はてなキーワード: 抗うつ剤とは
当方20代後半女。
ずっと150cm/47kgぐらいをキープしていた。
気付けば55kgを超えてしまった。服が入らなくなってきて、
膝が痛くなってきた。出不精になってきた。
やばい。でも食べるのは辞められないし、運動しても、運動後に恐ろしく食べてしまう。
取り急ぎ少しでも落としたい、という理由で思い切ってダイエットピルを買った。
このことを少し書いていきたい。上手く書ける気はしないけれど。
サプリなどではない。ピルなので薬だ。肥満の人には日本の病院でも処方されるらしいけど、
大きく分けるといくつかあるが、「満腹中枢に作用するもの」「体内への吸収を阻害するもの」
の二つに分けられるのではないかと思う。私が買ったものは前者。
もともと低容量ピルを個人輸入していることもあり、良くも悪くも個人輸入に抵抗はない。
いくつか仲介しているHPがあるが、大きめのところを選ぶとハズレがないように思う。
大きい方がその薬やサプリのレビューがあったり、セールをしていたり、対応が速かったり、
割と良い印象。
時期にもよるが入金してから一週間程度で届く。
空腹感がかなり減退。食欲がないわけではないんだけど、「まだお腹いっぱいだから食べないでいいや」程度。
服用して30分ほどで強い眠気を感じた。そして、抗うつ剤を飲んだときのような感じ。
神経に作用するので当たり前だけど、視力がぐんとあがった感じ。しかしどこかでぼーっとしている。
長期服用はよくないらしいので毎日飲むつもりはないが、取り急ぎ6kgほど減らしたい。
服が入らないのもそうだが、膝が痛いのは問題だ。
登場人物:
・A氏:40代後半。既婚。2児の父。勤めている企業では管理職クラス。見た目は髪が薄くておっさん体型。
一度目は長女が3歳くらいの時、二度目は次女が3歳くらいの時。
一度目も二度目も妻にバレて関係が終わっているようだ。
「社員の〇〇さんが気のある目で俺のことを見ていた」とか得意げに話していた。
不倫経験自慢も平気でする。特に罪悪感とかそういうものは感じられない。
普通一度でも妻にバレたら懲りて二度目はバレないようにしようとするものだと思うが、
(浮気癖が酷いと妻にバレようが何だろうが繰り返すのでやめようという意識はない)
どうもそういうところが無頓着のようだ。
…無頓着?
いや、関係が面倒くさくなったら敢えて妻バレさせて別れの口実を作っているようにも思える。
不倫がバレた時の妻の反応は半端無くすごいものだった。
家の中をめちゃくちゃにしたり、自家用車のシートにはさみで切りつけたり、怒り狂うにしても常軌を逸している。
A氏曰く妻はうつ病なのだそうが、SSRIなどの抗うつ剤による副作用で他害行為に及んだものなのか
(http://oisha.livedoor.biz/archives/51250019.html)
他の精神疾患のせいなのかは分からないが、ともかくそんな状態になったら一刻でも早く入院させ治療させるのが
家族のつとめだろう。
しかし、A氏はそういう対処もせず、妻と彼女行きつけのカウンセラーのところへ行くとそれだけ。
この人はうつ病の知識もないのか。
二度不倫がバレたA氏だが、家庭が崩壊することもなく今も何ら変わらず生活を続けている。
たまに昔の不倫相手が懐かしくなり連絡することもあるのだという。
そしてまた妻にバレて妻が半狂乱しておわり。
自分の好きになる金が手元にあるうちはこれを繰り返すことになるだろう。
僕は十年来の抗うつ剤服用者で、根本的に治さねばと思ってカウンセリングをうけたことが3度あるのだが、3度とも惨憺たる結果だった。
1回目は受診していた医者に進められたカウンセラーだったのだが、僕が小賢しかったせいなのか、物分りよくスムーズに治る患者を演じてしまったせいで、何も解決しないままカウンセリングが終結した。
2回目はなんかスピリチュアルなところだったらしくて、自律訓練の指導をされて(小学生の頃から自律訓練は本からマスターしていたので、この指導は全く意味がなかった)「額が涼しい」の状態に入ったところで「トラウマを思い出しましょう」「あなたのそばには誰がいますか?」「この世は魂が磨かれる場所です」などの謎な言葉をかけられるという妙な体験をしただけだった。あんなもんに通うくらいなら、坐禅組んだ後に坊さんの話でも聞いていたほうがまだましだった。
3回目は「カウンセリングは科学だ!」を標榜するカウンセラーだったのだが、到底僕にはそれが科学とは思えなかった。十数回セッションをやったのだが、僕の話したことに妙な解釈を付けて、挙句「あなたは別のカウンセラーを探した方がいい」と放り投げられた。
僕の結論は「少なくとも対話的カウンセリングは民間療法の域を全く出ない」というものだった。これから先どんなに辛くなることがあっても、カウンセリングに頼ることだけは無いだろう。壮大な時間と金の無駄遣いだと思う。
ただ、僕は心理療法のすべてを否定しているわけではない。認知療法などは正しく学んで使えば(メンタルの問題を抱えている人のみならず様々な人にとって)良いツールになっていると思う。
ほってんとりに林先生のかっこいい一行ぶった斬りレスを見かけたので久しぶりに精神病について考えたりした。自分のことを考えるのは疲れる。
二年前の今ぐらい、毎日何かしらどこかが痛くて苦しんでいた。胃痛、腹痛、頭痛、耳鳴り、めまい、貧血、ふらつき、そして生理不順。あまりにも胃腸の調子が悪くてしょっちゅうはいたり下痢をしたりするので内科にまずかかった。とりあえず点滴されてざっと検査しても異常はなし。ストレスじゃないかと聞かれたけど本人はよくわからなかったのでとりあえず耳鳴りの件で耳鼻科を紹介されていったら、精密検査。MRIの写真見た医者はため息つきながら「健康そのものです」と残念そうに言った。ちょwwwおまwwwなんで残念そうwwwと思いつつも原因が分からないので不安もあり、とりあえず偏頭痛ですかねお薬だしますねストレスためないようにねと言われて放流。
ついでにさすがに半年周期の生理不順もやばいだろうとおもって婦人科も紹介してもらって検査したけど機能的な問題なし、ホルモンバランスも問題なし。やっぱりストレスためないようにと言われてほぼそのまま精神科へ丸投げされる。
当時、睡眠時間が10時間以上になってて、学生だったんだけどこりゃやばいとは思ってた。内定は出てたから卒業さえできればよかったけど、朝になっても目が明かないし夜になると勝手に閉じちゃう。かとおもえば目を閉じてても寝れない日もあるってんで医者に相談したら、抗うつ剤と睡眠薬出されたけど睡眠薬が効きすぎてやばいやばい。二時間起きてられない。これが3分だったらウルトラマンかレベルとか思いながら医者に相談したら抗うつ剤ふやされてきちんと飲んでたら躁転。とはいってもそこまでひどくはなくて夜通し研究するのが一週間とか続いちゃっただけなんだけど、あとで見返したら実験手順がひどいことになっててそりゃー結果出ないわなーみたいなね。あと簡単な会話ならいいんだけど、人の話がよくわからなくなっちゃって、医者に何度説明されても薬のことがよくわからなくてこりゃやばいってんでリーマスが出てくる。それでもしばらくは上がりっぱなしで、日本語が認識できなくなっちゃったりとかしてたみたいなんだけど(当時の日記からすると)、日本語は一応かけてて、でも支離滅裂。これはひどい。しかも睡眠薬は寝る前に飲めばいいから覚えてられるけど、食前とか食後とかに飲む薬って忘れるのよな。そもそも食事取ってなかったりしたからあんまり真面目に薬も飲んでなくて、今でも手元にリーマスが200錠くらいある。これはやばい。躁から鬱に移行する時に全部飲んじゃったらどーすんだ先生よ。でも大丈夫ですちょっと眠れるようになってきましたとか眠ってもないのに言っちゃうんだよなぁ。という感じだった。
いろいろあって一応診断は躁うつ病、最初にかかった時は強い抑うつ状態にあったってことらしい。驚いたことに医師には十代前半で発症したと思われますとか言われてしまって、マジで?なんで?まぁそうかというか思った。
病院では全部しゃべってないというか聞かれなかったから言わなかっただけなんだけど、ほかにもいろいろとあって、
まぁその他もろもろ。
んでこれらの症状が、特にタイヤに吸い込まれそうになるとか偏頭痛、腹痛とかあたりは確かに10代かそれより前からずっとあったんだけど、就職して独り暮らし始めた途端ほとんどきれいさっぱり消えたんですよ(男性恐怖と生理不順と醜形恐怖のぞく)!薬も飲んでないのに!本当に自分は躁うつ病だったのか?と非常に不思議でしょうがないです。単にストレスの原因が消えただけちゃうんかと。おもに母親と同居人。でもまぁ相変わらず境界性人格障害ぽいところはあるし、男性恐怖とかは増田で煽り記事書くのとかはその辺から来てると思うので、そういう意味ではいつ自殺してもおかしくないんだよなー。リーマスこんなに手元にあっていいのか。でも致死量ではないか。ならやめておこう。
実際のところどれくらい正確に診断ってできるんだろうね。自分がそうだから思うんだけど、特に人格障害が根本にあってそこに鬱とかが乗っかってきちゃう人とか、絶対正しい情報を医者に伝えてないと思うんだよね。こういえばちょっと良くなったって見せかけられるそうすればよかったですねって言ってもらえるとか思ったらいっちゃうもの。これ言ったら難しい顔されるし、本気でやばい病名をつけられるかもしれないから言わない、だけどこれくらいなら病気だって診断してくれるだろうからちょっと過大気味にいっちゃおうとか。それで躁鬱って判断されたんちゃうかなと今では思う。
最近は会社の人間関係が非常に良好なせいか人格障害の兆候が多分ほとんど出てないみたいで周りにあまり波風が立ったりしてはいない。もともと自分はあまりしゃべるのは好きじゃないし、自分自身が割とひとに迷惑掛けるタイプだとわかっているので、一人でいるのが好きだったりとかしてあまり深い付き合いをしてはいないんだけどとりあえず嫌いすぎて殺してやりたいとか思う人がいないから大丈夫なんじゃないかなー。とか。嫌いすぎて殺してやりたい人がいる時も別にその人だけを攻撃したりとかしないで全体的に一人で嫌な奴になって悪意を振りまくだけなので、一人嫌われていくだけなんだけどね。
おちはありません。スマソ。
私もそんな感じ。
引きこもりだった私を雇ってくれたし、私を一人前の社会人にしようといつも必死に怒ってくれる。
毎日本当につらいけど、私のことを思って怒ってくれてると思うから、必死に食いついて、がんばろうと思ってる。
でも、つらい。
おととい、スタッフみんなで飲み会があって、朝の3時までなんだかんだで話して、
「明日お昼みんなで食べるから来いよ」
って言われたけど、お昼に起きれなくて起きたら夕方だった。
ちなみに昨日はオフの日だった。
今日、出社したら社長も上司も苦々しい顔して目も合わせてくれない。
つらい。
3時まで何を話したかって、下ネタばっかりで
「セックスめんどくさい」
「肉便器ほしい」
「一回り下の女とつきあいたい」
だの、そんなことばっかりで、周り男だらけで、女私だけで、どうしたらいいのかわからなくて頷いたり首かしげたりしてた。
抗うつ剤飲んで寝たけど、気持ち悪い夢ばっかり見て、起きたら夕方で、オフの日なのに
「どうして来ないんだ」
って嫌な顔されて、仕事ができてないって怒られて、つらい。
まだ勤め始めたばっかりで右も左もわからないのに、自分が何をしたらいいのかもわからないのに
「なんで人の気持ちを考えて仕事をしないんだ」
って言われる。
次に何をしていいのかもわからないのに。
マニュアルすらないのに。
鬱を理由になんてしたくないけど、つらい。
生きていたいし、楽しいことだってしたい。
まだがんばりたい。
でも何をがんばっていいのかわからなくなってきた。
がんばってもがんばっても
「ま、おまえがどうやったって怒られる結末しかないんだよ」
と言って怒られる。
私のためだと思うけど、理解できるけど、納得できない。
教えてくれないのには理由がある。
私を成長させるため。
でも、成長したくても芽生えた芽が片っ端から強風にあおられて飛びそうだ。
鬱だったり、引きこもったりの社会不適合者だけど、ふとした縁で小さな会社に就職した。
毎日のように怒られて、
「自分はだめだな」
と毎日のようにへこんでる。
「お前は自分がよかれと思ってやってるんだろうが、それはお前の勝手な妄想だ。自分の中で勝手に話を作って完結させるな」
「お前が正しいと思ってることは正しくない」
「冗談まで全部真面目に受け取るな」
「運動をしろ」
「飯を食え」
「外に出ろ」
「休みの日には遊びに行け」
「もっと世間を知るようにしろ」
30代半ばになって、社会の厳しさをひしひしと感じる。
自分にはなんの取り柄もないことを知った。
何もできないことを知った。
実家を出て一人暮らしを始めたけど、未だに住所を実家から移していない。
怖いから移せない。
移さないから吹っ切れない。
「いつでも帰ってきなさいね」
と言った母親にまだ甘えている。
情けない。
勤め始めて三ヶ月経った。
何もできない自分は手探りで毎日を過ごしている。
がんばっていると思うけれど、それは妄想なのだろう。
毎日泣いている。
泣いたってどうにもならないことはわかっているのに涙は止まらない。
会社では泣かないようにしたい。
薬を飲まないと眠れない。
DSMの改訂の度に、論議を呼ぶような追加があるが、今回も例外ではない。実際、マニュアルはだんだん厚くなっている。今回提案の改訂で最も不穏なのは、いわゆる医療の専門家が個人の性格を調査する際の方法が、ずうずうしく露骨な新方式になっていることだ。
変わった個性を持つ子供が、その個性のために奇抜な行動を見せると、精神疾患と分類されることになる。昔からこの基準で診断されてきたならば、モーツァルトやアインシュタインのように通常の枠組みから飛び出して新しい発想にたどり着く人は存在しなかったかもしれない。
「今日、7才のモーツァルトがコンチェルトを作曲しようとすれば、注意欠如・多動性障害と診断され、投薬で才気の無い『正常』にされるかもしれない」
性格の違いまで精神病と解釈するとなると、人間は個人的な義務を感じなくてよくなるが、同時にユニークな人間性を奪われることになる。自分で考えることができず、医薬品でコントロールされるだけの存在に貶められる。
この子(http://www.youtube.com/watch?v=6-owL1vM4nE)みたく飛びぬけていたり、見つけて伸ばしてもらえた子は良いのだろうけど、そうじゃない出る杭になっちゃった子は打たれるんだろうな。
医師の自殺率は高い。1980年代前半の英国における医師の自殺率は、一般人口に比べて、男性で3倍、女性で6倍である(a'Brook,1989)*1。最近の米国では、一般の男性に比べて、男性の医師は自殺を試みることが1.41倍だが、一般の女性に比べて、女医は自殺を試みることが2.27倍と高く(SchernhammerとColditz,2004)、女医の19.5%がうつ病の既往を自己報告している(FrankとDingle,1999)。
1967年から1972年の米国では、精神科医の自殺率は、他の医師の2倍である(Richら,1980)。自殺率が高いだけでなく、精神科医は医師の中で喫煙率が最も高く、禁煙に最も失敗しやすい(TamerinとEisinger,1972)。1980年代の米国では、男性の精神科医の7.1%、女性の精神科医の3.1%が、自らの患者と性的に接触している(Gartrellら,1986)。これらは1960年代から1980年代にかけてのデータだが、精神分析が流行していた当時の米国の精神科医たちは一般の医師よりもさらに不健康な人たちの集まりだったようだ。
全国自死遺族連絡会が2010年3月までに行った調査によると、自殺者1016人のうち精神科を受診、治療中だった人は701人で、69.0%を占めた。自殺者のうち飛び降り、飛び込みは197人で、自宅のマンションから飛び降り自殺を図った場合は全員が受診していた。また、自殺した20~50歳代女性も100%が通院していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100504-00000000-jct-soci
さて、このグラフは何を表しているのでしょうか?これはものの
示しています。
(中略)
精神科にかかる患者が増えるのも、抗うつ剤の売り上げが増えるのも
それが本当に患者のためになるのであれば、私は一切批判はしません。
しかし、私の知っている現実はそれと全く逆です。精神医療現場では、
患者の尊厳や命までも、精神医療産業の利益と比べてあまりにも軽視
されていて、不当な診断をされたり、知らされなかった薬の副作用で
被害に遭う人が本当に多くいるのです。
薬害エイズ事件は、患者の安全や命、尊厳が無視された結果、必然的
に生じたものでした。私は、抗うつ剤に限らず、向精神薬による薬害
は、薬害エイズ以上に大規模な問題であると考えます。そして、無用
に患者を隔離拘束薬漬けにしてきた精神医療は、ハンセン病問題を
はるかに超える規模の犯罪・不作為であると考えます。
http://blog.livedoor.jp/mizikanamondai/archives/50929735.html
昨今、気軽に精神科にかかろうといった風潮があるけれど、精神科について知るにつれ、よほどのことがない限りあまり近寄らない方がいい場所に思えてくるんだけれど、どうなのだろう。
最新情報をガブ呑みしていないと夢が萎んでしまう人達 --- シロクマの屑籠(汎適所属)
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20100425/p1
地方に夢なんかない、あるのは絶望だけ --- SKiCCO ALTERNATiVE
http://d.hatena.ne.jp/skicco/20100425/p1
どっちの言い分もすげーわかる。
私は団塊Jr世代。高校卒業後に上京して東京タワー近くの専門学校に2年行って、都内の企業に就職した。最後のバブル入社組で、私の後輩が入らないまま5年ほど務めたけど「この会社やばいな」と思って辞めた。その会社は今はもう無い。その後、派遣社員みたいな形で7年ほど仕事した。その間にその会社の規模は7倍ぐらいになった。落ち目の会社からの転職としては、当時としては悪くなかったと思う。30を過ぎて、やっとこさ年収500万を超えるようになって、少しは貯金ができるかなーって頃に、鬱が進行して少しづつ何もできなくなり、最後は仕事もできなくなり、貯金を使い果たして田舎に逃げ帰った。あの時はマジでホームレスになると思った。田舎に帰って抗うつ剤を飲みながらなんとか仕事を見つけ、抗うつ剤を飲みながら見合いをして結婚する所まではいったけど、結婚の方はすぐ破局。そりゃそうだ。仕事はまぁ上司と喧嘩しながらもなんとか続けているが、年収は300万ぐらい。東京に居た時から40%ダウンだ。
「最新情報をガブ呑みしていないと夢が萎んでしまう人達」を、私は愚かだとは思わない。むしろ、かつてはそうなりたいと思っていた。思っていたけど、田舎育ちで金もない俺には、そんな生き方は無理だった。学生時代から数えれば14年間都内に住んで、14年も住んでれば少しは東京の人っぽくなれるかな、と思っていたけど、実際は全然そんなんじゃなかった。
親子3代住まなくちゃ江戸っ子にはなれねぇなんていう人が居る。14年住んでみて実際そうだと思った。その意味が身にしみてよく解った。俺は死ぬまで田舎者だ。もっとも、それを悪いことばかりとも思わない。恵比寿のとある居酒屋のメニューに季節限定の「つくし」が出たとき、私はそれを喜んで注文したが、都内の友人は誰も「つくし」を知らなかった。汁物に乗っかってる葉っぱは、ただ「青臭い」といって敬遠された。私にはつくし狩りの思い出も原っぱを駆けまわって転んだ時の青臭い匂いの思い出もあるから、それを食べる度にそういう思い出に浸ることができる。そういう思い出を大事にしたいと思う。それを東京の友人と共有できないことは寂しい。
しかし一方、田舎に帰ってきたところで、実際問題として田舎には職がない。いや、無いことはないのだけど、農業などの1次産業か、もしくは老人介護。田舎にもそこそこ名の通った企業というのは多少は存在するが、新卒ならともかく、中途・Uターン組にとっては実に狭き門だ。
もし今、上司と喧嘩でもして会社を辞めるような事になったら、たぶんまた都内で仕事を探すことになると思う。なんでか。よくわからない。よくわからないけど、強いて言えば、夢をもって頑張っている人たちの近くで、何か役に立つことがあればいいかな、という、そんな感じ。行き着く先は、最終的に独居老人で孤独死、なんてことになるんだろう。将来、俺の遺体を片付けることになる特殊清掃業者には申し訳ないと思う。申し訳ない。
http://anond.hatelabo.jp/20090607232227
結論から先に言えば、通院も服薬も、よっぽどのことがなければバレませんので、予約した日はずらした方が良い(その日は奥様が疑いの目を向けているかもしれないので)かもしれませんが、
うまく年休をとってでもとにかく一度病院に行くべきと思います。
ええっと、僕の妻が元増田さんに類似の状況で(僕自身は病院に連れて行くことに反対はしなかった、ていうか連れて行くのに苦労したくらい)、心療内科にかかっています。
その結果、まだ完全に良くなったとは言いがたいものの、大分回復し、一応休職せずに勤務は続けられているということはお伝えします。だから、病院は行った方がいい。
ただ、そのために家庭が荒れると、ストレスは余計かかるので、姑息な手段を使ってでも、「バレないように」行った方が良いと思います。
こういう素人判断を、しかもネットでの一方的な情報入力だけでするのは本当は非常によろしくないことなのですが、
元増田さんは”適応障害”と診断され、抗うつ剤を処方されるのではないかと思います。
妻は今、同じ診断名で、ジェイゾロフトというSSRIを頂いて、比較的調子が良いのですが、この薬、1日一回の服用で良いのですね。
一応、眠気がくるので、就寝前に飲むようにはしていますが、我慢が出来ないほどではないそうです(多分、個人差はあると思いますので、はじめはなんとかして就寝前に飲まれるのが良いと思いますが)。
ですから、究極的にはご自分の勤務先のデスクに保管しておけば、服薬していることはわかりませんよね。
悪い言い方ですが、今はどこも心療内科は満員御礼(嫌な時代ですね)で、ちゃんとした「カウンセリング」みたいなことをしてくれるところはほとんどありません。
で、そういう「ちゃんとした」ところは予約を入れてから半年待ちとか冗談みたいな状態です。半年待ってたら死ぬよ、みたいな。
逆に、症状を訴えると、あっさり薬をくれるところが大半と思います。これはこれで問題ですが、ただ、薬は効く人には劇的に効くので、まずはそれを試してみてはいかがかと思います。
ただちょっと自信がないのが、医療費通知って共済組合の場合どうなるんでしたっけ?
ウチはあまり意識してなかったので、「いつのまにか手元にある状態」だったのですが、郵送だったら、これを見られるとバレるので、遅かれ早かれ奥様の理解を得る必要はあると思います…が、
多分年度末か早くて年末なので、半年の猶予はあります。まずはなにはともあれ通院をお進めします。
他人をみて「それに比べて自分は…」なんて考えるのは典型的な鬱だなあ。
それ自体が症状なんで、考え方を変えろって言っても難しいが、世間じゃなくて自分の価値観を大事にした方がいいよ。
親御さんが将来のことを聞いてくるんで世間の人と比較せざるを得ないってところはあるだろうけどね。
それから、抗うつ剤の一部は飲み始めに鬱症状を強める副作用があるものがある。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/saisin/20070907-OYT8T00200.htm
俺もそうだった。
http://anond.hatelabo.jp/20090415074829
これの続きようなモノ。
大学を「学校に行けない病気」で退学した私は学校で学んだことを生かせる仕事を探していた。ただ、学んだ分野が環境化学というあまりメジャーじゃなく仕事も少なそうな分野だったので探すのにかなり苦労した。
それでも農薬を作っている会社の研究所に潜り込む事に成功した。
仕事は元々興味ある分野だったし、残業も殆ど無いような負荷も少ないもので学校で学んだ知識と新しく学んだ事でのびのびと仕事することができた。幸いなことに評価も良く順風満帆な日々を過ごすことができた。
しかし、半年ほどして異変が訪れる。
「学校に行けない病気」が再発したのだ。いや、増悪したとも言うべきだろうか。
当時、通勤は電車とバスを利用していたのだが、バスから降りられなくなったのだ。
降りるべき停留所が近づくと段々呼吸は速くなる。動悸もして息苦しく頭が真っ白になる。それは停留所に近づけば近づくほど強くなり、停留所を超えると段々収まり今度は自責の念が私を責め立てる。
「死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ…(以下延々繰り返される)」
と云う言葉で頭の中が支配される。
始めのうちは先の停留所から引き返して遅刻、ということで処理はできていたのだけど、それも数が増えると話は少しややこしくなった。程なく上長から注意を受けた。怖いタイプの人ではなかったので大したことは言われなかったとは思うけど、それが自責の念を増長させた。
注意後は引き返すことすらできなくなり、途中の停留所で降りて、音のしない場所を必死になって探して勤務開始ぎりぎりくらいに休む旨の電話を携帯からした。なぜか解らないけど「音のしない場所」というのを必死になって探していたのを覚えている。
そんなのが一週間くらい続いて、また上長から注意を受けた。今度は上長の上長もやってきて注意を受けた。
いわゆる厳重注意に当たるものだと思う。同時に何か精神的に何か問題は無いか、とも聞かれ初めて精神科を受けることになる。
薬を飲むようになってからは少し落ち着き二ヶ月くらいは普通に出社できた。
このまま何事もなければ今頃私はその研究所で正社員として活躍していたかもしれない。
だけど現実はそんな風にはさせてくれなかった。
年が明けてすぐ再び「病気」は再発した。また一週間くらい行けなくなった。
二度目はなかった。
程なく無理矢理呼び出され、所長と上長の上長と上長の3人と面談となりその場で「今日付で自己都合で辞めてくれ」と言われた。
当たり前と言えば当たり前。でも当時の私には裏切られた思いでいっぱいだった。あんなに評価してくれて良くしてくれたのにあっさり辞めさせられるんだ…って。
「病気」とは別の形で頭が真っ白になりつつその場で辞表を書かされた。
その後、ふと思い立って辞めた大学に復学したけれどこんな状態じゃ学業もできるわけもなく、元々辞めた理由の「学校に行けない病」も再発し半年で再び辞めた。
入学金諸々200万をドブに捨てた。
大学復帰の道も閉ざされた私は仕事を探しては何とかどこかの会社に潜り込み
朝起きる→朝食食べる→着替えて外出る→電車乗る→漠然とした恐怖・不安→目的地駅で降りられない→どこかで降りて休みの連絡を入れる→休み多くなる→呼び出しの電話→クビ
と言うプロセスを面白いように繰り返していた。
そこに休養という文字はなかった。なぜなら家族が「病気」に対しての理解がなかったから。
父曰く「サボってるだけじゃないのか?」
とナチュラルに言うのだから休養なんてできるわけがなかった。
この辺で「社会は、会社は誰も私を救ってくれない。絶望した!」みたいなことを思うようになっていた。
派遣で潜り込んだ会社で宇都宮の世界の誰もが知っているメーカーの研究所に派遣された。
派遣先に上長が私をえらく気に入ってくれたらしく「5年以上の長いスパンで働いて欲しい」とまで言われ、場合によっては正社員雇用も…みたいなことまで言われた。
仕事は化学とはあまり関係のない分析評価の仕事だったけど、仮に在籍していた5流大学を新卒してでも入れなさそうなメーカーで正社員も夢じゃない…みたいな話だったので殆ど二つ返事でその仕事を受けた。
宇都宮はさすがに通勤できないので転居して一人暮らしをすることになった。
初めての一人暮らしは不安だったけど、恐怖の対象であった父や口うるさい母もいないのでむしろ好都合だったし、住環境も周辺環境も恵まれていたし、仕事場まで車で10分。車がないと不便な場所ではあったけど日用雑貨からPCパーツまで車で20分も走らない場所で揃えられたので今思っても最高の環境だった。
そんな中で最近(2009年現在)世に出た製品のさらに次の製品に向けての技術の研究という最先端中の最先端の仕事ができた。職場環境も居室が機械だらけで動作音がうるさい以外はまさに最高。言うことがなかった。
そんな最高の環境の中で多少の休みはあったけれど半年くらい仕事をすることができた。
しかし、そんな最高の環境の中でも異変は起きた。
トリガーはなんてことのない物だった。簡単に言うと部署間での私の取り合い。
私がいた居室は3つの部署が共有していた。
一つは私がいたところ、もう一つは私たちの一つ前、最近世に出た製品の技術関係を手がけていた部署。もう一つは良くわかんないけど別の事していた。
その最近世に出た製品の技術関係を手がけていた部署の係長が「ちょっと最近忙しいから一月くらい手伝ってくれないか?」と言ってきたのだ。今所属している部署の係長もOKしているみたいなことを言われたが、正直行きたくなかった。
と言うのもその係長が生理的に受け付けられないタイプでその部署もあまりいい空気ではなかったからだ。それでも「一ヶ月くらいなら」と、言うことで異動することに了承した。
そこで話が終わればもうちょっとそこでの仕事が長続きしたかもしれない。
いざ異動してみるとその係長から「ここに来たからにはもうずっとここにいてもらうからね♪」みたいなことをナチュラルに言われた。
話が違う!
抗議した、猛烈に抗議した。その抗議は部長を引っ張り出す騒ぎになったが、その決定を覆すにはさらに上の役員を引っ張り出さないといけないらしく、覆すのは事実上不可能だった。
元いた部署で一番お世話になった主任は「あの人はそういう人なんだよ。」と自嘲的に言っていた。結局決定は覆らず、「なんか語弊があったけどこういう事だから頑張ってね♪」みたいな係長二人のサイン入り書面を差し出された私はその日早退した。
そして一週間休んだ。
「ちょっと精神科行こうか」
当時、すでに近所のメンタルクリニックで投薬治療を受けていたけど、それは会社には隠していたので通っている病院とは別の精神科になんとか行くことになった。
そこで「鬱状態」と診断された。
翌日、派遣元の支店長から「支店にちょっと来いやと」いう連絡を受け、宇都宮駅前の支店事務所に向かった。そこで支店長から言われたのは「派遣先から撤退する。お前会社辞めろ」と言う事実上の解雇通知だった。
は?
なんで?
確かに「病気」の事は隠していたけど、事情が事情だし…というかなんで休養とかそういうのもすっ飛ばして辞めろとかになる訳?
抗議した。そんなのおかしい、何で辞めなきゃいけないんだ?
猛烈な言い合いは4時間を超えた。
で、痺れを切らしたのか支店長はこう言った。
「精神障害者は使えないんだよ!!!」
あぁ…。
何かが崩れ落ちた気がした。
支店長がどういう意味でそういったのかは知らない。でも、その言葉はあまりにも無情で残酷で…世間の正論過ぎた。
程なく辞める旨を伝え、それから数日で宇都宮から実家へと帰還となった。
それから仕事を探しては数日でいけなくなってクビになると言うのを何年も繰り返した。
一番行くところまで逝ったところだと、静岡の某宇都宮で居たメーカーの同業他社で、そこはお世辞にもいい職場環境ではなく仕事をした時は2週間くらいで会社に行けなくなった。
で、また数日会社に行けなくなって派遣元から「これ以上休んだらクビにします」と言う最後通告の電話を受けた直後殆ど自動的にアルコールで抗うつ剤その他100錠近くを一気に飲み込んだ。
結果は…今ここに私が居るわけで未遂に終わった。
友人と家族は…多分許してくれたと思う。そう思いたい。
46万円。
退職金という名目だったけど、書面を見ると事実上の手切れ金だった。
「46万円やるからさっさとここから消え失せろ」
コンプライアンス事業部のえらい人が放った言葉は穏やかだったけど実質そんなものだった。
労基とかそんなの以前に服薬の影響で記憶も曖昧な状態でろくな判断能力もあるわけが無く46万円押しつけられて派遣元会社をクビになり、再び実家へと戻ってきた。
その後も会社は行ってはクビになるを何回も何回も繰り返していた。
「休養しろ」とか言われると思うけど、当時金銭的な問題で月に10万以上金を稼がなくてはならない状況で何が何でも仕事をしなければならなく、その上家族も多少の理解は得られたとはいえ病気に関してはまだ「怠けだ、甘えだ」と思っている節があるらしく家にいても正直休まらなかった。
そんな感じでこじれにこじれて今に至り、前述の「会社に行けない 」のエントリーに繋がるわけです。
ちなみにこの会社もクビになりました。
熱意はWebエントリーで落とされても社長に直訴の手紙を出すほどにあった。
技術も気がつけば新入りではずば抜けてあったらしく、赴任先事務所でも即戦力になるほどだった。
でも、会社に行けない、と言う社会人として当たり前のことができなくてクビになった。
結局何やっても、どんな事しても「会社に行けない病」をどうにかしない限り私は社会生活を送ることができないらしい。そもそも社会が私を受け入れてくれないようなのだ。
最近になって金銭的な面が法的にどうになるようになり、少し休養する時間ができるようになった。精神科に通院投薬治療は続いているし、障害者手帳も取得することができた(ただしあまり役に立ってない)
ただ、家庭経済面で休養、はできないらしく、父母からは「最低アルバイトはしろ」と言われてしまった。そんなわけで今アルバイトを探している。なるべく負荷の少ないコンビニとかそんな仕事をいくつか面接入れている。
三十路過ぎて大学中退、しかも職歴むちゃくちゃな私をどこが雇ってくれるだろうか?
しかもフリーターという身分。結婚以前に恋愛もできやしない。そして何より、この先這い上がるチャンスという物が事実上ゼロだという現実に直視しなければならない。
この状況で社会という物に希望を見いだすことができるだろうか?
正直今の私には無理だ…。
うつ病は、「うまく付き合っていく方法を探す」なんていう生易しいものじゃなくて、精神科で薬をもらって半年~数年かけて悶々と「治す」ものです。「うつ病と闘う」とか「うつ病と立ち向かう」という表現は適切ではないかもしれないが、本人にとっては闘病生活であることは確かなので、まだ、適切と思える。
うつ病も人によって具体的な症状は千差万別だから頭ごなしに否定はしないけど、少なくとも、「うまく付き合っていく」という表現では、「一生治らないから受け入れるしかない」というようなイメージを与えかねない。そんなことはない。効果は劇的ではないし、副作用もあるし、再発も多いかもしれないが、ちゃんと抗うつ剤を飲み続ければ治るものです。よくあるのが、
というケース。
「うつ病とうまく付き合っていく方法を探す」なんて暇があったら、さっさと精神科に行きなさい。精神病は、うつ病以外にもたくさんあるからね。うつ病ではなくとも、他の病気かもしれない。
あと、藤原紀香は「うつ状態」を経験しただけで、まず間違いなく「うつ病」ではないよ。じゃなきゃ、こんな役は受けんだろう。
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20090331/1238462675
「うつ病と闘う」だの「うつ病に立ち向かう」だのいい加減にしろよ!なんでコイツラは病みつかれた人を静かに寝かしておくことすらできないんだろうね。うつ病って「立ち向かっ」たり「闘っ」たりするものじゃなく、そういうものだと受け入れて、うまく付き合っていく方法を探っていくものだと思っていたんだけど、スポーツ報知の記者様のお考えは違うようです。そもそも「立ち向かっ」たり「闘っ」たりする気力が(さまざま要因によって)なくなってしまうからうつ病になるわけで、そこからしてよくある「闘病モノ」と同じように考えてるのがまるわかり。しかも藤原紀香の役が「うつ病」になるわけではない。ホントどうしようもない記事だね。わからないなら「大本営発表」を丸写しにしておけ。
私は彼とは大学生時代からの知人(同じ漫画サークルの先輩)で、色々あって卒業してからは疎遠だったが、4年ほど前に、製パン工場の社員をしていた彼が脳腫瘍で倒れた、という話を共通の知人から受け、それがきっかけで再会、それ以降はまた旧交を温めつつ、やがて交際を始め、互いに将来、つまり結婚も視野に入れるようになった。
自分の両親の希望(と言うかプレッシャー)もあって、1年前の正月に、その彼を実家の自分の両親に紹介したところ、それが済むや否や、両親の動揺と怒りは予想に反して凄まじいものだった。
理由は、彼が脳腫瘍という大病をしたために現在安定した職場に就けない状態にあること、会話した際の彼の態度が不作法(箸の持ち方、食べ方)で傲慢(私の親に対して私をことを呼び捨てで表現)、持参してきた手土産(彼の父親手製の干し柿)が失礼すぎる、等々、つまり、彼の経済力を筆頭に、人格、言動含めて全力で否定、拒絶されてしまったのだ。
彼の健康、経済状況に対しては私も承知しており、脳腫瘍は完全切除は出来なかったものの、小康状態を保ち、再発の危険性は少なくなってきていること、経済面では、目下彼の方でも定収入を得るべく様々な資格を学び、事業を立ち上げ、それらが僅かずつながら軌道に乗りつつあることなどを、私自身も前々から両親にも伝えており、彼本人からも両親へその状況や見通しをかなり誠実に話したつもりだったが、両親が言うには、とにかくそれ以前に彼の言動に拒絶反応が強く、こちらの意見やフォローも全く聞き入れてもらえる状態ではなかった。
彼の帰宅後、一晩中口論を続けた結果、父は寝込んでしまい、その後元々の鬱病が悪化。母は号泣し、「あの人だけは嫌! 絶対に許さない! お願いだから止めてー! あの人だけはいやだ、いやだ、いやだー!」とまるで幼児のように半狂乱で泣き喚き、その後、「あなたのせいで、更年期障害が酷くなった」と言われ、その後終日寝込んだ。
その数日後の夜中、彼と私の両親との口論が電話で行われ(私は当時自宅に帰っていたので、この時のやりとりは直接立ち会っていない)、両親から罵倒されてかなり苛ついていた彼は、自分の家庭の内情も含めて自棄にあれこれぶちまけてしまい、しかしその上で「年寄りになっても、彼女とはいつか一緒になる気でいますよ」それを聞かされた両親は「もう絶対、あんな人たちのところへあなたを遣るわけにはいかない」「絶対結婚は許さない!」…と、完全にとりつく島が無くなってしまった。
それ以来、私は実家へは帰っていない。両親は近況報告程度の電話やメールのやりとりがたまにあるだけだ。
今のところ結婚の話題は表には上がることはなく、停戦状態と言ったところ。しかし、いずれは、何らかの形で話し合いは持たなければならないだろう。
しかし、30を過ぎて、なんとか定職にも就いて、仮にも社会人の端くれとして数年過ごし、それなりに自活して税金も納めてきた娘が、多少の欠点や不安要素はあっても、起業も含めてそれなりの再生意欲と努力をしており、世間智も判断力そなえている、これまた30過ぎた相手との同意で決めたことへ、反対どころか、当の娘と、娘の選んだ相手をここまで罵倒、侮辱すること、まして「ショックの余り」目の前でいい年をして泣き喚き、当てつけのようにそろって病気を利用するなど、果たして親以前に、いい年の立派な大人がやる行為だろうか?
…という反感と憤りが時が経てば立つほど募ってきて、おかげで数年ぶりに抗うつ剤の世話にもなることになり…
将来に対しては、仕事も含めて多々不安はあるが、とにかく両親が彼との交際(と言うか交流)さえ容認してくれれば、それこそ私の精神も大いに改善し、仕事ふくめた現状も好転し、将来への意気込みも出せるというのに…
思い起こせば、自分はおおむね両親の要望通りの人生を選択してきた(結局そうなってしまった)ような気がするが、この件のように、私が自分から言い出して、自分の意志で選んだことに限って、全力で潰されてきたような記憶がある。
(続くかも)
元々、私も彼も今すぐ結婚したいわけではなく、また、出来るわけでもない状況は重々承知していた。ただ、両親の有形無形のプレッシャーが有り、一応「付き合っている」「将来を考えている」男性がいること、その彼の経歴や人物自体は伝えてあったので、「じゃあ、とりあえず、遊びに来てもらう感じでいいから、一度合わせて欲しい、顔だけは見ておきたい」という流れで紹介の場が持たれたというところだった。その時点では両親もそれほど思い詰めた様子ではなく、厳しい雰囲気では無かった。
今にして思えば、私の認識や段取り、根回し、プロデュース等々、多々甘いところや迂闊な点が色々思い浮かんできて、今になって死にたくなるほど後悔することしきり。
ただ、やはり経済的なことがネックなのは確実だったから、その点は彼にも「両親にはなるべく前向きな話をしてほしい、ある程度の具体的なビジョンを説明して欲しい」と伝えておいたのだが、彼が言うには「そんな具体的なビジョン通りに出来るような仕事じゃない」「前向きに調子の良い話をする詐欺師なんていくらでもいる」「もし話したとおりに成果が上げられなかったら、かえってご両親の不信を招いてしまう」「だから、現状を正直に伝える」というわけで、実際に当時の状況を具体的かつ正直に話した結果、その話の内容と話し方に両親が激怒してしまったのだった。
彼の仕事内容は、主に携帯サイト(ポイント、ゲーム紹介等)の運営。
あと、この一件の後の彼の言い分。
「作法や言葉使いに対してはうっかりしていた。今後改める」
「確かに俺と俺の家庭の対応もまずかったけど、幾ら腹が立ったからといって、夜中の12時過ぎに抗議の電話を掛けてきたり、娘の気持ちも考えずに大騒ぎして、当てつけみたいに『具合が悪くなった』とか言うご両親のほうにも問題有るし、常識に欠けると思う」
「俺はあくまで君とだけ生きていくことを考えてる。ご両親は関係ない。だから、君が気をしっかり持って欲しいし、どうかうまくやって欲しい」
ちなみに、子供は作らないことに二人で決めている。
やっぱり、どういう方向へ行くにしろ、やっぱり自分がしっかりしないと。ちゃんと大人に、というより真人間にならないと、と切に思った。
何にもやる気がおきない、食べるのも面倒臭い、人と会うのが怖い。起きるのが辛くて一日中ふとんの中で過ごす事もしばしばあった。
たまに起きてもPCの前で鬱病チェックとかググってたり、メンヘル板でROMってたり。次第に自分は鬱病なんじゃないかと疑い始める。ますます気が滅入る。
ネガティブシンキングの連鎖は朝から晩まで止まる事を知らなかった。
まぁ、ここまではそんな珍しくない話かな。
こうして4週間ぐらいひきこもりの日々が続いた。もう朝も昼も夜も日付にも感心がなくなってきた頃の事だ。
幸いな事に自分を心配してくれる友人がいたので、彼のススメで精神科に通う事になった。
厳密に言うと、通ったのではなく2度ほど受診しただけなんだが。
開院時間や休診日などのチェック、問診票のPDFをコピー、記入を行い準備完了、いざ出陣。
電車で二駅、そこから徒歩数分の場所にあった。
私は大の病院嫌い、それに加えてこの精神状況。正面ドアを開くまで5分ぐらい手前でウロウロしてしまった(自動ドアではない)
初めての病院って大体こんな感じになるよね?
靴を脱いで上がる。ロビーはコンビニの4分の1くらいの大きさ。受付は目の前だ。そこで初診の旨を伝えると、窓口の小汚いおばさんから想定外の言葉が返ってきた。
「当クリニックは完全予約制です。申し訳ございませんが来週の◯曜日、◯時にまた起こしくだしあ」
え?え?アポ必要なの?マジで?そんなのホームページに書いてなかったじゃんか!!なんでそんな大事な事を予め知らせてくれなかったの!
ひきこもりには電話なんてできねえよ!ネット予約できるようにしやがれ!てか正確な情報掲載しろよ!
私は受付前で挙動不審、軽いパニック状態に陥り、他の患者の痛い視線を浴びながらそそくさと病院を出た。靴を脱いでからここまで2分も経っていない。
後日、あのババァの言われた通りの時間に合わせて、再び足を運んだ。
この時気付いたのだが、ドアに貼付けてあった受診時間や休診日の張り紙を見ると、ここまでホームページと違っていたのだ。もう呆れて物も言えない。
前回来た時より私の心は弱っていた。もうノーガードにも程があるだろってぐらい。19歳なのによぼよぼの足取りでソファへ腰掛けた。
ここから第二の地獄が始まった。精神科の雰囲気がもう堪え難い程酷かったのだ。
前述の通り、ここはとても小さなロビーでソファが3台ほど備わっていて、受付と向き合う様に配置されている。
ロビー側はやわらかな照明で患者をいたわる姿勢がわかるのだが、正面にある受付を照らす蛍光灯が気持ち悪くなるぐらい眩しいのだ。
ロビーと受付は吹き抜け?のような構造なので互いを遮る物はなにもなく、全てがダイレクトにはね返ってくる。
この構造が生み出した更なる弊害は、受付看護婦の私語が常に耳に入ってくる事。
ここでは表記できないような品の無い言葉や、業務に関係のない私語や嘲笑、それら全てがこちらの五感を障る。もう耐えられん。
おまけに謎のバックミュージック。ヒーリング効果のある音楽なのだろうが、私から言わせればファミコンゲームの安い電子音。
S.E.N.Sとか世代を選ばない無難な音楽を流せよっ!てフロントに怒鳴りつけたくなった。
時々、診療室から先生と患者の会話のやり取りが聞こえるのもあり得ないよね。
先生がカウンセリング中に部屋を出る事があるんだけど、こいつドア閉めないの。ロビーから患者丸見えだよ、なによこのプライバシーを配慮しない最大限の努力。
ただでさえ他人の視線や言葉に敏感な患者(私)の容態を悪化させるには十分すぎる環境作りだった。
こいつら・・・・・・治す気あんのか?
いよいよ自分の受診の番がやってきた。既に私は、相手の言葉が耳に入らなくなる程ストレスが溜まっていた。
気付くと自分は「躁鬱病」と診断されていて、窓口で一週間分のパキシル(抗うつ剤)を受け取り、3500円も財布からなくなっている。
……そうか、やっとわかったよ。精神科医は来る人来る人を「鬱病」にさせ、お金をふんだくる最低な奴なんだね。
あらゆるメディアが「うつ病」を有名にして流行らせたけど、あれは精神科医の陰謀だよ。もう洗脳だよ。
そう気付くと、私は次回の診療なんて行く気が失せてしまったね。
長くなったけど、私が言いたいのは友達を大切にしましょうってことです。
自分のことをある程度理解してくれる友人、あるいは家族が一番のお医者様です。臭いけどこれ真理。
*追記