はてなキーワード: 女子プロとは
女子プロレスファンだと思っていました。
彼らは「金を払っている」ことを盾にして、野鳥を捕るような大きなレンズで
売店でたかだか3000円のTシャツを買うことで彼女たちの手を離さず
ただひたすらに自分の思いを熱く語り
じっとりとした目で見ながら「燃やしたい。殺したい」とつぶやいているのです。
昔「小学生プロレスラー」がいたとき、彼女がちょこちょことリングを走り回る
その姿をひたすらにカメラで追いかけていたリアルロリコンにも、
その場の勢いでどこかに通報しようかと思ったくらいの恐怖を感じたものです。
会場内で「○○のほうが実力は上だな」と聞こえよがしに叫んだり
彼らの存在に気づいたとき私は本当に恐怖心を覚え、
またそんな彼らに嫌な顔一つせず対応する
転向してくるようになりました。
そこでジョシカクのファンの人々を見るようになって思ったことがあります。
ジョシカクヲタは女子プロヲタよりももっと気持ち悪いということ。
ああ、気持ち悪い。死ねば良いのに。本当に気持ち悪い。
綺麗なお姉さんが綺麗に闘う姿が好きです。
けれど会場に足を運ぶのは憂鬱です。
彼らの集団をかきわけて、いちもくさんに自分の席へ。
いくことを考えただけで気持ち悪くてしょうがなくなるのです。
そのことに対するリスペクトがない
http://anond.hatelabo.jp/20070314201650
というところがとてもじゃないが耐えられない。
一行知識というのが世の中にはある。雑誌のハシラに書いてあった「サンドイッチはサンドウィッチ伯爵がトランプの合間に食べられる食事として発明した」といったような、どうでもいい雑学のことだ(唐沢俊一さんが詳しい>http://www.tobunken.com/)。今はトリビアとか言うんだっけ? この一行知識のよいところは、あまりにくだらないから誰も正誤を確かめない、ということだ。
「ものを知っている」というのは「見たことがある」というのとは根本的に違う。原著にあたれとは言わないが、少なくとも「インターネットのウィキペディア」で手に入れられるような知識に、正誤の確証性は求められないだろう。
だが、それでもいいのだ、それが一行知識ならば、その知識は「いかに役に立たず」「いかにくだらなく」「いかにソースが不明瞭」でもかまわない。面白いことが第一であって、他には何の役目もない。
ところで、カラスの脳には霊長類の新皮質に似た構造があって、他の鳥よりはるかに頭がいいらしい。
そう、スチャダラパーの名曲「ヒマの過ごし方」で歌われるように、人類の脳も、発達すると同時にヒマを知った。
ヒマを潰すために絵を描き、音を発し、言葉を生み、知識を遺す。
性本能は水爆戦がなくとも暴走し、テレビモニターの中に映る肌色の物体に欲情することを喜んだ。
かなり思いがけない事だが 人は必死でヒマをつぶしてるだけだ
本来 人はヒマだった そしてそれを受け入れることができた
世界中の至る所そんな足跡を見つけることができるだろう
スチャダラパー「ヒマの過ごし方」WILD FANCY ALLIANCE
酒の席で発酵と腐敗について一言、殺人の前にはモナリザの素晴らしさを語ろう。
女子プロの前座で小人プロレスやってた頃って百貨店の試着室で誘拐されてタイかどこかでだるまにされて、なんて都市伝説がありましたよね。
長い人生を生きていれば、要らぬ知識を溜め込むぐらいのヒマは誰でも作れるだろう。
そこで何を溜め込むかは人の勝手だ。できることなら、要る知識を溜め込んだ方が良いのだけれど。
本・テレビ・インターネットで見聞きしたことを話してるだけの浅いことしか知らないひとたちと、本当の知識を持っているひとの差は、誰にでもわかる。
「大切なのは何を知るかではなく、いかに知るかだ」という言葉にもある通り「インターネットのウィキペディア」ではそれなりのことしかわからない。
なぜ、自分よりも知識の少ないひとしか周りにいないのか、その原因を深く考えてみよう。
それなりの知識を溜め込んだ自分を、後悔する前に。