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2024-01-26

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2023-10-21

anond:20231021142041

時間感覚は正しいつもりだが?

戦争戦後経験した世代戦争実態を知っているので戦争の模擬やあらごとを嫌がる

本当ならば、ここで、この世代が、軍国主義治癒し、人殺しをさせるための戦争マインドセットの名残を、言葉風習価値観の中から取り除く作業をする必要がある。

しか日本はこの作業に失敗した。


戦後民主主義の構築に失敗し、ゆえに、人権無視マインド人権無視的な価値観人権無視文化が定着してしまった、と言う話だから

現代もかなり改善はされてきたが同じ敗戦国であるドイツに比べても人権後進国の側面は否めない。ドイツ日本よりも戦後民主主義の構築をうまくやった、というのが世界的な評価だと思う。

2023-07-31

anond:20230731000912

小池氏は、現在安倍政治は、戦後民主主義の到達のうえに立ってきた従来の自民党政治とも異なる「破壊政治」だと指摘。「リベラル」は、安倍政治への対抗軸として、「個人尊厳」を土台に、戦後民主主義の到達点に立って政治をつくるという文脈で語られているとし「そういう意味でのリベラルであれば、まさに共産党は、最も個人自由基本的人権を主張している政党」「筋金入りの『リベラル政党』です」と応じました。


共産党は筋金入りのリベラルか、小池が言うならそうなんだろう

2023-07-19

[] そのななひゃくにじゅうはち

シゲヤーッス

 

本日日本において女性大臣の日、戦後民主主義到来の日、北壁の日、サイボーグ009の日、やまなし桃の日となっております

そういえば人間って謎に慈悲深いタイミングがあったりして本当によくわかんないです。

でもそれは慈悲をかけられる人がどれほどの仕返しをするのか理解してるから止め時とか引き時を知らせてくれてるだけかもしれません。

手に負えないものはいくらでもありますが、そうなる前に引くというか、そうならないように普段から冷静に物事を見て判断していくべきなのかもしれません。

 

ということで本日は【俯瞰的視点いか】でいきたいと思います

俯瞰的視点いか俯瞰的視点ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-10-30

戦後民主主義幕府政治ってどう違うんだ?

将軍選挙で選ばれるようになったってくらいか

2022-08-04

日本右翼左翼戦後民主主義に取り憑かれ過ぎじゃないか

右翼本来大衆の理性などは信頼に値するものとせず、連綿と受け継がれてきた伝統や、個人を超越した民族などを重視する立場であるはずだが、長らく続いた保守政権の結果、「大衆に支持されている」ことに自分たち正当性依拠する単なるポピュリズムに堕してしまった。

他方で、左翼本来人間が生まれ持つ自然的権利を至上の価値として、それが脅かされるときには現状変更のための暴力も是とする(少なくとも起源暴力があることは否定しない)立場であるはずが、いつの間にかお題目のように法治主義を唱えるだけの腑抜けに成り下がってしまった。

戦後民主主義右翼左翼の両陣営を虚勢してしまったのであり、この思想なき政治こそ、大企業宗教団体などの利益集団跋扈する空隙を与えてしまっているのではないか

山上行為民主主義に対する挑戦と呼びうるとすれば、事件後の両陣営の反応を見てもわかるように、右翼左翼戦後民主主義無謬性を疑っていないことを明らかにしたことだろう。

2022-07-18

anond:20220718102322

そうだよ。ウヨとひとくちに言っても「戦後民主主義ダメなところを煮詰めたようなのが安倍」と安倍酷評していた西部邁みたいのもいるわけで、

安倍が死んで悲しい。安倍批判しているのはパヨク」みたいなのばかりではない。

2022-04-27

https://anond.hatelabo.jp/20220426142041

「「昭和天皇戦争責任は追求しない」というのがサンフランシスコ条約体制下で行われた「手打ち」であって、連合国側も東京裁判を通じてそれを認めたわけだから、少なくとも戦後国際秩序を踏まえた国同士の関係の中で「やっぱり昭和天皇責任があったよね」という話を蒸し返すのはどうなの」

これだよね。

今更東京裁判否定する事は戦後民主主義体制否定なっちゃうんだけどリベラル人達はそれでいいのか

2022-04-25

寧ろ左翼人達天皇裕仁ヒトラームッソリーニと並べる事に違和感を覚えない方が不思議なんだよなあ

じゃあ日本国敗戦後も40年以上天皇地位に居座らせておいた事を何だと思ってんの?

昭和天皇という存在ヒトラームッソリーニ同列に扱って絶対悪独裁者として否定するなら

それって「戦後民主主義否定」で「象徴天皇制を定めた日本国憲法否定」になるし

日本人自身の手で新しい憲法を作り出そう」という動きに繋がるだろうし

で、現在それをやろうとしたら政府与党である自由民主党の作った「新しい憲法案」がそのまま新憲法になる可能性が極めて高いんだよね

リベラル人達は本当にそれでいいの?

「今の日本国大日本帝国とは違うんです」という建前を用いるならば尚更、ヒトラームッソリーニ位置裕仁を置いては駄目だろう

2022-02-27

ヨーロッパSWIFT規制に踏み切り、マクロン大統領は長期化を予測

戦争の長期化を展望した、ということの意味は、要するに、支援する西側の国々が、

戦争に直接介入するのではなく、ベトナム戦争ときのようなゲリラ戦を見据えて、物資輸送網の支援をするということになる。

そして、それはそのような覚悟をもって、ロシア対峙するウクライナ国民存在する、ということが前提となる。

ウクライナ問題全く初心者なんだけど、長期化を見据えたという話を聞いて、プーチンウクライナ大統領ネオナチ呼ばわりしていることにちょっとピンときた。

要するに、ロシア10数年かけて、内部に傀儡スパイ親ロシア派をじっくりと育ててきていて、他方、ウクライナ側はそうしたロシア側の動きに対して殺虫剤を巻くような塩対応をしてきた、ということなのかね?

そして、プーチンが侵攻した場合西側からの反発、経済被害想定もしたうえで、そろそろウクライナ側の内部クーデタもいけるんじゃね?と踏んで、侵攻に踏み切ったと。

しかし、思った以上にウクライナ側の内部からの動きが鈍い。むしろ、長期戦への気運が高まってすらいる状況になってしまった。

これはプーチンにとっては誤算なのではないか

最近、いつもは経済分析を冷静に行う日経新聞がいつになく、戦時報道さながらの口調でウクライナ側の士気の高さなメンタリティの部分を報道しているのが印象的だ。

しかし、長期戦を覚悟できているのかどうか、その意味で、そのような戦時報道にも大きな意義があるように思えてきた。

かつてベトナム仕事したことがある。

そのときに、いろいろな村々を回って驚かされたのは、恐らく戦争で培われたのであろう彼らの強靭組織力だった。

戦争が終わって30年にもなるのに、いまだに祖国解放戦線(Fatherland front)という名の組織コミューンから村の末端まで行きわたって機能し続けていただけでなく、青年組合女性組合等さまざなまな組織地域レベルで横の連携をしつつ、国レベルから末端の村レベルに垂直の体系を強固に築いていた。特に災害など有事になると一致団結する彼らをみると、アメリカを敗北させたベトナム人民の総力戦がどのようなものであったかの名残を見る思いがした。

アメリカとの戦いは超大国の圧倒的な軍事力けがベトナム人が立ち向かった壁ではなかっただろう。

祖国が分断するなかで、傀儡政権側の南、そして北にあちらこちらに潜むスパイとの戦いがあった。そして戦争終結後はそうした人たちと粘り強く統合的な社会を作る営みがあったはずだ。

かつての大学の同期でも、戦後ハノイ出世街道を突き抜けたひとと、ホーチミンでくすぶってしまった人と人生も別れた。

仕事のなかで、ハノイ要人へのコンタクトを求めて、南の人を頼ったことがあった。

紹介状を書いてもらう際に、そういった戦後物語の一端に接すると、社会統合への努力というのは

戊辰戦争以来、社会の分断を経験していない日本人には想像ができないものだということも感じた。彼らの社会もつ、いわばソーシャルキャピタルの強さがなければ、あれほど長く超大国と戦うことはできなかっただろうし、戦後和解プロセスもなかっただろう。

ところでアメリカ側に加担し、ホーチミンルート攻略に動員されたモン族の、その後のスピンオフストーリーとして、クリンイーストウッドの「グラントリノ」、これは名作だった。


そんなことを思い出しながら、ウクライナニュースを見聞きしている。ウクライナが抱えている事情もそうそう単純なものではないだろうから

そういう意味で、下記のツイッター発言が目に留まったとき、何かとてもステレオタイプものを見た思いがした。

実在しない何かを語っているような、そんな感じ。

https://twitter.com/BlauerSeelowe/status/1497776281412243459

真面目な話をしましょうか。いま、ウクライナ紙一重で持ちこたえているのは、反戦平和祈りでもなければ、ジョン・レノンインターナショナル歌声でもなくて、ウクライナという祖国を守るために銃をとった男たちの愛国心ですよ。わが身可愛さではなく、祖国を守るために戦う人々の力ですよ。

そう。「有害な男らしさ」って攻撃してきたもの男性を戦いや自己犠牲に駆り立て、「男らしく」あるよう動員してきた社会慣行。あるいは、ナショナリズム愛国心といった共同体への忠誠。私たちが古臭いとみなして切り捨ててきた伝統的な精神性が、まさに人々を紙一重で支えている。

皮肉でも何でもなく、これってまさにフェミニスト批判してきた「有害な男らしさ」の心性ですよね。リベラル批判してきた「ナショナリズム」ですよね。薄甘い戦後民主主義で不可視化されてきた、あるいは悪者にしてきた精神性が、まさに、ウクライナ人の最後の砦になっている。違いますか。

2021-08-06

高市早苗ナチス

高市早苗自民党総裁に推す動きがあるようだが正気だろうかと思う。高市にはナチスシンパと取られる言動過去があり国際社会に対する国家の顔とするにはヤバすぎる。

2014年にはネオナチ政治結社との記念撮影写真問題視されて海外でも報道された。

https://www.theguardian.com/world/2014/sep/09/neo-nazi-photos-pose-headache-for-shinzo-abe

これは当然英語版Wikipediaにも載っている。

 

更に1994年には『HITLER ヒトラー選挙戦略』小粥義雄著という本への推薦文を寄せていてこれも火種となる可能性がある。(記事中に推薦文画像

https://buzzap.jp/news/20140910-takaichi-hitler-book/

因みにこの本の著者は自民党東京都支部連合事務局広報部長である

 

でも高市がなんでこんな軽挙妄動をしたのかは説明が要る。これは彼女キャリア形成に大きく関わっている。

文化状況

まず、1990年代前半には安定と思われていた戦後民主主義への疑義、反発を表す論壇でのブームがあった。それで国法学地政学カール・シュミットナチスに関わった人物を再評価する流れがあった。例えば福田和也の『奇妙な廃墟―1945』はフランスナチス詩人達を再評価して同国の極右文芸を論ずるものだが、書かれたのはフランス革命200周年の1989年である

この福田が論壇文壇に上がって来たのは『HITLER ヒトラー選挙戦略』の前~前前年ぐらい。民主主義(仏革命)への異議がナチス評価へ至るディレッタンティズムな流れだ。鬼畜系などのサブカルクソ野郎はこの底辺である

高市封印されたキャリアターゲット支持母体

高市松下政経塾に入塾し保守的政治家への指向最初から持っていたのだが卒業後はコングレッショナル・フェロー制度により米民主党パトリシアシュローダー議員の下で働いた。同議員女性の権利を強く志向する議員でありその後の高市立場とは相容れない。

政治家になる前に松下政経塾入塾、米国でコングレッショナル・フェローというのは売りになる立派な経歴であるが、高市後者の経歴、特に師事した議員の事をずっと表に出さなかった。数年前にコングレッショナル・フェローの経歴虚偽疑惑が噂された原因の一端はこの為だ。

 

シュローダー議員への師事を終えた高市帰国してCNNデイウォッチなどのTVキャスター等を勤めた。Wikipedia高市早苗の項では1990年TVキャスター登板のように書かれているが間違いである。

CNNデイウォッチでの政治的立場リベラルだが、仏革命200周年のフランスの祭典のニュースでは反仏革命思想を紹介するなど保守的立場を窺わせている。

 

ところで自民党の票田には神道周辺の右派が居り、老人や学校先生など一般社会からやや外れた人らを構成員としていた。神社寄合を核とした緩い繋がりで、その社会的妥当性をやや欠く集団自民党が票田としつつ、自民党現実主義暴走を防ぐという構図である。例えば遺族会会長には右翼的政治家を当てないという知恵が自民党にはあった。

 

90年代自民党旧態依然族議員が幅を利かす男社会であって女性議員活躍する筋は無かった。高市三バンのうちTVキャスター看板はあるが世襲ではない為地盤はない。その為無所属当選した高市最初リベラル標榜して自由党に入った。

地盤が無い議員地盤を持つにはどうしたらいいか族議員の様な支持基盤を持つには?特に場所がない女性議員であれば?

その答えが神道系固定票へのアピールであったのだ。教育勅諭には良いことも書いてあるとかユルい事を言っていればいい。現実政治との擦り合わせなんて立場は出さずに思想的に理解を示すのが支持に繋がる。

『HITLER ヒトラー選挙戦略』の出版もそれへの推薦文も自由党時代の事だ。これはつまりナチス評価サブカルディレッタントブームへの迎合高市のその後の支持層への秋風だったのである

高市が拓いたキャリアパスと白いスーツの女たち

高市はこうしてリベラル議員への師事の隠避と宗教右翼層へのアピールにより自民党女性議員活躍する道を拓いてきた。総務族と言っても良いキャリアも出来た。

しか問題なのは高市開拓した道以外に女性自民党でやっていく道筋が無い事だ。小泉時代には経済自由主義での道が見えたかに見えたがその後無くなり高市路線けが残った。

これが安倍チルドレンなどの新人女性議員差別発言をわざわざするという原因になっている。女性議員はそれまでの人生的蓄積やキャリアアピールせずアンビバレントで複雑な大人人格を出さず、イデオロギー純粋さを見せること。これのカリカチュアライズされた子供アニメの悪役みたいなバカ杉田水脈であるのは言うまでもない。

そもそも現在自民党世襲がきつすぎてキャリアのある人が登用される可能性がほぼない。それで高市コースだけキャリアパス確立されていればそこを歩むしかないのは必定である

 

今の就職活動では同じ色のスーツを着るのが常識になっているが、嘗ては特に女性は色付きのスーツを着る自由があった。

それで白いスーツを着ていき、面接で「あなたの色に染まります」と言うキモイやり方があったのだが、高市の拓いたパスはまさに白いスーツ女性議員の量産と言える。その原初高市の米民主党議員師事したキャリア隠避だ。

 

以上が高市が『HITLER ヒトラー選挙戦略』への推薦文を寄せるという軽挙妄動の原因とそれで拓いたキャリアパスである

国際社会向けの顔にするのは無理じゃね

こんな過去があって、更に数年前にネオナチとの写真が流布されてサミットかに出るのは無理なんではないか

EUの顔役でもあるメルケルと折り合いがつくのか?

高市総務省キャリア放送行政に寄っている。だとすると女性版ゲッベルズとか書かれるのが目に見えている。自民党への不信に対抗するのに女性、と考えたのだろうが安直だし、それはそもそも支持基盤保守論壇(嘗ての宗教右翼系)の視野を外から見てないから気が付かないのだろうと言う外無い。

2020-12-11

武蔵大学北村紗衣先生の教えに反するディストピア作品解釈の数々

武蔵大学北村紗衣先生のディストピア文学の読み方話題になっている。「ディストピア文学自分の住んでいる日本に結び付けないのは問題」が話題になるのも当然で、数多くの専門家北村紗衣先生の教えに反しているためである

作家 宮部みゆき

フィクションに限っては、人はユートピアよりもディストピアが好きだ。その心理は、ホラー小説絶叫マシンを楽しむ心理に似ているのかもしれない。エンタテイメントとして「死」を疑似体験することで、私たちは命の価値を噛みしめ、平凡な日常の輝きを見つめ直すことができる。それと同じメカニズムで、「お話」としてのディストピアに浸ることによって、自分が身を置いている現実の良いところを再確認し、フィクションディストピア未来現実にならないようにするには何を心がけるべきなのかと考える機会を得る。(書評 ディストピア・フィクション論…円堂都司昭著

自分が今いる良いところの再確認(「日本ディストピア作品みたいになってない(これからもならないようにしよう)」)は、ディストピア作品自分のいる場所を描いているとして読むことの真逆である

膨大な読書量で知られる「現代知の巨人立命館アジア太平洋大学APU学長 出口治明

「こうなったら嫌だな」とは思いつつも、現実感はありませんでした。ただヒトラースターリン下の世界では、こういうことが起こり得るのかなとは思いましたが。(社会人になって1984年を読んだ感想

過去外国のことしか想像できていない。

翻訳家 鴻巣友季子

フランス作家による新たなディストピア小説の出現だ。(略)終盤で一度ならぬ“どんでん返し”がある。本作はある種、現在アメリカ、あるいはアメリカ象徴される利潤追求第一物質競争社会に対する、シビアな警告と挑戦状ともいえるだろう。(『透明性』/マルク・デュガン 書評

ディストピア作品日本ではなくアメリカに結び付けている。

イギリス ブッカー国際賞 選考委員

小川洋子著)『密やかな結晶』(英題The Memory Police、スティーブン・スナイダーさん訳)も「神話のような響きがあり、寓話(ぐうわ)でも、ディストピアでもある」と評された。帽子リボン小鳥、様々なもの消滅していく島で、秘密警察消滅が滞りなく進むよう監視の目を光らせる物語だ。

 日本では1994年に刊行された作品だが、選考委員は「何年も前に書かれていながら、あまりにも現代的で目を見張らされた」と驚きを口にした。米トランプ政権下などでフェイクニュースが横行して真実が失われ、コロナ禍で人々が集まる様々な活動が控えられる現実作品世界に重なった。(興野優平)=朝日新聞2020年9月2日掲載ブッカー国際賞、「ディストピア」がキーワード 小川洋子「密やかな結晶」も最終候補

イギリス文学選考委員であるが、ディストピア作品アメリカと関連付けている。

評論家 栗原裕一郎氏(村上春樹音楽で読み解く 共著者)

身も蓋(ふた)もない本音で支持を集めるトランプを見て個人的に想起したのは<3>庄司薫赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫・497円)だった。(略)「感性」がつぶしにかかる戦後民主主義ひいては人間文明という「知的フィクション」を守るために薫くんは戦っているのである。だが勝ち目は見えず、敗北すなわちディストピアの到来が覚悟されて終わる。「知的フィクション」に、たとえば「ポリティカル・コレクトネス」(差別偏見を含まない言葉遣い)などを代入すれば、トランプ危機との近しさが見えるだろう。 (ディストピアの予感

日本舞台としたディストピア作品アメリカと結び付けている。

P+D MAGAZINE小学館による本情報キュレーションサイト

果たして今後、世界はどうなっていくのか。世界情勢とともにディストピア小説の動向を追ってみると、新たな発見があるのではないでしょうか。(【ディストピアとは?】「監視社会」や「行動の制限」などの“あるある”から徹底解説。

ディストピア作品世界情勢に結び付ければ発見があると書いている。

早川書房新訳版一九八四年担当編集者 山口晶

トランプ氏は、メキシコ国境の壁、難民イスラムから入国制限など過激政策を進めているが、「独裁者彷彿(ほうふつ)とさせる姿がこうした小説連想させるのかもしれません」と山口さんは推測する。(好調ディストピア小説 トランプ政権誕生で脚光!? 小松左京さん「アメリカの壁」も電子書籍で

ディストピア作品アメリカと結び付けている。

文芸春秋(40年前に発表された小松左京短編小説アメリカの壁』を電子書籍で発売)

文芸春秋では「小松さんはSF作家であると同時に優れた文明史家でもある。小松さんの鋭い洞察に触れることで、米国でいま何が起きているのか考える契機になるのでは」と話す。(同上)

ディストピア作品アメリカと結び付けている。

批評家 佐々木敦氏(元早稲田大学客員教授

批評家佐々木敦さんは「トランプ氏の存在自体戯画的。以前は考えられなかったようなことが起こっている」と指摘。「現実フィクションを超えてしまった。今を知るための手がかりとしてディストピア小説が読まれているのでないか」とみている。(同上)

ディストピア作品アメリカと結び付けている。

まとめ

北村紗衣先生の教えでは、間違った解釈浅薄解釈となる)日本以外に結び付けるというディストピア作品解釈は、学生だけではなく、書評専門家にも多く蔓延していることが実例で明らかになった。「アメリカディストピアだ」と言っておけばよいといった間違いで浅薄解釈が、日本のみならず、イギリス文学選考委員にまで広がっていることは、驚愕すべき事実である。数々の専門家も間違えている、「ディストピア作品を新しく、深く解釈するために、自国に結び付けることを常にしなければならない」というディストピア作品解釈の素晴らしい方法を公にされた武蔵大学北村紗衣先生感謝し、世界中の人にぜひとも広めてほしい。

2020-10-20

anond:20201019201932

所属する共同体への貢献とか、チームプレイみたいな行為のことを、この手の人たちは「同町圧力が」「強制が」「全体主義足音が」とか言う。

 

いやいや、よくないよ。

それはさ、自由人権尊重とかじゃあないよね。

ただの自分勝手積極的社会不適合の肯定

 

いや、かならずしも元増田自身が悪いとも思わない。

もっとでっかい思想文脈の話だよね。かねてから保守の人たちが言ってた、公の崩壊、ってやつ。

戦後民主主義の、善意で固められた地獄への道程に巻き込まれている。

子供のころの元増田には、周りに併せてあげるのは美徳ですよ、って教える人たちが誰もいなかったのよ。

しろ自分のやりたいようにやるのが良いんだ、っていう考えを刷り込まれた。

俺の次の世代では、これは覆さないといけないなと、子持ちの親として決意を新たにするよね。

2020-05-25

anond:20200525101326

読解力がないのではなくて、特定立場誘導されること(主人公の思いとか筆者の主張)に違和感があるんだよ。

もちろん、主人公の思いとか筆者の主張に同調しかねるが言っていることは理解できるので、こいつはこう言いたいのだなと想像して回答できればいい。

けど、大多数の凡庸な読解力では、主人公気持ちになって考えてみましょうとか、ある意味洗脳ととれる解法を実践することによって回答にたどり着いているのが現状。

そして、教材や問題に取り上げられる「主人公の思い」とか「筆者の主張」は戦後民主主義に沿ったポリコレものがほぼ100%

ポリコレな題材を批判的に読ませるものは見たことがない。

三角関数特定思想感情強制することはない。(オカルト信者はそうでないかもしれない)

2020-04-16

ネトウヨだったけど今は政治民族日本もどうでもよくなってダラダラ平和に生きてる

そんな俺が当時なんでネトウヨになったのか自分なりに振り返ってみようと思う。

きっかけは高校2年生の時に出会ったゴーマニズム宣言

普段、夕食後にナイター中継見ながら「吉本隆明がどうたら」「西部邁がどうたら」そんなことばかり雑談してる父親と兄が、「ゴーマニズム宣言はあれヤベえよ……」と苦笑いしているのが耳に入ってその存在を知った。

なぜか興味を抱いた俺はそれがどんな本なのか訊いてみたら、二人ともしまったとでも言いたげな顔で言葉を濁し、「いや、お前が読んだら絶対に訳も分からずハマるから教えたくない」と逃げられた。

そんなふうに言われたらむしろ興味が強くなる。

早速、学校の帰りに大型書店に立ち寄った。残念ながらゴーマニズム宣言は置いてなくて(記憶が確かならとっくに絶版になってたからだったと思う)、仕方なく「戦争論」のほうを購入した。

家族予言通り俺はドハマりしてしまった。

一応、書いておくと俺はそこらへんのアホ高校に通う勉強なんてしたことないバカ学生だったから、歴史公民ともに全く知識がなかった。

戦争論に書かれている刺激的な言論にやられて、人が変わったように昭和史勉強を始めたとかい事実も一切ない。

それにもかかわらず俺が戦争論にハマったのは、悪役として据えられてるキャラアメリカ護憲論者?)を主人公日本小林よしのり?)がボッコボッコにやっつけて、徹底的にディスるのが気持ちよかったから。スカッジャパン見て留飲下げてる人と全く同じ心理

正直言って、本の内容は全然理解できてなかった。大人になった今ですら戦争論で何をどういう論点で掘り下げていたのか全く思い出せない。そして、今もう一回読んでも無学ゆえに理解できないだろう。

で、なんで当時の俺にそういうスカッポルノ物語が響いたのか?もうこれは俺が嫌われ者だったからとしか言えない。

見た目はオタクのくせに不良ぶりたがる、一周回った可愛げもなくとにかく協調性がなく、からかい半分に相手挑発することをニヤニヤ言う。

そんな俺はまあとにかくクラスから嫌われていた。男女問わず嫌われていた。

疎外されるのも自業自得なんだけど、そのくせ俺は周りに嫌われてる事実に傷つき、挙句、「人生彼女ができない。童貞捨てられない」的悩みも同時に抱えてとにかくイライラしていた。

自業自得なのに人生や世の中や周りを人間を恨んでいた。

そんな人間スカッジャパン出会ったらそりゃハマるよなあと今となっては思う。

逆恨み由来で膨れ上がったはち切れんばかりの攻撃性をあの本が代わりに解消してくれたような感じだ。

兄が俺をゴー宣に触れさせないよう慌てていたのは、俺の人間性に大問題があってなおかつクラス嫌われ者であることを察していたからな気がする。

「(あの本にハマるのはまさにこういう奴だろう)」、そんな危機意識があったのではないかと。

そこから先はお定まりルート

俺は韓国韓国人、在日朝鮮人戦後民主主義左翼を忌み嫌うようになった。

「お前そんなこと言っていいわけないだろう。理屈もなにもねえよ」というような蔑称ヘイトにキャッキャキャッキャと歓喜し、瀬戸弘幸桜井誠天才思想家として崇め奉った。

そして俺にとってスターといえばイチローでもダルビッシュでもなく、自民党タカ派議員だった。

2chに差別書き込みをした回数は1000じゃまったくきかないと思う。

夕食後、父親と兄との雑談に俺が混ざるようになったのもちょうどこのころだった。

学校で起こった楽しい話なんてないもんだから、なんの脈略もなく「韓国がさあ~w」「中国がさあ~w」という調子で読んだばかりのヘイト本の内容を面白おかしくニヤニヤと披露する。

そのたびに父親は決まってウンザリしたような顔で「お前、そんな差別的な話を俺は家で聞きたくないよ。もっと楽しい話してくれよ」と露骨に眉をひそめ、軽蔑したような冷めた顔でそのやり取りを見守っていた兄が痺れを切らして「おめえいい加減にしろよ、黙れよ」と一喝する。

そんな流れが毎日だった。

ただ、このときの俺がとにかく恐れていたことが一つだけある。

それは「愛国心を盾にした差別はよくない」という至極まっとうな意見世間常識となることだった。

厳密に言うと、当時も今もそういう社会常識は当然みんなに共有されているということになっている。

学校会社ネトウヨ言論をかまそうものなら普通に窘められ、あいつは頭がおかしいということになるだろう。

ただ、当時はネトウヨネトウヨ言論もまだまだ隠れた存在で(ネトウヨというスラング自体は耳にしたことある人はもう多かったと思うが)、「変な人のことだとは思うけど、実際になにがどうなってんのかは知らない」程度にしか一般的認知されていなかったと思う。だから、2chで俺を含む差別的な連中がどんだけ跋扈しようが見つからなかった。

世間には「差別は許されない」という当然の常識が共有されている一方で、ネットアングラ部分ではネトウヨ思想がすごい勢いで盛り上がるという対照的状態が続いていた。

「もしもネットネトウヨブーム世間の人に気付かれたら彼らの良心によって潰されるだろう。そしたら俺のフラストレーションの解消の場がなくなってしまう」

そんなふうに俺は恐れていた。

俺の嫌な予感は当たった。

やがて、ネトウヨ存在一般的認知され始め、密教から顕教に変わっていった。

ただ、予想外だったこともある。

ネトウヨはやっぱり「あいつらとんでもねえ」とバッシングされはしたんだけど、それと同時に「あんなのはごく一部。差別者なんて実際はほぼいない。広まってもいないネトウヨ思想危機感を抱くのは未熟者だからはい、この話終わり」とでも言いたげな耳を塞ぐ態度を頑なに守り続ける勢力も相当いたことだった。

はてなでよく見る「観測範囲問題」という指摘と同じ。


これに俺は凄く救われた。こういう逆張りというか、冷めたポーズを取ってくれる連中がいてくれれば俺の、俺たちネトウヨの居場所は守られる!と安堵した。

ネトウヨ思想が広まりかねない。危険だ」という意見ネトウヨでもないネットから「そんな奴みたことないんだけど?よっぽどレベルの低いコミュニティにいるんだね~」みたいなレトリックでよく小馬鹿にされていたのを覚えている。

ネトウヨ本が書店平積みされ飛ぶように売れ、ヘイトスピーチなんてのが社会問題になって、身元隠してないTwitterアカウント主婦社会人ネトウヨ思想を全開にしている、そんな現在を考えると、ネトウヨ思想流行という当時の懸念は正しく、そして、冷めた態度で小馬鹿にする勢力ネトウヨ追い風になったのは当たってたなあと思う。

ネトウヨ時代の俺も日本がここまでなるとは当時想像だにしなかったから。

政治とか右翼だとか左翼だとか韓国とかそういうの一切合切に俺が興味なくなったのは大学入学とほぼ同時だった。

大学合格後に兄に部屋まで呼び出され相当真剣に将来を案じることを言われ続けたからだ。

要約すると、「偏見を捨てろ。周りに親切にしろ。心を入れ替えろ。ていうか今の人間性のままだとお前人生終わるよ」、そんなことをマジのマジのマジのテンションこんこんと聞かされた。

「親父もお袋も相当心配してるぞ。お前結局友達いなかったろ」、特にこれが半べそかくほど効いた。

自分が好かれるわけがない、擁護しようのない人間だという自覚は深いところで抱いていたので、大学では心を入れ替えて普通に友達作って楽しく過ごそうと思って大学生活をスタートさせた。

まもなく、普通に友達が何人かできて、一緒に遊ぶようになって、まるで憑き物が落ちたかのように俺のなかから世の中や人に対する攻撃性が萎んでいった。

気付いたら政治とかどうでもよくなっていた。ていうか在学中に在日友達もできた。彼女はできなかった。

今は普通にのほほんと生きている。

選挙にはあんまり行ってない。

anond:20200416114221

決め事はたくさんしてるだろ

戦後民主主義は国が命令出したり独裁につながることを否定する所からまれてるんだから

それを忘れた国民の咎

2020-04-15

テロ基本的人権

抵抗権が憲法に明記されていない。
抵抗権は自然権だし、憲法12条がその趣旨の現れであると解せないでもないとされるんだけれど、戦後民主主義自身暴力によって勝ち取ったのではなく、強者から与えられたってのものあって政治に対して暴力を用いることを正当化する考えが弱いんじゃないか
anond:20200415104040

2020-02-19

安倍派へのお願い

コロナ問題解決して安倍政権が弾劾されたときは、私たち安倍支持者をも罪に問うてください。

私たち安倍政権と同罪です。

この国の戦後民主主義破壊し、アメリカを裏切ったという意味では国賊に値するので。

2019-10-09

表現不自由展』の企画者はちゃん説明すべき

表現不自由展について思うこと

表現不自由展について

昭和天皇肖像を燃やしたり慰安婦像置いたりとやりたい放題の展覧会表現不自由展その後』

「こういう表現であっても認められるべきだ!」という賛成意見と「さすがにダメじゃない?」と反対意見、日々議論が白熱している。

私は賛成でも反対でもなく、こういった状況になることが企画者の意図

まり表現』そのものに対する問題提起企画展!

……かと思って傍観していたんですけど展覧会が中止されたりかと思えば再開されたり、入場制限が行われたり市長による抗議活動などヒートアップするよくわからない状況。

これ企画者何にも考えてないパターンじゃね?

と思って色々調べていたところ、そもそも企画者の意図していたことが全然違った。ちゃん説明した方がいいよ。

まず前もって知っておいて欲しいのは『現代アート』そのものについて。

現代アート一言説明するのは難しい。

定義としては過去美術芸術に囚われない、『前衛的で新しい芸術』だろうか。

時代性を反映していることが現代アートの条件とされている場合もあるが、作家によってはそこまで意識をされていないことも多い。

最先端技術で作られた作品であったり、今までなかった発想やテーマ思想で作られたりと従来の美術芸術の枠組みに入っていなければ現代アートと呼んで問題ないと思う。

アートのくくりだからといって美しいとは限らないわけです(ここを勘違いすると現代アートのなんでもありな表現嫌悪感を覚えると思う)

で、自分が思っていた『表現不自由展』とはこういった過激作品を展示した上で、『表現自由』とはどうあるべきかを考えてみよう!

っていう問題提起のための企画展だろう、と。

で、調べた。全然違った。

これがこちらです

https://bijutsutecho.com/magazine/series/s16/19768

長い!よくわからん

っていう人もいると思うのでざっくり説明すると

アート界隈、戦後民主主義は『個(個人)の時代』だったけど今は『公の時代』!

昔の『公の時代』といえば社会の抑圧や検問が厳しかった戦前大正あたりだ!

戦前戦前美術の間には『意識の断絶』があるように感じる……

ドイツではそんなことおきていない、なぜ?

日本では『ドクメンタ』をやってないからではないか

じゃあドクメンタみたいなのをやろう!!!!!

これです。いや、わかりにくい!

この騒動で読みにきた人は『ドクメンタ』って何〜?っていう人がほとんどだと思うのでウィキを貼っときます。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ドクメンタ

あいだに出てくる『退廃芸術』も重要ワードなので貼っときます。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/退廃芸術

かいつまんで説明しますと

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戦時中ナチスドイツ模範的美術作品を設定して『大ドイツ芸術展』を開催、一方で近代美術前衛芸術を集め『退廃芸術展』を開き晒し者にした。

戦後、その晒し者にされ弾圧された『退廃芸術名誉回復しよう!と開催したのが『ドクメンタ』、1955年からスタートし今もなお毎年開催される現代アート展覧会カッセル市やヘッセン州出資によるドクメンタ有限会社企画運営している。

ーーーーーーーーーーーーーーー

まり何がこの展覧会でやりたかたかというと、

日本戦後今まで排除してきたものアートとして向き合ってないから、戦前戦後で『意識の断絶』が起きている。

から今まで排除してきたものと向き合おう!

そんでもって公的立場でやるとなおいいよね!っていう感じです。

ざっくりなので違ったらすみません。というかここまで問題になった訳ですから公的にわかやす文章を出した方がいいですよ。

この展覧会がめちゃくちゃ炎上した原因となる1番の問題点だと思うのが、

ズバリ

タイトルが悪い!!!!!

これです。

表現自由であるべきか、制限を受けるべきか。

なんて巷では議論が白熱していますけども、この展覧会がやりたかったのは『表現のもの』に対する可否ではなく、今まで向き合ってこなかったものに対して受け入れたり、考えたりしていこうよ、ということ。

表現不自由展』

こんなタイトルが付いてるから作品が『表現』そのものに対してのジャッジの道具に使われている。

本来であれば、今回問題となっている作品

表現自由からこういう作品であっても認められるべきだ!(賛成派)」「いや、こんな表現は到底受け入れられるものではない!(否定派)」

といった議論ではなく、

「今まで触れてこなかった考えを知ることができた(賛成派)」「こういうのはどうかと思うけど、どういった思想で作ったのはわかった。その上でこんな表現はいけないと思う(反対派)」

という議論がかわされるべきだ。

この展覧会擁護、または批判している者の中に、企画者の意図理解している者はどれだけいるだろう?

反射的に賛美拒絶している者がほとんどではないか

というか、こんな意図説明なしにわかる人はエスパーだと思う。

企画者の意図を考えると、『表現不自由展』というタイトルはふさわしくない。

インタビューから考えるならば、『意識の断絶』がこの展覧会企画するにあたっての1番のキーワードではないかと私は思う。

企画者の考えとして、表現不自由が起きている根本の原因は戦前戦後アート界隈での意識の断絶、と読み取れたからだ。

意識の断絶』というキーワードを元にタイトルを考え直した方がいい。少なくとも『表現不自由展』というタイトルよりは誤解を与えずにすむだろう。

表現不自由展』、企画展名のインパクトを狙いすぎたため、意図が大きくぶれてしまっているのではないか名前だけしか見てない者にも邪推をされまくっている。

この展覧会に賛成か反対かは置いといて、今からでも企画展のタイトルを変えるべきだろう。でないと作品可哀想だ。

2019-05-27

戦後民主主義一言でいうなら、「力の否定」です。

政治家は悪、文部省は悪、校長体育会系教師体罰競争管理校則もみんな悪。

権力はすべて悪で、反体制のみを正しいとしています

2019-04-15

anond:20190415175536

明治政権といえば家父長制度。ようするに寂しいオジサンたちが威張るための後ろだてが欲しい説

アンチ戦後民主主義Yes明治政権、という短絡的な発想説

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