はてなキーワード: 摂理とは
だって「今のパラダイム」の言葉じゃん「オバサン」てww そりゃ今のパラダイム内でケリついちゃうでしょ。
新しい価値観に移行させたいんなら再構築してみせてから言えよwww
君も言ってるように全部「女子」の亜種。
「オバサン」ではない。
「マダム」は輸入にちょっと失敗しちゃったせいでギャグだけど"Madame"は「女子」至上主義じゃないんじゃね?
俗に言われてるMademoiselleとの対比からして。
そしてたぶん、「オバサン」でもない。
「脱構築せよ」という話に対して
「脱構築せよ」だなどと突然言い出したのはお前さんだということはこの際措いてやろうw
なら「スタイル」だなどと既存雑誌メディアの武器を持ち出してくるべきではなかったんですよ。最初から。
それにやっぱり「オバサン」も持ってくるべきじゃあなかったな。せめて「失った人」に反駁する感じで解体して定義し直してくんないと。
つってもどうせやらねーんだろうから自分でちょっとだけやってみるけど、「小母さん」の定義は辞書によれば「よその年配の女性を親しんで言う語」だ。
で、本来年配の人っていうのは「失った人」というより「手に入れた人」のはずなんだよね。何をって経験とか人生とかを、だけど。
それがごっそり無視されてるというか、価値としてカウントされてないのがアレですよね。
つーても「年寄りをうやまえー」とかじゃなくて、ステレオタイプだけどいわゆる近所のおせっかいおばちゃんのポジとかかつてはあったはずなんだよねっつー。巻き戻しても詮無い話だけど。
あと「よその」とか「親しんで」ってのがすごく嫌な感じに作用してしまっていますね「オバサン」においては。
流行の潮流、渦中から見た「外部のサエない他人」感の強まり方が半端ない。
「毎食そのへんの犬を捕まえる部〇です」
ぐらいの人でないなら差なんかない。
いやいやwそれは単なる主観による決めつけだからww 根拠が薄弱、つーかもう無根拠の域。
キミ理論だと例えば昼は栄養点滴でしたって人と焼き肉食べて腹はちきれそうって人とに差がないとかになるわけ?ww
住んでるところとか勤め先とかイヌとイルカのペアよりはたぶん近いけどさwww
他の多様な可能性に圧力を感じるだの不快だのというのは理屈の通らない話だよ。
え…何を見て「女子」に慣らされてると思ったん?w 「オバサン」ディスってたから反射的にそう思っちゃったん?
むしろ馴染まないからウザいんだし、出てきたのがオバサンっていうのも事実として「コインの裏っかわ」で意味ねーから意味ねえよって言ったのよ。
反論するなら非コイン裏の「オバサン」をひとかけらでも具体的に提示してからにしな。
わからないだろう?
意味が判らない、と言ったんですよ。何が異様かわからない、ではなくて。というか強いて言えばキミの文章が異様だったわけだけど。
全然違う。
頭から毛がなくなったら尼か坊主でない限り不便に決まってるし、
安定収入が絶たれたら辛いのは当たり前だ。
そもそもがスタイルから意図的に降りる降りないの話じゃなかったんじゃね。スタイルから「外れる」とめんどくせえっていう話だったはず。
あと毛髪がないことの「不便」って何だよw 頭で床にモップがけでもするのか?ww 日焼け? 帽子かぶってろ。
「アレな目で見られる」っていう社会的な弊害は「スタイルから外れたせい」だから、不便ていうよりは先述の「同種の恐怖」にカウントですよ。
安定収入が絶たれてつらいってのももっともだ、だがそれだけで「リストラ=もう自殺」とは普通ならない。
そうでもないんじゃね。「死の覚悟」とか出したのはそちらさんだからこっちはよくわからんけど。いろいろごっちゃにして「死の覚悟」って言ってない?
まず自然の摂理として、老いるということはあれこれ出来なくなっていってごく緩慢に死んでくってことだから、ガチで直面するときは死に近づく覚悟が問答無用で必要なもの。
これは本来性別も問わないレベルの話で、女においてはその「老い(始め)」に気づく段階の象徴としてわかりやすく「オバサン」が置かれてるってだけ。
でこれに伴って、かつて出来たことが今出来ないってことで、「出来る」潮流からは外れざるを得なくなる。こっちの方が大半の「女子」には怖いんだと思う。
それこそ死のごとくっていうか、ある意味死そのものよりも怖いだろうな。身を包む「もうおしまいだ」感。グループからさしたる理由もなくハブにされたときのアレ。
これは「女子」至上主義の弊害に数えられなくはない点だけど、至上主義にまでなる前の時点で元々「女子」というものにそういう素地があった。小学生女子から続く素地が。
それが雑誌にフレーズとして拾われて振幅してるってのが現状、ではないかな。
「覚悟するくらいしかテがないのが怖い」って書いたけど、厳密には「事前に欲望を整理できなかったタイプの高齢女子がいざ直面しても覚悟できるかどうかわからない、その絶望の可能性が怖い」って感じだわ。
全員生誕30年も経てば地獄が迫りながら地獄に目をつぶる苦行地獄(君の言葉で言えば全員がん患者)
っちゅー教義となってるから
あとがん患者は地獄に目つぶらないから。比喩取り違えすぎですよ。
「直面したら覚悟するしかない」って言ってるでしょ。
無視なんかできねーの少しずつでも受け入れるしかねーのよ。老いのごとく。
刺されてかゆい思いをしないように知恵を絞り対策をすることは自由とは言わないのでしょうか
自分にとって快適な環境を求めることは虫も人間も同等に行うことだし、その自由があるでしょう
その果てに勝敗がある、それが地球環境における「自然の摂理」というものじゃないんでしょうか
勿論、虫の自由とやらを尊重して物わかりのよさを気取るのもまた自由です
なら虫コナーズどころか、あなたの着ているその服や住んでいるその家の方がよほど強力に摂理に抗いまくっていますよね
いずれ相応の反応が返ってくることでしょう、それがどんなものなのかは知りませんが
人間に限らずあらゆる生命体は、肉体的物理的に制限をくらいまくっています
人は飛べないし鳥は泳げないし魚は上陸できない
かゆみには耐えられないし痛ければ行動できないし死にたくなくてもいずれ死ぬ
自分はフジが媚韓とか、高岡が嫌韓だとか、という話題にあまり関心ないのだが。
言っては悪いが、この問題、「売れない俳優である高岡某」が発言している、という点を軽視してはいけない。
彼にとっては、フジが韓流に走るというのは、「純粋な経済問題」なのである。
それをネトウヨが「政治問題」にしようとするから、話が変になる。
つまり、
「韓流ドラマが増えれば増えるほど、日本国内製作ドラマの本数が減り、日本俳優の出演頻度が減り、
高岡の発言は自分のクビが掛かっているのだから、ネトウヨが「文化的政治的に嫌韓運動している」のとは、
質が根本的に違う。
あと私見だが、日本の人口が減少し、特に視聴者のメーンターゲットであるF1層M1層が激減しているのだから、
ドラマ制作本数が減るのは「自然の摂理」だと思うし、日本製作ドラマで埋めきれない時間帯を砂嵐にしないための「埋め草」に
F1層M1層の人口減少、という現実を直視せずに、失業したくないからと言って韓流批判する
高岡某は、少し「違う」と思う。
元増田も書いてるけど、まおゆうの魔王勇者はまどかじゃなくてインキュベーターの方だろ。まどマギはそういうテクノクラートが構築したシステムを否定した話。話のベクトルがまったく逆。まどかは結果として支配者にならなかったんじゃなくて、魔王勇者のようにシステムを構築して支配する気は最初からない。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110425/p1
まどかは、ホロコーストの悲惨を知らないし、非正規雇用の悲惨も知らない。両親の愛を存分に受けて育ち、またさやかのように失恋の痛みもない。彼女がその眼で見たのは、魔法少女の悲惨であり、魔女の悲惨である。キュウべえは、それが歴史の最善であると彼女に教える。人類の進歩は彼女たちの犠牲によって達成されたのであり、そのような犠牲は世の中にいくらでもある。もしその悲惨を許せないとするならば、かのじょは牛や豚を食べるべきではない。
キュウべえが試みたのは、自分自身の無力さをまどかに対して刻印づけることにあったのであり、彼女の内面に一つの法を措定することである。それが、神話的暴力とよばれるものの力なのである。キュウべえの口から語られる人類の歴史は、キュウべえによって因果付けられた道徳物語としての神話であり、それまでの法の説明であるとともに新たな法を打ち立てるものでもある。この法は、たとえばエネルギーなんちゃらの法則といったものとはなんら関係はない。
だが、まどかは願いによってその法を破壊するのである。彼女は、世界の摂理に対して考えるのをやめる。そして、目の前の魔法少女と魔女の悲惨だけを見る。目の前の悲惨は悲惨であるがゆえに、救済しなければいけない。彼女は魔法少女と魔女を救いたかったのであり、そしてやりたかったことをやったのである。母親やほむらの制止があったとしても。そして、かのじょたちがどれだけ自分を愛しているか知っていたとしても。まどかは自分自身以外のものを言い訳にせずに、自分のやりたいことをやるのである。かのじょは、どのようなダイタイアンも提示していない。まどかの願いが、それ以外の世界の摂理に関係していたという説には一切根拠がない。
コンセンサスには至ってないだろうが、潜在的にそう思ってる奴は多いと思う
というか、自分のハンデキャップを盾にする奴って乞食と同類だから俺に言わせりゃ死ねばいい
だいたい考えてみてくれ
てんかんに至らずとも、メンヘラが同じ職場にいたらウザイし辞めさせたいだろ?
俺の職場にアトピーの新人がいるんだが、掻いてばっかりで仕事しないんだよ
そういうやつって足引っ張るだけだし、そういう奴に合わせると組織のレベルが下がる
企業の社会的責任だかなんだかで障害者を雇用しなきゃいけないだなんて理不尽すぎる
だいたいこんなこと書くだけでレイシズムだの弱者に冷たいだの言われるんだからたまったもんじゃない
適応できない人間は死ねばいい、どうしてこの摂理を理解出来ないんだろうか
こういう人間にならないために誰もが努力するのであり、それが報われないならお前の実力はそれまでってこと
こういうディスハンディキャップを言い訳にする奴はただただ邪魔なだけ
乙武の爪の垢を煎じて飲め
彼はマッチョでもなんでもない
あれが普通だ
クズが
飲みの席なら顔面殴ってたところだ
それは、食えなくて死ぬ人が、出るということ。
それは、コストダウンするのに不可避な物だということ。
それは、右肩上がりの終りということ。
それは、停滞、または縮小ということ。
それは、隣人を傷つける争いの始まりだということ。
それは、自然の掟。
それは、摂理。
掟は、破ることかなわず。
それは、背水の陣。
それは、できるかぎり早くに前に進むしかないということ。
それは、遅れれば遅れただけ不利になるということ。
それは、遅い人にはあらゆる艱難が振りかかるということ。
それは、早い人が遅い人に与える物だということ。
艱難は、遅れれば遅れるだけ肥え太り、
格差は、遅ければ遅いだけ広がり、
決定的となる。
だから、
限り無く早く、限り無く強くならねばならない。
奪われる側から、奪う側に回らねばならない。
与える側から、与えられる側に回らねばならない。
崇拝する側から、崇拝される側に回らねばならない。
格差は肯定せねばならない。でなければ早く強くなった意味がない。
隣人を愛を込めて殺せ。
隣人の屍は踏み越えねばならない。誉れ高き貴い死を、踏み躙り、より高く、より強く。
ばかだなあ。
高卒は仕事が無いのは自己責任、外食介護パチンコ性風俗で霞食って命つないでろ、でいいじゃん。
職業に貴賎はないのだから、どんな仕事だろうと文句言っちゃダメ。
職業選択の自由?いいんじゃない、死ぬまでえらんで家なしにでもなれば?10年後20年後を思って選ぶのは辞めろ、と言っているのに。
戦前みたいにどこの大学を出たかで給与に差をつけてもいいんだよ?むしろそっちのほうがいいんだよ?
なんでこう、みんな平等、みんな一緒、みたいな奴が湧いてくるんだろうなー。
Raceを否定する人間はRaceによって淘汰されるだけ。
すべては自己責任なんだよ。
有能だから雇用されたにすぎん。摂理も理解できないひきニートめ。
群がるゴキブリから有能な玉虫だけを引き上げる。いなければ全部ゴキジェット。ゴキブリ未満のクズが上から目線で何様のつもりだ。
人が自殺をしようとするのを、なぜ人は止めようとするのか。
例えば、ビルの屋上から飛び降りようとしている人を止めようとする人がいる。「自殺するぞ」と言って立て篭もる人を説得しようとする人がいる。
「生」のウィキペディアに『対義語は「死」』と書かれているが、この地球上に産まれた時点で勝手に備わっている生と、その終結である死は同等ではない。確かに生と死は同時に存在しない、表裏一体の現象だろう。
しかし今呼吸をしている瞬間だって「生」を意識していなくても「生」の状態なのに、自殺による死は自然の状態ではない。(老死や病気による死などは除く)
毎日死んでいたけど、ある日突然生きることになりました!的な人なんて居ないし…対等ではない対義語に疑問を抱く。
そんな事を考えていたとき、ふと動物ドキュメンタリー番組の映像を思い出した。
ヌーの群れにライオンが突っ込んで逃げ遅れた1匹をライオンたちが一旦捕まえるけれど、一度逃げたヌーたちが戻ってきてライオンを撃退するっていう内容。
もしかしたら同じ種の生命を守ろうとするのは生き物の摂理なのかもしれない。
しかし人間は複雑に考える脳と感じる心を持った生き物である。
死にたがる人に対して無暗矢鱈に「死ぬな!」と説得するのは逆効果だと思う、なぜ死を選ぼうとしているのか理解してあげることの方が大切かな?
旧時代の人間がぐちゃぐちゃとうるさいが、こういう人たちはさっさと黙らせて染めあげてしまうのが一番だ。
具体的な方法としては、人間の本能に訴えかけるということ。楽をしたい、という人間の本能に訴えかけるのが一番だ。
今までの旧世界がやってきた人間を黙らせる方法というのはつまりは獣の理論だった。力でものを言わせ、従わせる。これが有効なのは獣に対してだけなのだ。
人間は獣でありながら獣由来ではない脳を持つ。この脳は獣にはない不思議な欲求を持っていて、それが楽をしたいという気持ち。
そこで技術の登場。テクノロジーで人を黙らせる。それが一番の方法だ。今まで何度やってもうまくいかなかった世界の塗り替えは、テクノロジーによってあっという間に達成された。
闇を恐れ神を畏れる古い人間達は、テクノロジーがもたらす新しい世界像の前に目を輝かせ、書き換えは完了した。
ニートとは一足早く次の社会像を幻視し、受け入れた人々である。(もちろん、本当はニートは嫌だと思っている人間のことではない。ニートをバカにする人間のおかげで足場を失い、精神がボロボロになっていると実感している人々のことである)
次の社会とはすなわち人間の欲求が極限にまで高められ達成された世界。フラット化した世界のことを指している。
この世界では「義務」は存在しない。子供を作る義務、年上を敬う義務、働く義務、そんなものは存在しない。なぜなら、人々にはすべてがゆだねられているからだ。何をするのも自由、何をしたいかしたくないかを把握し行動に移すことで幸せを得られる社会。これが未来の社会である。ニートは「働かない」という選択をした人間を指す言葉だ。
元来人に与えられた義務など存在しない。獣にはDNAレベルで刻まれた「子孫を残せ」という義務がある。しかし人間は肥大化した脳と作り上げた文明によってそこから解き放たれようとしている。
子孫を残すためにセックスをするだろうか。多分イエスと答えた人は社会で少数派になりつつあるだろう。妊娠させるということがセックスの一つの楽しみ方(シチュエーション)となることなど獣の世界ではありえない。獣は子孫を残すために交尾をするのであって、メスを妊娠させるために交尾するのではない。当たり前だ。
このように、セックスというもっとも本能に根ざした部分が、今や本能から離れようとしている。こんな社会で、義務だのなんだのと暗黒時代の風習を持ち出す、あるいは根付かせようとするのはそろそろナンセンスなのだ。
人間は自然の摂理から自らを解放するために社会を作り上げたのだ。だとすれば、当然、人間が負うべきと考えられてきた義務からも解放されていくだろう。
近年、マナーがなってないとか、子供があまりにわがままで困ったということを聞くようになったが、それはある意味当然のことだ。ただ、まだテクノロジーが人間の欲求に追いついていないというだけだ。
いずれ人間は一人になっていくだろう。しかしそれは孤独ではない。言ってみればある種の連帯感、というか一体感なのだ。繋がっているという感覚、全てが溶け合い一つになっているという世界観が主流になっていくだろう。
そこに不都合なものは存在しない。旧時代の人間から見れば「都合の悪いものを排除するなんておかしい」と強い反感を感じるかもしれない。だが、都合の悪いものを都合のいいものに「変えようと努力」してきた現在の歴史が間違いであったことは既に多方面から指摘されている。
些細なことでもそうだ。ピアノを弾くのが好きでもないこどもに、将来のステータスのためにと無理矢理ピアノを習わせるのが正しいか?将来のためにと親が子供にスパルタ教育を施すのが正しいか?やりたくないことをやらされ続けた人間のストレスは、殺人行為で発散されることもあるのだ。
人間が人間を操作することは出来ない。ならば、自分のまわりから自分にとって不都合な人間を遠ざけるのはごくごく自然な考え方だ。ネットでよくあるフィルタリングサービスも、新たな時代のスタンダードとなる考え方を反映させたものだ。動画サイトで、「死ね」をNG登録すればそのコメントは世界から抹消される。死ねとつぶやいた本人をリンチしたり洗脳したりして、死ねという言葉を発することができないように「教育」するのが間違いなのは、誰が見ても明らかだろう?
競争に勝ち残った精子が卵子と結合する権利を持つのと同様に、競争に勝ち残ったオスがメスと結合する権利を有するのである。
人間における競争は、もちろんどれだけ稼いでいるか、どれだけ影響力があるか、どれだけてっぺんに登ったかということに注目がいくし、それは身長であったり、学歴だったり、専門的な(卑俗でない)知識の量だったりする。
その競争に勝ち抜いたエリートDNA(生物的に、というわけではない)のオスが、メスに金銭を提供するのだ。カマキリが体を提供するように、一部の深海魚が精子を送り込む機関に自らなり下がるように。
オスはメスに食われることに快楽を見出す。あるオスは金銭を提供する代わりにメスの肉体を積極的に求めるが、またあるオスは金銭の提供をして、かつ女性に責められることに魅力を見出す。どちらにせよ、オスはメスに食われているのだ。
性欲で虜にされたオスは何の疑いもなくメスに経済資源を提供し、メスはそれを蓄える。これは自然の摂理で、真理である。
では、最近のオスはなぜメスを求めないか(二次元三次元の話ではない)
まず、今のオスは、メスに提供するだけの稼ぎがない。だから基本的にメスもオスには見向きもしない。より稼いでいる「オジサマ」に魅力を見出す。当然ながら今のメスは自分で蓄えることができるので、それ未満の稼ぎであるオスは競争敗北の劣等DNAであること(生物的に、というわけではない)は疑いもない。そして現代ではそういうオスばかりなのだ。
つまり、今の日本のオスは弱い。果てしなく弱い。これなら他国のオスと異国間交雑したほうがまだ幸せになれるだろう。
ではなぜオスが弱くなったか。これはひとえに競争力がはぐくまれなかった、現代教育の弊害としか言いようがない。
たかが一個の精子の人生を重視するあまり、競争力が衰え、多くの弊害が生まれているのである。
考えてみてほしい。精子が卵子に向かって競争を勝ち上がっていくのに、わざわざ負けるようなスピードで走ったり、挙句膣の外にでようと動いているなど、欠陥もはなはだしいだろう。これが現代のオスである。
企業もそれを認めるような体制に変わりつつあり、非常に憂慮すべき時代となった。
では、競争力を上げるためにはどうすればいいだろうか。
ミクロでは、個別の目標をクリアする、マクロではメスと結合するという目標をクリアするために力を蓄えさせねばならない。
ミクロとしては全国民にお受験の義務付けと学歴による徹底した序列化が望まれる。その個別の目標を達成していくことで優性DNAを選別していき、それを上から順にメスとあてがわすのである。当然ながら、競争敗北者は、競争に勝ちあがったもののために一生を尽くすのである。社会全体のため、ではない。一部の勝ち上がったもののために、だ。
すべてを自然淘汰の白日下に晒すことで、オスは強くなり、メスの望むオスも生まれるだろう。
それを怠るならば、ともども滅びても文句は言えまい。