はてなキーワード: 平積みとは
この10年ほど、ネットの普及と平行して、ある人が急激に有名になって消費されてはブームが去っていくということがやけに目につくようになっている。有名になった人は、もとからなにか一芸秀でたものがある人で、ネットで有名になって、ブレイクして、時の人のような扱いになる。
1年のうちに本を矢継ぎ早に出版したり、ネットで生放送に出たり、地上波のテレビ番組に出たりする。その人の名前や顔をどこかで見かけないことはないという状態がしばらく続く。その人があたかも当代一流の文化人であるような扱いになる。
その兆候は出版活動に見える。どう考えてもその人の専門に関係なさそうだけど、その人の名前が入った本が書店で平積みになっているのがバブル崩壊の予兆だ。
ネットで有名になった人のバブルが崩壊する実際のきっかけは、やはりネットでの炎上騒ぎになって可視化される。
その人がなにか不謹慎なことをいったりやったりして非難されたり、その人の専門性に疑問符が付けられたりするのを境に、気がつけばその人の露出が減っている。1年もたって、たまにネット上の企画でその人の名前を見かけると、あ、まだいたんだと思う。
そういうことが毎年繰り返されるのを見るたびに、有名になった「時の人」よりは、消費されるネット文化人を作り出すこの国の人間のほうが嫌になる。
有名になった人になんでもいいので本を書かせたり、食べ物やおもちゃをプロデュースさせて一儲けしてやろうというサラリーマンプロデューサーたちの脊髄反射的な射幸心に反吐が出るのだ。
とはいっても、こうした傾向はますますサイクルが短くなって繰り返されるものと思うので、嘆いても無駄だろう。嫌ならネットを見るな、本屋に行くな、コンビニにも行くな、というわけだ。
あまのじゃくを気取っていないで、ネットライフを彩ってくれる「文化人」というコンテンツに感謝しよう。その消費期限に注意しつつ。
いや別に真面目な話がしたいとかではないんだけどね。硬いタイトルにしたけども要するに「今って幼少期の環境で自分の人生大きく左右されちゃう時代だよなあ」っていうのを最近強く思ったんだ。
要するに今って「高度情報社会」じゃなんですよね。こういう書き方するとほんと胡散臭く見えてははは、ってかんじなんだけれども。でもそれはどうしようもないほど真理なわけであって。ドラッカーなんか引くまでもなく、現代は知識労働者が引っ張っていく時代になっていくし、それはもう始まっている。そしてそれらに乗れている人間とそうでない人間の差は顕在化し始めていて、僕らはそれに対して「デジタル・ディバイド」という名前が付いているのを教科書で目の当たりにした。
田舎からきたんですよ。それもすごい田舎から。親は中小の企業を営んでて、某大手の下請けやってたんだけども、不況の煽り受けて受注減ってどうしようもなくなったみたいで仕事を畳むことになった。
初めて東京にきたときは地元との彼我の差にしばし佇んで、なんともいわれぬ感情に微睡んだ。人も、金も、そして情報も何もがこの都市において集積して、そしてすごい速さで回っているのを感じた。
こっちの人間と付き合うようになって最初に驚いたのはネットスラングの氾濫だったかもしれない。主ににちゃん発のワードが並んでいる中で、wwwが沢山並んでいたんだけども全く自分のなかで意味を為さなかったのを鮮明に覚えている。中高時代にコンピュータなんて殆ど触らなかった。オタクの持ち物だと思われていたし。その距離が遠ければ遠いほど、リアルで権勢を誇ったカーストの上位層とは仲良く出来るような気がした。
こっちにきて育ちがいいような、毛並みのいい連中と話してて思ったのは、そういう奴らって親からしっかりと人生訓みたいなものを受け取りながら、親の書庫を眺めて好きな本を手にとってはそれを自分の書庫にもしまっているんだなあというのを感じた。教育格差の再生産として論壇でしばしば指摘される実情が、それはもう如実にこの先進国日本で広がっていて、波に乗った人間とそうでない人達の生活様式、行動様式が全く異なったものになろうとしている。自分の親なんて家に書庫も無ければ、インターネットなんて普段使わないから、なんて言って最近契約を切ってしまった始末だ。
あの時、そのことを知り得たら、その情報に触れられたら、自分の行動を変えられたかもしれないのに。
そういった環境に生まれ育つ中で、インフラとしてのブックオフみたいなものって田畑に囲まれた自分の街には無かったし、再販価格制に守られた書籍の価格は結構に高くて、当時子供だった自分が手を伸ばしても届きそうには無いくらい高いところに陳列されていたように思えた。どんなにそれが目の前に平積みにされていても。自分には手を伸ばしても届くことはなかった。
インターネットは時代性も多少合ったけれども、家族内で共有されているその利便性というものは終に自覚されることもなく、単なる断線した箱になって、今はひっそりと部屋の隅に隠れている。
今さら怨嗟の赴くままに自分の歩んだ轍を見て、その不備を詰ってみるなんてあまりに非生産的なんだろうと思う。ただ、ここまで20余年生きてきた中で大きく社会は変わろうとしつつあるし、それに対する適応の可否によって自分の今後見ることになる風景というものが大きく変わることになるのは火を見るより明らかなんだ。
もし自分に子供ができたときは、めいっぱいの書庫に、パソコンだとかの情報環境を、これ以上不可能なほどに整備して、この情報の海を自由に泳げるような環境を準備していあげたいと心から思う。
例の「デキビジ」でのひろゆきと勝間和代の対談、とそれによってネットで起こった勝間批判を受け、ホリエモンが仲を取り持って鼎談(ていだん)するという態の本。昼休みに本屋に行ったら平積みされていて、他にも何冊か買う本があったのでついでに買ってしまったのだけど面白かった。内容は、「デキビジ」であんなにギスギスしたのはなんだったのかと思うほど三人で仲良くお喋りしているという感じなんだけど俺は特に今まで知らなかった勝間和代の意外な一面に心打たれたので「萌え勝間」な箇所を以下に引用する。
・「結局女はキレイが勝ち」が叩かれた件
西村 勝間さんはギャグをやるタイプだとは思われていない。そこが問題だったんですね。
勝間 (首をかしげて)あれは大真面目に出した本なんですよ。タイトルも大真面目につけましたし。
西村 えっと。勝間さん、自分で自分のこと美人だと思いますか?
勝間 あれは読んでいただければわかるんですけど、”当社比”と書いてあるんですよ。つまり、当人比でキレイになりましょうと。
西村 ああ、なるほど。読んだ人はわかるんだ。でも、タイトルだけを見た人が「キレイが勝ち」という部分から、「勝間さんは自分のことをキレイだと思っているんじゃないか?」と思ってしまう可能性を、なんで感じなかったのかが不思議なんですよ。
勝間 まあ、多少は炎上するだろうとは思っていましたけど、その多少の見込みが多少違ったと(笑)
――勝間は天然だったということが判明(俺の中で)。
西村 勝間さんは、自由のために使うお金はあって、手元にも結構なお金があるわけじゃないですか。そうしたら、もう働かなくても自由は手に入っているわけじゃないですか。
西村 勝間さん、何かのテレビ番組でコスプレしてましたけど、コスプレをする仕事も働きたい仕事だったんですか?(笑)
勝間 いやコスプレがしたかったのではなくて、番組ではデフレの話をしたくて、その部分を見てほしかったんですよ。でも「コスプレをすると視聴率が上がって、デフレの話も聞いてくれるよ」ち言われたので、そうかなやってみようかなって……。
勝間 そうなんです。やってみたら、みんなからデフレのデの字も出なくて、コスプレの話しかしなかったんです(笑)
――なんか上京した女優志望の田舎娘が騙されてAVに出るみたいな話である。
2.モーニングを「ホワッツマイケル」の頃から20年以上読んでいる。(そういや「エンゼルバンク」のおまけコラムを連載してましたね)
3.よしながふみの「大奥」が好き。「のだめ」、「デスノ」は全巻所持。「ベルセルク」も普通に読む。その他少女漫画は割と読んでいるようだ。
4.コンビニに行くと漫画雑誌を2時間くらい立ち読みしてしまうタイプだが、最近は紐で縛ってあるので買って読んでいる(邪魔だから1回読んだら捨てる)。
5.学生時代、隠れオタクだったが漫画研究会の人と漫画の貸し借りを行っていた。
6.大学ではシミュレーションゲーム部で「ダンジョンズアンドドラゴンズ」をやったりしていた。
――2時間立ち読みしちゃうのは良くない! けど俺も学生時代金がなくてよくやってたので共感できる。そしてマンガはともかくTRPGとかやっちゃう系の人だったとは知らなかったぜ。でも絶対隠れられてなかったと思うけど。
前書きでホリエモンが言っている通り「いじられキャラとしての勝間和代」がよく表現されていて面白かった。誰かが言ってたけどひろゆきと勝間和代が結婚したら案外いい夫婦になるんじゃないかとすら思った。ただしゃべってるだけの内容で1500円なんで本にお金を掛けたくないという人にはあれだけど、まあおすすめですよ。
そういう深刻な話ではない。
ただ単に、どのように脳を活性化させるかという話だ。
書店で、久保田競『バカは治せる』という本が平積みになっていたので買った。
読んでみたら、記憶力(ワーキングメモリ)を鍛えるのに、RPGがいいと書いてあった。
シューティングなどよりも良いと書いてあった。
脳を鍛えるためには、指を使うことはそれほど効果がなく、むしろ「一定のことを覚えておき、後で使う」というのが良いらしい。
なので、RPGのプレイ中に、「直近の目的は」とか、「あのアイテムを買うためには、あと1000ゴールド必要」ということを考えたりすることが、ワーキングメモリを鍛えることになるそうだ。
逆に、百マス計算のようなものもあまり意味がなく、けど、計算が速くなりたいならやれば? という感じだった。
他に脳に良いことは、恋愛だそうだ。
相手の心理を考えながら会話したり、いつも相手のことを想うのが脳を活性化するらしい。
そして、もし相手がいないなら、好きなキャラクターすなわち2次元でもいいと書いてあった。
他にはジョギングが良いらしい。
http://anond.hatelabo.jp/20100526095826
続き。
別れてから2カ月が経った。付き合っていた期間は多く見積もっても約4カ月程度なので、付き合った期間の半分程度は経ったこととなる。
正直、いい加減彼女の事をずーっと考えるって言うステータスは終わって、飯もそこそこに食えるし、眠れる様にもなってきたけど、とはいえ気分が鬱屈している状態にあることはあまり変わりなく、時々、レキソタンのお世話になりながら、毎日を過ごしている。
# ちなみに体重は15kg程減った。もともと太いのでまだデブ。
仕事の忙しさがあれば、もう少しマシなんだけど、〆切のない仕事ばかりを平積みしているので、モチベーションが上がらず、なんだか微妙。仕事に没頭するって言う訳でもないので、無駄な事を考える時間があるのが苦痛。
週末は幸か不幸か、引っ越しの作業が続く毎日だったので、暇することなく地道に作業をしていた。でも、これは逆に言うと引きこもり状態であったことを示し、せっかく転勤、引っ越ししたというのに、その先での活動範囲は広がっていない。
とりあえず、新しい事を始めないといけないな。と思って、今まで通ったこともないスポーツジムに入会手続きをしてきた。料金精算の関係上、今日から通えることとなっているので、今晩にでも行こうと思っている。
女性関連の新たな出会いっていうのは皆無。うん。新しい職場には色々と女性はいるものの、正直もう、社内はいいや・・・と反省中なので、食指が動きません。かわいい子はいるんだけどね・・・そういう気分になれません。
その他、新たなこととして、料理教室に通おうと色々と調べてみたのだけれども、四国の田舎では男性が土日に行ける料理教室なんぞ見当たらない。女性限定だったり、平日昼間だったりして、なかなか思うようにはならない。
mixiを使って、地味に活動しているサークルを探し、そこに飛び込もうと思い、コミュニティ参加。イベント参加も予定したが、当日は体調不良になってしまい、参加できず仕舞い。月一程度の頻度でやっているらしいので、8月上旬に参加できるように今度は体調を整えたい。
新たな趣味が必要だよねって思っているので、新たな趣味が欲しいのだが、土日で出来て、人との交流がそれなりにあって、運動系ではない趣味って言うのは何があるだろう?何かおすすめがある人は教えてください。
とりあえず、現状をまとめてみた。
さぁ、どうする?次の一歩は?
甘えすぎワロタ
とりあえず「この世でいちばん大事な「カネ」の話」を読んでから、
西原理恵子本人の前で思いの丈を語ってみて欲しい。
「てんで性悪キューピッド」→「幽☆遊☆白書」→「レベルE」→「HUNTER×HUNTER」の冨樫
「カメレオンジェイル」→「SLAM DUNK」→「BUZZER BEATER」→「バガボンド」「リアル」の井上
みんなこれぐらい把握した上で、文句言ってんの。
おまんま食べたいなら、売れる作品作れよ。
「うちのトコでは」
http://www.asukashinsha.co.jp/book/b55093.html
出版年月日 2010/01/23
3日前の近所の紀伊国屋ではワンピース新刊が並ぶようなとこに、
POPも立って平積みになってる。
手元の真っ白な原稿に立ち向かって、
目線上げてやるべきことあるでしょ?
他の人も書いてたけど、個人事業主なら作って売るまでが仕事だよ。
作るだけなら趣味の人。
作って売れないなら才能無い人。
離脱したようだけど疑問だけ残しておくよ。
1. なぜ「2次元"児童"ポルノ嗜好"だけ"変態性癖である」とするのか?
しかしもっと言ってしまえば実写の写真に欲情するのもおかしくないか?
恋愛至上主義に則ったら好きな人以外で欲情するのも変態性癖とされるかもしれん。
ここが無根拠ではっきりしないのに2次元"児童"ポルノだけが標的にされると違和感がある。
無論児童ポルノ自体は規制されるべきだが、これは被害者がいるから規制されるべきとなっているんだ。
決して変態性癖だから規制されるべきとなっているわけではない。
そうであったとしたらスカトロやSM等も児童ポルノ並に厳しくなってないと話がおかしいだろう。
流通段階で表紙が直球でゾーニングもされずに平積みされてることを言っているの?
それならばゾーニングをしっかりするべきだとは思う。
表紙くらいは人目につくものだから自粛するべきだろうとは思う。
3. "コンテンツ業界は「2次元児童ポルノ」を自主規制しろ。"と"どんな変態趣味のエロ作品も(犯罪性の無い限り)存在していい"が相反している
自主規制求めるのは自由だけども、そうじゃないと規制するよとか規制されるよとか脅して自主規制を迫るのは法規制と何が違うのか。
存在を認めるならば自主規制は不要。存在を認めないのならば根拠を出すべき。不安だとかは根拠にならない。
4. "マイナスイメージを払しょくするような方法"ってそれこそゾーニング撤廃しか無くね?
影でこそこそ隠れて何やってるかわからないから異常だとかに思われるわけで普通に流通していて誰でも購入できて気軽に話題にできるようになれば、世間に認知されてマイナスイメージは消えるよね。
"自分の変態趣味を人前で御開帳"はある意味マイナスイメージ払しょくの一手段なわけだ。誰がやってるかしらないけど。
こんな感じ。個人的にはゾーニングで十分だと思う。現段階のゾーニングが適切かと言われれば多分適切じゃないけど、流通規制とか表現規制はされるべきじゃない。せっかく成年向け指定があるんだからそれを利用して青少年の目になんとかつかないような方法をとれば良いだろう。
一般人とかいうくくりは嫌い。一般人と変態なんて区別は無い。青少年を脱して大人になったらどんなコンテンツにだってアクセスできる自由があるのが平和ってものだろう。
昼飯の戻り際に本屋に通りかかった。
隣を歩いていた後輩の彼女が
「これ最近人気なんですよね」と声をかけてきた。
私はここで
オレ読んだけどあんまり面白くなかったわ」
のような返しを言った。(実際にはもっとgdgd)
わからんかった言うくせになぜか自信ありげに。
ニーチェをこき下ろしただけなのだが。
ソレに対して、彼女は「そうですか・・・」と言って黙ってしまった。
事務所に戻ったあと私がトイレに行って戻ってくると
「へー、どこか面白かったことある?教えてよ」
「そうですね、たとえばこんな話しが・・・」
という感じで盛り上がってた。彼女はとても楽しそうだった。
そうか、彼女は自分が読んだばかりのニーチェの話がしたかったのだ。
で、はじめに話を聞いてくれそうな相手として私を選んでくれていたわけだ。
しかし全然気付かなかったんだぜ。
そういや、まえワンピースの時も同じような感じで話題降られてたな。
別にこれでフラグがたつことはなかったとは思うけれど、
どれほどもない貴重なフラグの準備段階すら
気付かずにバキボキその可能性を折りまくっていることはよくわかった。
http://anond.hatelabo.jp/20091215072940
外山滋比古の思考の整理学が本屋で平積みになっていた。家に帰り、久しぶりに件の本を棚から引っ張りだしてパラパラと捲った。その中の一段、時の試練という項目で取り上げられている、当時は天才と持て囃されたけれども時代とともに忘れ去られた島田清次郎と、当時賛否両論であったのに現代は国民的作家となった夏目漱石との対比の例を見て、ふと脈絡なくスレイヤーズのことを思い出した。
富士見ファンタジア系、といってもそこまで詳しくないのだけれど、当時見ていて覚えているのは、スレイヤーズ、天地無用、セイバーマリオネットとかだろうか。確かに面白かったし、同じ文脈を持った同年代と出会うと大抵話題に上る。けれども、そこで終わり。懐かしむ以上のものはない気がする、といったら傲慢だろうか。
順調に年を取り、或いは40年後、擁護老人ホームで溜め込んだオタクコンテンツを消費する生活になったとして、何を見るか、何が残っているか、みたいなのを夢想する。もしかしたら、その頃にはアニメをみていないのかもしれない。今でさえもうリアルタイムで追っていない。もしくは、アニメという産業自体が存在しているかどうかも分からない。
近年で言うと、DVD,BDともに一番売れた化物語が数年後どうなっているのかとか。個人的に西尾維新は好きだけれども、数年後は分からない。空の境界などはどうだろうか。こちらもDVDが売れているみたいだけれども。と思ったら、ニコニコ動画のチャージマン研ブームのように、局地的に意外な視点で取り上げられることもある。SFが好きなため、ハルヒは一巻の頃から追っていたが、あそこまでブームになるとは思わなかった。突然話がずれるけど、書痴は何でも読むから書痴なのであって、当然ライトノベルも読む。そこで、当時図書館でスレイヤーズと一緒に借りたのが・・・記憶が曖昧だが、それが確か島田清次郎の何かだったかも・・・というのを思い出した。いや、出来すぎだから多分記憶違いだろう。
今年も様々なアニメ作品が放映されるけれども、どれだけの作品が残るのか、というのも興味深い。ちなみに、掲示板の質問で、どんなアニメをみたらいいか、という内容のときたまに上がるプラネテスだけれども、あれは正しいと思う・・・みたいな感じで作品は語り継がれていくのかな、とも思ったり。
平積みされてる本を下から取ろうとしてそういうことやってる奴のこと言ってるんだよね?
「邪魔」と言ってわざとぶつかるようにしてる。
今年でゼロ年代が終わる.2000年が始まったときはミレニアム!と晴れ晴れしい気分であり,まさかゼロ年代なんてカタカナで時代が表されるだなんて思っても見なかった.そんなことを近頃思っていると「そういや,2000年とか2001年ってどんな本が平積みにされてたっけ?」と思ったので,簡単にまとめてみた.これは客観的な統計データのまとめではないし,選んだ本やその解説には恣意性だって含まれてると思うけど,はてブ等でフォローしてもらえたらと思う.
一般書では『だから,あなたも生き抜いて』がベストセラーであった.閉塞感のあった90年代において日本は経済も社会システムも崩壊が始まり,これまでのような一億層中流社会は望めなくなった.そんな時代に単なるサクセスストーリーとしてだけでなく,「生き抜く」ことを薦めるこの本がゼロ年代最初の年のベストセラーであったことは興味深い.
経済書では『経済ってそういうことだったのか会議』がよく書店に平積みされていた.お金のことは銀行や専門家にまかせておけばよい,といった価値観から自分の身は自分で守ろう,そのためには少しずつでも知識をつけようという価値観へ既に変化し始めているように思える.
また,9.11以前に文明の衝突論を展開していたという点でハンチントンが後にもてはやされた.『文明の衝突』は1998年.
また,ソーカル事件を発端とする科学論者と科学者間の間の論争である『サイエンスウォーズ』『知の欺瞞』が出版された.一連の流れにより,科学は正しいものという固定観念が崩れ始めるが,その悪影響として疑似科学が隙間に入ってくることとなる.
2001年は一般書・自己啓発本として『チーズはどこへ消えた?』や『金持ち父さん貧乏父さん』がベストセラーとなった.これらは自分探しブームの終焉でもあり,ありのままの全肯定でもある.その他の一般書では『声に出して読みたい日本語』のような日本語ブームが始まる年である.
ゼロ年代を象徴する批評家,東浩紀が『動物化するポストモダン』を出版し,アカデミズムからサブカルへの転向,遅れてやってきたエヴァ批評として有名となった.その後の現代思想,批評界は東浩紀とそのフォロワーによって進められることとなる.
また,疑似科学論争の大きなきっかけとなる『水からの伝言』がブームとなり,教育界では道徳の授業で使われたり,科学者集団がその疑似科学性を啓蒙したりする騒ぎとなった.
2002年は一般書では『生きかた上手』や『声に出して読みたい日本語』,『常識として知っておきたい日本語』がベストセラーとなった.また,『本当の学力をつける本』で陰山メソッドが有名となり,公立校の進学校化など各々が一律である必要がなく,教育にも個性や多様性を認めるような社会風潮となっている.とはいえ,これらの風潮は後の格差社会と繋がらないとは言い切れない.
格差社会といえば,玄田の『仕事のなかの曖昧な不安』は社会安定を失った日本の将来を予見する内容であり,当時の日本社会の空気を表す本としてピックアップすることができる.
不況下における人々の意識を表すかのように森永の『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーとなった.この年を前後してエコノミストと呼ばれる人々が盛んにマスメディアに出るようになり,銀行に預けるのではなく,個人が投資する時代になったと盛んに喧伝した.
9.11以降の社会を分析するかのように,ネグリ・ハートの『<帝国>』やチョムスキーの『メディア・コントロール』などが読まれた.特に『<帝国>』は左派に大きな影響を与えたといえる.
2004年は『バカの壁』が大いにベストセラーとなり,養老孟司ブームが到来する.その続編でもある『死の壁』も同様にベストセラーとなり,これらと時期を同じくして,新書ブームが到来.多くの出版社が新書に力を入れ始める.
『仕事のなかの曖昧な不安』を受ける形で『13歳のハローワーク』が出版され,自分探し(何がやりたい?)と自己肯定(何をやっても自分らしい)が同時に薦められるような時代となった.その一方で堀江貴文『稼ぐが勝ち』が売れ,Tシャツ姿で六本木ヒルズで新進気鋭の社長となっているホリエモンが多くの若者の共感と多くの大人の反感を買った.この共感した若者は『希望格差社会』において希望が持てない若者たちであり,株取引による一発逆転という大平光代のサクセスストーリーとは別の形の逆転劇を夢想させた.
新書ブームを背景に『頭がいい人、悪い人の話し方』,『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がベストセラーとなった.特に『さおだけ屋~』はタイトル売りという技を駆使し,その後多くのフォロワーを生んだ.また,これまで『仕事のなかの曖昧な不安』『希望格差社会』といった「労働」というジャンルのハードカバー本であった内容がついに『下流社会』と新書の形をすることで大衆化し,格差社会というゼロ年代のキーワードを体現した.
また,東一辺倒であった批評界において,『嗤う日本のナショナリズム』によって社会学の北田が登場し,2ちゃんねる批評というものが生まれた.これはゼロ年代が徹底的にサブカル批評へ偏ることを決定づけた.
相変わらずの新書ブームで『国家の品格』『人は見た目が9割』等がベストセラーとなった.『国家の品格』は養老孟司から続く理系人ブームを引き継ぐとともに,後の品格ブームを起こした.『人は~』は『さおだけ~』のフォロワーであるタイトル売りであり,『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』といったフォロワーも生まれた.
また現在まで続く重要な流れとして『ウェブ進化論』『Google』『「みんなの意見」は案外正しい』といったWeb論が生まれ,Web2.0,玉石混淆,群衆の英知といった言葉がよく聞かれるようになった.これらの著書により,これまでYahooを使っていた人々がGoogleに移行したり,Wikipediaが大衆化したりするようになった.これらのWeb論はあまりにオプティミスティックであると当初から批判されたが,アーリーアダプターにしか知られていなかったWebの様子を大衆化したその社会的影響は計り知れない.また,『フラット化する世界』がベストセラーとなり,インドの台頭が認知され始めた.
品格ブームを引きずって『女性の品格』,○○力ブームを引きずって『鈍感力』などが一般書としてベストセラーとなった.また,理系人による本として『生物と無生物のあいだ』が読まれた.
データが重要となったことを示すような本として『その数字が戦略を決める』がよく書店に平積みされていた.Web時代においてGoogleが大規模DBにデータをため込むようになり,既存の専門家よりもデータが多くを語るような時代が幕開けしたことを告げた.
その一方で,「炎上」という言葉が一般用語化し,梅田らオプティミストによるWeb論に対して,Webの負の面を大衆化させるような本として『ウェブ炎上』や『フラット革命』が登場した.
また,格差社会論は「ワーキング・プア」や「ロスト・ジェネレーション」といった言葉を生み出し,ワープア論壇やロスジェネ論壇と呼ばれるものが生み出され始めた.特に「『丸山眞男』をひっぱたきたい----31歳、フリーター。希望は、戦争。」という赤木の論考は衝撃的であった.
どういう流れからか,『×型 自分の説明書』という血液型本がバカ売れした.これも疑似科学ブームの一端なのだろうか.そして,はてなー大好きの勝間本『効率が10倍アップする新・知的生産術 自分をグーグル化する方法』がついにベストセラー化した.いつの頃からかライフハックという言葉がよく聞かれるようになり,多くの自己啓発本が書店に平積みされていた.また,サブプライム問題までは外資系コンサルが重宝され『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』が売れた.
批評界では東にケンカを売る形で宇野『ゼロ年代の想像力』が,東のフォロワーとして濱野『アーキテクチャの生態系』が現れたが,どちらも東の影響を多分に受けており,ゼロ年代批評が東一辺倒であることを決定的にした.
ロスジェネ論壇ではその名の通り『ロスジェネ』という雑誌が創刊し,蟹工船ブームが生まれた.また,秋葉原通り魔事件が起こったことにより,多くのメディアによって事件が消費され,それらは常にロスジェネ論壇,フリーター論壇とともに語られた.
文字ばっかりでごめんなさい.
繋がりがわからない。
っていうか「人生に残された時間が有限だから無駄なことしたくありません」って人間がなぜ増田でこんな論争をしているのかがわからない。
増田でのこの議論もどきは効率的に書を選び読むことよりも有益なのだろうか。
どこにトラバ付けたらいいかわからなくなってるけど。
なんていうか、みんな若いんだなー。人生に残された時間は有限なんだぜ。例えば死ぬまでにあと10冊しか本を読めません、となったらもうちょっと真剣に本選ぶだろ?俺は偶然による衝動買いはしたくない。したい人もいるんだろうけど、経験上平積みされてる本の8割は糞本だからなー。
村上春樹に興味はまったくなかったが(ノルウェイの森だけ読んで、つまんないと思ってそれ以外読んでなかった)、この度のスピーチさわぎで少しだけ興味を持って、ネットで調べ、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読もうと決めた。
ところが、職場最寄り駅の本屋に行ったら、結構大きな本屋なのに、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の下巻だけ3巻並んでいて、上巻がない。
仕方なく別の本屋に言ったら、平積みで「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が並んでいたが、上巻は残り1冊だけ。一方、下巻は5冊くらい積まれていた。
そりゃ、上下巻を読む時上巻だけ買って様子見するのはよくあることだけど、「にわか村上春樹読み」が多いんだなあ、と思った瞬間だった。
私もだけど。