の教えに反するものであるかのように考えるのは、すなわち遺伝子を神と同一視しているようなものと言えます。
「遺伝子を神と同一視してる」なんて、完全に逆の捉え方をしている。
教典に直接 DNA と書かれてるわけはないけど、「アダムとイブが~」って話がすでに人による人の改造を禁じているわけです。
そこを理解すれば、自分で書いたものを読み直せばちょっと恥ずかしい気分になると思う。
あと、私は生命科学者なので一応言っておくけど、DNA は物質の名前。
「DNA がつながっている」「DNA の継承」は誤用で、「血がつながっている」「遺伝子の継承」のほうが適してるかなー。
今日受けて思った。
外注の講師がやってきて、まず、全否定、人格否定から始める。なにも努力していないという前提から始める。今までの人生はすべて無駄だったという前提から始める。ありとあらゆるヘ理屈と詭弁と少しの真実で、その言葉がすべて正しいように錯覚させようとする。まじめにやってきた人ほど今までのことを否定され、今できてないことを指摘され、それではだめだただの役立たずだと罵られてちぢみあがる。
そうなったところでビジネスマナーとやらを、理屈で考えるな体で覚えろ、と言われて何度も何度も練習させられるのだ。講師の思うとおりの発言をすればほめちぎられてだんだんその回数が増えていく。
正直途中から面白くなってきたのでどんどんノリノリになってしまったが、自分はもともと動作が上品とか育ちがよさそうだとかはよく言われるので特に罵られることもなかったし、褒められることもなかった。
だけどさ、考えても見ろよ。新人研修受けてないけどちゃんと社会人やってる人もいるよ。否定されて不安になったところで「これがあれば何でもできる」って出されるものは本当に必要なものかな。本当にそれさえあれば何でもできるのかな。違うよな。自己研鑽は自分自身でする必要があるし、ある程度のビジネスマナーというのは弁えていなきゃいけないけれども、それがなかったら死ぬわけじゃない。それは絶対的な信仰ではない。ただのツールだ。ただの言語だ。これはもしかすると通過儀礼なのかもしれない。一日だけだから週が明ければなんだったんだろうってなってるかもしれない。もともとうちの会社はそんなに厳しくはないし、今日来た講師もまだまだ甘い方らしいから、だんだん今日のことは忘れて、そのうちたくさん失敗をして、よいバランスを覚えていくのだろう。世の中を泳いでいくための道具としてそれらの所作は何も考えなくても行えるようになるんだろう。それが絶対だとは思わないけれども、ある程度必要なものとして習得していくのだろう。
だけどこれが何日も何カ月も続いたらどうなるのかな。「社会人」っていう宗教に入信させられてどうするんだよ。「ビジネスマナー」を教典にしてどうするよ。その教えは本当に正しいのか?絶対的に正しいのか?そしてそれで何かができるのか?それだけで何かができるのか?