はてなキーワード: 恥部とは
「6.11新宿・原発やめろデモ」において発生した、20歳学生に対する集団リンチ
「6.11新宿・原発やめろデモ(http://611shinjuku.tumblr.com/)」において、20歳の学生に対する、集団リンチ事件。
「ヘイトスピーチに反対する会」有志
柏崎正憲 栗原学 常野雄次郎(@toled) ほくしゅ(@hokusyu82) 山口素明 ほか2人
こんな欺瞞を、すぐツッコミが入るネットで書いて意味があるのか?w お前はアホか?w
なにが「ゲームに高じる(「興じる」はキョウジルって読むから覚えとけ)楽しい時間を提供」だw
射幸心に突き動かされて判断力なくした人間が張り付いてるだけじゃねえか。
なにが「運のいい人は景品だってもらっている。」だw
そんなものが目当てじゃないことは誰でもわかってるよなあ~?
宝くじとおんなじにしたいならパチンコ潰して国営の賭場でも作ればいいじゃねえか。
もしくは更にギャンブル性を低く・興奮させないようにする指導を受けるか。
なに怒り狂って他人の趣味に口出ししているんだか。
これもシャブなり阿片なりを当てはめて読んでみりゃいかに隙だらけの擁護かわかるだろ。
駅前に賭場があって。
(これだけでも異常だが、人口比を考えりゃさらに異常なのがわかるだろ。)
そしてパチンコを擁護しようと思ったらそれほど嘘やデタラメ並べないといけないってのが
病理の全てをあらわしてるともいえる。
http://anond.hatelabo.jp/20100917094022
以前にも似たような内容を書いたのだけど、
またちょっぴり有名な人にフォローされてしまった。
前回の日記より、その有名な方は未だに私をフォローしてくれている。。
私はいつか私の底の浅さにでも気がついてくれるか、
もしくは私のtweetの多さに嫌気がさして
結構すぐリムーブしてくれるかと思っていた。
が、しかし。
ありがたいことに、未だにフォローしてくれてる。。。
実はその方にフォローされるようになってから、
前のようなくだらなすぎる内容はあまり書かなくなった。
大半は取るに足らない内容を多くつぶやいていた。
(自然とそうなってしまった。だって学生時代からのファンだったから。)
tw数を減らしたと言っても、一般的に少ないほうでもないと思う。
ま、今でもいつリムーブされてもおかしくないとは思ってるし、
いつかリムーブされる日が来たら、
twitterの良さは、芸能人も企業も素人も政治家も対等な関係であるということかもなと思う。
それは分かっているのだけど、
嬉しいことのはずなんだけど、
やっぱり気が引けるw
私のような素人のつぶやきなんて見てもおもしろくないですよ?って思っちゃう。
私はtwitterに直接の友達がいないのだけど
私を慕ってずっとフォローしてくれている方も数名いらっしゃる。
つぶやいたりできるのであって、
今回また別に少々有名な方にフォローされてしまった。
私がその方のブログのファンで、
挨拶がてら返信させてもらったのだ。
ラッキーなことに、返信を頂けて、それで終わりかと思ったのに・・。
気がついたら、フォローをしてもらっていた。
念のため確認をしたが、その方もフォロウィーを極力厳選してる人だった・・。
考え方も大人でとっても素敵な人なので、
その方が私をフォローしただなんて目が回りそう。
私なんかと違ってポジティブな人なので、
あまりにもネガティブなこととか言えない気がしてきたw
私の恥部を見られるようで、かなり恥ずかしすぎる。
だからって、「私なんてフォローしてもしょうがないですよ、へへへ・・。」
と言うわけにもいかず。
自分が好きな有名人や芸能人だと、ちょっとそういうわけにも行かず。
ありがたいことだし、悪い話じゃないのだけど、
リムーブされたら、結局なんだかんだそれなりに傷つきそうだしw
多分、今後もつぶやく内容は変わらないだろうけど、
私のろくでもないつぶやきが、少しでもその方々に読まれる可能性があると思うと、
恥ずかしいし、恐縮すぎる。。。
違う意味で、twitterのつぶやく内容が制限されちゃうっていう。
気にしなくても良いと思いつつ、ちょっと動悸が・・w
生活を潤せとでも神様がお導きでもしてくれてるのかな。。。
なんで君はこんな遅くになって、こんな手紙をよこすのか、そう君は思うのだろうね。理由は単純だ。君が自己満足の為に僕に書いて、僕によこしたように、僕も自己満足の為に書いて、君に送る事にするよ。それにあたって、ただ一つお願いがある。どうか返事を書かないで欲しい。僕にとって君との関係はキラキラとした美化され、風化された思い出というよりはむしろ、呪いや呪縛に近いのかもしれない。僕は君との関係を思い出す度、罪悪感に苛まれるんだ。この行為は別の言葉に変えるならば、償いに近いものかもしれないと思う。無論、こんな自己満足の手紙を送った程度で、僕の行いは贖われるとは思わない。
最初に謝っておきたい。僕が非常識な行いを行ったのは重々に承知しているし、そのことを忘れた事なんて一度もない。あれは責められるべき事だったと思うし、君がそう判断するのももっともだと思う。君は疑問に思うだろう。なぜ何もしなかったのかって。率直に言うと、君の中に抱いている僕と、実際の僕自身の落差に驚き、その砂上の楼閣を維持すべきか逡巡したあげく、何も選び取ろうとしなかった、つまりは自分が傷つきたくなかった、そして君に対して臆病だった。
僕は確かに、友情以上の意味を込めて、好きだ、と言った。そんな言葉を言ったのは生まれて初めてだった。その時の君の表情の移り変わり、春の穏やかな周りの風景、部屋のオブジェ、机に彩られた食事。全てを色鮮やかに思い出すことができる。君の手を握ったときの、ちょっとひんやりとして、僕よりも小さな、可愛らしい手の形や、僕の一挙一動にあたふたしてこじんまりとした小動物のようにコミカルでコケティッシュな君の仕草は、今でもまるでそこでの一部始終が8ミリビデオで撮られていたかのようにを鮮やかに思い出すことができる。そこで僕は確かに好きだと言った。しかし、本心では無かった。僕はしばしばそういった必要もないのに、そういった類の愚かな過ちを犯す事がある。しばしば、僕は人に嫌われたくないと思う余り、本心から乖離した行動をとってしまう事がある。そしていつも後悔する。学習しないのだ、僕は。それにしても僕はあまりにも軽率だったと思う。
君との関係を継続していく気がなかったと責められていても仕方がない。僕は君が思うほどに倫理的な人間でもない。君が思うほどに、自分が何か価値のある人間だなんて今の際まで思ったことは一度もない。世界からある日突然僕が消え去ったとしても、多分何の変哲もなく世界というものはそれまでと変わらぬ歩みを続けるのだろう。君はそんなことないって言ってくれたのは、とっても嬉しかった。それでもこの考えは変わらない。でも、あんなにたった一人の人について想いを巡らせたのは、初めてだったと思う。僕の周りの人間は、喩えて言うのであれば旅の途中にふとすれ違う、街角の風景みたいなもので、人生の短い時間を共有しては、時間という川の流れに押し流されるような、刹那的な存在だった。僕はそのまま、生涯孤独のままに生きていくのだろう、そう思っていたし、君に会うまではその考えは揺らぎすらしなかったんだ。それは僕の土壌の中に大きく根を張って、巨大な木へと成長していた。
君みたいな人間は初めてだった。君とのメールでのやりとりはとても楽しかった。君からメールが来る度に、思わず口笛を口ずさむほどに嬉しかったし、この時間が永遠につづけば、なんて今考え直すと陳腐な事を考えた。傍から見たら馬鹿げているのかもしれない。でも僕にとって君と僕との関係は、それこそ実存をかけた問題だったし、真剣だったし、真摯にとりくまねばならないことだった。君みたいな素晴らしい理解者を得られた事は、多分神様の贈り物だったんだって心から思うんだ。なんでそんな得難い関係を保っていた君から僕は離れていったのだろうか。聞くに耐えぬ理由だと思う。君はそれを聞いたら怒るどころか呆れるだろうから。無論、なんの矛盾も抱えていない人間は世の中にはいないだろうけど、それにしたって限度がある。僕は矛盾した人間だとこの時ほど思ったことはない。
僕はあれほどまでに苦しめた僕に対する過剰な信頼と、敬意と好意と愛情を・・・失うのが怖かったんだ。だから僕は結局言うに言えなかった。だってあんなに手酷い別れになったにも関わらず、最後にこんな綺麗で美し過ぎる手紙を受け取っては、返そうにも返事が出来なかった。それを行う事は、恐ろしく酷いことのように思えたんだ。知らなくて良い事もある。もちろん、率直な想いを打ち明けるという選択肢もあったけれど、僕はそれを選べなかった。これが君に対するせめてもの償いなのか、それとも病的な利己心のなせる業なのか、僕には分からない。ただ君はとても悲しんでいるに違いないだろうし、その上に辛辣な言葉を浴びせる事は、もはや暴力であり、君に対する最大級の冒涜なんじゃないかと躊躇してしまったんだ。
君の言動に違和感があったわけじゃないんだ。君はメールのやり取りを介して、僕が想像した以上に君らしかった。どこか、違うだなんて違和感を感じた事は一度たりとて無かった。ああやっぱり、まさか君はそんなことで僕が君を諦める、なんて思わなかったんだろうね。だからこそこの言葉を言うのが辛い。一年以上もの間、君に返事の一通さえも出せなかったのは、とりかえしの無い事をしてしまったという罪悪感と、なんて空疎な事に時間を費やしてしまったんだろうという虚無感から逃れるためだった。
誤解しないで欲しい。君が空疎だとか、薄っぺらいとかそういう意味じゃない。むしろ逆だ。無邪気で純粋な君に接しているうちに自分のどうしようもなく矮小な部分や目を覆い隠したくなるような恥部を覗かれる恐怖に怯えて、逃避しただけの哀れな男なんだ。
恐ろしく動物的で、独善的で醜い。僕は自分自身のそういったどうしようも無く、醜くて矮小な自分自信を受け入れることができなかったんだ。だから僕は君との関係を拒否した。逃避した。切断した。逃げ出した。
僕は君と付き合う、その可能性ももちろん考えた。それは一見とても素晴らしい事のように見えた。だって僕の短い人生の中で、これほどまでに心を通わせる人なんていなかったから。君を失ってしまう事はとても辛いことのように思えた。でもそれは出来なかった。僕の心が拒否していた。君は僕といつまでも過ごしていたかった、そう言ったね。でも僕はそうじゃなかった。あの空間がとても-そう、とても重苦しいものに思えたんだ。心に重石が乗っかったようだった。いつまでこの狂った芝居を演じなければならないんだろうといっぱいいっぱいだった。帰りの電車の中では今までに経験したことのないほどの疲労感が襲った。
君がセクシャルマイノリティであることや、君の家庭環境とかに、違和感を感じていたわけじゃない。そういう人間がいたって可笑しくないとは思うし、僕はそこまで差別的思想に凝り固まっているわけではない、と信じたい。理由はもっと別のところだ。多分、僕がもっと思慮深く、善良でもっと本質的に物事を考えられるのであればこんなことにはならなかったと思う。しかしながら実際の僕は君が考えているほどには素晴らしい人間ではなかった。
しかしながら、結局のところ差別主義者と誤解されざるを得ないような酷い最後になってしまった事については、釈明のしようもないと思う。君を尊重すべきと考えるならば、それは絶対やってはならない類の行動であったし、今でももっといいやり方があったんじゃないかって思ってる。結果が似たようなものであれ、それに至るまでの課程が全く違うものであれば、たぶん、君もこんなに傷つくことは無かっただろう。
君がとても辛い人生だったのは察するに余りある。出来ることなら傍らにいて、君といつまでも一緒にいられれば良かったのだけれど、恐らく僕では分不相応だったのだろう。あのときは悲しみに暮れていたかもしれないけれど、僕なんかよりきっと素晴らしい伴侶が見つかる事を確信している。君の本質に触れれば、君ほど繊細でピュアな心を持ち、尚且つ魅力的で素敵な人間なんて早々いるものではないということを理解できるだろうから。この手紙が自己満足なのは言うまでもないが、君の幸福を祈る気持ちだけはどうか理解してもらえたらと思う。君の存在は唯一無二のもので、僕にとって特別であることはこれからもずっと変わらない。これからの君の人生が幸溢れるものでありますように。
私は元々、赤木智弘氏が「アグネス・チャンの『二次元』児童ポルノ規制論は、当の児童の『性的主体』としての権利を侵害している」と発言したことが、「フェミ」系の人を中心に批判されていることを中心に違和感を覚えたわけです。しかしながら、そういう批判をしている人たちは従来、「中高生はセックスするな」という意見があれば反発する層と重なると思え、どうしてそんな矛盾したことを主張できるのだろうという従来のイライラが噴出したということでした。
その層が重なるか、確認しましたか?
具体的に確認しましょう。
それをしていないのであれば、ただの印象ということですね。
私はこの種の、「世の中が全体としてトチ狂ったことをする」ことが何よりも嫌いです。児童ポルノ過剰規制は反捕鯨運動や北京五輪の時の犬肉禁止運動、そしてスカーフ反対運動と並んで、現代西洋社会の最大の思想的恥部だと私は思っています。そしてここでも鹿鳴館根性が働いている日本という国が情けなくて仕方がありません。
あなたがトチ狂ったと思われるのは自由ですが、私はトチ狂っているとは思いません。
例えば障害者、高齢者、また女性も保護されていますが、主体を認めないのですか?
主体たり得る人間に保護は必要ないというのは、あなたの思い込みです。
何度も言うように、「禁止されていれば入手できない」というのは飛躍が過ぎると思いますし、同じことをもう一度言いますが、現状ではポルノだって禁止されているはずですよ。必要なのはその程度のザルな「禁止」であって、それ以上でも以下でもないと思います。
ちなみに、酒なんて誰でも平気で買えるものだと思っていましたが、それは初耳です(そういえば最近、私も一度スーパーで年齢訊かれたことがあります。既に二十代後半なので唖然としましたが)。それは明らかに度の過ぎた過剰反応ですね。
あなたはかつてこう書きました。
欧米の過剰規制(アグネス・チャン並の)が日本にも導入される日は決して遠くないでしょうし、未成年者の飲酒に対して世の中がこれほどまでに手の平を返した以上は(プロ野球の優勝記念の「ビールかけ」に19歳の選手が参加できない時代ですよ)、案外抵抗もなにもなくビクトリア朝並の世界がやってくるような気がしてなりません。
あなたの理屈に従うのならば、コンドームを買うときに年齢確認される日も近いでしょう。
「自由」には必ず「自己責任」が伴うわけで、判断力が十分でない年少者にはこの原則を当てはめることは不適切だと考えます。
たぶん、ここがあなたと私の最大の違いなのでしょう。
13歳がセックスをして、なんらかのデメリットを引き受ける事態になったとして、私は引き受けたところですでに責任を果たしていると考えます。
ただ、13歳としては過大な責任を負わざるを得なくなるため、教育が必要だと考えています。
また、児童ポルノ製造・買春は規制すべきだと考えるのも、彼らかが負えないレベルの責任が生じるからです。
石原慎太郎がタカ派の最先鋒であることは、七生問題やフェミ(というより女性問題家ですが)とのケンカを語る上で、その背景として最低限知っているべきことです。
それについて何も語らない一般の人と、それをベースに自分の意見を語ろうとする者の間には決定的な違いがあることを理解してください。
最低限の背景も知らず、最低限のソースもあたらない人間が、誰かに何か説くことは出来ません。
あなたが語る相手に対して、それが失礼に当たるということはわかりますか?
ごめんなさい、元々自分が何に苛立っていたのかが、話題が発散してよくわからなくなってしまったのでもう一度整理しておきます。
私は元々、赤木智弘氏が「アグネス・チャンの『二次元』児童ポルノ規制論は、当の児童の『性的主体』としての権利を侵害している」と発言したことが、「フェミ」系の人を中心に批判されていることを中心に違和感を覚えたわけです。しかしながら、そういう批判をしている人たちは従来、「中高生はセックスするな」という意見があれば反発する層と重なると思え、どうしてそんな矛盾したことを主張できるのだろうという従来のイライラが噴出したということでした。「主体」に対して保護はあり得ないのだから、児童ポルノ規制と性行為禁止はセットであるべきだし、酒やタバコと同様の理由でこの両者はセットで規制すべきだろうというのが私の意見です。
あなたは七生事件をご存じであった、それどころか増田で書かれていたという記事を読みましたが、「知らなかった経緯」と書かれるのはなぜでしょう?
知っていたけれども、それが宗教原理主義(具体的には統一教会?)的な意味での「純潔教育」と結びついていたとは初耳だったということです。私は単に、身内に障害者がいたので、養護学校ではあのような試みがあることも知っていたから「糾弾動画」を見てああいう記事を書いただけです。そういう予備知識なしにああいう動画を見せられて「狂信的フェミニストによるやり過ぎの事例」とか言われればその通りなのだと思いこんでも不思議はないだろうと思いましたし、石原はそういう勘違いをしただけだろうと思っていました。身内のタカ派議員あたりからそんなことを吹き込まれたではないかと想像したわけです。それ以上の政治的背景には関心も知識もありませんでした。
しかし、例えばコンドームはなくてもセックスできます。わざわざ身分証明書を借りてきたり偽造したりしてまで(現状で高校生が酒を買う方法です)、コンドームを買うかというと疑問です。がんばらないと入手できない状況を作ることは危険です。できれば、未成年には無料で配布したいくらいですが、禁止されていれば無理ですね。
特にピルは処方薬ですので現状でも医師の診察が必要であり、入手は困難です。法的に禁止されれば入手は今以上に困難になります。
何度も言うように、「禁止されていれば入手できない」というのは飛躍が過ぎると思いますし、同じことをもう一度言いますが、現状ではポルノだって禁止されているはずですよ。必要なのはその程度のザルな「禁止」であって、それ以上でも以下でもないと思います。
ちなみに、酒なんて誰でも平気で買えるものだと思っていましたが、それは初耳です(そういえば最近、私も一度スーパーで年齢訊かれたことがあります。既に二十代後半なので唖然としましたが)。それは明らかに度の過ぎた過剰反応ですね。
あと、ピルは外国では処方なしで買えるものだと思っていましたが、調べてみてそうではないことがわかりました。そうだとすると少しそこは裏口を考えなければいけませんね。医者には守秘義務があることを強調するとか。
で、建前として18歳未満はセックスを禁ずるべきと言う論ですか。
18歳未満とは言っていません。年齢制限については低いに越したことはなく、たぶんあなたの言うように15歳ぐらいが適当でしょう(元々、議論の発端は「13歳」だったわけで)。要するに、体が未成熟で妊娠が生命の危険を生じさせ、また社会的に子供を育てる能力もない状態では保護が必要であり、その保護の一手段として禁止が必要であるという理屈です。義務教育が原則15歳で終わることや女性が16歳で結婚できることなどを考えても、それ以上の規制は現実的に有害無益だと思いますし。
また、私も「出来る限り人間の自由は制限されるべきではない」という原則を信奉しており、たとえば実際の行動に及ばない限りは小児性愛者も性的少数者の一種にすぎないという立場から「非実在」児童ポルノは絶対に規制してはならないという立場ですが、「自由」には必ず「自己責任」が伴うわけで、判断力が十分でない年少者にはこの原則を当てはめることは不適切だと考えます。
ソースは検索したけれど発見できなかったので提示ありがとうございます。しかし、この話にはキリスト教原理主義ないし何らかのイデオロギー性を読み取ることは不適切でないと考えます。成人が同じことをすれば、「猥褻物陳列罪」にしかならないはずで(しかもその成立要件は確実にもっと狭い)、それがもっと重罪で裁かれるのは明らかに法の濫用ではありませんか。
私はこの種の、「世の中が全体としてトチ狂ったことをする」ことが何よりも嫌いです。児童ポルノ過剰規制は反捕鯨運動や北京五輪の時の犬肉禁止運動、そしてスカーフ反対運動と並んで、現代西洋社会の最大の思想的恥部だと私は思っています。そしてここでも鹿鳴館根性が働いている日本という国が情けなくて仕方がありません。
死にたいって気持ちは、本当は生に対する執着だと思うんです。
理想とのギャップが想定以上にかけはなれすぎて、ギャップを埋める想像力に欠けてるから、逃げたくてそういう思想に行くんじゃないかって。
でも本当に死ぬ人はそういないだろうし、僕もそんな状態だ。
別に本当に消えたいわけじゃない。でも何も希望を見出せなくて。
それに本当は希望は転がっているはずなんだ。
生きたい。生きたい。生きたい。本当は生きたい。静かに生きたい。
でも、きっと今の幸せに気付けない僕は静かに穏やかに生きても、その幸せに気付けないのかもしれない。
それでも今は生きたい。本当は他人を犠牲にしても生きたい。もっと本音を言えば誰も犠牲になんかしないで生きたい。
とにかく静かに幸せに生きたい。
心配は要らないよ。優しい人は心配しちゃうからね。言っておかないと。
消えたいわけじゃないからね。僕はむしろ生きたいだけだし。
理想がちょっと高いだけって頭ではわかってるんだ。
もちろん恥の感情自体がなくなるわけじゃないんだけど、原始的な生活を持続している部族の人とかで、子供に恥部見られた父ちゃんが、恥のあまり自殺してしまった、とかがリアルにある世界みたいだから(うろ覚えでスマん)、恥のレベルが根本的に違うと思うんだ。
あと空気嫁に関しては、日本が若干特殊というか、「日本は原始社会から中央集権社会への改革があまり行われないまま、資本主義社会制度を輸入して取り入れたせいで、罪の意識が低く、恥の意識が強い、やや特殊例」という説を前提に考えているので、日本社会にそのまま当てはめるとアレかも。
衝動がなければ云々に関しては、最終的にはちょっとした「知的好奇心」と、「死ぬか生きるかなら生きる方を選ぶ程度の生存本能」くらいは残らないと何も出来ないと思うけど、逆にそれくらいさえ残れば、脳みそで色々考え倒した理屈を、プログラムとかで機械にさせるような、そういう形なら成立するんじゃないかな、というか強い行動を伴う衝動でしかできない仕事ほど、機械化がされるのが早いジャンルだと思うんだ。
あ、あとあんな長い文章読んでくれてマジthx
http://anond.hatelabo.jp/20090204213106
気持ちはわかる。「テレビに映っておいしい」とか言ってる芸人に妙な同情はいらないってのもわかる。問題は笑いの質だよ。「相手の自分ではどうしようもない理由で起こっていることを笑う」という感性を育ててはいけないんだ。その小人の話だって問題は興行が出来なくなったことではなくて、自分たちを笑い者にするという方法でしか、お金を稼ぐ方法がないということだ。真にお笑いのセンスがあるのなら、別に奇型な部分を強調しなくても、いずれ出てくる。見たいという人が居る限り、見せる場が出来るのが芸ってもんだ。子供は教育次第でどうにでもなる。昔は良かったんだ。だって、差別ったって、誰もが差別するのが当たり前だったから、差別主義者だから嫌がられるなんてことはなかった。今は「差別するのは悪いこと」という意識が浸透しているから、自分の差別意識を隠しておかなくてはならない。だったら、最初から差別意識など育てないほうが良い。もし、あなたが自分の恥部を見せないと生きていけないという状況になったら、あなたはどう思うのか? 隠れて泣くから、とりあえず金くれと言うのだろうか? それとも、そんなことをしなくても生きていける社会にしてくれと思うのだろうか?
ちょっと想像力が足りないんじゃないか?
仮に、自分がアイヌなり何かの少数民族だったとして、今はまぁぬるま湯状態としても、
数百年間、社会的地位は低く、言語も文化も様々な形で奪われてきたとしたら、
なにかこう、叫びたくなる気持ちはわからないものだろうか?
俺も、「今の若者」みたいな個々人を批判するのは、ちょっとおかしいと思うよ。
批判を正面から受けなければならない。
それに、たとえばあなたなり私なりが、
日本の国のこれまでの業績やら偉業やらを(日露戦争でもトヨタの自動車生産世界一でも何でもいいが)
自分のもののように誇りに思うのなら、
国の失敗や恥部も、われわれはやはり背負うべきではなかろうか。
http://www.infaspub.co.jp/studio-voice/back_issues/2007/sv-contents0702.html
お前らが何度’80年代を総括しようとも俺は付き合ってやる。
金出して買ってやる。
が、お前らが一度たりとも「テレビ」を’80年代カルチャーとして
正面から向き合わないことを何度でもせせら笑ってやる。
特に「お笑い」に関して、ひょうきん族・ダウンタウンの間に位置する
「とんねるず」に関して、論じようとしないことを覚えていてやる。
’80年代の「ダサい」部分を一手に引き受けていた
あの芸人をなぜお前らが論じることをできないか俺は知っている。
あと交渉と後処理が面倒臭えだけじゃねえかよ。
それ以前にテキストできるエディターとライターがいねえだけじゃねえかよ。
それ書いたらお里が知れちゃうことにビビッてるだけじゃねえかよ。
所詮、自分の恥部を晒されたくないお前らのことを
ずーっと覚えていてやる。
’80年代なんかな、トレンディドラマと、とんねるずなんだよ。
まずそれをわきまえてから語りやがれ。
文句あんならなんか言ってみやがれ。
QJもつまんねえぞ!