はてなキーワード: 巣鴨とは
あれだけ広大な関東平野があるのに、明治時代まで皇居が置かれなかったのは何故なのか。
自然災害リスクが高いから関東は都を設置するには適さないということを先人は経験的に学んでいたのではないか。
とはいえ、関西は古くからのしがらみと既得権益が多すぎてゼロベースからの経済発展を実現するのは難しい。
とりあえずちょうどいいタイミングで東京が米軍の空襲によって焼け野原になったので、終戦後に関東平野周辺の山林や農地を開墾して平地を作り、
広告代理店を使ってテレビやメディアを通して東京マンセーと垂れ流して日本全国から田舎者をかき集めて、
老人は巣鴨に住め、バンドマンは下北沢に住め、奇抜な服装した奴は原宿に集まれ、金持ちは千代田区とか港区に住め、柄の悪いヤンキーは足立区とかに住め、など
レイヤーごとに人間を配置するように仕向けたら、特定の街に特定の人種が住むわかりやすい街が出来上がる。
そうなると、特定の層を対象にしたマーケティングがやりやすい。流行というものも作りやすいだろう。
ここまで全て計画されていたようにしか思えない。
ところでさ、増田。東京に行ったことはあるか?摩天楼の並ぶ都心を歩くと、さすが日本の首都だと
思うぜ。東京の都心をぐるっと取り囲む、山手線っっていう鉄道があってな。池袋とか新宿とか渋谷
とか、都心の繁華街を結んでいるんだけど、これがいつ乗っても込んでいるんだ。よくみんなあんな
ラッシュに耐えてるよな。感心するぜ、マジで。そして、山手線の内側には、都心全域に網の目のよ
うに張り巡らされている地下鉄があるんだ。全部で12路線もあってな。便利だけど乗換えとかがけこ
うややこしいんだな。ところで、その地下鉄の中に、都営三田線っていうのがあるんだ。正式名称を
東京6号線っていってな、昨年の三田から日吉まで延長されて将来的にはもっと先まで乗り
入れるらしいぜ。便利になるよな。
さて、例えば東京駅からこの都営三田線に乗るとしよう。営団丸ノ内線で池袋方面に一駅の大手町で
乗り換えるのがわかりやすいけど、大手町なんて大して遠くもないから一駅くらい歩いてもいいだろう。
運賃ももったいないしな。目黒方面に行きたいとき、運良く武蔵小杉行きが来ればいいんだけど、半分
は途中の白金高輪で折り返しちまって、それより先に行きたかったら隣のホームの営団南北線の電車に
乗り換えないといけない。ちょっと面倒くさいな。だからここでは逆方向の電車に乗ることにしよう。
大手町の次は神保町だ。書店街で有名だな。都営新宿線と営団半蔵門線に乗り換えられる。その次は
水道橋。中央線に乗り換えられる。次の春日はつい最近までなんでもないただの駅だったけど、都営大
江戸線が開通したおかげで、後楽園の丸ノ内線と南北線に乗り換えられるようになった。
もちろん大江戸線にも乗り換えられる。春日の次は白山、千石と続いて、巣鴨に着く。ここからは山手
線の外側だ。巣鴨の次、西巣鴨は都電荒川線の新庚申塚、その次の新板橋は埼京線の板橋や東武東上線
の下板橋にそれほど遠くない。結構便利だぜ。まあ、JRも私鉄も、都心から延びる鉄道はほとんどみん
な放射線状になっているから、板橋区役所前、板橋本町、本蓮沼と進んでいくうちに他の鉄道からは離
れていくけどな。志村坂上を過ぎるとすぐに地上に出て、志村三丁目からは終点まで高架橋だ。はっき
りいって、これじゃあもう地下鉄じゃないよな。蓮根の次の西台の横には三田線の車庫があって、ここ
から出てきた電車は次の高島平から発車する。終点の西高島平まではあと二駅だけど、その一つ手前の
新高島平で降りておこう。
新高島平の改札口を出てすぐ左に昇り階段がある。これを昇ると歩道橋に上がれる。間違えて駅の外
に出ちまっても、左の「高島平3・4丁目方向」に出てすぐ左にあるから、そっちから行けばいい。歩道
橋を渡って、左側に下りる。下りてから駅や道路から離れる向きに進むと、すぐ高い建物に突き当たる
と思う。そうしたら左へ進む。そのまましばらく行くと右側の建物が途切れて、次の建物が見えてくる。
たぶん壁には3-11-1っていう表示があるはずだ。その建物の、こっちから3分の1くらいのところにエレ
ベーターホールがある。エレベーターは3台あるけど、行ける階が違うから、右の9号機じゃなくて左の
7号機か真中の8号機に乗ろう。そのエレベーターでは8階から14階に行けるはずだ。とりあえず14階まで
上がろう。ちょっと遅いエレベーターだけどまあ我慢してくれ。
そして14階から廊下に出るんだけど、もし三田線の車窓からこの高島平団地をよく観察していたなら、
あることに気がつくはずだ。そう、この建物だけ、廊下の 外側に鉄格子がついていないんだ。だから下界
ちゅーるっ♂ちゅーるっ♂ちゅるっ♂ あんvあんvあんv
ピストンready ピストンready ティンコモーション ティンコモーション
fitting♂ ダーリン♂ oh 掘りましょう
弾ける ビュッ!ってREADY
生まれ変わって 穴射るね
そっと (穴を)彩りたいの
君だけ味噌を見せていたい
ここ、この中、hit on meの奥
アッー!する程に 亀頭欲しいよ
突き♂のマラ♂ボール(金)
フェラされてぇぇぇぇぇ!!!
my ダーリン♂
ねぇビュビュッとオナ濃いのしましょ♪
弾けるSEXビューティー
生まれ変わって 穴射るね
そっと 彩る マラ♂
掘る アッー!!!
世界は変わる
未だに元田をじっくり読んでいないのだけど
高校だと73
なんで高校受験だけ73限定なんだよ。
中の上あたりだろ。
Vもぎみたいな都道府県の模試は問題が簡単で、少し勉強した人なら簡単に9割くらい取れる。
しかし一部のおばかさんが平均点をがくんと下げているもんだから、普通以上の高校の偏差値は実際の高校のレベルとはあわない。
オレは埼玉の北辰だったけど、オレが受けた年は早慶と開成と筑駒と筑附が同じ偏差値で74だった。
ちなみにおばかさんは受けないから実際に高校のレベルと合う偏差値を算出できる駿台模試だと、トップの筑駒ですら70とか69とか。
開成は68で次いで慶應志木が67、慶應女子が66、早稲田学院・早稲田実業が63、慶應が59、早稲田本庄が57とか。
何言おうとしたか忘れた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20080915020743
関東の高校受験だと私立の進学校の最難関は開成・巣鴨・海城ってイメージがある。
しかし、受験の難易度から考えると開成とほか二校には超えられない壁や谷がある気がするなぁ。
開成>筑駒>慶応>>巣鴨・海城・城北≧立教って感じ。(共学は含まず)
麻布や武蔵は海城・巣鴨に劣るほどしょぼい学力の学校なのかぁ?
御三家ってそもそも
ある方面で有力、または有名な三人。
って意味だけど、海城ってそんなに有力なのかね。
少なくとも有名ではなさそうだけど。
やりたいことをやろうとしてるようには到底見えない。
内訳は見たこと無かったがこれはひどいな
なんで滑り止めにすら受かっていないんだよ・・・
いくらなんでもおかしいと思わないのか?
あるいは芸大に行くとかさ
当然スポーツ選手を排出するわけでもないしさ
桜陰はたとえ差別があったとしてもねじ伏せられると思って連中の本拠地
全員何がなんでも東大行かなければならないと考えるようになるのか?という話。
小学生の頃は親の言う通り訳も分からず勉強させられていたけど別に東大に入りたくない、と考えている娘や
娘がまだ将来の事を自分で考えられない小学生の時は、とりあえず進学校に入れてやれば
高校生になったら、何がなんでも東大だ将来は官僚か研究者だなどと決め付けずに
娘が進みたい道に進ませようと考える親も多いのでは?
http://www.oin.ed.jp/promotion.htm
やりたいことをやろうとしてるようには到底見えない。
http://www.kaijo.ed.jp/education/education_nextstage-local.html#tokyo
http://www.sugamo.ed.jp/private.html
灘や筑駒の実績と比べてみろよ。
うっせぇババァ! 巣鴨に帰って干涸らびてろ!!!!
- 元々は材木商である「佐久間屋」に由来して「佐久間町」と言う地名であった。材木商は大火のたびに莫大な利益を上げており、火除けの町秋葉原らしい縁起である。現在でも秋葉原駅東側に「神田佐久間町」、「神田佐久間河岸」という地名が残っている。
- 後にこの地に勧請される「鎮火社」を人々が秋葉社と呼んだことから秋葉原(あきばはら、あきばっぱら)と呼ばれるようになる(上記参照)。
- 1888年 - 秋葉社が松が谷に移転。
- 1890年 - 日本鉄道の鉄道線(現在の東北本線)が上野から秋葉原まで延長。当初は旅客の扱いは無く、秋葉原貨物取扱所として駅の南を東西に流れる神田川から駅東側に割り堀を引いて水上貨物輸送への窓口となっていた。駅名をつけたとき「あきはばら」と誤植されるが訂正されずに今に至る。
- 明治中期から大正時代にかけ、秋葉原周辺は鉄道・都電など交通の便が良く、そのため、特に卸売業が発達し、秋葉原駅近辺に青果市場も開かれた。
- 1925年 - 秋葉原駅~東京駅間の開業により東北本線が東京駅まで開通。
- 1932年 - 御茶ノ水駅~両国駅間が開業し、秋葉原は乗換駅になった。
- 1935年 - 神田青果市場が設置される。
- 1936年 - 鉄道博物館(のちの交通博物館)が東京駅から中央本線万世橋駅(のちに廃止)の駅構内に移転する。
- 戦前から戦後にかけて - 地下鉄(銀座線)・都電・国電と付近で多くの鉄道・軌道路線が立体交差をしていたことから、鉄道・交通に関する子供向け絵本に、未来都市の象徴として秋葉原が描かれることがあった。
- 1945年の第二次世界大戦後 - 神田地区の闇市で当初電機学校(現在の東京電機大学)の学生のために販売していた真空管やラジオ部品など電子部品の店舗が総武本線ガード下に集まって、今日の電気街の基になった。
- 1960年代 - 高度成長と連動する形で、テレビや洗濯機、冷蔵庫など家電製品の販売店が多くなり、大阪日本橋のでんでんタウンと並んで日本有数の電気街の地位を築く。
- 1980年代 - ファミコンの普及に伴って、各種コンピューターゲームソフトを扱う店が増え始め、ゲーム関連の専門店も登場する。
- 1989年 - 神田青果市場が大田区(大田市場)へ移転。跡地は駅前広場・駐車場を経て現在の秋葉原UDXビル・秋葉原クロスフィールドとなる。
- 1990年代 - 家電製品の郊外型量販チェーンストアの台頭で、家電売り上げが減少。その種の電化製品販売を縮小してパソコン及び関連商品を扱う店が増える。
- 1994年頃 - パソコンパーツ(いわゆる「自作PC」の部品)を扱う店舗が増え始める。
- 1990年代後半 - コンピューターゲームの中で、美少女やアニメを扱ったものに人気が特化していき、秋葉系・オタクといわれる存在が注目されはじめる。
- 1997年7月 - 秋葉原駅前広場を会場にコンピュータ関連展示会「インターネットショーin秋葉原」が開催される。以後2001年まで毎年開催され、1999年からは「AKIBAX」の愛称がつけられるなど、秋葉原の夏の一大イベントとなる。
- 2000年頃 - メーカー製コンピュータの販売が縮小し、代わってアニメ・同人誌系などの店舗、いわゆる「オタクショップ」が増える。
- 2002年頃 - 秋葉原駅電気街口周辺にアダルト関連グッズ(AV・おとなのおもちゃなど)を販売する、いわゆるアダルトショップが進出。
- 2002年6月 - 安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例(通称千代田区環境保護条例)が制定。秋葉原のほぼ全域が路上禁煙地区に指定された。
- 2005年8月24日 - つくばエクスプレス秋葉原駅が開業。同時に、同駅東側に車寄せや駅前広場も整備された。
- 2005年9月16日 - 秋葉原駅構内の、旧貨物駅跡地にヨドバシカメラマルチメディアAkiba・タワーレコード秋葉原店が開店。
- 2006年3月9日 - 神田市場の跡地に秋葉原UDXビルが開業。秋葉原クロスフィールドがグランドオープン。
- 2006年5月14日 - 交通博物館が閉館。博物館は2007年、さいたま市に鉄道博物館と改称して移転予定。跡地の今後は未定。
- 2006年6月2日 - 仮称TX秋葉原駅開発ビルが着工。阪急電鉄がつくばエクスプレスから同社の駅周辺の用地を借り受けて建設・運営するターミナルビルである。2008年4月に開業予定。阪急系列のホテルremmがテナントとして入店予定。
- 2006年10月16日 - 都内で初めての区営有料トイレがJR秋葉原駅にオープンした。
- 2006年12月22日 - 2002年以降休止していたAKIBAXが「AKIBAX2006」として復活開催。
- 2006年12月31日 - JR駅ビルにあったアキハバラデパートが閉店。