はてなキーワード: 性的志向とは
戸籍に記載されている情報を実生活のあらゆる場面で採用すること自体今は無理があるのかもしれない。
戸籍の性別を変更する場合生殖不能の手術をしなくてもよくなったらしいが、
そうすると子宮のある戸籍上男性に子宮頸がん等女性特有の疾患の検診の案内が届かないということも起こる。
今までも男性から女性に変更した人に子宮頸がん等の案内は届いて前立腺がんの案内が来ない等実際あったようだ。
戸籍や体を手術で変えても変わらない部分は人間あるわけで、戸籍の性別を変えたんだからそんなもん知らねえ自己責任だ、は逆に差別になるんじゃなかろうかという気もする。
戸籍の情報をそのまま実生活でも根拠にするのではなく、ある意味建前というか、願望含んだアイデンティティが記載されているに過ぎないということになれば
いろいろ解決するんじゃないだろうか?
結婚して名字を変える場合も、あくまで変わるのは戸籍上の名字のみ、新しく戸籍を作るにあたり決めたファミリーネームを記載しているに過ぎない、
そのため免許証、パスポートなどの本人確認書類も、銀行口座の名義も、勤務先に届け出ている名字も住民票もすべて出生名から変更する必要はない、
実生活上で名乗る名字は自由(仕事上では出生名の方がいいだろうし、子供絡みの付き合いなら戸籍上の名字の方がいいだろう)とすれば
論文の名前が変わってキャリアが途切れるとか結婚離婚が社内に筒抜けになる等の問題はなくなる。
女性でも経済活動を行うのが当たり前になると、名字を変えると不都合が生じる。本人識別という点で考えれば名字は変わらないものとするのが望ましいが
それはファミリーネームという考え方と衝突する。女性が外で働かないとか結婚が早かった時代ならともかく根本的に戸籍制度が時代の変化に対応できてないわけだ。
そこで、戸籍の情報をある意味では形骸化させることで解決できないかというわけだ。
なぜこんな事を思ったかというと、今回の性別変更の判決文で公衆浴場等は必ずしも戸籍上の性別で判断するのではなく、身体的特徴で判断するとあったからだ。
公衆浴場以外にも、スポーツ等出生した時の性別で判断するした方がよい場面はある。
性別変更に関しては、手術していない体が男性で心が女性の人が女湯に入りたい等言い出すわけがない、本物のGIDはそんなこと言わない、偏見でヘイトスピーチという意見や、持病などが理由で手術ができない場合もある、手術した結果見た目がさほど出生した時の性別と変わらない(体格や骨格の問題で)場合でも戸籍上の性別を変更した以上取り扱いに差をつけるのは差別以外の何物でもないとかいろいろとはてなでもX(旧Twitter)でも議論があるようだが、
個人的には本物か偽物か、GIDを装っているかどうかといった点は「精神障害の診断および統計マニュアル」第5版(DSM-5)からGIDが削除され精神疾患扱いではなくなった、生まれ持った性別に違和感を持つ「性別不合」になり、医師の診断を必ずしも伴うものではなくなった以上、あまり本物か偽物か、なりすましか等で喧々諤々と議論をしてもあまり建設的ではないように思う。医師が診断するといっても診断の根拠となるGIDという病名は今はもう存在しない。
生まれ持った性別に継続的に違和感を持っていれば性別不合の定義には当てはまるわけで、その度合いも性的志向(男が好きか女が好きか)も人それぞれ、体を変えなければ死んでしまう人、ホルモン治療までで十分という人、生まれ持った性別とは違うという証明があれば手術までは望まない、服装や髪形を変えて望む性別で扱ってもらえれば手術は不要という人も今の国際的な基準では全員性別不合だ。
なので外観要件については差戻しになったようだが、(陰茎切除などの)手術した人は女湯可、していない人は不可というのも今の性別不合に関する規定からいうとそぐわないので違憲となるのではないだろうかと踏んでいる。
とはいえ手術有無にかかわらず客観的に骨格・腰つき・体格等から体が男性が女湯にいたら、体が女性が男湯にいたら、居合わせた人は戸惑うだろう。子供の混浴可能年齢を7歳に引き下げたこととも矛盾する。戸惑うのは、恐怖するのは、勃起するのは差別と言ったところで知的面などで障害があったり、小さな子供、トラウマがある人、なんにでもエロを見出す思春期の子供が納得して適切にふるまえるかというと難しい(まあこれを言うとはてなーは周りを困惑させるような人は女湯にも男湯にも入るわけがないヘイトスピーチというかもしれないが、その一方当然に望む性別の方の湯に入る権利があるはてなーもいるのでこのように書いた。保身かと思われるだろうか?そうかもしれない。まあ保身くらいは許してほしい。賢くて優しいはてなーならわかってくれるだろう)。
ただ本人のアイデンティティは確かに男性/女性なのに逆の性別が記載されていることへの苦痛というものは確かにあるだろうから、
戸籍の性別は手術なしでも変更可能、ただし戸籍の性別をどこまで採用するかはその場面によってそれぞれ法制化するのが性別を変更したい人と
他の人の権利が衝突しないための落としどころかと。その辺りの法制化は多分「全ての女性の安心・安全と女子スポーツの公平性等を守る議員連盟」が行うのだろう。
戸籍の本籍地も実際の住所ではない場合も多い。皇居にしてる人もいるぐらいだ。
名字の記載も戸籍の性別もアイデンティティという意味では真実だが実務上・実生活上のありとあらゆる場面で採用するかは本人や周囲との問題も踏まえて
「身体違和のない性別違和」とか「内心の性自認」というものが何から生まれるかというと、
社会的な性別規範、性別役割(ジェンダーロール)からでしょう。
完全にジェンダーロールのない、性的志向も自由な世界では(身体違和のない)性別違和は生まれようがない。
社会の不具合を個人の不具合として押し付けられているのが、現在のトランスジェンダーなんだよ。
言い換えればトランスジェンダーは社会的な改善によっていなくなるべき存在なわけだ(もちろん、今違和に悩む人にいなくなれと言っているわけではない。概念としては無くなった方が良い存在だということ)
ジェンダーの差のない社会を目指していくべきなのに、こんな形でトランスジェンダーの人に違和を押し付けたままにする社会改革は間違っている。
結局性欲の強さは男女でも関係ないんやろうな。
性的志向と性欲の強さに相関があったらバイの男なんて殲滅対象でしょ。
問題は男の「力が強い」という性質が被害者の抵抗を乗り越えてくることであって、一般男性のゲイへの嫌悪は女性のキモいおっさんへの抵抗感と同列なわけよ。
一般男性のみなさんはレズもトランス男性も「ふーん」って感じで興味なくて、差別環状はゲイにしか湧かないんじゃないかなと。
だからLGBTQって括っても上の世代にはハッテン場の熊五郎みたいなイメージが染み付いてるし、劇作とかでもゲイの道ならぬ恋の抑制と反動としてのドロドロの執着を描かれることが多いので、ゲイへの嫌悪感が第一印象になっちゃうんだろうなと。
被害者も「力で負けた」っていう男の価値観の根幹を揺るがされるレッテルが貼られちゃうので、ゲイ加害はほんとうにあらゆる方向に最悪の影響を出すから困るわ。
たったいま歌舞伎役者の市川猿之助がおそらく無理心中?で両親が死亡するという痛ましい事件が発生した。
この事態を引き起こしたのは間違いなく週刊誌の行き過ぎた報道だ。
弟子にセクハラをしたという正義の旗の下に当該人物の性的志向がアウティングされた。猿之助氏の自殺企図は自分がしたことに正面から向き合わない卑劣な行いであったと言わざるをえない。
ところで、これと全く同じ構図で、左翼やLGBT活動家が同性愛者への人権被害の実例としてキャンペーンを張っている事件がある。一橋大学アウティング事件だ。
この事件ではアウティングされて自殺したと言われている同性愛者はLGBT活動家に被害者として喧伝されているが、死んだホモにつきまとわれていた被害者がやむを得ず同級生に相談せざるをえなかった苦しみはLGBT活動家のネガキャンによって全く隠蔽されている。
今日の市川猿之助の事件で彼が罪を追求されるなら、一橋大学アウティング事件でクズのLGBT活動家に「アウティングの加害者」とされている男性の名誉も回復されるべきと考える。
一昔前だと自分の身体的な性別に違和感を持った人のエピソードとして「男だけどリボンをつけたりスカートをはきたいと思っていた」とか「女だけどクラスメイトの女の子のことを好きになった」とかがあったけど、現代基準だと「スカート=女性」「女の子のことが好き=男性」というのは成り立たないわけで、これらは全く性自認には関係ないということになっている、ということだよね?(後者は性自認ではなく性的志向)
そうすると、「自分は【男】を自認している」の自認の根拠となる、【男】を揺らぎなく定義するものとは何なのだろうか、と思えてくる。
身体的特徴と性的志向、さらには社会的なステレオタイプイメージを無視したうえで、それでも「自分は女ではない、男だ」と言い切る人が持つ【男】の定義というのはどんなものなんだろうか。
そりゃあそうでしょ
受け入れてくれるかな、引かれるかな、と思いながら、様子を見て少しずつ自己開示をしていく
受け入れられなかったらあきらめる
べつに性的なことに限らない
https://anond.hatelabo.jp/20230316083855
https://anond.hatelabo.jp/20230316084129
https://anond.hatelabo.jp/20230316084258
ちなみに冒頭で触れた福岡地裁の名誉棄損判決に至った盗撮事件であるが、風呂、トイレ、パンチラなどの各種盗撮作品を扱うマーケットおよび撮り師が一体的に摘発されたもので、10億円の被害があったとされる。この判決では映像そのものではなく映像を紹介する文面が名誉棄損に相当するとされたが、そのためか映像自体は何事もなかったかのように転載サイトに流出して今も止まっていないようである。それどころか、おそらくインディーズ版と思われるDVDが存在している。そうしたDVDは、無修正作品のようにアングラに出回っているならば理解できるが、本稿を執筆した時点でもJADMA加盟の大手の中古コンテンツ系ECサイトで普通に出品されていることを確認した。削除稿に書いた歴史的な経緯や、こうした目の前の事実を飛ばし、会議室の中で盗撮罪の議論が進んでいく現状に、むなしみを感じる。
アクション系と言われた成人向け雑誌の創刊は1981年9月であり、盗撮の商業化からおよそ40年の時が流れた。現在オークションでその創刊号の相場価格を調べるとおよそ1万5千円の高値を付けている。この価格はおそらく当時のカメラ小僧が社会的地位を手に入れ、趣味にそれだけの金額を支払っても惜しくないと思える程度の生活基盤を築いていることを示唆している。盗撮は一部のめりこむ人もいるようだが、特に日常生活を破綻させるほどの魔力を発するわけでもないし、前述の「盗撮をやめられない男たち」では相応の社会的地位を有する人の愛好家が多いことが紹介されている。そうした人たちはおそらく慎重に盗撮の性的志向を隠し、今後もひそかに楽しむと思われる。また、女性側も自衛の意識はありながらもスカートとパンティを履き続けるだろう。この業界で多くの人がチェックしている「スカートの下の劇場―ひとはどうしてパンティにこだわるのか」の中で、著者の上野千鶴子氏はパンティというものに対してどういう好みでどう買ってどう選んで履いているのか正直よく分からんという旨を仰っていたように感じる。おそらく上野氏にしてモヤっとした書けないレベルのパンティという宇宙をその他多くの女性が制御し切れるとは思えない。
さて新規ファンはどうか?もし盗撮罪が発効して想定の通り機能すれば、撮影と流通は大幅に減ると思われる。そうしたときに前述のリーチサイト等に既に存在し、今後も削除困難な過去の盗撮コンテンツへのアクセス数はどうなるだろうか?私は徐々に減少する一方と想定する。なぜならば、削除稿にも記した通り、盗撮コンテンツは撮れていればよいというものではなく、女性の笑顔や仕草やコスチュームなどが重視され、鬱屈し発酵・熟成した思いが投射される性格が強いからである。そうすると自分の青春時代等がいつまでも残り続けるという点で、現状のファンは今後もファンであり続けて旧作を楽しめるが、いつかは精力を失って退出していく。そして新規は、ドラマ「舞い上がれ」でも時代を象徴する小道具として使われてしまったようなパカパカするガラケーなどを使っている被写体には、まったく接点がないため、パンチラの魅力を感じないのである。そのことは一般AVで看護師のコスプレが激減していることからも補強される。看護師は10年以上前からパンツルックに移行しており、今の若者はスカートの看護師になじみがない。あの「白衣の天使」への思い入れが薄いのである。ましてや看護帽などAVでしか見たことが無いだろう。
新規ファンは盗撮影像に影響を受けずとも、日常生活の中で目撃したパンチラに「良いな」と思うことで自然発生し続けるだろう。その中からごく一部どうしても抑制しきれずに盗撮に手を出し、確率的に逮捕される事象は続くが、マーケットが閉じられれば職業撮り師による大量撮影および流通が完全に止まるため、被害規模は減少するはずだ。それを横目に眺めながら旧作はおっさん達の寿命とともに誰からもダウンロードされなくなり、アルゴリズムによってネットの深海に沈んで鯨の骨よろしく消えていく。一般AVは裸になってしまえば昔も今もない。しかしパンチラという世界ではことに文脈が重要なのである。削除稿から本稿にかけて引用部を除いた地の文でどうしても一度だけパンツと言わざるを得なかったことが残念だ。
∩_∩ (・(ェ)・ )パンティ _____ (\ ∞ ノ \ヽ / ヽ)⌒ノ  ̄
法案が可決されてしまうと体が男性のままのトランス女性が男女で分けられている公共のトイレや入浴施設に来るのではと。
しかし、私が脅えているのは全てのトランス女性にではない。トランス女性を騙ったシス男性もしくは性的志向が女性で未手術のトランス女性である。私以外の女性専用スペースについて言及されている方もきっとそうだろう。
なぜ脅えるのか。それは性加害の被害者になる可能性が高いからだ。
まず男性体と女性体では筋肉量が異なる。それは性自認とかではなく否が応でも体の性別で決まってしまう。戯れであっても組み敷かれてしまえば死に物狂いで抵抗でもしないとその差をひっくり返すのは難しい。
次に望まない妊娠というリスク。妊娠というのはそもそも女性側のリスクの方が圧倒的に高い。常日頃のピルもアフターピルも副作用はあるし、堕胎するにも薬が認可されていない日本では手術するしかなくその値段も決して安くはない。そのリスクを負わせるのは言い方は悪いが体が男性の方だ。仮にその能力がないとしても見た目ではその人に生殖能力がないというのは判断できない。
そのため、一律に体が男性である男性やトランス女性やトランス男性が公共のトイレや入浴施設などの女性専用スペースに入ってきて欲しくないと考えている。
ただ、未成年や経済的理由など誰もが性適合手術が出来る訳ではないと言った問題もある。なので女性専用スペースは残したままトランスジェンダーの方にも利用出来るスペースを作るなどの配慮は必要だと思う。女性専用のスペースを使って欲しくは無いと思っているが、公共のトイレや入浴施設自体を使わせるなとは思っていない。
現在の法案の文面ではLGBTQだからと差別しないように、事業者の過重にならない範囲で合理的な配慮がなされるようにと言ったことしか書いていない。法案が通ったからと言って即座に上記のようなことが起こるわけではない。だけれども最悪を想定して問題提起するのは決して悪い事だとは思わない。
最後に私はジェンダーといった区切りで分けられているものはなくなればいいとは思っている。例にあげると男女でしかできない結婚や、男らしさ、女らしさといった考えなどである。
しかし、体の性別で分けられているものについては今一度なぜその区別が出来たのか、その区別を取り払っていいのかを考えて欲しい。
コメントを見て再度考えたのだが、私はトランスの方が怖いのではなく、意図せず孕まされることが怖い。そのため指摘にあるようにトランスフォビアではなくペニスフォビアと言い換えた方がいいのかもしれない。
また、トランスの方々の権利を守るのは大切だと思っているが、ここで問題定義をしなければシス女性の権利は誰が守ってくれるのだろうかとも思う。
片方が権利を主張すればもう片方が権利を侵害され、互いが権利を主張し合うだけでは摩耗戦となってしまうため、法案というきっかけがある今、各々で考えることが大切なのではないだろうか。
アセクではなくアロマの方なのかなと思ってる人間なんだけど、唐突なことで申し訳ないけど所謂アイドルとかアニメキャラに夢中になることってありますか?
表現が曖昧で申し訳ないけど、「自分の外の存在」に夢中になることがあるか、って感じです。
推し活するくらいに夢中になる他者(実際に人間かは考慮しない)っていますか?
自分は男女問わずかなりいるんだけど、かなり入れ込んでるときってほとんどが殺人者とか大量殺戮犯の設定で、「自分を殺したがっている人間が好き」みたいな性的志向があるっぽいんだけど、現実のそういう犯罪者は社会性がなくてとても嫌だな……と思ってしまうし、普通の人は全く入れ込めないから結果的に恋愛に至らない、というか……。
アロマだから恋愛に至らないのか、それとも「恋愛に至る属性はある(かもしれない)が、それを現実の他者が持ちえないため恋愛をしょうがない」のかって、どの辺でわかったのかなという質問です。曖昧でごめんなさい。