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はてなキーワード: 情報処理とは

2011-12-24

認知の微視的構造 リマインダー

リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。



第一章

1

認知主義、古典認知主義

意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデル意味する。

 この主義の限界を

2

 ・チューリング

 チューリングの形式化が持っている特徴

(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括

(2)そのメカニズムいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している

(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している

⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している

フォン・ノイマンコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーLISPプログラム言語)を開発。

 ⇒ 研究開発が可能に

A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出

 ⇒理論的に自覚化・明確化される

3

・物理記号システム

①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、

②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム

by 1976 ニューウェル & サイモン

・強い物理記号システムの仮説

SPSS strong-physical-symbol-system

「標準的な記号アトムフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」

①仮想機械

現実の物理機械上で実行されるプログラムのみによって存在し、

そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」

 高級プログラムによって定義されるエミュレータ

フォン・ノイマン型の操作

コネクショニズムとは異なった操作

・記号を割り当てる

・変数を束縛する

・記号列の複写、読みとり、修正

・基本的な統語論パターンマッチング操作

等々

③標準的な記号アトム

「テーブル」「ボール」「愛する」「軌道」「電子」のような語

④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段

そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる

 このような主張(標準的なLISPアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践

彼らの仕事の特徴(例:BACON

 ・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している

 ・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能

 ・選ばれた課題領域を扱う

BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則

BACONに対するいくつかのコメント

BACONが取り組んだデータフォーマット化下のは、人間の労苦

BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。

 ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない

BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの

 ⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう

 サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。

 しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。

 心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える

 BACONは、人類の一部のモデル

 知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている

 古典システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。

 古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々

意味論的に透明、意味論的な透明性

STS semanttically transparent system

システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステム意味論的に透明であるといえる」

 きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズム記述レベル2)における計算の対象が、概念レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述レベル1)と同型である場合である

レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え

レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法

レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)

古典アプローチコネクショニズムの重要な違い

(1)古典理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論意味論を組み合わせた記号システムを仮定している

(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。

 もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない

◎要するに、古典システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである


第二章

 古典認知主義に対する懸念

 ドレイファス:古典認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当

 サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論意味論との間にギャップが認められる

 この二つの種類の懸念について検討する。

あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」

 この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念リストをあげる。

 ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。

 ウィンストンの、フレームを使ったアプローチも不十分

 ・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)

 ・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?

 ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか

ドレイファスの二つの主張

(1)身体問題

「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」

 コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない

(2)コード

 人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。

 このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?

 

 AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。

「強いAI仮説」を、サールは批判する

強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる

Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。

サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。

具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋操作者が中国語を「理解すること」の比較

「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」

 以下、サールの誤りについて論じる

 

 サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」

 脳シュミレータ説:あるりプログラム中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる

↑(サールの再反論)

(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)

(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである

 ↑(アナロジー

 光合成光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない

 では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?

  :外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること


↑(コメント

中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効

 微視的機能主義

 機能主義は、心的状態の本質を、

 入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。

 (適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)

↑(批判)

中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。

 こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう

・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか

×大まかなレベルに位置づけ

  ⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ

ライカンの「小人機能主義」

○微視的機能主義

・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981

ゲシュタルト

 :機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ

ライカン「小人機能主義」

 :機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)

 微視的機能主義

  :システムの内的な機能的プロフィール(内的状態の変換)を、

   内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で

   記述しようとするもの

   ・処理ユニット間の形式的な諸関係を記述する

   ・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる


第三章

 認知科学における民間心理学の役割はあるのかないのか

「民間心理学

 :自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解

 民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる

チャーチランド & スティック

「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学

 民間心理学問題点

(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。

 民間心理学は、子供狂人外国人を前にすると、まごついてしま

(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる

(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである

 最近の分析哲学

  :頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか

Daredevil believes that Electra is dead.

Mary hopes that Fermat's last theorem is true.

 のthat以下を、心的状態の内容と言う。

 心的状態が考えられる傾向

  :われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、

  われわれにとってどのように見えているかによって決まる

 ↓(言い換え)

 我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、

 本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない

⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、

 知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆

・双生地球……☆に対して疑いを投げかける

双生地球で、「海に水がある」と発話される。

地球A:海にH2Oがある

地球B:海にXYZがある

 この違い以外は同質だとする。

 すると、

 地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる

(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)

 もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、

 自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、

 単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して

二つの選択肢

(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、

 世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説

(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は

  〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう

プティ と マクダウェル

「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。

 しかし、

〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」

 筆者

 :あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、

 そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない


 その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。

 仮想反論

 :「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」とするならば、

 心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)

(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)

 仮想反論の詳細

:仮定①:

 二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる

 (そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)

 仮定②:

 行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない

 結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない

「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。

 限定的内容といっても、それを妥当概念として了解できるかは明らかではない」

 なぜなら、

「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは

 まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。

 その具体的理由として、

 ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。

筆者

 :広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、

 民間心理学カテゴリーや分類が

 頭の中で起こっていることに関することに関する科学カテゴリーや分類に

 きちんと還元されるなどということは

 とてもあり得ないように思われる。

・民間心理学は、科学心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない

 世界を記述しない信念であり、なおかつ

 ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学記述の上には)存在しないことも可能

 民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?

 :

 他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、

 その人の身体の動きを予測し説明するための手段

民間心理学の主要な目的

 :

 世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること

(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴

①世界に対する感受性、すなわち感覚生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している

②世界をわれわれと共有している

③彼らは我々自身のもっと根本的な関心と必要の大部分を共有している

④彼らの思考の有用性は、

(我々自身の思考と同様に、)

 彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、

 彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている

 この特徴があるので、

「~したい」という欲求さえ同じであれば、

 神経生理学的な詳細は関係なく、地球人にも火星人にも有効。

・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている

・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、

 さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)

 筆者の見解

 :私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、

 行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである

 ……関連する行動を可能にするものとしての、

 根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、

 そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が

 対応している必要はない。

――

 筆者の意見は全体論である。(行動全体に網をかけるから。)

 ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか

<Fordor>

意識の全体論というのは、

命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」

 という考え方。

 これに、Fordorは懐疑的

命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)

われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題認知的連関)を共有しているとは思えない。

 なので、意味全体論はありえない。

 →信念の内容が、その認知的連関に依存するということを否定。

 信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。

 外延的意味論の一形態に賭ける

:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである

「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」

</Fordor>

筆者

 :Fordorの間違い

 全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。

 Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。

Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。

筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている

 全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)


 一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。


(1)民間心理学は、狂人や言葉の通じない相手には使えない

(2)民間心理学は、長い間停滞している不毛な学問である

(3)民間心理学は、神経科学ときちんとつながっていない

(3)に対して、

 民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである神経科学とつながることを目的とはしていない

(1)に対して、

 民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない

(2)に対して、

 民間心理学の目的は限られたものである

 なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。

整理。

 心的状態に関するわれわれの常識的理解と民間心理学は、違う。

 民間心理学には、きちんとした定義がある。

 これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」

 因果関係と、構成的関係の区別

構成的関係

 :

 研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ

因果的に関係

 :

 因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、

 それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる

ということはない。

チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)


・広域的内容の理論認知科学は心を解明しえない

・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている


科学(物質、プログラム

(構成的関係)

科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。

では、構成的関係とは何か。


構成的関係←→因果関係

構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること

因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない

(駒はなくてもチェスは打てる)

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2011-12-03

内定は割りと簡単。僕が今学んでいる訳

氷河期だそうです。(これも就活ビジネス煽り文句な気もしますが)

いや、でもまあ、確かにそうなんでしょう。周りも非正規が多いです

僕も一昨年チョービビってました。

「何がリーマン崩壊だよ!リーマンになれねーじゃん!」とか笑えないけど笑ってた気がします。

あのタイミングでこれはねーよ、と。

なにせFランクラス(ちょっと言い過ぎ?)の大学(校)だったので。

好きでやってたITだったので資格を取っておいたのだけが救いでした(応用情報技術者試験

まあ、でも、終わってみればという感じです

7、8社ほどで内定をいただきました。

ニュースでやってる、100社落ちたとかってのは余程訳があるのかなぁとか、考えたりしたもんです

就活(笑)解禁だそうなのでメモ程度に経験を残しておこうと思います。ただ、人によっては全く参考にならない気も(笑)

 

 

1.中小のみ狙う。

僕は名前が売れた会社最初からほぼ全て諦めていました。

1社だけ入りたかったウェブ関連の会社があったのですが(まぁ、中小ですが)、イミフ試験で落ちました。(愛と恋の違いだの何だのを書けとか書いてありましたね)

地方住まい通勤圏内を求めていたのですが、県内にいい会社が見当たらなかったので高速で通える県外にしました。

本当は東京にでも出て、やりたい仕事をやっても良かったのですがやめました(理由は後述)

 

とにかく合同企業説明会(笑)でも人がいないところを狙います

地方なんかだと地域でやってるUターン誘致の説明会とかジョブカフェのやってる説明会が狙い目です

むしろリクなんちゃらとか、今話題のマイなんちゃらとかのは行かなくていいです時間無駄です

倍率を考えましょう。無駄もの無駄です

 

 

2.話の合う人事の年齢を見つける

僕は年寄りに話を合わせるのが得意なので、年寄り人事がいる会社をさらに集中して狙いました。

若い人と話すのが得意なら若い人を狙えばいいと思います

人気の無い企業の人事はとにかく暇なのでガンガンしゃべります

話を聞いてくれるだけで嬉しいようです。(彼らだって暇なんだから当たり前っちゃ当たり前ですが)

結構顔を覚えられたりするので良い戦略かなと思います。 

 

 

3.乱発しすぎない

僕も焦っていろんな会社を手当たり次第に受けたことがありますが(最初の3社くらい)、あれはやめたほうがいいです

時間お金も有限です企業リスト化して優先順位(行きたい順だけじゃなくて入れそうなことも加味して)をつけて狙っていったほうが良いです

 

 

4.自分を捨てる

よく言われているように、企業技術個性なんて求めちゃいません。

僕はある中堅ITの子会社で「僕はコンピュータが大好きです」といった直後に

「この仕事は、極端に言えばコンピュータがなくてもいい仕事だと思っています」とかなんとか言いました。(あほらしい話です

SIer技術者を軽視しているのが隅々まで行き渡っているのでこれであっさり受かります。(当然、蹴りましたが...)

 

自分の本当の考えなんて大して必要ありません。

相手が好みそうなものを考えて出して上げれば受かります

考えるのは物事ではなくゴマすりの方法です

 

 

5.なんだかんだで資格

から就活の方は厳しいですが、資格結構便利です

学校名で「は?(笑)」みたいな感じでも「応用情報技術者試験受かりました(キリッ)」とかやっとけば覚えてもらえます

面接の時もチョー好感触です

中小企業だと「とりあえず一人はコイツでいいか」的な空気が会場一杯に広がります

 

 以上5点に気をつけると不本意な気分満点ですが、とりあえず内定しますよ。やってみてくださいね〜。

 

 

 

(以下蛇足

此処から先は独り言。

僕は情報処理技術が大好きです。高校時代文系で、心理学に興味があったのに、いつの間にか....。

実は大学(校)に入った理由は学費が安いということが一番で、ついでに興味のあるパソコンを、という気持ちだったのですが...。

大学時代は僕の人生で一番(一番は社会に出てからの今かもしれませんが)勉強した時期です

あれほど熱中するものがなかった自分がここまでのめり込むとは思いませんでした。

OSコンパイラ画像処理組み込みデータベースネットワーク

何でもやりました。学校もなんだかんだで多くを学べる所でした。

 

実を言えば東京ベンチャーみたいな会社に憧れたりしたのです

最先端で戦ってみたいという気持ちが今でもあります。(今はVBサビ残して詐欺みたいなモノ作ってますからね)

ただ、長年付き合った恋人や、家族なんかのことも考え、今は地方にいます。「今は」

 

僕は三年は勉強期間だと思っています社会ルールも知らないのですから

もし、中小は嫌だとか不安だと思うのなら、こう考えてはいかがでしょうか?(あれ、独り言じゃない)

 

「三年間の職業訓練

 

今の僕はそういう感覚です

会社社会人の方に怒られそうですね。3〜5年でやめられると中小には痛いそうですし。

でもまあ、雇った方も自己責任だし、ね。(こういう内容だと自分ブログに書けないか増田はいいと思う)

 

そのあと起業でも転職でもすりゃいいんです

3年経てばテレワーク事情ももうちょいマシかも(さすがに無理?)

だめならこのまま人生を切り売りするか、バイト時代好きだった小売にでも転職しようかな、と考えたり。

(正直同じハードさなら小売のほうが楽しい。この業界PGはいてもプログラマいないし。OSS開発もできるからね)

 

 

どうせ糞不況です言い訳はたくさん出来ます

 

 

から、3年間だけ。

とりあえず昨日アマゾンから補充された、机の上に積み上げられた本を読まねば....。とりあえずトランザクション処理からにするか...。鈍器だろこれ

2011-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20111123090858

本来の三行要約は、情報処理効率を重視した目次的な役割であるはずなのだが、

そうだっけ?

今北産業って、祭り会場に乗り遅れたヤツが発してたのに受けて

おもしろおかしく三行で返すってヤツで

正確さより、ミスリード上等なもんでしょ

まあ久しぶりのテキストサイト時代の薫風に興奮すれども

要は顔だろと最初の一段しか読んでないコメントが多くて

がっかりする気分は分かるけど、

今北産業とか「分からいかジョジョで説明してくれ」とかの

デバイドをデバイドとして楽しむ文化は楽しめばいいんじゃない

そもそも元ネタは、ライフハックとかじゃなく純文学の類なんで

文学の要約って古典文学みたいな教養として価値がないと

情報として無意味だし

[] 「三行要約」は安物買いの銭失いと同じくらい愚かな行為である

はてな民が大好きなドラッカー様はこうおっしゃいました。

ムダなことを効率よくやるほど馬鹿げたことはない

これは無駄なことほど楽しみながらヤリましょうということです(違。

(※本来の文章はThere is nothing so useless as doing efficiently that which should not be done at all.です。Efectiveとefficientを区別せよ、という話ですね)




本来の三行要約は、情報処理効率を重視した目次的な役割であるはずなのだが、

実際のところ、三行要約というのはとかくネガティブな思考や独善的な思考と結びつきがちであるように見える。

思うに、三行要約をやってる奴のほとんどが、要約というものがどれだけ難しいか理解してないのだと思う。



要約するやつの心理はこんな感じで埋め尽くされているものが多い。

・長い、そんなに分量いらないはずだ。きどってんじゃねーよ。

・結局お前が言いたいのはこれだけだろ。俺が決めてやるよ。(自分が選別した三行コレクション)

・思考の過程には価値がない。結論だけ知ってればOK。数学で必要なのは公式と解法のみ。

ブクペのまとめだけ読んで俺はその本を理解した!(これでOKっぽいビジネス書笑は多いけれど)



そういう感情に基づいて三行要約してみた(キリッ)という文章を見てみたら御覧の有様。

http://anond.hatelabo.jp/20111123005555

これではやってることが2ちゃんまとめサイトと変わらない。

これはあらすじですら無い。自分が強調したいところをとってきて文章の印象を操作してるだけ。

この人は、全体で文章を読む技術がないのだろうか?。少なくとも一貫したテーマがないことは確かだ。

3行要約しか読めない奴というのは、こういうふうにものが見えているのだな、と思わされる浅い理解。




三行でない要約はそういうものではない。

http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20111122

同じ文章に対する要約でも、印象がぜんぜん違うし「説得力」が異なる。

そして、こちらの結論には、要約版だけを読んでいても絶対に到達することができない。

ダメ要約だけを読むということは思考停止して機械的に圧縮され、元の文とは別物になったものを、これまた思考停止して読むだけだからだ。



要約は、文字面をそのまままとめるだけではない。

文章を貫く一貫性を見つけることであり、作者が提示した切り口を発掘することだ。

究極的に言えば、作者に対する理解が無ければ不可能だ。

要するに、ド素人が手を出すものではないので半年ROMれである

やはり、新参者は一人前として扱ってもらえず、入り込む過程で最低限の技術礼儀作法を学べるみたいな世界は必要だなぁ、と思う。





効率やら自己満足だけを求めるあまり大事なことを何も読みとれず、誤った三行要約をするくらいなら、最初からその文を読む必要がない。

まり書き手に失礼な行為を堂々とやるのはいかなるものか。

頭の悪い二次創作がやりたいなら、東方だけでやってろ。東方アイコン東方界隈から出てくんな。東方以外の話題をさえずるな。





さて、この文章を要約すると・・・

あ、正解が一人出た。俺が書きたかったのはそれです

2011-11-04

10月の頭から制度が始まった就職訓練制度だけど

これってほぼそれ以前(9月以前)にある制度名前を変えただけなんだよね。

2chやブログでは「金のばら撒き」と主張する奴が多かったが、前の制度もっと凄いぞ

制度→旧制度

1.私事による欠席は原則認めない→私事による欠席は報告すればおk、理由がある場合証明が必要で全日程の8割出席すれば給付金認定

2.生活困窮者には最大5万円の貸与→同左、但し訓練終了後半年以内に就職し、継続して6ヶ月勤務した事を証明すれば、貸与した総額の内、半額の返還を免責とする

制度はどう見ても旧制度の方、まあ収入がある親と同居しているフリーターニート最初から支援対象外だから

訓練内容はPCスキルが多いのだが、2chではPC大先生が多く存在するので、「自分PCソフト勉強をするのは常識」という共通概念があるが

一般人にとっては、この様な場で訓練を受けない限り、PCソフト勉強をする事は無いと思う。

今は30代・40代PCの発展の最前線を歩んできて大抵の事は出来る世代と、

20代以下のPCシステム勉強しなくてもPCの利便性向上によりネットで遊べるが、便利になりすぎて仕事上で使えるPCソフト操作が分からない世代

50代以上のデジダル世界に取り残された世代、それぞれはお互いにどういう状況でPCを使用して、

平均的な技能は何処まで進んでいるのかの相互理解が進んでいないのが現状だと思われる。

自分勉強しろと言われるが、国の方針として、デジタルバイト存在をなくすという考えは先進国の中でもかなり進んだ理想の下に行動していると考えられるんだが、

増田はどう考えているのだろうか?

今の20代は入社時にPCにおける情報処理スキル(ワード・エクセル程度)を求められているが、現実問題そういうことを教えている機関

大学における単位取得プログラムの一環

企業内における教育

・公共職業訓練

自己努力

となるが、最低限PC操作を要求されるスキルの高度化という社会的圧力に対して、社会的補助の割合が少なく自己努力の割合が多くないか

2011-10-31

自由恋愛のネックって情報処理にあるんじゃないかって話。

2011年現在自由恋愛が主流。で、恋愛という場に打って出ようとしたとき恋愛って~、男って~、女って~、自分はどういう恋愛をしたいのか~、現在の状況は~、と、ある程度現状を把握してるならいいけど、把握しづらいことがネックになるなんじゃないか

価値観にかかわることだからテンプレ化して理解することは無理。だけど一定の傾向もある。人付き合いのセオリーもある。経験したこと、聞かされたこと。様々な方向性の情報が乱雑に入ってくる。それらを処理しきれないというのが問題……なのかもしれない。それを自分でどう取捨選択して役立てていくかっていう判断は実生活で学んでいくしかないわけだが、そういうことをやりづらい人もいっぱいいるし。

非モテリア充だって言われて恋愛をすることばっかりに焦点が当たっているけど、その前に(恋愛関係を含む)対人関係の素地を養うっていうことにももっとスポットライト当たってもいい気がする。

2011-09-02

日本人英語を話せないほんとうの理由

日本人英語を話せないのは、英語に比べ、日本語音節当たりの情報量が極めて少ないからであり、日本人の脳がそれに慣れてしまっているかである


中国語の4分の1

I go to school.[4音節]

我去学校。[4音節]

私は学校に行きます。[14音節]



日本語は他の主要な言語に比べ、同じ音節数の間に処理する情報量が際立って少ない。例えば中国語の4分の1とも言われる。日本語は1音節にかける時間はやや短いが、それでも同じ時間当たりでしゃべっている内容は遥かに少ない。用意された原稿を読むニュース番組などでは大して変わりはないが、考えながらしゃべる自然口語になるとその違いが顕著になる。海外ドキュメンタリー番組日本人が話しているのを見ると、英語話者と比べて同じ時間で話す内容の少なさに驚かされる。この場合、本人はまだ喋り終えていないのに吹き替え字幕で既に情報は伝わっているので途中で画面が切り替えられてしまうことが多い。




韓国人が驚愕

赤ん坊の頃に1秒間に1の言語情報を処理するトレーニングしか受けずに脳ができあがってしまった人が、1秒間で2や3の情報を処理する言語を習得するには、単に新しい文法や発音を学ぶ以上の困難が伴う。逆に外国人からすると母国語よりも遅いペースで情報を処理すればいいので、ある程度単語を憶えれば簡単に喋れてしまう。だから日本人英語中国語をおぼえるよりもアメリカ人中国人日本語をおぼえる方が圧倒的に速いのだ。



英語中国語日本語と文法・発音が違いすぎるから習得が難しい」とよく言われるが、音節当たりの情報量の違いに比べれば大した問題ではないと思う。なぜなら、文法と発音のよく似た日韓間でも同じことが起きているからだ。例えば第二外国語として韓国語日本語をそれぞれ1年間学んだ日韓の学生を集め、日本人韓国語で、韓国人日本語で討論させると、日本人学生のあまりの「話せなさ」に韓国人学生は驚愕する。ただし文章を書かせるとそこまで悲惨な差が出ることはないのだそうである(呉善花スカートの風』)。



韓国人は普段から漢語と土着語の二重構造に慣れているので、単に「日本語漢字仮名交じり表記が特殊だから」ということだけではこの現象は説明できない。おそらく、筆記では会話ほどの情報処理スピードを求められない分、少しはマシなのだろう。


日本語ネイティブけが超えなければならないハードル

日本人が突出して英語が下手なのは日本英語教育のせいではない。しかし、英語を学ぶに当たって日本人けが直面している独自の問題がある以上、日本人の為の独自の学習法をつくる必要がある。一方でいま文科省がやろうとしているのは「今のカリキュラムを前倒しして小学生から英語をやらせよう」という漸次的な施策である。これでは何も変わらないことだけは断言できる。



思うに、「日本語を唯一の母語とし、日本語音節リズムが染み付いている子供のための英語の授業」というのは、アルファベットや文法は後回しにして、「このカタカナをそのまま読めば通じなくもないよ」というカタカナ英語

(ex:

hospital→ハスペロウ

Can I have some water?→ケナイヘヴスムウオラ?)

を作り、繰り返し読んで丸暗記させる、というところから始めなければならないような気がするが、なにぶん私自身英語が全くできないのでよくわからないですどうもすいませんでした。

2011-08-16

プログラマー資格制度

プログラムを理解させるには?ブックマークコメントを読んでいて。

ブックマークコメントの中に、「資格」とかのコメントがいくつかあった。

既に情報処理試験とかあって、いろんなIT系資格があるのだけど、プログラマーやってる人なら誰でも感づいているとは思うが、資格など何の役にもたたない、という事で。高度情報処理資格を持っているからと言って、プログラム(その他設計コンサル)が出来るとは限らず、逆に何の資格も持っていないのに、すばらしいプログラムをする人がいる。

まぁ、これら既存IT系資格にある一定の目安にはなるとは思うけれども、万能では無いのも確か。昨今の不況、ITバブル崩壊で、IT系資格資格手当が真っ先に削られたのも、記憶に新しい(弊社だけかもしれないが)。

雇う外注ソフトハウスから派遣されて来た人など、だいたい15分も話せば、どのくらい出来るか、使えるかは判断出来る。これは資格では計れないものだ。

仮に、弁護士行政書士医師など、士制や免許制はどうだろうか?

やはり、使える弁護士がいると思いきや、藪医者もいるわけで。

車の免許はどうだろう?

交通事故は起きるし、無免許運転ははびこっている。

プログラマーはどうだろうか?

例えばトイレ。水を流すのに、最近トイレは、リモコンスイッチを押すと水が流れるが、あれ、プログラムだよね。

例えば炊飯器。米と水を入れて、スイッチを押せば、ご飯が炊きあがるが、これもプログラムだ。

車。ハイブリットや低燃費車が走っているが、あれは電子制御で動いている。

飛行機最近航空機は油圧では無く、フライバイワイヤーだ。

ロケットアポロファミコンにも劣るコンピュータで月まで行ったが、プログラムだ。

先日の中国の高速鉄道事故も、ATCプログラムミス(?)による事故だ。

先日の$oftbank携帯の通信障害は、故意に仕組まれた通信障害だった。

どこにでもプログラムは入り込んでいるし、そのプログラムによって、便利になっている反面、人命をも奪い、都市機能麻痺させる事も出来る。

にもかかわらず、「資格」「免許」無し。

なんでだろう?

介護について考えてみよう。

ヘルパー資格介護士とかいろんな資格が必要だが、世間一般的には、ワーキングプア、もしくはそれに近い悲鳴が聞こえてくる。

なんでだろう?

資格免許を持っていても、それが収入時間に反映されないいい例だと思う。

プログラマー」「SE」と名乗るのは簡単だ。「漫画家」「小説家」と名乗るのと同じように。なんだったら、名刺名前の上にそういう肩書きを書いておけば、「プログラマー」であり「SEである

漫画家小説家と違うのは、漫画家小説家は「売れなければただの無職」という事だ。あっという間に食えなくなる。自分アシスタントをやっていたし。アシスタントでは、ちょっと食っていけなかった(アシスタント作家自身は違うが、それなりに間近で見てはいるわけで)。

プログラマーSEがそうならないのは何故だろう?

誰かがリカバリーしてしまから、では無かろうか。

プログラマーSEが個人事業種の人達だったら、その通りになるだろうけど、多分、半分以上の技術者は、どこぞの会社所属しているサラリーマンだと思う。もちろん、これはこれでメリットがある。営業や経理・総務・庶務等が他の人に分担されている事や、会社などの福利厚生も使えるから

逆に「金の切れ目が縁の切れ目」が使いにくいというのがある。同僚が失敗したり行方不明自殺等というのはこの業界日常茶飯事だが、そのリカバリーは必ず誰かがやらなければならない。そして不思議な事に、それをやる人間は決まっている。失敗したマンガ小説を他の作家リカバリーする、というのはあり得ないのにね。

資格制度免許制度が万能とは言わないが、有効かどうかと言われると、自分には判断出来ない。しかし、前述したとおり、非常にクリティカルなモノを作る場合も有り、無資格なのはそれはどうだろうか?とも思う。

プログラマーSEミスすれば、都市機能麻痺し、人が死に、医療器具が動作せず、電力が起きず、このインターネットすら動かない。TVラジオダメ第1次産業以外のほとんどが停止する事になる。

そんなクリティカル仕事なのに、この士農工商穢多非人非人のような扱いを受けるのは何故なんだろうか?

経営者管理からみれば、次から次へとターゲットが蛆のように沸いて出てくる職業であり、使えるだけ使って、あとは使い捨て、という業界だし。

一度、プログラマーSE自分のやっている仕事がどういう事なのか、考えてみた方が良いのでは無いだろうか?

考える事は出来ると思うよ? だって、「完全動作する事を常に考えている」のだから。それが過失・故意にでも動かなかった場合、どういう事になるかは、簡単に想像出来るよね。

絵描き小説書きや楽器演奏作曲は、小学校の頃、学校で習うから、分かると思うんだけど、【今の現役世代以上】のプログラマーSEは、小学校で習わなかった。この差が非常に大きいのだと思う。

どんな無能経営者無能管理だって、「自分が絵を描けない・難しい」というのは、自分で分かる。なぜなら、義務教育時代にやっていたから。ところがプログラミングSEはどうか。やってないから分からない、わけだ。

あと、拍車をかけているのが、どこかが発表している「情報技術者何万人不足」という発表。この時点で「質」が考えられていない。そこへ、程度の低い派遣業が入り込んで、エライ事になる。そもそも派遣とは、受け側に技術が無いからその手助けに赴くものであって、人身売買では無い。先日も弊社で「組み込み系の低いレイヤーの部分を作るC言語(かなりアセンブラ寄り)が出来る技術者」を要求したのに、実際ソフトハウスから派遣されてきた人間は「C言語ポインタという概念も知らない」技術者だった(どうやら、Windows統合開発環境上においてC#だったら使える、というレベルだったようだ)。もちろん、そんな人員を使えるわけ無いのでその場でお引き取りを願った。こういう、「質」や「ベクトル」に関係無く「頭数」だけでどうにかなると思っている奴らが非常に多い。日本の(少なくとも情報系)派遣や客先常駐の考え方は、間違っていると思う。

そう考えると、ある一定の基準として、質やベクトルを明記する必要はあるのかもしれない、と思う。それが労働時間賃金に反映されるかどうかは分からないが。

2011-07-18

Excelばんざい

A3サイズ一枚にまとめて見える化しました」

ってExcelA3で作ったら画面からはみ出て見えへんやないの!!!

毎日だれがメンテナンスすんの?

誰かが編集してる間はどうしたらええの?

更新されたら毎回A3印刷して配るの?

情報データベースに入れて色んな観点で検索したり抽出したりソートしたりリアルタイム更新したり履歴を保存しておいて比較したりするのって情報処理の基本中の基本じゃないですか。なんでみんなそんなExcel好きなんやろ。

Excelのいいところ>

・シートごとにページを作れば目次代わりで見やすい。

・どんなに画面からはみ出ても縮小印刷で一枚に印刷できる。

・表がすぐ作れる。

テキストボックスでありとあらゆるところに文字が書けて見栄えの良いレポートができる。

セルの幅を全部小さくして方眼紙みたいにするとインデントの整った文章が書ける。

・シートごとに縦向き、横向き印刷が選べる。

・みんな操作方法を知ってる。

オプションで読み取り専用にできるので間違って更新されることもない。

オプションパスワードを設定できてセキュリティ完璧

・みんな知ってる。

メールで送れる。

印刷して配れる。

・共有フォルダにおける。共有ストレージにおいておけばバックアップもばっちり。

・その上ファイル名も変更できるのでリビジョン番号をつけて管理できる。

更新日付もファイルに入れて履歴管理

更新者の名前ファイル名に入れて別々に編集可能。

ファイルが増えても_oldとつければいける。

・もっと増えたらoldフォルダを作ってそこに入れれば何とかなる。

ファイル名に_最新ってつけておけば誰もが最新版だとすぐわかる。

レイアウト自由自在に変えられる。

最近更新した行はオレンジ色に着色しておけば見やすい。

・解決した行はグレーアウトで。

・ついでに計算もできる。

2011-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20110706154450

ここを参考にした。

http://kosen.sakura.ne.jp/nyushi/hensachi.htm

ちなみに、偏差値50台なら、目的が「指導要領の内容を消化する」に変化した授業になるとは思う。


参考までに、情報処理専門学校高専ではないよ)では、数学情報数学だったし、英語技術英語(ようはマニュアルを読むための英語)だった。

専門性が高まれば、授業の目的がはっきりするのは当然だと思う。

2011-06-26

高校は情報処理科で専門学校もその手の所を卒業したIT土方だけど仕事がつまらない

IT以外の業界転職するっていっても何があるのか全くわからない

一体俺は何がしたいんだ

人生わからん

2011-06-16

高専と「普通高校から大学工学部」の二択について

普通高校には行ってないけれど、高専卒で大学理学部数学科編入、大学一般入試経験したので、迷った人へのアドバイスを。

このテーマネット検索してみると出つくしているようにも思うけれど、できるだけ具体的な物になるようにしました。

僕自身は高専時代反省点も多いながら充実した生活をした一方、今のキャリアを考えればあんまり意味がなかったので、

高専に対する評価は中立です

あと、高専から大学編入については自分からはあんまり扱いません。

編入生は優秀と言われても、客観的に見て単なる大卒ですから

高専に入る前からこういった考え方の人は自分の進路の合理性について考え直した方がいいと思います

但し、長岡豊橋技科大学とかなら編入生が多く、それ用のカリキュラムがあるかもしれないので、話は変わるかもしれません。

もちろん質問等があったらコメントもらえれば答えます

※以下「普通高校」と言った場合、「普通高校で学ぶ学習内容」を指します。

1.普通高校高専の共通点

1.1 一般科目に大差はない?

高専に行っても現代文、古文、漢文地理歴史倫理経済英語、第2外国語芸術、体育、法学…など

一通り勉強します。授業時間は少なめなんでしょうが、こうやって書くと多いでしょう?

大学入試と言う超絶重要な節目のための勉強をしなくてよいだけましですが、試験もあります

1.2 専門科目に見えても…

 機械電気建築で学ぶ専門科目には、低学年では工業構造力学電気回路流体力学材料力学等がありますが、

これらの大部分(エッセンス的な意味で)は普通高校物理でも学ぶことができます

化学工学についても普通高校生物化学で学ぶこととかぶってる部分があるでしょう。

したがって3年までの勉強内容はみなさんが思っているほど普通高校(の特に理系)との間に大きな違いはないと思います

2.違い

2.1 機会費用を考えよう。

 これは本人よりも親御さんにとって重要なことかもしれませんが、

高専から働きだすのと、大学からとでは最短で2年。浪人や院に進学するなどすればそれ以上の間、

社会人としての収入がたたれます

年収400万として2年で800万の収入国立の学費で100万(私立なら200万?)、

就職先の福利厚生(飯付き独身寮など)が充実してたらさらに200万位の差がつきます

軽く1000万以上の収入差が短期間の間に生じるわけです

 もちろん大学進学でそれ以上の収入が得られれば良いのですが、家庭の経済環境が厳しい人は

金銭的に早く親孝行する道として、自衛隊の次にお勧めです

2.2 数学は進度が早いけれど…

 確かに普通高校で3年までに多重積分はやらないでしょうが

やはり大学受験がないだけあって演習量は少なめです。僕は教科書の例題を解いただけでしたが定期試験はほぼ満点でした。

また、確率や数列、図形分野はあんまり力を入れません。微積分も一般入試向けの解法をやるわけじゃなく、

専門分野に必要な計算力を養えばいいわけです。もちろん大変ですけどね。

個人的には高専で学ぶ数学についていくよりも、黄チャート大学受験の為の基本問題集)をマスターする方がずっと大変です

2.3 ちゃんと統一してほしい。

 電気回路を専門科目として学ぼうとすると、早い段階で微分が出てきます

しか高専一年では微分の基礎である極限すら学んでいません。

したがって「この式はこういうもんだと思って」(実際に先生に言われた言葉)学ぶ必要があります

理系ならできるだけちゃんと理解していきたいところですよね?

くさび型のカリキュラムにはこういう弊害もあると言うことです

 もっとも、段階をちゃんと踏む普通高校では物理加速度、速度、距離の概念積分を使わずに学びます

直観的で分かりやすいですが、これはこれで気持ち悪い人もいるかもしれません。

3.その他

3.1 いまどき英語は必須

 私たちの時代から言われてきていましたが、今はそれ以上に語学力を売りにする必要がある時代です

実際私の高専の同級生や同僚にも海外出張や、英語仕事をする人はひとりずついます

私もベトナム人に試験のやり直しなどの指示を英文ですることがあります

3人とも別に英語が得意だったわけではありません。僕は学生時代TOEIC300ぐらいでしたし、

他は僕以下の英語成績でした。

 エンジニアとして、英語ができないのは数学ができないくらい不自由なことになると思います

そんなときに「高専英語が弱い」なんていっても駄目ですね。

今はTOEICに力を入れている高専も多いようですので、そういった学校の実績をオープンキャンパスで聞いてみてもいいかもしれません。

3.2 シラバスをゲットしよう

 高専に限らず、大学文学部に行くにしても、まず志望学校名とシラバスでググってその学校で使われている専門書を数冊手に入れましょう。

田舎の人はamazonで買えると思います。数日都会の大型書店ジュンク堂紀伊国屋など)に入り浸ったり、その分野に関するライトな本を読むのもいいでしょう。

そしてその本を理解するのではなく、ざっと読んでテンションが上がるかどうかを確認します。微分方程式や、精密な図面を見て、こんなことを学べるんだ!と思えればいいんです

テンションが上がればその学科に進んでも後悔する確率は下がります

 専門書は高いですが、入学して後悔する事に比べたら数100分の1の損失(進学できればそのまま使用可能)で済みます

 ちなみにもし僕の子供機械電気系に行きたいと言ったら、まず製図の本を同様に読ませて、それでテンションが上がらなかったら

普通高校で様子見を進めます

 あと、シラバス通りに授業が進む可能性は低いと思います

とりあえずこのくらい。思いつくところがあったらまた書きます

7/10追記

いまだにこんな↓独りよがりレポートを課している教員がいるのか。やっぱり高専おすすめじゃないかも。

title:高専1年生です情報処理1のレポートで授業で習ってないし教科書にも載ってなくて困っています

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1366034508

2011-06-14

結局のところ、人間ってのは得てして感情論的にしか行動できないものなんじゃないのかな。

純粋論理的ないし科学的な行動ばかりしていられたら、まったく違った景色が見られてたんだろうしさ。

でも、純粋論理的ないし科学的な行動ばかりする存在って、果たして人間って呼べるんだろうか。

思考はできる上にひらめきも情報処理機能もちゃんと備わっていたとして、その上で感情に縛られない行動を選び続けられる存在というものは人間なのかな。

そもそも、感情に縛られない行動をするということが可能な存在って何だ。哲学的ゾンビなのかな。

人間言語に縛られている。その上には言語化できないファジーな領域があって、つまりはそれがクオリアなのかもしれない。

詳しくは学がないからわからないけど、その曖昧模糊とした確かな領域が、人間人間たる重要な要素の一つであると思う。

それは感情なのかな。思考なのかな。感情と思考はどちらが上位に在るのかな。マズローだっけ、階層なんたらの人。

本能こそが人間なのかな。あるいは人間的な本能ってものが存在しうるのかな。いけないな。本能定義をしっかりさせていないから、また道を見失う。

というか、ずっと道を見失ってばかりじゃないのかな。そもそも道を歩いていさえいないんじゃないのかな。

水中を漂っているかのような空中を彷徨っているかのような、そんな妄想に近いことばかりしかできていないんじゃないかな。

不毛だな。

2011-05-30

高木先生はいい加減に目を覚ますべき

社会的正義不正義は、技術的な「正しさ」とは関係なく決まることに、そろそろ気付くべきだ。

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20110529.html#p01

その意味するところは、次のどちらなのか。

これを明らかにしてほしい後者なら私も賛成だが、前者なら情報技術分野関係者は受け入れることはできないだろう。法務省後者のつもりのはずと信じたい。

情報技術者以外の人間にとっては、どちらであろうと、望まない被害を受けるという点に変わりは無い。ゆえに「一般人」が、「罰するなら両方とも罰するべき」という発想に傾くのは、まさにPL法論理であり、極めて自然なことだ。

そもそも、「技術そのものに正邪がある」という発想を社会に発信し広めてきたという点で、高木先生、貴方にも確実に責任の一端がある。裏切られてから慌てても遅いのだ。

言うまでもないが、技術そのものに正邪などない。その技術社会的正義に適うものと看做されるか否かは、それが利用者にどう受け入れられるかに完全に依存している。良き意図を持った技術者によって生み出された技術が、必ずしも正義を実現するとは限らない。その逆も、また然りだ。

これは、ソフトウェア技術においては特に顕著だ。なぜなら、ソフトウェアには実体が無い故に、「情報処理結果にどう価値を見出すか」という問題の答えは、完全に受け手依存しているからだ。「善良な技術悪徳技術」という二分法の論理を認めた時点で、あらゆるソフトウェアは「善悪」の彼岸を容易に行き来しうるということに、もっと早く気づいて欲しかった。

からでも遅くない。高木先生にはぜひ、「技術」というものに対するスタンスを、今一度考え直していただきたい。今から立場を変えたとしても、私は、そのことを絶対に笑いはしない。

ソフトウェアに必ずバグが潜んでいるように、議論の誤りが判明することは恥ずべきことではない。ただ、反省し修正すれば良いだけなのだから



補足:

当然ながら、私はソフトウェアPL法論理適用できないと考えている。その理由は、主に以下の二つ。

  1. ソフトウェアは、高度な知的活動の成果として産み出される、人類史上稀に見る非常に複雑な構造物であり、少なくとも現在技術水準においてバグを完全に取り除く技術的方法論が確立していないこと。
  2. ある情報処理結果を「バグ」と看做すかか否かは、ソフトウェア利用者の主観に完全に依存しているため、「製造物の欠陥による危害」を客観的に測定する方法が存在しないこと。

そもそも、近年のアジャイル開発の理論が主張するように、「利用者の要求は変化する」ものだ。ある時点での要求を完全に満たしたソフトウェアが、将来のある時点における要求を満たさない、といった事態は容易に起きうる。その場合、そのソフトウェアには「バグ」があると看做されるだろう。この場合でも、ソフトウェア開発者には、それをメンテナンスする義務が発生するのだろうか?

ソフトウェアを「製造物」と看做す概念は、「完全な設計可能である」とするウォーターフォール開発が長年の間主流を占めていることからも分かる通り、人々の意識に深く浸透している。

今こそ我々は、ソフトウェアに対する正しい理解を広め、社会との適切な関係を構築すべく、活動していく必要があるのではないだろうか。

2011-04-12

ネット規制強化」の誤解

切込隊長氏の週刊ポストの馬鹿記事に釣られる奴多数、っていうか孫正義まで釣られてカーニボー: 切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man's Blogの関連で。

どうも引っかかってる人は、刑事訴訟法改正案のこの部分が気になっているようだ。

保全要請

検察官検察事務官又は司法警察員は、差押又は記録命令付差押えをするため必要があるときは、電気通信を行うための設備を他人の通信の用に供する事業を営む者等に対し、その業務上記録している電気通信の送信元、送信先、通信日時その他の通信履歴の電磁的記録のうち必要なものを特定し、三十日を超えない期間を定めて、これを消去しないよう、書面で求めることができるものとし、この場合において、当該電磁的記録について差押え又は記録命令付差押えをする必要がないと認めるに至ったときは、当該求めを取り消さなければならないものとすること。(第百九十七条第三項関係)

(全文はこちらで情報処理の高度化等に対処するための刑法等の一部を改正する法律案要綱)

これが何を意図しているか理解するためには、通信記録の差押が現在実務的にどのように行われているかを理解する必要がある。

メールアドレスAを所有していることが分かっている者が、犯罪行為を行っていることが疑われる場合を想定する。

  • 警察は、「捜査関係事項照会書」に以下の項目を記載して、通信事業者に問い合わせを行う(電話でのやりとりとかについては略)
    1. Aを所有している者Xは分かるか?分かるなら住所氏名連絡先を教えてくれ。
    2. Xが何月何日何時何分から何時何分までの間にアクセスした記録はあるか?あるならソースIPアドレスを教えてくれ。
  • これに対して通信事業者は、以下のように回答する。
    1. Xは分かる。Xの住所氏名連絡先は以下の通り...
    2. アクセスしたならば、記録はある。内容は教えられない。
  • では、差押令状を取っていくので、記録を準備しておいてくれ。

重要なのは強調部分(2か所)

なぜ警察からの問い合わせだけでは教えられないのかは、総務省ガイドラインに書いてある。

電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン

通信履歴は、通信の秘密として保護されるので、裁判官の発付した令状に従う場合等、

違法性阻却事由がある場合を除き、外部提供は行わないこととする。法律上の照会権限の

ある者からの照会に応じて通信履歴を提供することは、必ずしも違法性が阻却されないの

で、原則として適当はない(第6条解説参照)。

ということで、通信記録を出すためには差押令状が必須なのだ。

ここで、今回の改正案を読むと、全て「記録を準備しておいてくれ」にかかっていることがお分かりだろうか。

  • 記録コピーでいいよ
  • 準備は事業者側で手伝ってね
  • 令状取って差押に行くまで保全しておいてね(これが冒頭の引用部分)

以上のことから、この刑訴法改正案は、現在の実務上の手続きを担保する目的だろうと、予想する。

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ネット規制強化法案とか言ってる奴wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww - はてなでどんどどん

「ネット規制強化法案(コンピュータ監視法案)」は震災のドサクサの中で閣議決定された? - 強火で進め

2011-03-16

こんなときに大事かもしれないこと

始めに。

みんなみんな、つぶれそうだと思います。

それに対して、長い文章ですが、書いてみました



こういう内容は、単純明快に書くべきですが、

私にはそうできませんでした

できれば、読んでほしいと思いますが、

余裕がなければ、途中で引き返してもいいかと思います。



さて、以下に書くのは、

あまり精査していないことです

それでも敢えて、書いてみます




言葉の力、というのは恐ろしいです

すべての言葉情報です



情報は、

事実に基づいている⇔事実に基づいていない

確かな情報か⇔不確かな情報

自分が理解できる情報か⇔自分が理解できない情報

それは自分が判断できることか⇔自分には判断できないことか

自分や他の人がみて役に立つ⇔自分や他の人がみて役に立たない (意味があるないではありません)

などの軸があります

(補足: これは、必ずしも独立した軸とは言えませんが。)



事実に基づいている

・確かな情報である

自分が理解できる

自分が判断できる

自分や他の人がみて役に立つ

これらに傾いていれば傾いているほど、

価値のある・意味のある情報です



つまり、

このような情報なら、

自分自身が読んで根拠にして意味があり」、

「他の人に聞かせて意味がある」

です



例えば、自分の理解できない情報をみて、どう思うでしょうか。

不安になったり、困惑するだけでしょう。

危機感がつのるのに、どうすべきかは、わかりません。

勢い余って、「こうすべき」と判断するし、行動するでしょうが、

果たしてそれは、

しい行動なのでしょうか?

意味のある行動なのでしょうか?



また、

今は不安情報がいっぱいあります

自分にはどうしたらいいか判断しかねたり、

また、新しく出てきた情報をどう考えたらいいのか、判断できなかったり、

そういう情報がいっぱいあります



それを判断しようとするのは、自然なことです

しかし!

人間一人一人の情報処理能力・判断能力には限界があります



からこそ、

・知識のある人

・適切な判断のできる人

に判断を任せるべきです



自分自身で理解できる範囲において、

情報が「確かなのか」「事実に基づいているのか」「その情報に基づいて考えたり行動して、意味があるのか」、

自分自身で考え、判断し、行動しなければいけません。



それから、ご自身の言葉の影響力をお考えください。

混乱・不安プラスする方向の発言をするのか、

冷静・安心にプラスする方向の発言をするのか。

発言するご自身にも、周りの方にも影響があります


混乱・不安プラスされていくと、判断能力が徐徐に失われ、適切に行動できなくなります



いまtwitterや、mixiボイスやら、マスコミやらをみていると、

刻々と違う場所で起こる大きな地震と、

原発の件、

マスコミ口コミの不確実だったり、不正確だったり、憶測に基づく発言によって、

徐々に質が変わりつつあります



どこかで

群集心理臨界突破

してしま可能性があります



それを防ぐために、

上に書いたような、判断を行動をしてください。



また、人間だれでも限界があります

例えば東電発表が混乱していたりしていても、

現場の緊急な事件がいっぱいあって、

それを判断するために、必要な専門知識や設計関係の情報が膨大です

将来の安全のための思考が完璧にできているとは到底言えません。

しかし、ここで東電を責めるのは、間違いです。

情報をもっているのは、現場にいるのは、現場を確認したり、操作するのは、

東電です



これに対し、次のように

東電が、適切な判断や、適切な行動をするように、自分言葉の影響力を使う

東電が、適切な発言をするように、自分言葉の影響力を使う

こうすべきです



そうでないと、

現場がつぶれます

現場がつぶれた時に、

現場コントロールできる人がいなくなってしまいます。



これは

周りの人すべてに対して、同じことがいえます

・その人が、適切な判断や、適切な行動をするように、自分言葉を使い、促す

・その人が、適切な発言をするように、自分言葉を使い、促す

これだけで、

ずいぶん、安定・冷静にプラスになります



お願いです。

まずは、冷静になってください。



(私もですが)あなたが普段の生活からどれだけかけ離れた状態にあるのか、考えてみてください。

自分のペースは保ててますか?



緊急に対応して行動していても、

それは酷く緊張と、精神バランスを欠いた状態で、

長く続けることはできません。



その上で、

・ご自身が、安心・冷静になるように、普段のペースで物事が考えられるように

・周りの方が、安心・冷静になるように、普段のペースで物事が考えられるように

お心遣いをお願いします



最後に私事。

私も、もう、つぶれそうです

twitterのTLみてても、

あきらかに不安連鎖が抑えきれないtweetばかり。



私は、原発のサプレッションチェンバーの破裂のあたりまでは、まだ大丈夫した

流れてくる情報の確からしさや、大まかに予測できる背景、危機管理に携わる方々の感覚

それらがぎりぎり評価できていました



それでも、緊張と疲労が心身に蓄積していて、それらが限界であることと、

更に、静岡地震やら、知人のパニックさを見て、

一気に壊れました



こうやって、麻痺させて、文章かいたり、冷静であろう・前に進む/未来へ生きることをしよう、というのを結構意地になってやってることで、

少し保ててるかな、という感じです




長文失礼しました

この文章が皆さまの平穏と無事、良い未来へと繋がりますように。

2011-03-10

弾さんはゆとり教育がうまくいかなかった理由についてどう考えられているのだろうか?

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51651588.html

いや、美しい話だとは想いますよ。アニメだったらね。



でもこれってゆとり教育理念そのものだよね。

で、その結果どうなったかを考えたら、この発言はあまりにも無責任はないだろうか。

多分今日ホッテントリ入りするであろう小倉弁護士差別用語の扱いと同じくらい議論のバランスが偏ってる。



実際に弾さんの言うリテラシー定義って

口で言ったところで、わかってる人には通じても、わからない人には全く意味を成さないと思うんですよ。

これ多分学校で教えられることじゃないのでは?

教えられると考えていらっしゃるのであれば、どうやるかについて新しいエントリ希望

学校教育なんて大学以外全部やめて最初からビジネスさせろ、サバイバルさせろ、くらいでないと難しいと思うんですが。




弾さんが言う

リテラシーの何たるかさえわかってれば

 必要な知識の仕入れは苦労しなくてもできるだろ、というかやるだろ。

 必要なのにむしろ出来ないとかいうやつは死んどけ」って理屈はほんとうによくわかるのですが、

そのリテラシーをみんなが理解することができる、の部分がムリっぽいのでどうも納得行かない。



正直に言うと、読んでて「これだから無駄情報処理能力高すぎる人間は・・・」と思ってしまったくらいです。

将来のデジタルネイティブ能力を信頼するのは大事だと思いますが、信じすぎてまるで保護なしになってしまうのはそれはそれで問題かと。

2011-02-22

昨日ヒトコトだけ書いたけど

http://anond.hatelabo.jp/20110221122226

これを夫婦関係の問題だと認識すると袋小路だなぁ

多くの人は言わなくてもわかってるだろうと思ってた。

わかってないのは瞬間的な情報処理に慣れて以降停止してるはてブ民か一部2ちゃん阿呆だけだと思ってた。


でもこの記事およびその感想をみて

http://d.hatena.ne.jp/fut573/20110221/1298301411

いまさらこんなことを大真面目に書かないとホンマにわかってないバカ

が意外と多いらしいことが分かり結構ショック

うんこブログの人はどうしたんだ。これについて何か言ってくれ。



個人的に阿呆は許せるがバカは嫌いだ。

2011-02-15

WEB系の会社入って開発要員として配属され、新卒二年目を終えようとしてる。


格別いままでやってきた仕事といえばデータ作成とちょっとしたプログラムの改修。

スクラッチで何かを書いたことをない。


要件定義書すら口でできあがるこの会社で二年やってきたが

自分のITスキルの低さに疑問を覚えてきた。


高校の頃から情報系の学科で、大学情報系。両方共底辺レベルだったけど

ひと通りのプログラミングに必要な知識はつけてきたつもりだった。


ただ今の会社に入って、全くもってこういう会社に向いてないんじゃないかと思えてきた。



そう思ったのは

休みの日までプログラミングしたくない」

そこからだった。


この業界休みの日も絶えず新しい情報に触れ、自分のものとして体得できる人しか生き残れない。

そう実感した


からこそ、休みの日にプログラミングもできない奴は

この業界にいるべきではないと思ってしまったのだ。


高校、大学と一貫して情報処理をしてきたが、今ならまだ引き返せるのかもしれない。

そう思って、近々会社をやめて、公務員試験勉強をしようと思います。

2011-02-04

恣意的に編集して全くの別物にした

http://anond.hatelabo.jp/20110202035306

筆者(元増田)も述べていますが、わかりづらい文章だと感じました。そこで筆者はこのように言いたかったんじゃないかとかってに想像して、本文と追記を編集という名の削除、加筆、訂正及び構成の大幅な変更を行って理解の手助けとしました。よかったら読んでください。

論理操作能力の高いヤツとは議論するな

 東大卒自分ギリギリ東大理Iに受かったぐらいの大したことのない頭の持ち主だが東大に入ったおかげで、色々な東大生を見ることが出来た。その結果、論理操作能力とは極めて先天的なものであるということを知ることが出来た。東大の中でも頭がイイ奴は、普通の人と比べて、同じ時間あたりに実行できる論理操作の数が数倍速く正確である。このことを知ることが出来たことが、東大に入って最も良かったことの一つだ。

 お勉強が出来るだけでは社会に出ても役に立たないというのは、その通りだと思うのだが論理操作能力が速くて正確なことは社会に出る上で非常に役に立つ。とりわけ、議論の場で圧倒的に有利になる。実は、議論というのは、試験よりも速くて正確な論理操作能力が要求される。その場で返答しなければいけないからだ。試験だったら、その場でとっさに答えを思いつかなくても、「とりあえず置いておいて、試験時間終了間際にもう一度見なおしてみるか」といった戦略が取れるが、議論の場では、相手は何十分も返答を待ってくれない。その場で返答しないと意味が無い。


 とりあえず、「論理操作能力」を、平たく言って、「頭の回転の速さ」である定義したい。言い換えるならば、「論理操作能力が高い」とは「与えられた前提から単位時間あたりに論理的な推論を用いて導き出せる有意義な結論の数が多く、また、その推論が精確なこと」と定義しておく。単に論理的な推論がたくさん出来るだけ(=論理演算能力が高い)では、コンピューターの方が人間より優秀だということになってしまう。論理的な推論を重ねて、「有意義な結論」を見出さなければならないから、「操作」という言葉を使った。

 また、人間は推論を間違えることも多々あるから(例えば、A→Bが成り立つ場合に、議論を進めていくうちに、それがB→Aも成り立つことになっていたりする)、推論が精確であることも重要なので、「推論が精確なこと」を定義に含めなければならない。「論理操作能力」は、「コミュニケーション能力」「国語力」「人間力」とかよりも、ずっと精確に定義できていると思う。


 「論理操作能力」に対して、「情報処理能力」の方が適当はないかという意見もあるだろう。そこで「論理」「操作能力した理由を説明したい。

 まず、「情報」ではなく「論理」という言葉を使ったのは、「情報」では、人に上手く質問して情報を引き出す能力や、ネットや本で調べる調査能力を含むような誤解を与えると思ったからだ。このような調べ物が得意な人はいるが、その能力はそれぞれの専門によるし、信頼できる情報源をどの程度「知っているか」という知識の問題でもあると思う。例えば、法学部卒の人が法律に関することについて情報入手能力が高いのは当たり前である。一方、「論理」なら、こうした調査能力を含むかのような誤解は与えない。したがって「情報」より「論理」の方が適切であると思った。

 次に「処理」ではなく「操作」という言葉を使った理由であるが、これは「処理」では、処理した結果何を目的アウトプット)とすれば良いのかが明確に決まっている、という誤解を与えると思ったからだ。

 例えば、漠然と「何かいアイデアない?」と聞かれた場合は、欲しいアウトプットは定まっていない。このような得たいアウトプットが明確に決まっていない状況でも、与えられた条件から「この条件とこの条件をこう組み合わせれば、こういうことが言える(=こういうアウトプットが得られる)!」という思考を即興で出来る人がいる。僕は、「論理操作能力の高い人」という言葉で、こういう人たちのことを指したかったのだ。

 「操作」と「処理」の違いであるが、例をあげると、車を操作する、とは言いますが、車を処理する、とは言わない。「操作」という言葉が、どの方向に進みたいかを決めることをも含んでいるからだ。一方、「車をA地点からB地点まで移動するという仕事を処理する」と言うことは出来る。処理するためには、アウトプット最初から決まっていないといけないのに対し、操作することは、アウトプットを定めることも含んでいる。したがって、「処理」よりも「操作」の方が適当であると思った。ちなみに、操作は、"operation"の意味で使っている。"operations"のように複数形に出来ることが大事である複数形にできるから、"manipulation"の意味でもよいかもしれない。しかし、"control", "exploit"の意味では使っていない。英語を使うと冗長すぎると言われそうなのでやめておいたのだが、やっぱり、書いておくこととする。


 ところで、冒頭で論理操作能力とは極めて先天的なものであると述べたが、「先天的」は必ずしも「遺伝的」であるとは限らない。また、論理操作能力先天的なものであるということは、実際に東大に在籍し、多くの東大生を見てきて、僕が経験的(帰納的)に知ったことだ。

 加えて、僕は、論理操作能力の高い人が東大だけに存在するとは思っていない。どの大学でも、名前が知られている大学なら、上位何%かは論理操作能力先天的に高い人だろう。東大は、その「何%」が、1~2割程度になっているぐらいである。

 余談であるが、東大は、一般教養の代わりに、シンフリ制度最初は全員教養学部に属し、1年~2年前期までの成績で、他の学部学科に転籍する進学振り分け制度)を取っているので、学部・学科によって、論理操作能力の高い人の全体に占める比率は大きく異なる。シンフリ点数の高い学科は、やっぱり、論理操作能力の高い人が多い。シンフリとかシケプリシケタイシケ長かいった言葉を知っていることは、僕が実際に東大卒である傍証にはなると思う。


 さて、論理操作能力先天的なものだから、訓練しても高くはならない。したがって、論理操作能力が低い(その才能がない)我々のような人間が彼らに勝つためには、「論理操作能力が高いヤツとは最初からマトモに議論しない」ということが重要だ。例えば、相手が持っていない情報に基づいて反論する。いくら論理操作能力が高くても、知らないものを知ることは出来ない。それから論理操作能力が高いヤツの前では、自分のやっている仕事面白そうに見せない。論理操作能力が高いヤツが自分仕事を持って行くからだ。

 こうした勝つ技術の中でも一番多く使うのは「自分仕事に関係ないことは黙っておく」という技術だ。会議の場で自分より論理操作能力が高そうな人間がいて、その会議自分仕事に直接関係なく、意見することで何か自分利益がもたらされるのでなければ、黙っておく。論理操作能力が高い人間意見は高い確率正論なので、しばらく放っておけば、そういう人間会議を引っ張っていくようになる。


 論理操作能力が低い自分でも、論理操作能力が高い人間が多く集まる東大という環境にいられたおかげで、論理操作能力が高い人間の中で立ち回る技術を身につけることが出来た。人類の大半は、論理操作能力が低い人間だ。みんなで、共闘して奴らを追い落とそう。

どうでしょう

2011-02-02

論理操作能力の高いヤツとは議論するな

東大卒自分ギリギリ東大理Iに受かったぐらいの大したことのない頭の持ち主だが東大に入ったおかげで、色々な東大生を見ることが出来た。その結果、論理操作能力というのは極めて遺伝的なものであるという事実を知ることが出来た。東大の中でも頭がイイ奴は、特に、時間あたりに操作できる論理操作の数が常人の数倍は速く、常人より1桁正確だと思う。この事実を知ることが出来たことが、東大に入って最も良かったことの一つだと思っている。

勉強が出来るだけでは社会に出ても役に立たないというのは、その通りだと思うのだが論理操作能力が速くて正確なことは社会に出る上で非常に役に立つ。特に、議論で圧倒的に有利になる。議論って言うのは、実は、試験よりも速くて正確な論理操作能力が要求される。その場で返答しなければいけないからだ。試験だったら、その場でとっさに答えを思いつかなくても、「とりあえず置いておいて、試験時間終了間際にもう一度見なおしてみるか」といった戦略が取れるが、議論の場では、相手は何十分も返答を待ってくれない。その場で返答しないと意味が無い。

論理操作能力は遺伝的なものだから、訓練しても高くはならない。だから論理操作能力が低い(才能がない)我々のような人間が彼らに勝つためには、「論理操作能力が高いヤツとは最初からマトモに議論しない」ということが重要だ。例えば、相手が持っていない情報に基づいて反論する。いくら論理操作能力が高くても、知らないものを知ることは出来ない。それから論理操作能力が高いヤツの前では、自分のやっている仕事面白そうに見せない。論理操作能力が高いヤツが自分仕事を持って行くからだ。

こういう勝つ技術の中でも一番多く使うのは「自分仕事に関係ないことは黙っておく」という技術だ。会議の中で自分より論理操作能力が高そうな人間がいて、その会議自分仕事に直接関係なく、意見することで何か自分利益がもたらされるのでなければ、黙っておく。論理操作能力が高い人間意見は高い確率正論なので、しばらく放っておけば、そういう人間会議を引っ張っていくようになる。

論理操作能力が低い自分でも、論理操作能力が高い人間が多く集まる東大という環境にいられたおかげで、こういう論理操作能力が高い人間の中で立ち回る技術を身につけることが出来た。人類の大半は、論理操作能力が低い人間だ。みんなで、共闘して奴らを追い落とそう。

追記:最後の文の「奴ら」は、論理操作能力が高い人達の事です時間がたってから校正しないと、こういう曖昧性に気がつかないのが、僕の論理操作能力が低い証拠です論理操作能力が高い人達は、即興曖昧性の低い文章を書くことが出来ます

また、「情報処理能力」の方が適当はないかという意見がありましたので、「論理」「操作能力した理由を説明します。「論理操作能力」というのは、平たく言えば、「頭の回転の速さ」だと思ってください。

まず、「情報」ではなく「論理」という言葉を使ったのは、「情報」では、人に上手く質問して情報を引き出す能力や、ネットや本で調べる調査能力を含むような誤解を与えると思ったかです。そういう調べ物が得意な人は居ますが、その人の専門にもよりますし、信頼できる情報源をどの程度「知っているか」という知識の問題でもあります。例えば、法学部卒の人が法律に関することについて情報入手能力が高いのは当たり前です。一方、「論理」なら、こういった調査能力を含むかのような誤解は与えません。ですから、「情報」より「論理」の方が適切であると思いました

次に「処理」ではなく「操作」という言葉を使った理由は、「処理」では、処理した結果何をアウトプットとすれば良いのかが明確に決まっている、という誤解を与えるからです。例えば、漠然と「何かいアイデアない?」と聞かれた場合は、欲しいアウトプットは定まっていません。このような得たいアウトプットが明確に決まっていない状況でも、与えられた条件から「この条件とこの条件をこう組み合わせれば、こういうことが言えて(=こういうアウトプットが得られて)、嬉しい!」ということを即興で考えつくことが出来る人がいます。僕は、「論理操作能力の高い人」という言葉で、こういう人たちのことを指したかったのです

例えば、車を操作する、とは言いますが、車を処理する、とは言いません。「操作」という言葉が、どの方向に進みたいかを決めることをも含んでいるかです。一方、「車をA地点からB地点まで移動するという仕事を処理する」ということは出来ます。処理するためには、アウトプット目的)が最初から決まっていないといけないのに対し、操作することは、アウトプットを定めることも含んでいます。ですから、「処理」よりも「操作」の方が適当であると思いました


ところで、この文章では、遺伝的と先天的を同じ意味で使ってしまっています。僕が言いたかったのは「先天的」の方です先天的からといって遺伝的であるとは限りません。また、論理操作能力先天的であるということは、実際に東大にいて、多くの東大生を見てきて、僕が経験的に(帰納的に)知ったことです。また、僕は、論理操作能力の高い人が東大だけに存在するとは思っていません。どの大学でも、名前が知られている大学なら、上位何%かは論理操作能力先天的に高い人だと思います。東大は、その「何%」が、1~2割程度になっているぐらいです。東大は、一般教養の代わりに、シンフリ制度最初は全員教養学部に属し、1年~2年前期までの成績で、他の学部学科に転籍する進学振り分け制度)を取っているので、学部・学科によって、論理操作能力の高い人の全体に占める比率は大きく異なります。シンフリ点数の高い学科は、やっぱり、論理操作能力の高い人が多いと思います。シンフリとかシケプリシケタイシケ長かいった言葉を知っていることは、僕が実際に東大卒である傍証にはなると思います。

追記2:

言いたいことが伝わってこない、という人が何人かいるのですが、そういう方は、どこが悪いか教えていただけると幸いです。理系出身なので、各段落の1文目をキーセンテンスにして書く点や、曖昧性がないように書く点だけは気をつけて書いているつもりです。文章が長い(冗長性が無駄に高い)のは、校正してないのでしょうがないと思っています。

追記3:

何で「論理操作能力」っていう言葉定義しただけで、こんなに反論が多いのだろう。とりあえず、「論理操作能力が高い」=「与えられた前提から単位時間あたりに論理的な推論を用いて導き出せる有意義な結論の数が多く、また、その推論が精確なこと」と定義しておく。単に論理的な推論がたくさん出来るだけ(=論理演算能力が高い)では、コンピューターの方が人間より優秀だということになってしまう。論理的な推論を重ねて、「有意義な結論」を見出さなければならないから、「操作」という言葉を使った。また、人間は推論を間違えることも多々あるので(例えば、A→Bが、議論を進めていくうちに、B→Aも成り立つことになっていたり)、推論が精確であることも重要なので、「推論が精確なこと」を定義に含めなければならない。

コミュニケーション能力」とか「国語力」とか「人間力」とかよりも、ずっと精確に定義できていると思うのだけど、何でこんなに反発を食らうのか分からない。

追記4:

英語を使うと冗長すぎるって言われそうなのでやめておいたのだが、やっぱり、書くことにしてみた。操作は、"operation"の意味で使っています。"operations"のように複数形に出来ることが大事。まぁ、"manipulation"の意味でもよいかもしれない…これも、"manipulations"にできるからね。"control", "exploit"の意味では使っていません。

追記5:

ところで、上条当麻イマジンブレイカー論理操作能力の一種だと思います。今週の禁書IIも見てね!!

2011-01-21

鳥取から上京した情報処理が追いつかなくて頭がオーバーフローした

どんだけあっちにいたときの俺はお花畑だったのそしてのどか

2ちゃんねるにこもって日本平和ボケしてるとかなんかそれっぽいこと語って良い気になってた場合じゃなかった

なんだよあの複雑怪奇な作為的ペテン構造

そこに何の意図があるのかとか考え出すとそこでたたずんだまま行動するための解析が止まってしま

一週間ほど滞在してみたがなんだあれはお前らどんだけ高度な世界で生きてんの?俺とお前らの世界どんだけ違ってたんだよ?w

鳥取で俺を生んで育てた両親及びそれに何の文句もつけなかった一族とかは冗談抜きでくたばってほしい もうなんかこの時点で予感できる 得に社会に影響を及ぼすことができないまま俺のシナリオ終わりそう

国家ってこういう意味で顛覆可能だよって語れない奴は為政者になって欲しくない?ああそういうことかよつまりは 10年以上前教育しとけそれぐらい

2010-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20100828182728

&gt;可読性および処理速度、オーバーヘッド的な意味オブジェクト指向は駄目って言ってるんだろ

普通はこの1文で納得できるもんだが

ひょっとしてプリプロセッサ言語では「翻訳」が行われる事とか、オブジェクト指向的な処理をするのは最初コンストラクタが走るのでオーバーヘッドがかかる事とか、いちいち全部情報処理専門学校に入りたてのガキに教えるように教えないと全く判らないかい?

2010-08-27

差別

ネットでは在日差別ばかりが取り沙汰されるが、他にも同様の差別はあるんだよ。それに多くの人間無意識に関わっているのであり、どれかをNOというならすべてにNOと言える態度が当然求められる。逆に言えば、これは差別だけどこっちは差別じゃない、というのは絶対にあってはならない。考え方の多様性は自己矛盾を保証するものではないからだ。

差別はたいていが各々のレベル定義される閉じた共同体において、その構成員が予め備えているとされる資質(それは大抵が曖昧であるが、「ふつう」「常識」とするものが多い)を欠いた者に対して行われるケースが多い。

差別は、

などに分類されよう。差別とは「区別と序列」が前提にあるのは明白である。自分が他人と同じなのか、違うのか、また上なのか、下なのか、を認識してそれに見合った振る舞いをすることは、社会では必須のスキルである。

たとえば、自分と同じ共同体で、自分より上だ、と思う人には正の差別を、下だ、と思う人には負の差別を行う。しかしながら自分と異なる共同体場合はそうとは限らない。人類が考える最大の共同体は、今のところ地球であるから、異なる国家を超えて評価されている人物は、人類地球という枠組みで評価されていると言ってよい。逆に言えば、自分と思想が相容れない共同体の牽引者は、立場が上でも強烈に批難することがある、ということだ。

それに見合った振る舞い、というのは同調圧力と換言できる。共同体の中の役割を演じることで、共同体の他の人から承認されるのである。それをしないものは共同体内の自浄力によって排除されるだろう。これを村八分いじめ、叩きという。


差別糾弾したからと言って、逆差別の正当性が保障されるわけではないことを意識する必要がある。一度差別されたから、と差別し返すのは何も許された話ではなく、同じ穴の狢に身を落とすことにほかならないことを、理解する必要がある。

また、ネット上では多くの情報が行き交い、個人レベルでの情報処理能力が問われることになる。そこで、一部はレッテル貼りをすることで対象を矮小化し、処理しやすくしているようである。もちろんそれは処理された側からすれば不当なものにされる可能性が多くあることは言うまでもない。

2010-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20100805021227

雇う側に立ってみて考えてみると、理由なんか分かると思うよ。

自分志向にかかわらず

そこにある仕事しか選べないのだから

特別な思い入れや動機などあるはずもない。

にもかかわらず、志望動機は述べなければいけない。

志向とか言ってるけど、そもそも、あなたは何が出来るの?

例えば簿記資格を持っていて、簿記ができるからその会社の経理につきたいとか、

情報処理資格を持っていて、プログラムが組めるからプログラマになりたいとか、

そういう自己能力を説明して欲しいってことだよ。

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