はてなキーワード: 恋愛資本主義とは
自分にとっての結婚観は、センター試験のスコアリングに似ている。
主要科目の容姿、収入、性格、親族家庭、財産の500点満点で一定スコアを上げないと、そもそも足切り食らって結婚できない。
ちなみに自分の基本点はこんな感じ。
こりゃ結婚できないだろ。それこそ聖母様のような女性でもなければ、こんなのと結婚するわけがない。恋愛資本主義でいうところの破綻した会社の株みたいなもんだな。
なので、親族家庭以外の科目を補えるように、少しでも他の得点を伸ばすことが結婚への近道だという認識。やせて、性格のゆがみを直し、収入を上げるべくキャリアアップに励み、貯金を作る。
結婚したいけど結婚できない男ってのは、結婚に興味ない男以外では、この得点を伸ばす最中か、得点を伸ばすことを諦めた男が地味に多いんじゃないかと思う。
メインは異性アイドルと交際している同性の具体像を知ることで、アイドルが居る階級と自分の階級とのギャップが可視化されてしまうからだと思う。
「アニメ好き」という共通項を持つことで親しみを感じていた女性声優が、今どきなルックスのイケメン俳優と付き合っていることが判明し、
急に遠い存在に感じてしまうような感じ。場合によっては期待させておいて裏切られたような怒り。
恋愛資本主義的に言う「資本」をどれだけ持っているかという階級格差は、同性間だとわかりやすいけど、
ありがちなのが、「あの子は可愛いけど服装が地味だから自分と同じランクだろう」とか、
「あの人はイケメンだけど引っ込み思案だからあまりモテないだろう」といったもの。
無意識に、自分にもイケる!と考えようとしてしまった結果だと思う。
そういった、ただでさえ起こりやすい勘違いを、少女漫画等の恋愛コンテンツが助長する。
少女漫画でも少年漫画でも、読者が共感できるようなせいぜい"中の下"といったような受け身キャラの主人公が、
学年一の美形やらアイドルやら遥か高みにいる存在と対等に付き合い、恋愛関係になるようなものが多い。
どうしてこういう話が美化されるのかわからない。調子に乗った読者が悲劇を生みだすだけだと思う。
明らかに釣り合わない片思い、これって偏差値38の高校生が無勉で東大理三受けるような暴挙だと思う。
10年ヒキニートやってきた35歳中卒が三大メガバンクやトヨタやNTTに履歴書送るような愚挙だと思う。
そして不合格という結果を突き付けられ、そこで目が覚めればいいけど、逆恨みに繋がるリスクがある。
受験や就職での不釣り合いは愚挙だと認められるのに、恋愛での不釣り合いが美化されるのはどうして?
"美女と野獣は稀に発生する"…そんなの、男がブサイクでもコミュ力あったり運動できたり肉食だったり仕事できるパターンでしょ。総合的に釣り合ってるんだよ。
"本当に釣り合って無いカップルを見た"…中卒で大金持ちになる人だっている。例外は何にでもある。99.9%の失敗と共に。
どうして愚かな期待を持たせようとするんだろう。
「一縷の望み」なんていうけど、恋愛で使うその言葉は、キモイ。
不釣り合いな恋は、かなわない。
「追いつく」というプロセスを無視した創作が多すぎる。それらの創作にどっぷり浸かれば、現実の異性が打算的な悪魔に見えて当たり前。
恋愛コンテンツやアイドルコンテンツには逆年齢制限を設けるべきだと思う。
20歳以上は、閲覧禁止。
このエヴァ騒動によって一時、オタクは「萌え」と「サブカル」に大分裂した。「萌え」系オタクは、エヴァでいえば綾波レイや惣流・アスカ・ラングレーなどの萌えキャラにハァハァしていた純粋オタクの系統であり、「サブカル」系は、オタクよりも恋愛資本主義の側に擦り寄ってオサレ系を目指した連中だ。
だが、あれから数年、どうなっただろうか?
そう、サブカルは市場として成立せず、萌え市場だけが拡大したのだ。サブカルは短期間で事実上滅び、講談社のノベル雑誌『ファウスト』のような「半萌え・半サブカル」形態によってかろうじて命脈を保っているばかりとなった。
これは当然の帰結といえる。
オタク文化そのものが「二次元>>>>>>>>>>三次元」という前提によって威力を持てる妄想の文化である以上、サブカルが「三次元>>>>>>>>>>二次元」とやらかしたら、オタクの大勢がサブカルから離脱するのは時間の問題だった。
この「サブカル」ってのを「一部の批評系」にしたらしっくり来る。
萌えオタ罵倒してフニャフニャ主義だとか言ってた本人が、いざ容姿を出すと初音ミクの痛車よりも映像映えしないリア充ならぬリアル三十(さんじゅう)だったり、映像だと(字幕の向こうの群衆におびえて)大人しくなりキャラ崩壊してたりとゼロ年代批評はいろいろありました。
『電波男』は要するに「萌えには階級格差を無化する力があるんだ!」という本です。現在は『はがない』『IS』『けいおん!』など、良かれ悪しかれそうした表現が主流になりつつある。いかにも小泉構造改革以後の空気感みたいなのと関連付けやすい『カイジ』や『ウシジマ君』は有名になったけれど、なぜ彼らはアイドル(=偶像)になれなかったのだろう。
代わりにネットオタクの偶像となったのは『初音ミク』や『アイドルマスター』や『ラブプラス』それに『けいおん!』だった。
そして社会に出て自らの文化的アイデンティティを主張できたのは、『スクールカースト』ではなく痛車と聖地とローソンだった。そこにある想いは「余暇の時間まで勝ち組・負け組を意識させられ自己啓発されるのはキツい」というあたりまえのものだろう。
それすら許せん、となにかと理由をつけて萌えオタ罵倒してた件の人物は映像に出たらしょぼしょぼで(以下略。
映像やまとめサイトが「差異化ゲーム厨」への抑止力になるならば、少なくとも差異化ゲーム厨が野放しな環境よりは良いと思う。まあともかく萌えからフニャフニャ主義への流れなんてなくて、フニャフニャ主義こそむしろサブジャンルに過ぎないっつうか、萌えだけで刺激が足りない時に触れる程度。
ようするにゼロ年代は「差異化ゲームの思想」ではなく「無関連化する思想」が勝利した。2005年の段階でこのことを説明し得た『電波男』は、フニャフニャ主義本よりもよっぽどゼロ年代の「正史」を正しく語っている。
っていうか、何がむかつくって、「ただしイケメンに限る」「モテが憎い」「恋愛資本主義だ!」とかホザいてる非モテほど、恋愛至上主義に陥ってる点。
恋愛できなきゃ人生に価値がないと思ってるからこそ、「恋愛出来ない自分かわいそう」「恋愛してる連中憎い」って思考になるんだろ?
そもそもこれって、お金持ってないけど、お金こそが人生の価値だと思ってる奴が「貧乏な自分かわいそう」「金持ちの連中憎い」って言ってるのと変わらないじゃん。
で、お金だけが人生の楽しみじゃないって理解してる人間からすると、馬鹿らしいのよ。
僻んだって自分が金持ちになれるわけじゃないし、金がないなら、金を稼ぐか、金がなくても楽しめる人生を探すかだろ。
事実、金がなくても楽しそうな生活を送ってる人たちは一杯いる。
非モテどもも、この金の話くらいまでなら理解出来るだろ。
でも、それが恋愛の話になった途端に、ファビョりだす。
実際同じ次元の話なのに、恋愛だけは別格扱いしてるのが非モテ。
で、今回非モテだけを対象に書いたけど、非モテに限らず、努力モテとでも言えばいいのか? そういった層の、「お前恋愛充実してないなんて人生終わってんなw」ってスタンスもアホ臭いと思う。
成金が必死こいて金が全てだと思い込もうとしてるような感じで。
言葉を借りるなら、「天然モノ」と「生粋」は、恋愛以外に楽しみがあること知ってるからな。
その分け方からすると、俺は現在彼女がいるから「天然モノ」か、あるいは彼女いなくても構わないと思ってるオタクだから「生粋」のどちらかだろう。
で、その立場から言わせて貰うと、同じ趣味なのに、その趣味を、恋愛出来ないから逃げ道としてやってる奴は、無条件でむかつくんだわ。
俺がガチのサッカーオタクだとしたら、「WBC終わっちゃったしサッカー見ますw」「ボール投げるの下手だから、仕方なくサッカーやります」「彼女いないし暇だから草サッカーやります。彼女出来たらやめますw」とか言う連中が、むかつくようにね。
だって、そいつらは同じ「オタク」と呼ばれてても、決して仲間じゃねーもん。
「大丈夫ですよ。増田さんは出会いがないだけで決して底辺なんかじゃないですから」
おーしわかった!
出会い系に登録してみた!
土日に頑張ってみたよ。
いま面倒くさいみたいだね。
いまはどこも身分証明が必要で、ほとんど有料。
10年くらい前は友達募集掲示板とか恋人募集掲示板とかゴロゴロしてた気がするんだが。
犯罪に巻き込まれるケースとか、売春の温床だとかっつー話なんだろうけど、ならそんなもんイスラム国みたいに売春は死刑、婚前交渉は鞭打ちってことにしちゃえば全部なくなるだろうに。
アホらし。
でも頑張って登録したよ。
とりあえず恋愛資本主義社会における自分の価値の確認っていうことね。
そりゃもちろん期待もしちゃうけどね。
身分証明、振込み、等など。
返事こねえ。
やっときたかと思ったら、ごめんなさい的な短文。
出会い系にろくな男がいねーって聞いたから、そいつらには勝てっかなって甘くみてた。
あとさ、「真面目な出会いを求める人に」ってよく書いてあるけど。真面目な出会いってなにさ?
異性を求めるのって真面目っていや全部真面目だし、不真面目っていや全部不真面目だし。
じゃあ逆に真面目じゃない出会いって?
「滞在ビザが切れるフィリピーナのために結婚してやってください!対価は払います!」
みたいなやつ?
金払ったのにもう飽きてしまいそうだ。
「けッ! クリスマスなんて恋愛資本主義のハイプだぜ搾取されてろグミンどもぺっぺっぺっぺ!」
好きな人のことは今日が12月の24日だろうが13日の金曜日だろうがだいたいいつも好きだしプレゼントだって「これ似合いそうな」と思えばいつでも贈る(財布に余裕があれば、ね)。ケーキ食いたくなったらデパ地下ででも買って食うし、バカ騒ぎする口実なんて年に一度に限定なんかしなくてもいくらでも作れるようになったよ。
いやなのは24日なんて日付よりもっと大事な今しなくちゃいけないことが微妙に圧迫されること。買ってきたCD聴かなきゃだし本も読みたいしいつもの深夜TVでいつもの就寝前リズムをとりたい。あと「太陽の死と復活の祭り」っていう気分が忘れかけられてることもちょっとイラっとする(もう農耕民じゃないからしょーがないけど)。
んでやっぱり遠くの方で死んだ人は遠くの方で死んだ人で人は万が一じゃなくて万が万死ぬ。死に方は生き方だから残念な生き方を選んでしまう人は残念ながらやっぱりいる。人の生き方を妨げるつもりは特にない。次が出にくくなるようにシステムをどうにかしなきゃだけど、この国だけでも1億人いるからね。こういうのも大数の法則っていうのかな。まぁそれだけだ。
でもおれのなかではそれだけのことと了解が出来てるのにやっぱり不安定気味な友人をその話題性だけでグラつかせてしまうのはかなり迷惑。
そんな感じ。
でも、浮気や行きずりも含めて、一生のうちにたった1人の男
としかセックスしない子なんて滅多にいないわけで。
どうでもいいはなしだけど、うちのオカンは(いまのところ)明らかにそう。オトンがはじめての相手で彼氏。
80年代半ばに交際をはじめたようなんだけど、曰く、当時はいまほど男女交際が乱れていなかったと。
さすがにオカンのような例がメジャーではないとしても、付き合っても3,4人とかそれくらいで、なによりもセックスにまでおよぶカップルもそう多くなかったと。
こういうのって時代とか地域差がすごく大きいものだから、どこぞの社交界かキリスト教コミュニティあたりの例外的な話に思えるかもしれないけど、舞台は地方都市郊外の大学が密集する学生街。もっとヤリまくっててもよさそうなもんだけど、そうでもなかったらしい。
80年代ってポストモダン全盛でみんな差異に戯れってたんじゃないの、とか勝手に想像してたんだが。
あれかね、恋愛資本主義(笑)の完成にはバブルの到来を待たなければならなかったのかね。まだ恋愛が多少なりとも慎み深かった(?)時代の最後の徒花、とか。
以上、そんな母親に育てられたからかは知らんけどこのまえヤラハタ達成した童貞談。
ついでに。
史上最悪の儀礼とか調子乗って断言しちゃってるけど、それはあくまで今日的観点からのおはなしね。
女子を交換可能な財、として見なすなら決して間違っちゃいない。
http://d.hatena.ne.jp/Britty/20081217/p2
こことか読むとわかりやすい。性の悦びを知らなければ浮気する可能性は低減できるわけで、結果として血族の純潔性はいっそう高まる。
日本でも明治以前は、程度の差はあれこうだったわけでしょ。政略結婚とか。もちろんさっき書いたように時代・地域差があるけど。夜這いしまくりの江戸自体の一部農村とか。
そんでそういう発想の極北として女子割礼はあるのだけど(いやあ人間の知恵って恐ろしいねえ最初に思いついた某部族の父祖は偉大だよある意味)、西洋近代の価値観とは当然衝突するよね、と。
どんな文化にも独自の価値観があるわけで、それを尊重するのが文化相対主義なんじゃないの、と。それでも普遍的な倫理は成立しうる、という立場もあって、まあどうしても衝突するわな。
話がそれたけど、要は他のものさしを知れ、と。枝葉末節だがな。
いちおう断っておけば、俺個人としては女子割礼はナシだけど、それは俺が現代日本の文化に馴染み育ってきたからであって、よその文化がそういうことをしていることについては口出ししないよ、というのがスタンス。
……これって処女うんぬんの議論にも適用できんじゃないの? どんだけ罵りあったところで、結局は個人の内面の問題、「人それぞれ」としか。
それがなんでこんなにも気持ち悪く盛り上がっているのかといえば、実際のところは「処女厨きめえ」という罵倒の欲望だよね。ただ「きめえ」じゃ頭が悪いから、もっともらしく現実の例とか学問とかを引っ張り出してそれらしく見せてるだけ。
あと万人の万人に対する恋愛観の闘争。俺(私でも僕でもワシでもなんでも)はこういうふうに恋愛してきて学習しました俺なりのテツガクがありますだからおまえの恋愛観はおかしい、と。
リア充非難や恋愛至上主義・恋愛資本主義非難は、自分がそうなりたいにもかかわらずそうなれないのと、投影であると思う。つまり、恋愛できない自分を一番格好悪いと思っているのは自分自身で、一番恋愛至上主義にまみれているのは自分自身であるのだけれど、それを直視するのが嫌なので、自分が自分を貶めているのではなく、他者(リア充や世間)が自分を貶めているのだと考え、その他者を攻撃することによって、自己嫌悪を他者嫌悪にすり替えているんじゃないかな。
ちょうど、出世した人に出世してない人が「お前俺のこと無能だと思ってるんだろ」って言って、出世した人が「えっ?」ってなっているのと同じ構図だと思う。
自覚すべきなのはどっちなんでしょうかね。
実のところ、恋愛経験の多寡を基準にして人間を二つの集団に分け、その優劣や上下関係を問題にしているのは、他ならぬ処女厨や非モテ本人であると思う。
リア充非難や恋愛至上主義・恋愛資本主義非難は、自分がそうなりたいにもかかわらずそうなれないのと、投影であると思う。つまり、恋愛できない自分を一番格好悪いと思っているのは自分自身で、一番恋愛至上主義にまみれているのは自分自身であるのだけれど、それを直視するのが嫌なので、自分が自分を貶めているのではなく、他者(リア充や世間)が自分を貶めているのだと考え、その他者を攻撃することによって、自己嫌悪を他者嫌悪にすり替えているんじゃないかな。
ちょうど、出世した人に出世してない人が「お前俺のこと無能だと思ってるんだろ」って言って、出世した人が「えっ?」ってなっているのと同じ構図だと思う。
そういった側面はあるよねえ
だから結局、恋愛資本主義に対する反旗なのかもね、処女厨というのは
それも、非モテなんかよりももっと切実な
なんか悲しいなあ、という口ぶりから察するに、「原理主義者」という言葉がムスリムを貶めている、と感じたのかな。こちらにはそういう意図はないよ。
「原理主義」そのものには本来ネガティブな意味合いはないし、穏健なイスラム原理主義者も当然に存在すると思っていたので(イスラーム主義とかもっと偏見の少ない言葉を使う方がベターだったかしら)そういう批判はちょっと意表を突かれた。確かに原理主義者という言葉は、親イスラーム的な研究者は使いたがらない、という話は聴いたことがあるから、その点は確かに自分の手落ちだと思う。
「正しき非モテの教義に回帰せよ」「非モテの安寧とコミュニティを侵し、非モテを未開人として扱い、恋愛資本主義的な価値観で征服を試みようとするモテに、抵抗しなければならない」というような感じでまとめられそうな態度って、西欧によるムスリム国家の抑圧からの解放を訴える原理主義者の姿勢とダブって見えるなあ、という直感的で安直な態度で持ち出したことは事実だし、十分な検証・比較をした表現ではないのは非難されても仕方がないとこだなあ。まことに申し訳ないんだぜ。
あ、折角だから、増田がもっと詳しい人だったら、イスラームの現状について啓蒙していただければこれ幸い。俺も在学中にイスラム法の先生に教わった程度だから、そちらの方面に凄く教養があるわけではないんで。非モテトークからイスラームトークに発展する、そういう増田があってもいいじゃない・・・(遠い目)
違うんじゃないか。非モテの特徴は「俺はもてない」と外部に対して積極的に吐露すること。黙っているのは単なる「もてない人」だ。もてない人ではなく非モテが浮上してきたのは、もてない人の中の一部が、それを問題であると社会に提示したことにある。したがって、こう分類すべき。
とはいえ、非モテの特徴が吐露であるならば、主張による分類に分けてもいいのだが。