はてなキーワード: 操り人形とは
年末年始のご挨拶の未読が残り600件まで返し終わって一息ついてたら
石川能登地震は人工地震ですか?と多くの方から質問が来ますので
災害や事件に注目させておいてその裏で法案を通したり規制したりすることです
現在はフランス企業のヴェオリアが日本の水道事業に参入しています
日本政府が責任を負って弁済しなくてはいけないという訳の分からない契約です
訳が分からないのはこの国の常です
自国の利益を他国に吐き出して弱体化を推進する議員に清き一票を投票するのが我が国の常です
この水道法が改正された2018年7月5日の翌日8:00に何が行われたのか知らない方が多いです
これがショックドクトリンです
敗戦から80年が経とうとしているのに未だに操り人形の日本政府
震度7で発表しようと前もって決まっていたのかも知れませんね
実際に160世帯が停電してるのにYahoo!ニュースもGoogleもgooネット他
全ての記事が消されて読めません
全てのポータルサイトに働きかけて事実なのに削除出来る立場とは?
気象庁が震度7を二回すぐさま発表しようとして私は2016年の熊本地震を思い出しました
震度7を公表した28時間後に震度7の地震が熊本を再び襲ったのです
自衛隊の熊本高遊原分屯地(こうゆうばるぶんとんち)の真下でした
ブルーインパルスの編隊長であり航空自衛隊のエースパイロットであったベテランパイロットの平岡さんが
5人の隊員を乗せて墜落したのです
計器に異常が現れる間もない一瞬の何かによる墜落
そして事故原因究明の鍵であるフライトレコーダーをアメリカが回収したのです
意味が分かりません
自国の自衛隊員が6人死んでるのにフライトレコーダーの解析すら自国で出来ない
なぜか捜索隊は放射能防護服を着ることを命じられました
環境省のサイトによれば年間の線量限度は1マイクロシーベルトです
年間ですよ
1時間あたり3マイクロシーベルトの放射能を浴びたなら立派な被爆です
被爆 症状
で検索してみて下さい
知りすぎた隊員が口封じされたのか?何か汚染物の処理をさせられたのか?
6人の隊員が帰らぬ人となりました
同じようなことが東日本大震災でも起こりました
トモダチ作戦に参加したアメリカの空母「ロナルドレーガン」の乗組員です
5000人の乗組員のうち2400人が体調不良を訴えて
で検索すればNHKの記事もYahoo!ニュースの記事も読めます
福島から500km離れた洋上で大量のセシウムが検出されたと言うのです
日本の自衛隊よりも危険な地帯に入ってないアメリカの兵士だけが
なぜ2400人も被爆するのですか?
なぜ500km離れた洋上で大量のセシウムが検出されるのですか?
一つだけ言える確かなことはロナルドレーガンの乗組員は海水を飲んでました
RO膜(逆浸透膜)と言う装置で海水を真水に変えて飲んでいたのです
震源地は海です
なぜ彼らは陸ではなく海で被爆したのか?
ガイガーカウンター(放射能測定器)を持って輪島市で計測すれば良いと思います
計測された方がおられましたら私にDMで送って下さい
私が公に公開します
言いなりの情けない政治家に頼る気すら起きません
正体不明だったからこそ恐ろしかったモンスターは、民間人がガチれば一体ずつなら割と倒せる程度の存在になりさがり、イカれた宗教ババァはプロットアーマーによって守られる。
何も面白くない。
不気味で神話的だったモンスターの正体がFPSゲームの敵キャラの如きずさんな設定で片付けられ、そして物語は全部の後始末と言わんばかりに、とりあえずの終わらせへと突き進んでいく。
何がつまらないって、プロットのために作られた宗教ババァがプロットのままに動き、プロットに守られ、プロットの力によって周囲の操り人形共を一緒に動かし、そして主人公達もまたもう一つの操り人形として動き出すってことだ。
二人の人間が動かす操り人形をと、それに連結して動く他のお人形しか出てこない物語。
俺たちはガキがソフビ人形でプロレスごっこしてるのを見たいんじゃない。プロの作った映画が見たかったんだ!
本当につまらん。
時間をムダにした。
https://anond.hatelabo.jp/20240216163351
この投稿にもある通り、水星の魔女界隈では「スレミオが公式だなんて認めない、スレッタはグエルと一緒にいた方が幸せになれるはず」「ラウペトが公式だなんて認めない、ラウダはグエルと一緒にいた方が幸せになれるはず」とキャラの幸せを勝手に決め付ける人がとても多いよね。
こういう人たちはスレッタやラウダの幸せのためと言いながら、本当はグエルのケア役をスレッタやラウダに求めているところが共通していると思う。
スレミオとラウペトの関係性の描写が完璧だったとは言わないけど、自分は本編を最終回まで見て普通にスレミオとラウペトがカップルとして成立したと感じたし、スレッタはグエルよりもミオリネと、ラウダはグエルよりもペトラとの方が良い関係を築けていると思った。
グエルとスレッタの関係性にも、グエルとラウダの関係性にも、もっと言えばグエルのキャラクター自体にも、あまり魅力を感じなかった。
シーズン1のグエルのスレッタへの態度には問題がたくさんあった。けどまだストーリーの前半だったということで、ここでは詳しく言及しないことにする。
シーズン2の17話でグエルがスレッタに告白するシーンが評価されているようだけど、個人的にはそんなに良いシーンとは思えなかった。
視聴者視点ではグエルが父親を誤って死なせてしまったり地球に拉致されたりと壮絶な経験をしたことを知っている。でもスレッタはそれを知りようがないんだよね。久しぶりに会って、その間どうしていたかもわからない人にいきなり告白されても困るだけだと思う。
グエルはスレッタに告白しないで、自分の心の中だけで恋にけじめを付けてほしかった。
しかもグエルはスレッタのことを大切だと言っておきながら、この後スレッタの意思を確かめることなくミオリネと共謀してスレッタからエアリアルを取り上げてしまう。そしてその結果、プロスペラによるクイン・ハーバー襲撃事件が起こる。
スレッタからエアリアルを取り上げたのはミオリネの提案だから、ミオリネの方により責任があるとは思う。それでも提案に乗ったグエルにも責任はあるはずなのに、襲撃事件についてミオリネばかりが落ち込んで、グエルは特に後悔している様子がなかったのはどうかと思ってしまった。
ミオリネがこの後スレッタと和解できたのはシーズン1からスレッタと過ごしてきた時間があったから、それにスレッタに対して悪かったという気持ちを示したからじゃないかな。申し訳ないけど、そのどちらもなかったグエルをスレッタが選ぶ理由はないと思う。と言うか、そもそもグエルはスレッタへの恋は諦めて恋愛よりもジェターク社を守る道を選んでいるし…
ミオリネはスレッタのことを搾取してばかりだからスレッタはミオリネよりもグエルとの方が幸せになれるはず、という意見もよくわからない。シーズン1でミオリネがスレッタの実技試験を手伝ったり、インキュベーションパーティーでスレッタを助けたりしたのはなかったことになっているんだろうか。
次にグエルとラウダの関係性について。
シーズン1の印象では、この兄弟は確かに仲は悪くないけど二人とも相手の気持ちを考えずにお互いを傷つけ合っているなと思った。
ラウダはグエルのためを思ってとは言え、グエルを父であるヴィムの思惑に従わせようとする。グエルはヴィムの横暴さも悪いとは言え、ラウダの心配をよそにヴィムの言いつけを破り続け、ついには誰にも行き先を告げずに家出して行方不明になってしまう。
この二人にBL人気があることは知っていたけど、血が繋がった実の兄弟なのに「公式カップルだ、結婚だ」と言っている人たちの気持ちは理解できなかった。
と言ってもこれだけすれ違っているからには、シーズン2ではこの兄弟は和解するのかな?と思っていた。
ところが、シーズン2でもグエルとラウダはすれ違い続けた。
地球から戻ってきたグエルは、ヴィムを死なせてしまったことも、今までどうしていたのかということもラウダやジェターク寮の仲間たちに話さなかった。それに、ラウダに代わってジェターク社の新しいCEOになったグエルは会社や仕事の詳しい状況をラウダや仲間たちに共有していない様子だった。
正直、実の弟や寮の仲間たちに対して冷たすぎない?と思ってしまった。ヴィムを死なせてしまったことを言いだせなかった、自分がいなかった間ラウダに苦労をかけたからもう苦労をかけたくないと思った、というのもわからなくはない。でも、ラウダも仲間たちもそんなことを望んでいないと思うんだよね。
その後、グエルは緊急だからとラウダに理由を説明しないままダリルバルデを運ばせてシャディクと交戦し、結果的にではあるけどシャディクがノレアを解放して学園でテロが起こり、テロに巻き込まれたペトラが重体になってしまう。
ミオリネとグエルはスレッタに対して良かれと思ってエアリアルを取り上げたけど、それはスレッタのためにも作中世界のためにもならなかった。それに加えて、グエルはラウダに対して良かれと思って会社のことを一人で引き受けたけど、それはラウダのためにも作中世界のためにもならなかった。
本当に見ていてしんどい展開だった。途中まではグエルとラウダに和解してほしいと思っていたけど、もういいよ…という気持ちになってしまった。
この後、シュバルゼッテに乗ったラウダがグエルと交戦し、一応誤解が解けてグエルと和解したような展開が23話にあった。そして24話(最終回)でラウダがペトラと一緒にいてグエルからは離れていたことが、グエルとラウダのカップリングを支持していた人たちから猛烈に叩かれた。
主に「頑張って会社を立て直しているグエルから離れるなんてラウダは酷い」「あんなにブラコンだったラウダがグエルよりもペトラを選ぶなんて納得できない」という内容だったと思う。
何度も言うようだけど、二人がカップルとしてではなく、兄弟として仲良く一緒にいるエンドを期待したというのなら理解はできる。でも自分は先にラウダを突き放したのはグエルだと思う。ラウダはそれでも追いすがろうとしたけど、父を死なせたのが実はグエルだった、しかもそんな重要なことを隠されていた、となると、もう前と同じ熱量でグエルを慕い続けるのは無理があるんじゃないかな。
それにラウダとペトラの関係性について描写が不足していた(特にラウダ側からペトラへの気持ち)のは事実だと思うけど、ラウダがCEOだった時にペトラが会社でラウダを手伝っていたということは、この二人は苦しい状況を共有して一緒に乗り越えようとするくらいには信頼関係を築けていたということだよね。これはグエルとラウダの関係性よりよほど健全だと思う。
グエルからはラウダと苦しみを分かち合おうとか一緒に頑張ろうという気持ちが感じられない。ラウダはグエルに「兄さんを支える」と言ったけど、それは一方的なもので、グエルの方はラウダに助けてほしいとか側にいてほしいと思っているように見えない。これならラウダがグエルと一緒にいる必然性はない。
「相手に対して良かれと思ったことを相手の意見を聞かずに勝手にやる」「重要なことを相手に話さない」「苦労を相手と分かち合おうとせずに一人で背負おうとする」というのは、パートナーとしては致命的だと思う。スレッタやラウダがこの状態のグエルと一緒にいて幸せになれるとは思えないし、グエル本人も幸せになれるとは思えない。
「家出してバイト生活を送ったり、父を死なせてしまったり、地球に拉致されたりと普通じゃない経験を色々した割にそこから何か学んだ様子もなくこの有り様? 『グエルは成長した、真の主人公だ』と言われているけど、一体どこが?」という失望感が大きい。何度も描かれたグエルの受難描写に何の意味があったのかわからなくなってしまった。
グエルが本編で大変な目に遭っていたのは本当だし、もっと報われてほしかった、誰か寄り添ってくれる人がいてほしかったという感想もわかる。
ただ、それにはまずグエルが相手の話をちゃんと聞いて、自分のこともちゃんと話して、相手と喜びや悲しみを分かち合えるようになる必要があると思うんだよね。
グエルとスレッタ、グエルとラウダのカップリングが公式になるべきだと主張している人たちがそう言っているのを見たことがない。「グエルは大変だったんだから、グエルが何も話さなくてもスレッタ(ラウダ)がそれを察して寄り添ってケアするべきだ」と思っている。エスパーでもない限り、そんなの無理に決まっている。
そうは言っても、「グエルはスレッタに片思いしていたけど、適切なコミュニケーションが取れなかったので振られてしまったしその後顧みられる場面もありませんでした」「グエルにはラウダという弟がいるけど、適切なコミュニケーションが取れなかったので危うく弟に殺害されかけたしその後破綻はしていないながらも距離のある関係性になりました」というのは、メインキャラの顛末としてあまり後味が良くなかったのも確かだと思う。
個人的に見たかったのは、「グエルがミオリネと一緒にスレッタからエアリアルを取り上げてしまったことを謝り、失恋はしたけどスレッタの良き友人知人として味方に加わる」「地球から帰ってきたグエルがラウダや仲間たちに父・ヴィムを死なせてしまったことを打ち明け、ラウダたちもグエルにヴィムの思惑を押し付けてしまっていたことを謝って和解する」というような展開。
どうしてこういう展開にしなかったのかと言えば、多分「グエルにはあくまでスレミオの当て馬でいてほしかった」「ラウダがシュバルゼッテに乗る展開にするためにはグエルとラウダのすれ違いが必要だった」からなんじゃないかと思う。
水星の魔女のシーズン2について、キャラがストーリーのために無理やり動かされているみたいで生き生きしていない、操り人形のようだ、とよく指摘されているのはこういう部分だよね。
ある意味グエルも脚本の被害者で、公式サイドはキャラのグッズを売ったりして儲けたいという気があるならもう少し後味の良い結末にした方が良かったんじゃないかな。
それにしても、一部の過激なグエルファンたちの「グエルは今のままで完璧で変わる必要はないので周りがグエルに合わせてあげるべき、作中キャラの誰もグエルを恋愛相手に選ばなかったのはおかしい」という態度には本当に辟易している。
上にも書いたようにグエルは(特に恋愛的パートナーとしては)そんなに完璧なキャラじゃないし、仮に完璧なキャラだったとしても作中キャラや視聴者全員から好かれるわけではない。
もし水星の魔女の続編が作られたとしたら、グエルが相手ときちんと対話して一緒に頑張ることができるようなキャラになっていてほしいなと思う。もうグエルの独断専行に他のキャラたちが振り回されるところは見たくないよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20240220/k10014365041000.html
はてブ民まじかよ。
生産性上げるって
「人を減らすか」
「値上げ」
だろ。
需要が増えてないのに効率アップして成果物増やしてどうすんだよ。
つまりこれ「人を切れ」または「どこかで勝手に需要がたくさん増えろ」っていってるわけだ。
それができねえから価格転嫁しなきゃいけねえってのが日本企業の悩みだろうが
財務省がステルス増税しまくって景気の足をひっぱってる。岸田を批判しても彼は財務省の操り人形なので、やめても岸田2号がでてくるだけ。権限を持ちすぎて肥大化した財務省を解体しないと意味がない
アホ「リーマンショック後でも景気悪かったのは民主党のせい!現在日本だけ景気悪いのは世の中のせいで自民党は悪くない!」 / なお国際比較をするとリーマン後の民主党が優秀だったのが現実
あっはっはっはwww
やべーなまじでwww
さっぱり分からなかった時「この人がいいよ」と
教えてくれたのが友人だった
してある日、そう言えば前に友人が勧めた人はどうなったのかなと調べてみた
すると、差別発言でもう辞職していた
友人に言ったら「そんな奴は知らないよ。それよりここの政党がおすすめで…」と全く名前の知らない政党を勧められた
そして、私は選挙の前に調べに調べた。
ニュースサイトも過去や現在の新聞も議員のことも税金とか法律とかのことも
だから友人に「NO」をつきつけた。
だけれども投票は友人の為じゃなく私のため
「どうして??」と言われて
あの時つきつけた「NO」が正しかったのかは未だにわからない。だけれど、あのまま友人の操り人形になっていたら私はどうなっていたんだろうと少しだけ怖い
魂以外の何に対して操り人形でいるのか
自分たちの給料が出てくる流れみたいなのを感じ取った経験がないわけじゃんブルーカラーの人達って。
実際ブルーカラーの中でも頭までブルーな人は一行目だけ読んで「マックでバイトしてお客さんからお金貰った経験ありますけど?」みたいなブコメを書きに走ってそうなんだよね。
違うんだよなー。
頑張って売り上げを増やしても給料に反映されないお金のやり取りじゃビジネスの本質は何も見えないよ。
薄利多売も売れ残りも本社や店長が責任を背負ってくれていて、自分たちは単に作業を失敗しないようにするだけでしょ?
単純作業者ってさ、自分のやってることが商売としてどういう意味を持ってるのか考える必要性がないんだよね。
責任がある中で考えるの、責任がない中で自分の拘りや勉強のためだけに考えるのは全然違う。
絶対に食いっぱぐれない中で、やってる感を一番出せそうなシナリオを上が考えて、それに向けて必死に素振りしてるだけの操り人形だもんね。
バスの運転手でさえ「あんまりお客さんに悪い印象持たれるとクビになったり嫌なシフト回されるから頑張らないとなあ……」って意識はあるけど、自衛隊にはそれがないもん。
むしろ無能っぷりを発揮するほどにより無能でも出来る簡単な仕事が回せてもらえるっていう無能の天国。
そこで有能ぶって周りを支えてたとか言ってもさ、それって小学生の野球に中学生の補欠が混じってエース気取ってるようなもんで世間全体で見たら全然なのよね。
https://anond.hatelabo.jp/20231113092652
sunbrop
アウラ自身も服従魔法は意志による抵抗が可能という欠点がある事をわかっているため首を落とさせてる=断頭台の異名の元になってることを忘れてる人は多い。
2023/11/13
って言う説明はその通り作中にあるんだけどさ。
いやいやいや。
頭切っちまったら、つまり中枢神経を切除しちまったら、
その後動いてるのって「服従させてる」じゃなくて「テレキネシス」じゃね?
鎧動かしてりゃいいじゃん。
「巨大な彷徨う鎧軍団を一体一体振付しながら操作してる」ことになるじゃん。
だいたい不死軍団のベタ押しでもフリーレンに勝てたのに服従魔法使っちゃったって展開が萎えるよね。
そういう、キャラにやる必要ないことをやらせて「魔力に対するプライドが高いから」「そういう性格だから」で説明するの萎える。
デスノートでライトが次々に要らんことして「負けず嫌いな性格だから」で説明された時くらい萎える。
不死軍団がどんどんやられていって分が悪そうだから服従魔法使った、の方がまだましだと思う。
まあとにかく
だろう?
例1
Aくん「チョコミントはカメムシの臭いだぜ!食い物じゃないぜ!」
Bくん「分かるぜ!食い物じゃないぜ!」
Cくん「美味しいですよね。カメムシボリボリ」
これだとこの漫画がまるで「カメムシの匂いがするチョコミントを食べる奴は、本物のカメムシを美味しく食べるような狂人」と主張しているかのように見えてしまう。
例2
Aくん「チョコミントはカメムシの臭いだぜ!食い物じゃないぜ!」
Bくん「俺はチョコミント好きだぜ!カメムシの臭いとかしないぜ!」
Cくん「遺伝子的に苦手かどうか決まるらしいから無駄な議論ぜ!」
これも一見するとバランスが取れているように見えて実際にはC君の「チョコミントやパクチーの好き嫌いは遺伝子で決まるから議論するだけバカだぜ!」が作者の主張であるかのようになっている。
例3
Aくん「チョコミントはカメムシの臭いだぜ!食い物じゃないぜ!」
Bくん「俺はチョコミント好きだぜ!カメムシの臭いとかしないぜ!」
Cくん「そんなことより早く店を決めるぜ!」
こうすると単にAくんとBくんが言い争っているだけであり、作者がカメムシ肯定派かカメムシ否定派かは隠すことが出来る。
漫画にしろエッセイにしろ、作者の主張を必要以上に出すとキャラクターが作者の操り人形に成り果てるので気をつける必要がある。
ここで大事なのはAくん「チョコミントはカメムシの臭いだぜ!食い物じゃないぜ!」を言わせる事自体がこれらのトリガーになるわけじゃないことだ。
漫画全体の空気と話の流れを調整して、世界が作者と同じ方向に向きすぎないようにするバランス感覚が重要ということだ。
アホな信者が祭壇に向かって居る訳も無い神様を崇めてるどうしようもないカモ集団とかマジで思っているのですかね。(まあ悪質なカルトだとあながちそうではないとも言い切れない気もするが)
ネットの人が絶大の信頼を置く法律とか科学とかの客観的っぽい概念だって所詮人が勝手に考えたもので(本質的に存在したものを「見出した」という考えもあるかもしれないが、面倒なので置いておく)、なぜこれが良い?なぜこれは悪い?その理由は?なぜなぜを繰り返したらどこかで必ず価値判断の問題にぶち当たるし、そもそも自然科学に至っては価値判断の問題についてはノータッチだろう。
人はなぜ生きるのか。そんなものはない。ハサミは紙を切るために、電卓は計算をするために存在するが、人は別に目的を持って存在する訳ではない。生き物はその辺の石コロと変わらずただただ不条理に存在する。何の意味も価値もない。しかしそれだとあまりに生きるのが空虚になる。不安で仕方ない。
そこで神様は人が何故生きているか教えてくれる。何故なら神様は全知全能だから。全知全能について論理的に何かしらの矛盾がありそうであったとして、それは人間側が理解できないだけで、人間の概念を超えた所で全知全能は成立し得る(かもしれない)。
絶対的な価値を得ようとしたらどこかで必ず思考停止しないといけないし、絶対的な足場があって初めてその上に色々なものを積み上げていける。
その思考停止は信仰と言い換えても良いと思う。人権思想を信仰するのか、宗教を信仰するのか、自由意志を信仰するのか、実存主義を信仰するのか。
社会、文化によってどれが主流として選び取られるかは違うけども、大切なのは信仰で、その中身が何であろうが実のところ大して変わらない気もしますけどね。
余談ですけど人生なんて遺伝とか環境とか生まれで全部決まっちゃってさァ!みたいな決定論じみた事言うけど神への信仰とかは特にない、ただただ自分を無意味な運命の操り人形だと思ってる人ってマジで何をモチベーションに生きてるんですかね。