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はてなキーワード: 封建制度とは

2023-09-23

anond:20230923003118

キリスト教信仰盲目的な受容ではなくて個人と神との間の契約なのであって、個人言葉を発して信仰告白をして洗礼を受けるというプロセス重要。(幼児洗礼という儀式もあるが、その場合は成長してから堅信礼がある。)

これは社会における人間関係にも反映されていて、キリスト教圏では盲目的な滅私奉公は決して良いものとは見なされない。中世ヨーロッパ封建制度における主従関係も主従の間の契約によって結ばれるものであって、家来に求められるのもあくまでも契約範囲内での忠誠であり、家来の方から主従関係契約を解消することもできる。この点が盲目的な忠誠を求められる日本封建制度における主従関係との大きな違い。

2023-04-30

anond:20230430233449

ぶっちゃけ欧米も同じこと思ってるよ

日本は変な権威付けにこだわるし保存がうまいねって

老舗が異常な数あることも有名だし

お互いリスペクトって部分もあるんだろ

というよりこれら以外の国がぜんぜんダメなんだよ

よく日本ヨーロッパ封建制度近代化比較されたりするけど

そのへんの歴史関係してるのかな

2023-02-23

消費文化が一夜にしてパッ!と消えてなくなったって、構いやしない。

そうなれば、みんな運命共同体になって、人生は鶏だの封建制度だのにかかわりあうようになってさほど悪いものではなくなるだろう。

でも、誰もがボロを着て地に足をつけた暮らしになり、放置されたサーティーワンチェーン店内で豚を飼うようになったころに、空を見上げて、ジェット機が見えたとしたら……僕は荒れ狂うだろう。

すべての人間暗黒時代に舞い戻るか、誰も戻らないか、だ。

2023-01-22

まとめ買いよりバラ売りが安い、この国の人という資材

労働人口どころか総人口が減っていき、円安外国人労働者に対する出稼ぎ先としての魅力を陰らせ、

労働力を囲うのがどんどん難しくなるこの国では、なぜか労働力を支える人という資材は

長期雇用というまとめ買いより、派遣などのバラ売りの方が単価が安い。

他の資材でもまとめ買いよりバラ売りの方が単価が安いかというと、そんな馬鹿商売しているところなんて無いし、あってもすぐ潰れる。

けど、人という資材に関しては、総人口が減って囲うのが難しくなり単価が上がるはずの状況においても

まとめ買いの方が単価が高い状況が変わらない。

もちろん、労働力を売る側の労働者が、国が権利を認めている交渉権をほぼ放棄しているというのも原因ではあるが、

それだけが問題じゃないと思う。

この国の文化は、なぜこれほどに人という資材の価値を軽視するようになったんだろう。

労働力を売る側も、買う側も双方ともに軽視しているからそう簡単にこの状況は変わらないだろうな。

上っ面の民主主義を下賜されて結構長い時間が経っているが、いまだに封建制度DNA根深く浸透しているのだろうか。

2022-08-18

[]

中央公論平成26年9月号に戸部良一帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。

開国来日外交英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国駆逐し、自分東アジア盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本歴史外交史を読めば、簡単なことです。

 

では、「あの大東亜太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうがしかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ自衛のためです」の主張には、賛成しかます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。

極東軍事裁判判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこ理屈世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治横槍をおさなかったなら、日本外交アメリカ戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍自己メンツのために日本犠牲にしたのです。

 故リチャード・ストーリという有名なイギリス日本史家は、「日本外交明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチドイツ日本を同じものとして考えるからです。

まったく異なった二国の外交説明させて下さい。

 日本中国戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。

 日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要ナチドイツ同盟を結び、ドイツ欧州を、日本東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしていますアメリカ正義保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢二丁拳銃で打倒したという西部劇です。

専制全体主義国家暴力脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)

 日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本もっと英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います

 

 昭和12年(1937年7月7日盧溝橋での偶発些細な事件では、日本中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。

アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もありますアメリカ戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本中国全土を占領しようとか、東アジアから英米勢力駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジア植民地解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗あい不可能になりました。

 もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。

ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはや日本だけいちはや復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的占領のぞくと、西洋諸国植民地になったという経験ももちません。ヴェトナムインドネシアビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治生活を強いられたかという、経験したことがありません。

 日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがありますアメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。

イギリスフランスオランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。

 

なお、日本南方天然資源確保・・・といいましたが、ナチ東欧ソ連一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカから資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダ商業ベースでの購入をのぞみ交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。

 万が一のインドネシアへの進出のため、また英米中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカ石油輸出禁止在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談提案します。それは軍部が対米交渉障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカハル国務長官などが強く反対し、この提案拒否します。

なんで日本が好んで戦争をしたと言えるでしょう。

 

 さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉ワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任がありますしかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任がありますハル国務長官には、アメリカ学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。

 日本昭和はいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのとき事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力意見が強まったりまったりしていました。日本場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行戦時体制ができ、陸軍要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費のぞくと、法案予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味国会機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部議会世論を気にしていたのです。

 

陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子小説や思い出。向田邦子小説芹沢光治良の「人間運命」も面白い本です。)

 日米交渉の難点の一つは、中国から撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。

 大東亜共栄圏思想ですが、日本中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底日本人の中国にたいする「シナ中国コンプレックス」をもっていたのです。

 東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。

日本場合いくら東条などでもある一定以上の文化教養があったわけです。それを、ナチ日本も一緒にしてもらっては困ります

 この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます日本場合は、これ以上の負担国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。

東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬ハト派」の人間外務大臣にして、交渉継続します。(東郷昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪禁固二十年の判決。)

東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています

 日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気必要でした。

 中国も内部に大問題をかかえており、また、日本一方的大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国協定を守らないので困っているという点では、英米日本と同舟でした。

陸軍英米大平方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本帝国主義政策関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。

また、よく誤解されることは、「日本日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊中国大陸駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本中国偶発事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊駐留させていただけです。

 日本人は賢かった、勇ましかったなどとは言えません。愚かなことをしてしまったものです。

2022-08-09

anond:20220809091302

一般的には、帝政ロシアが好きすぎる、みたいな解釈されることが多いな。 

日本人権力に従いがちなのは江戸時代封建制度から伝統、みたいなノリで。

ロシアでは、とにかく上が強いのが人気があるとされる。

 

ほんまかはしらない。

君のいうような地理的理由のが大きい可能性もある。

2022-03-23

anond:20220323090343

いや、今の与党の方がないな。

目指しているのは民主主義じゃない。絶対王政封建制度みたいのは民主主義とは言わない。

2021-12-09

給与携帯金もお上が定める日本という国

日本人の性根に封建制度が染みついてるんだろうな

与えられた民主主義がいつまで経っても身につかないから、給与労働者自身雇用主と交渉して上げる方向に向かわないし、交渉のためのストも「迷惑」という扱いのままだ。

国の保障してる権利労働者自身放棄して、給与上昇までお上に縋っているのホントに惨めだなと思う。

総務省携帯料金の官製ダンピングもかなり歪な施策だったけど、ホントにこの国の目指す理想中国なんじゃないかと痛感する。

2021-11-07

anond:20211107194948

ほんとだよね。

奴らが目指しているのは民主主義解体全体主義体制封建制度だよ。

いかげんにしてほしい。

2021-10-08

共産主義が嫌いなんじゃなくて、共産主義レッテルを盾にして民主主義が嫌で仕方ない本音を隠した封建主義者じゃん

https://anond.hatelabo.jp/20211006211009

共産主義がなんだって???

何が普通の日本人だ?保守だ?

本当は近代民主主義理念をどうしても受け入れるのが嫌で仕方なくて江戸時代みたいな固定的な身分制度封建制度を維持したくて仕方ないから、

たか近代民主主義概念唾棄すべき共産主義であるかのごとくフェイかまして、自分らの利益横取りされてたまるかとせせこましく屁理屈並べてるだけじゃねえか!

お前らの忌み嫌う共産主義そもそも姿形すらなんなのかも誰もわかってねえっての。

単にお前らにとって都合の悪いもの共産主義ってレッテル貼ってるだけじゃねえか!

いい加減にしろや!

2021-06-19

anond:20210618191625

共産党支持者が共産党を望む理由なんて、労働者保護とか、そんな程度のもの

絶対王政封建制度、行き過ぎた世襲否定

近代民主主義国家としての権力の当然の振る舞い

日本国憲法の順守

戦後から二十世紀末までの政権与党なら曲がりなりにも当たり前だったことすらできてないからそろそろお前らいい加減にしろって言ってるだけなんだよ!

いつまでもお前らのやりたい放題でいい気になっていられると思うな!

2021-02-08

政策より当選を優先してきた自民党がここまで腐敗した現実直視しろ

anond:20210207220914

からなきゃ意味が無いってのはその通りだが、掲げた公約反故にするヤツが支持されるわけないだろ、と思ったがそういう政治家は既に腐るほど居るし、支持されてないわけでもないな

公約意味ないんならもう選挙する意味がない。

日本の政治制度はもうとっくの昔に封建制度に近くなってた。

有権者にふさわしい政治家ちゃんと選ばれてるんだな

2021-01-23

anond:20210123150007

右左以前に、

封建制度絶対王政には反対

近代民主主義精神尊重すべき

国民基本的人権尊重すべき

それだけです。

今の基準で言うとこれが極左ということになるが、時代国家を超越して俯瞰すればこんなものが右でも左でもないことは明らかです。

2020-12-10

やっぱりサザエ存在が納得行かない

一体いつまで放置しつづけるつもりだ?

男尊女卑封建制度的行動規範従順国民性啓蒙するやり方、昭和でとっくに役目を終えているのに、一体あと何十年したら我々はあんなのから解放されるのだろうか?

おかしいと思う奴はいないのか?

後進や新しい世代に道を譲る気はないのか?

この国がどんどん落ちぶれて行くのはそういう古臭い価値観固執し、あろうことか回帰すらしようとすることにあるのは、もう十分わかっているはずじゃないか

いい加減にやめたらどうなんだ?

2020-09-13

anond:20200913013351

民主主義否定するために巧妙な詭弁を使おうとしているようだがそうはいかない。

この国が滅びそうなのは民主主義否定され愚弄され、踏みにじられ続けているからだ。

民主主義があるからこの国は滅ぶので専制君主制や封建制度の方が相応しいというように議論を持っていこうと思ったって、そうはい神崎

2020-07-23

anond:20200723130122

基本的民主主義が嫌い

まれつきの要素で全てが決まる、身分固定化された江戸時代のような封建制度的な社会志向している人がとても多いと感じる。

何百年間もそういう国民性なのに変えようとしないどころか、こういう国民性であることを自覚すらできていない。

から投票率なんか上がらないし、政治のことを話題にすると眉をひそめられる。

2020-07-04

anond:20200704192037

ネトウヨじゃない

人治国家ではなく法治国家の方がいい

封建制度よりも民主主義

絶対王政反対

ただそれだけの話だろ?

自称リベラル」の自称基準に照らせば

30年前なら国民の9割以上は「リベラル」だ

じゃあ、リベラルというワード本来意味に照らして考えてみたら実際そうか?

30年前なら国民の9割以上はリベラルか?

んなわけねえだろ。

奴らは使ってるワードが間違ってるんだよ。

人前で「私はリベラルです」なんてわざわざ言うのって「私は裸ではありません!ちゃんと服着てます!」って言ってるのと何もかわんねえよ。

そんなの偉くもなんともないし当たり前なんだよ!

それだけのためにリベラルなんて自称するのはやめろ!

っていいたい。

2020-05-25

anond:20200524223945

現在でもその傾向があるがフィクショントンチンカンな巨悪(封建制度男尊女卑のはきちがえ)がはびこることは確実だろうな

現実なみのシミュレーションで遊びたいのなら現実のものグーグルマップIngressポケモンGOだけでも弄り倒してるやついるぞ

https://dailyportalz.jp/kiji/youll_start_looking_for_glove

2020-05-20

翻訳サービス比較

原文

The Tokugawa Shogunate was established by Tokugawa Ieyasu after victory at the Battle of Sekigahara, ending the civil wars of the Sengoku period following the collapse of the Ashikaga Shogunate. Ieyasu became the Shōgun and the Tokugawa clan governed Japan from Edo Castle in the eastern city of Edo (Tokyo) along with the daimyō lords of the samurai class. The Tokugawa Shogunate organized Japanese society under the strict Tokugawa class system and banned most foreigners under the isolationist policies of Sakoku to promote political stability. The Tokugawa and daimyō de facto administered Japan through their system of han (feudal domains) alongside the de jure Imperial provinces. The Tokugawa Shogunate saw rapid economic growth and urbanization in Japan which led to the rise of the merchant class and Ukiyo culture. The Tokugawa Shogunate declined during the Bakumatsu ("Opening of Japan") period from 1853 and was overthrown by supporters of the Imperial Court in the Meiji Restoration in 1868. The Empire of Japan was established under the Meiji government and Tokugawa loyalists continued to fight in the Boshin War until the defeat of the Republic of Ezo at the Battle of Hakodate in June 1869.

Google翻訳

徳川幕府は、関ヶ原の戦いでの勝利後に徳川家康によって設立され、足利幕府崩壊に続く戦国時代内戦を終わらせました。家康将軍になり、徳川藩は江戸の東の都市東京)にある江戸から武士大名領主とともに日本統治しました。徳川幕府は厳格な徳川階級制度の下で日本社会組織し、政治的安定を促進するために、サコクの孤立主義政策の下でほとんどの外国人禁止しました。徳川と大明の事実上日本は、ジュール帝国領土とともに、藩(藩)のシステムを通じて管理されました。徳川幕府は、日本の急速な経済成長都市化を見て、商人階級と浮世文化の台頭をもたらしました。幕末には幕末に幕を下ろし、明治維新により皇室の支持者たちにより打倒されました。明治政府のもと日本帝国樹立され、徳川忠誠は1869年6月函館の戦いでのエゾ共和国の敗北までのぼしん戦争

Excite翻訳

徳川幕府関ヶ原の戦い勝利の後に徳川家康により設立されて、足利幕府崩壊に続いている戦国時代内戦を終えた。家康は、サムライクラスのdaimyō君主とともに江戸東京)の東の都市江戸からShōgun徳川一族管理日本になった。徳川幕府は、厳密な徳川クラスシステムの下の日本社会組織し、政治的な安定性を促進するために、Sakokuの孤立主義方針の下のほとんどの外国人禁止した。徳川とdaimyō事実上は、正当な帝国地方そばのhan(封建制度ドメイン)のそれらのシステムを通して日本管理した。徳川幕府は、マーチャントのクラスとUkiyo文化の上昇に通じていた日本の急速な経済成長都市化を見た。徳川幕府は、Bakumatsu(「日本の冒頭」)期間の間に1853から傾き、1868年明治維新宮中サポーターにより倒された。大日本帝国は、1869年6月に忠臣が函館戦争でエゾウの共和国の失敗までボシン戦争において戦い続けた明治政府徳川の下で設立された。

DeepL翻訳

徳川幕府は、足利幕府崩壊に伴う戦国時代内乱終結させ、関ヶ原の戦い勝利した徳川家康によって成立しました。家康将軍となり、徳川家は江戸城を拠点武家大名とともに日本統治しました。徳川幕府は、厳格な徳川階級制度の下で日本社会組織し、佐国の鎖国政策の下で外国人入国禁止して政治の安定を図りました。徳川大名は、事実上日本行政を、事実上皇国と並んで藩制度で行っていた。徳川幕府は急速な経済成長都市化を遂げ、商人階級や浮世文化の台頭をもたらしました。徳川幕府1853年から幕末開国時代に衰退し、1868年明治維新朝廷の支持者によって倒されました。明治政府の下で大日本帝国樹立され、戊辰戦争では、1869年6月函館の戦いで蝦夷共和国が敗北するまで徳川家臣たちが戦い続けました。

みらい翻訳

関ヶ原の戦い勝利した徳川家康によって徳川幕府が成立し、足利幕府崩壊に伴う戦国時代内乱終結した。家康将軍となり、徳川氏は武家大名とともに江戸 (東京) 東部江戸から日本を治めた。徳川幕府は、政治の安定を図るため、厳格な徳川階級の下で日本社会組織し、鎖国政策の下ではほとんどの外国人禁止しました。徳川事実上大名は、日本を藩制(藩)で実質的支配した。日本徳川幕府による高度経済成長都市化が進み、町人階級や浮世文化が興った。1853年から幕末(「日本開国」)の間に徳川幕府は衰退し、1868年明治維新で勤皇志士たちによって倒され、明治政府のもとに大日本帝国が成立し、1869年6月箱館戦争蝦夷共和国が敗れるまで戊辰戦争を戦った。

2019-11-28

anond:20191128010412

もはや左右の問題ではなくなってる。

封建制度か反封建制度か?

民主主義か反民主主義か?

どっちを選ぶんだって問題

2019-10-20

anond:20191020103651

マジで意味不

お前の所だけだろ

今時そんなクソみたいなしきたり守ってるやつの方が奇跡だし、「ウチは今でもこれが当たり前」的な批判をする奴が出来そうだが、そんな封建制度の話をスタンダードにするなって

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