はてなキーワード: 多読とは
ショーペンハウアーは読書について以下のような主張をしています。
1. 読書は他人の思想を借りて考えることであり、自分で思考することの代替にはならない。あくまで自分の思考を助けるためのツールと捉えるべき。
2. 多読は必ずしも良いことではない。むしろ、厳選された良書を繰り返し熟読し、深く理解することが大切。
3. 読書は精神的な栄養摂取のようなもの。消化吸収できる分量を心がけるべき。食べ過ぎると消化不良になるように、読み過ぎても身につかない。
4. 古典を読むことを重視すべき。現代の書物より思想的に深みと普遍性がある。
5. 読書して得た知識を、自分の経験と照らし合わせて血肉化することが肝要。鵜呑みにせず、批判的に吟味する姿勢も必要。
6. 他人の意見に流されるのではなく、読書を通して自分の思想を形成していくことが目標。
要するに、ショーペンハウアーは読書を単なる知識の受容ではなく、自らの思索を深める能動的な営みと捉えており、精選した良書を熟読玩味することを勧めているのです。読書との付き合い方について示唆に富む主張と言えるでしょう。
ピッコマ
UIが結構好きだったのと「ナビレラ」って漫画が好きだったので利用してたんだけど、最近唐突に無料話の場合にSMS認証を求められるようになって面倒だからもういいかな…と思ってやめた
その前はhontoを使ってたけど、そのとき買った本はもう読まなくなってしまった アクセス面倒くさくて…
同じようにピッコマで買ったいくつかの作品も読まなくなってしまうかな
ヨコハマ買い出し紀行と推し武道は紙で買い直そうかな
迷ったけど今日紀伊國屋の電子書籍サイトに移行してとりあえず人生にマストという漫画だけ揃えて買ったけど、結構いい感じ
アマゾン嫌いだからkindleは考えたことなかったけどみんな使ってるよね そこでだけ作品売ってる人もいるしな…犬のかがやきとか(知らないだけで他でも出してる?)
白泉社の漫画に好きなものが多くてアプリのマンガParkは結構よかったんだけど
時々クソ重なのとトップページにBLTLのエロシーンの抜粋があられもなくバーンと出てくる構成とか感覚が合わなくて嫌でここで買いたくないと思ってしまってやめた
結局なんだかんだ読み返すのは紙の本ばかりになってしまう
みんなどこで電子書籍買ったり読んだりしてるんだろう
さすがブクマカや増田は多読の人が多そうで実際の使用状況から参考になりそうなコメントたくさん見られて助かりました、ありがとうございます
使い方や選択の仕方も本当に人それぞれなんだなと
昨日今日と使ってみてかなり使いやすいし相性がいいと感じるのでしばらくkinoppyでいってみて、あとサブでbookwalkerなり足してく感じにしようかな…と思いました
もういつ死ぬかもわからないから壁を埋め尽くしてる紙の本も徐々に処分していってコンパクトな方に移行していかないとねというところなので…
こんなハメにならないようにと思って書く。
でも実際はもう時間いっぱいで他の事やる余裕がなかったり。
TOEIC LRは5年くらい受けてない
たぶん向上しているが、ペラペラには程遠い
一年経って、母娘がお料理している写真の写真描写をしようとしたら
なっかなか英語が出てこなくって、とても落ち込んだ
今まで一体何やってたんだろと
1. 瞬間英作文 538時間
1. 瞬間英作文 365日
2. 単語 365日
3. シャドーイング 365日
4. 速読 245日
6. オンライン英会話の予習 241日+ブランク+41日(更新中)
7. オンライン英会話 357日(数日ブランクあり。予約してた時間を覚え間違えたり)
9. 多聴 182日
●トレーニング別やった(完遂した)教材(同じ順)
瞬間英作文:どんスラポンバン計4冊+どんスラのおかわり計2冊
単語:金フレ、キクタン800、DISTINCTION1、キクタン4000の計4冊の見出し語、例文全て
シャドーイング:TEDtalks4本、JapanTimesのスピーチ3本+インタビュー4本
速読:TOEIC超特急スピード強化編+ダブルパッセージ編、OPINION1100(Z会)、
多読:ラダーシリーズ61冊、2周読んだ本入れると67冊分相当(89万文字)
オンライン英会話:毎日1レッスン(初期の頃は一日3レッスン)、テーマ別ディスカッション
スピーチや独り言:NHK WORLD から一記事を選んで、原稿作って、1分間暗唱できるまで練習、録音、セルフフィードバック
(初期の頃は、TOEFLやIELTSのサンプル問題から原稿作って、セルフトーク)
ライティング:初期の頃はnoteにジャーナリング。その後、TOEFLやIELTSのライティング問題を解く。220本辺りでやめる。
1. 瞬間英作文 やった教材の復習
2. 単語 TOEIC系の英単の定義(definition)を英語の文章で説明(英英辞典っぽく)
3. シャドーイング 遺伝子編集と生命倫理のインタビュー記事を使用
スピーチや独り言:オリジナルなことを作って喋る、リスニング以外の全スキル向上
多聴:たくさん聞く
ライティング:使いたい表現を使う、混文や論理的な文章を書く練習
1. 速読、多聴のつもりで始めたが結局、精読、たまにシャドーイングしたり、ボキャビルだったりする
3. 体系的に勉強することが科学的のように見えるが、なんだかとっ散らかった感じもする
4. テストの公式問題集は一切やってない。これに集中した方が効率良かったかも、と思う未練があったりする。
5. でも多言語話者なんかは「ドリルなんて要らない」って言うので核心は不明
7. 法則性を理解することと、自分の口で再現できることは全然別
9. YouTubeなどで〇ヶ月でマスターしたみたいな動画のサムネイルを見ると辛くなる
10. ってか日本人YouTuberの動画は見てて辛くなる、美男美女多めだし
11. 結局ネイティブや非ネイティブ且つ非日本人の英語学習(多言語学習)YouTuberを見るようになる
13. でもこういう映画やバラエティ番組を使ってゆるーくやる勉強の方が効果的だったのかもと未練がある
14. 実際のところは不明
2. 言語はインプット量と言うが、使わないまま忘却する知識も増えてしまう
3. たくさんインプットするほどアウトプットする場面は多くない
4. でも忘れてしまうのはもったいないので、またやりお直して覚える→忘れる、の繰り返し
7. 瞬間英作文は自作できる英文もあるので全滅することはないが、結局あらかたサビる。
8. 未来完了などのレアな文法を使う場面や、shall weなどの疑問文は使う機会がない
11. が、おそらくやり過ぎだと思う。リターンが乏しい。
12. シャドーイングの教材の難易度が適切かよく分からない。
13. 特にインタビューものは、アンフォーマルな英語なので難しい。
14. 普通にTOEIC L や TOEFL でいいような気もする。
●将来
1. 5000時間は余裕、10000時間もたぶんいけると思う。
2. しかし、継続日数や量とかじゃなかくて、そろそろリターンが欲しい。
3. 50歳までにバーでネイティブとビア飲みながらワイワイお喋りしたい。
5. ってか仕事したくない。
1. 一年記念に英語学習YouTubeを始めた。まだ全然下手だけど
2. インフルエンサーみたいに教えるスタイルではなく、「実際にやっている」動画を主にアップしている
5. でも結局一つもヒットしてないけど
6. ゆっくりやっていく感じ
●さいごに
なんか書き忘れたことがある気がする。
追記していくかも。
国語辞典やブリタニカのような写真ではなく字が主体の百科事典の動植物あるいは衣服等の説明は分かりづらいものです。
あれはそもそも現物を見たことがあることを前提にしているような解説になっているようにみえます。
辞書の主な使い方の一つとして、文章に出てくる具象名詞がどういうものか分からないから引いてみることがありますが、この場合現物を見たことがないことも多いはずです。
ですから解説に写真を用いないならば実物と相違ない像がありありと浮かんでくるような文章で説明されていなければある意味本末転倒なのです。
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試みにあなたが知らない植物を何か一つ引いて、その説明を読んで図に描いてみてください。そしてネットの画像検索で比較してみてください。
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今はAIがありますからより科学的に辞書事典の記述の妥当性を検証できると思います。
写実的な絵を描くことに定評がある人達から同じ植物の絵を集めて、模範的な絵として学習させたら、同じような人たちからその植物をまだ知らない人たちを選出し、辞書の説明だけを頼りにその植物の絵を描かせます。
次のパターンとして、絵は全くの素人という人たちに実物を見せてその絵を描いてもらったら、既に学習させた模範的な絵との比較で、両パターンの近似度の平均をそれぞれ算出します。おそらく全くの素人が実物を見て描いたものの方がまだ高い近似度を持っていることでしょう。
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広く捉えればこれは国語教育の問題かもしれません。つまり国民全体において辞書等から正しいイメージが得られないというのが平均的な水準として示されるならば、それは個人によつ勉学の怠慢という自己責任ではなく、教育制度側の過失といえることになります。
PISAではごく単純な論理パズルのような説明文を読ませて正答を導かせるようなことを行ってきていますが、一度、文章からそれが示す物体やその配置に関する図を選択させる問題も出してみるべきだと思います。
数学には取って付きのマグカップとドーナッツを「同型」とみなすようなトポロジーという学問がありますが、そのような緩い制約の下ですら構造的に異なるような一群を選択肢としても、なお正解を選べない人がごまんと出てくる結果となるかもしれません。
そうだとすれば小説の情景描写もまたまともに機能していないかもしれません。自覚のないあきめくらが読者かもしれませんから。
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本をたくさん読めば読解力が身に付くという考えが横行しています。この根性論のような考えも問題です。
PISA等で国民の文章からイメージを自分の頭に形成する力の低下が判明したら、文章とそれが一般的に指し示す図の対応ということに焦点を当てた学習法をぜひ初等教育に取り入れるべきでしょう。
やみくもに本を読んでれば読解力が上がるというのは、読書に慣れるとか、知らない単語を発見することで知識を埋め合わせる機会が得られるということが考えられるのである意味で正しいですが、しかし言葉をイメージに還元する力の育むに際しては根本的に、原理的に無力だと思います。
我々の脳よりもはるかに高い処理能力を持つAIでさえも、一部の学習に際してはフィードバックという一定の手順を必要するのです。
我々が文章から正しいイメージを得るようになる過程についても同じことが言えると思います。
「そのイメージで合ってるよ」「そのイメージは間違ってるよ」と教えられることによるフィードバックがなければ、自分の読みが修正される機会がなく、何かを読んでもトポロジー的にすら間違ったイメージを展開していくようになるでしょう。
あるいはそれは教育されなかった「ヒト」としての自然な姿なのでしょうけども、それはそれとして。
話を戻せば、するべきことは、文と図との基礎的な対応表を作って、九九のように叩き込ませることです。
これは一見根性論めいているかもしれませんが、無計画な多読よりも遥かに効率的でしょう。
基礎的な表がクリアできたら、もう少し複雑な文や文章でも作成しておいた対応表へと移行していけばよく、方式としても構造化されていて明快です。
結局これは数学において基礎をおろそかにすれば応用問題で容易につまづくようなこと、たとえば掛け算ができなければ割り算はできないとか、微積分の原理が分かってないのでは微分方程式は解けないということと同じです。数学に取り組むのとある意味で同じ態度で国語の学習にも臨まれるべきだと思います。
具体名挙げてしまって著者には申し訳ないのだが「未来からのホットライン」の核融合炉の施設内部の描写がてんで理解できない。説明が緻密なのがむしろネックになってる感じで、キャットウォークとかトンネルとか配線とかの位置関係が三次元的に脳内に構成されていかないんだよ。本当に上下左右という程度の確度でしか把握できない。
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小説は漫画とかと違ってイメージが押し付けられないのがいいという意見を聞くことがある。個人的にはこれはイメージという単語の前に「自分が気に食わない(特に人物の容姿)」という文言が省略されているように思える。
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想像することって、はっきりいえば単に手間でしょ。小説は想像することを楽しむものって手段と目的が逆転してる感じで、本来は「筋書きを楽しむもの」だと思う。筋書きさえ面白ければ、そして挿絵とかが適切なら、想像しなくて済むのならそれに越したことはない。
くだんの小説も建物の「構造」について図があるからといってイメージを押し付けられたと感じる人は例外的だと思うから、文章で全て言い尽くそうとしないで見取り図ぐらい添付してもよかったと思うんだよね。
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私と同じ考え方っぽい人を二つ挙げとく
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https://modernclothes24music.hatenablog.com/entry/2014/02/21/090746exit
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1514063554/exit
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そしてどうしてもこれだけは抜粋しときたい(5chのレスから)
文章だけで考えてると「この馬はどこから走って来てどこに行ったの?
なんでそんなとこから馬が走ってくるの?」
みたいな変な部分が必ず出てくる
読む側からしてもまさしくそういう感じで、結論としては始点と終点が一致したループだと言っていても、今までも風景の説明から本当にそのことが導けるのだろうかという感覚になることがある。
各部分の描写から全体を統合できない感じで、整合性を認められないことがある。
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前記の小説の施設を見学するシーンでも各区画を主人公たちの足取りに沿って説明していってるのだが、いつのまにか前いたところが主人公達の頭上にあることになっている。
確かにエレベーターで地下に降りる描写はあったけど、上下の関係で足取りが立体交差できるような文章だったか。
区画という各部分の風景だけは十二分に頭に浮かび上がってくるんだけれど、ジグゾーパズルでいうならそれはピースの凹部や凸部があやふやになっている状態にたとえられる。
なのでそのパズルを組み合わせる=建物全体の構造を把握することもできないとなる。これが読後感にもやもやを生む。
そもそも自然言語というものはねじれの位置とか含めた抽象的な位相関係を表現するのに不向きなのかもしれない。
そうでないにしてもせめてPISAとかは単純な論理パズルで読解力を測るんじゃなくて風景の説明文に対して、少なくともこれは与えられている文に矛盾しないという図を選択させる問題も導入してほしい。
ネックが読者側にあるかもしれないかもしれないのにその問題が十分には剔出すらされていないように思われるから。
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「船べりに足をぶらぶらさせていた」文学事典に載ってるような作家の手になる表現だ。しかし「船べりに」とは一体どういう状況なのか。
「船べりで~」であれば人がデッキの手すりでも背にして寄りかかって片足をぶらつかせる風景が想定される。
この話は作家自身の航海記であって大西洋を横断できるような鉄の船の話だから「船べりに」何かをするにはへりは高すぎると思われる。和船の小舟のように足をへりに置けるような状況じゃない。
たとえれば無理に腰よりも高い塀の上に片方の足を足の裏を外側に向けて乗せるイメージでただでさえ不安定な姿勢だから、せいぜいへりをかかとで擦るようなことはできても、重力に逆らってぶらつかせるとは描写として不自然と言わざるをえない。
思い込みで文章を書くとそういうことになると聞いたことがあるから、ちゃんと正確に書いてほしい。
正確に書けば書くほど想像の余地が少なくなるから小説としてつまらなくなる、というものではない。
想像する楽しみと小説の楽しみ方としては二次的なものだとは前にも書いた。限定的で端的な例だが、泥のように眠るという慣用句を小石のように眠るとアレンジすることで生まれるような詩的な妙味を味わうことも小説の楽しみ方の一つだ。
酒などを希釈しないで飲むことを生一本といっても、水で薄めずにといっても、神の創りたもうたままにといっても、どれも全く「希釈しない」という全く同一の事態を指しているうえでにその同一性こそがその描写が正確であることを示す必要条件でもあるわけだが、こうした同義のフレーズが畳みかけられている箇所にも、同じ事態の概念への落とし込み方の多様さに面白みが認められるだろう。
俳句は小説じゃないけれど、あれなどは兼題写真があるのが普通だ。写真というこれ以上なく正確な像を前提としているからといって、そこから派生される俳句の数々に「想像の余地がないからつまらない」と批判する人間がいるだろうか。
むしろ想像の喚起を重視する人のブログとか見ると「容姿の描写ほとんどされてないのを逆手にとってわざと金髪美少女のイメージで読んだ」とか言ってるような人もいて、想像するのを楽しむというやり方は小説をカップ麺の重しにするのと同じぐらいひねくれた本の使用法なのではないかとさえ思えてくるわけだ。筋書きを楽しむ、表現そのものを味わうというのが文句なく一義的な意義であるとすればなおさらだ。
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必要だと思ったとこだけ読み込んで不必要だと思ったところは読み飛ばせばいい、授業だって教師の言うこと全部覚えてない、それと同じだというような人もある。
しかし授業内容と違って小説は内容を問い合わせることができない点で致命的に異なる。
不十分だと思って読み込もうとした箇所も独力では一生かかっても理解できないかもしれない。
作者は思い描いた風景を必死に文に落とし込もうとしたかもしれない。作者は情景を読者と共有したがってる。なのに十分に伝わらない。こんな悲惨なことがあっていいのだろうか。
小説には攻略本もITの専門書にありがちなサポートダイヤルもないんだ。
二重回しとか大島紬みたいな名詞の指すものが単に想像できないとかだったら画像検索すれば済むことだけど、実際に読んでてつまづくことが多いのは文や文章という総体がどういう具象や抽象を指し示しているかとことで、でもこうなったときには打つ手がない。
人工知能は与えられた文章をイメージに接地させずに意味を理解できるが、人間としてはイメージに還元できないことには文章を味わうことはできない。
もちろん読者側の能力の問題かもしれないからそこは見極めなければならない。
先述のようなPISAなどの結果によりそういう能力が不十分と分かれば、出版業界に小説には抽象的な構造に関して図解を挿入するよう働きかけるか、さもなくば教育を刷新するか、そういう判断の指針が得られる。
教育を刷新するというのは単に文章を多読すれば読解力を身に着けさせられるはずだという今の態度が不十分という意味で、一つ文を読ませたらその文が一般的に指し示すことになる図を提示するといった訓練を導入するべきだと思うということ。
単文が示す風景(あえて情景とはいわないでおく)すらもまともにイメージできないようでは複文や文章の指し示す風景もまたイメージできるはずがない。
基礎(単文)を固めることでしか応用(文章)を扱えるようにはならないということではむしろ数学と同じだ。そういう心持で読解の養成には取り組むべきだ。
たとえば百聞は一見に如かずといっても社会生活のうえでいつも文章が指し示す現物を持ってこさせられるとは限らないから、文章をイメージに還元する力は実務的な能力でもあるわけさ。
困ったら流行りのものを読めばいいのだ、と思って書店のランキングなどは見てみるものの、昔みたいにタイトルや表紙にわくわくすることが減ってしまった。土日はずっと図書館にいて、学校の帰りに書店に寄るのが日課だったのに。宿題は読書感想文がいの一番に終わるような子供だったのに。
はるか昔、中学生の頃は年間多読賞を貰うくらい読んでいたはずなのに、その頃は表紙の色が好きだから、紐のしおりがついててなんかよかったから、装丁のフォントが好みだったから、新刊だから、なんとなく目に付いたからで本を選べていたのに。
たしかに子供と比べて自由な時間は減ったかもしれないが、別にブラックの社畜ではない。他に時間を大きく割かねばならない趣味もない。ただ手に取らなくなってしまっただけ。
手元にあるものならいくらでも読み返す。読むことで疲れたりはしない。目が悪くなったわけでもない。多分「本好きレベルが普通の人」より少しだけ早く読める。なので1時間もあればそれなりにまとまった量を読める。恋人と二人暮しなので土日なんて10時に起きて12時に家事が終われば寝るまでずっと自由時間であるはずなのだが、最後に本を読んだのは先月とかではなかったか。
新しいものがわからない。わくわくするものがわからない。流行っているらしいものはなんとなくのレベルでしかわからない。アンテナ感度が足りていないのか、私の好奇心が足りていないのか、やる気がないのか、疲れているのか。本1冊もよめないほど干からびているのか。あの頃の私はどうやって毎日読むものを決めていたんだったか。
勤め先の近くに大きな書店があるので、昼休みに覗きに行く。覗きに行って買うこともあるが新刊ではなくかつて読んだものであることもざらにある。
『3ヶ月で英語力を大幅に上げた』
https://anond.hatelabo.jp/20210415222429
これ読んで、
「いいなー、羨ましいなー」
と思ったのがきっかけ。
というのは、表向きの理由で、本当に心を撃たれたのはこっちの記事かも。
『才能ある人は努力が報われていいな』
https://anond.hatelabo.jp/20210405102425
共感できる。
努力って報われない。
金あったら整形したい
たちまち飢え死にすることはない。
2年9か月ぶりの学習再開。
4年前に825点を取ったことがある。
1400時間に到達した。
冒頭の増田さん羨ましい。
YouTubeでも数か月でできるようになったって人るし。
まぁでも継続してりゃいずれは聞こえるようになるんじゃね?みたいな。
3ヶ月で上達した増田さんのようにジャンルを限定すればいいのかも。
「うわー懐かしいー、昔やったよー」って、
僕はてっきりダンジョンに入ってダラダラ敵をかわしつつ宝箱を回収するゲームだと思ったのだけど。
あぁこれが老害か。
2週間でやめた。
資金が底をつくまで、
で、一応、2022年末、かな。
年内に3000時間突破は確実だろう、でも2022年はどーかな。
あとは、もう長期戦。
「やり方下手」「遠回り」でもいいので、モノになってくれたらいいなって希望です。
今のところちょっと思いつかない。
何もしないよりは何か勉強している方が性に合ってる。
リスクというよりもはや織り込み済みと言うべきか。
浪人生みたいなもん。
浪人生が「毎日勉強して偉いね」って言われて嬉しくないのと同じで、
僕もなんとも思わん。
下手すりゃ僕は生涯浪人生だし。
いいです。
僕は伸びなかった。
休みがあんまりなかったので、絶対量が足りなかったのもあるが。
「勉強してる」って言うと「何言ってんのこいつ」って、あの空気が好きじゃない。
だいたいこの世代はみんな辛そうだけど、なんか結局生きる。
まぁ徐々に病院のお世話になっていくけど。
でも20年ある。
それで一つでもコンプレックスを克服できたら、ありがたい。
だからね。
僕より若い人は死んで欲しくない。
それで僕より偉くなってください。
今の僕は世間的には弱者男性って資本主義社会のカスみたいに言われてるけど、
死のうなんて1mmも思わないな。
なんでだろ。
受験してない。
TOEIC LR は、800点は取れないと思う。
700点代は取れると思う。たぶん。
POLYGLOTZというアプリを最近インストールして、小テストがあったので受けてみたら、とても難しくって、
結果を見ると
うあー...って
角っこに家系ラーメンがあって。
他のお店が閉まってるせいで、お客さんみんなこのラーメン屋に集まってて。
店ん中ごった返してて。
あぁこれは感染するかなって思ったんですけど、無事でしたね。
チャーシュー麺の大食べました。
僕にとって上達とは、スピーキングのことです。
最終的に自分の考えは、長めの文章で立論して伝えられる英語力が欲しい。
受験生はよく聞くと思いますが、結局受験の敗因は、量らしいです。
ただし、これが語学学習にも言えるかって言うと、よく分からん。
冒頭の努力が報われない記事のブコメ読むと、「やり方がおかしい」って意見多い。
テスト勉強しないってのは、僕のスタイルで、ほとんどの英語学習者は、テスト勉強を軸に学習しているようです。
僕の努力がもしかして「TOEIC LR に集中していた方がもっと上達したかも」って観測はあるかも。
もうとっくに900点以上とか取れてたりして。
知らんけど。
オンライン英会話は学習初期に、一日75分やってた。あれはエグかった。
多聴はなんだか多聴になってないやり方だけど。
YouTubeで好きなものを聞くってのが僕にはなかったので。
学習時間が1500時間になれば、細かいデータをどこかに投稿しようと思ってます。
→2021年4月29日noteに投稿 https://note.com/oceansnote/n/n3bfdc03b3505
子供のころ、両親共働きで帰りも遅くて、地元の公民館にあった図書室に入り浸ってたから色々小学生で読んだら不味そうな本とかも読めて学校の図書室より面白かった
公民館のイメージが地域によってバラバラみたいだけど、基本毎日9〜19時くらいまで開館してて、事務所にいつも何人か職員の人がいて、老人がカルチャー教室とかで集まったり、地域の会合とかがあったり、ちょっとしたホールがあって演歌歌手のどさ回りがあったりする感じのやつ
子供向けの本のコーナーは全体の1/4、郷土資料とか図鑑とかが1/4、あとは娯楽小説とかのハードカバーって感じだった(文庫本や漫画は確かなかった)
佐藤ラギのギニョルとか、当時意味わからないなりになんかヤバいものを読んでる…と思ってたりしてめちゃくちゃドキドキした
高校生になると市の大きな図書館が高校から歩いて30分くらいにあったからそこでも毎週上限まで借りて、高校の図書館は文庫本が多めだったからそこでも毎週上限まで借りて、めちゃくちゃたくさん小説を読んでた。
新書とか論評とかは全く興味なくて今に至るまで読んだことがない。あれだけ流行ってたバカの壁とかも読んでない。
高校の図書館は毎年貸出冊数の表彰してくれてて三年間毎年図書カードをもらってたし、国語のテストや模試の成績だけはいつも良くて、現代語の小説しか読んでないのに古文や漢文も小論文も苦労なく解けてた。
大学ではオタクになって、生活費を削る勢いで商業BLの小説と漫画を読み漁った。
それなのに就職したら全く本を読まなくなった。文庫本一冊読みおわるまで集中力もたなくて何度も中断して結局よみかけの本がたくさん棚にある。
その代わりにずっとTwitterみてる。いろんな人の本当かどうかわからない呟きも小説みたいなもんだな〜と思うとダラダラと何時間でも見てられる不思議
あれだけ本読んでた私が本読まなくなるほど高負荷の労働をそれなりにこなして、趣味にも家庭にも力入れられるとか世の中の人どうなってんだろな…偉すぎる
実際に高負荷だった新卒で入った会社を辞めて、楽な方に楽な方に流れてきて、月の残業10時間未満の仕事に就いてるけどそれでも土日は布団でゴロゴロしてるとすぐ終わるし、平日も20時に帰宅して飯風呂即布団みたいになるし…
まとめると、本に簡単にアクセスできる環境で育ててラッキー、多読してる分国語の成績は良いけど他の教科の勉強してないからトータルするとバカの部類、労働は体に悪い
少なくとも、現代社会で生きていく上で求められる力のうち、論理的な文章を読む能力に絞るとしても、
・表現力(形にできないものは「思考」できない) →書くトレーニング
…が必要。そして、それぞれを身に付けるには、右に書いた対策が必要。「こんな面倒臭いことしないとダメなの?!」って思うかもしれないけど、読解力が優れた人はこれを「面倒」だと思わずにやってる。なんでそんなことができるかというと、純粋にそれが「楽しい」から。従って、一番重要なのはこれらを「楽しめる力(素養)」ということになる。それを踏まえると、
という問題にいきつく。自分は、読解力を「指導する」側の人間として、それなりの評価を得ているが、そんな自分でも、「根本的に上記の力が一つならず足りていない」生徒を前にして、彼らの力を「伸ばす」ことができるのか/できたかと問われると自信がない。自分がしているのは、所詮、「もともと彼らの力量でできるはずだったこと」のうち、よくない指導者のために「できない」か「やり方を知らない」状態にある生徒に、「自分のできることに気付かせること」程度でしかないからだ。世間の「読解力を伸ばす」とか称するやり方にも、納得を感じることがない。もちろん、信じることが全て無益なわけではなくて、「信じる」→「モチベ湧く」→「やる」→「少しできるようになる」→「自信が次のモチベになる」→…みたいな良いサイクルの切っ掛けになることだってあるわけだから否定はしないけど、それが「万人向けのレシピ」であるような説明をするのは正しくないと思う。そして最後に、
(3)読解力にはレベルがある
・初級…書いてあることを要約できるレベル。
・中級…書いてあることを他に応用できるレベル。
とざっくり定義すると、この級の壁を越えさせるのは更に困難である((1)で書いたのはせいぜい初級レベルまでの話。)初級者を中級者にするには、少なくとも高等教育が必要だし、上級者にするには相当な時間と手間がかかる上に成功するかどうかも覚束ない。
こういうことを考えると、「読解力を育成する」なんて空恐ろしいテーマについて正面から向き合うような恐ろしい真似は、自分にはなかなかできそうもない。
私は昔から言っているのだが、読解力向上のためには「なぞなぞ」をたくさん解くといいと思うぞ。
読解力とは、文章の意図を正しく解釈できる力のことだと思うので、読解力のトレーニングには必ず「正しい解釈」すなわち「解答」が無いといけない。
読解力向上法というと、よく多読・精読系の方法が挙げられるわけだが、読書自体を好きにならない限り、「解答」が無いので向上が認識できない→続かない、という点で難がある。
そうすると、現代文の問題+「解答」を用意すればいいのかと思うだろうが、現代文の問題は、他科目と違って「解答を読んでも理由がわからない」という現象が生じる。
「解答を読むための読解力が必要」っていう難点な(現代文苦手な人あるある)。
そもそも、読解力の無い人間が読むには問題文が長すぎるという点も厄介。その点では「なぞなぞ」は設問が短いので、非常に良い。
それに「なぞなぞ」は、小学生でも出し合いっこしたりするので、誰が聞いても理解できる「解答」がちゃんと用意してあるのが、読解力のトレーニングに非常に向いている。
もちろん、最初は答えが上手く導け出せなくてもいい。
その「解答」を知って、設問文にどう対応してるか納得した上で、再度解き直せばいいのだ。そうして、「なぞなぞ」という文章から「正しい解釈」を導く練習ができるだろう。
「なぞなぞ」の中には、意外性のある「解答」を持つ問題もあるので、長文をただひたすら読むよりは、問題自体にも興味を持ち続けることができると思う。
あと、大事なのは、先ほど「正しい解釈」と書いたわけだが、本当の読解力とは、文章に含まれた唯一の解釈を探すことでは「ない」ということだ。
つまり、現代文の問題が間違いなく解けることが、社会において求められる「読解力がある」状態ではないのだ。
それゆえ、増田のように、社会に出てから「自分は読解力が無い」と悩む人間は、本当は、場に合わせた解釈が提示できない人間であることが往々にしてある。
ここはよく認識しておいてほしい。
そうなると、文章を読むことだけでなく、文章の「解釈」として色々な解答を考えてみることがより重要なわけで、その練習としても「なぞなぞ」というものは好都合である。
それには、他トラバにあるように、創作能力のある人間なら、「書く力」を鍛えるのが「手っ取り早い」のであろう。
それでも、まっさらな状態から何かを書き始めるのは大変なので、課題(なぞなぞ)を与えてその解答を考えるという段階から始めるのが、導入としては良いと思う。
ちなみに、よく「他人の気持ちを考えろ」と言う人間が居るが、その具体的なトレーニング方法としても「なぞなぞ」は有用だと思っている。お試しあれ。
気になっている分野の、大学で扱う内容の英語の教科書を読むといいと思う。
気になっている分野の内容は興味を持って積極的に取り組みやすい。
敬遠しがちかもしれないが、実は教科書は、専門用語を除けばかなり平易な単語が多い。多読習慣をつけるにはうってつけの学習教材。
専門用語も補足があったりするので、なんじゃこりゃってなる心配はない。
大学の教科書は、英語で書かれた原著を日本語に訳したものが多い。
すなわち、和訳版には翻訳者の介在があるため、値段が高くなってしまう。
原著を読めば安く済ませられる。
それでも1万円とかするけど、和訳版は3万円とかするので、将来的には得をしている。
安い本ならば中古で3000円とかで買えた記憶。専門分野と英語の両方の参考書を買うと考えると、得ではないだろうか。
あと個人的な感想だけど、英語の教科書の方が内容が生き生きしてて読んでて楽しい。
高校の教科書って事実をそのまま並べてる感じで読む気にあんまなれない。
けど、英語の教科書はできるだけ面白く、興味を持ってもらえるような語り掛け方をしている印象がある。
私が生物系なので、おすすめするとしたらCELLやESSENTIAL細胞生物学など。
基本的な細胞生物学について学べるし、まぁ大学で習う内容としては外れが無いだろう。
全部まとめられた本って結構重いしかさばるし読みにくい。なので、すこしでも軽くして持ち運べるようにした方が楽。
もし興味がわいたならば、大学行ってる先輩とかに聞くといいかも。大学の近くの古本屋さんに行ってみて、教科書を探ってみるのも楽しい。
目当ての大学・研究室がもうすでにあるならば、そこの教授に連絡してどういう本がいいか聞くのも手。教授ってそういう意欲ある学生って好きなはず。
劇的に勉強ができるようになる方法なんてものはそうそうないが、多くの学習者が犯しがちな非効率的な勉強法はいくつかある。その内の一つが、自宅での学習で「英語長文を解こうとする」ことだ。
誤解のないように言っておくと、本番前の演習が目的であれば、もちろん本番と同じように解いたほうがいい。ここで述べているのは、あくまでも日常学習としての英語長文の勉強だ。
少なくとも高校レベルの学習者であれば、英語長文は先に和訳を読んでから本文を読んだ方が良い。
先に和訳を読むメリットは明らかだ。すなわち、予め内容が頭に入っているので、英文をスラスラ読めることである。つまり、文章の要旨とあまり関係がない単語などに煩わされることなく、長文を読むことができる。このため、復習の頻度が上がり、定着率も高くなる。
これには、次のような異論があるかも知れない。すなわち、先に答えを知ってしまうと、分からない部分を考える力が身に付かない、というものである。しかし、これは根本的な誤解をしていると思われる。
たしかに、数学や物理であれば、ある程度難しい問題をじっくり考えて解くことは重要で、その割合は英語よりも多くて然るべきである。しかし、英語は単なるコミュニケーションの道具であって、難解と言われる英文をパズルのように解釈することに本質があるわけではない。
英文を構成するほとんどの部分は、中学生でも少し時間をかければ分かるような易しい文である。したがって、この部分が自然に理解できることが、長文読解の基礎となる。そのためには、この平易な部分をスポーツの基礎練習のように反復し、文字通り「体で覚える」ことが重要になる。
ところが、英語長文を「問題」として取り組もうとすると、分からない単語や構文を調べるので力尽き、結局、空所や下線部の周辺だけを考えて放置してしまうようなケースが少なくない。こういう人は、(自称)複雑な英文解釈は得意だが、英文を読む速度が異常に遅いとか、基本的な英文法・語法が抜けているという状態に陥りがちである。これは喩えるなら、マニアックな野球理論は多く知っているが、キャッチボールが続けられないようなものである。
そもそも、和訳から先に読んだところで、学ぶものはたくさんある。「ある表現を英語でどのように言うのか」「自分が知っているのとは別の表現がされていた」など。重要なのは、そういうものを調べたりするのに「手間をかける」ことではなく、最終的に「きちんと理解する」ことである。したがって、和訳から読んだ場合も、後で辞書を引いたり、文法事項を学ぶことは重要である。
英語学習において、「慣れ」と「理論」は両輪の関係である。多読で獲得した慣れは、きちんとした文法知識に裏付けられる必要がある。逆に、知識だけはあっても、それが文脈に即した用例と結びついていなければ、長文読解や英作文で活用することは難しい。
弟と同時に帰省した。久しぶりに会った弟はよく勉強していた。多読家になっていた。
弟がいうに、学生時代は本を読まなかった、本を読むようになったのは私(兄)の影響であると言ってくれる。
ここ数年はAmazon Unlimitedを使って読んでいたらしい。最近はdマガジンのサービスを利用し始めたと教えてくれた。大量の雑誌を安価で読めるサービスである。興味を惹かれたので早速登録してみた。
税込みで月440円である。1700冊読み放題。実際に使い始めてわかったのだが、全てが読めるわけではないのだ。主要な部分を読めるのだ。抜粋版である。詳細に読みたければ現物を買わざるを得ない。広く浅く読みたい人のためのサービスである。それに満足できるのであれば契約して良い。
週刊東洋経済、ダイヤモンド、プレジデント、クーリエジャポン、さらに写真週刊誌も読める。FLASHでかわいい女の子のグラビアを見てふむうと楽しんだ。それに加えて驚いたのがムーである。開いてみれば349ページ読めるのだ。ほとんど全ページ読めるのではなかろうか。中学生の頃好きで読んでいた。懐かしいしなんだか嬉しい。雑誌によって違いがあるのだ。
わが弟ながら幅広く勉強しているなと思った。情報が大事と自覚していた。相続のプロであり、現場で培われた経験と知識の深み厚みには驚かされた。男子三日会わざれば刮目して見よという言葉を思い起こさせられた。自分には税法の知識、理解が足りないなあと思わせられた。勉強への意欲を惹起させられた。大した男である。
たとえば生まれつき目が見えない人に
赤い、青いなどをことばで説明するのは至難のわざ。
たとえば、今から源氏物語読んでも「犬貴ってどんな犬なんだ?その犬はなんで日本語理解してんの?(正解は人間の固有名詞がイヌキ)」ってなっちゃうし
平安時代の人に選挙とか献血とかいってもやっぱりわからんだろう。
なので、おすすめは「ひとかたまりの時代を意識して言葉を広げながら読む」だよ。
で、さらにおすすめは「現代のいろいろなことばをまんべんなく読む=新聞を読む」なのだ。ラノベは駄目だぞ
たとえばインドの古典ラーマーヤナでさえ現代語に翻訳されてて読める珍しい国だ。
だから、塊で捉えるといいよ。
で、好きというか得意というか、
キャラの心情がはしばしから細かく読みやすい時代があったらそれを読めばいい。
でなければ好きなジャンルごとにわけるのもいいよね、
SF、推理もの、エッセイ、落語みたいなカラッとした笑い、ラノベ、など。
フカヨミはしたくない話ならしなくていいんだけど、