はてなキーワード: 操り人形とは
http://anond.hatelabo.jp/20110908093243を可能な限り段落を再現してエキサイト先生に翻訳して頂きました!
長い間、私は暗箱にいます。
私が箱の外部で聞いた誰かのコメントによれば、劇薬を含んでいる小さなボトルは、この箱に位置します。ボトルは完全に密閉されますが、ハンマーはボトルの近くに配置します。また、彼らは、ハンマーがある時に倒れるだろうと言いました。
いつになるかは「ある時間」です?私は知りません。このまさに瞬間に?あるいは遠い将来?恐らく、それは既に来ました(私はそれに関して考えたくありません)。誰もハンマーに影響することができません。独立事象として、それは、見込みで50%倒れるでしょう。見込みはちょうど50%です。ひょっとしたら、ボトルは壊されるかもしれないしあるいはだろう。自分に関して、死者、あるいは、生きている。
私は言わなければなりません、状況はどれくらい恐ろしいですか。
私は、猛烈な憤慨を持たないようにはすることができません。私の人生(私のための最も重要な問題)は、私から完全に離れており、単純な図、FIFTY PERCENTに単独で依存します!あまりに恐ろしい。
さらに、私は、それは完全に不合理であると思います(そして)。私は、ちょうど50%で見込みを維持する多くの方法で束縛されます。
視覚。箱は、任意の光から完全に保護されます。それは、ボトルと装置を見つけるおよび破壊することから私を回避するためにあります。完全な暗さ。私は完全な暗さにいます。したがって、今、私は、自分のアウトラインさえ見ることができません。恐らく、それは奇妙に思えます。暗さは私に私の体自体の存在について疑問を抱かせます。
聴覚の知覚。恐らく、私が上に言及した理由から、完全な遮音は使用されます。私は、私自身の音声さえ聞くことができません。私はメカニズムを知りません。まず第1に、私は、何も見ることができないとともに、どのようにそれを調査することができますか。したがって、これは恐らく推測だけです、私の鼓膜はこの箱の中の包囲の前に破損されました、あるいは、ある特別の資料は箱の壁に使用されます。
とにかく、光と音の保護であまりによい暗箱では、ちょうど用語が示すように、私の視覚的・聴覚の知覚は死んでいます。
あたかも一層の確認が必要かのように、私を極度に圧迫する巨大な疲労は私のための別の拘束物です。それらは努力から私を回避するために私にある種類の筋弛緩剤を与えたように見えます。私が同じ姿勢から変わることができないとともに、私の触覚はほとんど麻痺しています。
光はありません。音はありません。匂いと味は信頼性が低い。触覚は不調にあります。私は操り人形に似ています。すべての五感は私のコントロールが不足しています。あまりに残酷です。完全な拘束物。それらが睡眠薬を与えていた場合、私は望みます。私は、外傷のない苦悩にいると思います。私の生活(私の存在(自体))は完全に無視されます。そのような屈辱は私の正気を維持します。そのような屈辱だけができます。
自分の生および死をコントロールする権利は完全に奪われます。私はそのような状況を嫌います。私の生活の連続性の中核決定要素は完全に依存します、で、単独で、で、純粋な見込み。誰からでも完全に遠方に、意志があります。私は再びそれを嫌います。私はそれを嫌います!
なぜ私は、そのような箱で囲まれなければなりませんか。そのような途方もない箱では、なぜ私は、そのような完全な拘束物を備えた、生命不安および死にいなければなりませんか。
私は孤独です。私は、中身がなく、水平に感じていますか。すすり泣かないようにすることが困難です?番号私の孤独ははるかに深い。私は空間の海でいます。私は一人です。完全に孤独です。孤児として、私はこの無限の暗さに向けられました。私は絶対零度の中で震動しています。
この箱に展望はありません。暗さだけがここにあります。私はボトルとハンマーを感じることができません。私は壁、底および天井をまた感じることができません。それらはそこにあるに違いありません。しかし、私の五感がすべて奪われます。何もないように、私は感じます。それらのものがいくつかの意味を持っている一方。
正直に話して、私は、箱にいるかどうかそれほど分かりません。私は、私の姿が存在すると確信します。私は考えています。私は空想しています。それは証拠である、私の独自性を示すこと、呼ばれる、自我あるいは意識、あるいは心、固体です。しかし、独自性はありますか、本当に箱で囲まれる?それが別のスペースで浮かんでいることはありえますか。私はそのような疑問を除去することができません。
恐らく、私がここでであるものは、宇宙に結局浮かんでいるか、あるいはマリアナ海溝の底に横になっています。あるいは恐らくキラウエア火山の穴から下降して行くこと。
私には、箱(私を囲んで)がどのようにか知る方法がありません。私の感覚はすべて死んでいます。私は、ここに、箱の内部があるかどうか判断することができません。
私は、本当に生きているように、それに加えて、確かではありません。私には、そんな単純なものを確認する方法がありません。恐らく、50%の見込みは私を越えて既に通過しました。恐らく、私は既に死んでいます。私はまだ、恐らく生きています。浅くて、筋弛緩剤を注入された、呼吸する、弱い心臓の鼓動。あるいはそれらのすべての停止(単に去る肉大型丸薬)。
私は私自身の身体をコントロールする任意の能力を奪われます。誰が私の心が重大な活動を継続する身体に存在すると言うことができますか。五感は完全な暗さで毒されました。それらは感覚器として機能することができません。私は、真実を知る見込みがありません。恐らく、どんな推測も一人で作り上げられます。私を包む状況および自分の独自性は恐らくプログラムされた回転プレーのコンポーネントです。
私の存在に関して、私は振る舞いを決定することができません。私は、それを認めることを嫌います。しかし、私は変動の最中です。
私は、誰かが私を見つけることができたらと思います。私は、誰かが箱を開くことができ私がいかがか言うことができた、らと思い、私がどういう人か決めることができました。私の内側にそうするのに十分な力はありません。私ができるのは孤独の中で震動し続けることです。
もし神ならば、私は言うことができるでしょう「そこにさせる、軽い。」私は、それが不可能なことを知っています。しかし、私は、私がそのように言うことができたならばどれくらい素晴らしいだろうか思わざるをえません。
私自身の自由意志!それは、自分を取り巻くすべての変動を固定することができました!
同時に、切望は影を生産します。箱が開かれるなら、私は見つかり観察されましょう。その結果、私の姿は決定されるでしょう。実を言えば、私は決定を心配しているという事実から視線をそらすことができません。
一人で生きているか死んでいるかどうか判断することができませんが、私は死を恐れています。残念ながら、私は死者として決定します。私は受理することができません。まだ、私は感じることができません。私は特定の現象として死を想像することができません。恐らく、そのため、私は死を恐れています。
いいえ、それは私に制限されるべきではありません。高潔なキング。致命的な殺害者。規則的な人々。すべての同じ。恐らく、悪い疾病の年上の人々あるいは患者は、十分に真実の死に近いある想像を持つことができました。しかし、それでも、死の特定の経験を知ることができません。
結局、死は圧倒する重要性を備えた最終仕向地です。時間と意識は絶対的な不可逆性を持っています。死にはさらに変更することができない完全無欠さがあります。それが儀式の通過点あるいは顕著な印象的な出来事でも。
私自身、ここの私の心はそうです、そのときは消えられるだろう、どれ、私がいかがかが決定されます。それらが生ぬるい水(私はその中で温度を感じることができない)から奪う場合、私は、大気に身をさらさないようにはすることができません。
私はそのような不可逆変化を恐れています。それは死の決定に制限されていません。さらに、非常に心配しているので、私は生きていて決定されます。
自分の現在の存在は、無限のポイント上に立っている小さく小さな幻覚に似ています。それほど大きくない。それほど小さくない。それほど長くない。それほど短くない。拡張はありません。収縮はありません。ユニークな単一のポイントで立っていること。それは数学上正確です。私は、自分の同一性に関する混乱があるそのようなポイントでとどまるゴーストのようなものです。
ポイントは同時(ある位置で既存でない)に座標の飛行機ですべての位置で存在します。ある出来事が生じれば、その瞬間においては、それは、すべての地空(あたかも私の招待がバスから降りるかのように、出来事がその中で生じた)中の単一のポイントに私を集中させるでしょう。関係なしで。ポイントと私がものだったとしても。
幻覚(それはそのようなポイントでとどまった)は、等しい程度に対して、実際で霧のように消されているの可能性を持っています。
さて、私はすべての配当通過時間の中で既存です。そして、私はすべての自然を持っています。同時に、私は孤独からそれを受けています、私はすべての自然から離れています。私は、誰かが私を見つけることができることを望みます。同時に、私は非常に心配しています、私はどこにいてそれ、私はその瞬間にいかがでしょうか。
荒らしにまともに取り合わない、罵倒されても受け流す、など考えられるが、
共通しているのは「その場の感情に流されない」ということだろう。
ここでポイントなのは、我慢あるいは感覚を鈍らせろというわけではないということ。
もちろんそのように頑張ってもいいが、慣れが要るし体に悪そうではないか。
感覚以前の時点でシャットアウトしたらどうだろう。
他人ごとのように聞くのだ。変わり身の術や串を刺すみたいに、あるいは操り人形のように。
ふーんそうかもねーと割り切って聞けば、ストレスがたまることも自然な感情が変質することもない。
もちろんとっさに切り替えろというのは無理な話なので、普段から念頭に置いておく必要はある。
それでも他の方法よりは実践投入しやすく身に付けやすいのではないだろうか。
少なくとも自分は、気付かないうちにこの方法で身に付けていた。
そんなことを考えていたらこんな記事を見つけた。余談だが。
「ブランドへの批判は自分への攻撃」 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム
きっとこれは今言ったことの逆なのだろう。
まだあった。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/gline/1274021896/
より
34 :水先案名無い人:2010/05/20(木) 13:27:33 ID:UVTel62K0
【幕下以下】
・リコーダー、ホイッスル計22点を窃盗。「笛の先の、何とも言えないにおいに興奮を覚えた」
・女性用下着1200枚窃盗の男、「若い女性がはきそうな、派手な下着を狙った」→パート女性(53)下着ドロで逮捕。
・女性用靴約200足窃盗。「物心ついたころから、靴のにおいをかいで興奮する癖がある」
・自分のちんぽの画像等を小学生女児等に1000通以上送った会社員
・単車に乗り、後方から女子中学生2人を追い越し、Uターンで戻って来て「見て」と言いながら下半身を露出の男。
・銭湯の女湯に侵入、浴室でうたた寝、タオルが外れて御用。「私は女よ」などと容疑を否認。
・ピンクの上着にデニムのスカートで女装の男(59)、女子トイレに侵入。「トイレには入ったが、のぞいてはいない」(過去にも同様の件で逮捕歴有り)
・女子生徒2名に、「ルーズソックス見たら興奮したわ、ありがとう」等と声をかけ、投げキッス。
・路上で高校生や中学生の女の子に「パンツ見せて」「5,000円で買わせて」
・女子中学生に「その制服のリボンを売ってくれませんか」と話しかけ、5分程つきまとう
・「病院の研究のため、つばをちょうだい」と声をかけ、フィルムケースを差し出した男
・美容室の女性従業員に「髪の毛ください」などと363回電話した無職男
・単車で襲来→地面に伏せてスカートの中をのぞく[NEW!!]
・坂道でチャンスを待つ男[NEW!!]
・女児におっぱい!おっぱい!と言ってしまった男[NEW!!]
・女子高生を押し倒し、ブルマの下の下着だけを窃盗[NEW!!]
・新品だと満足できない。下着窃盗男[NEW!!]
・アパート出入り口に全裸で立ち、外で遊ぶ女子児童らを見ていた消防士[NEW!!]
・自分のウンコを持って住居侵入。シーツに塗りたくる[NEW!!]
35 :水先案名無い人:2010/05/20(木) 13:29:45 ID:UVTel62K0
・深夜にオムツだけを着て女性に「このへんにオムツ交換室はありませんか?」と尋ねる男(イギリス)
・妻帯者の男、アパートの住民に恋し目の前で自慰行為しながら追いかけ逮捕される(タイ)
・自宅の庭でテーブルとセックスした男、隣人に録画され逮捕(イギリス)
・トーマスタウンシップの洗車場で、掃除機の吸い込み口にチンコを吸わせ自慰行為を行う(アメリカ)
・ワセリンを尻に塗って店や教会、学校などの窓に「尻跡」を付けてまわっていた男、通称バットバンデット(アメリカ)
・自分のペニスに糸を結んで操り人形遊びをしていた男(アメリカ)
・公園のベンチの穴にちんこ突っ込み、抜けなくなる→レスキュー隊出動(韓国)
・若い女5人組が自転車の男性をすれ違いざまに転倒させ、パンツを脱がせて局部をもてあそぶ(スウェーデン)
・障害者をよそおって、雇ったヘルパーにおしめを換えてもらっていた40男(アメリカ)
・真っ赤なショーツを着け、堆肥にまみれてマスターベーションしていた男(イギリス)
・自慰行為をしながら美人女子大生をバイクで追跡(タイ)[NEW!!]
・肛門にじゃがいもが詰まり病院で摘出した牧師(イギリス)[NEW!!]
・ 「それでも僕は裸がいい。」裸になり続けて終身刑に(イギリス)[NEW!!]
・ロープをTバックのように着用&「糞尿のようなもの」にまみれ、「これはウンコではなくトマト」と主張(アメリカ)[NEW!!]
【殉職】
・西海市内の小学校に進入し女子トイレで首吊り自殺 死後も女児を見守り続ける
・元外国人力士。牧場の中で馬とアナルセックスを試みた所、肛門と腸を突き破られて死亡…アメリカ
・手持ち削岩機(ドリル)をバイブ代わりにしたらどーよ→使ってみた→死亡(アメリカの49歳女性建設労働者)
【破門】
・10年以上に渡り女児パンツを履いては近隣の家に投げ込んでた男。ストッキングと女児用パンツを組み合わせ
「女性の下着は密着感が気持ちいい。」という名言を吐いたものの殺人と横領で破門。
【入門不許可】
・「手元が狂った」大腸の内視鏡検査を受けていた20代女性の性器に内視鏡を入れる、外科医師男(53)
・家電量販店の女子トイレに侵入。「女性の用を足す音を聞きたかった」
・女子生徒の足に精液をかけ強制わいせつで逮捕。「制服姿にムラムラした」
・15歳少女とヤリたいが為に往復600kmを自転車で走破した26歳トップアスリートロリコン
・男が女性を押し倒して履いていた下着を強奪した上、ダッシュで逃げ去る→下着マニアの犯行とみて行方追う
・登校中の児童をナイフで脅迫、全裸にし競泳水着を着せビデオカメラで撮影した無職
・女子中学生になりすまし、男子中学生の裸画像送らせた小学校教諭
・新木場駅停車中の電車内で、隣の席に座っていた女子高生の口にいきなり指を突っ込んだ37歳男子学生
・理解できない用便をした大学生(詳細不詳) 画像:http://a-draw.com/contents/uploader2/src/up13445.jpg
・車とセックスする男(イギリス) 画像:http://x51.org/x/images2005/autoeros3.jpg
・若い女5人組が自転車の男性をすれ違いざまに転倒させ、パンツを脱がせて局部をもてあそぶ(スウェーデン)
すっげえうらやましいんですけど。
※ネトウヨの妄言なので、ネトウヨが嫌いなら読まない方が良いと思います。
(追記:当初、私自身が認識していたより、酷いことをいっているようです。ですので、読むと不快になる可能性が高いです。
基本的に、読まないことをお勧めします。削除しても、逃げたということで非難されそうなので、残しておきたいと思いますが)
連中の場合は、"情"が絡んでくるから厄介なんだと思う。
特に韓国人なんかは、"情"によって団結して、日本人を超えるみたいな考えもあるみたいだけど、事実は全く逆だと思う。
韓国人には"恨(ハン)"という概念があるんだけど、単に、"恨み"とかそういう次元を超えているらしい。彼ら曰く。
何が言いたいかというと、彼らは呪縛されている。つまり、呪われている。
具体的には、例えば、朝鮮半島は"半島"という地形が大元ではないかと思う。
三方を海に囲まれ、残りの一方が大陸につながっている。朝鮮半島の場合、日本に海上封鎖され、大陸から攻められたら終了。
同じような例として、スペイン内戦がある。スペインは、自国のあるイベリア半島につながっているフランスから攻撃を受け、イギリスに海上封鎖されるという逃げ道のない状態だった。その結果、血で血を洗う内戦。かなりのトラウマもの。ピカソがゲルニカを描いたり、ヘミングウェイが参戦したりしている訳だが。今だにそのトラウマは残っていて、最近だと、映画のパンズラビリンスはスペイン内戦を扱っていたのではないかな。
だから、"半島"というのは、基本的に呪われた地であり、韓国人は文字通り、DNAレベルで呪われている。<丶`∀´>←2ちゃんねるなんかで使われているこの顔が、その証拠で、大陸人(モンゴル系)に支配された証拠をDNAレベルで刻みつけられた。そう考えると、少し、背筋がゾッとするのではないだろうか。
(追記。上の記述は、一応、撤回しておきます。デリケートな問題ですし。ご不快になられた方、すみません)
ヨーロッパ大陸も、ユーラシア大陸から突き出た"半島"という見方も出来る。シベリアの遊牧民がたびたび攻めてきて、その結果、白人達はおかしくなってしまったという話もある。
映画の300(スリーハンドレッド)なども、白人対ペルシャで、ペルシャを禍々しく、妖怪かなんかみたいに描いている。アレは、白人のトラウマそのものだと思う(アラブ人はそれに反発したみたいだけど)。
それが、大航海時代の悲劇につながった。
300(スリーハンドレッド)に限らず、指輪物語(ロードオブザリング)も、スタ-シップトゥル-パ-ズも、バックトゥザフューチャーも、ロッキーも、白人は、"我々"と"彼ら"に分けたがる。
"我々"とは、キリスト教徒の白人、"彼ら"とは、宇宙人、未来人、ちょうの・・・いや、でも遠からずで、"自分たちとは違うもの"、滅ぼすべき敵、我々を支配するもの、我々が支配するものだったりする。
その役を、例えば、宇宙人や妖怪やロボットや、日本人なんかがやる。だから、白人が描く"彼ら"は醜く、異質で、おかしな存在だ。
(もっとも、"敵"を自分たちの写し鏡だとして考えると、白人はそのことを無意識的にも感じていると思う)
だから、日本人は、本当の意味での異世界、"ファンタジー"が描けないし、日本のファンタジー作品の住人は、容姿はどうあれ、中身は日本人ということになる。
白人の場合は、クトゥルー神話がその代表例だと思うけれど、本当に異質に描こうとする。
あと、白人でも、キリストを信じない共産主義者は、"彼ら"な訳で、80年代のハリウッドには腐るほど例がある。
(あっさり書きすぎたので、追記。多分、魂の存在を信じない唯物論者ということだからだろうか?日本人でも、唯物論者を理解出来ない人が多いかも)
それで、最初の話に戻ると、中国人は、儒教に呪縛されている。共産党全盛期に、共産党員が父親に笑ってしまうほど頭が上がらなかったという目撃談もある。
中韓人がなぜ、"情"に頼り出すかというと、彼らは彼らの世界しか持って無くて(中華思想。韓国も小中華思想)、主観(自分たち)しか存在しないから、他人の目を意識するということがあまりないので、構造と一体化してしまい、呪いに人格そのものが乗っ取られてしまうからだと思う。その結果、彼らは物事がよく見えなくなり、直情的になる。
でも、そんなに悲観的になる必要もなくて、最近は、中韓人も欧米の目を気にするようになってきたから、少しずつ状況は改善しているんでは無かろうか。
(中国のソース開示要請なんかを見ると、恨みはまだかなり残っているようだけど)
追記:
REV えさの付け方が甘め
反応早いッスね(笑)どの辺がそうだったか、ご指摘いただけると助かるんですが。
(もっとも、REVさんはいけずな方なので、教えていただけないとは思いますがw)
(再追記:ご返答、ありがとうございます。確かに、"支配された証拠"というのは誤解を生みそうですね。
結果的には、元々、朝鮮半島に住んでいた民族とは違う証拠にはなると思いますが)
yukitanuki ネトウヨの人なら賛同するのだろうか
どうでしょうね。私の個人的な発言なので、賛同する人もいるし、賛同しない人もいるでしょう。
私をレイシスト呼ばわりするひともいるだろうな、と思って書きましたし。
でも、呪いの構造を自覚しないと、不幸からは脱出できないと思うんですよ。これも個人的な経験ですが。
呪いと一体化して、人格を乗っ取られ、周囲に不幸をまき散らす例を何度も見てきましたし。
もっとも、日本語で書いた訳だから、彼らに私の考えを強制している訳でもないですし、する気もないです。
物知らずの面汚しでサーセンwwwww
私の妄言は、mobanamaさんの正論で粉砕していただけると嬉しいです。
なんとなく、語感がかっこよかったので使ってしまった面はあります。
ご指摘、ありがとうございます。
(以下、再追記)
サーセンwwwwww
これからも、みっともなく生きていきますよ!
comzoo 「日本人の性格」も「天皇」「武士道」「菊と刀」「敗戦」「戦後民主主義教育」とやらの呪いにまみれておるではないか。
その通りだと思います。
でも、日本人が、日本人のことばかり研究している現状に問題があるとは思いませんか?
外の文化と比較することによって、ある程度、相対的で、客観的な視点が得られると思います。
我々のどこが特殊でどこが外の人種と一緒なのか、それを考える必要があると思います。
(さらに再追記)
念のため書きますが、「呪いにかかっていること」と「不幸であること」は別です。
私の使っている「呪いにかかっている」というのは、「構造的に呪縛されている」ということであり、「不幸である」とは、自身の主観的な問題です。
ですので、「呪いにかかっている」からと言って、「不幸である」とは限りません。
相対的/客観的に、自分が/他者が「構造的にどう呪縛されているか」を認識することによることで、対処方法やその呪縛から逃れる方法も考えることが出来ると思います。
http://amebabbs.ameba.jp/thread/qM_dzFK9ckCsB332IymS9v/
35.既婚者です。さん
(中略)
人は自分の思い通りにはなりませんよ。まして育った環境が違うんだから、考え方も生活習慣も違うのは当たり前です。
でも、なんとかとハサミは使いようって言いますよね。使いようによっては切れないハサミでも使い方次第で切れるようになるってことですよ。
どうしたら操り人形のように操れるか、また、主さん自身もある程度の妥協は必要ですね。
35だけじゃなくて躾けるだの操るだの言われて、男性諸氏はどう思うんだろうか?
(躾けるためには)最初が肝心て話はよく聞いたなあ。
小さい頃、小学校低学年くらいの頃、俺は天才に憧れていた。
12歳でハーバードに入学だのなんだのそういった類の天才児に憧れていた。
俺は学業の成績は昔から良かったため、ますますそれが拍車をかけた。
俺も天才児としてアメリカの大学に通ってインタビューされてやるぞ!!とか思ってた。
しかしかといって何をすればいいかわからず(この時点でまあ…)
単純に成績の良い優等生として育った。
中学に入る頃には「うーん。どうも俺、天才じゃないかも」と思い始めていた。恥ずかしいけどまだ「かも」のレベルだった。増田だから正直に書く。
中学に入っても俺は相変わらず成績優秀で学年で一位だったりもしたので、あまりプライドは崩れなかったが、しかし「なんか天才じゃないよな……せいぜい秀才だよな」ということに気付き始めた俺は、方向転換を図り始めた(これは今思うと、であって当時は無意識に行っていた)。能力そのもので飛びぬけた者になれないのなら、何か俺自身に「学業優秀」以外の特典をつけねばなるまい、と。それで個性化を図り、「純粋な天才」で特別な人間になるのは無理でも、「個性的な秀才」で特別な人間になろうと考えた。
そのためにはどうすればよいのだろうか。
学業優秀、だけじゃ、全国にザラにいる。しかしまずこの「優秀さ」も、それなりに磨く必要がある。そうだ。東大に入れば、まあまあ箔がつくだろうし、「全国にザラにいる」レベルじゃなくなる。天才ではないだろうが秀才としてはそれなりのレベルを他人に誇れるはずだ……そう考え、志望大学をこの頃から東大に決める。
そして他の特典は……。
「個性的」を演出するには、「ギャップ」と「希少価値」がポイントだろうと考えた。
いかにもこの俺、山田太郎(仮)という人間がしなさそうな事。あるいはそもそもをそれを行うものが少なそうな事。
希少価値については、単純に競技人口が少ない「穴場スポット」を狙うか、それとも敢えてメジャーな道を選択し、練習しある程度のその道の「達人」になる事で他者を引き離すか。あるいは穴場スポットを狙った上で、達人になるか。ざっとそんな事を考えた。
そして俺はその自分で考えたガイドラインに従い、俺・山田太郎(仮)の「趣味」「特技」「性格」を作り始めた。まさに「キャラ作り」だった。
もともと俺は、割りと好奇心が強いほうだったため、興味を持とうと思えば大抵のものは持つことができた。ゆえに反面、「一つの大好きな趣味」というのが特になく、どれも万遍なくそこそこ好き、という状態だったため、このキャラ作りは実行しやすかった。
そして俺は「キャラのプロット作り」を大体終え、「キャラ作り」の実行に移った。決めた趣味や特技を本当にモノにするため、知識を得たり練習をする必要があった。
そんなこんなで高校生になった。まだ荒削りだが8割ほど完成していたキャラで俺は新しい環境に降り立った。
まだ途中ではあるが、思惑通り俺は俺の思う通りの「個性的な人間」として迎えられた。
しかし、高校となるとやはり色々な人間が出てくる。中学時代の俺が思っていた以上に、この世には色々な人間がいるのだ。その上、皆成績優秀者だ。とりあえず今の俺でもここでは「個性的な人間」になれているが、俺よりも凄い奴(俺基準でだが)も数人いる事にショックを受けた俺は、「待てよ。これじゃ東大はいったところで、そこじゃここ以上に俺より凄い奴(俺基準で)がいるにちがいない」「ならばこの今の俺ではだめだ。キャラをバージョンアップさせる必要がある」そう考え、高校でまた新たに「キャラ作り」を始めた。
甘かった。中学時代のあんなキャラレベルでは、地元の人間しか騙せないのだ。
もっと個性的な人になって、もっと特別な人間にならないといけない。
そしてまた「キャラ作り」の実行に移った。
今度は日頃の態度、仕草から徹底する事にした。誰も見ていないところであっても、キャラ相応の態度を心がけた。
苦しくはなかった。寧ろ、キャラどおりに実行するとき、俺の好きなキャラになりきれていることに、近づけていることに、俺は喜びと楽しさを感じていた。しかし「楽」ではなかった。
大学へ入り、なるべく多くの種類の経験をといろいろな所へ出向いたり所属したりした。そのたび世界が開いていく事に俺は感動したが、したと同時に、張り詰めた空気が俺を支配する事に気がついた。俺の知らない世界が開くごとに、「またキャラを強化しなければならない」と俺は考えてしまうのだ。別に今のままでも十分「個性的な人間」として俺は認められている。しかし、それだけじゃ満足できないようになっていた。もっと。もっともっと強化しなければならない。いつなんどき俺とかぶるキャラが出てくるか分からない。幼い頃憧れた「純粋な天才」と肩を並べるほどの個性を持つには、こんなレベルじゃ足りないんだ。もっともっともっと個性的にならねばならない。こんなんじゃ足りない。
そんな事を思いながら、自分作りを繰り返していたある日
また新たな世界の扉を開けて、俺はふっと、なぜだかふっと糸が切れたようになった。
「ていうか俺、なんでここまで必死になってるんだ?」
糸が切れた操り人形が動かなくぺしゃんこになったように俺は何をする気にもなれず生きていた。
体は完全に停止していたが、頭の中では色んな想いが渦巻いていた。
「もしかしてあんなに必死になる必要はなかったのでは?」
「別に、普通の人でもいい、そう思えたら、もしかして凄く楽なんじゃ?」
「いや……でも楽してもいいのか?普通の人でもいいのか?」
「それは諦めるって事じゃないのか?」
「諦めていいのか?」
「いや、ていうか、俺は、諦めて、生きていけるのか?」
「別にいいじゃん。普通で。キャラ作らなくったっていいじゃん。
俺が好きなものがたとえ普通に皆好きなもので全然珍しくなくて普通であっても、それでいいじゃん。
俺が頑張らなくても好きになれるものだけ好きになって
俺がやりたいことだけやればいいじゃん」
実験的にそういう思考をしてみた。
……物凄く楽になってしまった。
そうだ。もともと俺は、自己顕示欲に裏打ちされていないただ純粋に「好きな物」「好きな事」というのは、持っていなかった。
俺の行動のモチベーションはほとんど全て強い自己顕示欲からなるものだった、つまりその支えを外してしまえば、その欲を取り除いてしまえば、もう俺は、欲がほとんどなくなってしまうんだ。
だからこんなに楽になる。
「しかしいいのか、こんなに楽で」
「確かに楽だが、それでいいのか」
「いや逆に、なぜ「それでいいのか」なんだ、別にいいだろ、楽でも」
色々な考えが渦巻く。
分かっているのは、ここでこの欲を外して楽になれば、俺の行動の根源もなくなるということだ。モチベーションがほとんど無になる。今のように、糸が切れたように何もする気がなくなるのだ。
今ならどっちにも倒れられる(気がする)。
楽な生き方も魅力があったが、かといって今からこの先欲もモチベーションも皆無な淡白な生活になるのも嫌な気がした。
かといってまた、際限ないキャラ作りに追われるのか。なんだかそれも違う気がする。いやしかし。やはりそもそも俺はそういう生き方しか出来ないのかもしれない。永遠に理想の自分を求めそれに向かって走る。そういった生き方しか。
俺は一体どうするべきなのだろう。俺は一体何をやっているのだろう。
つくづく、不器用な性格だと、思う。