はてなキーワード: 心の友とは
バサーニオーとか、借金があるのに金持ちの美人女に惚れて、んでこの女をゲットするためにさらにカネを欲しがって、
んでリア充友だちのアントーニオーにカネ貸してと無心する。
アントーニオーは、それこそ歯の浮く様なセリフで俺とお前の仲じゃないかいくらでも貸すぜとか言う。
(アントーニオー「きみはぼくという男をよく知っているはずだ。それなら、ぼくの友情を遠巻きに攻めたてるような暇つぶしはやめにしてくれ。
言語道断だよ、きみにたいするぼくの好意を秤にかけるなどとは」)
⇒何だよ借金こさえときながら、女を落とすためにさらにカネを欲しがって、しかもそれを友だちにたかるとかって。
しかもキモいんだよ友情のこれみよがしな語りとか。J-popかよ。
んでアントーニオーは船に投資して手持ちの現金がないから、信用貸しをアテにしてユダヤ人のシャイロックに融通を申し出る。
⇒なんだよ、心の友の言うことなら全財産だって貸してやるさ!とか威勢のいいこと言って、やることは結局別口のカネの無心じゃないか。
⇒しかもなんだよ、無心のアテってのが、昔っから蛇蝎の如く嫌っていたユダヤ人相手とかって。他にいねえのかよ。
(シャイロック「アントーニオーさん、今日までいったい何度になりますかな、あんたは取引所でこのシャイロックの顔さえ見ると、
きっと毒づいてきなさった、…おれのことを、やれ邪教徒の、やれ人噛み犬のと。そしてこのユダヤ人の着物に唾を吐きかけなさった…」)
で、この金持ちの美人のポーシャが、これまたリア充にお似合いの手合いときてる。
リア充同士で惹かれ合うってのはまあ分かるわ。
だけど、バサーニオー以外の求婚者に対して言う、こき下ろしの文句のまあ極悪なことときたら。
(ポーシャ「そう、あの方は文字どおりの頓馬…」
「ああいう人たちと結婚するくらいなら、口に骨をくわえた死人の首と暮すほうが、まだまし。…」
「たとえ気ちがいのように愛してくれても、こちらはなんのお返しする気がないのだもの。…」
「まあ、どんな悪い籤を引こうと、あの人の手にだけは落ちたくない。…」)
⇒なんだよ口に骨くわえた死人の首と暮す方がましとかって、どんなに人を嫌ってたってそうそう口の端に出てくるような言い回しじゃねえよ。
こんな感想をナチュラルに吐き出せるとか一体どんな神経してんだ腐ってんだろ頭とか根性とかいろいろ。
あり得ねえよこいつどう考えたって童話に出てくる意地悪婆の役どころだろこのアマ。
それでシャイロックが千載一遇のリベンジをしてやろうとしたときの、リア充なクリスト教徒のみなさんの罵詈雑言は本当に酷かった。
よく禁書にならないもんだと思うよ。
(「この因業爺め、こんな野良犬は見たことがない」
「相手はユダヤ人だ、渚に立って、盛りあがる高潮に鎮れと命じるようなものではないか。
狼に向かって、なぜ仔羊を食い殺して牝羊を泣かせたかと問うても仕方はない。」
「きさまの欲の深いこと、狼さながら、血に飢えて飽くことを知らぬではないか。」)
⇒全世界ユダヤ人協会は、今すぐシェイクスピアを提訴して謝罪と賠償を要求するべきだと思います。
小学生のときとか読書感想文なんて誰が好きこのんで書くかとか思ってたけど、
原稿用紙とかに。久々に。
いかに「日常系」の作品とて、劇場版になれば始まりがあり終わりがある。出来事の開始から終わりまでを語られるのが映画という100分くらいの尺なわけで、いままでの「けいおん!!」のように最後はお茶してとりあえず終わり、な話は構成できない。
従って、今回の劇場版では劇場化に際して何かしら映画コンテキストからのアプローチが図られ、結果として物語が成立するようになるのだと思われるが、それが何であるのかがいまだに見当がつかない。
ドラえもんの例でいえば、例の如くのび太くんがドラえもんに無茶を言ってドラえもんの道具で遊んでいたら、そこで(ドラえもんという日常の)物語の外部から使者(ザンダクロスとか、恐竜の卵とか)が現れ、やがてそれらは大きな事件へと発展していく。いじめっ子だったジャイアンは一時的に心の友となり、イヤミなスネオはメカやコンピュータに詳しいオタク的立ち位置を獲得する。ジャイアンが暴力で物を解決し、スネオがアイデアと資金力で物事を解決する。のび太はボケて、ドラえもんがそれに突っ込む。しずかちゃんは脱ぐ。それぞれ役目が割り振られて、大きな物語を解決するに至る。
それはクレヨンしんちゃんやケロロ軍曹にしても同じことであり、大体の家庭用アニメの劇場版は似たような構成になりがちだ。
さて、けいおんに戻ると、ドラえもん方式のこのやり方を、劇場版でも通用させるのであろうかということである。
いつも通りの放課後ティータイムのメンバーがギター弾いたりお茶飲んだりしてるところに、ある日突然転入生やら異星人やら吸血鬼がやってきたりするのだろうか。あるいは、放課後ティータイムというリアリティに則って、出てくるとすれば「無愛想な転入生」やそこら辺だろうか。
我々のロジックからすれば、さもありそうな流れではあるが、「けいおん!!」に関して言えばそれはあり得るのか?
先日から話題になっているアイドルユニット育成ゲーム「アイドルマスター2」がある。アイドルマスター2(以下IM2)では前作で搭乗していたキャラクタは一部わき役扱いとなりNPC化し、代わって完全な男である男性アイドルユニット三人組グループ「ジュピター」が新規にアイドルマスターの世界に「認められた」。少なからず、公式ではそういうことになっている。それに対して、既存のファンはどう思ったであろうか。
『異質』である。女性アイドルグループを育てようという中に、まったくの外から(本当は知っているはずだが、あえて知らないふりをしていた)機知外である「男性」は、その世界観に親和性などなかった。よって、排除の対象とされた。今でもIM2でのその男性キャラを排除する運動が盛んであるという。
けいおんに、放課後ティータイムやその他クラスメイト達以外の存在が、急に割り込んでくる余地があっただろうか。
ケロロ軍曹なら、毎週のように新キャラが登場してくるからさりとて珍しいことでもないだろう。しかし、けいおんではそれはありえない、と見る。理由は前述の通りだ。既にけいおんでは体制の硬直化が作品それ自体の本質として認知されている。新たなる関係性の示唆は、作品に対して保守的なユーザーが多くを占める「けいおん!!」にとって諍いの種でしかない。つまり。
あくまで筆者の予想でしかないが、劇場版ではおそらく大胆な構成も図られなければ新キャラの登場もなく、あるいは物語の核となる「事件」そのものも起こらないであろう。
しかし、それで映画の体を保ちたいというのであれば、興行主が考える手法は一つである。
テレビアニメ版では、主要メンバーのすべてが同じ女子大に通うことになった、という話で区切られている。
物語の延長線上では、放課後ティータイムは崩壊後ティータイムとなっており、バンドを組めないのである。
そうでなくとも、諸々の保守的思想から導き出すに、女子大生となった彼女らのキャンパスライフを描くことは、創作者にとっては容易いが、視聴者には受け入れづらいものになる。高校生の記憶を共有できる視聴者は数多くあれど、女子大ないし大学の思い出を共有できる視聴者はそう多くないからだ。
つまり、女子大生の日常は、それがもともとファンタジー的な女子高生の日常を描いたものだったという前提があったとしても「SF」くらいまでにリアリティが薄まってしまうことを意味する。
ならば、そんなのは書かないほうがいいに決まってる。
じゃあどうすればいいか。「想いで」を再編集するのだ。
かつて、京都アニメーションという会社は「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメシリーズで、「全く同じ話だけど微妙に構成が違うだけの話」をなんと8回も放送した、という記録が残っている。結果は不評であった。それはともかくとして、作品の制作方法として、原作1話があればそれを多角的な観点から再構成しなおし、ストーリーは同じでも別の話のように見せかける技術はこの試みによって研鑽されたのではないかと推測する。
今までのものは実験作だった、と仮定するならば、「けいおん!! 劇場版(仮)」がその本番になる可能性は否定できない。
マクロスフロンティアだってそうだった。エヴァンゲリオンだってそうだった。
「リメイク」である。
テレビアニメではなしえなかったあの表現、物語の構成を、劇場版ではより高クオリティでやりなおしてくれるのだろう、京都アニメーションは。
期待して待とう。まだ制作開始すらされてないっぽいけど。
腹が立たない改変を考えてみた。さて、どれが一番腹が立たない?
ドラえもん、のび太、しずか、スネ夫、ジャイアン。この5人が乗っていた船が難破し、無人島に流された。
その過程で、ドラえもんは行方不明となり、島に流れ着いたのは4人だった。この時点でドラえもんの安否はわからない。
ドラえもんの安否を確かめるには、船を出して捜索するしかないが、のび太には船をつくる能力や、直す力はない。船をつくり、直すことができるのは、のび家とは縁もゆかりもない、スネ夫ただひとりだった。
のび太はスネ夫に頼んだ。「船を直して!ドラえもんを探したいんだ!」と。
スネ夫は直すと言った。だが、条件をつけた。その条件とは、ドラえもんをスネ夫に譲渡しろ、というものだった。
のび太は悩み、しずかに相談した。しずかは「のび太さんの思うように行動すればいいと思うわ」と。
のび太は結局、スネ夫の条件を飲んだ。スネ夫は約束を守り、船を直した。
そして船が直り、これからまさにドラえもんを探すというときに、ドラえもんが無人島に道具を使ってたどり着いた。
のび太はドラえもんに、捜索するため、船を直すためにスネ夫とこんな条件を飲んでしまったことを告白した。
ドラえもんはそんなのび太を許さなかった。「ぼくを勝手に売るなんて、きみはじつにばかだな。」
のび家は三人家族になった。
織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、徳川家康、フランシスコ・ザビエル。この5人が乗っていた船が難破し、無人島に流された。
その過程で、信長は行方不明となり、島に流れ着いたのは4人だった。この時点で信長の安否はわからない。
信長の安否を確かめるには、船を出して捜索するしかないが、光秀には船をつくる能力や、直す力はない。船をつくり、直すことができるのは、百姓から成り上がった秀吉ただひとりだった。
光秀は秀吉に頼んだ。「貴殿の能力を見込んで申す。殿のため、船を直していただけないか」と。
秀吉は直すと言った。だが、条件をつけた。その条件とは、信長にかわり自分が天下統一を果たすことだった。
光秀は悩み、家康に相談した。家康は「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」と。
光秀は結局、天下統一にゴーサインを出した。秀吉は約束を守り、船を直した。
そして船が直り、これからまさに信長を探すというときに、信長が無人島に自力でたどり着いた。
光秀は信長に、捜索するため、船を直すために秀吉に天下統一を許してしまったことを真面目に報告した。
信長はそんな光秀を許さなかった。
ダンコーガイ、ありむー、jkondo、タケルンバ、シロクマ。この5人が乗っていた船が難破し、無人島に流された。
その過程で、jkondoは行方不明となり、島に流れ着いたのは4人だった。この時点でjkondoの安否はわからない。
jkondoの安否を確かめるには、船を出して捜索するしかないが、タケルンバには船をつくる能力や、直す力はない。船をつくり、直すことができるのは、東大卒のありむーただひとりだった。
タケルンバはありむーに頼んだ。「船を直して下さい。はてなを守りたいのです」と。
ありむーは直すと言った。だが、条件をつけた。その条件とは、ありむーと一夜を過ごすことだった。
タケルンバは悩み、ダンコーガイに相談した。ダンコーガイは「学歴なんて関係ない。俺は中学の時すでに高校レベルを理解していた」と。
タケルンバは結局、ありむーの要求を飲んだ。ありむーは約束を守り、船を直した。
そして船が直り、これからまさにjkondoを探すというときに、jkondoが無人島に自力でたどり着いた。
タケルンバはjkondoに、捜索するため、船を直すためにありむーに身体を許してしまったこと、さらにその記事をブログでUPしたことを告白した。
元々「自虐風自慢乙」されたり叩かれるのを覚悟して書いた愚痴なので、真摯なアドバイスをくれた方達にはとても感謝しています。
元エントリで私が何をもって「非モテっぽい」と表現したかの説明が不足していたせいで一部に議論が起こっているようですので補足を付け足しておきます。
・・・と、トラバやブクマコメを読んでいたんですがいくつかものすごいデジャビュ。「あーこれこれ。件のオフもこんな空気だったなぁ」としみじみ思っています。
以下で説明しますけど、何て言うのか全てにおいてオールオアナッシングな男性が多かったんですよ。
「隅で大人しくしてたら積極的に動けと責められ、積極的に動いたらKYと言われる。じゃあどうしろと言うんだ」的な反応通り
オフ会として困るレベルに消極的かオフ会として困るレベルに積極的かの二つに一つで中間は無し。
いつかはてなのどこかで見た「非モテの中の女フォルダは肉親か恋人か他人の3つだけ」という言葉に本当にフルマッチしている感じでした。
そもそも件のオフ会は「いやーんモテモテでチヤホヤされまくって困っちゃう(はぁと)」というものでは決してなく、ケースで言えばむしろ逆が主です。
例えば性別制限無し、趣味を同じくする者ならば誰でもOKという触れ込みでオタ系オフに初めて行ったらば、ほとんどの参加オタク男子は挨拶も無くガン無視で、共通するであろうオタ話題を振っても微妙に距離を取られるか極端に距離を詰められるか、普通に話しかけてくれるのは数少ない女性参加者の他にもう一人二人の男性参加者で「ああ、良かった。やっと普通に趣味友になれそうな人が見つかった」と思ってたらそこからは元エントリの通りだよ!というのが顛末ですよ。
両方とも困るには困るけど向こうが遠ざかる分には単純にこちらが近づかなければ済むのでそれで済ませてきました。でも必要以上に近づいてくる人には…(ちなみにその女性参加者はとっくの昔にmixi退会済み)
他の趣味コミュから知り合った人も、何て言うかお気持ちはありがたいのですけれどもいきなりそれっすか?なメッセージや電話(これは連絡用に通知したもので、流石に不用意にも程があったと反省しています)が来たりしました。いきなりも何も最初からその気は当然ありませんが。申し訳無いんですけれど。
他に彼らの印象を挙げるなら「パンピーの若者達よりも何故か恋愛至上主義寄りの考え方(普通逆じゃないの?)」「世間一般のギャルに対して苦手意識が強い」「人より特に傷つきやすそう(ネタ風にして表に出す自虐が実はかなりマジ、日記が重過ぎる)」などで、それらを総合して世間で言う非モテかなと思った次第です。
それで私自身に特別な魅力があった訳ではなく、察するに単純に世間一般のギャルじゃなくハードルが低そうだからというただ一点のみでそうなったのだと重々承知していますので自惚れるつもりも嬉しく思う気持ちも無いんです。
第一指輪を今までしてなかったのは対策とか以前にオサレやメイクや女性の品格的なものに全然無頓着だったからですし。
むしろ「女として終わってんなpgr」上等じゃあという心構えでマニアックなオフやおっさん臭い趣味のオフに足を運んでいる位で。
恋愛を求めるなら最初からばりばりオサレしてお見合いパーティーか出会い系サイトかパンピーの友人にセッティングしてもらった合コンに行きますよ。
あくまで趣味主体の人間関係が楽しめるからこそのマニアオフだと思ったのですが、こうなったらそれ以外のどこで性別や容姿関係無くマニアックな趣味で通じ合える心の友を探せば良いのかと思いますが、やはりオフは女子の集まり限定の方向で行くのが確実なのかなぁ。
実はかく言う私も女子との付き合いはあまり得意では無いのですが。
それと「イケメンなら・・・」の件ですが、オタク男子の中でギャルが必ずしもモテる訳ではないというのと同じでイケメンもオタク女子の中で必ずしもモテないですよ。
女の中でもオタクになるのは普通よりも相当恋愛への意欲が低いか、男性全般を怖がる傾向が高いような気がします。
対オタク女に限定した場合、イケメンは過剰に警戒されるか全く関心を持たれないかになる可能性が高くむしろ不利な気がします。
私の経験上ですと、オタク女達の間で面白いほどモテるのはイケメンではなく中性的でハスキーボイスの良く似合うカッコいい系のお姉さんです。
全く男っ気の無いオタク女友達達がその系のお姉さんに限りなく恋愛感情に近い友情を抱くとか、修羅場になるとか今まで何度そんな光景を目にしてきた事かわかりません。