はてなキーワード: 孫の顔とは
コミュニケーションにおいてお土産というものは効果を発揮すると経験的に体感している。
もちろん、どこかに遊びに行って…という形でお土産を渡していいのだがそれにはひとつ問題がある。
それはお土産を渡した人に、「こいつは何処かへ楽しく旅行してきやがったんだ」ということへの妬みの感情を引き出してしまうかもしれないからだ。
世の中、孤独な人は多い。
私自身も10数年前までは一人ぼっちで人生を送ってきて無駄に他人を妬むことが多かった。
そして、そのことに自分では気づけない。
そういう人は私以外にもいるだろう。
「いやあ親が帰ってこい帰ってこい孫の顔見せろとうるさくて」
みたいな雰囲気(あくまで雰囲気、実際に言葉にするわけではない)を醸し出し義務としての帰省を消化した、その副産物としてのお土産ということにしたいのだ。
ただ、この方式の欠点はたまに私のイマジナリー田舎と同じ出身地の人に接するときだ。
一応、現地には実際に行ったことがあるし日々情報を仕入れて(いっときは爆サイなどもチェックしていた)知識をアップデートしている。
それでも不意をつかれるとボロが出かねない。
選択的子無しなだけだよ
子供作るかどうかなんて夫婦の問題なのに旦那の方は完全スルーなのがいかにも
清野とおる: 若い頃は漠然と結婚したら、当たり前のように子どもを持って、それが自分の幸せにも親孝行にもなるんだろうなとは思ってはいたのですが、考えが変わったのはいつ頃だろうな。もし、今のこの日本の経済下や地球環境含めて、自分が生まれていきたいかと言われたら、僕は生まれたくないなと思うんですよね、いろんな意味で。そう思っている時点で、子どもを持つ資格はないと勝手に思っているので。しっかり子育てされている方々は立派だなと思います。僕なんて、親になる自信は微塵もないです。これに関しては結婚前から壇さんも僕と同意見でしたね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1d9d94991e5ef851be4e858563b514d025861205?page=3
籍を入れる前に、清野さんは自分のことを「末代意識高い系だから(自分の代で終わってもいいじゃない、ということ)」と言いました。私もそうだと同意したのが、お互いに子供より2人で生きることを優先していこうという確認の表現でした。両家にも挨拶の時点で伝えましたよ。完全に理解していただけたかどうかは分かりませんが、「あなたたちが決めたなら」と言ってもらえました。
子供をもうけないことを伝えるのにも、勇気と気合が必要でした。何だかんだ言っても、孫の顔が見たいと言われる時代はまだ続きそうですから、流れに逆らうのは正直怖かったです。その代わり、私より年上の家族は必ず助け、看取る、先に逝くようなことはしない!と誓っています。母や父は少し安心してくれました。
映像の世紀で映ってたチャーチルとルーズベルトとスターリンの三人カッコ良すぎるよ…
俺も…
あんな風に…
歴史に名を残したいよ…
結果チャーチルやルーズベルトやスターリンみたいに実家太くないと意味ないのか?
自分が死んだ後に…
パリは燃えているかに合わせて俺の名言と映像が紹介されて欲しいよ…
そういやRBGもカッコよかった…
俺も法学部出てるんだから司法試験受けて判事になればよかった…
死にたくない…
無名のまま死にたくない…
せめて…
せめて…
今の職場で頑張る…
孫の顔も見る…
頑張ろう!!!!!
長生きした上に名前も残して、しかも自らが考案した看護師育成システムや病院運営、看護システムが現代にも形や技術は変わりつつ残ってるとか羨ましすぎる。
あと数百年は忘れられないだろ。
つまりそれだけ生きた証を残したってこと。
俺が育った町はイギリスと何も関係ない海沿いの片田舎だったけど、その近くにある看護学校にもナイチンゲールの像があった。
羨ましい…
羨ましい…
ああ、羨ましい…
対比して俺の人生は…
悔しい…
悲しい…
虚しい…
ああ!!!!!
はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!
日本学士院賞受賞
第〇〇代内閣総理大臣
第〇〇代合衆国大統領
〇年〜〇年の間、世界で一番の億万長者であった(Forbes)
こういう誰にも忘れられない、何かしらの記録に残るであろう称号が欲しい!!!!!!!
死んだらそこで終わり!!!!
俺「死が怖いです。どうすれば生きた証をこの世界に残して後悔しない人生を送れますか?」
馬鹿「旅行行って良い温泉入って良い焼肉食べなさい。幸せになれるから」
はぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????
いや、旅行行って温泉入って美味い焼肉食うのが嫌なわけではないよ。
それが人類史に刻み込まれて、俺が死んでも俺の生の証がこの世から失われないってなら旅行行って温泉入って美味い焼肉食うのだって十分幸福だと思う。
でも実際死ぬ前に俺が旅行行って温泉入って美味い焼肉食ってもこの世界の誰の心にも残らないじゃないか。
だから旅行と温泉と焼肉じゃどうやっても幸福にはなれないんだよ。
医師から冷徹に「あなたの状態だと平均余命は〇〇ヶ月ですね」って言われても「我が人生に一片の悔いなし!」ってその場で自害できるくらい満足できるにはどうすればいいかって聞いとんじゃボケ。
どうやったら「自分の生きた証」や「人生のモニュメント」を築けるかって聞いてんだよ。
集積回路発明、重力波観測、免疫チェックポイント阻害因子の発見に並ぶような功績をどうやってこの世に残すことができるかって聞いてんだよ。
俺は何人にも俺の人生を忘れて欲しくないんだ。
結局フォーカスゴールド2Bに挫折してMARCH法学部から地方公務員になった俺みたいな人間は病気になって死んだらすぐにこの世から忘れられてしまうのか?
もしもニュートンやアインシュタインや大隅良典先生のような能力と功績がが手に入って歴史に名前を刻めるなら、焼肉も旅行も温泉も含めこの世のありとあらゆる娯楽や享楽や快楽を一生禁止されたって構わない。
この世に生きた証が欲しい。
確かに今の職場で仕事を頑張って区長や局長、さらに進んで副市長になって、定年後は外郭団体の理事や代表になることができれば葬式には沢山の人が来てくれるだろう。
婚活して結婚して子供を持てば子孫は受け継がれるし子育てに間違いがなければ子供や孫が墓参りにも来てくれるかもしれない。
でもそれじゃダメなんだ。
途中で俺がこの世で何よりも恐れる癌になったら?
行政官として名前を残したり孫の顔を見るなど「一般的な幸せ」を手に入れるには時間がかかり過ぎるし癌というはずれくじを引かずに長生きする必要がある。
途中で死んだら何も残すことができないままこの世から消えてしまう。
最後まで頑張れたって次の世紀には誰にも覚えられていない。
そもそも、お前らはもう小松法制局長や香川財務事務次官のこと殆ど覚えてないだろ?
それじゃダメなんだ。
ニュートン、アインシュタイン、ガンジー、マロリー、ナイチンゲール、キング牧師…
彼らのような自分の生の証をこの世に残してモニュメントを築いて名前を残さなきゃ生まれた意味がないんだ…
郵便局を定年退職して一日中刑事ドラマ見て脳梗塞で死んで葬式には家族と友人と元同僚しか来てない父親のようになったら怖いんだ…
白血病でこの世で何も為さないまま大学時代に死んだ従兄のようになったら怖いんだ…
ああ…
怖い…
癌は怖い…
脳梗塞も怖い…
病気が怖い…
事故も怖い…
死が怖い…
いや、ただ単に死が怖いんじゃない…
「この世で何も為さないうちに訪れる死」が怖いんだ…
定年して刑事ドラマ見てたまにゴルフして誰にも知られず90歳で心不全も怖い…
ノイマンやマロリーのように世界に名を残してからなら逆に早死にも怖くない
忘れられたくない
消えたくない
彼女は自分をまともじゃないと思ってて、増田や増田の親御さんはまともだと思ってて、まともな人間じゃないと子供を産み育てたらいけないとも思ってる。
子供作って自分をまともじゃないダメな母親だと言われるのも嫌だし、かといってまともな母親になることなんて自分には不可能だと思っているし、子供作らずに増田や両家のご両親を「まともじゃない嫁(娘)のせいで子供(孫)の顔を見られなくてかわいそうに」と思われるのはもっと嫌だと思っている。
すごくよくわかる。
きっと増田が「俺もそんなに子供欲しくないし二人でいたらいいよ」って言っても信じてはもらえないと思う。
自分の心の中にいる自分を責める声の方が大きいのよこういう人は。「そうは言っても増田はいずれ心変わりして子供が欲しくなって妻を捨てるんでしょ」「増田の親御さんから『やっぱり孫の顔が見たい』ってちょっと言われたらすぐ掌を返して親の味方をするんでしょ」「そもそも結婚したのに子供を作らない妻なんて悪い女だ夫がかわいそうと皆から思われる」ってね、心の中の他人の声に潰されて何もできなくなっちゃうのよ。
そもそも子供を作るハードルがどんどん高くなってるし、子供がいない夫婦を変な目で見るような社会の風潮もだいぶ薄れてきているとは思うんだけどね。
60歳でかならず人生が終わるってわかってるんだったら50歳くらいで仕事辞められるんだよな。
もちろん、仕事が生きがいの奴は続けりゃいい。
65歳とか70歳まで働かなきゃなんねーのは結局、自分の人生が働けなくなった後も続いてしまうからであって
60歳で死にますってなってりゃ、仕事辞めてから60歳の誕生日までの生活費が溜まった時点でリタイアできる。
年金払ってる分をリタイア用に自分で積み立てるなり、死ぬ日まで働く前提で使っちゃうなりどうとでもできる。
身体なんて20歳以降基本的には衰えていく一方で60過ぎたらピークの4分1もない。
なのに一番楽しめる20代30代を死ぬ前のロスタイムのために浪費する人生に何の意味があるんだ。
60歳になったら強制的に死ぬんだから属人性を排除した仕組みを作るだろうし、技術の継承も盛んになるだろう。
孫の顔が見たいんだったら20歳くらいで子供作って、その子供にも20歳くらいで子供作らせればいいじゃん。
行ける行ける。余裕余裕。
常に怒ってる親に育てられ、つらい子ども時代を過ごし、夫も似たような感じだから、子を作らないことにしている
以前は、孫の顔を見せられないのが親に申し訳ないような気持ちになったこともあったが、いやよく考えたらそういうふうに育てたの親なんだから私が気にすることないな…と思い直した
たぶん常に怒ってたというのは本当ではなく、実際には怒ってない時間も多かったと思うし、別に虐待とかでは全然ないんだけど、とにかく怒られた思い出ばかりが強烈に定着してるのでそう誤認してるんだろうと思う
それでも子育て=怒りというイメージしかないので、怒りたくない…やめよう と思ってしまう
怒りだけじゃなく、子を育てることで得られるものははかりしれないんだろうなとは思うけどね
街なかで幼児に怒ってるお母さんの怒声聞くと心臓がバクバクする
妻にそろそろ子供を作ろうか、という話をしたら「お互いにそんなに前向きじゃないなら子供を産まないという選択もあると思う」と言われ、なんと言っていいかわからんがとにかくショックを受けた。
「妻がこんな考え方なんて!」とかそういう事じゃない。
正直、子供は好きじゃないし「子供欲しい!」って強く思ってるわけじゃない。俺は子供を育てていけるような人間なのか、金銭的にやっていけるのかって不安もあるし、夫婦揃って金のかかるオタク趣味をしてるのもあって趣味を辞めなきゃいけないよな、って考えもあった(これはただのカスオタク)。
でも、「親に孫の顔を見せなきゃいけない」とか「結婚したんだから子供は作らなきゃ」とか漠然とした価値観みたいなのもあって上記の不安を抱えながらも「俺は子供が欲しいんだ」って今の今まで思ってた。思い込んでたと言ってもいい。
そこに妻に「お互い前向きちゃうなら子供別に産まんでもええんちゃう」って言われてしまった事で俺は子供が本当に欲しいのかどうか分からなくなってしまった。
"お互い"前向きじゃないなら、って言われたように俺が子供好きじゃない事も不安に感じてた事も妻にはしっかりバレてたみたいだし、俺は俺で妻と話す過程で、
「あぁ、妻は俺が子育てをちゃんと二人でしてくれるのか不安なのだ。仕事を言い訳にして子育てから逃げそうだと思われているのだ」
とも悟った。妻にもそう伝えたら正直に「そうだ」とも言われた。
F欄なので文章力とかなくて申し訳ないのだけどとにかく今のこの想いをどこかに吐き出したかった。
俺は、妻は本当に子供が欲しくないのだろうか。欲しいのだろうか。作ったほうがいいのか作らない方が良いのか、分からなくなってしまった。
母には同情してるよ。
看護師とか検査技師みたいな医療系の資格取るなり四大行って就職するなりして自分の人生生きればよかったのにって。
ブサイクでパッとしない仕事して二階堂のソーダ割り飲んでソファでガーガー寝てる芋親父の炊事洗濯係になって、やっと生まれて来たのがその親父そっくりな俺。
年の暮れに嫁や孫の顔を見る楽しみを潰されて洗い物してる。
人生を棒に振るってまさにこれだよ。
いや、勇者でなくともきっと高尚な何者かにはなれるだろうと思っていた。
地方の小さな田舎の村で生まれ育ち、幼い頃から力が強かった私を周りの人間は「これは将来きっと勇者になる」と持て囃した。
ある有名な勇者養成所の指導者が「こんな田舎で碌にトレーニングもしていないのなら将来化ける可能性がある」と声をかけてくれた。
そうして村を出て地方都市にある勇者養成所に入ったが、もちろん周りは勇者を目指して集まってきた強者ばかりだ。
そこで自分がド田舎のカワズだったということに気づいてしまった。
「そうか、勇者の才はなかった。だがもしかしたら魔法使いの才があるのかもしれない」と。
勇者を目指す者達はそれぞれの道へ進んでいくが、夢を諦め一般警備兵に志願する者も多かった。
しかし私は違う。
大魔法使いになるのだ。
異業種へのジョブチェンジは大変だったが、有名勇者養成所の経験をかってもらい全くの未経験から中堅魔法学校への奇跡的な入学を果たした。
自分の得意魔法を極める周りの魔法使い見習いを横目に、たくさんの魔法を覚えることに執着した。
しかし所詮全てレベル1、魔法に見識がある者であれば魔法学校に入る前に覚えている程度のものだ。
気づけば4年の月日が過ぎ去り私は悟った。
「こんな地方都市では駄目だ。もっと都会に行けば自分の輝ける場所があるかもしれない」と。
首都に向かった。
初めて見る大き過ぎる建物や人間の多さに驚愕しながらも、何か特別なことが起こりそうでとても興奮した。
先ずは魔法を活かせる仕事を探したが、レベル1では出来ることもたかが知れているし報酬も安い。
私は落胆した。
魔法使いの才はなかったようだ。
やはり刀鍛冶の才があるかもしれない。
いや実は商人としての才があるのかもしれない。
その経験を面白がって雇ってくれる方もいたが、年齢を重ねるにつれ信念のない人間と見做し門前払いも増えていった。
田舎を出て30余年。
今は一般警備兵の鎧を作る鍛冶場で使う工具を整備するための布を作る職人へ素材を運ぶ仕事をしている。
布はすぐ破れるのであまり評判は良くないが、安いので売れる。
なぜ安いのかと言えば素材が安いから。
体力を活かせる私にぴったりのお仕事。
身の程を知り己の身の丈にあった慎ましい人生を送る、早々にあの田舎に帰って井の中のカワズに戻ればどれほど幸せだったか。
結婚し、今は亡き両親に孫の顔でも見せられていたのではないか。
だが私は選べなかった。
もっと輝くストーリーがあると信じていたし、勇者にはなれずとも高尚な何者かにはなれるだろうと本気で思っていた。
努力もせずに、見切りだけは早く、されど自分の才を信じて疑わない。
なろう系の主人公のようにある日突然最強になっている、未だにそんな日を夢見ている。
オーストラリア生活も35年目に突入した今年6月、仕事を辞めてリタイア生活に入ることにした。
長年貯めてきた年金をおろせる年齢に達した事と、結婚してニュージーランドに住む娘に二人目が産まれる事が重なり、それならとりあえず今年いっぱいは少しずつ年金を切り崩しながら、自由にオーストラリアとニュージーランドを行き来する生活を満喫しようと思ったのが主な理由。
早速犬を長期で友達に預け、7月初旬から半ば、9月から10月半ば、そして12月に二週間と、この半年間で3回ニュージーランドに飛び、孫の面倒を見たり、娘家族の家事全般を手伝ったりと楽しい時を過ごしたのだが、長期のニュージーランド生活はどうやら私には合わないという事が判明。
豊かな自然に恵まれ、どこに行っても絵葉書になりそうな風光明媚なニュージーランドは、一時は移住しようかと真剣に考えていたのだが、どうやらこの美しい自然が生み出す花粉やら動物の毛などで、喘息発作を起こすほどのアレルギー発作に見舞われてしまったのだ。
とにかく咳が止まらない。
市販の抗ヒスタミン剤程度では症状は収まらず、最後は喘息用の吸入器とステロイド剤のお世話になり、ようやく咳が収まったという次第。
それでも美しいニュージーランドに住む可愛い二人の孫の顔を見に、また遊びに行きたいのだが、この次の訪問予定は3月末になりそう。
それまでは、毎朝行かなくてはならない仕事もなく、毎日朝夕の犬の散歩と、早朝のスイミングが一日のハイライトとなってしまった。
実は趣味でゴルフもするのだが、12月から2月までの夏の間は、異常気象のせいで最近は30度超えが続く。
子供の頃にならったピアノでも始めようかとポロン、ポロン弾いてみたりしても、昔のようには指が動かず。
せっかく憧れたリアイア生活なのに、これでは頭がボケるだけと思い、ブログを始める事にしたのだった。